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2011年10月1期鉄道懐かし【つばめは】583系の全盛期【岡山へ】
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懐かしのJRグループについて語ろう
【つばめは】583系の全盛期【岡山へ】
- 1 :08/11/21 〜 最終レス :11/12/01
- 岡山行寝台特急「月光」もありましたね。
- 2 :
- 西鹿児島行特急「有明」もよく583が使われていたな
- 3 :
- 山陽新幹線も
岩国始発各停を
『にしき』
三原始発各停を
『とも』
新大阪-岡山
『イーグル』
新大阪-広島 各停
『ふたば』
岡山-広島 各停
『きび』
広島-博多 各停
『ながと』
名古屋-博多 主要駅停車
『げんかい』
名古屋-熊本 速達
『つばめ』
東京-広島 速達
『あき』
なんて復活してくれたら
ある意味新鮮だなあ
- 4 :
- 西鹿児島まで行っていたのは岡山発の「月光」と京都発の「きりしま」でしたっけ。
- 5 :
- >>1
581じゃなくて?
- 6 :
- >>3
「きび」の牽引機はEF210?
- 7 :
- >>6
153系
- 8 :
- >>5
確かに、新大阪行の初期の時代には581が使われていたかもしれないが
岡山行が登場したころは、全部583だった希ガス
- 9 :
- 激しく西に偏ったスレタイである。
- 10 :
- 金星、なは、明星、彗星、はくつる、ゆうづる、みちのく
これらが583と聞いてパッと出てくる。
S47生まれです。
- 11 :
- 583は
@寝台-座席
の転換に時間がかかり人的コストが膨らんだ
A寝台設備を天井に格納するため重心が高くなる
B三段寝台の為狭い
ということで客車がえりしたんだよな
サンライズの様な車両を新幹線300系を改造して作り
0-6時は近くの駅に滞留させて
走らせると結構利用されると思う。
19時台に東京を発車すれば翌朝7〜9時台には博多に到着出来るし
20時台に東京を発車して京都、南びわこ、岐阜羽島、三河安城、豊橋に滞留すれば
新大阪に遅くても7時台には到着します。
『銀河』を5往復は設定出来ると思う。
既存の新幹線区間で成功すれば
寝台GCTが普及すると思う
- 12 :
- 国鉄浜松工場がむかし、2階建て新幹線車両のモックアップ作った
時にはあんなの絶対できるもんかと思ったが、昼行で実現したしな…
961系試作のときも寝台つきが混じっていたような。
できない理由は聞き飽きたが、一番は、費用>収入、だからなんだろうか?
- 13 :
- >>9
全くだ。
東北特急全盛期、そして長らく上野口の代表だったというのに…
- 14 :
- 583系全盛期と言えば、やっぱり75年3月新幹線開業改正直前だろうね。
つばめ7往復とも583系使用だったし、
月光・明星・きりしまなど電車寝台特急だらけだったもんな。
- 15 :
- >>13
53・10以前、在来線最速の昼行特急&夜行特急は583系の「はつかり」「はくつる」だったからね。
当時は「みちのく」「ゆうづる」、そして「ひばり」と東北特急の栄光を体現したようなものだった。
廃止までサロが入った編成で「はつかり」に使われた辺りも懐かしい日々を思い出させて良かったな。
- 16 :
- 初めて乗った特急列車が583系「有明」でした
- 17 :
- >>8
そんな事はないよ。
- 18 :
- 583は東北方面で積極的に投入されて、
西日本では少し遅れてから、と思ってたが?
正確なところを知ってる人の登場求む。
- 19 :
- 583は485と同じで総称的に使われてるからな。
電動車ユニットは東北本線電化の43年10月改正増備分以降から全て583に統一。
クハネは45年7月から東北特急に投入して581と入れ替えていったはず。
クハネ581は山陽特急に順次転出していったから、先頭車だけ見ると
581=山陽、583=東北という図式で、クハネ583は山陽には4両のみの配置でした。
勿論サロ、サシ、サハネは581のみ。
- 20 :
- 581と583は、ベンチレーターの並び方で区別していた消防の頃。
互い違いとストレートの並べ方。
西は581と583が混在して使われていた。昭和49年ごろまでの話。
東は581だと、正面タイフォン(排水溝の蓋の様な形状だから)
雪害に弱く、冬季の使用を避けていた。
- 21 :
- 東北にクハネ583が集中して置き換え、増備されたのは、
15両化計画があったのでMG容量が大きい車両が望まれたのと、
少しでも定員の多い車両をという事でしょう。
西のクハネ583は47-3で4両配置、50-3で2両のみになり
ずっとクハネ581主体です。
- 22 :
- >>14
「つばめ7往復とも」ってことはないだろう?
7往復に増発されたことで、485系が何本か入っていたはず。
「栄光の超特急<つばめ>物語」(JTB・2004年3月初版)の166ページには、
新幹線岡山開業時点での485系の編成表が掲載されている。
- 23 :
- >>21
東北特急は53・10までひたすら増発の一途だったからな。。。 >少しでも定員の多い車両を
まあ583系にとっては同改正で1M・2Mとひばり運用から撤退したので凋落の始まりでもあったが。
- 24 :
- 75.3新幹線開業直前
583系 出発時刻表
05:17 西鹿児島 きりしま
05:37 熊本__ 明星2号
08:07 西鹿児島 有明1号
08:24 熊本__ 明星4号
10:55 西鹿児島 有明2号
11:33 岡山__ つばめ6号
11:52 岡山__ つばめ7号
13:10 西鹿児島 有明3号
13:41 熊本__ つばめ1号
16:00 岡山__ つばめ8号
17:17 熊本__ つばめ2号
18:14 西鹿児島 つばめ3号
18:53 名古屋_ 金星
20:05 新大阪_ 明星1号
21:03 京都__ 明星2号
22:01 門司港_ 有明3号
23:45 岡山__ 月光1号
00:08 京都__ 明星3号
なかなか壮観ですね
- 25 :
- きりしまは博多西鹿児島間のグリーン座席需要もあったのでしょうね。
- 26 :
- グリーン車座席需要といえば、西に限って言うと、全盛期の50年3月以前は
すごかったらしい。新幹線開業後も山陽路に残った583のグリーンはいつも
空気輸送だった。関西〜中、南九州なら広い下段寝台の方が安かったので当然だと思う。
運用の都合上付いているだけって感じでした。
でも新幹線が出来る前の寝台運用のグリーンは、区間利用者でほぼ満席だったらしい。
例えば上り「金星」の博多〜広島間等。
そういえば「ゆうづる」の末期にグリーンを利用した事があるが、上野発車時では
ほぼ満席。となりの席も人がいて鬱になったが、すべて水戸と日立で下車し
客は自分だけになった経験がある。
- 27 :
- >そういえば「ゆうづる」の末期にグリーンを利用した事があるが
昭和40年代の「はくつる」と「ゆうづる」はすごかった。
寝台は発売日の7時にマルスを打ってもらっても、たいていダメ。
「グリーンなら空いているけど」と言われるのが常だった。
そのグリーンも30分ばかりで満席になるのはわかっていたので、
泣く泣くグリーンを買って乗ったことが何度かある。たいてい青森まで満席に近かったな。
当時は中学生だったので、スカイメイトの方が安かったはずだが、
なぜか583系に乗ることに固執していたんだよなあ。
今でもときどき「きたぐに」に乗るけど、グリーンどころか寝台も使わない。
いつも自由席。お年玉貯金があった中学生の頃より、リストラリーマンの今の方が確実に貧乏だ。
- 28 :
- 東京での商用や接待などを遅くまでこなした日立関係の社員の方々が
電車の「ゆうづる」を利用することは割合多かったようですね
- 29 :
- >>26 >>28
平以南では最終ひたちみたいなものだった。
- 30 :
- 東北人だらけですな
- 31 :
- 581、583系はデビューこそ西日本だったけど、昼間の運行列車が少なかったこともあるのか、
余り身近には感じなかったんじゃないかな。それに、東北のように高速で突っ走っているイメージもなかったし、
華やかさで言えば東北の方にあったと思う。活躍期間も短く、比較的早い時期に昼行は485系など、
夜行は客車寝台へと置き換えられてしまったしね。
だから、思いでと言っても、自分自身西日本の方はそれ程ないんだよね。
- 32 :
- >>31
それは人それぞれでしょう。私は東北特急にはあまり思い入れないし。
583の山陽夜行はそれこそ飽きる程走ってたし、
昼行なら雷鳥での活躍もあるからね。
- 33 :
- 583の定期列車は1回も設定されなかった高崎線沿線住民だが、
東北のも西日本のもそれぞれに愛着があるぜ!
- 34 :
- 博多の人間としては583・581系は関西行き夜行のイメージですね
熊本・八代方面に所用で出かけるときに利用していた「有明」もこれでした
朝の「有明」は青い列車、午後の「有明」は赤い列車だったように記憶していますが
正直なところ乗っている分には赤い列車(485系?)のほうが良かったですね
九州の人間の一人としては「出張のときに乗る列車」という感じでした
- 35 :
- うちの祖父は、485系レッドエクスプレスを見ては、
“月光”を塗り替えてまだ使うちょる!と憤慨します(実話)。
この誤解を解く方法を教えてください。
- 36 :
- 文献によれば山陽が581系、東北が583系と勘違いしてるかのような記述してるのをたまに見るけど、先頭車のイメージからかな?
もっとも山陽にもちゃんとクハネ583はあったけどね…まあレア物かな?
当然クハネ583先頭の月光もあったはずだけど、見たことがないw
- 37 :
- >>33
はくたか・北陸を583系で運転したら効率的だったかも。
白鳥・日本海や北越(大阪−新潟)・つるぎなら有り得たと思うが。
- 38 :
- >>36
>>21
- 39 :
- >>35
違うよ、アレは日光だよ、と…
- 40 :
- >>33
まあシュプール上越は80年代末期〜90年代前半の風物詩だったけどな
- 41 :
- >>40
高崎駅であの青いラインを見るたびにギョッとしたもんだw
- 42 :
- 月光型の走行中の寝台解体は定期では
下りの「金星」と「明星(なは)」くらいだったか。
あとは臨時増発の「日本海」?
月光型の「日本海」は乗ったことが無いが
「金星」と「明星」で解体作業を見たことが
ある。
身の置き所の無さは20系ブルトレの比じゃ
無かった。
関係無いけど「金星」と「明星」は同じ星w
ついでに「月光」の前身の「海星」も同じ星。
- 43 :
- >>42
「きりしま」が抜けてる。
あと上り「はくつる」も上野着が9時過ぎだったため一時期寝台解体があったらしい。
- 44 :
- >>43
昭和40年代後半から青函トンネル開通まで
長い間青森23時59分発(時期により若干前後したが)だったからな。 >上りはくつる
- 45 :
- 起きてから乗ってる時間が長くなるなら、解体してくれたほうがありがたいな。
3段寝台じゃ天井が低すぎて、上体を起こした姿勢すら取れない。
結局通路やデッキに出るか、下車駅まで横になってなきゃいけないんだもの。
- 46 :
- >>45
そうそう。そこが581583の弱点だね。
まともな解体・設置作業をするとなると、小三時間はかかる。
博多⇔岡山「月光」程度の発著時間帯あたりならば
乗車してすぐに就寝→起床してすぐに下車だから問題ないが、
博多⇔名古屋「金星」などは、乗車してすぐ就寝する時刻ではなく、
そして帰りは起床してから下車するまで時間がかなりあって…
中距離・長距離の夜行列車には不向きな電車だね。
- 47 :
- 彗星だったと思うが、小倉→広島でグリーンに乗ったことがある。
この距離だと★★ハネよりロザのほうが安かったのが理由だったと思う。
同様の理由で直江津あたりから敦賀まできたぐにのロザにも乗った。
天井が高くて、ベネなんとかブラインドと横引きカーテンの二重遮光で画一的だった特急型ロザのなかでは若干だが抜きん出ていたな。
- 48 :
- 月光型は比較的距離の短い夜行に使って
こそ真価を発揮する考え方の車両だった。
夜行で到着して基地に取り込み、そこで
寝台解体。即、昼行として出発のサイクル
が前提だった。
で、この間の時間、車両基地では通勤
輸送で車両が出払っているので留置線
を塞いでも問題が無いと言うシステム。
問題は、そうそう都合の良い列車ばかり
には運用出来無かった、と言うオチ。
- 49 :
- 羽越線の臨時急行に使われたことがありましたね
- 50 :
- 581系・583系電車は客車と違い出発時の衝撃がないから
ぐっすり眠れるぜ
- 51 :
- >>44
で、日付が変わってから「八甲田」が出発したんでしたよね。
- 52 :
- >>49
「きたぐに」の間合いを使って新潟−酒田を走った急行「庄内」ね。
今でこそイベント的に多くの臨時列車に使われているけど、昔はどちらかといえば「臨時」は少なかった。
定期特急の増発などには比較的よく行われたが、全く新規の増発分に充当されたのはそんなに多くない。
思い出す所では、
[特急]…オリンピア、ふるさと、とうほく、ウィングはくつる、ふるさとゴロンと
[急行]…東北夏祭り、あおもり、北東北夏祭り、庄内、大曲花火、シャレー軽井沢、シュプール***
[その他]…エキスポドリーム、エキスポわしゅう、ナインドリーム甲子園
※現存の仙台車や秋田車を使用したムーンライトやイベント系、行楽臨時列車などは除外。
また、突発的な運用変更や定期列車の増発列車も除外。
地味な定期急行として、夜行の「立山」にも一時期使われていた。
寝台、座席を使い分ける「きたぐに」の前例になったような列車だった。
「明星」「彗星」でも編成の1両だけ座席車(普通指定席)として運転されていた時期もあった。
確か競合する特急を廃止統合する形で、その救済の意味もあって座席車が設定されていたと思う。
- 53 :
- 国鉄時代末期、銀河に投入される話もあったよね?
- 54 :
- 「銀河」の絵柄マークを掲載した583系の写真を見たことがありますね。
なんかの雑誌で・・・
あれって合成写真だったのかなあ・・・
あと「ひばり」の絵柄マークの583系の写真も見たことあるけど、
絵柄入りになったS53年10月改正で消えた583「ひばり」だけど、
改正を待たずに絵柄を掲出していた車両もあったのでそれかな??
- 55 :
- 銀河の絵幕は今でも入っていますよ。
集約淋のバカ停で回してたやん
- 56 :
- >>50
同意。20系客車が連結器換える以前は知らないけど、、
- 57 :
- 583系だとどうしても東北メインで語られやすいから、あえて山陽メインにしたこのスレタイは面白いと思う。
- 58 :
- 不定期列車で夕月と言う583系使用の
オール座席夜行特急があった。
臨時列車増発で寝台セット・解体要員が
確保出来なかったのが原因。
元は485系の夜行だったから問題無いと
言えば無かった。
東北にもゆうづるで似たような運用が
あったな。
あっちは昼行への切り替え時間が取れ
なかったんだっけ?
- 59 :
- >>58
あれも人員不足(後に寝台列車化) >座席ゆうづる
因みに583系で走った臨時やまびこは座席夜行だった
- 60 :
- なぜか全く名前が出てこない583系「しおじ」
山陽沿線に住む者にとっては、結構馴染みのある583系列車だと思うのだが・・・
- 61 :
- >>54
鉄道ファン
当時、東京側が拒否した関係で流れた話
583化していれば、きたぐに と同じ寝座共用で、現在の銀河あぼんは無かったと思われ
つか、そうなれば個人的にもベビーユーザー化していたと思う
- 62 :
- しらさぎ、ひばりの絵幕はわずかな期間のみ、
やまびこは字幕があったらしいが幻。
鳥海は無地の日と字幕の日があったらしい。
いなほ、ひたちは無地か臨時、
オリンピアは英字表記無。
- 63 :
- 鳥海の昼行特急時代は絵幕全盛期なのに、わざわざ字幕はないだろう。
- 64 :
- >>60
しおじは、181系か485系のイメージが強いが...
- 65 :
- 581系「はと」が好きだったな。
- 66 :
- >>63
高崎で目撃したのは無地だったが
某HPでの上野駅撮影の写真は字幕で
ちゃんと昼行用の緑字だった。
疑わしきは調べてみるべし。
- 67 :
- 鳥海への投入はあくまでもダイヤ改正直前の暫定的なものだったのだから、正式な絵幕が用意されていなくても仕方がない。
- 68 :
- >>61
あと、当時の銀河は現金輸送車を連結することがたまにあって、
それで電車化できなかったとかいう記事が昔の鉄道ファンに
載っていたような。
- 69 :
- >>68
客車の回送も理由になってた。
あとは、14系からの置き換えだと
大して接客設備の改善にならないとかも理由だったと。
本当の理由は闇の中だが。
- 70 :
- >>69
銀河の583系化は14系化と並行して検討されていたのでは?
(61年の24系化時にも検討されたと云う話は聞いたことが無い)
- 71 :
- >>52
日本海が抜けてる。>>42でガイシュツだから手を抜いたのか?w
- 72 :
- >>60
しおじの583系は1往復だったから、一般的には>>64のイメージ。
しおじで馴染みあると言うなら、ひばりやしらさぎでも第1に浮かぶことになるが、
そんな話は聞かない。
- 73 :
- イメージは曖昧だからね。住んでいた場所や走ってた時間帯が影響するだろうな。
- 74 :
- 581系の初配属先が南福岡だった。
JRになってからは当たり前の事になったが、当時の国鉄の最新鋭特急車の配属先としてはあり得ない選択だったな。
車両の特殊性と向日町の留置線を塞がない為の選択だろうが。
それと、昼行がみどりと言うのも良く考えるとすごい。
九州(と言うか日豊線沿線)ブームと言うのは確かにあったが、
そろそろ陰りが見え始めてた時期なのだが。
- 75 :
- >>74
多分関西〜九州、かつ新幹線接続列車(ダイヤも固定的)という運用上の特殊さ
(後年間合いでしらさぎ運用に入るが)が原因かと >南福岡
東北の583が青森に配属された理由も北海道連絡列車が基本、
一時期のひばりを除き運用も上野〜青森往復のみだったからだろうな。
- 76 :
- >>69
583系にしたら寝台定員が激減するからだよ。当時はまだ銀河も需要が高かったし。
- 77 :
- >72
「しらさぎ」の存在を最初に知ったのは583系です。
確かに間合い運用の1往復のみでしたが、その特殊性ゆえに、雑誌等に取り上げられる機会が
多かったせいか、沿線以外の自分にとっては一番印象深い。
- 78 :
- >>57 亀レスだが禿同。
- 79 :
- >>76
1年半後に二段ハネ化したから、それは説得力うすい。
- 80 :
- 銀河はロネの存在次第じゃないか?
ロネが間に合わなかったのならそれが原因だろ。
- 81 :
- もしも銀河が583系化されていたら、ロザは面白い選択肢になっていたかもしれない。
- 82 :
- >>80>>81
そういや、星晃氏は、「581系のリクライニングのロザをプルマン式のロネに転換する設計は完成していた」
といったことを回顧文に書いていたけど、どういう「設計」だったのかね?
図面とかは残っていないのか?
銀河とは直接関係ない話だが。
- 83 :
- 青森所属の583の方向幕は矢印表示が採用されなかったのは何でかな?
- 84 :
- 西鹿児島 月光
博多 月光
岡山 月光
新大阪 明星
熊本 明星
西鹿児島 きりしま
京都 きりしま
名古屋 金星
博多 金星
矢印式なら5コマで済む。
東北はコマに余裕があったのでは?
- 85 :
- 485は北陸地区だけ双方公式の幕だったような。
- 86 :
- >85
北陸というか大ムコの485系はすべて双方向式でしたよ。
「つばめ」「しおじ」「はと」「なは」「日向」「みどり」「にちりん」等
「みどり」の場合、2往復なのに、4種類の幕が必要だった。
大分〜岡山。大分〜大阪。宮崎〜岡山。宮崎〜大阪
上り「みどり2号」と「日向」は全く同じ区間を走っていた。
「なは」と分離された時点で、なぜ「みどり」に編入されなかったのだろう。
- 87 :
- >>83
多分みちのく・ゆうづるには(常磐線経由)の表示を入れる関係じゃない?
- 88 :
- >>84
「きりしま」新大阪行は、どうやって表示するのですか?
- 89 :
- >>88
きりしま京都ときりしま新大阪は同時期に存在しなかったから無問題。
京都発着の明星がきりしまに振替になった。
- 90 :
- >>89
おっしゃっていることが、よく解りませんな。
「新大阪発着のきりしまと京都発着の明星が入れ替えられた」ですって?
新大阪「発」のきりしまと京都「発」の明星ならば、たしかに始発駅が入れ替えられました。
でもそれは、「発着」ではないでしょう?
上り「きりしま」は新大阪行でしたよ。
西鹿児島→新大阪
西鹿児島←京都
ですからね。
下り列車の運転区間を百科辞典などで調べて「上りの運転区間も同じだろう」と推測するのは危険です。
あるいは、百科辞典の記述自体間違っていることも、よくあります。
臨時急行「はかた」が欠落していたりとか。
- 91 :
- >>86
上りみどり2号は宮崎→新大阪だったから、大阪止まりの日向と微妙に違う。
日豊本線南宮崎電化から新幹線博多開業まで1年足らずの過渡期なので複雑化
になったのだろう。
SLファンには憎まれた電化だったが、山陽本線の特急運転体系は一番面白かった
時期かもしれない。
- 92 :
- >>83
それは青森車が一時期「ひばり」を担当していた以外は上野(東京)―青森間の列車しかなかったし、
愛称も「はつかり」「はくつる」「ゆうづる」「みちのく」しかなくて方向幕のコマに余裕があったから。
それに対して向日町(南福岡)車は愛称も多かったし、運転区間も多彩だったので方向幕のコマ数に余裕がなかったため、やむなく双方向の幕が使われたとの事。
- 93 :
- >>82
まず座席を対面配置にして、背もたれを前に倒すのでは?
そして仕切りを上部から降ろしてくるはず。
- 94 :
- 難しく考えずルーメットにすればよかったんじゃね?
これなら昼行でも特ロ以上の豪華さw
- 95 :
- >>64
50.3までは広島発着1往復が残っていたと思う
- 96 :
- >>95
>>72
- 97 :
- >>72
583しおじの印象が強いのは、
2002年だかどっかでリバイバル運転したのも影響あると思われ。
- 98 :
- 厨房の頃の記憶で「なは」のクハ581が本来貫通型のはずが
非貫通だったように思います。
あれは何だったのでしょう、事故復旧での産物?
ちょうどポートピア81開催の頃です。
- 99 :
- >>98
貫通扉を活用しなかったため、検査時にくっつけられたクハもできた。
485系・489系の貫通型も同様にされた車両があった。
>>97
それを言うなら1年前583系でリバイバル運転したひばりも同じ事だが・・
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