2012年07月野球殿堂257: 1986年のプロ野球 (381)
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1986年のプロ野球
- 1 :2010/10/13 〜 最終レス :2012/07/26
- 75勝もしながら優勝出来なかった王巨人。
巨人軍史上最低の4番のレッテルを貼られマスコミ始め日本中からこれ以上はないってぐらい
叩かれ捲った原辰徳。
史上今んとこ唯一の第8戦までもつれ込んだ日本シリーズ。
そして何と言ってもルーキー清原の高卒1年目とは思えない大活躍。
今でも語り草になってる思い出の多いこの年のプロ野球を語りましょう。
- 2 :
- ブロハードグッジョブ
- 3 :
- 他にも二年連続
バース落合W三冠王 北別府MVP 広島山本引退 掛布事実上選手生命終了
衣笠ふざけた成績で全試合出場、東尾が山本に被弾 工藤日本シリーズでサヨナラヒットなど
語るべきことが多過ぎる。
俺の中では一番記憶に残る神シーズンだよ。
- 4 :
- 阿南監督
森監督
ともに新人監督ながら、とてもそうは思えない老獪っぷりも
印象的だ。
- 5 :
- >>3
そうそう、衣笠のこと忘れてたw 阿南監督の我慢強さに巨人ファンならずとも
感心した香具師は多かっただろうなw
日本シリーズじゃ西本幸雄からボロ糞言われてたもんな…。
- 6 :
- 何より清原の西武入団によって前年迄死に掛けていたパリーグの命運が激変した年でもあったからな。
阪急、近鉄の観客動員が100万人を突破する、て云う前年迄は想像すら出来なかったことが清原のお陰で
現実になったりしたからな。
- 7 :
- 88年の10・19に隠れがちだが
この年が西武-近鉄デッドヒートの最初
129試合目で決着した
- 8 :
- >>7
それラジオで聴いてた。近鉄が負けて暫くしてから実に丁度いいタイミングで
ロッテに圧勝の試合終了だったな。
近鉄のそん時の相手が阪急だったが、試合終了の際のアニマルの雄叫びも耳に焼き付いてるね。
- 9 :
- 王・巨人の初優勝の夢を打ち砕いた伏兵・ブロハードの一発。
- 10 :
- 9月の時点で広島に5.5ゲーム差付けてああこれでもう大丈夫だな、て殆どの
巨人ファンは安心し広島ファンは完全に絶望しきってただろうからな。
それ以降の特に中日戦じゃ無敗の快進撃は想像すら出来んかったな。
- 11 :
- >>4
そしてその両監督率いるチームによる日本シリーズは全試合なかなか点の入らない
ゲームではあったんだが逆にそれがスリリングだったな。第6戦以降の広島打線の、
あまりの打てなさ杉には敵ながら正直呆れた。
- 12 :
- 津田に骨折させられてからも
30本以上を2回打ってたんだね原。
バースとクロマティの打率が桁違い。
クロマティはさらにこの年より高い打率を残すから凄い。
- 13 :
- >>12
原が欠場してから、クロウが4番に座った途端の神憑り的快進撃はあの運命の
129試合目のヤクルト戦迄広島に一歩も譲らないスリリングなマッチレースだったもんな。
その間のヤクルトは順当な迄に巨人に連敗して広島ファンから「八百長やってんじゃねーんだろな!?」なんて
罵声浴びせられてたな。
- 14 :
- 阪神ファンだがこの年は掛布の怪我ばかりクローズアップされるが
それを差し引いても
エース候補池田の怪我
ゲイル2年目のサボり爆発
などマイナス要素は多かった
- 15 :
- 広島応援団がトランペットの替わりにピアニカを使ってた
- 16 :
- >>15
wwwwwww
確かカープ倶楽部がライト側での応援を始めた頃だね
当時の市民はバックスクリーン左に援団が集中してたから
(浩二ファンクラブ、鯉組、山中会、勝鯉会etc)
跳躍連合もこの頃からかな?
- 17 :
- 個人的にこの年のプロ野球が印象に残ってる最大の理由はファミスタ元年だから
特に四番こうじと代打かわとうはこの年限りだから余計に
- 18 :
- >>16
「山中会」に吹いたwwwww
「衣笠会」「北別府会」「達川会」なら納得いくが…
- 19 :
- >>17
日本シリーズ敗戦の後浩二がナインに胴上げされながら泣いてたのには思わず俺も泣いてしまったな・・・
- 20 :
- >>14
一方遠山の全く予想外の高卒1年目での大活躍は大きなプラス要素だったろ?
- 21 :
- >>10
今年の中日と阪神の試合数同様、巨人が7〜8試合多く消化していた関係で
5・5差を付けて首位にいても、負け数が広島より2つ多い現象が生じ、
結果、この負け数の差が巨人にとって致命傷となった。
- 22 :
- 帰れコールと言えば阪神が野村にやったのが有名だが
実はこの年の広島ファンも地味に森に対し帰れコールやってたなw
まあ、この頃のファンはどこも似たり寄ったりだったんだろうな。
今やったら、叩かれまくりだろう。
- 23 :
- >>20
そうだな
プラス要素としてはその遠山とマイクがローテ入りして
山本が復活して
川藤が最後の確変で
ってのは覚えてるわ
- 24 :
- >>22
ああそれはっきり聞こえてたな。その晩某民放ラジオの地元番組で広島ファンの某アナが
「しっかし…あの帰れコールにはほんっとに頭来たね。そんなんだから客が入んねーんだ!」なんて
広島ファンとして激怒してたのは強烈に記憶してるね。
- 25 :
- あ
- 26 :
- 阪神は広島、巨人、中日、ヤクルト相手には前年とさして変わらない対戦成績だったが、前年カモにしまくった大洋に大敗。
開幕3タテやら、連勝を止められた札幌やら、痛い目に遭い続けた。
- 27 :
- 物凄く地味でどうでもいいことなんで、誰も覚えてないだろうが
二年連続で最終戦で大洋が中日を逆転して4位になった
- 28 :
- >>27
中日は確か9月以降広島に1勝も出来なかったな。読売本社並びに巨人ファンからすりゃ
中日の読売への嫌がらせにしか映らなかったろうね。
- 29 :
- >>21
巨人が5.5ゲーム差を付けた晩のプロ野球ニュースで
柴田をはじめ解説陣はもう優勝は巨人で決まったと断言していたけど、
江本だったかな?巨人は最低でも負け数で広島に並ばない限り優勝はないと発言していた。
このほか、一部夕刊誌や週刊誌上で、
広島が既に戦意喪失気味の中日戦を多く残していることに関して、
「これだけ広島対中日戦が多くあると巨人も23日からの最後の広島3連戦の結果いかんで、
王監督以下ナイン一同も優勝を諦めるんじゃないでしょうか」と
巨人と中日の親会社間の抗争も踏まえた意味深発言をしていた評論家さえいた。
- 30 :
- >>29
まさにその意味深発言してた評論家の予想がかなりの部分恐ろしい迄に的中したって訳か…
- 31 :
- >>29
徳光をはじめ巨人ファンの落胆ぶりと言ったらwwww
裏事情を知らない奴らなんて中日が勝ってくれるよなどとほざいていてワロタww
- 32 :
- >>31
そういやあの年9月以降の中日は対広島戦全敗の内殆ど完封負けだった様に記憶するね。
ま、巨人ナインやファン、読売関係者のみならず殆どのスポーツメディアが落胆しただろうなw
- 33 :
- 中日はたまに八百長やってんじゃねえか?と本気で疑うレベルのこと
やるよな。
2001年もボロボロでV逸しそうだったヤクルトとの4連戦で
見事に4連敗してるし、巨人V9の時も星野が阪神に打ってくれと
願いながら投げたとか言ってたしw
- 34 :
- 巨人が優勝間近だからいろいろ優勝グッズを作っていたのにすべてパーはこの年じゃなかった。
Vやねんから20年以上も前にもこんな話題があった。
- 35 :
- >>33
78年終盤の対ヤクルト戦の場合もこの年の終盤の対広島戦と全く同じ様な連敗だったんだったな。
- 36 :
- >>34
以前実際になんでも鑑定団でそういう品を依頼していた人がいた記憶が
- 37 :
- 中日は広島に4タテされる一週間前には巨人にも3タテされてたんだがな。
キッチリ公平に負けてあげた、というのが正しい。この7試合が次期監督の逆鱗に触れたらしいよ。自分も>>33や>>35に書かれてるように当事者だったのにねw
- 38 :
- 優勝決定の翌日
二日酔いの中で最終回コージ衣笠のホームラン
コージは公式戦最終打席だったからね
神宮でヤクルトバッテリーの接待を生暖かく見守ったものだ
ブロハードにスタンドから土下座したりもした
- 39 :
- この年のブロハードといい、昔は本当に外人が自分だけ空気嫁て言いたくなる行動をとって
日本的な全体の予定調和を狂わすなんてのがよくあった様に記憶するね。
- 40 :
- >>37
当然広島に4タテじゃなくて巨人に3タテが我慢ならなかったってことでは?
- 41 :
- >>37
巨人は広島との最終決戦前にナゴヤで中日に2敗1分け。
仁村徹がプロ第1号を放つなど、巨人には優勝させまいと
中日ナインは異常に奮い立っていたな。
小松、杉本をリリーフ登板させるなど広島戦とはまるで別の戦い方をしていた。
- 42 :
- この年のヤクルトは結局最下位に終わったが、シーズン序盤に久米宏がニュースステーションにて
「ヤクルトには、しばらくペナントレースを休んでもらいましょうか」と吐いた暴言が、今でも妙に記憶
に残っているw
- 43 :
- 「ヤクルトは負けるためにあるチーム」とも言ってた。
- 44 :
- 短期間で休刊したが、月刊プロ野球ニュースという雑誌が当時あって、
9月下旬に10月号として「信じていいのか?日本一早い巨人優勝記念号」
と題して、それまでの巨人リーグ優勝のすべてが特集されて店頭に置かれていた。
広島の優勝が決まった翌日以降もしばらくは売れ残っていて、
虚しさを通り越して、なにか薄ら寒いものを感じた。
- 45 :
- >>44
Vやねんの元祖だなwwwww
- 46 :
- ズームインで徳光が
広島の選手が乗ってる飛行機が落ちれば巨人が優勝できるとか
とんでもない事言ったのはこの時だったっけ?
- 47 :
- >>46
そうだよ。贔屓のチームが優勝できないからって
いくらなんでもあの発言は酷過ぎ。
ズームインでも7時24分を時刻は吉村と中畑になりました。とか、
何にでも巨人に結びつけるからホント呆れるよw
- 48 :
- >>42>>43
当時の久米にとっちゃヤクルトは巨人の勝利に貢献するためのチーム以外の何者でもなかっただろうからな。
- 49 :
- >>42>>43>>46
逆に言えば当時はまだまだ大らかだったってことだな。
- 50 :
- 巨人は勝ち数では上回りながら、引分が邪魔して優勝逃すケースが多いね。
- 51 :
- 掛布が骨折しなかったら
清原が阪神に来たら
間違いなくV2だった
1遊 真弓
2中 北村
3右 バース
4一 清原
5二 岡田
6三 掛布
7左 柏原
8補 木戸
- 52 :
- >>51
清原が阪神に来て掛布が骨折してたなら先ず間違いなくサードに清原がその侭入って定着し
その時点で掛布は事実上引導を渡されてただろうね。
例えそうならなくとも翌年以降は村山の若手積極起用で完全にその流れになってただろうからね。
- 53 :
- 掛布の骨折がなければ、そんな六番なんて打順はありえんだろう。
- 54 :
- >>52
間違えた・・・
翌年→×
翌々年→○
- 55 :
- ブーマーが小野の死球に怒ってそれを宥めてたデービスが、その1週間後に東尾に死球食らって東尾の顔を殴って怪我させた。
- 56 :
- >>55
パの西武以外の5球団の野手は内心皆拍手喝采だった筈。
- 57 :
- もしもこの年、広島vs巨人のプレイオフがあったら…
- 58 :
- >>57
江川、槙原、加藤の3本柱のうち、少なくとも2人はその前の阪神との
ファーストステージで使うから、不利じゃないかな。
- 59 :
- まあ然しこの年のマスコミの露骨杉な西武のゲームじゃ清原一人への
追っかけ振りも今思えばキモいぐらいだったが、あれによって西武の
他選手へも全国区的人気がどんどん飛び火して行ったからな。
この年清原によって、西武の他選手の知名度の全国区的アップのみならず
パの5球団特に阪急と近鉄に営業面で齎された恩恵は実際の金額を
超えたものがあったって感じだったな。
- 60 :
- >>59
4月12日(土)の阪急ー西武は観衆4万人の大入り。
阪急や近鉄の選手の知名度も上がり、目には見えない清原効果であった。
- 61 :
- >>60
西武の適役としての知名度がこの年の前年迄とは比較にならないぐらい上がったのは
先ず間違いないだろうからね。
- 62 :
- >>61
この年のパリーグ人気の上昇が、88年89年の盛り上がりの引き金になったような気がする。
- 63 :
- >>58 ではファーストステージ無しでいきなり広島vs巨人だったら?
- 64 :
- >>62
それは当時をリアルで見てて知る奴にとっちゃ先ず否定しようのない事実だろうからな。
- 65 :
- 1986年 パリーグペナントレース 1/2
http://www.youtube.com/watch?v=yQIsMZkBC1M&feature=related
1986年 パリーグペナントレース 2/2
http://www.youtube.com/watch?v=OBU4-4L8GvY&feature=related
1986年 セリーグペナントレース 1/2
http://www.youtube.com/watch?v=vmKN8s8V8Yc&feature=related
1986年 セリーグペナントレース 2/2
http://www.youtube.com/watch?v=b4YRqRzslUg&feature=related
- 66 :
- >>61
おっと変換を間違えてた・・・
適役→×
敵役→○
- 67 :
- セリーグ優勝決定のヤクルト×広島が全国中継だったのに対して、
パリーグ優勝決定試合、西武×ロッテがテレビ埼玉のローカル中継だったこと。
広島がM1とした10月10日(金)の阪神×広島(甲子園)がABC-EX-HOMEで中継され、
祝日昼間にも関わらず関東で20%以上の視聴率だったこと。
当日の新聞見たらテレ朝でプロ野球〜甲子園 阪神×広島 解説・小山正明 藤田平の活字が・・・
試合経過結果より阪神×巨人以外のABC制作カードが見られるということで
午後3時が待ち遠しかった。中継オタにとっても忘れられない年でもありました。
- 68 :
- >>55-56
デービスよ、何てことしやがるんだ!そんなだからでパクられるんだよ、バカヤロー(by.西武ファン)
- 69 :
- 主砲のアクシデントでは掛布や原の骨折が有名だが、不調の宇野の2軍落ちというのもショックだった。
パの首位争いでは夏場の近鉄vs西武戦で近鉄がリードしてたのを1イニング6ホーマーで逆転されたが、
最後デービスの同点弾で引き分けに持ち込んだ試合には興奮した覚えがある。
- 70 :
- >>69
その試合で石本が自信喪失一歩手前ってぐらいショック受けてたの覚えてるな・・・
- 71 :
- >>63
広島−巨人で5戦制として、第1戦は広島球場。
@北別府−江川。江川7回2失点で責任果たすも、北別府がそれ以上の
投球内容。山本浩二の決勝本塁打で広島が2対0で勝利。広島1勝。
A大野−槙原。巨人、クロマティの2点本塁打で先制、中盤にも山倉の
タイムリー、駒田のソロで加点。広島は長嶋のタイムリーによる2点
のみ。巨人が4対2で勝利。1勝1敗。
- 72 :
- B長冨−加藤初。広島、達川・高橋のタイムリーで2点先制、巨人すか
さず鴻野、吉村のホームランで逆転、しかし広島も山本浩のプレーオフ
第2号で逆転。2番手西本も打ち込み、6対4で広島。広島2勝1敗で王手。
C後楽園に移動。金石−水野。立ち上がり、制球の定まらない水野を広
島が攻め、長嶋が満塁本塁打。ここで投手交代で後のない巨人は早くも
鹿取を投入。鹿取は後続を断ち、試合を作る。5回、巨人はクロマティ、
の2点本塁打、このプレーオフ不調だった中畑のソロで3対4と追い上げる。
広島はピッチャー川端。ここをピシャリと抑える。8回広島は正田の
タイムリーで1点追加、その裏巨人は1アウト満塁で打者吉村のチャンスを
作ったが、ここで広島は抑えのエース津田。吉村を三振、クロマティを
中飛に打ち取る。9回広島は達川のソロでダメ押し、その裏巨人は
3者凡退で6対3で広島の勝利、広島優勝!
- 73 :
- >>60
ただロッテだけが清原人気の恩恵の蚊帳の外って感じだったな。
- 74 :
- 今思えばこの年のタツノリの巨人軍史上最低の4番打者としての日本中からの叩かれぶりは
彼の現役生活の中で多分一番酷かった様に思うね。尤もそれも逆に考えりゃ当時は如何に
今よりも娯楽がずっと少なくて日本人の多くが野球それも巨人を夢中になって応援してたかって
ことだろうな。まだまだ牧歌的な時代だったな・・・。
- 75 :
- 今年の村田を見ると原が叩かれたのもよくわかるな
今年の村田は原の東京ドーム時代みたいな数字だし
- 76 :
- 巨人ファンにとって一番悔しいシーズンだったことは間違いない。
- 77 :
- >>76
骨折するまで原を何が何でも4番で使い続けた王にはファンは皆怒り心頭だっただろうな。
- 78 :
- この年さんざん叩かれまくった原だがそれでも113試合出場でシーズン自己最多の36本塁打を放っている
- 79 :
- >>78
オフの契約更改じゃその36本塁打を評価しろなんてお門違いなアピールして
球団から、はあ?て感じで一蹴されたんだったな確か・・・。
- 80 :
- それに幾らシーズン自己最多なんて言っても殆どがどうでもいい場面での
一発ばっかだったからな。
- 81 :
- この年だっけ?
パンチョさん司会のパ・リーグ情報番組がテレビ東京系列で放送始まったの?
- 82 :
- そういや思い出した…何よりこの年はシーズン中にも況してオフのストーブリーグが
落合騒動で嘗てないぐらいに燃え上がった年だったな。日本中が一体落合がどうなるのか?
巨人へ行くのか?てな感じだった。多くのリーマンがハラハラしながらスポーツ紙を
読んでたもんだったな。事の発端は日刊スポーツの「原放出、落合と交換か?」の大見出しの
一面だったが、当時の長嶋派主力選手は皆戦々恐々だったみたいだな。
- 83 :
- >>82
俺はロッテが三冠王を放出、なんてあるわけないよ、と踏んでた。
毎日大騒ぎしていたが、スポーツ紙にありがちな針小棒大な記事、と
タカをくくっていた。実際ロッテの球団社長だったか?「落合の放出
はない」と公式発表もしたし。
- 84 :
- >>83
当時の松井球団社長が「落合は出しません!」と何度も何度も記者団に向かって
力込めて断言してたのが印象的だったな。俺もそれ見てて、泰山鳴動して鼠一匹、の
結果に終わりそうだと思ったが…確かイブの晩だったと思うが、あの中日への
電撃トレードは本当に衝撃的だったな。
- 85 :
- この年の年末と次年始のテレビには、たけしやさんまに匹敵するぐらい落合の顔を見た記憶がある。
- 86 :
- >>85
加トちゃんケンちゃんに出てたのを覚えてる
探偵物語の犯人役だったかな
- 87 :
- >>85
落合と同じくらい清原の顔もよく見たもんだったな。
- 88 :
- あ、たけしは事件で出てなかったのか。でもかなり撮り溜めしていて、その分は放送したんだよな。
渡辺正行が落合役で「落合博満物語」をやっていた時は流石にいい加減にしろと思ったものだ。
- 89 :
- 当時のロッテから全国区だもんな
- 90 :
- 俺だけかも知れないが、広島の128試合目は甲子園の阪神戦
阪神ファンは巨人の優勝を阻止してほしかったのかその日の甲子園は
阪神が点を取ってもあまり盛り上がらず遠慮気味の応援だったような気がした。
- 91 :
- >>90
確かそん時の先発が遠山だったっけ?(否前日だったか?)それまで広島に滅法強かったのに
その試合じゃメッタ打ちにされてたもんな。
- 92 :
- >>87
そういやその年の紅白じゃ新人王として清原じゃなくて長富が出てたが
清原はスケジュール的に紅白には出られなかったんだろうな、て長富が出た瞬間
すぐに思ったね。
- 93 :
- レコード大賞だったような
- 94 :
- >>93
そういやそうだったかな…記憶が思いっきりごっちゃになってたな。
- 95 :
- 落合のトレードが発表されたのは12月23日だったが、俺は全く知らず、
カトちゃんケンちゃんの番組に落合が出ているのを眺めていた。
加藤茶が「3人でカトちゃん、ケンちゃん、おっちゃんだ」なんておどけてい
た。
その翌朝の新聞で「落合、中日へトレード」を目にし、ビックリ仰天した。
当時、高校生だったが、全スポーツ紙を買い込んだ。
- 96 :
- >>88
夫人役がかたせ梨乃だっけ?w
なんというリアリティーの無さ。
- 97 :
- >>96
それは1993年の『悪妻は夫を伸ばす!落合博満夫婦物語』だろ!
ちなみに落合役は布施博
- 98 :
- >>84
この大トレードで中日からは牛島、上川、平沼、桑田の4人もが見返りにロッテに放出されたが
その中で牛島は引退覚悟で最後までゴネ続けたんだったな…1001に必死に説得されて結局ロッテ行きを
了承したみたいだが。
- 99 :
- >>98
しかしこの4人って、文句なく一流は牛島だけで、あとはイマイチの奴ばかり
だったな。このメンバーで中日から話が来ているがどうだ?と巨人に話もちか
けたら、もっと良い選手取れたかも知れない。
- 100 :
- 巨人も
篠塚、西本、松本から二人とか
その程度だったよ。
- 101 :
- >>100
張本にしたってこの年の場合で云うなら篠塚と西本で落合を獲った様なもんだったからな。
- 102 :
- 掛布が骨折しなければ
清原をクジで獲得すれば
V2もあった阪神
1遊 真弓
2中 吉竹
3右 バース
4一 清原
5二 岡田
6三 掛布
7左 柏原
8補 木戸
- 103 :
- >>102
掛布が骨折しなかった場合清原が出場出来るチャンスなんて極々限られただろうな。
- 104 :
- >>103
俺もそう思う
清原は実力もあったのだろうが
堤オーナーの「客を呼べるスターに育てたい」って意向が働いたことも
出場が多かったことにつながってると思う
それでもフル出場ではなく片平と併用だったし
阪神は優勝フィーバーの余韻が残る中、バース掛布岡田とスター選手も揃っていたし
清原に関してはじっくり育てよう、ってなってたんじゃないかな?
- 105 :
- >>104
掛布が骨折しなけりゃ1,2年目は出られるチャンスはかなり限られただろうな。
それでも3年目からは村山の若手積極起用策で八木なんかと共にほぼ間違いなく
レギュラーとして定着出来ただろうね。
- 106 :
- >>101
ちょっと違うでしょ。
公最終年のハリーの成績は不本意な成績。
その前年も首位打者こそ取ったものの、本塁打が少ない。
巨人に来て復活したという感じ。
一方、落合は三冠王取った年。
絶頂期にあった落合と、
衰えてきたかな?と判断されても仕方の無かったハリー。
- 107 :
- >>105
その八木も掛布の骨折による不調が翌年も続いて
チャンスが巡ってきたわけだからね
あの骨折はチームだけでなく選手個人個人のその後にも大きな影響を及ぼしたね
- 108 :
- 清原が南海や阪急近鉄だったら歴史は変ったよな
清原の気質からしてこの関西球団には意外と入りそうだ
- 109 :
- 原は骨折しなかったらもっと打ててたんかな
でも復帰していきなり打率307、34本はどう見ても凄い
- 110 :
- >>104
片平との併用は最初の内だけで間もなく片平をDHに追いやって一塁に定着したからな。
片平は当然面白い訳がなかっただろうが清原が「お父ちゃん」と慕って来てたのが
憎めなかったみたいだな。
- 111 :
- 散々不人気と煽られた広島だが、優勝を決めた神宮球場の雰囲気は別格だった。
後にも先にもあれだけの雰囲気を感じた事はない。
- 112 :
- >>111
でも日本シリーズが行われた西武球場では広島ファン2割ぐらいしかいなかったよね?前年の阪神ファンの声援に比べるとかなり見劣りした。
- 113 :
- 平日の昼間だから、しょうがない。
しかし、この頃は広島不人気というイメージは
無かったんじゃないかな。
- 114 :
- 山本浩二がいるのが違う。
- 115 :
- >>114
シリーズ第1戦での9回裏の小早川に続く同点アベックアーチは改めて最後迄
主砲としての存在感を知らしめてたな。シリーズにしろシーズン中にしろ、
この年に関しては本当に衣笠とはえらい違いだった。
それとシリーズの敗戦後に選手から胴上げされて泣いてた姿には思わず視てた俺も
泣きそうになったな。
- 116 :
- 公式戦現役最終戦の優勝決定試合でも打って最後を飾っていたな。
日本シリーズでも浩二らしく右翼スタンドへ。
- 117 :
- 不人気 ×
不入り ○
- 118 :
- 阪神はビックリするくらい主力が劣化したよな。86年前後は
- 119 :
- 山本浩二、最後の年まで4番打者として十分な働きをして優勝に
貢献だもんな。カッコよすぎる引退だ。
- 120 :
- 一方衣笠は今年の某レフトと比較されるほどの老害と化した
- 121 :
- >>118
掛布の骨折を皮切りに一気にそうなったって感じだったもんな。
- 122 :
- >>120
でも某アニキと違って、第1打席だけで引っ込んでたから害は少なかった。
- 123 :
- >>122
正確には5回終了試合成立を待って、だから2打席は回ることが多かったよ
- 124 :
- そう
甲子園の広島も、今みたいに一角と言うことは無かった
巨人に次いで人気あったと思うがな
星野来てからは中日に変わったが
- 125 :
- 掛布骨折により、まず岡田とバースの役目があやふやに
で最初は真弓を三塁に回し、5番を打たすが全く機能せず真弓を1番に戻してから岡田を4番、で5〜6番は長崎 佐野 移籍してきた柏原で回し、柏原は三塁やバースが怪我の時、3番も打った。で穴は埋めた。
- 126 :
- バースだけは前年並みに活躍するが、岡田は掛布の分までものプレッシャーで劣化。移籍してきた柏原が埋めるも、掛布までは行かない中で掛布を3番で復帰。バースを4番
それからは4連勝で1敗挟み9連勝
の中であったのが
『神様バース 7試合連続ホームラン』
- 127 :
- 8試合かかったヤクルトは、異様な中で打線大爆発し打者一巡でバース四球。
でも勢いはそれまで。ことごとく大洋にやられてから広島で貧打に逆戻りし終了
だけなら良かったが若手使わなかったツケが結局、18年に及ぶ暗黒となる
- 128 :
- >>122
いやそれは引退の年である翌年詰まり87年の場合ね。この年衣笠は絶不調にも拘わらず
阿南はよく我慢出来るなってぐらいフルで辛抱強く使い続けた。
- 129 :
- TBSが開幕戦特番みたいな形で
各球場の中継を交互にやってた記憶がある
メインは西武-南海だったけど
広島とか横浜とかも割り込み中継があったはず
- 130 :
- >>129
清原の初打席を中継しようと必死だったんだよな。
結局開幕戦に清原の出番なく、TBSは涙目。
- 131 :
- いまから考えると、この年あたりから、パリーグからおっさん臭さが消え始めるというか、
「ヤング」へのシフトが始まったのかなあ。
清原入団、西崎がこの年のドラフト、工藤、ナベQは広岡管理野球から解放されて、
公私で弾けはじめるってな感じか。
- 132 :
- 真弓も采配や統率力あれば、阿南になれそうだがな
連続試合の縛りも一緒だし
- 133 :
- >>128
あ、そうか。1年違ってたスマソ
- 134 :
- >>131
いや実際にそうなり出したのはこの年じゃなくてその翌年からだったと思うね。
この年のオフに西武に残ってたベテラン勢が永射、片平、太田、田尾・・・と
東尾以外全員一掃されたのが象徴的だったな。
- 135 :
- >>125
で最初は真弓を三塁に回し、5番を打たすが全く機能せず真弓を1番に戻してから
ああ、いくらクリーンナップをバース、岡田、真弓がカバーしても北村や吉竹じゃ
出塁少なかったろうから機能せんわなあ・・・
- 136 :
- 阪神が落ちた理由もわかりやすいよな
バース掛布岡田真弓以外の野手が小粒過ぎた
バース掛布が消えて、真弓岡田では小粒すぎる
- 137 :
- 岡田はこの年自打球で怪我した
その状態が酷い中無理して試合出てたのもあって成績が伸びなかった
- 138 :
- 巨人は8月後半に行われた広島との天王山で2連勝し5.5ゲーム差を
つけたが、3タテを逃したことで、広島を潰しきれなかったんだよね。
91年にも中日が広島との3連戦3タテを逃したことで、広島をよみがえらせてしまったことが
あったが、その時と流れがよく似てる。
また9月後半に行われた最後の決戦では逆に広島が連勝し(初戦で広島が奪首)
更に原の怪我で終わりかと思われたが、3タテはなんとか回避し
今度は逆に広島が巨人を仕留め損ない、巨人が勢いづく結果になり
巨人はその後、確か8連勝。
しかし広島も全く負けず、結局あのブロハードの一発が全てを決めることに
なってしまった。
- 139 :
- 巨人は試合消化数と負け数の多さが最後まで響いた。
8月に5.5差開いた時点で選手、首脳陣に心の隙ができたのもV逸の原因だろう。
相変わらず試合数、負け数が先行していたのだから
逆に−1.5ゲーム差くらいの気持ちならば逃げ切れたと思うのだが。
多くの巨人ファンは余裕で優勝と騒いでいたが、
冷静な評論家はいくらゲーム差が開いても負け数で並ばない限り、
巨人が圧倒的不利だとコメントしていたのが印象的だった。
- 140 :
- 終盤に広島が猛追し始めると、チャンスに打てない原に苛立つ巨人ファンのフラストレーションが、
これまでにない程の原バッシングとして現れた。
この年に優勝を逃すと巨人初の3年間優勝無しになるのだから無理も無いか。
- 141 :
- >>140
優勝なしは、長嶋巨人の78〜80年の三年連続があったのでは?
- 142 :
- もしも川口の故障が無かったら森西武の初日本一は翌年だったかも?
- 143 :
- >>140>>141
正確には、「巨人軍初の新監督就任後3年連続V逸」
- 144 :
- 阿南は本当に固定してた
1遊 高橋慶
2右 山崎
3一 長内
4左 山本浩
5三 衣笠
6中 長嶋
7二 正田
8補 達川
- 145 :
- >>138
あの後中日戦には全勝しかも殆ど完封勝ちだったからな。
- 146 :
- しかし広島も最後のヤクルト戦に
負けるどころか引き分けでもV逸してたのに
全く負ける気がしなかったよな。
他チームのファンがそう思うならともかく
カープファンも余裕ぶっこいてたし
ヤクルトはその年は最下位だったが、オールスター明け
あたりに3タテ食らうなどカモにしてたわけじゃない。
年間の対戦成績も確か五分五分くらい。
普通に負ける要素結構あった気がするんだがw
- 147 :
- >>146
>しかし広島も最後のヤクルト戦に
負けるどころか引き分けでもV逸してたのに
正しくは残り2試合のヤクルト戦を1分1敗でも優勝。
- 148 :
- あれ、そうだったか。
完全な記憶違いだ、すまん
ただその年の広島がなぜかヤクルトを結構苦手にしていたのは事実と思う。
- 149 :
- この年までの数年間、北別府は中日に滅法強かった記憶
- 150 :
- ファミスタのおかげでこの年の選手は覚えてるもんだな。
「やすだ」「おう」はいないが。
- 151 :
- きたへふは完投できる貴重なピッチャーだった
- 152 :
- >>142
いやこの年の日本シリーズで広島の出て来た投手が皆好投してた事を思えば
川口が抜けてたのは阿南ですら大して痛くはなかっただろうな。
- 153 :
- 阿南監督が優勝インタビューで
「僕は一体何もしてません、選手が全てやってくれました」
と言ってたのが印象的。
確かに戦力のある球団なら、それでいいと思うが
山本浩二が引退し、更に主力が衰え翌年になっても、やっぱり何にもせず
ただ淡々と試合を見守るだけだった。
- 154 :
- >>153
なんせ優勝の翌年も戦力はまだまだ充実しまくりだったからな。若手の育成を
恐ろしい迄に怠っていたツケがコージに全部回って来たって感じだったな。
- 155 :
- >>154
でもコージも打者は育成したけど投手はあまり育成していない、佐々岡位だろ。
- 156 :
- >>152
でも川口いたら下手すりゃ4−0引き分け1で終わってた可能性もある。
西武にとって一番嫌なタイプの投手だからな。
- 157 :
- 巨人の呪いだよ、呪い。
- 158 :
- >>156
それでも大野よりも特別遥かに好投したとも思えんな。
- 159 :
- 序盤が強かったのは意外に大洋と中日
大洋は前年やられまくった阪神に遠藤やら斎藤やらを使いまくり、木戸の弱肩を利用した機動力で序盤は勝った
中日は前年辞めたモッカに変わるゲーリー加入で序盤は勝った。しかし中盤で大洋は13連敗。中日7連敗で終わった
- 160 :
- この年の西武は守りの野球と言うより打撃野球だった。
だからバカ試合が案外多かった。
ただ今年の西武や阪神みたいに、ただ打つだけのチームとは違った。
- 161 :
- >>160
日本シリーズでゴロばかり打つ広島には笑った。
なんだあの貧打チームw
よくあれで優勝できたな。
それはそうと
大矢が分かったように、このシーズンを振り返ってる動画が
あったが、お前適当に喋ってるだけだろっていうのが
丸分かり。
- 162 :
- 日本シリーズで誰か忘れたが解説者が
「阪神の仲田や遠山を打てない広島打線が工藤を打てるわけがない」
みたいに言っていたな。いや、まったくそのとおりなんだが。
- 163 :
- この年の日本シリーズは故障した川口が参加できなかったのだが、
4年後の90年のオールスターで川口からホームランを打った清原がインタビューで、
「広島との日本シリーズで対戦して以来、その凄さは変わらずです。」などと話していた。
- 164 :
- >>163
思いっきり大野とごっちゃになってたんだなw
- 165 :
- 俺の記憶なら、マイクも遠山も普通に打ってたと思うがな広島。達川とかが嫌な所でホームラン打った印象が強かった。広島は貧打と言うより、無駄打ちが少ないと言うイメージ。今なら中日みたいな物。勝負所は打ってたよ。長嶋とか山崎とか。
- 166 :
- >>165
この年の長嶋の場合、日本シリーズで味方打線が第6戦以降ぱったり打てなくなった中で
6、7戦と一人だけ気を吐くソロを放ってたのが印象的だった。
- 167 :
- 1980年代中頃から野球ファンになった者にとっては「ナガシマ」といえば茂雄でなく清幸。
- 168 :
- 打てる気配のない衣笠を最後まで使った理由が未だに分からんw
- 169 :
- >>167
同意。むしろ、この頃の茂雄といえば「変な英語を使ってるおっちゃん」という印象しかないw
- 170 :
- >>168
日本シリーズじゃ西本幸雄が「衣笠なんかさっさと引っ込めろ」てな感じでボロクソ言ってたからな。
- 171 :
- そりゃ無理な相談だわなw
- 172 :
- 衣笠使わないにしても他にもサードが守れて打力のある選手はいなかったと思う。晩年の木下や森脇、原しかいない。小早川を無理矢理守らせる訳にもいかなかったんだろうし。
- 173 :
- >>169
茂雄もこの年は浪人生活6年目に入り世間には最早文化人のイメージが定着しつつあったな。
- 174 :
- >>173
当時50歳。ちなみにロッテの西村が今50歳。
世間的には働き盛りだと思うんだが。
- 175 :
- >>174
文化人として野球関係以外の色々な方面で多忙だったみたいだな。
- 176 :
- 巨人の宮本はオープン戦絶好調で川上氏に「10勝投手ができた。」と言われたのに1勝しかできなかった。
- 177 :
- 宮本も斉藤も、王巨人のままだったら今頃うどん屋だったかも。
- 178 :
- 前年の阪神優勝に沸いた大阪。この年は近鉄が優勝目前まで行っても
大阪は静かだった。やっぱ大阪は阪神なんだなと思った。
あの頃は藤井寺球場も自宅から1時間ほどの場所にあったが随分と遠く感じた。
藤井寺駅を降りると見知らぬ国に行ったようなときめきがあった。懐かしいな。
今では仕事で東京へ行くことも多いし今から思うと子供だったな。
初めて友達との野球観戦もこの年の藤井寺での南海戦だった。
南海も遠い存在に思えた。
- 179 :
- ,,..--―-、 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/, -----、.ヽ, / 西武日本一!
| i_,,,,_ __゙l | | 広島のマツダ賞はボッシュート!
,!、i'゙-‐-: '-、|/ / __________
/'') ..., '‐-‐、.j  ̄ ̄
/ ,‐!::...`'''''''`ノ
_,,,l ;! ::|ヽ、二 イ
, -‐'゙゛ i::.. | .ヽ/;ヽj!`‐-、_
l ノ::. .:|、 .ヽ,:ヽ| <゛~ヽ、
,:''`` ''"゙.|;;:‐''゙|.ヽ、 ヽ;::| / .|゙l
,: ヽ::il;;! ヽ、ヽ| / | :|
i o゚ :`;''゙ ヽ| / | .|
i ..:::::,:::'::::: . |゚ |,,;:->、
`.、__;;/:::::::::: : | !''" |
⌒ ⌒ ⌒
_⌒ ⌒ ⌒__
/:::::Λ_Λ:::::::::::::::/
/::::::(∩;´Д`)∩ :::::/
/:::::::( ルーチェ/::::/ チャラッチャラッチャーン
- 180 :
- その番組はこの年スタートなはず
- 181 :
- 【84年日シリ】
\ MVP貰ったよー! /
___ _
/ ____ヽ /  ̄  ̄ \
| | /, −、, -、l /、 ヽ
| _| -| ・|< || |^ |―-、 |
, ―-、 (6 _ー っ-´、} q -´ 二 ヽ |
| -⊂) \ ヽ_  ̄ ̄ノノ ノ_/ー | |
| ̄ ̄|/ (_ ∧ ̄ / 、 \ \. | /
ヽ ` ,.|  ̄ | | O===== |
`− ´ | | _| / |
| (t ) / / |
長嶋 古葉
【86年日シリ】
長嶋「工藤に遊ゴロで打ち取られちゃった…」
,-――-、 ___
{ , -_−_− / _ _ ヽ
.(6( /),(ヽ| / ,-(〃)bヾ)、l 阿南「うち打てなさ杉だろ常考…」
/人 ー- ソヽ _ | /三 U |~ 三|_
/ / |  ̄_∧/ ヽ |(__.)―-、_|_つ_)
| | \/_/-、 / / /`ー--―-´ /
|-\ _|_ )_| / | // ̄( t ) ̄/
ヽ-| ̄| |_|_ / ,− | | ヽ二二/⌒l
/ l―┴、|__) | (__> -―(_ノ
/ `-―┘ / `- ´
/
- 182 :
- 「悲しき近距離」
>>178
84年4位、85年3位。岡本伊三美が監督になってからの近鉄は5割近辺を行ったり来たりのチームで前任の関口清治の時から優勝争いに
絡めないが最下位争いをするほど弱くもないという状態だった。そんな事もあって86年の下馬評も高くはなかった。
鈴木啓示、加藤秀司、有田修三が抜けたのも戦前予想で不安視された一因だった。
しかしそんな不安を投手では小野和義、佐々木修。打線では金村義明がレギュラーに定着し捕手でも山下和彦が梨田昌孝と併用される
ようになった。4選手とも20代前半という若手が台頭した。前年から活躍していた石本貴昭(23歳)も登板、イニング数にこだわらず投げ続けた。
新井宏昌が加わった打線はさらに得点力を上げ、序盤から首位争いを演じた。5・6月に現れた最初の相手は阪急だった。
その阪急を振り切って球宴首位ターン。それ以降は6月からの快進撃で浮上した西武とのマッチレースになった。
9月からはまさに西武との死闘。9月30日にM10を点灯させると、10月2日今度は西武がM6を点灯させる(直後連敗で消滅)展開。
両チーム残り4試合で近鉄が2位西武に0.5差の首位でM3。勝負は近鉄が阪急と、西武がロッテとの各4連戦に委ねられる形となった。
しかし頼みの石本が打たれるなど4試合で1分け3敗、それを尻目に3勝1分けの西武が逆転優勝した。この年ポスト鈴木啓とも言われた
ベテラン左腕・村田辰美は終始安定していたが球宴明け2勝7敗の小野、そして同じく後半戦4点台の防御率だった石本の酷使が
息切れの原因となったのは否めない。コーチ陣も呆れるほどの岡本の強引さ、頑固さは諸刃の剣だった。
この辺りで西武に引けを取っていたが、西武に負けない若手の活躍や打線の勢いは6年ぶりVを予感させるものだった。
これだけの個性派集団がパシフィックの覇権争いをしても、前年のトラフィーバーの余熱に観客動員で全く及ばなかったのはあまりに悲しい。
阪神は8月上旬までは3差で巨人、広島を追走していたが以後失速。藤井寺から甲子園まで徒歩と電車で行けば移動時間約30分。
この年は同じ優勝争いをした阪急の観客動員を足しても阪神の236万人に及ばなかった。
- 183 :
- >>182
近鉄、阪急共に西武戦は清原のおかげで客入りがよかった。
- 184 :
- 清原は近鉄の小野、南海の藤本修と、自分に近い醤油顔系統の投手相手に記念となるホームランを打ってた記憶がある。
- 185 :
- 86年から89年くらいまで清原の影響か大阪は西武ファンが多かった
巨人ファン兼在阪パリーグファンは全員アンチ西武だった
- 186 :
- 中日ゲーリー36HR!応援歌は勿論狙い打ち♪、でも翌年落合のマネしたのにはビックリ☆。
- 187 :
- wwwwwwwww
- 188 :
- >>184
ナベQが投げるとほんとによく打ってたのも印象的だったな。
- 189 :
- >>186
関東での応援歌では名古屋はええよやっとかめだったな
- 190 :
- >>186
マネして見事に巧打者に変身したからな。
- 191 :
- もしカルロスポンセが来たら
1遊 真弓
2中 北村
3一 バース
4二 岡田
5右 ポンセ
6三 掛布
7左 柏原
8補 嶋田宗
代打 長崎 川藤 永尾
弘田 佐野
代走 吉竹 大野
守備 平田 山脇
優勝出来たかも
- 192 :
- >>191
ムリ。せめて、ショート:平田、レフト:ポンセ、ライト:真弓
だったら少しは可能性あっただろうけど…。
- 193 :
- 補足。
それをやるためには、「ゲイルをクビにする」という前提条件が生じるわけだが(当時は外国人枠2名)、
前年に2ケタ勝利を挙げ、優勝に貢献した投手を(新外国人選手補強のために)やすやすとクビには
しないだろうから、まあ優勝はムリですな。
- 194 :
- でもゲイルは翌年勝てなかったからな
池田辺りが本格的エースにならなかったのが痛い
日本一になったからこその補強
必要だった
今みたいに下にはいなかったし
横谷 宮内 中野
ではやはり苦しい
ポンセ ゲーリー
ブロハード ブコビッチ
レオンでもリーでも良かった
- 195 :
- まあ、打線だけならヨソのチームとも対等に渡り合えるでしょ。
その代わり、投手陣が心許なくなるな。10点取っても11点取られるようじゃ、話にならんし…。
- 196 :
- 大洋・近藤貞雄監督がヤクルトに負けた後、
「ヘボに負けたらヘボヘボだ」と発言したこと
は既出?
- 197 :
- 巨人と広島の優勝争いだが
巨人の優勝を阻止したいために阪神ファンが
終盤の広島戦で遠慮気味な声援を送ってた気がする
- 198 :
- この年何気に稲尾ロッテvs杉浦南海という往年の名投手監督対決が実現してるんだよなあ。
もっともこの年ロッテ4位、南海最下位だったし、パの人気が上がって来ていたとはいえ
まだまだマスコミの扱いは低かったからロッテvs南海戦に注目することなんかなかったが、
今考えると1試合でもいいから川崎球場でこのカードを堪能しておきたかったと思う。
- 199 :
- 稲尾西武と杉浦南海だったら盛り上がっただろうね。
当時の西武が稲尾を監督にすることなどあり得ないが。
- 200 :
- 中日ドラゴンズ唯一の暗黒時代
後25年で暗黒と言えるのは95 97 01位
田尾をトレードで出し谷沢劣化。ゲーリー扇風機で宇野の大不振
投手陣も壊滅
- 201 :
- >>200
中日は、2年前(84年)の恐竜打線がウソのようだったな
- 202 :
- でも人気は今よりあったなぁ・・・中日
- 203 :
- 8月末の5.5差でもカープファンは全く諦めていなかった
でも衣笠はスタメンから外して欲しかったw
- 204 :
- 衣笠を外したら小早川がサードか?
あるいは新外人獲得したか?
1遊 高橋
2右 山崎
3一 長内
4左 山本浩
5三 レオン
6中 長嶋
7二 小早川
8補 達川
- 205 :
- セカンド小早川・・・。
あの動きでセカンドなんかやったらw
- 206 :
- 実際にあったんだな。セカンド小早川
- 207 :
- 小早川のルーキー時代ってセカンドのイメージだが
ファーストは長内か衣笠
サードは衣笠固定
外野手は
レフト 山本浩二
センター 長嶋
ライト 山崎
少し落ちて斎藤か西田
セカンドも正田が来るまでは木下だった
だから入る枠がないから
- 208 :
- >>207
小早川のルーキー時代はファースト
長内は58年と61年のファーストのレギュラー
長内と小早川を二人とも使いたいから小早川セカンド案が61年のシーズン前に出てきた
- 209 :
- >>90
確かにそう思った
- 210 :
- 横浜の近藤に苛められたせいで阪神は長期低迷の暗黒時代に突入してしまった。
巨人にはあっさり負けてたくせに
- 211 :
- 確かに開幕戦3連敗は痛かったが、あれはストライクゾーンの変更もあった
ただただ掛布の骨折が痛かった
防御率は前年より良かっただけに余計
- 212 :
- 掛布骨折以降、5〜6番
佐野 柏原
佐野 長崎
長崎 柏原
柏原 佐野
やはり掛布の劣化見越し、外人を取るべきだった
- 213 :
- 絶対的存在のバースがいたからね。
ルーキー遠山(翌年以降はダメだったけど後年松井キラーとして復活)の出現とマイク仲田の成長位しか明るい見通しは無かった年だった。
近藤大洋に苛められた他、8月の後楽園で巨人に3連敗するなど6連敗したのが痛かった。
- 214 :
- カケフの代わりにサードに山口ってのが入ったのを急に思い出した
- 215 :
- ゲイル、後のキーオと2人枠のうちの1つを投手に使ってたからね。
- 216 :
- >>214
その年はまだ山口いなかったような。
山脇じゃないの?
あと掛布の代わりのサードに真弓や柏原、渡真利なんか使ってたような。
- 217 :
- >>194
池田はこのシーズン、5月上旬までに4勝(全て完投)を挙げていたが、
5月下旬の巨人戦で松本に足をスパイクされて負傷して長期離脱したのが痛かった。
タラレバは禁物だが、この怪我が無ければ・・・
- 218 :
- >>200
92年は?
86年と92年以外は阪神と最下位争いみたいな感じだったよね?
阪神は毎年最下位が指定席のような時代でたまに最下位免れた年には代わりに中日がなってくれてた年もあったな
- 219 :
- しかしこの2つがビリ争いなんて今じゃ考えられないな。
- 220 :
- 92年中日は、そこまでヒドくはない
確かに星野監督翌年だから酷いイメージあるが
今中の故障と西本の大不振
これが無かったらそこそこ上に行けた
- 221 :
- この年、巨人はフジの中継で異常に負けていた記憶がある。
負けに負けた末、巨人がご臨終していく記録もフジが中継していた。
- 222 :
- やはり阪神・掛布は、この年のデッドボールが原因で
選手寿命を縮めたと言っていい?
その後の劣化がひどすぎる
- 223 :
- 西武ー近鉄が面白かった
- 224 :
- 手元に資料がなくてすぐにはわからないが、
86年近鉄は2位(確か66勝52敗)なのに
総得点<総失点だったはず
この勝率(.559)でこれは、実はけっこう珍記録じゃないか?
- 225 :
- >>222
死球は仕方ないにしても、普段の飲酒が回復に影響を与えていた。
吉村もそうだが、普段の節制があれば、
そこまでの怪我には至らなかったはず。
- 226 :
- 殿堂板だとよく話題になるけど、セリーグMVPって結局バースと北別府どっちが順当よ?
- 227 :
- >>226
やっぱりチームのリーグ優勝に貢献した北別府じゃね?
実際は誰が穫ったか忘れたけど
- 228 :
- 原が津田の投球を打ってファールした際に骨折した。
この年、原はなんだかんだ言われながらも40本の大台に乗るペースで打っていた。
バースとホームラン・打点でタイトル争いもしていた。
この年の打席に立つ原には今後タイトル争いに加わるだろうという雰囲気をなんとなく感じた。
しかし翌年の原は3割は打ったが40本以上打つ雰囲気は消えていた。
(スイングが軽くミートに重点を置くバッティングのように見えた)
- 229 :
- >>228
この年の原は、確か113試合で36本の本塁打を打っていたはず
40本もギリギリいけたかも
つくづくもったいないな…
- 230 :
- 柏原ってこんなに凄かったのか?
ぐらい復活した。
右狙いで1〜2塁間を抜くヒットは円熟味があった。
- 231 :
- 北別府は連戦連勝といった感じだったな。
- 232 :
- 後半戦はコントロール、配球とも完璧だった北別府。
打たれる気配無し。
スライダーをアウトコース低めギリギリに入れたり出したりする投手は最近いない。
審判にも好かれた年だったと思う。
- 233 :
- もし巨人が優勝だったらクロマティーが有力だったかな。
結構活躍してたから。
- 234 :
- うむ
- 235 :
- >>233
「もし」なんて無いんだけどねw
優勝は広島でMVPは北別府が現実
- 236 :
- 確かこの年ぐらいからだったな。西武を巨人と並んで行きたい球団に挙げるドラ1候補が
一気に増えだしたのは。阿波野だってパリーグでも西武には行きたがってたからな。
- 237 :
- 前半はともかく、後半戦ではすでに暗黒阪神と化していたな・・・
- 238 :
- >>235
北別府だったっけ?
- 239 :
- >>237
でもその年のオフ、田尾がトレードで阪神へ来ることになり「これで打線の破壊力が増して
再び優勝候補間違いなし」なんてトラキチや関西マスゴミは大はしゃぎしてたんだったな。
まさにこの年のオフは、阪神が完全な暗黒時代に突入しようって直前の、トラキチたちにとっちゃ
いっときってか束の間の幸せな時期だったな・・・。
- 240 :
- 1 真弓
2 田尾
3 掛布
4 バース
5 岡田
6 佐野
更に強力打線やあ〜〜〜みたいな感じだったような・・・
つうかこの打線なら誰がセンター守るんだって思うがw
- 241 :
- そもそもこの時代って
守備力のいいセンター自体が少なかった記憶が
当時の12球団のセンターで今でも名手として通用するのは
せいぜい屋敷と平野ぐらいじゃないかな
- 242 :
- 今となってはセンタークロマティで固定とか正気の沙汰とは思えんわなw
あの頃の箱庭球場メインだったNPBだからこそではある
- 243 :
- >>241
この年の翌年からセンターにコンバートされた秋山の守備力は当時のセンターとしちゃ
本当に飛び抜けてたな。
- 244 :
- >>235
こんなことドヤ顔で言う奴に限って自分に都合の良い現実に対してはこんなこと言ってても
自分が受け入れられない現実に対しては「もし〜だったらこうなってたのに・・・」なんて
ウダウダ愚痴ってたりするからなw
- 245 :
- >>241
吉竹、北村とか、使いこなせず放出しちゃったんだよな
- 246 :
- >>245
しかもどちらも西武が美味しく頂いたってのがね・・・
- 247 :
- 北村はともかく、吉竹は西武のスター選手たちの中で
しぶい仕事してたもんなあ・・・・
- 248 :
- 神宮での槇原(巨人)から打ったブロハード(ヤクルト)のホームランは
印象深い。
- 249 :
- >>247
いや北村だって西武でも殆ど守備固め要因ながらファインプレーを度々見せてたからな。
- 250 :
- 北別府(広島)は、安定してたね。
- 251 :
- >>250
でも日本シリーズじゃ、この年のシーズン中は散々だった東尾と二度投げ合うも、味方打線は碌に点を取れず
北別府自身4度目のシリーズ出場でまたもや勝てなかった運の無さだったな。
- 252 :
- >>242
後楽園時代のクロウよりも東京ドーム時代のクロウの方が守備はサマになっていた
皮肉w
やれば出来る男だよ彼は。
- 253 :
- 東京ドームもセンターはやはり広いからね。松井もセンターにコンバートされた
時はひいひい言ってたし。
クロウもドームになって急にしまったプレーをするようになった。
- 254 :
- >>224
近鉄はシーズン終盤まで独走状態で優勝秒読み段階でまさかの大失速。
岡本監督が年甲斐も無く泣いていたのが印象的でした。
- 255 :
- クロウはドームのセンターからでも
精度のいいバックホームをしてたからな。
地肩も強いし、ちゃんとやればできる選手だった。
だからこそ怠慢プレーがもったいない。
まぁある意味いまだに語り継がれるプレーをしてくれたわけだが。
- 256 :
- クロマティの走力でセンターというのはちょっと・・・。
西武で吉竹は、特に打で活躍した印象が強い。北村はその守備力が、
強力外野陣の中で霞んだ。苫篠や西岡がいたし。
- 257 :
- >>256
逆に言えば北村の守備力でさえ西武外野陣の中じゃワンオブゼムになってしまうぐらい
如何に当時の西武の選手層が物凄く厚いものだったかってことだな。
- 258 :
- 西武の外野は打って走って守れないとレギュラーを獲れない。
あの田尾でさえも厚い壁に阻まれた。
- 259 :
- 広島-西武の日本シリーズの初戦。9回の山本浩のホームラン。あの打球でホームランっておいおい・・・
- 260 :
- センターじゃないけどレジー・スミスの怠慢プレーも酷かった。
シーズン中は弱肩のレッテルを張られるほど。
そんなレジーも83年のシリーズでは矢のような返球を放っていた。
- 261 :
- >>259
打たれた東尾も言ってたんだったな・・・「西武球場だったらただのフライだった」てね。
- 262 :
- そういえば、日本シリーズの時に、西武のコーチ(確か伊原だったと思う)が、
広島市民球場で、「この球場の両翼って実際には何メートルなのかな」と思って、
巻き尺を持って測り始めようとしたら、球場の関係者が飛んできて、
「お願いですからそれだけはやめてください!」と制止したという話を聞いたことがあるけど、
あれは本当だったのかな?
- 263 :
- >>262
その話の東京ドーム版もあった。
東京ドームの場合は伊原役が落合になっていたが
- 264 :
- その手の話で一番有名なのは
なんといっても後楽園での上田監督だろ
- 265 :
- 日本の球場をリトルリーグの球場だと吐き捨ててアメリカに帰ったダン・ミセリ。
活躍出来なければ只の負け犬。
- 266 :
- >>259
テレビ解説してた村山実は「西武球場なら入らなかった」と言っていた
- 267 :
- >>266
「あれは絶対フライやで」とか言ってたもんな
- 268 :
- >>266
当然村山も現役時代は広島球場の広島戦じゃあの狭さに散々泣かされただろうからな。
- 269 :
- 村山の時代は特別狭い方じゃなかったでしょ
当時から狭いと言われてたのは東京スタジアムとかかな
- 270 :
- 広島って86〜91はずっと貧打だよね。
投手力だけのチーム
よくあれで二回も優勝できたね。
今の中日と被るわ
- 271 :
- 4番西田とかね
- 272 :
- >>270
投手陣が12球団中総合力で並はずれてたからな。どれを取っても非の打ちどころがなかったからね。
この当時巨人は左の先発が不在だったし、西武は抑えが事実上不在だったからな。
- 273 :
- >>269
まあ甲子園は村山の現役当時は断トツの広さだったのは間違いないだろうからね。
その点じゃ村山始め当時の阪神投手陣は恵まれてた方だっただろうな。でも打線は
余りに打てなさ杉だったってのがこのスレ当時の広島と見事に被るね。
- 274 :
- う〜ん、ただピーコが監督になるまでとなった後とでは
同じ貧打っていっても違うと思うよ。
アナン事務総長までのカープは貧打とはいえ
決めるべきとこでは決めてるチームだと思った。
- 275 :
- そう
貧打と言う成績でもなかったし
ホームランは確実に3ケタだったし
西田 長嶋 長内
正田etc
派手でなかった分印象が薄かったのだろう
嫌なチームだった
- 276 :
- 88年は実に酷い打撃っぷりだったな。
- 277 :
- >広島って86〜91はずっと貧打だよね。
>投手力だけのチーム
大洋のスーパーカートリオの影で目立たないが機動力も結構あった。
- 278 :
- 1番から3番まで全員スイッチなんて、そうそう見れるもんじゃないな
- 279 :
- このころは、まだカネヤンの解説が聞けたんだよな。
時に表現が詩的だったりして、実に面白かった。
- 280 :
- 日本シリーズ2戦終了。86年のシリーズを思い出した
- 281 :
- >>280
まさに86年の再現になりそうだな。貧打線と云う点に関してはね・・・
- 282 :
- >>281
再現どころかこの年を上回るものになったなw
- 283 :
- >>279
「根性!根性!」「走れ走れ!」のフレーズだけが耳に焼き付いてるがなw
- 284 :
- >>249
北村の最大の功績は中日に預けていた鈴木康友の受け出しに使われて、
その康友が日本シリーズで川口から決勝タイムリーを打った事だな。
- 285 :
- この年の丁度今頃っていや落合がどうなるかってのをかなりの割合の日本人が
固唾を呑んで注目してたな。今考えりゃ本当に牧歌的な時代だった・・・
- 286 :
- >>273
ラッキーゾーンの甲子園は膨らみが110メートルでしたからね。
両翼も91メートルでしたから。
だから他の球場と比べても大差無かったですよ。
- 287 :
-
ワイが聞いた情報によると、もうじき中国はバブルがはじけて昔の貧乏な中国に戻るらしい
もう経済は破綻してて、取り戻すのは無理なんだそう
その世界ではごっつい有名な政府関係者筋から聞いた確かな情報や
まあお前ら頭の良い連中には、今さらなくらいのネタや、
お前らからすればもう常識的なくらいの知識や
- 288 :
- >>285
俺も当時は毎日の様に色々なスポーツ紙を入念に読んでたもんだったな。巨人の誰が
交換要員になるのか、てそれだけでも興味津々だった。
- 289 :
- 大洋に弱かったのが痛かった阪神
何だかんだで6月後半から4連勝
1敗を挟んで9連勝
バースの7試合連続ホームランもあり行ける可能性あった所で地方球場の大洋に連敗
これはかなり痛かった
今思えば、ゲイルを早くから解雇をし、掛布の穴埋め出来る外人を獲得してればV2もあった
1右 真弓
2中 吉竹
3三 ホーナー
4一 バース
5二 岡田
6左 柏原
- 290 :
- 吉田っていいように横浜の鯨にやられまくりだよな…
第2期もあれなうえ、98最後あたりの直接なんかみじめすぎて甲子園かハマスタかわからん客入りだし。
- 291 :
- >>289
キーオおらんかったらマトモな
先発一人もおらんやん
- 292 :
- 終盤の広島に対する中日の犬っぷりは凄いかったw
- 293 :
- キーオいてもあれだけ惨敗したんだから
ホーナー取った方が池田や仲田が一人前になれた?
- 294 :
- >>292
殆ど完封負けばっかだった様に記憶してるね
- 295 :
- >>292>>294
八百長とは言い過ぎだが、巨人の優勝を絶対阻止しようと
必死に手抜き行為をしていたことは確かだねw
日刊ゲンダイや某解説者もこの件に触れて
「巨人の優勝は絶対ない」と言い切っていた。
- 296 :
- 終盤の監督は高木だっけ?
あいつ八百長みたいな帳尻目立つよな、いつも。
来年からどうなる事やら。
あの大暗黒は勘弁だ。
- 297 :
- 75勝もして優勝できなかった球団ってこの年の巨人くらい?
- 298 :
- >>296
山内が途中休養したからな
- 299 :
- >>297
1971年のロッテは80勝するも優勝逃す。
- 300 :
- >>299
その年のパリーグっていや阪急が西本政権下の中でも特に強かった年だったろ?
その年の日本シリーズじゃ今度こそは阪急が巨人を破って日本一になれる、て予想が
多勢を占めてたんだったな。
- 301 :
- この年のペナントは全然覚えてない。
広島ー西武の工藤のサヨナラヒットくらいだな、パッと思い浮かぶのは。
呂ってこの年だったっけ?
- 302 :
- >>295
その前の週に巨人に3連敗くらったから、せめてもの罪滅ぼしにと思ったら4連敗というおつりが付いちゃったw
広島 8勝15敗1分け
巨人 7勝17敗2分け
巨人戦のが1年コンスタントに負けてたんだけどね
- 303 :
- >>297
1952年 中日75勝(43敗)しても3位
- 304 :
- >>39
翌年の掛布最終打席での四球とかね
- 305 :
- >>301
呂が登場したのは88年(クロマティ骨折・抹消→呂登録)。
- 306 :
- 手抜きもだけど、もうこの時期から星野新監督が多分決まってて
『無理するな』
の通告もあったんじゃないかと思う
プロ野球は、そういう世渡りも大事だし
- 307 :
- >>301
お前そん当時野球なんか全然興味なかったのか?俺はこの年のペナントから日本シリーズ、
更にはオフの落合騒動に至る迄強烈に記憶に焼き付いてるがな。
- 308 :
- 巨人 広島 西武 近鉄ファン以外は興味なかったと思う
- 309 :
- >>300
その71年のロッテはシーズン途中に濃人→大沢の監督交代劇から快進撃を続け、
7ゲーム差をたちまち逆転。しかしここ一番で阪急に勝てず、同一勝ち数も負け数と引き分けの差で2位。
ロッテを振り切ってパを制した阪急は投打に充実し、日本シリーズ前には「阪急有利」を推す声も多かった。
しかし1勝1敗で迎えた第3戦のサヨナラ負けが流れを変えてしまい、1勝4敗で敗戦。
- 310 :
- >>308
んな訳ないだろ。少なくとも・・・
阪神・・・掛布の骨折、バースの2年連続三冠王
阪急・・・アニマルの野獣的パフォーマンス
ロッテ・・・言う迄もなくオフの落合の動向
これ等は当時野球を観てた奴の多くが多かれ少なかれ関心持ってたと思うぞ。
- 311 :
- まあバースの7試合連続ホームランは記憶にあるな
後5打数連続ホームラン
5月6月のバースはすごかった
- 312 :
- この年の夏、8月下旬の巨人×広島3連戦の少し前くらいに
TBSテレビの深夜にやっていた「情報デスクTODAY」で
『特集 ファンが見た夏の夢 これだけの根拠 巨人軍優勝マボロシ物語』
というサブタイな企画をやっていたw
甲子園で巨人は勝てない、広島が中日戦を多く残しているから絶対優勝は無理など取り上げていたが、
まさか現実になることをすでに見抜いていたかのような秀逸な内容だった。
- 313 :
-
ワイが聞いた情報によると、もうじき中国はバブルがはじけて昔の貧乏な中国に戻るらしい
もう経済は破綻してて、取り戻すのは無理なんだそう
その世界ではごっつい有名な政府関係者筋から聞いた確かな情報や
まあお前ら頭の良い連中には、今さらなくらいのネタや、
お前らからすればもう常識的なくらいの知識や
まあ知らないやつのために念のためな
- 314 :
- >>313
お前巨人ファンだろ?
当時を蒸し返されて中国云々に話題すり替えかよw
あれか、あの年優勝してたら西武倒せたと思いこんでる口だろ?
仮に日本シリーズ出てたとしても後の90年同様、大恥を晒したんじゃないw
- 315 :
- >>314
313はあちこちの板に貼られてるただのコピペ。いちいち反応すんなって
- 316 :
- >>312
広島が中日戦を多く残してると言っても、その時点じゃ
8勝8敗2分け 残8
で苦戦してたのになぁ
- 317 :
- >>316
78、01年。そしてこの86年と中日は優勝戦線から大きく後退。
親会社的に一番優勝してほしくない巨人が優勝争いしていると、
相手球団に勝たせる試合運びをすることでも有名。
特徴は二線級またはそれ以下の選手をスタメン起用するなど、公然八百長をして負けてやる。
73年の阪神は緊張のあまり敗戦。先発した星野は
「巨人に優勝させたくないから、阪神に勝たせてやろうと思った」と八百長公認とも取れる発言をした。
「巨人の優勝はいかなる手を使ってでも阻止する中日」
これは野球界の定説の一つでもある。
- 318 :
- でも中日の打線自体落ちてはいたからな
宇野の大不振
補強がゲーリーのみ
谷沢や大島の年齢的な劣化
まともなのが平野と川又位だったからな
- 319 :
- 78年9月の静岡→神宮のヤクルト4連戦。
86年10月の広島での4連戦。
2001年ナゴヤドームのヤクルト4連戦。
すべて中日が敗戦→対戦相手がリーグ優勝w
2001年、広岡はラジオ解説でこの件に触れて、
「星野監督って人は現役の頃からこの時期になると巨人以外のチームには勝たせてくれるんですよ」
「私も中日のおかげで随分と良い思いをさせてもらいました」とコメント。
- 320 :
- ただ、落合ならそんなことしなさそうだよな。
てか、落合みたいな人なら80年代はかなり優勝していそう。
- 321 :
- >>317
それでも73年の場合、中日のそんな親切心にも拘わらず阪神フロントの方が、阪神が優勝しない為の
八百長同然の工作やってたのは今や周知の事実だからな。
- 322 :
- >>320
08年は?
対巨人 14勝10敗
対阪神 6勝17敗1分け
- 323 :
- 阪神は優勝争いをしていても争う相手が巨人になると弱体化する
- 324 :
- この年の阪神は強すぎたよな…。
だってあのバースがいたし、真弓、岡田、田渕も掛布もいたんだぜ…。
この年の甲子園で生で見た6月に2―0から4回裏に巨人西本から打ったバースの逆転特大3ランはとても印象的だった。あれ打ったのスライダーだね。切れあるし内角ぎりぎりのいいボールだったんだけどバースはさすがだよね。
今でも思い出してる。
印象的だった。生で見たし。
あと8月にナゴヤ球場で見た1―1ドローの中で6回表に中日小松から打った田渕のフルスイングのレフト後方の特大2ランは凄く印象に残ってる。
小松もあのボール、ストレートなんだけどきちんと腕が振れてて球の伸びもよかったね!球速も147キロだったし!
あのフルスイング、田渕現役の打席の中で1番よかったんじゃない?あれ凄い飛んだもん。
これも生で観たんだったなあ。
あのバッティングを今の若い人たちにしてほしいよ。
- 325 :
- >>323
阪神が優勝争いやAクラス争いをして競り勝てる相手は横浜(大洋)だけ
- 326 :
- なんでだろうね。
阪神って昔から大洋(ベイ)が苦手だ。
- 327 :
- 大洋は控えが本当にいなかったからな
遠藤さえ出なかったら後はのらりくらりした奴らばっかりだったし
- 328 :
- この当時の大洋っていや遠藤と高木豊だけが事実上まともな戦力だったからな。
- 329 :
- その二人と同等のレベルの選手は1位のクジで全て外したからな。唯一引き当てた竹田はあのザマだったし・・・
- 330 :
- 大洋のスーパーカートリオは広島みたいないやらしさはなかったな。
- 331 :
- 屋敷が3番レベルなんだからな
でも
高木 加藤 屋敷 ポンセ 外人 田代 山下 若菜
はなかなかいい打線なんだけど。
やっぱりバラバラだったんだろうな
当時から
- 332 :
- >>324
だってあのバースがいたし、真弓、岡田、田渕も掛布もいたんだぜ…。
たっ、たぶち???
- 333 :
- 田淵がいたらスゴすぎる打線だな
1右 真弓
2遊 平田
3一 バース
4三 掛布
5二 岡田
6補 田淵
7左 柏原
8中 長崎
- 334 :
- 真弓はともかく柏原、長崎の外野なんてザルすぎるだろ
- 335 :
- 80年代は、巨人広島が2強でヤクルト大洋が論外だったというのは本当?
- 336 :
- でも球場狭くて飛ぶボールだから守備関係ないだろ
守備専用にしたらしょぼい打線
1中 北村
2左 吉竹
3一 バース
4三 掛布
5二 岡田
6右 真弓
7遊 平田
8補 木戸
- 337 :
- その面々は結構守備もイケてるよw
- 338 :
- >>335
巨人広島中日の3強と阪神大洋ヤクルトの3強3弱の印象が強い。
ヤクルトと大洋以外の4球団は強くなったり弱くなったり波があるので
基本的には4強の戦国時代といった感じだった。
- 339 :
- 巨人と広島の投手力が抜きん出て、中日と阪神がAクラス争い
大洋とヤクルトが下位の争いと言う感じ
- 340 :
- トニー・ブリューワが来た年か
- 341 :
- 巨人、広島は常に優勝争い
中日は3年に1度くらい飛びぬけて強くなり、巨広を苦しめる
阪神は3位ぐらいには来るけど、優勝争いの本命ってほどではない
大洋は5年に1度くらい、Aクラスに滑り込んでくる
ヤクルトは論外
俺はこんなイメージだわw
- 342 :
- 今のセリーグと共通するものがあるな
巨人と広島=巨人と中日
中日=阪神
阪神=ヤクルト
ヤクルト=広島
横浜も07年までなら当時の大洋とそっくりだと思えたんだがな
- 343 :
- 阪神はそこまで弱くないような。
- 344 :
- 原は8月始めの中日戦で、鈴木康友の打球をダイビングキャッチして左手首を強打。その後騙し騙し出続けてたが
打撃が振るわずバッシングを受けた。で、9月24日、その日母を亡くした津田の渾身のストレートをファウルしてうず
くまる。あと1球の場面だったが、原は打席に戻れず代打山崎章弘が見送り三振でゲームセット。
原はオフに結婚式を挙げたが、羽織袴姿の左手首はギプスで固められていた。
2人の人間模様が見える究極の1球だった。
- 345 :
-
【特許訴訟】サムスンがアップルに敗訴 独の特許権訴訟 [01/20] ★2
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1327058030/
- 346 :
- >>285
こないだのダルでも会社の野球に興味なさそうな人まで話題にしてすごい沸いてると思ったが、それ以上だな
- 347 :
- 「西武との差」
>>182
西本幸雄時代のV2メンバーに陰りが見え始め、若手へ切り替わろうとしていた時期だった。この年の近鉄はその若手が段々と確かな戦力に
なりつつあって4月から閉幕まで常に首位を争うチームとなった。
鈴木啓示が引退した穴に同じ左腕の20歳・小野和義が台頭、柳田豊や谷宏明の衰えは23歳・佐々木修がカバーしてきた。
小野、村田辰美、石本貴昭の左腕3人が近鉄の生命線だったが前半12勝の小野が失速で後半は2勝、23歳の石本も前年からの酷使が
続いて息切れというように実績不足の投手が大事な局面で力尽きた。投手陣全体でもリーグ12位だった村田の4.08がチームトップの
防御率。小野の5.02に至っては規定投球回クリアの22人中最下位だった。当時のパ・リーグ新だった8試合連続セーブを含む
8勝32セーブを挙げ、プロ野球新(当時)となる40セーブポイントを記録した石本も8月の西武戦にプロ野球タイの1イニング4被本塁打の
不名誉やマジック3で迎えた阪急戦での致命的な同点からの3失点など夏場以降は疲れを隠せなかった。チーム総失点622はリーグ5位、
貯金14を作りながら得失点差でマイナス11。85年も貯金3ながら総失点731で得失点差なんとマイナス53。70年代では珍しくなかった
「勝ち越しながら得失点差で赤字」の現象だったが80年代では近鉄以外で81年ロッテと88年日本ハムだけという不思議な記録を近鉄は
85、86年と2年連続で出した。
“いてまえ”と呼ばれた打線は破壊力十分で切り込み隊長・大石大二郎や2年連続チーム三冠王のデービスを軸によく打った。移籍組の
淡口憲治、新井宏昌が巧打を見せれば、若い金村義明に村上隆行もそれに呼応した。しかし半面で大石15、金村16、そして村上が
両リーグワーストの29失策でチーム全体でもリーグ5位の93失策では打撃の貢献度も差し引いて考えなければならない。優勝した西武は
65失策、守備力で近鉄投手陣の足を引っ張った事も否めない。
監督・岡本伊三美が投手コーチの板東里視でもなくヘッドコーチ・仰木彬に投手起用の権限を委ねるほどだったのも弱投に悩んだ
この頃だった。完投数でも西武では渡辺久信13、工藤公康10、東尾修8の完投に対し近鉄は小野11、村田5、佐々木4と若手を中心に
17の差があったがこれは同じ若い投手を駆使した両軍の、先を見据えたかそれとも目の前の試合を勝ちに行ったかの差でもあった。
この辺りはさらに言うならば鶴岡南海育ちの岡本と現役時代からV9川上巨人の投手陣を切り盛りし、コーチとしても広岡達朗を
補佐してきた新人監督・森祇晶との差であったか。 (了)
- 348 :
- >>347
ヨソのスレでも話題になったけど、どこぞのコラムのコピペではなく、
これだけの文章をオリジナルで書けるというのがすごい。
- 349 :
- 「若大将のプライド」
1敗以上の痛みでは、と言われた。86年9月24日の巨人−広島25回戦、9回裏二死一塁の場面で巨人・原辰徳がファウルを打った際に
左手首有鉤骨を骨折。84年9月22日以来258試合ぶりに六番に座る状態だったとはいえ、チームトップの本塁打を放っていた主砲の残り
10試合の出場絶望は巨人および巨人ファンにとって大きなショックだった。
前日の23日から始まっていた広島との最後の直接対決となった3連戦。巨人は第1Rの23日で完敗、最大5.5差のリードを追い付かれ
52日ぶりに首位から陥落した事で、頑固で知られる王貞治監督もさすがに断を下した。それがチーム停滞の原因だった原の2年ぶりの六番
「降格」だった。原は8月終了までにトップの阪神・ランディ・バースに2本差の34本塁打を放ち打点も77、しかし広島猛追の9月に入ると
大不振。9月成績は23日までの12試合で打率.227、1本塁打、2打点だった。
翌24日の第2Rは0−2の7回裏に1点差に詰める36号アーチを含む2安打を打って復調の兆しが見えかけたが、その矢先に冒頭の9回裏
の悲劇は起きた。3点ビハインドで相手投手はストッパー津田恒実。全て直球の津田に応えるかのような原の全球フルスイング、9球のうち
6球ファールという意地のぶつかり合い。そしてカウント2−2の10球目のファールを打った直後、原が左手を押さえてうずくまった。
この試合に勝った広島はマジック12に減らした。一方で不利になった巨人は優勝を逃したが原不在の残り10試合を9勝1敗、特に元気が
無かった打線が活発になったのは皮肉だった。この年の原は勝敗に関係無い本塁打も多く、勝利打点もリーグ最多の18を叩き出した同僚の
ウォーレン・クロマティや広島・山本浩二の16、阪神・岡田彰布の11と比べて7と少なく、「(原が)いない方がかえって・・・」などと言う声まで
上がった。
当の原は引退後、あの骨折について「実はあの試合の前、守備で飛び込み人工芝で手を突いて左手首がおかしかった。でも残り10数試合
だったんで誤魔化しながらやっていた。津田との全力勝負は優勝に直結するような場面だったのと、津田の全力に対し自分はセーブする
なんて駄目だと思った。自分の一番のスイング、悔いはない」と言った。しかし骨折以後は本人も「野球人生を変えた打席、骨折の後の打撃
はごまかし」とまで言ったように86年の36本塁打を一度も越える事はなくタイトルとも無縁だった。折れたのが手のひらの骨とあって指だけで
握るようなグリップのバットに変えざるを得なかったのだ。
怪我も考えずバットを振り、周囲の批判にも言い訳や文句を言わず、その後も7年間四番を務め上げた原のコメントにはスラッガーとしての
プライドや真っ直ぐな性格を感じさせる“さわやかさ”があったが、このあたりが良きにつけ悪しきにつけ若大将と言われた“原らしさ”だった。
(了)
- 350 :
- この年の原辰徳は骨折するまで本塁打を36本打っていたんだね
しかもそれが年間自己最多本塁打になったとは 実に勿体ない
もし折っていなければ40本塁打はいってたか?妄想の域を出ない話だけど
- 351 :
- 鹿取 角 サンチェ
- 352 :
- 優勝争いの近鉄・雄叫びクローザーアニマルの阪急は注目されたが、
60番トリオ(門田・デビッド・グッドウィン)の南海は
ほとんど見向きされなかった。
- 353 :
- 広島の新監督の阿南さん
小早川を使わないで長内を使うので、嫌がらせや脅迫の手紙があって大変だったそうだ
- 354 :
- ポジション被るだけに、阿南さんからしたら、ムラの多い小早川は良くない印象だったのだろう
- 355 :
- >>353
そういえば、長内がレギュラーとして働いたのはこの年ぐらいだったか?
- 356 :
- この時代のヤクルトは、今の横浜より酷かったな
- 357 :
- 長内は翌年の5月まではレギュラーだったが、以後は完全に小早川にとって代わられた。
- 358 :
- 83年の加藤負傷後は長内レギュラー
84年、85年は小早川レギュラー
- 359 :
- でも栗山や池山や広沢とか
野手に関したら、大洋よりは期待感はあった
ピッチャーは絶望的だったが
- 360 :
- 槙原から逆転2ランを打ったブロハードがおった。
- 361 :
- 広島の投手陣はバク転をした秋山選手に、報復死球を投げるべきでした
どうなったのか知らないが、やり返すべきでしたよ。
- 362 :
- 阪神タイガース死のロード神宮
鈍足揃いのタイガースに、5盗塁もされたヤクルト八重樫
肩が弱すぎた
しかも北村や真弓でなく、バースなどに
- 363 :
- ID:e48JCueaは酔ってんの?
- 364 :
- この年のオフ、原は吉村に年俸で越されてしまった。
原 3,870万(2年連続現状維持)
吉村 4,000万(55%↑)
原だって、2割8分 36本打ってるのに。この時点での活躍年数を考えたら
おかしい。ちなみにこの年の吉村は,打率312、HR23。
ちなみに原と同年代の近鉄大石は、この時点で5,000万円台に。
原は不遇だった。
- 365 :
- >>358
85年はどちらもレギュラーではない。
2軍で大活躍だった斉藤を使いたい為に小早川をセカンドにしたものの上手くいかなっか
- 366 :
- 広島にとって良かった点は、前年まで全く勝てなかった大洋欠端にかてるようになった事。
85年の優勝逃したの一つにこいつに7,8回負けたのがある。
広島ファンの俺は夕方のニュースで先発見て今日は負けたっていつも思ったぐらいだった。
- 367 :
- >>366
確かに!86年終盤は大洋と中日に稼がせてもらったからね。
しかし市民球場の入りが悪かったのはなんでだろ?
テレビ中継が多くなったからそれとも単なる優勝慣れだったのか?
翌87年は中盤までいい入りだっただけに未だに不思議な現象だった。
- 368 :
- 世間的に巨人に優勝させたいムードがあったとか?
- 369 :
- >>368
確かにその風潮はあったが、一方で「巨人に優勝させたくない」という声も少なからず多かったのも事実。
当時デビューまもない緒形直人は週刊誌のインタビューでプロ野球の話題を振られた際に
「お願いですから巨人の優勝だけは絶対やめてください。」とアンチ巨人を代表するようなコメントを出していた。
- 370 :
- KKコンビのドラフトの経緯もアンチ巨人熱を高めた。
- 371 :
- 今日本屋行ったら「神様のいない日本シリーズ」って小説があって、その日本シリーズの舞台はこの年(1986年の日本シリーズ)だって。
今度読んでみようかと思った。
- 372 :
- 何で、巨人監督しての王さんはダメ監督呼ばわりされてたんだ?
- 373 :
- 日本シリーズ第8戦のテレビ中継の面子。
ゲスト・落合博満 解説・堀内恒夫 池谷公二郎
18年後にゲストが解説の二人をフルボッコにしようとはw
- 374 :
- >>372
万全を期して監督に就任したのに、なかなか優勝出来なかったから。
- 375 :
- しかし、当時の巨人もろかったよな。
藤田に変わって優勝したけど、127試合もかかる大変な優勝だし、翌年はシーズンぶっ飛ばしたがシリーズが…
- 376 :
- 稲尾新球団誘致活動
- 377 :
- 巨人は試合消化数と負け数が命取りになった。
片や広島はこの年は引き分けにするのがやたら得意だった気がする。
- 378 :
- 巨人が秋になって失速した印象があるな 9月以降の勝敗は知らないけど
- 379 :
- >>378
たしかお盆過ぎまで4ゲームはなして首位。
しかし
8月下旬から9月に入って失速
9月後半から10月にかけて、一敗も出来ない状況から連勝につぐ連勝で盛り返したが、
ラスト2試合目で、槙原がヤクルトのブロハードに打たれて終戦。
- 380 :
- 野村監督だったら原は6番か7番だよな。そうすれば楽々優勝できた。
打順が効率悪かったな。実際に原欠場翌日から8連勝したし。
- 381 :2012/07/26
- 1986 工藤公康
http://www.youtube.com/watch?v=MK8CbgrDJXo
1986 大野豊 渡辺久信
http://www.youtube.com/watch?v=CgDwxTEUVyk
1986 長冨浩志
http://www.youtube.com/watch?v=k2h25ZZdI-E
日本シリーズおり、皆さん球威ありますね
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