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本庄繁長や越後揚北衆らを語る


1 :2008/01/26 〜 最終レス :2012/11/29
越後北部に割拠し謙信にも一目置かれた存在だった本庄繁長や、
色部・新発田・黒川・中条・水原といった独自性が強かった揚北衆についても語りましょう。

■関連スレ
北条高広
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1189679152/
【毘】上杉家を語る 九【義】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1190692932/
上杉景勝
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1168972775/
【何故負けた?】上杉景虎【御館の乱】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1154969043/

2 :
伊達稙宗が越後上杉に入嗣しようとしていた伊達実元は、中条藤資の妹が母親。
中条の権力拡大を恐れた他の揚北衆は、晴宗側について天文の乱を戦ってる。

3 :
上杉定実の娘が母親じゃないのか

4 :
揚北とされる武将たちとその居城がよく分からん。
彼らの勢力差も序列もあまり知らない。
こんなイメージ
中条「みんな俺みたいに謙信様についてこいよ!」と空気読まずに一人ほたえてる
加地「僕って名族? 力あるの?」
本庄「じゃんじゃんばりばり、独立大名だぜ。大宝寺? お前俺の家来な」
新発田「俺って景勝に逆らった他に何やってんだっけ」
黒川「俺も中条とドンパチした他に何やってんだっけ」
水原「親憲は後から来た養子で、それまで俺なんてあまり知られてない消え行く名族の一つだったみたいよ」

5 :
>>3
wikiを見ると、諸説有るようだ。
>・正室(蘆名盛高の娘)
>・上杉定実の娘
>・中条定資(藤資か?)
>>4
この辺りを参考に。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8F%9A%E5%8C%97%E8%A1%86

6 :
ついに本庄スレが立ったか
武田北条上杉伊達最上と戦った男

7 :
あと一揆おこして秀吉ともやりあってるし徳川とは関ケ原後の外交で絡んでるか

8 :
「本庄と揚北」がテーマみたいだけれど、越後揚北における本庄氏は飛びぬけた勢力だったんですか?

9 :
戦国時代は新発田のがでかかったろ?

10 :
新発田>本庄>中条≧黒川
て感じなんかな。

11 :
新発田と中条は昔から比較的府内と仲が良かったのかねえ

12 :
>>8
本庄は知名度もあるし、所領も越後最北。
庄内の大宝寺に養子を送ってることなども鑑み、特別扱いしても良いと思うけど。
>>9
新発田長敦が当主だった頃は良かったけど、
重家が当主になって謀反を起こしたことで全てがぶち壊しになった。
御館の乱の恩賞が原因と聞くが・・・・・・。

13 :
景勝や直江のひいき人事のせいだよ

14 :
天地人では悪役になっちまうのかな?>新発田重家

15 :
本庄繁長って大宝寺領めぐって上杉景勝の支援なしに最上義光と争っているね
繁長ってなかば独立した勢力として上杉方や他勢力に認識されていたのかな?

16 :
甲斐の郡内小山田氏みたいなもんですか?

17 :
小山田は、謙信政権でいうと、上田長尾じゃないかねえ。
むしろ織田と徳川では?

18 :
>14
原作だと雑魚同然の扱いだったが…
俺は景勝好きだけど、欠点は欠点としてきちんと描いてほしいのだがなあ
(贔屓人事の話や、新発田勢に一度ならずも散々打ち破られたこととか)

19 :
新発田が奇襲で景勝勢を散々打ち破ったんだっけか。俺も景勝好きだけど苦い経験として描いていいと思うだけどなあ…
しかし本庄くらい無茶苦茶やっといて平穏な晩年を過ごした人物も珍しいね。

20 :
>>15
最上スレに庄内獲った勢いで東根まで攻め込んでそこで義光に負けたってあるね。
地盤の固まらないうちに内陸奥深くまで攻めるその根性がいいw

21 :
さくらんぼ東根

22 :
>>20
長谷堂でもそのあたりで庄内上杉軍の侵攻が阻止され敗退してるんだっけか?

23 :
なんで色部氏はスルーされてるの?

24 :
越前殿と仲が悪いから…

新発田と義兄弟なのにorz

25 :
江戸時代初期の、上杉家臣団の禄高の記録があり、それには
直江山城守3万石、本庄出羽守2万石とあるんだけど、米沢時代なのに
会津にいたころよりも本庄の禄高が高いのはなんでだ?

26 :
米沢で万石貰ってた家臣っているの?

27 :
本庄は、米沢ではなくて福島城周辺にそのまま残った。寛永年間まで代々福島城主ですた

28 :
本庄って上杉の下川中島や関東攻めには加わってるけど北陸方面には関与してたのかな?

29 :
そもそも海軍力はあったの?

30 :
>>25
wikiでは3300石になってるよ
>>27
城主じゃなくて城代じゃなかった?

31 :
wikiに載ってる繁長の浮世絵かっこええ

32 :
>>17
反逆する徳川w

33 :
じゃあ成田で

34 :
粟島は色部領だったらしい。
粟島の海産物は色部に献上されていた。
つまり岩船港も色部領だったのかも。
海軍も居たのかな?

35 :
岩船港も色部氏が支配してますたよ。水軍についてはわかりませんが…
粟島の海産物の献上については「色部氏年中行事」に記述がありますな。

36 :
色部は米沢に移ってから代々家老の家柄になったんだっけ?

37 :
上杉祭だと本庄繁長の幟には牛の角みたいな家紋が書かれてる
幾ら調べてもお目にかかれない珍しい家紋
通常、本庄繁長の旗といえば「上」の一字なんだが・・・
これってなんだろうな〜
ttp://gazo03.chbox.jp/home/gazo03/data/gazo/army/src/1201785993137.jpg
他にも中条藤資が「山」の一字だったり
北条高広が三つ鱗だったり

38 :
>>37
北条、北条違いだなあこれじゃw
実際は毛利家と同じ家紋だっけ?

39 :
>>37-38
上杉祭りの時代考証とかやってるの誰だよw
杜撰にも程度があるぞ。

40 :
画像が消えてるので再貼り
繁長の牛丼家紋
まぁ義清と被る「上」よりは格好良いけど
ttp://www.sekai.nu/channel/img.php/earth/1201839000.jpg

41 :
>>40
画像プレビュー出ないな・・・?
でもクリックすれば見れるんで見て下さい

42 :
牛丼家紋w
吉野家みたら本庄思い出してしまうな

43 :
ttp://www.sekai.nu/channel/earth/img/1201839000.jpg
これならどうかな?

44 :
本庄なら吉野家の店員から始めて独立しそうだなw
でその後波瀾万丈のあげく元居た吉野家に戻ると

45 :
本庄美作守慶秀はどんな家紋が使われてる?
繁長と栃尾本庄って同じ一族なのかな?
栃尾の方は畠山の庶流って説もあるらしいけど。

46 :
ここも貼っといてよぉ。
武家家伝_本庄氏
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/honjo_k.html
>>8さんへ、上記のHPより抜粋。
『侍衆御太刀之次第』によれば、
まず直太刀の衆として一門の古志長尾・桃井・三本寺の名があり、
次に披露太刀の衆として諸大名の名が列記され、
本庄繁長は中条藤資につぐ第二位に名が記されている。
その順序は城中における各将の座席の関係によるものと考えられるので、
当時の上杉家中における繁長の地位がいかに高いものであったかを端的に示したものといえよう。
だけど…
謀反を起こしたから、格下げになってしまったようだ。

47 :
そんだけ重んじられるというのは中条辺りが推したのか、
奥郡でも恐ろしく侮れない大勢力だったんですかねえ。

48 :
当時から鮭がすごかったんだよ

49 :
>>46
本庄や北条もだけど、謀反する理由がよく分からないね。
軍役が重く出兵拒否とかなら分かるけど、一気に謀反まで行ってしまうのが何とも。
謀略上手の信玄にノセられただけなんかね?

50 :
おかげで大宝寺まで降服してきて
上杉氏が庄内まで支配できたがな。

51 :
>>49
謙信女性説の立場からすると、北条や繁長は内心、
謙信を女だと思って侮ってた、
もしくは負けたくない気持ちがあった、と考えてみた。
信玄の執拗な攻撃もこれで頷ける。
一つの可能性として考えて頂けるとありがたい。

52 :
家格から見て、長尾家は本庄達から見れば格下?

53 :
本庄・色部・新発田・黒川・中条・水原は長尾以下。
つまり同列かそれより下ってことだね
新津・金津・大井田・山本寺・上条・山浦・田中などは長尾より上

54 :
あと小国・平賀も格上だった

55 :
>>53-54
ありがとう。
同格以下なら、侮って謀反とかもちょっとありえないね。
やっぱり、謙信の神がかったキャラクターに呆れ(ry

56 :
何を基準に上下が決まるんだろう

57 :
三本寺・上条・山浦は上杉の分家筋じゃなかったっけ?

58 :
>>56
出自だろうね
清和源氏傍流や上杉分家筋は長尾より格上、あとは勢力の規模次第では?
ちなみに揚北衆には、秩父氏っていう古代豪族の末裔が多い

59 :
>>55
>>51のは、家格というより、
女性ってのを侮ったって事じゃないかと。
>>57
千坂も上杉の分家だけど、
四家老だから長尾と同格くらいかな?
同じ四家老である斎藤・石川はどうなんだろ?

60 :
斎藤・石川は出自について不明な点が多すぎるよね
石川は一応、藤原姓だったような気もする

61 :
>>49さんへ
越後長尾氏は守護代であって、守護が在京していたので、単に守護が持つ軍事指揮権を代行していただけ。
中条・北条・本庄などの国人衆は独立した勢力だったから謀反とは言えないんじゃないかな?
越後守護である上杉氏も、国人衆の支配に苦心していますね。
>>47さんへ
これは北条高広スレで書きましたが…
一応、コヒペしておきます。
じゃあ、本庄氏の財源。
↓結局【謙信最強】を認めざるをえないpart2 に書き込んだレスの縮小版から
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1193474540/240#tag240
3.金山
高根金山・猿田金山(岩船郡朝日村の鳴海山にあった(本庄城(村上城)から北東20キロ地点)、
ぶどう金山(岩船郡山北町東部?) などが採掘場であったようだ。
前の2つは本庄繁長の領地にあるが、永禄十一年(1568)、謙信に反抗したため没収、以後は上杉が直轄していたと思われる。
後に秀吉は景勝を会津へ転封させたが、その理由の一つにはこれら越後金山の利権獲得のためとも言われる。



62 :
>>61
江戸時代じゃないから家臣じゃないのは分かるけど、
同盟者といった関係でもないよね?

63 :
越後は家格がけっこう重視されてたもんなぁ。

64 :
本庄繁長の墓のある長楽寺に行ったことがある
お堂があって、そこに繁長の木像が安置してあった
あの辺は、福島駅前と違って城下町の面影を残していて
風情があった
皆さん、是非行って見てください!!

65 :
>>64
これだね。
ttp://web1.aaacafe.ne.jp/~yataro/echigonobushou-honjyousigenaga.htm

66 :
天地人に繁長でるかな

67 :
>>18
亀だけど、新発田城のホームページには
ハッキリ上杉景勝の不当な論功行賞と書いてあるね。
上杉は米沢に国替えされたこともあって、
山梨の武田ほどには新潟で上杉はマンセーされていないのかな。

68 :
上杉は結構大切にされてると思うけどね
上杉ではなくて、上杉景勝が嫌われているのかもね
親戚殺しまくったし関ヶ原でも負けたし

69 :
重家の仲介役をしてた安田顕元が自刃してるから、酷い論功だったんだろうな。
御館の乱で上杉家が弱体化してるのに独自性が強い新発田を軽んじれば、
一体どうなるか分からない景勝や直江でもあるまいに……。
迫る織田家の脅威って、当時はそれほどでも無かったのかな?

70 :
だってまだ武田も滅亡してない頃だし。
北陸に気をつけてればいいだけじゃない?
そういえばこの板の、天地人スレにはわざと新発田を嵌めたんじゃないかって意見もあったな。
意外と信憑性あると思ったけど。
結果的に、この上杉主従にとって最悪のパターンで反乱起こされただけじゃないかとね。

71 :
いや、景勝は重家をすごく気にしていたようだ
春日山に出仕してこない重家を心配している書状もあるし
景勝としては、重家の兄新発田長敦の跡取と所領はすべて認めた事に
よって十分論功行賞してやった、と思ったのだろう
しかし、重家はそれだけでは不満で、新潟湾を竹俣から奪う事で
叛意を示した。
もしかして、新発田は、新潟湾の領有権を望んだのではないか


72 :
その後も揚北衆の領地削りまくってるから中央集権化狙ってたんだろ
関ヶ原以降まで揚北衆で上級武士として家名繋げれたのは本庄のみ

73 :
織田からの誘いはひっきりなしにあったんだろうな。
景勝側も牽制として本庄にかなり期待してた部分もあるんでない?

74 :
>>72
色部は上級じゃなかったの?

75 :
>関ヶ原以降まで揚北衆で上級武士として家名繋げれたのは本庄のみ
その本庄だか、庄内の藤島付近の一揆を煽動した疑いを持たれ、豊臣秀吉に
改易され大和国に蟄居させられた。その結果、村上と庄内は完全に上杉の
領土となったのだ。その後、本庄繁長は上杉家に復帰するが、2万石の
一家臣となる。


76 :
>>74
わすれてたヨ〜

77 :
>>67-68
景勝は、嫌われる以前に「景勝って誰?」状態だと思うよ
新発田市は重家マンセーだから、書き方もそうなるんじゃね?

78 :
ともあれ、この景勝の代に上杉家の家中統制は大きく進むわけあよね。
色部などは相変わらず独自の支配をしてたみたいだけど、それでも当主に
直江兼続の妹を妻に迎えるなどして政権への取り込みが図られているが。

79 :
色部は、新発田重家と縁戚関係だったが、
上杉家臣として戦い、戦功を挙げたから
景勝からの信頼も一層深まったのだろう

80 :
おもちゃ、好きなの?

81 :
米沢藩では本庄家は代々分領家(最上級の家柄)で福島城主→鮎貝砦将として遇されているよ。

82 :
>>81
有難う!!参考になるよ

83 :
忠臣蔵に出てくる上杉家江戸家老は色部又四郎。
本庄家は国元で出仕することが中心だったのかな?

84 :
米沢藩では上級武士は侍組といい(約90家)それを五つに分け[侍頭]がそれぞれ支配します。その次になれるのは江戸家老→奉行(他藩の家老)。侍頭になれるのはその中でも分領家14家。本庄家は鮎貝砦将と侍頭を兼任していたので江戸にはあまり居ませんでした。

85 :
分領14家のうち、揚北出身の家は、中条、本庄、色部、大見安田(途中で侍組に降格)、竹俣、竹俣西(竹俣分家)です。侍頭→江戸家老→奉行になれる家柄です。

86 :
>>84-82
解説感謝。

87 :
でも米沢藩でも多くの家格の高い分家を輩出したのは、千坂と本庄ぐらい。やっぱり上杉家に大切にされた家なんですよ

88 :
>>85
信濃衆の割合は分る?結構多かった記憶があるのだが

89 :
信濃衆では分領家、島津、平林、清野、市川。須田、芋川は上杉鷹山の時代に当主が切腹され、侍組に家格がダウン。

90 :
米沢藩の話ばかりでスレ間違えてるかな。迷惑だったらすいません。

91 :
いや、いい話だった

92 :
>>89
ありがとうございます、後は武田と千坂?

93 :
>>92
武田と畠山(上条政繁の子孫)は高家衆だったかな?
両者とも藩主家の親族

94 :
武田信清と畠山景広は米沢藩客将(高家待遇)
上杉長員と畠山義真は高家旗本

95 :
米沢藩高家は武田、畠山、山本寺、二本松。藩主一族待遇です。畠山は上条政繁の子孫。二本松はその分家。二本松義継とは関係ありません

96 :
上条に養子に入ったけど
能登畠山氏に戻ったんだよね。

97 :
そうですね。上杉家を退散したあと、秀吉につかえたときに畠山姓に戻しました。

98 :
白井長尾景広の家はどうなったのでしょうか?

99 :
白井長尾家は代々分領家として奉行、江戸家老、侍頭を歴任する重職として繁栄しました。残念ながら総社長尾家は新発田攻めのさい、当主が打ち死にして断絶しました。

100 :
ありがとうございます。米沢藩高家にはならなかったんですね。

101 :
ちなみに自分は、戦国期の鮎川家が気になります。

102 :
>>101
鮎川の所領って、越後最北?

103 :
武田、畠山、二本松、小国、大井田、里見、新津、金津、平賀
あたりは列記とした清和源氏

104 :
>>95
>畠山は上条政繁の子孫。二本松はその分家。
どこの代で分家したん?

105 :
上条政繁‐畠山景広‐畠山政利‐畠山政乗。政利の代に米沢藩3代藩主綱勝にめしかかえられました。二本松家は政利の次男(政乗弟)で初め利根川親元。のち二本松国隆と名乗りました。

106 :
景広は何してたの?

107 :
親父と一緒に大阪かな

108 :
景広は父政繁とともに京都に居ました。病気がちで弟に畠山の家督を譲り出家。京都で亡くなりました。[上杉家御年譜]より

109 :
景広は米沢へ行ったよ

110 :
景広は出家後、土佐で住職をつとめ現地で病没してるね。

111 :
それ、本当?

112 :
>>67
新潟もばかでかいからねぇ
上越と中越と下越じゃ別の文化だし

113 :
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1201002621/1-100
最古のおにぎり?が上杉景虎自刃の城跡から発見

114 :
本庄顕長ってどぉ?
>>62さんへ
返礼、お待たせいたしました。
私の説明で分からなかったら、日本史の教科書・資料集やwikiを読んでね!!
元々、守護と国人(御家人・地頭)は、どちらも個別に将軍とだけ主従関係を結んでいたし、
守護と御家人が勝手に主従関係を結ぶことは禁じられていたが…
時代がたつに連れて守護の権限が増加し、
それを使ってなるべく多くの管掌国の国人達を被官にした守護大名(学術用語)へと変化していったんだよ!! 
最終的には守護大名→戦国大名になるわけだね。
1.守護
守護は設立された鎌倉時代(文治元年・1185年)から南北朝時代まで「軍事警察権」を持った幕府の吏僚としての性格が強く、当初の特権は大犯三カ条のみであった。
大犯三カ条とは?
(1).大番催促
(2).謀反人の「検断」(捕らえ、調べ、裁く権利。当然、御家人達を指揮する権利も含む。)
(3).殺害人の「検断」
である。
後の2つは読んで字の如しなので説明カット。つまり国内の治安維持の任務。
大番催促とは?
任国国内の御家人・地頭達(のちの国人)に、京都大番役・鎌倉番役などの任に服させること。
つまりここで、御家人達に対する一時的な軍事指揮権が生まれたのさ。
2.時を経て権限が次第に増加していく。
(1).貞永元年(1232)、夜討・強盗・山賊・海賊などの「検断」が追加。
(2).南北朝時代に入ってさらに軍事警察権が増加する。
まあ、不安定な時代だったからねぇ。
@正平元年・貞和二年(1346)、刈田(苅田)狼藉の「検断」。
刈田狼藉とは、在地領主(国人)間の所領地争いでの実力行使で、稲を強引に刈り取ること。守護はそれを「検断」する権限が与えられた。
A使節遵行権。
これは、幕府の判決を(国人達に)執行する権限。時に強制的に行われた。多くは所領地争いに関するものである。
この時点で、幕府→御家人という軍事指揮権が、恒常的に幕府→守護→国人となっていく。
(3).さらに経済的な権限も追加される。
@正平七年・文和元年(1352)、半済給付。
半済(はんさい・はんぜい)とは、任国国内の荘園や国衙領(朝廷の土地・公田の事。「○○保」とか「××郷」という地名は国衙領)の年貢の半分を兵糧米として徴収できる権利のこと。始めは1年間に限った臨時のものであったが、次第に恒常化していく。
守護は、これによって獲得した兵糧米の土地を被官となった国人達に、所領として与え(つまり「給付」して)、強固な関係を築く。
A同年、闕所預地(けっしょよち)。
敵から没収した領地を守護が預かる事。これも守護が被官国人に所領として与える事で、私的な主従関係が生まれた。
「御恩」と「奉公」で結ばれていた幕府→御家人がこれらにより、次第に守護→国人となるのは自明の理であろうか。
B守護請(しゅごうけおい)
これは、遠くにいる荘園領主(皇族・貴族・寺社など)に代わって守護が、年貢徴収を行い、一定の年貢を手数料として頂くこと。
国衙領でも行われていた。かつては荘園の代官であった地頭・国人達が守護の被官となった事も守護請が進んだ原因の一つ。
これら守護(あるいは国人)による荘園の侵略で、荘園領主(皇族・貴族・寺院)の経済的没落が急速に始まった結果、荘園制度が崩壊していったのである。
C(寺社や幕府の建物などの新築・修繕費である)臨時税の段銭(反銭ともいう。田畑に課す税)・棟別銭(1棟毎に課す税)・夫役(強制労働)などの徴収・徴用の権利も与えられた。(これに関しては、権限は守護ではなく幕府にあったらしい。)→これも戦国時代には恒常化する。
続く

115 :
3.守護大名
以上、このように守護の権限が軍事的・経済的に増大していく中で、
守護は律令制度崩壊後も僅かに残っていた国衙領の管理権やその支配組織を取り込み、
また各国の一宮の祭祀に関わる権限などを奪取し、
在庁の役人達を守護被官として召し抱えるなど、
一国の公権力としての位置を確立し、
地方領主(守護大名と)化していく。
戦国大名と違い守護大名は、まだ任国の国人を完全に被官化してない、
かつ荘園制度が僅かに残っていたらしい。
揚北衆は、被官化してない国人みたいだね!!
そして幕府も彼らを必要とした。守護大名は、室町幕府の創立に関り、
幕府の役職も兼ねていたから発言力があり、かつ年貢や徴税など財政的にも幕府を支えていた。
有力守護大名は「重臣会議」と言われる政策決定の「閣議」に参加し、
時には新将軍の決定にも彼らの意見・承認が必要になるほどであった。
守護大名の幕府政治への関与は、京への定住を余儀なくされ、
実に関東10カ国・奥羽・九州11カ国を除く44カ国のうちの21家が室町御所の周りに邸宅があり、
領国支配は守護代や家臣(国人)にほとんど任せていたのである。
4.国人・国衆・国人衆
在地領主のこと、『太平記』などの南北朝期の史料に散見される。
地頭領主と区別するために使われたらしい。
(上層の)国人は幕府から安堵された知行地に被官や一族を配置して、支配を強化した。
この所領を守るために、地縁で結ばれた近隣の国人と相互に連携し、
党・一揆を形成した。揚北衆もその一つか? 
中には守護の被官として仕え、段銭の徴収や、郡代・守護代に抜擢され、幕府・守護の支配に協力した。
国人達が戦争に加わるのは、主として「所領拡大」にあるから、通常はおとなしく「守護との縦の絆」を維持するほうが賢明だが、
しかし、守護が国人達の要求に応じない時には、国人達は縦よりも「横の団結を密にして」個々の要求を守護に突きつけたのである。
これが国一揆。
5.越後
越後は、守護の上杉氏が足利氏の外戚ということで守護に登用された。
しかし、すでに鎌倉前期に入国し、一族を多く分立させ所領の支配を強化していた国人達に比べて、
上杉氏は誕生した歴史も浅い(鎌倉中期に成立した)ため一族が少なく、入国当初は国人の力が強かった。
そこで上杉氏は、譜代家臣長尾氏を守護代・郡代として登用して(権限を分かつ事で)、国人とかろうじて対等の勢力となりえたのである。
守護所に近い、頚城郡(守護代三条長尾氏か?)・蒲原郡(山吉氏)・古志郡(古志長尾氏)・魚沼郡(一部は関東管領上杉家領・上田長尾氏)なんかは守護・郡代の権力が徹底していたけど、一番遠い揚北郡はそうではなかったようだ。

116 :
太閤検地で調べたら、越後はどこも相給だったのに、
下越地方だけはそうではなく、在地性の強さが全く違ったみたい。
揚北は春日山に屋敷のある奴すらいなかったよね。

117 :
>>116さんへ。貴札披見。態々啓候。新情報ありがとう。
>揚北は春日山に屋敷のある奴すらいなかったよね。
→これは、知りませんでした。
>越後はどこも相給だったのに
初歩的質問で情けないけど…「相給」って何ですか? 良ければ教えてください。


118 :
一つの村を複数の領主が分割支配するような事

119 :
>>118さんへ
重ねてどうもありがとう。
それでは楽しいゴールデンウィークを!! 恐々謹言。四月廿一日。

120 :
>>114
勉強になりました。

121 :
領内に税が取れる港を有してた奴はいないの?

122 :
色部かな。

123 :
>>121
新発田とかは?

124 :
ふう・・・なんと美しい
http://b.pic.to/t489v
お松を笑わせろ
(°д°;)。

125 :
きさまぁ〜
食事前に〜っ

126 :
スレタイの方々の子孫は幕末の頃まで絶家せずに続いてたのかな?

127 :
俺実家が色部の領地で通ってた高校の場所が本庄の領地だった
高校の同級生に色部ってやつがいたな
会津に行かずに残ったのもいたのかな

128 :
>>123
新発田市には港ないぜ…

129 :
こいつらは上杉の家臣なの?

130 :
>>129
江戸時代は家臣化したけど、戦国期は歴とした下位同盟者。

131 :
家臣という言葉でも、従属程度だとか体制内に
どのように組み入れられているかとか結構幅が
あるよね。
徳川から見た織田と織田から見た徳川の関係も
解釈に幅が出そうだし。なんせ徳川家臣からして
「ウチの殿様は織田に従属しとるんか!」
とかやってたくらいだからね。

132 :
>>128
三ヶ津(沼垂津・蒲原津・新潟津)は多分新発田領だったかと

133 :
自分の領土だったら、奪う必要ないんとちゃうの?

134 :
繁長はもし顕長が先に死ななかったら家督継がせた?
本庄顕長
色部顕長
諱は殆ど使わないとはいえ、近接する領主の長男同士が同じというのも…

135 :
顕の字は、景勝からの偏諱だし捨てるわけにも・・・。

136 :
>>135
景勝=長尾顕景が前名だな。

137 :
■血染めの感状と呼ばれる川中島での奮闘に対する感状
色部勝長・安田長秀・垂水源二郎・本田右近允・中条藤資・松本忠繁・岡田但馬の七名がもらっている。
揚北衆の皆さん、大杉。
やっぱり、謙信も色々と配慮してたんだろうね。

138 :
>>130
景勝の代に、越後の豪族が明確に被官化されていったからね。

>>132
新潟は竹俣慶綱の所領で、新発田重家が横領している(新発田の乱の発端)。
で、竹俣は魚津合戦で死んで、新発田も滅びた後は景勝が直轄で支配したはず。

139 :
本庄なんかは悪いことばっかやってるけれど、
彼の膨張した基盤のおかげで景勝の政権が強化されているのが面白い。

140 :
>>138
もし竹俣が生きたままだったら今の新潟の発展は無かったかもしれないのか・・・

141 :
どの道、会津行ちゃうから余り関係無いかな

142 :
沼垂は立地が悪くて、川の流れに合わせて移転しまくってるし
蒲原は既に活気が無くなってたし
結局、新潟しか発展できなかっただろう

143 :
関ヶ原の時に越後で上杉家旧臣が蜂起してるけど、揚北方面が主力だったのかな?

144 :
柿崎や宇佐美の残党も蜂起したというから、ほぼ越後全土じゃないかと。

145 :
来月、初の七尾学検定 テーマは能登畠山氏・七尾城
 七尾市は十月十九日、「ふるさと七尾学検定」第一回目となる「能登畠山氏・七尾城編」を実施する。
検定を通して、市民のふるさとへの愛着を高め、地元の魅力の再発掘につなげたい考えで、
関係者は「金沢検定に続け」と意気込んでいる。市は受験者を募集している。
 ふるさと七尾学検定は、七尾の習慣や商工業など、毎年ジャンルを変えて出題する。
今年は能登畠山氏創立六百年事業の一つとして、同家と七尾城の歴史や現状などについて問う。
回答は四択のマークシート方式で、五十問中、四十問以上正解すれば合格となる。
 今月三十日、十月七日には無料講座が予定されており、出席者には解説書と年表が掲載されたテキストも配布される。
市文化財課は「七尾の魅力を再発掘するきっかけとして、多くの市民に参加を呼び掛けたい」としている。
受験申し込みは無料で、三十日まで。
http://www.hokkoku.co.jp/_today/H20080910103.htm

146 :
age北

147 :
本庄繁長は最上との一戦も辞さないで大宝寺領の本領編入を執拗に行っているが
これは繁長が将来上杉から自立することを示唆しているんですかね

148 :
>>147
大宝寺は繁長以前より本庄家にとって隣接する友好大名だろうが。
繁長から見れば最上は盟友を滅ぼそうとしている敵にほかならん。
それなら我が子を入れて大宝寺家を存続させようとするのは当たり前。
だいたい、大宝寺領の本領編入を執拗に狙っているのは最上のほうで、
大宝寺を助けてそれを妨害してるのが本庄。
逆だ逆。
大宝寺は親上杉として緩衝地域となるのが本庄・上杉にとっては望ましい。
本庄は自立すると周囲すべてを敵にすることになるから、自立など考えるわけがない。
自立すれば本庄領は上杉から、大宝寺領は最上から攻撃されるに決まってるしな。
いくらなんでもそれに気づかない繁長じゃあるまい。

149 :
本庄繁長って景勝時代の上杉じゃトップクラスの戦巧者なのかね

150 :
謙信にかわいがられたこと程度で梶原政景が自慢できるレベルな時代なら
ガチで謙信と戦った繁長なんて武神もいいとこだろ
謙信抜きでもかなり壮絶な人生ではあるんだが

151 :
まぁ、本庄は生まれた時から凄まじいからな・・・・

152 :
生まれる直前からかも知らんw

153 :
本庄繁長は乗っ取られてた御家を若年の身で奪回したんだっけ?

154 :
13のときに

155 :
揚げ揚げ
アガ北衆

156 :
ageついでに質問です。
色部の子孫は現在新潟・東京・長野・高知など各地に散らばっているようですが
本家筋はどこなのでしょうか?
幕末(久長)で一旦お家断絶になった後のことが知りたいです。

157 :
色部氏史料集によると正系は新潟のようです。
発行されたのが30年前位前なので現在は分かりませんが・・・

158 :
ありがとうごさいます。
疑問が解けてすっきりしました。

159 :
越後衆連判軍陣壁書に登場する揚北衆
※()は川中島合戦時の当主
秩父党
本庄房長(繁長)・色部憲長(勝長)・鮎川清長(同左)
三浦党
中条藤資(同左)・黒川清実(同左)
佐々木党
加地春綱(秀綱)・竹俣昌綱(慶綱)・新発田綱貞(長敦)・五十公野景家(治長)
大見一族
安田長秀(同左)・水原政家(隆家)
勢力を張っていた揚北衆はこんなところですかね?
因みに秩父、三浦、佐々木、大見のこれら主な一族の城は、
ちょうど各々現在の村上市、胎内市、新発田市、阿賀野市にありますね。
壁書に出てくる「山浦」というのは上杉庶流の山浦?大見一族の山浦?
前者だとしたら誰が家政を取り仕切り、これに署名したのでしょうか?

160 :
小泉荘の小川は没落したしね。だいたいそんなもんじゃないの?
加地氏が謙信の姉妹を娶ったという話があるけれど、
これの信憑性が気になる。
一次史料で事実確認できるもんとかないでしょう。それっぽいところもないし。

161 :
小河(小川)長基は、>>159の一揆契約状が結ばれた年の夏に
本庄、色部、鮎川と共に秩父系の四氏で領主間協約を結んでいるな。
彼らに相当する、もしくは準じた勢力を持っていたんだろうな。

162 :
>>161
ゆえに図に乗って本庄と関わりすぎたがために滅亡の憂き目にw
小川・色部・本庄の泥沼の抗争劇はそれだけで大河一本作れるよな。

163 :
むしろ戦国期の揚北全体の抗争とか大河で見たいな。
前半は中条藤資辺りを主役的位置付けにして、
後半は本庄繁長や新発田重家かな。

164 :
ウィキの揚北の項には中条・黒川・加地・竹俣・新発田・
本庄・色部が載ってるが>>159くらいの一覧は欲しいよね
大見氏は完全に無視されてるしさ
大河なるとしたらいつからいつまでがいいだろう?

165 :
大河にするなら最後は、中條を主人公にして景虎を担ぎ上げて「めでたしめでたし」か、
景虎とともに色部・新発田・中條などの揚北党が川中島で戦功をあげて、
「これまでつらかったけれど、団結してこのような大国に勝てるようになった」
と感涙にむせびながら大団円ぐらいがよさそうだね。

166 :
景泰が養子に入って魚津で玉砕するまでやります。

167 :
やっぱ最後は新発田重家の乱かな
本庄繁長が泣きながら重家の首を討つみたいなお涙展開に作って

168 :
そういえば天地人の新発田重家の役者まだ発表ないな

169 :
>>168
仮面ライダー2号。

170 :
>>169
一文字隼人かw
他の揚北衆のキャストはどんな案配?

171 :
甘粕景継はパパイヤ鈴木らしいね

172 :
本庄繁長の扱いがどうなるかだよな・・・・
まだ配役出てないけど、最初に出ていないと違和感ある・・・・

173 :
>>172
じゃぁこちらは初代けんちゃんで。

174 :
適当な大河俳優を宛がって終わりじゃないかね
出番も特になくて

175 :
まさかナレーションだけで終わらせるのかな・・・?
中盤の一番重要な出来事なのに

176 :
スイーツ大河だからなぁ。
無双やバサラで関ヶ原や戦国時代が若者に人気なんてマスコミが取り上げたわけだし、
NHKもそういう世相を意識して配役を決めている。
新発田の暴れ狂うシーンは略されるんじゃないかねぇ。

177 :
『密謀』だと新発田重家と色部長実の戦いぶりが
かなりかっこ良く描かれてた筈だけど、「天地人」には
期待するだけムダか

178 :
ヘタレ影虎なんて江頭でいいから重家ちゃんはカコイイ人がいい。

179 :
本庄vs新発田なんてかっこいいと思うのにね。

180 :
上杉謙信
宇佐美定満
直江兼続
柿崎景家
本庄繁長
長野業正
村上義清
斉藤朝信
北条高広
甘粕景持
色部勝長
小島弥太郎
安田長秀
新発田重秀
前田慶次郎
中条藤資
長尾房景

181 :
>>180
ゲームで長尾上杉家にいる武将だね。
時代がばらばらだし、アガキタはあまりいないようだけど。

182 :
>>181
本庄繁長
色部勝長
安田長秀
新発田重家
中条藤資
こいつらは揚北衆だよ

183 :
うん、知ってる。
昔小泉荘について論文書いたから。

184 :
小泉荘…色部か。

185 :
竹股氏も阿賀北衆で良かったっけ?
新潟湊を支配してたが

186 :
安田大見氏って長秀の次誰?
堅親?吉親?与親?

187 :
「安田町史」中世編に載っている本家の系図だと堅親みたい。
ちなみにこの系図だと長秀は1556年に死去したため、
血染めの感状を賜ったのは堅親ということになっている。

188 :
本庄が米沢へ行かずにいたら
村上市じゃなくて本庄市になってたのかな?
つか秋田県の由利本荘市ってなぜに本庄って付いてるんだ?
新発田市は古い名を存続させてエラい。

189 :
景勝が会津転封前に作られたという瀬波郡絵図では既に本庄城が
「村上ようがい」と書かれているけど、後から付け足されでもしたのかな?

190 :
>>189
秀吉に庄内での一揆を煽ったと疑われて
本庄が追放された後だよね瀬波郡絵図の作製って。

191 :
瀬波郡絵図作成…1597
村上氏入封…1598
…どういうことだ?
村上という別称もあった所にちょうど村上さんが入ったのか…?

192 :
秀吉の一国一城令により
破却を免れるために城ではなく要害に表記変えたんかな。

193 :
本庄氏の家紋が「上」ていうところからも何か秘密が隠されてる気がするなあ…

194 :
村上繁長

195 :
>>193
>本庄氏の家紋が「上」
信濃村上氏と同じだっけ?

196 :
間違いだらけではないか!
>>188-191
本庄健在の頃からあそこは「村上」じゃ!
下野佐野の拠城が佐野城ということもあるが、唐沢山城の名が一般的なのと同様。
謙信の本庄攻め時の感状などでも「本庄村上を攻め」などと記されていたはず。
>>192
なんたる不覚を!
一国一城令は元和の徳川による政令じゃぞ!
そして要害の呼び名は前々からよく使われていた。
謙信などは春日山城を、春日山要害やはちがみね城と記す事が多かったのじゃ。
>>193-195
村上は丸に「上」。
本庄はただ「上」の一文字のみ。しかもこれは家紋ではなく、軍旗じゃろ。

197 :
は…博識なナッちゃん?

198 :
しかし秀吉も戸沢などに領内の城のことごとくを破却されたりしてる。

199 :
>>188
本荘城は最上家臣楯岡満茂が築いたが、本城満茂と名乗ってもいた。
正保城絵図には出羽之国油利之郡本城絵図と記載されている。
当初の本城(本城城?)から本荘城へと呼び名が変わったということでしょう。
で、最上の一門衆は○○氏と城地を苗字にする事が多い。
義光の子も山野辺や清水、大山など城地を名乗り最上は意図的になのか使わない。
楯岡満茂も由利郡移封時は赤尾津満茂を名乗ったがこれは当初赤尾津城に居たから。
とすると城を築いた場所が本城という地名だった、或いはそう名付けたから
本城満茂と名乗り、城下町も本城=本荘ということで、越後本庄氏とは恐らく関係無いと思う。

200 :
村上といい本庄といい、偶然の産物とは言え、奇妙な話だね。

201 :
上杉武将伝
http://item.rakuten.co.jp/book/5866033/
↑揚北の面々も載ってるようですが、持ってる人がいたら感想よろしく。

202 :
>>201
視点が面白いけれど、筆者が近衛という時点で想像がつくだろう。
非常につまらない一品です。

203 :
すこしフォローすると、各武将の年表代わりにはなる。
それと講談などにある逸話を織り交ぜていて、どのような伝承が残されたのかを総覧できる。
でもね、それだけ。
なんでこの人はこんなに人間を魅力的に描くのが苦手なんだろう。

204 :
近衛さんの描く主役って、恨み言や不平不満が多い割には、自分からは
何もしようとせず、しかもコンプレックスの塊で基本ネガティブと
いう感じで、そういう暗〜い若年期で作品の三分の二をつかう・・・
という印象なんだよね。

205 :
>>204
そしてたまに謙信みたいに活発な人物が主人公になるとたちまち漫画になってしまうw

206 :
近衛さんほど参考文献のせてる作家も珍しい。
しかし史料の読み込みが作品の面白さに反映してないのが残念。

207 :
>>202-203
揚北衆が本に取り上げられることは少ないので期待してましたが、
なかなか微妙なようですな……。
他の本で何かお奨めとかありますか?

208 :
大河に繁長出そうにないなー
重家もよくて雑魚キャラだろーなー

209 :
中条藤資とかで、話とか作れば面白いのに。謙信の出奔にも、一枚噛んでいるという説
があるくらいに揚北衆の中で存在感はあるんだがな。不思議なことに、あまり本とかドラマ
とかに出てこない。

210 :
重家は良くて悪役だろうなぁ。どうせ悪役・敵役でもシャーみたいであって
欲しいのですよ。
ガノタ的表現しかできないけど、分かり易いんでごめんしてね。

211 :
>>209
やっぱり爺くさいからビジュアル的に楽しくないんじゃないかねw
黄忠みたいに渋い脇役が似合いそうだけれど。

212 :
軍神マンセーのストーリーにしたいのに
ご意見番的うるさ方のキャラがでてきちゃ都合が悪いから
「越後の中間管理職上杉謙信」という新しいキャラ像が定着すれば
所領争いの調停にぶちきれて出奔したり、アル厨の果てのビジュアル的に無残な便所での死とか
生々しく再現できるのに

213 :
どう考えても、本庄や新発田・・ついでに水原は出すべきだと思うんだがなぁ・・

214 :
天地人では新発田は絶対必須。本庄は可能なら出るべき。

215 :
村上市の村上って武田に追われた村上義清の末裔に分与したの?

216 :
>>215
村上義清とはまったく関係ない。
村上氏という一族に関係があるとするならば村上頼勝になる。
また元々本庄の別名を村上といったとかいわないとか。
1597年作成の図に村上要害が存在するが、
その年に「村上ようがい」と図に記入したかどうかは不明(17世紀になって記入されたとも)。

217 :
垂水源次郎と荒川伊豆守は同一人物なのでしょうか?
前に読んだ本にそのような記述があったのですが。

218 :
ネットで調べたら「垂水荒川伊豆守」と書かれていた。
同一人物かどうかはわからんが、拠点がかぶるので関連はあるだろうね。

219 :
> 一般には、川中島の合戦で、謙信が単騎、信玄に切り掛かり、三度七太刀まじえたとされています。
> しかし、この時の謙信は影武者であり、実際には垂水伊豆守であったと上杉家・武田家・そして、垂水家の母体である河村家に記されています。
こんな記述も見つけたお。

220 :
鮎川まつりなんてのがあるんだね。
昨日の新潟日報を見て初めて知ったよ。
なんか嬉しいね。

221 :
もしも全国区が無理なら、
新潟・福島・山形の3県で協力して、本庄繁長のドラマ作ってくれないかなぁ…60分×1〜2クールくらいで。
2〜3時間SPくらいだとせわしなくてイカン…。勘三郎さんの河井継之助の二の舞はゴメンだ…。

222 :
せいぜい落語になるのが限界ではまいか。

223 :
>>222
やめてよ…考えないようにしてるんだから…
夢ぐらい見させてよ…

224 :
こりゃあ本当に揚北衆はスルーの可能性があるか?

225 :
府内長尾家
譜代筆頭は山吉家と直江家
信濃筆頭は高梨家と尾崎家

226 :
今日は文字で出てきたな!>重家

227 :
ごめん誤爆

228 :
そんなにむごい誤爆でもないよ

229 :
揚北衆をスルーする大河ドラマは糞

230 :
NHKさん、本庄や色部は無視かよ!

231 :
大河ドラマにそろそろ出番増えて来たかい?

232 :
大河ドラマで色部や本庄が登場するはずの仙北一揆を扱う可能性は0%です。

233 :
初代維新の嵐には、米沢藩の要人として藩主と家老(色部長門)の2人がいたな。

234 :
維新の嵐は菅野よう子が作曲した曲が神だったな

235 :
ウィキの揚北衆の項に付け足ししてくれた人乙。
でも本文ではまだ大見一族が忘れられてる……

236 :
>>235
ぐだぐだいうなら自分で編集しろ

237 :
揚北衆で肖像画が残ってるのって本庄繁長、新発田重家、水原親憲の他にいる?

238 :
本庄・色部・鮎川・中条・黒川・加地・新発田・竹俣・五十公野・安田・水原以外にも
軍役帳とかには大川・荒川・下条がいるよね

239 :
結局、誰も出てないケド…

240 :
>>239
そういや、竹俣慶綱は一応出てたな…揚北衆ではなく魚津城将の一人としてだが

241 :
あのお花畑大河がキッチリ出すわけなかったな

242 :
ゲーム「天と地と」では竹俣慶綱は結構使えるキャラ
逆に山本寺定長は老齢でもないの戦に出せば出すほどどんどん弱くなるどーしょもないキャラ

243 :
>>242
そんなゲームあった?

244 :
20年近く前にPCで出てたんじゃなかった?

245 :
本庄や水原・前田慶次も大河に出演しないそうだよ・・・
ちょっと気分がおさまらなかったので、NHKにメール送った・・・くそぅ・・

246 :
大河ドラマ板より
--------------------------------------------
NHKドラマ ホームページ班です。
この度は、お便りをありがとうございました。
また番組をご愛顧頂き、心より感謝申し上げます。
さて、お問い合わせをいただきました件ですが、
前田慶次郎、本庄繁長、水原親憲は現在のところ
ドラマで登場する予定はございません。
いずれも上杉家中で活躍した武将ではありますが、
直江兼続を中心としたストーリー展開である都合上、
登場させても十分に描くことができない人物でもございます。
ご理解のほどよろしくお願いたします。
今後とも番組をご支援賜れれば幸いです。
それでは失礼いたします。
--------------------------------------------

247 :
>>246
おいおい、酷いなw
本庄はもちろん、前田も直江とは縁浅からぬ仲じゃんかw

248 :
これはちょっと酷すぎないか?
ここまで精一杯好意的に観ようと努めてきた俺でも開いた口が…

249 :
しかも関ヶ原では小早川秀秋の心理に細やかに迫るとか言ってるし
「直江兼続を中心としたストーリー展開」が聞いてあきれる。

250 :
無名な奴ら出しても視聴率に貢献しないって話だろ
なにをいまさら

251 :
直江ドラマで関ヶ原を中心に描くとかw

252 :
荒川氏の系譜って、
長実―義次―元秀?
鮎川氏は、
清長―盛長―秀定=信重
かな?
下条茂勝って誰だろう?

253 :
>>252
三浦和田の一族かな?

254 :
なるほど。
大見下条氏かと思ってた。

255 :
>>252
鮎川氏は現在子孫の方で作っている「鮎之党」の方に訊いたほうが確実と思われ。

256 :
荒川伊豆守長実=垂水源二郎とすると
荒川弥次郎義次=垂水源太左衛門なのか?
なんか眉唾な気が。

257 :
なんで荒川氏が垂水氏なの?

258 :
>>257
関川村史だったかにそんな説が載ってる

259 :
揚北の中世史料を、新潟県史に並ぶぐらい
まとめた史料集が欲しい。
各市町村の地誌をバラバラに集めるしかないのかな?

260 :
確かに、これ一冊で揚北衆の全てがわかるってくらいの本が欲しいね。

261 :
繰り言になるけど…
天地人でもっと揚北衆をクローズアップしていれば、新人物往来社か学研あたりで特集組んだんだろうな…
矢田俊文さんあたりが執筆してくれないかなぁ…

262 :
だれか新発田あたりにクラブ揚北をオープンしろよ
もちろんキャバ嬢には徹底的に揚北の歴史について教育して
揚北衆の社交場にしようぜ

263 :
何でわざわざキャバクラにするんだよw

264 :
揚北衆の社交場というと
集まって早々先祖自慢で開始して
その後も席の位置とか酌の順番で延々と牽制しあい
話題はもっぱら戦と境界紛争といった
殺伐とした宴会イメージしか浮かばんな

265 :
>>264
どじょっこホイ!より面白そうだ…てか、戦国武士の宴会って割とそんなイメージがあるな…

266 :
連名書状でおそらく宴会の席のあとで書いただろうと推測されていて
「中条藤資は酔っ払ったので花押が書けませんでした」
って書状が確かあったよね。
揚北衆はみんな酒に強いイメージがw

267 :
>>266
和むw
謙信も大酒飲みだったし、皆酒好きだったんだろうね( ´∀`)

268 :
歓楽のためと書いてあったから、
泥酔していたか女でも抱きに出て帰らなかったのかもw

269 :
確か藤資もまだ若い時分だったよな
個人的には大酒かっくらって泥酔・酩酊状態だったのを期待w
何か宴会芸でもしなかったのかな……w

270 :
雪国ではよくあることw

271 :
( ;∀;)イイハナシダナー

272 :
>>266
中条だめジャンw

273 :
9/5〜11/29まで村上市郷土資料館(おしゃぎり会館)で
特別展「もうひとつの天地人」U 東北の関ヶ原 直江兼続と本庄繁長 開催中!
ttp://www.iwafune.ne.jp/~osyagiri/
10/4 「愛・義」巡り会いまつり
米沢の上杉砲術隊が阿賀野市にやって来る!
http://www.agano-spot.com/F_page11.htm
やばい今からwktkする
繁長の展示会もう行った人がいたら感想をお願いしたい

274 :
>>272
謙信登場までコロコロと変節する人だったから、
進退の自由を奪う花押を押したくなくて、
わざと泥酔しちゃったのかもな。

275 :
変節というよりも宿敵である本荘氏や黒川氏の動き次第って気もする

276 :
まあ藤資ほどの人物ならわざと署名しなかった、とも見れるかもね

277 :
揚北衆を抑えて架空の家臣団が出て来るとは…
松田勝重・井上高広・白井義忠・市川景清・長沼満政
↑こいつら誰よ?

278 :
上杉の家臣なんか適当に名前つけときゃいいわ。
どうせ誰もわからないから・・・・ってか?
小松って、本当に上杉をバカにしてるんだな。
なんでこんな奴を脚本家にしたんだよ。

279 :
実在の人物を描く力がないことが分かったから架空人物なんだろ

280 :
これなら主人公も直井実次とかにすればよかったな。
岸田光成、上住兼勝

281 :
>>278
いや逆かも知れない。
遠山や上田衆や山崎秀仙や上条政繁など
実在の人物名を使っていたが
「お前が言うなw」「何故今になって出す」
「このキャラがこの扱いはおかしい」と散々文句言われたから
実在家臣を使うの止めたんじゃ。

282 :
大河は酷いを通り越して(ry

本庄繁長を主人公にした小説を発見。読んだことある人いるかな?
「奇策 北の関ケ原・福島城松川の合戦」
http://kazusanosukede.gozaru.jp/book/kisaku.htm

283 :
>>277
マジレスすると
白井義忠→白井長尾氏の長尾景広
市川景清→信濃衆・市川氏の市川房綱
長沼満政→信濃衆・信濃長沼島津氏の島津忠直かと。
三家とも米沢藩では侍組分領家(家老とか出せる家柄)で中条・竹俣とかと同格。
苗字(しかも一般的に知られた呼び名じゃ無い方)だけ拝借するとかせこすぎるww
それに誰が誰だか分からないし。
上杉ファンのみならず視聴者をなめてるとしか思えなかった。
>>282
繁長といえば今まで若い頃のやんちゃなイメージが強かったけど
この小説読んで老獪でしたたかなのもいいなーと思ったよ。
日常時と戦闘時でギャップありすぎるのと
息子たちとのやりとりが面白かったw
息子が5人も登場するから数多いなーと思って調べたら
繁長の実子って全部で21人居たんだね・・・

284 :
総社の直江信綱といい白井長尾といい上野国組は米沢で幕末まで命脈が保てたんだろうか…足利長尾は下野か。

285 :
>>284
白井長尾は分家ともども代々侍組に属して、無事に御一新の世を迎えてるよ。

286 :
なんだ今日の大河
色部を馬鹿にしてんのか

287 :
天地人は見てないけど
そんなに酷い扱いだった?

288 :
>>286
何があったか詳しく。

289 :
一瞬色部光長が出てきたけど
「娘さん貰います」挨拶するときにきょどってた事かな。

290 :
緊張してあがってるのを表現するのに、あんなみっともなく
どもらせなくてもいいのにね。
軍隊の上官にものを言うように堅苦しく言わせたほうがよかった。

291 :
今回の天地人の扱いについては、NHKに怒りを感じる
 一体、どういうつもりなのか

292 :
樋口家以外の上杉家臣をカスみたいに描きすぎ。
色部の家格を考えたら、樋口にとっては小国家以上のものだろう。

293 :
>>292
色部と婚姻した樋口の娘については、惣右衛門の娘というよりは、
兼続の妹という点に意味があるんだし、そもそも兼続の「義」が云々と
いうんならば、死ぬ間際に後事を託した色部との約束を果たしたという
部分こそ、料理出来る余地のある場所だと思うんだけどね

294 :
もしかして「朝鮮の役」で病気にかかった時に、兼続に書状を送って「色部家と縁戚関係を結んで、色部家を安堵させて欲しい」という希望を、兼続が叶えて上げた事ですか?

295 :
あっ、流れ止めちまった!
当分 遠慮するんで。失礼

296 :
色部光長が兼続をもてなそうとしたら「ゼータク」と窘められた話は、米沢での苦しい生活を表すのに丁度イイと思うんだケドねぇ…

297 :
( ;∀;)イイハナシダナー

298 :
繁長の継室について。
wikiだと須田満親の娘になってるんだけど
須田満親の長男・満胤が改易になったあと
妻で直江兼続の妹のきたとその子の満統が繁長を頼って米沢藩に帰参したって話があるじゃん。
手持ちの資料だと「満統の母が繁長に嫁ぎ、繁長のとりなしで満統は取り立ててもらった」
って記述があるんだよね。
これに従うと繁長の継室はきたってことになると思うんだが・・・
どうなんだろう。

299 :
>>298
あれだけ子女が多いんだから、継室格の女性も複数居たのだろう

300 :
300get!

301 :
>>298
なんかの直江本にも、きたは子供と共に繁長の元に身をよせてたと書いてあった。
繁長の妻が須田出身だったからと書いてあっような・・・
普通は実家に帰るよな?って不思議な気がしてたんだけど。
改易には直江が絡んでいたらしく、
よっぽど実家に帰りたくなかったんかなとも思ったりもしたんだが・・・
妻だったのか。
色部光長の妻にしても、妹が通説だと思うんだけど、兼続娘と書かれた史料を見たことあるよ。
養女扱いだったのかもしれないが。

302 :
揚北衆の婚姻関係とかまとめた資料とかあればな。

303 :
須田はじめ、柿崎弥次郎や斎藤景信など、慶長2年に改易された家臣は
相当数いて、どうやら伏見城舟入普請の課役に関係したものらしい。
かなり大掛かりな課役だったらしく、この時期直江兼続も過労からか体調を
崩すなどかなり大変なものだったらしく、これに対応できなかった国人領主
たちが淘汰されていったみたいだ。


304 :
>>298
満統の母じゃなく叔母の間違いなだけじゃね?

305 :
やっと規制解けた・・・
繁長継室については須田氏出身であることは確実なんだけど
いまいちはっきりしないみたいだね。
手持ちの資料というのは「藩政成立史の綜合研究 米沢藩」。
本庄家の分家についての記述のところで触れられていた。
渡辺三省先生の「本庄氏と色部氏」には
須田満胤の弟の妻と書かれていたね。
やっぱり兼続と光長と繁長が義兄弟ってのは無理がありますねw
>>302
揚北衆の婚姻関係について
知っている限りだと
本庄繁長・・・正室:上杉景信の妹(顕長の母)
側室:大川忠秀の娘(充長、須田満統室の母)、
本庄家中の娘(長房、久長、黒川為実室の母)
継室:須田満親の娘?
色部長真・・・新発田重家の妹
色部光長・・・直江兼続の妹(兼続次女?)
中条藤資・・・高梨政頼の娘
黒川清実・・・色部勝長の妹
黒川為実・・・本庄繁長三女
築地資豊・・・竹俣氏の娘
加地春綱・・・長尾為景の娘(上杉謙信の姉)
新発田重家・・・小田切貞遠の娘
新発田盛喜(重家の異母弟)・・・築地氏の娘
五十公野信宗・・・新発田重家の妹
竹俣元綱(竹俣慶綱の従兄弟)・・・小島弥太郎の妹 ※「竹俣氏系譜」より
竹俣重綱(元綱長男)・・・上条政繁の娘 ※「竹俣氏系譜」より
安田長秀・・・長尾政景の妹 ※「安田氏系譜」より
安田堅親(河田長親の弟(三男)、初め中条藤資養子)・・・安田長秀の娘
下条忠親(河田長親の弟(次男))・・・安田長秀の娘
伊達稙宗・・・中条藤資の妹
山本寺定景・・・本庄繁長の異父妹
須田満統・・・本庄繁長五女
安田顕元・・・竹俣慶綱の娘
下条正親・・・水原親憲の娘
あと本庄房長室(繁長の母)と鮎川清長室が姉妹。
※がついているのは信憑性が低いかも。
個人的に安田長秀室が長尾政景の妹だというのなら
長秀が早々と謙信を支持した理由と
「分からないことがあったら安治に聞け」書状について納得できるんだけどな。
こうして見ると揚北衆同士で婚姻関係を結ぶパターンもあれば
本庄や加地みたいに上杉一門と婚姻を結んでいるケースもある。
ちなみにwikiの武田勝信の項目見ると分かるけど
江戸前期になると武田と本庄と色部が親戚同士になってるww

306 :
>>305
素晴らしい! ( ^-^)_且~

307 :
>>個人的に安田長秀室が長尾政景の妹だというのなら
>>長秀が早々と謙信を支持した理由と
>>「分からないことがあったら安治に聞け」書状について納得できるんだけどな。
通説だと逆にならない?政景の妹だと謙信と対立しそうだが。

308 :
>>305
とりあえず敬意を表する。

309 :
>>305
勉強になりました乙

310 :
今年の大河では揚北衆を全国区にする事は叶わなかったな…
もうこんな機会は当分無いだろうに…

311 :
中条景泰・・・中条景資の娘

312 :
犬HKへの貢ぎ物が少なすぎたんだろうね。かなりの金が必要だしな。
仙台もかなり金出したんだろうね。

313 :
一般に上納金
〜5億 超駄作
6〜10億 駄作
11〜20億 凡作
21〜50億 良作
51〜100億 佳作
101〜300億 傑作
301億〜 名作
が相場と言われている

314 :
上越中越連合と争った末に
漁夫の利で新潟市が儲かるだけで、対抗した村上市や新発田市が破綻しちまうw

315 :
まあ確かに天神山城が紀行で紹介されただけ新潟市はマシか。

316 :
>>246を見る度に、涙が出る(つД`)

317 :
やっと大河終わってくれたかって感じ。
同じ新潟県内なのに阿賀北のハブられっぷりに泣いた一年だった・・・
ムキになって揚北衆のことを詳しく調べたら
改めて凄さを思い知って更に虚しくなった一年だった。
>>307
根本的なところを勘違いしていましたw
逆に謎が深まりますね。

318 :
あっもうひとつ忘れてた。
皆さんあんな長々と書いたのを褒めてくれてありがとうございます!
今後も精進します。


319 :
揚北衆は、一般の人々にはマニアック過ぎるのかな
有名武将(信長、秀吉、家康)出さなきゃ視聴率取れないって事か
視聴者の媚売ると駄作しか出来ないね

320 :
有名武将どころか架空人物以下の揚北衆

321 :
>>319
「毛利元就」だって元就以外はほぼ一般の知名度は皆無だし、かつての「風と雲と虹と」
なんかも、将門以外は茶の間に馴染みの無い人ばかりだったので、知名度云々以前に
作り手の姿勢が酷いことのほうがよっぽど問題だと思うなあ。

322 :
本庄繁長は信玄、秀吉、家康などとも絡めることが出来るいい役どころにいるんだけどなあ

323 :
だねぇ
繁長は大物とも関わってるよねぇ

生まれる前からすごいしなぁ・・・
いつか繁長で大河やってほしいなぁ・・・
知名度的につらいのかもしれんけど
中途半端な有名どころよりよっぽどおもしろい大河になると思うんだが
ドラマチックな展開には事欠かない人生だし

324 :
資金力にものを言わせた仙台の猛烈な抗議が来るから無理です

325 :
じゃあまた金山でも当てるか

326 :
>324
やはりそうか
おかしいと思ったよ

327 :
越後加地氏 新発田氏の系譜って本はよいかな?
新しい本なのにもう絶版

328 :
>>327
かもなくふかもなく

329 :
>>327
出版元に確かめるしかないんじゃね?…ま、図書館で読むしかないだろうがネ☆

330 :
うちの知り合いで本城-本庄の末裔?らしのがいますが、長男には、繁の字を
つけるのが家訓らしいです。お墓にも上杉との縁が記されているとの事で
でもなぜか岩手在住で今調べ中です。
ゆかりの太刀と巻物が有ると事で調査報告しますです。

331 :
>>330
本庄家と柿崎家は維新後に北海道の開拓に従事し、今も北海道在住とのこと。
分かったら、出来る範囲内で聞かせてくださいな

332 :
ですね
本庄氏と柿崎氏ともに屯田兵として明治23年に北海道に移住してます
本庄氏の通字は「長」のはずですよ
現在の当主の方も長がついています
本庄家文書は北海道の道立文書館に寄託されているようです
ちなみに本庄家は現在でも繁長八幡を祀っており
年一回祭礼行ってるそうです
柿崎家も年一回薬師如来の法要?を行ってると聞いています
どちらも信心深い家柄のようです
本庄氏の子孫の方には鮎貝城築城600年祭のおりお会いしたことあります
もう十年くらい前かと思うけど

333 :
この地域で本庄氏が大きな勢力になったのは、足利義満が能登守護の吉見氏頼を
追い出して、自分の寵臣だった本庄宗成を後任にしてからなのね。

334 :
>>330
>>332
繁が付くのは、庶流というか分家筋かな?

335 :
本庄の本家の方は今でも北海道にいますよー

336 :
>>333
おいおい、能登と越後とじゃだいぶ距離があるぞ
それに越後本庄は鎌倉期には既に越後進出済
本庄宗成はよくわからんけど出自は児玉党系じゃないかな

337 :
本庄繁長の三男房繁は、かつて直江家の養子であった本多政重に従って、
加賀に赴き前田家に仕えたと「本庄氏と色部氏」に渡邊三省氏は書いて
あります。
また、本多政重には垂水家も同行し本多家中筆頭として能登を治めたと
垂水源二郎の嫡流の方から近年お聞きしました。
この二つの話しから、本庄家が能登の統治に関わった可能性はあるよう
に思えますが、七尾市史等を検証する必要があるかもしれません。

338 :
阿賀北衆は長尾家や上杉家に、娘を嫁に出すとか、そういう婚姻戦略が皆無だよな

339 :
血統こそが誇り

340 :
>>338-339
その割には、加地春綱姉が大井田氏に嫁いだり、新発田長経妹が福王寺氏に
嫁いだりしてたんだけどね

341 :
越後の鍾馗

342 :
本庄の庄内侵出が最終的に失敗した原因は何だろ?
最上氏が本庄より豊臣家と懇意だったから??

343 :
失敗?

344 :
岩手県前沢町に正福寺がありここにも繁長の墓があるようです。
調べると伊達の食客として一族が前沢町白山地区に来ているようです
繁長とつく地名が地図上で確認出来ました。
お墓に言われが記されているようですが
何方かわかる方いらっしゃいませんか

345 :
上杉の家来本庄越前と、宮津藩の本庄伯耆守は関係あるの?

346 :
>>342
慶長出羽合戦までは上杉領だぞ。
そもそも景勝は反柴田同盟以来東国外様系親豊臣筆頭だろ
それとも上杉からの独立失敗したことか?

347 :
>344
繁長の墓は福島県だろ
何で敵方の伊達の客食なんかにならなきゃならないんだ。
伊達(仙台)はこの手の嘘が多すぎる

348 :
自称庶子が仕えたとでも主張したいんじゃないか。

349 :
347さんの言うとおり福島県にお墓が有りますが
岩手に有るお墓について知りたいだけで嘘ではないですよ
実際にお墓もあるのでただ歴史的な事実が知りたいでけですよ
参考にhttp://otomisan.livedoor.biz/archives/cat_50141298.html
見てください。
ここにはお墓の話はないですが地名の繁長とお寺は確認できますので

350 :
大和に本庄親子が流されたのは冤罪かな?

351 :
>349
1991年、秀吉の命で伊達政宗が岩手沢に移封されると、
1998年、本庄繁長が入移し長福寺を菩提寺として設立。
記事を貼れないけど
これ?

352 :
>351
誤爆
×長福寺→○長楽寺
これは福島か…

353 :
351さん 私も調べましたが岩手沢は岩手県では無いですね
お寺の名前も似ているしね どちらも福島ですね

354 :
秀吉によって政宗が左遷されたのは岩出山では?

355 :
岩手沢=岩出山だよ

356 :
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1201348770/
☆。.:*・゜竹俣 紅ちゃん Part 3 .。.:*・゜☆
あの竹俣氏の子孫が、プロ女流将棋棋士を次々と破る女子小学生だった
2010年度第5回白瀧あゆみ杯争奪戦では多くの女流棋士を破り、
今日10月3日に優勝をかけた決勝戦で、永瀬四段と戦う

357 :
>>345
本庄松平氏だから、関係ないと思うよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E5%AE%97%E7%A7%80

358 :
ざんねん

359 :
千坂対馬

360 :
御舘の乱での動静が色々と興味深いな。

361 :

揚北衆の通婚関係について

362 :
まとめてくれるのか。ありがたや。

363 :
ありがたや

364 :
ありがたや

365 :
まだー?

366 :
ぬるぽ

367 :
がっ

368 :
なにこのスレ

369 :
361をいぢめるスレ

370 :
イイスレダナー

371 :

良いスレでは無いなw

372 :
御館の乱では揚北衆も景虎側、景勝側と真っ二つに別れてるね。

373 :
真っ二つかね?
揚北衆の有力グループは殆ど景勝方だったと思うが

374 :
どっちかというと。ライバルがあっちに付くなら俺はこっちに付く
あ、念のために両属もしとこう。みたいな

375 :
両属といえば、本庄顕長は落城する半年前に御館に入ってるんだけど、
乱が治まった後、領地を貰ってる書状があるらしい。
俗説じゃ父に免じて赦されたとされてるけど、実際は褒賞をもらってる。
実はスパイとして御館に入ったんじゃないかと誰かが書いてたね。

376 :
岩井氏は分裂した

377 :
葦名氏や小田切氏の動向は面白い

378 :
>>376
まあ、無理もない

379 :
本庄繁長の妻って古志家の娘なんだ・・・・

380 :
妻はたくさん居たらしい

381 :
そりゃそうだろうな

382 :
アッ────── !!!

383 :
志駄義秀や小国頼久は、地理的に考えて揚北衆?

384 :
シダはちがくね?

385 :
山吉行盛の生母が上杉氏って本当?

386 :
山吉氏の系図だけでなく上杉氏の系図にも同じ情報が記載されていれば信憑性がありますが、残念ながら山吉氏側だけの主張です。

387 :
矛盾が無い部分は信用しても良いとおもうけどね。
だって上杉氏の系図は女子が軽視されてるから。
大石氏に嫁いだ女子とかも全部が上杉氏側に記載されてたわけじゃないし。

388 :
>大石氏に嫁いだ女子
大石氏と縁戚関係にあるのは長尾氏レベルじゃないの?

389 :
山吉行盛じたい山吉氏の系図に登場しない人物とかいわれてるけど
山吉は長尾の被官だから大石以下じゃん

390 :
>>388
いや、大石氏は上杉氏から、少なくとも二回以上、正室を娶ってる

391 :
山内からは難しいけど扇谷や深谷なら一応釣り合う
あと成氏派との対立から部下囲い込みに一族の娘いれてる

392 :
本庄さんの配下って有名なのいる?

393 :
保守

394 :
>>392
しらね

395 :
しらねえならだまってろよゴミカス

396 :
>>392
青木新兵衛、岡野左内とか

397 :
>>395
R

398 :
本庄はザコ

399 :
>>396
その辺の浪人衆って寄騎で、家来じゃないような?

400 :
どちらかというと上杉家の家来だね
でも家臣って言われても、北条の息子らしか出てこないんだよなあ

401 :
>>397
無知は黙ってろやカス

402 :
>>401
他人に聞いてる時点で無知じゃんw

403 :
しばたしげいえはなんでれいぐうされたの?

404 :
謀反起こしたからじゃないの
つーか冷遇されてたん?上杉軍の主力として戦ってるイメージが強いが

405 :
御館の乱後の戦後処理でろくな恩賞も無かったら
そりゃ新発田じゃなくて謀反起きるって。
とにかく景勝の取り巻きの贔屓が酷くて、
重家との仲介をしていた武将が憤死したとか聞いたことがあるぞ。

406 :
あ、自刃したのは安田顕元だった。

407 :
新発田攻めも、最初は揚北衆が中心戦力だったようだね
やる気なしでロクな攻撃しなかったみたいだが

408 :
当時、赤谷の鉱山は新発田領?
だとすると港の上がりと併せ一国人のわりに結構経済力あったのかな

409 :
>>407
揚北の連中、新発田や安田に同情してたんじゃね。

410 :
阿賀北集は地頭出身が多い

411 :
うm

412 :
加地氏宗家は御舘の乱で完全滅亡?

413 :
>>412
乱のの最中に武田から景勝の重臣宛の出された書状の宛名に加地の名前がある
新潟県史では加地は景勝方にしてるぞ
ただ、北条軍が迫ってきた頃の景虎の書状に加地がこちらについたとある
途中で寝返ったか、あるいは景虎の希望的観測によるものじゃね

414 :
途中で景虎方に寝返っちゃったとしたら滅亡させられても
おかしくないな
最初から景虎方なのと途中で寝返ったのでは
寝返った方が始末が悪い

415 :
一族真っ二つのケースが多かっただけにねぇ

416 :
加地の滅亡は新発田の乱でねの

417 :
まあそやな
新発田と言えば新保盛喜はいつ許されたんだ。
直江粛清で山本寺や本庄須田のような一門・半与力的存在も追放されたのに

418 :
>>417
山本寺って追放されたの?

419 :
本当か知らないが勝長が城建設のトラブル(直江と喧嘩)で一時追放されたらしい
まあ俺も閻魔状エピソードスレの話の中で聞いただけだから真偽は不明

420 :
山本寺家は闇の中か・・・・

421 :
mystery

422 :
本庄長長

423 :
本庄って江戸時代実権持ったことある? 千坂竹俣はしょっちゅう、中条がタマにって印象しかない

424 :
思考盗聴について(1)
思考盗聴は、日本では公安の盗聴手段の中心になりつつある。これは傍聴法の対象にはならない。
思考盗聴装置の機能は、
@他人の考えていること(思考)の盗聴 A視覚映像のモニター B言葉、画像の他人への送り込み
C送り込んで脳で感知された画像のモニター D暑い、寒い、気持ちがいいなどに感覚の検知
@、A、CはSPやモニターへ出力が可能 Dは脳内信号として直接自分の脳に送り込んで自分の
感覚として感知 。
A視覚映像のモニターの画像鮮明度は、対象者により個人差が大きい。
思考を盗聴できると言うことは、人間が思考を行う時に、受信可能な電波のような何らかのものが出ている
こと意味する。これはテレパシーや地獄耳は、SFや伝説の世界のものではなく、現実にあること証明している。
人間の脳から電波のような波が発信されているとすると、テレパシーはそれを直接脳で聞くことが出来る能力
ということになる。古代人は皆それが出来たと言う説がある。
要するに、この技術は思考の電磁波を人工的に作ること、それを送受信することを可能にしたものである。
これは、通信技術よりは脳科学の成果であり、ノーベル賞10回分に相当するような歴史的大発明といえる。
この技術を、世界数カ国が共同開発、実験している。しかし、いずれの国も、この歴史的大発明を国民には一切
公表せず、秘密裏に開発運用している。
日本では悪の権化、公安警察が実験運用を行っている。悪名高い公安部の情報では「@〜Dのすべてに成功
したとして、このほど世界6カ国に発信した」とのこと。(世界6カ国とはG7の日本を除いた6カ国)


425 :
>>423
寛文期に半減されるまでは福島城代じゃなかったっけ?

426 :
本庄繁長の正室は上杉景信の妹でFA?

427 :
ただし妻は一人じゃない

428 :
最初の正室はそれでおkかもね

429 :
色部家の娘の嫁ぎ先って主にドコ?江戸時代以外で

430 :
おれんち

431 :
(#^ω^) ビキビキ

432 :

★★今時代は嫌中ブーム!!★★
みなさん嫌中ブーム知ってますか?嫌中ブームが今ネットでのひそかなブームとなってます
2ちゃんねるで大流行りした、嫌韓ブームでしたが
新しく中国を嫌う嫌中ブームがインターネットで流行っているのです!
それもそのはず彼らの横暴な態度に今日本人は怒っているからです!嫌韓と同じですね
新世紀の話題 嫌中ブーム!
時代のトレンド 嫌中ブーム!
さあ新しい時代に乗り遅れるな!話題沸騰、今時代はまさに嫌中ブームなのです!





433 :
浮上

434 :
age

435 :
新発田の乱の時の本庄繁長はやっぱり本庄城(村上城)を本拠地に
新発田の抑えに回ってたんでしょうか?

436 :
>>435
事実上、春日山城と本領の間を新発田家に分断されていたので、
本領維持に回るのが当然だろう。

437 :
新発田氏の子孫って存在してないのかな。

438 :
名前が変わったり、色々して生き残った家系もあるらしいね☆
…モチロン、面影は無いんだろうケド。

439 :
阿賀の風雲、在庫あったんだな
皆、買おうぜ

440 :
謙信って揚北衆をかなり重用してたよな
若い頃からの知り合いだからかな?

441 :
越後はまとまりが悪すぎたよね

442 :2012/11/29
>>439
これかw
http://m-news.jp/kako/2012/aga.html
ページ数見てビックリw
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