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2012年08月心と宗教56: ◆坐禅と見性第89章ほとけとは麻三斤◆ (305)
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◆坐禅と見性第89章ほとけとは麻三斤◆
1 :2012/11/25 〜 最終レス :2012/12/07 問う 「片手の人がたたく拍手の音を聞いてこい」 このスレの1章は、南予さんが建てたスレッドである。 諸行無常、諸法無我、一切皆空である。 こころコロコロ、色即是空は空即是色、である。 無我なり。 無我とは、さとりである。 さとりとは、真理、法、ダルマである。 達磨さんはインドから中国にやって来たのか、来なかったのか。 人は生まれたから、死ぬ。 生まれなければ、死は無い。 一生の旅とは Rであり、そして必ずの別れである。 無一物で生まれ、無一物で死ぬ。 ビッグバーン以来の一期一会である。 すずめはチュンチュンこんにちは、である。 道端のタンポポのこんにちは、である。 出会えば別れるのである。 問う 「片手の人がたたく拍手の音を聞いてこい」 【前スレ】 坐禅と見性第88章天上天下唯我独尊、全てが主人公 http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1347634452/ 【過去スレ】 坐禅と見性第86章有始有終無始無終 http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1338795406/ 坐禅と見性第87章スレ違うも他章の縁側うとうと http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1343398541/
2 : >>1 Ann ちゃん 乙!!!
3 : 涅槃で悟らず輪廻転生ありがとう。またまようぞお私も小真もので大きな心には慣れんのでさあとりあえず楽がまあ絵絵に。 曹洞宗と臨在州サイト見たよ。で涅槃ネタ 起きて半分寝て半分つまり人間だもの。曹洞宗はそうとう難しい坐禅、 臨在宗は涅槃ネタ見ただけ。今朝は早く眼が覚めてしまった。そういえば夢の中で私が人に偉そうにしゃべっていた。 国々の厄介な政治問題は全て自国の利益の為の観点からしか見ない其れが原因と、損な事は誰でも解っているのだ当たり前 だ。みんな自国を守らないと他国に潰される死、理想では国も生きて意見と言っていたような平凡な夢の中だつた。掟半分 ネタは?半分じゃ無い全部つまらない現実社会の夢つまらない夢だつた。死んだら浄土真宗信じる人は阿弥陀に導かれる死、 曹洞宗は坐禅に導かれる死、臨在州は棒で叩かれる死、キリスト教はイエスが導く死、あの世でも信じる者は掬われるなら、 無宗教の人は困らないのか?何か困らないこの世と似たようなご縁がある身内や社会や煩悩に導かれる死なのかも。それじゃ 輪廻転生決定的なのか?まあよいか色々好きなところに良ければ良い。根が暗い人は地獄を見るけど地獄が好きなのかも?
4 : ここはタイトルとは真逆の擬似似非の野狐禅を展開している糞スレである。 ポッタン(別名あは)と称する者が師家気取りを演じている。(本人曰、糞スレだから銀蝿が湧いてしょうがないと) 自己愛性人格障害のこの者は坐禅修行もろくにせず、名誉欲や偽善心、虚栄心など我執煩悩が旺盛である。 三昧と執着の違いも分らず、三昧であれば何でも禅と言い放って、もっぱら日々、競馬三昧、2ch三昧にのめり込んでいる。競馬や低俗なコピペを方々に貼付けては顰蹙を買うほどの俗物である。 本人は無師独悟とか称して、隻手の音を聞いた、その後次々と公案を透ったと大見栄を切っている。 しかし所詮、自分免許の浅はかさ。書込みからは証悟の片鱗すら伺い知ることはできない。 一例が「私は払子を立てた。これが私の禅です」と坊主の真似事が禅だと、恥とも知らず失笑を買っている。 そんな者がどこからか禅語をコピーしては、矛盾に満ちた皮相的で幼稚な取るに足らない曲解を書き込んでいる。 突っ込まれて答えられない質問には、恥隠しのはぐらかしや長文コピペで誤魔化すこと枚挙に暇がない。 またときに、尊大な我執による妄想妄念から、あられもない説法をしでかす。 「すずめさんがチュンチュンとこんにちは、タンポポさんがニコッとこんにちは」と幼児童話レベルの妄想が禅の悟りであると吹聴している。 しかも30年近くもこの有様というから愚かの極みで、恐らくボタンを掛け間違ったまま生涯を終るものと想像できる。 野狐禅に陥ったら、五百生間狐となって迷妄の深淵から抜け出せないというよい例である。 この様に我執に塗れた者が無我を語り、見性せぬ者が空を語るなど、入門者でも胡散臭さを感じて俄に信じる者はいないとは思う。 しかし中には、類は類を呼ぶ、同病相哀れむという諺通り、ポッタンを師とする者が現れた。 素人Aというポッタン酷似の者で、なにやら激しい妄想妄念を、誤字誤変換だらけで書き込んでいる。 最近は師への切替えが混乱し、妄想妄念も激しくなって分裂症も進んでいる様子である。 祖師禅とかけ離れたこの野狐禅スレに、間違って来られる入門者があるやもしれない。 しかし、よもやこの師弟に惑わされることはないと思われる。 万が一のため、ポッタンのように野狐禅に陥って人生を無駄にせぬよう警告の意味で記しておく。
5 : ぽったんの見性渇望物語である。 まだ、ぽったんが”あは”と名乗っていた時代のことである。 酒場に働く女から金色の炎が立ち上がってるのを見て、見性したというのがことの始まりであった。 勿論、見性とはまったく無縁のことは云うまでもなく、当然のことながら呆れた幼稚さに批判非難紛々であった。 それでもぽったんはそれが見性だという持論で仕切りに反駁したが、誰一人、頷くものがなく、渋々引っ込めざるを得なかった。 暫らくこの自説を封印して大人しくしていたのだが、持って生まれた猛烈な虚栄心はそれで収まる訳はなかった。 次には新たに、「お花さんが微笑んで、おはようとご挨拶」と童話風物語を語り始め、これが見性ですと新説を打立てた。 それが素性の知れぬマンゴー先生とかいう者に見性してると”認定”され、今日までそれがぽったんの唯一の拠り所になってるのは衆知のことである。 しかしそれだけではまだ虚栄心を満足させることができなかった。 その後、「隻手の音声」という公案について、頭の中で組上げた理屈でもって、音を聞いたと吹聴し始めた。 だが、そうはいったものの、ある人物から「本当は聞こえない」と指摘されたことから、組立てた理論が敢なく崩れ落ちてしまった。 すっかり自信を失なってしまったぽったんは、ここでも見性の自説を下さざるを得なかったのである。 その後は、音が聞こえるのは色即是空までで、その体験後は音は聞こえずそれが空即是色であると実に珍妙な見解に変えている。 その度に、都合良く解釈を変えるもので虚言癖もなかなかのものである。 またつい最近では、方々のスレで「無とは何か」などと、公案がパズルであるかの如く回答を募って師匠然を気取っていた。 しかしこれもまた、ある人物からトラック一杯の答えを集めても正解などはないと指摘され、あえなく撤退してしまう嵌めになった。 このようにどれもこれも、もともと見性などしておらず、ただ嘘でもいいから異常体験をしたとの虚栄心と師匠を気取っていたいがためであるのは明らかである。 真に見性してものであれは実体験からくる確固たるものを掴んでいるので、誰が何を言おうと一切右往左往することはないものであるが、この体たらくである。 次は何を言い出すのか実に見ものであるが、このようにポッタンの見性への思いは渇望というより飢餓に近いと言える。
6 : 以前にポッタンの隻手の音声のいい加減さを指摘したが、その後のポッタンの隻手の音声である。 最近では「片手の音は、聞こえないよ、キッパリ!!」に変更したようである。 かって「聞いた」から「聞こえるのは色即是空までで、その体験後は音は聞こえない」に変更したが、驚くなかれ再び三度の変更である。 今度は何に影響されたかは定かでないが、この様に他人の言にいとも簡単に左右されるのは、禅体験からくる確たる根拠がない為である。 そもそも隻手音声の公案とは、「片手で打つ音を”聞いて来い”」という問いである。 その答えが「聞こえません。キッパリ!!」では全く笑い話にもならない。 ポッタンはそんなことすら分からない全くの野孤である。それは禅を頭で理解するものと勘違いしているからこういうことになる。 (禅語の字面をなぞっただけの表面だけを追いかけて知識で理解しようとしているのが、コピー文の随所にみられる) 隻手音声は生易しいものではなく、ある面、無字の公案よりも難しい。 ポッタン如きの野孤がチョコット知識を並べた程度で透過することなど全くのナンセンスである。 「聞いてこい」という師家の問いに対して、「聞こえません。キッパリ」などと公案から逃げずに、日夜真剣に取り組まなくては、到底聞くことが出来ないのは言うまでもない。 さらに聞いたと言うのならば、師家にも聞かせてやらねば証明したことにはならない。 それが真面目な顔して、俗世間人が言うのと変わらぬ「聞こえません。キッパリ」では、師家もこの幼稚さには、ただただ苦笑するしかないだろう。 野孤禅の野孤たる例として、最たるものといってよい。 さらに滑稽なのは「片手の音は、聞こえないよ、キッパリ!!」と答えておきながら、方々のスレで「片手の音を聞いて来い」と師匠面して問うていることである。 この自家撞着にさえ気がつかぬ愚か者に、付ける薬はない。 主体性だとか主人公だなどと、普段偉そうなことを言っているが、この様に借り物の知識ばかりで主体性が全く身についていない口先だけの禅であることがよく分かる。 三十年近くも禅を学んでいるというのに、未だに禅の周りをウロウロして入口にも近寄れず、ちっとも埒のあかない野孤禅ポッタン師匠。 禅の資質、素養が無いに等しいポッタン”師匠”の口から、この次にはどんな言葉が飛び出てくるのか・・・・・、野孤禅は永遠に続く。
7 : ポッタン野孤禅では、禅語や公案を字面を追って理屈的解釈するものと勘違いをしていると、以前指摘したことがある。 ここでは、最近よく出してくる「眼横鼻直」を例に、その行き着く果てが自家撞着という矛盾であることを説明しよう。 直近によると「主人公、主体性、自由、鼻は直に涅槃」とポッタン流に珍釈している。(これはこれで全く酷いものだが・・) その言下に「公案は、常識や知識で、これとそれを分けている妄想を、これとそれを分けない、これとそれは 一の如し」などといっている。 しかし何より、己自身が分別心によって、しっかりと区別している矛盾に全く気がついていないのであろうか。 他にも「自己はありません」と言ったかと思うと「自己を語ろうよ」と、「悟りは語れません」と言ったかと思うと「悟りを語ろう」と呼びかけたり、また「リアル(な世界)には・・・・云々」と言って、現実と観念上の世界が夫々別に存在するかのようにハッキリ区別したりする。 これらの例に限らず、悟りや仏の解釈に酷い矛盾があることや、隻手音声を透過したと言っている自身の言動に、甚だしい不一致や我執紛々として悟証の欠片も見出せない支離滅裂なことは、過去スレをちょっと覗いても数多見出される。 禅を、言葉の字面を追って理詰めで解釈するものと勘違いしている者は、必ずこのような矛盾にぶち当たる。 更に悪いことに、指摘された矛盾を取り繕ろうとしたり、相手に打ち勝とうとして、さらに分別心を掻きたてていることである。 矛盾を、さらに矛盾で覆い隠すため、理論武装の屋上屋を重ねていることである。 その様な、禅そっち除けの自我妄執愛に陥って悪循環に嵌ってしまっては、もう手の施しようもない。 その先には精々、禅に手が届かぬ絶望感と人格破綻であろうか。 そして、字面を追いかけた先に禅や悟りがあると思っているようで、空がどうの悟りがどうのと、いくら難解な仏教語を駆使して、己の禅を誇示しようと、素人、入門者の域を出ることはない。 最近では、質問には以前にも増して的確な回答が出せず、拾ってきた仏教語を自己流で解釈して誤魔化すようである。 畢竟、言うなれば十牛図の尋牛にも届かぬ、禅の周りをうろついているだけの単なる野孤なのである。 このように迷妄の底無し淵に落ち込み、禅の入口さえも見出せないで、もがいているのがポッタン野孤禅師匠である。
8 : 今回は、その後の隻手音声の続きであり、以下は最近のそのままの引用である。 「ある禅僧が、隻手の音声を聞いた!お師家様にも喜んでいただこうと足音を踏み鳴らして師家の部屋に飛び込んだとき、お師家様は静かに言われたそうです。片手の音は、聞こえない。 そこが、空即是色です。1秒もかからず、リアルに舞い戻していただいたそうです。 お師家さまの指導下で修行する事のすばらしさは、こういうことにあるのでしょうね」 とある。 しかし、この話は禅を心得た者から見れば、全くバカバカしい限りの虚言、虚構創作であることが明々白々にして容易に分かろう。 まず、隻手の音声を出した師匠が、未だ法身も会得していない者に、積み上げつつある修行を元の木阿弥に戻す様なことは絶対、口にしないからである。 いわんや「片手の音は聞こえない」などと、音がどうの、聞える、聞えないだのと分別差別の相対概念を、ここで持ち出すなど、まったくのナンセンスである。 かつ、俗世的相対固定観念に捉われたまま、未だ始末できない生煮えな禅匠がいる筈もないからである。 そして「そこが、空即是色です。1秒もかからずリアルに舞い戻していただいたそうです。」と続く。 法身が何たるかも分からないものが、1秒にしてリアルに舞い戻るも何もないものである。 よしんば、万が一そうであるにしても、まずは、無にしろ空にしろ、徹底させて、法身を会得させた後の、まだず〜と先々のことである。 証明する事にさえ苦心してるのに「片手の音は聞こえない」などと、足を引っ張るような愚劣な指導がある筈もないのは参禅したものなら承知のことであろう。 なぜポッタンがろくでもない嘘に満ちた拙話をでっち上げるのか。 それは、ポッタンの脳内で作り上げた「音が聞こえるのは色即是空まで、その後は音は聞こえずそれが空即是色である」という珍妙な屁理屈の辻褄を合わせようとの魂胆があるからに他ならない。これを嘘言の屋上屋を重ねるというのである。 ちょっと禅を齧った者にも、容易にわかる幼稚な作り話を、平然と書き込みする愚かさを繰り返すのが、ポッタン野孤禅の本領であろうか。 この様に、このスレにはポッタンの虚飾、虚言、嘘妄の作話で満ちているが、初心者は、野孤禅サンプルとしての反面教師としてならともかく、決して野孤禅に惑わされないよう、大いに気をつけて欲しいと思うのである。
9 : ポッタン禅が、いかに野孤禅なのかを指摘してきたが、最近も野孤禅のよい(?)サンプルを提供してくれている。 その中で、しばしば、不二一如の説法を垂れているので、それを紹介しよう。 最近の曰く、「二は二では無い、一の如し、バカの一つ覚えで、一如と言ってきてるよ。」 そして「視点を弱いものと同じ目線で見ることです。」 「相手とわたしがいて、相手は相手、わたしはわたしが、世間ですが、それでは、いけません。痛みを分かち合う事です。」 と、他人も私もなく一如なのだと、今度は聖人にでも変身したかのような、一見、大変結構なことを語っている。 しかし、これが口先だけのとんだ戯言なのである。 仏教に接しているものならば、五戒は知っているであろう。 その中に不妄語戒と言って、嘘言するなかれ、という人であれば当たり前な戒がある。 ポッタンは、今まで数々の嘘言や作り話で人を騙しているが、嘘言を吐くことは人の尊厳を蔑ろにするから出来ることであり、更に人を騙すのは詐欺にも等しい罪業である。 己が可愛いと思うなら、同様に他人も大切にすると思うのが、自他一如でもあろう。 また公案にしても、正師の元で、印可はおろか透過すらしていない。にも係わらず、師匠面して公案に答えよ、と人を愚弄にした書き込みを続けたりしている。 これらの例に限らず、他にも数々の愚かな行為を繰り返してきているが、これらの所業が他人にはどう写っていると思うのであろうか。 自他一如が分かっているならば、この様な行為はとても出来ることではあるまい。 更に、己が他人を慮る気持ちがないのを棚に上げ、他人には「視点を他人と同じ目線で見ること」と注文をつけている。もう滅茶苦茶である。 ポッタンの自他一如は、いかに自分に都合のよい自己中心的で、それを言うには到底、程遠い行為であるかが分かるであろう。 そもそも、己の所業による不徳を羞じる良識があれば、自他一如の説法する資格などないと思う筈である。 ところが、それを口にするのだから、すでに人を欺いていることだと分かっていないらしい。自他一如などとは、ポッタンの己自身を省みれば、安易に説法できるものではない筈である。 以前、ポッタンの言行不一致を指摘した。 この例も、いかに身につかない単なる口先だけの野孤禅ということを証明してくれている例である。
10 : 野孤禅は野孤の数だけ種類があるが、ポッタン野孤禅は差し詰め、口先禅とでも言ったところだろう。 最近、それに加えて猿真似禅(しかも幼稚的)というのを追加してくれている。 「宇宙未始前の一句をもつて来い。 宇宙が未(いま)だ始まる以前の一句を言いなさい。 だろうか。 わたしは、すっと立ち、両手を後ろにやって、羽をばたつかせながら、口では、チュンチュンと鳴く。」 と、これが「宇宙未始前の一句」の、ポッタンの「どうじゃ」と胸を張った自信満々の回答である。 どこぞの公案回答集から拾ってきた真似かは知らぬが、禅家はそんな猿真似が透る程甘くはない。 精々、化けの皮が剥れるのが関の山である。 無字も、隻手音声の公案も透過していない程度の未熟さは隠し様もなく、隙だらけの回答ですぐに正体を露呈する。 禅の本源が分からぬものが、勘違いをすると、このような、道化師のようなことをしでかすのである。 あらかじめ頭に描いたシナリオを、時と場所と状況も見極めずに、ただ演技するだけである。 如何にうまく演技しようと、所詮、猿真似は猿真似である。 猿は何でも真似をするから猿真似だが、さらに猿真似の芝居をする、これを猿芝居という。 それにつけても、この猿芝居、幼稚さはなんとかならないものか。 毎度の、お遊戯は幼稚園児並ではないか。 「すずめさんがチュンチュンとこんにちは、タンポポさんがニコッとこんにちは」が悟りだと言い、「私は払子を立てた。これが私の禅です」と語った類と同レベルのものである。 これを師家の面前でやれば 「何の演技じゃ、そんな猿芝居は幼稚園でやれ」 と一笑に付されるのが落ちであろう。 「倶胝竪指」では物真似小僧が指をチョン切られただけで済んだが、これが関羽将軍の面前であったなら、ポッタン猿真似禅師匠は首が胴体から離れているかもしれない。実に剣呑である。 ところでポッタンは人を笑わせる才能があるようだ。 三十年近くもやっている禅が、ちっともものにならず、しかも今後も見込みがないならば、さっさとイッパツ芸人に転向することを勧めるとしよう。 それとも、これからもポッタン野孤禅師匠の言動で、大いに野孤禅のサンプルを提供してくれるというのだろうか。
11 : これまで、ポッタン野孤禅の幾つかの実例を挙げて、野孤禅とはどんなものかを見てきた。 それから分かると思うが、ポッタン野孤禅は異常にまで文字語句に執着していることである。 万巻の書を読めば悟りが得られと思い込み、肥しにもならない屁糞知識を頭一杯に詰め込んでいる。 しかも悪い事に、強い自己顕示欲と虚栄心から、他人の悟りを己の悟りと偽るのである。 たとい好意的にとったにしても、頭に詰め込んだ他人の知識で悟った、と錯覚しているのが今のポッタンである。 しかし悟りの理論を組立てる必死の努力も報われず、すぐにボロが出てしまうのは哀れと言うしかない。 また、言葉に執着しているのは、2chでのレスの往来でも往々にして見られる。 ポッタンに好意的なレスには、“φ( ̄ ̄*) メモメモ、と熱心にメモをとるが、拙文(野孤禅スレです)レスのような気に入らないレスには、「内容がない」と言って批判、不満を垂れる。 どうやらポッタンは、よちよち歩きの幼児のように、アンヨがお上手と手を引いて貰いたいらしい。 小児幼稚性向はこれに限らないが、老齢による退行症状のなのであろうか、一層進んでいるようである。 そもそも、禅の本質が文字語句にある筈もないのは言うまでもない。 これが分からない様ならば、達磨が中国に渡った意も分からない。 「内容がない」と文句を垂れる前に、ポッタン己自身に禅の素質の無さを嘆いたほうがよい。 しかも先頃、ポッタンは次の様に語っている。 「法華経と言う経典を主人としてこれにひれ伏せば、こちらは奴隷である。こちらが主人公となって、法華経をこき使えば、こちらは主人公である。汝こそ汝の主人公、他の誰が汝の主人公でありえようか。」 己を知っていれば、書ける筈も無い文章ゆえ、どこからかのコピー文だろう。しかも本当に分かって書いてはいまい。 ”法華経”を”文字語句”に置き換えれば、今のポッタンに、そっくり当て嵌まるではないか。 文字語句を追いかけ、振り回され、ひれ伏して文字語句の奴隷となっているのは、ポッタンそのものである。 いみじくも、ポッタン自身のことを指摘しているが如くの文章ではある。 三十年近くも文字語句に溺れている、これはもう性癖と言うべきで、自ら手に負えないようだ。 容易なことでは真ともになりそうもない。実に恐るべしである。
12 : ポッタンと川上雪担老師との過去の会話の件で、最近、ポッタンが何やら呟いている。 雪担師もすでに遷化されているので替わりに一言、解説しておこう。 ポッタン曰く「彼との会話の争点は、色即是空、空即是色だ。彼には色即是空はあって空即是色が皆無だった。そこを、悟り半分と云ってたのだが、右の耳から左の耳へとスルー。聞く耳を持たない」 まるで雪担師がポッタン野孤禅師以下の語り方である。これ程、身の程知らずの軽口を叩く、厚顔無恥の輩を知らない。 雪担師は、大事を了畢した修行底の禅師であり、仮初めにも一寺の住職で禅を布教している専門の禅家であった。 ろくに修行もせず、屁糞知識を詰込んだだけのポッタン野孤禅師匠、あなたとは全く違うんです。 当時、雪担師はポッタンが禅を知らぬ者と早くから見抜き、無師独覚とか言って、無知も幼稚すぎる色即是空、空即是色の珍釈に呆れ果てていた。 そして、(隻手の音が聞こえるまでが色即是空だとか、その後の聞こえないのが空即是色だなどと言った)愚かな観念をスパッと放り捨て、空のどん底を見て来いと、雪担師独特の語り口で説法していたのである。 その握って離さない固執した自説と、その元の我執から離れることを、色即是空で丁寧に説明していた。 我執に塗れ、空も観てないものが、やれ色即是空だ、空即是色だなどと言ったところで、所詮、青臭い屁理屈でしかない。 まずは、我執を捨て、空の空の空の空、色即是空のみ、空のどん底を観て来いと、空を徹底的に説いたのであった。 然るに、ポッタンは、その意を汲み取れず 「(雪担師は)空即是色が皆無だった」と、いかにも愚鈍なポッタンならではの戯言を言ってる。 青臭い屁理屈などいらぬ、空のどん底をぶち抜けば、全てがガラーッと一転、空即是色が観て取れるのだと言う、雪担師の親切すぎる説法もポッタンの耳には届かなかった。 それどころか「(雪担師は) 自己が立ってる地点から、一歩も踏み出そうとしなかったしできなかった。そこで分かれた。なにか彼の胸の奥にくさびを打ち込めたのか、打ち込めなかったのか」 などと、思わず失笑してしまう程、どこまでも愚か者の視点で嘯いている始末である。 野孤が禅師と同レベルにあると思っているこの野孤感覚。 普通の感覚の持ち主ならば、狂気の振舞いという他ないが、やはり、虚栄心と自己顕示欲の塊の性格異常者である。
13 : 以前、ポッタン野孤禅の行き着く先が、禅に届かぬ絶望感と人格破綻であろうと指摘したことがある。 その兆候が、すでに”雪担氏との会話”の中にあり、ポッタンの性格が異常なものであることを紹介した。 その人格破綻の進み様が、最近の書込みに見れ取れる。 まずは、ポッタンによる無門関「久響竜潭」の書込みの中に、その徴があるので、それを見てみよう。 ポッタン曰 「まっ暗闇は、昼間の明るさの中で、色は、ひとつずつが他と区別して独立している。真っ暗闇に差し出された紙燭の灯りに浮き上がってきた世界はまさにリアル、色の世界である。 ふっと吹き消された世界は、何も差別できない無分別の世界、空である。空であるから、金剛経の注釈書を積みあげ、一句を唱えて引導を渡し松明で火をつけた。」 とある。 竜潭和尚の慧敏な禅のはたらきには気づかず、読み取ることができないポッタンの非力さである。 以前の眼横鼻直での 「眼は水平に自由を、鼻は縦に主体性を表す」と同レベルの、相変わらず皮相的で字面を追い掛けた解釈と幼稚さで、コメントに値するものは何もない。 そして 「だが、(途中略)この人は、空だけを見ただけである。隻手の音声で言うところの、片手の他人がたたく拍手の音を聞いただけである。ここから空即是色へと立ち戻らなければならない」 と続く。 吹滅の因縁を、見解とはいえない屁理屈でしか捉えられないのは、ポッタンの貧粗な力量なら仕方が無い。これでは、香厳撃竹の因縁も分かる筈もない。今は一応、失笑しつつも目を瞑っておくとしよう。 ところが、「師家である竜潭和尚の力不足である。 こうして徳山は竜潭和尚の法を嗣ぐことになった、と言うことであるが、空即是色が未だ透らずである。」 と徳山、竜潭和尚の力量を、ポッタン野孤禅師匠の比ではない、と大言壮語しているのである。 野孤禅を次々暴かれ、後が無いポッタンにとっては、徳山、竜潭の両和尚をコケにし、貶すことによって、ポッタン野孤禅師匠は偉大なり、と虚勢を張りたい気持ちの裏返しである。 ポッタンは、(愚かで悪いのは、ポッタン野孤禅を理解しない世間であり、我こそが大覚者なのだ)、とカルト教祖の論理を主張したいのである。 その伝でいくと、仕舞に全ての祖師方々否定してしまうのは間違いなさそうで、自我肥大のパラノイア(誇大妄想狂)は、深く々々、人格の破綻が進行しているようだ。
14 : 前回は、ポッタンの貧粗な力量を省みずに、雪担老師、更には古仏の徳三、竜譚和尚までも貶し、悟りが不十分と豪語したポッタン、その自我肥大異常性格を暴いた。今や、その自我肥大は止まる事を知らず、人格破綻へと、まっしぐらである。 最近、頻繁に使っているのが、無師独悟(独覚)とかいうポッタン用語である。 無師なのは、本人によると、人嫌いによると言っているので、普段の幼児並性向から、異論を挟む余地は全く無い。 しかし、独悟や独覚となると、悟ったものでも憚り多くて、なかなか口にできる言葉ではない。それを機会ある度に、常套句のように喧伝しているのは、自我の肥大化がどこまで進んで行くのか、の感がある。 本人は 「決して自慢、ひけらかしていってるものでは、ありません」と言い訳しているが、額面どおり受け取るのは安直である。 その言下に「お釈迦様も、沙羅樹の下で瞑想され、暁の空に輝く明けの明星を見られて悟られたのだよ、と言っています。と言うことで、私の無師独悟は、お釈迦様と同じ無師独悟の仲間です。」 と舌の根が乾かぬうちに、本心が別にあると言っているのである。 上から目線はポッタンの常であるが、ポッタンの無師独悟は、釈迦と同様に崇高なものだと、本音が透けて見える。 形は似ているが、内容は月とスッポン、魚目燕石である。 ここまで自我肥大が進行すると、悟りなど無論、望むべくも無い。 自我清算のない悟りがあろう筈もないからである。 しかも、過去スレでは時折、坐禅などいらぬ、と本音を吐露していた坐禅修行が嫌いなポッタンである。 歩み始めた第一歩から、自我清算の方向ではなく、自我増大に走ってしまったのがそもそもの間違いで、しかも正す者のない無師が致命的であった。 三十余年間、肥しにもならない糞知識を頭に詰込むだけで、坐禅修行を怠ってきた代償は余りにも大きく、そのつけが今になって回ってきたのである。 その期間を、自己に謙虚になって、まともに修行していたならば、ここまで自我肥大化していなかったであろうし、少しは悟りに近づいていたとは思うのである。 失った時間が取り戻せる筈も無いが、自我が強大になってしまった上、高齢の今になって、自我の清算など到底適わぬ事であろう。墓場まで野孤禅を連れて行くのは仕方ない。 賢明な諸氏には、決してポッタンの様な轍を踏まず、坐禅修行に力をいれて貰いたいと思うのである。
15 : 無字は、初めて参禅するものに与えられる公案である。これがまた曲者で、中々透して貰えず、艱難辛苦、大変な苦労を強いられる。 それもその筈である。この世に生を受けて以来、永年染み付いた黒白つけたがる分別相対観念を根こそぎ絶つことを試されているのである。チットやソットのことで透過できる訳が無い。 昔、菴原の平四郎というものが、大憤志を発し勇猛の一機で妄想魔境に打ち勝ち、僅か三日で見性したらしい。これなどは稀で、我々凡夫は、昨日より今日、今日より明日、薄皮を一枚々々剥ぐように、自我を清算していくしかない。 そんな凡夫でも、日々努力を続ければ、因縁が熟した時、何かの契機に見性は訪れる。それは一瞬の出来事かも知れない、暫しの事かもしれない。 見性の深さも人による。大疑念のものは牛の大半を見るかも知れない。そうでないものは尻尾だけかも知れない。 臨済にしろ白隠にしろ再参して大悟したくらいだから、鈍根な我々凡夫は、一度の見性で一見便見の様には行かない。 見性体験は、将に身を削る、自我清算の修行があってのことである。修行も無く知識を詰め込んだだけの見性などありえなく、逆に我見を益々強めて遠ざかることにもなる。 ましてや、2chに入り浸り、互いに貶し罵りあい、自我を研いている様では、到底、叶わぬ事である。 また、一たび、我見我慢我欲を清算した後、見性して初関が透れば、無や空がガラーッと分かるものである。 世間には、無や空は観念、概念だから書物で学べば分かるものだ、と甚だしい勘違いをしているものがいる。 書物で無や空が分かり、こと足れりと済むなら、達磨が中国へ渡ることも無かったし、禅はとうの昔に滅んでいただろう。 書物に書いてある空や無の解説は、いわば薬の能書きみたいなもので、読んだから病気が治るわけではないのと同じである。 ポッタンは、「飲み屋の女から金色の炎が立ち上がるのを見た」とか「父親に、最近、世界が違って見える、と話した」などと、見性したかのような思わせ振りを語っている。 しかし上述から分かると思うが、強烈な自我が、一度も整理、清算出来ていない俗物に、見性などありえない。これは毎度お馴染みの、彼の虚栄心や自己顕示欲から来る作り話であろう。 仮に事実としても、何か脳の悪い病気に冒されているか、89をやった副作用か、あるいは何かの幻覚ではないのかと疑われるのである。
16 : 以前、何処かのスレで、禅入門者が2chで真に悟りを得ている者か否かの見分け方を知りたい、という質問があった。 悟りを得ている者を見極めるのは、入門者には難しい。何をもって悟りを得ているかということからして難題である。 しかも、悟りの境地、境涯というものは、同じく悟ったものにしか窺い知れぬものである。 その上、ある者を悟ってると思っても、それは同じ境地にあるだけで、より悟ったものから見れば、未熟ということがよくあることだ。悟りに終着はなく、生涯の課題なのである。 また仏教知識を理路整然と捲くし立てるものが悟っている訳ではない。それは全くの別物である。 有余る知識を持つ理論家が悟っているのであれば、仏教学者は皆悟っていることになる。しかし現実はそうではない。 むしろ、自らの知識の呪縛にあって悟りを得られない方が多いかもしれない。 以前にも言ったことだが、知識は薬の能書きみたいなもので、能書きをいくら集めても、薬効が得られないのと同じである。悟りに知識は無用なのである。 一方、偽の悟りを見分けることは、入門者にも難しいことではない。 まず、偽者は悟りの心境にないので言葉も行為も軽く浮ついていることである。一端の理屈を語っても、こと行動や態度となると、如何に繕っても隠すことはできず、言葉について行けない。所詮、借り物の言葉でしかない。 ポッタンの例を見てみよう。彼は「区別しない」、「分別しない」と頻繁に口にする。(もっとも逃げ口上に使われることが多い) しかし、本人はこの言葉の意味をよく承知してはいない。彼ほど区別しているものは珍しい位であるからだ。 彼はしばしば「マンゴー先生、素人Aという仏様に出会った」と語る。本人に好意的なものには、やたら諂い卑下するが、本拙稿のようなレスには、狗呼ばわりし異常なほど敵意をむき出し区別する。 また以前、何某から「悟っている」と煽てられては舞上がり、「あなたは仏様です」と手放しで喜んだ。かと思うと「勘違いでした。ポッタンは悟ってはいません」と取り消されると「あなたは悪魔のようです」と、手を還すようにコロッと態度を変えたこともある。 彼が他人の言葉に振り回され、私感情に振り回されるのは日常茶飯事であり、主人公々々々と説法するほど口程にもない。 この様に底が浅いので、言行不一致に注意を払えば、偽の悟りを見分ける簡単な方法の一つにはなるだろう。
17 : 言葉が軽いのは、偽悟り野孤禅の特徴でもある。最近、ポッタンは常套句のように眼横鼻直を説法しているので再掲してみよう。 彼の曰く、「眼は水平に自由と平等を、鼻は縦に主体性を表す」などと語っている。 しかし、この説明そのものが、眼横鼻直とは全く懸離れた迷妄の視点にあり、眼横鼻直になっていないことに気付いていない。 眼横鼻直は、彼の云う、眼が水平にどうの、鼻は縦にこうのとか、そんな分別観念を捨て、「すずめさんがチュンチュンとお早う、タンポポさんがニコッとこんにちは」などの彼我の妄想も捨て、 全ての妄念妄想を放捨して、真実在を真っ正面から受け止めれば、縦もなく横もなく、「すずめさんがお早う」とか、「タンポポさんがこんにちわ」とか、そんなものもない。 しかし乍ら、あるべきものはあるべき様に、ちゃんと納まっている。仏の世界は何も特別の世界ではなく、この真実在の世界が、即、仏の世界だという端的を、道元さんは眼横鼻直と云っているのである。 この、眼横鼻直の一句は、僅か四文字と雖も、色即是空、空即是色の一切を含み、俗世的な説明では、容易に解説し尽くせぬ手強く、侮れない一句であると云える。 ごく簡単に能書きを垂れはしたが、これを知ったところで、知的な理解に留まっているうちは、真に眼横鼻直は分からない。眼横鼻直に直参直入してこそ、分かるというものである。 然るに、ポッタンの説明は、水平だの縦だのと、悪癖悪習の二元対立、相対観念に捉われた見地で、全く仏法になっておらず、自らの偽悟りを証明している。 この観念に捉われた見方は、この例に限らず、彼の他の全ての説明について云える。 つまり、見性体験がなく無我を知らない。故に俗世的観念に捕縛されたまま、そこから脱却できない。その為に知的な理解に留まり、浅薄で皮相的な説明しかできない、と云うことだろう。 畢竟、見性体験のないことが元凶と云える。 そして、このポッタンの事例は、禅入門者へ幾つかの大切なことを示唆している。 30有余年の禅経験があると云っても、年数で悟りは開けないということ。誤った方向に進めば、後の修正は難しく、一生を台無しにすることもあると云うこと。 また、知識を詰め込んだだけでは悟りは開けず、見性の無い禅は無意味ということ、などである。 今後も、ポッタン野孤禅大師匠の偽悟り語録が続くであろうが、多いに注意して貰いたいものである。
18 : 言葉の軽いポッタン語録の中から、もう少し拾ってみよう。 ポッタン曰く「ほとけとは、さとりである。さとりとは平等である。平等とは無我である。無我とは一如である。一如とは如来である。 如来とは如である。見性とは、悟りと涅槃、現代語では平等と自由。また、無差別と主体性と言えます。禅のさとりは、一の如しですが、無分別とも言います。」 こんな能書きの類を言ってるうちは、全くの落第である。 これが30有余年間の集大成の言葉と言うのだから、実に進展の無い禅生活を送ってきたもので気の毒で哀れとしか言いようが無い。 どの師家に持って行っても、その初心者レベルの未熟さを瞬時にして見破られ、棒喝にも値しないと、追い返されるのが関の山である。 しかも、30有余年禅経験の結論です、などと言おうものなら、それだけで参禅入室を許されないのは勿論、読本は一切禁止、その上、只管の坐禅修行を命じられることだろう。 先に、ポッタンは眼横鼻直が分かっていないと指摘したが、そもそも、ポッタンは、自由、平等だとか涅槃などの仏教語を全く分かっていない。 お馬さんのケツを追い回し、取った取られただのと我欲に振り回され、我執に縛られたまま真の主人公にも会えず、二元相対の既成観念に囚われているものに、自由もなにも分かる筈が無い。 真に自由が分かっているならば、固定した観念に囚われた言葉などを繰り返し使う筈が無いからである。 また、人一倍、悪知悪覚の有無得失是非善悪などで区別する分別心旺盛で、しかも見性もない故、平等性智が発現しておらず真の平等など分かるはずが無い。 ましてや、自己顕示欲、虚栄欲、我欲など、煩悩の嵐が吹き荒れ、一瞬たりとも心休まることが無いものに、涅槃の境地などチラッとでも味わったことは無い。 そんな、言葉と心境が全く懸離れて見性も知らぬものが、「悟りとは・・・・うんたら、見性とは・・・・かんたら」と素人衆を相手に偽の説法である。 ポッタン野孤禅の正体を知った賢明な諸氏には、そんな薄っぺらい説法を真に受けることはないと思うが、 傲慢、増上慢この上なく素人衆を誑かすこの所業は、仏法を汚し冒涜する重罪であり、昔の修行僧なら、山から追放され、二度と山門を潜ることは許されまい。それどころか、簀にぐるぐる巻きにされ川に放り込まれても仕方あるまい。 いずれ地獄に落入って贖罪しなければならない罪業ではある。
19 : 言葉の軽さ薄っぺらさを指摘するのは、これまでの説明でも十分であるが、ポッタンの言説に戻って、肝心な点を指摘しておこう。 長年、肥溜め桶に漬け込んだ能書きの中から、拾い集めたのであろう。 悟り、見性を平等だ自由だなどと、頑愚なまで固定した観念に固執し、もっぱら、使い回しの草臥れた文字言句で説明しているが、そんな底が浅いものではない。 文字言句の字面を追いかけた結果、悟り、見性を、わずか数語の死んだ文字言句で定義するなど、これを死句を並べるといい、そこには禅のはたらきなど一片の欠片も無い。つまり、法が全く現われていないのである。 師家が一瞬にして、未熟を見抜くのはそこにある。 30有余年間の禅経験があると言いながら、仏法というものを未だ掴めず、法を見て取れる目も、表す力も全く付いていない。 無師独覚と放言しているポッタン野孤禅大師匠の越えられない限界である。野孤禅、まさに恐るべしである。 真に見覚めたものは、言葉で表現するにしても、直截で端的である。 一例を挙げよう。 無門関の「庭前柏樹」をご存知であろう。 ある僧が趙州和尚に「如何是祖師西來意」。達磨が中国に来た意図は何か、つまり悟りとは何かと訊ねた。 それに対し趙州は「庭前柏樹子」。ただ一言、庭先の柏の樹、と応えたのである。 これは何も、柏の樹に仏性があると言っているのでも、悟りの意味があると言っているのでもない。 柏の樹に用はないのである。 趙州の、法のギリギリのところ、悟りの端的を直截な言葉によって表現しているのである。 その言葉には、趙州の禅機に溢れた仏法が、実に活き活きと輝いている。これを活句という。 死句を並べただけの「悟りとは・・・・うんたら、見性とは・・・・かんたら」とは天と地ほど、雲泥の違いである。 また、無門はその頌の中で、「言無展事、語不投機。承言者喪、滯句者迷。」 と、「言葉で説明は出来ぬ、語れば本質の機微に触れることが出来ない、言葉を聞けば本来の意味を失い、句について滞れば道に迷う」と、言葉に執着する危うさを忠告している。 禅を志す諸氏には、書物から知識を得るにしても、文字言句の字面を追いかけて、死句を並べるのではなく、このような活句に参じるようになって欲しいと思う。 そのためにも坐禅修行に励んで、法を見て取れる目と力を、是非、養って頂きたいと思うのである。
20 : | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ||【このスレに来られた方へ】 || ||★ここは野孤禅の本格スレです。まずそのことを充分、認識してください。 || ||★野孤禅とはどういうものか、まともでない見本が満載です。 || ||★ポッタン、素人Aと称するものの発言内容は、まさに野孤禅の見本といえます。 || ||★素人Aとかいうものはポッタンの携帯黒子ですので、ご注意。 || ||★この者達の自作自演が多々有ります。相手にならぬようご注意。 || ||★同様に、かまって貰いたいが為のツリが多々見られます。相手にせぬようご注意。 || ||★まじめな質問は別スレにてお願いします。 || ||★誤って、禅の質問をしても、その回答はいい加減と思ってください。 || ||★本スレの使用目的は、禅に関すること以外、ストレス解消、AAの練習等々、自由です。|| ||★書き込む内容は、品格など一切問いません。 || ||★あらしも排斥しません。 || || 。 ∧_∧ || || \(´・ω・`) いいかな・・? || || ⊂ ⊂ )旦~ || ||___∧ ∧___∧ ∧___ ∧ ∧__ ∧ ∧___| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|_______|| ( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 〜(_( ∧ ∧( ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧ は〜い。 〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,) 〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
21 : >>874 だが、それがいい! (^。^)y-~ 無法天に通ず と言えども 破戒と違える 愚者幾多あり >>874 肝臓の方は、どうなの? さん 〉ポッタンさん 3頭の猿だろうか。きじるし ちゃんって・・・ 3頭の猿 見ざる言わざる聞かざるは庚申の神様の在り方ではなかったかな?
22 : >>4-20 テンプレ乙
23 : 誰が何を言っても野孤禅スレですよ・・・。 この意味をわかる奴が少なすぎる・・・。 わかっても野孤禅、わからなくても野孤禅ですがね・・・。
24 : (つづき)不死の門を守る二つの恐ろしげな像は、仏教の観点からすれば、単純に次のように解釈されるのでしょう。それは聖域 への進入を阻む外的な神の意思をあらわすものではなく、むしろ人間の意志そのものに内在する現世の肉体への執着、肉体の死 に対する脅迫的な恐れを表現していると。聖域に入ることを阻むのはこの人間の意志なのです。なぜなら仏教の教えでは我々は すでに不死性を獲得しているのであつて、ただ現世的な目標に対する精神の執着ゆえにのみ、我々はこのことを忘れてしまうの です。物質的欲望の恐怖(ゴータマ・シャキーャム王子が仏陀の境地に到達した夜に克服したのは、この二つの誘惑でした)のた めに、私たちは楽園からー皮肉なことに、私たちはそこに住んでいるのですがー自分を追い出してしまうのです。仏教の教えで は<楽園追放>などということは起こらなかったのです。イエスもまた次のように言ったと伝えられます(最近発見され翻訳も出た グノーシス文書『トーマス福音書』のなかで)、「王国は汝らの中にある」、そして「父の王国は地上に広がったがったが、人間 はそれを見ない」と。実際のところ偏見の無い目で人類の宗教を見れば、誰でもいたるところで地球の諸民が我共有している神話 的な主題を認めざるをえないでしょう。たとえその解釈は様々に異なるとしても、主題の同一性は明らかです。・・
25 : そういえば、チワワ犬太郎はエアご意見番、エア論争だなあw どこまでもチワワ犬の「アンアン」で終わる空虚さw
26 : >>25 > そういえば、チワワ犬太郎はエアご意見番、エア論争だなあw > どこまでもチワワ犬の「アンアン」で終わる空虚さw 大王チワワ犬の空虚批判は空虚だなあ(wwwww) エア反撃に エア懐柔策 エア援軍要請 エア猛者みたいな(wwwww) エア禅者だ(wwwww)
27 : >>3 素人A さん >涅槃で悟らず輪廻転生ありがとう。 輪廻転生が、素人A さん にとって、一大事になってるのだろうね。 今生きているものは、人においては、60兆個の細胞の集合体であり、Rば、分子へと変化する。 もとは、一個の卵子と一個の精子と言う2個の細胞が結合するところが、スタート店です。 それ以前は、1個の細胞、単細胞が2分裂して2個の細胞に分裂を繰り返していくという増殖方法だった。 >涅槃で悟らず輪廻転生ありがとう。 どういう事を言いたいのかなと、小一時間・・・
28 : >>4-20 狗よーこころがねじねじの狗は歩けば、かならず棒に当たる仕組み さん 透明あぼーんの前に、ちょっと言おう。 野狐禅とは、(・∀・)イイネ!!。 フォックス禅那、と言う事になるのだろうし。 まず、無内容だぞ、何回も指摘、中身が皆無。 レスの無謀な使用は、止めてくれないか、次スレも建てられないし。スレ建て、できるのかな。 野狐禅と誹謗するのは勝手で、言う事はないのだが、狗の言う野狐禅ではない、狗禅とは、どのようなものか、一向に提示できない、それは、どうなってるのか。 このスレに依存して、依拠して、まとわりつくだけなら、狗の実存もない。 他に依拠している限り、 これがなければ、それがないという、因果の真理に落ちている。 自己を語り出せ!とは、その事を言う。 天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)、 ほとけさまと、拝まれる対象など無く、ほとけさまだぜ!と、胸張る存在など無い。 そこが、一の如し。 一の如しとは、さとり、真理。 片手の人が叩く拍手の音を聞いた、その地点。 あるいは、門前のやせ狗にも、仏性があるのに、問いに無と答えるお師家様、この無に参禅する。 奈落の底にうごめく狗よ、どうする?
29 : >>21 たろ さん「」さん 3頭の猿 > 見ざる言わざる聞かざるは庚申の神様の在り方ではなかったかな? そか、庚申さまか・・・ そこじゃなく、独白のひとだから、相手が欲しいヒッキーちゃんだろうかなと思い、まっとうに言い合いたいものだと思ってね。。
30 : りりィさん「死の歌をつくる時」 2:18 http://www.youtube.com/watch?v=2Vjy9DV_3js&feature=fvwrel
31 : >>23 野孤禅スレなら、やめりゃいいのに。 ぽったんを祭り上げたりして、きしょ過ぎるよ。 相当なフェチなんじゃね。(藁
32 : >>28 安堂も野孤禅スレって言ってるじゃん。 ぽったんのコピペのほうが、ぜんぜん内容がないよう。(藁
33 : >>22 @スレタイ すれたい (ウェブ) スレタイとは 続きもののスレに付けられる場合、スレタイはテンプレートとして使い回されることが多い。 Aテンプレート(英:Template)とは、「雛形」を意味する英単語である。 同じ物を複製する時に利用される道具のこと。 略して、テンプレとも呼ばれる。 概要 英単語のTemplateには「鋳型」「雛形」などの意味があり、コンピューター用語としては「同じ内容を複製する時の便利プログラム」のような意味でも使われる。 製図道具としては「同じ記号・図形を書くための定規・ステンシル」のこと。 元々の語源は建築に使う「梁受け」の意味だったらしい。 さらにその語源はインドヨーロッパ祖語の「引っ張る、伸ばす」というtempという単語にまで遡るとされる。 インターネット用語としてのテンプレート 日本でインターネット用語としてテンプレートと言えば以下の意味でも使われる。 1.2ちゃんねるなどの掲示板で新しいスレッドを作成した時に毎回貼られる、前のスレッドのログやQ&A、情報のまとめ。 だいたいPart〇〇で続くスレッドの>>1 〜>>10 あたりに存在する定型文のこと。 2.漫画やアニメなどにおけるありきたりな登場人物の特徴付け(例:金髪・ツインテール=ツンデレ) 3.ネットの書き込みなどにおける決まりきった文章。(例:書き込みがテンプレばかりでうざい) だいたい「定型文」「複製されたように同じような文章・造形・物」などそういった意味で使われることが多い傾向にある。
34 : りりィさん 「ベットで煙草を吸わないで」 2:52 http://www.youtube.com/watch?v=UxFKMtBJdtI
35 : >>32 名無し三等兵 さん > 安堂も野孤禅スレって言ってるじゃん。 ぽったんのコピペのほうが、ぜんぜん内容がないよう。(藁 では、あなたの内容を是非、聞かせてください。≦(._.)≧ ペコ
36 : cook-200本の動画 http://www.youtube.com/watch?v=ABPIfW_ADTI&feature=rellist&playnext=1&list=PL344E120802A69B84
37 : >>33 天婦羅が気に入らなければ、それ以上のこと、書けばいいじゃん。 ただ、それだけのことなんじゃね。 つべこべこく前に、みんなが、うなづくこと書いてみたらどう。(藁
38 : >>37 ななし わら さん > 天婦羅が気に入らなければ、それ以上のこと、書けばいいじゃん。 ただ、それだけのことなんじゃね。 つべこべこく前に、みんなが、うなづくこと書いてみたらどう。(藁 くれくれくん? それ以上の事、自身が書いてよ、どう?
39 : りりィさん 「愛」 3:19 http://www.youtube.com/watch?v=rr65Voi4elQ&feature=relmfu
40 : >>35 反省がないんだ。猿でも反省するよ。 人に振るんじゃないよ〜ん。 コピペに内容がないようって言ってるんだから。 おいらは、普段から、ぽったんのような、えらそーなこと書いてないの。
41 : >>38 > くれくれくん? おいらは、いらない! いらない! ぽったんの言うことなんて、全然! 野孤禅スレです師の、天婦羅、読んだら、ぜーんぜん。 偽者って、いうこと分かってんじゃん。(藁
42 : さあてと、シャワーあびたし、牛丼食ってこようっと。 三日ぶりだもんな。
43 : >>36 cook-1/200本の動画 http://www.youtube.com/watch?v=g0WOMdp4Qog&feature=bf_next&list=PL344E120802A69B84
44 : >>40 名無し キョンシー さん > 反省がないんだ。猿でも反省するよ。 人に振るんじゃないよ〜ん。 コピペに内容がないようって言ってるんだから。 おいらは、普段から、ぽったんのような、えらそーなこと書いてないの。 自省する事が、無い育ちなのかなー では、内容のあるところを提示してくらはい。よろしく(^ー゜)ノ
45 : >>44 ん? 帰ってみたらこれ! ほんと、アホじゃん。 ってかアホ過ぎジャン。 世の中、表現すれば、批判や批評があるのは当たり前なのよーん。 政治をすれば批判されるし、美術、芸術を発表すれば批評されるし、スポーツ競技でも負ければ批判される。 行動のマナーさえ批評される世の中よーん。 批判、批評されたら、「じゃあ、お前がやってみろ」なんて、幼稚園児みたい。 そいじゃ、それをやる資格も価値もないアホじゃん。 そんな覚悟も無くて、批判批評が怖いのなら、書くの止めちゃいなよ。 それを、あんた、ぽったんは平気で言う、すごーくアホ過ぎ。 アホを相手にしてすごく後悔。 猿をあいてにしたほうがいいかもと反省。(藁
46 : >>45 もぐもぐ名無しさん ぉヵゝぇり_〆(-ε・`)ノ^☆ 長いトイレだったね。 さて、内容について、お聞きしてます。岩陰 |_・) チラリ!
47 : 硫黄島からの手紙 メインテーマ Lettres From Iwo Jima MainTheme http://www.youtube.com/watch?v=TJ_t3_9kWVk&playnext=1&list=PL917FD03F1A958810&feature=results_main 硫黄島の戦闘 http://www.youtube.com/watch?v=ZfZeBxRp9UA&feature=mr_meh&list=PL1F3451978342F919&playnext=0 モンハン・ライアンー10 http://www.youtube.com/watch?v=L7hOcE9inrw&feature=rellist&playnext=1&list=PL203BCBEDEFB547AA
48 : 戦場のメリークリスマス http://www.youtube.com/watch?v=K4FBE1aUoCs&feature=bf_prev&list=PL02E88F4A9A6EB694
49 : 戦争ー62本の動画 http://www.youtube.com/watch?v=TP8pDuiuNs8&feature=bf_next&list=PLD6784DA751E469B2
50 : 死んだらどうなるのか?私にはよく見えないいや身得て居ない。今は此の世の仲で今個個の夢の中鴨?今の時代は欲見えない物は 役に立たない社会で、宗教者と言えども社会の為にならない発言は思っていても控える。今だけでは無い個人は社会の権威が無い と生きて生けないし、精神も社会や本能から自由では無い、昔は神や仏が居たと信じられていた。それは社会の皆がいい加減だけ ど信じていたからか。今はガリレイにキリスト教の神?が負けたから、人々の身を守る社会が一番偉いになつたのか、でも日本は 仏教国?西洋に攻めつぶされたわけでは無い?何でそうなつたのか?やっぱり金と個人主義つまり国の法を守っていれば我侭が出 来るし、社会と言う魔法使いに結局は身だけではなく精神も使われるし、科学は真理の追究が仕事?だが社会の為になるつまり金 になる仕事には熱心だが、金にならない心理学など力も入れない。みんな見えて役立つ事しか感心もなく今の精神も脳で解決しよ うとすれば死は脳の死?私には死は身得て居ないけど精神は駄洒落的に生死んというし、見えない者を信じる事も一大事かも、 結局今私に解っている事は今此処は過ぎることもなく永遠の今此処に居るという事だけ?今此処が死ぬことないと思うけど?よく 知らない事の言い訳にだらだら。好くわからんけど、あまり今と変わるようで変わらないのを繰り返す様な樹が擦るだけ?人の好 い私は社会に歯向かう事は無いけど魔法には掛からない人で見えない目もあるんだようと、てきとうに生きている鳴るように鳴る
51 : >>4-20 長文テンプレ乙彼。 このスレには、このテンプレが一番よく似合う。 このテンプレがないと、このスレは始まらない。
52 : 禅でなく密教徒のこけおどしだがな。
53 : 私は満点が星意いや、夜の寒いベランダで満天の星空を見ているといっも家族に寒い仲のアホらしいと言われる。 でも星も出ない曇りの真っ暗な闇空が一番好き、何故かボーっとして闇に吸い込まれる様な暖かさを感じるけど 何でかなあ、闇夜なんか私には良くわからない大きさが?もう止み意と言われそうだけど、 哲学的で孝子師匠の満天の星 この人は眉間の星が輝いている。http://www.youtube.com/watch?v=byqktO4Cku8 大王さん師匠を指導するお勤めご苦労さん?師匠も幸せものなのかも。でも白隠さんも師匠の厳しい教えでは なかなか野狐上体から脱せられず、結局見知らぬ婆さんの偶然のドッキリの箒で叩かれて悟り落ちが着いたとか、
54 : http://minkara.carview.co.jp/userid/511751/blog/ 明石市の臨済宗妙心寺派の副住職のブログ。 嫁?や娘?のヌードまで晒し、僧侶と思えない下ネタブログ。 坊主のブログとは思えない。許せない。
55 : >>52 > 禅でなく密教徒のこけおどしだがな。 はて? 「野孤禅スレです」氏って、密教徒なのか?
56 : 密教は俺だよ・・・。「野孤禅スレです」はNGワードに指定されてる単なる荒らし屋だろ。 この板で私の右に出る密教者など他に誰もいないのだよ・・・。
57 : >>50 素人A さん >結局今私に解っている事は、今此処は過ぎる事も無く、永遠の今此処に居る、と言う事だけ? 今此処が死ぬことないと思うけど? よく知らない事の言い訳にだらだら。 よくわからんけど、あまり今と変わるようで、変わらないのを繰り返す様な気がするだけ? 人の好い私は、社会に歯向かう事は無いけど魔法には掛からない人で、見えない目もあるんだようと、てきとうに生きている為るように成るだけ。 』 米 人の好い私は、魔法には掛からない人 φ(*^_^*)メモメモ
58 : >>56 真言密教は私も研究と信仰の対称に したけどはっきり言ってあれは仏教 じゃ無いですね!どちらかと言うと 悪魔教ではないかしら?高野山に登り印と呪を学んで天部の歓喜天を使役したけど結局等価交換の法則を理解させられただけですね。(^。^)y-~
59 : >>58 どちらにしてもロスチャイルドですわ
60 : 禅宗も悪魔教でしょう。 ろんと町野氏は同じ雪担や雪渓の連中だ・・・・。 あれこそ悪魔教といえるだろうね・・・。 目覚めるのが何千人の内の数人というものだ・・・。 そりゃ真理じゃなくて確率的な当たり星なだけだよ・・・。 真理というのは、神である、仏である、大日如来である 識こそがすべてであることだ。これは永遠の法であり歓喜である・・・。
61 : 文殊師利(モンジュシュリー)、不二(ふに)法門(ほうもん)を説(とく)く 文殊師利が言います、 『私が思うに、一切のあらゆる物事は、言葉で説明できない。示すことも識ることも無い。諸の問答を離れたならば、それを「不二法門に入る」といいます。』と。 そこで文殊師利は、維摩詰(ゆいまきつ)に問いました、 『我々は既に各々自説を述べました。 次はあたなの番です。何をいうのでしょう、菩薩が不二法門に入るとは?』 そう問われても、維摩詰は 黙ったまま言葉がありません。 文殊師利が大いに感嘆して言いました、 『素晴らしい素晴らしい。 まさに言葉も文字も用が無いということですね。まさに不二法門に入っていられます。』と。 この不二法門品(ふにほうもんぼん)を説いた時、この場に於いて、五千の菩薩が皆不二法門に入り、無生法忍(不退)を得(え)ました。 ☆ さとり は、こといばでは 伝わらない、と言ってるね。 どもここ2ちゃんねるという掲示板では、ことばで伝える以外には、他に手段がないようだ。 公案にしても、取り組む人がいたとして、隻手の音声(せきしゅのおんじょう)、あるいは、無字の公案(むじのこうあん)のどちらかに取り組んでいただくとして、 そこに、師弟関係があるのでもなく、まさに、また〜り とした風景だ。 坐とは、師弟が同じ土の上に相対して坐っているのだという。 座がまさに公案なのだが。2ちゃんねると言う掲示板では、有り得ない。 死んだ親父が、わたしが「風景が違って見える」 と言った事を聞いて、「おれもおまえが違って見えるという風景を見てみたい」 とつぶやいた事が、わたしを動かしている。 黙、 リアルならば、黙の方がよく伝わるのだろうか。 わたしは、24時間営業のコンビニ禅、 いわゆる、老婆禅だ。 打たせ、打ち、ほら、ここを打てと打たせ、そっちの道じゃないぞと打つ、 ゆいまのいちもく、かみなりのごとし、とか・・・
62 : >>58 きっちゃん おれのまぶだちのガウタマ・シッダールタが、死を前にして、「この世は、甘美だ!」と言い残した。 法、この場合は真理という意味ではない、存在という意味での法 理趣経は、存在は、青い燃焼、だと言う。 それは、うつくしい、のだと、言ってるのよ。
63 : こんな世は全て捨てて 自決して滅びた方がよい・・・。 うぬらになにがわかる・・・・ははははっははっはははあっは
64 : >>60 Ann ちゃん > 禅宗も悪魔教でしょう。 曹洞宗は、色即是空の 色 を語るだけ。 空に行ったっきり だから、奇僧が多い。 空即是色を語れ!と、なんどか、せ印に言ったが・・・
65 : 広島の紅葉 宮島の紅葉2012@【広島県廿日市市宮島町】 43:57 http://www.youtube.com/watch?v=YaMrHj7UcsQ&feature=relmfu 宮島の紅葉2012A【広島県廿日市市宮島町】 44:21 http://www.youtube.com/watch?v=rzAT4-4mUuQ&feature=relmfu 宮島の紅葉2012B【広島県廿日市市宮島町】 36:54 http://www.youtube.com/watch?v=Y7N8bT1ssJI&feature=relmfu 広島風お好み焼き@宮島「くらわんか」 店内 9:47 http://www.youtube.com/watch?v=ysCJwdohetQ&feature=related 広島お好み村「厳島」 お好み焼ができあがるまで(ダイジェスト) 8:46 http://www.youtube.com/watch?v=XFKP9FFQ9Jc&feature=relmfu
66 : >>64 訂正 曹洞宗は、色即是空の 色 を語るだけ。空に行ったっきり だから、奇僧が多い。 ↓ 曹洞宗は、色即是空の 空 を語るだけ。空に行ったっきり だから、奇僧が多い。
67 : >>63 安ちゃんの自殺願望は悪魔の意図 する所でしょうね!安ちゃんが彼岸 に渡る事を怖れているんですよ。 ピンチとチャンスは表裏一体ですよ 其処に気付けば安ちゃんの勝利ですよ!ガンガレ安ちゃん!(^o^)v
68 : >>67 きっちゃん >彼岸に渡る じれを 色即是空 と言うけど、彼岸、空、ってなんだと、おもってんの?
69 : りりィさん 「にがお絵」 3:40 http://www.youtube.com/watch?v=ng9Z8GwifAw&feature=relmfu
70 : 玄沙和尚はあるとき旅にでようとしてすぐ足の指を石にぶつけイテテ。この痛みは何処空着たのかと突然想い旅はやめて寺に 引き返したとか?雪峰和尚が何故お前は旅に出ないのかと聞いた。そうしたら、玄沙は「達磨は中国に行きませんでした、慧 可もインドに行きませんでした」と答えた。??テレビを見ている人が旅の番組で色々な所に旅する気分になるけど、冷静に 見ればテレビの光が色々に変化しているだけ、見ている人はテレビの前に居る。あたり前だ私は今パソコンの前で2ちやんの 朝の出鱈目を書いている。色即是黒写っても写らなくてテレビはテレビパソコンはぱそこん光の乱舞だけど真っ黒なパソコン の前で見続けるのは辛い、けど坐前つまり坐前禅なら盲見続けられる視でも空たまには空でも色々な光も見ないと?色即是空 空即是色。テレビやコンピューターの機会がないと見ることも無い暇でもつまらないお年よりもいるし、まあそれもよいか。
71 : >>67 >63 > 安ちゃんの自殺願望は悪魔の意図 > する所でしょうね!安ちゃんが彼岸 > に渡る事を怖れているんですよ。 意味不明。般若心経の彼岸か? > ピンチとチャンスは表裏一体ですよ > 其処に気付けば安ちゃんの勝利ですよ!ガンガレ安ちゃん!(^o^)v 何に勝利をしたのだね?逃避の言葉使いの基地よ。
72 : 他人の批判ばかりしてないで己自身を確立しなさいよ!唯我独尊が仏教の本領でしょう? (-。-)y-~
73 : ショーペンハウアー自身の決定的な貢献は次の認識にあります。私たちの外的な目は時空の場の中のみかけの現象しか見かけ ませんが、しかしこれらの現象全ての内的経験は、意欲する主体としての彼、彼女、ないしそれ自身の経験なのです。この内 的経験はー私たちには隠されていますがー実際は、アートマン=ブラフマンすなわち普遍的自己のエネルギーの経験なのです。 ただそれは幻影である個人自身の死の恐怖および幻影としての生存への欲望によつてサンサーラ(時間的な幻影の影)に繋がれ ているのです。つまり(生の意志)の衝動は自分自身としてのアートマンの経験ですが、それはーショーペンハウアーの認識で はー「同情」(慈悲)の洞察という形でのみ生起します。それは菩薩の性質に他なりません。彼は有名な論文「道徳の基礎につ いて」の中で次の問いをだしています。(続く)
74 : >>56 > 密教は俺だよ・・・。「野孤禅スレです」はNGワードに指定されてる単なる荒らし屋だろ。 > この板で私の右に出る密教者など他に誰もいないのだよ・・・。 >>63 > こんな世は全て捨てて > 自決して滅びた方がよい・・・。 > うぬらになにがわかる・・・・ははははっははっはははあっは おめえは密教者でも何でもないだろ。 単なる、彷徨えるボウフラだよ。 密教でもなく、禅宗でもなく、さりとて他の仏教徒でもなく、しかも基督教みたいなことも言いやがるからな。 挙句、自身も見つけられないで、世を捨てろとほざく。 ボウフラだな。
75 : >>70 素人A さん 起承転結、序論本論結論、とは文章の構成を言う。 と言う事ならば、結論は、A ちゃんの言いたい事は、『暇でもつまらないお年よりもいるし、まあそれもよいか。』と言う事になるのかなー、と思う。 >暇でもつまらないお年よりもいるし、まあそれもよいか。 これは、結論ではなさそうだ。 でも、まぁ〜えーかぁ〜
76 : Background Music Instrumentals - relaxdaily - B-Sides N°1 2:35:00 http://www.youtube.com/watch?v=qycqF1CWcXg&feature=related
77 : >>72 きっちゃん > 他人の批判ばかりしてないで己自身を確立しなさいよ!唯我独尊が仏教の本領でしょう? (-。-)y-~ 天に向かってつばをする 所謂いわゆる、「天つばの定理」ってやつ、 天に唾する 【読み】 てんにつばする 【意味】 天に唾するとは、人に害を与えようとして、かえって自分がひどい目に合うことのたとえ。 【天に唾するの解説】 【注釈】 天に向かって唾を吐いても空を汚すことなど出来ず、吐いた唾が自分の顔にふりかかってくることから。 『四十二章経』に「悪人の賢者を害するは、猶し天を仰いで而も唾せんに、唾、天を汚さずして、還って己が身を汚し、風に逆らって人に塵くに、塵、彼を汚さずして、かえって身に塵するがごとし」とあるのに基づく。 「唾」は「つばき」とも読む。 「天に唾す」ともいう。 【出典】 『四十二章経』 【注意】 「無礼な行い」という意味で使うのは誤り。 誤用例 「社長に向かってそんな振る舞いをするとは、天に唾するようなやつだ」 【類義】 仰いで唾を吐く/お天道様に石/天に向かって唾を吐く/天を仰いで唾する/寝て吐く唾は身にかかる 【対義】 − 【英語】 Who spits against heaven spits in his own face.((天に向かって唾を吐けば自分の顔に落ちてくる) The stone you throw will fall on your own head.(投げた石は自分の頭上に落ちる) 【用例】 「相手を陥れるようなことばかりしていると、結局は天に唾する結果になるよ」
78 : 広島牡蠣 1:39 http://www.youtube.com/watch?v=TxTPGuX09zc 広島の牡蠣(カキ)水揚げの様子 その2 2:44 http://www.youtube.com/watch?v=KQgAgMY-DH4&feature=related 広島の牡蠣(カキ) 牡蠣打ちの様子1:02 http://www.youtube.com/watch?v=MF2S03YSnxw&feature=relmfu 牡蠣の剥き方の決定版。グレイト・オイスター6:51 http://www.youtube.com/watch?v=N_meEtuQFvc&feature=related 牡蠣貝の開け方(不慣れな人用) 1:13 http://www.youtube.com/watch?v=-_3HazF7LeE&feature=fvwrel 春の宮島 かき祭り 5:58 http://www.youtube.com/watch?v=k5JQpSUvojE&feature=related カキどっさり、今年も食べ放題 松島の「かき小屋」開店 1:42 http://www.youtube.com/watch?v=bdA2JxT0g2Q&feature=related 広島 焼きがき♪ 0:27 http://www.youtube.com/watch?v=0XXgJA3tFnM 広島 おいしい カキ オイスターロード 宇品 0:39 http://www.youtube.com/watch?v=0xcjRqZND6g&feature=fvwp&NR=1 牡蠣小屋ツアー 5:24 http://www.youtube.com/watch?v=Xm02ZPhbT-4&feature=fvwrel 宮島の景色と牡蠣(かき)を肴にビールで乾杯!! 0:42 http://www.youtube.com/watch?v=hFSSomz-5-4&feature=related ぶらり@BuzzTum の途中下車: 広島 宮島「牡蠣屋」牡蠣づくし 2:41 http://www.youtube.com/watch?v=_Xmpg_vw1R4&feature=related 焼がきのはやし - 地域情報動画サイト 街ログ 1:49 http://www.youtube.com/watch?v=F44evxU_2iM&feature=relmfu かき船 かなわ - 地域情報動画サイト 街ログ 1:29 http://www.youtube.com/watch?v=44g9nI8IJsk&feature=relmfu お好み村 - 地域情報動画サイト 街ログ 1:46 http://www.youtube.com/watch?v=R18y2x3j6rQ&feature=relmfu あなごめし うえの - 地域情報動画サイト 街ログ 1:47 http://www.youtube.com/watch?v=lrIloNVr0u4&NR=1&feature=endscreen
79 : >>74 >56 > おめえは密教者でも何でもないだろ。 単なる、彷徨えるボウフラだよ。 > > 密教でもなく、禅宗でもなく、さりとて他の仏教徒でもなく、しかも基督教みたいなことも言いやがるからな。 > > 挙句、自身も見つけられないで、世を捨てろとほざく。 > > ボウフラだな。 説教するふりをしてその正体はクレクレだからな。 お前は自分を見いだしているとでもいうのかね、ダボハゼよ(wwwww) なんのつもりなんだよ(wwwww) で、心の軸(心ボウ)がふらついてるお前はボウフラだな。
80 : >>73 (続き)「ところで、私のものでもなく、私と関わりない苦悩が、それ以外の場合には私自身の苦悩だけがそうである ように直接に私動機となり、私を行為へと動かすという事は、どの様にして可能なのだろうか。[・・・]この過程は神秘的で ある。それは理性が直接に報告しえないものであり、それらの根拠を経験によつて見出すことの出来ないものである。にもか かわらず、それは日常的なことである無常このうえない人、我欲きわめて強い人にとつてさえ、無縁な事ではない。この現象 は日々われわれれの目前に、個々のことにあらわれる。熟慮を重ねる事も無く直接的衝動によつてある人が他人を助ける、 救援に駆けつける、それどころか見知らずの他人のために、その他者の大きな困惑と危険とを眼前にしているということ意外 には何も考えることなく、自分の生命をきわめて明白な危険にさらすことさえある。[・・・]と」(つづく) (つづき)この問いに対してショーペンハウアーはこう答えます。この瞬間の反応と行動には、ある形而上学的認識が 顔を覗かせているのだ、とーすなわち(彼はこれをサンスクリットで表現しますが)「汝はそれなり」という認識が。さらに彼 はこう言います「だがこのことは、私が他人とあるていど同一化し、したがって、自我と非自我とのあいだの垣根がその瞬間 には解消してしまつていることを、前提している。そのときだけは、他者の要件が、その必要、その困惑、その苦悩が、直接 自分のものとなる。そのとき、私はもはや他人を経験的直感があたえるままに私にとつて無縁なもの、どうでもよいもの、私 とはまつたく異なったものとは見ないで、私の神経が皮膚に包まれているのではないにも関わらず、その他者においてもとも に苦悩するのである」(つづく)続きを早く貼ら無いとまた中途半端で知りきれトンボになるので後は明日?
81 : WORLD - CRUISEー世界旅行112本の動画 http://www.youtube.com/watch?v=X12NCdApcHQ&feature=bf_next&list=SP0A20CD1325B5F22E
82 : ハウツウもの75本の動画 http://www.youtube.com/watch?v=OLugwuArimo&feature=bf_prev&list=PL170A4BD1B77A1587
83 : わっはっはっはっは・・・・ なんだか、この巣窟は、ますます汚物の溜まりスレになってきたようじゃなぁ。 野狐の糞に、湧く虱、それに蚤がたかって、 そして今度は、ボーフラと来たか。 よい、よい、蚤でも、ボーフラでもよい。 汚物を好むものもおらんとなぁ・・・・・。 わっはっはっはっは・・・・
84 : >>82 ラーメンズー43本の動画 http://www.youtube.com/watch?v=75K4dCDVkQE&feature=bf_next&list=PL8569C5885D81A645
85 : >>83 汚物 さん 土中の菌が、分解しますよ・・・(-ε-o)ボソッ
86 : wwwwwwwwっっは は は は は !!! 雑談スレとかレッテル貼ったあげくノコノコ出向いて相変わらずバカにされてるバカがいるぅ〜。
87 : それ にとっては悟りなんか関係ないもん 余分だとか不足だとか 勝手に足し算引き算したところから考え始めてるくせに 自分の足し算引き算を棚に上げるんだよな そんなもん精算できるわけねーじゃん。
88 : ラーメンズー99本の動画 http://www.youtube.com/watch?v=DuxChWh0f1I&feature=bf_next&list=PLC22C5F69C4C152B2
89 : >>86-87 考えなしの名無しさん さとりって、悟前にあって、悟後にはないのよ・・・(-ε-o)ボソッ
90 : はい アウトーーーー!!!
91 : >>90 名無し三等兵 さん > はい > アウトーーーー!!! セーフ!ヨヨイガヨイ!!!
92 : りりィさん「クイズの賞金」 3:13 http://www.youtube.com/watch?v=6es-Zn67WRE&feature=related
93 : くーるくーるくるくるくるくるくる 便所が便所がまわってるるるるr
94 : りりィ(Lily) - スター・ワールド(Star World)(1975) http://www.youtube.com/watch?v=MRlNYhlqx7U&feature=related
95 : あれはいつのことだったのでしょうか Rーせんせーがやさしくおっさってくださった 「きみはざりがにだね」 もーせんせーったら そんなとおまわしにいわなくったって でんわばんごうぐらいすぐにおしえてさしあげたのに
96 : >>93 やまい ちゃん > くーるくーるくるくるくるくるくる 便所が便所がまわってるるるるr (笑)
97 : 記憶の捏造だっていいじゃない だって人間だもの
98 : Thailand 2012 22:54 http://www.youtube.com/watch?v=RyXdn6oQc3U&feature=watch-vrec
99 : >>97 やま ちゃん > 記憶の捏造だっていいじゃない だって人間だもの ひとだったの? ・・・φ(*^_^*)メモメモ
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