2011年10月1期戦国時代兵法ってどうやって学んだの?
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兵法ってどうやって学んだの?
- 1 :10/06/23 〜 最終レス :11/10/02
- ここでいう兵法とは個人の武芸・武術は除いた
大将としての戦のやり方という意味。
戦国大名は子供の頃に兵法の英才教育を受けたりしたの?
体系化された兵法学みたいなものは存在したの?
兵法の英才教育を受けたわけではない秀吉や謙信が戦上手な時点で
兵法を学ぶとはどういう意味があるのだろうか?と考えてしまう。
- 2 :
- 江戸時代になるまで存在しなかった。
- 3 :
- 全部創作だよ
伊達最上北条上杉武田真田今川織田斉藤浅倉浅井六角足利三好宇喜多毛利長宗我部大友龍造寺島津厨の
- 4 :
- 日本の国土に中華の兵法は合わない。
- 5 :
- >>3
尼子はどうした
- 6 :
- じゃあ槍持ってワーワー騒いでただけなの
- 7 :
- それ以前にみんなマジメに相手する気ないだけ
- 8 :
- >>5
蛎崎秋田南部津軽相馬小野寺小田結城里見長野姉小路筒井北畠鈴木本願寺浦上河野大内高橋阿蘇尼子厨乙
- 9 :
- >>2
例えば人質時代に家康(竹千代)が大源雪斎に兵法を教わったりしたというのは?
- 10 :
- >>8
大宝寺はおろか一条すら無いとは
- 11 :
- >>9
それは創作筆頭じゃないか
- 12 :
- >>9
それは創作捏造であって史実ではない
- 13 :
- この時代の兵法って剣術とかの徒歩武術だろ?
- 14 :
- 普通に六蹈とか孫子読んでるだろ大名は全員
- 15 :
- んなわけない
- 16 :
- >>1
寺ってのは、古代から知識の集積、継受をつかさどってたところだった。
各種の書籍の収蔵やその知識を授けたりもする場であった。
時代を遡るけど、義経さんがえらい破竹の快進撃できたのも、
ガキの頃に寺に預けられてたもんだから、一人で兵法書読み漁ってて、
の喧嘩みたいなレベルのところに兵法を持ち込んだからでは、とも言われてる。
で、長いこと寺に預けられてた謙信とか、一応寺に入ってる秀吉なんかは、
そういう書物に触れる機会が高かったともいえる。
もちろん、才能もあるけどね。
秀吉とか、碁がえらく強かったらしいけど、そういう知的ゲームの強さは、
ある程度素の頭の良さの指標になるだろうし。
- 17 :
- 中国から軍師を招けばいいのに
- 18 :
- >>16
本願寺はともかく延暦寺の僧は兵法に長けていたとは思わないのだが。
謙信や、いわんや秀吉なんかよりよっぽど寺にいて学ぶ期間が長かったのに。
驕っていて書物読んだりもしていなかったのかな。
- 19 :
- 父親とか守役の口伝というか経験談で
子供に学ばせていったんじゃないか?
風林火山とか言ってるぐらいだから
信玄は孫子読んでるだろうけど
- 20 :
- >>18
僧は信仰が本分だから経典ばっかり読んでたんじゃないの?
そもそも生戒がある仏僧が積極的に兵法書を読んでたとも考えにくい
- 21 :
- >>20
その考えは正しくない
僧侶は漢籍全般における知識階級であり、また戦国の世においては権力者(大名)と
繋がることで、乱世を治めるという考えから兵法を教えることも是とされた
- 22 :
- 今で言う大学教授みたいなものかな?
- 23 :
- 足利学校がそもそも寺院でしたし
- 24 :
- そう言えば
何かの本で僧兵達の強訴を学生運動に例えてた
確かに神輿担いで要求を通そうとする姿は学生デモに似てる気もする
- 25 :
- >>21
で、兵法を教えた僧侶って具体的に誰よ?
雪斎以外の名前を挙げられるのか?
- 26 :
- 例えば、松平家忠は本光寺で兵法も含めた様々な知識を学んでいることが「家忠日記」で伺える
- 27 :
- 奥羽永慶軍記に雇われ軍師家業をする流れ者の坊主が割といたという事が書いてあるお( ^ω^)
- 28 :
- 平家物語や吾妻鏡などで過去の武士たちの戦術は聞きかじってるだろ。
源氏は正面から本体で牽制・拘束しつつ、別働隊を迂回させる戦術で平家や藤原家を圧倒したが、
そういうのは戦国大名や諸豪族には貴重な戦訓として伝わってたんじゃないのかな。
- 29 :
- 源平時代、戦国時代は実戦にはことかかなかっただろうからね。
実地での経験の上に御伽衆や僧から聞いた古今の兵法書(儒書など政治的なものも)を重ね合わせて自分のものとしていたのだろう
まさに文武両道
- 30 :
- >>27
それは占いを仕事とする軍師だろ?
- 31 :
- >>30
兵法家の方みたいだお( ^ω^)
佐竹だか葦名だかでも雇ったら、いざ戦場に出てみると役に立たず逃げ出してしまい
この手の者は使えない、というような事が書いてあったはずだお( ^ω^)
- 32 :
- 信長にも自称軍師が売り込みにきたのでそんなに戦の事がわかるなら自分でやってみろと
無理やり兵士率いさせて城攻めの前線に出したって逸話があったな
- 33 :
- 兵法っていうのは戦いにおける用兵の大前提。
「敵勢の情報を知ってれば有利」とか、「兵は小出しに投入すべきじゃない」
とかの故事的な物だから学ぼうと思えば其れなりの地位の者は
書物をとりよせ学べると思う。
そこから創意工夫融通無碍に応用できた人が軍才のある人物として
後世に残ってると思う。
- 34 :
- 戦術や戦略は自分で作り上げるものだからね( ^ω^)
状況は常に異なり且つ変動を続けるものだからマニュアル通りにやっても成功するとは限らないお
兵法を学ぶ事は事例を多く取り込む事で発想の幅を広げる事にあり
要は統計的なものであって、より多くの情報を集めれば傾向を把握し易くなり対策を容易に導けるというわけだお
多くの情報から一つの策を導き出すのが凡人であり
一つの情報から多くの策を導き出せるのが天才なのだお( ^ω^)
つまり大仰な兵学など習わなくても発想と情報処理能力に富む者は優れた用兵家たりえるのだお( ^ω^)
- 35 :
- 兵法を修めた
なんてのは履歴書の資格欄になんとか2級と書くのと同じ。
- 36 :
- 戦国〜江戸初期は兵法は剣術とかの意味の方が強いでしょ?
- 37 :
- 平家物語以外にも、太平記で学ぶこともあったみたいだね。
勉強って意識はなくても、ベテランに戦の話を聞くみたいに、
平家や太平記を聞いて学んでた。その後、実戦にどう生かすかはそいつ次第だろ。
- 38 :
- 儒学、道学、兵法など漢籍は僧侶寺院が伝えたり
研究したりしていた。いわゆる学僧が大名や上級武
士の師弟に教えていたらしいな。
- 39 :
- >>4 そんなおまいの為に日本最古の兵法書「闘戦経」があるんだお
何百年の後に書かれた戦争論に通じるものがある
- 40 :
- >>39
百姓、名前入れ忘れてるぞw
- 41 :
- 学校で習ったろ?
- 42 :
- >>16
本を暗記する能力と、それを実戦に活かすことは全く別の能力。
東大に憂かろうが国家公務員試験に受かろうが、無能な役人がほとんどなのと同じ。
>>36
どうも創作のせいでそう勘違いされてる節があるんだよね。
事実は全く異なる。
兵法者というのは軍事(実技も含む)を専門にやってますという人間のこと。
剣だけじゃない。馬に乗れるのは当たり前として、弓・槍・柔術も当然扱える。
- 43 :
- >>42
剣術だけでなく武芸を差すってのを言葉足らずで上手い事伝えられなくてすまんが
兵法を軍略・采配のみと捉えている人が圧倒的に多そうだからさ。
- 44 :
- ああ、それはある
- 45 :
- 占いも必須
- 46 :
- 天狗に習う
- 47 :
- マジレ酢すると兵法は教えられるもんじゃない
考えるものだ
- 48 :
- マジレスすると足利学校で教えてた。
山勘も足利学校の生徒。
500円本の信玄特集で、山勘が来たときに足利学校出身なら信用できる云々と言ったとか。
- 49 :
- 毛利家は大江の流れで楠正成も学んだ日本の軍学書・闘戦経を伝えている。
- 50 :
- 伝えているとか、習ったと言うのはよく耳にするけど、その兵法がどんなもの
だったかまでは載ってないよなぁ。
- 51 :
- 闘戦経は有名で本も出てるから読めますよ。
孫子の場合、主と将軍の意見が違ったら、主に逆らうべしとあるが、日本型闘戦経には楠木正成のように負けるとわかっていても君命に従う精神が宿っている。
シナとの文化の差がみられる。
- 52 :
- 「孫子」は奈良時代、吉備真備によって唐から持ち帰った
ただしあくまで数多くの教養・学問書の中の一部として持ち帰られたものであり
また戦乱の時代でもなかった故にさほど広まるものでもなかったが
- 53 :11/10/02
- 保守
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