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2011年10月1期戦国時代伊勢の名門―北畠― TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼
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【権六】柴田勝家 その2
■日本に戦国は不要■
島 津 は 銀 河 も 嘆 く 屑 大 名
結局世の中金なんだろ…


伊勢の名門―北畠―


1 :06/12/22 〜 最終レス :11/12/10
南朝の名門!!

2 :
( ’ω ’)

3 :
北畠って、「伊勢の名門」より、「南朝の忠臣」の方が
しっくり来るし、華があると思うけど、戦国じゃないから仕方ないか。
でも、北畠具教って、公家なのに大名で、しかも剣豪とは、
とても興味深い人物だと思う。

4 :
4.

5 :
( ´゚ω゚` )

6 :
勉強しましたね。合格です。

7 :
前に居城の霧山城跡に行きました。
本拠の南勢と大和南朝に行き来し易い中間地点に作ったんだって。

8 :
>>3
同門がことごとく非業の死を遂げている件

9 :
>>8
将軍様と国司様ぐらいだろ
むしろ幽斎とか氏真みたいに天寿をまっとうしてるイメージ

10 :
正三位権中納言

11 :
北畠政郷と北畠晴具はなかなかしたたかだったらしいね

12 :
幕府に忠実に従うようになったきっかけは何だろう?

13 :
わし、忠臣なんだけどマイナーなんだよな…

14 :
>>12
後南朝の滅亡じゃね?
あれで、幕府に反抗する理由が消滅した。
それに北畠は国司として統治していただけで、守護にはなっていないから
盟友に近い関係だったと言えるかもしれない。

15 :
ゲームでも晴具は凡将扱いだったのが最近は有能な評価になってきたな。

16 :
>>13
満栄?

17 :
家城主水や奥山常陸介の本名は未だに不詳のままか。

18 :
北畠顕家カコイイ

19 :
伊勢の関氏って、北畠の家臣とかじゃなくて六角の同盟者だよね?

20 :
北畠政成

21 :
しかしあっけなく、織田家に乗っ取られたね。

22 :
57万石の領土を持ち(伊勢一国)、鎌倉からの歴史を持ち(正三位)、武勇に優れた盟主を持ち、
日本中から人の集まる伊勢神宮と町・港を領内に持ち、あっさりと家を明け渡すいさぎよさを持ち。

23 :
>>22
なにその駿河のボンボン

24 :
伸びないな。伊勢方面の人で、思い入れがある人はいないのか?

25 :
具教は剣術を好み、修行の旅をする剣客を保護、援助していた。自身も塚原卜伝に剣を学んだ剣豪である。奥義である一の太刀を伝授されたと言われる。
また、諸国修行の旅で具教の元を訪れた上泉信綱からも剣を学んだ。
具教は、領土が隣接する柳生宗厳とは剣を通じても親交があり、信綱に彼や宝蔵院胤栄を紹介するなど、剣豪たちの交流に一役買っていたと言われる。
具教は、塚原卜伝の新当流に、上泉信綱の新陰流の長所を取り入れた「伊勢新刀流」と言う流派を創始したとされる。
この流派は北畠家の子孫である有馬家に伝わっていたが、現存していない。
織田氏の刺客に襲撃された際も、太刀を手に19人の敵兵を斬りすという凄腕を見せている

26 :
長野氏とか藤野氏、関氏らが元気すぎて伊勢一国治めてる印象がないんだよな。

27 :
57万石も実際に領土無かっただろ>伊勢北畠氏
「獅子身中の虫」というか権勢の有った同族に悩まされ、国内では一向宗が勢力を伸張、
守護大名から戦国大名になろうとしてなりきれなかった印象

28 :
守護じゃねえ

29 :
国司だね。

30 :
伊勢南郡守護かと。

31 :
家臣の名前が判らないのが盛り上がらない一因かと

32 :
>>17のこと?

33 :
伊勢神宮との関係は微妙だった。宇治と山田の間の紛争に介入したりして。
あまり触れられたくない歴史なのかも。

34 :
足利将軍家との仲はどうだったんだろ? 没交渉?

35 :
政争に敗れた奴をかくまったりしたはずだか、誰なんだか、何時なんだか。
横山高治氏の本に詳しいと思ったが。(忘れちまったってわけさ)

36 :
>>35
嘉吉の変の後、赤松満祐の子教康が北畠を頼ってきたというやつ?
北畠は受け入れ拒否したらしいが。

37 :
そうだっけ。

38 :
北畠スレなかなか盛り上がりませんね!
自分は陸奥の浪岡北畠、顕則の子孫だそうです。
しかし、浪岡北畠は津軽為信に滅ぼされ、残った者はその後、
顕則含め、それぞれ各諸藩の家臣となり、
どんどん名門から遠ざかり、現在に至るわけなんですが、
当時、その北畠顕則も伊勢新刀流の剣術指南だったらしいんです。
新刀流の創始、伊勢の北畠とはこの流派を通じ、浪岡北畠と
それぞれ交流があったんでしょうか?
その辺、だれか詳しい方居ませんか?

39 :
北畠って苗字は今でもあるの?
地元(伊勢方面)に1軒あったような気がした

40 :
青森と大阪に北畠姓が多いみたいですね。
全国では約1000世帯くらいあるはず。
世帯ですから、個人になると×3か、4くらいは居るんじゃないですか?

41 :
北畠さん1クラス46人の中に一人はいたよ@大阪市内

42 :
東京にも居る、↓
ttp://www2.asahi.com/koshien/88/chihou/wtokyo/news/TKY200607210133.html

43 :
水戸藩に伊勢北畠系の家臣が召し抱えられたから
茨城にも多いんじゃないかな

44 :
河内の方に北畠って地名あるよね。銀行強盗事件が昔あったとこ。

45 :
北畠顕家親子をお祀りしてる神社と公園もあるよ
地名はそこから来てると思う
銀行は厳密には北畠にはないんだよね。区も違うし

46 :
ああ、河内じゃなくて旧国名だと摂津だよ。今の大阪市阿倍野区

47 :
伊賀との関係は良好だったんだろうか?
北畠氏は南伊勢が本拠地で北部や中部はどうだったんだろ

48 :
俺は鳥屋尾石見の子孫だお(´・ω・`)

49 :
>>48
いいなー。知謀の士。

50 :
>46
大阪市内なんですね。北畠氏は江戸時代に公家に戻ったということですが、
そのころできたのでしょうか?

51 :
>>50
>延元3年(1338年)、阿倍野合戦で戦死した北畠顕家の墓が当地にあり「大名塚」と呼ばれていた。
江戸時代になると本格的な墓所として整備され、それから当地を北畠と称するようになったという
というのが地名の由来のようなので、整備され呼称されるようになったのは江戸時代のようですね。
顕家のお墓は北畠公園の中にありますよ

52 :
北畠氏については神皇正統記ほか、伊勢神宮外宮神宮との協調による著作も数々あり、武家としての実績以上に日本史に影響を
残しているとのことですね。

53 :
>>47
甲賀の棟梁山中家とは縁続きで関係は終始良好だったよ。
合戦ではいつも戦忍びを派遣してくれてた。

54 :
南大和、熊野、新宮、十津川流域まで支配してたのか。
紀伊半島の東半分を押さえてた事になるな。

55 :
>>54
それはいつの時代のことですか?

56 :
>>55
晴具。
wikiだからあまり当てにならないか。

57 :
>>56
トンクス

58 :
南朝亡き後も、ずっと続いていたという事実がすごい。
後に南伊勢を引き継いだ蒲生氏郷が早々と転封になったのも、
秀吉が地勢的なアドバンテージに気付いたからでは。

59 :
北畠が滅ぼされなかったのは、京からの距離がそこそこ離れていたからかな
それとも顕泰の政治力?南北朝合体を平和裏に行うための条件?

60 :
>>58
>南朝亡き後も、ずっと続いていたという事実がすごい
教具が傑物なんだと思う
義教に献上品贈ったり、満祐の子教康を自害させて首を幕府に送ったり、
常に親幕府で北畠を盛り立てた

61 :
応永の乱で活躍してるし、顕泰

62 :
南海一の弓取り

63 :
私は北畠です。
親は津軽出身。関東在住。
私は数年前関東から大阪へ。
大阪来るまで先祖のこと知らなかった。
最近知った。情けない私。
偶然だがしばらく石津近辺に住んでた。
過去帖も調べた。

64 :
まあ、がっこの日本史で習うのは神皇正統紀の北畠親房ぐらいだしな
織田信雄がでてくりゃよく知ってるほう
東北政権とか後南朝とかになるとヲタ知識だ

65 :
浪岡御所ですね

66 :
キタバタケグッキョウ

67 :
家城之清

68 :
19人を倒し100人に傷をつけたっていくら何でも誇張だろ

69 :
織田信雄が北畠家の末代って認識でおk?

70 :
一応、信雄の息子の秀雄、高雄は雪姫の血を引いているが

71 :
転勤で津市に来た
藤方 分部 長野 木造 雲林院 戸木 とか
大字に残っていて興味が湧いてきたので
ちょっと自分の中で北畠ブームがはじまったところ

72 :
ググりはじめたけど
>安濃の長野家は雲林院、細野、分部、家所、草生などの豪族を配下とし
家所 草生 なんてのも現在の安濃町の大字に残っているよ
いやまあ全国的にこういうのはどこもそうなのかもしれんけど

73 :
漏れの苗字北畠だが何か関連はあるのだろうか

74 :
>>73
家紋はどんな感じ? お墓の横とかに掘ってあると思うが。

75 :
たしか笹竜胆と呼ばれるヤツですよ 
青森出身なのだが

76 :
笹竜胆と言えば源氏の家紋…

77 :
これ?
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/kitabata.html

78 :
ていうかごめん
青森ならむしろこっちか
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/namio_k.html

79 :
関西だと北畠って苗字だらけだよ

80 :
在日がよく名乗るらしいな

81 :
>>79
そんな話聞いたことない
ソース提示してくれ

82 :
>>79 ×
>>80 ○
orz

83 :
在日は華族の名前と左右対称の漢字を好むとはよく言う話。
北畠の子孫は今は有馬だけど。

84 :
だから明確なソースを示してくれって
なんでも在日と言われちゃたまらないわ

85 :
在日かB民が火病ってるときいて飛んできました
家系図が無い華族の名字なんてB民か在日しか名乗らねーよw

86 :
地名があるからそこから取ったんだろう

87 :
ああ、奈良の男爵も北畠姓だね
このあたりの氏族もいるんじゃないかな

88 :
元々公家なんだから類族は都のあった関西に多い
むろん伊勢にもね

89 :
通字は「具」でおk?

90 :
具って割と最近じゃね

91 :
北方が書いた顕家?とかいう人の話読んだ。
すごいね。惚れた。
未読の人必読。

92 :
絶世の美少年顕家といえば、その昔大根ゴクミが演じた
若い人は知らないか

93 :
鶴姫しか知らん

94 :
母方の祖母が浪岡出身で旧姓北畠。
「本当は「こっち」が本家なのに錦の御旗をうばわれて「あっち」が本家になった」
と言っていた意味がわからなくてずっと考えていたのだが(祖母は故人)
河原御所の変で当主具運が害されて、その後弟顕範一統が本家になったことを言っているのか?
と思いついた。具運害時顕村以外にも子がいたのかも知れないし。
自分はその(顕村以外の子、あるいは女子の)子孫なのに傍系扱いになってしまったと。
しかしいずれにしてもさー、浪岡北畠を士族にする話があったらしいが
条件が整わずダメになったらしいじゃんか。
家系の正統性が証明できなかったということで、
顕村以後の北畠は「詐称」に近いんじゃないの?
地元の記録は地元に都合よく作られている可能性大有りだから信用ならないし。
まあ、在日の線はさすがにないとは思うがw

95 :
子供時代いっしょに暮らしたが、ばーちゃんのことは大好きだったよ。
「北畠顕家の子孫」と口にするときはきりっとしたいい表情をしていた。
ばーちゃんの姉妹たちもみんな上品で凛とした人で、
「こんなド田舎にどうしてこんな皇族みたいな人たちが?」と
子供心に不思議だったものだ。
それが事実なのかどうかは別として、血の誇りを支えとして、
血に恥じないように生きようとする姿勢は悪いことではないと思うし、
親がそういう矜持をもって子を教育するのも大事なことだと思うよ。
学問的にはいろいろ言いたいことはあるが、
今現在「北畠」姓をもって生きている浪岡出身の方々を貶める意図はないので、
一言付言いたします。
「伊勢の名門北畠」スレなのにお邪魔してすみませんでした。
このスレ、シーンとしちゃってるので、反省しています。

96 :
子孫乙。
元々シーンとしてたから安心汁。
>>91
南北朝あんまり知らないけど、北方謙三の『楠正成』読んだら、東北の管領かなんかになった北畠って人が
出てきたけどそれかな。
足利軍追って北畠軍が東北から一気に機内へ押し寄せる所はすごい。
これ読むまでは新田ってのは偉い奴だと思ってたけど、これ読んでからなんか間抜けなおやじって気がする。
ちょっと興味出てきたので、この辺りの何かいい本あったら誰か教えてプリーズ。
史料や小説ジャンルはこだわらないけど、史料は読み易い初心者向けおながいします。
それにしてもこの辺の争いの中で新田や楠木と比べると北畠顕家って一般に遥かに知名度低いよね。
根拠地が東北だったからなの?
あれだけの活躍して死んだ歳が21って、紛れもない傑物でしょ。
それなのに埋もれすぎ。

97 :
南北朝知らないのに北畠語るのは結構むちゃなコトだと思うんだが・・・

98 :
>>91は惚れた武将の名前もうろ覚え…
>>97は管領とか偉いとか…それぐらいネットで検索できるレベルだろ

99 :
>>96だった…俺も厨だな

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【権六】柴田勝家 その2
■日本に戦国は不要■
島 津 は 銀 河 も 嘆 く 屑 大 名
結局世の中金なんだろ…