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【人類】欧州の狩猟採集民と農耕民、2000年にわたって共存か


1 :2013/10/12 〜 最終レス :2013/10/19
欧州の狩猟採集民と農耕民、2000年にわたって共存か
2013年10月12日 18:23 発信地:ワシントンD.C./米国
【10月12日 AFP】現在の欧州圏で暮らしていた狩猟採集民と農耕民は、約2000年にわたって共存し、
時に混血する場合もあったとする遺伝学研究の論文が10日の米科学誌サイエンス(Science)に発表された。
この研究は、農耕民が短期間で狩猟採集民に取って代わったとするこれまでの説を覆す内容となっている。
発表された2件の研究によると、共存はこれまで考えられていたよりもかなり遅い約5000年前まで続いていたとされる。
1番目の研究は、独ミッテレルベ・ザーレ(Mittelelbe-Saale)地域25か所の発掘現場で見つかった古代人の遺骨364人分から採取した遺伝子のデータを基に行われた。
古代人の遺伝子データとしては過去最大規模を誇るという。
2番目の研究は、独ウェストファーレン(Westphalia)地域にある洞窟で見つかった古代人の遺骨25人分から採取した遺伝子を調査した。
ヨハネス・グーテンベルク大学 (マインツ大学、Johannes Gutenberg University)人類学部の研究者らによると、
狩猟採集民も農耕民も現代中央ヨーロッパ人の唯一の祖先ではないという。
穀物栽培や家畜飼育を行い、陶器も作っていたとされる農耕文化が中近東から中央ヨーロッパに広がったのは約7500年前。
この農耕民は、遭遇した狩猟採集民を短期間で消滅させたと考えられてきた。
しかし今回の調査の結果、狩猟採集民と農耕民は以降約2000年間にわたって共存を続けたことが示された。
また論文の主著者、ヨハネス・グーテンベルク大学マインツ(Johannes Gutenberg-Universitat Mainz、マインツ大学)の
ヨアヒム・ ビュルガー(Joachim Burger)氏によると、狩猟採集民の女性が「妻」として農耕民のコミュニティーに入ることもあった。
一方、農耕民女性の遺伝系列は、狩猟採集民のグループでは確認できなかった。
こうして、この地域の狩猟採集文化は約5000年前に消滅し、農耕文化が置き換わったという。
研究チームによれば、現代ヨーロッパ人の約30%が初期農耕民の遺伝子を持っているとされ、残りの人口は、
もっと最近になって他地域から入って来た人々から構成されているという。(c)AFP
__________
▽記事引用元 AFPBBNews 2013年10月12日 18:23
http://www.afpbb.com/articles/-/3001264
▽関連リンク
Science
2000 Years of Parallel Societies in Stone Age Central Europe
http://www.sciencemag.org/content/early/2013/10/09/science.1245049.abstract
Ancient DNA Reveals Key Stages in the Formation of Central European Mitochondrial Genetic Diversity
http://www.sciencemag.org/content/342/6155/257.abstract

2 :
ハプロ

3 :
           
元々 欧州に居たのは黄色人種だったんだろ
                          

4 :
物々交換の経済システムはこの時点で確立されていたってことかな?

5 :
助け合ってたのか

6 :
今でも助け合ってるんだから、当然だろ

7 :
「狩猟採集民=サヨク」、「農耕民=ウヨク」
左右対立の原点である。

8 :
ヨーロッパ大陸に元々住んでたのは韓国人ニダ

9 :
農耕民族=ヨーロッパ人
狩猟民族=農耕を知らぬ狩猟採集民
だよな。何故か現代では
いわゆる「肉食系」=狩猟民族
いわゆる「草食系」=農耕民族 とされているのが残念。

10 :
農耕民族 = 最高権力者を頂点として圧倒的な階級制度の社会。
狩猟民族 = 人々はかなり自由な行動をしていた。緩い連帯の社会。

11 :
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org4576152.jpg
ウリ達の文明こそが世界の中心ニダ!

12 :
白人の本質は地域の人間を皆殺しにして総乗っ取りだからな。
新大陸のインディアンしかり、オーストラリアのアボリジニしかり・・・
そして、1万年前の元々の欧州人と今の欧州の白人の遺伝子は全く異なるもので、
1万年前の時期から突然白人ばかりの社会になったということが分かっている。
白人がいかに危険な存在か、残虐な本質を隠し持っているかをいい加減、
日本人は理解するべき

13 :
共存て聞くと対等かと思ってしまうけど
読んでいくとそんな感じが全然しないな・・・

14 :
>>4
同位体分析で農耕民と狩猟採集民とを別けたみたいだね

15 :
というか2000年も統一されなかったのか。
古代人は文字通り素朴だったんだな。

16 :
農耕民の技術も高くはなかったからお互い利用可能な土地の条件が違って住み分けできてただけじゃないか。

17 :
日本列島では狩猟採集が主だった縄文人集団が農耕民族である弥生人に滅ぼされるのではなく
農耕文化を取り入れ、両者が入り混じった。
文化は伝わるものだが、古代ヨーロッパでは民族絶滅など、苛烈な状況だったらしい
アジアでも大陸では似たようなもので、古モンゴロイドはチベットと日本以外では
ほぼ完全に消滅している
日本人には古モンゴロイドの遺伝子が半分近く残っている
チベットには3割くらい

18 :
>>17
> 日本列島では狩猟採集が主だった縄文人集団が農耕民族である弥生人に滅ぼされるのではなく
> 農耕文化を取り入れ、両者が入り混じった。
縄文人も農耕をやっていた。縄文人が持っていなかったのは
稲作と鉄器。弥生人は大陸系と縄文人の混血説が有力。

19 :
白人はネアンデルタール人とホモサピエンスとの混血

20 :
日本人はどこからきたとかどうでもいい
人類はどうやって生まれたのかが知りたい

21 :
日本なんか狩猟採集の段階でメチャクチャ豊かだったからな。
農業なんか要らなかったって話もある。

22 :
>>18
縄文人も稲作してるよ

23 :
>>21
それは大嘘
たまたま縄文時代中期の地球が暖かくて食料に恵まれてただけ
縄文時代後期になると地球が寒冷化して食料事情が悪化したため、
縄文人はバッタバッタと死んでいった

24 :
日本人の考える農耕狩猟採集とヨーロッパ人の考えるソレとでは全然違う
縄文と弥生はスレ違いだろ

25 :
中央〜東アジアの騎馬民族が
農耕民族と交易してたのと同じようなものか
まぁ交易じゃなくて略奪することも多かったようだけど

26 :
農耕民 神を信じ羊を飼い流浪の旅をし約束の地で農民を支配する
狩猟採集民 悪魔を信じ山羊を追い険しい山に閉じ籠り歴史の表舞台から消え去る(滅びる)
ようするに旧約聖書に難癖つけたい訳だ

27 :
今も農民と漁民が共存してるし 意外でもなんでもないような気がしますが

28 :
で、俺たちは何になるんだ?
農耕してなくて、狩猟も漁猟もしてない民族?
サラリーマン=採塩民族か?

29 :
エウレカ!
日本神話の山幸彦と海幸彦の逸話にヒントがあった!
俺たちは山幸彦の子孫を皇統をいただく、狩猟民族だ!

30 :
猟師と農民が共存していたって事だろ?

31 :
日本じゃ縄文人も弥生人も山幸彦も海幸彦も仲良くやっていけるけど
欧州人は聖書時代のジェノサイドの生き残りとか受け入れられるのかなぁ
バチカンを生贄に捧げるといった斜め上の展開があるかもw

32 :
縄文人とジャーマン人は似ている

33 :
>>17
民族つう言葉を安易に使わん方がいい

34 :
居住地域的に、共存は可能だったてのはわかる。
しかし、食料がなくなれば狩猟民は農民を襲うのが必然。
防御の方が簡単だし、人数も多そうだから勝つのは必然。
結果、狩猟民の女の地が農民に取り込まれたって事だな。

35 :
>>33
人種はともかく、民族って言葉は安易に使ってもいいだろ
すげー曖昧な言葉だし

36 :
論文の本文を読む権限がないから>>1のリンク先(アブストラクト)と
http://phys.org/news/2013-10-european-hunter-gatherers-immigrant-farmers-side-by-side.html
だけ見たんだが、
こういうことか?
 草食系安定職→モテ
 肉食系の狩人→非モテ、衰退の道へ
※気候変動があるので、時代にかかわらず普遍的な話ということでは全くない。
 これは氷河期(1万年前までの最終氷期)が終わったあとの話ですな
※氷河期を乗り越えて安定な職に就いたのにおいらはなぜモテないのか
※狩人の兄弟は仲が悪い

37 :
紀元前3000年ごろというとクフ王の頃か?

38 :
>>17>>18
正確には、南方縄文人(マレーポリネシア系)。
北方縄文人(古モンゴロイド)は、アイヌになった。
>>23
だから、南方縄文人は、食うに困って稲作を始めたんだろ。

39 :
>>17
山だらけ谷だらけの土地で農耕なんて出来るか!
魚、鹿の狩猟で十分だ!

40 :
2012/05/03
【人類】石器時代の農耕民族、北上して農業と遺伝子を伝える 欧州研究
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1335971836/
2013/04/28
【人類】「民族として歴史が浅いかもしれない?」…ヨーロッパ人の遺伝学的な起源が判明
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1367103944/

41 :
【人類学】遊動生活を送っていた狩猟採集民の間では戦闘行為はまれ/フィンランドの研究チーム
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1374589627/
【7月21日 AFP】遊動生活を送っていた狩猟採集民の間では戦闘行為は珍しく、殺人は女性をめぐる争いや個人間のいざこざに
起因するものが多かったとする研究結果を18日、フィンランドの研究チームが米科学誌サイエンス(Science)に発表した。
戦闘行為はこれまで論じられてきたように放浪する狩猟採集民の集団に由来するものではなく、むしろ土地や家畜を持ち、
食糧のために耕作する方法を知っていた文化に由来するものだと今回の研究は示唆している。

42 :
文藝春秋 > 2013年11月号
http://gekkan.bunshun.jp/articles/-/870
大型企画
歴史の常識を疑え
教科書ではわからない
この国の見方が変わる?新しい日本史20
「弥生人」の大量渡来はなかった   片山一道

読書倶楽部通信
http://members.jcom.home.ne.jp/matumoto-t/index.html
たかちゃん、「インディアンの言葉」を読む。
http://members.jcom.home.ne.jp/matumoto-t/indianhyousi.html
ちはやぶる・し - zaq.home.ne.jp
http://members.jcom.home.ne.jp/matumoto-t/indian155.html
 (吉本)『古事記』に、ヤマトタケルが東国へ遠征してきたところ、海が荒れ、オト
 タチバナヒメが海に飛び込んで海を鎮めるという話がありますね。そこのところで、
 オトタチバナヒメが「さねさし相模の小野に燃ゆる火の火中に立ちて問ひし君はも」
 という歌を詠んで飛び込むのですが、この「さねさし相模」の「さねさし」というの
 は、どういう意味か全然わかっていないんです。アイヌ語に、陸地がちょっと海の方
 へ突き出た所という意味で「タネサシ」という言葉があって、僕は、「さねさし」は
 アイヌ語の地名じゃないか、というふうに考えました。
  つまり相模もちょっと出っ張った所ですから、そこに昔、アイヌあるいはそれに近
 い人たちが住んでいたときに地形から「タネサシ」というふうに言われていた。それ
 をもうひとつ重ねて「さねさし相模の小野に燃ゆる火の」とした。「さねさし」とい
 う枕詞はアイヌ語だとするのが一番もっともらしいのじゃないか、そこのところで、
 柳田国男の地名の考え方にちょっと接触していくのです。
  柳田は、アイヌ語の地名は自然の地形をそのまま名づけた所が多いのだという。な
 ぜアイヌ語の地名が残っているのかというと、それは単にそこにアイヌ人が住んでい
 たからではなくて、アイヌ人またはそれに近い人たちが住んでいたときの地名があっ
 た所へ、後から移り住んで来た人間がいる。先住民たちを完全に駆逐してしまったら、
 その地名はなくなってしまう。そこで地名が残っているということは、アイヌ人たち
 と後から来た人間たちとが共存状態であったのだろう、というふうに柳田は言ってい
 ます。
  つまり、アイヌ語の地名という問題はそういう意味でとても大切なことになってき
 ます。先住民と後任の人とが異なった人種であっても、共存していたか、駆逐してし
 まって新しい地名をつけたか、またはこの「さねさし相模」みたいに、枕詞の形で残
 したか−−そういうふうに分けると微妙にいろんな段階があって、それはとても重要
 なことだなと、たしか『地名の研究』の中で言っているんです。
(『日本の原像』 梅原猛・吉本隆明)
            ○
 吉本隆明の説明からは、枕詞「さねさし」は、アイヌ語が元であることが、十分にありえると
思われる。
 「ちはやぶる」や「しらぬい」が、アイヌ語でないとは、言えないのではないだろうか。
 日本の土地に先住民(縄文時代人)がいて、後からやってきた人(弥生時代人)たちが、それ
を駆逐していった。
 だが、完全に駆逐してしまったら、それ以前の言葉は残らないはずだ。
 ある時期では、共存しながら生活していた時代もあったのではないか。
 やがて、先住民の言葉が、枕詞として残ったり、駆逐されて新しい言葉に変わったり、あるい
は、弥生時代人の話し言葉や地名の中に、無意識に取り込まれていきながら、日本語が形成
されてきたのではないだろうか。僕が知っている限りでは、山口県にも、アイヌ語に似た地名
が、いくつか存在している。 

【人類/遺伝子】アイヌと琉球は縄文型…日本人の遺伝系統、ゲノム解析で裏付け/東大など
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1351740540/
【考古】土器で魚を煮炊き 世界最古の痕跡を日本国内で発見
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1365648494/l50

43 :
>>42
吉本隆明もさあ、仮説を立てるのはいいんだが
アイヌ語で文字化されているのは近代かつ一部地方の方言じゃね
なんとなく似てるからで検証しないで言いっぱなしって、ただの妄想だわな
枕詞については同様の論理で半島語由来だとかいってた連中が昔いたが同じだよ

44 :
>>34
古来、防御の方が難しいが
特に防御施設を作れる段階に達するまでは圧倒的に攻撃側が有利

45 :
>>38
古モンゴロイドってのはモンゴロイドとは全く別なのか?
モンゴロイドっていったら体毛が薄い気がするが

46 :
こういう昔の話は、現代の解釈仕方を歴史に求めてることによる。
つまり今を語っているのである。

47 :
>>10
全体主義・国家社会主義=最高権力者を頂点として圧倒的な階級制度の社会。
自由主義= 人々はかなり自由な行動をしていた。緩い連帯の社会。
現先進国は基本的に農耕民族。

48 :
>>45
モンゴロイドは元々全てが古モンゴロイドだったけど
古モンゴロイドの中から北に移動して寒冷地適応した新モンゴロイドが登場した
体毛が薄いのは新モンゴロイド
まぁ、マレー・ポリネシア系の人々は古モンゴロイドに分類されるから
南方縄文人と北方縄文人という概念はよく分からないが

49 :
採取狩猟民と農耕民の混在分業なんて
どこでもやってたんじゃないの
中央アジアや中南米なんかじゃ当たり前だし

50 :
>>44
しかも、
騎馬民族の場合は圧倒的に逃げ足が速い
そして、広大な高原に逃げられたらもう捕まえられない

51 :
バルト三国あたりとコーカサス地方に
強いマーカーを持つみたいだけど
何を考えとけば良いんだろうか?

52 :
>>43
言葉は変化するから
古代語のこと何も分からない状態で、現代語で解釈するのはただのこじつけだが、
地名というのは原型とどめてることが多いのでは?

53 :
>>51
あ、そっか
金髪碧眼ってのになるのかな

54 :
>>53
ルーマニア付近をあえて探すなら
BACかBBCになる

55 :
>>49
ヨーロッパではこれまで思ってたよりも長く農耕民と狩猟採集民の共存が続いてたってことだよ。
ヨーロッパの初期農耕民の村はドナウやラインといった肥沃な土壌のある河畔に集中してるので、森林や山岳地帯の狩猟採集民とはある程度住み分けができてたらしい。
その中で土地を巡る争いもあっただろうけど肉や毛皮を穀物と交換するという形での交流もあっただろう。
ただ農耕に向かないスカンジナビア半島周辺ではBC3200年ごろまで定住するが狩猟採集に依存したエルテベレ文化があったりしたのでそれほど斬新な知見というわけでもない。
歯に含まれる元素の分析から狩猟採集民と農耕民の間に交流・通婚があったらしいというもの既にわかってるし。

56 :
防御で思い出したが、この時代って町が城や砦になってたんだろうか、
中世以降なんだろうか

>>52
まず、青森のほうにタネサシ?というのがあって要するに江差みたいなもんなんだろうが
そこの地名と南関東の地名が言語的にイコールなのか、というのが第一段階。
そして、地名と枕詞に関係があるのか、っていうのが第二段階。
他段階すっ飛ばして感傷というか情緒的に直結させるのは、なんというか
ケクレが夢うつつから寝起きで論文書いてるような状態じゃね

57 :
農耕、牧畜、狩猟採集、
まぁ明確にわけるのは難しいけど
なんか、ごっちゃになってる人が結構見受けられるな

58 :
狩猟免許持ちの俺は、狩猟サラリーマン民族。

59 :
>>56
ヨーロッパにある初期の新石器集落遺跡の中には周囲を空堀や柵と思われる柱穴の跡で囲まれているものもあって、外敵からの防御を想定してると思われるものもある。
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Talheim_Death_Pit
ドイツのタルハイム遺跡(BC5000頃)からは集落を囲んだ堀の中から石斧や矢で殺害された痕跡のある大量の死体が見つかっていて、大規模な襲撃と殺戮があった証拠とされている。
ただこれが農耕民と狩猟採集民の衝突なのか、農耕民同士の争いなのかはわからない。

60 :
>>59
>ただこれが農耕民と狩猟採集民の衝突なのか、農耕民同士の争いなのかはわからない。
パラパラ斜め読みすると
・成人男女子供が逃げる所をヤラレタ。
・攻撃した側の武器は殺された集落と同じ文化圏の狩猟用?
・大量殺戮は周囲で数例見つかっているが、恐らく非常に希
・この地域へのKurgan文化(印欧語族)の侵略前の出来事
・地域の集落が砦化するのは殺戮事件の数百年後(Kurgan文化との遭遇時?)

61 :
>>59 ありがとう
というか、なんだこれ、
狩人が攻めてこなくなったから砦的なものは長く使われなかったけど
人が武器で死んでる、考えにくいけど佐川君的なものの可能性も
みたいなこと書いてある?
もちろん、近現代的な価値観で考えちゃいけないので、落ち着くが
飢饉とかかなあ。昔も今も生きるのって大変だな

62 :
◆遺伝的な特性
クーパー氏の研究チームは、ドイツ中央部で発掘された遺骨39体の歯や骨を研究対象に選んだ。
時代はおよそ7500年前から2500年前と推定されている。遺骨から、母親のみから受け継がれる遺伝情報、
ミトコンドリアDNAを抽出。
次に、ミトコンドリアDNAの変異がよく似た1つのグループに焦点を当てた。
現代ヨーロッパ人の最大45%が受け継ぐ遺伝的集団、ハプログループHだ。
生物の遺伝的な構成(DNA配列)をハプロタイプと呼び、グループ分けした集団をハプログループと称す。
親から子に引き継がれるハプロタイプを調査すれば、人類集団の比較調査が可能になる。
ハプログループHの変異は、何千年も前からヨーロッパ人の遺伝子構造に存在した可能性が過去の研究によって示されている。
この集団がヨーロッパで優勢になった経緯はわかっていない。
最後の氷河期が終了した約1万2000年前から人口が急増し、ヨーロッパ大陸に広がったのではないかという説もある。
しかし、クーパー氏らによる最新のデータは、現代ヨーロッパの遺伝的な基盤について異なる姿を描き出している。
1度や2度の移動ではなく、複数の集団が異なる方向からさまざまなタイミングで波のように押し寄せ、
ヨーロッパの人種構成は数度にわたって一変したというのだ。
最初の現生人類は3万5000〜4万年前、アフリカからヨーロッパにやって来た。
3万年前ごろまでにはヨーロッパ全域に広がり、一方、近縁種のネアンデルタール人は消失。
これら狩猟採集民のDNAが、ハプログループHだった可能性は低い。
約7500年前の新石器時代前期、今度は中東からヨーロッパに次の波が押し寄せた。
作物の栽培方法とともに、ハプログループHの変異型が持ち込まれた。
考古学者たちは、中欧にやって来た最初の農耕民が形成した文化を線形陶器文化(LBK)と呼んでいる。
線形の装飾を施した陶器が多く見つかっているためだ。
遺伝的な証拠によって、LBKの農耕民と彼ら固有のハプログループHの到来が、ハプログループUの激減と
一致することが示されている。当時、ヨーロッパの狩猟採集民の間では、ハプログループUが優勢だった。

63 :
>>62
書き忘れた
>>40の下っすね

64 :
>>56
反論の趣旨は分かるが、>>42の引用元リンクは読んでるか?
枕詞をアイヌ語で解釈できるように思えるのは、そのタネサシの一件だけではないよ。
吉本は社会学者だから言語学的には素人考えだろうけど、
直感的には吉本の分析は正しいと思う。なにより言語学者はそれを説明できないんだから。

65 :
>>64
そもそもアイヌ語が昔から変わってないって証拠がない件

66 :
>狩猟採集民の女性が「妻」として農耕民のコミュニティーに入ることもあった。
>一方、農耕民女性の遺伝系列は、狩猟採集民のグループでは確認できなかった。
男は殺され女はさらわれたとか思っちゃうな

67 :
>>10
>狩猟民族 = 人々はかなり自由な行動をしていた。緩い連帯の社会。
でもゴリラ・チンパンジー・ボノボとか見てると、
結構群で生活してるし上下関係キツそうだよな・・・

68 :
田舎(少数の狩猟グループ)から都会(人・物が集まる農耕の村)へ
どんどん上京しちゃった、って感じなのかな
5000年前に「跡継ぎが居ない」とか嘆いてる
狩猟民のおじいさんとか居たりして

69 :
農耕の技術や品種改良が進んで行って狩猟よりもある時点で効率よくなったんだろうね
農耕は規模を大きくすればするほどメリットがあるし、狩猟とは対照的

70 :
+世界規模の気候変化

71 :
農耕民は自分達で食料を生産しているのに加えて
小麦粉とかは保存条件さえよければ何年間でも保存できるからな
対して狩猟採集民はダイレクトに自然環境の影響を受ける
食糧事情の悪い年があると農耕民の集落に加わっちゃうんじゃないか

72 :
>>1の日本語ニュースだけ見ると狩猟採集側が獣を狩っていたようなかんじだが
リンク先には川魚を獲っていたグループに言及しているから
干物かなにかにして農作物と物々交換じゃないかなあ。
農業側もさあ、(現代の主食が、新大陸原産のじゃがいもであるように)
寒冷地であるため当時はあまり生産が安定しないわ、タンパク源もないわで
力関係はあっても共存してお互い取引しないとやっていけないような感じはするわ

73 :
>>72
農業も中世?までは生産性が異様に低いしな
特に小麦とかは
収穫量の3分の1だか4分の1だかは翌年の種籾として保存しておかなければならないとか
単位面積辺りの収穫量は技術が進歩すら前でも圧倒的に小麦<米だったらしいし

74 :
>>65
北海道の地名なんてほとんどアイヌ語起源だろ。札幌、釧路とか。
「札幌の雪は綺麗だ」のフレーズが多用されてるうちに
「札幌」の意味が消失してしまえば、札幌は雪の枕詞になる。
ある一時期、異文化人との共生関係があったとするなら、
彼らとの意志疎通の過程で得た知識がそのまま自分の側に組み込まれるが、
もともと異文化起源だから淘汰されかかってその意味への理解が失われ形骸化する。
サッポロという言葉は残ってもその意味は分からなくなる。
しかし「ヤマト」は大和言葉だから「山の処」だと通じたままだ。
大和は国のまほろばのl「まほろば」の語源は不明で、
「素晴らしい場所」という意味だろうと文脈から推測されてるが、
「まほろば」の「ほろ」はサッポロの「ポロ」と同じルーツで、
川、あるいは水を意味しており、
川のある土地=物流拠点という風にアイヌ語で解釈され得る。
北海道には「ほろ」とつく地名がたくさんある。

75 :
>>74
だから、それを証明するには上古アイヌ語の資料が必要でしょ?
そんな資料がどこにあるの?
その資料がない限り、妄想でしかないよ

76 :
 .、ー-¬-.、._.,ゞ -..,_ ̄``">'       ::.   :::ヽヽ::::\'´
  ヽ ` 、 `ヽヽ、  ``''.>   .:   :.   ::ヽ、 :.. ::ヽヽヽヽ
    |、      \   /  .:i::i :.  :::. ::. ::::ヽヽヽ、:::ヽ }::iヽ
    |ヽ       ヽ、|   ::ヽ 、  {、 、 、 } ,>、!ヽw、::}:::ハ
  .i! | !         .| |   ::::llヽヽ>、トー、ヽ|ヽ!  ,..,.._,|:::::::|`     >>74
  .}.|}         | .|   .::::l:トヽト `     '‐´  i:::::::|        わっちに何か用かえ?
  }.'          | .|   :::::ヽ  ..==、  ヽ     i::::::|
 }           | ヽ  :::::ヽ.‐´       ノ   /::::::ト、
/  ::    ::: : ::   .| .| ヽ  ::::::::ヽ      _,,.-1  /:::::::::|`ー..,_
/  .::::: .: .::::: .:::::: ..: |.| .ヽ  :::::::::ヽ、   ´ー-.'´ ./|  :::::|   ヽ
  . :::::::. :::::::::::::::::: .::: ./|i  :ヽ  :::::::::ヽ`ー-..,,,____/ .| i .:::::|    }
.:. :::::::::::::::::::::::::::::::::::::/ .〉  .,!-.、  :::::::::ヽ     {   |.| .:::::|    .|
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77 :
>>75
地名にかかわる言葉って古代からあまり変化しないんだよ。

78 :
>>77
そもそもアイヌ語に由来していることを証明できるの?
地名が昔から変わってないことを証明できるの?
そんな資料は存在しないんだから、証明できるはずないでしょ
変化しないだよって希望的観測ではなく、具体的な証拠を提示してくれたら信じるよ

79 :
最近は地震被害への警戒を持つことが大事になってるが、
地名からその土地の由来を把握しようという考えが提起されることが多い。
地名というのは意味があってつけられてるが、
その意味は普段意識されることがない。
地名は人々の共同の必要性から変化することが乏しく、
かつ、意味なく使ってる言葉の最たる例だ。

【首都直下型地震】地名から紐解く東京の超危険エリア
http://matome.naver.jp/odai/2133308828396201201
津波が襲う“地名”とは? 南海トラフ巨大地震「隠れた危険エリア」
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20130629/dms1306291455004-n1.htm
東京「この地名がアブない」(1)土地の高低感を失った都民
http://www.asagei.com/4495
地名で見る地震・津波の危険地区(東京)(分類Eその他)
http://blogs.yahoo.co.jp/smasao2012/32137108.html

80 :
>>74
まほろばとポロぐらいになってくると名前の語源はnameぐらいの信憑性しかないな。

81 :
つーか札幌の地名が文字になったのって江戸中期か後期じゃね
それ以前の現地の人がなんて呼んでたのかはわからんよ。
古代から変わりませんという一般論的な仮説をベースに仮説を立てるのもなあ
このニュースも、いくらmtDNAのコピー数が染色体のそれより多いといっても
古代の人骨だからDNAは分解しまくってるわけで、
そこから必死でPCRやって配列読むなり電気泳動するなりして
データ集めた話なんだが、妄想でいけるんなら歴史ってなんでもありだわな。

82 :
アイヌ語、「ほろ」というのは「大きい」の意味かも。
その場合は「まほろば=大きい場所、重要な場所」という意味か。
北海道には「幌」という字の付く地名が多いような気がするのですが、どうしてなのしょうか?
(札幌、幌加内、美幌など・・・)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1011609955

83 :
>>82
うむ、その論でいくと「ほろんぶ」というは、
「大きな部、重要な部所」という意味で正しそうだ。

84 :
・「旧唐書」倭国日本伝
「日本国は倭国の別種なり。その国日辺にあるを以て、故に日本を以て名となす。
あるいはいう、倭国自らその名雅ならざるを悪み、改めて日本となすと。
あるいはいう。日本は旧小国、倭国の地を併せたりと。」
いや、むしろ
日本(ニホン、ニッポン)の「ホン、ポン」=アイヌ語の「小さい」
であるように思える。

> アイヌ語の「poro」(大きい、という意味)に当て字をしたものです。
> 札幌(サッポロ)は、もともとは「サッポロペッ」と呼ばれる地名で、
> 「sat」(乾いた)「poro」(大きい)「pet」(川)に由来すると考えられています。
> ちなみに「小さい」は「pon」で、漢字になると「本」になることが多いようです。
> 十勝地方にある「本別」という町の名は、この「pon」+前述の「pet」だと考えられています。

85 :
こんなの普通だろ
日本でも農耕が始まった紀元前3000頃から江戸時代でも狩猟だけするアイヌはいたし
つまり4500年以上共存
ブラジルなんて今でもアマゾンで新しい部族が「発見」される

86 :
>>85
いや、普通ではないだろ
普通は優勢な民族によって一方の民族が駆逐される
アイヌが生き残れたのは北海道で稲作ができなかったからで、
稲作が可能だったら東北の蝦夷や南九州の隼人のように民族としては消滅させられたはずだ
で、勝った農耕民の中から山や海に入って猟や漁をする人間が出てくる

87 :
>>84
雅ならざるを悪んで「小さい」に改名する奴はいないよ

88 :
現代日本語式の表記で比較するんじゃなくて、遡れるだけ遡って、
「久爾能麻本呂婆」を奈良以前の音韻でどう発音するのか、そして
アイヌ語は近世でまでで仕方なくてもporoが上記の発音と相関があるのか、
そこちゃんとやらないと妄想じゃん。
もうあれよ、血圧下げる薬剤だから自動的に脳卒中にも効くよ、と
憶測のたぐいで「証拠すら集めずに」売ってるようなもんだわ。
インチキ操作でもいちおうデータ集めたあの会社がまだ良心的に見えるレベル

89 :
>>87
それは旧唐書が紹介する3通りの見解のうちの一つだろ。
その最後のやつ「日本は旧小国、倭国の地を併せたりと」。
これではないかな?
「ニホン」という小さい国が倭国を制したと。
神武東征神話に基づいてるように思えるが。

90 :
神武は日向を立ってるから「日」が当てられる理由になるし、
>>42リンクの筑紫枕詞の不知火=シラル・ヌイ=溶岩流で、
九州・肥の国に関連してアイヌ語が連想されることとも関連してくる。

91 :
唐書が書かれたのって10世紀、11世紀の話だろ?
同時代資料としては価値低いんじゃね?
そもそも国号が日本に変わった7世紀時点では日本と書いてヤマトと読み、
後に音読みに変わっただけで、アイヌ語なんて何も関係ないだろ?

92 :
>>91
だなあ。
日本側の資料ではヤマトだし
日出拠天子関係で中国むけに日本と書面に書いてたってだけの話だし

93 :
>>91
山の処=ヤマトに「倭」を借字して「(大)倭=ヤマト」と発音し、
その倭(ヤマト)を「日本」に変更しているが、
もともと「日本」という言葉が何を意味してるのかは、
通常は中国より東=「日の本」だとされてるにすぎない。
もしかしたら「日本」は別に存在してた地名だったかもしれないじゃないか。

94 :
>>93
日の本は東を意味する言葉でしかないと思うよ
室町時代初期、北海道には日の本、唐子、渡党の三種がいたって記録があるが、
太平洋側、つまり東蝦夷のことを日の本と呼んでいたそうだ
つまり東=日の本

95 :
>>94
後年になったら「日の本」の解釈は統一済みになってるから意味ない。
そういう意味の言葉だと共有認識になってるから。

96 :
>>95
それじゃ君が日本なる地域、国家が存在したことを証明しなよ
天智、天武の中央集権化以前には筑紫、出雲、吉備、毛野などの
地方国家が存在したことは知ってるけど、日本なんて地域国家が存在した資料が残ってるの?

97 :
それと
> 雅ならざるを悪んで「小さい」に改名する奴はいない
だが、
“雅ならざる”というのはアイヌ語上での解釈だからな。
もし地名として残ってたアイヌ語なら、使ってる側はそのように意識はしてない。
「まほろば」や「サッポロ」が何の意味か知らずに使ってるように。

98 :
>>96
7世紀の百済滅亡期、義慈王と唐に投降して官吏になった後、日本に使節として派遣された「祢軍(禰軍)」(613〜678)
という人物の墓誌銘の文章に彫られた「日本」の文字が・・・
墓誌銘の「日本」は祢軍が日本に使節に行った背景を書いた部分に登場する。
> 「660年官軍(唐軍)が私たちの蕃国(百済)を平定した日…日本の残党が扶桑に立てこもって殺戮を免れ、
> 風谷に残った輩は盤桃を信じて堅く抵抗した…」

元記事自体の解釈の論理と理屈は韓国人のいつものあれだから無視して、
あくまで発見された史実のみね。
【韓国】 「日本」という国号は本来、百済の地を称する言葉だった〜百済人の墓誌銘に刻まれた最古の「日本」★2[06/06]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1339072800/

99 :
墓誌銘に記録された当時、百済など中国の周辺国は国号を使わず、扶桑・風谷・盤桃など自然環境的特徴に
基づいた隠喩的名称を使ったが、唯一、日本だけ公式国号を使ったはずがないという論旨だ。
彼は「墓誌銘で実際、倭国(日本)は‘ヘジュァ(海左:海東側)’、‘ヨンドン(瀛東:中国東側)と表記されたと推定される」

100 :
> 地方国家が存在したことは知ってるけど、日本なんて地域国家が存在した資料が残ってるの?
ここだが、
「日本」が倭国を征して、日本をヤマトの当て字にすると決めとしたなら、
元あった所在地の「日本」という地名は消去されることになるのじゃないかと思う。
乗っ取った形になるんで、残したままにするのは不都合になる。

101 :
>>98-100
日本だけ地理と国号を一緒に使ったってだけの話でしょ
そもそも日本という国家がどこにあったと考えてるのよ?
吉備氏の乱、磐井の乱、武蔵国造の乱を平定して
北九州から関東までを支配している大和朝廷を倒せる勢力が
どこに存在したと考えてるの?
そして、その勢力が大和朝廷を征服したという考古学的な証拠はあるの?

102 :
どうせ唐が継体天皇か壬申の乱を勘違いして記録しただけの話でしょ
そして超スレ違いになってきたので消えますね

103 :
つか欧州の話なのにいつまでスレ違いの話してるんだよ。

104 :
新羅国王4代目の脱解は倭の東北一千里にある多婆那国とも龍城国の出身だとされ、
丹波、但馬、肥後・玉名だと諸説あって確定されてないが、
その「日本」というのがどこにあったかは分からないが、
国号ではなく俗称地名だと思う。

105 :
つまり「倭国」=相模、「日本」=さねさし(タネサシ)だ。

106 :
>また論文の主著者、ヨハネス・グーテンベルク大学マインツ(Johannes Gutenberg-Universitat Mainz、マインツ大学)の
>ヨアヒム・ ビュルガー(Joachim Burger)氏によると、狩猟採集民の女性が「妻」として農耕民のコミュニティーに入ることもあった。
>一方、農耕民女性の遺伝系列は、狩猟採集民のグループでは確認できなかった。
狩猟=貧乏、農耕=金持ちという話か
女は2000年前から変わらないな

107 :
ヨーロッパのが共存ww
当時は狩猟民族のターゲットは農耕民族だぞ
消えた村は星の数ほど有るし
お花畑はいらね

108 :
狩猟民族のトップがバイキングであったり後に王侯貴族に落ち着いてたんだろうしな

109 :
2000年、十分早いだろ。うっそうとした森林をたいした道具も無しに開拓できるわけないし

110 :
>>105
注意されたら止めろ。

111 :
>>43
アイヌなんて文字も文献も残ってないんだから、想像から解きほぐしていくしかなかろう。
お前の言ってるのは「分からないものは分からないから分からない」って言ってるだけ。
子供かw

112 :
>>106
考古学的な記録から裕福なのはだいたい
狩猟採集民>農耕民
になってることが多い

113 :
>>107
45 :七つの海の名無しさん:2013/10/01(火) 18:13:38.37 ID:7pRQ64GJ
バビロニア、旧メソポタミアにユダヤ人の農耕民族がいた。
それから5770年前遊牧民族のヒクソスという侵略者がやってきた。
遊牧民族のヒクソスは、バビロニアの農耕(ユダヤ人)民族を、
羊のように飼う方法はないかと思案した。
そうして、彼ら(ヒクソス人)が考えたのは、まず神様という概念を作った。
どこにでもいる、全部見る、必ず罰する、逃げられない神様を信じさせる。
全て一つの文化に統合した一つの考えを押し付けた。
いろいろな考えがばらばらにあると纏まり難いから、皆同じ考え方にさせる。
その為に聖書という本が作られた。
だから、一般の殆ど99%のユダヤ人は神様と聖書を信じてる。

114 :
>>108
バイキングは農民だけど。
>>112
農耕を始めると狭い地域に集住するので伝染病にかかりやすくなる。
穀物に偏った食事になるので多様な食品をとる狩猟採集民より栄養が偏りやすい。
炭水化物の割合が高くなるので虫歯になりやすい。
中腰で膝をついて行う粉ひき作業が重労働で関節を痛めやすい。
などなどで遺跡から出土した骨を調べると狩猟採集民よりも初期の農耕民の方が体格が貧弱だったり平均寿命が短かったりするらしいね。
一方で、柔らかい食事を与えられるので乳幼児の離乳が早くなるので出産から妊娠までの期間が短くなって出生率が上がる。
食糧の大量備蓄ができるので飢饉などに強くなる。
食料の確保のために必要な土地が狩猟採集よりも狭くて済む。
などのメリットが農耕にはあるので最後には人口で狩猟民を圧倒することができるけど。

115 :
>>114
下の方に書いてあるもの全てが
農耕民が貧しくなる理由だ

116 :
>>113
史学的な観点から見ても間違いだらけだな
ユダヤ人国家の形成が紀元前1000年ころで
場所はバビロニアではなくエジプトからシリアへの移住。
フェニキア人、アラム人、アッシリア人、ペリシテ人、ユダヤ人などが
雑居していて多神教の風を呈していたことが発掘から分かってる。
ユダヤ教形成の原因は新バビロニアがシリアを征服してユダヤ人が連行されたあと
主神に対する信仰がおろそかになったから不幸になったという
神官が力を持ったのでそうなったというだけ

117 :
マジレスしなくてもw

118 :
>>86
文芸春秋>>42に寄稿によれば、
従来は大量流入した弥生人が縄文人を駆逐し、縄文人が沖縄・北海道千島に追われたと考えられてたが、
発掘される人骨の分析において、酸性土の日本では10年で骨は溶けてしまって残らない、
残ってるのは貝塚のカルシウムのある場所に埋葬された縄文人ばかりで弥生人は少ないらしいんだが、
なんとか残ってる弥生人の骨は、これといった特徴を確立してなくて、
九州で発掘された弥生系遺跡の人骨には縄文系の特徴を持ってる者もあったりするなど、
多種多用な弥生系人骨が見付かっている。
これまでの100万単位の縄文系の日本に、
弥生系が100万単位で流入したという分析は間違いで、桁は一桁小さい。
そこから考えられるのは、人の流入と文化の伝達とは別であり、
渡来弥生人が稲作文化を持ち込んだが、縄文系の子孫も同じように稲作をするようになったらしい。

>>101
乙巳の変で覇権を握った天智天皇の地盤じゃないか?
「日本」の呼称、最古の例が中国で発見。678年の墓
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1319330023/

119 :
奴隷制度がデフォルトで
男は皆殺し、女は性奴隷が伝統のヨーロッパが
なにぬかすか

120 :
城塞の中に商人農民、森の中に狩猟民だったんじゃないの?
何が新しい?

121 :
>>118 追加
摂取する食物の変化によって、身体的特徴の変貌をもたらしてもいる。
縄文人の弥生化というのは、戦後日本人の身長が伸びたり肉体変化してることからも不思議なことじゃない。

122 :
>>118
桁が色々と間違ってるぞ……
弥生時代初期の縄文人の人口は10万以下ってのが有力だ
そんな過疎列島に部族単位の弥生人集団が何百年もかけてポツポツやって来て
縄文人が必要としない低湿地に住み着いて人口を増やしたんだ
で、部族単位でやってきた弥生人は血が濃くなるのを防ぐために
縄文人を積極的に集落に迎え入れ、混血した状態で人口を増やしていった
そう考えればY染色体にO系統とD系統が多い理由が説明できる
北海道や東北、南九州や沖縄が縄文的なのは単純に稲作に向かない土地だったからだろう

123 :
>Y染色体にO系統とD系統が多い理由
へっ? 弥生系が母系社会だったとでも言うの?

124 :
>>122
縄文時代を通じて東北のほうが人口多いよ
理由は堅果類が東北のほうが実りがよかったため

125 :
だから欧州のスレだっての。
スレ違いのレスは止めろ。

126 :
538 :名無しさん@13周年:2013/10/15(火) 18:42:48.15 ID:v7vJDFSti
    >>527
    B型はもともと遊牧民族だからな
    O型は狩猟民族
    A型は農耕民族

127 :
まほろば=美・幌別<ミホロペッ>=美しい?大きい川のある場所
日本→日・本別<ニポロペッ>〜な小さい川のある場所?

128 :
日本→日・本別<ニポンペッ>〜な小さい川のある場所?

129 :
>>127
北海道や北東北のアイヌ語由来の地名って当てはめた名前が大体それっぽいところが多いけど
奈良盆地にそんな名前つけるとか明らかにおかしいだろ。
日本語の起源はヘブライ語レベルになってるぞ。

130 :
>>1
アルプス山中で発見された「アイスマン」は5000年前の人物だった。石器時代なのに青銅製の斧を
もっていた。アイスマンは小麦を食べていたことも分かった。
古代史は根本的に考え直すべきだね。大陸文明は半島から日本に伝えられた・・だが、現代の韓国人を
見ても分かるようにエベンギが日本に文明を伝えたのではなくて、日本がエベンギ(朝鮮人)に教えてやった
のだ。
朝鮮人は近親相姦、とくに母子セックスが行われていたことがDNAの塩基配列から分かってる。禽獣の
エベンギから教えられるものは何もない。ここを抑えて置こう。

131 :
>>129
あまりに重要な場所ゆえ呼称の変更・置き換えが起きずそのまま残ったとか。
残ったというか、「まほろば」という言葉は消えて枕詞にのみ残ってるにすぎないわけだが。

132 :
>>123
>へっ? 弥生系が母系社会だったとでも言うの?
平安時代の母系的婚姻風習と関係づけて、弥生時代には母系社会は一切存在しなかった・・
母系・有り得ない、そんな考えは俺が論破してやると、ちょっと論じて良いよ。please !

133 :
>>124
それもちょっと不足な情報でないか?
噂では噴火のせいで西日本は作物が取れなかったので
東北の方が住民が多かったと聞いたことあるぞ。

134 :
>>131
残る前につけないだろそんな名前をミホロペッからまほろばとへの変化というのも言語学的におかしいし。
こじつけに固執してもなんも成果はないよ。

135 :
アイヌ、琉球は縄文系=本土は弥生人との混血−日本人のDNA解析・総研大など
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2012110100041
http://www.jiji.com/news/kiji_photos/20121031ax08.jpg
【国内】日本列島の先住民である縄文人と朝鮮半島から渡ってきた弥生人との混血説を裏付け 日本人の遺伝子解析★8[11/01]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1351784909/
【社会】日本列島に住むヒトの集団の中では、北海道のアイヌは本土日本人よりも琉球人と近縁性が高い
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1351688582/

【考古学】170センチ超える縄文人の骨見つかる、珍しいノッポ集団か? 富山市
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1310134514/
【考古】現存する世界最古の弦楽器か…青森で出土した縄文の木製品
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1335583531/

謎の土器に隠された古代日本人ミステリー
http://www.youtube.com/watch?v=5lyDTVzYrs4&list=PL4USnD_hZl_dd8bns48OljChUyrvvnGUw&index=111
謎の土器に隠された古代日本人ミステリー
http://enacap.seesaa.net/article/31167096.html
縄文人は太平洋を渡ったか?
http://page.freett.com/asobinin/bun7.html
南太平洋を渡った三内丸山縄文土器
http://www18.ocn.ne.jp/~tugaru/minamitaiheiyou.html
環太平洋の縄文人
http://www.jsdi.or.jp/~kuri/KABUDATA/kodaishi-kan-taiheiyo.htm
海を渡った縄文人:ワラ算とキープの関連から
http://web.joumon.jp.net/blog/2007/05/000224.html
1584.縄文時代の再考
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/k6/160403.htm
海を渡った縄文人―縄文時代の交流と交易 [単行本]
橋口 尚武 (著) 出版社: 小学館 (1999/03)
http://www.amazon.co.jp/dp/4096261106
世界最古の縄文文明
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1315780264/

136 :
まほろばはタミル語起源説の人も同じ手法に使ってたしこの手のなっちゃって言語学屋さんには好都合な
語源のよくわからない単語なんだろうな。

137 :
>>124
人口が多いって言ったって、縄文時代の最盛期でも30万以下だろ
縄文末期には10万以下
日本で狩猟採集生活を行うなら、それが限界ってことだ
一方、農耕民はガンガン増える
弥生中期には東西の人口逆転してるだろ
つまり、それが狩猟採集民が消滅する理由だ

138 :
>この研究は、農耕民が短期間で狩猟採集民に取って代わったとするこれまでの説を覆す内容となっている。
え?
>穀物栽培や家畜飼育を行い、陶器も作っていたとされる農耕文化が中近東から中央ヨーロッパに広がったのは約7500年前。
>この農耕民は、遭遇した狩猟採集民を短期間で消滅させたと考えられてきた。
>しかし今回の調査の結果、狩猟採集民と農耕民は以降約2000年間にわたって共存を続けたことが示された。
遺伝子調べただけだから、文化は一瞬で農耕に移行したが、狩猟採集民と農耕民の遺伝子が
交じり合ってて自然淘汰で狩猟採取民の遺伝子がほぼなくなるのに2000年かかったって、だけ
じゃね?
農耕民は、開墾のための労働力は大歓迎で、その結果土地の生産性上がるから、なおさら

139 :
>>118
稲作を持ち込んだのって、夏王朝前後で中国南東部から追われた人らじゃなかったっけ?
確か水稲陸稲もそれぞれ別に伝播してたような

140 :
>>139
それは遡りすぎ
水稲が伝わったのは殷末周初くらいだよ

141 :
未だに文明論とは全然関係ない文脈で「日本は農耕民族なので〜、対して欧米は狩猟民族だから〜」と
愚にも付かない意見を開陳している人がいらっしゃるけど、ゆとり世代でないのはもちろんとして
ロスジェネまで遡ってもこんなこと言う奴いないよね
団塊世代が書き込んでるの?

142 :
歴史てのは現在を語り理解するための手段だから
時々で変わりやすい。

143 :
>>67
それは一夫多妻制だから。
ボスが♀を独占。
人間は家族単位でまとまって
1つの集落を作っていた。

144 :
>>141
それはもはや血液型占いレベルにまで信じこまれてるモノだから
否定しても無駄なレベル

145 :
弥生文化の伸張によって縄文文化が北海道、沖縄に狭められたが、
日本列島でそこまでくっきり分かれたわけじゃなくて、
弥生中心部でも稲作社会に吸収されきれない狩猟採集民が
僻地や山間部等に残ったはずで。それが部落だろうな。
東北以北に少ないのは寒冷で稲作に不向きだからだろうね。

146 :
肉食系と草食系か
まあどっちかに偏らずバランスが大事ってことで

147 :
>>130
アイスマンが持ってたのは青銅じゃなくて銅の斧な。
BC3000頃にはヨーロッパでは既に銅器の使用は始まってる。
新石器文化は農耕と共にヨーロッパに伝わってるから麦を食べているのは全く不思議ではない。
お前さんが無知なだけでそんなのは考古学では常識なんだよ。

148 :
> アメリカのキーウィーノー(Keweenaw)半島では
> 純度97%の自然銅が数トン〜数十トン発見されている
半端ないな
http://en.wikipedia.org/wiki/Neolithic_Revolution
新石器革命(BC7000-5000ころ)で農耕が伝わるのか

149 :
>>148
純度の高い自然銅は割とありふれてるし加工しやすいのでかなり古い時代から道具や装飾品として使われてる。
ただその加工しやすさ=柔らかさが斧やナイフといった切削工具には向いてないので実用品というより威信財として使われたのではないかとされてる。
アイスマンも持っていたナイフは石器だった。
銅に錫を添加することでより硬く美しい青銅になるが、錫は産地が限られる希少な金属なので、ヨーロッパでは青銅器時代になっても青銅の斧や剣は実用品以上に身分の高さを示す財産として扱われる事が多かったようだ。

150 :
旧石器人とか狩猟民とかは食料だったんだよな
かんたんに食われちゃ困るから何千年もしぶとく生き残ってたわけだ

151 :
天皇、源氏のY染色体ハプロタイプは D2a1b らしいね
795 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/18(日) 19:42:47.73 ID:CRSQkF+2
Mizuno et al. 2008
16 Y chromosomal STR haplotypes in Japanese
サンプル総数1079
並び順:YHRD Standard
DYS19 DYS389I DYS389II DYS390 DYS391 DYS392 DYS393 DYS385 DYS438 DYS439 DYS437 DYS448 DYS456 DYS458 DYS635 YGATAH4
D2a1b
最頻値 17 14 31 25 10 11 13 13,17 10 12 14 19 15 15 21 11 個数27 推定150万人
1つ違いまで 個数75 推定417万人
2つ違いまで 個数131 推定728万人
3つ違いまで 個数161 推定895万人
O2b1
最頻値 15 14 30 22 10 13 13 10,20 13 12 14 18 15 17 20 12 個数9 推定50万人
1つ違いまで 個数46 推定256万人
2つ違いまで 個数102 推定567万人
3つ違いまで 個数168 推定934万人
1つ違い15世代500年見当。
中世以降D2a1bの特定家系が突出して増加している。
源氏を代表とする賜姓皇族しか候補はない。
O2b1は古代に増加したが、中世以降は分散傾向。

152 :
>>151
Dってことは比較的古くから日本に居たほうの系統なの?
船で来たとか大嘘で琉球、アイヌと同じ土人じゃねーか。

153 :
>>113
ヒクソスのなかにユダヤ人がいたって説もあんね。
>>139
直接長江流域からきたのは間違いないようだが伝播した年代は今後の発掘でまた変わるんじゃねーかね?
>>148
http://www.turnstone.ca/rom143cu.htm
こんなんが見つかる。
>>145
青森までの稲伝播は早かった。
>>141
そうゆう考えがまかり通る日本文化の特殊性はある意味興味深い。

154 :
>>139
当時は日本への航海技術があった訳じゃない。
あったら、普通に人と技術の交流がはじまっていたはず。
という事で、やってきたのは漂流民だよ。
当時の漁民は、稲と炊事道具を積んで遠洋航海をしてた。
そして、台風とかに遭遇すると日本に流れ着いた。

155 :
>>139
酒の飲めない下戸の人口図
http://i.imgur.com/jAMWVLN.jpg
世界的に見て揚子江下流と近畿地方に集中している
つまり稲作地帯

156 :
縄文語の発見 [単行本]
小泉 保 (著) 出版社: 青土社 (1998/05)
ttp://www.amazon.co.jp/dp/4791756312
http://ecx.images-amazon.com/images/I/41ddyfKa5%2BL._SL500_.jpg
内容(「BOOK」データベースより)
今、明かされた日本語の謎。日本語の起源を弥生時代とする従来の説を排し、その濫觴を縄文時代に求めた本書は、
“日本語の誕生”のみならず、いわゆる上代特殊仮名遣い、連濁・四つ仮名現象、アクセントの発生、方言分布など、
日本語学における難問をここに解き明かした。記念碑的労作。
内容(「MARC」データベースより)
日本語の起源を弥生時代とする従来の説を排し、その濫觴を縄文時代に求め、「日本語の誕生」のみならず
上代特殊仮名遣い、連濁・四つ仮名現象、アクセントの発生、方言分布等日本語学の難問を解き明かす。
稲作渡来民 「日本人」成立の謎に迫る 池橋宏著
[評者]柄谷行人(哲学者)
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2011071703827.html
 柳田国男は『海上の道』で、南島づたいに日本に稲作が伝えられたと主張した。以来、それを否定する人たちも、
渡来した稲作民(弥生人)の技術を、先住民(縄文人)がどのように受容したかを主要な関心事としてきたといえよう。
しかし、と、著者はいう。そのような見方は、一般に、狩猟採集民にとって農耕への飛躍がいかに困難であるかを
無視するものだ。小規模な畠作(はたさく)農業ならともかく、水田稲作のように特殊な技術を要するものを進んで
受け入れることは考えられない。
 著者は、中国の春秋時代に長江下流域で開始された水田稲作の技術をもった人たちが山東半島に進出し、
朝鮮半島南部を経て、日本に渡来したという。
 日本における水田稲作は、少しずつ発展してきたというようなものではない。近年発見された遺跡は、稲作が
はじめから完成されたかたちで導入されたことを示している。ゆえに、舟を駆使し移動性に富む稲作民が、
水田の適地を求めて渡来し、移動・拡大を続けたとみてよい。だが、ここで、つぎのような謎が残る。
 自然人類学的調査は、稲作渡来民とともに、日本列島にいた人々の体形や顔つきが根本的に変わったことを
示している。それは多くの稲作民が渡来したことを意味する。もしそうなら、言語も根本的に変わっていたはずである。
ところが、日本語は、先住民の言語(縄文語)がベースとなっており、さほどの変化がない。なぜだろうか。
 かいつまんでいうと、稲作民は小舟で少しずつ渡来した。そのため、言語的には先住民の言語に同化した。
だが、稲作民は当初少数であっても、生産力とともに人口増加率が非常に高く、やがて圧倒的な主流派となった、
というのが著者の考えである。

国立科学博物館:日本人はるかな旅展
渡来系弥生人の故郷を中国に求めて
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/5-14.html
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/img/5_14_02.jpg
渡来系弥生人によく似た頭骨が発見されている中国の遺跡
渡来系弥生人は大陸のどこからやって来たのでしょうか。最近の調査により、水稲耕作の発祥の地ともいわれている
中国南部が有力視されています。黄河下流と長江下流に挟まれた地域の漢代の遺跡から、渡来系弥生人によく似た
人骨があいついで見つかっています。この時代の中国は、政治的に動乱の時代であり、いろいろな民族が入り乱れて
戦いました。日本にやって来た渡来民は、このような動乱から逃れてきた人々だったのでしょうか。

157 :
> http://logsoku.com/r/scienceplus/1351740540/118-121
【ゲノム】ジャポニカ米 最初に中国南部の珠江中流域辺りで野生種から分かれた可能性 イネのゲノム比較/日中チーム
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1349448021/
稲の伝播も江南直通
http://maokapostamt.img.jugem.jp/20080119_115970.jpg
最近稲のDNAの研究によって、中国中南部から直接渡来したという考えが提唱されている。
なお、縄文時代にすでに陸稲の稲作が一部にあったとする説が定着しつつある。
【遺伝子】アジアイネ(ジャポニカ、インディカ)は中国長江流域での単一起源 米研究
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1304695944/
長江から舟を出すと潮流で直接北九州に流れ着くことが実験的に証明されている。
【歴史】弥生人の遺伝子と、古代中国人の遺伝子が一致
http://maokapostamt.jugem.jp/?eid=3055
弥生人のDNAは古代中国人
さて、その絹織物と養蚕技術の伝来ルートとしては、従来の定説では、華北〜朝鮮半島経由だとされてきた。
ところが吉野ヶ里遺跡から発見された四片の絹織物を鑑定したところ、江南地方である「華中」に特有の蚕
である太い「四眠蚕」であることが分かった。このことから大陸文化の(=弥生文化)の伝来は、長江流域の江南
からの直接ルートが強く推測される。
そして、最近、日中の「江南人骨日中共同調査団」の調査結果(1999年3月)が、その直接ルート説をさらに補強した。
これは、江南地方の紀元前5〜8世紀の人骨と、福岡県筑紫野市出土の人骨(紀元前後)について、
「ミトコンドリアDNA分析」という方法で、塩基配列を比較したところ完全に一致したというものである。
 以上のような事実をつなぎ合わせると、大陸の華中(江南地方)から直接、吉野ヶ里など北部九州へ渡来人
がやって来た可能性が強くなり、大陸文化の伝来についても、華北〜朝鮮半島経由以外に江南からの
直接ルートの存在を強く示唆される。
 これまで、大陸との交流というと、魏と邪馬台国というように、魏(華北)の地域との関係がどうしても
クローズアップされがちだった。しかし、吉野ヶ里遺跡の絹片や人骨の分析により、呉(華中=江南)地域
との交流の存在が実証されたというわけである。
【起源】弥生民族が韓半島に移住した【朝鮮日報】
http://ex6.2ch.net/test/read.cgi/korea/1084279294/
http://mimizun.com/log/2ch/korea/1084279294/
また、韓国人と日本人が遺伝的に近いということは、2300年余前、
日本列島に定着した弥生民族が韓半島に移住したことを示す遺伝学的証拠と
見ることができると説明した。
日本人は南からの移住か 遺伝情報でルート推定
http://www.47news.jp/CN/200912/CN2009121001000831.html
 東アジア、東南アジア、南アジアの住民のゲノム(全遺伝情報)の分析によって、日本人の多くは、
アフリカからインドに入り、タイなどを経て北に向かった集団の流れをくむと推定されるとする研究
結果を国際チームがまとめ、11日付の米科学誌サイエンスに発表した。東アジアの人は、主に南か
ら来たという説と、少なくとも北からと南からの2ルートはあったという二つの仮説があり、今回は
前者をより強く支持する結果という。

158 :
一番最初に自我に目覚めた人類はいつ頃だったんだろう
夜、星空を眺めていた時なのか、狩りをしていた時に急に、俺はなんでこんなことをしているんだ?とでも思ったんだろうか
とても気になる

159 :
>>158
人類以外に自我はないとお考えか?

160 :
>>159
だから、最初に自我に目覚めた人類はだれだろう
と書いたのです

161 :
侵略 ・・> 絶滅  ・・> 侵略 ・・> 絶滅  ・・> 
毛唐の歴史

162 :
>>160
人類以前からあるわけだから人類で最初は必然的に最初の人だろ
…種は集団として分離した時点で確定する存在だから、実際問題最初の一人なんてものは確定しないわけだが。

163 :
東北地方には早くから稲作が伝わったらしいが、それでも寒冷だから規模が拡大深化しにくい。
見過ごされがちだが、関東も度重なる富士山噴火の降灰で農作地の放棄を強いられるから稲作社会が確立しにくい。
こうしたことが関東以北で弥生文化が拡大せず、縄文文化が長く残って中世まで社会が発展しなかった理由だろう。
2.関東の弥生文化
http://www.ranhaku.com/web04/c3/2_02.html
http://www.ranhaku.com/web04/c3/2_01map.jpg
人間の移動と文化
http://www2.ttcn.ne.jp/kobuta/bunnka6/b328.htm
http://www2.ttcn.ne.jp/kobuta/bunnka6/japan08.gif
弥生文化東遷
http://teda.iza.ne.jp/blog/entry/1221124/
http://www.iza.ne.jp/images/user/20090913/608610.jpg
 第3部 弥生文化と渡来人の登場
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn3/003_03suidenninasaku_no_jitunenndai.html
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn3/003_03/inasaku_no_dennpann_keiro1.jpg
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn3/003_03/inasaku_no_tennkai_to_onngagawasikidoki.jpg
 逆の理由で、東日本の亀ヶ岡文化圏では、水田稲作に対する知識が不足していただけに、水田稲作を受け入れる
地域は少なかった。受け入れるムラがあったとしても激しい葛藤があったに違いない。
  したがって東日本地区では、遠賀川式土器ないしは遠賀川系土器の出土地は、この弥生前期時点では
“点在”しているに過ぎないのである。

http://on-linetrpgsite.sakura.ne.jp/column/post_124.html
http://on-linetrpgsite.sakura.ne.jp/img/wakokutairanvs.jpg
倭国大乱は、卑弥呼が出現する前に、倭国の中で起きた戦乱なのですが、
この直接的な原因は、東日本と西日本の衝突にあります。
元々、東日本は、縄文文化圏に属するアイヌ系住民の住む狗奴国(くなこく)でした。
一方、西日本は、弥生文化圏に属する弥生系住民の住む邪馬台国でした。
それらが、日本の大規模地殻変動で、それまで、別々の島だった東日本と西日本とが、
一体となってしまっがために起きた領土争いこそが、【倭国大乱】なんです。
ハザードマップに見る 富士山噴火
<5>火山灰 農作物への被害長期化
http://www.sannichi-ybs.co.jp/BOUSAI/20041105_1.html
http://www.sannichi-ybs.co.jp/BOUSAI/fuji_05.gif
どうすれば安全安心:富士山は「噴火スタンバイ状態」 ガラス粒の火山灰、広域に
http://mainichi.jp/feature/news/20120927dde012100070000c.html
ふじあざみ66号(1) 宝永の大噴火
http://mainichi.jp/graph/2012/09/27/20120927dde012100070000c/image/001.jpg
http://www.cbr.mlit.go.jp/fujisabo/jimusyo/fujiazami/fujiazami_66/fa66-1.html
http://www.cbr.mlit.go.jp/fujisabo/jimusyo/fujiazami/fujiazami_66/image/1P/bunpu-zu.jpg

164 :
>>162
へえ、そうなんだ

165 :
狩猟採集民と農耕民ってのは、植生、極端に言えば気温の違いで住み分けていたはずだから、共存も何もないわな。
農業が北進しだしたのは、農業技術が発達して、寒冷地でも農業ができるようになってからだし。

166 :
>>163
> 弥生文化東遷
> http://teda.iza.ne.jp/blog/entry/1221124/
> http://www.iza.ne.jp/images/user/20090913/608610.jpg
図を見ると利根川以北から仙台辺りまでは弥生文化の伝播が一番遅くなっている。
このあたりの方言って特に太平洋側は近畿の影響が小さくて無アクセントなんだよね。
俺はこの辺の出身なんだけど、北関東-南東北から外に出ると、
辺境でも近畿っぽい表現が単語にあって初めは驚いた。
もしかすると、弥生文化の伝播が今でも方言に影響しているのかもしれない。

167 :
アクセントというと宮崎県がアクセント崩壊地域として有名だね。
他は福島県とかね。
無アクセント
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/10/Japanese_pitch_accent_map-ja.png/694px-Japanese_pitch_accent_map-ja.png
宮崎弁
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E5%BC%81

168 :
アクセント崩壊は被曝のせい

169 :
>>168
おまえRよ

170 :
濃厚な農耕

171 :
宮崎県は日照時間が長くて今では農業大県だけど、
桜島の降灰のせいで古くは農業に不向きだったかもしれないな。

172 :
東海地方も伊勢湾台風だの東海・東南海地震と大津波があるからな。
あんなのが定期的に来られたら古代社会なんて全部更地化してしまう。
南海トラフ地震津波は3連動なら東海・近畿・四国(高知)までだが、4連動だと宮崎もやられる。
大阪も南海トラフの問題はあるだろうが、大阪平野は昔は大半が海だったから。
だから奈良盆地が倭国に中心に座ったんだろうね。

173 :2013/10/19
福島も平安時代の貞観地震がこの東日本大震災レベルだから、
こつこつ発展してきた農村社会はその頃一旦壊滅してしまってるな。
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