邪馬台国東遷説 その5 (455) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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もし日本の面積が今の10倍だったら (113)
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どうして「愛国」を声高に叫ぶ人は弱者に冷たいのか2 (934)

邪馬台国東遷説 その5


1 :2013/09/30 〜 最終レス :2013/10/22
九州の邪馬台国は東遷して大和朝廷になった。
東遷説の基本は、天照大神=卑弥呼+台与。
したがって東遷の時期は、台与時代のあととなる。
文献的根拠
魏志倭人伝の倭国と記紀の天照大神の類似性
記紀における神武東征の記述
考古学的根拠
古墳時代を境に銅鐸が消滅し、鏡が広く普及する
古墳に代表される階級社会への突然の移行
古墳の棺の副葬品などが弥生時代の九州の棺の内容に酷似。
前スレ 邪馬台国東遷説その4
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1377595601/l50

2 :
最近の調査結果から一番追い詰められてるのが東遷説
どんなに都合のいい解釈をしても、東遷が可能となる時期は年表上で20年くらいの幅しか残ってないw
今後年代調査などで解明されればさらに苦しくなる
それに神武と崇神が別人だったら終了
欠史八代が存在してたらどう足掻いても終了
モモソヒメが系図通りでも終了
箸墓が3世紀半ばだと証明されたら終了
風前の灯火とは東遷説のことである

3 :
自国の支配が及んでない敵国領内の飛び地に首都を瞬間移動した例は世界史史上1つもない
軍事的に絶対にありえない
東遷説を主張するのなら、どういう魔法を使えばこの軍事的にありえないことが可能になるか説明する必要がある

4 :
東遷だの徳島に邪馬台国があっただの、もはやただの素人ヲタの妄想だらけじゃん

5 :
畿内でもさんざ遷都を繰り返してるだろ
京都も東京へ瞬間移動したんだし
東遷といってもその程度

6 :
畿内での遷都は朝廷の支配地域内での移転
京都から東京も同様
しかし、九州邪馬台国が畿内に東遷するのは敵地のど真ん中に首都を移動するもの
今の時代でいうと、ワシントンをテヘランに移転するのと同じ
東京を平壌に移転するのと同じ

7 :
東遷があったとして、その動機はなにかな?
・大陸からの攻撃などの国防上の理由?
・畿内の方が水利がよく食糧生産高が高いなどの経済的理由?
・畿内の方が人工重心に近いなどの政治的理由?

8 :
>>4
遷都かどうかは別にしても、モモソやモモソ母が
淡路島周辺に生活基盤があったのは、文献にも記された事実だよ。

9 :
九州説でさえも東遷はありえんだろうってことで
最近は滅亡説に切り替えてるね

10 :
倭人伝以降の邪馬台国東遷なんて話は無理有りすぎだからな。
仮に王権委譲が合ったとしたら、畿内の邪馬台国に移っただけですよ。

11 :
>>9
さえ?
なんか根本的に勘違いしてるなww
やっぱ近畿説って基本アホだなwww

12 :
日本語が変ですねw

13 :
>>12
チョン無理しなくていいよw

14 :
九州説って結局何処が邪馬台国なんだ?
それすら決めれないでよく他説の悪口ばっか言えたもんだw

15 :

アホw

16 :
近畿説って根本的に頭が悪い。
あちこちバカ丸出し。しかもバカ丸出しがデフォルトだから、いまさらwww
そのうちアホの近畿説は、必死で東征・東遷はあったと言い始める。
賭けてもいいwww

17 :
>>11のやつとか>>16のやつとか哀れとしか言いようがない
人間ここまで落ちるかっていう底辺を晒している
東遷説ってこんなのばっかり

18 :
>>17
それお前のことw

19 :
>>17
あのなアホw
東征も東遷も無いよバカwwww
それで正しいよアホwwww
(勿論オレは九州説な。)
とにかく全然話しが見えてないわけなwww

20 :
もう一度はっきりと言っておく。
近畿説はそのうち血相を変えて東遷・東征はあったと喚き始める。
賭けてもいいwwww

21 :
記紀の筋は、高天原→日向→(神武東征)大和となっている。
天照大神がいたのは高天原。瓊瓊杵尊のいわゆる天孫降臨で日向に降りる。
以下三代は日向で暮らすわけだが、どうして日向が入っているのか。
日向の有名な話として「海幸彦・山幸彦」の物語がある。
あるとき、山幸彦は自分の弓矢と兄の海幸彦の釣り針を交換して漁をする。
しかし、全然、釣れないばかりか、海幸彦の大切な釣り針をなくしてしまう。
山幸彦は、自分の剣をつぶしてたくさんの釣り針を作り、海幸彦に返そうと
するが、海幸彦は元の釣り針を返せと言って聞かない。
海岸で困り果てていると、一人の老人が現れ、籠を作って山幸彦を乗せ、
海に沈める。山幸彦は、海神(綿津見)の宮に行くことになる。このあたりは
浦島太郎の物語に似ている。
海神の宮で海神の娘である豊玉姫と結婚し、楽しく過ごした後、帰ることになる。
そのとき、海神は、潮満玉と潮干玉を山幸彦に渡す。兄が聞かなかったら
潮満玉で溺れさせてやりなさい。後悔して助けを求めてきたら、潮干玉で
助けてあげなさい。
帰ってきたそのようにすると、海幸彦は降参し、未来永劫従うことを誓う。
というような話。山幸彦は、彦火火出見尊、神武天皇の祖父にあたる。

22 :
バカだから近畿説なんか言ってるってのが、とにかく丸バレwwwwwwww
あ〜おもしろwwwwww

23 :
まあ低脳でなけりゃ近畿説は言わないわな。ちょっとでも知能があって、
ちょっとでもまともに考える気のあるやつなら、近畿説のような聞くからに
胡散臭いものは支持する気には普通はなれないからなw
ところでピッタリレス止まっちゃったけどどったの近畿説ちゃん?wwwwwww
さすがに怖くなった?wwwwwww
いつもの様に根拠無しで勝ち誇りたいんだけど、足つくのいやだしね〜www
困ったねぇ〜wwwwwwww
どうしようか?wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

24 :
ジョーカーがとち狂っとる。

25 :
ジョーカー 登場か〜?w

26 :
>>24
>>25
これがレスwwwwwwwwww
もうね、東遷・東征のスレなのに、それには絶対触れたくなくなったそうですwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

27 :
近畿説ちゃん達が今必死で考えていることwwwwwwwww
「どうやったら東遷・東征スレで、東遷・東征に触れずに、かつ根拠無しに、勝ち誇れるだろう?」
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

28 :
糞スレに似合いの奴が常駐してるなw

29 :
>>28

ほら北wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

30 :
>>28
ねえ、東遷または東征はあったのなかったの?どっち?

31 :
まあ近畿説はもう死亡が確定してるから、このスレでいじめてもしかたないけどね。
もう結論変わらんしねw
東征も東遷もなかったよ。
んであんたら近畿説はなんか深刻な勘違いしてるけど、死んだのは九州説では無くて近畿説だよwww

32 :
どったの近畿説ちゃんwww
エラく静かだねwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

33 :
どったのよwwww
いつもの様に、低脳さらけ出して根拠無しで勝ち誇らないと、バカの近畿説ちゃんらしくないじゃんwwwwwwwwww

34 :
バカの近畿説ちゃん達に言っとくけど、お前らバカだから近畿説なんて信じるんだぜ。
早く自分が頭が悪いことを自覚したほうが自分のためだぜ。
バカが賢いつもりでいる限り永遠にお前らみたいにただのバカのままだぜ。
バカに何か言ったところで当然無駄だがねw

35 :
バカは自分をバカだとは思わないものだよ。自分にもいささかバカな部分が有
ると考えていれば理由も言わず他人を誹謗するなんてことはしない。近畿説の
人で九州説を非難しながら理由がまったく論証できない奴も、自分がバカだと
は永遠に気づかないだろう。

36 :
ジョーカーは、畿内説の癖して、九州説のふりをして
九州説の評判を落とした上でのスレつぶしをたくらんでいるのか。

37 :
東日本大震災の影響で放送されなかった幻の九州新幹線CM。
http://www.youtube.com/watch?v=UNbJzCFgjnU
九州は一つ。かな?

38 :
ふと思ったのだが、神武天皇の出身地は日向。
「ヒムカ」と読んだりするわけで、太陽に向かうというような意味がある。
しかし、これはどう見ても、大和で付けられた名前とは思えない。
大和から見れば、日向は日の昇る方向ではなく、どちらかといえば沈む方向。
という観点からすれば、日向は熊本あたりから見た名前ということになる。

39 :
神武天皇は阿多から畿内に行ったと思うけど東征というような規模じゃなく傭兵部隊として行ったと思う
その子孫が天皇家となったため初代天皇として祭り上げられた

40 :
無駄にデカイ前方後円墳が畿内で量産されたのってそこが被支配地域だったからってのもあると思うんだよな

41 :
ないよ

42 :
>>38
>日向は熊本あたりから見た命名・・・
なるほど納得

43 :
熊本は日の沈む方角だろw
神武が日(東)に向かう最初の地だから日向という地名なんだよ。

44 :
>>43
なんか、おれの記憶とちがうなあ
たしか日向は神武以前

45 :
竺紫日向之橘小門之阿波岐原
日向峠の日向だな
移住したりすると地名も一緒に移動するのがよくある。

46 :
倭の中でも西の国、熊本が日という事は
有り得ない事は理解した方がいいぞ。

47 :
>竺紫日向之橘小門之阿波岐原
伊邪那岐の大神、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原(檍原)に禊ぎ祓えたまいしに・・、
の地は、宮崎市住吉神社南の池とされている。

48 :
>>46
古事記によれば熊本はヒムカヒトヨ
>肥國謂建日向日豐久士比泥別(タケヒムカヒトヨクジヒネワケ)

49 :
>>46
熊本は火の国。後に肥の国。そして肥後。
考えてみれば、佐賀、長崎も肥の国なんだな。肥前だが。

50 :
古事記では建日別は熊曾国
建日向日豐久士比泥別は建日(熊曾国)に向いている(対している)日豐久士比泥別という意味

51 :
>>50
筑紫國 白日別
豐國  豐日別
肥國  建日向日豐久士比泥別、自久至泥以音
熊曾國 建日別
全部「日」が付いてるが?
九州は熊本が起源て感じだよね
このには日向国が無いのに注目

52 :
>全部「日」が付いてるが?
それが何?
>九州は熊本が起源て感じだよね
熊本人だからじゃない?

53 :
>>52
>>50の説で建日に向いているのなら
白日、豐日にも向いていると言える
つまり熊本が九州の中心の日向だ

54 :
やっぱり「日向」は自分視点で太陽の直射す国の自称だろう。

55 :
白日、豐日は対立していないから「向」と書く必要がない
大宝律令では肥人(クマヒト・肥前、肥後人)は「異人」扱いで
筑紫國や豐國みたいに早くから倭国の一部じゃないから九州の中心なんてことはない

56 :
>>55
それは逆じゃね?
古来から中心だったから新興勢力に最後まで反抗したと
大和にすぐ懐いたのは雑魚なんだよ

57 :
古来から中心だった根拠は何?
大和側からの視点だから反抗した小部落地域を中心とは考えない
肥国は土蜘蛛わんさか地域だが、たいした抵抗もしてない

58 :
>>57
すぐ前も読めないのかよ
>>51を見ろ、熊本が一番長いだろ?
こういう場合は一番偉いんだよ!

59 :
肥国と筑紫はわりと早めに提携した感がある。
弥生中期の吉野ヶ里の時代に、すでにバトルは済ませているから。
一度行き着くところまで殺し合いしたので、
幾らかは懲りたというところかな。
明らかに最後まで抵抗していたのは、
景行天皇の熊襲退治で、
豊国から熊襲国までを平定した話だろう。
帰りは肥国を行幸して、筑後に戻るが、
ここはひと通り回るが、戦にはなっていない。
まあ、実態はどうだかわからんけどな。

60 :
農耕では先に感慨技術がいらない陸稲から始まり、
やがて、低湿地の灌漑が必要な水稲に進んでいく。
陸稲が最適なのは比較的台地が多い熊本。
灌漑技術が進んで、低湿地の水稲が栽培できるようになると、
それまで使えなかった有明海および筑後川周辺の、
低湿地地帯が奪い合いになる。
最終的にはそこは「筑後」と筑紫の領域になる。
筑前だけでは、肥と比べて筑紫はそれほど大国とはいえない。
権威のある旧大国の肥国と、新興の大国となってきた、
筑紫という構図だろうか?
筑後では戦いが起こったが、それ以後は
それなりに互いを尊重して提携しているようにみえる。

61 :
だから権威のある旧大国の肥国の根拠は何なの、コマちゃんw

62 :
景行記では肥国の土蜘蛛は戦とかじゃなく、たいした抵抗もなくなんなく誅されたから省かれてるんだろ
風土記に書いてある

63 :
>>61
奈良盆地より広いし暖かい
海に面してるから海の幸も豊富
畿内より水田が数百年早い
理解できた?
筑紫平野は河口域が水田可能になるのが遅いんだよね
開拓が済めば十分な広さなんだけど
弥生時代は熊本平野の方が有利

64 :
そんなことは熊本で大規模遺跡見つけてから考えな

65 :
>>64
まだこんな事を言う人が居たんだ
熊本は貧乏だから発掘しないんだよw
>>62
仲哀天皇は反乱を収められなかったな
神功皇后が討ったけど

66 :
水田は熊本より畿内が早いけど

67 :
最古の水田は唐津菜畑遺跡と、福岡の板付遺跡だろ。

68 :
>>65
熊本全体が熊襲だということなのか?

69 :
熊本は肥国
熊襲は宮崎大隅鹿児島

70 :
神武は宮崎出身なら、同じ熊襲仲間で、
鹿児島隼人族と大和朝廷の関係が深いことも、
説明がつくだろうか。

71 :
日本一早い鉄器は、熊本県玉名市の斉藤山遺跡の鉄斧。
縄文時代と弥生時代の境目あたりといわれる。

72 :
コマちゃんたちが朝鮮半島から来るとき持ってきたんだろ
そしてバケモノシャーマンも来たと

73 :
鉄器や水田が時代的に早いとか関係ないだろ
弥生末期にどのくらい広まっていたかだろがよ

74 :
>>73
熊本は鉄器の出土も群を抜いているらしい。
テレビ見ていたら、福岡県八女市で大規模な鉄器遺跡が見つかった。
アナウンサーがとなりの熊本県では膨大な鉄器が出土していますが…。
担当者にとたずねると、少しでも追いつきたいですね。と言っていた。

75 :
熊本の鉄器は開拓するものも剣も極端に少なくて、鉄鏃ばっかり作ってるから
地元の勢力じゃないよ

76 :
時代的には少し後だと思うが、
素環頭太刀みたいなのはでてきてたね。

77 :
鉄器軍団が東征したにしては、記紀では
九州も夷扱いで征伐されとる矛盾w

78 :
九州を夷扱いで征伐したことにして自らの出自伝承・生活痕を消去し、
実は、われら一族の先祖は天上の高天原に住まいしていたと宣言するための熊襲・土蜘蛛征伐

79 :
でも国生みは淡路島や四国の方が先という矛盾が解決しないよw

80 :
団体戦順序
・先鋒 → 次鋒 → 中堅 → 副将 → 大将
先鋒の淡路や四国は、いわば幕下、弾よけ、地雷を踏んで死ぬ役目

81 :
神話から都合のいい部分だけ抜き出して無批判に史実扱いをし
都合の悪いことは考証もせずに大和政権の造作・粉飾だと言うのが
九州脳の常套手段

82 :
神話に出て来るのは出雲と九州ばっかりだしな
都合のいい所を抜き出せない畿内説w

83 :
九州なんて征服される話ばっかじゃないかw

84 :
イザナギ帰還、アマテラス誕生、ニニギ降臨
全部九州だが?

85 :
畿内の神話何か有ったか?
たしか神武天皇が奈良盆地に入ろうとしたら
土蜘蛛がうじゃうじゃ居た
これが最初だっけ?

86 :
>>84
九州を支配するために降りたんだろうw
最初は淡路島だからな、蛭子が流れついたりしたのも畿内だと思うけど?

87 :
何でも九州を中心に考えないと気がすまないのか?
九州脳って本当に朝鮮人まんまだなw

88 :
畿内の神話って何?

89 :
箸墓捏造神話

90 :
大和朝廷と九州の勢力が、初めて本格的にぶつかったのは6世紀の磐井の乱。
継体天皇が命運を賭けた一戦で、物部麁鹿火、一説によると大伴金村
までも派遣し、どちらが優勢かわからないような激戦が続いた。
それ以前には、景行天皇以下の熊襲征伐がある。景行天皇は日向に宮を
築き6年かけて熊襲と戦った。しかし、勝敗は決せず、皇子の日本武尊などの
熊襲征伐が続く。
北部九州には、熊襲に匹敵する勢力はなかったのだろうか。むしろ、
熊襲よりも強力な勢力があったと考えられる。にもかかわらず、
景行天皇以前において、北部九州と大和朝廷が本格的に戦ったという
記録はない。

91 :
続き。
磐井は筑紫の君だが、九州にはほかに豊の君、火の君もいた。
火の君は、磐井の乱の後、北部に勢力を伸ばし、北部九州の大半を
支配したとされる。
火の君などが磐井に加勢していたら、ひょっとしたら継体天皇は
負けていたのではないかとも考えられる。

92 :
>>88
淡路島は畿内じゃないの?

93 :
大体高天原神話は葛城地方の話なんだからな。
思いっきり畿内の話だろうw

94 :
だいたい大王家が九州出身というのも怪しい話だ。
久米とか隼人とか、私兵化した異民族を飼い慣らすための作り話だろう。

95 :
邪馬台国があったのは山門郡。
大和朝廷の出身地は九州北岸。
(※宮崎、大分、四国も関係している)
だから
神功皇后は九州北岸で出産したり、兵を集めたりしている。
この勢力が筑紫平野の邪馬台国の勢力と倭国大乱で戦った。
四世紀以降、この勢力は
九州北岸勢力、大和朝廷に従っていなかった九州各地を支配下に収めていく。
四世紀、山門郡の邪馬台国も田油津姫の時に神功皇后に滅ぼされた。
これにより
九州北岸勢力は本拠地を筑紫平野へ移し、
外国との対外交渉権は九州北岸勢力のものとなる。
しかし
磐井の乱を境に大和朝廷が次第に主導権を得ていく。
磐井の乱は同じ勢力内での権力争いだ。
大和朝廷とすれば
自分たちが邪馬台国を滅ぼしたことと
最初は九州北岸勢力が主導権を握っていた事は
なんとしても秘密にしておかねばならない。
全て本当の事だ。

96 :
東征も東遷もあり得ない。
これは考古学的に否定された。
可能性はまず無い。
つまり、記紀は神武東征という捏造をやったことが明らかになってしまった。
容易に分かることだが、記紀がなぜ捏造をやったかに近畿説で答えることは、
事実上不可能。
近畿説は、すでに頓死している。
近畿説に可能性は無い。

97 :
何処が明らかなのか?
明らかならば、証拠根拠もなくていい。
先行の恣意的考察以外の何ものでもないだろう。

98 :
平原女王墓のと同類の鏡が大和天神山で出た時点で
どちらからどちらへ鏡が移動したのかはっきりしちゃっただろ。
大和天神山に関係する酋長さんは平原から貰ったか
乃至は、平原近辺に君臨したのが移動してきたか
            2つに1つだな。

99 :
>>97
何を言っているかイミフ。
反論できないなら黙ること。
東征も東遷もあり得ない。
これらはすでに考古学的に否定されてしまっており、覆る可能性は
ほぼ無い。
つまり言い換えると、記紀は神武東征という捏造をやったことが
明らかになってしまったと言うことだ。
そして容易に分かることだが、記紀がなぜ東征という捏造をわざわざ
やったかと言う疑問に、近畿説で答えることは事実上不可能だ。
無論、不自然な理屈ならなんとでもつけられる。しかし、多くが
納得する自然な説明は絶望的だ。
△=卑弥呼の鏡、箸墓=卑弥呼の墓、どちらもネタだった。
纒向も調査がすでに十分入っており、魏志倭人伝の記述と全く合わ
ないことが確認されている。
つまり、近畿説は現時点ですでに頓死している。
纒向は恐らくはニギハヤヒの祖先が作った都市であり、神武が九州を
捨てて憧れて向かった都市なのだから、壮麗な都市であるのは当た
り前でなのであって、そんなことは邪馬台国であることの証拠に
などなりはしない。
近畿説に可能性はほぼ無い。
近畿説はもう既に死んでいる。

100 :
>>97
「オレ様が反論できないから、お前の言っている事は恣意的だ。」
これが近畿パーの言い分www

101 :


102 :
おまえ池沼精白だろ
太国あいてに「これが近畿パーの言い分www 」だってさ

103 :
  「記紀がなぜ東征という捏造をわざわざやったか
   と言う疑問に、
   近畿説で答えることは事実上不可能だ。」
ってのは
  「オレ様が反論できないから、
   お前の言っている事は恣意的だ。」
と内容的に同じだよな。
自分でパーって自白してるよ、こいつ。

104 :
いずれにせよ言えることは〜明らかであるとは言えない。
オマエも明らかの説明が出来ない。
つまりオマエの恣意的先行脳内が勝手に決めたことで、オマエより記紀
のほうが信用出来ることがオマエの文言を借りれば明らかだ。
神武より以前の古い時代は伝説性が濃厚でありこれはウソか本当か
は現時点でなんとも決着できないが、紀の神武以降は年月日がキチンと
記載されてるから東征の否定にはほど遠い。それに動機が言えないオマエ
はそういう細かい検証などせずに勝手に東征がないと明らかでもないのに
明らかにゴリ押ししてるだけで、そんな虚飾での「明らか」の文言では明らか
にはならない。
ただオマエの主張はかなりの点において正解なところが多分にあり、一応〜
なかなか評価できる書きこみである。東征否定での明らかの文言は全然ダメだが、
他の書きこみはかなり同意できる点が多い。
東遷などありえないし
>魏志倭人伝の記述と全く合わ
ないことが確認されている

の個所等、急所を突いていて評価できる。
もう少し根拠、史料等を出せばなおいいが、少ないのが問題だ。

105 :
>>99
インチキ考古学のいうことなんかあてにならない。
東遷を示すような考古学的な資料はたくさんある。
銅鐸の消滅、鏡の普及、古墳の始まり、古墳の棺の副葬品、鉄器の普及など。
仮にないにしても、考古学はそんなことを言える立場にない。
ごく一部を発掘して、全てがわかるわけがなく、一つの発掘で
全てが覆る可能性があるのが考古学だから。
要するに、畿内説の考古学は、何が出てきても東遷は認めないと
初めから宣言しているようなもので、極端な偏向がある。

106 :
>>104
アホは黙れ。お前のレスは無効だ。
お前はただうろたえているだけだ。
東征も東遷もあり得ないことは既にほぼ考古学的に明らかになっている。
これは現実であってもはや覆る可能性はほぼ無い。
ならば記紀が神武東征と言う捏造をやったことはtrivialに得られるコロラリーで
あって、証明など不要。
近畿説が出来ることは、東征または東遷が「あった」ことを考古学的に証明し返すか、
でなければ記紀が神武東征と言う捏造をやったことに、近畿説で自然な説明を
して見せるか、そのどちらかしかない。
そして、それはどちらもほぼ不可能だ。

107 :
>>105
それは、東遷または東征があったことを考古学的に証明し返してみせて、
初めて言えるセリフ。

108 :
そうか、磐井の乱は継体天皇の時代だったか。
二中歴などに書かれ、各文献に200例以上散見されるらしい
九州王朝年号と呼ばれているものは、6世紀前期の
継体から始まっている。
ちなみに、奈良時代の前の、白鳳時代の白鳳も
九州王朝年号の一つである。
事実かどうかは分からないが、九州王朝があるとすれば、
初の九州年号の継体年間は九州王朝の初期だろう。
九州王朝が王朝を設立させたことによって、
磐井を討たなければならなくなったのか?
それとも、磐井を討つことによって、
九州王朝が成立したのか?

109 :
東征があり得ることは既にほぼ考古学的に明らかになっている。
これは現実であってもはや覆る可能性は完全に無い。
つまり東征があったことはさらに記紀の文証から明らかである。
明らかであるから、東征があるが覆る可能性は全然無い。
ほぼと言う言い草はオマエの脳内の主張が弱体化してるからである。
つまりオマエの言い分は証拠もなく、明らかに完全なデタラメである。
なお全世界の統帥権は大元帥陛下にある。

110 :
>>107
何度も何度も説明しているだろう。ここに来る畿内説の一人一人に
説明しなくてはならないのか。
>>108
継体天皇については謎が多いな。
悪逆非道の武烈天皇が亡くなり、跡継ぎがいなくなる。大伴金村、
物部麁鹿火などが協議して、越前から連れてきたのが応神天皇の
五代目の子孫となっている男大迹王。後の継体天皇。
しかし、男大迹王は、どういうわけか大和に入るまで20年もかかっている。
大和に入った直後に起きたのが磐井の乱。
継体天皇を簒奪者という人も多いが、それも納得できる。
応神天皇は九州で生まれた。継体天皇を簒奪者とすれば、
磐井の乱を応神天皇の実家(従来の系統)との争いと考えることも出来る。
九州王朝説の考えとは異なるが…。

111 :
>>108
>初の九州年号の継体年間は九州王朝の初期だろう。
その前の倭の五王だろう。
http://www.daizenji.kurume.ed.jp/gonngenn2.htm
玉垂命、
>九州王朝が王朝を設立させたことによって、
磐井を討たなければならなくなったのか?
磐井の乱は同じ勢力内の権力争い。
磐井が九州のほとんどを掌握していたことから考えれば
磐井が九州王朝の天皇だったのかもしれない。
磐井が負けたと言う事は、反乱を起こした方が勝利したことになる。
九州王朝があったことが判れば
大和朝廷は正当な権力継承者ではなく
クーデターにより権力を奪取したことが判ってしまう可能性が高い。
だから
二中歴、九州王朝の存在は何としても無かったことにしなければならないのだ。

112 :
磐井とは何か?その辺の検証が不十分。
磐井とは祝い。斎いとも書く。
中国山東半島にあった斉国。
卑弥呼が使いを出した魏の斎王こそ、卑弥呼の弟もしくは甥。
西暦239年 倭女王卑弥呼、帯方群に遣使。また魏都に至る。魏の明帝、卑弥呼を親魏倭王に封じ金印紫綬を授く。
西暦243年 卑弥呼、魏王に物を贈る。
西暦245年 魏の斎王、倭国使にものを賜う。
西暦247年 倭女王卑弥呼、狗奴国王卑弥弓呼と争う。
西暦266年 倭女王壱与、晋に遣使(以後147年間中国との国交断絶?)

113 :
今日立ち読みした新書サイズの古代史の本に
神武天皇は大軍勢を率いたわけでなく1隻の船で出て行ったとあった
確かにニニギも大きな家を作ったとはあるが大国を統治したとはないし
海幸山幸は漁師と猟師という意味だし
仮に日向三代が邪馬台国の血縁だったとしても卑弥呼の後継者とは思えない
邪馬台国本国は後に大和朝廷に滅ぼされる九州の女族長の国になったのではないか

114 :
なかっち 動画
http://www.youtube.com/watch?v=z2qK2lhk9O0s

みんなで選ぶニコ生重大事件 2012
http://vote1.fc2.com/browse/16615334/2/
2012年 ニコ生MVP
http://blog.with2.net/vote/?m=va&id=103374&bm=
2012年ニコ生事件簿ベスト10
http://niconama.doorblog.jp/archives/21097592.html

生放送の配信者がFME切り忘れプライベートを晒す羽目に 放送後に取った行動とは?
http://getnews.jp/archives/227112
FME切り忘れた生主が放送終了後、驚愕の行動
http://niconama.doorblog.jp/archives/9369466.html
台湾誌
http://www.ettoday.net/news/20120625/64810.htm

115 :
とにかく、倭人伝に書かれている台与以降の時代は謎。
記紀においては、天照大神以降、女性のトップは出現していない。
これから考えると、台与の後に女王は出てこなかったと考えられる。
また、邇邇芸命が日向に天下って以降は高天原の消息もわからない。
天照大神がその後どうなったかもわからない。
邇邇芸命が日向に下った理由もわからない。
神武東征のときに、どうしてわざわざ遠回りして筑紫の岡田宮(日本書紀)に
立ち寄ったのかもわからない。
こういうことをうまく説明できれば、それが真実なのかもしれない。

116 :
>神武東征のときに、どうしてわざわざ遠回りして筑紫の岡田宮(日本書紀)に
>立ち寄ったのかもわからない。
これはわかるよ
最初は東征なんて考えていなかったんだよ
ただ仕事がありそうな所をさまよっていただけで

117 :
移住するのはできれば近くにしたいって誰でも思うだろ

118 :
東征なんてなかったんだよ。これが一番単純な答え。

119 :
東征というほど大大的なものではないがあまりに少人数でも大したことは出来ないだろう
小隊レベルで傭兵稼業というところか

120 :
たいしたことが出来ないイベントが千数百余年も語り継がれることはないな
たいしたことがあったか、後世創られた非実在ストーリーか
ふたつに一つだろう

121 :
ちゃんと読め
>>119では東征の規模のことを言っている
その事自体を架空のものだとは言っていない
実際古代ではかなり印象的な出来事だったと思うよ
一度敗退して海をぐるっとまわって反対側から攻めてるんだから

122 :
神武の東征譚にはまだ誰も指摘していない重要な論点が有る。それは大和盆地
という所は南から侵入し攻めると攻め落とせるという、攻略方法を現している
ことだ。自分達の拠点であればそのようなことはどこにも書き残さないものだ
が、記紀はそれを隠し立てすることなく書いたのである。記紀はそうせざるを
得なかった。なぜなら@神武の東征は歴史の事実だったから。A天武朝の先祖
の華々しい活躍を書くのかは当然だから。B天武朝の頃には南側への防衛陣は
十分できていたから。
近畿説の考古学者どもは考古的証拠が発見されないとしきりに言うが、自分達
の無能力を告白しているようなものだろう。

123 :
おまえが告白してるよ

124 :
>>122
畿内説の考古学者の言うことはあてにならない。
中国で一枚も出土していない三角縁神獣鏡を卑弥呼が魏からもらった
鏡にしてみたり、大きさも形も年代も異なる箸墓を卑弥呼の墓にする。
纏向から出た各地の土器が邪馬台国連合の証だなどとわけのわからない
ことを言うが、実は九州の土器は全然出ていなかったりする。なのに
九州の土器も出ているような嘘を言う。
畿内説の考古学者は、まさに畿内説捏造集団みたいなものだ。
東遷の考古学的根拠はないなんていうのが、それを示している。

125 :
東遷なんてないよ
元々は西征だったんだ
それが終わって帰還しようとしたらお留守番が反逆して来た
でも、高倉下なんていう律儀者もちゃんと居たというお話

126 :
>>125
その説を立証してみろ。

127 :
どの説も立証なんて出来てないのに、なんで俺にだけそんな無茶振りすんの?
合理的推測ってやつだよ

128 :
歴史書に書いてあることをその通りだと主張する
歴史書に書いてあることを真実はその逆だと主張する
どちらが妥当な考え方かだろ

129 :
考古学者にもまともな思考をする人はいるよ。三世紀ころの銅鐸は山口以西には出て
いない。畿内勢力は山口以西には及んでいなかったということだ。伊都国から銅鐸が
出ていないのに伊都国を支配下においたというのはおかしい、なんてね。

130 :
神武は応神
父の故郷へ戻ってきただけの話

131 :
>>125はさすがに正気の主張とは思えない
畿内説を唱えるのは基地外とするネガキャンではないだろうか

132 :
ガリレオ・ガリクソン

133 :
仲哀天皇は、熊襲征伐で九州に行く。神功皇后もついて行く。
そのとき、神功皇后が神係りして、何もない熊襲を攻めるよりも、
宝の国である新羅を攻めよ、との神託をする。
しかし、仲哀天皇はこれに従わなかったために病死する。
代わりに身重の神功皇后が新羅を攻める。
朝鮮から帰ってきて九州で生まれたのが応神天皇。
そのあと、神功皇后らは大和に帰るが、忍熊王らの反乱を受ける。
忍熊王らは、仲哀天皇と前の奥さんの子となっている。
武内宿禰らの活躍でこれを撃破する。
この辺もなんか怪しげな臭いがするかも。

134 :
神武東征はあったが、邪馬台国東遷はなかった
ただし神武東征の実態は移住

135 :
ニニギ族は北部九州高天原邪馬台国の単なる豪族代官だった。
その後、中国南部系のワニ族と合流して勢力拡大するも、本家高天原と摩擦が起きて九州にいられなくなり、神武の代で新天地を求め瀬戸内勢力を取り込んで、畿内に攻め混み独立国を作ったのだよ。
タブラツ姫とか、イワイは本家高天原の後継だ。

136 :
奥さんの吾平津姫を故郷に残しているから単なる移住とは考え難い

137 :
>>135
宇佐神宮とか筑紫とか寄ってるから邪馬台国あるいはその後継と争いはなかったと思う
神武天皇が少数で出かけたということを考えると稼ぎに出かけてそのまま居着いちゃったんだろう

138 :
神武は倭国大乱で九州を追われた可能性が有る
落ち武者は各地を点々とするからな

139 :
新羅を襲った九州のやつらが、畿内を襲わないわけが無い。
応神朝は九州にあった分家筋のやつら。
そいつらに畿内は征服された。

140 :
神武に限らず、九州から新地へ出た小部族はいくつもあっただろう。
いくらかの力を蓄えられるまで生き延びたのが、
神武で表現された一族だろうな。
その手の話はたくさん残ってて、神武東征話を書く際に、
集約、参考にされたんだろうな。

141 :
3世紀の銅鐸って、どこで発見されてるの?

142 :
>>141
近畿地方周辺だけだろう。
出雲や九州はずっと前。
九州の銅鐸はひょっとしたら弥生前期の可能性もある。

143 :
だから、どこで発見されてるの?

144 :
応神天応は、天孫系ですか?それとも、出雲系ですか?部族でいうと何氏になるのでしょうor近い部族。
河内の白鳥の近くに墳墓があるし、古墳人?仁徳天皇みたいにマナの壺みたいなポチはあるのですか?
阿波にも、応神という地名があるのは、何か関係がありますか。藤○氏が多かったみたいですが、春日の地名や神社も多い。
豊国(トヨ?)が最初、本拠で、宇佐の神社に祭られているんでしょうか?宇佐は因幡の兎とどういう関係があるのでしょうか?
相関関係がわからなくて。
善光寺を作ったのは、その末裔ですか?

145 :
>>143
質問するんだったらもっと的確にしないとわからないだろう。
だからどこ? 近畿地方あたり。
だからどこ?  土の中。
結局何が知りたいわけ?

146 :
おまえの知能程度が

147 :
イツ(渭津)に応神か
意味深だな

148 :
けっきょく九州説って情報量がゼロ

149 :
銅鐸出土地が倭国の範囲だね。

150 :
鉄製の武器もった土人が渡来してきて
もとの土人が銅鐸抱えて瀬戸内方面へ逃げ込んだのでしょ

151 :
倭国の主要な支配地には「君宜高官」の銘の入った鏡がある

152 :
つまり戦闘と航海能力を持った土人なんだねw
そりゃ強いぞ、九州土人はやられる訳だ。

153 :
>銅鐸出土地が倭国の範囲だね。
倭人伝には銅鐸は出てこないな。

154 :
銅鐸祭祀=鬼道と表現されたんだろうな。
それが鏡に変わってゆく話を裏付けるのが、鍵唐古遺跡。
銅鐸鋳型も出土する場所の近所に、鏡作神社が
存在するのが何よりの証拠だろう。

155 :
漢時以前の情報はないが、金属器渡来以前の倭国の威信財はおそらく絵画土器だろうね

156 :
>倭人伝には銅鐸は出てこないな。
銅矛も出てこないね

157 :
倭人伝にあるのは漢時の情報で、それ以降金属器が入ってきて大きく変化したんだろうね

158 :
>>156
矛は出てくる。「兵用矛、楯、木弓」
それから、やじりだが、倭人伝には、鉄鏃、骨鏃を用いるとある。
しかし、近畿地方で出てくる鏃は、銅鏃と石鏃だそうだ。
銅鐸なんて全くでてこないし、近畿説は諦めが悪い。

159 :
                 兵用矛 楯 木弓
                     ↓
居處宮室樓觀 城柵嚴設 常有人持兵守衞

160 :
銅鐸は武器じゃないからw

161 :
夫餘
以弓矢刀矛爲兵 家家自有鎧仗
國之耆老自説古之亡人作城柵
東沃沮
人性質直彊勇 少牛馬 便持矛歩戰

作矛長三丈或數人共持之 能歩戰
倭人
兵用矛 楯 木弓

162 :
濊人にもブツをでかくしたがる嗜好があるらしいが
倭人と相性が良いのは濊人であろう
穢れを嫌って住まいを破壊したり燃やしたりしちゃうたぐいのおひとたちだからしてな。

163 :
>>161
その中で人偏が付いてるのは倭人だけだね
中国様は倭人だけを人として認めてた
何故なんだろ?w

164 :
居處宮室樓觀 城柵嚴設 常有人持兵守衞 (倭人)
城柵が出てくるのは 夫餘・辰韓・倭
國之耆老自説古之亡人作城柵皆員 有似牢獄 (夫餘)
辰韓在馬韓之東
其耆老傳世自言「古之亡人避秦役 來適韓國 馬韓割其東界地與之」
有城柵 (辰韓)

165 :
東沃沮の玄菟故府は柵城の異称があったらしい。

166 :
確かに銅鐸は武器じゃないなw
祭祀用具として使用していたのを見て
鬼道と記述されたんだろうな。

167 :
銅鏃の最多出土は壱岐原の辻だな
鉄、銅、骨、木全部出てるが、鏃で最も多いのは石鏃だな

168 :
「兵用矛」ってww
九州の銅矛が武器じゃないことも知らない九州説のレベルの低さときたら・・・

169 :
知ってて、誤魔化して人々を騙そうとしてるのさ。
九州説ってのは、本質的に詐欺なんだよ。

170 :
近畿地方に矛があるのかってことなんだが…。

171 :
最近の畿内説は出来の悪い中学生みたいなのが多すぎる。

172 :
九州には矛、畿内には盾、合わせると矛盾、どちらでもないってことだよ

173 :
話を煽らしたり罵倒したりして
倭人伝に銅矛が出てこないことを必死に誤魔化してるな。
結局のところ、九州説なんぞ詐欺でしかないことの
証明だな。

174 :
鉄矛の出土って16本くらいで鉄器のなかで一番少ないんだよな
戦争に使用するような数じゃないと思うけどな
なんか倭人伝の内容は出土状況と一致しないんだな

175 :
今どき九州説なんてもう朝鮮工作員しかいないだろう。

176 :
倭人伝に銅矛が出てこないのだからね
銅鐸が書いてないから畿内じゃない!という論理はペケなわけだが

177 :
九州にも鉄矛が見当たらないので困った九州説の爺さまが
発掘調査報告書には「鉄ノミ」と書かれているものを
勝手に鉄矛だということに改竄して本だしてるんだよな。
詐欺師ぞろいだよ九州説。

178 :
レベルの低い話をしているな。倭人伝には銅鐸も銅矛も出てこないんだよ。
矛は鉄だ。

179 :
だから何? 知能レベルの低い九州くん!

180 :
銅鐸地帯ではない、銅矛地帯でもないってことだね。
銅鐸が書いてないから畿内じゃない!という論理は成立するんだよ。

181 :
やはり九州説は馬鹿しかいない。壱岐対馬を通らないのか。

182 :
東遷東征と関係ない話ばかりだな
話に入っていけなくて過疎スレに逃げてきたか
>>140
饒速日命のことを考えるとそれはあり得る

183 :
東遷東征なんて無いという話から必死に目を逸らし続ける馬鹿九州脳

184 :
まず邪馬台国自体が九州には存在しないし。

185 :
きっちりスレタイを考えて書け。とくに畿内説のうましか。畿内説を言うこと
がうましかの証明だと知らないのか。

186 :
畿内説も九州説もそれを主張すれば必ず矛盾に突き当たる
他の可能性を考えろ、うましか

187 :
エジプト説でも唱えとけ、うましか

188 :
「邪馬台国 エジプト説」でグーグル先生に尋ねたら、約55,500件ってお答えで驚いた

189 :
世に うましかの タネは尽きまじ

190 :
詐欺師さん、乙

191 :
東遷説が否定されると、定期的にスレタイ嫁男が現われて必死だな。
東遷あったッス前提のオナヌースレにしたいわけね。
それ、敗北宣言だから。

192 :
東遷と東征をごっちゃにするなよ
東遷は邪馬台国が九州にあったことが前提になるが、
東征は九州も畿内もありえる

193 :
>>192
しかし畿内説で東征を唱えると卑弥呼をモモソ姫や神功皇后に比定してなんかおかしな感じになるんだよね
俺自体東征はあったと思うけど東遷は信じられないよ
邪馬台国自体はあまり興味はないが神武東征は実に惹かれる
東征を否定する人はどういう根拠で言ってるのか知りたいな
このスレだと詭弁のガイドラインになりそうなことしか言って無くてつまらない

194 :
半島戦役で出征中に
玉座が乗っ取られてたから帰ってきて東征
なんていう話は、否定する根拠はない。
3世紀になって邪馬台国が九州から大和に移動
なんて話は考古学的に否定されてる。

195 :
邪馬台国があったのは漢時の話
卑弥呼の時代には倭国大乱で邪馬台国は無くなってしまってるとですたい

196 :
女王の都は邪馬台国にあるやんけ

197 :
>>194
前半の根拠が知りたい
根拠のない話は否定されても仕方ないよね
考古学的に否定されるのは東遷
東征は特にそれが少人数であるほど考古学で判るものではないな

198 :
神武天皇の部下は顔面に戦士の刺青をしてるんだよね
畿内では見慣れないのかイスケヨリヒメはそのことを聞いている
邪馬台国でも刺青をしていたよね

199 :
まず第一に神武東征は紀元前の話だろw

200 :
>>197
根拠は、同一文化圏内の短期間の戦闘状態というものが遺跡・遺物に極めて残り難いから

201 :
がっかり

202 :
ぽっくり

203 :
いや実際、息長足姫の忍熊追討の元になった話の実在を否定する根拠はない。
それを、台与を奉じた難升米が卑弥弓呼を瀬田に破った話に仕立て上げても、否定する根拠はない。
裏付ける根拠がないだけ。

204 :
渇しても東遷の水を飲まず

205 :
>>194
考古学的に否定されているというのは、考古学者が無能であることの証明だよ。
記紀に神武東遷、あるいは応神東征が書かれている以上、ヤマト王権の祖先は
何らかの方法・手段で西からやって来た、と考えなければヤマト王権そのもの
が成立を認められなくなる。もっとあちこちほじくって、痕跡を見つけること
だな。無能のそしりを受けたくなければね。

206 :
畿内説の人は現在の古都京都奈良のイメージに囚われてるんじゃないかな
当時のイメージでは東方は新興開拓地でだからこそ神武天皇も東に向かったと考えるべきでは

207 :
>>206
君こそ考え方が古いんじゃないの?大和だって南部は稲作も早いしな。
九州以外にも丹後や吉備、愛媛辺りに目を向けた方がいい。

208 :
九州説なんて論外だが、畿内説でも巻向に
七万戸もの集落を求める奴はダメだろ。
倭の海人が集落を構えるとすれば、必然的に
淡路島周辺に人口のボリュームゾーンが
形成されるのは必然的なんだからな。

209 :
纏向は西方との交易の利便性を求めて東海が遷都して出来た新興都市

210 :
九州説は馬鹿ばかり

211 :
畿内説も馬鹿ばかり
ちょっと考えればどちらでもないってことは直ぐ解るのに

212 :
あっ、東遷説は問題外ね

213 :
九州では、紀元前からほかのものとは違う棺が見られる。
須玖岡本遺跡、井原鑓溝遺跡、三雲南小路遺跡の甕棺からは、大量の
前漢鏡が見つかっているし、副葬品もたくさんある。
また、吉野ヶ里遺跡でも、王族の墓と見られる墳丘墓が見つかっている。
つまり、九州では、古くから王と見られる特定の階級の墓が見つかっている。
そういう存在がいたことが証明されている。
ところが、近畿地方あたりではそのような痕跡が見られない。
古墳は明らかに特権階級の墓である。
古墳時代がどちらと連続性があるかは明らかだろう。

214 :
前漢鏡なんて象鼻山にもあるし
国内最大級だよ

215 :
近江にもあったな
鴨田遺跡
帆立貝形方形周溝墓で、絵画土器とか五朱銭と一緒に出土してる

216 :
東海も近江も纏向へ土器が流れ込んでる地

217 :
土器の移動には人の移動と見ていいものも多い

218 :
土器は畿内から九州に運ばれているが、
九州から畿内には運ばれていない。
土器に何を入れて運んできたんかは知らないが、
鉄でも買いに来たのかな?

219 :
運ばれていないよ。

220 :
陶器職人が奴隷として連れてこられただけかも知れん。

221 :
陶器職人は連れてこられてないよ。

222 :
当たり前だが、古代にはお金がない。
お金がない時代の交易の基本は物々交換。
現代的感覚ではあまり思いつかないが、古代の重要な
交易品は人間だったのだろう。
欲しいものがあるが、代わりに提供するものがない場合、人間を
差し出す。人間はいつでも誰でも欲しがる。これが奴婢となる。
土器は、身分の高いものは作らない。奴婢の役目となる。
しかも、古代の土器は女が作っていたと考えられている。
女の小さな手でないと出来ない部分が見られるからである。
弥生時代の九州では、近畿地方や出雲の土器が良く見られる。
逆に、近畿地方などでは、九州の土器はほとんど見られない。

223 :
知能低すぎだろこいつw

224 :
九州説にしがみついてるボケ老人は、皆こんなもんさ。

225 :
象鼻山とか鴨田遺跡といっているやつはガチで糞味噌一緒の低脳

226 :
どうしてだろうね。
九州説信者って、いつも理由がヒトコトも言えないんだ。

227 :
理由は想像した又は妄想しただから
言える訳ないだろ

228 :
>>223、224、225、226、227
人の意見の批判だけなんて誰でもできる。批判するならきっちり論証し、自分
の意見を明確にせんかい。

229 :
あんまりパーなのは、晒すだけでおK

230 :
馬鹿だね
いつまでたっても同じような水掛け論の繰り返しで全く進歩がないってのもよく解かる

231 :
>>222>>228は九州説スレでも馬鹿にされてる爺さんだな
考古学を否定し歴史学は文献だけで十分って言ってるアホ

232 :
>>228
畿内説はあれで反論しているつもりなんだろうが、畿内説の評判を
どんどん落としていることには気が付いていないんだろう。
ちなみに、2007年、3月14日のNHK「そのとき歴史は動いた」で
どちらを支持するかの投票が行われている。
その結果は、
九州説支持 35087票 (62.4%)
近畿説支持 21102票 (37.5%)
となっている。このような世論も畿内説は知らないだろう。

233 :
マジ、もう哀れになってきちゃった。

234 :
今更九州説やら東遷説を主張する意味がわからん。

235 :
簡単だ。事実だから。

236 :
唐津に上陸して東南五百里といったら佐賀だ。そこから畿内へ行くわけがない。
方角、日数を考えれば南九州だ。記紀が伝えるとおり高千穂周辺に邪馬台国が
あったということだ。

237 :
>>231
それでそいつを論破できたのかい?。

238 :
動物園でおさるがキーキー啼いていても
誰もそれを論破できないが
できなくても
おさるが毛三本足りない事実には変わりがない。

239 :
なるほど。論破できないことは分かってるわけだ。

240 :
邪馬台国は東遷したのではない。
邪馬台国は東征したのだ。
たとえば、10代祟神天皇は長子である豊城入彦を東国に使わして征伐、
毛野氏の祖となり東国を支配した。
それが1000年の時を経て江戸幕府にまでつながったのだ。

241 :
>>240
徳川って松平だよね松平は何処出身

242 :
人間でない者には人間性を問えない。
論でないものは論破できない。

243 :
>>234
畿内説では大和朝廷の始まりが説明できないということ。
端的に言えば、弥生近畿と古墳近畿の非連続性。
弥生九州と古墳近畿の連続性というわけ。
記紀に神武東征が語られていることもこれを裏付けると言える。

244 :
東遷と東征は全くの別物
東遷は自国の領地の中で首都を東に移すこと
東征は東側にある敵国の領地を武力で侵略すること

245 :
記紀の東遷なんて大袈裟に言うからおかしくなる。
「王ですらない神武ら数十人の、侵略・居座りによる引越し」であって、
邪馬台国や邪馬台国の王や邪馬台国の統治機関が動いたわけじゃない。

246 :
>>243
余裕で出来るだろ。物部や蘇我等、古来からの豪族の
力関係の変化で、記述内容が変えられただけの話。

247 :
>>243
銅鐸が北部九州でも作ってる以上は、弥生期ですでに同一文化圏だからな。
仮に邪馬台国東遷なんて話があれば、倭人伝の書かれた
三世紀末にはとっくに終えてるという事だよ。

248 :
コンゴでiPhoneが発見されても、コンゴと米国は、同一文化圏じゃないだろ。

249 :
米国に日本車工場があるが、異質な文化圏。

250 :
自国の支配が及んでない敵国領内の飛び地に首都を瞬間移動した例は世界史史上1つもない
軍事的に絶対にありえない
東遷説を主張するのなら、どういう魔法を使えばこの軍事的にありえないことが可能になるか説明する必要がある

251 :
>>250
支配が及んでいないなんて…。
支配するための東征だろう。

252 :
>>251
だから敵国の領内にある飛び地を軍事征圧して首都を移転した例を1例でもいいから挙げてみろ

253 :
>>252
神武東征の場合は、敵国があったわけじゃない。
日本書紀には、「豊葦原の瑞穂の国は、天照大神と高皇産霊尊が天孫・
瓊瓊杵尊に授けられた国である。しかし、いまだ支配の及んでいない
ところがある。東には山々に囲まれた良い場所がある。
そこは日本の中心らしい。そこに行って、都を造るに限る」と言っている。
拠点を移した例は日本にはいくらでもある。特に戦国時代は多い。
豊臣秀吉は尾張の生まれだが、大阪に拠点を持っている。
徳川家康は三河武士だが、関東地方に拠点を移した。
元々京都の生まれの源頼朝も、鎌倉に幕府を築いた。
豊臣秀吉の朝鮮出兵の目的は、明を滅ぼし、北京に首都を移す計画
だったらしい。織田信長もそのようなことを考えていたと言われる。
薩長も江戸幕府を倒して、敵の本拠地である東京を首都とした。
調べれば他にもいくらでもあるだろう。

254 :
秀吉が家康を江戸に移したじゃん。
もし徳川が歴史書から秀吉を消してたら、
なんで家康は敵地に首都を移したのかって疑問になるじゃん。

255 :
>>250、252
軍事制圧だと考えてる点で間違えているね。九州から近畿への文化の進出、貿
易・商業による支配だ。現代とも同じ。近畿の弱体な資本は九州の強力な資本
の前にまったく太刀打ちできず、次々と支配下に飲み込まれて行った。これが
東遷の実態だ。九州からの鉄器の伝播がその証拠だ。

256 :
倭王家が2つに分裂して、
居ることのできないほうが未開の地に「稱其御世謂所知初國之御眞木天皇」
これは「遷都」と称してもべつにかまわないかとはおもふが。

257 :
>>253>>254>>255
神武は戦ってるだろがよ
東遷説は記紀の神武東征をよりどころにしておいて記紀を否定かよw
家康や秀吉は隣接地を攻略して徐々に領土を広げていった
頼朝は鎌倉を拠点に支配地を広げていったのであって邪馬台国東遷とは全く逆の動き
薩長は西から次々と幕府軍を破っていったわけで、
記紀にある四道将軍が奈良から全国に派遣されたのと全く逆になる
要するに隣接地を攻略しないでいきなり敵地の真ん中に拠点を作るなんてどうやっても不可能
邪馬台国東遷などというのは物理的に不可能なんだよ

258 :
東遷説を主張しようとすると記紀と矛盾してしまい東遷ストーリーを勝手に創作せざるを得ないってことだな

259 :
東遷説を主張しようとすると考古学と矛盾してしまい非現実的な歴史ストーリーを勝手に創作せざるを得ないってことでもあるな

260 :
だから考古学は歴史学の本流ではなく、傍証の研究をしているものだ。

261 :
まぁ考古学的にも文献解釈的にも、邪馬台国九州説は既に成立しないだろ。

262 :
東遷説完全論破

263 :
>>257
何を根拠に不可能と言っているのかわからないな。
記紀を基に考えれば、戦争の末に、けっこう苦労して奈良盆地に入り、
そこに自分たちの国を作る。
崇神天皇の時代になって四道将軍を派遣して、東海、越前、丹波、西道と
近隣に支配を広げる。ところが面白いことに、崇神天皇記には、朝鮮半島の
任那が朝貢してきたとある。なんかいびつな関係だ。
景行天皇は、熊襲征伐に出かける。日向に宮を築き、6年かけて熊襲と
戦う。しかし、決着は付かなかったようで、日本武尊などが再度
熊襲征伐に出かける。
しかし、北部九州との戦いはほとんど見られない。北部九州には少なくとも
熊襲に匹敵するような敵はいなかったのだろうか。6世紀の磐井の乱のように
正面から衝突し、どちらが優勢かわからないような戦いをするような勢力は
いなかったのだろうか。

264 :
続き。
このように考えると、大和朝廷はその発祥の時期から北部九州と日向、
それに場合によっては四国も、敵ではなかったと考えられる。

265 :
仲哀が征伐に行って返り討ちに遭ってるやん

266 :
>>265
仲哀天皇も同じ。熊襲征伐のために九州に行き、戦いなど一つもなく、
筑紫に香椎宮を築く。北部九州に敵がいなかったことを示している。
神武東征の時から、大和朝廷と北部九州が本格的にぶつかったことは
6世紀の磐井の乱までないのである。

267 :
北部九州の土蜘蛛と戦ってるじゃん
奴国が大和朝廷傘下に入ってしまえば残りは雑魚しかいなかったってことだろ
相手が巨大すぎると普通は戦わず服従する
秀吉の全国統一の後半でも同様で、大物以外は戦っていない

268 :
仲哀天皇のお子様の下の方のは熊でしょ

269 :
>>266
御勢大霊石神社の社伝によると、仲哀天皇はこの地で熊襲の毒矢に当たって崩御してるよ

270 :
神社の社伝なんぞ言いたい放題。

271 :
天皇は京都から東京に東遷してる
江戸は敵地だった

272 :
建内宿禰と息長帶日賣命に毒矢で殺されたにきまるじゃん

273 :
天皇が京都から東京に東遷したんじゃなくて人質みたいなもんじゃん
偽勅まで作って

274 :
大和朝廷が権威を高めるために
九州地方にあった伝説を持ってきて、話を作った

275 :
神功皇后の話や、神社の由緒が。福岡で多すぎる。
神功皇后のモデルとなった人物は、福岡市付近を
本拠地とした豪族だろうな。

276 :
記紀をみて尾ひれをつけただけだろ。記紀より先には何もないよ。

277 :
>>271
戊辰戦争では西から旧幕府軍を打ち破りながら進んで行った
支配地域を拡大するときの普通の戦い方だ
しかし東遷説では中国地方、四国は放置していきなり敵地の真ん中を軍事攻略して
首都を移転させたことになってる
こんな例は日本だけでなく世界史史上1つもない
軍事的にありえないことをやったと主張する東遷説はただの妄想に過ぎない

278 :
戦いをしないで敵地を支配下に入れるってのは、考古学者にとっては珍しいことではない
らしいよ。西日本で戦いがあった形跡はないが、伊都国は大和の支配下に入ったと言ってるだろ。

279 :
弱小国は戦いを避けて降参するからな

280 :
でも都は移転しないよなw

281 :
伊都国=ワタツミの国

282 :
いや、伊都国は卑弥呼に大政奉献したというわけさ。

283 :
>>274
九州にあったほうが権威があるのか

284 :
>>277
東遷は無かったと思うけど東征はあったと思うよ
記紀を読んでも一気に広範囲を支配したわけじゃなく
東征後じわじわと勢力範囲を広げているしね

285 :
>>284
同意です
神武東征と邪馬台国東遷では中身は180度違う

286 :
衷哀・神功の九州制圧や後の時代の蝦夷制圧にかかった時間に比べて、
四道将軍は迅速すぎる。
四道将軍は全く新たに支配地を広げたというよりも、倭国大乱後の再統一で、大乱前の旧支配地に再忠誠を迫っただけだろう。

287 :
東遷と東征は主体が違うな
上に記紀で日向三代に入ってから高天原の様子が出なくなるという疑問が提示されていたが
天孫降臨後はニニギは高天原はと没交渉になったということだろう
つまりニニギは官として派遣されたわけでなく半分人質の婿入りをしたのだろうな

288 :
これで寝るんだけど。
iPhoneのbb2cだと見れなかったので、
今やっと>>123を見た。
123=122さんと今知る。申し訳ない。
しかし丹念〜。

289 :
スミマセン。間違えました(謝)

290 :
四道将軍は反乱を起こした地方豪族をピンポイントで制圧しに行ったんだろ
ほとんどの豪族はすでに服従していて一部が反乱を起こしただけだろ
敵をばったばったなぎ倒しながら進軍したなんてありえない

291 :
いいから早く寝ろ。そして寐てから夢を見ろ。

292 :
四道将軍は平和で戦争の無かった土地に攻め込んだだけだろう
準備が無いので簡単に降伏した
その後地方は軍事力を整備し再侵略に備え反乱した

293 :
>>277
世界に一つもないなんてすごい自信を持っているようだが、世界史、
日本史の全てに精通しているのかな。
恐らく、誰かの本を読んで、そのように確信しているのだろう。
しかし、仮に世界に一つもなくても、それが神武天皇に当てはまるとは
限らない。神武天皇が唯一の例であっても少しも困らないわけだから。
少なくとも、記紀ではそのような考えないとつじつまが合わない。
世界のどこを探してもないかどうかは知らないが、それが神武東征を
否定する根拠にはならない。
皇室は1500年も1700年もそれ以上も続いているというが、そんな例は
世界中のどこを探してもない。だから嘘だ、ということにはならない。

294 :
>>285
邪馬台国東遷説の基本は、卑弥呼+台与=天照大神。
記紀では、天照大神の子孫が神武天皇であり、これが東征し大和朝廷を
築くことになる。
同じように、卑弥呼や台与の勢力を受け継ぐものが東征し大和朝廷を
築くというのが邪馬台国東遷説になる。
だから、東征の時期は、卑弥呼時代のあとになる。

295 :
本当に記紀の都合の良いところだけつまみ食いするよな、東遷説ってw
邪馬台国が記紀に載ってないとしたら、むしろ神武が
畿内にあった邪馬台国を乗っ取ったとする方がまだ自然だろ。

296 :
じゃあナガスネヒコは邪馬台国か
どこが自然なんだか

297 :
伊都国は佐賀と考えるのが自然。ということは、投馬国も邪馬台国も南九州で決まりだ。
東征は倭人伝が伝える時代よりも後の話。

298 :
ま、伊都が佐賀であっても、伊都津彦が穴戸で王権を主張してる以上、
奴国は本州西部に跨る国なのは確実だろう。
また邪馬台国が南九州なら、卑弥呼に当たる人物が
存在しないのが致命的だろ。
畿内ならモモソ姫という、卑弥呼像には一番近い存在の姫がいるからな。
モモソ姫は海部氏系図という、証明出来る資料が存在する。

299 :
>>296
ニギハヤヒが物部の祖先なら不自然ではないだろう。

300 :
東遷が、なんで敵地の真ん中って話になるのはなんで?

301 :
畿内説の人間はあまり無知をさらすと、
畿内説自体の評判を落とすぞ。

302 :
邪馬台国東遷説なんてトンデモ話だからなw

303 :
>>299
饒速日命は自分で他所から来たと言ってるよ

304 :
モモソヒメは百曽姫又は百襲姫だろう。畿内というのはおかしいな。
南九州の名前だ。

305 :
モモソ姫の伝承なんて畿内や瀬戸内周辺にしかないけど?
母親も淡路島にいたんだしね。

306 :
>>303
神武より先に入ってる時点で察しなきゃな。
お互いに印を見せないと元々同類とわかってないようだし。

307 :
>>306
それは分かれたのが遥か昔ってことの証明だね
祖父の代に分かれたのなら
記憶に残っているから分かる
ニニギ降臨は神話の時代
神武東征は人の時代
でも神話時代の降臨証明を双方が持っていた
つまり神話は事実だったんだよ

308 :
>>305
伝承はあとから作ったんだろ。記紀よりも前にあったわけではあるまい。

309 :
しかしスレ主の望む話にはまったくならんな

310 :
>>308
それじゃ結局記紀の全否定だろw

311 :
大体高天原は畿内の葛城地方を前提で創作されてるだろ。
江戸時代以前はそう信じられてるんだしな。

312 :
>>311
それだと神武東征でなくて神武帰還だぞ

313 :
長崎県対馬市峰町志多賀というところがある。
峰の志多賀
高千穗の峰

314 :
>>312
帰還でいいんだよ。だから話として南周りの
紀伊半島から大和盆地へ入る必要性がある。
熊野山中で一旦皆倒れるが、剣を授かったり、
不思議な力で復活する事でもわかるだろう。

315 :
結局スタートを日向としたのは、南九州の連中を
懐柔するための逸話に過ぎないんだよ。
実際は神武の先導役としてのウズヒコが
初代倭国造となっている事も忘れてはダメだな。
ヤマトタケルも死んで帰るのは大和と河内、そして讃岐だよ。

316 :
さっぱり分からない
脳内を他の人にわかるように説明できないと検討以前で捨てられるぞ

317 :
>>316>>314あてね

318 :
天照大神=卑弥呼説や東遷説なんかの方がずっとトンデモ話だ。

319 :
>>317
大体神武は生駒越えなんかより、遥かに困難な
熊野廻りを選ぶ必要性があるのか?
と、ごく当たり前の疑問を持たなきゃな。
現実的な話、そこに縁や仲間が居ないと有り得ないだろ。
だから帰還というのはある意味正しいと言ってるんだよ。

320 :
最初からそっちと合流しろよw

321 :
ハイキングしてんじゃねーぞ
多くの敵が住んでいるところと敵がいないところとどちらを選ぶと思っているんだ

322 :
紀伊山中で死にかけてるしな。
そこで蘇生されるのだから、やはり高野と天野で高天原だよ。

323 :
なんか宗教がかっているな
かなりお年の方と推察

324 :
まあしかし、ここでの議論はなかなか現在の混迷する古代史研究を表してはいるな
記紀については完全に記述どおりに信じるという派は少ないが
おおむね何らかの資料に基づいて描かれているという立場から
多くの創作、捏造があるとする立場までさまざま
さらに歴代天皇についても、ほぼ記紀のとおりの事跡があったと見る立場もあれば
崇神、仁コなどの個人の実在性よりも年代指標の記号として考えている人もいる
天皇の系譜も、万世一系に近いと見る立場から、王朝交代があったとする派
継体あたり以前は各豪族の持ち回りで大王を出していたと見る人までいる

325 :
東遷説を戦国時代に例えると、
九州の大名が上洛して天下を取ったってことになる
中国地方には毛利や宇喜多がいて四国には長宗我部がいたがスルーして
畿内にいた織田信長を撃破して安土城を乗っ取ったのと同じ
普通の人はこういうストーリーは無理筋だから説自体が間違っていると考える
だが東遷説論者は全く疑問にも思わないのである

326 :
というか弥生末頃ならクニの規模は小さいし
要所に兵を置いて面として支配できているわけでもない
交易が盛んだったから小規模の集団が人の少ないとこを選んで
通り抜けていくのは難しかったとも思えない
まして海路ならなおさら
ただ専業兵士なんていたとしても少なかっただろうし
多くの集落は不安定な農耕で食っていくのが精一杯
大規模な遠征戦争なるものができたとも思えない

327 :
神武東征は戦記というよりアドベンチャー

328 :
そんな状態ならば、魏国のニュースが入ってくるとも思えない。ましてや、使者を派遣し
ようなんて発想が生まれるとも思えない。

329 :
邪馬台国は7万戸の国
人口は35万〜40万人くらいだろうか
そんな大国の首都が移転するには支配者階級だけが移ればいいという話ではない
兵隊がいなかったら戦うことさえできない
単身赴任のはずはないから家族も連れて移ることになるだろう
無理だね

330 :
邪馬台国東遷って、要するに神武東征伝承からの
推測が大きいな要因でしょう?
でも、神武東征なんて、とてもじゃないけど
大規模な遷都なんて連想できない。

331 :
東遷説のやつらの矛盾
倭国の範囲は九州だけだと頑なに主張する
もし本州まで倭国だと認識されていたとしたら、九州の地方豪族が倭王の称号をもらえるわけないから
この点だけは絶対に譲らない
そして本州は倭種が住んでるらしい海の向こうにある未知の国という扱いにする
しかし数年後、倭国王は倭国にある領土を捨てて未知の国に新しい都を築いたのである
なんじゃこれwww

332 :
>>324
トンデモには興味ない。

333 :
近畿地方の弥生時代には、古墳時代の下地がない。
古墳は特権階級の墓。しかし、弥生近畿にはその痕跡がない。
特別な人物を葬った墓のようなものは見られないし、
副葬品もない。
古墳時代になると、突然、古墳が出来、棺には副葬品が
たくさん見られる。しかも、それは鏡や剣・玉類など
九州の弥生時代にみられるもの。
東遷が一番、妥当性のある考えなのだ。

334 :
東遷説の根拠は2つ
・邪馬台国は九州にあった「と思いたい」
・邪馬台国が大和朝廷になった「と思いたい」
2つの願望が脳内で膨張してできた説なのである

335 :
宮崎には円墳やバチ型など、形状的には
萌芽期といえるような古墳も近い古墳群に含まれてるな。

336 :
>>1 なんだか結論が先にあってよくわからないスレだな。

337 :
最初の古墳は近畿地方でできたというのも疑ってかかる必要が
あるかもしれない。
畿内説の年代は、あてにならないというか、都合の良いように
変えてしまう癖がある。

338 :
大和国と倭国は別なんだがなんだか同じにされてしまってるよな。
白村江の戦いだって高句麗が南下したため倭国・百済と唐・新羅軍の戦闘になったわけだが、
もともと大和朝廷は関与してなかったはずなのだ。

339 :
>>336
それが明治以降の邪馬台国東遷説を集約している。
東大系の九州説というのがそれ。
邪馬台国東遷説について漠然としたイメージしか持っていない人に
説明しているのだ。

340 :
余談だけど、戦国時代の日本は質量ともに世界一の軍隊だったらしい。
秀吉の朝鮮出兵は、各地で連戦連勝。これで明は疲弊してしまい、
滅亡を早めたとか。秀吉があと一年生きていたら、世界は変わったかも。

341 :
東大が邪馬台国研究を止めてしまったのは自らの誤りに気付いたってことだろう
考古学でいろいろ分かってきてしまいどうやっても九州説を主張するのが苦しくなってしまった
今さら方向転換できないから研究を止めましたってことにした

342 :
そらあれだけ兵士と鉄砲持ってる国は他になかったからな

343 :
でも撤退したじゃん

344 :
秀吉が死んだのと
補給がどうこうと言われてるが、結局武将らに目的意識がなかった

345 :
明の皇帝が秀吉に金印と詔書を贈ろうとしたら、秀吉は激怒したとか。
金印・証書はそういうものなんだよな。

346 :
『明史』には「豊臣秀吉による朝鮮出兵が開始されて以来7年、十万の将兵を
喪失し、百万の兵糧を労費するも、中朝(明)と属国(朝鮮)に勝算は無く、
ただ関白(豊臣秀吉)が死去するに至り乱禍は終息した。」とある。

347 :
金印を渡そうとしたからというか
だまされてたことにそこで気づいたからな

348 :
大和朝廷も隋の臣下になる事を拒んだ
それで揉めて使者が怒って帰った

349 :
東遷説の人にとっては神武は存在しないことになってんの?

350 :
>>349
もちろん存在する。大和朝廷の始まりの示すような記述はほかにないし、
これが九州と大和との橋渡しにもなるわけだから。

351 :
そうすると年代がめちゃくちゃになりそう
神武、欠史八代、崇神
この辺は何年くらいの人だと考えてんの?

352 :
神武は残ってる情報量からして応神あたりと時代は大して変わらないだろう
時代の経過と共に情報は失われていくのに欠史八代より情報量が多いのはおかしい
実質的にヤマト王権の始祖なんだろうが、倭国の始祖ではないだろう

353 :
>>352
特別なことをすれば記憶に残る
店を起こした初代が語り継がれていくなんてどこでもあること

354 :
東征という言葉と東遷ということばが混在して勘違いが起こっているようだ。
東征というのは西の勢力が東へ進出するという意味で、東遷というのは西の都
が東へ遷されるという意味である。記紀の記述によれば日本の歴史上、東征は
2度起こったことになる。1回目は神武天皇の東征で、2回目は応神天皇の東
征である。このスレの邪馬台国東遷は邪馬台国が元、九州に有ったところ何ら
かの事情で日本列島の東の方へ都を遷したという意味である。どう解釈するか
は意見の分かれるところだろうが、神武天皇の場合は「東征」である。このス
レのスレタイは「邪馬台国東遷」である。お間違いの無いように。そしてこの
前提を踏まえて349、351氏の疑問にどなたか答えてあげていただきたい。

355 :
>神武天皇の場合は「東征」
で、九州の都はその後どうなったのでしょう。

356 :
>>354
あまり言葉にこだわらなくてもいいと思うが。
神武天皇の場合は、東征という言葉を使っていても、実は拠点を
日向から大和の橿原に移したわけで、東遷でもかまわないと思う。
応神天皇の場合は、神功皇后が九州にいるときに生まれ、1歳で
神功皇后に伴われて大和に帰るわけで、忍熊王らの反乱を収めたのは
武内宿禰。日本書紀によると、応神天皇の東征とはいえないな。
>>341
このあたりは難しいが、個人的には、神功皇后の時代は、好太王の
碑文との整合性から390年から400年位。10代・崇神天皇は360年
くらいか。神武天皇は300年より少しあとかな。

357 :
>>356
>10代・崇神天皇は360年くらいか。神武天皇は300年より少しあとかな。
根拠は?
古事記によると崇神没年は戊寅の年なんだが

358 :
>>356
ということは、神功皇后、神武天皇、崇神天皇を実在の人物とみているということか。

359 :
>>357
日本書紀では、崇神天皇の没年は辛卯の年になっているのかな。
年代に関しては、文献的にも詳しい記述があるわけではないから、
大体のところというほかない。
干支もあてになるかどうか。

360 :
>>358
神功皇后については怪しいな。
神武天皇・崇神天皇は実在していると思う。

361 :
戊寅の年
西暦18年、78年、138年、198年、258年、318年、378年、438年
辛卯の年
西暦31年、91年、151年、211年、271年、331年、391年、451年
360年ってどちらでもないな
つまり古事記も日本書紀もあてにならないから、
自分の脳内ストーリーにあてはめた年代こそが正しいという主張なのか
さすが東遷説を主張してるだけのことはあるな

362 :
>>361
崇神天皇の没年である辛卯の年を忠実に計算すれば、紀元前30年になる。
神武天皇即位の年は、辛酉の年でこれは紀元前660年になる。
これがありえないのは常識。
だからと言って干支だけは正しいとするのはどういうものか。
古事記と日本書紀で異なるというのがある意味、干支のいい加減さを
意味していると思うが。

363 :
邪馬台国は東遷しなかったと思う。
九州には倭の広範な勢力による共立を物語るような遺跡は片鱗もない。
弥生遺跡としては巨大な遺跡はあるが、百数十カ国のうちのもの。
巻向型古墳の集積も見られない。
神武東遷は、もっと昔の出来事の伝承だと思う。
崇神は300年ごろ。

364 :
邪馬台国には暦が無いって言うんだから、
神武の頃には干支も暦も無いだろ。

365 :
暦がないってのは、ちょっと変だと思う。
中国のようなちゃんとしたのはないかもしれんが、紀元前から中国に
「浪海中に倭人あり、 分ちて百余国と為し、 歳時をもつて来たりて献見すと云ふ。」
こんなことをしてんのに、その後
それに、こよみを持ってなきゃ、田植えの準備も出来ないよ。

366 :
>>365
たぶん、卑弥呼時代には暦とか年号はなかったと思う。
卑弥呼の年齢については「長大」とあるだけ。
「其人壽考、或百年、或八九十年」も古代では考えられない。
大雑把な年齢しかなかったのだろう。
台与の13歳も怪しいな。少女だったのは確かなのだろうが。
あるいはそれくらいまでなら年齢もわかったのかもしれない。

367 :
暦(太陰太陽暦)を作るには天文計算が必要だし3世紀ころの倭人には不可能だろう
稲作は開花や渡り鳥などの生物季節を利用した単純な太陽暦で困らないだろうな

368 :
記紀は、天皇の神格化する為に、捏造された文献だと考えれば、いい加減といえばいい加減。

369 :
文字や数式がない時代に季節を知ろうとすると、
ストーンヘッジみたいなものになるのかな

370 :
>>368
どこが…。天照大神なんて、素戔鳴尊にいいように高天原を荒らされ、
全く抵抗せず、さらに好き放題にされ、あげく怒って天岩戸に隠れる。
こんなかっこ悪い皇祖をどうして捏造する必要があるのかな。
素戔鳴尊が高天原に上って来た時、天照大神が丘の頂に立ち、
神に祈りを捧げると、天から火の玉が無数に落ちてきて、素戔鳴尊の
軍勢を焼き尽くした、なんてのを捏造するならわかるが。
記紀は、神格化するために捏造したというような話はなくて、
祖先を誹謗するために作ったとしか思えないような話ばかりだ。
そこに現実味がある。

371 :
368氏も370氏も認識がやや?
記紀は天皇家が大王として豪族や民衆の上に立つことを正当化するために作ら
れた。神格化ではなく、祖先の誹謗でもない。天皇家の祖先は日本という国を
創るためにこんなご苦労をされたのだよと記述している。

372 :
現代人の目で見てどんなに情けない神様だって
それが当時みなの信仰している神様だったなら
それを帝室の祖先に当てはめることは皇帝の神格化だよ。

373 :
>>372
単に口争いをすれば歴史の事実が見つかるか?。神格化かどうかは個人の見識
だろう。自分個人の感覚を他人に無理強いしない方がいいぞ。

374 :
>>370>>372に対するアンチテーゼとして批判になっているが、>>373は単なる「口争い」の典型

375 :
>>371
しかしだよ。大和に都する大和朝廷が、神武東征を捏造する意味が
どこにあるのだろう。
捏造するなら、天上の国から天孫が大和の三輪山に降りてきて、
そこから全国に支配を広げていったとするのが自然だろう。
気分もいいだろうし、自分の国である大和がいかに神聖な地であるかも
知らしめることが出来て、支配にも都合が良い。
なのに初代の天皇が日向からやってきて、大和の地を征服して朝廷を
打ち立てたという話を捏造する意味が見当たらない。
そこにも、記紀の真実味が感じられる。

376 :
>>375
九州、出雲、近畿の連合体で
いずれの地域にも配慮しなければ
ならなかった
とか

377 :
>>376
なら今いるところでいいでしょ
普通に考えれば日向への配慮は過分だよ
しかも隼人の配慮したからというのが討伐した相手に同族だと言ってる例が他にあるか
考えられるのはそれが事実だからだよ
神武天皇の家系は阿多だらけ
その血の75%はサメ
兄は海で死んでる
畿内には船でやって来た
配慮というのを超えている

378 :
>>375
神武が東征したというのは自分達の祖先の本当の歴史だから記紀に書いた。
問題はそれに邪馬台国が絡んでいたのか、いなかったのか、ということ。

379 :
神武の家来が顔に入れ墨をしてるのを奈良で生まれ育った嫁さんが見てびっくりしてるしな

380 :
山幸海幸の話に答えが書いてあるじゃん
ワタツミの国と融合してる訳だから、両方の歴史を引き継いだものにする必要があった

381 :
悪は、いずれ自然に滅びるみたいな自然観が裏にあるんじゃないかな?
戦って打ち負かす必要など元々ない。素戔鳴尊のように人を殺めたら穢れる。
バカは相手にしないで岩戸に籠って時が解決してくれるのを待つ。
自ら手を汚すことはなどあり得ない。
それが神の使い天皇というもの。

382 :
>>378
そこまでくると記紀の記述云々というより、現代人の研究の問題になるね

383 :
数日前にニュース速報+板で竹田恒泰のスレが立っていたが
神武天皇が南九州から東征していてショックを受けたというスレがあった
邪馬台国畿内説を唱える人とか同じような先入観があるんじゃないかな

384 :
ありゃ
スレがあった→レスがあった
間違えました

385 :
先入観があるのは、あんた。
畿内説と東征の存否は無関係。
関係があるのは、あった時代がどうかだけ。

386 :
よくいわれるな。「天皇家の神格化のために捏造した」
本気でそう思うのか、ちょっと信じられない。
ダメダメの神様や、女房にダメ出しされて死んだのや、神武にしてから、
大和へやって来た時は威勢がいいが、よく読んだら磐余の豪族だし。
捏造するなら、もっとましな作文にするだろ。

387 :
「天皇家の神格化のために粉飾した」だろ
皆が知ってるような大筋は変えようが無い

388 :
>>378
邪馬台国との関係があるのか知るのは難しいね
神武天皇に関する記述は割と具体的で収集され稗田阿礼が元にした話が天皇家だけでなく
神武天皇の部下の子孫の分もあるんじゃないかと思うけど
ニニギが日向にやってくる前の話は天皇家にだけ伝わっていたものだろうね
高天原の話はニギハヤヒのように別系統でもたらされたものを混合してできたと
ただニニギは半分人質の婿入りだったと思うけど
邪馬台国が魏の使者を迎えたのは狗奴国との争いの調停のためだったとすると
派遣要請が無くなったのは手打ちが出来たからかもね
それでニニギが婿入りしたと

389 :
神代紀下の構成をよく読むと、天孫は背宍の空国、背中の肉のようにやせた土地に降臨している
一方、古代に於いては末子相続が基本だが、天孫は長子の家系
両者を合わせると、天孫は傍流ということになる
>>388
卑弥呼=天照大御神説、邪馬台国=北九州=高天原説と東遷説を組み合わせるのが最もしっくりくると思う

390 :
>>389
前は邪馬台国は北部九州かと思っていたけど
天孫降臨の様子は霧島の高千穂峰がしっくりきて
わざわざ山頂を通るとしたら日頃から高千穂峰を見ていたのではと思うようになった
まっ西都原とか他にどんな根拠があるかも知らないので聞き流してちょうだい

391 :
邪馬台国と「邪馬台国が争ってた国」(奴国)があった
狗奴国というのは奴国から見た邪馬台国のことなんだな
つまり、邪馬台国=狗奴国
魏は奴国と交易してた国(呉&公孫氏)の記録も手に入れてたんだな
倭国大乱で旧奴国から分裂した奴国も狗奴国も、正当な後継国を主張して奴国を名乗って中国と交易してたから、
陳寿は混乱しちゃったんだな

392 :
いや、陳寿は混乱してなくて読み取る方が馬鹿すぎるのか
陳寿は卑や狗という蔑字を当てて区別できるように書いてるからな

393 :
狗奴国は邪馬台国と和せずとはっきり書いてあるんだが

394 :
>>388
倭人伝と記紀とは全く独立した文献で関連性はない。
記紀の場合は、神功皇后記に倭人伝が引用されていて、暗に
卑弥呼と神功皇后を同一視している。
にもかかわらず、倭人伝の卑弥呼と記紀の天照大神は良く似ている。
中国の文献において、日本に女王がいたという記述は卑弥呼と台与しかいない。
同じく、記紀の神代において女性で最高位にあるのは天照大神だけ。
ともに、巫女的であり独身、夫がいない。
卑弥呼は魏に援助を求めるほど狗奴国に苦しめられる。
天照大神は、素戔鳴尊にとことん高天原を荒らされる。
卑弥呼は、仲裁のために張政がやってきた頃、亡くなる。
天照大神は、素戔鳴尊の乱暴に怒って天岩戸に隠れる。
卑弥呼は魏から銅鏡を百枚もらい、天照大神は岩戸に隠れた時に鏡が
重要な役割を果たす。共に鏡に縁がある。
その後も非常に良く似ている。そこに卑弥呼と天照大神を同一視する根拠がある。

395 :
正確には和せずなのは卑弥呼と卑弥弓呼なんだけどな
邪馬台国=狗奴国はないけど

396 :
>>393
>狗奴国は邪馬台国と和せずとはっきり書いてあるんだが
二千余文字を再読してみたが、そんな記述はなかった
どこに書いてあるの?

397 :
>>395
アマテラスとスサノヲは不仲だったよ

398 :
漢文読みとしては
>倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和
この部分は違和感があるんだよな 特に「素」の字が

399 :
>>396
>>395
>>398
卑弥弓呼と書くのがめんどいから省略した
すまん

400 :
>>399
小学生は早く寝なさい
こんな時間まで起きてたら
脳みその成長に悪影響だよ

401 :
>>400
お前がなー

402 :
なぜ違和感があるかというと
>倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和
>年已長大無夫婿有男弟佐治國自爲王以來少有見者以婢千人自侍唯有
このあたりの記述との噛み合わせがよくないからだ
かといって何の解釈もないが

403 :
>倭女王卑彌呼與狗奴國
倭の女王卑弥呼が狗奴國を興した
ちゃんと書いてあるじゃん

404 :
興奮するな、この与太郎が!

405 :
>>403
それは「と」

406 :
壹與の與だよね

407 :
いや、与太郎の与だ。

408 :
壹與ってイト=伊都国の女王ってことなのか!w

409 :
神武東征
久々に安彦良和の神武を見たが違和感ありまくり
神武側のほうがきちんと鎧兜だと違和感が・・・

410 :
邪馬台国は東遷していない。
あくまでも、神武東征だ。
日向三代と神武は、どー見てもタダの豪族だからな。
歴史を捏造正当化するなら、ニニギがいきなり畿内に天降ってメデタシめでたし。にするだろ。

411 :
>>409
それって邪馬台国日向説で、神武天皇は卑弥呼の孫と言うことか。
それなりに面白い設定ではあるな。

412 :
所詮はトンでもマンガだからな、卑弥呼が子供産みまくってる時点で終了。

413 :
神武東征とは、祟神の長子の大彦を東国に使わして征服させたのと同じだろう。
新たに支配した土地の方が豊かで、人口が多くなれば、力関係が変わって都というか国の中心が移る。
朝鮮半島の金官伽耶から九州、大和へと都を移したのも、同じ理由だ。

414 :
神武東遷なんて記録上では紀元前の話。
仮に類似した話があっても三世紀前の話だ。

415 :
どさくさにまぎれてどうして朝鮮半島が出て来るんだよ。
それこそ何の根拠もない妄想だ。
魏志韓伝には、主帥はいるもののまったく統率が取れていない。
跪拝の礼を知らず、土で作った家に住んでいる。まるで冢のようだ。
と書かれている。卑弥呼が三十カ国を支配する日本とは雲泥の差。

416 :
>>412
卑弥呼は実際は結婚していたのではないかという説も有るよ。

417 :
>>414
紀元前の話が記紀にあんなに詳しく書かれているわけがない。

418 :
>>415
邪馬台国は元々朝鮮半島にあったのだけれど、九州に北遷したのだよ。最初から九州で興ったと思ってたわけ?

419 :
>>416
>卑弥呼は実際は結婚していたのではないかという説も有るよ。
じゃ、証明すればいいじゃん

420 :
当時は、市役所がなかったので婚姻届は出していないでしょうね。
まあ、みんなそうなんですが。

421 :
朝鮮半島の北にある九州ってどこのこと?

422 :
この時代、北と南、東と西は逆だったのだ。

423 :
昔の結婚は人前婚だな。
結婚式をやって、人々に宣言するってわけ。
古代もあったのかな。

424 :
>>410、413、414
ただ神武の年代は台与の頃と近いという見方もあって、何らかの形で神武東征
に邪馬台国も絡んでいるとか乗っているという可能性も有る。どこまで信憑性
が有るかだが、記紀の神武東征記では神武はまず宇佐に上陸し、小倉の岡田宮
に1年間滞在している。台与と結婚して子供が生まれるくらいの時間は有った。

425 :
ニニギが台与から南九州某国の代官を命じられてから、神武まで4代だから、この系図が親→子→孫→でないとして、一代10年として考えても、台与と神武の結婚は年齢差が有りすぎるよ。
この頃は北部九州邪馬台国が衰退していたから、神武は「勝手」に東征したと考えられる。
アマテラスの援助は、あくまでも、夢のお告げのハナシ。
邪馬台国東遷がある時すれば、神武より前に畿内に天降っているニギハヤヒの事だろうね。

426 :
生国魂神社(大阪市)紀元前700年 日本の神そのものを祭る神社

427 :
>>425
饒速日命については、参考になるような記述は何もない。
いつ頃、大和にやってきたのか、どこを拠点にしていたのか。
神武天皇よりも先にやってきたことは書かれているが。
神武天皇については、日本書紀に畝傍山の東南、橿原の地に宮を築いたと
ある。
纏向はひょっとして饒速日命に関係あるのかもしれないな。

428 :
ニギハヤヒに関しては秋田に落ち延びた物部氏の文書が有る
鳥海山に降臨し秋田に住まい
その後に畿内に移住したと伝わっている

429 :
東遷はあるかもしれないが、九州に邪馬台国なんて
存在する訳がない。
狗奴国の男王が神武のモデルという事だ。
邪馬台国=大和の南から攻める記述は
そういう事を匂わせてるんだよ。

430 :
神武東征軍は、古事記の大久米命の記述から、神武天皇を含め、
みんな刺青をしていた可能性が高い。刺青は集団の慣習で、
倭人伝には、男子は大人も子供もみんな刺青をしていたと書かれて
いるからである。
つまり、東征軍は、刺青の習慣のある倭国の人々で、その習慣のない
近畿地方は、少なくとも倭人伝に書かれた国ではないことになる。
また、記紀編纂時には、罪人の刑罰になっていた刺青を、東征軍の
慣習として書いていることも、記紀の史実性がうかがわれる。

431 :
妄想させてもらうと、
九州勢力と近畿勢力が衝突していたが、次第に近畿勢が劣勢に
九州勢力としても半島情勢と近畿勢を掛け持つのはつらい
和睦案として九州から近畿へ婿入りさせて同盟関係に(東遷)
時代が下るに従って九州勢は半島経営に失敗し弱体化
反して近畿勢は着実に勢力を広げ、力関係が逆転
九州勢力は近畿勢力に飲み込まれていった

432 :
>>431
残念ながら、近畿地方に九州に対抗できる力があったとは思えない。
それは鉄器の出土からも明らか。また、王と見られる存在もうかがえない。
強い王がいてこそ、国はまとまり、武器が充実して軍事的にも強くなる。
当時の近畿地方にはそれが見られず、穏やかな農村社会というのがぴったり来る。

433 :
>>432
だけど武力衝突で九州勢力が勝ったなんて記述は記紀の
何処にもないけどな。
大阪湾ではボロボロに負けてるよ。

434 :
そもそも武力で制圧してたら『東遷』なんて話は出てこないんどけどね

435 :
神武東征が武力制圧を表している。
ただ、孔舎衛坂でぶつかった長髄彦は、元々神武天皇と同族の
饒速日命の配下となっているから、強敵であることは確か。

436 :
日本神話の初っぱな、イザナギ様とイザナミ様の国うみは明らかに軍事行動を表して います。
大体が上位のモノから侵攻し平定せよ。との『主命』を受ける立場、
又、主から委譲、委任された天沼矛(上位から武器(征討命令と将軍の証)を仮託される)は
軍事統帥権の委任と征討命令の証。と云うのは世界共通
この二柱の神様を男女ではなく征討軍の主将軍、副将軍と見るのが適当かと。
この構図は後々のお話で手を変え品を変え、時代や舞台装置、役者を変えてて頻繁に記述されます

437 :
どう考えてもそれは無い。

438 :
辺境の屈強な異民族を親衛隊に取り立てるのはヤマトの伝統ですし
世界史的にも珍しくないんですけど

439 :
入れ墨話で畿内説を否定するのは無理のようです。
#また、古代の畿内地方には入れ墨の習俗が存在せず、−中略− 全員入墨をしていたという邪馬台国と大和朝廷とでは、入墨に関して正反対の態度が伺える。
#これに対して、顔に入れ墨と思しき線が刻まれた人物埴輪が畿内地方からも出土[25]している例や、出土地域による図案の違いから類型化もなされている事実などが、反証として挙げられている。
#現在までに発見された、人物埴輪の顔に施された入れ墨と思しき線は、
#鼻の上に翼型の入れ墨をしたA類(畿内を中心とする西日本)
#顔面に環状の入れ墨をしたB類(畿内を中心とする西日本)
#A類とB類の合わさったC類(畿内のみ)
#頬に八の字の入れ墨をしたD類(関東地方)
#に大別されている。
(ウィキペディアより)

440 :
>>439
東征軍は刺青をしていて、当然、初期の大和朝廷にも残っていることになる。
それが古墳の人物埴輪にも反映される。
やがて、刺青は衰退して行く。
ということでいいのではないのかな。

441 :
>>436
矛は弥生時代の九州を代表する武器というのが面白い。
記紀の神代は、九州を舞台にしていると言えるのだろう。
銅鐸は全く記紀に登場しないから、皇室の先祖は銅鐸文化圏を
経ていないと言える。

442 :
>>430
あはは。
履中紀、雄略紀が編纂時の創作で、記の神武条が史実だってか?
気持ちはわかるけどねえ。そうしないと初代天皇の持ち込んだ習俗が、たった100〜150年程で、罪人や賎民の目印になるなんて、ムチャな話になるからなあ。(笑)
さておき、その説話、伊須気余理比売が奇しと思ったのは、あくまでも鳥の目のように見えたという久米の目尻の入れ墨。
久米は大伴に従う兵士。神武の付き人くらいだろう。
履中紀五年九月の淡路での狩りに、目尻に入れ墨を入れた部を連れて行ったのと同じ。
たったこれだけの記述から、大和人には入れ墨の習俗がなく、神武を始め九州から来た者、全員に入れ墨がある。というのは明らかな論理飛躍。

443 :
>>442
「男子無大小皆黥面文身」。これは事実なんだよ。
郡使はいろんな国に行っていて、その上で男子は大人も子供も
皆、黥面文身と言っている。
大久米命が刺青をしていたとすれば、その集団は皆、刺青をしていると
考えるのが普通だろう。一人だけなんてのはありえない。
九州からやってきた東征軍が刺青をしていたと言うのは倭人伝の記述から
当然、考えられることで、倭人伝と古事記の記述には共通性がある。
後世、罪人の証となっている刺青を、東征軍に認める記述のある古事記は、
信憑性も高いということになる。
伊須氣余理比賣が刺青の習慣のある国にいたとすれば、大久米命の
刺青を奇妙に思うことはなく、古事記がそれをことさら取り上げる必要もない。

444 :
それって神武東征ありきの話だから

445 :
>>>444
神武か否か、軍事行動か資本進出か、何時ごろかは別に議論が有るとしても、
九州勢力が畿内に進出してきて畿内勢力を征服してしまったことは歴史の事
実だよ。でなければ天皇家の正統性を示すために作られた記紀に、神武東征
の歴史を載せるはずは無い。

446 :
歴史上の事実と断定するには、あまりに根拠が薄弱では?

447 :
>>436
四道将軍の時、南海道には将軍が派遣されてないんだよな
そして国産みで勢力拡大して行ったのは南海道経由で九州
南海道に派遣された将軍が大陸から鉄の利権を確保し、
力を得て中央に反逆したってなると辻褄が合う。
倭國王帥升等獻生口百六十人願請見
帥は将軍、升は昇って意味だから、
そうやって将軍から謀叛して王になった人物が中国にご挨拶に行ったって意味だろう

448 :
王墓に準構造船の底に使用しているカワラ材を流用する風習は海の民のなせる業であろう。
初期のそのような王墓には必ずしも鉄器が希薄であるというようなことは無いようだが、
ややしばらくすると、貧鉄の王墓に切り替わってゆく模様だ。
貧鉄王墓とは、佐味田宝塚古墳や日葉酢媛命陵の如きたぐいのもので
初期の鉄の豊かな王墓とは、柳本古墳群の無銘の八弧内行花文四葉鏡が出る墳群で
これらは古市方形墳へと繋がる
その切り替わりの時期の王墓のは東大寺山古墳のあたりか

449 :
>>444
むしろ記紀に出ている神武東征をどうやって否定できるのか知りたい

450 :
へー 
記紀に出てると、どうして否定できないの?

451 :
なんだまともな答え無しか
既にあるものに対して否定するにはその内容についての反証を行うものだと思っていたが
それなしでも否定は出来るよ
ただ相手にされないだけで

452 :
>既にあるものに対して否定するにはその内容についての反証を行うものだと思っていたが
もちろん間違い。
裏付けもなく只だ漠然と既にあるものは否定(無視)される。

453 :
>>452
漠然とすでにあるものは、常識となってしまうのがほとんどじゃね?
それが正しいかどうかはまた別の議論だが。

454 :
だから無教養輩とか耄碌爺とかは
理由を聞かれると「常識だ!きまってる!」しか答えられなくなる。

455 :2013/10/22
抽象的に論じてもあまり意味はなかろう。倭人伝に従って邪馬台国の所在を考えたときに南九州ならば無理なく
邪馬台国に比定できる。倭人伝の書く風土がぴったり。そして遺跡遺物からみても十分に可能性がある。
そして、記紀が伝える天孫降臨の地に一致する。
畿内の弥生遺跡は乏しく、他の地域から来た勢力が纏向という大都市を作ったと考えられる。
これらを総合して、記紀の物語に真実性を感じる、これが自然なんじゃないかな。
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