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2012年07月大河ドラマ8: 平清盛 考証スレ Part5 (836)
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平清盛 考証スレ Part5
- 1 :2012/05/13 〜 最終レス :2012/08/17
- 大河ドラマ『平清盛』の時代、歴史、文化等から用語・各種研究について
考証したり議論したりいろいろするスレです
平清盛 考証スレ Part4 【王家・武家政権】
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1326287468/
平清盛 考証スレ Part3 【王家・武家政権】
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1325123760/
平清盛 考証スレ Part2
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1315226433/
平清盛 時代考証スレ Part1
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1314466621/
「王家」概念を広めようとする歴史科学協議会一派が論破された考証スレpart1〜paart3を亡きものにするため
平清盛「王家」総合http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1327239719/が隔離スレとして立てられて
いますが本スレはこちらです。
- 2 :
- 前スレ>>991
母は単にを与えるだけでなく夫と共に後見する
忠盛は崇徳院の歌会に何回も招かれたことがあり
崇徳院の父の子に娘を嫁がせている
- 3 :
- あとでるっつうことは兄弟がいるってことでもあるから
信頼できる家臣団の中核を担うことまちがいなし
- 4 :
- 飲ますのは専門の若いのがいて、母、というのは
その他いろいろの仕事をしてた人たち。
- 5 :
- >>1
乙
- 6 :
- >>4
貸すだけだったらなんの利権にもならんだろがw
専門の若いのって出る老いたほうがいるとでもいうのかよ
- 7 :
- ところでさすがに安部泰親は出ないのかな
後白河法皇に仕えていた陰陽士だけど
伝承では鳥羽上皇に取り付いた玉藻の前の正体を見破った件もあるし
崇徳院の怨霊の件とかで専門家として意見を求められるとか
- 8 :
- >>6
は?
母ってのは、出してた人、って意味じゃないんだよ。
オチノヒト、と俗に言われるのが実際に与えてて、その他雑用するのが
母たちでそれが後に力をつけたりはする。
オチノヒトは使い捨てみたいなもので利権がどうたらとは直接は
関係ない。
- 9 :
- >>8
ググったら江戸時代の話なんだが・・・
江戸時代は完全に家制度の下、結婚相手が決まっていたから
母が産んだ子といっしょに育てられることで、信頼関係をつくり郎党として組み込んでいこうとする
平安、鎌倉期とぜんぜんちがうと思うんだが
- 10 :
- >>9
もう少しググってみ。
言葉が記録に残るのが江戸期というだけで
そっちにわかりやすいようにちゃんと単語紹介
しといたんだから。
平安、鎌倉期に誰がどうあげてたかはちゃんと
記録にあるからね。
江戸とは全然違う、というのならそれでFAでいいんじゃない。
まだ家概念も確立する前の話なんだからさ。
- 11 :
- >>10
別にないと思うが・・・。
そもそも宮中での母にしても、高貴な身分のものがつくが
こいつもまたさらに低い身分の者に借りんの?んなわけねーだろ
そりゃ2,3人体制でのぞむってことはありえるかもしれんが
その二、三人は平等な立場か、あるいは教育係も兼ねて預けられていたかのどちらかだな
でなければ本末転倒だろ、どう考えてもよ
基本の推論の枠を逸脱して、母役の母が母やってなかったってのを主体と考えるのは
依怙地になってるか、頭がおかしいかのどっちか
- 12 :
- >>11
あのさ、急に出なくなっても困るからたえず
若い出し要因みたいなのはいてそれが後に
オチノヒトみたいに言われるようになったの。
これは記録にも残ってて、んなわけね〜、とか言われても困るし
そういうのが推論でしょう。
だから、やる=母、ではなくて、同じようにやる=利害が
どうの、じゃないわけ。
母がやってたわけじゃない、とはどこのスレでもそういう話になるし
そうじゃないのを主体に考えるのを頭がおかしい、と言われても困るの
だけどね。
ここは考証スレだからある程度詳しい人がまたカキコしてくれるとは思うが。
あまり詳しくないのなら依怙地になっても仕方ないからパスさせてもらうけどね。
ま、「母役の母が母やってなかったって」というのはやってなかったの
ミスとは思うが、実際にそうだったのだから仕方ない。オケ?
- 13 :
- 保元の乱の後に、信西主導で「保元新制」を朝廷が発するが、
その中に「王命之外」という言葉が出てくる件
- 14 :
- >>12
だから、推論過程がおかしんだって
資料に書いてあるからって言っても日記にのっているのは所詮二三例だろう
そりゃ名家の蔵から考証のヒントはでるだろうが、
そこからほとんど想像力で学説書いてる範囲の中で
やらないのに母は適切でないというのは当たり前の反論だろう
オチノヒトはだから江戸時代の話じゃん
家制度で、身分が決まってるから、正妻は同じ大名からとるし、
家臣団をつくるといった名目も意義もそもそも存在しない
しかも、嫡子を決定して、幕府にとどけなければ、当主死んだら、即改易になるし
分藩・支藩をつくって血のストックをつくっておかなければいけない
御三家とて分藩支藩がなければ存続できなかったんだからな
しかも、家老・家臣は改易されたら無職。かわりに女系の当主がたつとかない。
- 15 :
- 最近、「平清盛」の擁護記事が読売新聞などに目立つ。
そこでいつも使われるテンプレートに「史実に忠実」すぎて
という言葉がある。これは、玉三郎の「全てが本物」に通じる
NHKのスタンスで、「平清盛」の表現が「リアリティ」である
という洗脳をまだあきらめていないということの証明と考える。
ついては、「平清盛」と「史実」について比較をしたい。
また、「史実か忠実」と書く人が総論で逃げるのは大変に卑怯で恥だ。
具体的に何が、どのように忠実かを明記するようにしなければ、
大新聞をはじめとするマスコミの信頼度低下・凋落を早めると思う。
◆男性服装
史実 強装束 西暦1100年代前半に鳥羽天皇と後三條天皇の孫、源有仁公が
考案したとされる生地を厚くしたり、糊や漆で固めることで威儀を正し、
武張った印象を与える装束。後白河法皇編纂の「梁塵秘抄」には、
「この頃京に流行るもの、肩当、腰当、烏帽子止、襟のたつ型、錆烏帽子、
布打の下の袴、四幅の指貫」とある。好例は、「伝 源頼朝像」とされる
神護寺の画像の人物。
「平清盛」よれよれのストーンウォッシュ着物
◆女性服装
史実 十二単。平安時代に確立した公家女子の正装。
袿の上下に重ねることを11世紀の藤原氏全盛期には素材は綾織で色彩の
グラデーション(重ね・襲)を季節にあわせて楽しんでいた。
12世紀の院政期には袿に刺繍をほどこしたり、金箔・銀箔を張り付ける
ことが流行り、さらにヒスイや水晶などを縫いつけた。平氏全盛期には
素材が錦になるなどなど華美なものとなった。
「平清盛」 季節など時間軸なく登場人物ごとにイメージカラーを
設定。重ね・襲などは史実とは無関係。錦とは似ても似つかない薄手の作り。
- 16 :
- ◆平安京
史実 院政期の中心は、現在の平安神宮のある左京区岡崎にあった。
すでに示したが次のような建物が林立していた。
ttp://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/2005to/sirakawa70.jpg
この中でも特筆すべきは法勝寺だ。白河天皇が1076年に建立した。
広大な敷地のなかの人工の池の中に
高さ81メートルの八画九重の塔(1342年まで存在)が立っていた。
模型写真(京都歴史資料館所蔵、みやこめっせに展示)
ttp://www.nihonnotoba3.sakura.ne.jp/2009to/hossyoji31.jpg
詳細は京都市埋蔵文化財研究所の現地説明会資料にて。
182 法勝寺八角九重塔跡現地説明会資料
ttp://202.252.247.10/gennsetu.html
「平清盛」 ぼろぼろの門と難民のスラム。院の館も狭い。
◆六波羅
史実 院政期には平正盛が一族のために供養堂を建立し、
その子忠盛が「六波羅館」を置き、ここを武家の拠点とする。
最終的に六波羅・小松谷を含む平家一門の敷地は東西五町(約550m)、
南北八町(約880m)におよぶ膨大なものだったとされる。
現在でも、地名としてのこっており、例えば多門町は
六波羅邸の東に向かって開かれた惣門にちなみ,
門の脇に平教盛(たいらののりもり)邸の
門脇殿(かどわきどの,門脇町)があったとされる。
また、三盛町(みつもりちょう,旧泉殿町<いずみどのちょう>)
には清盛の泉殿があったとされる。南方の池殿(池殿町)は,
清盛の継母池禅尼(いけのぜんに)の邸宅で,
息子頼盛に引き継がれた。
清盛の娘徳子が安徳天皇を出産したのもこの邸宅であった。
さらに弓矢町は、武器を制作する工房があったところとされる。
六波羅は単なる屋敷ではなく都を抑える軍事拠点でもあり、
街道による伊勢との連結点でもあった。
「平清盛」 相撲部屋
- 17 :
- ◆平家の財力
史実 清盛の祖父の平正盛が 永久2年(1114)が蓮華蔵院を造営した。
白河天皇のため作ったものだ。(まずは阿弥陀堂からスタートし
全体が完成したのは大治5年(1130)だが)、すでにこの段階で
平家は十分な財力があったことを示している。
発掘史料などから作られた模型
(平成6年 京都市美術館「蘇る平安京」展から)
ttp://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/2005to/sirakawa70.jpg
名称はこれで確認。この図の得長寿院が忠盛が寄進したものだ。
ttp://www.nihonnotoba3.sakura.ne.jp/2005toba/rokusyoji.jpg
さらに清盛の父である「忠盛備前守たりし時、鳥羽院の御願得長寿院を
造進して、三十三間の御堂をたて、一千一躰の御仏をすへ奉る。」
(平家物語)
- 18 :
- どうも、「王家」を批判するのは幕末の「尊王」の志士も
批判するのに通じるからけしからんという論を唱えている人が
いるらしい。だが、「土佐勤王党」や「王者議定」を批判して
いる人がいないことからも分かるように、「王」という漢字が
問題になっているのでない。
問題は、「NHK」が「王家」を「必然性」なく「史実」に反して
「一般的」でない言葉を「悪意」のある「文脈」で「連呼」した
ことに「説明」がないことだ。
ひとつずつ説明すると次のようなことだ。
「NHK」 「公共の電波」の上で「皆様の受信料」で運営されるNHKの
放送はその公共性・社会性・教育性を厳しく吟味する必要
がある。対して、個人で「天皇制反対」を叫ぼうともそれ
は、「言論の自由」として許容される。逆に個人で現代に
「私は「尊王の志士」です」という人がいても問題ない。
「王家」 「王」と「王家」は異なるものだ。「電気」や「精神」は
熟語だが、その中の漢字一字と熟語は関連はしているが意味
やその示す対象が大きく異なる。このことは自明だ。例えば、
「この自動車は「気」で動いています」と言う事は不可能だ。
「必然性」ドラマの人物関係などの説明で必要であれば「王家」も
あり得るかもしれない。が、実際には「院の私兵」であった
「平家」の説明としては、視聴者の理解を妨げるのみ。
「史実」 「王家」は鎌倉時代になって使われた熟語で平安末には、
使われていない。「尊王」は、「史記 太史公 自序」
を出典として「弘道館記」で日本で幕末に志士に広まった
表現で史実として幕末に使われている。
「一般的」歴史的にも一般的ではない。鎌倉期に稀に使われたのみ。
例えば、「花園天皇宸記」で一回使われことはあるが、それ
以前も以降も天皇の日記(現存している天皇日記は30弱ある)
で「王家」が使われたことはない。また、「天皇ファミリー」
を「王家」と呼ぶことは現代でも一般的でない。(明治以降
文学表現や歴史研究の中で稀に使われたことはあっても)
- 19 :
- 「悪意」 「王家の犬」というような用法は「抑圧者」の含意がある。
(例:政府の犬、警察の犬)それに対して「尊王」は「尊」が
付くことからも自明のように悪意はない。
「文脈」 「平清盛」での台詞の「「王家の犬」では終わらない」など
という文脈、また、ドラマでの天皇を「奇矯」に描く
プロットや演出などからNHKの「悪意」が強調されている。
これに対して、「弘道館記」や幕末の志士に「悪意」がない
ことは明らか。
「連呼」 「平清盛」放送第一回での「王家」の台詞は18回。2分強に
1回という驚異的な頻度。例えば、「りんご」を2分強に1回
放送すればそこになんらかの意図があると思われるのは当然
だろう。「尊王」は一種の政治的プロパガンダだから「連呼」
する必要があったかもしれないが、では「王家」は何の
プロパガンダなのか?
「説明」 以上のような様々な疑問があるにもかかわらず、NHKがなぜ
「王家」を「上皇」、「院」、「皇家」、「朝家」、「皇室」、
「帝室」、「皇族」などの想定可能な候補の中から選んだかを
「説明」していない。このことが特に問題と考える。
- 20 :
- >「平清盛」 ぼろぼろの門と難民のスラム。
今昔物語集にも出てくる羅生門のことと思ってみていました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%85%E5%9F%8E%E9%96%80
また、平安城内は荒れ、特に内裏は崩壊が激しく、
天皇も政治の機能も摂関家に居候していたという話ですが・・・。
これもあって、白河院は城外に院御所を作ったと言われていたと思います。
- 21 :
- >>20
>平安城内
>城外
中国の都市かよw
- 22 :
- NHK大河のドラマの新・平家物語をの時代考証を担当していた相馬皓で
ぐぐってみたんだが、あまり差別的な事は言いたくないが中世貴族社会
をテーマにする作品を制作するなら、出自のしっかりした人物が必要
だったな。素人の付け焼き刃じゃ超時空戦記キヨモリになってしまう罠。
- 23 :
- 名無しが出自とか気にするんだwww
- 24 :
- >>20
どうも都市構造の変化について考え方が違うようですね。
都市構造は、環境、経済、社会的な変化に対応して変わって
いくものです。例えば、現在の都市でも100年の内に繁華街が
スラムになるようなことはよく見られるます。
また、過去の例で言えば、江戸時代でも城の
天守閣が燃えて再建されなかったということも多くの藩で
起きています。江戸城もそうでした。しかし、これらは藩の
財政悪化や戦争の起きる可能性の低下
などで合理的に判断されて起きたことで、これによって
江戸全体がスラム化していたわけではないのは当然のことです。
平安京もそうで、天皇から摂関家さらに院に権力と人と資金
が移り現在の岡崎に院御所が作られたということだと理解します。
そして、それらの造営は院に近い国司に任命された平家などが
費用負担をしているわけです。つまり院政が都市構造にも
大きく影響を与えています。
また、羅城門などの平安京の南や右京は湿地でもともと
平安京の都市計画上の都市されていたものの農地化されて
いったようです。(農地化は禁止されていたが)
そして、一方で、水がきれいで排水もよい東山方面に
都市域が拡大していったのです。東京で言えば、お台場や
二子多摩川にビルが立つようなイメージだったでしょう。
イメージを掴むなら院御所の再現図を見るのが早いと思います。
ttp://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/2005to/sirakawa70.jpg
そして、忘れてはいけないのはこの当時の平安京
(含む東山方面)は人口10万以上でコルドバや開封につぐ
世界で3位から5位の大都市だったのです。
「平清盛」擁護の人は、平安末の平安京もスラムにように
書きますが、それはむしろ院政の実情を反映していない
ものと考えます。また、院御所の全体像などは公開されて
一般的な情報ですから意図的に貶していると言われても
仕方ないと感じています。
- 25 :
- 本郷和人氏が出自が明らかでないということですか?
「専門は日本中世史。石井進・五味文彦に師事された方ですね
石井さん、五味さんは中世研究の第一人者の部類に入れてよい方たちと思うのですが。。。。
五味さんは絵巻や図画の研究でも有名な方ですね。
>>24
砂煙もうもうですもんね。
農業生産率の上昇にくらべ、人口の伸びが少ないという情報もあり、
「荒れている」というとなんですが、社会全体としては飢饉や病気などで人口を十分伸ばすだけの
食料はなかったのだろうと思います。
また、このころ平安京の人口は減り続けているみたいですね。
いろいろ安定した江戸時代になるとぐんと人口も上がるそうです。
実際はどうだったんでしょうね。
今昔物語集イメージ強いので;;;
砂煙は時代が波乱に満ちているぞっていう演出でしょうか。
- 26 :
- 同じ都市でも数百年経てば中心地が移動することは珍しくないよね
咸陽と長安とかパリとヴェルサイユとか
- 27 :
- >>25
否定されないように精妙に考えて書かれているようですね。
まず、砂煙は演出かどうかどうか考えると演出でしょう。
それは、いままで何度も議論されていますが、京都は
地下水が豊富で琵琶湖ほどの水をたたえた京都水盆とよばれる
地形の上にあります。したがって、京都に現在でも7000本
ものの井戸があります。また、神泉苑などの湧き水も豊富です。
砂埃はありえないですね。
夜の東山のあたりを散歩すると聞こえてくるのは、道路のした
を流れる水路の水の音だけということがあるくらいです。
あと、人口ですが平安京の人口はあくまでも推定ではっきり
したものはありません。それは、都市計画上の面積から逆算
していたりするからです。
ただ、日本全体の推計では、平安時代は
あまり変化がありません。さらに言えば、当時は、平泉が
平安京と同じかそれ以上人口があったとする説も有力です。
いずれにしても破れ門とスラムは意図的なものと思います。
- 28 :
- >>22
>>超時空戦記キヨモリ
笑わせて頂きました
ガンダムとかペルシャとかいわれてましたもんね
平安とガンダムは関係ないからなあ
- 29 :
- 本郷氏が当時は鴨川のあたりは死体だらけで野良犬が人間の手や足をくわえて
うろついていたのが文献にも残されていると言ってたな
六波羅は鳥葬場に近い場所で貴族が住む場所じゃないから武士に住まわせてたんだってね
- 30 :
- 鴨川は洪水がしょっちゅうある場所
浅く埋めてあったのが水で緩んで流れでたとか、水死体とかそういうのは考えられないの?
何年頃についての記述なのかも気になるところだけど
- 31 :
- >>30
六波羅は平安時代は、風葬の地だったのは事実。
そこで、平安京の近くで軍を収容できる広い拠点を
構えるのにちょうどよかったの平家の拠点となった。
平正盛(清盛の祖父)が12世紀のはじめに一族の供養堂
を立てたのがきっかけという。ちなみに晩年に清盛は、
西八条邸にも50あまりの棟からなる邸宅を構えた。
逆に後白河院は六波羅の南に院御所として法住寺殿を構えた。
- 32 :
- 京都は大極殿が中心だったが、貴族の屋敷が里内裏になって、今は河原町あたりが栄えてるし、
江戸は日本橋が一番栄えてたけど、今は新宿や渋谷が中心
- 33 :
- 葬送の地なんて他にも化野やら鳥辺野やら蓮台野やら
洛中の周囲にいくつかあったのさ。
>>29
本郷ってその程度のことを説明するのに
「文献にも残されててる」とか偉そうに云うのかw
ホントの程度が低いんだな
>>30
桂川も氾濫が多かった。
長岡京から平安京への遷都の要因の一つに
桂川の大洪水のダメージがあった。
(早良親王の怨霊騒ぎとか他にも色んな要因はあるけどね)
平安京の右京地区は湿地帯で平安時代半ばにはすでに衰退してる。
- 34 :
- 文献か考古資料から依拠して物をいうのが、学者じゃない
研究者の枕詞だし。
「それは嘘、どこに載ってんだ」と絡んでくる人もいっぱい。
歴史ずきなら、東京大学史料編纂所、国内の1級史料が無料で見放題、史料漬けになれる羨ましい職場。
- 35 :
- 王家についての説明を考えると、物の軽重がまるでわかってない感じがした>本郷
- 36 :
- >>34
確かに資料編纂所はうらやましい職場。
しかし、そこの資料をどう使ってどういう説を立てるかは
人次第。史料は使い方では毒にも薬にもなる。
例えば、「本郷氏が当時は鴨川のあたりは死体だらけで野良犬が
人間の手や足をくわえて うろついていたのが文献にも
残されている」は史料にある。
しかし、「六波羅は鳥葬場に近い場所で貴族が住む場所じゃないから
武士に住まわせてた」は、「「六波羅は鳥葬場に近い場所」は
事実だが、「貴族が住む場所じゃないから武士に住まわせてた」は
説だろう。もし史料にあるなら示して頂きたい。
この文がそもそも「主語」が何かが分からないイメージのみ
の文であることはさておき、
他の史料を見るまでもなく史実的には鴨川の東側で、
六波羅の南に後白河院の院御所、北の白河(現在の岡崎)
には、藤原氏の別荘である白河院があった。
また、室町幕府は六波羅探題として平家と同じような使い方
をした。もし本郷氏の説なら室町幕府が権力を掌握したら
もっと洛中のよい場所に確保したのではないか?
これらの事実も含めて検討したら本郷氏の説はそこまで言える
のか。むしろ軍を置くための面積や洛中の貴族や庶民感情への配慮
や交通の要衝という要素に目を向けた方が合理的なのではないか?
比較や検証という「科学的アプローチ」がない。
自分の言いたいことのために史料を探しているだけという印象だ。
史料からどういう説を出すかで、「学者」か「曲学阿世の輩」
かが決まる。この数年、理系も文系も肩書きに安住する
「曲学阿世の輩」ばかりを目にするので残念だ。
- 37 :
- >>36
ごめん、自分>29だけど六波羅云々以下は本郷氏の言葉じゃなくて
自分が他スレから拾ってきただけだからw
>>33
まあ井浦新目当ての女性ファンだらけのイベントでのコメントだったので
ちなみに「汚い」クレームの件に対する言い訳的なくだりの一環で言ってた
当時の京の描き方としては間違ってはないんですよーみたいな
- 38 :
- 上皇(治天の君)>天皇>皇太子>親王(皇位継承権有)>王(皇位継承権無)
王は皇室の場末の身分
そして皇室を王家呼ばわりする朝日った犬H
醜い
- 39 :
- 当事の京は疫病が蔓延した不衛生な都市だったのは事実でしょ
また都の治安も相当荒れていた
検非違使も治安維持といっても
出す物出さないと動いてくれなっかったらしいし
であるなら今回の清盛で描かれた京は史実に近いとおもうぞ
- 40 :
- >>38
王は親王宣下されてないだけで皇位継承権は一応持っている
後嵯峨天皇は親王宣下されずに王から天皇になっている
- 41 :
- 後堀河天皇は還俗して王から天皇になっていたな
- 42 :
- >>39
「平清盛」擁護の人々は事実のつまみ食いが過ぎる。
平安京は、確かに下水による疫病が蔓延したのは事実。また、犯罪が
多かったのも事実。しかし、下水のによる疫病が蔓延するのは19世紀に
下水が普及するまで世界中の大都市がそうだった。また、犯罪の問題は
現代でもそうだ。
例えば、ロンドンのコレラの大流行は1831年、1848年、1853年、1866年
だ。これは、水道がテムズ川からとられていたからだ。当時はテムズ川
のにおいのため国会が中止されるほどであったという。そしてこの解決
のためにロンドンの下水道が1855年に作られ始めたのだ。
つまり、最盛期の大英帝国であっても大都市の下水問題は大問題だった。
この事実でバッキンガム宮殿やロンドン全体をスラムにように描くこと
はありえない。より明確に言えば、大都市への人口集中は、農村の自給
自足経済がより広域の分業や物流が行われる経済体制によって巻き取ら
れて発生するものなのだからだ。
また、犯罪の発生もそうだ。例えば、ニューヨークでは犯罪は多発する
し、南アメリカのケープタウンもそうだ。しかし、全域がそうなのでは
ない。むしろこうした犯罪の多発は経済格差との関係が強く、権力者は
果てしなく豪奢な生活をしているものだ。
ニューヨークにスラムがあって犯罪が多いからといって、5番街をぼろ
ぼろに描いたらそれはおかしいだろう。
- 43 :
- 「平清盛」擁護の人々は自分のやりたいようにやるために「史実」
さらには「史実とドラマの演出を使い分け」をしすぎる。
自分の言いたいことにあわせて史実を探り、もし一部でも合致すれば
それを全面的に採用して「史実」だという。
たとえば、院政期の平安京の法勝寺の八角九重の塔(1342年まで存在)
模型写真(京都歴史資料館所蔵、みやこめっせに展示)
ttp://www.nihonnotoba3.sakura.ne.jp/2009to/hossyoji31.jpg
高さ81メートルでおそらく当時世界で2番目に高かったと推測する。
一位は、イタリアのアシネッリの塔で97mだったろう。
八角九重の塔からは平安京に東から入る人がよく見えたという。
つまり、当時は現在の東京タワーやスカイツリー以上に目立つランド
マークだったろう。これを完全に無視して平安京のスラム化した部分
のみを取り上げる。
また十二単もあわせなどを完全に無視し、それはドラマの演出として
逃げている。にもかかわらず、平家の人々の衣装はぼろぼろだ。
結局すべての言いたいことのための後付の屁理屈に過ぎない。
- 44 :
- >>41
「王」は「継嗣令」(けいしりょう)の規定によれば、
天皇の四世孫(玄孫、やしゃご)までを皇親とし、
五世孫は王を称した。後の慶雲3年(706年)2月の格(きゃく)で、
五世孫までが皇親とされ、五世孫の嫡子に王の称が許された。
非常に多くの「王」がおり、やはり天皇よりはるかに格が低いこと
は、明確だ。天皇になった「王」が希にいても多くは所領もなく
むしろ「源」などの姓を賜りたいと望むものもいた。
こうした事実と希な例のすり替えはやめましょうね。
- 45 :
- どんなに水が豊かな町でも、舗装道路じゃあるまいし、好天が続けば砂埃が舞っでもまったく不思議は無いだろうに。
今の感覚に比べれば、不衛生であったのも間違いなく。
そういう雰囲気の部分に拘泥してもな益なし
- 46 :
- 好天続きなだけで、砂漠地帯みたいに常時土煙や砂塵が舞い立ってるんだ?すごいねー。
それにしても、不衛生な部分にだけ拘泥するリアリティって、ドラマ演出としては素晴らしいの?
- 47 :
- 王者議定ってのは当時の言葉ではないの?
- 48 :
- 好天続きでも草木があればそうそう砂塵なんて舞わないよ
ちなみに現在の日本でも国土の7割は山林
平安時代なら大規模な旱魃や開発がないと砂塵は舞わないと思うけど
- 49 :
- 天パーの平安美女が出てくるリアリティ大河
- 50 :
- >>42
訂正 スマン
南アメリカ→南アフリカ
- 51 :
- 神泉苑での空海の雨乞い伝説や芸能に脚色された雨乞い小町、
北山の鳴神上人と雲絶間姫の雨乞い物語、等々、
京都の雨乞い伝説やそれを取材した伝承は多く残っている。
桂川に鴨川に南の巨椋池、山地水明の地の京都であっても日本の地だ。
乾季や干ばつ、少雨の苦しみを受けた時期や季節は勿論にあるだろう。
そういう時は土埃や砂塵に襲われることもあって当然だ。
土埃や砂塵をすべて否定するわけでは無い。
ただ受け狙い的にそういう演出ぶりを強調して「リアリティのある平安時代」を
標榜しまくってるのが片腹痛いんだよ。
「実は疫病や餓死者が蔓延して決して美麗なだけでは無かった平安京」
・・・を映像上で発明したのはうちら清盛スタッフ! みたいな子どもっぽさだ。
- 52 :
- >>42
どの大都市も光と影あり。
うん、その通り。
だから、華やかな王宮と、苦しい庶民の暮らし、ってあまりに王道的描きかたしてるんじゃないの?
埃っぽい絵づくりが嫌いってのは好き好きだけど、平安京はもっと素敵な町だっていうの?
見当外れにも程があるw
- 53 :
- 六波羅あたりから風葬の地で、清水の舞台から死体投げてたような場所がきれいなわけがないだろうな。
平氏だって、人を殺めたりするからケガレの対象として、そんな地でしか暮らせなかったんじゃないかな。
- 54 :
- 「華やかな王宮と、苦しい庶民の暮らし、ってあまりに王道的描きかた」なんてしてる!?
〉平安京はもっと素敵な町だっていうの?
そんなこと言ってる人はほとんどいないでしょうよ。
極端な粉盛りでリアリティがあるってドヤ顔してるのを愚かしいと感じてる人が多いだけで。
擁護もご苦労様だね。
- 55 :
- >>45
屋久島でもまれに吹雪くことがあるからドラマで一年中吹雪きにしても
いいといっているのと同じだぞ。つーか京都であんな埃がたつことないし、
もし埃がたっても井戸水で顔ぐらい洗うだろう。なんで平家の面々は
いつまでも顔があざ黒くよごれているんだ。平家は顔を洗う習慣が
ないという史料でもあるのか?なんかモノクロ写真みたいだぞ。
- 56 :
- >>54
「王家」擁護も「埃」擁護も本質は同じだ。全体を見渡すとごく希な例
を自分の目標とすることを表現するために「史実」と言い張っている
にすぎない。より妥当な表現や演出があっても「王家でもいいだろう」、
「現在に比べれば不潔だった」など言い張り続けるが、「なぜ王家で
なければいけないか?」、「なぜ不潔でなければいけないか?」は
説明することはない。その上「埃」と「不潔」と「顔の汚れ」は同義
ではない。結局、本音は、ただ「天皇」と「平安京」を貶めたい一心
だからと言われても仕方がないだろう。
六波羅も同じだ。鴨川の東には院御所も藤原家の別荘もある。
あと、六波羅探題も主張のように墓場にあったとでも言うのか。
まずよく>>36でも読めばいい。
- 57 :
- >>56
自分は雑な擁護を繰り返してる者に対しての揶揄のつもりで書いたんだが…。
なぜ36を読めと説教されるのだか。
- 58 :
- >>13
保元新制の文言の元ネタは「天慶の乱」の際に出された官符をベースにしたものだ
という指摘があるんだよね。また、保元新制では「事起 勅語」という文言がわざわざ
記載されていて、これも桓武朝期に見られた表現を踏襲している。
つまりは、内乱を乗り越えて、王権を再建強化しようという意図を示すために、信西が
過去の事例をたどって組み立てているものなんだよねこれ。
仏教だからノーカウントとしきりにわめいていたけど、まったく見当違いだったわけだ。
>>47
『兵範記』のまさに近衛帝が崩御した日の条で出てくるよ。
ここでいう「王者」が「以仁王」なんかの「王」とは別物なのはいうまでもない。
- 59 :
- >>57
すまない。間違いだ。>>53に対してのレスだった。
私も貴殿と同意見です。
- 60 :
- >>58
あれれ、本郷センセぐらいに史料収集が得意な人の登場ですね。
まだ、「王家」問題の本質が分かってないようですね。
アプローチも「「王」があったあった」を連呼するのみ。比較や検証
といった科学的なアプローチは一切ない。文系の知的退廃を感じる。
また、文系としても言語の構造についての認識のなさもまずい。
さて、ここでは「王」が問題になっているわけではない。「王家」と
「王」は別の字と熟語として議論をしないといけない。何度も説明して
いるが「精神」と「神」は全く違う。「精神と統一しろ」とは
言えても「神を統一しろ」や「精を統一しろ」とはいえない。
熟語は熟語としてその意味する対象を限定したり、意味する内容
を限定するために熟語になっているのだから当然のことだ。
また、「王」についても別にノーカウントとしていわけではない。
その文脈ごとに正しく使われていることもありますよといっている
に過ぎない。儒教的な前提や仏教的な前提で問題なく「王」が
使われていることはある。
今後の議論の開始点として「王家」の論点を再掲しておく。
「NHK」 「公共の電波」の上で「皆様の受信料」で運営されるNHKの
放送はその公共性・社会性・教育性を厳しく吟味する必要
がある。対して、個人で「天皇制反対」を叫ぼうともそれ
は、「言論の自由」として許容される。逆に個人で現代に
「私は「尊王の志士」です」という人がいても問題ない。
「王家」 「王」と「王家」は異なるものだ。「電気」や「精神」は
熟語だが、その中の漢字一字と熟語は関連はしているが意味
やその示す対象が大きく異なる。このことは自明だ。例えば、
「この自動車は「気」で動いています」と言う事は不可能だ。
「必然性」ドラマの人物関係などの説明で必要であれば「王家」も
あり得るかもしれない。が、実際には「院の親衛隊」の
「平家」の説明としては、視聴者の理解を妨げるのみ。
むしろ各派の対立関係を分かりにくくしている。
「史実」 「王家」は鎌倉時代になって使われた熟語で平安末には、
使われていない。「尊王」は、「史記 太史公 自序」
を出典として「弘道館記」で日本で幕末に志士に広まった
表現で史実として幕末に使われている。
「一般的」歴史的にも一般的ではない。鎌倉期に稀に使われたのみ。
例えば、「花園天皇宸記」で一回使われことはあるが、それ
以前も以降も天皇の日記(現存している天皇日記は30弱ある)
で「王家」が使われたことはない。また、「天皇ファミリー」
を「王家」と呼ぶことは現代でも一般的でない。(明治以降
文学表現や歴史研究の中で稀に使われたことはあっても)
- 61 :
- 「悪意」 「王家の犬」というような用法は「抑圧者」の含意がある。
(例:政府の犬、警察の犬)それに対して「尊王」は「尊」が
付くことからも自明のように悪意はない。
「文脈」 「平清盛」での台詞の「「王家の犬」では終わらない」など
という文脈、また、ドラマでの天皇を「奇矯」に描く
プロットや演出などからNHKの「悪意」が強調されている。
これに対して、「弘道館記」や幕末の志士に「悪意」がない
ことは明らか。
「連呼」 「平清盛」放送第一回での「王家」の台詞は18回。2分強に
1回という驚異的な頻度。例えば、「りんご」を2分強に1回
放送すればそこになんらかの意図があると思われるのは当然
だろう。「尊王」は一種の政治的プロパガンダだから「連呼」
する必要があったかもしれないが、では「王家」は何の
プロパガンダなのか?
「説明」 以上のような様々な疑問があるにもかかわらず、NHKがなぜ
「王家」を「上皇」、「院」、「皇家」、「朝家」、「皇室」、
「帝室」、「皇族」などの想定可能な候補の中から選んだかを
「説明」していない。このことが特に問題と考える。
問題は、「NHK」が「王家」を「必然性」なく「史実」に反して
「一般的」でない言葉を「悪意」のある「文脈」で「連呼」した
ことに「説明」がないことだ。
反論があるならそれぞれの各論点について反論をしてみてほしい。
- 62 :
- >>56
貶めたいってのはそうかもしれんが、政治的な意図よりも、
看板にスプレーで落書き程度のメンタリティな気がするな。
あと「一般性」については、黒田提唱時点の辞書で「特に白川家のこと」と
記されてるのも見逃せないと思う。
既に別の意味がある言葉だったのを、無理矢理使ったってわけだから。
- 63 :
- >>54
このスレには、平安京があんなに埃まみれなはずがない!
と執着してるのが多いようだがね。
史実では早くから、権勢と財力のあった清盛が、
いつまでも汚れメイクだったのは、確かに違和感あったが。
>>56
>ではない。結局、本音は、ただ「天皇」と「平安京」を貶めたい一心
>だからと言われても仕方がないだろう。
平安京を貶めたいってw
どういう陰謀?
- 64 :
- なんで只の一ドラマの演出でここまで熱く怒りをあらわに出来るんだろう
貶めるって発想が不思議
- 65 :
- 個人的感想だけど、このドラマ、
『王家』の側が非常に人間臭く、魅力的に描かれている。権勢欲だったり、愛憎だったり、恨みつらみだったり。
テレビドラマで崇徳天皇の怨念をここまで丁寧に描けてきてるのには感心する。
そこで、今の皇室から距離のある『王家』という語を使ってるのは、結果的には良い距離感になっている気はする。
別に制作者が狙ったとは思わないし、どっちでもいいんだけどな
- 66 :
- >>64
看過出来るものと出来ないものは個人の価値観によって違うからね。
でも、批判的なスレやアンチスレに乗り込んで擁護レスしてる人たちの方が、よっぽど熱いと思うな。
- 67 :
- 今回、王家の犬ではなくて朝廷の番犬になってた
- 68 :
- 大河ドラマ最大の冒険、『太平記』の時はなんもなかったのに。いまさらゴチャゴチャしてるのは何故なんだろう。
- 69 :
- >>64
しかし、「王家」擁護派よりも、「王家」否定派の方が平安時代ひいては歴史に対して真摯であるように感じるが。
自分の大好きなものを、感性の違う同じ言葉を使っているとは思えないやつらに踏みにじられて
そのうえドヤ顔でふんぞり返られたら、無念だしやりきれない。
文献をあさって、「王家」を否定する根拠を出してくる否定派に対して、擁護派はなにもまともな根拠を出してこない。
論理のすり替えばかりで、うさんくささと説得力の無さばかりを露呈している。
- 70 :
- >>60
>「王家」
まず「電気」や「精神」といったような熟語となって初めて成立し(=意味が生まれ)
機能する語と、「王命」「王家」「王室」etcといったような、前の単語(=王)が後ろの語を
修飾することで成り立っている語を比べてケチをつけること自体が、まず言葉の
構造的にみてもおかしな話。論理の前提からしておかしいので、まったくお話にならない。
たとえば、「王命之外、何施私威」という保元の新制の文言がある。ここでいう「命」は
もちろん命令のことだけど、「命」を「王」という単語が修飾することで「王の命令」という
意味がここで生じる。そして、ここでいう「王」とは何かといえば、天皇であり、さらにつき
つめていえば、この文言を起草したであろう藤原信西が擁する後白河帝その人ということ
になるわけだ。
>「必然性」
わざわざマイナーな史学用語を使うことに必然性があるかどうかについては議論の余地は
あるのかもしれないが、「院の親衛隊」であるとともに、国家の公的な警察機関の武官でもある
平氏を全くの「院の私兵」と言ってしまっていいのかは考え物。
>「史実」「一般的」
「王家」という語に限定しても、散々既出の治承二年の例や寛徳三年の例が無かったことに
されているけどどうしてなんだろうか。
また、「王」という単語によって天皇を指している事例は様々な史料において、平安〜鎌倉
南北朝期にかけてかなり見られる表現。この辺を無視するのはいかがなものかなあ。
- 71 :
- > 平氏を全くの「院の私兵」と言ってしまっていいのかは考え物。
「天皇一族全体の私兵」と言ってしまうのは考える必要ないの?w
- 72 :
- >>70
「院の私兵」なんていってないし。別にレスを勘違いではないか???
「院の親衛隊」とは言っているが、これは別に公的な武官であって問題ない。
- 73 :
- >>70
どうもまだ、「王家」問題の本質が理解できていないらしい。
問題の本質は、「王」に「家」をつけて「単数(個人)」から
「複数の存在(ファミリー)」に明らかに概念拡張していることだ。
この時点で「王」と「王家」が別の言葉であることは明確だ。
なぜならばそれぞれの言葉が指す対象が異なるからだ。
もしこのような概念拡張がドラマの表現上必要なら必要な理由を
教えて欲しい。また、他の「朝廷」、「皇家」、「朝家」より適切な
理由も。これらを説明する者はいまだかっていないのでよろしく。
また、あなたの主張のように「王家」だけが特別な熟語なのではない。
「王の家」という「修飾+非修飾」の関係が特別とでもいうのか?
「電気」も「雷の気」という「修飾+非修飾」ではないのか?
あと、「一般的」「史実」について言えば「王家」という例を出して
議論してほしい。「王」と「王家」は別の言葉なのだから。
また、すでに指摘されているが、「王家」は「一般的」に「史実」
としては「白川家」だ。
最後に、「王家」とは何世までを含むファミリーなのかあなたの
定義を知りたい。そして「平家」はあなたの定義の「王家」に忠誠を
誓っていたという史料があれば示して欲しい。
おそらくあなたは史料を探すことはある意味慣れているのだろうが、
ソシュールの基本的なテキストを読んでみたらいいのではと思う。
もしくは、次のような単語をWebで検索して欲しい。
「記号表現」、「記号内容」、「連辞関係」。これぐらい理解して議論
しないと始まらない。今日こうしたベースなくして考証をするのは
無責任のそしりを免れ得ないし、日本の歴史研究の鼎の軽重が問われる
と思う。
- 74 :
- >>70 本郷先生降臨か?
- 75 :
- >>74
何で言うんだ!今から面白いこというところだったのにー!!!
- 76 :
- 本郷先生本人どうかは知らないが、本人ならこれ以上議論するのやめた方がいいだろう。効果的な反論にはなってないし、議論もすれ違いというか土俵が違う。これ以上やると墓穴を掘るだけ。
- 77 :
- >>70 ぜひ特殊な修飾関係の熟語の「王家」と同じ特殊な熟語の「王家」以外の例を俺に教えてくれ〜w
- 78 :
- おーい>>70。オマイが戻ってこないと本郷が本人認定されちまうぞ。戻ってコーイ。
- 79 :
- やっぱり、戻ってこない様子からすると本郷先生本人だったんだろうな。
- 80 :
- これだから本郷は
- 81 :
- 王家呼称は素人の自分が持っている一般書においてほとんどの研究者が使っているが、
これら日本を代表する研究者たちは皆誤りなのか?素朴な疑問として教えてほしい。
@歴史学が担う考証の問題としての王家
A大河で採用すべき用語としての王家
B右翼が攻撃材料とした不敬表現としての王家
この3つは問題の質を異にする。今般の本質は政治的攻撃の材料とされたBにある。
有力政治家によるNHK批判の材料とされたことで、ことは言論弾圧にもつながりかねない
由々しき事態となっている。現に王者議定の王者を省略するなどNHKへの萎縮効果は
現実的なものとなっている。
王家批判派は、NHKがこの呼称を採用したことを不敬と考えるのかお聞きしたい。
- 82 :
- 今年の大河は右翼曲説あります
- 83 :
- 個人的には最終回までに二、三回ぐらい使うんなら構わないけど
王家の犬、とかひたすら連呼したのは異常で不敬だと解釈されても仕方ないだろ
それに言論弾圧ってなに?法律でも作られたら話は別だけど、大げさね
ぶつかっただけで骨折したとかいう大げさなや当たり屋みたい
批判を許さないというのなら、それこそ言論弾圧だとも言えるよ
- 84 :
- なんにも正面から答えていないね。がっくりだ。
- 85 :
- >>82
まず凸凹があるのは、あたりまえ、とおもってください!
- 86 :
- >>81
>>84
まずあなたは、>>70なのか?
もしそうならあなたが打ち返したボールを当方も打ち返したつもりだ。
真摯に回答をお願いしたい。
そうでないなら、議論のフレームワークを変えるのは待つべきだ。
>>70も歴史研究者の意地でなんとか回答しようとしているはずだ。
王家擁護派としては、助け舟を出したつもりかもしれないが、
むしろそれは、彼を軽んじることになっていないだろうか?
また、助け舟としても稚拙だ。議論の前提としての用語の使い方や
事実認定、フレームワークの論理性などいずれも問題がある。
まず、「考証」と「歴史研究(またそのための用語の使い方)」
の違いを認識するように。
また、学者が勝手な説を本で出版するのは「言論の自由」であり
正しい誤っているというものでもない。もちろんその対価として
批判を受けることはあるだろうどちらサイドにも「言論の自由」は
ある。言論人なら議論して、それを公開して世間の評価を受ければ
いいだけのこと。
ただし、NHKは違う。国民の財産の電波の上で放送され、視聴料の
を使って番組は製作放送されている。国民のコンセンサスが必要
であり、もし新しい言葉・説・概念を提示する場合もその説明が
求められる。しかし、「王家」は「学者が使っている」以上の
説明はない。
さらに、「不敬」だとして批判をしたことは私はない。
あくまでも「貶める」のは問題でそれに説明して欲しいと
しているだけだ。
議論のフレームワークも再考したほうがよい。
@とAは使い手を基準としてるがBは批判する主体が基準と
なっている。先に説明したようにNHKと学者では立場が違う
@とAで批判する内容も変わるので@とAとBを並列すること
自体が議論を混乱させるのみだ。@とAのみでよいだろう。
最後にレッテル張りはやめるべきだ。レッテルは思考停止を
もたらす。言葉による思考停止をさけるために黒田氏は
「王家」という用語を使い始めたのではないか?
「右翼」、「言論統制」、「不敬」など手垢の付いた用語で
自分の論を強化できるということは本当はない。
むしろ自らの知的な限界を規定しそれを世間に晒すことになる。
結局あなたの議論にも回答したが、ここは粘り強く>>70を
待ちたい。
- 87 :
- 私は>>70ではない。そのような専門知識はないのにお邪魔した。
それとBはこのスレ的にはスレ違いなのも承知している。あえてお聞きした。
その上で【学会の共通用語を使うことがなぜ不敬批判をしかも権力者である政治家から
浴びなければならないのか】、これをお聞きしている。
憲法上の表現の自由を学んだことのある人間ならば、政治家の介入に危機感を覚えている者は
少なくないだろう。
昨年来の王家批判は誰がしかけどのような展開をたどって現在に至ったか
を考えれば【右翼】が仕掛けているのは明白だろう。
ここで学問的議論をしている人たちをそう決めつけているわけではもちろんない。
いずれにせよ、ここの真面目な議論を邪魔する気はないのでこれで失礼する。
- 88 :
- >>81
問題はAだろう。Bを主問題にしたいなら専用板へ行け。
王家使用者が「日本を代表する」かどうかはさておきw、
そうざっくり聞くのであれば「誤り」だろうねえ。
適切さに欠ける用語なのは、多方面から見て明らかなのだから。
翻ってメリットを考えても「特にない」としか言いようがないし。
せいぜい「雰囲気あるでしょ?」くらいか。
- 89 :
- >>86
> 言葉による思考停止をさけるために黒田氏は
> 「王家」という用語を使い始めたのではないか?
たぶん違うだろう。
おそらく最大の原因は「俺が俺が」心理。
「皇室」を置き換えたかったってのがベースにあるのは確かだろうが、
そこで無難な「天皇家」でなく諸々の問題を抱えた「王家」にしたのは、
単になんか言ってみたら気に入ったからってレベルだろうと思う。
- 90 :
- >>81
@は専門家にお任せするとして
Aについて、あなたは自分の目で当該のドラマをご覧になって、そのような疑問を呈されているのか?
特に初回から数回に渡る放送において、「王家」或いは「王家の犬」という語句の使用頻度や使用場面を目の当たりにして、何の違和感も感じていなければ、それはいささか言語方面の感覚が鈍いと、個人的には感じられる。
そして、この使用状況こそがあなたがおっしゃるところの右翼はいざ知らず、一般視聴者にも「不敬」ではないかという不快感を持たせたのは言うまでもない。
また、この「王家」という語句の使用根拠として、本郷自身が「当時は使われていなかったから、ドラマ内で使うのはかまわない」と語っているが、それについてはあなたはどうお考えか。
さらに使用根拠として、細部は省略するが、本郷は典拠を示さないままに「平清盛の時代、天皇=王だったのです」と断言した上で、「王家」の使用を是としている。
私は歴史には門外漢であるものの、一般レベルではそれなりに当時の用語についての知識はあるつもりだったが、「平清盛の時代、天皇=王だった」とは寡聞にして聞いたことがない。
- 91 :
- 五味 元木 高橋 上杉 福島 美川 下向井 保立 川合
皆誤りとはあんた天下の大学者やね
2ちゃんなんかじゃなく論文発表しなよ
- 92 :
- 見事な権威主義w
肩書きじゃなくて言ってる内容で判断すればいいだけ。
学者って神様だとでも思ってるのかw
- 93 :
- >>90
以仁王とかいるしねえ
- 94 :
- 王家を「使ったことがある」だけなら、致し方ない部分もあるけどね。
上の先生が使えと言ってるんならそこで争うのも無益だろうし、
「皇室よりはマシ」と考えることには妥当性もある。
しかし今の時代になっても必死に王家を使おうとしてるのはもはや害悪でしかない。
元木みたいに「王家(天皇家)」とか無意味に書いてるのを見るたび、嘲笑しか湧いてこないわ。
- 95 :
- 高橋なんかは根拠ほぼゼロと言ってもいいくらいなのに「清盛は落胤に違いない」みたいな
書き方するからねえ。これで学者なのかと。そりゃ本郷にも馬鹿にされるよw
- 96 :
- だからよお前らこんなところで負け犬の遠吠えやってないで
ちゃんと実名で王家は間違いですって発表しろ
どこの馬の骨かわからない空っぽでもwillあたり紙面提供してくれるだろ
- 97 :
- 伴瀬とか言ってるけど聞いてねえだろ。知らんのかw
- 98 :
- どこからか、負け犬ならぬ犬えっち家の犬の遠吠えが聞こえたようだが…
- 99 :
- 1.王家は白河家の別称
2.王は皇族の身分の一つ、以仁王など
3.王家は歴史用語として全面的に認められているわけではなく、これに反対する学者も多い
4.王家は.史料などにも散見せらるが、少数
他に適当な表現があるにもかかわらず誤解を招きやすい表現を使用することに、意味があるのか?
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