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2011年10月1期戦国時代【舞兵庫】石田家臣を語る【横山喜内】
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【舞兵庫】石田家臣を語る【横山喜内】
- 1 :06/07/14 〜 最終レス :11/10/31
- 舞兵庫や島清興など多彩な石田家臣達を語りましょう
- 2 :
- 左近が三成に仕えたのは、いつからなんだろう
- 3 :
- 大河ドラマ『葵徳川三代』を思い出す。
喜内「散り残る椛とは・・・?」
三成「無論・・・!豊臣家じゃ!」
- 4 :
- 横山喜内は最後の有楽に討ち取られたっていう所で微妙に評価下がってる気がするよな。
当時、「有楽の武辺、末の初物」って言われるくらいの有楽だからなぁ
- 5 :
- あれはほとんど自だろ。
- 6 :
- 横山無念・・・。
にしても石田家臣は個性強いな、個人的に八十島助左衛門が好き。
- 7 :
- >>3
マイナーな舞兵庫も出てたよな
たしか矢に当たって死んだような
- 8 :
- 舞兵庫でてたとは…
舞兵庫は戦死なのか逃亡なのかどっちなんだろうか?
- 9 :
- >>7そうそう、三成に戦況報告した後、戦闘中に矢にあたってたな。
前野忠康(舞兵庫)って戦死説と逃亡説が有るんだよね。
- 10 :
- 舞兵庫役って誰だったの?
なんか見たくなってきた
- 11 :
- 渡辺勘兵衛の500石の話って本当なの?
- 12 :
- >>9
前野忠康って長康の一門?
- 13 :
- >>12
長康の娘婿だった気がする
- 14 :
- >>13長康の娘の息子だった気が・・・。
- 15 :
- >>4
たしか有楽は追い詰めたけど
近習が到して斬られるんじゃなかったかな?
ところで喜内と蒲生郷舎って別人だよな
- 16 :
- >>15釣り?
横山喜内=蒲生郷舎
- 17 :
- >>16
いや横山喜内は蒲生備中守真令と名乗っていて関ヶ原で死んだ。
一方の蒲生郷舎なる人物は戦後蒲生家に再士官た記録がから
二人はよく混同されるが別人だという話を聞いたのだが・・・。
- 18 :
- むむむ・・・。
- 19 :
- お約束
なにがむむむだ!
- 20 :
- >>2
近江の領主となった石田三成から、左近に仕官の要請があった。
それまでも多くの要請を断ってきた左近はやはり断るが、三成の必死の説得により仕官を受け入れ、1万5千石の俸禄で召し抱えられた。
これは、当時の三成の禄高4万石のうちの4割近くを与えられるという破格の待遇であった。
もっとも、島左近が石田三成に仕えたのは、三成が佐和山19万石の城主になってからという説もある。
- 21 :
- >>20
一応、1590年の小田原の戦いで一緒に行動してる資料があるから
仕官したなら4万石の時に仕官じゃね?もっとも今は
左近は秀吉死後まで与力説もあって、結構それらしき証拠もあるので
真実はわからんよね
- 22 :
- >>14
調べたら「妻は前野長康の娘」となってたよ。
婿養子で前野姓になったのかは分からなかった。
- 23 :
- >>22おお・・・そうか。
- 24 :
- 「叢雲関ヶ原へ」はかなり三成家臣団についてかかれてた
大山伯耆かっこよス
- 25 :
- 石田軍敗色濃厚になったとき八十島は逃亡したんだよね
石田兵達の笑いものになったとか
- 26 :
- >>11
今更だけど500石の話とは?
- 27 :
- 渡辺勘兵衛の500石の話
渡辺勘兵衛は武勇の士として有名だった(増田長盛、藤堂高虎に仕官した渡辺勘兵衛とは別人)。
ところが、勘兵衛は10万石でないと二度と仕官しないと公言していた(実質上の引退宣言か?)。
その武勇を惜しんで柴田勝家が1万石で勘兵衛を召抱えようとしたが
勘兵衛は「10万石でないとダメだ」と断り、
豊臣秀吉も2万石で召抱えようとしたが、
またも勘兵衛は「10万石が1石でも欠けたらダメだ」と断った。
あるとき、その勘兵衛が石田三成の家臣となったという話が伝わり秀吉を驚かした。
秀吉は三成を呼び出して問いただした
「勘兵衛のような豪傑をよくもお前みたいな小物が家臣にできたな。どうやって口説いたのじゃ?」
三成は得意になって答えた
「私が100万石になったときに10万石にしてやる。それまでワシの500石を全てお主にやろう、と約束したのです。」
当時、三成の石高は500石だった。
秀吉「勘兵衛に500石やれば、お前の食い扶持がなくなるではないか?」
三成「はい、だから私は勘兵衛の居候になりました。」
これを聞いた秀吉は三成の剛毅さに感心したという。
後に三成が出世した際、三成は勘兵衛にも加増しようしたが
勘兵衛は「100万石になれば10万石頂きますから」と言って生涯500石のままで通した。
関ヶ原の戦では勘兵衛も力戦した。
味方が崩れる中、三成は勘兵衛に「10万石の話も夢になったな」と語りかけた。
最後まで自分との約束を気にかけてくれた三成に勘兵衛は感謝して死んだという。
- 28 :
- 渡辺勘兵衛って二人いるからややこしいよな
- 29 :
- そのとき
渡辺以外の家来の食い扶持はどうしたんだ
没収して渡辺に与えたのか
- 30 :
- >>29
男気の問題だから、家の運営に支障はないよ。
- 31 :
- 500石だと家来といっても20人くらいしかいないじゃなかったのかな?
三成に「勘兵衛に全部やってしまったからお前達も俺と一緒に勘兵衛の居候になるぞ」
って感じで言われたんじゃないの?
- 32 :
- 大山伯耆、中半介(助?)についてどなたかご存知ですか?
- 33 :
- >>27
教えてくれて感謝です。
それにしても触れこみの、「十万石でなければ〜」ってのは随分と高いなぁ
- 34 :
- 大和系 島左近清興
秀次系 舞(前野)兵庫忠康、大山伯耆
氏郷系 蒲生真令(横山喜内)、蒲生郷舎
こうしてみると、よく言われる
「関ヶ原で秀次旧臣の人間はみな逃げ出したが、蒲生旧臣の人間は勇ましく戦った」
という評価は首を傾げたくなるな。
- 35 :
- 所詮司馬遼太郎の捏造
- 36 :
- 大山伯耆
大場土佐
高野越中
あたりの連中の諱とか字ってわかっていないの?
- 37 :
- 「少年少女日本の歴史」みたいな児童書で「おあむ物語」の作者が語り部と言う形で
関ヶ原について語る章があったがそこで
「家中の剛の者と謡われた島左近様も舞兵庫様も横山喜内様もみな討ち死にされてしもうた。」
というフレーズが出てきて彼等の存在を知った。
今思うと舞兵庫までフォローしてるのがすごいな。児童書なのに西軍視点で関ヶ原書いてるし。
ちなみにその巻の内容は関ヶ原から犬公方までだった。
- 38 :
- おあむ物語か。
おあむの父は石田三成の家臣で300石の知行を受けた山田去暦。
関ヶ原当時16〜20歳で大垣城に篭城していた娘が老後語った話をまとめたものだね。
夫の死後出家したので「おあむ=御庵さま」とも。
- 39 :
- 島左近って強かったの?
- 40 :
- 横山喜内と蒲生郷舎は別人ということですが、
関ヶ原での石田隊の第一段は島左近と横山喜内になるんですか?
- 41 :
- 横山喜内と蒲生郷舎が別人と云う証拠も無い。
- 42 :
- 横山喜内(蒲生真令)は織田有楽の郎党に討たれたが
蒲生郷舎は関ヶ原の戦の後、蒲生家に帰参したと何かの本に書いてたような気がする。
二人とも蒲生家の旧臣で蒲生姓ももらっているので混同されたとか
- 43 :
- >>41
>>42
ttp://www.m-network.com/sengoku/sakon/retsuden02.html
- 44 :
-
- 45 :
- 磯野なんとか
- 46 :
- >>43
このサイトすげーな。よく研究してるね。
あと、三成配下に多くいた若江八人衆。wikiにあったんで貼っときます
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A5%E6%B1%9F%E5%85%AB%E4%BA%BA%E8%A1%86
それにしても、三成の血が徳川中枢に結構流れてたのには驚きました。
- 47 :
- >>46
wiki見ても分かる通り、
ほとんどの武将が討ち死にしてるんだよね・・・。
そもそも西軍総崩れの中で石田勢が
粘ったのはすごいことだよなぁ・・・。
後世に伝えられてる小さい男ってのが
間違ってる何よりの証明だと思うけどね。
- 48 :
- wiki見ると三成と秀次の関係が通説と180度違うな。
でも八人衆の内七人が三成に仕官し、六人までが三成家臣として死んだとところをみるとこっちもなかなか説得力あるな。
いくら戦国時代とはいえ、通説どおりだといわば主君の仇である三成のために命を捨てるとは思えない。
- 49 :
- 大河ドラマじゃ三成が秀次の讒言ってのが定番だが、アレは嘘だな。
- 50 :
- 生関白のエピソードも嘘臭いけどな・・・・
- 51 :
- 生関白の話は嘘っぽいよねぇ。
秀頼に豊臣を継がせたかった秀吉が
すでに関白を引き継ぎ、後継者と目されれていた秀次をすためにでっちあげたようにしか思えないよ
- 52 :
- 三成の配下って蒲生浪人多いよね
元々、蒲生家が近江の出だから
蒲生家減封時に故郷に帰農したのを大量に召抱えたんかね?
- 53 :
- 蒲生浪人を召抱えたあたり、氏郷毒も濡れ衣臭いな。
でも近江出身つっても南北で歴史的にも隔絶、同郷意識なんてあるかな?
- 54 :
- >>49
むしろ秀次を弁護したらしいからな
しかし前野長康のような創業の功臣すら秀次を擁護したがために切腹させられたのに
同じ事をしても咎められなかった三成の寵臣ぶりは凄い
- 55 :
- 前野長康くらい創業期の功臣でかわいそうな人もいないよね
- 56 :
- そこで舞兵庫ですな
- 57 :
- >.>52
蒲生氏郷の家臣は下賜した蒲生姓が多いけど、必ずしも近江系だとは限らない。
つーか氏郷が急膨張した家臣団をとりあえず自分のカリスマでまとめて
後でゆっくりなじませようとして蒲生姓濫発したくらいだから、むしろ近江系は少なかったのでは?
- 58 :
- >>55
確かに。
居城を家康に差し出しただけで、大河ドラマの主役になった奴もいるのに・・・
- 59 :
- >>55
つ 御子田正治
つ 尾藤知宣
この二人なんて打ち首だぞ
- 60 :
- >>58
それだって、誰かの案パクってたよな。
- 61 :
- >>60
パクられた堀尾忠氏カワイソス
- 62 :
- >>62
しかも、最期はマムシに咬まれての狂い死にだしな。
- 63 :
- 島は筒井配下時代の軍功エピソードはないのかね?
- 64 :
- >>24何て読むの?
- 65 :
- >>64
『むらくもせきがはらへ』と読みます。
- 66 :
- >>>65ありがとう。でも、アマゾンで検索してもでてこないです。どこでてにいれられるのでしょう?
- 67 :
- >>66
作者は岳宏一郎だったと思うのでその線で調べられては、
- 68 :
- 「群雲、関ヶ原へ」だろう
- 69 :
- 講談社文庫にも入っていたと思うぞ。>群雲
- 70 :
- 今回の乱増刊
石田家臣団いっぱいでてたね
- 71 :
- >>70
詳しく。
- 72 :
- 24さん。やっぱりどこも売ってないです。古本でも検索してみたけどダメですた(´ι _` )それと三成の家臣の中で小幡信世が主役の小説の「落武者日記」お持ちですか?
- 73 :
- >>72
売ってるよ。>>67、>>68を参照しろ。
- 74 :
- 保守
- 75 :
- 保守
- 76 :
- 島左近、蒲生頼房、舞兵庫
- 77 :
-
- 78 :
- ホス
- 79 :
- wikiの「若江八人衆」の記述が変わってないか?
死傷率が下がっているような。
- 80 :
- 調べてみると
横山喜内→蒲生頼郷
坂源兵衛→蒲生郷舎
って出てくる。
信長の野望現行版では喜内→郷舎だがKOEIの適当っぷりはすごいので
むしろ別人説を推奨するぜ
- 81 :
- >>80
まあコーエーの考証だからなー。
- 82 :
- 舞兵庫=前野兵庫?
名字が誤って伝わったのは何でだろう??
- 83 :
- 舞兵庫=前野忠康
どこでどう間違えたんだ?
- 84 :
- KOEIもそれくらいはわかってるけどゲームだからわかりやすいようにしてるだけでしょ
斎藤道三も頑なに一代説を貫いてるし
- 85 :
- >>82-83
前野忠康は、蜂須賀小六の弟分で豊臣最古参の大名の一人、前野長康の一族で、娘婿。
豊臣秀次の後見人であった長康が秀次処刑のあおりで切腹、改易させられると、
家中のものや今勤めている主君にあおりが行かないように前野から舞に名前を少し変えた、とか、
舞の名手だったからだとか、という逸話が伝わるが詳細は不明。
兵庫は官名。兵器を司る役所である兵庫寮の長。
もっとも忠康クラスの武将では朝廷/豊臣政権から正式にもらったものではなく、通称だろうが。
- 86 :
- 関ヶ原後に生き残って、他家に仕官した人もいるんだね。
- 87 :
- >>86
誰?
- 88 :
- 石田家臣団
http://www5e.biglobe.ne.jp/~nikke/ishidakasindan.html
- 89 :
- 保守
- 90 :
- 関ケ原の戦いぶりから、生き残り組はわりと早く誰かに召し抱えられたって
いうけど本当かな?
藤堂高虎がけっこう元石田家臣召し抱えてるイメージがある
- 91 :
- >>90
それ聞いたことあるな。
なんで知ったのやら・・・
たしか三成がさらし者にあった時に
黒田は羽織。
藤堂は鉄砲の指揮編成を教えて貰ったな。
- 92 :
- 群雲、関ヶ原へ 復刊したんだね
やっと読めるわー
- 93 :
- >>72に出てる「落武者日記」を読んだ
小幡信世がモデルなのはたしかだろうけど、最後自刃せずに終わったのは
ちょっと残念だ
短いながら金吾への憎しみがよく伝わってきたwんだが、実際も戦場の
石田家臣達はこんな感じだったのかね、金吾の裏切りに対して
- 94 :
- 「世の人は石田治部少輔三成のことを、あたかも武道不得手のように評判していたが、事実は異なる。
三成は士を愛し、武道名誉の者といえば、なにをおいても召抱えた為に関が原における石田家の士の働き、死に様は尋常ではなかった。」
(天元実記)
- 95 :
- >>94
三成家臣好きとしては嬉しい史料だな
それが信憑性あるなしにしても、当時の声が残ってるのがなんか嬉しい
>>93
俺も読みたくて古本屋駆けずり周ったんだんだがやっぱどこにもなかったな
羨ましい
- 96 :
- >>95
「落武者日記」は山本周五郎の「花も刀も」って文庫に入ってる短編な。
アマゾンにあるし、ネット通販してる古書店でもけっこう在庫はあった。
近所の図書館には無いか?
やっと「群雲、関ヶ原へ」買った。文庫で1000円とか高いよw
- 97 :
- >>96
あっ、それで捜してもなかったのか!
明日本屋行ってくる・・・って
今日群雲買ったばかり・・・出費が・・・
- 98 :
- 石田一族の評価はどうだろう?
- 99 :
- >>98
一族揃って、そこそこ優秀だったと聞くが。特に兄の正澄とか。
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