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2012年07月日本史39: ▲▲▲新撰組Part2▲▲▲ (336)
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- 1 :11/08 〜 最終レス :12/08
- 京都守護職会津中将様御預新撰組
好評につき第2弾です
- 2 :
- ゲシュタポ
- 3 :
- 土方歳三の銅像など、新選組ゆかりの地として有名な東京都日野市の高幡不動尊。
その境内や参道で銘菓「高幡まんじゅうを」売っている「松盛堂」は
公明党の日野市議会議員、みねぎし弘行がオーナーの創価企業です。
こいつは自分のHPで創価学会名誉会長の池田大作や戸田城聖二代目会長のことばや、
聖教新聞のコラム欄「寸鉄」を紹介するような、政教一体の学会市議です。
邪教のはずの不動尊で商売をする恥知らずな創価学会員です。
http://www.e-giin.net/minegishi/
http://www.syoseido.co.jp/
- 4 :
- >1乙!
- 5 :
- >>1
乙〜
- 6 :
- 新撰組同人誌まとめて入荷しました!
http://www.mandarake.co.jp/information/2006/04/23/ngy03/index.html
- 7 :
- 孝明天皇御陵衛士
- 8 :
- 会津士族藤田五郎
- 9 :
- 尽忠報国の士芹沢鴨
- 10 :
- >>3 自分のHPというが、市会議員としてのHPですか。
純然たる自分のHPならば、自分の信仰することを書いて何が悪い。
別に不動様の境内で商売やっているわけではなかろう。
- 11 :
- 士道不覚悟
- 12 :
- 何も悪い事しとらんわ
- 13 :
- あらあらw
- 14 :
- 歳さん...
- 15 :
- 歳さまぁ
- 16 :
- 時代は沖田
- 17 :
-
- 18 :
- 沖田総司房良
惜しいかな病没す
- 19 :
- 沖田の顔の真相
- 20 :
- そら豆だーのお多福だーの散々な言われ様だが
ええじゃないか、人間だもの
- 21 :
- ヒラメ沖田の時代なのか?
- 22 :
- ヒラメ説は佐藤彦五郎長男俊宜が孫にせがまれて話して
その孫がテレビで紹介したことで知られるようになった
お多福肖像画は沖田の姉貴が孫が似てるつって書かせた
ところが具体的になにが似てるのかは一切不明だったり
別に沖田家には色白で小柄な男だったって話もあったり
はっきりいって沖田親戚筋の証言は今一あてにならない
ある程度参考になるのは八木為三郎が語った思い出話や
沖田のおじさんにあたるヒトの写真かな、共通点多いし
剣術の達人、冗談好き、感情的で短気ってのは確実だな
- 23 :
- 八木為三郎談
「沖田は女遊びはしてなかったようです」
近藤勇五郎談
「沖田は余り女遊びをしなかったかわりに、
ある医者の娘と恋仲になった」
- 24 :
- 沖田総司が清純だからとかってよりも
近藤や土方ほど力がなかったから
囲える相手も少なかったってだけだろう実際
助勤以下の連中は大概似たり寄ったりな感じ
大体手近な町娘と恋仲になってる
島田にせよ原田にせよ
- 25 :
- >>22
別スレからの受け売りでスマソなんだが
ヒラメ説を言ったのは
TVに出た時に司会者の強引な誘導尋問で言わされたそうだ
沖田家は目と目の間隔が比較的狭く、沖田だけは他の一族の人よりかは離れてたそれを無理矢理ヒラメ表現されたって流れだったそうな
自分の記憶では、TV出演したのは沖田ミツの子孫だったと思った
- 26 :
- >>23-24
こちらも受け売りでスマソだが、詳しい人曰く
「沖田と医者の娘との淡い恋バナ」は子母澤&司馬発信だそうだ
つまり、創作の可能性があるグレーゾーン
あの沖田家縁者ネタも怪しいらしい
あと、新撰組ピーク時は
幹部以上は大抵の生活費は経費で落とせたそうだ
妾の生活費全般も含むそうで、決して妾が持てないとかじゃなかったみたい
記憶違いだったらゴメン
- 27 :
- >>25
度々スマソ
ヒラメ発言は佐藤彦五郎の曾孫だったそうだ(Wikiより)
- 28 :
- 有名どころで血が続いてるのは斉藤と原田くらいか
近藤は養子だし
- 29 :
- 永倉さんはどうなんだろ?
- 30 :
- >>28
幹部だと永倉新八とか三木三郎の御子孫も存在するようだ
どちらも代々先祖について精力的な執筆活動とかしてるから
色々語り継げることとかもあるんだろうけども
普通は四、五代以上前になると赤の他人も同然だよな・・・
家はなんでも仙台藩士だか仙台浪人の子孫らしく刀とかある
しかし現代に何かストーリーが伝わっているわけでもないし
勿論、山南敬助がどうのこうのなんて話は無いwww
- 31 :
- 回りの人間は元新撰組の幹部って知ってたのだろうか
佐幕派の英雄として扱われるのは明治中期以降だし、斉藤が警部補してた初期なんかは元日本軍憲兵見るような扱いだと思うが
- 32 :
- 新撰組の子孫もだろうけど佐藤彦五郎さんの家族も戦々恐々だっただろうね
支援者だし、おのぶさんの旦那さんだし
- 33 :
- >>32
佐藤家が追求されたのは近藤や土方の主要な後援者いうよりも
農兵隊を率いて薩摩藩浪士の弾圧したり甲陽鎮撫隊に参加して
直接的に新政府側に抵抗したことが理由だな。
もっとも彦五郎は案外簡単に元の地位に復帰してたりもするな
実際問題として明治政府は旧体制側の手を借りなきゃにっちも
さっちもいかないことばかりだったろうし当然といえば当然か
- 34 :
- 昨日本屋をのぞいたら斎藤一にかんする単行本が平積みになっていた。
立ち読みしてみたけど、かなりの長生きだったようです。
西南戦争にも参加というからすごいものです。
- 35 :
- 同じ新撰組結成メンバーで組長だった永倉新八と同じ年に亡くなるのは何か因縁めいてるね。
- 36 :
- >>33
ありがd
彦五郎さんもなかなかやる人なんだww
- 37 :
- 近藤勇があっさり投降したのは彦五郎の代わりに首を差し出すためだったという説もあるな。
- 38 :
- >>37
まじですか?
- 39 :
- >>38
近藤と土方が親友として描かれることが多いが、本当は近藤と彦五郎が親友で、土方は親友の弟って感じなんだよな。
多摩の大物で、新選組のスポンサーで、近藤の親友である彦五郎が官軍に処刑されそうになれば、近藤が責任を被って身代わりに死ぬことがあってもおかしくない。
土方の最後の手紙が彦五郎あてだったのと考え合わせると、もしかしたら新選組の中心人物は彦五郎だったのかもしれない。
- 40 :
- >>39
自分もそういう話は聞いたことあるなぁ
新撰組が多摩郡と天然理心流のネットワークで支えられてるのは事実だし
近藤や土方の手紙が大抵佐藤に充てられてることから彼の存在感が大きいってのは間違いない。
少なくとも大河ドラマのキャラみたいなすっとぼけたおっさんじゃなかっただろうね
興味深い視点ではある。
ま、菊地明系の研究者だとまた余計な脚色やら妄想がはいるんだろうけどwww
- 41 :
- 彦五郎ってあまり注目したことなかったから意外だ
なんで一緒に浪士隊に入らなかったんだろう?家の事情かな?
菊地さんってあんまり良くないの?オススメの研究者が居たら教えてほしい
- 42 :
- 山南さんが切腹した報告も沖田さんが彦五郎さんにしてるしね
彦五郎さんは隊士じゃないが、中心にいた事は有り得る
- 43 :
- >>41
代官直属の多摩の名主だからね。
今でいえば多摩の郡長みたいなもん。
自分は参加できないから義理の弟の土方を名代として参加させたとか。
- 44 :
- >>39
遅らばせながら解説ありがとう
>>43
群長が不在になる訳いかないもんな
そりゃ京都には行けないわw
- 45 :
- >>41
新撰組研究者っていうと菊地明や釣洋一、山村竜也、伊東成郎・・・って名前が出てくる。
彼らの地道な研究活動で膨大な情報が明らかになり更新されてきたし高く評価はできるね。
全く参考にならないってことはない。
ただあの人たちは大学で専門教育をうけて研究機関に就職した学者とは全然違うからねぇ。
学問の世界では決して本流な存在ではないし、歴史学研究の基礎を理解してない人もいる。
菊地明も史実重視とかいうわりに大雑把な仕事って印象が強い。
最近は歴史学者が政治史や社会史のなかの研究対象として新撰組について論じてるけども、
基本にはやっぱり宮地正人の『歴史のなかの新選組』(岩波書店、2004年)があるね。
勿論、全てが正しいとはいわないけど本来ならばこの本こそ基礎文献とすべきでしょうね。
特に卒論で新撰組書きたいとかいう大学生とかは必読かな。
自分としては彼のような政治集団的性格を中心にもってくる新撰組の評価には疑問だけれども
それ以前に歴史学研究はどうあるべきかってことを説明し実践してくれてるし参考になった。
- 46 :
- ちなみに深谷克己『江戸時代の身分願望』とか平川新『開国への道』とかも興味深い。
今のところ大きなテーマとして身分論があってそのなかで新撰組や浪士組を論じることが多いみたい。
- 47 :
- 「幕末維新新撰組」って本に興味がある
密林なら中古でゲト出来そうなんだが、ガセネタばかりじゃなければいいなぁ
- 48 :
- レスありがとう
宮地さんや松浦さんの本は読んだけど、リアル視点で新鮮だったな
>>47
サイトが本になったやつ?
自分も欲しいけど、なかなか見かけないんだよね
- 49 :
- >>48
サイトもあるね
絶版してるから新品は買えないけど、密林なら入手可能だよ
黒鉄ヒロシの本も買えたw新撰組関連の本は多数あるから
ガセネタをドヤ顔で出してる本にぶち当たりそうで…w
自分は『一気に読める新撰組』は買う気は無いな
- 50 :
- 大学で卒論書いたものの感想として、
永倉新八『新撰組顛末記』新人物往来社、1998年
木村幸比子『新選組戦場日記』PHP研究所、1998年
平尾道雄『定本新撰組史録』新人物往来社、2003年
宮地正人『歴史のなかの新選組』岩波書店、2004年
古賀茂作・鈴木亨『「「新撰組」全隊士録』(講談社、2003年
新人物往来社編『新撰組史料集(コンパクト版)』新人物往来社、1995年
新人物往来社編『続新選組史料集』新人物往来社、2006年
菊地明ほか編『新選組日誌(コンパクト版)』上下、2003年
が、あれば新撰組自体の事実関係を調べるには十分だったね。
有名な新撰組始末記以下の三部作は内容が時代小説的なので意図的に参考にはしなかった。
- 51 :
- >>50
松本良順の自伝『松本順自伝』東洋文庫が抜けているのが痛い。
あれを読むと近藤勇の思考が劇的に変化する史料的根拠が解る。
- 52 :
- 続新選組史料集はアマゾン評価で最悪だよ。
新選組史料集も手紙類は読み間違いが多く、歴史の中の新選組で批判されてるね。
- 53 :
- >>51
ここにあげたのは、あくまでストレートに新撰組と銘打った本ってことで。
説明不足ならスマン。
卒論全体でみればより多くの史料や論文を引用したし氷山の一角って感じ。
松本順自伝はテーマに直接関係なかったので使わなかったね。
>>52
実際に宮地がそうだったように『史料集』に頼らなきゃいかん部分は多々あったし、
使い勝手がよく便利だったってのが、自力で論文を書いてみての正直な感想かなぁ。
ただ、解読ミスや解説不足以前に史料全文の掲載は最低やってほしかったと思うな。
あんなに書簡をブツ切りにされては何がなんだかわからない。
- 54 :
- >>50-53
参考にします、ありがとう「歴史の中の新撰組」って確か、別スレでも推奨してる人がいたなぁ
新撰組顛末記は必須みたいだが、未だ未購入…スマソ
以前から思っていたんだが当時の手紙や史料館にある文献やらを読める人を尊敬する
何故、あんな達筆過ぎる文面を読めるんだw
全く読めない自分には
一生かかっても解読は出来ん
- 55 :
- >>54
古文書解読の教本はわかりやすいの沢山売ってるから読んでみたら?
学者ですら辞書片手に読むのが普通だし。
気楽にマイペースで挑戦すればいつのまにか読めてるものだよ。
- 56 :
- ▲▲▲
- 57 :
- 菊地明の斎藤本ってどう思う?
- 58 :
- 伊東成郎の本って参考文献になる?
マクロなのと参考文献書いてないから使えないと思うのはオレだけかな?
- 59 :
- >>55
古文書解読本なんてあるんだ!w
知らなかった、ありがとう一応チェックして買ってみる
- 60 :
- >>58
伊東の研究を全否定するつもりはないけど、
確かに引用方法が雑で実証性という点で学者の書くものに比べて劣るね。
伊東にせよ菊地にせよ史料名だけポンと出して終わりということをよくするけど、
本格的な学術書を読んだことある人ならわかるだろうけど、あれでは出典を明らかにしたことにはなってないしね。
また史料だけでなく研究成果についても他人のものは、
肯定するにせよ批判するにせよちゃんと出典を記すべきなのは常識であり礼儀。
例えば菊地明は『新常識』で大和屋事件をめぐって暗に宮地正人の説を否定したり、
宮地が紹介したといっていい「彗星夢雑誌」を引用してるのにあたかも自分が新発見した史料のように紹介している。
研究者として無礼というか卑怯な印象すらうけた。
いわゆる「新撰組研究者」のなかには人の研究成果をまるで自分のものように書く人が多い。
新撰組本でしっかり研究史整理をしてる本なんて学者が書いたもの以外みたことないし。
連中には解読とか解説の誤りよりも先ずはその辺の態度を改めて欲しいよな。
- 61 :
- 宮地の意見が全てとは言わないが
彼が『歴史のなかの〜』で指摘したことはまったく活かされてないようだ。
- 62 :
- 伊藤哲也やあさくらゆうは?
- 63 :
- >>62
伊東哲也は評判悪いな。あさくらゆうはよく知らん。
>>57
立ち読みしたけど(買えよ!)よくも悪くも菊地さんらしい本だったな。
細かいようだが無理やり斎藤一を3番隊組頭と書く意図がよく分からん。
一貫して4番隊組頭なのは史料から明らかなのにね。
- 64 :
- >>63
自分で調べてないから本人も知らないんでしょ。
菊地は屁尻火の会長だから会員が調べたことをまとめてるだけ。
その美味しさに気付いたのが星亮一で、戊辰戦争を歩くや新選組を歩くを出して印税をひとり占めしている。
- 65 :
- >>64
ほうほう。その辺の裏事情?はよく知らなかったから参考になった。
原田左之助も9番隊組長とかデタラメ書かれてたし。
ざっと読んでの感想だけど職制関係で違和感のある記述が目立ったなぁ。
- 66 :
- 山村竜也の本って参考になる?
著書で参考文献一切書いてるのを見たことないが。
- 67 :
- 松浦令の『新選組』これ読まなければモグリでしょ
- 68 :
- >>67
松浦玲の『新選組』と宮地正人の『歴史のなかの新選組』とあわせて間違いなく研究史上画期となる本だろうな。
あれで新撰組のことだけ語る時代から歴史の大きなテーマのなかで論じる時代へ本格移行したって印象をうける。
ただ、松浦や宮地への反論がなかったらなかったで問題なわけで、
近藤勇の政治思想で全てを説明するような論調には実際「それは違うだろ」って思わないでもなかったな。
- 69 :
- というか…いままで新選組を政治で捉えた本って平尾道雄の新撰組史録くらいしかないでしょ。
戦前だと尾佐竹猛が一部出してるが量的には足りない。
いままでの研究家と称する作家はそういう感覚は知識的にないのではないだろうか?
- 70 :
- >>69
昭和8年に服部之総が新撰組のコラムを書いてるけど、これも新撰組を思想性から理解しようとしたものだったね。
確かに新撰組研究家とされる人は殆ど作家だから歴史学者たちの書くものと比べて正当な歴史学の知識は乏しいな。
具体的にいえばここで散々指摘されてるような引用方法の不備なんかにそれは現れてる。
ただ逆にいえば、
学問よりも創作に近い新撰組研究が氾濫してファンに支持されてる今の状況っていうのは歴史学者の責任でもある。
そういう状況を長年放置して受け入れてきたわけだしね。
まあ、結論として新撰組ファン自体がもっと関心を広げて歴史をみない限り、
一部の歴史学者なんぞがいくら頑張っても時代劇の延長線みたいな新撰組論こそ主流って状況は変わらないだろう。
- 71 :
- 秘密警察
機動隊→使えなかった
- 72 :
- 新選組研究家は出典の明示→自分の秘密と考えている。伊東の講演を聴くと「口外禁止」が多い。あと菊地のようにわざと出典名がわからないように書く場合がある(所蔵者の表題と違う等)。
- 73 :
- >>70でも書いたがファンのなかでそういうやり方を支持しない人が増えれば、
民間研究者も変わらざるを得ないんだろうけどねぇ・・・結局は。
こことか他のサイトみてると従来研究に違和感もつ人は増えてるようだし、
ディープなファンの考えってのは10年前より大分変化してるようだな。
こういう話題ってのは煙たがられることも多いからできてよかった。
- 74 :
- 最大の問題は近藤勇書簡集が市販されていない事だよ。
新選組を思想的背景を探ろうにも、これが無いから誰もできない。
できるとすれば研究家の肩書きをもつ人達だが、作家が多いという都合で売れる本=チャンバラ活劇本になるからね。
思想は無視されちゃうのさ。
噂では、書簡集を出すだけの準備は整っているが、利権絡みで足踏みする事数十年だとさw。
これでは、今後も世には出まいよ。
京都博物館だっけかなぁ、「史料から見る新選組」という本で、近藤勇の書簡多数が紹介されている。
俺はコレを見てるけどね。
- 75 :
- 近藤書簡は小島資料館が多く持ってるからね。ここが出さない限り出ないでしょ。
それよりか、新選組研究家は古文書が読めないから彼らに期待しても無理。
- 76 :
- >>74
近藤勇書書簡があれば近藤個人を理解する助けにはなるけど、組織としての新撰組の動きを理解する助けには左程も貢献しない。
書簡集つくれといったのは松浦玲だけど、あの人は政治思想史専門だけに理論先行集団って考えに固執し過ぎてるきらいがある。
あの先生の論考では実力組織としての新選組について多くは見えてこない。
『新選組』は核心をついてるようでついてない。もっと現実的で歴史的に深い問題まで突っ込むには至らなかったって印象だな。
近世史で蓄積された江戸時代の社会や軍事に関する研究成果がさっぱり反映されてないしね。
そもそも近藤勇や新撰組を生み出した歴史の大きな流れとはどんなものだったのかについては松浦みたいな近代史の学者よりも、
近世史の学者が書いた論文に多くのヒントが詰まってる。
どうせ出すなら近藤勇、土方歳三、小島鹿之助、佐藤彦五郎の関係文書を一冊にするくらいしないと意味無いと思う。
でないと菊地明の出した土方と沖田の書簡集と同じで、新撰組を組織レベルで理解するというところまではいかない。
この「経営者四者組」が各自の役割のなかで書き残したことを付き合わせていくことが可能な本こそ価値があるはず。
ま、既に新撰組に大きな商業的価値がついてる以上、刊行まで一筋縄ではいかないのは誰もが分かり切ってはいるだろうけど。
そういうなかで、
日野市立新選組のふるさと博物館は胡散臭い民間研究者ではなく宮地正人なんかの歴史学者と連携して頑張ってる印象がある。
問題の近藤勇書簡集編纂の中心にいるであろう小島家資料館も実際は十二分に努力してる印象が強い。
- 77 :
- ちなみに菊地明は古文書が読めないからどこが間違っているのかがいまだに分かっていない(誰かから翻訳してもらったのを載せてるだけ)。
日野も宮地さんの名前を借りているだけで実際は藤井和夫と西脇康が書いている。
政治史を勉強するなら国立公文書館の文書を探ると面白い。刀槍しかやらないと紹介されてる新選組がゲベール銃を下賜して欲しいという文書がある。これを山崎丞日記(続新選組史料集でカットされた部分)で見ると、そのゲベールを使って調練していたことが解る。
- 78 :
- >>77
>>76書いたものだけど、
藤井さんと西脇さんの仕事では何か決定的不都合があるのかな?
日野市(一部マツノ書店でも)で販売してる『史料フォーラム』や『歴史館叢書』を読んだけど、
宮地さんともども中心的にしっかり仕事してるし。
我ながら偉そうなこと書くけど、松浦さん同様に彼らの学説も全部同意というわけでもないが、
有言実行で積極的にアクションをおこしてくれた宮地さんは自分のなかでは評価高いな。
取調日記(内容的には雑記帳)という史料は自分も部数限定で印刷されたのを所持してるよ。
今じゃ入手困難ってことで今考えたらラッキーだった(笑)
洋式調練の個所は「生兵」とあるから新兵の教育法を何かの書物から写し書きしたんだろう。
新撰組=古臭い剣客集団って解釈が難しいのは軍事史を理解してれば分かるし自分も同意。
ただ、幕府の文書類だけでは実際どれくらいの数の銃砲が支給されたのか特定はできない。
伊藤哲也の「取調日記は名簿以外価値がない」というような書き方は支持できないけども、
あれだけの調練をそのまま実行してたと言い切れる史料がない。
近世軍隊的な第一次・第二次行軍録の内容、西洋嫌悪派の存在、調練日数削減の事実とか、
むしろ、洋式化にとってはネガティブな事実を伝える史料が多いことは無視できない。
勝海舟が幕軍関係史料をまとめた『陸軍歴史』に新撰組が確認できないのも気になる。
- 79 :
- ってことで自分は取調日記についてはもう少し慎重に扱うべきだと考えてる。
史料提供者の意向もあって背景がいまいち説明不足っていうのも少しひっかかるし。
そもそも字体からしてどこからどこまで山崎の筆なのかも曖昧。
- 80 :
- やはり陸軍歴史は幕府直轄軍が対象だから京都守護職支配の新選組では直接支配が出来ないから掲載されてないでしょね。
内閣文庫では確かゲベールや雷管、火薬の量も書いてたような…遠い記憶では無理か?
あくまでも推測だが新選組の幹部あたりはこうした調練は嫌がったような気がしている。
伏見の戦いでも白兵戦が確認できるしね。だから知識があっても使用に躊躇した気がする。
あと俺も宮地さんは好きだ。ただ日野の関係者が図録の件で問い合わせた際、自分は監修で書いてないことをカミングアウトしてた。
藤井&西脇は批判好きだが対案がしょぼくて批判対象と五十歩百歩だったりする。
日野で新選組かじっている人と知り合いだとこうした話がよく聞ける。
- 81 :
- 宮地さんが好きな理由は東大時代に暮地家文書(早川文太郎)や庄内藩関係文書を写真撮影して昔よく東大で利用したこと。宮地さんがいなかったら一般利用は結構面倒だった。
実際宮地さんの講演聞いたことがあるが人あたりは良い。
- 82 :
- 伊藤哲也の書きごとは一番。皆が見れない史料を発表する研究者で私しか見れない史料を歴史春秋に発表した。
- 83 :
- >>80
藤田さんと西脇さんは「学者の悪い癖」が目立つってことね(笑)
『歴史館叢書』に関しては監修という役割は書いてある通りだしね。
宮地さんが一連の特別展示に関係してること自体には変わりないし、
そういうことで直接的な執筆者のチョイスや構成もかなり良かった。
何れにせよ必携書か。
近藤勇と土方歳三は洋式化賛成派で嫌いってことはないでしょうな。
特に土方の関係文書からはかなり主体的で熱心な姿勢が確認できる。
二人の兄貴分の佐藤彦五郎と小島鹿之助が洋式銃砲採用に熱心だし。
あまり目立ってはいないけど近藤勇の短筒なんてのも残っているし。
永倉新八は松前藩帰参後にフランス式調練を教えてたとも語ってる。
主流派の洋式化に対する関心自体は高い。
ただ、彼らを政治的にサポートした参謀メンバーは洋風嫌いな人だった。
剣客に人材を求めてるからあからさまに銃砲に抵抗感を示すのも多かった。
そういう反洋式化の部下たちに幹部が時に妥協し時に弾圧しながら対応し、
どうにか調練を実施したって構図の方がしっくりする。
そういった戦闘手段に対する意識不統一が鳥羽伏見の戦いで顕在化して、
的確に銃撃戦で対処してたかと思うと無茶な白刃突撃をやってしまう、
そういう戦術の中途半端さを晒す一因になったんだろう。
鳥羽伏見の戦い時点で、
幹部に洋式軍隊の運用スキルが徹底的に備わってなかったとうなら分かるよ。
ただ幹部が調練を嫌がっていたというのは少し大雑把な意見じゃなかろうか。
- 84 :
- 鳥羽伏見敗戦以前に新選組には銃砲の調練が薄いのが原因だな。
近藤土方に統制が取れてないから伊東脱退等の一件も絡むかもしれない。
ただ、伏見での敗戦が新選組に銃砲の大事さを教えたのは事実だ。
- 85 :
- >>84
文章なんかおかしいぞ
- 86 :
- 要は鳥羽伏見までは新選組は銃砲に関して軽んじてたってことだろ。
旧幕府に掲載された新選組隊士の格好が甲冑という時点で洋式軍隊でないことは解る。
- 87 :
- >>82
伊藤哲也ウザいのでこのページを晒す。
http://my.chiebukuro.yahoo.co.jp/my/veu00076
- 88 :
- 一番人斬った奴ってやっぱり沖田かな
- 89 :
- >>88
微妙。捕縛目的で斬る訳だから誰もが何人斬ったかは覚えてないでしょ。
沖田の時だけたくさん斬るべき人が現れるのもおかしいし…。
- 90 :
- >>89
沖田は元気だった時
脱走した隊士の粛清なんかも担当してたからな
人斬り率が高いのは仕方ない
斎藤も同様
- 91 :
- >>86
永倉新八が鳥羽伏見の戦争で着用した羽織が残ってるけど黒羅紗筒袖の陣羽織つまり幕府軍の洋式軍装そのものな件。
新撰組から紺色の筒袖と股引、剣付鉄砲を支給され大砲の運搬を手伝わされたって桑名藩士の証言もある。
明治初期に描かれた遠藤蛙斎の鳥羽伏見戦争の絵図では新撰組が小銃隊となってるし。
隊士の心理までは知らないが外観は同じく剣客を洋式銃隊に編制した幕府遊撃隊のようになってたと考えるのが妥当。
- 92 :
- >>91
あれは後年加工したもの。回想録にも白兵戦が確認できるから伏見戦争中に銃へ切り替えたと考えるのが妥当。
- 93 :
- >>91
羽織(勝沼戦争後チョッキに加工された)の裏書に元々黒羅紗筒袖陣羽織だったことが書かれている。
また背中に家紋入りという使用からして慶応二年秋に幕府が直轄軍を全面的に洋式銃隊化した際定められた服制と一致する。
新撰組が戦争で白兵戦をしてるとかしてないって話はしてない。
文久以降の幕府軍制改革に合わせて新撰組も段階的に一定水準まで銃隊化されていて当然ということをいってる。
- 94 :
- 銃隊編成を組む意欲は慶応年間にゲベール等を会津藩経由で下賜できるよう動いているので確認できる。
しかし銃隊の調練光景を述べたものはあっても反映されたかは微妙。
銃砲の知識はついたとは思うが銃隊としての機能は薄いな。
- 95 :
- 慶応年間まで待たずとも、
既に元治元年10月付の土方歳三書簡で全員参加の調練が報告されてるよ。
壬生寺の記録には慶応元年九月以降一月12回境内で調練していたとある。
つまり、活動期間の大半を通じて月の三分の一を割いた調練に努めていた。
それでも戦場では活かされなかったとするのは不自然。
敵味方の記録を整理すると新撰組の戦闘は白兵戦に依存したのではなく、
銃撃戦のなか隙あれば白兵突撃に転じる戦法だったという点で共通する。
つまり調練の成果は反映されていた。
ところが、あまりにも突撃の判断基準が曖昧というか大雑把に過ぎる印象。
例えば敵が少し引いたら銃を捨てて追撃したが伏兵を確認しなかったため、
逆に返り討ちにあったといった記述が永倉や島田の手記に度々出てくるし。
敵味方異口同音に彼らの闘志の強さを伝えるがそれが裏目に出たみたいだ。
戦争の不慣れもあるだろう。
何にしても、
鉄砲より剣槍が好きだから調練は反映されず無駄になったって事実は無い。
- 96 :
- 妄想は要らん
- 97 :
- 銃撃戦の記録がない限り認められないね。
甲冑着て白兵戦した記録はあるけどね。
新選組が本当に銃隊になったのは甲州鎮撫から。
- 98 :
- 斉藤ーは会津戦争で部隊を指揮してたみたいだけど、指揮官としても優秀だったんだろうか?
- 99 :
- 最後は如来堂で部隊は壊滅している。
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