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【bayfm78】ビートルズから始まる。10【小林克也】


1 :2013/08/22 〜 最終レス :2013/10/17
●bayfm78 毎週日曜夜6:00〜7:00
石井食品提供
小林克也の司会でお送りする、ビートルズ特集番組
番組内コーナー
・ビートルズ・カレンダー
・ビートルズ・ストーリー
・リクエスト・コーナー
(紹介された人には石井食品の詰め合わせをプレゼント!)
▼前スレ
9 http://uni.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1359722581/
8 http://uni.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1341307124/
7 http://uni.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1320067779/
6 http://toki.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1295841403/
5 http://toki.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1268562055/
4 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1242461057/
3 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1213526085/
2 http://bubble6.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1172396227/
1 http://bubble5.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1104052809/

2 :
では、8月18日の初めから。

3 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる」bayfm 78.0MHz
 2013年8月18日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー(8月18日)
 ・1967年(今から46年前の今日)
  「サマー・オブ・ラブ」と言われる年、「サイケデリック元年」みたいな年。
  ビートルズが「サージェント・ペパー(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」を出した年ですけども。
  今から46年前の今日、イギリスで「We Love You」というシングルが、ローリングストーンズ(The Rolling Stones)のシングルが出ます。
  なぜ、ローリングストーンズのシングルの話しをするかというと、バックボーカルにジョンとポールが入ってるんです。
  ロック史上 ローリングストーンズとビートルズは、未だに、双璧と言われる、二大巨頭と言われるバンドですよね。
  片やビートルズは とっくに解散して、ストーンズは 未だに「ロック史上最古の現役バンド」と言われていますけれども。
  でもやっぱり ビートルズがずーっと先を行って、ローリングストーンズのミックジャガー達がけっこうビートルズを追いかける、みたいな構図で。
  その間 けっこう仲が良かったみたいですよね。いろんな付き合いをしているからね。
  ストーンズの2枚目のシングルっていうのは、ほら、ストーンズがオリジナルを書かないていうことで、
  ストーンズが出ていたライブハウスの楽屋で、ジョンとポールが10分で。
  「ほらこれ、やったら?」っていうんで、「I Wanna Be Your Man」。
  ビートルズはリンゴ・スターが歌ったんですけど。
  軽く ビートルズが書いてあげたり。
  あと、ローリングストーンズは めちゃくちゃでかくなって、その後、談合が行われるんですよね。
  自分たちの お互いのシングルは、同じ日に出すとぶつかり合うので、微妙に日付をずらしたりしました。
  それから、「All You Need Is Love」が、全世界で生放送になった時、ミックとキースが(スタジオに)居たり、とかね。
  また、ストーンズがニューアルバムの新作パーティをやってる時に、
  ポールが行って「Hey Jude」ってのが「これが俺の新曲だ!」ってかけて、
  「Hey Jude」が受け過ぎて「お呼びでない!」っていう。

4 :
  まあ、いろんなことがあって。
  仲が良かったけど、そんなに・・・、どうなんだろうね、本当の親友じゃ無かったような・・・、じゃないでしょうかね。
  
  「We Love You」に戻しますと。
  46年前の今日出た「We Love You」。
  この頃は 本当にサイケデリック真っ盛りで、ビートルズが「サージェント・ペパー」を出すわけです。
  で、ローリングストーンズはショックを受けるわけですね。
  「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」というタイトルに ちょっと似てるような
  「Their Satanic Majesties Request」という アルバムを半年遅れで出すんですよね。
  だけど、ビートルズみたいに、「サージェント」みたいに評価はされなかった。
  ちょっとビートルズ・・・。
  これがおそらくローリングストーンズがビートルズを追っかけて、ビートルズをちょっと真似っこした最後じゃないか、と思われるんですが。
  そのアルバムからのシングルであります。
  あんまりヒットはしなかった、ローリングストーンズの We Love You。
  〜 The Rolling Stones / We Love You
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Zrq3VEDncvU
  (小林)ローリングストーンズの We Love You。 
  このバックのコーラスに、ジョンとポールが入っていたという。
  ビートルズを追っかけていたローリングストーンズ。
  だけど、ビートルズの「サージェント」も なかなか、もうロックの最高のアルバムと評されたりするわけですけども。
  それに負けないような努力の跡がうかがわれる。
  がんばってたねえ、ローリングストーンズもねえ。
  ビートルズがいたから ストーンズも がんばれたんだろうねえ。

5 :
□ストーリー
 ・「ああ、やっぱり。母さんは俺のものじゃなくて、今まで母さんが愛した男たちのものだったんだ」
  1958年7月15日、夜、リバプールのセフトン総合病院。
  この時18歳のジョン・レノンは、交通事故で亡くなった母親ジュリアの遺体と対面した。 
  この時一緒にいたのは、ジュリアの内縁の夫で通称トゥイッチーと呼ばれる男。
  トゥイッチーは この突然の悲劇に、完全に取り乱していた。
  この時ジョンははっきりと ジュリアが自分の所有物ではなかったことを確信したのである。
  悲しみは何週間も消えることはなかった。
  
  ジュリアをはねた車を運転していたのは、非番の警察官だった。
  皮肉なことに、ジョンの悪友で 一年前までクォーリメンのメンバーだったピート・ショットンが、
  警察学校から派遣されて この事故に関する逮捕状を作成した。
  しかし、運転していた警官は裁判を受けたが、裁判は無罪放免。
  事故現場に居合わせたジョンの元バンドのメンバー、この時はマネージャーを努めていたナイジェル・ウォーリーは
  裁判の重要な証人として出廷した。
  
  ナイジェルは語っている。
  「確かに、僕も証人になったけど、高校生の証言なんて大して気にも留めてもらっていかったと思うよ。
  それにしても、一番つらそうに見えたのは、亡くなったジュリアのお姉さんで ジョンの育ての親でもあったミミ伯母さんだよね。
  たしかに 妹のジュリアとは 世代も性格も違っていたけど。
  やっぱり 可愛い妹なわけだし、面倒を見ているジョンを不憫に思ったんだろうねえ、
  法廷でミミ伯母さんは 被告席の男に向かって声を上げて、持っていた杖で殴りかかりそうな勢いだった。
  それはもう、辛く悲しい裁判だったよ」

6 :
  〜 John Lennon / (Just Like) Starting Over
  ttps://www.youtube.com/watch?v=fWWbu_RSh7Q
 
  (小林)お送りしたのは、ジョンの最後のアルバムとなった「ダブル・ファンタジー(Double Fantasy)」
  その中に入っていた、これはシングルカットされて イギリスやアメリカ いろんな国でナンバーワンを記録しています。
  ジョン・レノン (Just Like) Starting Over。

7 :
□ストーリー(続き)
 ・「法廷でのミミ伯母さんは、被告席の男に向かって声を上げて 持っていた杖で殴りかかりそうな勢いだったね。
  そりゃもう、辛く悲しい裁判だったよ」
  
  1958年7月15日、ジョン・レノンの実の母親ジュリア・レノンは 非番の警察官が運転する車にはねられ亡くなった。
  享年44歳。
  このジュリアと一世代ほど年の離れた姉のミミは、ジョンの育ての親であった。
  ミミがどれだけ辛い思いをしていたかは、証人として裁判にも出廷した ジョンの友人であるナイジェル・ウォーリーが語ったとおりである。
  ジュリアが亡くなった後の数週間、ジョンを見ていると、もう一人の友人ピート・ショットンは、中学生時代の思い出が蘇ってきたという。
  「その思い出 っていうのは、ちょっと変な話しかもしれないけど、
  ジョンが悪さして 鞭で叩かれていたシーンなんだよ。
  あの時もジョンは必死にこらえて、絶対に苦痛の声を洩らさなかったんだ。
  ジョンはいつも そんな奴だった。
  だから、彼の悲しみの深さを知る人間なんて、ほとんどいなかったね」
  そもそも ずっと息子と離れて暮らしていた 明るく天真爛漫な女性へのジョンの思いが分かる人間は ほとんどいなかったのである。
  アートカレッジでのジョンは、正面階段を登り切った所にある大きな窓の前で 何時間も座っているようになった。
  
  カレッジでの友人アーサー・バラードは語っている。
  「それまでのジョンは 少し皮肉屋だったけど、ほんとは良いやつでね。
  気心が知れれば すごく面白いやつだったんだ。
  音楽の才能もあったし、天性の詩人でもあったんだよ。
  とにかく あんな奴はどこにもいなかったし、僕はジョンとは すごい楽しい時間を過ごさせてもらったと感謝している。
  そんなジョンが 事故以来 まるで人が変わったみたいに、無口になったんだよ。
  ある日、いつもの場所にいるジョンを見かけたら、やつは一人で泣いていたんだ」

8 :
  〜 John Lennon / God
  ttps://www.youtube.com/watch?v=3yUSGvm4BXA
  (小林)ジョン・レノンの God。 
  ジョンの 神に関する 自分の解釈ですよね、それがこの曲に入っている。
  こういうやつを聴くとね、70年代は みんなソロになるわけだけど。
  他の3人が皆に伝えようと、あるいは現わそうとしたこと。
  ジョンは ぜんぜん違うよね。
  ぜんぜん違う所にいるよね。そういうことが良く分かるよね。
  

9 :
□ストーリー(続き)
 ・「それまでのジョンは少し皮肉屋だったけど、ほんとは良いやつでね。
  気心が知れれば すごく面白いやつだったんだ。
  そんなジョンが、事故以来まるで人が変わったみたいに、無口になったんだよ。
  ある日、いつもの場所にいるジョンを見かけたら、やつは一人で泣いていたんだ」
  これはジョンのアートカレッジでの友人=アーサー・バラードの証言。
  
  1958年7月15日 夕刻、ジョンの実の母親ジュリアは非番の警官が運転する車に撥ねられ、その生涯に終止符を打った。
  享年44歳。
  ジョンの悲しみを表わす出来事は 他にもあった。
  それは相棒であったジェフ・モハメッドとのバカ騒ぎという形でも見かけられたし。
  さらに、それ以外にも逸話は残っている。
  友人のアーサーは証言をこう続ける。
  「ジョンはあれ以来、学生相手のパブ『イークラック』にもしょっちゅう顔を出すようになったね。
  朝の開店時間からバーに行って 何杯か引っかけると、昼過ぎにヘベレケになってカレッジに帰って来るんだよ。
  ほんとうに泥酔していたよ。
  こんな話 信じてはもらえないかもしれないけど、
  ある時なんかはねえ、ジョンがエレベーターの隙間に小便をしようとしているところを 見たことがあるんだ。
  あれはもう、未遂じゃなくて現行犯だった。
  でもね、そんなジョンの いわゆる奇行も、やつの悲しみを考えると理解できるんだ。
  それほど、ジョンは感性が強くて 愛情の深い人間でもあったんだよ」
  
  さらに、ジョンの生涯を通じての悪友=ピート・ショットンの証言もある。
  「あのころのジョンは 本当に気を失うまで酒を飲んでいた。
  ある時なんか 僕がバスに乗ったら、2階の席にジョンがいたんだ。
  ベロベロに酔っぱらって 後ろの席で寝そべってね。
  どうやら 酔いつぶれたジョンは、何時間もそうやってバスに乗っていたらしいんだ。
  同じ路線を 5回以上も往復したそうなんだ。
  とにかく、それがあのころのジョンの 真の姿さ。
  これは、本当のことだよ」

10 :
  〜 John Lennon / I'm losing you
  ttps://www.youtube.com/watch?v=RexzEnxMpWo
  〜 The Beatles / In my life
  ttps://www.youtube.com/watch?v=iE3LBM-Yw3o
 
  (小林)2曲、ジョンの曲が流れましたが、ジョンらしさがほんとにある、両面性っていうのかな。
  ジョンの心の中の優しさが そのまま出たような、(2曲目) In my life。
  これは、ビートルズとしてね「ラバーソウル(Rubber Soul)」のアルバム。
  それから(1曲目)I'm losing youは、バックは チープ・トリック(Cheap Trick)です。
  これはね、ジョンの 失恋ぽい歌だけど。
  ジョンみたいに、一つ一つの音を強く激しく発音するようなシンガー めったにいないんですよね。
  ラップで言うと エミネム(Eminem)。エミネムもジョン・レノンの影響を強く受けて、ジョン・レノンぽい所もある人ですけども。
  そういう、独特の強さを 現わしたような曲です。I'm losing you。

11 :
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしています。
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  (八千代市/男性)17歳
  ビートルズは今の僕と同じくらいの年齢の頃からプロになることを目指してがんばったんですね。
  考えてみると これはすっごいですね。
  だいたいの人は そんなこと出来ないと思いますが、彼らはプロを夢見てがんばり続け 結果としてすごい事を成し遂げたんです。
  彼らは本当に天才だったと思う反面 やっぱり最後まで信じていれば夢はかなうものなんだなあ、と思わされるところもあります(笑)。
  さて、突然ですが、僕は近々手術をします。
  腰骨に腫瘍が見つかり それを取り除く手術をするんですが、不安もありますが がんばろうと思います。
  リクエストですが・・・             (小林)ジャーニーで来ましたね。
  ジャーニー(Journey) Dont stop believing
  ジャーニーといえば、2月は元メンバーのグレッグ・ローリー(Greg Rolie)が リンゴのオールスターバンドと共に来日したり。
                       (小林)わあ、すごいねえ、(あなた)は いろいろフォローしてるんだ。
  ジャーニー自体が来日しました。
  6月は 元ボーカルのスティーブ・ペリー(Steve Perry)が皮膚がんの手術をしたと聞きました。
  彼もまた 入院期間中「Don't Stop Believing」と自分に言い聞かせていた かもしれないですね。(小林)ていう。
  そう言えば、克也さんはジャーニー来日時に インタビューしたりしていますが。
  彼らの印象とか、心に残っていること・・・
  (小林)うわあ。
  これは、ちょっと時間もあれなんですけど。
  彼らもね、すごいね、苦労してる、めちゃくちゃ。
  いきなり 売れたわけじゃないからねえ。
  めちゃくちゃ苦労してるから、温かいね。それは、僕の印象だね。
  さあ、じゃ(あなた)手術がんばってね。
  
  〜 Journey / Don't Stop Believing
  ttps://www.youtube.com/watch?v=rfUYuIVbFg0

12 :
  〜 The Beatles / The Fool On The Hill
  ttps://www.youtube.com/watch?v=fgbmzSGK_0E
  (習志野市/女性)40代
  中一の二男が音楽の授業で「ハロー・グッバイ」を習って、ビートルズにちょっと興味を示しています。
  歌詞が分かりやすく 面白いからでしょうか?
  私の実家には「ビートルズ詩集」という歌詞の和訳の本がありました。
  こんど実家で発掘して、読ませてみようかと思います。
  昔、学校で、出来の悪かった私にぴったりと、自分のテーマソングにしていたビートルズの「フール・オンザ・ヒル」
  (小林)
  「フール・オンザ・ヒル」は、まあ「丘の上の馬鹿者」w かもわかりませんけど。
  そういう歌じゃないからw。
  あの、おそらく息子さんと一緒に、もう一度 その詩集でも何でもいいですから、音楽と共にかみしめて。
  ビートルズが歌っている 素晴らしい世界を、母子で一緒に勉強して、ね、面白いから。
  人生深みが ちょっと増すからw。

13 :
  (渋谷区/男性)
  ほぼ毎週 楽しみに聴いています。外出中も なるべくラジコで聴いています。
  これからどんどん有名になって行くところで、今が一番ワクワクするところですよねえ。
  ビートルズのお話しの方は。
  さて、私はドイツ語を独学で学んでいるんですが。
  去年のNHKのドイツ語講座で、ビートルズの特集の回がありまして。
  ハンブルグはビートルズの街として有名なんだとか。
  ハンブルグで恋に落ちて ドイツに残ったメンバーがいた、なんて初めて知りました。
  こういうエピソードも これから出てくるのかな?
  いつか ビートルズの足跡を訪ねてハンブルグに行ってみたいなあ、と思っています。
  もしあれば、ドイツ語で演奏している音源を。
  (小林)
  これは、ビートルズの「I Want To Hold Your Hand」がアメリカで1位になりそうだ っていうニュースを聴いて。
  ドイツの会社のリクエストに応えて。
  ただ、本人たち四人はですね、「なんで、俺たちがドイツ語でやんなきゃダメなんだよ?」って 逃げ回って。
  渋々録音した、そうですけど。
  I Want To Hold Your Hand のドイツ語版。
  あなたの名前が書いてないんで。温野菜って何ですか?。ちょっと名前を見たかったなあ。
  顔が見えるからねえ、本名はねえ。
  
  〜 The Beatles / I Want To Hold Your Hand (In German)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=HrZQk03uKsQ

14 :
  〜 忌野 清志郎(ザ・タイマーズ) / デイドリーム・ビリーバー
  ttps://www.youtube.com/watch?v=tnVfHSgHanE
  (小林)というわけで 
  ビートルズのドイツ版の「Komm, Gib Mir Deine Hand」=「I Want To Hold Your Hand」に続いては。
  これは正式に言うとザ・タイマーズですね。
  名前が ちょっと人を食ってますけどw。デイドリーム・ビリーバー。
  (船橋市/女性)
  先日、番組で モンキーズはビートルズの対抗策としてのグループ結成だった、という話しがありましたね。
  ビートルズを越えたか云々 というよりも、モンキーズなりの売るためのセールス的に作られた魅力 というものもありますよね。
                     (小林)(あなた)は、モンキーズ好きなんだね。
                         この文章から 判かるねw。
  忌野清志郎のカバーをお願いします。
  (小林)
  まあ、清志郎さんの場合はあれですね、強烈な別の世界を創り出した、と言うことができますよね。

15 :
  BGM= The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U
□エンディング  
  (小林)今日はいかがでしたでしょうか?
  
  ジョン・レノンが18の時にね、実のお母さんが交通事故で亡くなった話し。  
  そして、ジョン・レノンの普段あんまりかからないような曲も ここのところかけていますけど。
  やはり、ジョン・レノンという人の、人間像みたいなのが 雰囲気で伝わってると思いますよ。
  
  後半は、リクエストでちょっと楽しかったですね。
  ありがとうございます。
  リクエストよろしくお願いします。
  採用の方にはイシイの(略)
  メールは
  beatles@bayfm.co.jp
  
  ビートルズに限らず、ビートルズと関係があるとか、ビートルズの前の曲でも、ビートルズの後の曲でも
  もちろん、今の曲でも結構です。
  待っています。

16 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年8月25日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー(8月25日)
 ・1967年(今から46年前の今日)
  例の年です。サイケデリックの年です。ヒッピーが発生し始めたw 年です。
  「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」の年。
  46年前の今日。
  これは ちょっと重要かもわかりませんね。
  イギリスのウェールズのバンゴア(Bangor)っていう所でね、バンゴアっていう所へビートルズの3人が行くわけです。
  これが、ちょっと重要な意味がありますが。
  始まりはね、ジョージ・ハリスンの嫁のパティ・ハリスン(Patti Harrison)なんだね。
  その頃 60年代、若い連中だとか芸術家たちに、TM=超瞑想の、まあ宗教的なものなんですが、これが流行り始めて。
  インドの導師マハリシが、超瞑想の会の講義をやっていて、それにジョージ・ハリスンの嫁のパティ・ハリスンが参加して。
  パティはジョージにこれを勧めるわけですね。
  ジョージは他のメンバーに勧めるわけです。
  で、8月24日、ロンドンのヒルトンホテルで、マハリシの講義に参加して。
  リンゴが行かなかったんだけど、「リンゴ、お前、これすごい事になるよ!」って、みんなもう夢中になっちゃうわけです。
  興奮しちゃうわけ。
  で、翌日の8月25日、つまり46年前の今日、4人はレコーディングを中止して、汽車でバンゴアに行きます。
  マハリシの元に向かいます。
  メンバーは奥さんとか恋人も連れて行ったんで、報道記者にもみくちゃにされて大騒ぎ。
  シンシアは このおかげで列車に乗り遅れてしまって、後に「この時が、ジョンとの別れの序章になった」と語っています。
  ビートルズがTMに興味がある、そしてマハリシに興味があるっていうことで、
  友達もミュージシャンたちも、ミック・ジャガーもマリアンヌ・フェイスフルも参加したっていうことですよねw。

17 :
  さあ、この時の67年のアルバムていうと、2ヶ月前に発売になった「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」これがめちゃくちゃホット。
  この中にジョージ・ハリスンが作った曲。
  ジョージと数人のインド人ミュージシャンだけで録音された曲 といえば、あれですね「Within You Without You」なんですが。
  これ、前の「リボルバー(Revolver)」のアルバムに入っていた曲「Love You to」音なんかも似ているかもわかりませんが。
  どちらかというと あれだよね、ジョン・レノンがやった「Tomorrow Never Knows」の世界にみたいな感じかな?
  そういう世界と共通しているものがあります。
  じゃあ、ジョージのこれ、みなさん改めて そういう風な歴史があって、ジョージがこれを作ることになった、ていう。ね。
  行きますよ、ビートルズの Within You Without You。
  〜 The Beatles / Within You Without You
  ttps://www.youtube.com/watch?v=qY38IDPoZRA
  (小林)これは、延々弾く曲ですけども、ここらへんでw、雰囲気が届いたところで。どうですか?
  なかなか音が刺激的ですよね。
  ジョージしか入っていない、他の3人は入っていない。
  ポール・マッカートニーの「Yesterday」がね、ジョージもジョンもリンゴも入っていなかった、ていうのと ちょっと似てますね。
  これは、ジョージの世界です。Within You Without You。

18 :
□ストーリー
 ・「あの頃のジョンは 本当に気を失うまで酒を飲んでいたんだ。
  ある時なんか、僕がバスに乗ったら、2階の席にジョンがいたんだよ。
  ベロベロに酔っぱらって 後ろの席に寝そべってね。
  どうやら 酔いつぶれたジョンは、何時間もそうやってバスに乗ってたらしいんだ。
  同じ路線を 5回以上も往復したんだそうだ。
  これが本当のことだよ」
  これは、ジョン・レノンの元バンド仲間にして 生涯にわたる悪友でもあった ピート・ショットンの証言。
  17歳にして母親を失った ジョンの心に空いた穴を埋めてくれるものなど、そう簡単には見つからなかった。
  そんな、あまりにも辛い現実が ジョンをアルコールに走らせた。
  なんでもいい、酔っぱらっている時だけは何もかも忘れることができる。
  そんな日々は続いた。
  
  ジョンには 常にガールフレンドがいたが。
  ジョンの考えるロマンスというものに、長く付き合っていられる女性は ほとんどいなかった。
  大量のアルコールを摂取し、皮肉をしゃべり、待ち合わせには遅れ、ブラックなユーモアを吐き、
  そして何より 気分にムラがあり過ぎる性格が、女の子たちがジョンに見切りをつける原因となっていた。
  ある女の子は ジョンにこんな捨て台詞を残して去って行った。
  「いくら お母さんが亡くなったからって、私に八つ当たりしないでよ!」
  
  そんな中、ジョンの目がシンシア・パウエル(Cynthia Powell)という女学生に留まったのは、母親の死から程ないころ。
  シンシアは ジョンと同じアートカレッジの中級クラス、つまり中くらいの成績のクラスに通っていた。
  メガネをかけた内気な女の子で、白い肌にはシミ一つ無かった。
  それまでのジョンは たとえ気に留めたとしても、シンシアがリバプールでは比較的上品な地域に住んでいることをからかうだけだった。
  しかし、人の心とは不思議なもの、それがいつしか恋心に変わって行くのである。

19 :
  〜 The Beatles / Girl
  ttps://www.youtube.com/watch?v=j4FZy3pWfWU
  
  〜 The Beatles / If I Fell
  ttps://www.youtube.com/watch?v=8ld7diQ61Ik
 
  (小林)初期のレノンの作品が続きましたね。
   
  Girl、これは65年 アルバムは「ラバーソウル(Rubber Soul)」
  そして If I Fell、「ハードデイズ・ナイト(A Hard Day's Night)」のアルバムからお送りしました。

20 :
□ストーリー(続き)
 ・「おー、みんな!。お高く留まったお嬢様がいらしたぜ!
  もう下品な会話はおしまいだ!。」
  「お高く留まったお嬢さん」と呼ばれているのは、リバプールのアートカレッジに通うジョンの同級生シンシア・パウエル。
  彼女の住むチェシャウィラルという地区は リバプールの中では比較的品の良い住宅街と言われていた。
  少なくとも ジョン・レノンと仲間たちは それをいいことにシンシアをからかった。
  「下品会話はおしまいだ!」と言っておきながら、次にはもっとすごい下ネタを続けるのである。
  もちろん シンシアは真っ赤になった。
  それでも シンシアはいつの間にかジョンに惹かれていった。
  それは彼女の きちんとして慎重な性格からすると、どうにも不釣り合いな感情だった。
  
  シンシアはレタリングのクラスの時 恐る恐るジョンのすぐ後ろの席に座った。
  きちんと並べた筆や定規は 案の定ジョンにメチャクチャにかき回された。
  小学生の男の子並みの 幼いイタズラである。
  またある日、講義室で他の女学生がジョンの髪の毛を撫でていたことがあった。
  これを見たシンシアは、自分でもよく分からない感情が芽生えたことを覚えている。
  それが「嫉妬」という感情であったことを 彼女は後になって気付いた。
  
  ジョンとシンシアが きちんと話しをするようになったのは、ある日の休み時間に視力検査を受けている時のこと。
  メガネをかけたがらないジョンが、実はド近眼のメガネ少女であるシンシアと同じくらい目が悪い、と判ってからであった。
  あのいじめっ子のジョンが 実はド近眼であるという事実に勇気付けられたシンシアは、休み時間になるとカレッジの廊下をウロウロするようになった。
  その理由は、ジョンに会えるかもしれない から。
  なんとも 可愛らしい乙女心である。
  そしてこのあと、シンシアはジョンの目を引こうと一大決心をするのであった。

21 :
  〜 The Beatles / Bad Boy
  ttps://www.youtube.com/watch?v=oSTwxxfR3LE
  〜 The Beatles / Words of Love
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Ly3QWEx0fAk
  (小林)ビートルズがやる カバーね。ジョンがやるカバー、が2曲続きました。
  Bad Boy これはラリー・ウィリアムス(Larry Williams)のヒット曲なんですが、
  ビートルズがやったカバーだけを集めたコンピレーションってのは、CDは出てないらしいんですけども。
  昔は出てますね。
  その中に入っていた「Bad Boy」
  それから、今聴いたやつ(2曲目)はバディ・ホリー(Buddy Holly)のカバーをやっていましたね。
  Words of Love。

22 :
□ストーリー(続き)
 ・「なんだあ。あの、いじめっ子のジョンも目が悪かったんだあ。
  よし!こんどは私が、ジョンに仕返し してあげる番かな。」
  1958年、季節は秋。
  場面は リバプールのアートカレッジのキャンパス。
  いつもジョン・レノンにからかわれていたお嬢様育ちのシンシア・パウエルは、いつのまにか自分がジョンに惹かれ、恋心を抱いていることを認めざるを得なかった。
  そしてついにシンシアは ジョンの目を引こうと一大決心をするのである。
  それは、一世一代のイメージチェンジをして、ジョンを驚かすこと。
  典型的メガネ少女のシンシアは、まずヘアサロンに行ってパーマをかけ、色もブロンドに染めた。
  服装も、それまでの地味なものから、白のダッフルコートと黒いベルベットのスラックスに変えた。
  そして、ジョンと同じように メガネも外した。
  しかし、当時はまだコンタクトレンズなど製品化されていなかったため、メガネを外したシンシアは たびたび災難に見舞われた。
  毎日セントラルステーションから乗るバスは、たいてい彼女が気が付かないうちに、ホープストリートを通り抜け、カレッジ前のバス停も通り過ぎて、
  リバプールの8番地区まで来てしまうのであった。
  それでも、メガネは授業中だけ、というシンシアの決心は揺らぐことは無かった。
  ジョンが畏(かしこ)まってシンシアに声をかけてきたのは、カレッジの講義室を使って昼休みに開かれた学期末のダンスパーティの時だった。
  悪仲間のジェフ・モハメッドに急かされたジョンは、シンシアにダンスを申し込んだ。
  そしてダンスの最中、ジョンは彼女に話しかけた。
  「あのう、シンシア。今度の週末、映画でも見に行かないか?」
  ビックリしたシンシアは答えた。
  「ジョン、うれしいけど、私、婚約者がいるの」
  この返事に ジョンは言葉を失ってしまったのである。

23 :
  〜 The Beatles / Tell Me Why
  ttp://www.youtube.com/watch?v=QS5Jvihodec
  〜 The Beatles / You're Going to Lose That Girl
  ttp://www.youtube.com/watch?v=ohg8Ar2L5lI
 
  (小林)2曲続きましたよ。1964年65年ですよね。
  ジョン・レノンのラブソングっていうのは、ポールのよりも・・・
  ポールのって なんか物語っぽいのがあるけど、ジョンのやつはちょっとリアルですよね。
  Tell Me Why。
  そして、You're Going to Lose That Girl。
  これは「HELP!」の映画でも使われました。

24 :
□リクエスト
  (小林)
  アドレスは beatles@bayfm.co.jp
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてお送りしております。
  最近はプライバシーの問題とかいろいろありますけど、できれば 電話番号を書いて頂くと、とても・・・。
  ちゃんと、やっておりますからね、この番組はね。よろしくお願いいたします。
  (住所不明/男性)
  この番組のリスナーは すでに御存知かと思いますが、やっとポールさんが日本に来ます。(小林)ポールさんが。
  11年ぶりですよ。
  今回のワールドツアーは、5月に「Wings Over America」がSHM-CDで再リリースされたので、セットリストにはウィングスの曲が多くなっているようです。
  ここ1〜2年ほどウィングスとポール・マッカートニーのサウンドに改めてのめり込んでいる私には絶好のタイミングでの来日です。
  東京公演には2回は行こうと思っています。
                   (小林)もう、待ってました、っていう感じなんだw。
  リクエストですが、やはり珠玉のマッカートニーサウンド「Hope of Deliverance」
  出来れば「Paul is Live」からのライブバージョンでお願いします。
  (小林)
  ということで、まずライブから。
  〜 Paul McCartney / Hope of Deliverance
  ttps://www.youtube.com/watch?v=9ypKvNt81RY

25 :
  〜 Paul McCartney / Another Day
  ttps://www.youtube.com/watch?v=nNE6HxTinJI
  (小林)いかがですか?
  前半は 今日はね、ジョンのボーカルが続きましたが、リクエストになると ポールのボーカルが続きました。
  僕は ジョンの方がリアルだ、ポールのはなんか物語っぽいよね、っていう。
  これなんかは、典型的な 物語りを聴いているような ホンワカとした、ポールの独特のロマンティックな世界。
  ボーカルのスタイルも、やっぱりポールにはいろんな引き出しがありますからね。
  これにふさわしいボーカル法で、やってますよね。
  ジョン・レノンも裏声を使ったりするんですけど。
  ジョン・レノンの場合は ちょっとリアルで。
  今日はあれですね、ポールとジョンのボーカルの対比、それから歌の世界の違いってのがよく判りますね。
  リクエストありがとうございます。
  (千葉市稲毛区/女性)
  ポール・マッカートニー来日のニュースに しょんぼりしている受験生です。
  もちろん、来日をずっと心待ちにはしていましたが、どうして受験の年に来るんでしょう。(小林)w
  このごろ、改めてポールの歌を聴き返していますが、ロックな曲も良いけど、やはり素朴な曲に一番ポールらしさが出てるような気がしました。
  ということでポール・マッカートニーの「アナザーデイ」をお願いします。
  (小林)
  リクエストに応えました。

26 :
  (東京都渋谷区/男性)
  ポールが来日しますねえ。
  3月に6才の子供を連れて、幕張でリンゴを見てきました。 (小林)6才でリンゴ。
  こんどはポールを 見せてあげたいです。  (小林)若すぎないか?どうだろう?まあ、そんなことないかなあ。
  金銭的にもきついし、まだ背も低いからスタンド席をねらいます。
  買えるかなあ?
  そう言えば克也さん、初めての通信簿を持ってくるかと思ったら、2学期制で10月まで通信簿出ないんですねえ。
  今の子供は、夏休み前に成績で親に怒られないから幸せですねえ。
  中には褒められる子もいるけど、我が子は俺に似て勉強は苦手みたいです。
  さて、リクエストですが。ポールのボーカルと リンゴのドラムズが聴ける「So Bad」か「Beautiful Night」をお願いします。
  (小林)
  じゃあ、ケンちゃん、どっちにしよう? 
  
  〜 Paul McCartney / So Bad
  ttps://www.youtube.com/watch?v=P4ys4auEDfY

27 :
  〜 The Beatles / The Long And Winding Road
  ttps://www.youtube.com/watch?v=LneBIOa9B8s
  (小林)
  お馴染みの曲が流れましたが。
  
  (鎌ヶ谷市/男性)
  毎日暑い日が続きますが、暑中お見舞い申し上げます。 (小林)というか、もう残暑ですかね。どうなんでしょうね。
  毎週毎週この番組を 隅から隅まで楽しみながら拝聴しております。
  自分一人で楽しむのはもったいないので、ここ数カ月は遠方に住む40数年来の友人へ 録音したこの番組をメールで送って共有し。
  50過ぎのおっさん二人で 毎週ビートルズ談義に花を咲かせております。  (小林)いいねえ、いい関係ですね。
  まさに「ビートルズから始まる」を聴きながら「ビートルズでつながる」って感じです。
  遠方でbayfmを聴いているその友人の誕生日=8月14日をビートルズの曲でお祝いしたいので、リクエストをお願いします。
  「Birthday」をリクエストしたいと思っていたんですが。
  当の本人が偶然にも 先日の番組で同じ曲をリクエストをしてしまったので、これはかなりビックリしたんですけども。
  今回はグッと渋く、「The Long And Winding Road」を ぜひよろしくお願いします。
  この曲を聴くと、解散間際のポールとジョンの顔が 自然と脳裏に浮かんできて、少しセンチな気分になりますね。
  (小林)どうも、リクエストありがとう。

28 :
  BGM= The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U
□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたでしょうか?
  
  もう、ジョン・レノンのシンシアと知り合う頃の話しは 面白いですよね。
  ジョン・レノンは、お母さんが亡くなっちゃって、自暴自棄になったりする時期があるわけですけど。
  ただ、音楽だけは捨てないで、ず〜と。
  で、ポールという親友も出来て、音楽にのめり込んで行くんだけど。
  その他の行動は、なんか ほんとに子供みたいだったり。
  あるいは、こんなことしなくてもいいのに、と思うぐらい残酷だったり。
  だけど、どうなんでしょうねえ、僕思うんですけどね、この頃のことだとか、ビートルズの本っていっぱい出てるんですよ。
  でも、その本がね、やっぱり書いた人の思想だとか、によってね、描かれる人物像が違うんですよね。
  だから 皆さんには、出来るだけ幅広い所から知識を仕入れて、自分だけのビートルズ像を、心の内面に造ることをお勧めします。
  
  リクエストも ほんとうにありがとうございました。
  メールは 
  beatles@bayfm.co.jp
  こっちで受け付けています。

29 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年9月1日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー(9月1日)
 ・1967年(今から46年前の今日)
  先週も 46年前の一週間前をやったんですよ。
  その時は、3人が リンゴを除いた3人が、バンゴア(Bangor)へ インドのマハリシ(Maharishi)っていう精神的な指導者に会いに行った、ていう。
  でもその二日後、実はマネージャーのブライアン・エプスタインが亡くなるわけですよね。
  そして、今から46年前の今日は、ポールのセントジョンにあるウッドハウス、
  ここにビートルズのメンバーが集まって ミーティングです。
  マネージャーが亡くなったわけですから。
  で、結局、自分たちが今やっている「マジカル・ミステリー・ツアー(Magical Mystery Tour)」のプロジェクトは推し進めよう、と。
  ただ、ちょっとインドへ行く、マハリシを追っかけてね、インドへ行くのは、ちょっと延期しよう。ということを決定します。
  で、この「マジカル・ミステリー・ツアー」っていうのは「サージェント・ペパー」に続いて ビートルズがやっているアルバムと、そして映画。
  ポールのアイデアで・・・。
  ポールが自分の婚約者がアメリカで旅巡業やっているんで、それを追っかけてアメリカに行った時に、ポールはこのコンセプトを思いついて。
  ビートルズが 当て所なくいろんな所へ行って、その頃の言葉で言うと「ハプニング」ですよね、「ハプニング」を楽しむ。
  ただ単にストーリーがあるんじゃなくて、ストーリー無しで、いろんな所へ行きあたりばったりで、いろんな出来事が起こって。
  まあ、それを通して、コンセプトとしては、音楽がいろんな感性を物語る っていう、そういう感じだったわけですね。
  で、結局これは早いこと完成するわけですね。
  2週間で撮影は終わって。

30 :
  でも、この映画には イギリス・アメリカのどの映画会社も 作品の配給に手を挙げなかった。
  みんなw、みんな「こんなの?」って思ったわけですね。
  結局、イギリスの国営放送BBCで クリスマスの翌日の12月26日 モノクロで生放送。
  視聴率はすごかった。75%を獲得したんだけど、評論家たちの評価は最悪だった。
  「ビートルズマジックも もうここまでか」なんていう声も聞かれた。
  でも、ポール・マッカートニーは
  「いや違うんだ。これは音と映像が一体化した新しい映画なんだ。音を観る映画なんだ」っていう。
  でもこれは、やっぱり評論家たちが間違っていますね。
  改めて、それでは 今日は「マジカル・ミステリー・ツアー」の曲を お送りします。
  
  〜 The Beatles / Magical Mystery Tour
  ttp://www.youtube.com/watch?v=nf9BC4y69Vs
  (小林)いかがですか?
  評論家たちが酷評した、という「マジカル・ミステリー・ツアー」
  ポールは 未来に 相当目を向けてた、ということが言えるんじゃないでしょうかね。

31 :
□ストーリー
 ・「あの、シンシア。こんどの週末 映画でも見に行かないか?」
  ビックリしたシンシアは答えた。
  「ジョン。うれしいけど 私、婚約者がいるの」
  場面は今から55年前の 1958年秋。
  リバプールのアートカレッジで開催されているダンスパーティでの一コマ。
  ジョンとは、この数年後 ビートルズのリーダーとして世界中の青少年を熱狂させ、
  ロックの世界では頂点の また頂点の そのまたトップの天辺に君臨することになる あのジョン・レノンのこと。
  そして、シンシアとは、カレッジの同級生であるシンシア・パウエル。
  それまでのシンシアは典型的メガネ少女で、服装も野暮ったく、悪仲間たちのからかいの標的であった。
  そのシンシアが ジョンの気を引こうと一大決心をした。
  それは イメージチェンジ。
  ヘアスタイルはブロンドの縦巻き。
  ファッションも それまでの地味地味路線から 白のダッフルコートにベルベットのパンツ、といった攻撃路線に変更。
  これには、ジョンも驚いた。
  「なんだこいつ、実はメチャメチャ可愛いじゃん」
  この時のシンシアは18歳、白人女性が最も美しい年代と言われる頃である。
  それにしても「婚約者がいるの」とは 聞き捨てならない。
  少しプライドを傷つけられたジョンは切り返した。
  「俺は別に 結婚してくれって 言ってるわけじゃないんだ!」
  この時は ジョンが気分を害したこともあり 二人の仲に進展はなかった。
  しかし、この数週間後、周りのみんなも驚いたことに、ジョンとシンシアはステディな関係になっていた。
  シンシアの友達で、ジョンにちょっかいを出された経験のある女の子は、みんなジョンと付き合うことに猛反対した。
  一方、ジョンの悪仲間も だれ一人このことを理解できなかった。
  なんせ、ジョンの理想の女性は、フランスの映画スター、野性的なセクシーさを誇るブリジッド・バルドー(Brigitte Bardot)だったからである。

32 :
  〜 John Lennon / Instant Karma!
  ttp://www.youtube.com/watch?v=vEjUQ15lyzk
  〜 John Lennon / Oh My Love
  ttp://www.youtube.com/watch?v=p5Kh-IMKDqM
 
  (小林)2曲続きました。
  Instant Karma、これはフィル・スペクター(Phillip Spector)がプロデュースして。
  これは、こういう風な曲はやっぱりあれだね、イギリスとかアメリカでナンバーワンにならないね。
  イギリスで5位、アメリカで3位、フランスとカナダは1位っていう、面白いですよね。
  やっぱり 進んでいるファンたちが支持したんでしょうね。きっとね。
  
  それから、今聴いたやつ(2曲目)は、Oh My Loveという、「IMAGINE」に入っているやつで。
  やっぱり「In My Life」とか、心の同じところから出てきたようなw、歌の感じがありますね。
  Oh My Love

33 :
□ストーリー(続き)
 ・1958年 秋も深まるイングランドはリバプール。
  この町のアートカレッジに新しいカップルが誕生した。
  シンシア・パウエルとジョン・レノン。
  つい先日まで 野暮ったいメガネ少女だったシンシアは、ヘアスタイルもファッションも一新し 見違えるようになっていた。
  それを見たジョンは、それまでいじめたりからかっていたシンシアを 恋愛の対象として意識するようになり、ついに恋仲になった。
  
  もちろん、シンシアの女友達はみんな ジョンと付き合うことに猛反対。
  ジョンの評判は ことごとく最悪であった。
  イギリスでは法的に認められているとはいえ、18歳で大酒飲みは許しがたく、酔っぱらったジョンは いつも以上に皮肉屋になり。
  酷い言葉で他人を罵(ののし)った。
  待ち合わせ時間を守ったことはなく。冗談を言っても それはブラックユーモアばかり。
  そして何より、気分や感情にムラがありすぎて、付き合った女性たちは みんなそれに愛想を尽かして去って行った。
  
  一方、ジョンの仲間たちも ジョンがシンシアを選んだことを理解できないでいた。
  たしかに、シンシアは以前に比べて 見た目は数段に良くなった。
  それでも、ジョンの理想の女性である 世界のセックスシンボルと呼ばれたフランスの人気女優=ブリジッド・バルドーには程遠く
  似ても似つかない。
  
  普段はジョンの前で意見を言うことのない バンドの最年少ジョージ・ハリスンも、
  「シンシアってブサイクだよねえ。だって前歯なんか、お馬ちゃんみたいじゃないか」
  と、周りに漏らしていた。
  
  そんなシンシアであったが、その優しさはジョンにとって特別なものであった。
  なんせ、ジョンの育ての親であるミミ伯母さんは意志が強く、典型的なイギリス女性であり、あまりに厳格過ぎた。
  「ダメなものは、絶対にダメ」そんな女性であった。
  シンシアは それとは正反対で、ジョンに従い ジョンの全てを受け容れた。
  彼女と一緒にいる時、ジョンは 何だか心地良かったのである。

34 :
  〜 The Beatles / I Feel Fine
  ttp://www.youtube.com/watch?v=-YDETXM1JTk
  〜 The Beatles / Nowhere Man
  ttp://www.youtube.com/watch?v=abCagn1bG0M
  (小林)初期の頃のビートルズの、それもジョン・レノンの世界です。
  
  1964年ね、アメリカへ初めて行った時に、ジョンとポールの会話 ってのがあって。
  「こんなファンを見てると、俺たちずっとラブソング書くのかよお」って言ったら
  ポールが「やあ、俺は構わないけど」って言った ていう。
  ジョンとポールの差が いみじくもありますよね。
  だから、ジョンはこの頃はもう 出来る限りラブソングから離れようと、出来れば離れたい。
  だから、I Feel Fine とそれから Nowhere Man と来ると、「ああ、離れてるジョンは」w っていう感じがします。

35 :
□ストーリー(続き)
 ・1958年の秋。ジョンはリバプールのアートカレッジの同級生シンシア・パウエルと恋仲になった。
  彼女のその優しさは ジョンにとって特別なもの、シンシアはジョンに従い、ジョンの全てを受け容れた。
  彼女と一緒にいる時 ジョンは何だか心地良かった。
  その包容力は 数か月前に母親を不慮の事故で失ったジョンにとって 何よりも必要なものとなっていた。
  シンシアは 世界的な人気女優ブリジッド・バルドーのようなセクシーな女性を好むジョンのリクエストに応えて、 
  ミニスカートと網タイツを履き、ガーターを着けるようになった。
  リバプールという田舎町に生まれ 箱入り娘として育てられたシンシアにすれば、それは自分でも驚きであったし。
  街中でジョンを待っている間も、プロの女と間違われないかと いつもドキドキしていた。
  彼女は毎晩ジョンと会い、最終電車に乗り、フーリガンと酔っぱらいだらけの車両に揺られて家に帰った。
  ステディな仲になったとは言っても、シンシアはいつもジョンに対してビクビクしていた。
  その原因としては ジョンのブラックジョークや 気分が変わりやすく 突然怒り出すところや、
  完全な服従を要求する残忍さなどに始まり、さらにジョンの異常なまでの嫉妬深さも挙げられる。
  
  あるダンスパーティでは、シンシアにダンスを申し込んだ男に対し、ジョンが激怒し 殴りかかろうとしたこともあったくらいである。
  さらにジョンは、パブやコーヒーバーで何時間も彼女の手を握っていることもあった。
  それはまるで、母親のジュリアの死後ずっと彼の中に溜まっていたものが、シンシアによって取り除かれる。
  あるいは少なくとも、その悲しみを少しでも鎮めるための「儀式」であるかのようでもあった。
  
  ジョンとシンシアの こうした関係は、この先10年近くに渡って続いていくのである。

36 :
  〜 John Lennon / Isolation
  ttps://www.youtube.com/watch?v=42ot0i2w8zY
  〜 The Beatles / Across The Universe
  ttps://www.youtube.com/watch?v=uomY5h1hJwA
 
  (小林)ジョン・レノンの音楽。
  これは有名な Across The Universe
  アルバムは「Let It Be」
  フィル・スペクターが、バックのコーラスとか そういう世界を造っています。
  
  その前は プラスティク・オノバンド(Plastic Ono Band) Isolation ていう曲ですけど、どうです。
  これは、そんなに知られた曲じゃないですけど。
  
  なんかね ジョン・レノンの音楽の・・・
  ジョン・レノンていう人は 心の中を見せたくてしょうがない人なんだよ、本音を言いたくてしょうがない人なんだよね。
  ポールは もう ぜんぜん違う人なんですよね。
  その差が、ほんとうに明らかです。

37 :
□リクエスト
  (小林)
  その前に、例のお知らせなんですよ。
  この番組の公開録音・スペシャルパーティを、10月2日 やります。
  有名なオークラ千葉ホテルでやります。
  ゲストは佐藤 竹善、ミス・オオジャ、この二組です。
  このパーティに75組150名を招待します。  
  応募方法はBayのHP携帯サイトを使うか、またはハガキかFAXで。
  ハガキの場合(略)
  FAXは043-351-8011
  締め切りは9月22日到着分まで有効。
  詳しくはHPをチェックしてください。
  http://www.bayfm.co.jp/info/index.html#beatles
  リクエスト採用の方には、イシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしておりますので、よろしくお願いします。
  ハガキもFAXも受け付けているんですよ。
  メールは beatles@bayfm.co.jp

38 :
  (横浜市都筑区/女性)
  こんばんは克也さん。今年は梅雨明けが早かったね。  (小林)早かった。
  連日 暑い日が続きバテ気味です。
  毎週 家族で楽しく聴いています。
  2歳半になる息子は、番組が始まると「ビートルズだー!」と言って大興奮します。
  また、以前番組でジョンの「Be-Bop-A-Lula」が流れてから 気に入ったみたいで、いつもBe-Bop-A-Lulaのところだけ歌っています      
                               (小林)もう2歳半が歌う、と。
  オリジナルのジーン・ビンセントの「Be-Bop-A-Lula」が聴きたいので リクエストします。
  きっとこの曲が流れたら 息子は間違いなくラジオの前で狂喜乱舞でしょう。
  (小林)
  そうだよねえ、こういうのってティーンエイジャーの音楽だったわけですよ。
  1950年代はw、ねえ。
  でもやっぱり、子供も喜んだ音楽なんだ。
  〜 Gene Vincent / Be-Bop-A-Lula
  ttps://www.youtube.com/watch?v=2HKaXKOifMI
  〜 The Beatles / Mr. Moonlight
  ttps://www.youtube.com/watch?v=6STQwYCY2MA
  (小林)いやあ 流れましたね Mr. Moonlightがね。
  
  (千葉県市川市/男性)
  日曜日のこの時間に 彼女と過ごしている時に聴いているんですが。
  そうこうしているうちに 彼女もビートルズのファンになりました。
  一人でじっくり楽しむのもいいですが、二人で聴くのもまた良いものです。
  きょうはそんな(彼女)の好きな「ミスタームーンライト」
  (小林)
  wもう、伝えたくてしょうがないんだねえw。はい。

39 :
  (白井市/男性)
  9月に入っていますけど、やっぱり夏は花火大会、お祭りの季節です。
  僕は最近 お祭り気分を盛り上げてくれそうな、ビータリカの「アビーロード」を聴いて楽しんでいます。
  真面目なビートルズファンの方には怒られそうな内容かもですが、ギャグとして寛大に受け容れて欲しい。
                       (小林)本当のビートルズファンは 何でもOKだからwだいじょぶだよw。
  今年の夏フェスで来日のメタリカにも敬意を表し リクエストさせてください。
  (小林)
  曲は・・・
  
  〜 Beatallica / I Saw Her Standing There
  ttps://www.youtube.com/watch?v=4TnTzUL9n6A
  〜 The Kinks / You Really Got Me
  ttps://www.youtube.com/watch?v=dk3Ei_yoI4c
  (小林)いやあ,なかなか、良かったねw。
  ビータリカからね キンクスに至って You Really Got Me だからねw。なかなか。
  うまく 並びましたね。
  (千葉市/男性)15才
  初めてのリクエストありがとうございます。  (小林)初めての方 大歓迎です。
  僕はキンクスの You Really Got Meをリクエストします。
  ビートルズを聴く前に 必ずキンクスを聴くようにしています。  (小林)ww いいね。
  You Really Got Me はギターリフも好きなので お願いします。
  (小林)
  リクエストに応えました。

40 :
  BGM= The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U
□エンディング  
  (小林)
  きょうの「ビートルズから始まる」いかがでしたか?
  リクエストもかなり楽しかった。盛り上がりました。
  お話しの方は、ちょうどジョン・レノンが 最初の上さんになる女性と付き合い初めて。
  その女性も、なんか良い所のお嬢さんなんですよね。
  でも、ジョンも まあまあ、お母さんとか離れてるとは言え、なんて言うんですか、労働者階級じゃないんですよね。
  だからまあ、どうなんでしょうね、似合いの夫婦なのかどうか わかりませんけども。
  ブルジッド・バルドーが、ジョンは大好きだった。
  ジョンは、ブリジッド・バルドーのポスターを天井に貼ってたんですよ。ティーンエイジャー。
  ブリジッド・バルドーの、絶対、ビキニ姿じゃないかと思いますけど。
  知らない方も 何かで探してね、エヘヘw、ブリジッド・バルドーの映像を見て下さい。
  それで、よーくわかると思います。
  でも、この頃のジョンは可愛いよね。
  ただ、ジョンの、これは女性から総スカンていうか、顰蹙(ヒンシュク)を買っていたのは。
  ジョンのブラックユーモアっていうのはね、すごいからね。
  ラジオっていうのはね、けっこう放送のコードがあって、言ってはいけないことがあるんですけども。
  言ってはいけないことを 皆さん想像してください。
  それ 全部ジョンがやる みたいな感じなんですからw。
  ほんとに、だから ラジオではお伝えできないです。
  ジョンの そういった世界はね。はい。
  よろしくお願いします w。
  どうして、よろしくお願いします って言うw。

41 :
  それから スペシャルパーティ。
  これは恒例のパーティですけども。
  (>>37 参照)
  (略)
  詳しくはBayfmのホームページをチェックして頂きたいと思います。
  
  リクエストの方、今日は初めての方も いらっしゃいましたけど。
  よろしくお願いいたします。
  僕らにとって リクエストっていうのはね、本当に楽しみなんですよ。
  ほぼレギュラーにリクエスト下さる方もいるし、初めて、たまにリクエスト下さる方もいるし。
  あんまり 内容とか、ビートルズを知ってるとか 知らないとかに こだわらないで。
  もうほんとに、ワガママにリクエストしていただきたいと思います。
  採用の方にはイシイの(略)
  よろしく。

42 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる」bayfm 78.0MHz
 2013年9月8日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー(9月8日)
 ・1967年(今から46年前の今日)
  あの年です。あの年 って言ってもw
  「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」の年ですよね。
  1967年今から46年前の今日、いつものスタジオで。
  これはちょっと珍しいんですけど。
  インストゥルメンタルの曲の レコーディングをやっています。
  これは後で「Flying」ていうタイトルになります。「Flying」というタイトルのインストです。
  ビートルズとして、 ほんとに 初めてのインストなんですけど。
  これはねえ、けっきょくその時は、ジョンとかポールが曲を決めないで。 
  スタジオで「それじゃあ、インストを奏ろうよ」っていうことで奏ったものと思われます。
  それで、みんなそれぞれアイデアを出して、これはとてもフリーなセッションになったのかな?
  それで、それが何テイクか録られて、最終的には エディットしたり編集したり、いろいろやって。
  第8テイクが「これが良いんじゃないか」みたいな感じで。
  その第8テイクに ジョンのメロトロンをかぶせて、全員によるスキャットが録音されて、
  ここで46年前の今日は いちおう完成形。
  これは「マジカル・ミステリー・ツアー(Magical Mystery Tour)」に使われる ということですよね。
  「マジカル・ミステリー・ツアー」は、アルバムっていうばかりじゃなくて、“映画”っていうのが第一ですから。
  それに使われるインストとして作ったんですよね。
  それを、またこれから3週間後にね、第8テイクを選んで。 
  ジョン・レノンのメロトロンと、ジョージのギター、リンゴのマラカス、を録音でかぶせて。
  それに「これじゃあ ちょっと、もう少しなんか効果音的なものが要る」っていうんで
  効果音を第5テイクぐらいまで録ってw。
  その中のOKのやつを 第8テイクにオーバーダブした。

43 :
  ビートルズはねえ、ちょっとしたことでも、けっこう完璧主義で、相当いい加減じゃないっていうことが判るんですけど。
  今はCDで聴くことが出来る その「Flying」っていう曲をですね
  おそらく 初めて聴く方いると思いますけど。
  聴いてみましょうか。いいですね? 短いインストゥルメンタルですけれども。 
  〜 The Beatles / Flying
  ttps://www.youtube.com/watch?v=qFrpclWP3eQ
  (小林)どうですか?
  後半の音は、さっき言った音響効果的に録音したやつっていうんですね。
  くっ付けてるわけですね。
  どうですか、ビートルズのポールやジョンやジョージの歌声が聴こえなくても、ビートルズが聴こえてるよね。
  すごいですよね。
  で、この曲は ちょっと珍しいのは、普通の曲はだいたいレノン・マッカートニーじゃない。
  これは、4人がちゃんとクレジットされている曲です。

44 :
□ストーリー
 ・1958年 今から55年前、秋も深まるリバプール。
  この街でアートカレッジに通うジョン・レノンは、同級生である女学生シンシア・パウエルと恋に落ちた。
  二人は確かにステディな仲ではあったが、シンシアはいつもジョンに対してビクビクしていた。
  その原因としては、ジョンのどぎついブラックジョーク。
  気分が変わりやすく、突然怒り出すところ。
  そして、完全なる服従を要求する残忍さな。
  さらには、ジョンの異常なまでの嫉妬深さも挙げられる。
  嫉妬深い上に、甘えん坊でもあるジョンは、パブやコーヒーバーで何時間もシンシアの手を握っていることもあった。
  それはまるで、母親のジュリアの死後ずっと彼の中に溜まっていたものが、シンシアによって取り除かれる。
  あるいは少なくとも、その悲しみを少しでも鎮めるための「儀式」であるかのようでもあった。
  ジョンとシンシアの こうした関係は、この先10年近くに渡って続いていく。
  
  こうしてジョンが少しばかりに屈折した恋愛感情に浸っている間にも、ロックの世界は動き続けていた。
  ジョンにとって最大のロックンロールヒーロー=エルビス・プレスリーが、合衆国政府という大きなパワーに手なずけられたのである。
  この年1958年の1月、エルビスは合衆国陸軍からの徴集命令に従い、特例措置を受けることなく、一般人と変わらぬ普通の一兵士として
  西ドイツにある アメリカ陸軍基地で勤務することになった。
  徴兵命令が来た際、エルビスは「闇に響く声」という映画を製作中で、徴兵を少し延期したことでも話題になった。
  徴兵局はパラマウントからの延期の申し入れに対し「エルビスを寄こして、頭を下げさせろ」と伝えた。
  翌日彼は徴兵局へ出向き、入隊延期の申し入れを行なった。
  陸軍在籍中のエルビスは、模範的な兵隊として活躍し、空手の黒帯を取得し 軍曹まで昇進した。
  これは、アメリカ以上に、イギリスの若者にとっては大事件であった。

45 :
  〜 Elvis Presley / Trouble
  ttps://www.youtube.com/watch?v=yg-1qW2xAU4
  〜 Paul McCartney / All Shook Up
  ttp://www.youtube.com/watch?v=726-Ufz5Ado
 
  (小林)プレスリーものが2曲続きました。
  プレスリー自身で Trouble という。
  これは「king Creole」という映画のサントラに入っています。
  もう、プレスリーは方針としてですね、「映画に出て そのサウンドトラックをアルバムとして出す」っていう。
  そういう、なんと言うんだろな、オートメーション化したあれに乗せられちゃうわけですよね。
  だけど、この頃はまだ プレスリーのなんていうんですかね「パンク魂」みたいなものがあったわけです。
  「闇に響く声」っていうのが「king Creole」に付けられた日本語のタイトルの映画でしたが。
  その中から「俺はワルだよ。俺に近づくんじゃねえ!」みたいなw 感じの歌です。
  
  で、All Shook Up ていうのは これはラブソングですけども。
  プレスリーの可愛いラブソングだったのを、ポール・マッカートニーが1999年に「Run Devil Run」の中に入れてるわけですが。
  これはもうプレスリーの歌い方じゃなくてね、ポール・マッカートニー、ハードロックの歌い方にしていましたねえ。

46 :
□ストーリー(続き)
 ・「エルビスは合衆国政府に手なずけられて 陸軍に入隊した」
  これは本国アメリカの若者以上に、ジョンやポールを始めとするイギリスのティーンエイジャーにとって大事件であった。
  イギリスの全ての若者に代わって、口を歪め、パンクロックの原型のような猫背で、その世代まるごとの姿勢を変えてしまった彼が、
  今や2年間の兵役に就くため、床屋の椅子に大人しく座っている。
  この悔い改めた態度が、エルビスのマネージャーで、かつてはカーニバルやバザーで押し売りまがいの商売で生計を立てていたトム・パーカー大佐の見事な演出であったことを、この時点では まだ誰も知らなかった。
  エルビスはまだイギリスに来たことが無かったが、イギリスツアーの噂は絶えたことがなかった。
  マネージャーの大佐がニッコリ笑い エルビスがライフル銃を構える姿勢をとって、
  自分は元々立派で健全な合衆国市民であったかのような振る舞いをする場面を見ても、
  イギリスのアマチュアロッカーたちは「自分たちのキングは、永遠にキングである」ことを信じて疑わなかった。
  こんな中 せめてもの慰めになったのは、イギリスのロックンロールが勢いを増し、
  それがテレビ業界にも反映されるようになったことであった。
  毎週 土曜日の夜になると、唯一の民間テレビチャンネルでは「Oh Boy」というロック番組が放送された。
  そのステージは、中世の宗教的な演劇のように暗く、厳かに演出されてはいたが。
  そこに出演するパフォーマーは エディ・コクラン(Eddie Cochran)やジーン・ビンセント(Gene Vincent)などのアメリカの人気ロックンローラーたち。
  そしてイギリス側からも、マーティ・ワイルド(Marty Wilde) ディッキー・プライド(Dickie Pride)そしてトニー・シェリダン(Tony Sheridan)などもこのステージに登場した。
  
  ロックの王様であるエルビス・プレスリーが陸軍に入隊し、映画館でしかお目にかかれなくなってはいたが。
  イギリスのロック事情は、こうして根強く、そしてしぶとく、その根っこを伸ばしていたのである。

47 :
  〜 Buddy Holly and The Crickets / Oh Boy
  ttp://www.youtube.com/watch?v=DR4G6KUHixg
  〜 John Lennon / Peggy Sue
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Rl96kw5XS0Y
  (小林)2曲かかりましたが
  バディ・ホリー&クリケッツの Oh Boy。
  イギリスでテレビのチャンネルでロックンロールの番組があった、ていうのは この Oh Boy から取ったわけですね。
  それほど、バディ・ホリーていう人は 瞬間的でしたけどね、亡くなるわけだから、瞬間的すっごい人気があった、ていうわけです。
  
  でその、バディ・ホリーの大きな影響を受けたジョン・レノン。
  さっきは、ポール・マッカートニーのプレスリーは、プレスリーらしくなく 歌ってましたけど。
  ジョン・レノンはバディ・ホリーぽく歌った。
  バディ・ホリーの Peggy Sue を一番で歌って、あまりにもそっくりに歌い過ぎたんで、二番からちょっと感じを変えて、
  ちょっとテレてる様が 伺えるジョン・レノン。
  そういうのを読み取っていくと面白いです。
  あまりにも そっくりなんで、ちょっと、なんてのかな、複雑な歌い方w ですよね。
  ジョン・レノン、「Rock 'N' Roll」のアルバムからお送りしました。

48 :
□ストーリー(続き)
 ・アメリカ合衆国の、いや全世界のロックの王様であるエルビス・プレスリーが陸軍に入隊し、映画館でしかお目にかかれなくなってはいたが。
  イギリスのロック事情は 根強く、そしてしぶとく その根っこを伸ばしていた。
  ジョンやポールがまだ十代のころ、1958年当時のお話しである。
  そんなロックの事情の中、イギリスには唯一 民間のテレビ局が土曜日の夜に放送していた人気番組があった。
  タイトルは「Oh Boy」
  この番組には エディ・コクラン、ジーン・ビンセント、といった アメリカの人気ロックンローラーの他に
  マーティ・ワイルドやトニー・シェリダンといったイギリス人シンガーも出演し人気を博していた。
  そしてさらに イギリス版のエルビスとして クリフ・リチャード(Cliff Richard)という若者も登場し、
  壊れたブラインドのように わざと唇の端を歪めて歌っていた。
  そして、そのクリフを囲むバックバンドのシャドウズ(The Shadows)もフロントシンガーに劣らず 目を惹く存在となり
  ギターを抱えて、おしゃれなステップを踏んだ。
  
  この クリフ・リチャード&シャドウズのデビューシングル「Move It」はジャングルビートを思わせるヘビーなグルーブにクールなリードギターが絡み、
  アメリカのロックンロールに対抗できる 初めてのイギリス産ロックとしてヒットレコードになった。
  一方 ロンドンから北西に数百キロ、リバプールでは、未だに「クォーリメン」と名乗ったままのバンドにいるギタリスト3人が
  毎週土曜日の夜になると、テレビ番組の「Oh Boy」に釘付けになっていた。
  特にシャドウズが登場すると、さらに画面に近づき、その素晴らしい「Move It」のイントロを どうやって弾いているのか
  ただただ夢中になって 観察していたのである。
  
  これは先ず 最初にポールが会得できたために、すぐさま彼は自転車に乗ってジョンの家に向かった。
  ドアを叩くと 出てきたジョンにポールが叫んだ。
  「ジョン!わかったよ!これで俺たちもテレビに出られるよ! やったぜ!」

49 :
  〜 Cliff Richard & The Shadows / Move It
  ttp://www.youtube.com/watch?v=HyHXaVWRKvQ
  〜 The Ventures / Apache
  ttp://www.youtube.com/watch?v=B33bV0J5hLs
 
  (小林)ビートルズのちょっと先輩たちの音楽が、ヒット曲が2曲 続きました。
  両方とも、まだ現役で がんばっています。
  
  1958年のクリフ・リチャードの「イギリスのプレスリー」とも呼ばれたクリフ・リチャードの Move It。
  そして そのバックを務めたのが ザ・シャドウズ。
  シャドウズはバックバンドとしてばっかりじゃなくて、シャドウズとしてもすごく人気がありまして、ヒット曲がありました。
  続いて Apache ていう曲ですが、これは1960年。
  いいですか? 
  イギリス、オーストラリア、フランス、アイルランド、ニュージーランド、南アフリカ、スペイン、で1位です。
  60年。
  で、イタリアで2位。
  すっごいヒット だったわけですねえ。

50 :
□リクエスト
  その前に ちょっとお知らせです。
  誰もが来たがる、この番組の公開録音のパーティを 10月2日有名なオークラ千葉ホテルでやります。
  佐藤 竹善とミス・オオジャ、この二人を迎えて。
  これに75組150名の方を招待いたします。
  申し込み方法は Bayfmのホームページ 携帯サイト ハガキ FAX で申し込んでください。
  ハガキの場合は〒261-7127 イシイ食品Plesents「ビートルズから始まる」スペシャルパーティの係
  FAXは043-351-8011
  締め切りがありますから、9月22日到着分です。
  詳しくはBayfmのホームページをチェックしてください。
  ttp://www.bayfm.co.jp/info/index.html#beatles

51 :
  (住所不明/男性)
  小林さんの声が好きで聴いております。
  番組を聴きながらも 私はビートルズについて有名どころ以外まったくわかりません。
  ですが、他の歌手でも良いとのことで クイーンをリクエストします。
  ビートルズなきあと イギリス国内のロックンロールをリードしたと言っても過言ではない、
  大好きな彼らの曲、ノリの良い今の時期に合った「シーサイドランデブー」をお願いします。
  フレディの高音とシャレて茶目っ気なところを愛しています。まだまだ暑い折ご自愛ください。
  (小林)
  どうもありがとうございます。クイーンです。
  〜 Qeen / Seaside Rendezvous
  ttps://www.youtube.com/watch?v=QWhdx6OB_uc

52 :
  〜 The Beatles / Across The Universe
  ttps://www.youtube.com/watch?v=uomY5h1hJwA
  (八王子市/男性)
  4歳の娘がこの曲にハマっています。
  うちでは夕食の時ビートルズの曲をかけることが多いんですが、
  ある時「アクロス・ザ・ユニバース」がかかると「この曲 いいねえ」みたいなことを娘が言い出しました。
  「おっ とうとうビートルズの曲に興味を持ったのか」と私はうれしくなって
  「ジョンていう人が歌ってるんだよ。この人だよ」って、ある絵葉書に描かれたビートルズの4人の姿のうち、一人を指さしました。
  その絵は横尾忠則が描いたビートルズの絵で、ポール以外みんなヒゲずらです。
  「おヒゲがすごいね」みたいなことを 娘はその時に言い、もう忘れてしまったかと思っていました。
  で、ある日またビートルズをかけていたら、「ヒゲのおじさんの歌がいい」と言い出すではありませんか。
  「え? 覚えていたの!」と思い「アクロス・ザ・ユニバース」をかけると、鼻歌みたいな感じで真似して すごい喜んでいます。
  それ以来 ビートルズ以外の曲をかけても「ヒゲのおじさんの歌がいい!」と言い、
  ずっとその歌がいいとせがむので、リピートでかけておりますが。
  リピートもきついので 他のビートルズのジョンの歌をかけると
  「これもヒゲのおじさんの曲だよ。ほら声が同じでしょう?」と言っても ダメ、なようです。
  (小林)
  (娘さん)ヒゲのおじさん 楽しめましたか?
  お父さんのリクエストでかけちゃいましたよ。

53 :
  (東京都渋谷区/男性)
  妻はキッチンで夕食の支度をしながら、私は軽く一杯やりながら、この時間をくつろいでいます。
  ビートルズを聴き40年以上が過ぎますが、いまだに口ずさんでいます。
  妻も私の影響でビートルズが好きになって来たようです。
  料理好きな妻に ぜひイシイのミートボールのセットを。
                     (小林)わかりました、わかりましたw。
  私たちの結婚の際のBGMで流した曲を お願いします。
  (小林)
  じゃあ、ジョージ・ハリスンの「愛はすべての人に」をエリック・クラプトンのバージョンで。
  
  〜 Eric Clapton / Love Comes To Everyone(愛はすべての人に)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=EjFzfJiLmeE

54 :
  〜 The Beatles / While My Guitar Gently Weeps
  https://www.youtube.com/watch?v=QTHpOe-18sI
  (木更津市/女性)
  昔、偶然テレビを見ていたら、なにやら四人組のイギリス人が楽しげに映画に出ているんです。
  たしか「HELP!」だったと思います。
  最初はポール・マッカートニーが好きになりました。
  その後 高校生になり、夜ラジオを聴きながら試験勉強をしている時、ジョン・レノンの訃報を聞いたのです。
  どれほど才能のある人であったか 改めて知らされました。
  そこから、赤盤青盤を聴き、のめりこんで行きました。
  そして現在、クラプトン大好きになり、同時にジョージ・ハリスンの才能に惹かれていったのです。
  While My Guitar Gently Weeps をリクエストします。
  (小林)ありがとう。

55 :
  BGM= The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U
□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたか?
  話し は面白いですよねえ。
  三人のギタリストが、ずっと、もうロックンロールの番組釘付け、なんて。
  もうほんとに、その時は競争で吸収してたんだと思います。
  でも ポールが速かった、なんてところは結構面白いです。
  これから どんなふうになって行くのか。
  それから、この番組の公開録音 忘れないでくださいね。
  もし良かったら 応募してください。
  締め切りがあります。
  詳しくは BayfmのHPでチェックしてください。
  ttp://www.bayfm.co.jp/info/index.html#beatles
  
  それから、リクエストもよろしくお願いします。
  今日のリクエストもとても楽しかったですけども。
  (略)
  beatles@bayfm.co.jp
  こっちで待っております。

56 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年9月15日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー(9月15日)
 ・1972年(今から41年前の今日)
  もうビートルズは解散して、ソロで活動している時代。
  イギリスで、ジョン・レノンの「サムタイム・イン・ニューヨークシティ(Some Time In New York City)」のアルバムが発売になります。イギリス発売。
  ジョンは ソロこれで3枚目 ということになります。
  ジョンの作品は もう・・・
  今までビートルズは3人がいたわけですが、もうこれはオノ・ヨーコと一緒になってからは、
  ジョンとヨーコがプロデュースして、曲だとかコンセプトも 自分たちの関心事を盛り込むアルバム。
  他の3人に比べると、英語で言うとね、ジョンは「トピカル(topical)」なんですよ。
  必ず“今”があるんですよ。“今”ていうのが。
  そして もう一つは「ポリティカル(political)」。
  政治的な意味合いも かなりあります。
  これはもうジャケットから、ニクソン大統領と毛沢東が裸でいるみたいな ジャケットだったりw。
  なんていうんですかね、新聞記事みたいな感じの。
  やっぱりこれは、トピカルでポリティカル なんですよね。
  そのせいか ジョン・レノンのものっていうのは、ポップスとは離れていて、セールス的には 必ずしも満足できるものではないんだけど。
  “これこそジョン・レノンの魂”という風な曲がいっぱいあります。
  「女は世界の奴隷か(Woman is the Nigger of the World)」「シスターズ・オー・シスターズ(Sisters, O Sisters)」これは女性解放の歌。
  「アッティカ・ステート(Attica State)」アッティカ刑務所での暴動 を取り上げています。
  あと「血まみれの日曜日(Sunday Bloody Sunday)」とか「ザ・ラック・オブ・ジ・アイリッシュ(The Luck Of The Irish)」とか、アイルランド問題を取り上げていたりしています。

57 :
  で「ニューヨークシティ(New York City)」という曲があるんですが、
  これはもう ジョンとオノ・ヨーコがニューヨークに住むようになってからの、クロニクルみたいな、日記のような感じなんだけども。
  そこは ジョンの切り口は、まあ必ず問題作になっちゃうわけですね。
  もうほんと 物議を醸(かも)しました。
  でも、楽しいロックンロールに仕上がっています。
  行きましょうか? New York City!
  〜 John Lennon / New York City
  ttps://www.youtube.com/watch?v=gWVRzfpta-g
  (小林)というわけで 今から41年前の今日、イギリスで「Some Time In New York City」
  物議を醸したアルバム 発売になりました。
  問題作も いっぱい入っているっていうアルバムですが。
  その中から New York City。

58 :
□ストーリー
 ・1958年、ロンドンから北西に数百キロ、リバプールでは、いまだに「クォーリメン」と名乗ったままのバンドにいるギタリスト3人が、
  毎週土曜日の夜になると、テレビ番組の「Oh Boy」に釘付けになっていた。
  特にクリフ・リチャード&シャドウズが登場すると、さらに画面に近づき、その素晴らしい「Move It」のクールなイントロをどうやって弾いているのか、
  ただただ 夢中になって観察していたのである。
  
  これは先ず最初に ポールが会得できた。
  すぐさま自転車に乗って、ジョンの家に向かった。
  ドアを叩くと、出てきたジョンにポールが叫んだ。
  「ジョン!わかったよ!これで俺たちもテレビに出られるよ。やったぜ!」
  この頃から現在に至るまで、ポールという人物は どこまでも前向きであることがわかる。
  いずれにせよ、先行きの思わしくない自称ロックンロールバンド=ザ・クォーリメンには、ジョン以外のオリジナルメンバーはもう一人もいなかった。
  小柄で愛嬌のある内装職人のコリンと、彼が分割払いで買ったドラムセットは、まだバンドの練習場所に残っていた。
  コリンは あまり上手くはなかったが、ドラムセットの月賦を支払い続けているコリンを、そう簡単にクビにすることは出来なかったし。
  ドラムセットを持っているアマチュアミュージシャンを 当時のリバプールで探すことが、どれだけ難しいことか、ジョンもポールもよく分かっていたのだ。
  それに、ドラマーの腕がどれほど未熟であっても、取りあえずドラムを叩いてくれさえすれば、
  3人でギターをかき鳴らすだけのスタイルよりは、よっぽどバンドとしての体裁を保つことができた。
  しかし、これには常にジレンマが付きまとう。
  特に、常に進歩したい性格のポールには、どうしても耐えがたいことであった。
  ザ・クォーリメンは、明らかに行き詰っていたのである。

59 :
  〜 Paul McCartney / Lucille
  ttp://www.youtube.com/watch?v=vMn2dF-2sYA
  〜 John Lennon / Bring It On Home - Send Me Some Lovin  
  ttp://www.youtube.com/watch?v=C1aMH5rjiw0
  (小林)少年時代のジョンとポールの世界を お届けしていますが。
  二人が好きだった曲は、あとあとになってカバーするわけですね。
  
  ポール・マッカートニーの Lucille、リトル・リチャード(Little Richard)のヒット曲。
  1980年代の後半 ポールの得意技。
  そして、ジョン・レノンは ソロアルバム「ロックンロール(Rock 'n' Roll)」の中から Bring It On Home-Send Me Some Lovin。
  サム・クック(Samuel Cooke)、リトル・リチャードのヒット曲のカバーであります。

60 :
□ストーリー(続き)
 ・「なあ、ジョン。クォーリメンはこの先どうなるんだ?
  なんかリハーサルに集まっても、ダラダラと演奏するだけだし。
  レパートリーだって なかなか増えない。
  俺たちは こんなものだったのか?
  もっと 本物のロックに近づきたいと思わないか?」
  これは1958年当時、まだ16歳の高校生のポール・マッカートニーの発言。
  ジョンと呼ばれているのは、この数年後 ビートルズでポールとダブルトップとしてロックの世界でナンバーワン。
  いや、トップの天辺のそのまた頂点に立つことになる ジョン・レノン、18歳である。
  それにしても、ポールの発言は、的確としか言いようがない。
  ザ・クォーリメンは明らかに行き詰っていた。
 
  優秀なマネージャーとして働いてくれたナイジェル・ウォーリーが、プロゴルファーを育成する学校に行くことになったためいなくなり、
  仕事のブッキングがあいまいになっていた。
  クォーリメンは、行き当たりばったりに誰かのバースデイパーティや、ユースクラブのダンスパーティ、ソーシャルクラブなどに出演し。
  パイを一個 とか、ビールをジョッキに一杯 とか、ギャラ代わりにもらって演奏していた。
  ドラマーのコリンは、毎回その酒を飲んでは どうしても上手くならない自分のドラムズの腕を恨んだ。
  彼は、ジョンもポールも ドラマーとしての自分ではなく、ドラムセットだけを当てにしていること。
  そして ドラムプレイに関しては ポールが以前よりもキツイ言葉で批判するようになったことを、酒の力で忘れようとしていた。
  こういう状態が続くようになると、それまでの「ドラマーは 居ないよりは居た方がいい」という考え方が
  「コリン程度のドラマーだったら、むしろ居ない方がマシ」という意見に変わって行くようになっていた。
  さて、どうしたものか、ザ・クォーリメン。
  打開策はあるのか、ザ・クォーリメン。

61 :
  〜 The Beatles / Back In The U.S.S.R
  ttp://www.youtube.com/watch?v=M2uJiGEjxFw
  〜 The Beatles / The Ballad Of John And Yoko
  ttp://www.youtube.com/watch?v=ugOtHXQEypk
  (小林)というわけで、クォーリメンはドラムズが問題だったっていうことでw
  これは両方ともポールがドラムを叩いているん、じゃないかという。
  Back In The U.S.S.R、これはポールが叩いているらしい。
  だから、リンゴがちょっとこれで ホント腐っちゃった、ていう。
  
  それから、これはオフィシャルにポールが叩いている The Ballad Of John And Yoko。 
  ジョンとヨーコの結婚式を綴った日記みたいな曲で。
  これは、ジョンとポールが二人だけでスタジオに籠って作った曲ですね。
  
  2曲お送りしました。

62 :
□ストーリー(続き)
 ・ドラマーのコリン・ハントンの演奏力がなかなか上達しないまま、超低空飛行を続けるザ・クォーリメン。
  ジョンとポール そしてジョージにとっても 人生で最初のバンドである。
  それでも 少しづつ、本当に少しづつではあるが 前進はあった。
  1958年も後半になると、ジョンもジョージも エレキギターを手に入れていたのだ。
  ジョンは、褐色のヘフナー・クラブ40。これはセミソリッドのボディで、つまみは2個付いていた。
  ジョージの方は、母親を説き伏せて資金を借り フェンダーのストラトキャスターに似た“フュチュラマ・グラジオッソ”という30ポンドのギターを購入。
  さすがに バディ・ホリーと同じフェンダーは買えなかったが、それでも以前のものよりは遥かに音も良く 使い勝手も最高だった。
  
  しかし、ジョンもジョージもアンプを買う予算までは無かったため、ライブ会場では 誰かのアンプをお借りするしか方法が無かった。
  それでもダメなときは、このころ電気工見習いとしてアルバイトをしていたジョージが、
  職場で教わった知識を使って、会場のPA、つまり音響システムにダイレクトにエレキギターを繋いで急場をしのいでいた。
  そして1958年半ば、クォーリメンの面々は、なけなしのお金を集めて 17シリングと6ペニーをひねり出し、デモレコードを製作した。
  これは、かつてのマネージャー=ナイジェルの名刺とチラシに書いてあった「ロックンロール、リズム&ブルース、何でも演奏します」
  の文面よりは、やはり「音で聴かせる方が効き目はあるだろう」と判断した結果である。
  
  この日クォーリメンが選んだスタジオは、実はスタジオではなく、リバプールのケンジントンという地区にあるパーシー・フィリップスという年配の男の自宅の裏であった。
  集まったのは ジョン、ポール、ジョージに ドラマーのコリン・ハントン、そしてもう一人 ポールが連れてきたピアニストのジョン・ローという少年の5人。
  さてついに全員が、人生最初のレコーディングに臨(のぞ)む場面となったのである。

63 :
  〜 The Beatles / Everybody's Trying To Be My Baby
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Px9Jgq7_YyY
  〜 The Beatles / Don't Let Me Down
  ttp://www.youtube.com/watch?v=dmU07H460so
 
  (小林)もう、終わりの頃のね、これもB面ですよね「Get Back」のね。
  Don't Let Me Down、ビリー・プレストン(Billy Preston)をフィーチャーした、というか、ビリー・プレストンが加わったビートルズ。
  そして、始めの頃の「Beatles for sale」から Everybody's Trying To Be My Baby。

64 :
□リクエスト
  (小林)
  その前に、この番組の公開録音。スペシャルパーティ。
  応募してくださいよ。
  (>>50 を参照)
    
  リクエスト、メールは beatles@bayfm.co.jp
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  (川崎市/男性)20代後半
  最近ひょんなことから、この番組を知りましたが。
  ビートルズ黎明期というか、結成前夜の話しは、小林さんの心地良い語りも加わって、まるで「朗読劇」のようで面白いです。
  この後の話しは 数多くの文書や映像で知ってはいますが。
  これから世界制覇して行くのだと思うとワクワクします。
  まだ、アイドルっぽさが残っていた若き時代の名曲をお願いします。
  
  〜 The Beatles / All My Loving
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Gdc8RPfDz1g

65 :
  〜 The Beatles / If I Fell
  ttps://www.youtube.com/watch?v=B91ueRk58TQ
  (小林)If I Fell がかかりました。
  (神奈川県/女性)
  ポールが来日するなんて、うれしいです。絶対行きたいです。
  ポールと言えば・・・        (小林)というところで、リクエストはこの If I Fellなんですが。
  なぜかと言うと、この曲はジョンの曲なんですが。
  私はビートルズのファンになって以来 数十年。
  昔カセットテープに録音して聴いていた頃は「was in vain」の2回目の所で、ポールの声が息切れする感じになってるように記憶しているんです。
  今持っているCDでは その「息切れシーン」がありません。
  私の記憶違いだったんでしょうか?   (小林)っていう。
  もし「息切れバージョン」が存在していまししたら、ぜひリクエストお願いします。
  とても 不思議です。
                     (小林)というか、これは「ステレオバージョン」です。
                         息切れしているやつを流しました。どうでしたかね。   
  小林さん「ベストヒットUSA」の頃が大好きで、いまでもこうして聴けるなんて、とてもうれしいです。
  元気でがんばってください。
  (小林)
  はいwありがとうございます。

66 :
  (草加市/女性)
  初めてメールをします。「ビートルズ初心者でも…」と克也さんが言ってくれたから勇気が湧きました。
  ビートルズが分からない私でも 番組聴いていたら、だんだん引き込まれてしまいました。
  超入門編の・・・  
     
  (小林)w超入門編って、ないですよw。
  曲にはねえ、入門も上級者も何もないですよねw。
  (リクエスト)ありがとうございます。
  じゃあ、「超入門編」wて書いてある この名曲を。
  〜 The Beatles / Yesterday
  ttps://www.youtube.com/watch?v=rxY1KQvQsAU

67 :
  〜 The Beatles / The Long And Winding Road
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Xqu9qhBHWNs
  (小林)The Long And Winding Road がかかりました。
  (大田区/男性)
  初めてメールします。  (小林)初めての方が続いています。
  友人に勧められて毎週聴いています。
  おいらが・・・(小林)いいですねw。
  おいらが、中学2年生の時は美化委員でした。
  下校時間前に、各教室の掃除のチェックをしていました。
  「イエスタデイ」か「ザ・ロングアンドワインディングロード」が流れていました。
  この曲がかかると「もう学校から帰らなくちゃ」と 寂しい気分でした。
  その頃は、ビートルズの楽曲だとは知りませんでした。
  (小林)
  そうか、ビートルズと知らなかったw。
  だけど「イエスタデイ」の方が まだあれかな、気分が治まる。
  こっちはあれですよね、アレンジがすっごい豪華で大げさだから、豪華な寂しさというか、余計なお世話な寂しさみたいなのが ねえ。
  豪華だけに余計寂しかったんじゃないかとw そういう感じがします。
  これが 大エンディングですからね、これがかかると、ほんとうに寂しいよね。
  というわけで、リクエストありがとうございます。

68 :
  BGM= The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U
□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」
  高校生の頃の、ジョン・レノン、ポールたちのバンド=クォーリメンの行方はどうなるのか。
  っていうことで。
  これはもう、この頃は絶対一番面白いんじゃないかと思いますよ。ハラハラドキドキ。
  で、音楽の方がね、若い方も話しを聴く時に、その時はどんな音楽を彼らが聴いていたんだろう、どんな音楽を目指していたんだろう、ということで。
  50年代のロックンロールみたいなのを かけていますけども。
  だいたい、その時代の流れとか、ねえ。不自由な時代だったわけですよね。
  楽器を買うにも、ドラムセットがめちゃくちゃ高かった時代ですからねえ。
  それも、月賦で払うという。月賦ってあまり使わない言葉ですけど。
  そんな時代の話し、面白いと思います。
  それから、この番組の公開録音のスペシャルパーティ、応募していますか?。 
  (>>50 を参照)
  リクエストの方も よろしくお願いします。

69 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年9月22日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー(9月22日)
 ・1969年(今から44年前の今日)
  アメリカ、ボストンのFM局 WBCNでビートルズの海賊版「Get Back」が放送された。ということなんですよ。
  まあ、放送局は海賊版ていうのは、あんまり放送しちゃいけない。どこの国でもそうなんですけども。
  もうビートルズのものだったら、もう待てないわけですよね。
  「ビートルズがナントかをやってる」「どんな風になってるのかな?」ファンは気になったりしますよね。
  そこを狙って海賊版屋さん、つまりこれは・・・
  海賊版って だいたい元々分かりますよねw。海賊版が分からないとw 話しが通じなくなるんですけども。
  正式に出されたレコードじゃなくて、法に反するやり方でコピーしたりとか、そういったものを製品として、不法な品物なんですよね、海賊版。 
  それを、だから放送局が放送するっていうことは ダメなわけですけども。
  僕はねえ、元々海賊版って あんまり興味が無いんですよ。
  ところがですね、音楽のファンの趣味によると思うんですけども、海賊版が大好きな人もいるんですよ。
  だから、もし海賊版に興味がある人がいたらですね。
  今の世の中 便利になっていますよ。
  ネットとか そういうのを使うと、海賊版の事とか、海賊版の音だとかね、絵なんかも含めて 出回ってたりするんで。
  まあ、各々(おのおの)で調べて頂きたいと思います。

70 :
  で、その問題はですね。
  「Get Back」の海賊版、Get Backというのはですね 実は4種類有った、と言われていますね。
  だから、「この放送局で放送されたやつ」「この放送局で放送されたやつ」っていうのが有って。
  それが、コピーされて出回っていた、っていうことなんですけども。
  「Get Back」の海賊版っていうのは 2種類有ったそうです。
  そのうち一つは もうすでに正式に発表されていた シングルバージョンだった、ていうことで。
  海賊版は流さないですよw。
  正式に発表されていた、もうみんなが知っている。まあ初めて聴く方もいるかも分かりませんけども。
  ビリー・プレストン(Billy Preston)をフィーチャーした、ビートルズの、Get Back。
  〜 The Beatles / Get Back
  ttps://www.youtube.com/watch?v=IyLtRKV1fTM
  (小林)ビートルズ、Whith Billy Preston で Get Backをお聴きいただきました。
  まあ、海賊版の話しが出ましたけど。
  ビートルズがグループとして存在していた60年代っていうのはね。
  ロックは「反体制」っていうのを、もう真正面に掲げていたような時代ですから。
  何ていうの、大きなレコード会社っていうのも、やっぱり体制の一部になっていたわけですよね。
  だから、今の時代だと 海賊版っていうと「安いコピー商品」みたいなイメージがあるかもわからないけど。
  60年代は、ちょっと海賊版っていうとね、特別な意味があったんだよね。

71 :
□ストーリー
 ・毎回お送りしている このビートルズストーリー。
  先週は1958年、ジョンやポールの最初のバンド=ザ・クォーリメンが人生初めてのレコーディングに漕ぎ着けた までの所で終わったっことは ご存知の通り。
  今週からは その時間を数カ月戻して、ジョンの最初の妻である シンシア・レノンの回想録を基に 物語を進めていきたいと思います。
  1950年代後半のイギリスは、青春を謳歌し 新しい世界に飛び立つには素晴らしい時代であった。
  過酷だった戦争の日々も 戦後の貧困も もうお仕舞い。
  兵役も無くなり、若者は何も恐れずに若者らしく生きることが許されるようになった。
  そんな時代 1957年9月、シンシア・パウエル。
  後にジョン・レノンの妻となるシンシアは リバプール・カレッジ・オブ・アートで新生活のスタートを切った。
  彼女はちょうど18歳になったばかりで、自分の運の良さを信じられない思いでいた。
  というのも、パウエル家は 一家の大黒柱であった父親を一年半の闘病の末 肺がんで亡くしていたのである。
  もちろん シンシアは進学をあきらめていた。
  二人の兄は自立して家を出ていたし、残された母親とシンシアは毎日食べて行くだけで精一杯だったからである。
  それでも彼女の母親は、娘の学費を何とか捻出しようと ベッドルームを潰して独身の労働者相手の下宿屋を始めたのである。
  電気工の見習いであった4人の下宿人は この家に住んでいた。
  それも、喜んで住んでいた。
  しかし、いくつかの問題もあった。
  取りあえずは トイレ。
  ここのトイレには しょっちゅう列が出来ていた。
  そのため、誰よりも早くトイレに入ろうとするのであれば、朝日と共に起きるしかなかった。
  年ごろの女子にとっては 少し辛い住環境ではあったが、それでもシンシアは母親に感謝していた。
  何があろうとも、大学に進学できたことは彼女にとって最高の幸せであったのである。

72 :
  〜 The Beatles / One After 909
  ttps://www.youtube.com/watch?v=IVN9ROEZIkE
 
  〜 John Lennon / Be-Bop-A-Lula
  ttps://www.youtube.com/watch?v=EgtULMN47OY
 
  (小林)2曲続きました。
  Be-Bop-A-Lula ジョン・レノンのあのw 曲と曲との間のしゃべり方 いいですよねw。
  One after 909 前の曲でのあとのジョン・レノンのしゃべりなんか、
  ジョンが好きな人は ああいうしゃべりが好きなんだよね、あの声がね。
  というわけで、ジーン・ビンセント()の曲 Be-Bop-A-Lula。
  そして、One After 909。
  それから、トイレがお話しの中に出てきますけどね。
  この頃のイギリスは、上流階級の家を除いては ほとんどがトイレは外。
  だから、シンシアの家もトイレが外にあったんですね。

73 :
□ストーリー(続き)
 ・アートカレッジに入学すると シンシアは模範的な学生を目指した
  よそ行きのアンサンブルとツイードのスカートでキチンと身支度を整え、きれいに削った鉛筆を揃え、毎日時間に遅れることなくカレッジに通った。
  もちろん、カレッジで一番の優等生になろうと意気込んでいたことは言うまでもない
  この頃のシンシアの夢は、美術の教師になることだった。
  彼女にとっての美術の時間は 小学生のころから唯一好きになった科目であり。
  12歳の時にアートカレッジのすぐそばにあるジュニアアートスクールに入学した時は 嬉しくてワクワクしたものであった。
  アートカレッジに進学したことで シンシアには新しい目標が生まれた。
  それは、上級生たちのように 夢中になれる何か、一生懸命になれる何か、を見つけること。
  自信に満ちた上級生を見ていると、いつもシンシアは憧れを抱いた。
  彼らのカジュアルで見るからに芸術家風なスタイルや 長い髪が眩しかった。
  入学当時のシンシアは、茶色っぽく くすんだ短い髪に きっちりとパーマをかけていた。
  母の友人の中に美容師がいて、好意でそうしてくれていたのである。
  ただ問題は、その美容師さんのお得意様は ほとんどが50代以上のオバ様ばかりだということ。
  当然、シンシアのヘアスタイルも オバ様たちと同じく 野暮ったいものになってしまっていた。
  さらにその美容師さんは、数週間に一度 シンシアを実験台にして、色々なヘアスタイルを試していたが、
  「どんなスタイルにしても 最悪である」ということだけは 確かであった。
  おまけにシンシアは目が悪く、ほとんどの場合はメガネをかけていた。
  カレッジに入学して最初の頃は、制服から解放され おしゃれな洋服が着れることが嬉しかった。
  しかし、すぐに「自分にはファッションセンスというものが無いこと」に気が付いたのである。
  結局「自分は何の面白味も無い、野暮でパッとしない女なんだ」という事実に 落ち込んでしまった。
  しかし、そんな平凡で冴えない人生を変える出会いが待っていたのである。

74 :
  〜 The Beatles / Words of Love
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Ay8y8MctiOw
  〜 The Beatles / I'll Be Back
  ttps://www.youtube.com/watch?v=G9hO25z1Fu8
  (小林)初期の作品が2曲続きました。
  「Beatles for sale」のアルバムから、ビートルズがバディ・ホリー(Buddy Holly)の曲をカバーしていました。
  Words of Love 。
  そしてこの曲は「A Hard Day's Night」のアルバム。
  デル・シャノン(Del Shannon)の、当時めちゃくちゃ売れていたアメリカ人のシンガーソングライター。
  ロックです。
  デル・シャノンの 影響を受けたと言われる I'll Be Back。
  2曲。

75 :
□ストーリー(続き)
 ・父親を病気で亡くし、進学をあきらめていたシンシア・パウエルであったが、
  母親の頑張りで なんとかリバプール・カレッジ・オブアートに入学できた。
  美大生として2年生となっても、シンシアは入学当時の情熱を失くしてはいなかった。
  ただ、その野暮ったい外見に関しては 少しづつではあるが改善の方向にあった。
  母親の友人である美容師さんに 勇気を出して“オバちゃんパーマ”をやめてもらい、彼女は髪を伸ばし始めた。
  ファッションもがんばった。
  ツイードのスカートの代わりに 流行りの黒いベルベットのパンツも買った。
  メガネも出来るだけ掛けないで暮らした。
  しかし、このメガネに関しては かなり問題があった。
  シンシアの視力は極度に弱かったため、よく降りるバスの停留所を間違えた。
  カレッジの掲示板に書かれた告知も 読み間違えた。
  でも、それはシンシアにとって どうでもいいことであった。
  彼女はとにかく、メガネを掛けている自分が大嫌いだったので、少しばかりの不自由など気にも留めていなかった。
  ただし、授業中は別である。
  メガネを掛けないと、黒板も 自分が目の前の画用紙に描いているものすらも 見えなかったのだから仕方がない。
  レタリングのクラスの初日、みんながとっくに席に着いていたころ、一人のテディボーイがだらしなく教室に入って来た。
  両手を深くコートのポケットに突っ込み、どこか挑戦的な面持ちが印象的だった。
  そのテディボーイは シンシアの後ろの席に座った。
  すると、その男子学生はシンシアを笑わせようと わざと顔を歪め、いわゆる変顔をしながら こう言った。
  「やあ、僕はジョン」
  シンシアは微笑まずにはいられなくて、ジョンに応えた。
  「私、シンシアよ」
  すると、講義を始めていた先生が、シンシアを見て あからさまに眉を顰(ひそ)めた。
  その先生のメッセージは間違いなくこういうことであった。
  「シンシア、君のような優等生はそんな不良に関わってはいけない。絶対ダメだよ」

76 :
  〜 The Beatles / Bad Boy
  ttps://www.youtube.com/watch?v=9q5IjOeu5g4
  〜 The Beatles / Norwegian Wood
  ttps://www.youtube.com/watch?v=MG-ia0NV8Ts
 
  (小林)やあ、「Bad Boy」から「ノルウェーの森(Norwegian Wood)」に行くとねえ、けっこう「ノルウェーの森」も違うように聴こえました。
  どうですか?
  1965年の。ラリー・ウィリアムスていうアメリカ人シンガーの、これカバーですね、Bad Boy。
  それから「ラバー・ソウル(Rubber Soul)」のアルバムに入っている Norwegian Wood(This Bird Has Flown)

77 :
ageてみるよ。

78 :
また物語戻っちゃったのかよ、もう飽きたよ

79 :
まあなんというか、シンシアとかヨーコの話しは勘弁w

80 :
自分は今年から聞き始めたから気にならない
この番組って1999年から放送されてるみたいだけど、物語部分は何周もしてるの?

81 :
こらこら、いつも録音起こしをしてくれているお方に感謝しなされ

82 :
□リクエスト
  公開録音収録のお知らせ(9月22日締め切りのため省略)
  (小林)リクエスト 採用の方にはイシイのミートボールなどをセットにしてお送りしております。
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  (大田区/男性)
  私の28歳の娘も 私の影響でビートルズが大好きです。
  家族全員で毎週楽しみに聴かせていただいております。
  リクエストなんですが、    (小林)来ましたねえ。               
  T・レックスの「Ballrooms Of Mars」をお願いします。
  マーク・ボラン(Marc Bolan)はジョン・レノンにかなり影響されたみたいですね。
  歌詞の中にもジョン・レノンという言葉が出てきますし、曲調も歌い方もジョン・レノンそっくりです。
  (小林)まあ、マーク・ボランの場合w 歌詞が…歌は二流の、なんていうの、歌詞なんかも、二流って言うと失礼になるけど。
  ジョン・レノンよりも、ちょっと“サイケ”っていう感じなのかな。そんな感じですよね。
  だけど、面白い人ですよ この人は。
  実はリンゴ・スターが、このレコードのジャケット写真は 撮影しています。
  それでは、あなたのリクエストに応えて・・・
  〜 T. Rex / Ballrooms Of Mars
  ttps://www.youtube.com/watch?v=mCUIuCuzdII
  (小林)いかがですか? T. Rexの Ballrooms Of Mars 
  これは(あなたの)リクエストありがとうございます。
  やっぱり、ビートルズの時代が終わって、解散すると、要するにみんなソロになるじゃないですか。
  その頃から イギリスってのはヘビーロック つまりハードロックの時代が始まるんだけど。
  それが、しばらく経つと、ジョン・レノンなんかの影響を受けた T・レックスだとかデビッド・ボウイたちによって、ひとつの また新しいロックですよね。
  グラムロックとか言われた。
  まあ、ビートルズたちが作った音楽に、なんて言うんですかね、ビジュアルっぽいものを加えたり。
  ちょっと、セックスっていう、セクシーていうんじゃなくて、性的な意識だとか そういう風なものを加えたりした、新しい時代に入って行くわけですが。
  それの先端を走っていたT・レックス。

83 :
  (船橋市/男性)
  職場で楽しみに聴かせていただいています。
  ポールが11年ぶりに来日しますね。
  前回の来日で見納めだと思っていたので アンコール気分でポールの歌声をしっかり心に刻んで来たいと思い、チケットをゲットしました。
  そして、アメリカでのリストセットを見ると、あの曲の名前が無い。
  僕があらゆるラブバラードの中でナンバーワンと勝手に思っている「マイ・ラブ(My Love)」これが無い。
  やはり、二度目の再婚したポールは、リンダへの愛を歌ったこの曲は演奏し辛いんですかねえ。
                                  (小林)wていう。
                                      そういうのも あるかもわりません。
  イエスタデイと共に もう一度 生で聴けたらめちゃクチャ嬉しいんですけど。
  ということで、不滅のラブバラードをリクエストします。
  (小林)
  My Love、行きます。
  
  〜 Paul McCartney / My Love
  ttps://www.youtube.com/watch?v=0SB3x6KtNi4

84 :
  〜 The Beatles / Hey Jude
  ttps://www.youtube.com/watch?v=kHVigFTKntg
  (小林)ヘイジュードが流れています。
  何回聴いてもw 盛り上がって来る曲だねw。仕方ないね、これね。盛り上がって来るよねぇw。
  
  (千葉県柏市/男性)
  中学生のころの私は ビートルズのような長い髪をしておりました。
  しかし、高校に入ってからは 髪の毛を切り落として七三に分けて 学生生活が始まりました。
                       (小林)こういう人は 校則があったんだろうね。
  それでも ビートルズの歌は毎日聴きました。
  リクエストは「ヘイ・ジュード」をお願いします。
  (小林)
  短いですけども、あなたの事がちょっと分かりました。

85 :
  BGM= The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U
□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがですか?
  
  シンシアのお話しに入っていますけど。
  これから、ジョン・レノンとの出会い。
  まあ、出会いが有ったところまでお伝えしましたが。
  このあとも、乞うご期待 というとこです。
  
  それからリクエスト、よろしくお願いしますね。
  リクエスト採用の方にはイシイの(略)
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  
  それから、もう一回スペシャル・パーティのお知らせ(略)
  今日(9月22日)が締切りです。
  (略)

86 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年9月29日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー(9月29日)
 ・1967年(今から46年前の今日)
  ジョン・レノンとジョージ・ハリスンが、デイビッド・フロスト(David Frost)という、
  イギリスで有名なテレビのショーをやっているテレビホストにインタビューを受けます。
  これは、録音でね、ウェンブリースタジオていう所で録画されて、その日の夜遅く放送になるんですけども。
  面白いのは、ジョン・レノンとジョージ・ハリスンのインタビューがあって、
  その同じ番組で、インドのマハリシ・マへーシュ・ヨーギのインタビューもちょっと放送されるんですよ。
  でまあ、だいたいどんなことを言っているかというと、宗教的なこと、思想的なこと、を言うんですけど。
  具体的に、ちょっとここに資料があるので・・・
  ジョン・レノンが 先ずね、
  「お釈迦様、イエス・キリスト、両方ともご機嫌だ!」みたいなことを言うんですよ。
  ジョージ・ハリスンは、
  「僕は、リーンカーネーションを信じている」まあ、生まれ変わりを、輪廻っていうんですかね、を信じている。
  で、「生と死というものは 思想の上ではとても関係あって。僕は、生まれ変わるていうこと自体を信じていて。
  人間は 何回も何回もこの世に帰ってくるんだ。
  で、だんだん良くなって、最後には、神に近い位置を獲得して創造主、つまり神と一つになって終わるんだ」
  ていうようなことを 言うわけですよね。
  いかにもジョージ・ハリスンですね。
  こういった思想はですね、トランセンデンタル・メディテーション(Transcendental Meditation)
  当時「TM」ていう省略で、まあ、新しい宗教みたいな形でね。けっこうミュージシャンたちが このTMに入っちゃうんですよ。
  新しいところでは、マドンナ(Madonna)なんかも入るんですよ。後々になってね。
  未だに続いていることなんですけど。

87 :
  ビートルズは このインタビューを終わって、スタジオへ入って、この曲を仕上げちゃう、っていうことなんですよ。
  で、この曲を聴くと やっぱり、当時どんな頭の中 心の中がどういう風な景色だったか、ていうのが良くわかると思います。
  まあ、決して真面目 マジメ一辺倒でもなかったんですよ。
  だってこの曲は あれだもん、内容がもうぶっ飛んじゃってて オカシイもん。
  ビートルズの Iam the walras。
  〜 The Beatles / I am the walrus
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Ap6kSV_U45o
  (小林)というわけで、ビートルズはかなり思想的、宗教的になっていた時代の作品。
  違う言葉を使うと「ぶっ飛んでいた」作品 I am the walrus
  お送りしました。

88 :
□ストーリー
 ・一家の大黒柱である父親を亡くした シンシア・パウエルであったが、
  母親の一念発起で自宅で下宿を始めたことで、なんとか生計を立て直すことができた。
  元々芸術系の学校に通っていたシンシアは大学進学を望んでいたため、迷わずリバプール・カレッジオブアートに入学することを望んだ。
  彼女は、絵に描いたような良妻賢母スタイルのイングランド女性で、そのファッションセンスも質素そのもの。
  カレッジの2年生になって やっと自分の意志で髪を伸ばし始め、ツイードのスカートから ベルベットのパンツにと、そのスタイルも変わりつつあった。
  
  そんなシンシアが新学期を迎えたレタリングのクラスの初日。
  彼女は 遅れて入ってきたテディボーイ風の学生を見かけた。
  そのテディボーイは シンシアの後ろの席に座った。
  するとその男子学生はシンシアを笑わせようと わざと顔を歪め、いわゆる「変顔」をしながらこう言った。
  「やあ!僕はジョン」
  シンシアは微笑まずにはいられなくて ジョンに応えた。
  「私、シンシアよ」
  すると、講義を始めていた先生がシンシアを見て、あからさまに眉を顰(ひそ)めた。
  その先生のメッセージは間違いなくこういうことであった。
  「シンシア、君のような優等生は そんな不良と関わってはいけない。絶対ダメだよ」
  それまでも ジョンをカレッジのキャンパスで見かけたことはあったが、話しをしたことは一度もなかった。
  当然の事であるが、お互い付き合う連中がまったく違っていたからである。
  シンシアはそんなジョンが レタリングという地味で根気のいるクラスを取っていたことが驚きだった。
  案の定 ジョンはクラスに必要な道具など 何一つ持って来ていなかった。
  そしてまたシンシアの背中を叩いてこう言った、
  「ねえシンシア、鉛筆とブラシ貸してくれないかな?」

89 :
  〜 The Beatles / Dig A Pony
  ttps://www.youtube.com/watch?v=kkzKSORYtVk
  〜 The Beatles / It's Only Love
  ttps://www.youtube.com/watch?v=KNiCccK81z4
 
  (小林)これは「HELP!」の中に入っている曲ですね。
  It's Only Love
  そしてその前は「Let It Be」の、1970年の作品。
  なかなか いいですよね。これ閃(ひらめ)いてますよね。
  Dig A Pony

90 :
□ストーリー(続き)
 ・「ねえシンシア、鉛筆とブラシ 貸してくれないかな?」
  リバプール・カレッジオブアートの超優等生のシンシア・パウエルがレタリングのクラスを受けていた時、テディボーイ姿の男子学生が入って来た。
  彼の名前はジョン・ウィンストン・レノン。
  そう、この数年後 あのビートルズのリーダーとしてイギリス、ヨーロッパ、そしてロックの発明国アメリカ、
  そして日本を始めとするアジアまでも征服し、世界の頂点に立った男、ジョン・レノンその人である。
  この時シンシアは ジョンがレタリングのクラスを受けるなんて、あまりに意外に思えた。
  なにしろ レタリングとは、骨の折れる綿密な作業で、コツコツと積み上げる工程を根気強く続けられる性格が必要だったからである。
  しかし案の定、ジョンは授業に必要な道具は何一つ持っていない。
  いわゆる「手ぶら」で教室に現われていた。
  もちろん、やる気ゼロ である。
  
  シンシアの後ろの席に座ったジョンンは、シンシアの背中を叩いては その都度必要な道具を借りた。
  シンシアは迷惑を感じながらも 仕方なく貸してあげた。
  それ以来ジョンは 必ずシンシアの後ろに座るようになって、必要なものは何でも彼女から借りるようになった。
  しかし、だからといって借りたものを使うでもなく、たいていの場合 作業など一切していなかった。
  ただ得意の変顔をしたり、普通であればとても口に出したりできないブラックジョークや下ネタでクラスの皆を笑わせたりして 遊んで過ごすだけであった。
  
  シンシアは、後から判ったのであるが、ジョンは自分から望んでレタリングのクラスを選んだわけではなかった。
  彼はほとんどの教師から 厄介者扱いされ、仕方なく「レタリングのクラスに行くように」と 学生課から指示されていた、というのが実情であった。
  そんなジョンの とても口にできないジョークは、日増しに過激になって行ったのである。

91 :
  〜 John Lennon / Crippled inside
  ttps://www.youtube.com/watch?v=XBuMC25npYk
  〜 Ringo Starr / I'm the Greatest
  ttps://www.youtube.com/watch?v=mZ4EmA5X-PQ
  (小林)2曲続きましたね。
  これは初めてかけたのかな?この番組で。
  リンゴ・スターのソロアルバムの中に 入っている曲で I'm the Greatest という、リンゴがちょっとふざけたような感じですけど
  ジョンがピアノで、ジョージがギターで、ビリー・プレストンがオルガンで参加していました。
  その前は、71年の「イマジン(Imagine)」のアルバムに入っています。
  ジョージ・ハリスンがドブロスライドギターを弾いています。
  Crippled inside、ジョンらしい、ブラックユーモアぽい曲です。

92 :
□ストーリー(続き)
 ・「あ〜ぁ、退屈だなあ〜このクラス。みんなコツコツ作業なんかしちゃって、よく我慢できるよなあ。
  こんな こまっけえ作業、お前ら おかしいんじゃないかぁ?」
  この言葉の主は、ジョン・ウィンストン・レノン。
  この数年後、あのビートルズのリーダーとして イギリス、ヨーロッパ諸国、そしてロックの発明国であるアメリカ、
  そして日本を始めとするアジアまでも征服し、世界の頂点に立った男、ジョン・レノンその人である。
  
  ジョンは リバプール・カレッジオブアートのほとんどの教師から厄介者扱いされ、学生課からはこんな命令を受けていた。
  「いいか ジョン。お前はレタリングのクラスに行け。
  もうこれ以上 授業をサボるようなことがあれば 即刻退学だ。
  これが最後のチャンスだぞ! さあ、今から教室に行け!」
  もちろんジョンは、真面目に授業なんか受けるわけがない。
  彼自身「ほんとは こんな所、居たくもないんだ」と断言していたくらいで、
  授業を妨害するために全力を尽くしていた。
  後に妻となるシンシア・パウエルを始めとする誰かをからかったと思うと、先生について明らかに悪意のこもった批評を書いて生徒全員に回したり。
  先生や生徒の特長を上手く捉えた似顔絵を描いたり。
  それはもう やり放題。
  さらには残酷なことに、歪んだ顔やブラックユーモアを通り越したイラストを描いては みんなに囃し立てられていた。
  
  当時のジョンは イギリスの典型的な不良少年のファッションで
  髪は左右を長く伸ばし、後ろで合わせる「ダックテイル」と呼ばれたスタイル。
  そしてパンツは 細い排水管を思わせる「ドレインパイプス()」
  そんなジョンと初めて話しをした時の シンシアの第一印象は単刀直入「サイテー、ぜんぜんタイプじゃないわ」
  というもの。
  しかし男女の仲とは 実に不思議なもの。
  これが恋愛感情に発展するのに そう時間はかからなかった、のである。

93 :
  〜 The Beatles / Anna (Go to Him)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=ZHTyLcVVlMM
  〜 John Lennon / Sweet Little Sixteen
  ttps://www.youtube.com/watch?v=HrnDRzQ6dro
 
  (小林)1975年の「ロックンロール(Rock 'N Roll)」のアルバム。
  ジョンのソロ、全部カバー、ていうアルバム。
  その中のチャック・ベリー(Chuck Berry)のヒット曲をカバーしていました。
  そしてその前は、ビートルズの63年「プリーズプリーズミー(Please Please Me)」のアルバムの中に入っていましたね。
  これもアーサー・アレキサンダー(Arthur Alexander)ていう人のカバーです。
  Anna

94 :
三波春夫なんてかけてるんじゃないよ!

95 :
♪せんすいかん
は、許す

96 :
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしています。
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  (千葉市中央区/男性)
  毎週末の締めくくりとして、いつも楽しみに聴いています。
  番組の終わりに いつも流れるリンゴの軽快なドラムとともに、
  「また明日から、今週もがんばるぞ!」といった気合いも、勝手ながら入れさせていただいています。
  さて、ちょうど一ヶ月前は 今は亡きマイケル・ジャクソンの誕生日でした。
  言うまでもなく、マイケルは私の敬愛するビートルズとともに 音楽史に残るアーティストであると思います。
  7歳になる私の息子は、私の影響でビートルズの曲もハミングしますが、テレビのマイケルの曲の良さとカッコよさに惹かれ、
  かなり重力のかかっているムーンウォークを「ポウ!」という雄叫びとともに 部屋の中で陶酔して歌い踊ります。
  そんなマイケルとポール・マッカートニーのデュエットと言えば 大変有名なのが「セイセイセイ(Say Say Say)」ですが。
  私が今でも二人のデュエットで大変記憶に残っているのが、ポールのアルバム「Pipes Of Peace」に収録されている「ザ・マン(The Man)」という曲。
  今回 リクエストさせていただきます。
  曲調はマイケルのものというよりも、ポール節の切ない感じのメロディが秋に向かうこの時期ピッタリではないでしょうか。
  (小林)
  リクエストありがとうございます。それでは The Man
  〜 Michael Jackson & Paul Mccartney / The Man
  ttps://www.youtube.com/watch?v=RMZE_0tEllU

97 :
  〜 The Beatles / She Loves You
  ttps://www.youtube.com/watch?v=fUHzyyyW9Sw
  (小林)
  She Loves Youが流れました。名曲ですよねえ。
  (住所不明/男性)
  毎週家族でサーフィンの帰りに車の中で聴いております。
  2歳になる息子は ジョン・レノンにあやかりジオンと言います。
  もちろんジョンと呼んでも構わないように。
           (小林)だけど、ジオンって言った方がカッコいいかもわかんないよ。
  そして今 新たな命が家内のお腹に宿りました。
  家内にありがとう と共に、名前をどうしようか、今から楽しみにしています。
  リクエスト曲は僕が小学校2年の時に あるジーンズのテレビCMで使われていたShe loves youをお願いします。
  あまりの曲のカッコ良さに、子供ながら衝撃を受けたビートルズとの出会いの曲です。
  (小林)
  ていうか、これは あのCMはビートルズの曲じゃなくてカバーが・・・バッドボーイだっけ?使われたっていうことです。
  
  で、もう一人。
  (船橋市/男性)   も この曲にリクエストくれました。
  日曜日も仕事しながらラジオ聴いています。
  49歳になる私のビートルズの思い出は、3つ上に兄がいるんですが。
  小学生か中学生の頃 兄の部屋に赤と青のカセットテープがあって、階段の上から4人が見ているというものでした。
  その時はあまり気にしなかったんですが、日テレで日曜日のテレビジョッキーという番組があって、
  コマーシャルで女の人が白いジーパンを穿いてジッパーを上げたり下げたり、バックで流れていた曲がビートルズの曲だったと思います。
  曲名が判らない、今でも頭に残っている・・・
  (小林)
  いやあ、それですよw それですよ。
  だけど、ビートルズの本物がかかりました。

98 :
  (東京都足立区/男性)
  うちの10歳の息子はビートルズ大好きです。
  そのあたりの知識は見る見る吸収していきます。
  学校で習う分数などには苦戦しておりますが。
  最近はビートルズの使用楽器を研究しています。
  この番組も(息子)が雑誌で発見して以来 欠かさず聴いています。
                      (小林)すごいねえ(息子さん)は。
  ビートルズは世代を超える と言えばそれまでですが、
  音楽が巷にあふれ返っている中で“50年前の音楽に子供が最も反応する”というのは やはり不思議なものだと思います。
  (息子の)リクエストです。
  〜 The Beatles / Not A Second Time
  ttps://www.youtube.com/watch?v=uUfZA4kw328
  〜 The Beatles / From Me To You
  ttps://www.youtube.com/watch?v=zUNzFAPNWPI
  (小林)いやあ、From Me To You ポピュラーなやつと、
  その前は 渋かったでしょう?「With The Beatles」ていう2枚目のアルバムに入っていた Not A Second Time。
  10歳がリクエストくれたんだよ。
  
  これは15歳です。
  (船橋市/女性)
  いつもバイト先で聴いています。高校一年生女子です。
  最近 初期のビートルズを聴きたくてしょうがなくなるので (小林)www
  リクエストを送ります。
  (小林)初期のやつが大好きなんだ。
  どうもリクエストありがとう。

99 :
  BGM= The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U
□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」お別れの時間が来てしまいました。
  リクエストを よろしくお願いしますね。
  今日は リクエスト感動しちゃったなあ。ねえ。
  15歳の高校一年、もうビートルズの初期、聴きたくてしょうがない。
  もうこれは中毒ですw。当分治んないと思います。
  それから10歳の(子供も)リクエストくれましたねえ。
  ビートルズの楽器なんかも研究してる っていうから、すっごいですよ。
  それも、なんていうのかなあ、親から押し付けられて ていうんじゃないんだよ。
  それがビートルズの魅力だと思いますけど。
  
  リクエスト採用の方にはイシイの(略)
  
  ビートルズのお話しの方は。
  不良のジョンと 優等生のシンシアのお話しが当分続きます。
  
  小林克也がお送りしました。

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