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国語科教育学について語るスレ (103)
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国語科教育学について語るスレ


1 :2012/01/05 〜 最終レス :2013/10/19
かなり間口の広いスレタイだけど。どうよ

2 :
日本人、全員!!
これを観ないでいろいろ言っても、しょうがないと思います!
       ↓
http://www.youtube.com/user/amenouzumei#g/u
(真実のエッセンスが上手くまとめられていますよ。) 

3 :
日本人、全員!!
これを観ないでいろいろ言っても、しょうがないと思います!
       ↓
http://www.youtube.com/user/amenouzumei#g/u
(真実のエッセンスが上手くまとめられていますよ。) 

4 :
 要するに何が言いたいのかとか、文章の構造を押さえるとか、そういうのが大事なんじゃないの?
前のパラグラフ、トピック(主題)との関係、纏まり、主題文の繋がりと切れ
を常に模索するクセとか、論理的問題と実際的問題を常に意識するクセとか。

5 :
あと、文章全体の題、見出し(トピック・センテンス)とか。

6 :
 人は文脈読め文脈読めという。文章の中であったり、あるいは社会的文脈であったり。
しかし、具体的・個別的に、文脈の読み方を教えてくれた人間は、俺の記憶上、
俺を取り巻く教師にはいなかった。
 「今、具体的に、どういう流れで話をしているのか。今どういう類の発話行為を行なっているのか。」
そこを読めないと、文章は読めない。文と文の連続関係はを考えるには、
その関係性を規定する、各性質の基本的・具体的な語彙を、最低限知っておかねばならない。
「原因 結果」「前提 帰結」「問題提起 解答(結論)」「解説(説明) 例示(解答)」「一般例 特殊例」などがそうだ。
 今や、教師も予備校講師も、みな自己保身に走っている。分からないことは分からない、
知らないことは知らないと言えと人に言っておきながら、自身はおもいっきり知ったか振りする。
人を責めるばかりで自分はいつも棚上げ。自分に背馳する人間はみな授業で晒し者にし、笑いのネタにする。
俺に合わない奴は、あいつもクソ、こいつもお笑い種なのだ、という風に。
 それで、俺を批難する奴はみんなバカなんだ、そいつの成績が悪いからなんだ、
と根拠のない理屈を並び立て、どこまでも自分たちに都合のよい、生徒を従わせるための、
自身に肯定的な、公平性に欠ける情報ばかりを並び立てる。自分の都合のよい部分ばかり強調する。
譲歩構文なども、あれも所詮は、単なる飾り、見せかけにすぎない。
肯定肯定肯定肯定肯定って、明らかに不自然だってwww
 予備校講師はかつて言っていた。「阪大の人科はアホだ」と。おまえの方がアホである。
そしてこうも言っていた。「今年は同志社諦めてください」。おまえなんか人生諦めろよwww

7 :
 子どもに、立憲民主主義に違反するような、犯罪者染みた差別感情を植え込み、
それによって自身を正当化する。それによって、周囲の社会の成員たちから、
子どもの軽蔑感情によるフィルターで自身を守っているわけだ。
 自分が実は物凄く身分のお高い人間で、社会から如何なる観点でも疎外されていない
メジャリティーの人間であるかのように見せかける。そして、自身が、実は上司から
都合の良いように酷使されているところ、非人間的な扱いを受けているところ、
周囲の大人たちからゴミクズ呼ばわりされている場面は一切見せない。
そして自分はどこまでも崇高で気高く、強い人間なのだと見せかけたがる。
 だからこそ、中学受験予備校の講師も、大学受験予備校の講師も、決まって口にするのである。
「先生、空手やっててね」「先生、空手黒帯でね」「先生、ボクシングやっててね」と。
まさに針鼠丸出しの人間である。俺は強いんだ、俺は怖いんだ、俺を責めると痛い目に遭うぞ、
だから俺を責めないでくれってわけだ。俺も小学生の頃よく言ってた。
「俺空手やってて!少林寺拳法やってて!」。んなもん大嘘丸出しであるwww
嘘バレバレwwwチンピラ丸出しwww
 そもそも本当に大きい人間というものは、他人を責めたり傷つけたりしなくても、
心の平穏を保ってられる人間のことを言うのではないか。武道は人を傷つける力を持つ。
人はそれを、正義のため、人を守るために使うと言っておきながら、その実、
正義の名のもとに、自分の利益のために使ったり、人に強いところを見せようと、
誰かしらをスケープゴートにしようとする。自分が善であり、それに背く人間は悪。
そこが人間の汚いところであり、小さいところであり、そして醜いところなのだ。
 人前で武道を習っているなどとヌケヌケと口にする人間は、その時点で人間性がたかが痴れている。
人は必要があるから、動機があるから、行為を為す。俺は強いんだと周囲に吹聴する人間は、
そう吹聴する必要性を、心の奥底で感じているから、どこか不安定さを感じているから、そうするのである。

8 :
 わが某キリスト教系 私立中高の創立者、美しき〇〇〇〇〇〇嬢は、
わが信徒共同体家族に常に教え諭していた。「常に弱いものであり続けなさい。
常に弱いもの、常にマイナリティーの側でありなさい」と。
 彼ら予備校講師に本当に欠けているのは、そういうところだ。 
周囲の者を傷つけず、脅かさず、威嚇せず、心の平穏と場の調和をずっと保ち続けられる心。
すなわち聖書の心。戦力の不保持。非核三原則。力をつくらず、もたず、もちこませず。
それこそが、平和憲法と教育基本法が定めた、平和で民主的な国家の形成者たりうる、人格の完成者なのである。

9 :
 現代文の予備校講師にしろ、他の科目の講師にしろ、ヒゲ伸ばしてる奴が
やたら見受けられたが、あれも強がりの一種だ。池田晶子か誰か凡そ言っていたように、
あれは周囲に圧力をかけたい願望の表れなのである。
 髪の毛を金髪に染めるのは、実は自分が、もう大した歳だということを隠すためだ。
そして、予備校講師や私立の教師で、宿題やってないとか居眠りしてるとかで
手をあげる奴がいるのも、あれも表面上は生徒のためと言いながら、
実は自分の成績に影響するからに他ならない。給料にも影響出るし、
周囲にも顔が立たない。負けると抑鬱不安が襲ってくる。だから自分の心の平穏や
幻想を守るために、彼らは生徒を殴るのだ。教育を受ける権利はあっても、
教育を受ける義務は、子どもにはそもそも存在しないのである。
しまいには「確かに先生は聖職者ですけど…」とかホザきやがって…
「え…何身分偽っちゃってんのおまえ…」って…
  大企業をやたら褒め回したり、年収がウダウダ抜かすのも、
本当は学者や公務員を黙殺したいから。生徒はもちろんのこと、
彼らが公立の学校や底辺の大学に汚名を貼り付けるのは、学生ももちろんだが、
それ以上に、本当は先生を貶すのが目的。底辺だろうが何だろうが、
大学講師は大学講師だし、学校教員は学校教員で、公務員は公務員なのに。
大企業の連中で本当に凄いのは、管理職以上の人間であって、平の人間ではない。
下は本当にボケがウジャウジャいる。頭も悪いしコミュ力もない、単なる体育会系も混じっている。
Fランから野村証券マンになるような奴すらいるのだ。如何に大企業だのマスコミだのとホザいて
倍率が高かろうが、その基準は明確ではなく、SPIぐらいしか精々きちんとした試験が
課せられていない以上、彼らは高度専門職業人でもなければ、有識者階級たり得ないのである。
なぜなら有識者階級とは、国家論について深く論じられる人間のことを言うのだから。
 教科教育以前に、教師や講師たちの人格教育、カウンセリングが必要とされる時代なのだろうか。
発達の遅れた生徒を押さえつけるのでもなければ、隔離するのでもなく、
原因を冷静に追究した上で援助するべしと、学校カウンセリングでおもいっきり習うのに、
なぜ彼らはそれすら守れないのか…こともあろうに、教育者でもない人間が
教育者を名乗る者まで出てくる始末…彼らの人格をあそこまで荒廃させた、
その原因は、一体何なのだろうか…彼ら自身が変わろうとしない限り、教育などいくらやっても無駄なのに…
教育する側の人格が荒れきってんだから…

10 :
 人は意味のないことをしない。「強がるなよw 強情を張るなよw」
と他人に向けて口にしている人間は、口では「弄ってるだけ」と小学生染みた
言い訳をしてみても、心の奥底では、その実本人の視座から見れば、
その人間は、大そう脅威・強者に感じられるのである。だからそう述べる必要性が出てくるのだ。
 尚、これは「何の力も持たないくせに!」と言う奴と同じ理屈だ。
これも同様、表面ではそう述べていても、心の底では、何かしらの力をその人間から
感じ取っている。だから過剰に反応してしまう。彼らは、学生の頃、一体何をやっていたのだろうか…
普通の人間ならまだしも、大学の現場の心理学者までがあの始末だ。
 日本人は、人のことはさんざん痛烈に批判するくせ、自分の欠点を見ることを苦手とする。
足りない部分は、反省し、そして、涙を流して悲しむことで補える。
心は満たされ、同じ過ちを犯さないという教訓を学び取ることができるというのに…
彼らに共通していることは、人前で絶対泣かないことだ。涙を流さない。
泣く前に怒声が出る。その条件づけを消去しない限り、彼らはどこまでも腐り続ける。
都合が悪くなると、すぐに自己防衛のための偽りの物語をその場凌ぎに編むような、
さもしい技術ばかり育ち、内面はどこまでも干からび、枯れていくのである。

11 :
×倍率が高かろうが 〇入社の門が狭かろうが

12 :
 周りに「何の力も持たないくせに!」と言い回る人間は、やはり心の奥底では、
周囲より力で上回りたいという願望を感じているのではなかろうか。
それは、その人間が、周囲の人間に対して、力(圧力)を感じているからではないのか。
自分が力を持っているのではない、自分より相手側(you)が力で優っていて、
そして自分は、その人間を上回る力が欲しいのだ。
 人は社会や世間を批判する人間に対して不快感を喚起するのではない。
一人称を批判されることで、間接的に自分が否定されていることを察知し、
それで不快感を感じたり、狼狽させられてしまうのだ。
 なぜこんな簡単な事柄に、今まで気づけなかったのだろうか…
文脈力が欠けていたからだろうか…だから今まで、社会的文脈、
自分や周囲の人間の社会的立ち位置、共同体規範を読む力が欠落していたのではないだろうか…

13 :


    官僚の丁寧な指導がなければ日本民族なんか
    滅びてしまう かもしれない。

 

14 :
>>4の意見にだいたい同意
論理的文章読解、言葉のつながり方、つまりは日本語のシステムを教えればいいと思う。
国語は感動の心を布教する場ではないと思うので、小説はいらない

15 :
>>14
フィクションはいるべさ、詩や古典、独自神話も立派な日本語教育
共感のない文法教育では児童の興味が湧かない

16 :
論理的文章読解と言ったところで、実際の文章では論理構造が複雑にネスト(入れ子構造化)されてる場合が殆んどだから
国語の授業で教えられてきたような、単純平坦な論理構造を解きほぐすだけの読解法なんて現実では大して役に立たないんだけどね。
まあ、パラグラフライティングやトピックセンテンスの概念を意識する書き手がもっと増えれば状況もある程度変わるんだろうけど。

17 :
読むばかりで書く方はあまり教えてない気もする

18 :
実践家の論文・論考でこれを読め、って言われたらまず何勧める?
物故者、健在の人物問わず

19 :
>>15
同意。
全ての文章が論理的方法で読解できるわけではないことを知らしめるためにも小説は必要。

20 :
もう語らないのか

21 :
もうすぐ全国大学の筑波大会やね
おまいらは行くの?

22 :
国語は、和室・着物が良い。
※理科室・白衣のように・・・

23 :
「外国人参政権に賛成」という書き込みは、日本人ではなく在日韓国人。
みんな、だまされるなよ。
外国人参政権は地方参政権だけだから大丈夫というのは、大きな間違い。
被選挙権のない投票権だけでも、下記の権利もセットで与えられるからだ。
☆条例の制定または改廃を請求する権利(立法に直接圧力をかけられる)
☆選挙事務監査請求権
☆議会解散請求権(行政に直接圧力をかけられる)
☆議員知事等の公職者の解職を請求する権利(行政に直接圧力をかけられる)
☆教育委員の解職を請求する権利(教育行政に直接圧力をかけられる)
☆合併協議会の設置請求権
☆町または字の新設等の変更請求権(竹島に「独島」町をつくれる)
☆投票開票立会人就任
☆選挙立会人就任
☆人権擁護委員就任(とんでもない!)
☆民生委員就任(とんでもない!)
☆児童委員就任(とんでもない!)
地方の政治や教育が、反日勢力に都合のいいようにされてしまう。
現に大阪のある公立学校(朝鮮人学校ではない)では、日本語ではなく
ハングルを教えている。
こんなに危険な外国人参政権法案を通させるわけにはいかない。


24 :
大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて、
心も身体も壊されて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。精神病院へ行っても、ちっとも良うならへん。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。
そればかりか、イジメに加担する教師もおった。
 誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメは
なかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
 僕をイジメた生徒や教師の名前をここで書きたいけど、
そんなことしたら殺されて、天王山に埋められるか、
ドラム缶に詰められて大阪湾に沈められるかもしれ
へん。それで誰にも発見されへんかったら、永久に行方不明のままや。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな。
http://www.shimamotocho.jp/ikkrwebBrowse/material/files/shimamoto_iti_map.pdf

25 :
>>24
島本町は腐った町。自浄能力はない。

26 :
暴力とイジメの
大阪府三島郡島本町民は贖罪しろ

27 :
安部不正選挙偽総理が「主権回復の日」式典を4.28に開催するそうだが、
そのまえに3.13にTPP参加強行で「主権放棄・対米隷属の日」を朝鮮ホモカルトだけで祝うのか?
ふざけるな、似非日本人がっ。
http://richardkoshimizu.at.webry.info/201303/article_56.html
今度の不正選挙で一番ビビっているのは、当の自民党議員であると思います。
彼らは、国家丸ごとのとんでもない不正が行われたのを知ってしまいました。
出口調査ではどう考えても大敗だったのに、なぜか、大差で勝ったことにされてしまった....
ほかの同僚も同じことを言っている....こんな大規模な不正が日本で行われ、自分も当事者だなんて....。
http://richardkoshimizu.at.webry.info/201212/article_200.html
「不正選挙」を糾弾し始めたら、創価学会のヤクザから恫喝を受けました。
http://richardkoshimizu.at.webry.info/201212/article_359.html
しまいに逮捕されるぞ キチガイ
mmc
不正選挙ポスター作戦、みんな頑張ってますよ。
http://richardkoshimizu.at.webry.info/201302/article_167.html
「不正選挙ポスター」を駅で撒いたら助役につかまった!
有志の方から報告です。「浜松町駅ででんたんまいてたら、助役にみつかり、拘束されました。」
「正確には、撒いたのではなく、自販機の前にはさんだり、券売機に置き忘れたりで、
路面にまいてはいません。」「ただいま愛宕署にて、取り調べ中です。」とのこと。
さて、ケーサツがどう出てくるか?世間知らずのB層助役が事情も知らずにオウンゴールですね。
「ドシロウト」がわけもわからずに摘発に出て、おかげで上層部は真っ青。
(私のところにはいまのところケーサツから連絡なし。)
「不正選挙ポスター」に世間の注目を集めるチャンスです。
ネット祭りのご準備を!有志の熱い思いをゴロツキ退治に繋げましょう。
http://richardkoshimizu.at.webry.info/201303/article_28.html

28 :
 今や、どの科目(subject)も、希望的観測(べきだ論)などを手段として、
人格差別にばかり利用されている(書き手をキャリア分析して、
化けの皮を剥がしちまえば、全然大したことないのに)。
 人知を超えたものならまだしも、知的であること、難解であることが、
なぜ畏敬の対象になるのか、俺には解らない。また、何をするにしても、
いちいち「学」をつけたがる人間の心境も、何だか汚らしいものをその臆に感じる。
やれ「神聖な学問が〜」とか言ってみたり、そもそも学者でもないくせに、
「学問」なんて単語を平気で口にしてみたり。「生涯学習」「ワークライフバランス」
「自己教育」のように、もっと大衆的でファニーな、軽い言葉で語る方が、
分相応というものだ。「学問」なんて言葉を使うぐらいなら、「研究」と言った方がまだ可い。

29 :
 単に解説書に書かれている通り、「オレは知らんけど上の人間はこうこう言ってるらしいよ〜」
とそのまま引用して生徒に伝えればいいものを、何を大人たちは熱くなってムシャクシャしながら、
やれ「こうあるべきだ!」、やれ「あんな人間になるな!」、と学生に自分の価値観を
強要しようとするのか。世間に適合出来ないでいる、自分の苛立ちだの何だのを、
いちいち子どもに転化してくる。売れもしない本を書いて、それを教科書に使って
学生たちを洗脳しようとしてまで。あるいはそれを、自分の専門分野の人間たちが
皆して一般的に同じ言説を唱えているかのような、空威張りな面までして。
自分の名声ためだか何だか知らないけど、奴らは内心、一体何がしたいのやら。。。
 それに、国語教師というものは、実にストレス(重圧)の多い仕事だ。というのも、
英単語帳や古典単語帳を初段として、世界中の単語帳にまで応用が効いてくる、
例の「語学的アプローチ」(システム思考力)の着想を掴んだ者にとって、
なぜ今更になって、国語などという枠組みの中に 自分を押し込まねば
ならないのか という疑念が、常に頭の中に沈殿しているからだ。
 言葉なら、わざわざ仕事にしなくても、家で勝手にやればいい。受験生時代みたいに
無駄なもの(vainなもの)まで丸暗記しようとしない限り、コツさえ掴めれば、
文庫本読むより簡単な作業だ。次から次へと、どんどん先へと、もう 捗る 捗る 捗る。
 一歩、受験勉強というもの(その本棚群)の外に出れば、もっともっと、
学び(着想)が得られるドメインが、この世にはたくさんある。それを、
何が狙いで、大学を卒業してまで、常用漢字だの諺だの、日本古文(女流文学etc)だの
評論文だのの世界に、自分を閉じ込める必要があったのか。
 何より、一番難義なのは、国語ではキャリア自己概念が保障されないってとこだ。
世間(社会)がうまくいかないから、それで煩悶して愚痴る羽目になり、
それを美辞麗句だの態度だので美化して、倒錯した優越感に浸ろうとしているだけなのに、
その心の根本である 環境との関係 が改善されなければ、ストレス(重圧)は一向になくならない。
それを、やれ資本主義のせいで人間は足を引っ張る合うようになったんだ、とかどうのこうの言ってるだけでは。
それを、社会に対して訴えかける、社会的に有用性ある役割だ何だのと、ヒロイズムを混ぜ込んで。

30 :
×世間(社会)がうまくいかないから ○世間(社会)との関係がうまくいかないから
 哲学者ショーペンハウアーは、『意志と表象としての世界』(生の哲学)において、
次のような処世術を提案している。それは、辛い時は「同じような境遇に遭っている人
とそれを共感し合い、理解し合う(労い合う)のが好い」(これを平らに軽佻浮薄化すれば、
カウンセリング手法か何かになってしまうが)、「辛いよ辛いよと言っているうちに、
心は軽くなってくる。だから我慢しない。」「自殺のことを考えているうちに、
生に対する重圧感や緊張感が薄れ、自然と心が融けてくる。」
 俺は単純に、この「生の哲学」(人生観、キャリア観)を、キャリアデザイン、
すなわち「生き様」としてのライフ・ケース(・スタディ)に、応用してみた。
そこから得られた(あるいは意図的に掴みにかかった)着想はこうだ。
それは、お気に入りに自殺掲示板の専用フォルダを作成し、常に自分以外の
(あるいは自分以上に)苦しんでいる境涯を見つめることで、そして、
自分とどこか似ている彼らによって、自分の苦しみ(そこから得られた学び)
を代弁して貰い、自分の苦しみを、心地のよい吸収あるものに変えてゆくことだ。
 あるいは、ネガティブな小説、随筆、ノベルなどを読むことによって、
これまた同じように癒されるだろう。無理にポジティブに考えることは、
躁鬱状態を加速させ、さらに心の緊張状態や、それによる重圧を酷くし、
心のバランスをムチャクチャのガタガタに崩壊させるし、硬直化させる。

31 :
補.ポジティブであるのと、建設的であるのとは 違う。そもそも、
建設的であることが、好いことかどうかも、それは脈絡に起因してくるだろう。
 さらに、オレ個人的には、人間関係に追い詰められた時は、次のような
マネジメント法も利用している。それは、「google earth」を使って、
地球上の色んな地域を、上空から鳥瞰してみることだ。
 これによって、普段、世間的なせめぎ合い、心の奥底ではどこか 20世紀少年的に
下らないと知っているのだけど、ついつい根を張ってしまう、例のあの威張り合いも、
山の上に登って、そこから遥か彼方の地平線上まで辺りをグルッと 超マクロな視点で
見渡してみると、自分やその対立相手と、似たような・同じようなことをしている人間が、
当に 世界中に気持ち悪いぐらい 居るってことを、改めて実感できるのだ。
 しかし、リアルに山登りを日頃から出来るほど、人間は暇ではない。
「google earth」の利活用は、その視点(着想)を手法化(ツール化)したものである。
 これを利用することによって、結局、自分の自惚れも、周囲の人間の背伸びも、
全ては、無駄な、空威張りな、虚偽のものであったことを知る。皆ああやって、
脈絡ごとに 言説(主義)だの 人脈だのを変えて、自分が内心 世界一であろうとする。
 でも、山頂という 神的な視座から眺めることで 目に映ってくる、この気持ち悪いぐらい
存在する ヒトという動物の中で、その全地球上、全国家上、いや全地域上という範囲ですら、
自分がその全被造物の中で 存在的に一番だなどという保証は、結局どこにも無いのである。
みんな似たり寄ったりの、環境に無力な存在で、そんな自分を、どこぞやの動物みたいに、
隣の奴より背伸びして強く見せようと、本能的に強がってしまうだけだ。
 たったこれだけの着想を手に入れられるだけで、生きることは だいぶ楽になる。
なぜなら、世間や社会に埋もれない、意図的にそこから抜け出す術を知ったからだ。

32 :
 ミクロ(下からの目線)も大事だけど、マクロ(上からの目線)も大事。
向上心を必要とする時は、人間はミクロである方が何かと便利だ。
でも、そこから 抜けだしたい と思った時は、今度はマクロな、
大局的な視点で自分を眺めることが必要になってくる。
 たとえば、夜に、超高級住宅街に立ち並ぶ、高級車付・(手入れのゆき届いた)
広い庭付 の瀟洒な家などを眺めていると、自然と「お金持ちになりたい」「稼ぎたい」
「自分もこんな家に住んでみたい」「盤石で安らげる土台が欲しい」
「温かな家族に囲まれてアットホームに過ごしたい(幻想)」という
羨望の欲求(モチベーション)が湧いてくる。
 一方で、先のように、上から眺めてみると、今度は「たかが数十坪程度のチッポケな差異で、
何を人は無用なドングリの背比べをしているのか。実にくだらない。」と重圧・緊張が萎えくる。
自分が圧力を感じていた人間たちも、実にちっぽけに見えてきて、全然圧力を感じなくなる。
 そもそも、ストレスってのは圧力や緊張から生まれるものだから、これらさえ無ければ、
ストレスなど根源的に生まれないものなのである。
 これら、ミクロな視点(ツール)とマクロな視点(ツール)をうまく
その時の情緒に合わせて利用することによって、人間は幾分か健康(幸福)に
生きられるような気がするのだ。

33 :
 生まれる場所、地球の角度によって、資源の偏りがある。その、先天的に与えられた
資源の差異を、これは意味があるのだと勝手に解釈して 自分に都合のいい物語を編んで、
その偶然 その環境に適合できたものが、オレは崇高なんだと、自分を何かに同化させる
かのように美化してただけ。あるいは、別に創造主はそんなこと言っていないのに、
「ここオレの縄張りな!」と色んな理屈をつけてマーキングして。
 崇高だの、プライドだの、んなもんは、本人の中ではさぞかし 幻想に浸れたとしても、
傍からすれば唾棄すべきものでしかない。他人の自慢などは、せいぜい 金を払って貰って
こそ 聴く価値のあるものだと、どっかの誰かは言った。

34 :
 ヒロイズムの イタさ、自己中心さ、単細胞っぷり、稚拙さ、無学 蒙昧、
無教養 丸出し加減… オレたちは、どれだけこれを自覚して、緻密な言語によって
自分に語りかけ、内省し、そしてその微妙で繊細な 穿った眼で、他人のことを
ジャッジ出来るだろうか。
 やれ心理分析だ 論駁(論破)だ 法律がどうのだと、他人のことを貶して
「オレは鋭いんだ」と居直るだけのクソ野郎になるだけに 終わるのではなくて、
確固としたキャリアに裏打ちされた、経験/経歴 を伴った複眼的な見識。
その背後に出る、滲み出る膨大なまでの教養。より多角的・多次元的に、
どこまでも人間のことを細かく見れる能力を有した、それでいて、社会的な役割
そのものが、権力者のヒーローごっこを美化して正当化する性質(くだらなさ)
を一因として内含していることにも気づいている、オレ的(あくまで主観的ではあるが)
な意味での"本物"。
 言うなれば、内省や風刺の天才で、それで飯を食ってるような奴。
筆1本という、たったその一点のみで、世間のニーズに合致し、世に適合し、
飯を食ってるような奴。オレはそれに究極に近い、ズバ抜けた感性と悟性を
併せ持ち、それ故に、苦労の多い人生を送ってきた人間を知っている。

35 :
 金をバカにする者は金に泣く。権力をバカにする者は権力に泣く。
世間(人間)をバカにする者は世間(人間)に泣く。仕事をバカにする者は仕事に泣く。
言葉をバカにする者は言葉に泣く。本(学)をバカにする者は本(学)に泣く。

36 :
  : :∨∧: :
.   : :∨∧: :            ー-ミ
    : :∨∧: :          _乂彳_云ニ=ミx
.     : :∨∧: :       _≠弍 _,.. =ミヽ刈> '"ア
      : :∨∧: :  ___ _气x -‐=  ー- V/ ア .八
.       : :∨∧: : ≪三二ニ _,..    _,..≠, _ノ /
        : :∨∧: : \ ーv  r_rュ7 fr_ッア 厂
       : :∨∧: :    ̄ヘ   /ゝ-' ヽ ィ⌒ヽ
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                  :    i;      : .     〈
              { :     |!      : : .    ハ

37 :
 世界を滅ぼすことは出来ない。でも世間を滅ぼすことなら出来る。
てか放っておいても勝手に滅んでゆく。皆例外なく。近所の個人商の貧乏本屋も、
10年前の中学受験予備校の講師共も、天誅が下ったのか、みんな滅亡していった。
 自尊心(自己肯定感)の低い、自分に自信のない者ほど、より自分より身下の
お粗末な人間の所に寄生し、そこで威張って自尊心を上げたがる。子ども、老人、
知的障害児、学習障害児。これを「下向志向の社会的比較」と呼ぶ。他方、自己肯定感の
強い人間ほど、より強い者のところに参入したがる。一流のスポーツ選手的発想だ。
これを「向上志向の社会的比較」と呼ぶ。
 もちろん、似非科学である心理学はウソつきな所がいっぱいあるので、
「追いつき・追い越せ」の精神が、本当に確固たる自尊心に裏打ちされたものなのか、
それとも紛れもない胸臆から漲り湧き出る絶対的自信なのかは、オレ的には甚だ疑わしい。
 社会(文系)は原理というより、むしろ原則によって回っている。それ故に、
文系では例外があって当たり前であり、そもそも一個の人間がとれる統計なんてものは、
端から範囲がたかが知れている。それを全人類化・普遍化して「ヒトは〜」と
嘯くのが心理学であるのだし。おまえ そもそも「ヒト」のことなんか 知らんだろうが、って。
 現代という時代区分はおろか、日本人に絞っても、それでも人口は1億人超。
10人、多くて100人やそこらの前提の統計から、1億超の法則を導けるわけがない。
山に登って、山頂から眺めてみれば、あるいは google scholar を弄ってみればわかる。
 
 間違いだと分かりきっていることをして、その間違いのものを自己権威化して
「これは正しいんだ」と言うぐらいなら、はじめから何もしない哲学者のようなタイプ
の方がまだいい。いらん事をするぐらいなら、むしろ害悪なだけだから、はじめから
ナニもしないのが善い。手がつけられないのなら、はじめから そっとしておく。関わらない。

38 :
 ノベル作品をプレイしているといつも思わされることなんだが、彼ら(中高生)は
皆 基本的に頭がよい。彼らは学校の勉強という 躾 丸暗記(記憶)の限界を知っている。
何故なら、「記憶」では「記録」には叶わないからだ。個人の力では、
システム的バックアップ体制を凌ぐことは出来ない。
 受験勉強が出来たところ、たとえば古文や漢文が出来たところで、具体的にそれで
何が出来るというのだろう。学部入試( 根性 )( 努力 )( 頑張ったで賞 )の
権威を笠に着て、他人を貶すことぐらいだ。あとはvainなもので人生を粉飾して、
似たような者を引き寄せる、呼び寄せることぐらいか。
本を見たら まんま 書いてあるようなことを、別の言葉に置き換えたり
連結させたりせず、そのまま一問一答のように覚えても仕方ない。
 
 実のところ、本当に人生の捉え方だとか、パラダイムだとか、そういうものを変えて
しまうものは、残念ながら受験勉強や教育学の世界にはない。あそこはいつだって
規範だらけで、意地っぱりばかり。皆、強がるあまりに、本心を口にしない。
 意地ばかりの東大卒や医学部卒は呼び寄せられても、有史始まって以来の、
本当にとんでもない、世界最高の英霊や、学際レベルの手法を 呼び寄せることは出来ないんだ。
 本当は、自分の悟性や感性は、周囲より劣っているかもしれないのに、
その不安を「学部入試」という世間的なもので吹き飛ばしてしまう。
自分が丸暗記をやっている間、周りの人間は、周りの人間なりに、他のことに耽溺し、
その中で頭脳を発達させてきた事に、総てに目を瞑ってしまうんだ。

39 :
 反面、その点では、ノベル作品というものは、本当にライフマネジメントの
珠玉の宝具になる所がある。あれらノベル作家の中には、中学生や高校生がたくさん居る。
そんな、大学にも未だ入っていない、学校の教室内で、教師と黒板を相手に生きているような、
生まれて年端もいかないような子どもが、内奥では とんでもない事を考えていたりする。
 自分が14歳や15歳の頃(中学生)、16歳(高校1年生)の頃は、とてもではないが、
あんな事は考えていなかったし、そんな語彙力も頭脳も文章構成力も創作力(想像力)もなかった。
 どんなに下手でもいいから、とにかく頭の中を外部に晒して、周囲(同年代)
と比較する。そして、自分に無くて他人にばかり有るものは、どんどん吸収していく。
これによって、自分が最も望んでいたものは、チャンネル化された形で手に入るようになる。
 そして、これが一番し易い、しかも丹精のこもったものは、何と言ってもノベル作品
しか無いんだ。彼らは日本中の中高生の中でも、最高峰の頭脳、あるいは最高峰の
生活単位を有している(中高生であんなもん作れないだろう普通)。しかも、
ノベル作品は小説と違って、どんどんメモ(ストック)していって、
ライフキャリアへと昇華されるから、そこがまた素晴らしくあるんだ。
 古きを温めない人間、古きから宝石を掘り出して来ない人間、過去の着眼点を
増やさない人間、チャンネル(手法)を増やさない人間は、いつまで経っても
同年代に対するコンプレックスから自由になれない。

40 :
 世間には、東大だとか医学部だとか いちいち知人の自慢をして
喧嘩を売ってくる人間が腐るほど居る。もちろん、オレにも東大生や
医学部の知人が幾らかいる。
 
 しかし、そもそも彼らとは 育った文化背景が根本的に違うんだから、
それに畏敬の念を示せ、そんな知人をもった俺を敬え、なんて言われても、
やっぱり実際に対話したり、章分けされた 読み物を読んでみなければ、
人間ってのは 学際的に分からないものだ。
 対話してみて、友だちとして付き合ってみて、あるいは 何かしらの
読み物を読んでみて(生活綴方を通じたコミュニケーションを通して)、
「あ、こいつは幼い」って思ったら、東大出てようが医学部出てようが、
やっぱりそいつの中では幼いんだから、その感情を殺してご機嫌をとれ
なんて言われても、やっぱり無理があるし、そんな義理も見つかりやしない。
 受験勉強は大した指標にはならない。大人・子ども 共に、
実は多くの人間が、内心、ここに気が付いている。

41 :
 独占的で排他的ななキャリア(exclusive career)ばかり求めて、
他者から理解や共感の得られるキャリア(common career)を培って来なかった。
医学部出を始めとした、専門職業人には、この類の人間が本当に多いらしい。
 大学に入れば皆、まるで前提の違う分野で生きていくことにもなれば、
色んな観点で自分の過去を振り返り、顧みるようになる。そして、
今までは 粗末な 枠の中に閉じ込められていて ロクに視させて貰えなかった
自分の強みを見出し、それを学部で権威づけて、それを矯正・強化して来だしたりするんだ。
 この段階で(これから先 組織で生きてゆく上で)最も求められてくるのは、
組織対応力と、異文化理解力、そして それに則った、世間の多くから理解を得られる、
コモン・キャリアでり、ダイアローグ(心の所属先)とフォーラム(流通・情報チャンネル)だ。
 心理学的に言わせても、コモン・キャリアを多く有している人間は、
多くのフォーラムやダイアローグに支えられ、理解や共感や着想(学び)が
得続けられるため、社会的真実性とサポートによって心を満たされることになる。
 他方、exclusive な career ばかり求めて 周囲を顧みて来なかった人間は、
いつも孤立しているがゆえに、社会的真実性やサポートが得られず終いで、
いつも不安で空虚な心境の毎日を組織で日々送ることになるらしい。
 つまり、普通(多勢の側)であること至上主義、そこに安心を見出せる人間ほど、
仕事仲間と「ね〜!」という類の諸物の共有に浸れて、精神も安定してくるのに対して、
「オレだけ」(オレさえ好ければ)な人間ほど、いつも周囲の脈絡から孤立していて、
自尊心(自己肯定感)の低い毎日を送ることになる、ということなのであるらしい。
 ノベル作品(読書)を通じての対話・共感、あるいは スカイプ を通じての対話・共感、
果ては サークルや習い事や宗教の対話・共感、ネット上のどこぞやの掲示板や、
結婚相談所などの 何たらの団体など、何でもいいから、とにかく 依存・もたれ合い・縺れ合い
にならない程度の、他者と慰め合える強力なダイアローグ、共有の場、繋がりの場が、
人間には必要なのである。

42 :
 日本の社会システムの一番の基本は、資本主義(縦社会)と民主主義。
縦社会は、権威任せのヒロイズムと弱者のいたぶり欲求(「下向志向の社会的比較欲求」)
を生気させ、弱者のいたぶりは、「いじめ」を生気させる。他方、民主主義においては、
多数決こそが民主主義の基本だというのが俗説であるから、これがまた、多勢による
「いじめ」(色んな多角的方向への可能性をもった複雑概念)を生気させる。
そして、"権力によるいじめ"と"多勢によるいじめ(迫害)"は、
しばしばパワーバランスを基軸として対立する。
 もちろん、システムに社会問題の原因を帰属する学者がいるだけで、
人間精神や本能 そのものに 根本的な原因がある のではないか
という考え方もあるが、ここではそこまで突っ込んでいかない。
 それに、そもそも日本の生徒や学生がみんな真面目に勉強していて、
学校教育や 塾/予備校 などの 受験産業 を中心に 国家が回っている、
という発想そのものも、これまた現代日本社会の実情を捉えていないと思う。
 子どものうちの多くは、昔の"農作業 お手伝い"の時代と違って、
他に やる事/やりたい事 が山ほどある。学校の教科書なんか真面目に
暗記してる場合じゃない、学校や塾/予備校 の課題作業が邪魔で仕方ない、
何でこんなこと させられなきゃならんのだ、意味あるのか、ってのが、
彼ら子どもたちの大半の本音だ。

43 :
 世の中何でもそうだけど、人間ってのは一人では何も出来やしないし、
生きていくことも出来ない。分業なくして社会はあり得ない。
 何故自分は旧帝大に入れなかったのか。それは適切な組織対応が為されて
いなかったから。組織においても、事業に 成功/失敗 があるように、
家族や学校においても、学習プロジェクトにおいて 成功/失敗 が存在する。
 そして、職業に貴銭ありと言うように、学業にも家業にも貴銭があるのだ。
 そして、自分が一番後悔しているのは、縦線ではなくむしろ横線、科目数であったり、
やりかけのものを放ったらかしにして来たこと、つまり「細かいもの」が「分散」
し過ぎていることにある。それを片っ端からかき集めて、色んな方法を用いて
そこから着想を掴み取り、それを自分の中に取り入れてゆくことが出来て、
尚且つそれが許される環境に身を置いて生きていけるなら、それが一番だ。
 しかし、人間というものは 虚栄心や自惚れが強い。だから それが、
自分が何故 周囲を羨ましがっていたのか、本当の理由を見失わせる。
 で、出てくるのは、無駄に広すぎる土地、無駄に家賃の高いマンション、
ムダに高い食事、ムダに高い飛行機のチケットだ。

44 :
 小学生の頃、田舎育ちであったが故に、周囲に何の情報チャンネルも無かった。
両親もボケで、教育学やキャリア学や自分学(現象や心象としての自分を
学際的に考究していく)なんか まるで知りやせず、家庭教師もいなかった。
小学校も公立で、ゲオもジュンク堂も紀伊国屋もブックオフもコミックランドも
ヨドバシカメラもアニメイトも、何もありやしない。
 「これをやっている(ふりをする)ことで、周囲は自分をどんな目で視るのかな〜」
という類の習い事ばかりさせられて、金はあるのに、そのくせ小遣いは全然くれなかった。
だから、自分の思うようにさせて貰ったことなんか、中学生の反抗期に入るまで、ありやしなかった。
 とはいえ、祖母だけは自分を可愛がってくれた。法学や商学の知識しかない 高卒公務員の祖母は、
百貨店でモノを買いあさるのが好きで、そんな祖母は、よく自分にお小遣いをくれた。
それでも、自分は幼い頃から 周囲と同じように マンガやゲームで遊ばせて貰えなかったから、
いつも意味不明なものばかり買っていた。遊戯王カードの纏め買い、ベイブレードやテトリスの玩具、
ヨーヨー、そして10個近くに及ぶ鞄、財布、筆箱に、何十本ものシャープペンシル。
さらに祖母や父母の買ってきた鞄に、何着も無駄にあるコート。
 周囲から疎まれたこともあれば、お古の財布を友だちにあげて、
母親がわが家の母親に「貧乏ですみません」と嫌味を言ってきた事もあったし、
あいつは筆箱をたくさん持っているからと、「新しい筆箱が欲しいから、
古いいらないのを1つ分けてくれ」と、家にまでタカりに来る友だちも居た。

45 :
 確かに、中学受験も一応はさせて貰った(てか嫌々させられていた)。
でも、毎月1万円のお小遣いに、マンガにゲーム(特にゲームボーイ)(特にRPG)、
それを用いた友だちとのコミュニケーションや、精神の安定、自由な睡眠、
人生を物語や 思い出/記憶で捉える着想の獲得、DVD100円レンタルショップ
の自由な利用(特にアニメ)、PCのADSL以上の回線工事、ケーブル以上のテレビ回線、
友だち同士の寝泊まりや旅行など、本当に子ども時代に必要なものは、何1つとして
与えて貰えなかった。当時、デジカメが既に存在してたのかどうかすら オレは知りやしない。
 水泳だけレギュラーで習わせて、中学受験予備校と楽器と英会話の時間をなくして、
その分 ゲームやマンガやアニメDVDやPCを教えてくれていれば、どれだけ豊かな子ども時代が送れただろうか。
 そもそもの話、商品価格というものは、時期が過ぎれば、ビックリするぐらい
変動するものである。そして、記録のない刹那的なもの、ましてや感覚的なものが、
如何に空しいかをこれがいつも物語る。情報チャンネル(流通チャンネル)の無い者は、
いつだって損をするのだ。
 39800円(サン・キュッ・パ)や29800円(ニ・キュッ・パ)で中古で変えるPCを、
わざわざ19万8千円や22万何千円で買わされたり、1冊105円で変えるマンガ文庫本を、
1冊410円(4倍の値段)で買って、それが何十巻セット、あるいは何百冊レベルになって、
何万や何十万という単位での損をしたり。ゲームにしても、やはり中古で買うのが定石だろう。
 田舎っぺには、いつも組織対応が欠けている。現象と心象は、常に相関性で密接に
繋がっていて、自分と他者は常に繋がっている。「自分さえ好ければ」「自分だけ好ければ」
「自分だけ高ければ」などという考え方では、必ず将来イタい目をみるし、客観から新たな
着想を自己の中に取り入れていく機会にも恵まれない。
 しばらく前、神に「お父さん、奴ら世間に天誅を与えて下さい」と願ったことがあった。
そのほんのすぐ後のことだった。fund(fundamental)・foundation の地盤のない
近所の個人商の書店は、潰れた。employabilityのキャリアも無いから、どこにも転職出来やしないし。
 驕れる者は久しからず、調子に乗る者は久しからず、価格戦略に踊らされる者は久しからず、
メモ/ストック を怠る(保険をかけない)者は久しからず、セーブ(save)
(career save)(life save)etc しない者は久しからずである。初期のものには絶対に不良がある。
最初は高い値段も、放っておけば、どんどん庶民的で興醒めな値段にまで下がっていくのが世の定石だ。
衣装、食事、家、飛行機… これらが如何にvainなものか、そんな所にも気づこうとしない大人が多すぎる。

46 :
そう、【ノベル・コミュニケーション】だ。

47 :
>>34
見識→識見
教養→情報*
性質→玩具のような性質
*(論文のように 二面性に裏打ちされた情報。情報源を伴った、
命題と客観的根拠の対称性が常に意識された情報のことである。)
>>39
△比較する→○対照する

48 :
 やれ世間だ、やれ社会だ、その実態は、言語的に作り出された 観念であり空気だ。
その発話者が、対峙相手を 約束事の枠内で 便宜的に作り出された 仏教的な規範
によって辱めよう、折れさそうとする時、人が、自分が一番でありたいと願わんために、
他人を蹴落としたい という その一人一人の意志を 「おまえは堕ちるんだ」「おまえは折れるんだ」
という希望的観測の元に結集させたものでしかない。
 これは「国民」という言葉も一緒で、政府も天皇も、その国民のうちの一人であって、
国民主権であるから、何の取り柄も無い 民間人が一番偉いってわけじゃない。
 知識も所詮は知的権力という面で視た時、やっぱり大した強みにはならない。
人脈は人それぞれ有っても、人望なんてものは そうそう人は有ち合わせていないから、
やっぱり一対一のガチンコの殺し合いにまで、本気の喧嘩にまで発展した時、
誰も助けてくれない。誰も関わろうとしない。
 人が共通の敵を見出した時に見せる 卑屈な結託心からくる ほくそ笑み、
空気や観念を後ろ盾にしたがる自我喪失者のサモしい根性。オレはそんなものには
死んでも屈したくない。顔面に唾でも吐きかけてやりたい。世間だの社会だの、
そんな観念や空気は、バラしちまえば、結局は目の前に居る、大した力も勇気もない、
ただの有象無象の一個の人間だ。世間だの社会だのはクソ喰らえである。
 実際には、1億人が纏めてかかって来る、なんて事は無いし、小難しい理屈なんてものは
本気の殺し合いでは何の役にも立たない。本当に神格化される人間ってのは、1万人を殺せる人間だ。
1億人を相手には出来なくとも、1人なら楽勝で相手が出来る。要は 最終的には、
自分を否定する 一切の座標軸を あからさまに 否定し、目の前の人間を 殺せるか殺せないかに帰着する。
 相手に侮辱された時、本当に命がけでその人間に報復の為せる人間、危害の与えられる人間は、
そもそもまともに社会人生活なんか送っていないし、友だちだって一人も居ない。いつも独りだ。
 もしかしたら、社会は原則という命法の前に「もし おまえが○○をしたいなら〜」
という仮言が省略された、言わば 封建的な 釣りのようなもので回っているのかもしれない。
そして、その封建的なかつての守護-地頭の社会も、「悪党」(悪は強者という意味)
という反乱勢力によって叩き潰された。

49 :
 長点と短所の相殺された、何の変哲もない、そこら辺に転がっている
普通の人間を仮に"0"とした時、自分の人格をあらゆる座標軸の絶対値で測ってみる。
 たとえば フリーター(アルバイトやパート)、たとえば ひきこもりやニート。
たとえば高校中退。たとえば両親の片割れ、施設育ち。
 そういったものを、周りにどれだけ同じレベルの者が居るか、どれだけ普通に近いか、
あるいはどれだけ世界最低なレベルか、世界最高なレベルかで測ってみる。
 マイナス100点なのか、マイナス1000点なのか、あるいはマイナス一京点や無限点なのか。
はやまた、+100点なのか、マイナス1000点なのか、あるいは+一京点や+無限点なのか。
 だとしたら、被差別部落や在日朝鮮人程度なら−無限点にまではならないが、
たとえば、世界中の聖王の末裔が居るとしたら、ギルガメッシュの末裔が居るとしたら、
そいつは、たとえどんなに その他諸々の弱小な俗世間的な欠点があろうが、
結局は、全総合的人格に換算すれば、+無限点になってしまうのである。
 世間や社会(目の前に居る1個の個体)と自分との力関係。それを緻密に測れるようになろう。
最終的にモノ言うのは、後ろ盾と 度胸、殺し合いだ。いざって時にしり込みして
逃げるような 穴が有ったら入りたい ネズミの大将は、そもそもは猛獣たちとの闘いにすら
加われないのである。そんな奴は、死ぬまで子どもや老人、アルツハイマーや学習障害児の相手でもしてればいい。

50 :
外界のルール、他人のルールを守るか破るかは本人次第。
法律ですら、従うか従わないかは本人次第。最終的な決定権は当人にある。
都合が悪いなら、嫌ならいくらでも破ればいい。
約束は、守られるために有るのと同時に、破られるためにも有る。
金の切れ目は縁の切れ目、単位の切れ目が縁の切れ目。
誓約書など何の役にも立たない。臆病者が学生の権威、突き上げに怯えているだけだ。
自分の圏内では自分がルールである。自分の郷では自分がルールである。
郷に入ったら郷に従え。だったら、自分の視界では自分を郷と看做せばいい。
 世間、社会とは、自分から視ての、自分+無関係者 vs 対峙相手 という図式と、
外界の人間総て vs 自分 という図式 に二分出来る。だったら、半面の郷や世間や社会、
外界の座標軸だの規範だのを一切否定して貶しめちまえば、自分こそが無敵の世間、
無敵の社会、無敵の郷になれるってことだ。教壇という 世俗の権力じかけの
晒し物の 逃げ場で 遠回しに 言えなくなってから、本物のオレ流の喧嘩だ。
会社での面子を徹底的に潰してやる。惨め過ぎて会社に顔を出したくなくなるぐらいにまで。

51 :
 本当に気高い者、気高くあらんとする者。それは、カネなどという、少しでも長く
生き伸びるための 実利的な利益よりも、自らが潔癖で有らん事を守りとおすことを
優先させるために Rる人間である。現代日本では、自殺者が増えた。しかも、
その殆どの人間が、面子が原因によるものだ。それだけ、現代日本には、本当の意味で、
プライドの高い人間が増えたという事であろう。
 世に長老などと呼ばれている、自らが 強い他者の権威に守られて 心穏やかに
生きたいがために 後ろ盾として創り出された、神格化されたあの観念にしても、
若者たちよりもうんと多くの恥を重ねて来た人間だ。そして、それでも、
色んな理屈でこじつけては、生き伸びることを 優先させてきた人間だ。んなもん見りゃ判る。
 年を重ねれば重ねるほど、自らの才能の限界を知らされ、若者に対する嫉妬心は
大きくなってくる。爺や婆にもなれば、特に恋愛においては、20代〜40代の
現役には絶対に勝てない。だからうちの大学のババア共も、心の奥底では女史の准教授に嫉妬塗れなのだ。

52 :
 就職活動を終える頃にもなれば、屁理屈を捏ねなければ、人間は、
自分の才能に天井が見えるようになる。追いつき・追い越せの精神は、
ありのままの自分を受け入れられない、コンプレックスの裏返し。
 「プライドに根拠など居らない」など、あんなもんは大嘘だ。倫理だの態度だのも、
んなもんは誰にでも門の開かれたものであって、それでは 絶対的な一人には
決してなれない。何故なら、誰にでもパクれるものだからだ。
 自分の才能に限界を感じた。自分が闘わんとする、あるいは闘ってきた
世間や社会に、頭を下げて、飼われて生きざるを得ない必要に迫られた。
上に行けば行くほど、自分の育ちの悪さを見せつけられる。
 それでも、Rなかった。その時点で、そいつのプライドは偽物、もしくは亜流ではないか。
だから言い訳が欲しかった。そして慰めが欲しかった。そこで出てきたのが、若い女の体だった。
本当は 赤子のように 慰めて欲しくて、自分の穢れきったライフストーリーを美化したくて、
そして 高く舞い上がった理想通りにいかなかった 自分の無念を、いつか近い将来か
遠い将来に 代わりに果たして欲しい。そこで生まれてきたのが、子どもという、親という嘘つき生物の分身なのだ。

53 :
・代わりに果たして欲しい。⇒ 代わりに果たして欲しかった。
・そこで生まれてきたのが ⇒ そこで女の体に孕ませたのが、
 一番になりたかった。王になりたかった。長年の歴史によって、文化的、もっと言えば、
本能的に、誰もが心の奥底では認めさせられている絶対的な存在、それこそ当に"王"。
 でも、現実には、自分より特定の座標軸で優れている人間など、外に出ればいくらでも居る。
そして、老人共は、自分の人生を 相対的に貶しめられたくないがために「何十年かかって
私を超えていくの」「威張りたいの? それだったら そんな願いは永久に叶わないわよ」
(そんな事させるかぁ!)などと言い出す。しかし、実際に 何十年かかってそいつを
超えてゆく路を選ぶからには、自分もその人間と同じような 醜い景色を何十年も観て、
そして同じように穢れなければならないのだ。つまり、「こんな人間になりたくない」
と思った人間と、似たような人間になっていってしまうのである。
自尊心とは似て非なる、単なる美化された醜い意地のために。

54 :
 その限りで、手っ取り早く 一番になれる方法は、自分を否定する一切の座標軸を、
全部 否定してしまうことにしか無い。流石に大学生にもなれば、多くの男子が
ここに気づき始めるだろう。表面ではデカい面をしたがっても、そこに人脈などという
後ろ盾を用いているようでは、それは単なる レプリカの 醜い意地でしかない。
有りもしない人脈を有るなどと言う奴がいれば、そいつは二乗の嘘を自他についているのである。
ありのままの自分を誇れない。だから誰かに投影して、そいつを後ろ盾にして威張るのだ。
 で、大学のキャリアセンターの職員たちが、人間的な嫉妬心や恐れから、
まだ学位も未完成極まりない学生たちに、「こいつを凡人にしちゃうのは今だ!」
と言わんばかりに圧力や脅しをかけてくる、3回生からの就活も一切ムシして払いのけて、
大学で邪魔な友人(人脈)も作らず、どこまでも自分のプライドやライフストーリーを
宝石や太陽のように輝かせるために、あえて4回生秋までみっちり授業のコマを入れて
(少しでも真実の着想を得られるため)、挙句に企業から 雇用にとり合ってくれない
ような 面倒くささ極まりない 人間になったとしよう。もちろん、両親片割れで
オーナーの母とは別居状態で、奨学金も抱え、親戚からも孤立していて、
ボケて死にかけの祖母を傍らに抱えた学生には、これから数年と生き伸びる経済的地盤すらない。
ニートなど絶対に出来ないのだ。

55 :
 それでも、その学生は、世間と闘う道を選んだのだ。日本現代史の中にも、
こういう人間は、明るみになっていないだけで、実は結構居る筈だ。
 そして、仮に、その人間が、自らの人生と誇りのために、命までをも擲ったとしよう。
勝ち逃げして、自分の才能の限界、片割れの天井を極め、キャリアゴールに達し、
そこから世間の一観察者として、親を始めとした、様々な人間たちの欺瞞や醜さという
真実を知り、世間の座標軸を一切否定し、クソ喰らえだと罵り、時には唾をも吐きかけ、
どこまでも頭を下げず、職員とすれ違って挨拶をする時も、絶対に頭は斜め上に向けてきた。
無意識に労働市場に植えこまれた奴隷精神を 引っこ抜いてきた。
 おそらく その人間が、自分の才能の限界を極め、キャリアゴールに達し、
自分の全才能、財力を使いきり、勝利者として、万歳の勝ち逃げ自殺を決意した時、
おそらくその人間の心は、自分の野望やプライドを貫き通したことによる、
真の満足感、究極の宗教的エクスタシーとも言えるものを、マンションから
地面に落ちる 零コンマ〜数秒の間に 感じ取る事が出来るだろう。それは まるで、
自分が聖王家の子孫であることを、神に啓示を受けた瞬間、ギフトを与えられた時のような感覚に近い。
 もし、そのキャリアゴールが達成されるのだとしたら、それだけの戦士族特有の
誇り、気高さが俺に未だ具わっているのならば、俺はその時、マンションの上で、
何と叫ぶのだろう。俺は、大企業にも、政治家にも、東大卒にも、医学部卒にも負けない、
そもそも生きている者など相手にもならない、神仏に等しい 気高さと崇高さを手に入れられたことになるのだから。

56 :
 そのために出てくるのが、建前教育。自己を理解・受容させるための教育だ。
自由という建前のもと、全てを当人やその連帯保証人に押し付けることが必要になってくる。
 身も蓋も無い言葉で語れば、キャリア・サバイバルを築くことを 大衆たちが拒否し出すから、
それを如何にも抽象的で綺麗で目耳に心地のよい言葉で語る。これぞ教育者たちの得意技だ。
 しかし、実際は 社会の最小単位である"家"からして、社会はどこまでも専制的で封建的である。
特定の社会の上層たちは、いつも「〜してやっている」「人のため〜」という形の嘘(建前)を吹く。
 生んでやった、育ててやっている。授業してやっている。雇ってやっている。
社会のために役立っている。などなどなど… 本当は他人を利用したいだけのクセに。
本当は 大量生産・大量消費 市場(≒世間、社会)における物々交換において、
自分に有利にその流れを取り計らいたいだけのクセに。
 経営者、統治者たちは、社会的 弱者いじめ が大好き。いつも、自分の期待や
観念、御恩を押し付けるばかりで、向こう側から自分向けの矢印の御恩は無視したがる。
この類の連中が "自らの"子どもや学生たちに期待しているのは、ただただ奉公(孝行)あるのみだ。
自分は御恩を売っているのであって、貴様らはそれを買っているのだと。そして、
それを奉公(孝行)という形で俺に還元するのだと。彼らはそんな世界を心底では望んでいる。
 もちろん、それは社会的に下の人間たちが上の人間たちに求めるのも同じことで、
人間全体に言えることでもあるのだが。
 生んでやったんじゃない、生みたかったから生んだんだ。育ててやってるんじゃない、
育てたいから育ててるんだ。社会のために働いているんじゃない、自分が必要なモノを
手に入れるためには交換が必要だから、その循環に加わっているだけだ。
本当はカネが欲しくて、そして源泉徴収票の金額を笠に着て、威張りたいのだ内心。

57 :
×そのために出てくるのが〜
○ 国が最も望むのは、戦国時代のような下剋上のない、争いのない安定。
そのためには、統治者の専制や封建のような性格を、上手く隠さなければならない。
そのために出てくるのが〜

58 :
 俺は世界史よりも国語の方が幾分か得意な性質であるが、それでも実は、
今では 国語よりも 世界史の方が 圧倒的に好みである。
何故なら、彼らからは、世界に対する接し方に、真摯な態度が感じられるから。
ex)
 ”ソ連・東欧の社会主義圏が消滅したあと、市場経済が世界を席巻しましたが、
21世紀初頭にはアメリカに端を発する世界的金融危機が発生して、
アメリカ一極主義は破綻をみせ、民族や宗教にかかわる紛争もたえまなく続いています。”
 ”現実の仕事を含めたさまざまな状況や問題を経験していない生徒・学生たちの
学ぶ視点にはおのずから限界があり、受け身の場合が多いのではないでしょうか。
 むしろ、仕事に全力を尽くした日々が一段落した人(俺流:大学に入るためにアルバイトを
した経験のある人など)、いま現実の社会に立ち向かっている人、これから新しい道を
歩もうとする人のほうが、問題意識をもち、鋭い思索の切り口をもっているはずです。
 いったん立ち止まって過去を振り返り、その成果や問題点を整理し、
将来の見取り図を描いてみることは決して無駄な作業ではないと思われます。”
(『もう一度読む山川の世界史』‐はしがきより−)

59 :
>>24
学校や教育委員会の不祥事をRしたり、街のダニや人間のクズや社会の危険人物を
晒したりするのは、世の中を良くするのに必要不可欠なことだな。

60 :
「教育学」や「学校教育学」の学位は、クソと同じ。
そんなもの、「原付免許」以下である。
それなのに、その「クソ学位」すらない教育学部のクソ教員は
まずは、荒れた学校で修行して、ぶん殴られてみろや。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●              ●              ●
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    ●         ●           ●  
      ●       ●         ●           _( "''''''::::.
        ●    ● ●      ●__ ____,,,... --‐'''^~   ヽ   ゛゛:ヽ
         ●  ●    ●  ●:::::::::....:""""  ・    ・  . \::.   丿最低な博士(教育学)・・・
          ● ●    ● ●:::::::::::::::::::       ・  ....:::::::彡''ヘ::::/ 学芸会大学、兵庫山奥大
           ●       ●:::::::::::::::::::::::::::::;;;;;,, ---‐'' "^~
            ●●●●●-‐‐

61 :
国や自治体、教育委員会や学校の不祥事をRしたり、
街のダニや危険人物を晒して警戒を呼び掛けたりたりするのは、
社会をよくするために必要不可欠なことだ。

62 :
だめなやつほど、教育問題を語りたがる。それが邪魔なんだよ!

63 :
院生の方とかおられますか?

64 :
>>63
国語科教育専攻の院生です
教科教育研究してると学問の辺境にいる感が否めません

65 :
>>64
そうなんですか。
自分は国語教育でももうお腹いっぱい感があります。
でも、国語教育を少しでも変えていけることに接することができるなら
やりがいはないでしょうか?

66 :
>>65
教育学全体に言えることですけど、やっぱり学問になりきれないんですよね。
特に教科教育はそうだと思います。
そして、仮に成果が出たとして、果たしてどれだけそれが現場に浸透しているか。
ただ国語科教育学で行われていることは良い教師を目指すプロセスそのものだと思いますので、自分自身にとってはプラスかも知れません。

67 :
>>66
>学問になりきれない。
ここはまだ、私はなんとなくしか実感がもてない部分です。
>仮に成果が出たとして、果たしてどれだけそれが現場に浸透しているか。
本当にそう思います。
自分自身、教員養成過程でもっと勉強しておけばよかったと思いました。

68 :
>>67
>ここはまだ、私はなんとなくしか実感がもてない部分です。
もし教科教育が直接的に現場に役立つものでなければならないのであればTOSSのような教育技術に終始してしまいます。
かと言って、教育の本質やメカニズムを明らかにすることが教科教育の目的だと唱えるにしては、そのための手続きが他の学問に比べて貧弱というか、それだけの強度がないという風に思います。
>自分自身、教員養成過程でもっと勉強しておけばよかったと思いました。
意欲の高い先生は勉強されているでしょうし、国語科教育学なんて知らなくとも日々工夫をして良い授業をされる先生はたくさんいますよね。
国語科教育学の中に良い授業についての唯一の答えというものは存在しなくて、
良い授業をしたい、そのための工夫の一握りが国語科教育学の中に蓄積されていくんだなと感じています。
つらつら偉そうに書いてしまってすいません。

69 :
>>68
そういわれると、確かにそうだなぁと思います。
下のほうに関しても同意です。
学問の辺境にある教科教育、国語科教育学
ひとつ勉強になりました。ありがとうございます。

70 :
>>69
こちらこそ励みになりました。ありがとうございます。

71 :
>>70
まだまだ未熟ですが、国語科教育の発展に資することのできる研究をしていこうと思います。
ちなみに、修士課程でしょうか?博士課程でしょうか?
私は修士1回生です。

72 :
>>71
院生の方だったんですね。
僕も修士の2年です。分かったふりをして何も分かってない自分です。何も言える立場じゃありませんね。

73 :
>>72
いえ、こちらが不勉強ですみません。
院生ですが、この夏休みに基礎から学んでいこうとしているところです。

74 :
>>73
やる気があれば研究できる分野だと思うので、お互い頑張りましょう。
研究室の方針がどんなものか分かりませんが、まずは広くたくさん吸収して、そこから関心に合わせて狭めていくと良いと思います。

75 :
>>74
はい。がんばっていきます。
ありがとうございます。
先生方は時間のある時に相談に乗ってくださったり、アドバイスをいただいたりしています。

76 :
>>75
ちなみにテーマとか領域は決まってますか?

77 :
>>76
まだ領域は漠然としていますが、読むことにおける教育評価についてやっていこうとしています。

78 :
>>77
評価の概念をどう捉えるかで変わってきそうですね。
量的、質的、理論的、歴史的、比較的、色々な切り口ができると思うので、やりがいはあると思います。
頑張ってください。

79 :
>>78
ありがとうございます。
評価の概念。
子どもが学習でに身につけたことを正確に評価することと、
教師が指導の改善に役立てること、をより進めていければ、と考えています。
質問なのですが、修士1回生の時は、国語科教育への視野を広げるために
どのような本や論文を読んでおられたのか、差し障りがなければ教えていただけないでしょうか。
今は『国語科教育実践・研究必携』と『国語科教育の成果と展望』を主に読んでいるのですが。

80 :
>>79
>子どもが学習でに身につけたことを正確に評価することと、
>教師が指導の改善に役立てること、をより進めていければ、と考えています。
自己評価や相互評価は射程に入れるのかということも考える必要があります。
これ次第で、例えば「学習者が自身の能力をメタ認知して、これからの学習について目標を持つことが評価の意義だ」となる場合もありますよね。
評価と評定の違いを考えることも大事かも知れません。
>今は『国語科教育実践・研究必携』と『国語科教育の成果と展望』を主に読んでいるのですが。
この2冊は良いと思います。『成果と展望』は最近Uが出たので、そちらも併せて読むことをお勧めしますが、人名・書名の羅列になってる感が否めないので、レファレンス程度に。
国語科教育にはこれを読めば全体像が掴めるという本はあまりないので、領域ごとに著名な本を読んでいくしかないと思うのですが、田近先生の『増補版 戦後国語教育問題史』は名著です。
事典系は明治図書の『国語教育研究大辞典』と朝倉書店の『国語教育総合事典』『国語教育事典』で、適宜読んでいる分野の知識を補えると思います。
あとは何より国語科教育以外の分野やいわゆる古典と呼ばれる書物も読むことが大切です。
教育評価はあまり詳しくないのですが、田中耕治先生が岩波から概説書を出してましたよね。
古典だとブルームは外せないんじゃないでしょうか。
上記の本はもう目を通されてるものも多いかと思いますが、いかがでしょうか。

81 :
>>80
なるほど。確かに今の自分には自己評価、他者評価の観点は抜けていました。
誰が評価するのか、何をどのように評価するのか、評価を何に(どのように)利用するのか
の3つに分けて考えていこうと思っているのですが、誰が……は後回しになっています。
『成果と展望2』はまだ手元にないのですが、来週ぐらいに購入できればと思っています。
教えていただいた辞典は研究室にあるのですが、使い方がわかっていなかったので、これから有効利用していこうと思います。
田近先生の本、半分ぐらいまで読んでいるところです。とても分かりやすくてすらすらと読めることに驚いています。
同じ時期に浜本先生の『戦後教育方法論史』を借りて読もうとしたのですが、まだ自分には読みにくかったので驚きでした。
だから、田近先生の本が終わってから、知識を深めるために浜本先生の本も読んでみたいと思っています。
>あとは何より国語科教育以外の分野やいわゆる古典と呼ばれる書物も読むことが大切です。
田中先生の本は読ませていただきました。ブルームはまだなのでこれから読んでいこうと思います。
教育評価ではパフォーマンス評価で著名なギップスや、真正の評価を提唱したウィギンズの本を読んでいるところです。
英語は苦手なのですがウィギンズはいくつか原典に当たってみたいと思っています。
ほかの領域の古典や基本となる本もたくさん読んでいこうと思います。
他の大学の院生の方がどのようなことをしておられるのか、
自分の考えていることや、読んでいこうとしている本はこれでいいのか、
不安が大きかったのと、また他の方への興味もあったので書きこませていただいたのですが、
たくさんのことに丁寧に答えていただき、本当にありがとうございます。

82 :
>>81
>なるほど。確かに今の自分には自己評価、他者評価の観点は抜けていました。
自己評価や相互評価は近年流行りの社会構成主義的な立場から価値付けることが出来るかも知れません。


>『成果と展望2』はまだ手元にないのですが、来週ぐらいに購入できればと思っています。
>教えていただいた辞典は研究室にあるのですが、使い方がわかっていなかったので、これから有効利用していこうと思います。
>田近先生の本、半分ぐらいまで読んでいるところです。とても分かりやすくてすらすらと読めることに驚いています。
>同じ時期に浜本先生の『戦後教育方法論史』を借りて読もうとしたのですが、まだ自分には読みにくかったので驚きでした。
>だから、田近先生の本が終わってから、知識を深めるために浜本先生の本も読んでみたいと思っています。

>>あとは何より国語科教育以外の分野やいわゆる古典と呼ばれる書物も読むことが大切です。
>田中先生の本は読ませていただきました。ブルームはまだなのでこれから読んでいこうと思います。
>教育評価ではパフォーマンス評価で著名なギップスや、真正の評価を提唱したウィギンズの本を読んでいるところです。
>英語は苦手なのですがウィギンズはいくつか原典に当たってみたいと思っています。
>ほかの領域の古典や基本となる本もたくさん読んでいこうと思います。

>他の大学の院生の方がどのようなことをしておられるのか、
>自分の考えていることや、読んでいこうとしている本はこれでいいのか、
>不安が大きかったのと、また他の方への興味もあったので書きこませていただいたのですが、
>たくさんのことに丁寧に答えていただき、本当にありがとうございます。

83 :
>>81
ミスりました。
>なるほど。確かに今の自分には自己評価、他者評価の観点は抜けていました。
自己評価や相互評価は近年流行りの社会構成主義的な立場から価値付けることが出来るかも知れません。

>教育評価ではパフォーマンス評価で著名なギップスや、真正の評価を提唱したウィギンズの本を読んでいるところです。
あとはポートフォリオ評価なんかが近年注目されるところでしょうか?
>他の大学の院生の方がどのようなことをしておられるのか、
他大学の院生と交流したいですよね。全国大学の学会の時とかにそういう機会があれば良いのですが…
たくさん勉強されているようですね。
偉そうにいろいろとすみません。
こちらこそ他の院生さんと話せてすごく良かったです。
ありがとうございます。

84 :
>>81
あと確かに考えてみると、国語科教育で評価研究で著名な研究者っていないんですね。
益地先生が少し書かれているぐらいでしょうか。
ご存知かとも思いますが、『国語教育基本論文集成』と『朝倉国語教育講座』はレファレンスに良いと思います。
それぞれ、30巻、5巻が評価についての巻です。

85 :
>>83
>自己評価や相互評価は近年流行りの社会構成主義的な立場から価値付けることが出来るかも知れません。
ありがとうございます。勉強してみようと思います。
>ポートフォリオ
はい。ポートフォリオですが、今はあまり考えていません。
>他大学の院生と交流したいですよね。全国大学の学会の時とかにそういう機会があれば良いのですが…
はい。他の方がどんな授業を受けたり、研究をされているか、とかを聞きたいです。
勉強はゆっくりゆっくりなのでこれから頑張っていこうと思っています。
>>84
はい。本当に、益地先生しかおられないかと思います。
それぞれの領域で著名な先生が独自に展開されていると思います。
それでおそらく『成果と展望2』では各領域ごとに分かれていたのかと。
だから、なんだか自分が遠回りなことをしているような気もします。
>ご存知かとも思いますが、『国語教育基本論文集成』と『朝倉国語教育講座』はレファレンスに良いと思います。
ありがとうございます。
『朝倉国語教育講座』は知らなかったので読んでみようと思います。

86 :
>>85
>はい。他の方がどんな授業を受けたり、研究をされているか、とかを聞きたいです。
ぜひ機会があったらそういう話もしたいですね。
>だから、なんだか自分が遠回りなことをしているような気もします。
きっとそこに研究のオリジナリティも生まれるんじゃないでしょうか。
ぜひ自分にしか出来ない研究を見つけて頑張ってください。

87 :
>>86
ありがとうございます。
頑張っていこうと思います。

88 :
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89 :
語学を40人学級でやるという発想から間違っている
だから丸読みなどという馬鹿馬鹿しい授業しかできず
日本の学校はコミュ障をわんさか生み出している

90 :
国語も本来少人数授業でやるべき

91 :
>>90
これは同意せざるを得ない

92 :
しかし40人でやるしかないなかで、
どうしていくのかが大切でしょ

93 :
>>92
もちろんそれはそう
ただ制度としてはもう少し1学級の生徒数を減らすように改革してく必要があるし、教育方法としては今の人数でも有効な一般性の高い指導法を模索してく必要がある

94 :
文学教育について語ろうぜ
意義とか方法とか

95 :
意義はぱっとでてこないけど方法としては
文学を読み解く(味わう?)ためのいくつかの方法を学びたいよね
教師が教えてくれても良いし、自分たちで見つけていくのでもいいけど
作品を味わうための方法があると思うんだよね

96 :
>>95
確かにそうだな
あと個人的にはせっかく教室で読んでるから、一人で読むのとは違うことをしたいよな
個人個人が色んな読みをしてみて、それを交流するとか

97 :
メロスの主題歌を考えてみるとか

98 :
>>97
主題単元とか創作単元みたいに教材の外に目標を設定するのいいよな

99 :
日本語指導が必要な日本人の子供、過去最多に
 文部科学省は3日、帰国子女など日本語指導が必要な日本国籍の児童・生徒が2012年度、
6171人に上り、過去最多となったと発表した。
 全国の公立小中高校など約3万4500校を対象に、昨年5月1日現在で調査。
12年度は、前回10年度を675人上回った。
帰国子女のほか、両親が国際結婚し、家庭で日本語以外の言語が使われているケースなどが該当する。
 都道府県別に見ると、愛知県が1113人と最多で、東京都が816人、神奈川県が771人と続いた。
過去最多となった理由について、同省国際教育課は「06年をピークに増え続けた国際結婚で生まれた子供が、
学齢期に達しているのでは」としている。
 一方、日本語指導が必要な外国人の児童・生徒は2万7013人で、前回より1498人減少した。
(2013年4月3日18時38分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130403-OYT1T01077.htm?from=main5

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