【中国の】 公主 【お姫様】 (243)
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【中国の】 公主 【お姫様】
- 1 :2006/12/08 〜 最終レス :2013/09/06
- 公主とは、中国で皇帝の娘、内親王を指す。またはその人の称号のこと。古くは化粧領として拝領した土地の地名を
取って「○○公主」と呼んだ(例:太平公主、安楽公主等)が、明代清代の称号は、多くが雅称で、これに嵌めることはで
きない。
古くは皇帝の長女を元公主と呼んだ(例:魯元公主(漢高祖劉邦の長女))。唐代宋代以後、皇帝の姉妹は長公主、
皇帝の伯叔母や数代前の公主は大長公主(例:秦魯国賢穆明懿大長公主)と呼んで皇帝の娘と区別し、受けた待遇
も公主より上だった。清代になって、公主にも階級が分けられ、生母が皇后か妃嬪かで固倫・和碩の別がついた。
また、宋代では徽宗によって、ごく短い一時期、公主の称号を廃し、帝姫の称号を用いた(例:嘉徳帝姫)。周王朝風
の呼び方だという。
臣下が公主を娶る(中国や朝鮮では同姓不婚に則って、公主の結婚相手は臣下に限られて当然)ことを「尚公主」とい
い、その夫は?馬(清朝には額?)と称呼した。
公主という称号は、本来は、天子の女の婚儀を三公が主宰したことに由来する。
- 2 :
- 初出は魯元公主でOK?
- 3 :
- 平陽公主が一番
- 4 :
- とりあえず、中国史上の十大公主を選んでみようか。
まず太平公主は当確。
- 5 :
- 漢代からだと
恵帝の姉で皇后の母である魯元公主
景帝の姉で館陶公主
武帝の姉で大将軍衛青の妻の平陽公主
光武帝の姉で「糟糠の妻」で有名な湖陽公主
が有名だな。
- 6 :
- 平陽公主が有名なのが2人いるよね。
漢朝と唐朝に。
- 7 :
- 空気読まんが。
最後の公主栄安、栄寿公主ははずせまい。
特に栄安公主は同治帝の異母姉で、姉弟仲がよかった為に同治帝の死の際、夢の中に父帝が現れ
黄泉の国への供を命じられた(ほぼ同時に死んだ)とか
- 8 :
- 泣ける話だ(TT)
- 9 :
- 可哀想と言えば、異民族に嫁がされた公主たち。
- 10 :
- そういうのは「公主」とは言っても皇帝の娘であることは少ない。
臣下の娘とか皇族の中でも比較的落ちぶれたあたりの娘を持ってきてたらしい。
清朝ではモンゴルの王侯に皇女が嫁ぐことが多かったけど。
いわゆる「和蛮公主」とは状況が違うし。
- 11 :
- でも、靖康の変で、徽宗の帝姫たちは根こそぎ連れて行かれて、
奴隷にされちゃったねえ。
- 12 :
- やっぱり漢代唐代の公主は存在感があるけど、
宋代明代清代となると、公主はいまいち存在感がないな。
- 13 :
- 唐は女が出しゃばった時代だからね
- 14 :
- 嫁に欲しい公主
楽昌公主
- 15 :
- 公主は、都のおとなしそうな貴族を選んで嫁がせたみたいだけど、
嫁がせられる側は、内心結構嫌がる場合が多かったみたいだね。
何しろ皇帝の娘だから、男遊びとかされても、逆らえないわけだし。
メリットもあるけど、デメリットも大きかった。
- 16 :
- 「馬付」馬って大変なんだね…
- 17 :
- 皇帝陛下が舅なわけだからね。
皇子はまだ謀反の疑いをかけられたりすることもあるし、
公主はある意味一番気楽な身分かもね。
時代にもよるけど。
- 18 :
- 中国人と喋ってた時、黒田氏のことを「天皇的附馬」て言ったら通じたよ。
- 19 :
- 吐蕃に嫁がされた唐朝文成公主
- 20 :
- 公主 → 郡主 → 県主
県主クラスだったら、ちょっとした貴族のお嬢様ぐらいの扱いかな。
- 21 :
- 王朝の後半になったら、県主クラスはごろごろいたと思う。
- 22 :
- >>15
でも、何か罪を犯した時でも、公主の夫ということで、
罪を減じられることがあるからね。
- 23 :
- 歴史上唯一身売りされた公主、西晋の臨海公主
- 24 :
- 亡国の公主ってのは、結構みんな悲惨だね。
- 25 :
- 北宋って中央集権が完成して貴族階層が無い時代だったけど、
この時代の公主って、主にどんな人と結婚してたんですか?
やはりシダイフ?
- 26 :
- 伝統的な意味での貴族はなくなったとは言っても、やっぱり代々高官を輩出している家とか、
建国の功臣の子孫とかで朝廷から封爵を受けている、貴族的な存在はあったからね。
靖康の変で金軍に連れ去られた徽宗の帝姫の結婚相手の付馬なんか見ると、
やっぱり大臣の子息なんかが多いみたい。
- 27 :
- 五代以降貴族は消えたといっても、南宋に入ったら微妙に復活してるからな。
韓侘冑(韓gの孫)とか趙汝愚(皇族だけど)とか。秦檜や賈似道や史弥遠
みたいな長期独裁型の宰相もウジャウジャいるし、南宋は北宋に比べて、
何だか先祖帰りしてるような気がする。岳飛や張浚の軍閥とかもそうだけど。
- 28 :
- まあ、貴族的な存在は、どこの時代、どこの地域でもあるからね。
完全に絶やすことはできないだろう。
- 29 :
- 中国では、内親王という言い方はするのかな?
- 30 :
- 百度で検索しても、日本の皇室関係の記述ばかり出てくるから、
中国では内親王という表現は使わないようだね。
親王は使うけど。
- 31 :
- >>22
宋の蔡京の何番目の息子なんか、蔡氏一族が流刑に処せられた時も、
徽宗の公主を娶っていたから罪を免ぜられたね。
直後に靖康の変が起こって、妻の公主ともども北方へ連行されて、
奴隷にされちゃったけど。
- 32 :
- 長平公主・・・
- 33 :
- >>20
宋の徽宗が公主を帝姫に改称した時は、
郡主は宗姫、県主は族姫とされた。
- 34 :
- >>15
隋の文帝のある公主が、臣下に降嫁することになった時、
嫁ぎ先の家では、どんなわがまま公主が嫁いでくるかと戦々恐々としていたけど、
意外に慎ましやかでまじめな公主だったから、ほっとしたとか。
- 35 :
- 蘭陵公主(572〜604)
隋文帝楊堅の五女で字は阿五。美しく聡明で読書を好んだため、文帝は五人いた娘たちの中でも彼女を最も可愛
がった。また彼女自身も歴史上の列女や賢婦に憧れるようになり、母の独狐皇后も常々婦道を教えたために彼女は
善良な性格を養うこととなる。彼女が年頃になると、文帝は掌中の珠である彼女に良い夫をと考え、司徒の王諠の息
子である王奉孝に嫁がせた。
しかし王奉孝は、数年も経たないうちに亡くなってしまう。僅か十代で寡婦となり、更に舅が不敬罪で処刑されたた
め、彼女は再び宮中に戻ることになる。
年若く寡婦となった娘のために文帝は再婚相手を探した。候補として当時晋王だった楊広(後の煬帝)の推していた
蕭?(晋王妃蕭氏の弟)と、太子親衛の柳述の二人が挙がったが、結局文帝は柳述に再婚させた。
「公主が降嫁する」ということで戦々恐々としていた(当時文帝の公主は驕慢だという噂があった)柳家の人々は、蘭
陵公主の慎み深い姿を見て、日をおかずに蘭陵公主を尊敬するようになっていった。夫となった柳述も公主の態度や
人柄に好意を抱き、また公主自身も柳述を敬愛するようになり、その仲の良さや柳家の繁栄は都中の羨望の的とな
った。
この再婚に不満をもっていた楊広は、帝位に就くと柳述をわざと辺境へ流し、公主と無理やり別れさせ、別のところ
へ嫁がせようとした。しかし彼女は従わず、公主称号の返上と共に柳述のところへ行くことを願い出たが、逆に楊広
の怒りを買い認められなかった。この結末に打ちのめされた公主は結局失意のまま亡くなった。
彼女の葬儀に関しても楊広は冷淡に扱い、その冷酷さが朝野の者達の同情を誘ったという。
- 36 :
- 太平公主
何だか熟年セレブマダムって感じ
- 37 :
- 太平公主にはテンテンみたいにちびっ子道士の格好をした
幼い日もあったのさ。
- 38 :
- 広平公主
唐の玄宗の娘。程昌裔に降嫁していた。
この夫婦が騎馬で外出したとき、楊氏五宅(楊国忠を除く楊貴妃の一族五人)
の行列と出会い、その従者と諍いを起こした。
このとき楊家の奴隷が鞭を振るい、その鞭が公主の衣に当たって落馬させた。
奴隷はさらに落馬した広平公主に鞭を振るおうとしたため、夫が庇って鞭を受けた。
公主は参内して泣いて玄宗にこれを訴え、玄宗は奴隷を捕え杖殺した。
しかし、玄宗は楊氏からの抗議を受けて、翌日になって程昌裔を解任し、
朝廷に参内出来ないようにした。
- 39 :
- この時期の玄宗は、本当に情けなくなっているな。
若い頃の切れ者っぷりが嘘みたい。
- 40 :
- 祖母さんの武則天も晩年はひどかったそうだから、
この一族はそういう血筋なのかもね
- 41 :
- 同じく武則天の孫の安楽公主なんかも相当じゃじゃ馬そう
- 42 :
- 安楽公主、化粧をしている最中に首を刎ねられたって本当のこと?
- 43 :
- 本当らしい。母韋后と謀って父帝を毒殺したが
後の玄宗らによって討たれた。
払暁、鏡に向かって眉を画いていた所だったので、身をかわすことも出来ず
首を落とされたそうな。
- 44 :
- お姫様といえば我侭がチャームポイントといえる
しかし、それはドラマや漫画の世界
リアルお姫様の我侭には人死がセットで付いてくる
- 45 :
- 夫の方は、本気で夫婦喧嘩できないな。
舅が怖い。
- 46 :
- 郭子儀の息子は、公主相手に本気で夫婦喧嘩したけどな。
- 47 :
- その後、公主が訴えに言った時の、皇帝の答えが面白い。
- 48 :
- さらにその後の岳父の反応が面白い
- 49 :
- 皇帝が岳父だろ
- 50 :
- そのおもしろい答えを教えてよ
- 51 :
- これ?
郭曖嘗與昇平公主爭言,〔永泰元年,下嫁郭曖,事見上卷。〕
曖曰:「汝倚乃父為天子邪﹖我父薄天子不為!」公主恚,奔車奏之。
上曰:「此非汝所知。彼誠如是,使彼欲為天子,天下豈汝家所有邪!」
慰諭令歸。子儀聞之,囚曖,入待罪。上曰:「鄙諺有之:
〔史炤曰:鄙諺,俚俗所傳之言也。〕『不癡不聾,不作家翁。』
兒女子閨房之言,何足聽也!」子儀歸,杖曖數十。
- 52 :
- 結局、郭子儀の息子とその妻となった公主は、
仲直りできたんだろうか。
- 53 :
- 旦那→実父に戸板で殴られる
嫁→実父に婿の言うとおりだと怒られる
まぁ仲直りできたんじゃね?
- 54 :
- 喧嘩するほど仲がいいって言うからな。
何だか明るい雰囲気そうな夫婦喧嘩だし。
一歩間違ったら、謀反で死罪だけどw
- 55 :
- 申し訳ないが、漏れみたいなアホのために、どういうことをした人かも
書いていただけませんか
唐の時代の平陽公主や、太平公主、文成公主程度なら知ってますが
- 56 :
- 郭子儀は、中国史上屈指の名将と言われ、安史の乱を平定するなど、唐の国難を何度も救った名臣。
その郭子儀の息子に郭曖という者があり、皇帝である代宗の娘昇平公主を妻としていた。
ある時、二人は夫婦喧嘩をし、その際に郭曖が、
「父親が天子だからと威張るな。俺の父親はいつでも天子になろうと思えばなれたが、天子になど頼まれてもならない」
と言ったことに昇平公主は怒って、皇宮へ行って父親である代宗にそのことを訴えた。
すると、代宗は、
「郭曖の言っている通りなんだぞ」
と逆に叱って、昇平公主を家に帰した。
郭子儀は後でこのことを知り、息子を連れて代宗を処罰するように願い出たが、代宗は、
「『痴ならず聾ならざれば、家翁とならず』と言うではないか。夫婦喧嘩などまともに取り合う必要はない」と言って咎めなかった。
代宗の心中には、唐が復興することができたのも郭子儀のおかげだという意識があったのだろう。
- 57 :
- 唐代の公主は自己主張が強そうだね。
女性が全般的に強かった時代だし。
- 58 :
- 宋徽宗の公主、柔福帝姫
- 59 :
- 湖陽公主
後漢光武帝の姉、名前は劉黄。
彼女は未亡人となり、再婚相手を探していたが、大司空の宋弘に思いを寄せていた。
それを知った光武帝は姉を屏風の後ろに座らせ、宋弘に「諺に言う、富貴になれば友を替え、
貴くなれば妻を替える、と。これは人情か?」と問うた。
宋弘は「貧しい時の友人を忘れてはいけません、糟糠の妻を追い出すことは出来ません」と答えた。
光武帝は屏風に向かって「事、成らず」といって諦めさせた。
またあるとき、湖陽公主の使用人が殺人を犯したが、公主はこれを屋敷にかくまったので逮捕できなかった。
時の洛陽の令であった董宣は、公主が外出する時その男が馬車に陪乗をするのを知って、それを待ち受けて、
犯人を馬車から引きずりおろしてその場で処刑した。
公主は光武帝に訴え、帝は董宣を杖殺しようとしたが、董宣が「殺人を許して、
どうやって天下を治めるのですか。刑を受けるまでも無く自分は自殺しましょう」と言って、
柱に頭をぶつけ、血を流した。帝は驚いて左右に命じてこれを取り押さえさせ、公主に謝罪するよう命じた。
しかし董宣は叩頭しようとせず、力ずくで頭を下げさせようと押さえつけたが、両手を床に突っ張って耐えた。
光武帝は「頸の強いやつだ、下がれ!!」と命じたが、彼に銭三十万を賜った。
- 60 :
- その逸話だけ見ると、湖陽公主って相当わがままやっていそうな感じだな。
- 61 :
- >>60
董宣が頭を下げないのをみて、湖陽公主は光武帝に
「文淑(光武帝の字)は民間人だったころは逃亡者を匿ったりして役人を恐れなかった、
今や天子なのに小役人に頭を下げさせることも出来ないの?」と皮肉ったが、光武帝は
「天子と民間人では立場が違います」と答えた。
思うに湖陽公主は、弟が皇帝になった事で公主となったが、自分の立場を理解せず地方豪族だった頃の
ままの考え方で行動していたのではないだろうか?
弟とはいえ皇帝を字で呼んでるし。
- 62 :
- 太平公主是最棒的
大明宮詞
- 63 :
- 太平公主は妖艶マダムってイメージだな。
- 64 :
- 宋代以降になると公主の存在感があまりなくなっているような気がする。
逆に唐代の公主が目立ちすぎたのかも知れないけど。
- 65 :
- 短命だが、東郷公主。
成長すれば、麗しいお顔立ちになっていたこと間違いないだろう。なんせ、あの甄氏の娘だからな。
- 66 :
- >>10
安史の乱鎮圧に手を貸してもらう見返りにウイグルの可汗に嫁がされた寧国公主は、
唐の粛宗の実の娘だったと思う。
- 67 :
- 和蛮公主って、文成公主をはじめ、
郡主を養女を公主として嫁がせた例の方が多いぐらいらしいんだけど、
そもそも政略結婚というのは、どこの国であれ能力がないと勤まらない。
一国の王妃としての政治的手腕以外にも
嫁ぎ先と母国との間の交渉を取り持ったり、
母国の文化などを伝えて影響を与えたり、
嫁ぎ先の情報を実家へ流したり、夫の国王を裏から上手に操って、
母国に都合のいい政策をとったり、実家にもしものことがあったら援助を
してくれるようにしむける等、かなりの外交能力が要求される。
だから、和蛮公主に養女が多かったのは、
皇帝としては、実娘を異国に行かせるのは不憫というのもあったろうけど
能力の問題があった、と書いてある本を読んだ記憶あり。
政略結婚って、女性には気の毒なことではあったんだろうけど、
同時にやりがいのある仕事でもあった、って気がするなあ。
- 68 :
- ×養女を ○養女にして
- 69 :
- 陳先生なんかはガチガチの儒教社会の更に閉鎖的な宮廷生活より
自由な騎馬民族の生活の方がどれほど自由で幸せだったことかって
王昭君を指して言ってるね
- 70 :
- 原百代の本でちらっと見たが、唐代に
和蛮公主にされてがっくり来てめそめそしてた郡主だか県主が、
その様子を見た相手側から「そんなに嫌なら来なくてよろしい」
と断られた事があったそうだ。
公主に格上げされたものの、役目を果たせずに終わったこの
公主がどうなったか、その後は不明との事。
- 71 :
- 唐代に契丹に嫁がされたある公主は、
嫁いだ直後に契丹から唐に叛旗を翻し、惨殺されちゃったんだよね。
哀れ……
- 72 :
- 勤めるじゃなくて、務める
だった・・・
- 73 :
- >>66
寧国公主は一年と経たないうちにその可汗が死んじゃって、
危うく殉葬されそうになったけど、何とか唐に帰ることができたね。
- 74 :
- 西晋の臨海公主は西晋崩壊の混乱時に人さらいに捕まって売り飛ばされ、
民家の下女にされて、虐待を受けた。
後に東晋が建てられると、その家から逃亡して朝廷に保護を求め、
公主の身分に復帰した。
臨海公主を虐待した家は朝廷から処罰を受けた。
- 75 :
- 最も美しい公主と、最も醜い公主は誰?
- 76 :
- >>73
嫁いだ直後に死んだその可汗は、結局のところ、
寧国公主と寝たのかな?
- 77 :
- 鉄扇公主しか知らん
- 78 :
- その人は皇帝の娘じゃないじゃん
- 79 :
- 「公主」という言葉は、
「お姫さん」ぐらいの意味で結構乱用されがち。
徽宗が考えた「帝姫」の方が、確かに風雅だな。
- 80 :
- 西晋の恵帝と皇后賈南風の間には四人の娘がいた。長女河東公主、次女臨海公主、三女始平公主
及び四女哀献皇女である。その中で、臨海公主がたどった運命が最も数奇であった。
臨海公主は元々は清河公主に封じられていた。永嘉の乱によって洛陽が陥落、西晋が滅亡すると、多
くの皇族が都から逃げ延び、流亡を余儀なくされた。
そんな中、清河公主は避難している最中に、家族とはぐれてしまう。遭難した彼女を見つけ出したのは、
一人の農夫だった。相手が高貴な公主であることなど知る由もなかった農夫は、あろうことか呉興県の銭
温という者に奴婢として売り飛ばしてしまう。
銭温には一人の娘がいて、幼い頃から甘やかされて育ったために、わがままで、特に下男や侍女たち
に対して横暴に振る舞っていた。銭温は、清河公主を買うと、愛娘に仕える侍女にした。
銭温の娘は、清河公主に対して冷酷で、少しでも気に入らないことがあれば、鞭を持ち出して打ったり、
何日も食事を与えないなどの激しい虐待を加えた。
清河公主は助けを求めることもできず、ただひたすら虐待に耐えるしかなかった。
- 81 :
- その頃、江南へ逃れた元帝が東晋を建て、国を復興させた。
そのことを伝え聞いた清河公主は一縷の希望を見い出し、銭温の娘に命じられて買い物をしに外出した
際、隙を見て逃亡、多くの苦労を重ねて遠く江南の建業までたどり着き、自分が公主の身分であると名乗
り出た。
対応に当たった東晋の役人は、最初、清河公主の身なりがあまりにみすぼらしいので、話を信じなかっ
た。ただ、彼女が必死に食い下がったために、渋々元帝に知らせた。
元帝に面会した清河公主は、涙を流しながら、自分が味わった様々な苦難を話した。元帝は彼女の身に
起きた不幸に感嘆し、公主を虐待した銭温とその娘に激怒した。
元帝の命で銭温とその娘は逮捕連行され、死罪に処された。
ほどなく、元帝は清河公主を改めて臨海公主に封じ、宗正曹統に嫁がせた。
- 82 :
- なんで妹の昭仁公主は斬られて死んだのに、
長平公主はケガだけで済んだんだろ?
- 83 :
- 体の大きさの差とか、年齢による体力の差とか、
あと父親のお気に入りだったらしいから、さすがに手元が狂ったとか。
- 84 :
- 愛娘を斬るとなると、さすがに手に力が入らないわな。
- 85 :
- 始皇帝の息子達はみんな殺されたけど、
娘達はどうなったんだろう?
- 86 :
- 始皇帝の子は男子25人、女子11人
うち一男一女が夭折、残りは二世皇帝以外全員殺されたか自害。
娘10人も兄弟達と共に杜県で刑死。
何年か前に、始皇帝の子女が殺されたと言われる土地で
大量の人骨が出土したってニュースがあったと思う。
- 87 :
- 胡亥が即位した後、最初に行ったことは、趙高の勧めによって競争相手となり得る十二人の兄の首を刎ねて
晒すことだった。そして、姉妹である十人の公主を杜県の監獄に入れ、死ぬまで鞭打って殺した挙句、服を剥い
で裸にし、磔にして辱めた。
- 88 :
- まあ、Rのは仕方ないとしても、やり方があったろうになあ
- 89 :
- ひどいな皆殺しか。
大量の人骨ってことは嫁ぎ先の一族も殺されたんだろうな。
- 90 :
- >>35
公主なのに字が阿五って、適当なのか可愛がられたのかわからんなw
逸話からすると後者かな
ところで漢代の竇(?)玄が妻を捨てて再婚した公主の名前って伝わってるの?
- 91 :
- 中国も女性の名前は適当な場合が多いし、
そもそも公主でも大半が名前自体伝わっていないからねえ。
- 92 :
- 日本の「捨」みたいに大事な子にはわざと変な名前で呼ぶって習慣もあった。
男児を女子の名前で読んだり。
阿五って「五ちゃん」みたいな感じでそれほど悪くないでしょ。五女だったのかも。
唐の高宗の幼名は雉奴、その妹は牝の犀って意味の兕児(ジジ)って名前だったらしい。
- 93 :
- 紅楼夢で簡単に侍女の名前を変えたりしているから、
女性の名前はそんなに重要性がなかったのかもね。
- 94 :
- 「大地」でも、子供の名前は、一、二、三じゃなかったか?
塾に行くようになってから、塾の教師に名前をつけてもらう
- 95 :
- >>94
あれは、親(主人公)がそもそも、自分の名前も書けるかどうかという
貧農だからね。
皇帝の娘と同列に論じるのはどうかと。
- 96 :
- 日本と同じように「幼名(乳名)」がある。
子供の頃は兄弟(父方の従兄弟姉妹まで含めて)順に番号とか、
生まれた干支にちなんだ名前とか、あだ名に近いような感じ。
塾に行くようになって名乗るのが「学名」で大人の名前。
唐代からこうだったかどうかは知らん。
- 97 :
- たしかに阿瞞ちゃんとか阿斗ちゃんとか呼んでたな
- 98 :
- >>97
どっちも知識人階級の跡取り息子だし、そういう連中でも幼名がそういう適当っぷり
なんだからやっぱみんな幼名は適当なんだろうな。
阿瞞とか悪い意味の漢字をわざと使って早死にしないような願いを込めてたのか、
そもそも漢字なんかなくてマンちゃんって呼んでただけなのかわからん(幼名を
阿瞞と書き残してるのは曹操を貶める内容の本なので、「マンちゃんってみんなは
呼んでましたね」とかいう証言を聞いてそれを漢字にあてる時に嫌な意味の漢字を
当てはめた可能性がある)が、後者だったらホントに適当な話なわけだし。
阿斗だって「北斗七星を飲む夢を見たので…」とか言ってるけど、たんに「トちゃん」
ってみんなが適当に呼んでただけなのに皇帝の幼名だからっていい意味の字を後
で当てただけの可能性がある。
- 99 :
- >漢字なんかなくてマンちゃんって
ありえない。そもそもあの国には日本と違って漢字以外の文字ないじゃん。
マンちゃんて呼ぶにもそれなりの意味がなきゃ、マンの音もドゥーの音もどうやって選ぶ?
名前にはある種の魔力があるし、かの国の人は文字にこめられた意味も重んじてる。
単に口からでた音でつけるわけじゃないよ。
- 100 :
- >>97
つ 阿蒙ちゃん
- 101 :
- >>99
阿Q正伝ってあるだろ。
あれは「アーコイ(コイちゃん)」と呼ばれていたおっさんの話だが、みんなコイちゃんコイちゃん
と呼ぶものの、漢字で書いたらなんなのかさっぱりわからん(誰も知らない)ので、とりあえず
仮に阿Qと表記する、という都合で阿Qなんだ。
アルファベットが入ってくる前の時代にそういう男の名が記録されることがあれば、おそらくは
阿桂とか阿貴とかなんとかそれっぽい字を無理矢理適当に後づけしたことだろう。
もちろん彼は乞食同然の男だし、字の読み書きもできないから仕方ないんだが、冷静に考えた
ら幼名を文字に書く機会ってないのよな。
役所に提出するわきゃないし、「息子が産まれました」って手紙書くにしても幼名を知らせたりは
しないだろうし。
幼稚園の時の友達の名前とか思い出そうとしても「あっくん」が「あつし」だったのか「あきひろ」
だったのかわからんとか、あつしだったとしても淳か篤か敦史か、さっぱりわからないのと同じ
でさ。上履きに名前書いたり名札つけたりしないしな、昔の幼児は。
だから意味がない、というか親が何らかの意味をつけたとしても乳母をはじめ周囲の人は誰も
意味をわかってない、どんな漢字かわからない、ということは普通にあり得ると思う。
そしてそれならもう適当でいいじゃんとなってきて、どんどん適当感溢れる幼名がスタンダード
になってくんじゃないかとかね。
- 102 :
- 何ゆえ阿QがQなのか解ってないね
- 103 :
- そもそも、中国の最下層を描いた阿Qと、
時代は違うにしても、仮にも朝廷で官位を持ってた曹家や
群雄とはいえそれなりに勢力持ってて、読書人も陣営にいた劉備の息子と
なんで一緒くたになるんだ。
それに、ここは公主(皇帝の娘)スレのはずだけど。
皇帝の娘の周囲が全員、目に一丁字もないとでも?
- 104 :
- 宋の徽宗の公主たちの名簿があって、
そこは風流皇帝だから、それなりに洒落た感じの名前をつけているけど、
男子たちに比べると、ちょっといい加減っぽい名づけ方だな。
- 105 :
- >>104
kwsk
- 106 :
- http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3?ukey=1506951186&path=/21.4.7.2.8.5.8783p
これで見れるかな?
- 107 :
- >>106
それって封号じゃ?
「「 國 號 易 以 美 名」って書いてあるじゃん。
- 108 :
- 男の場合 ○○(親)王×× で○○は封号、××の方が名前
同じように公主も○○公主(帝姫)というのは封号であって本名ではない。
例えば唐代の永泰公主、永泰は封号で名は仙宦B
もっとも公主の場合は名前が残ってるほうが珍しい。
- 109 :
- >>105
〜帝姫と言うのとは別に、
何か、靖康の変で金軍に連行された時に照らし合わせた名簿みたいなものがあるらしくて、
それによると趙玉盤とか、趙金奴とか、趙福金、趙圓珠、趙多富、趙串珠、
趙瑚児、趙仙郎、趙香雲といった名前だったらしい。
男子は全員木偏だね。
もっとも正史とかじゃないから、どこまで信憑性があるのか分からないけど。
- 110 :
- 靖康稗史箋証
はじめて知った
- 111 :
- それによると2歳とか当歳の幼児(徽宗の孫)まで連れてかれた事になってるね。
皇女達は洗衣院に入れられたって事になってる。
皇女様たちが洗濯場で何が出来るわけでもないだろうし、苦労して死んでいったのだろう。
- 112 :
- 洗衣院が洗濯をする場所というのは名目上のことで、
実質的には、金の貴族たちが利用する妓楼、だったらしいよ。
金の皇族の妾にされた帝姫もいるみたい。
靖康の変の時の金軍は女狩りにも熱心で、開封にいた貴婦人は根こそぎ連行されたとか。
- 113 :
- >>109
阿五タンと違ってみんなおめでたそうな名前なのに…
漢から時代が下るとさすがに字面で女性とわかる名前になるな。
- 114 :
- >>113
やっぱりいい名前だと魔が入りやすいんだよ。
- 115 :
- >>112
靖康稗史によれば、
靖康の変の時に金軍がやらかしたことは、それ何てエロゲ?状態だからなあ。
- 116 :
- 柔福帝姫が一番有名だろう。
偽者騒動があったし。
- 117 :
- 姉妹の中で茂徳帝姫が一番美人だったらしい。
ちなみに蔡京の息子に嫁いでいた。
- 118 :
- >>102
Qing(清)の頭文字で、当時の中国社会を代表させてるとか?
- 119 :
- ヒント髪型
- 120 :
- 中国に公主嶺というところがあるよね。
- 121 :
- 北京には公主墳という所もあるよ
- 122 :
- 公主って、お姫様ぐらいの感覚で結構使う言葉になっているね。
厳密には皇帝の娘だけだけど。
- 123 :
- 郡主や県主もいるからね
- 124 :
- 白雪姫は中国語の絵本では「白雪公主」
かぐや姫は「竹公主」だったなあ。
シンデレラは「灰姑娘」だった。
- 125 :
- 明治時代に日本で翻訳されたシンデレラ、
シンデレラの名前は“おすす”と意訳されていたらしいよw
- 126 :
- >>124
何だってかぐや姫が公主なんだろ?
原典ちゃんと読んでないけど竹取の翁ってエラい人だっけ。
白雪公主と灰姑娘は納得。つか白雪公主は字面もきれいで良いなw
- 127 :
- おやゆび姫も「拇指公主」だけど、あれも一般人の娘だし
「姫」の訳語としての「公主」じゃね
実際には「小姐」ぐらいになるのかね。
日本語(古語)のヒメも色々な意味合いがあって難しいよ。
古代の皇女(ヒメミコ)とか臣籍降下した皇女の○姫以外、
後々になると大名や貴族の娘には使っても天皇の娘は姫じゃなくて
内親王になるね。
- 128 :
- >>126
白雪公主って、中国語でもそのままありそうな言葉だな。
- 129 :
- 平陽公主最強
- 130 :
- 南宋の最後の公主たちどうなったんだろう
- 131 :
- >>130
度宗に娘はいなかったはずだよ。
- 132 :
- ゼルダの伝説のハイラル国が海拉爾と訳されて
いるかどうかを確かめるために検索して中国語
のサイトを見ていたんだけど。
ゼルダ姫が公主となっていたのを見て、
主(あるじ)ではないだろーと思ってたけど
そういう意味だったのか
- 133 :
- >>131
その時の皇帝の娘じゃなくても、姉妹とか叔母とかでいたんじゃない?
- 134 :
- 公主について興味深いのは、やっぱり称号のつけ方だな。
地名が多いようだけど。
- 135 :
- 公主は立場が強くて再婚も自由な感じだけど、
宋代以降は基本的に再嫁することはなくなったみたいだね。
- 136 :
- 儒教の道徳観が完成されたのが宋代だからかね。
- 137 :
- 纏足が広まり始めたのも宋代からだからね。
- 138 :
- 金 蓮 歩
- 139 :
- >>127
元々は、お嬢様を意味するはずだった小姐も、
近代以降は水商売の女たちが乱用し始めたせいで、
かなり値打ちが落ちたらしいw
- 140 :
- 三陪小姐
- 141 :
- 捕虜になった公主とかには三陪小姐に落ちぶれた者もいるけどな。
- 142 :
- 太平公主が最強
- 143 :
- 日本でも姫っていうと今じゃネカマが真っ先に浮かぶし
- 144 :
- 称号のつけ方に、
〜国公主という場合はいつの時代からなのかな?
- 145 :
- 清の格格という呼び方は、清代以降での使用?
それともそれより前の非漢族国家では使われていた?
- 146 :
- 満州族の呼称じゃないの?
- 147 :
- >>145
満州語だから、清以降だと思う。
- 148 :
- 女真の金代にはそういう語があったのか?って話なんじゃね
- 149 :
- このスレ見てて金郷公主を思い出した
そんなに目立ってた人じゃないが
- 150 :
- >>115
靖康稗史は、中国史ばかりか世界史上でも屈指の、
思わず○○○が立っちゃいそうな歴史逸話。
- 151 :
- 皇帝の従姉妹も公主?
- 152 :
- その人の父親が皇帝だったらね
祖父が皇帝だったら郡主
和親政策とか他の事情で公主に封じられることもあったけど。
- 153 :
- 難しい。とにかくお父さんが皇帝じゃないと公主は名乗れないのね。
- 154 :
- >>1でも出てたと思うが、
皇帝の娘が公主、皇帝の姉妹で父も皇帝だったのが長公主
皇帝の伯叔母で父親が皇帝だったら大長公主
日本のアホな小説家が武帝の伯母である館陶大長公主の称号を
ものすごい権力を持った人だから「大長公主」って呼ばれたって言ってたけど、
別にしょぼくれてたいした権力の無い人でも皇帝の伯叔母なら「大長公主」なわけで。
まあ同治帝の姉みたいに、皇帝の一人娘で「大公主」と呼ばれた例もあるけどね。
- 155 :
- 清代の公主とか皇族女性の称号が一番ややこしいね。
- 156 :
- 格格に固倫公主、和碩公主か。
ドラマの「康煕王朝」では公主の他に皇格格って呼び方してたけど、
どう違いがあるんだろうか
- 157 :
- 明朝の公主が一番目立たない気がする。
思い浮かぶのは崇禎帝に斬られた娘ぐらいだし。
- 158 :
- 美人で有名な公主様って居ますか?
- 159 :
- 母親は言うまでも無く美人だろうし、父方にも代々美女の血が入ってるからな。
よっぽど不幸な偶然が重ならない限り、公主様って普通に美人揃いなんでね?
- 160 :
- >>159
その論理が成立するのなら、日本の皇族は・・・
- 161 :
- >>158
宋の徽宗の娘の中では茂徳帝姫が一番の美人だったとか。
隋に滅ぼされた陳の公主、楽昌公主や宣華夫人も相当な美人だったんじゃないかな。
>>160
日本の皇室の場合は、美醜云々よりも血筋だと思う。
- 162 :
- >>160
美醜の概念が変わっただけだ!源氏物語絵巻の顔を現代に伝えているんだ!
- 163 :
- 漢の劉氏、唐の李氏、宋の趙氏、明の朱氏、清の愛新覚羅氏など、
歴代の中国の皇帝一族、どの家系が一番の美形の家系だっただろうか?
- 164 :
- 呂后の孫で恵帝の皇后になった張氏は、
絶世の美少女だった
母親の魯元公主はおそらく若いころの呂后に似て美人で、
父親の張敖も美男子だったらしく、彼女は美男美女から生まれたスーパー美少女だった
叔父でもあった夫の恵帝は彼女が13歳のとき死んだが、最後に張皇后に
「おまえのような絶代無二の美人と夫婦になりながら男女の交わりを遂げなかったのが無念だ」
といったという
- 165 :
- >>161
遅レス無礼でしたが、レス有難う御座いました。
宣華夫人(寧遠公主)は美人で有名かも知れないですね。
煬帝が彼女に横恋慕と言うか、略奪愛を成就させようとした事が切っ掛けで、
彼の性格の仮面が文帝にばれて、親殺しにまで発展してしまったのだから。
- 166 :
- 中国の歴史上で美女とされる者は、やっぱり、
公主よりも后妃の方に多いんだよね。
- 167 :
- そりゃ后妃になった人たちは、美貌で名高いからこそ皇帝の寵愛を受けて名を残こした訳だし。
公主様は、まあ側近や周りからは「お可愛らしい」「お美しい」って
当たり前に言われてただろうけど、西洋の王女達と違って政略で外国に嫁に
行く事はまずないし、容姿をわざわざ外に喧伝しなくてもよかったわけだから。
- 168 :
- 公主って肥満になることは多くなかったのかな?
飽食な生活を送るわけだし。
- 169 :
- だから当時の人々は肥満体のほうが美しいと教育されていた
漢のころは吹けば折れるような腰の女が好かれたっていうから皇室でも食い物がなかったのかも
- 170 :
- 逆じゃね?
食べ物が溢れているときはデブが多いから、痩せてると美人。
食べ物が乏しいときはガリが多いから、太ってると美人。
- 171 :
- 肥満体が美人と言ったって限度がある。
いくら唐代とかでも、小錦みたいな女を美しいとは感じないだろうし。
今で言えば、かなりふっくらした感じの女性に対するものだっただろう。
- 172 :
- ttp://www.mobaho.com/channel/401/images/536.jpg
このぐらいが最高級の美人の世界だったのかも
- 173 :
- 竜吉公主…ごめん過疎ってるし言ってみたかっただけ
- 174 :
- >>164
ワロタ。( ^ω^ )
お前の脳の中を見てみたい。
- 175 :
- 朝鮮も公主の称号は使っているみたいやね。
- 176 :
- >>175
公主=正妃が産んだ娘
翁主(おうしゅ)=側室が産んだ娘
と使い分けている。
- 177 :
- >>176
じゃあ、男の子の場合も、正室と側室で称号が違うの?
- 178 :
- 男子の王子は〜君という称号で、
そのうちの後継者が世子に定められるんじゃなかったっけ?
- 179 :
- >>178正室は大君、側室は君
- 180 :
- たしか異母兄の太子と密通して
叔父だかに斬殺された公主がいた気がするんだが、
いつの時代の誰だったかさっぱり思い出せないんだ。
知ってる人がいたら教えてくれ。
- 181 :
- 日本の允恭天皇の皇女、軽大郎女が同母兄と通じて最後には心中したって
話もあるが。
- 182 :
- > 異母兄の太子と密通
春秋時代の斉でそんな話がなかったっけ。
斬殺されたかどうかは知らないが。
- 183 :
- 考えてみれば日本は異母兄妹なら正式に結婚できて当たり前なんだよな。
同姓不婚なんて無いしむしろ近親婚は望ましいものだったみたいだし。
中国に比べて女性の地位が高かったのもそれと関係があるのかもしれないな。
- 184 :
- 中国は同姓不婚の原則だけど、姓さえ違えば、
従兄妹同士でも結婚は全然構わなかったみたいだね。
遊牧民の方は近親婚がよくあったみたいだけど。
- 185 :
- >>180
斉の文姜のことかな?
妹だけど、異母か同母かよくわからないし、
当時は「公主」という呼び方はなかったと思うけど。
- 186 :
- 春秋時代のそれも初めの話だし、
どこまで本当か分からない。
- 187 :
- >>184
古代中国の婚姻制度――例え出身地がどれだけ離れていようとも
同姓ならばダメだけど、異姓であれば従兄妹同士でもOK――って、
文化人類学で言う「交差イトコ婚」の最たる例だよね、実は。
- 188 :
- 近親関係になくとも同姓婚禁止の原則はいつ頃にできた習慣なんだろう。
- 189 :
- >>188
魯の昭公が同姓(姫姓)である呉から夫人を娶った。
本当ならこの夫人のことは、実家の姓で「姫氏」とか呼ぶべきなんだけど、
魯も同じく姫姓であるために、これでは魯の公主たちと区別ができない。
そこで、魯ではこの夫人を「呉孟子」と呼んで、どうにか誤魔化していた。
この件について、魯に仕えていた孔子が陳国の高官に面会した際に、
「お宅んとこの殿様、ちょっと礼儀に外れてないですか?」と
問いただされたことが、『論語』の述而編に載っている。
つまり、春秋時代には既に、同姓不婚の大原則みたいなものが
確立していたと見て良さそうだ。
- 190 :
- 春秋時代の諸侯って、姫姓が圧倒的に多いんだし、
政略結婚の時は同姓婚の可能性が高くなるな。
- 191 :
- 広東弁で「太平公主」って胸なし女という意味だ。
- 192 :
- 太平公主はグラマーなイメージがあるな。
唐代だし、実際の行動見ても貫禄ありそうだし、母親はあんなのだし。
- 193 :
- 遼の歴代公主は西夏の皇帝に嫁いでいるけど、
遼でも、西夏に嫁がされる公主は、
中原王朝の和親公主みたいな、
貧乏くじな雰囲気だったんだろうか。
- 194 :
- 異国へ嫁がされるのは本人はいい気分じゃないだろうね。
西夏側にしても、お客さん扱いだろうし。
- 195 :
- 和親公主
- 196 :
- 天成国色姿之公主篇
http://post.baidu.com/f?kz=255413305
- 197 :
- 五代あたりだと、元公主という女性がごろごろしていそう。
- 198 :
- 董卓にRされた公主はさぞ無念であっただろう...
- 199 :
- 西域あたりの小国の場合も公主という言葉は使ったのかな。
- 200 :
- ??
「使ったのかな」なんて疑問が生まれるのが疑問だな。
- 201 :
- ???
- 202 :
- 「姫」は姓以外にもともとどういう意味?
- 203 :
- 漢和辞書引いても、周王朝の姓としての由来と、それ以降の使い方しか乗っていないね。
どうも中国最古の姓で、黄帝の嫡系の子孫が姫氏ということになっているらしい。
- 204 :
- 帝姫の呼称は、靖康の変のおかげで、縁起が悪くなってしまったのかな
- 205 :
- 厳密には皇帝の娘でないと駄目なんだろうけど、
今の中国語では、「お姫さん」ぐらいの感覚で、ばんばん使っているね、公主。
- 206 :
- >>205
日本の「○○王子」と同じじゃないの?なんでもかんでも「王子」!
美人(かも知れない)公主:唐の文成公主
チベットへ政略結婚。ついでに仏教をチベットに持ち込んだ。
チベットの観音様と謳われてる。塑像はかなりの美人だけど、美化しすぎ?
- 207 :
- 他のチベット仏を見てみるといい
みんな同じ顔してるよ。
3年ぐらい前にチャイナエアの機内で文成公主の事を歌ったPVの
製作裏話みたいのを流してたんだけど、あれってドラマの主題歌かなんか?
いろいろ探してるけど見つからない。
- 208 :
- 元々の観音像に似せて作ったんだろうな。
- 209 :
- >>207
なるほど。そういえば、唐の時代の美人って、おデブさんが多いもんなw
「面如満月」、アンパンマンみたいなお顔・・・
- 210 :
- 唐の貴婦人の衣装ってのも、胸を強調している感が強いものだから、
それで胸重視の風潮ができたんじゃないかな。
- 211 :
- 唐の時代の貴族ってのは、鮮卑貴族の流れが強いしね。
馬に跨る貴婦人が普通にいたわけだし。
- 212 :
- >>205
一人っ子政策の弊害で、かの国ではバンバン我が侭なガキんちょが生産されてるが、女の子のことを皮肉を込めて小公主と呼ぶらしい(男の子は小皇帝)。なんつーか、言葉の使用方法が地に墜ちたものだな。
- 213 :
- 言葉の使用方法が堕ちたと言えば、「小姐」も、
昔は本当のお嬢様という意味で使っていたのに、
風俗関係の業界が乱用したせいで、
すっかり嫌らしい意味がついてしまったとかw
- 214 :
- それもある意味歴史の積み重ねと言うものだな
- 215 :
- 川島芳子がドラマになるみたいだね
スポーツ紙あたりでは「清朝の皇女」と紹介されてるけど
実際は郡王の娘だから県主あたりになるのかな
- 216 :
- あげ
- 217 :
- 戦国時代の話だったと思うけど、妹が嫁ぎ先からちょっと帰ってきて兄(王)が美人の妹見てセクロスしちゃうのって誰だっけ?
で、しかも妹を帰さなかったから国際問題になって・・・その後戦争になったかどうか。。
記憶では南の国だったと思うけど。
- 218 :
- 魯王に嫁いだ、晋の王妹だっけ?
名前ド忘れたな…
宮城谷の小説でチラリと書かれていた気がする
- 219 :
- >>217
斉の襄公かと思ったけど、微妙に違うな。
- 220 :
- みんな物知りですね〜
- 221 :
- ちなみに親王の娘は郡主と呼び方ですよ
郡王の娘は県主
- 222 :
- なんだか珍しいスレ
- 223 :
- >公主という称号は、本来は、天子の女の婚儀を三公が主宰したことに由来する。
自分も公主というネーミングが疑問だったんだが、荻生徂徠が政談で、
天子の娘をそのまま諸侯に嫁がせるのは身分が不釣合だから、
天子の一門の諸侯の養女として嫁がせるので「公主」と言うのだ、と書いてた。
これは徳川将軍家の娘が大名に嫁ぐと金が掛かることを問題視する文脈での話だから、
真偽のほどは良く分からんが。
- 224 :
- >>77
何かが違う
- 225 :
- じゃあ玉面公主
- 226 :
- 一番の美女は誰ですか?
- 227 :
- トゥーランドット!
- 228 :
- 契丹に嫁がされて一年ぐらいで殺された静楽公主カワイソス。
まだ10代だったとか。
こういうのってどういう殺され方するの?
公主も覚悟の上だったのかな?
- 229 :
- 靖康の変 洗衣院
- 230 :
- >>228
静楽公主は厳密には玄宗の外孫。
和蕃公主(北方民族に嫁がせる皇族およびその血筋の女性)となるにあたり
公主号を与えられたケース。
だからと言って不憫さが減ることは無いんだな、これが。
>殺され方
普通のあちらでの処刑方だと思う。
願わくば腕利きの処刑人による斬首か
即効性の毒を飲まされてあっさり逝った事と思いたい。
>>229
そら北宋滅亡の楽しいお話ですがなw
それはさておき、
あの事件で生きて祖国へ帰れた公主は1人もいなかったね。
- 231 :
- 北宋公主開通式in洗衣院
. / / /// ./ / /j / // 〃!|| | ||ll| | | ヽヽ ヽ | | |, -──- 、 /
i l l l l ll l /!.| ,! / | /゙!゙"゙"゙"゙ll| | | !?ヾ゙r、,__.l ,. -‐''´ ̄`ーァ'"´ ヽ、/
l !. | | | |l | || li |/| l| ! | l! ! | | |ミミヾ,| .l7lー‐- 、 北宋公主 __/
| | | | |l l. _lki'l |! l! l+-l、_ ,j l/,!.l |三ニ、jイ l l三ヽ | r'´ _
l i l l lヽ, i´ !_i!ヽl l l! __ `メノl !l ! |=、ニ/ ! l/ヽ== 、-‐'"´ ̄ ̄`ヽ、 / 金国人 /
ヽヽ ヽ ヽ,r=ミ ! ,. ==ミ、 /// j l、 }彡r'、\ \ l?、 ̄`丶、 \ / |
,. -─-、ヽヽヽヽ!::::::::: , / ::::::::::: `/// //'∠ !_{,l、 \ヽヽ, | !l ̄`ー-、`ヽ 、 / __ l、
/,r‐,=≧--‐'´__.', ___ /ノ/ //´ヽj \ ̄ ̄二>‐、-!!,_ \ r'´ /ヽ l | l
/rチ'"´ _,ィャヶ'´rt‐\. l'´ ! ///./ / lヽ/'´ ̄ | ヽ, `ヽ、 \‐' } | r ! lノ l
/_,.ィ=彡/ l ! \ ー' / / / // l、 ヽ, \ ヽヽ lノ / 」/ ヽ
l'´ ̄`l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄`l
| | u 金国人 |
| | ヽ / |
| :J | ● ヽ----/ ● |
... | | ヽ / |
. | | ヽ/ |
. | | J |
.. | | |
| \ ト、
ミ \ __ 、| |
(( ミ ミ \ ,.ミ'´ ̄ ̄`` `ヽ、| 力
ミ、 ミ \ i. ゙レ、 勹
| ミ、 ,' J l
L.___|_ l l { γ -─- 、
| l -、 ヽ ,. '´ ヽ
| ! ヽ ヽ ,.' 北宋公主,、 ヽ
./´ ̄`V ,ヽ、 ,' ,' ; ,. ,: ,ハ :, , ヽ
/ 、 | / 、`ー 7! ; : ; /|/.|/ ヽi/! 「
./ i | / ヽ ヽ 〃 入 | ;:「 ーー- -―リj
!. ! / ヽ (`wi| _,. .__ lノ ッ・・・! んぅっ・・・・ ぁ…
`ー‐ゝ、 ' / ヽ___,.-‐'"⌒゙"'''ヽ ゚.:::.: ( .:::/へ
`ー--‐' ,. -‐'"´ ,,),, r―、 ノ.ノ ヽ
力 /"ー─------<二/ ´ヽ、-<r"/,ー、 丿
勹 { 〈 )、 Y `ゝ(_/_/./'
} `ー----------─一--‐'´ ̄´
↓金皇族 ↓金貴族
∧∧ ∧∧
(( (#゚Д゚) )) (# )
(( // 、) 、)∩))∧と ヽ
((〜((≡γ'⌒(((*;(| 〜))
し'`Jし'`ーイ_ノ"(ノ^ヽ)
↑北宋公主
- 232 :
- wikiペディアの、靖康の変 洗衣院 の項目読んで禿しく鬱になった
悲惨な話じゃないか
- 233 :
- >>232
読んだけど1万人以上とか食わせるだけでも無理だろって感じ
漢族側が異民族に対して書いてる資料だから相当盛ってると思われる
- 234 :
- >>233
実際には1000〜3000人くらいじゃないかと。
金の都界隈に着くまでに死んだ連中を含めたらもっといるだろうけれど、
それでも1万人もいないだろう。
- 235 :
- まあ、支那はありもしない南京虐殺をでっちあげるお国柄だからな
南京虐殺の犠牲者数は年々増加していると言うw
- 236 :
- こんなおもしろいスレなのに過疎ってるのはもったいない
ちなみにベタだが太平公主が好きなんだ
それにしても玄宗め、どうせ晩年は腑抜けになるくせに
あんな、あんなやつのせいで、俺の太平タソが…
- 237 :
- >太平公主
姪っ子の安楽公主にも言えることだが
天性の美貌と才気と野心に加えてあの末路があるからこそ
余計後世から見た魅力も増すように思う件
- 238 :
- 長平公主のファンは居ないのか?
- 239 :
- あの謀略的公主たちは俺も好きだな
女の謀っつーと醜くて小さいイメージがあるが
あいつらは軍師的な爽快さがある。
- 240 :
- 唐の初めのころは北族系の血も大分入ってたし
公主が結構出張ってるよね
太祖の平陽公主とか太宗の高陽公主も
- 241 :
- 古代、特に前漢代〜唐代には良くも悪くも個性的で
キャラが立っている公主が結構出て来るけど、
宋代以降は長平様といい柔福たんといい
運命に流されて…というか何と言うか…
積極性が少なくなっている感がある
- 242 :
- 纏足がいかんのやー、と言ってみるテスト(逃げ腰)。
- 243 :2013/09/06
- >>242
朱子学に代表される儒教原理主義の深刻化と蔓延も
纏足の流布と発展に比例している件
というか纏足と悪化した儒教原理主義は常に繋がっている訳で。
清代の満州貴族女性の厚底の靴も
纏足を禁止されていた彼女らの
纏足女性の歩みへの憧れから出来たものだし、
機会があれば幅だけ縮める纏足をしたり、
中には本格的な纏足に手を出す満州女性もいたとか。
最もこれらは当人の意志と希望に基づくのだけど。
これだけだとスレチなので
>唐太祖の平陽公主
彼女は旦那とも特に問題無くやっていた雰囲気だね。
旦那が結構勇将だった、というのもあるかもだけど。
>長平公主のファン
ここにいるぞw
清王朝保護後の人生は父親の影に呪縛されたような感があるね。
もし父親が「長平と婚約者が生き残ったら私たちに囚われず幸せになってくれ」
という類の言葉を残していれば彼女の人生は変わっていたのかもしれないけど。
(皇子を逃がした後に皇后や妃に自害させるという時点で
公主も道連れになる運命なのは言わずもがなだけど)
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