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2012年07月社会・世評177: 閉鎖ムラ社会から近代市民社会へ 2ムラ目 (289) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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電磁波犯罪スレ (773)
公務員のボーナス廃止する政党出ないかな? (536)
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【東北地震】被災者になるのは自己責任じゃないの? (574)
【差別の】ドクター差別こと兼松信行【味方】 (536)

閉鎖ムラ社会から近代市民社会へ 2ムラ目


1 :10/09 〜 最終レス :12/07
原始共産主義=ムラ社会は、個人より集団が優先し、
擬似家族共同体の原理で動いている。日本では、この閉鎖的な
ムラ社会の原理が社会全体に未だに色濃く残っている。
このムラ社会、タコツボ社会の伝統は、鎖国、幕藩体制という
閉鎖型封建社会を三百年近く続けた徳川時代に日本人の精神構造に
深く刻まれたものであろう。
しかし、人間、社会の発展、成長では、自我の形成(個の確立)を経て、
個人主義の近代社会、最後は市民社会(個人が共存を目指す社会)へ
移行するのが正常なのである。
これは会社などでも同じだ。小さな家族経営の会社、組織などでは、
公私混同、家族主義などもそれほど問題にはならないが、
会社や組織の規模が大きくなるにつれ、もっと公式の規則、透明性、
責任の明確化などが必要になるのである。
ムラ社会的原理には、責任を明確にせず、情緒的連帯に浸って、
集団に守られ、相互に甘えもたれ合うという、伝統的に日本人にとっては
捨てがたい役割があるが、逆に、異質なものを排除する排他性を持ち、
透明性を欠き、個が確立せず、国際化、情報化、近代化とは合致しないのである。
日本がより国際的にも発展、参加していくためには、日本人、日本社会が、
ムラ社会要素より脱皮、成長して、近代市民社会をもっと広げていく
必要があるのではないか?

2 :
前すれ
田舎ムラ社会から近代市民社会へ
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/soc/1119626212/

3 :
★妻は“不貞婦人会”に強制加入。拒めば“村八分”の恐怖が… 
岩手・多田昌義さん(仮名・34歳)郵便局嘱託
「田舎は怖いです。正直、1秒でも早く抜け出したいですね」
そう呟く多田さんの言葉に耳を疑った。なぜなら1年前、SPA!4/28号の記事
「年収100万円ライフ充実術」でUターン転職の成功例として取材したときには、
「田舎は物価も安いし空気もうまい。週末にはカヌーを楽しんでます」と満面の笑みだったからだ。
いったいこの1年の間に何があったのか?
「近隣住民とのいざこざがきっかけで、東京から一緒にやってきた妻がノイローゼ気味になってしまって…」
諸悪の根源は、地域住民たちによる婦人会の存在だという。表向きは「子供のために地域の治安を守ろう」
というものだが、その実態とは…。
「毎日、会合と称して集まっては、『系サイトで誰々と会ったとかした』
なんて話をしているようで。そんなところに行くなって妻に言っても、『参加しないとありもしない噂を立てられるから…』と」
治安を守るはずの婦人会が、ほとんど不貞妻たちのハッテン場。心配しつつも「ウチの嫁にかぎって…」
と妻を信頼していた多田さんであったが、昨年末に計画されたあるイベントがきっかけで、訣別を決意する。
「婦人会を仕切る会長の亭主が運送会社の社長なんですが、年末の社員旅行になぜか婦人会のメンバーも
強制参加させられるというんです。おかしいでしょ? “人の妻”ですよ? オレも行くって言ったら、
『婦人会の懇談も兼ねての伝統行事だからムリみたい。社長にも逆らえないし』って。
さすがにそんな慰安婦みたいなマネはさせられませんから、断りましたよ」
無事、婦人会を抜け出したはいいが、目を合わせれば陰口を叩かれる毎日。
奥さんは外出するのが怖くなり、家にこもりがちになったという。
夫妻への同情の念は尽きないが、田舎のルールにはかくも理不尽なものが存在するのだ。
http://www.zakzak.co.jp/zakspa/news/20100909/zsp1009091238002-n1.htm

4 :
日本人は扶養家族 仏教を食わさなくちゃいけないからなー

5 :
★【愛媛県警】警官に報復人事【ムラ社会】 2005-01-27
愛媛県警は27日、県警各署の捜査費不正支出を内部した生活安全部地域課
鉄道警察隊の仙波敏郎さん(55)に対し、同日付で地域課通信指令室企画主任への
異動を発令した。(産経新聞)
■これは警察という組織が共同体になっていると言う証左です。(本来は機能集団)
共同体、要するに「ムラ」社会になっていると言うことです。
■「ムラ」では、ムラの掟が重視されます。
掟に逆らった奴はもうお仕舞い。
生きていけません。
村八分にされます。
袋叩きです。
■共同体の特徴は二重規範にあります。
内の規範と外の規範がある。
■共同体において、より厳格なのは内の規範か、それとも外の規範か。
内の規範です。
ムラの掟のほうです。
■外の規範を守るために内の規範を破った場合どうなるか。
内の規範のほうが厳格なわけですから、この場合、ムラ内部において厳しく罰せられます。
■今回、内部をした愛媛県警の警察官が報復人事を受けました。
警察というムラ社会の掟を、外の規範を守るために破ったからです。
外の規範を守るために捜査費不正支出を内部をした。
ところが内の規範は「内部をしたらダメ」というものであった。
村八分です。
■これは警察に限ったことではありません。
他の役所でもそうです。
役所だけではない。
会社もそう。
日本が行き詰っている原因の一つはここにあると言ってもいいでしょう。
http://asatteblog.exblog.jp/1597353

6 :
マスコミが大衆をコントロールしている。
マスコミの影響を受けずにいられるものなど、
この世にいない。
みな、マスコミの思い通りに動かされる。
大衆は無力だ。

7 :
★村社会とは何か・・・「クローニズム(Cronyism:政権の取り巻きの重視)」・「ネポティズム(Nepotism:縁故主義)」万能の退嬰社会・・・
 日本社会は大変なインフォーマル社会であり、村社会であるという。しかし、村社会の定義や
特徴についての考察を余り目にしない。ちなみに広辞苑にも「村社会」はなかった。
そこで筆者は、村社会の特徴についてランダムに箇条書きにしたうえで更に「村社会」を
定義してみようと思う。
村社会の構成員の特徴
1.お上の下に自分たちの社会があると信じている。
2.自分で考えた価値観を持てず、所属する「村」の決定した価値観に従う。
3.自らの判断を偽り、自己主張を慎むように装う。自ら考えず、目立たず、物言わずを信条とする。
4.「村」の掟やしきたりにのみに従って全ての問題の解決を図ろうとする。
5.自分たちとは異なる様々な観点を認めずに否定的に関わる。すなわち、異質をつねに排除しようとする。
6.自分の所属する村のみに通用する物差しがあり外部の物差しを認めない。
7.遠くにいる人間とのコミュニケーションが苦手である。
8.議論を嫌い陰口を好む。
9.強迫的横並び志向を有する。
村社会の構造的特徴
1.数の暴力によるボス支配と親分子分のヒエラルヒーが存在する。
2.出る杭は打たれ、常に足を引っ張り合い、互いに相手を自分のレベルにまで下げようとする。
3.排他主義に基づく「井の中の蛙」的仲間意識が存在し、自分の理解できない『他者』の存在を許さない。
4.「優れたもの」「才能がある者」に対する妬み・嫉み・ひがみなどの劣情を組織し排撃する。
逆に、「劣ったもの」と規定したものに対しては、陰湿且つ徹底的に圧迫を加える。
5.透明性にかけ、談合や地縁・血縁・コネ・情実に最高の価値を見いだす。
つまり、村社会とは、
不透明・内向型社会、異質排撃型社会、相互監視密告型社会、劣情組織化社会、固定的利益連鎖
至上主義社会、身分的上下関係墨守社会であり、さらに、論理否定型社会、技術革新拒否型社会、
学習否定型社会であって、一口で言えば陋習万能の退嬰的社会であると定義される。
http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub2-35.html

8 :
★週刊医学界新聞詳細 黒川清氏(東海大学医学部長)医学生・研修医に語る   1/2
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2001dir/n2429dir/n2429_06.htm
【Q2】医療への社会の要求の高まりは感じます。なぜ日本の医療界は十分な改革に
取り組めないのですか?
--------------------------------------------------------------------------------
黒川 そういう意味では,社会の中にフラストレーションがたまっています。「医師の教育,質の管理は
どうなっているんだ?」と厳しい問いが突きつけられ,変わらなくてはいけないのに変われていないのが
現状です。これは日本固有の文化や歴史に縛られていることが原因になっています。
 日本人の精神構造は徳川時代にできあがっているのですが,世界が広がった17世紀からのこの約260年にも
及ぶ時代に「外」に出られない「縦のムラ社会」ができあがってしまいました。さらに,明治維新に始まる
日本の高等教育では,「お上」の言うことを聞いて,しかも国の政策に合うような人材を養成できる教育を
めざし,ドイツ式の教育システムを導入しました。そのやり方が明治時代から今日に至るまで続いているのです。
その特徴は,教授が強大な権限を持つ縦型の階層的なシステム(講座制)にあり,そしてリサーチ
オリエンテッドです。不思議なことに,研究が第一で,次が診療,教育となっており,さらに,
明治時代からいまに至るまで大学のヒエラルキーも決まっていて,東大が一番だとみんな思っています。
 そんなドイツ式のシステムは明治維新以降,日本が急速に発展するために実にうまく機能しました。
しかし,先進国の仲間入りをし,G7の一角を占めるようになったこの時代においては,すでに完全な
制度疲労を起こしていて,さまざまな悪弊を産み出しています。ところが,その内側にいる日本人の
頭の中は,あいも変わらず,明治以来の講座制と日本特有のムラ社会に規定されたままで「変わらなければ
ならないのに変われない」というジレンマを生み出しているのです。日本社会すべてに共通する問題です。
 自分や家族が病気になった時に,誰に診てもらいたいですか? 本当はそれが一番大切なはずです。
しかし,そのような医師を養成するように医学部が自己変革できていません。

9 :
★週刊医学界新聞詳細 黒川清氏(東海大学医学部長)医学生・研修医に語る   2
【Q3】どうすれば日本の医療を変えられるのでしょうか?
--------------------------------------------------------------------------------
黒川 医療者がもっと「他流試合」をすることが必要です。医局に代表されるムラの中で安住している以上,
「プロ」にはなれませんし,医療の質はよくなりません。
 日本では,自分が卒業した大学の附属病院でほとんどの研修医が研修を行なう。その後もその病院に残り,
教授にお仕えして,関連病院へ出たり入ったりしながらキャリアを積んでいきます。また,施設内でも
第1内科に入った人は第2内科にはいけないなど,つまり,「混ざる」こと,「他流試合」を極力避ける
仕組みになっているのです。つまり,18歳で医学部に入学したら,以降,決して外と混ざることがなく,
ずっとその大学の枠の中で生きていくことになることも少なくありません。「Inbreeding=純粋培養」です。
他流試合をしないから,自分たちの医局や教授のレベルがどんなに低くてもバレないし,その内側の
人間も比較の対象がないから,問題意識も向上心も持てません。
 一方米国では,医学部は4年間のグラデュエートスクール(大学院)と位置づけられており,4年制大学
(アンダーグラデュエート)を卒業していて,社会人経験を持つような人材も多く採用します。しかも,
重要なのは,例えばA大学の医学部ではA大学のアンダーグラデュエート出身の学生を,定員の2割くらいしか
採用せず,全米のさまざまな大学から学生を採用するということを意識的にやっているということです。
米国の場合,ここでまず,人材が「混ざる」。さらに,卒業すると臨床研修の施設は,全国規模の
コンピュータによるマッOで決まってしまい,ここでも同じ大学からその附属病院へは2割程度しか
進めないようになっています。ここでも「混ざる」わけです。異なる文化や価値観を持つ人々が混在する
中で「プロ」を育てることによって,社会に対する「プロ」集団としての責任を保障しようとしているのです。

10 :
★週刊医学界新聞詳細 黒川清氏(東海大学医学部長)医学生・研修医に語る   3/3
 このように強制的に「混ざる」システムになっていますので,米国ではどこの大学を卒業したかは
あまり問題ではなく,研修医として,そして医師としてどのくらい優れているかが,キャリアの
それぞれの段階で,同世代の人たちによって評価されます。
 日本でも強制的に「混ざる」システムを導入し,「他流試合」が行なわれる環境を作ることが大切です。
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2001dir/n2429dir/n2429_06.htm

11 :
★【せろん】ムラ社会について (2004-04-17 14:12:23)   1/2
text: sa10
 解放された3人の人質を見て「みんなに迷惑をかけてけしからん」とか「日本の恥
をさらしやがって」とか「この場に及んでまだイラクで活動したいとは信じがたい」
というふうに思ってしまうのは、日本にはあいかわらず「ムラ社会」の思想が深く根
をはっているからだ。
 日本には「回転自動ドア」なんてものを安易に受け入れる近代化はあるのに、その
くせ「思想の近代化」はまだ訪れていない。「リストラ」という近代化は受け入れる
が、それは「会社」という「ムラ社会」にとって都合がいいからだ。日本は「ムラ社
会」にとって都合のいい近代化は受け入れるが「ムラ社会」をやめて「新しい社会の
あり方」を目指すこと、つまり「思想の近代化」はしない。
 「出る杭を打たれるのは嫌だな」と思いながら「出る杭を打っている」のは本人で
あることに気付かない。あるいは気付かないふりをして自分も出る杭にならない。そ
うしないと成り立たないのが「ムラ社会」。「ムラ社会」が嫌になった人はムラを去
り都会に行く。地方の人が東京に行くように、スポーツ選手がアメリカやヨーロッパ
に活動の場を移すように。
 ムラに残る人はそれを見て「いいな」と思う。でも「自分には無理だな」と思いム
ラで暮らす。なぜ無理かと言えば「自分はムラ社会じゃないと生きていけないから」。
だから「ムラ社会」は守るべきものとなる。

12 :
★【せろん】ムラ社会について (2004-04-17 14:12:23)   2/2
 解放された3人の人質が「ムラ社会」に住む我々にとって「ヘン」に見えるのは、
彼らがしたことが「ムラ社会」の常識にないからである。「大リーグに活動の場を移
す」が日本のプロ野球の常識になかったように。少し前だったら「日本人選手が大リ
ーグに活動の場を移す」は十分に「ヘン」なことであっただろう。
 日本には思想の近代化は訪れていない。だから日本人には西洋に対する羨望・コン
プレックスがある。しかし大リーグに活動の場を移した日本人は「思想の近代化」を
はたしたかもしれない。だから「思想の近代化」をはたしてしまったかもしれない解
放された3人の人質は、いまだ「思想の近代化」をはたしていない「ムラ社会」の日
本に戻ってきても、今は居場所がなくて気の毒だなと「ムラ社会」に住む私は思う。
http://writer.gozans.com/writer/913/48.html

13 :
★「民主主義は再生したか」 ― 長野県政と『ポスト・手続き民主主義』の行方 ―
 ところがこの対策委員会というのがそもそもデタラメで、それを構成するのはその地域の
有力者とか、建設業界とべったりの議員の後援者たちとかそんな人たちばっかりなのだ。
そんな人たちはまともに地域の意見の集約なんて事はしない。「大賛成なので早く作ってくれ」
とか或いはそれが地方の田舎であれば「自分の農地の上に道路を通して欲しい(農業なんて
儲からないし自分の子供も後を継がないと言っているから出来るだけ高く買ってくれ、みたいな
背景がある)」というような意見を勝手に「地域の総意」としてしばしばデッチ上げてしまう。
 じゃあ、何故道路計画に反対の意見を持つ人はそんな理不尽な話に抗えないかというと、
そこが田舎のムラ社会の特殊な事情で、地域内で力のある人・声の大きい人が強引に
流れを作るとそれに逆らう雰囲気が出来にくいというのがやっぱり大きいものとしてある。
要するにあまりそこで波風を立てて「村八分」にされたくない、というやつだ。相手が地域内の
有力者であるならなおさら、というわけ。
 都市的な観点からすると少し不思議かもしれないが、田舎でムラから自立して生きるという
のは大変なことだ。いや、本当はやってみるとそれほどでもないのかもしれないのだけれども、
未だ「ゆりかごから墓場まで」様々な場面でムラとの共同作業は、やっぱり都市と比べて田舎は
物凄く多いわけで、それを考えるとムラに住む人にとってはムラ抜きの生活ということ自体、
かなり構想しにくい状況にあるのは確かなのだ。
 田舎のムラ社会のこういう「同調圧力」の存在は実は周知の事実だったりする。例えば
これまで行政はこれを熟知していて計画を円滑に進める時に為にしばしば利用してきた。
地域の有力者と予め話をつけたうえで計画を作るとか。もう田舎では本当にごくありふれた話だ。
ttp://deadletter.hmc5.com/text/2002-7-07.htm

14 :
★しょせんムラ社会 [ 思い・こだわり ]   2005年12月01日
 市になっても、しょせんムラ社会。
 地縁血縁、コネで行政が動いているのだ。
 公営住宅の入居を早くから申し込んで順番を待っている人がいるのに、
コネがあればその人をさしおいて、今日言えば明日入れるような状況。
 地域の有力者が「保育園があるんやから幼稚園はなくてもいい」と言えば、その地域全
体が幼稚園廃絶に向けて動き出す。心の中で反対する人はいても、声には出さない。つき
あいが必要以上に重視される田舎では、「出る杭」になることは許されないのだ。
 
 ちょっと話がそれるが上の話と無関係では無いと思うのでおつきあい願いたい。
 ここに来る前に、市内の別の地域に住んでいたのだが、自治会の他に、子供会、老人会
などの団体があった。婦人会もその一つで、各家庭から女性が一人入って、ムラの行事の
接待や、公民館に集まっての茶話会などの活動をしていた。活動の大半は親睦を深めるた
めかおしゃべり会で、いわばムラの情報交換という名のうわさ話大会だと聞いていた。3
世代同居がほとんどを占めるそのムラで、お姑さんに言われて渋々入っている若嫁さんが
何人もいた。
 入るのは任意だというので、お誘いを受けたときに断った。
 夕方からの仕事をしていたので活動の為に休む気はない、と初めに言った。「じゃあ、
名前だけでも」と言われ、「名前を入れるということはその団体の一員になると言うこと。
活動に参加しないのに名前だけ入るなんて嫌だ」と言って、お引き取りいただいた。
 1ヶ月経たないうちに、別の人が説得に来た。
 「考えが変わってないかと思って」
 「いえ、変わりません」
 「みんな入ってもらってるんやけど」
 「各家から一人ずつ入らなあかんというなら入ります。」
 「いや、一応任意で入ってもらうというかたちになってます」
 「なら、入りません。接待などで人手が必要なときは、喜んでお手伝いさせていただき
ます。でもこの団体のメンバーになる気はありませんので。いやいや入っても迷惑になるだけですから」
 直接耳に入ってくることはなかったが、陰で相当言われていたと思う。
http://plaza.rakuten.co.jp/utena305/diary/20051201/

15 :
●教育の背景
(清水一郎、塾経営、「共育つうしん」52号、2000年6月掲載)
 それでも私たちが、この格調高い教育基本法の理想と、その背景をなす日本国憲法の個人の
尊厳の重視とを、日々の教育・子育てのなかで実践することには、かなりの努力と勇気を要します。
世間のしがらみにとらわれてそこから抜けられない意識と、自分の心の奥にしまい込んでいる
本音との葛藤に、私たちはともすれば安易な道を選んでしまいがちです。日本国憲法や
教育基本法を貫く個人の尊厳を尊重する思想は、個人が自立した社会を前提としているように
思います。大人の間で未だ個人の自立が確立されていない日本で、健全な社会人を育成するための
営みを試みるのは、絶望的な思いすらあります。
 日本が近代化されて百数十年の時間が過ぎました。敗戦により再度近代化され五十数年が
経っています。この間に公的な社会の建前は、すべて先進国(欧米)の規範で動くように
なっています。ところがいまでも、個々人が属する世間(ムラ)の掟による心理的圧迫があります。
個人の自立を建前とする国法秩序と、自立を許さないムラの掟が併存するのが日本社会です。
私たちは、このダブルスタンダード(二重の基準)の中で苦しんでいます。職場という世間、
隣近所という世間、家族親類縁者という世間など、それぞれのムラの掟と、自分の心の中の
本音や法秩序などとの板挟みに悩みます。日本社会のこの二重構造は、世代を越え子どもたちの
間にも存在していると思えてなりません。
http://www.ktv.ne.jp/~wef/kiji9.html

16 :
★村社会日本 日本のここがおかしい  上
06年11月07日(火) 08:43
  学校でのいじめが再び問題になっていますが、最近ではネットを使ったいじめが多発し
ているとも聞きます。ブログや掲示板に匿名で悪口を書き込んだり、携帯でひどい言葉を投
げつけるような事らしいです。大人の世界でも、職場の人間関係で悩んだ事のある人は65
%に達するとの報告があります。私はこういう現象はどうも日本独特の村社会の特徴のよう
に思います。外国ではこういう話はあまり聞きません。日本人はどうみても、他人に関心が
ありすぎます。週刊誌を見ても、人の噂話が満載の男性誌や女性誌が所狭しと陳列されてい
ます。アメリカにもゴシップ系の週刊誌はありますが、マイナーであまり読んでいる人をみ
ません。
  日本は昔は農業国家で、村単位で助け合いながら生きて来ました。そうしなければ生き
て行けなかったからです。ですから、お互いが全て顔見知りであり、どこの誰がどうしたと
いう事は村中の人がしっていました。そして、何か不始末をしたり、ボスに睨まれたりする
と、村八分にされて、誰からもつきあって貰えなくなりました。八分とは、残りの二分だけ
つきあうという意味で、それは火事と葬式です。これは、いじめの原型のようなものですね。
でもこの時代は自給自足生活であり、農作業は協力しあわなければ出来ない性質の仕事です
から、生きるための方策として、お互いに依存しあって来たわけです。仕事面だけでなく精
神的にまで依存する事もなかったのかもしれませんが、娯楽も何もない時代ですから、いわ
ば社交だけが楽しみだったので、無理もありません。
  でも時代は変わって、多くの人は都会に移り住み、形式的な村は崩壊したはずです。実
際、都会に住んでいると隣近所などと交際する必要性は殆どありません。小さい子供がいる
と一緒に遊ばせてあげる相手がいる事くらいです。村では、農機具や食料その他の必需品が
足りなくなっても、すぐに買いに行ける店もなく、近所の人に借りるとかの必要性があった
のですが、都会ではどこででも手に入ります。

17 :
★村社会日本 日本のここがおかしい  下
ですから、都会では濃厚な交際は不要になったはずなのですが、実際には学校と職場に
村が残りました。この新しい村でも、古い村と同じように、他の構成員に異常な関心を持ち合い、
精神的に依存しあいます。そして、何か不始末というか、気に入らないことがあると、
村八分の変形であるいじめになるのです。
  まあ、日本全体が大きな村社会になっており、拉致事件や幼い子が犠牲になる事件など
があると、国民全体がものすごい関心も持つと共に、被害者に同情し、犯人に怒りをあらわ
します。これは悪い事ではありません。しかし、会社や学校でのいじめだけでなく、流行に
流されやすい国民性になり、政治的に流されると、太平洋戦争のような無謀な戦争に国民の
殆どが賛成してしまうという危険な事になってしまいます。民主主義とはそれぞれがしっか
りとした自分の意見をもった国民が、それぞれの考えで投票するから成り立つのであり、村
社会で、ボスがこうだと言えば、それに従って投票するような国民では、正しい選択はでき
ません。
  結局、村社会がいまだにはびこる根本原因は一人一人の自立が出来ていないからです。
自立した人格を持てば、他人への関心は薄れ、いじめも無くなります。暴言を吐かれても、
我関せずと受け流す事ができ、自殺なんかになる訳もありません。依存的性格だと、村八分
にされてしまうと、世の中が終わった位に思ってしますわけです。
  このように考えると、正しい民主主義の確立もいじめをなくすのも、個人個人が依存症
をなくして、自立して、自分の目標をたて、それに向かって進み、交際は‘水の如く淡し’
程度に留めて置く事が大事なのです。ご本人は勿論、お子さんをお持ちの方も、独立心旺盛
な、インディペンデントな子供さんになるようにして欲しいものです。政府がいくらいじめ
対策をやっても、自立した個人が出来なければ、いじめはなくならないからです。

http://www.mypress.jp/v2_writers/yuigahama/story/?story_id=1520882

18 :
前すれ
田舎ムラ社会から近代市民社会へ
http://www.unkar.org/read/society6.2ch.net/soc/1119626212
田舎ムラ社会から近代市民社会へ
http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/soc/1119626212/
田舎ムラ社会から近代市民社会へ
http://2chnull.info/r/soc/1119626212/1-1001

19 :
前すれ
田舎ムラ社会から近代市民社会へ
http://www.unkar.org/read/society6.2ch.net/soc/1119626212
田舎ムラ社会から近代市民社会へ
http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/soc/1119626212/
田舎ムラ社会から近代市民社会へ
http://2chnull.info/r/soc/1119626212/1-1001

20 :
ここは
「田舎ムラ社会から近代市民社会へ」というスレタイだけど
>>17までのように
実際進んだのは「ムラ社会を捨てる」ってことだけなんだよね。
ようするに田舎から都市への流れの一端だけど
都市に近代市民社会があるかと言うと決してそうではない。
田舎・都会論争ではなく日本人が変わらないといけないってことなんだろうな。

21 :
>>20
会社って村社会そのものだとおもうんだよな。
日本人が集まると村ができるんだろうな。
かえるたって難しいな、今の民主主義だって別に欲して勝ち取ったわけじゃあないし。

22 :
>>21
会社や学校なんて地縁によらないムラ社会の典型だろうね。
村落共同体から解放されたいと思って都市に出て行っても結局ムラ社会に苦しめられる。
日本人はムラ社会を通じてでしか他人とかかわれないからね。
あと日本人の政治嫌いってなんとかならんのかね?
政治には関わらないことは暗に美徳とさえとられてる部分があるよね。
そんなんじゃ近代市民社会とか無理だろう。

23 :
あと、友人関係とかもそうだな。
常に連絡を取って関係を確認し合うことで互いの存在証明にしたり、
個別の関係よりも場の空気を読み合って調和を図ることとか、
そのくせ他人に対しては無関心または無礼・冷酷な態度を取るなど。
典型的なムラ社会の姿だ。

24 :
★あれこれ   弁護士 飯島奈絵
次に、感じたのはアメリカ人、そして、ここに住む日本人の方々の参政意識の高さ。
日本では、多くの国民が「政治は政治家が密室で利権がらみであれこれ決める何だか
よくわからないおどろおどろしいもの。」といった意識を持ち、政治に関わろうとしない。
露悪的にいえば、政治に関心があるのは権力意識がよほど強いか、妙に純粋で理想論
ばかりを述べる「青い」人か、宗教関係で動員がかけられた人といった意識がある。なぜ
このように違うのか。単なる「国民性」ではすまないであろう。日本人も米国の政治は
面白いと思っているのだから。違いは大統領選か?二大政党制か?
勤務先法律事務所で『民主主義』を感じたことがあった。クライアントの日本企業が
州法に抵触した。勤務先事務所は「州法の制定手続、規制方法に手続的瑕疵がある。
当該法の規制範囲は広範に過ぎる点でも問題がある。争おう。」という。しかし、
日本企業は煮え切らない。日本では訴訟を提起したということ自体、新聞沙汰になる。
人聞きが悪い。企業イメージが下がる。その上、監督官庁にたてついたら、どのような
不利益があるか。国にたてつくとの構図も企業イメージを下げる。日本企業のそんな
思考方法を説明したところ、米国人弁護士に呆れられた。「法律に瑕疵があれば、
その是正を求めることは、民主主義における市民の権利であり義務でないか。」と
言われた。やはり日本はムラ社会なのか、出る杭は打たれるのか。国は「お上」なのか。
http://www.wjwn.org/views/05summer/sakairijima.html#_ftn2

25 :
>>23
いわゆる「リア充」ってのがそんな感じだなぁ。
自主的にあれこれ行動してリアルが充実している っていうより
まわりと同調することに気をつかい、ハブられなくてすんでいる。 ってな感じだ。

26 :
>>25
日本のムラ社会に最大限適応してるってことか。

27 :
★新卒一括採用は合理的である - 池田信夫 アゴラ  1/2
2010年08月07日18時26分
議論の素材として、新卒一括採用は合理的であることを経済学の理論で明らかにしてみましょう。
私は『情報通信革命と日本企業』で、これを次のように説明しました:
  労働者のモラル・ハザードに対して通常の市場メカニズムにおいて可能なペナルティとしては、
  賃金に競争的な水準以上の効率賃金(efficiency wage)を支払い、労働者の事後的な成果が
  目標を下回った場合には雇用契約を打ち切るという戦略が考えられるが、この処罰は相対的な
  賃金格差によるものだから、全労働者に効率賃金を支払うことは定義によって不可能である。
  ところが日本では失業率は、終戦直後の一時期を除いて世界でもっとも低いにもかかわらず、
  労働者の規律は失業率の高い国よりはるかに高い。これは採用を原則として新卒に限り、
  中途採用に際しては待遇がいちじるしく悪化する退出障壁によって労働者を企業に閉じ込めて
  いるからだ。
  白紙の状態の新卒を採用して企業特殊的な技能を一から教えてゆく技能形成システムは、
  長期的・年功的な雇用慣行と不可分の強い補完性を持っている。ここでは労働者は「丁稚奉公」
  によって組織に対する初期投資(贈与)を強いられ、他の企業では役に立たない「会社人間」
  となるため、彼の企業特殊的な人的資本への投資は埋没費用となり、退出障壁はきわめて
  高くなるのである。(p.72〜3)
ちょっとむずかしい表現ですが、こういう意味です:もし新卒一括採用をやめて、専門的技能のある
人を必要なとき雇うことにすると、環境が変わってその専門知識が必要なくなっても解雇できない。
新卒で「真っ白」な社員を採用し、徒弟修行でいろいろな技能を教えたほうが柔軟なローテーション
ができ、社員の忠誠心も高まります。

28 :
★新卒一括採用は合理的である - 池田信夫 アゴラ  2/2
日本の企業では、先輩をまねて仕事のやり方を覚えるので、その技能は会社の外では役に立たない
ことが多い。会社の中で「下積み」が評価されないと、労働者は徒弟修行で辛抱するのをいやがり、
他の会社でも通用する専門知識を習得したら会社を辞めてしまうでしょう。こういう個人主義的な
労働者ばかりだと「すり合わせ」による品質管理ができず、競争に勝てない。
このように新卒で一括採用し、「同期」を出世競争で競わせる人事システムは、ゲーム理論でも
説明できる合理的なもので、それが一時期までの製造業で有効だったことは事実です。問題は、
それが今でも有効なのか、また製造業以外でも有効なのか、そしてこうした人事システムによって
失うものは何か、ということでしょう。
http://news.livedoor.com/article/detail/4933075/

29 :
都会と犬ども (新潮・現代世界の文学) [単行本]
M. バルガス・リョサ (著), 杉山 晃 (翻訳)
内容(「BOOK」データベースより)
大人の世界に目覚める思春期の少年たち。彼らを取巻く堕落した社会。自己の衝撃的な体験を見事に昇華
させ絶讃を博したラテンアメリカ文学の旗手、’63年の傑作。厳格な規律の士官学校で起こった試験問題盗難
事件―密告、いじめ、軍事教練中の射殺…暴行、飲酒、喫煙、盗み、ばくち、カンニングなど、鬱屈しつつも
虚勢を張った粗暴な振舞いをする少年たち。弱肉強食の悲情な世界での彼らの成長過程を通して、腐敗、
堕落、暴力、不正、偽善にあえぐ現実社会をする!
By エスパニョール二郎 (東京都目黒区) - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: 都会と犬ども (新潮・現代世界の文学) (単行本)
バルガス・ジョサは実際ペルーの士官学校を卒業しているが軍人にはならなかった。この本の内容のとおり、生徒は
知性のない犬のようで教育する軍人も低いレベルなのでしょう。このように実態を暴露されては軍隊は面白くなかっ
たと思います。ジョサが大統領選挙で負け、軍隊と親しくしたフジモリ政権のときジョサは軍人の仕返しを予測して、
スペインに逃げました。
この小説には士官学校の生徒として数人の若者が登場しますが、彼らの恋人の女性の名前がみな同じなので読
んでいてかなり混乱します。作家の意図が明確には読めませんが、読み終わるとなんとなく若者たちが勝手に想像
している恋人であまり明確な性格がないものとして描いたのかな?という気がします。

30 :
緑の家 (新潮文庫) [文庫]
マリオ バルガス・リョサ (著), Mario Vargas Llosa (原著), 木村 栄一 (翻訳)
内容(「BOOK」データベースより)
砂の降りしきる町の娼家「緑の家」、密林に覆われた尼僧院、インディオの集落。ペルー社会の複層性さながらに
交錯する現代・中世・古代。盲目のハープ弾き、飲んだくれ、日本人の流れ者、そして女…。市民的規範には
無縁のしたたかな人物群が多様多彩に躍動乱舞する。―ラテンアメリカ文学の豊かな土壌に育くまれ、前衛的
な手法を駆使して濃密に織りなす、物語の壮大なる交響楽。
By ぽこぺん - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: 緑の家 (新潮文庫) (文庫)
かなり長い。700ページほど。でもロシア文学に慣れた者なら、これくらいの長さは快楽だったりする。パルプフィクション
を彷彿させるつくり。込入り、ぐちゃぐちゃ。しかしながら、ジョイスなどと違うのは、のシーンが意外と少ない。
比較できるものでもないが、リョサとガルシアマルケスでは、ガルシアマルケスの方が好きである、個人的に。こっちは、
いかんせん綺麗な感じがする。「おれがいるんだから、恐ろしくて何もできっこないさ。」「世の中には地獄よりも恐ろ
しいものがあるかね?」「それでも人間は懲りもせず罪を犯すんだ。恐ろしいからといって止めるもんじゃないよ、フシーア」
ちょうど、メキシコの地下鉄で、この本を読んでいるおじさんが居て、感激した。スペイン語圏では、それほど、パワーのある本なのだ。

31 :
2010年10 月 7日 (木)
2010年ノーベル文学賞はペルーのマリオ・バルガス・リョサ
と決定しました。
http://watanabeyukari.weblogs.jp/youshonews/2010/10/nobel2010-announced.html
Mario Vargas Llosa(マリオ・バルガス・リョサ)は、ペルーの作家で、小説家、エッセイスト、ジャーナリスト、という
文筆業だけでなく、大統領選に出馬してフジモリ氏に破れた政治家でもあります。ノーベル文学賞には、このよう
な政治色があることが多いですよね。
受賞の理由は、 "for his cartography of structures of power and his trenchant images of the individual's
resistance, revolt, and defeat"と、「権力構造を明瞭に示し、人々の抵抗、反抗、そして敗北のイメージを鋭く
表現していること」と、やはり政治的な要素が強いようです。
リョサは、Leoncio Prado Military Academyという軍隊アカデミーでの体験を活かしたLa ciudad y los perros(The Time
of the Hero)でデビューしました。彼は大学時代にはマルクス主義を学んで共産主義を強く信じ、多くのラテンアメリカの
知識人のようにキューバ革命の支持者でした。けれども、詩人のHerberto Padillaが投獄されたPadilla事件をきっかけに
極端に左寄りの思想を捨てて自由主義に変わって行きます。

32 :
★最大の「消える高齢者」予備軍は団塊世代
Joe's Labo 2010-10-04
夏以降、全国で「消えた高齢者問題」が話題となっている。
その背景には、よく言われるように、核家族化や都市化といった社会の変化があるのは
間違いないが、実は雇用問題も無関係ではない気がしている。
というのも、たとえば大手企業などを定年退職した後で、燃え尽きちゃった人の話をしばしば
聞くからだ。
僕の知っている人でも、海外支社長まで勤めたのに、朝から酒浸りになっちゃった人もいる。
その時は単に「やること無いんだろう」くらいにしか思わなかったが、考えてみれば、
仕事以外にやることないという人生も凄い。
そういう人の存在が、どうしても消えた高齢者と被って見えてしまう。
そういう意味で、
文藝春秋10月号『「消えた高齢者」無縁社会の泥沼』(上原善広)は
とても興味深い事実を示唆してくれている。
もともと消えた高齢者問題のルポなのだが、“団塊”という言葉が一つのキーワードに
なっている。横浜市の民生委員の言葉は予想外だった。
「団塊世代というのは地域活動に参加しない。これはどういうことなんだか、
他の地域でも そうらしい」
家族がばらばらになったり所在不明になっちゃう老人もいるけれども、世代として異質
なのは、むしろその下の団塊だということだ。
ちなみに、この民生委員の黒田氏は78歳。自身の活動についてもこう懸念している。
「問題は継いでくれる世代があまりに少ないということ。60歳前後の
団塊世代が入らないから、このままでは70代からいきなり30代に
依頼しなければいけないかもしれない。60歳くらいの人は
サラリーマン育ちが多いでしょう。だからプライドが高いんだ」

33 :
★最大の「消える高齢者」予備軍は団塊世代   2
彼らが異質なのは、日本史上で初めて、地域や家族という共同体から、終身雇用という名の
会社ムラに軸足を移したからだ。定年後の彼らの活躍に期待しているNPO等も多いが、
会社ムラで滅私奉公してきた人間に、いきなり地域ムラに参加しろというのは、意外と
ハードルが高いのかもしれない。
さて、最近の若者は組織に馴染まないとか転勤したがらないといった指摘が割と目立つが、
個人的にはそれでいいと思う。終身雇用なんてあるように見えても存在しない、あるいは
全然割に合わないシロモノになり果てているわけで、組織と一心同体化する必要などなくて
まあ日銭を稼ぐ手段程度に考えておけばよい。
それが世界標準の労働というものだ。
もし本気で仕事に一身を捧げたいと願うのであれば、与えられる仕事に満足するよう
言い聞かせるのではなく、それに値する仕事を自分で探すことだ。
ちなみに、地域も家庭もかえりみず、会社に滅私奉公した末に待っているものはなにか。
同記事には、東京郊外のニュータウンを中心に活動する「事件現場清掃会社」高江洲代表の
コメントも掲載されている。
「孤独死するのは55〜65歳くらいの、団塊とその少し後ぐらいの世代が目立ちますね」
家族という地盤があればまだいいが、それすらなかった企業戦士の行く末は哀れなものだ。
個人的には、20代の多様化には期待している。恐らく、団塊ジュニアもある程度は多様化
しているように思う。僕の同期でも「家庭なんて放置して、何が何でも会社一筋」
というのは皆無で、サラリーマンやってる奴はみんなボチボチ派ばかりだ。
良い意味でも悪い意味でも、会社というムラも希薄化しつつある気がする。
Joe's Labo 2010-10-04
http://blog.goo.ne.jp/jyoshige/e/5781c6291a7ade54127d6f71ce2a99d0

34 :
>>25
つーか、常に携帯メールやりとりしてるような連中はほとんどそう。
大学生とかの最大のステータスが携帯の登録件数だとか
一緒に昼飯を食う友人がいない学生がそれを恥じてトイレで飯を食うとかいう例は
特に典型的な事例だと思う。
さらに、それを嘆く人間も単に反発するだけで新しい関係性を模索できていない。
反「村」社会≒人間関係喪失者に近くなってる。
これは結局別の意味で村社会の住人だということでしかない。

35 :
そのためには簡単に笑わない事。
安易な笑いが社会を閉鎖する。

36 :
現在の若者の携帯メールで繋がった人間関係は、新村社会。
日本の国力低下の象徴だな。

37 :
★日本の『クソ労働環境』成立の歴史的背景と諸悪の根源   1
Kousyoublog 2009.09.29 Tuesday23:45  http://kousyoublog.jp/?eid=2409
■諸悪の根源、日本特有の雇用契約
日本でも当然労働基準法(1947年成立)など労働法関連法が急ピッチで整備され、たとえば
強制労働の禁止(労働基準法第五条)中間搾取の排除(同第六条)など旧弊が次々と禁止
されるとともに、労働組合法(1945年成立49年大幅改正)、労働者災害補償保険法、職業安定法
(1947年成立)等が続々成立して『クソ労働環境』は劇的に改善しました。
しかし、カローシ(過労死)が世界的に知られるなど日本の労働環境は諸外国と比べると
かなりよろしくない。その原因はこの輝ける『黄金の循環』期(=高度経済成長期)にありました。
結論から言うと諸悪の根源は、日本特有の雇用契約にあります。
おなじみhamachanこと濱口桂一郎氏の著書「新しい労働社会―雇用システムの再構築へ」でも
指摘されていることですが、海外の雇用契約は職務(ジョブ)を単位として締結されるのに対し、
日本のそれは会社の中にある職務(ジョブ)を切り出さずに、会社に所属することそのものを
雇用契約にするのが特徴となっています。これを濱口氏はメンバーシップ型雇用契約と呼んでいます。
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職務を限定せず会社に所属することそのものを雇用契約とするそのやり方は社内で不足した
職務があれば即座に配置しOJTによって教育、戦力化できるため、終身雇用制度下で実に有効に
作用しました。高度経済成長下では企業は次々と親子会社が出来、いわゆる系列間での異動、
出向も出来るようになり外部の労働市場に頼らずとも内部に労働市場を作りあげました。
いわゆる日本型雇用システムというのがそれです。

38 :
★日本の『クソ労働環境』成立の歴史的背景と諸悪の根源   2
■ムラ社会化を加速させる日本型雇用システム
折りしも日本の高度経済成長期は地方の村々が解体され少数の大都市圏へと大規模な
人口移動が起きた時期でもあります。旧来の地域、家族のコミュニティが解体され、人々の
よりどころとなる共同体は会社がその役割を担うことになります。職務だけで一時的に
つながる関係ではなく、メンバーとしてその労働者そのものが会社に所属し、しかも
終身雇用する訳ですから、より濃密な関係となるのはあきらかでした。
コミュニティという視点で言うならば、会社は生産のコミュニティ、家族は生活のコミュニティ
と言えます。この二つはベクトルでいうと正反対に位置するものですが、高度経済成長期は
生活のコミュニティは地方からの上京組や核家族という最小化されたものとなり、逆に会社は
一日のほとんどを費やすことになり極大化されていきました。このいびつな関係を結びつけたのが
「奇跡的な経済成長」という接着剤で、ほかのあらゆるコミュニティを最低限のものとして
会社の生産活動に人生を捧げていれば、結果として収入は数倍になり人生最後まで面倒を
見てくれたのです。高度経済成長期には社葬はもちろん会社専用墓地などそれこそ死後も
面倒をみてくれた会社も多くあったといいます(→日本の多くの会社で宗教行為が行われていた
のは何故か?)。そのころの名残か、労災で死亡した人の葬儀代や埋葬の費用に関する給付は
会社が受け取り人になることも出来ますしね。
千葉大学の法経済学教授広井良典氏は著書「コミュニティを問いなおす―つながり・都市・
日本社会の未来」で高度経済成長期の様子をこう表現しました。
  「コミュニティを問いなおす―つながり・都市・日本社会の未来」(P16)
  戦後の日本社会とは"農村から都市への人口大移動"の歴史といえるが、農村から都市に移った
  人々は、カイシャと核家族という"都市の中の農村(ムラ社会)"を作っていったといえる。
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コミュニティを問いなおす―つながり・都市・日本社会の未来 (ちくま新書)

39 :
★日本の『クソ労働環境』成立の歴史的背景と諸悪の根源   3
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さて、雇用契約は労働者が労務を提供し、使用者が賃金を支払うことで成立する・・・はず
ですが、その雇用契約に付随して使用者には企業秩序定立権、懲戒権、あるいは人事権など
様々な権利が発生し労働者はそれに従う義務が生まれます。この労務と賃金の関係に付随して
使用者に発生する各種権利の理論的根拠は実は定まっていないらしく、使用者であるがゆえに
当然発生するとする固有説と労働契約に基づいて発生する契約説とに二分されているのだそうです。
使用者に発生する広範な権利は日本の労働契約の実態が「会社という共同体への人的帰属関係
との性格が強い」(水町「労働法」P154より)つまり、労働者は使用者の指揮命令に従う
ことで会社という共同体に所属する権利が与えられるというところにあると言ってよい
のではないかと思います。
で、このメンバーシップ型雇用契約は大企業だけじゃなく中小企業でも適用されてるというのが
日本全国『クソ労働環境』(って久しぶりに使った気がする)だらけにしている元凶のひとつで、
当然、高度経済成長期でも、中小企業は終身雇用、年功賃金、企業別組合の三つを特徴とする
日本型雇用システムを取っていたのは大企業だけで、中小企業は労働者を買うにふさわしい
待遇を与えられていたかというとそうでは無いようです。逆に解雇規制といいつつも比較的
自由に解雇したり、転職したり流動的な状況だったということですね。

40 :
★日本の『クソ労働環境』成立の歴史的背景と諸悪の根源   4
■日本の雇用契約と古代ローマの奴隷契約
長々と説明してきましたけど、つまり日本の雇用契約は、奇跡的な時代の名残で、仕事じゃなく
労働者そのものを買う制度になっているということですね。超経済成長社会特化型雇用契約モデル
というか。そういう意味では民法の雇用契約概念はローマ法の奴隷契約をベースに出来たのは
有名な話ですが、その原点にとっても近い由緒正しい形態かもしれない・・・というのは
ちょっと言いすぎですか。
メンバーシップ型雇用契約にはもちろん利点も一杯あるのですが、残念ながら現状では功より
罪の方が強まってきているように思えます。ただ一律に禁止するべきではなく、メンバーシップ型
雇用契約が向いている職種も沢山あるので並存した多様性の担保が重要なのだと思います。
・・・経済の黄金時代ははるか昔に終わり、バブルという一瞬の打ち上げ花火が上がった後に
残ったのは20年に渡る超長期不況と、会社をムラ社会的コミュニティ化することが出来る独特の
雇用契約システム、ムラ社会化し閉鎖空間となっている既存の企業群が打ち捨てられている
というのが現状でしょうか。
以上、専門家から見るといろいろアレかもしれないですが、そこは色々ツッコミいただければ
嬉しいです。じゃーどうするのがいいだろうか案については実は半分ぐらいは書いたんですが、
適切な内容かどうかまだ自信が無いので今回は割愛、ってそこが重要だろという話もあるけど。
よく精査してできれば近いうちにアップできればと思いますが、お蔵入りにするかもです。
とりあえず近々ということで。
Kousyoublog 2009.09.29 Tuesday23:45
http://kousyoublog.jp/?eid=2409

41 :
>>34
そうなんだよね、新しい関係性ができてないから既存のムラから弾かれる奴ばっかり
あらわれてる。

42 :
★異質への理解

 私が貿易に携わってもう28年になります。会社員を辞めた後も貿易コンサルタントの仕事を
選んだのは自分の強みとして「外国人と仲良く仕事ができる」というのがあったからです。
外国人と話をするのは大好きで、なぜなら私は異文化に興味があり、彼らもまた「異質」を
理解しようとするからです。
 Understandというのは理解をするという意味ですが、あなたの言うことや立場は理解できる、
というだけで自分が心から賛同するという意味は含まれてはいません。自分とはまったく
同じでなくても相手の存在を認める、そしてビジネスにおいてはその違いを良い方向に
生かそうという頭が次に働き始めます。
 ところが、日本の場合は異質な人、違う意見を持つ人は仲間はずれにされる傾向があります。
ムラ社会、大家族主義の伝統や戦後民主主義のはき違えで何でも多数決あるいは全員一致主義
から来るのかも知れませんが、力で他人の意見を押さえつけようとする人、反論する人を
なじる人、あるいは人の顔をうかがって黙って得になりそうな方につく人、
最悪は何も考えないで支配されているだけの人が結構います。
 目先の損得だけのために同質を装った集団よりも異質を有機的に組みあわせをした方が
ダイナミックな展開ができるはずです。ある意味では異質を主張し理解してもらうというのは
自己責任の世界で、ただ他人にくっついて行くだけや集団に所属しているだけで何とかして
もらえるよりは孤独感もあるかも知れません。
誰でもなれる国際人 河口容子のメールマガジン
http://tamagoya.ne.jp/mm/yoko2/076.htm

43 :
近所の子供たちが、おれに変なあだ名をつけているようだ。
無職とか、敗北者に厳しい子供たちよ。

44 :
★リストラの感覚    1
 住みたいところに住める俺 2010年09月20日
NZの会社に勤めだして数ヶ月経ったときに大規模なリストラがあった。特にシニアアーキテクト
などの上級ポジションの人が半数以上クビになった。私を技術面接したアーキテクトも含まれていた。
このNZの会社ではリストラでクビになっても即刻辞職というわけではなく、人によって
1週間から1ヶ月ほどの引継ぎ期間を設けていた。クビになった人にはなんとも切ない期間である。
しかし案外みんな冷静に引継ぎをこなしているのが印象的であった。
これで私としては、アメリカ、カナダ、NZの会社での大規模リストラを経験したことになる。
さて、日本ではリストラなどの失職などによる自殺が増加しているといわれて久しい。
ひとつの理由として組織からの脱落感を指摘しているブログもある。
これら自殺の共通点は「組織や社会からの脱落感」ではないか。そして彼らは組織や社会や
学校という狭い世界が自分の存在意義のすべてだと勘違いしている。彼らは「組織」という
機械から外れ落ちた「1本のネジ」と同じだ。
この点は自分でも驚いたことに、自分がカナダのベンチャー企業に転職したときに強く感じた
ことでもある。
カナダの会社は自分の存在意義を求めるような拠り所ではなく、誰もそんなことを期待
していないことに戸惑いを感じたのだ。自分から日本の会社を辞めておきながら、
なんともいえない寂しさを覚えたのだ。
だから組織からクビになった場合、自分の存在を見失ってしまって自る、という流れは
日本社会にどっぷり漬かっていれば想像に難くない。
私が経験した各国のリストラでも、泣いている人や、怒っている人もいたが、大抵すぐに
別の会社が決まるので、その後また顔を出しに来たり、営業しにくる人もいて、自る
メンタリティとは程遠い。
総じて見ていると、日本人の私が経験したことのある精神的ストレスレベルとして近いものは、
年に一度の学校のクラス替えの感覚だ。
仲のいい仲間と一緒にいたいと思っていても、そうはいかない少しどきどきする行事である。
一方で新しいが新しい発見をもたらすこともある。

45 :
★リストラの感覚    2
エンジニアは同じような業界で働くので、小さな街では前の会社で一緒だった人とまた働く
なんてこともしょっちゅうである。仲のよかった、あるいは悪かった友達とまた同じ
クラスになるような。
学校生活も何年もやっていると気の合うクラス、なじめないクラス、色々あるものである。
会社のメンバーのそれも似ている。
ある日本のお偉いさんと呑んでいるときに、こんな話をしたところ、
「そんなんだと会社のために一生懸命働くという感覚がなくなってしまうのではないか。」
と聞かれたのだが、これはむしろ逆だと思う。
クラスは毎年変わるが、だからといって体育祭や文化祭、修学旅行などクラス行事を
一生懸命やらない理由にはならない。やらない人もいてもいいと思うが、クラス替えが
あるからやらない、という人は少ないだろう。
むしろ限られた期間だと分かっているから、この1年で精一杯やって結果を出そうと
思うことが普通なのではないだろうか。
一方で当然ながら、毎年変わるクラスに自分の存在意義を求めたり、しがみ付く人はいない。
そんな感覚で会社が回っているのである。
今となっては、こちらのほうが健全に思えてならない。
クラス替えの後に次のクラスが普通に待っているような社会が。
 住みたいところに住める俺 2010年09月20日
 http://remote.seesaa.net/article/163237072.html

46 :
ずっとコピペしてる人はなんなんだ?

47 :
★トヨタに見るムラ社会の頑迷さ
Joe's Labo その他 / 2010-04-05 10:47:31
トヨタのメディア対応が相変わらずらしい。要するに、不都合な情報を流される可能性のあるメディアに
対しては、貝のように口を閉ざしているということだ。
だが、きちんと対応して自分の言い分を言わなければ、「反論の意思も能力も無い」とされて一方的に
報道されるというのが世界のルールだ。特に海外メディアは容赦ないだろうから、こういう判断を
している理由がまったく理解できない。
それはともかく、こういう問題においても、労使が揃って「取材拒否!」と足並みを揃えているのは
こてこての日本企業らしくて実に微笑ましい。
会社の直面する問題に対して、労使ががっちりとタッグを組む構図こそ、日本型雇用の真の姿だ。
終身雇用で他に逃げ場がないのだから、こうなるのは当然。
愛社精神だのチームワークだの言われているものの正体は、
経営的な手法でも何でもなくて、 ムラ社会の副産物の一つにすぎない。
ところで、このアングルは、そのまま他の“課題”に対してもあてはまる。
たとえば、リコール問題を派遣切りに置き換えてみてほしい。派遣切りを追及され過ぎて困るのはだれか。
同一労働同一賃金が実現して困るのは誰か。
偽造請負だってそうで、これを労組が関与せずに受け入れるなんてことはありえない。
実際、この問題を追っていた某紙の記者は、松下の労組に何度取材を申し込んでも逃げられると
こぼしていた。
労使対立という言葉は、こういうアングルがばれてしまうと不都合な人たちが利用しているカモフラージュ
にすぎない。騙されて共産党や社民党に投票しちゃったような人は、これを機に目を覚まそう。
このままだと連合の既得権強化に利用されるか、
赤旗という名の(御利益ゼロの)お札を売りつけられるだけだ。

48 :
★トヨタに見るムラ社会の頑迷さ  2
ついでに言えば、こういう体質のトヨタがこれまでまったりと繁栄してこられたのは、大手メディア自身
もまた、強固な終身雇用システムで保護されたムラ社会だった点が大きい。
労働市場が流動化しているアメリカなら、彼らはジャーナリズムという共通のスコアカードを持っているが、
日本の記者もテレビマンも、実体としては「オラが会社が日本一」
という普通のサラリーマンでしかない。
だから、広告料という鼻薬にはだれも逆らえない。
そう考えれば、実はトヨタというのはグローバル企業でも何でもなく、ムラのメディアを上手く
コントロールしつつ、ムラ社会式に作った車をムラ社会中心に売っている巨大な一つのムラだったのだろう。
さて、ムラ社会トヨタは変われるだろうか。
言うこときかない海外メディアは一切取材お断り、という姿勢からは、
「よそもんは来るでねぇ!出てけ!」といって引きこもる村民のイメージしかわいてこない。
三河の田舎企業がグローバル企業になる日は遠そうだ。
 Joe's Labo その他 / 2010-04-05 10:47:31
http://blog.goo.ne.jp/jyoshige/e/6afda6c73c8b6907138bf575586b3cb9?fm=rss

49 :
★ムラ社会
日本の会社はムラ社会です。特に大企業や役所はその傾向が強い。ムラ社会は組織としては
都合が良くても、個人に多くを要求しますので、個人を幸福にするシステムではありません。
ですから、ムラ社会のメンタリティと個人のライフワークは矛盾するのです。ムラ社会に
従順なだけの生活を送っていたのでは、ライフワークは持ちようがない。ライフワークを
持とうと思ったら、ムラ社会に掉ささなければなりません。ある程度ムラの住民から白い目で
見られることは覚悟しなければなりません。こう言えば、わかる人はわかっていただける
ことと思います。
つまり、ライフワークを持とうと思えば、他人の目を意識する精神構造を変えなくては
ならないのです。ある意味、個人主義者になる必要があります。組織に利用されずに、
かえって組織を利用するぐらいの根性も要ります。
何が言いたいのか。ライフワークを持つということは、気持ちの上ではムラ社会を卒業する
ということです。そうでなくてはとても個人のライフワークなど持ちようがないのです。
ですが、ムラ社会を卒業すると言うのは平均的な社会人にとっては大きなパラダイム・シフト
です。相当な葛藤の後にようやく卒業できる、といった代物なのです。
http://coach.client.jp/194/

50 :
★「日本的経営」の偽善     1/2
 池田信夫 blog  2007-10-05 / Books
昨日の記事には、予想どおり「財界の犬」とか「違法行為を擁護するのか」などの批判が
あった。そこでバランスをとって、というわけでもないが、朝日新聞の取材班の書いた
本から、御手洗氏の発言を引用してみよう(pp.97〜8)。
  「キヤノンは、終身雇用という人事制度をとっている。それは終身雇用という制度が
  日本の文化や伝統に根ざしたものであり、日本人の特性を引き出すのにもっとも
  適したシステムだからである。」
  「アメリカには[・・・]何千、何万という職能分析と給料が地域別に出ており、自分が
  どこに行けばいくらで雇われるかがわかるから、安心して職を変えられる。日本では、
  そういう仕組みができていないのに、終身雇用をなくせなどと、学者などが軽々しく
  いうのは無責任だと思います。」
  「セル方式[キヤノン独自の生産方式]で、延べにして2万2000人を減らした計算となるが、
  増産もあったので、半分ぐらいが残り、実際に減らしたのは約1万人。[・・・]別にクビを
  切ったわけではありません。外部から来ていた人が引き上げて行っただけです。」
(強調は引用者)トヨタやキヤノンは「終身雇用」や「日本的経営」を売り物にしているが、
それは派遣労働者や請負労働者を「外部から来た人」として計算に入れてないことによる
偽装終身雇用にすぎない。一時は世界から賞賛された日本的経営とは、このような
二重構造の中で、派遣労働者や下請けを人間扱いしないで維持されてきたのだ。
このように終身雇用なんて実際には存在しないのだから、それが「日本の文化や伝統に
根ざしたもの」だという御手洗氏の話も嘘である。「文化と伝統」を持ち出すのは、
現状維持したい人々のありふれたレトリックだが、戦前の日本には終身雇用なんかなく、
職人が腕一本で多くの会社を渡り歩くのが当たり前だった。現在のような雇用慣行が
できたのは、1960年代以降である。

51 :
★「日本的経営」の偽善     2/2
だから問題は、このような偽装終身雇用を守ることでもなければ、朝日新聞の取材班が
主張するように「請負労働者を正社員化」することでもない。アメリカ経験の長い御手洗氏も
理解しているように、「何千、何万という職能分析と給料が地域別に出ており、自分がどこに
行けばいくらで雇われるかがわかるから、安心して職を変えられる」仕組みをつくるとともに、
社員の雇用形態を契約ベースにして多様化し、労働の流動性を高めることだ。
本書の最後に合成の誤謬というケインズの言葉が出てくるが、取材班はその意味を取り違えている。
個々の労働者にとっては、請負より正社員のほうがいいに決まっているが、失業より請負の
ほうがましだ。ところが朝日が激しくキャンペーンを張ると、企業は「コンプライアンス」対策として
請負契約を切り、請負労働者は職を失う。これは、個々の労働者にとって望ましい賃上げ
(名目賃金の硬直性)が、経済全体では失業率を引き上げてしまう、というケインズの指摘した
合成の誤謬とそっくり同じ構造である。
問題は請負契約をなくすことではなく、こうした二重構造を作り出している労働法制を改める
ことだ。具体的には、労働基準法で「企業は労働者を解雇できる」という解雇の自由を明確に
規定し、例外として解雇できない条件を具体的に列挙すること、労働者派遣法を改正して
派遣労働者を正社員に登用する義務を削除すること、職業安定法を改正して請負契約を
「労働者供給事業」の一形態として認知すること、職業紹介業を完全自由化することなどが
考えられよう。
追記:コメントで教えてもらったが、ベッカーも解雇を禁止する「テニュア」は必要ないと
論じている。本当に必要な労働者は、アメリカの企業でも囲い込んで雇用を保障する
のだから、法律で保障する必要はない。
池田信夫 blog  2007-10-05 / Books
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51292958.html

52 :
現代日本の政治形態はヨーロッパ式のものを採用してて
軍隊や医療関係はナチスドイツ式のものを根底に持ってるということだが

53 :
>担当課による粘り強い対策の結果、現在、都内に本社を置くレンタカー業者大手4社(
>トヨタレンタリース、ニッポンレンタカー、オリックスルレンタカー、ニッサンレンタカー)から、
>照会文書なしで利用者情報の提供が受けられる関係が構築されており、
個人情報保護法違反だな

54 :
594 :名無しさん@十一周年:2010/11/01(月) 13:12:16 ID:u+R0nrPO0
>>1
暴力団=在日=民主党の支持基盤
611 :名無しさん@十一周年:2010/11/01(月) 13:36:27 ID:lO7a3iZv0
>>594
民潭に政権中枢が浸食されてるってことだな
タダのより性質が悪い
612 :名無しさん@十一周年:2010/11/01(月) 13:38:29 ID:Ak2Zk5aW0
>>611
民団と言っても中身は元総連だけどな。
ここまで民団の政治工作が強くなったのはそのせいだと思われる。
616 :名無しさん@十一周年:2010/11/01(月) 13:46:39 ID:F4+43YFrO
テレビは下らん芸人と、チョンタレント、韓流ドラマのオンパレード。
国営はシナチク、チョンの経済力賛美。民放の外国人株保有率は二割以上。完全に乗っ取られておる。
618 :名無しさん@十一周年:2010/11/01(月) 14:01:02 ID:ysKuvf7d0
>>616
株とは関係なしに、かつて北朝鮮をいちいち賛美名で呼び直していたころには
既に暴力的な方法で乗っ取られていた
これは、日教組、出版、芸能事務所、劇団、スポーツも同じかと
ジョンイルが拉致犯罪をゲロったためにそれ以降は中国と韓国と在日「のみ」
擁護・賛美に切り替えた(北朝鮮は韓国や在日経由でいくらでも支援可能)

55 :
年少者に尊敬される人間になれ。
それが最も効率よく組織を運営するコツだ。

56 :
★日本の村文化の特質   1/2
日本人と縄文体質 平貴 ( 25 埼玉 エンジニア ) 05/11/28 

 日本の文化に特徴的なのが「村の文化」。
 この「村の文化」というのは、いわゆる、「長いものには巻かれる」ということ。
「世間体を気にする」と言うが、この世間体を気にするというときの「世間」というのは、
実は村で本当は社会ではない。だから、日本国中、どこへ行っても、顔見知りの人が
いないところは、もう世間ではない。そういう意味では規則を守るのは村の中だけとなる。
 だから、第二次世界大戦の時でも中国へ行ってさんざんひどいことができる。
若い女性を暴行したり、小さい子どもを虐殺したり。
 彼らはすでに村の外に出ているから、世間にはいないわけで、世間の外で中国人に
対しては何やってもいいという、そういう普遍的な倫理性が働かないのが村の文化の
一つの特徴。
 日本人の心性の中にこの村意識というのは、現代でも強烈に根づいている。学校や会社も
村であり、仲間内も村になる。我々、日本人はこの村から排除されることを強烈に怖がる。
いわゆる仲間外れになることが怖い訳だが、それはこの「村文化」に生きているから。
この仲間外れを怖がる傾向は現代の青少年に強く見られる特徴で、現代の若者も村文化の
中に生きている。例えば我が国の子供のいじめの問題もうつの問題も淵源はこんなところに
あるという印象がある。
 そして、このいじめられる人も、うつ病になる人も、みんな真面目で、ほとんど不真面目な
人はいない。
 どうして、真面目な人がいじめにあったり、病気になるんだろう?辞書には、真面目は
「真心のこもった顔つき、態度」と書いてある。しかし、我々が日常的に使っている真面目
というのを考えてみると、「周りに合わせる。世間の常識に忠実に随って生きる。日本文化に
随って生きる」。こういうのを真面目と考える。

57 :
★日本の村文化の特質   2/2
 すなわち、謙虚、ひかえめ、謙譲の美徳、奥ゆかしく、男は黙って、女は一歩退いて、
人に気を使って、人に合わせて、自分が我慢して、でしゃばってはいけない、いい気になっては
いけない、調子に乗ってはいけない等々、とにかく、一言で言うと「自分を殺せ」と言うのが
日本文化。だから、真面目な人ほど自分を殺している。
 周りを見てみると、今の世の中、いわゆる、日本文化から見て悪い人が元気で、いい人は
あまり元気がない。病気になりがち。自分を自分で殺しているから。病は気からとは
よく言われること。
 実はこの日本文化、真面目というのが、「村の文化」。出すぎた真似をすると村八分になる。
白黒はっきりさせる人は嫌われる。
 村の文化の一番良い例が、村山内閣だったんではないかと思われる。あの村山内閣の時に、
阪神大震災が起きた。
 その時の政府の対応にみんなが腹を立てた。一番困っている人を何で救わないんだと。
それに対して政府は言う。「従来の、慣例通りにしかできないので仕方がありません」
「全体としての救済はできますが、個々人としての救済はできません」。本当に無慈悲な
政府ということを露呈したが、実は、村の文化というのは、そういう無慈悲な文化でもある。
人間よりも組織を優先する。だから、人間を抑圧していくという文化。こういう文化が
日本文化の大勢を成している。
 このような「村」を脱し、「社会」そして「人間」へと視点を広げていかなければ、いつまで
たってもこの村体質はなくならない。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=101584

58 :
そんじょそこらの学生や勤め人では、ムラ社会の重力圏から脱するのはもとより
そのための力を蓄えるのすら非常に難しいと思う。
「脱出することを忘れて嘆くことしかしてない」のは叱咤されて然りでも
「嘆いてるのに脱出"できてない"こと」を叱責するのは酷というか、無意味じゃないかね。
まぁしかし本来の意志は「脱出」ってのを忘れないよう啓蒙するのはそれはそれで大事なことだ

59 :
でもねぇ、非常に難しいと諦めたら変わりようがないのも事実だよ。
結局、血みどろになってでも自ら切り裂いて脱出し、非ムラ的社会を創造できなきゃね。
それが無理だと嘆いているだけだったから今があるわけで。
血を流すくらいなら我慢してたほうがマシ。他人にも同様におとなしくしてるのを求める。
それが日本の大衆の伝統だからねぇ。

60 :
★必要なのは、明治維新ではなく、1940年体制との訣別逍花
  提供:月明飛錫 2010年11月29日02時32分
今日、11ヶ月間続いた『龍馬伝』が、最終回を迎えた。一般的にはわりと盛り上がっていた
ようだが、個人的には、いまひとつ入り込めないところがあった。
なぜなのだろうと考えてみたところ、いまの日本に求められているのは、明治維新ではないと
感じているからだ、という結論に至った。
例えば、大政奉還後、慶應3年11月に、新政府の基本方針を示すために坂本龍馬が自ら書いたと
言われている「新政府綱領八策」。日本を近代化することによって世界国家の仲間入りを果たす
という、明治維新の原点が示されている。
 こちらが実物の画像↓
 国立国会図書館「史料に見る日本の近代-新政府綱領八策」  
簡単にいうと、第1義と第2義では人材の登用、第3義では外交、第4義では憲法の制定、第5義では
議会の設置、第6義では陸海軍の設置、第7義では近衛兵、第8義では為替レートについて
書かれている。
今の日本では、ここに書かれていることは、実現されている。少なくとも、生まれながらの
身分が問われて、何かの職業につけない人はいないはずだ。封建制から民主主義への転換は
すでに終り、家父長制が強かった明治時代と比べても、いまの日本人は、はるかに自由を
謳歌している。
しかし、今の日本は閉塞感に覆われており、イギリスのエコノミスト誌に、「東のアルゼンチン
になる」、「イースター島になる」と書かれても、正面切って反発する人は少ないように見受けられる。
むしろ、衰退国としての将来を、甘んじて受け入れている人が多いのではないだろうか。
日本の開国は、移民と一部の農作物の輸入を除くと、制度的にはある程度行われているといえる。
それでも日本人が内向き志向になり、リスクをとらなくなった理由は何かと考えるべきだろう。
私は、明治以降の日本には、明治維新に匹敵する転換点があったと考えている。それは、
野口悠紀雄さんのいう「1940年体制」である。

61 :
★必要なのは、明治維新ではなく、1940年体制との訣別逍花  2
終身雇用や年功序列を特徴とする日本型企業、間接金融中心の金融システム、平等主義などは、
日本特有の社会・経済システムであるとしばしば考えられている。しかしこれらは、昔から
存在していたのではなく、総力戦遂行という特定の目的のために導入された特殊なシステムだった。
それ以前の日本は、株主優先の会社、非終身雇用、直接金融中心であった。そして、第二次世界大戦に
勝つための「1940年体制」という国家総動員体制は戦後も続き、それが高度経済成長期をささえ、
さらにはそれが現在の日本経済の足を引っ張る要因になっている。これが、野口悠紀雄さんの
著作『1940年体制 さらば戦時経済』の主張だ。
戦争遂行という国策のためには、「利益」よりも「生産」が重視された。儲からないから、
兵器は作りません、では戦えない。重要な資源を国が統括して、戦争遂行のために配分した。
日本の製造業の大きな特徴である下請制度も、軍需産業の増産のための措置として導入された。
今では、大企業を中心とした企業グループが、1つの企業のようになっている。
戦後は、1940年体制によって確立された金融システムが、基幹産業と輸出産業に資金を重点的に
配分することによって産業構造を大きく変化させた。これらの金融システムは、大企業と金融機関
中心に組み立てられており、貯蓄の供給者である家計は、本来得られたはずの利子所得を得られなかった。
それでも高度成長期は、全体的に賃金水準が上昇したため、家計に経済成長の果実が還元された。
このことは「会社中心主義」につながり、多くの「会社人間」を生み出し、彼らは会社と運命共同体
となり、企業の存続が最重要の課題になった。
現代では、IT化とグローバル化で、これまでのビジネスモデルが陳腐化し、新しい産業への
人材供給、企業間での人材移動の必要性が高まっているにもかかわらず、人材の流動化を円滑に
行うような政策は実行されていない。これは、1940年体制の基本的な理念である、「生産優先主義」と
「競争の否定」から脱却できていないのが大きな理由なのではないだろうか。

62 :
★必要なのは、明治維新ではなく、1940年体制との訣別逍花  3
「生産優先主義」とは、生産力の増強がすべてに優先すべきであり、それさえ実現されれば、
様々な問題が解決されるという考えである。
「競争の否定」は、この体制が、あるひとつの目的のために国民が一致団結して働くことを
目的としているため、チームワークと成果の平等配分が重視され、競争は否定される傾向に
あることだ。産業でも会社でも、脱落者を発生させないことが重視された。
「経済成長」という総力戦でうまく機能したシステムは、「変化」に対応できず、閉塞状況に
陥っている。今の日本の将来を描くために必要なのは、「1940年体制」を脱ぎ捨てることだ。
日本が明治新国家を建設したとき、近代化を進め世界の大国と肩をならべるという目標があった。
1960年代の高度成長期にも、夢があった。
今の日本では、残念ながらそうした夢を見出せないでいる。しかしグローバルに見ると、
「古い企業から新たな企業へ」、「製造業から知識産業へ」、「組織から個人へ」の移行が
始まりつつある。
こうした環境の変化をふまえ、「生産優先主義」と「競争の否定」から訣別し、「消費者優先社会」
を実現するべきだろう。
【関連記事】
就職氷河期世代のいま〜改めて終身雇用について考えた
必要なのは、明治維新ではなく、1940年体制との訣別 逍花
http://news.livedoor.com/article/detail/5171111/?p=1

63 :
シマ社会
シマ社会(シマしゃかい)とは、沖縄県における地域社会を表す言葉である。本土における
ムラ社会に相当する。
シマ社会の功罪 [編集]
沖縄県のシマ社会は、本土の地域社会と比較して、独自の財産(法律上の位置づけは財産区や
地縁による団体)を持ったり、「字史」の編纂などを盛んに行うなど、今なお強固な
結束を誇っている。
その一方、他郷者に対しては極めて閉鎖的・排他的で、他郷者に対する差別などが厳然として
存在している。またシマ社会内部に対しても極めて抑圧的で、かつては村の掟に背いた者や
気に入らない者をリンチして殺害する事件が度々発生(サンシー事件、具志頭制縛致死事件、
糸満町集団殺人事件を参照)するなど、本土の村八分どころではない暗部も多く抱えていた。
現在でも「シマ社会の総意」に反する言動が憚られるなど、現代沖縄社会に微妙な影響を
与えているが、過去に比べると薄れつつある。特に那覇市をはじめとする都市部では
影響が薄い。だが農村部では他郷者に対しての差別は残っている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%9E%E7%A4%BE%E4%BC%9A

64 :
★特攻隊をめぐる日米の対応ー国民性の視点から  1
(2)大家族国家の強烈な愛国心
ア 大家族国家
 日本人に「特攻」攻撃を可能とさせたものは何んであったのであろうか。 「特攻」攻撃開始の
契機となったのは搭乗員の絶対的不足、訓練不足による練度の低下、 その結果としての犠牲の
増大、 それに反比例する戦果の低下により「そこで、特攻、 体当りということが誰いうとなく
みんなの頭に考えられるようになった」という(草鹿龍之助『連合艦隊参謀長の回想』和光堂、
1979年、293頁)。 しかし、 国民性という視点から見るならば、 「特攻」攻撃を可能とした
精神的基盤は、稲作民族の体質から生まれた大家族主義に総てが凝縮されているように思われる。
すなわち、 稲作民族が構成する水平的広がりが「ムラ社会」であり、 歴史的垂直的構成が
「タテ社会」であるといわれているが、「ムラ社会」では稲が水を必要とするところから、 水路を
通じて強く結び付けられ移動が困難なところから定住し、そこに運命共同体的な一体感が生まれ、
個人よりも集団を重視し、 個人の集団に対する忠誠心を重んじる社会制度を発達させた。
稲作によって結ばれた「ムラ社会」は閉鎖的で強い郷土意識を特徴とするが、 日本の場合は
東南アジア諸国と異なり、さらに、この「ムラ社会」に島国的特性も加わって、 一民族・一言語・
一国家という世界史上に類を見ない極めて均質的な家族国家を形成した。

65 :
★特攻隊をめぐる日米の対応ー国民性の視点から  2
 しかも、 この日本民族は欧米諸国の遊牧・狩猟民族を祖先とする国家と異なり、ある部族が
他部族を侵略して奴隷のように支配する、支配階級と支配者に生殺与奪の権を奪われた被支配階級
とからなる階級構造をもたなかった。このため被支配者の力に訴えて服従を引き出す支配体験はなく、
同質の人間のみによる「ムラ」の共同体的集団原理をそのまま国家レベルに昇格させてしまった。
 また、農耕社会では狩猟社会とは異なり、 新しい技術や発想よりも経験が優先されるところ
から長老支配が生まれ、家の中では家長の絶対的な支配という家族制度が発達した。 この家長の
絶対支配、家長への服従は時代とともに変化拡大し、戦国時代には主君に対する忠誠心へと
進んだが、さらに近代明治国家が誕生する家長の支配体制は天皇に集中され、 「一国全体が
一大家族として天皇をその家族と仰ぎ奉る(陸・海軍省編『勅諭奉戴五十年を迎え奉りて』
陸・海軍省、1932年、 45頁)」と、 国民の総てが「皇祖皇宗を共同の祖先」とす天皇を国家の
家長、国民の総てが天皇の赤子とする天皇崇拝が家族意識を総動員した祖先教の形で定着した。
そして忠誠心が天皇を核とする国家に集中され、 これに島国的「ムラ」社会から生まれた強い
同族意識と同族愛が、国家への愛国心となり、この家族国家のために個人の生命を捨て得る
特攻隊を生んだのであった。
http://www3.ocn.ne.jp/~y.hirama/yh_ronbun_senryaku_totsukou_kokuminsei.htm

66 :
ひとつ言っとくけど、
たとえそれがどんな内容であったとしても、
他人の主張を丸呑みするのはそれこそムラ社会だから気をつけろよ。

67 :
Yahoo! Japan知恵袋
egaega9310さん
日本的ムラ社会の閉鎖的考えとグローバルスタンダードの思想は相反するものでしょうか?
それとも両立して、新たな概念を生み出すのでしょうか?
質問日時:2008/1/24 00:06:06.
ベストアンサーに選ばれた回答yookoophdさん
「日本的ムラ社会の閉鎖的考え」の特徴のひとつは二重規範です。すなわち、内と外で基準を
使い分ける。内は内で処理し、世間に迷惑をかけないかぎり問題なしとする。
グローバルスタンダードは、外の世界の基準として入ってきて、そのかぎりでは定着しています。
西暦と元号が良い例ですが、両立しています。
私は、新たな概念を生み出すとは思いません。徐々に外の基準が内の基準を脅かすだけです。
回答日時:2008/1/25 16:08:33
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1014435730

68 :
大学のサークルとかは典型的なムラ社会だな。
たかが四年間活動するだけの同好の集まりなのに、なぜか30歳のOBが幅を効かせていたり
毎年必ずやらなければならない伝統行事があったり、
ごくごく狭い範囲でしか通用しない「掟」が山のようにある。
しかも何も知らない新入生に対して、2〜4年生、場合によってはM1〜D3まで含めた大勢の「先輩」が
プレッシャーをかけるから逆らえない。
これが自由闊達な大学の文化活動だと言うのだから笑えない。これじゃあ、ただの社畜訓練だ。

69 :
監禁され800人とさせられた17歳少女 大阪府公務員逮捕
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1294780325/

70 :
★世界に通用する教育とは何かを考える - フィンランドの教育  1
 読んだものまとめブログ 2010-12-13
世界に通用するためには、専門的な力も必要ですが、それを表現するプレゼンテーション力、
自分の考えを伝える論理力、より有利に交渉するための折衝力等が重要視されています。しかし、
そういった能力は今になって急に求められ始めたわけではありません。昔から阿吽の呼吸を求める
『ムラ社会』で、掟、慣習、空気等で縛りつけて、まともに討議してこなかった閉鎖的な環境が
日本のコミュニケーション能力を低下させる原因に他なりません。今後のますますのボーダーレス、
グローバルな世界を迎えるにあたって、ムラ社会からの脱却を決意し、普遍性の高い能力を
養っているフィンランドから学ぶところは沢山あります。
受けてみたフィンランドの教育
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4163694501/sadadad54-22/
作者: 実川真由,実川元子
出版社/メーカー: 文藝春秋
発売日: 2007/09
メディア: 単行本
1 フィンランド教育の考え方
フィンランドは人口も資源も乏しい国です。ですから個々の能力と資質を高めて一人当たりの
生産性をあげるしかなく、生き残るためには世界でも通用する普遍的な教育が重要と考えています。
その教育方針は個人に対してコミュニティ、組織、社会が行う責任があるというコンセンサスを
前提にしており、教育を取り巻く環境についても多くを言及しています。教育に対してコミュニティ、
組織、社会が権利を持ってしまえば、日本のように掟、慣習、空気等が蔓延し組織の論理優先の
息苦しいものになってしまいます。ですから、責任はあるが権利はないことを強く強調している
ところが印象的です。

71 :
★世界に通用する教育とは何かを考える - フィンランドの教育  2
2 フィンランド教育方針
・1 学校は勉強するところである
学校とは勉強するための場所であることが徹底されています。友達との関係や、集団生活、
しつけや道徳を学ぶところ等、日本のようにあれこれ多機能を求めていないため、教育者も
生徒も学業に専念することができます。勉強することに意識が集中させることでその教育効果を
最大に引き出すことができるのです。曖昧で多くを求める教育では何が目的なのかを見失いがち
になり、教える側も教えられる側もそれぞれに学校に対する目的が異なれば多くの無駄が
生じることは必至です。
・2 義務教育にも留年がある
学費が無料ですから、留年しても家計を圧迫しません。また受験も無いためマイペースで勉強が
出来ますが、基準に達していなければ義務教育でも留年があります。そもそも段階を踏まずに
進級しても、分からないままの意味の無い時間を無駄に過ごすことになります。『知るは一時の恥、
知らぬは一生の恥』で留年は当然のことと受け止められれば、そういった理不尽は無くなる筈です。
タテマエの学歴などあっても仕方有りません。勉強したい人は、いつでもどこでも学習できる
環境がそこにあれば、真の実力が身につきます。日本のようにとりあえず進級させて落ちこぼれを
蔑み放置する仕組みは存在しません。
・3 すぐに進学しない
また、やりたいことを見つけるために、すぐに進学しません。進学はあくまで選択枝の一つです。
あせらずに進路を決めさせるために会社に勤めたり、世界を旅したり、軍隊に入ったりと学ぶこと
以外にも社会経験を積ませる環境があります。受験のハードルは低いですが、卒業までに厳しい
テストが多く待ち受けています。何のために大学にいって学ぶのかを見つけてからいくため、
もともと学習意欲は高く、卒業生の質も高くなるのは当然です。日本のように大学に入ってから
ウロウロするようなことはありません。

72 :
★世界に通用する教育とは何かを考える - フィンランドの教育  3
・4 求められるのは違いを刷り合わせるコミュニケーション能力
テストは基本的に論述です。知識を咀嚼して意見を書いていく能力が強く求められます。日本の
ように『19XX年に誰が何をしたか』などといったことなど覚えるには値しません。覚えるべきは
『当時の武将はなぜそのタイミングでその戦術を選択したのか』です。覚えることは重要ですが、
覚えるべきは原理原則だけでよく、詰め込んだ知識を解釈して表現する力、他人に自分の考えを
伝える力の方が大切であるという共通認識があります。そうなれば必然的にコミュニケーション
能力は育成されますし、まとまった考えを表現することで自分の認識を深く掘り下げる力も
つきます。日本のように全員に同じ答えを強要し、同じ答えが出ることに正解をつけるようでは
ガラパゴスになる温床になって当然です。
自己教育の真の方法は、すべてのことを疑ってみることである。
ジョン・スチュアート・ミル
読んだものまとめブログ 2010-12-13
http://d.hatena.ne.jp/sadadad54/20101213/1292189834

73 :
★日本の村社会の解体は案外ファシズムに繋がるのかも知れない
・なぜ日本人は自由競争も所得再分配も嫌うのか? - Baatarismの溜息通信
が面白かったのでそこからちょっと考察。
自分もここに書かれている「日本人は相互監視と相互制裁のしくみの元では集団主義的な行動を取るが、
そのようなしくみがなくなると個人主義的な行動を取る(いわゆる「旅の恥はかき捨て」)傾向がある」
と言う部分には深く同意するのだが、20年続いた不況で企業・地域コミュニティが壊れ、いわゆるここに
書かれている「内集団」が解体されつつある今、日本人の行動はどう変化していくのだろう。この理屈で
行けばますます利己的な個人主義的な行動に向かうようにも思えるが、それが自由競争や所得配分を
認める方向に結びつくとは思えないからである。
 かと言って不平等な競争の元、セーフティネットも無いなかで暮らしていくのは難しい。ましてや
その中で自己の利益を最大化するために利己的な行動をし続ければ社会はぎすぎすし、治安も確実に
悪化する。そうなったときに大衆は果たして自由競争を受け入れ、所得配分を認めるだろうか。
むしろこれまでの生活を守るため万人に対して相互監視と相互制裁の徹底を望むのではないだろうか。
 その先にあるものは恐らく全体主義に繋がる全国的な相互監視と相互制裁の実現とそれを可能にする
ハイテク化した権力システムの承認だろう。兆候は既に出ているような気もする。監視カメラはあらゆる
所に設置されつつあるし、携帯電話の位置情報やナンバープレート読み取りシステムなど個人の動きを
追跡する技術は着々と完成しつつあるからだ。
 グローバリズムによって日本の閉鎖的なシステムは解体されると言う論調はよく聞くが、案外
上に書いたようなディストピアの方が実現する可能性は高いのかも知れない。
Fukuma's Daily Record May 24, 2010
http://fukuma.way-nifty.com/fukumas_daily_record/2010/05/post-3e29.html

74 :
村社会は永遠に不滅です。

75 :
★評価を嫌うムラ社会  1/2
 坂口昌章の「j-fashion」 November 03, 2010
 JFWの存亡が危惧されている。最大の要因は予算の縮小だが、本質的な問題は経済的要因
だけでなく、コレクション、展示会というイベントが機能しないことだろう。
 海外のコレクションと日本のコレクションを比較すると、日本ではコレクションに対する批評、
評論、格付け、ランキング等が圧倒的に少ない。業界マスコミも単にコレクションの内容を解説
するだけであり、どのコレクションが良かったのか。どのコレクションが悪かったのかを比較
したり、ランキングを発表することはない。従って、コレクションの評論やランキングがビジネスに
影響を及ぼすこともない。
 日本における唯一の評価とは客観的な売上や利益である。売上さえ上げれば、デザインをコピー
しようが非難されることはない。もし、非難されるとすれば、訴訟や判決という客観的な事実に
基づいてのことだ。
 このように日本社会では主観的な評価や評論はほぼ認められない。ほとんどの新聞で匿名原稿が
多いのも、事実を伝える新聞記事に主観は必要ないという考えに基づいているのだろう。
 売上しか認めないのであれば、コレクションは必要ない。展示会も評価されるのは商談や
成約金額だけであり、その創造性や技術力等が評価されることはないのだ。粗悪品でもコピー商品
でも勝てば官軍なのである。経営者はデザイナーなど必要ないと考え、社内外の企画担当者や
デザイナーのモチベーションも大きく下げる。そして、ファッション業界に夢を抱く若者も
著しく減少している。

76 :
★評価を嫌うムラ社会   2/2
 また、正当な評価、評論、ランキングを拒否する業界には投資が集まらない。専門家が将来の
展望を予測し、それがビジネスをリードする環境があれば、投資しやすくなるだろう。しかし、
仲間うちで固まるムラ社会は、開かれた評価を嫌うのである。自分達のことは自分達が一番
よく知っている。だから口を出すな、という態度なのだ。
 そうした閉塞状況を打ち破るのがジャーナリズムの一つの役割ではないだろうか。しかし、
既存のマスコミは広告スポンサーやムラの有力者の顔色を気にして、書きたいことも書けない
のである。あるいは、書きたいことなどないのかもしれない。
 最近、ブログやツイッターでの意見、評論等が思わぬ影響力を持つのを見かける。そこには、
個人の主観的な評価が見られるからだ。ファッション業界も既存のプレスに依存せず、
評価システムを考え直す時期に来ているのではないか。
http://j-fashion.cocolog-nifty.com/jfashion/2010/11/post-9d41.html

77 :
村社会そのものが全体主義なんだ。本当の村社会というのは、実は無法地帯なんだ。
どういうとことが無法地帯化というと、選挙違反は当たり前で、投票に行かない
だけで村八分にする。こういう日本国憲法すら通用しないような田舎がいっぱいある。
村のおきてというのは全体主義で、時にはこれに従わない人間は生命すら危険に
なる。憲法すら人間の生命を大事にしているのに、村のおきては殺しも平気だ。
村のおきては、北朝鮮やヒトラードイツ同等の人類に対する人間性の犯罪なんだ。

78 :
★日本には、疑問や批判を口にする技術者を村八分にする原発ムラ
 東京電力福島原発を造った大手重電の元技術者たちが事故発生以来、
インターネット放送などで自己批判と原発政策のを続けている。
 「もっと声を大にして言い続けるべきだった」。
東芝で放射能を閉じこめる原子炉格納容器の耐性研究グループ長だった後藤政志さん(61)は話す。
1979年の米国スリーマイル原発事故などで、格納容器内が異常に高圧になるとわかり、
放射能物質ごと大気に放出する弁を付ける事になった。
 「フランスは、内圧が上がりにくく、放射能物質が漏れにくい巨大なフィルター付き格納容器を造った。
われわれも必要、と議論したが、会社は不採用。コストだなと思った」と後藤さんは言う。
 「高台に建てたり、防水構造にしたりしていれば。想像力が足りなかった」。
60年代、国内に技術がなく、津波を想定しない米国の設計図をコピーして
第1原発を設計した元東芝社員小倉志郎さん(69)は悔やむ。
 4号機の設計にかかわった元日立グループ社員で科学ライターの田中三彦さんは今回
「政府や公共放送が危機を正しく国民に伝えていない」と感じている。
「格納容器内が8気圧になった時、普通は4気圧などと流していた。
普通は約1気圧で、4気圧とは事故に備えた設計値だ。
8気圧なら異常事態なのに、パニックにしないという配慮が多すぎる」
 3人はこれまでも匿名、あるいは著作、集会などで原発の危険性を訴えてきた。
だが国や企業から返ってきたのは「冷笑だった」(後藤さん)。
 東京のNPO環境エネルギー政策研究所顧問竹村英明さん(59)は
「日本には許認可権を持つ経産省、学者、電力会社などで作る原発ムラがある」という。
竹村さんによると、ムラは強力で、疑問や批判を口にする技術者を村八分にする。
3人がそうだったという。放送は、動画中継サイト「ユーストリーム」や「ユーチューブ」などで見られる。
北海道新聞 http://www.hokkaido-np.co.jp/news/topic/280370.html

79 :
漫才師やマスコミ 教育 特に宗教
が撒き散らす 空気 が
個を 抹殺し重大な問題をそのままにし
 後に大問題を起こす

80 :
ダセえ国だよな

81 :
民度の低下

82 :
★福島県前知事「無分別が生んだ破局」 推進の経済産業省と監視役の原子力安全・保安院が非分離の異常体制
 【パリ共同】福島県の佐藤栄佐久前知事は29日付フランス紙ルモンドのインタビューで、
福島第1原発の事故について、原発の運営に関わった人間の「無分別がもたらした破局だ」として
東京電力や日本の原子力行政当局を強く批判した。
 佐藤氏は福島県知事時代の1998年、全国で初めてプルサーマル計画を了承。
プルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料が福島第1原発に搬入されたが、
2002年に東電の原発トラブル隠しが発覚、了承を撤回した経緯がある。
 佐藤氏は「(今回の事故で)恐れていたことが現実になってしまった」と指摘。
日本の原発行政を推進する経済産業省と監視機関の原子力安全・保安院を
分離すべきだとの声があったのに実現していないことを挙げて
「日本は民主国家だが、浸透していない分野がある。
正体不明の利益に応じて、数々の決定がなされている」と原子力行政の不透明性を暴露した。
 また「今回の破局は(原発に関する)政治決定プロセスの堕落に起因している」と指弾した。
北海道新聞 http://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/281838.html

83 :
★原発対応遅れ、東電と経済産業省が「もたれ合いの談合ムラ」であることが背景…与野党
 東京電力福島第1原発の事故で政府の初動対応が遅れた背景として、与野党内から、経済産業省と
東電との「もたれ合いの関係」を指摘する声が上がっている。大物OBが再就職しているため、
安全面での指導が甘くなったとの見方だ。国会で取り上げられそうだ。
 東電は、旧通産省時代から同省OBの再就職を受け入れており、副社長を務めた元幹部もいる。
今年1月1日には、昨年8月まで資源エネルギー庁長官として同社の監督に当たった石田徹氏が顧問
に就任。野党は、自公政権時代よりも短期間で関係先に再就職したとして、「究極の天下り」と批判
したが、菅政権は、経産省があっせんしたわけではなく「天下りには当たらない」と反論していた。
 こうした経緯を踏まえ、自民党幹部は「OBがいる東電は身内。厳しい監視、指導ができるわけない」
と断じ、社民党の福島瑞穂党首は「どんなに危険と指摘しても聞く耳を持たなかった」と同省と東電を
批判した。
 枝野幸男官房長官は28日の記者会見で、菅直人首相が震災発生翌日の12日早朝に原発を視察した
理由を問われ「東電からも経済産業省原子力・安全保安院からも、なかなか現地の情報が入って
こなかった」と情報不足を挙げた。しかし、天下り根絶を掲げる民主党内からは、菅政権が石田氏の
再就職を認めたことを念頭に「政権が代わっても、官民癒着は続いている」(中堅)、「東電と役所の
癒着、天下りが、政府対応が後手に回った一因だ」と冷ややかな声が漏れた。
▽時事ドットコム
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2011032800937

84 :
仏教による精神的統治 村に民衆をつなぎとめ
考えさせない 正確な情報を与えず 疑心暗鬼を空気 いじめ 村八
へとガス抜きさせる
ブレークスルー使用としても 祖先の霊は人質 
前世も 死後も管理され 苗字すら与えてもらえない封建時代
 今こそ正史を学ぶべき 空気 村社会を気にしすぎる性質を
脱皮するとき

85 :
★原発共同体ムラ組織から独立分離型チェック組織へ
経産省と保安院、菅首相が分離検討の意向
  菅首相は30日、首相官邸で社民党の福島党首と会談し、東京電力福島第一原子力発電所の事故に関連して、
  「原子力安全・保安院の体制を含めて議論する必要がある」と述べ、経済産業省と保安院の分離を検討する考えを示した。
  今回の事故を受け、原子力の安全規制を担う保安院に関し、原子力を推進する立場の経産省の外局になっていることを踏まえて
  「安全面のチェックが甘かったのではないか」という指摘が出ている。民主党は、2009年の衆院選の政権公約(マニフェスト)でも、
  経産省と保安院の分離を前提に「原子力安全規制委員会を創設する」としており、事態が沈静化すれば、こうした方向で議論が進むとみられる。
  また、首相は福島氏に「自然エネルギーの割合を20、30、40%と広げていきたい。
  自然エネルギーを応援する仕組みを考えたい」と語り、現在は9%の割合にとどまっている太陽光などの
  「再生可能エネルギー」の普及に努める考えを強調した。
(2011年3月30日19時04分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110330-OYT1T00801.htm

86 :
★原発ムラ一覧
電力会社(設備投資の3.5%は料金に反映できるため多大な設備投資)
マスゴミ(4媒体でトップクラスの広告主は電力会社)
原発メーカー(プラント受注がなければ企業として成り立たないほど依存)
地元首長(誘致あっ旋役)
交付金目当ての住民(遊んで暮らせるほどの年収)
御用学者(研究費と言う名のワイロ)
利権政治家(メーカー、ゼネコンからガッポガッポ)
(土地買収、被ばく労働者あっ旋、被ばく労働者の口封じ)
原子力保安院(そこに居て見てるだけ、あとは渡り鳥で転々)
安心してください
われわれの税金はこの村の中で清く正しく使われているようです
↑これまじか。この国オタワ。怖い怖すぎるよー
↑【東京電力】勝俣会長、中国旅行の際にマスコミ関係者の一部旅費を負担したことを認める★2 (via edieelee)
http://tooola.tumblr.com/post/4207554628/3-5

87 :
★内ごもり社会ニッポン【閉鎖型】    1
 Joe's Labo 経済一般 / 2011-04-18 17:23:32
  不平等社会日本―さよなら総中流 (中公新書)
  クリエーター情報なし  中央公論新社
先週、ドイツに出張してきたのだが、ハンブルグ商工会議所の課長さんから面白い話をうかがった。
企業フェアのようなイベントを企画して、貿易実績のあるアジア諸国の企業に参加を打診したところ、
マレーシアや中国、韓国といった国からは待ってましたとばかりに、それぞれ50社以上
のエントリーがあった。
ところが、日本からは〆切間近になって、ようやく10社ほどがエントリーしただけだったそうだ。
もちろんこれは震災前の平時の話。企業が営業を自粛する理由など何もない。
「いったい、日本で何が起こっているのか」と、親日家の多いドイツ人は本気で心配していた。
ついでにいうと、この手の話はけして珍しいものではなく、「100億規模のコンペのオファーが来たのに、
部署間でたらい回しにした挙句に不参加」なんて話は大手企業ではたまに聞く。
よく「最近の若者は内ごもりだ」という論調があるが、少なくとも海外から見れば、日本全体、
上から下まで内ごもってるように見えるらしい。
佐藤優風に言うなら、戦後日本というシステム全体が空洞化し、自壊しつつあるのだろう。
この構造について、分かりやすい形で触れているのが本書である。
本書で言うところの「ホワイトカラーの上位層」(以後“W雇上”)は、日本型雇用が保証される
二階部分と考えて問題ない。そして、そのW雇上の多くが、団塊以降の世代では親も同じ
W雇上であり一種の身分制度として世襲されていると喝破する。
もっとも、それ自体はどこの国でも普通に見られる現象だ。
誰だって自分の子供の教育には金をかけるものであり、遺伝子で振り分けでもしない限り、
経済格差の影響を成績から完全排除するのは不可能だ。
問題は、曖昧な選抜基準や硬直した雇用慣行によって、その身分制度化が強化されている点にある。

88 :
★内ごもり社会ニッポン    2
W雇上の家庭に生まれ、W雇上になるのが当たり前という雰囲気の中で育つことで、何をやりたいのか
という目的意識を欠いたまま、曖昧な形で選抜競争を勝ち抜き実績を作る。(中略)その結果、
“実績”は何かが出来るはずだという責任をともなう資格という意味を失い、たんなる既得権へと
変質していく。いわばW雇上の家庭に生まれたという既得権によって“実績”をつみ、そうする
ことで、その“実績”自体もまた既得権化してしまうのだ。
さらに言えば、困ったことに、この疑似貴族階級は、ノブレス・オブリージュ的な階級への
責任感も持っていない。
西ヨーロッパのような明らかな階級社会であれば、たとえ競争という形をとっても、それ自体の
不平等さが目に見える。(中略)自分がその地位にふさわしい人間であることを
目に見える形で積極的に示さなければならない。
階級社会特有の「高貴な義務」という概念がそこに生まれる。
これが、社会の上位にどっかりと居座る、無責任で無反応で空虚な暗黒物質の正体だ。
普段はこれといって努力しないけれども、いざ自分の取り分が削られそうになると、マルクスから
内田樹まで総動員して屁理屈こねまくる人って、誰でも一人くらい心当たりあるだろう。
自身の生産性はまるっきり棚に上げつつ「我々には雇われる権利がある」と息巻くJALの
リストラ社員が典型だ。
よく「若者の内ごもりについてどう思いますか?」という質問をされるのだが、個人的には
内ごもりなのは社会全体であり、彼ら若者は空気を読んでいるにすぎないと考えている。
日本全体が海外に目を向けていたバブル期、その流れで猫も杓子も「海外勤務希望です」と
言っていた先輩たちと、本質的にはまったく変わっていない。
変わったのは日本を取り巻く環境であり、55年体制に引きこもって見て見ぬふりをし続ける
日本が停滞するのは、ある意味で当然の結果だろう。
http://blog.goo.ne.jp/jyoshige/e/9a49c93e66421115f2537ed1664af011

89 :
★東京電力は、今の日本のマネジメントや企業風土の鏡像である  1
 石川貴善 2011年04月24日08時07分
すでにスマートグリッドや発送と配電の分離といったテーマが定着していますので、そうした
制度設計の話とは別に、今回は社風や組織風土を取り上げます。連日記者会見などで見る光景に
違和感を覚える方や、重厚長大型の企業にお勤めの方の中には「ウチと似ている」と感じる
ことがあるかも知れません。主な特徴として、
1)会長/社長はなかなか出てこない
→トップが出てくるのは、儀式として謝るか辞任するとき
2)次第に固定化しているものの、当初会見で出てくる顔ぶれが異なる
→個人に責任を負わせずリスク分散の仕組み
3)話を聞いていると、誰が決めているかわからない
→国の意向か、社内での合議かわからない
4)実業団選手や新入社員がブログやSNSで「悪くない」「嫌なら電気を使うな」と反論し、”炎上”する
→愛社精神の発露ですが、部門の違う社員は報道程度の内容しか知らない場合が多く、
希望的観測で社会的に理解が得られない
ことが挙げられます。
筆者が気になったのは、2004年の柏崎刈羽原発の事故報告書がウィキペディアに掲載されていた内容です。
話題になることを恐れ今は削除していますが、総じて組織風土の検証の箇所で「社員がものを
言いにくい組織風土」「異常などを報告しにくい社風」から、風土改革の必要性を訴えていましたが、
社会的地位や企業規模、地域独占で不祥事があっても経営が安定していることから、変えていく
動機に乏しく実現は無理と見るのが妥当でしょう。
1)社員がものを言いにくい→物申せば損をする
2)異常などを報告しにくい→何かあっても上司も知ったことから責任追及になり、「聞かなかったこと」
になり、結果として隠す風土になりやすい

90 :
★東京電力は、今の日本のマネジメントや企業風土の鏡像である  2
3)今までのロールモデルから、基本的に総務/企画出身の部門が力を持ち、現業部門は計画通りに
実施することが善とされる環境
4)失敗事例に学ぶ習慣がない→建前で「失敗するはずはない」ため、自己暗示にかかってしまい
経験知が生かされる機会がない
5)指揮統率能力が低い→2年前の柏崎刈羽におけるポンプ室火災の対策書類の中に、原因の中で
「現場の状況把握や協力会社への指示など現場統率力の不十分さ」とあります。実際は協力会社任せで
担当者は定期的に異動するため、リーダーシップの育ちようがありませんし、”安定”が唯一の
動機の中でリーダーシップを取るタイプは新卒採用の段階で落とされるでしょう。
こうした中で、事務処理能力や調整能力が重視される風土では、非常時にあっても「予定調和の中で
計画通りに動く」ことが求められ、計数管理や発電量の管理が厳しく、現場の状況や意向など
無視されやすい風土が醸成されるのは無理からぬことでもあります。同社では社長を含め二世社員が
多いため、外部から異様に感じても慣れれば帰属主義と一体感による心地よさが醸成されています。
その要因として官公庁や大手メディアと同じで、”自社しか知らない”流動性が関係しています。
紐帯の強さと社会での相克は日本的企業で起こりやすいですが、消費者は「嫌なら買わない」
選択により、業績などで収斂されていきます。今回の事故で東京電力が社会的な反発を招いているのは、
地域独占で会社を選べないうえに、独占利益を各方面への工作やメディアへの影響力によって、
特に「ウチの論理」がグロテスクな形で顕在化したのが今回の原発事故でもあり、その鏡像が
強烈ゆえに国内外から嫌悪感を持って見られるのではないでしょうか。
http://news.livedoor.com/article/detail/5512538/

91 :
★閉じた終身雇用というムラ社会の抑圧が事件の背景だったのか?   1
 ふと『東電OL殺人事件』を読み返してみた
 Joe's Labo 書評 2011-05-06 19:08:54
 東電OL殺人事件 (新潮文庫)
 リエーター情報なし  新潮社
 http://www.amazon.co.jp/dp/4101316333/
毎日のように“東京電力”という言葉が飛び交う中で、ふと本書が頭に浮かんだ。
もう14年も前の事件だが、当時、“東電”というアングルでは事件を見てはいなかった。
というわけで、改めて連休中に本書を再読してみた感想を。
事件について簡単に触れておくと、昼間は東京電力の課長というエリート、
夜は渋谷の街角に立つ女という2つの顔を持つ女性が、安アパートの空き部屋で惨殺され
放置されていたという事件である。
「なんでそんなエリートキャリアウーマンが、夜の顔なんてもってるんだ」
というのが、当時の人の率直な疑問だったと思う。同じ疑問を抱いた著者が、被害者の
心の闇に迫るため、夜の渋谷からネパールの山奥まで駆け回って書き上げたのが本書だ。
あらためて事件の経緯には触れないが、今読んでみると、この事件にはいくつかの
コントラストがあるように思う。
東電と、渋谷の夜の世界
父親と、被害者本人
日本とネパール
東電という半官半民のインフラ大企業で課長まで昇格した彼女は、間違いなく勝ち組だ。
事実、夜の仕事の合間にさえ、異常なほどのエリート意識を垣間見せている。

92 :
★閉じた終身雇用というムラ社会の抑圧が事件の背景だったのか?   2
だが、それはタダで手にしたわけではない。いつも言っているように、終身雇用の
目に見えないコストはけして安くは無い。女性ならなおさらだ。
 私は男女雇用機会均等法の施行から十年以上たった今も、女性にとって日本の会社は
 きつい。男性にとってもきついだろうが、女性にとってはそれ以上にきつい職場環境と
 なっている、そしてその状況は以前とほとんどかわらないどころか、“平等”の名のもとに
 ますますきつさの度合いをましているのではないか、と思わざるを得なかった。
 (中略)
 「私も結婚したらやめようと思って銀行に入ったわけではありません。けれど日本の企業には
 結婚と仕事を両立させるシステムはあっても、出産と仕事を両立させるシステムはまだ
 ほとんどないんです。名の通った大企業ほど女性が長続きしないのもそのためだと思います」
 (被害者と同じゼミの出身女性)
東電同期女性の証言も興味深い。
 東電の面接試験を受けた時、うちは四大卒であっても女性は短大卒と同じに扱いますと、
 はっきり言われました。(中略)入社してからは制服も決められた通りに着て、東大卒だと
 いうことはおくびにも出さず、お茶くみもしました。ずるいやり方だとは思いましたが、こういう会社
 では、ちょっと目立つことをするとすぐに足をひっぱられると思ったからです。
 W(被害者)さんの態度は私とは正反対でした。自分はエコノミストのスペシャリストでいくと、
 堂々と言っていました。けれど、こんなにつっぱって本当にやっていけるのか、という一抹の
 不安があったことも確かです。
重要なのは、それだけの負担をしつつも、父親には勝てなかったという事実だ。
被害者の父は東電で役員手前まで進んだエリート社員だった。
本書では(主流から外れる)子会社への出向や派遣留学の挫折が重要なターニング
ポイントだったと示唆している。

93 :
★閉じた終身雇用というムラ社会の抑圧が事件の背景だったのか?   3
こうしていったん主流を外れてしまうと、もはや個人の努力ではいかんともしがたい
ところが、閉じた終身雇用というムラの恐ろしいところだ。
今のようにネットでいくらでも好きなことが探せて、転職もオープンになっていれば
状況も違っただろうが、80年代末ではまず無理だろう。自分を押し殺して生きるしかない。
元々押し殺して入った世界でもう一回押しのだから、どこかに無理が出る。
その無理が形となったのが、もう一つの夜の顔だったのだろう。
ネパールの寒村から出稼ぎにきた男たちに、渋谷の安アパートで向き合うことで、被害者は
何を埋めようとしたのだろうか。
2000年代に入って、30代正社員のメンタルトラブル増加が問題となっている。
激しさの違いはあれど、基本的には本書で描かれた絵と同じだというのが、個人的な実感だ。
※ネパール人容疑者には高裁で無期懲役判決が下されたが、本書もたびたび指摘するように、
 明らかに冤罪の可能性が高い。検察のご都合主義という点も含めて、本書の内容は
 まったく色あせていない。佐野眞一の最高傑作だと思うので、未読の人にはおススメしたい。
 ふと『東電OL殺人事件』を読み返してみた
 Joe's Labo 書評 2011-05-06 19:08:54
http://blog.goo.ne.jp/jyoshige/e/4a066228a53bdaddbe636b215f39cf71

94 :
保守

95 :
★村社会の論理を崩す    1/2
   2011年05月21日09時18分 早川忠孝
昨日の朝日新聞朝刊にすごい記事が載っていた。
15面のオピニオンに「原子力村」という特集が組まれていた。私が目から鱗が落ちたような
気がしたのは、立命館大学名誉教授の安斎育郎氏のインタビュー記事である。原子力村、
原子力村と言うから何か行政単位のような印象があったが、原子力研究者の世界が村社会であった
ということが見事に浮き彫りになっている。
安斎氏は1960年にできた東大工学部原子力工学科の第1期生15人の一人だったという。
同期生のほとんどが原子力業界に進んだが安斎氏は「原子力の安全が破綻したらどうなるか」
ということに関心があり、一人だけ原子力政策を批判する立場になったそうだ。東大で研究者
だった17年間ずっと助手のままだった、主任教授が研究室のメンバー全員に安斎とは口を
きくなと厳命し、後進の教育からも外された、研究費も回してくれないので髪と鉛筆だけで
出来る研究に絞らざるを得なかった、東京電力から一事研修に来ていた人は、去り際に
「安斎さんが原発で何をやろうとしているか、偵察する係りでした」と告白しました、という
安斎氏の証言は当事者でなければ語れないことばかりである。
1986年に立命館大学の教授に就任され、2008年から国際平和ミュージアム名誉館長を
務められているから学問の世界で立派な業績を挙げておられる専門の研究者だと思われる。
こういう立派な研究者が18年間も助手の座に据え置かれていたというのだから、それが如何に
理不尽なことかお分かりになると思う。
理不尽なことが罷り通る不思議な世界。これが村社会である。村の掟に背く人が徹底的に
排除される理不尽極まりない世界。
村八分と言うのは、こういうことだ。こういう閉鎖的な、風通しの悪いところで育った人は、
どこか歪なところがある。既存の原子力研究者の中に巣食ってきた「村社会の論理」を排除して
いかなければ、本当の学問の発展はないのではないか。

96 :
★村社会の論理を崩す   2/2
原子力村の存在がいよいよはっきりしてきた。同じように、霞ヶ関や永田町にも霞ヶ関村とか
永田町村があるかも知れない。
私達は、まず日本がこうした村社会の論理に犯されていないか徹底的に検証する必要がある。
村社会にどっぷり浸っているととんでもない間違いを犯す可能性があるからだ。
   2011年05月21日09時18分 早川忠孝
http://news.livedoor.com/article/detail/5575140/

97 :
>閉鎖ムラ社会から近代市民社会へ
これで害人に日本が荒らされる
地域のコミュニティーを破壊して
団結を削ぐのが手始め
近代市民ねーw

98 :
★記者の目:「原子力ムラ」の閉鎖的体質=日野行介/毎日新聞  1
2011-04-21 23:52:04
◇事故の背景に、批判拒む傲慢さ
東京電力福島第1原発の事故の取材応援で、東電や経済産業省原子力安全・保安院、内閣府
原子力安全委員会の記者会見に何度も出席した。そこで強く 疑問に感じたのは、「想定外の事態」や
「未曽有の天災」という決まり文句を盾に、決して非を認めようとしない専門家たちの無反省ぶりだ。
これまで不都合な 警告や批判を封じ込め、「安全」を自明のものとして押し付けてきた業界の
独善的体質が今回の事故の背景にあると思える。
◇言葉は丁寧だが決して非認めず
「大変なご心配をおかけして申し訳ありません」。東電の記者会見は必ずと言っていいほど
謝罪の言葉が出る。だが、「多重防護」を誇ってきたはずの 原発の安全性自体に疑問が及ぶと、
会見する幹部の態度は途端に硬くなる。言葉は丁寧だが、非は決して認めず、自分たちの言い分だけを
強調する。都合の悪い 質問には、記者をにらみつけながら木で鼻をくくったような対応をする幹部もいる。
こうした会見の模様はテレビやインターネット動画でそのまま報道され、政府の対応への不信とも
相まって、国民は「本当に大丈夫なのか」「うそをついているのではないか」と疑念を募らせている。
私は02年から3年間、若狭湾に原発15基が林立する福井県敦賀市に勤務した。「原発銀座」と
称される地域で、取材の最重要テーマが原発だった。
取材で接した原子力の技術者・研究者たちの印象は決して芳しいものではない。都合の悪い問いに
まともに答えず、批判的な意見に耳を貸さない尊大ぶりが印象に残った。
高速増殖原型炉「もんじゅ」(敦賀市)の設置許可を無効とした名古屋高裁金沢支部判決(03年1月)
の際には、電力会社や研究者が業界を挙げて判 決を攻撃した。判決に関する討論会で、推進派の
大学教授が専門用語を駆使して野党の国会議員をやり込めた後、会場の片隅で「素人のくせに」と
仲間内で笑い 合っているのを見た。

99 :
★記者の目:「原子力ムラ」の閉鎖的体質=日野行介/毎日新聞  2
ある地方テレビ局が数年前、原子力に批判的な研究者をドキュメンタリー番組で取り上げたところ、
地元電力会社が「原子力を理解していない」と猛烈 に抗議した。番組はこの電力会社を
直接批判する内容ではなかったが、テレビ局は広告主の抗議を無視できず、記者による定期的な
原発見学を約束した。
この件について取材した私に、電力会社の役員は「(原発が)いかに安全か理解していない。
『反省しろ』ということだ」と言い放った。その傲慢な態度は、今回の事故を巡る会見で見た
東電幹部と重なり合う。
 
◇官民にまたがる狭い人脈社会
なぜ、こんな体質が醸成されるのだろうか。
原子力の技術者だった飯田哲也・環境エネルギー政策研究所長は、業界の実態を「原子力村(ムラ)」
と名付けた。大学や大学院で原子力を学んだ学生 は、電力会社やメーカーに就職したり、国や
立地自治体の技官になる。就職先は担当教官の意向で決まることが多い人脈社会で、彼らは官民に
分かれても「ム ラ」の一員として育っていく。
原発関係の事故はメディアで大きく報じられる。市民団体などの批判にさらされることも多い。
“被害者意識”から、彼らは批判を「素人の意見」だと一方的に決めつけ、独善的な専門家意識を
強めていくのだろう。

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