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ここだけ、昭和50年代の大相撲


1 :2010/03/13 〜 最終レス :2012/12/01
輪島・北の湖〜千代の富士〜小錦台頭まで、ここだけ昭和50年代
に帰り、議論しましょう。

2 :
50年初場所、北の湖は優勝したけれど12勝止まり。
千秋楽は輪島にも負けて拍子抜けしたね。

3 :
昭和50年夏場所の麒麟児と富士桜の相撲で昭和 天皇喜んでたな〜。

4 :
なんといっても貴ノ花の優勝でしょ!

5 :
本割・決定戦と北の湖が連勝して、貴ノ花の初優勝を阻止していたら、
館内はどうなっていたろうね?

6 :
まあ北の湖に対する野次と落胆のため息、ヤケクソの座布団投げ
どこかで喧嘩も始まったかも知れんな

7 :
朝汐時代の大ちゃんは味があった。北天佑がでてきた時は末恐ろしかったでなぁ。旭国は二回の優勝のチャンスのうち一回はモノにしてほしかったよなぁ。当時は優勝経験のない大関て結構おったけど平成になってからは雅山だけか…

8 :
大の三重ノ海ファンだったから、昭和54年〜55年初場所までが印象深い
もう横綱への期待すらしなくなっていたのに、最後は全勝優勝までやってくれたからなあ

9 :
筆者が相撲を見るようになったのは、丁度三重ノ海が大関から横綱に駆け上がる
頃で、当時の三横綱プラス三重が安定していた。
後年、三重が「大関失格」「窓際族」と言われていた時期があったことを、
知って驚いたな。

10 :
>>7
北の湖は朝汐に優勝のチャンス、何回も潰されたからな。
朝汐が高卒で、輪湖時代に既に上位で活躍してたら、北の湖の優勝回数は
もっと少なくなっていたな。少なくとも53年の5連覇、82勝はなかった。

11 :
>>1は大麒麟に対して何か含むところでもあるのか?

12 :
最近発売されてる昔の相撲のDVD付雑誌で輪湖時代の相撲見たけど、
立ち合い全く手付いてないのなw

13 :
現理事長が前理事長を「蹴手繰り」で粉砕した。
>>11
大麒麟引退は昭和49年11月か…
では高鉄山はOKなんだよな。

14 :
立ち合いは手を付いていなくても、呼吸さえあっていればOKと思っていた。
ただ、当時手を付いていないから、俺たちに手を付けと命令するなというのは
ちょっと?と思う。両手を付いて仕切りすることを、自分たちが正しくやるべきか
自負心を持ってやってほしいと思う。
>>10
北の湖ががっぷりになれば問題ないのに、あせって自滅。離れて取るなよって思ってた。

15 :
>>13
けたぐりといえば若獅子。
立ち合い前の心理戦は、貴闘力のそれよりおもしろかった。

16 :
昭和50年代中盤は栃赤城(群馬:春日野)を抜きに語れない。
攻められてもスルリと抜ける特異の相撲はサーカス相撲と呼ばれ、
逆取ったりや腕捻り、裾払いなどの奇襲で上位力士を粉砕。
現理事長も苦杯を舐めた。しかしその活躍は昭和54年〜56年まで。
57年以降は足首の故障に糖尿もあり、急速に衰え一気に十両落ち、
以後数回再入幕するも、まさに昭和50年代最後の59年11月場所を最後に幕内から消えた。
その後60年11月場所以降は幕下、以降師匠栃錦が亡くなった平成2年1月(番付上は3月)まで
現役続行した上で廃業。日頃の浪費癖で株は取得できなかった。
平成9年8月にゴルフ中に倒れ、急逝。波乱万丈の人生だった。

17 :
>>12
まだこんなこと言ってる輩がいたのか

18 :
>>12
蔵前国技館最後の場所の59年秋場所から、「手を付かない立合い」を認め
なくなった。逆鉾などが大混乱していて、北天佑に勝った相撲、やり直しを
命じられて審判を睨みつけてた。
北の湖が、この場所前は好調と評判だったが、いざ蓋開けると、旭富士、陣
岳に連敗し、休場。翌場所も途中休場、そして次に引退、となったのは、
この手を突く立合いに対応できなかったから、という見方もある。

19 :
手付きが厳しくなって琴風もまるで勝てなくなったな。

20 :
今日の思い出の土俵はS51春場所。
魁傑が不調だったようだ。

21 :
昭和50年1月場所と、昭和59年11月場所で幕内在位した力士
はさすがに4人しかいない(北の湖・麒麟児・大錦・青葉城)。
花のニッパチの中、青葉城がいるのがなかなかシブい。

22 :
>>21
金城が惜しかったね。

23 :
>>22
それで思い出したが、当時なんかのNHKの特集番組で
栃赤城と栃光(興)の稽古風景をやっていてワロタことある。
お互い右半身になったまま、動くでもなく攻めるでもなく
腰を引き合ったままの実のない稽古をしていた。

24 :
栃赤城ね。一時は有力な大関候補だった。55年初場所で11勝、2月の
大相撲トーナメントで三重ノ海を破り、優勝。大関はもちろん、横綱も狙える
逸材、と思った。この時点では、千代より断然、上だった。
上記のような、実力の向上に結びつかない稽古をしていたのがきたな。

25 :
強かった時の栃赤城は、変則的な相撲がメインだけどたまに正攻法で行ったりと
相手が予測できなかったから勝てた。
足首(だったかな?)のケガがなければ良かったんだが。
麒麟児もケガが無ければ、もしかしたら大関かもって思ってた。
青葉城は強いとは思わないが、紫のマワシでしぶといなあという記憶がある。
この2人が長持ちするとは考えられんかった。

26 :
>>25
青葉城は粘る相撲でなかったから、怪我がなく長もちしたのも事実。
しかし、30過ぎて十両落ちて、そこから這い上がって新関脇になった
のには驚いた。

27 :
>>26
青葉城はいわゆる「稽古場大関」で、左がっぷりにけ組めば
無茶強かったが、左四つ全盛時代にそれでは通用するはずもなく
本場所では十分になる前に負けていた。

28 :
50年代から僅かに出てしまうが、千代を左四つで土俵際まで追い詰めた
からなあ。残った千代は「セーフ」。
50年名古屋では準優勝、期待はされたけどね。もっと執着心があれば、
同じようなタイプの隆の里みたく、大成できたかも。

29 :
小錦旋風はショッキングだった。

30 :
昭和50年代後半は糞

31 :
55年ごろの
千代の富士ー栃赤城は毎回凄い相撲だった記憶がある

32 :
>>31
超有名な55年名古屋のやつ(栃赤城の掬い投げに千代の富士脳天から墜落)
みたいな相撲、今では絶対見れない気がするね。

33 :
結局栃赤城は対千代の富士戦を勝ち越しのまま廃業したんだよな

34 :
昭和50年代最初の金星獲得者・・・麒麟児(50.1@)
昭和50年代最後の金星獲得者・・・保志(59.11E)
この両者が、59年11月場所9日目に対戦している(保志の勝ち)。
あらためて麒麟児の偉大さが分かる。

35 :
初代麒麟児が大麒麟に成り上がっていたといっても、
数年で二代目麒麟児誕生というのは、やっぱり大麒麟が
疎まれていたからなのか、二代目に対する期待が大きかった
のかどっちなんだろう。

36 :
相撲内容も人気も安定していた昭和50年代。

37 :
若越も稽古場では相当強かったらしいな。けどたとえ二場所とは言え関取になれただけマシか。

38 :
>>19
隆の里もな
この二人、昭和59年春場所から取りこぼしが多くなってそれまでの安定感がなくなった
さらに立ち合いが厳しくなってそれが顕著になった

39 :
昭和56年の前後では幕内の風景が全く変わったというのも珍しい。
力士に個性がないと言われたのもこの頃だが、期待をさせる若手も多かったのも事実。

40 :
魁傑vs富士桜(力士消しゴム)
http://www.youtube.com/watch?v=M0UnH50MGJs
力士消しゴムをご存じない方もぜひご覧ください。

41 :
>>北天佑、期待されたのになあ。
ルックスを見れば、この人は強くなる・ならないがある程度読める。
北天は完全に強くなる力士のルックスだったな。華があって、スケールが
大きい。まあ大関にはなったが。
反対に大寿山は強くなりそうな魅力は感じなかった。なんていうか、あの
ブヨッとした感じ、地味で華がなかった。

42 :
>>34
三役か平幕か忘れたが、麒麟児は昭和63年にも横綱の
スーイツと対戦して勝っている。いかに長くとった力士か良くわかる。

43 :
>>42
でも金星の間隔なら大錦の方が上。
麒麟児は最初の金星〜最後の金星の間隔が13年4ヶ月だったが、大錦は13年10ヶ月。
昭和40年代・50年代・60年代と全部金星を記録している。
麒麟児は昭和40年代には金星がなかった。横綱とは対戦しているんだけどね(輪島に2戦2敗)。

44 :
大錦が最後に横綱に勝ったのっていつ?
息の長い力士だったな、ニッパチ組はそういう人も多かった。
上は北の湖、若乃花(二代目)から、蜂矢、増田山、栃赤城のような
巧者まで多士済々な顔ぶれだった。

45 :
>>44
昭和62年名古屋 対双羽黒

46 :
え、北尾と対戦して勝っていたんだ・・・。
つうか初土俵のころ、大錦はすでに幕内だったはず・・。
大錦−小錦戦は覚えているが・・。

47 :
>>44
おっと、蜂矢、舛田、栃赤はニッパチじゃないよ。

48 :
双津竜を忘れてはならない。

49 :
幕尻千代の富士

50 :
>>44-45
まさに最期の死に華だった金星。
昭和62/7 西前3 4-11 金星
昭和62/9 東前11 2-13
昭和62/11 東十5 6-9
昭和63/1 西十9 5-10 引退

51 :
麒麟児も
昭和63/3 西前7 10-5 敢
昭和63/5 東前1 6-9 金星
昭和63/7 東前4 3-12
昭和63/9 東前13 0-2-11 引退
ということで最期の死に華といえる。
最後の幕内勝ち越しが三賞って結構いる気がする。
栃赤城、大潮、富士桜、出羽の花とか。

52 :
>>48
お陀仏竜

53 :
出羽の花はいきなり覚醒した感じだった。
アバラを痛めて休場してから、上位になぜか通用するようになった。
北の湖に勝った相撲でも、強くなったなあと思わせて大関挑戦はあっさりダメ。
朝汐と同時大関挑戦失敗は、本当にがっかりだった。

54 :
>>53
出羽の花は千代の富士に勝てなかったなあ。
千代が苦手とする隆の里には滅法強かったんだから、不思議。
逆に千代に通用しない出羽に、隆は何故分が悪かったのだろう?不思議だ。

55 :
>>54
出羽の花対千代の富士だと互いにがっぷりになって、出羽の花の力負け。
出羽の花対隆の里だと、がっぷりにならず出羽の花が充分な形になって勝つ。
隆の里対千代の富士だと互いにがっぷりになって、千代の富士の軽量のハンデで負ける。
(吊りや胸をくっつけられて力を封じられる)
1番1番検証してないのでわからないけど、自分の覚えている範囲ではこんな感じかな。
若島津は出羽の花も千代の富士も両方苦手だったが。
56 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

57 :
>出羽の花対千代の富士だと互いにがっぷりになって、出羽の花の力負け。
がっぷりにはなってない。
出羽の花は相撲が遅い

58 :
>>57
批判ばっかり恥ずかしいな

59 :
出羽の花対千代の富士は確かにがっぷりというか、右四つに互いになったと思ったら
千代の富士が仕掛けて勝つのが多かったかも

60 :
千代の富士、隆の里、琴風の3すくみもあったな。
千代<隆<琴<千代<隆<琴<千代…

61 :
出羽の花といえば小股掬いを思い出すな

62 :
昭和58年3月場所からこの図式は崩れたけどね。
琴風1-9隆の里 琴風0-9千代の富士
隆の里4-4千代の富士
琴風は全く2人に勝てなくなり、隆⇔千は互角。
でも琴風は、北天佑・朝潮・若島津の大関陣に
は晩年まで相性良かった。北尾・水戸泉の大型
若手台頭とともに琴風は終わった感じ。

63 :
琴風といえば、小錦の優勝を阻止した一番が印象に残る。
あれは当時、本当にホッとしたぜ。蔵前最後の場所ね。

64 :
>>63
黒船襲来と騒がれてたころの小錦は、突き押し相撲なのに腰が重くて
がっぷり組んでは倒せなかった。蔵前最後のその場所は小錦に当たった
上位がおもしろいように負けて、「横から攻めて出し投げで崩せよ、低脳」
と、俺はテレビに向かってつぶやいていたほどだった。
結局それができたのがご指摘の琴風のみだった(決まり手は上手投げだったと記憶)。

65 :
>>64
掬い投げな。
因みに翌場所も同じような長い相撲になって最後同じように琴風の掬い投げが決まった。

66 :
>>63
取組の順番も最高だった。
琴風対小錦 朝潮対多賀竜の取組順だったので、もし小錦が勝って多賀竜が負ければ決定戦。
決定戦になれば間違いなく小錦の優勝の雰囲気だった。(本割で勝っていても)
だからこそ、琴風勝ってくれ!!とあれだけ琴風を応援したことはないなあ。
琴風がもし負けていれば、朝潮対多賀竜はもっと凄い熱戦になっていたかも。
優勝が決まった多賀竜は土俵下で放心状態で、相撲にならずあっさり押し出された。

67 :
>>66
そうそう、あの時の多賀竜はもう戦う力が抜けていたね。
だけど取り口的な相性(朝潮は左が固い)から考えて、そうでなくても
多賀竜は負けていたかも知れない。
そう考えると余計、琴風の勝利は価値がある。
別に外人嫌いではないが、相撲を始めて僅か2年の小錦には優勝
させたくなかったからね。

68 :
>>66
この場所小錦、多賀竜の活躍でワリがぐちゃぐちゃになり
世間では、そのあおりで若島津が横綱になり損ねたとの評価が定着した。
でも俺には、横綱になるための安定感には欠けるように見えて
黒船旋風がなくても横綱になれないと思っていた。

69 :
この場所の小錦旋風として千代の富士に勝った一番が良く取り上げられるが、
この頃の千代は不調だったから、それほどショックは受けなかった。当時、
朝潮にもいっぺんによく持っていかれていたからね。
それより横綱目前で、大型力士をさばくのが巧い若嶋津が小錦にやられた
のは凄まじいショック、受けた。

70 :
>>69 これか。
http://www.youtube.com/watch?v=fsovN1jOyaA
若嶋津は立会い巧くもぐったし、絶好の体勢になったんだが
なぁ。今から思えば2度目の下手投げが失敗。これが決まらず
逆に小錦の巨体を呼び込んでしまった。

71 :
この場所の多賀竜の大乃国戦の出し投げは絶品

72 :
俺はポストの記事がおもしろかった。
例のふわっとしとした立ち会いから。。
俺のいない間にああゆうこと(八百長)をやって上がってきた(北尾)くせに。
板井は中盆としては、有能だった。貸し借り(勝敗)をパソコンを使って正確に把握していた。
そのプログラムは極めて巧妙だった。

73 :
しかし多賀竜の12、13日目の相手が同じ平幕の魁輝、闘竜とは疑問。
小錦は同じ頃、若嶋津、大乃国と当たったのに。

74 :
>>66
多賀竜は小錦によく勝てたな。
結果として、この白星は琴風−小錦戦と並び、
本当に大きかった。
>>73
もともと平幕下位だったからな、まさかあそこまで勝ち進むとは。
だからあわてた審判部が割を崩して若嶋津にあてたが、これも勝ってしまった。
小錦は前頭6枚目だったし、何が何でも負けろという審判部の沈黙の総意が・・・。

75 :
>>73 ふむ。前に別スレで俺も同じこと書いた。
いっそのこと、この場所十両優勝した栃赤城と対
戦させた方が面白かったんではないかと思う。

76 :
大関以上同士の取組が休場以外で削られるのって、初めて見た。
59秋以前で前例はあるのだろうか?

77 :
>>73
保志とか逆鉾でもいいのに
と思ってた
お前ら分かってるだろううな状態だったんだろうなあ

78 :
>>76
ttp://www.fsinet.or.jp/~sumo/bout/3.htm

79 :
>>77
10日目終了時点で保志・逆鉾とも2勝8敗だったからなぁ。
それなら>>75の言うように、8勝2敗で十両優勝争いしてた
栃赤城の方を推すべき。

80 :
意外な対戦成績だ。
出羽の花 vs. 蜂矢 1-6
昭和51年5月 8日目 西十6 出羽の花 うっちゃり 東十 12 蜂矢
昭和51年7月 2日目 西下1 出羽の花 寄り切り 東十 13 蜂矢
昭和52年5月 5日目 東十13 出羽の花 寄り切り 東十8 蜂矢
昭和52年7月 14 日目 東十3 出羽の花 掬い投げ 東十6 蜂矢
昭和56年11月 6日目 東前6 出羽の花 寄り切り 東前13 蜂矢
昭和59年9月 15 日目 東前7 出羽の花 寄り切り 東前14 蜂矢
昭和59年11月 10 日目 西前1 出羽の花 上手投げ 西前 6 蜂矢

81 :
>>79
まず、多賀竜が優勝するとも考えつかないし、いつもの好調力士で終わってみれば11勝前後でしょと思ってた。
好調の闘竜をぶつけたけど勝っちゃった。
運命の14日目で若嶋津が勝ち、小錦が負けると思っていたが全て逆。
翌日の新聞には、綱断ち切られた若嶋津、綱プッツリとか書かれていた。
例え千秋楽に1差の準優勝としてもダメとなっていたので、千秋楽の北天佑戦は一切頭に残っていない。
言葉は悪いが多賀竜ごときに負けるわけはない、小錦に負けたのは運が悪かっただけと思ってたけど
翌場所から地獄の日々が続くとは全く思わなかった。

82 :
多賀竜が千代隆と当ってたらどうなってたかね。
俺そのころ生まれてないから誰か予想してくれ。

83 :
>>82
この頃の千代は不調だったが、多賀竜が千代に勝てたとは思えない。
隆の里と当たっていた場合は、千代よりは勝算あると思う。実際、翌場所
初日に対戦して勝ったし。

84 :
>>79
でもやはり幕内優勝争いトップに立ってる力士を
終盤に十両と対戦させるのは無理がある。
平成18年春場所のバルトみたく、全勝で突っ走って
たら別だが。

85 :
常識的にみて、11日目関脇大乃国に勝ったんだから、13日目の相手は
大関だろう?多賀竜

86 :
13日目は割をくずすことを考えていなくて、14日目に優勝争いを優先するために
くずした。
鏡山審判部長も、迷ったと思うんだけど結果的には正解。
もし、若嶋津が逆転優勝で綱確定していたら、鏡山も若嶋津も叩かれていた。
これも運命か

87 :
この時点で、千代の富士がのちに31回も優勝するなんて、誰も思わなかった。

88 :
>>87
それだけは言えてる。
この時点では千代の富士は普通の横綱。
ブレイクするのは新国技館以降。こけら落としから東京場所は
7連覇していたはず。

89 :
>>86
鏡山部屋が最も輝いた瞬間だったな

90 :
多賀竜は右四つ頭をつけて食い下がるタイプ?
>>86
そのあとの若嶋津の成績はともかく、連覇なら綱とりに文句の余地はないだろう。

91 :
>>90
綱がかかった場所で休場をした事情を除き、横綱と対戦しないで横綱昇進した例がないと言われていた。
仮に13勝2敗だったとしても、苦手の千代の富士を撃破していないなど叩かれる要素はあった。
それだけ、最後まで多賀竜が優勝争いに絡むと思ってなかった。
若島津ファンだけど、こればかりは本当に複雑な気分だった。
優勝した二場所とも、千代の富士が休場した場所だったし。
>多賀竜は右四つ頭をつけて食い下がるタイプ?
頭をつけた後の出し投げがうまかった。これで北天佑にも勝っている。

92 :
>>90
そういう問題か。納得した。
仮にそれで連覇したのに昇進見送られたら嫌な前例になっちゃうから、
負けてよかった…?とは思いたくないが。
>頭をつけた後の出し投げ
11日目の大乃国もあんな感じで転がされたな。

93 :
この頃は新国技館=千代の富士時代の幕開け、なんて思わなかった。
年齢的に下り坂で、優勝もあとせいぜい3回くらいと思っていた。

94 :
ちょっと時代が戻り、千代の富士が全勝優勝してさあこれからだと思ったら翌場所全休。
復帰した場所で舛田山が土俵際で叩き込んで勝つと言う奇跡。
大関候補が一掃された後に、関脇に昇進すると言う手際の良さも一流だった。

95 :
>>94
あの相撲は印象深いな。
まさか舛田が勝つとは、驚いた。

96 :
手を付かない立ち合いを始めた栃若がどうして新国技館出来る前に手を付く立ち合いをやろうと言ったのか疑問ですね。
昔の双葉山の時津風理事長が「手を付け」と話すなら納得出来るが、栃若には言われたくないだろうと思っただろうね。

97 :
>>96
小坂秀二あたりに意見されたんじゃない?

98 :
小坂といえば
59年秋場所の月刊大相撲で
千代の富士もジリ貧の時代に突入
と書いてたなあ

99 :
>>96
自分たちが立ち合いを乱したということを自覚していたんじゃないの?
これ以上野放しにしておくと後世に「栃若が立ち合いを乱した元凶」
って言われかねないから、新国技館の落成に照準を合わせて、
正常化を断行したんじゃないの?
テキトーな立ち合いで新国技館に行幸を仰ぐのを恐れたのも
あるだろうし。
でも、確かに「お前が言うな!」というのはよく分かるw
立ち合い乱れ始めたのは栃若時代だからな。

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