2012年09月鉄道懐かし18: 国鉄の急行列車・準急列車を語る (561)
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乗ったことのある廃線を語るスレ (861)
国鉄の急行列車・準急列車を語る
- 1 :2008/08/31 〜 最終レス :2012/10/27
- 今は準急全滅
急行も指で数えられるほどにまで減ってしまった
そんな急行・準急について語るスレを試しに立ててみる
- 2 :
- 急行「紀州」は「きのくに」「南紀」「くまの」にくらべ、別格扱いだったよん。
10連で、一等が2両、新車を優先使用してて、停車駅も特急並だったぞ。
- 3 :
- >>2
南紀方面が新婚旅行のメッカだったせいがある。80系気動車時代のくろしおも
グリーン車2両付けてたし。
- 4 :
- 良スレ
- 5 :
- 南海のキハ55系もヨロシ
- 6 :
- タイムスリップできたら客車準急の並ロなんて乗ってみたいな
オロ35(スロ43)とかマロネロ38とかスロハ32とか…
- 7 :
- 俺はついに乗ることが出来なかったキハ91系のりくらに乗ってみたかったな
- 8 :
- 急行・準急と言えばかつては庶民の中長距離移動手段のスタンダードだったんだよな。
53-10改正あたりまでは特急よりも国鉄では主役級の列車たちばかりだったのが今となっては懐かしい。
>>2
紀州は確かに別格だったな。
くろしおがあるにもかかわらず末期まで紀勢線の主役だった。夜行も存在していたし。
- 9 :
- 黄色の修学旅行車は、乗った世代レスカ?
- 10 :
- 俺が一番印象に残っている急行は「ニセコ」
最後まで残った昼行PC急行でもあるし、DCの方も(上りだけだが)根室〜函館と
北海道を横断する列車だった。
あと、「しれとこ」とか「ぬさまい」とか「天都」等のキハ22型ローカル急行も印象に
残っている。(「いぶり」と言う循環急行もあったし)
- 11 :
- 小さい頃にC62ニセコの映画を観たことがあるけど
後で聞いた話によればマニアの間では名作と言われてるらしいね
- 12 :
- >>6
現役車両だと東武の300/350系が
並ロに一番近いかな。
- 13 :
- >>11
「雪の行路」か?
あれ、ケケ島が構成・演出した作品だぞ。
- 14 :
- 列車ではないけど、思い出の車両はキロ25かな。
実際に乗れたのは格下げになったキハ26-400だけど、この車両は別格だったよ。
その後、地元から消え遠方で首都圏色に塗られた時、とても切なくなった。
- 15 :
- 長〜い、ローング・シーートのデスカ?
- 16 :
- >>15
ロングロングシート車はキハ26 600じゃない
400はキロ時代と内装は変わらない
- 17 :
- キロハ25の初期車はロ室が一枚窓、ハ室がバス窓で
ちぐはぐなスタイルだったね
- 18 :
- スーパーロングは600番台だね。
首都圏色に塗られたのは600番台だけかも・・・ 記憶が曖昧で申し訳ない。
私の思い出は、もちろん座席そのまま格下げされた400番台。
元一等車にタダで乗れるなんて、いかにも中高生が喜びそうでしょうww
急行・準急には縁がないけど、スーパーロングならオハ41。
特ロの成れの果てがツーリスト寝台? なんて冗談を言っていた青春時代を思い出すよ。
- 19 :
- >>10
下りも一応3列車分割で根室までいっていたよな。
函館→(ニセコ1号)→札幌→(狩勝3号)→釧路→(ノサップ3号)→根室
ノサップ3号だけロ付で停車駅は厚岸のみ。分岐駅の厚床通過。
- 20 :
- 上野から会津若松行きのDC急行なんていうんだっけ?乗った。郡山からの
磐越西線が遅くて驚いた。
- 21 :
- キハユニ16を先頭にしたきのくに2号が大好きだったな。
先頭のキハユニは締め切り扱いだったはずなのだが、
何故か乗せてもらった記憶がある。
ビニールの座席で、阪和線をめちゃくちゃ飛ばしてたのが懐かしい。
- 22 :
- >>21
出島・弓張の先頭に島鉄、というのもありました。
58系より一回り小柄な55系が最前って、何か健気で良い感じでした。
- 23 :
- >>21
10両以上の長大編成で中間にキユニを連結した夜行の「のりくら」も懐かしいね。
富山までの登山者が結構多かった。
名古屋〜北陸では急行が「兼六」だけだったので「しらさぎ」を避けて「のりくら」で
いわゆる通り抜け的な利用をしたものだ。
- 24 :
- 「みささ」「みまさか」に乗ってたなぁ
旧客の普通が遅くて退屈で嫌で仕方なかったガキの頃
- 25 :
- 「長州」力あったなあ・・・。
- 26 :
- >>25
ちょーしゅーりきー あしがみじかい
ちょーしゅーりきー うでもみじかい
ちょーしゅーりきー くびもみじかい
ちょーしゅーりきー ぜんぶみじかい
なーにこらー たーここらー
なーにこらー たーここらー
っておぃ、一緒にプ板wjスレに帰るぞコラ!
- 27 :
- きのくには南海キハ55も併結してましたね。
冷房化できなかったのは残念だけど、末期でも
国鉄車より車体が綺麗でした。
- 28 :
- >>20
新潟行きの「いいで」じゃないかな?
- 29 :
- >>27
窓に安全棒付き
- 30 :
- 南海持ちのきのくに車のキハ55は
餓鬼の頃の記憶では車体に南海のアンドンが
あったように思うのですがご存知の方
如何でしょうか?
南海線内では特急扱いでヘッドマーク付きだったそうですが
当時自分は、紀南だったので見たこともありません。
大阪行くときも名古屋行くときも何故かくろしお5号と2号
両面キハ81でカッコ悪いなあと思っていました。
今、交通科学館で見ると懐かしいですね
ヘッドマークの形状が違いますが。
- 31 :
- >>10
釧路をずっと後に出た「おおぞら」に段々と差を詰められていたんでしたよね。
- 32 :
- >>30
照明付き南海のマークは扉横についてましたよ。
ヘッドマークは青地に円月島が描かれたシンプルな物でした。
大昔には天王寺発天下茶屋線経由なんて列車もあったそうだ。
- 33 :
- >>30、32
そうそう。楕円形に「南海」やね!
- 34 :
- >>28そんな気もする。新潟行きだったのか。
- 35 :
- >>26
ちょw
- 36 :
- >>23
当時の名古屋駅は定期の名古屋始発夜行急行が
関西線「紀州」、高山線「のりくら」、中央西線「きそ」が電車と客車2本で合計4本もあって
かなりにぎわっていたな
特急も入れれば「金星」がある
- 37 :
- >>31
確か、ニセコの釧路発が12:30でおおぞらが14:25だったはず。
で、函館着が23:50に0:20だったかな?
いずれにしろ、2便or102便の深夜便に接続していた。
- 38 :
- >>34
上野発9時10分の「ざおう(季節運転)&いいで」
「ざおう」編成は山形行でハザとハのみ
「いいで」編成は新潟行でロザハザハ
- 39 :
- 単コロで国鉄急行があったのは、北海道だけでしたか?
- 40 :
- >>39
例えば会津線部分の「いなわしろ」とか
- 41 :
- 別府と長崎・佐世保を走った「西九州」それと「由布」
それと「ゆのか」、「あおしま」、「日南」
- 42 :
- そう云えば「ひかり」って愛称は、そもそも九州あたりの準急の愛称
じゃあなかったけ??
- 43 :
- >>38
その「ざおう」と定期の「おが1号」が、板谷峠の急勾配をELの力を借りずに息も絶え絶えに登っていたんだよ。
- 44 :
- あぁぁぁぁ
PCもBDレコも携帯もいらんから
この時代に戻りたい
- 45 :
- 国鉄時代って面白い「気配り」があったよね。
併結列車の場合たいがいロザなどは「本線」優先だったのに
「西九州」は佐世保編成がロザ有
「さんべ」1本も美祢線周りがロザ有だった
- 46 :
- 急行「火の山」鹿児島本線荒尾に住んでいた俺の小さい頃
家族旅行で別府へ行くのによく乗ったなぁ
- 47 :
- >>44
撮影機材だけは今のを持って行けたらなあ。
- 48 :
- (*´Д`)¶<たいむまぁ〜しんにぃ〜 おーねがいー♪
- 49 :
- >>47
俺はモードラ付きのF3を持ってく
- 50 :
- PC無しの環境なら持っていくのは銀塩だな。
- 51 :
- 修学旅行列車。集約臨には乗りました。EC167系、PC12系、DC58系、PC20系。
167系では今の妻とも知り合い。ああ0系もね。その頃は修学旅行担当でした。
添乗手当ては安いぞ・・・
- 52 :
- >>45
「西九州」は米軍将校のため、「さんべ」は宇部興産重役のため。
- 53 :
- >>51
あんた、もしかして勤務中に連絡船でセクスしてたのか
- 54 :
- >>19
ベースが苗穂だったから下りは系統を切らざるを得なかったんでしたっけ?
- 55 :
- ひこさん、くまがわ、ってどう?
- 56 :
- >>39
出水ー宮崎間「からくに」(キハ52)
岡山ー広島間「たいしゃく」伯備線経由(キハ20)
ユニークなのが高知ー松山間の「予土」でキハ58の1両のみ。
高知ー阿波池田間「浦戸」、阿波池田ー多度津間「いしづち」、多度津ー松山間「うわじま」に併結され、
単独では動けなかった。まるでコバンザメのようだ。
「たいしゃく」はS43.10まで単行で存在、その後は区間変更されて2001年ごろまで芸備線を走っていたね。
「からくに」はS47,3まで単行で存在、「予土」はS43,10には時刻表から消えていた。
- 57 :
- >>56
キハ58そのものは1両でも走行可能ではあるが。
(但し、バック運転の場合は規則上の理由で最高速度が15km/hになるが)
- 58 :
- 金沢⇔青森走ってた『しらゆき』
全線電化されてたけどキハ58で走ってたな
今なら叩かれるだろうなw
- 59 :
- >>57
キハ58の正向き単行の試運転が本線を走る動画を見せてもらって
びっくりしたことがある。
そういえば、妻板に尾灯あるよね。
スレチにつきsage
- 60 :
- >52
というか、美祢線の優等列車自体(もっというと美祢線が)宇部興産用なところがあったな。
重役さんも今は専用道で宇部市まで移動しているのだろうか。
- 61 :
- おい、おまいら!!
今NHKで凄い映像が流れてるぞ!!
- 62 :
- みているみている
小松島機関区の転車台
78680
- 63 :
- >>60
すれ違いだけど、宇部興産の専用道、
普通自動車だと猛烈に乗り心地が悪いとか専用スレで聞いたことが。
余談だけどあそこって取り締まりとかめちゃくちゃ厳しいんだって
個人的には常磐線の急行列車が気になるね
首都圏に最後まで乗り入れていたキハ58とか。
- 64 :
- >>63
> 個人的には常磐線の急行列車が気になるね
> 首都圏に最後まで乗り入れていたキハ58とか。
常磐線のキニって、急行に連結されていたのですか?
それとも荷物列車として単独運行?
交直流の荷物電車って作られませんでしたものね。
荷物輸送末期に改造されたキニとかスユニとかには
数年しか使われずに棄てられたものも多かったはず。
- 65 :
- 今NHKでやってる映像凄いな………飯山線や川越線をSL走ってたなんて知らなかった。
- 66 :
- >>64
常磐線のキニは末期は専用列車として運用されてた筈。
昭和61年11月改正であぼーん、だったかな。
- 67 :
- >>65
当時に実際に乗車した経験は、結構辛い事が多かった。
今のグリーン車とか寝台車は庶民のものでなかった。
- 68 :
- (補足)
グリーン車は、1・2・3等があった時代の2等に相当する。
- 69 :
- >>61>>62>>65
俺もそろそろ寝ようかと思ってたら例の番組が!!
思わずテレビにかじりついて見た。録画もバッチリと
なかでも一番の見どころはC62ニセコだったな。
長編成に帯つきグリーン車つきとはまさに最後のSL幹線急行にふさわしい姿だった。
森駅でのいかめしの立ち売りに、乗客がみんなお札を差し出して待っていて
それを立ち売りのおじさんが要領よく、おつりのある人には弁当とおつりを一緒に渡していた。
ああ、あの頃の鉄道全盛期が懐かしい…
- 70 :
- >>47 撮りたい時、カメラなし
カメラがある時、撮るものなし
- 71 :
- >>66 ありがとう。
他スレで、昼行急行ニセコが最後まで客車で残った理由が
書かれていたので、こちらもそれかと思ったものだから。
「例の番組」、俺も木曽森のところから見た。
プロの撮影・編集についひきこまれた。
- 72 :
- >>69
ろだかようつべにうpキボン
- 73 :
- >>63
>>宇部興産の専用道
列車並みのダイヤで管理されてるらしいね
- 74 :
- >>73
黒猫とかの長距離便もかなり厳密に運行管理されているよ。
専用道なら渋滞等の外的要因がないから、鉄道並みの運行管理がされていても
不思議ではない。
- 75 :
- 俺にとっての急行列車は「丹後」だな。
キハ28(キロ28が1両)の6〜7両編成だったと思う。
昭和40年代の話。
- 76 :
- >>75
山陰東部の優等列車といえば、昭和40年代といわず、
1980年代まで、それがスタンダードw
京都口が「丹後」「白兎」、大阪口が「丹波」「だいせん」、
必ずキロが入っていて、65が入らない、きれいな編成だったな。
- 77 :
- >>76
「白兎」をいれるなら「いでゆ」も・・・ネ
- 78 :
- 但馬 は?
- 79 :
- >>77
いでゆは昭和53年改正でだいせんに統合されたからな。
それを言うと但馬だけでなく、みささ・みまさか・石見・美保なども出てきてしまう。
- 80 :
- 新大阪発赤穂線周り岡山行きの「あこう」はいつもガラガラだった
あと名前は忘れたけど、月田行きなんてどこに行くかわからないDC急行もあったな
「みささ」だったっけ?
- 81 :
- >>80
大阪→姫路→津山→中国勝山・月田・新見方面は「みまさか」(美作国より命名)
大阪→姫路→津山→鳥取方面は「みささ」(三朝温泉『みささおんせん』より命名)
両者は併結していたな。
ついでに津山→新見→備後落合→三次→広島「やまのゆ」なんてあった
- 82 :
- 「美保」もそうだけど、漢字2文字だけの愛称であまり馴染みのない地名とか名所が出自のものってなんとなく
しっくりいかなかったよね。
「野沢」「天都」など 地元にとっては違和感はなかったのだろうけど。
2文字じゃないけど「はんだ」も。どこを走っているのかわからない急行。
- 83 :
- 伯耆 とか最初は読めなかったなぁ。
- 84 :
- 準急伊吹
急行編成でお得感があった座席はまあ
比叡とかと変わらないが
ビュフェの営業があった
- 85 :
- >>82
急行名称に限らず固有名詞は独特の読み方あるからなー。
でも,ガキのころから鉄ヲタやっていたおかげで旧国名,主要都市名は勝手に頭に入ったので
社会は強かったぞ。
先生「さーみなさん長崎・佐世保を地図帳で調べてみましょう」
オレ(アーヒマだなー,ン?そろそろ昼か「さくら」が長崎に到着するな)
- 86 :
- 国鉄の準急が無くなったのは何年だったのですか?
短距離のが多かったようですが。
- 87 :
- >>86
S42年位か?
新幹線出来るまでは東海なんて長かった
- 88 :
- >>82
「はんだ」とは終点の湯布院近くに飯田高原(はんだこうげん)てのがあってそこから命名された
確か宮脇先生にも「はんだとは素っ気ない愛称だが」と書かれていた記憶が
- 89 :
- >>86
1968年10月
- 90 :
- 走行距離が100kmか200kmのどっちかで
それ以下が準急って区切ってなかったっけ?
- 91 :
- >>90
100キロ未満
- 92 :
- >>85
俺も社会、特に地理は抜群だったよ。
読めない地名がなかった。
- 93 :
- 「はぼろ」は分かるけど「みぼろ」が分からなかった
御母衣のほうが地元に近いのに orz
- 94 :
- >>88
今から20数年前に由布院から福岡県の直方まで「はんだ」に乗ったけど、
快速で、窓口で乗車券のみ買った気がする。急行だったり、準急だったりした時期があるのかな?
詳しい方お教えを。
- 95 :
- 小学生の頃小遣い握りしめてよく急行に乗りに出かけた。
キハの長編成だったゆのくに・越後
午後の日差しの中、客のいない寝台車をつないでた屋久島
阪和線をかっとばす気動車きのくに
京都駅1番線始発の平安
休業中のサハシをつないでた立山
尼崎からいきなりローカル気分のいなば
小児半額は安かった。
- 96 :
- >>85
>>92
俺も時刻表を愛読したおかげで地理は得意で都道府県に対する県庁所在地、その場所は
すぐにわかった。
高校に入ると授業中、ノートに急行の編成表をよく書いていたな。
隣のヤツは麻雀の役満をノートに書いていたっけ。
さて本題に戻して編成の話となるが特に客車急行の編成は特急と違いバラエテイに
富んでいるので暗記している編成を授業中に書いていただけでも飽きなかったものだ。
最近だが会議中にマロネ、マシ、スロなどとか書いていて隣の人が「何の暗号だ?」
とか聞かれた。
- 97 :
- >>94
おれの知っている「はんだ」は急行だった時期がある。
そのころ日田彦山線は急行が下り4種上り5種あった。
「日田」「はんだ」「あさぎり」「あきよし」と上りのみ「ひこさん」
「はんだ」は小倉からそのまま日田彦山線にはいらず折尾直方伊田線経由
「あきよし」は山陰の浜田だか江津だかが始発で美祢線・日田彦山線経由だった記憶
- 98 :
- >>80
「あこう」は小学生の時に小豆島に行った時に日生まで乗ったことがある
日生から小豆島に向かう船の中で見えてくる島を指差して「あれはなんていう島」「鹿久居島」とか教えてくれたのに
なぜか意識的に名前教えてくれない島があって気になっていたけど
あとで長島というハンセン氏病の人が療養している島だと知った
- 99 :
- (´‐`)ノttp://www.nicovideo.jp/watch/sm4593800
- 100 :
- 「はんだ」「日田」はキハ66/67使用の唯一の急行だったね
- 101 :
- あこうって急行あったっけ?
- 102 :
- 定期急行では聞いた事が無い。80系電車を使用した休日快速に「あこう」と言う
愛称が付いていた様な記憶はあるけど。
- 103 :
- 夏場に走っていた臨時急行だな
- 104 :
- ついでにレスするけど「エメラルド」とか「あじがうら」とか海水浴客向けの急行とか昔は多かったよな
- 105 :
- 7月15日からの房総方面夏ダイヤってのもなくなっちゃたね
>>94
はんだは日田、あさぎり、大隈、錦江、佐多とともに
55・10改正で急行から快速に格下げ
- 106 :
- 丁度10年前長野五輪の時に長野に行った。
大阪への帰りに臨時の昼行ちくまに乗るため長野駅の窓口で
「大阪まで急行1枚」と言ったが「特急しか走ってない」と言われ
ひと悶着した。
- 107 :
- >>91
遅くなったがd
- 108 :
- JRになってから不勉強な職員が増えたような
都区内からサンライズ→下関→鹿児島線というコースに乗るため、片道乗車券を頼んだことがあるが
「……倉敷……伯備線……米子は……あれ?」
「伯備と山陰線の接続は、伯耆大山です」
「ああ、すいません……次は下関……無い……」
「――山陰線と山陽線の接続は、幡生です」
「あ、ああ、すいません……下関……下関は……」
「次です。九州に渡って門司まで山陽線、ここで鹿児島線接続です」
駅員氏はどことなく自信を失ったような表情で俺にマルス券を渡した。
- 109 :
- >>108
国鉄時代は面倒な経路の乗車券は自分の頭脳とスキルのみで乗車券発券したから
不勉強じゃ勤まらないよな。
たまに算盤が苦手なのか,筆算式書いて計算している人もいた。
- 110 :
- 分割化後、他社の駅名を勉強する必要性が少なくなったからでは?
- 111 :
- ある意味でゆとりだな
- 112 :
- 自分でいろんな線区に実際乗っている職員はどんな小さな駅でも知っているな
- 113 :
- 先日、東日本の窓口で、智頭急行経由で鳥取までの乗車券を買ったのだが、智頭急行
が何処を走っているか自体を良く理解していなかったのには、ちょっとびっくりした。
- 114 :
- 逆に束社員は管内のことはよく覚えているかな
- 115 :
- 前に「影が薄い」という名称が列車名らしくない急行・準急で「野沢」「天都」「はんだ」などがあがっていたけど
「うおの」というのも走行区間も響きもややはっきりしないものだね。
最も「魚野川」からとったといえば走ってる地域も何となくわかるけれど「うおの」とひらがなだけだと
なんとなくはっきりしないね。
(現車は主に気動車2両で十日町〜新潟を走っていた。ただし飯山線内は普通で、急行区間も他列車と併結という
ものだった)
- 116 :
- その線区に急行1本でしかもそれがロザ・ハザ付というとなると
急行「天北」の天北線の他どこがあるかな?
確か小頓別という小駅に停車したが,そんな小駅からロザに乗る人って
さぞかしその地方では名士で,改札係も最敬礼したんじゃないかな?
・・・などと想像してみる。
- 117 :
- 俺にとっての急行といえば、架線下DC急行「赤倉」しかないな。
母の田舎へ行くときはいつも利用した。
キロ2両を含む堂々10両編成(12両の時もあったな)は圧巻だった。
しかし電車化後は一度も乗ることが無かった・・・。
- 118 :
- >>116
確かに。
今みたいに若造が気軽に乗るような雰囲気じゃなさそうだなw
- 119 :
- むかし、「アルプス」や「信州」の一部列車には「ビュッフェ」があったよなぁ〜
時刻表にコーヒーカップの印のついた列車がなつかしい〜
- 120 :
- >>119ビュフェと言えば東海道の急行のビュフェ
で一度寿司が食べたかったな
二、三歳の頃に準急伊吹に乗ったのが唯一の
寿司ビュフェ
年齢的に記憶はない
その後急行になった比叡に乗った時
ビュフェがあったが寿司コーナーはやってなかった
気がする
- 121 :
- >>120
「アルプス」はビュフェ営業休止後も長いことサハシを連結していましたなぁ。
そういえば営業している食堂車の経験といえば「北斗星」しかないな・・・orz
- 122 :
- 新潟と仙台を結んでいた急行あさひ。
大体4〜5両編成でハザが一両付いてた。
ハザはキハ58系列が多いんだがキロ25格下げのキハ26-400が入ることがあった。
確かにシートは転換クロスでいいんだが、車体幅が狭くて子供心に古い車としか映らない。
編成美もキハ26が乱しているみたいに見えて嫌いな車両だった。
今なら間違いなくソイツに乗るだろうけどねw
- 123 :
- 昔、東京とか上野に向かうとき品川を出て客車区の脇を通る時
167系が止まってるのを見るのが好きだった。
- 124 :
- お客様にお知らせ申し上げます。
この列車にはビュッフェが連結されております。
当日本食堂では、サンドイッチなどの軽いお食事物や
お飲み物をご用意して皆様のお越しをお待ちしております。
- 125 :
- >>124
思わず「とうじつ ほんしょくどうでは…」と読んでしまった。
旅のレストラン・日本食堂は遠くになかりけり。
- 126 :
- 名古屋出発後の急行「大社」
この列車は4両の短い編成でございます
なお食堂車・ビュッフェ車は連結いたしておりません
そんなことわざわざ言わんでも判るがなって当時思った
- 127 :
- 長丁場の列車だと付いてるのが当たり前という見方もあったからな
- 128 :
- おれはどっちかというと駅弁派だったなー。
食堂車って移動が面倒な上に込んでいたからな。
竹箱の弁当箱をあけると駅弁ならではの
なんともいえない香ばしさが食欲を誘った。
- 129 :
- 営業休止からずいぶん経って荒れ果てたサハシ165しか乗ったことがない…orz
- 130 :
- >>128
駅弁も好きだけど食堂車がついている列車があるときは必ず利用したな
でも急行の営業ビュッフェには乗ったことが無い
「アルプス」と「かいもん」で非営業車両に乗ったのみ
- 131 :
- 急行 八甲田と、急行 ニセコに、乗ったことあり。
すごく、12系客車とか、懐かしく感じられる。
- 132 :
- 12系だと十和田とかいもん
14系だと銀河51号、八甲田、津軽くらいかな?
乗ったの?
JRになってからははまなすもあるけど…
鈍行ならはやたまの12系
夜汽車に揺られるのも今のうちなのかな…
- 133 :
- 快速「海峡」の14系12系
そして一ノ関〜盛岡間の普通列車に使われていた12系に乗ったよ。
あのJR初期の頃はよかったなー。
利用した切符はEEきっぷ+中小国以北の普通乗車券
- 134 :
- >>132
14系津軽は、上りだと山形県内では座れないイメージがあった。
秋田からの乗客が座席を回してボックスにして寝てしまってるんで、どこに座っていいのか分からなくなるから。
おまけに通路歩いてて足が触れたら、寝てる客が蹴り入れてきたりして
「ガラの悪い」列車だなぁ、ってイメージがあったよ。
- 135 :
- 印象深い急行
大阪駅のコンコースで4時間並んできたぐに乗車。
青森までは長かった。
夜10時前仙台留置中の20系新星で爆睡、
目が覚めたら上野停車中で疑似列車ホテル体験だった。
- 136 :
- 583彗星に1両だけつないでた指定席で
大阪から広島まで行き、夜行ちどりに乗り換えて
松江に行こうとした、がハザがとれず新幹線乗車。
念のため横川から乗車すると、通勤列車以上に
超満員のちどりは広島で積み残しまで出て
最悪の夜行列車となった。
って2年前に同じことを下りきたぐにの京都駅でも経験した。
- 137 :
- 「ぬまさい」って語呂の悪い急行もあったよね。
「せなた」とか「ばほろ」も懐かしい。
- 138 :
- >>137
>「ぬまさい」って語呂の悪い急行もあったよね
それ「ぬさまい」(幣舞橋より命名)だから
- 139 :
- ネタだったのか…、後の「せなた」「ばほろ」はちゃんと書いてあると思ったらこれもネタだった
マジレスしちまった orz
- 140 :
- 「はぼろ」だがS52,53の3月頃に札幌ー小平間を何度か乗車したが編成が
(1)ハ(指定)+(2)ハ(自由)+(3)ハ(自由)で(3)が留萌切り離し。
そのため(2)の自由席が多くの立ち客が出るほどの混雑だった。
ちなみに俺は当時小平にあるYHで長期間滞在した事あるのでそこを
中心として札幌、旭川に出かけていた。まるで地元民もどきであった
がいずれにせよ「はぼろ」は便利な列車で小平駅でも地元利用者でも
20名近い乗降はあった記憶。
今は廃線となった羽幌線だが当時はそんな事が想像出来ぬほど盛況だ
った。
- 141 :
- 上野発盛岡行きの夜行急行「いわて51号」は手加減知らずの冷房で、
上着を持ってる乗客はみんな羽織ってて、持ってないやつは肌を泡立たせて眠ってたな。
- 142 :
- 関西に遊びに行って九州へ帰るとき熊本行きの夜行急行に乗ったはずなのに
朝目が覚めてうとうとしていると「次は中津」などという放送が流れていて驚いたことがあります
放送を聞いているとこの列車は大分行きだと
何がなんだかわからないままに中津で降りて上り列車で博多に帰った憶えがあります
私が乗っていたのは「くにさき」という列車で熊本行きの「阿蘇」と前後ろでつながっていたのだとあとで知りました
- 143 :
- >>52
「西九州」は別府温泉と基地を往復する米海軍ご用達の側面があったんですね
久大線の上り一番列車でしたから大分から日田に行くときはたいていこれでした
急行の思い出といえば従兄弟が大学受験で佐賀に行ったときに「出島」に乗るのを博多駅で見送りました
あと私が赤ん坊の頃、熊本県南部の小さな町から筑豊へ帰省するのに
「フェニックス」という列車によく乗っているようです
母はそれこそ「実家に帰らせてもらいます」という感じで何度か私を連れてこの列車に乗ったそうです
- 144 :
- 高校1年の夏。大阪行きの銀河51号乗ったが、牽引機が何とゴハチの61号機!
臨時ならではのサプライズだった。今では銀河そのものが過去のものに・・・
- 145 :
- 『くにさき』懐かしいね。
大学が大分だったので、何回か乗った。
14系の座席車だった。
大学を受けた時も帰りは『くにさき』だった。
試験の翌日、不動産屋に行って、
アパートの手付金をうとうとしたら、
合格発表があってからでいいですからと
受け取って貰えなかった。
頭悪そうに見えたのかな。
- 146 :
- >>126四両以前に気動車急行で
食堂車、ビュフェがあり得ん
- 147 :
- まぁ、鉄男の間隔じゃ常識でも、
一般乗客には説明しないと通用しなかったんだろうねw
- 148 :
- >>126
事実を伝えてるだけだから何の問題もないと思うが。
車内放送は鉄のためにあるんじゃなくて、お客さん全員のためにあるんですよ。
- 149 :
- 急行じゃないけど
地味な存在だった
特急「あおば」特急「あすか」特急「おおよど」
「あおば」の停車駅
仙台・塩釜・小牛田・一ノ関・北上・陸中川尻(現ほっとゆだ)・横手・大曲・秋田
「あすか」の停車駅
名古屋・四日市・亀山・伊賀上野・柘植・奈良・堺市・東和歌山(現和歌山)
「おおよど」の停車駅
博多・鳥栖・久留米・羽犬塚・大牟田・熊本・八代・人吉・吉松・京町(現京町温泉)・小林・都城・宮崎
- 150 :
- >>149
あすか 柘植には停まりませんでした。
- 151 :
- 小学生の頃博多駅で写真を撮っていたら感じの良い老夫妻に
「すみませぬが、人吉行きはどこですか?」と聞かれたことがあります
ちょうど583系の有明3号を撮った後でした
いっしょに「おおよど」の出るホームに行った憶えがあります
おじいさんが杖をついてゆっくり階段を上がってこられるのを見て
エスカレーターがあるといいのにと思いましたね
写真を撮ってほしいと頼まれ、ホームにいた「おおよど」の前で老夫妻を撮り
後日写真を送ると非常に達筆な文字での礼状と湯前温泉のキーホルダーが届きました
古賀の方でしたね
- 152 :
- 人吉〜吉松間を特急が走った・・・
懐かしネタはやっぱ萌える・・・
- 153 :
- あさひ
新潟から仙台まで乗り通した。
上野ー長岡(夜行鈍行)、長岡ー新潟(鈍行)、新潟ー仙台(あさひ)
仙台ー相馬(鈍行)、相馬ー上野(ときわ)
仙台、山形(?)ミニ周遊券利用だったけど、仙台で乗り継ぎ時間が
ほとんどなかったので、山形で停車中に改札まで走り、往路の券を渡し
周遊・復路の券に入鋏してもらった。
長岡ー新潟間では一番前に座り運転士とおしゃべりした。
今では考えられない。あの運転士さんもそろそろ引退かな。
米坂線より仙山線の景色の方が印象に残ってる。
特に山寺と仙山トンネル付近が。
- 154 :
- >>153
仙山線で思い出したが、奥新川の変電所跡地が
こないだの秋のお彼岸のときに見たら解体の真っ最中だった。
- 155 :
- 1)私が乗った頃には14系になっていた、「雲仙」「西海」。
座席に座ってると、2列ほど前のカップルが車内でいちゃいちゃし始める。
この車両には私とそのカップルの他客は居なかった。
普通にいちゃいちゃする分には別に構わなかったんだけど・・・
濃厚なキスとか女性の声が聞こえてきたりして、トイレ行くのにも困って
固まってた。
2)初めて乗った開放A寝台
当時の東北方面の夜行急行って、線によって列車番号が分かれてて
東北本線の八甲田は101レ,常磐線の十和田は201レとかだった。
401レと一ランク落ちる形だったが津軽1号で初めてA寝台乗りました。
A寝台ってこんな形なんだ〜って思いました。
- 156 :
- 子どもの頃(S55年くらい)に読んだ子ども向け鉄道図鑑みたいな奴に、
「A寝台は線路と平行、B寝台は線路と垂直にベッドが〜」って書いてあったもんだから、
「どうしてベッドの向きで優劣が生じるんだろう?」って疑問だった。
ベッド幅も一緒だったんだよね、その頃は。
スレ違いっぽい独り言でスマソ
- 157 :
- >>108-110
窓口も今や臨職の時代だからねえ…
- 158 :
- 鉄道に限らず計算能力ない人は現金業務は基本的に無理だったから
否応なしに頭使っていたわけだよね。
電卓?そんなものなかったよな。
- 159 :
- 私が出札業務に入った頃には電卓使用もOKだったけど
使っていたのは私だけ。
他のベテランさんたちはみんな算盤でした。
- 160 :
- 先日都内某駅で東京〜(新幹線)〜西明石〜(山陽本線)〜大阪〜
天王寺〜(阪和線・紀勢本線)〜(伊勢鉄道)〜(関西本線)〜名古屋
の乗車券を買おうとしたら西明石で分断した連続乗車券を発行された。
一枚になるはずですって言って作り直させたら無事一枚で発券されたが、
昔はこんなことはなかったように思う。
で、昔の急行ね。「日南4号」の20系寝台、上野発夜行電車「ばんだい」、
北海道の「利尻」「狩勝7号」「大雪5号」は10系寝台、あれ夜行ばっかりだな。
昼間のはあんまり記憶にないぞ。まあいいや。10系20系の狭い寝台が懐かしい。
- 161 :
- よく利用したのはお助け急行「鷲羽」だな
姫路方面最終が出た後にはこれが残ってた。
大阪出たら車内検札が始まり、同じような残業族が大勢いて
乗車券と急行券が良く売れること・・・
- 162 :
- 下り鷲羽で夜中の2時、3時に連絡船に乗り換えるのは
つらかった。
- 163 :
- 朝の大阪駅で上り鷲羽を撮影するのも難しかったな
一度ムコに入ってから折り返しミハに向かう途中
大阪に戻ったのを撮っていた。
モハユニットにブルーライナー色が多かったように思う。
- 164 :
- >>162
早朝の高松駅で四国の列車が迎えてくれるわけですね。
- 165 :
- 臨時準急時代の「ゆのくに」
オハ31からスハ44迄種々雑多の編成で面白かった。中ヒロのオロ36に
乗れた時は嬉しかった(夏だったので)。運が悪いとオロ31の汚いのに
当たったり、スハ32Wに乗せられたりで幸いオハ31には当たらなかった。
何時も満員だった--
- 166 :
- 思い出の 懐かしの 列車は?
http://sentaku.org/hobby/1000004193/
- 167 :
- 「まぼろしの邪馬台国」で名高い宮崎康平氏が
宮崎から延岡まで「第2高千穂」という急行列車に乗ったときの話を読んだことがあります
乗客が少なく4、5人の一行の貸切みたいだと喜んでいたらそれもそのはず
下り列車との交換で各駅停車のように停まり、なおかつ延岡には30分遅れでその後の計画が滅茶苦茶になってしまった、と
延岡からバスで高千穂に向かったようですが宮崎の女性は本当に素朴で素晴らしいとも書かれてあります
- 168 :
- 「第2高千穂」はダイヤのクソっぷりからして臨時かね。
戦後の島鉄のお召し列車運行の頃に宮崎氏は失明されてたから、
純粋に会話の印象で土地の女性の純朴さを感じ取ったんだろうね。
- 169 :
- 既に名古屋発着で臨時に成り下がった高千穂が出ている時刻表を持っているが、
宗太郎停車を見たときはかなり燃えた
- 170 :
- 準急は懐かしい:
何処まで乗っても3等が@¥100-均一だった頃は良かった。
PC「ゆのくに」、「ゆあみ」、「ゆのか」、「ゆけむり」の温泉列車シリーズや
北見‐札幌間(小樽だったか??)夜行区間だけのインチキ準急(故吉谷和典氏
の"すかたん列車”)、室蘭‐札幌の「エルム」(オロ31x2組み込み)、
C56の「ちどり」-----臨時「清津」枚挙の暇が無いぐらい。
- 171 :
- 準急「ゆのくに」は臨時、不定期時代下りが速かった。京都‐米原間で「はと」
より1分遅いだけ。昭和31-11-19の東海道電化完成の余波で601-602レが福井
‐上野に短縮され、大阪‐富山におんぼろ鈍足急行「503-504レ立山」が出来た
時に大阪‐金沢間で所要時分差が少ないのに急行料金ボッタくりだと「暮らしの
手帖」にまで批判された。31-12号時刻表では、大阪‐金沢間で:
準急「ゆのくに」6時間9分。
急行「立山」6時間1分。(以前の601レ「北陸」よりも大阪発が早くて時間的効率
悪化。特ロがスロ51から「つばめ」のお古のスロ60になって、並ロがスロ34
からオロ40と並ロが悪化。
出張の時は専ら「ゆのくに」愛用だった。
- 172 :
- 九州島内を走る急行・準急に掲げられていた
絵入りヘッドマークはカラフルで楽しかったですね
- 173 :
- 大阪駅の廃品市で「準急」、「快速」、「かんなべ」、「黒姫」、「伯耆」(裏が「第二さんべ」)
等々のホーロー小サボを買って大切に保管しているが、「準急」、「かんなべ」が値打ち物かな?
- 174 :
- 「長州」かこええ・・
時刻表読んでも殆ど「レ」(通過の意味ね)
- 175 :
- >>174
山陽本線を右腕突き上げながら
大音量のパワーホールと共にばく進してた訳ですね。
わかります。
- 176 :
- そそ、さらに付属編成に「谷津」と「斎藤」を併桔してたわけよ・・w
- 177 :
- なんでやねん、「浜口」やろ
…と脱線してみる
- 178 :
- さらに脱線して磐越西線で走らせたら石をなげられそうw
- 179 :
- >>178
(・∀・)カエレ!
- 180 :
- 「長州」は修学旅行臨のスジを団体がない時開放して走らせた特殊な急行ですね。
時刻表に載ってるけど、いつ運転なのかも、はっきりしない。
やたら通過するけど、そんなに速くない。
観光モデル号も急行扱いで時刻表に載ってたけど、いつ乗れるのやら、また通過だらけ。
- 181 :
- 運休中
- 182 :
- そういえば一時期、急行の出島・弓張に島原鉄道に直通する車両がつなげられていたように思いますが
あれは島鉄の急行だったのでしょうか、愛称などはなかったのでしょうか
- 183 :
- >>182
>あれは島鉄の急行だったのでしょうか?
→国鉄線内は「国鉄の急行」で島鉄線内は「島鉄の急行」でしょうね。
愛称は島原鉄道に直通する編成に別途愛称はついていなかったんじゃないかな。
- 184 :
- 島鉄には愛称は無かったな。直通急行みたいな呼び名だったかも。
時刻表の出島の編成表には増号車みたいな表記だったような。
南海の「きのくに」はどうだっけ?
- 185 :
- 国鉄線内は「A号車B号車」だから、国鉄急行扱いだったと思う。<きのくに
南海線内は「特急」。
- 186 :
- 島原はクーラー、南海は扇風機かな?
- 187 :
- 5501系「きのくに」はある意味快適だったなあw
つうのは昭和50年代で南海線内や紀勢線は殆ど優等列車はほぼ冷房100%。
その中で特に夏場とか窓全開で景色を楽しめたし。
- 188 :
- >>187
そういうマニアばかりなら良かったんだろうけどね……
- 189 :
- >>187
28、58にそろった冷房つき国鉄編成に、55が1両や2両ついてても、乗らんでしょう。
窓全開で景色って、保護棒あったのお忘れで?
- 190 :
- 「長州」乗りとおした人、いるのかなぁ?
- 191 :
- >>190
健介とか、マサさんとか、
乗った人はいるにはいるけど、乗りつぶしたって人はいないんじゃないかな?
まぁ石井ちゃんとか、その辺はまだ乗ってる気もする。
列車名も「リキプロ」になると思うけど。
- 192 :
- 準急行 しんじ 博多⇔宇野
- 193 :
- すわ しんじ
- 194 :
- >>191
天竜に乗り通した人はいますか?
- 195 :
- 長崎‐広島準急「ふたば」ってのがあったな。
下関‐宮島口間オロ40の汚いのに乗せられた。
- 196 :
- >>195
愛称「ぴかどん」にすればイイのにね
- 197 :
- まぁ、それは不謹慎だろうが、こういう列車こそ
「平和」にでもすれば良いじゃないかとは思った。
- 198 :
- 急行 原爆 1号
準急 放射能 3号
- 199 :
- 急行 大浦洞2号
準急 労動1号
- 200 :
- 「平和」は長続きしない列車名だったのが不思議。
国鉄幹部に軍国主義の残党が多かったのか、与党の圧力か不思議な現象。
「平和」----「つばめ」に復帰。九州行ブルトレの前身(”みずほ”になった?
か”さちかぜ”?か-----
、広島行DC特急(キハ82系)いずれも列車愛称としては短命。
九州行と広島行は撮影して居るが「つばめ」になったのは大阪駅と京都駅で
見ている。展望車の前のオロフ33の窓ガラスが真中に「桟」が入っていたので
当時1,300mmガラスが入手難だったのだろう。
- 201 :
- オロ36一統の極広幅ガラス窓は、「重くて開閉が大変」という問題が作ってから明白化した。
やはり開閉できる窓の実用の上限は3等車で普及した1000mm幅がいいところだったって事か。
- 202 :
- >>201
1200mm窓の車は戦後も作ってるけどね
オロ40 スロネ30 マイネ41
- 203 :
- 急行 日本海
高校の修学旅行で、青森から京都までのった。青森は朝0600頃、翌日の早朝京都
についた。そういえば、その時京都駅で上りをひいてやってきたC59をはじめて
みてその大きさに驚いたものだった。1953年秋のこと。
- 204 :
- >>203
今と違い寝台でないので当時は堅い椅子なので腰も痛く体力勝負だったのでは
と思います。
テツ的には当時は煙の旅路で景勝地も線路付け替えされていないのでどういう
旅路だったか、機関車や客車にも興味津々です。
- 205 :
- 急行 みのぶ 4両でゆっくりした時間だったな〜
- 206 :
- >>200
呉発長崎行きの出島があったが、
これに「へいわ」という愛称を付けても良かったと思う。
ただ、特急に使った愛称を急行に使うのは
国鉄的に許せなかったんだろうな。
- 207 :
- >>206
呉海軍工厰発
三菱長崎造船所行
つまり、大和発武蔵行だね
- 208 :
- 平成4年頃だったかな、学校帰りの品川駅ホームに急行東海が停まってて、よくよく見たら、隆三杉関が乗ってたよ。
- 209 :
- 平成4年ごろだったかな、大和西大寺駅の階段を上っていると、目の上に朝潮関の尻があったよ。
特急の指定、2席いるな、と思った
- 210 :
- >>207
「立木大和」と「日立武蔵」の関係を思い出した。
- 211 :
- 立木大和のモデルは日立佐和でしょ?そしてレインボーがニチボウ、
のちのユニチカ(今は?)
- 212 :
- >>194
居るよ確かクハ86だったが豊橋で0系「こだま」に乗り換えてやっと
人心地がついた。
- 213 :
- 昭和9年 神戸市内の病院 実家は東舞子 誕生日が過ぎた頃に歌敷山
昭和20年 舞子国民学校 四年生3学期まで歌敷山
四年生修了で加古郡 九ケ月 戦後2年弱京都
22年秋から阪急神戸線沿線
関学「交通論」専攻
上司の紹介で見合い結婚したが大失敗でノイローゼ寸前
入院してから「禁酒」1週間に2度は「コロッケ」
膀胱に砂状の石がぷかぷか浮いている
- 214 :
- 204様
遅くなりましたが、203です。
親不知付近や、敦賀の前後は旧線だったはずですが、既に日没後であり、
はっきり覚えていませ。ただ、中の郷で下りの日本海と交換したことが思
いだされます。
牽引機ですが、青森を出たときは、青森区のC61、途中新津で見たときは、
直江津区のC57だったかと。
機関車の交換は秋田、新津、直江津、金沢は覚えています。そほかにも今
庄でもあったはずですし、敦賀でもあったかと思います。
客車は三等車はスハ43、食堂車にスハシ38が入っていました。
なにしろ古いことなので、この程度しか思い出せません。
- 215 :
- >>214様
204です。サンクスです。
今から50年以上前で断片的にせよ、見たままは興味津々ですね。
現在ではEF81のロングランですが当時の機関車交換劇や北陸旧線の中の郷
が出てきたり、新車の頃のスハ43など隔世を感じます。
手元にS29.2の時刻表ありますが「日本海」の交換は直接見られた中の郷
と坂町でした。
ちなみに私はS34生まれです。
- 216 :
- 小学1年の時「出島」に乗ったことあるよ。前日に母と徳山駅に切符買いに行った。
キハ58だったと思うが、早岐まで乗って疲れた記憶が残っている。
- 217 :
- DC急行あさぎりの現役時代は二重名称だったね。御殿場のと九州ので。
御殿場線の方の指定席は小田急のシステムだし、九州のは全席自由だから
問題無かったのだろうけど。
上の方で出ているはんだ・日田はキハ66・67時代になってもキハ55系が良く
代走していた。日祝日は4両に増結していたからキハ55系の確率が高くなって
いたと思う。
直方には元キロ25がいたのだけど、これは北九州側には滅多に来なかった。
博多口の臨時急行の指定席車に入る事が多くて、増発の急行いなさ(出島)に
入る事が多くて、直方配置のキハ58系修学旅行車に挟まれて運用に就いて
いる事が多かった。元キロだけあって結構大事に使っていたみたい。
臨時のいなさで乗ったことあるけど、かなりキレイにして使ってあった。
- 218 :
- 赤城駅を通らない急行あかぎと、
両毛線を通らないが赤城行きの急行りょうもう
ってのはダメですねそうですね。
急行じゃないけど、グリーンライナーやマリンライナー、
平仮名表記を含めれば各地にあった、安直なネーミングの代表例。
スレ汚しスマソ
- 219 :
- >>217
もともとは日田彦山線の「あさぎり」が「先輩」格。
小田急線直通のほうはDC準急時代は「朝霧」「長尾」「銀嶺」「芙蓉」だったな。
- 220 :
- 「松前」 道内でキハ22の急行には結構慣れていたが、キハ21には意表を衝かれた。
「しらはま」 名古屋行きはあるが名古屋発はない、紀勢線の急行はややこしかった。
「大社」 3回も方向が変わり、7線区を経由。松江→名古屋を乗り通したら天橋立から満員に、席を立つのも不自由で、初めて汽車に乗って腰が痛くなった。
「赤倉」 新潟の58系気動車堂々の10連だったが、S53の大雨による信越線妙高高原付近不通で、名古屋−松本と新潟−関山に分離運転。
名古屋方はナコ・ミオの予備車をキハ55までかき集めて6両に短縮して運転したが、朝夕の間合い運用の中央線普通列車は超満員で連日遅延だった。
ひとりごとスマソ。
- 221 :
- そういえば豊肥線の「火の山」も一時期一部区間の不通で
大分〜豊後竹田と熊本〜阿蘇(?)に分離されていましたね
- 222 :
- >217
くろしおは3重名(千葉・和歌山・四国)だっけ?
和歌山は戦前以来の名門なので別格だったが。
- 223 :
- 山陰本線西端部が土砂災害で長期に渡って不通になった時の迂回の急行さんべに
乗車した事があります。
下関でEF81からDD51へ機関車交換と思って見ていたら、やってきたのは何とEF65!
真冬だったけど12系+20系化後なのでスユニ以外は暖房の問題は無いのですけどね。
小郡(新山口)までの短い区間でしたけど、さんべとは思えないくらい飛ばす事飛ばす事w
小郡でやっとDD51牽引に変わりましたが、益田には早着してました。
山陽線上では一種の臨時列車ですからスジがキツかったのかもしれませんね。
- 224 :
- >>223
スジもきついでしょうし、刈りだされた機関車や乗務員の運用も余裕がなかったかもしれませんね。
- 225 :
- 常磐線緩行で小田急線直通列車。
- 226 :
- >>221
豊肥線はちょっと前、何度か長期運休があったな。
阿蘇外輪山の大規模な土砂崩れの後、豊後竹田の大水害やらで
- 227 :
- 急行たざわも一時期、盛岡でスジが分割されてなかったっけ?
- 228 :
- 遅レス
>>126
いまでも「きたぐに」の発車前は「食堂車の設備はございません」って放送が入る。
- 229 :
- >>228
昭和47年11月より、って言わないとこが…
- 230 :
- 我々はまだ、食堂車という車両を理解できる時代にいるのだねw
(職導捨の時代ですが)
後年…
「ショクドウシャ」って何?
「食道者」って昔いたんだって。
究極の何とかメニューばかり食べてる、飽食時代のアレ?(ry
とかになってたりする?w
- 231 :
- 東京スカイツリーの立地は最強だ!
★東武伊勢崎線 押上駅 直結
★都営浅草線 押上駅 直結
★東京メトロ半蔵門線 押上駅 直結
★京成押上線 押上駅 直結
★東武伊勢崎線 業平橋駅 直結
上記「5路線が集結する」スーパークロスジャンクションの真上にそびえ建つ。
この立地の素晴らしさは、新宿駅や池袋駅に直結する百貨店に匹敵する。
今の東京タワーよりもはるかに立地は良い。
古くからの江戸市街地にもごく至近だ。
国際観光都市、浅草からもわすか1km!徒歩15分以内で散歩がてらで行ける。
★東武伊勢崎線 浅草駅 徒歩
★東京メトロ銀座線 浅草駅 徒歩
★都営地下鉄浅草線 浅草駅 徒歩
こんなスーパー凄い立地に建てられるのに、なぜか辺鄙なところだと思われているのが不思議だ。
★JR総武快速線錦糸町駅 徒歩
★JR総武緩行線錦糸町駅 徒歩
★東京メトロ半蔵門線錦糸町駅 徒歩
半蔵門線で錦糸町からも一駅。歩いても1.4km徒歩20分だ。
三越前や大手町・渋谷からも乗り換えなし!
都営浅草線なら日本橋や東京駅(宝町)や銀座や新橋や浜松町(大門)からも
一本で行ける。
想像を絶する観光名所になるのは間違いない。
- 232 :
- >>230
「ブッフェスタイルの・・・」というホテルのレストランの案内文を読むにつけ
急行ビュッフェを思い出します。
- 233 :
- 保線
- 234 :
- 昭和50年夏 友人3人と北海道旅行(非鉄)
→:普通列車、…:徒歩orヒッチハイク、=船
7月12日
広島→岡山→姫路→大阪(きたぐに)【車中泊】
7月13日
青森=函館(すずらん4号)【車中泊】
7月14日
札幌(天北)稚内【稚内公園幕営】
7月15日
稚内=鴛泊【鴛泊キャンプ場幕営】
7月16日
利尻岳登山…鴛泊=稚内(利尻)【車中泊and旭川駅ネ】
7月17日
旭川(大雪1号)原生花園→網走【呼人キャンプ場幕営】
7月18日
網走→斜里(しれとこ3号)網走(大雪5号)【車中泊and旭川駅ネ】
7月19日
旭川…大雪山縦走…旭川【旭川駅ネ】
7月20日
旭川(かむい1号)札幌(ニセコ1号)森→銚子口【幕営】
7月21日
銚子口→函館=【船内泊】
7月22日
青森(しらゆき・きたかみ4号・白馬)金沢【金沢駅ネand車中泊】
7月23日
(きたぐに)大阪(みささ1号・みまさか1号)姫路→岡山→広島
- 235 :
- 昭和54年冬 北海道旅行(単独、鉄)
→:普通列車、…:徒歩orヒッチハイク、=船
※乗車記録紛失のため詳細が不明の部分あり
3月15日
広島→岡山→姫路→大阪(きたぐに)【車中泊】
3月16日
青森=函館(すずらん)【車中泊】
3月17日
苫小牧→様似…襟裳岬…様似(えりも・ちとせ)札幌(狩勝)【車中泊】
3月18日
釧路(ノサップ)根室…納沙布岬…根室→厚床→中標津→標茶(しれとこ)網走(大雪)上川(大雪)【車中泊】
3月19日
網走→中湧別→興部→雄武…北見枝幸→浜頓別→稚内(利尻)【車中泊and旭川駅ネ】
3月20日
旭川(礼文)名寄→朱鞠内→深川(宗谷)札幌→【車中泊】
3月21日
函館→五稜郭→函館→松前(松前)函館=【船内泊】
3月22日
青森(しらゆき・きたかみ・白馬)金沢【金沢駅ネand車中泊】
3月23日
(きたぐに)大阪(みささ1号・みまさか1号)姫路→岡山→広島
- 236 :
- age
- 237 :
-
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄つちのこ軌道 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○鵜飼健一郎は放置が一番キライ。常に誰かの反応を待っています。
|| ○ウザイと思ったらそのまま放置。
|| ○放置された鵜飼健一郎は煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
|| ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
|| ○反撃は鵜飼健一郎の滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。
|| エサを 与えないで下さい。 Λ_Λ
|| ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて \ (゚ー゚*) キホン。
|| ゴミが溜まったら削除が一番です。 ⊂⊂ |
||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_ | ̄ ̄ ̄ ̄|
( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄
〜(_( ∧ ∧_ ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧
〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)
〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
- 238 :
- 同じ車両が急行>普通>準急って
急行券?準急券?それともそれぞれ購入?
- 239 :
- 日光行き準急「だいや」。
てっきりダイヤモンドか鉄道ダイヤからつけられた愛称だと思っていた。
大谷川が列車名の由来だったと知ったのは、列車が消滅してから随分後のことだった。
- 240 :
- 平仮名だとわかりにくいときあるね
特急だけど「みどり」は緑でなく水鳥だしね(そうだよね?)
- 241 :
- mjsk?
だってトレインマークは緑樹をデザイン化したものだと思うし、
そもそも俺のATOK氏は「みどり」で「水鳥」には変換しないですお?
- 242 :
- みどりが水鳥って聞いたことないな。
- 243 :
- >>235
俺も同じ時期に旅行(夜行&YHを使っての半鉄、半観光だが)札幌と旭川で
ニアミスしているな。
3/17
川湯(大雪)札幌(利尻)車中泊
3/18
稚内ー浜頓別YH泊
3/19
浜頓別ー稚内ー名寄(天北)YH泊
3/20
旭川(大雪)川湯YH泊
3/18に釧網本線経由で上川まで移動しているようでこの年は寒の戻りで流氷
が網走あたりはこの時期もガッツリ接岸していて見応えあったな。
乗った列車はいずれも廃止されてしまった。
- 244 :
- . ..--──l l──--..
....-´───´`───`─....
..┌'''" (○) _[l.急 行.l]_ (○) "'''┐
|二二二二::-゙ii=======ii゙-::二二二二|
| | .| ||.|| ̄ ̄||.|| |. | | =@=/
| | |l .゙| ||.|| ||.|| | l| .| ||´・ω・)
|┴──/゙-´ ||.|゙──゙|.||..`.─\─┴| とノ
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l.l.|- ̄ ̄|.l.l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|( )
| .- ||.| .|.|| -. | ヽ@)) ┃
|. - ||.| .|.|| - .| ..┗━┫
| ◎ ||.| .|.|| . .◎ | . .┃
....| @ ─_||.|┌-┐|.||_─ @ | ┃
- 245 :
- 新幹線開通前の時刻表で東海道急行の「いこま」って列車…
…奈良を通らないのに無理してると思うとワロタ。「やましろ」「よど」「せっつ」までは行き先が推測でくる…「六甲」は微妙かな。
もっとも新幹線の無味乾燥な数字の羅列よりは風情あるけど。
- 246 :
- 新幹線の本数で全部固有列車名を考えろと言われたらきっと担当者発狂するなw
固有名は特別な列車の証しというべきか、特別な列車だから固有名で対応できたというか。
- 247 :
- 上野−盛岡を常磐線経由で82年10月末まで走った急行「もりおか」。
時刻表の編成図には、1〜7号車が上野−盛岡。8〜11号車は上野−勝田。
そうなっていたが、実際には、もりおか2号と3号は上野−盛岡の全区間を
11両編成で走ってた。
ただ一度だけ、もりおか4号に乗車して仙台に停車した時、仙台で8〜11号車を
増結したことがあった。1号と4号は上野−勝田から増結では?と、その時は不思議に
思ったのを思い出す。
- 248 :
- 247より文章訂正
上野−勝田から増結では?→×
勝田から増結では?→○
に、訂正させていただきます。
- 249 :
- >>246
担当者「新幹線の列車名を固有名詞にせよ…か。江戸、相模、箱根、伊豆、駿河、遠江、三河…前半は小田急からクレームつくな」
「よし、お買い物列車にビジネス特急ってのは…何?国鉄末期の増収対策列車っぽくてイメージが悪いか」「これならどうだ。東海道昼特急!運行区画を語る上でこれ以上のネーミングはあるまい!」
数十年後、国鉄から分離したJR高速バスの東阪間直通便が「のぞみ」になりましたとさ…
- 250 :
- 急行なんだけど末端で快速・普通化っていう列車は、
全国でどれくらいあったんでしょ?
- 251 :
- たくさんあった。
- 252 :
- 誰も準急は語らんな?
- 253 :
- 俺は、茨城交通湊線直通のディーゼル急行『あじがうら』が一番印象に残ってるな。
勝田〜阿字ヶ浦間は、湊線のダイヤを使用してた為、その区間は国鉄のギハ58型3両に、湊線のギハ20型が1または2両併結されて走ってた。
- 254 :
- キハ、らしいです
- 255 :
- >>247
多客期にはあること
- 256 :
- >>249
関係ないけど国鉄高速バスには「エコー」号とかがありましたね。
- 257 :
- 寝台急行って乗った事あるかね?
銀河 天の川 新星
- 258 :
- >>239-240
大阪〜長野の急行『ちくま』の愛称の由来が千曲川だと思っている若い鉄ヲタが
意外に多いのは、やはり平仮名のせいだろうね。
- 259 :
- >>257 20系『おが』に乗った事あるぜ!
- 260 :
- >>259氏
うらやましいのう。
- 261 :
- >>260 259ですが、何で羨ましいのですか?
20系が古くなった晩年の頃に乗ったので、あまり綺麗じゃなかったし、狭苦しい寝台でしたよ。
- 262 :
- 運転本数で「ときわ」は10往復以上と急行列車では最多ではなかったかと思う。
- 263 :
- >>258
筑摩ね。
ただし240のみどり=水鳥はないだろう
絵幕でも木のみどりがデザインされていた
- 264 :
- 碧
翠
とかね。
- 265 :
- JRのリバイバル急行で
南十字星と最南端とかいう急行が走るようだが
いつ頃どこを走ってたんだろう?
- 266 :
- 特急ときと
急行ときわって
誤乗する人いなかったのかな?
- 267 :
- >>266
痛手しょうねw
- 268 :
- >>252
準急のことはじい様しか覚えてないんだよ
- 269 :
- >>268
子供の時に伊吹って準急に乗ってます
只、記憶にない…
- 270 :
- 幼稚園の時、準急ときわに乗ってるけど
あの頃は準急という認識がなかった
- 271 :
- 犬吠・鹿島・内房・外房にして値下げすれば人気出ると思ふ >房総特急
- 272 :
- >>271
はるか昔183系登場時から言われとるがな。
急行料金でなら優秀だけど、特急としては最低だって。<暴走特急
- 273 :
- 距離が100`ちょっとしか無いから、
到達時間も10分くらいしか違わなかったしなw
- 274 :
- リバイバル運転時にようやく利用価値が出た >暴走急行
ほぼ特急のスジで運停も最小限だった
写真厨は時間が無くて可哀相だったがw
183や485、初代N'EXで1本くらい設定ヨロ
- 275 :
- かつて、「○○1号」という呼び方と「第1○○」という呼び方が混在していましたが、どういう使い分けがあったのでしょうか?
準急、急行、指定あり、なし、定期、臨時は関係なかったように思います。
- 276 :
- >>275
原則は「第1○○」は特急、急行で「○○1号」は準急だったと思う。(多少の例外あり)
東海道新幹線の開業でこの垣根が一気に崩れ、「第1○○」は消滅への道を辿ったような。
- 277 :
- >>276
「第1○○」は全車指定席の特急・急行
- 278 :
- >>277
「なにわ」や「よど」には「第2」が設定された当初から自由席があったはずだが。
- 279 :
- ぜんぜん、急行列車らしからぬ、ふさわしくない名前ですな。
劇急加速、急減速、カーブ路線に100キロで突っ込んでいくような危なっかしさが
ある名前で、運転士の気分で停車駅を決まる見たいな、乗ってみたかった列車ですな。
- 280 :
- 小学生の頃によく品川で見たのだが昭和44年頃まで走っていた全車指定の
「第1伊豆」「第2伊豆」は157系13両で1等車が4両入っていたのは圧巻。
それがいつのまにか157系特急「あまぎ」になっていたな。
- 281 :
- 伊豆に157系時代があったとは初めて知りました
豪華編成ですなぁ
- 282 :
- 信州系の急行169系妙高・信州にはビュッフェが連結されていたのに驚いた記憶がある。
上越線や東北線系統の165系急行、東北線系統の455系急行には
最早無かったので印象に残っている。
- 283 :
- >>282
有名なそばビュッフェですか。
北陸本線大阪発着にもサハシがついてましたね。
- 284 :
- >>277
しおじは第○しおじだったけど、当時8号車から11号車まで自由席だったよ。
- 285 :
- ひたち海浜の準急色。あまり付けている期間が短かった、日光&ときわのHM。再現してくれんかな。
- 286 :
- 準急青葉号
戦前上野日光間を走っていた準急が5月5日から準急青葉号として復活
5月中の各休日に運転。
ダイヤは上野8時発、日光着10時50分、日光発16時5分
上野着18時50分で途中赤羽、大宮、宇都宮、今市しか止まらない。
- 287 :
- 471系の急行関門や鷲羽の写真って見たことない。
ヘッドマークは付いていたのだろうか。
- 288 :
- 鷲羽のヘッドマークは見たことある様な。
てか未だに読み方がよく分からない。
「わしゅう」なの?ガキの頃、「わしう」だと思ってた。
- 289 :
- 準急って
ラビットとかの今でいう快速みたいなものですか?
- 290 :
- >>289 ぜんぜん違います。
俺は上越線準急「ゆのさと」(上野〜水上)に良く乗ったなあ。
あとは東海道線の準急「はまな」
準急は便利だった。
- 291 :
- 国鉄の準急は、速達が第一使命だったから、車両のグレードは二の次だったと聞いている。
だから、80系とか、キハ20系とかが使われていた。
このコンセプトこそ、現代で見直されるべき。
距離に関わらず1乗車300円の料金。
ただし、青春18等での乗車不可。
タダ乗りを極力防ぐため、とにかく2ドア車を集中投入し、停車駅は厳選。
117系、115系3000番台、213系、キハ66・67、キハ110など、
洗面所がなくて急行用としてはイマイチでも、速い、座れるというニーズを吸収できる車両はたくさんある。
- 292 :
- そういえばキハ66/67ってどうして全国的に配備されなかったんだろうねえ。
- 293 :
- 準急「房総の休日号」に乗りたかったぞ。
- 294 :
- >>291
準急と言うと一般的にはキハ25/55だと思うのだが…
ちなみに、準急全盛期の頃は、急行が拠点都市間連絡列車で
それを補完したりローカル〜地方都市の連絡列車が準急だった。
(現在の快速列車とは意味合いがかなり違う)
ちなみに、特急は文字どおり特別な列車。東京(および大阪)と
全国の地方中核都市とを結ぶものだった。
>>292
キハ66/67をベースとした急行型も計画されたようだが、優等列車
の特急化および亜幹線区間の電化が予想以上に進んだため、
キャンセルされたらしい。
あと、キハ66/67は2両1ユニットで機器の分散をしたにもかかわらず
自重が重く、非電化線に多い丙線規格に入線ができなかったのも
全国配備されなかった理由。
(筑豊は石炭輸送の関係で当初より乙線規格で敷設されていた)
- 295 :
- >>294
キハ26だな
- 296 :
- ピクの遜色急行特集で見た準急「京葉」はキハ25だった。しかも全てキハ25で組成(キハ20が混ざらない)。
急行の持ち場の都市間輸送も、短距離は準急の受け持ちだったようだ。
- 297 :
- 急行は600kmまで同一料金だったからな・・・
- 298 :
- >>297
〜100`、101`〜200`、201`以上の三段階でなかった?
高千穂で東京〜西鹿児島乗っても浜松までと同じ。
- 299 :
- ごめん、昭和22年のことなんだ。
次は1200kmが区切りだったような。
- 300 :
- 大雑把な時代だったんですねぇw
- 301 :
- 輸送力不足の当時としては、中距離未満の客をふるいに掛けて
準急や普通列車に振り分ける手段だったとも言える
- 302 :
- >>299
長距離急行が普通にあった時代ですね
- 303 :
- 私鉄の有料特急は昔の国鉄で言えば準急に相当した。
だが車両は私鉄の有料特急が回転座席やリクライニングシートで、
当時既に冷房付きだったのに対して、対抗する国鉄の準急は良くて153系や
キハ55・58系で、当時は当然冷房もなかった。
あのデラックス準急日光でさえ当初は非冷房だった。
だから、名阪間や東京−日光・小田原間では国鉄の準急は私鉄の特急に歯が立たなかった。
- 304 :
- うちの会社の出張旅費の決まりでは、100Kmを超えたら「急行料金」がもらえるそうだ
しかし、乗るべき「急行」が壊滅状態・・・・
- 305 :
- 急行は特急に読み替えだな。
そのくらい会社で面倒みてやれよ。
- 306 :
- 快速と準急どっちが速いの? と云うか、より優等なのは?
すまん スレチだった・・・
- 307 :
- >>306
速さは一概に論じられないが
料金が発生するということから、
準急(行)のほうが優等でしょ。
- 308 :
- >>306
料金必要という点で、制度的には準急の方が格上。
しかし、料金徴収するライナーなんかも快速の仲間とみなせば、
準急との区別は曖昧になってくる。
まあ、現在の水準で国鉄の準急を論じるのが間違いなんだろうが。
そもそも、同じ準急でも157系の「日光」もあればキハ05の「らうす」もあって、
列車としての実質的な格はまちまち。
快速も、愛称付きに限定しても、「くびき野」のような実質特急同等のから、
103系の「うみかぜ」まであって、これまた一括りでは語れない。
- 309 :
- >>307 >>308
ありがとう!
でも、東武なんかは快速のほうが準急より格上って感じだよね? わからないもんだ・・・
- 310 :
- 西武も快速のほうが格上でしょう
国鉄の場合、準急全盛期には
快速は中央快速みたいの主流で
特急、快速、普通しかない時代の快速と
昔の準急を比べても意味ないかも。
- 311 :
- 今の快速は格的に急行並みのことも多いからね…
- 312 :
- >>247
ものすごい遅レスですいません。
もりおか1〜4号の全てが、所定だと上野勝田間で8−11号車を連結しますが、
多客期だと付属編成が仙台や盛岡まで顔を出してました。
1・4号についてはほぼ毎週末仙台まで連結してたと思います。
仙台発着のときわについても付属編成が仙台まで往復する場合もありました。
- 313 :
- 準急って
ラビットとかの今でいう快速みたいなものですか?
- 314 :
- 料金取るからライナーとかにあたるね
「おはようとちぎ」なんかも停車駅的に見て準急と言って差し支えなさそう
なんてネタにしてたら近々廃止されるのか
そのうち「おはようとちぎ」も懐かしスレで語られるようになるのだろうか
- 315 :
- 準急は便利で手軽に利用出来た、@¥100-乗り放題の時代があったが、北陸出張は
何時も「ゆのくに」だった。急行券ボッタクリ「立山」と余り所要時間が違わず
ハがスハ43系で同じ、ロがスロ43の台車TR23Hの違いだけ。中部循環準急「こがね」、
「しろがね」、関西本線の「かすが」、その他「但馬」、季節臨の「清津」(きよつ)上野-
新潟等は漢字表記がまるで北朝鮮の清津(チョンジンだったか)?みたいで小千谷→
新潟間乗車時に変な感じだった。
大阪駅前の廃品市で買った「準急」のサボを大切に持って居る。
- 316 :
- 昭和30年代後半の気動車ブーム?の頃は、急行より準急の方が先に気動車化された路線も多く、その点ではお得感もあったと思う。
- 317 :
- 「ひだ」が最初からDCだったが、最初ロがキロハ18の凸凹編成だった。一度名古屋から
富山まで乗ったが乗り心地はもう一つ。高岡延長(俗に「正力ダイヤ」)でも暫くキロハ18
だった。
「但馬」はキロハ25だったが、大阪から普通列車併結姫路から快速時代のオハフ30や
オロハ30時代から見たらキハ55,26、キロハ25は天国だつた。
- 318 :
- >>317
実はキロハ18は自分にとって乗ってみたかった車両の筆頭。
キハ55に挟まれて無理して準急運用についているのが健気な感じがする。
2等室部分はキハ10系の3等よりはマシな程度の普通のクロスシートだったのか、
クッションなどの作り自体が上等なものだったのか、情報の少ない車両なのでよくわからない。
壁やモケットも赤系統だったら優等車らしく見えたかもしれないが、青系統だったんだろうな。
3等との違いは座席の白カバー(あったのか?)と空いていることぐらいか。
- 319 :
- >318
キロハ18のロ室の座席は写真で見た限りサロ75やサロ85と同タイプの座席に見えました。
白黒写真だったのでモケットの色はわかりませんでしたが枕部分の白カバーはありました。
- 320 :
- >>318
俺が乗った時はシートが濃紺の所謂2等(ロ)色で白い頭部分カバー付き、天井が扇風機の場所
だけ円く凹んでいたと記憶する。
その日は高山ぐらいまで90%ぐらいの乗車率だった。
後年庄川鉄橋で撮影したが、どうも凸凹編成丸出しだった。蛇足までに「飛騨」は高岡滞留中
城端線でアルバイトをしていたが、時刻表にロの表示が無く客扱いしなかったのか、開放して
居たのか?記憶に無い。
- 321 :
- 京都−博多.都城準急はロが博多編成がW屋根(オロ31→スロ34一桁)、都城が後年
オロ35で都城の方が良かった。最初の頃は都城編成の京都より先頭がマハフ??で
ロネかシの格下げだったのを見ている。台車がTR71?
- 322 :
- 東海道全線電化以前に名古屋−大阪間に運転されていた「準急」が何時も満員
だった。オロ41が連結されていたけれど機関車もC62かC59ダブルかC59+C62
だったと----。客車は名ナゴだった。
- 323 :
- 準急比叡、準急伊吹(これは全車指定席)
準急で全車指定席なんて余りなかったのではないか
その他、朕の文のコピペです
232 名前:回想774列車 :2010/12/20(月) 18:28:24 ID:oNfRwDyy
大聖寺、動橋(いぶりばし)
サクミという超ぼろ駅を改造して、加賀温泉にしてから、大聖寺、動橋は凋落の一途
233 名前:回想774列車 :2010/12/20(月) 18:40:32 ID:oNfRwDyy
ああ懐かしい!
6:41大阪発、普通列車の青森行き
米原まではEF58、米原−田村;蒸気機関車
田村−敦賀;交流用電気機関車(赤色)(此の間のみ交流試験電化)
敦賀−;DIESEL機関車(敦賀から、非電化、単線)
敦賀−今庄間は、蒸気機関車がお尻からぐいぐい後押しした。(北陸トンネル未だなし)
朕はまだ2歳、顔中真黒にして窓から顔を出していた。
夕方、大聖寺に着いた、今は亡きボロ電車で山代温泉へ到着した。
ちなみにこの6:41大阪発、普通列車の青森行きは、翌日の13:30頃に青森着。
同じ番号の列車が1日に2編成走っていたわけだ。
ああ懐かしい、国鉄時代!
234 名前:回想774列車 :2010/12/20(月) 18:53:29 ID:oNfRwDyy
当時の北陸本線は、最速列車(最優等列車)が急行!
それも急行立山と急行日本海しかなかった!
あと準急ゆのくに、と。
いまでは全く考えられないほど、北陸本線は田舎だった。
ちなみに最速の急行が当時泊まっていて、いまは凋落しているのは、大聖寺、動橋(いぶり橋)のほか、今庄、田村、石動(いするぎ)そして泊(とまり)
- 324 :
- 痛い
- 325 :
- >>323
いい加減マルチ止めろよ
痛すぎ
と言うか馬鹿すぎ
- 326 :
- 郡山駅の3番線足元にうっすらと「まつしま」「いわて」とか書いてあったよ。まだ残ってたんだね。
急行じゃないけど他にも「あいづ」とか、福島駅には「はつかり」なんかもあったな。
- 327 :
- >>318>>319>>320
亀レス すまん。
俺も気になって調べてみた。「100年の国鉄車両」No.3にキロハ18車内の
写真が出ているが、モノクロなので色がわからん。仕切りが無いのも微妙な雰囲気だね。
319氏の言うように確かにサロ87風のシートだね。320氏の言うように色は濃紺か。
サロ87は臙脂だったけれど。キロ25格下げのキハ26-400に九州で乗ったことがあるが
臙脂だったような気もするが。記憶違いかも。
キロ25のシートは二人がけ同じ向き(ロマンスシート?)で隣の座席の境界にシーム(?)付き
で、キロハ18のロザよりは豪華だよね。まあ、準急ようだから当たり前か。
320氏の言うように間合い運用でキロハが城端線に入っていたんだ。知らなかった。
子供のころの
エンドウのキハ17系シリーズでもキロハ18があったし、なじみが深いが実物は見たこと無い。
改造車の切り妻運転台の形状は好き。
- 328 :
- キロハ18は後年四国へ渡っていたが、準急「屋島」に連結されていた。
キロハ25のシートは臙脂色、所謂特ロ色だった。準急「飛騨」の末期のキロ25も
同じだった。
- 329 :
- 「やしま」ってのは琴電にもなかったか?
まあ中小私鉄が国鉄と同じ愛称の電車を設定することは
よくあることだけど
- 330 :
- 「くろしお」は国鉄に複数あったね
ひらがなと漢字で使い分けてたか
- 331 :
- 「瀬戸」(東京-宇野 客車)と「せと」(高松-宇和島 気動車)も。
- 332 :
- >>331
前者が急行で後者は準急であるところがミソ。
- 333 :
- いなば 渋いよな
- 334 :
- >330
くろしおは和歌山側も二私鉄同時運行していた時期があったりと複雑。
- 335 :
- 急行「あさぎり」は国鉄時代には2列車存在していたな。
小田急線から御殿場に乗り入れる列車と、九州の日田彦山線で走っていた列車があった。
- 336 :
- 日田彦山線の「あさぎり」は同線の「あきよし」
なんかと同様、準急からの格上げ組だよね。
物心ついた頃は冷房付き58系3連だったけど、
直方経由の「はんだ」「日田」は55系と非冷房
58系で、普段は乗せてもらえない急行を
待ってると、バス窓のキハ55と修学旅行用の
黄色のキハ58の2連が来てガッカリした覚えが。
66系が充当されると一気に改善されたはずが、
新機構満載の車の為に初期故障頻発で、
既出のように元の55系が代車に入る機会も
結構あったとか。
事実、こっちが冷房が効いた車内の軟らかい
転換クロスシートで快速の発車を待ってると、
向かいのホームにまたあのバス窓の「はんだ」が
飛込んで来て、恨めしげな急行客の視線がw。
- 337 :
- >>329
「やしま」は高松‐松山間で屋島へ行かない「やしま」だった。
そんな列車名が多かったな‐東京‐米原‐金沢で「能登」とか、上野‐長岡-
金沢のECでも津幡で半島の根元近くをかすめるだけ
キハ66は小倉駅で停車中を撮影したが、故障はエンジン過熱の
火災だったか?DLM30HSCやHSFには問題が多かったな
- 338 :
- かつての「能登」は輪島延長運転があったような
最たるものは「なは」だが
- 339 :
- >>337
関門海峡を渡らない「関門」
大阪始発終着のの「「六甲」「いこま」
宮島の見えない「宮島」
周防しか通らない「長州」
- 340 :
- まあ島の名前の大半はそこまで行かないよな
礼文、利尻、佐渡、おき、くなしり、宮島、屋久島とか
- 341 :
- 「紀伊」に行かない寝台急行「紀伊」の奈良・王寺編成。
「大和」のころは和歌山市行き車輌を抱えていたのにね。
- 342 :
- 「大社」の運転区間短縮後。
のち「はしだて」に改称されてしまったが。
- 343 :
- 「つくばね」何で小山でスイッチバックにしないで短絡線経由にしたんだろう?
上野〜小山で利用する客ってあまり居なかったのかね?
- 344 :
- >>343
小山まであえて急行乗るってあまりいなかったと思う
- 345 :
- 他にいくらでも急行あったしな。小山いくなら他の乗るだろ、なすのとか
- 346 :
- 設定当初はその先まで行く列車と併結だったから小山までの客に関して何の問題もなかった
単独運転になった時点で小山通せばよかった感はある
- 347 :
- >>344-346
有難う。
上野から小山は、80キロあまりだから、それなりには急行利用者はあったはず。
末期以外は併結だったし、他にも急行があったので、無理に小山通す必要は
なかった訳ですね。
- 348 :
- >>339
ちょ、
東京〜下関に設定されていた急行長州
下関は周防ではなく、まさしく長門(長州)なんだが…?
- 349 :
- つくばねは勝田所属
小山でバックすると編成が逆になる
上下とも、折り返しときわの運用があったからね
- 350 :
- 当時の東京(上野、新宿)発の中距離以下の列車で途中から「逆編成」になるのは日光線くらいしかなかったからなあ。
あとはいわゆる季節運転だった新宿発八高線経由の準急「奥利根」くらいか。
長距離では佐世保行きの「さくら」が早岐から逆編成というのがあったが。
これが名古屋発になると様相が一変する。
東海道線を上下する分にはいいが、北陸線は米原、高山線は岐阜、中央線は塩尻、紀勢線は亀山、飯田線は豊橋と直通列車は途中で向きが変わるのが当たり前。
- 351 :
- 奥利根の時代なら
大網と1963年までの千葉は旧駅
- 352 :
- >>349
なるほど
これが決定打か
- 353 :
- >>350
奥利根は毎日運転の定期列車
不定期化(週末運転)してからは三国
あと長距離なら東京、上野から北陸本線方面はみんなそうだろう
今も北海道方面は逆編成だな
- 354 :
- >>337
東京-宇野間を走破するだけ、
つまり本州側だけを走るにとどまる列車だというのに急行「讃岐」という名称の列車なんかだって有ったんだから。
- 355 :
- 地球の中だけを走ってるだけでも、
「金星」だの「彗星」だのあったしな。
- 356 :
- >>355
銀河、すばる、天の川、カシオペア、新星、北斗、北斗星、明星、夕月と天体ものは多いな
でも地球から見えてるんだから良いじゃん
- 357 :
- 結論。
列車名に名乗っている地名の所にいかない列車は、沢山ある。
- 358 :
- >>339
生駒山は大阪府と奈良県の県境の山だから「いこま」は大阪始終着でも問題
ないだろう。
- 359 :
- >>358
同じ府内ならおkっていうのも変な気がするなあ
- 360 :
- >>358
生駒山の頂上は奈良県、とつまらぬアゲアシトリ( ゚∀゚)
- 361 :
- >>359
「まつしま」だって松島には行かなかったが、特に文句は出てないぞ。
- 362 :
- >>361
文句言ってるのはそもそも>>354だけだし
- 363 :
- >>358
やましろ、せっつ、なにわ、はりまには到達する。
よど(川)も越える。
いこまと六甲は沿線のどこかから見えるんじゃないかな?
- 364 :
- >>363
いこまは高槻〜大阪間で、六甲は吹田〜大阪間で、それぞれ見えるんじゃね?
そういや昔の東海道急行って、(大阪行きは)関西の地名ばかりだったんだよな
半分は首都圏の地名でもよかったと思うがな(私鉄特急みたいになるが、“むさし”とか“さがみ”とか)
- 365 :
- >>361
そういや当時の国鉄は、上野仙台間系統の急行の中から
ちゃんと現地に到達する「みやぎの」「青葉」を蹴って
「まつしま」に統合したんだよな。
- 366 :
- >>364
東京〜大阪の電車列車は
特急は田町、急行は宮原と
担当が別れていたから
急行は関西の影響が強かったんじゃないか?
- 367 :
- と言うか普通に下り側の地名付けるのがデフォだったんだろ
- 368 :
- 特急「おき」や「なは」も現地にまでは到達しないし
急行「佐渡」「利尻」「礼文」等々、島の名前を冠した列車なんかだって到達しない。
(島の名前を冠した列車名だけで、今まで一体いくつぐらいあったんだ?)
ちなみに南海電鉄に「四国」という特急列車が存在することを知ったとき、
当時は新幹線岡山開業よりも以前のことだったので、非常に違和感があったもので。
- 369 :
- 八高線に昔あったよね……
- 370 :
- いつまでこのネタ続けんの?
いや続くのは構わないんだけど、既出のネタをひけらかしのつもりで書き始めたし
- 371 :
- >>368
関西から和歌山経由で徳島に渡るルートが
理解できれば違和感ないんだけどな
- 372 :
- 南海には急行淡路もあったよ。
阪急でもない、山陽電鉄でもない。
- 373 :
- 昭和48年の夏。阪神電車で淡路島連絡特急「うずしお号」を見た。阪神の終点
である元町に近いポートタワーのある中突堤から出ていた、共同汽船との連絡
だったと思われる。
- 374 :
- >>373
鳴門行きの水中翼船ですね。
- 375 :
- >>372
深日港からフェリーが出てたからね
- 376 :
- >>375
深日港から徳島港行き徳島フェリーも出ていました。
南海汽船が和歌山港から出ていたので冷遇され、「四国号」は和歌山港連絡を指していました。
徳島市へは早くつけたのですが、南海汽船は四国側にも鉄道連絡があった強みですね。
小松島線、徳島フェリーが廃止になり、結局南海フェリーが徳島港を発着するようになりました。
- 377 :
- >>366
>>367
ただそれだと、大阪側から東京行きの急行に乗るときに
“なにわ”だとか“せっつ”なんて愛称はどうなのかな?って思わないのかしらん?
(首都圏の利用者にしたらどこへ行くか一発で判るけどw)
- 378 :
- >>377
長野から東京行きの新幹線に乗るときに
あさまって愛称はどうなのかなと思わないだろ?
- 379 :
- >>377
それ言い出すときりがない
東京や大阪中心に列車名つけてるからね
- 380 :
- 江戸・むさし・東京・銀座・うえの・すみだ川・多摩なんていう愛称は国鉄やJRで過去に使われたことがないよね。
- 381 :
- >>341
東京行のハネがどの列車も取れず仕方なく王寺で「大和」併結の和歌山市発
スハネフ30に乗車。頭に連結されたので加太のトンネルで煙たくてイガラッポクて
閉口したことがあった。殆どの乗客がゴホンゴホン。
>>380
「大和」があって「武蔵」が無かったな。
- 382 :
- >>380
つ おくたま
- 383 :
- >>380
東京夢物語号
- 384 :
- >>380
舞浜・東京ベイエリア号
http://www.youtube.com/watch?v=8qNwagaGJCo
ホリデー快速武蔵野号とか今の大宮ゆくむさしの号とか
- 385 :
- 「ムーンライト東京」は、下りに乗ろうと思うと
どこ行くのか分からない列車だったなぁ。
- 386 :
- 準急ちよだ…。
地域ネタも入れれば快速メルヘン立川、朝夕の通勤ライナー系も入れれば新宿、高尾、青梅モナーw
- 387 :
- >>385
だから下りのみムーンライト東京からムーンライト仙台になったんだろ
- 388 :
- 準急ってお金要るの?
- 389 :
- 準急伊吹
- 390 :
- ほんの一時期急行伊吹もあった
- 391 :
- 現役のJR急行って何があるっけ?
- 392 :
- >>391
きたぐに
はまなす
イクスペリア
- 393 :
- >>392
イクスピアリは臨時だったし、今はもうない。
(わくわく舞浜・東京号に改称の後、快速へ格下げ)
定期列車はきたぐに、はまなすの2本のみ。
- 394 :
- >>388
乗車券の他に準急券が必要だった。
- 395 :
- >>388
補遺すれば国鉄では
準急料金の収受はs21.10から全廃されるs43.10まで。
- 396 :
- 函館から蘭越まで急行、そこから各停、倶知安から準急って・・・
札幌までどんな切符を買えばいいんだろう?
- 397 :
- >>396
札幌までの乗車券、蘭越までの急行券、倶知安から札幌までの準急行券。
>>388>>394-395
昭和36年10月当時
列車指定及び座席指定無し
一等・・・240円
二等・・・100円
列車指定・座席指定
一等・・・440円
二等・・・200円
(南海難波発着の第2きのくにのみ)
連絡準急・座席指定料金・・・210円
- 398 :
- 準急末期は準急行料金も急行料金も同じだったね。
始発〜終着まで100キロ以下だと準急,それをこえると急行だったから
同じ愛称で準急と急行が両方あるのもあったね。
- 399 :
- あるいは「くなしり」「らうす」のように運転区間は同一なのに併結相手の関係で
急行と準急に分かれてた例もあったそうだな
ヨンサントオ前の愛称氾濫時期と相まっていびつな状態になっていた
- 400 :
- 43年10月改正の直前の時刻表みると
「第1○○」「第2○○」は由緒正しき急行
「○○○1号」「○○○2号」は準急あがりのボロ急行
とすぐわかったけどな。
- 401 :
- 釧路〜根室標津直通列車のほとんどが急行「しれとこ」併結だったこと
あれって、釧路〜標茶間のために急行料金払うことになるぼったくり急行だったのではないかと思う。
- 402 :
- >>400
電車急行だとビュフェの連結の有無でもわかった。
1等車2両にビュフェを連結してる列車は元からの急行で、
ビュフェもなく1等車も1両しかないという列車は準急上がりという感じだった。
- 403 :
- >>400
おっと、「きのくに」の悪口はそこまでだ。
・準急あがり
・「第1」「第2」(後に第4)
・一等車(グリーン車)連結(2両連結の日もあった)
・全車指定席。
「きのくに」に限らないが、準急時代に「第1」「第2」となっていた準急あがりの急行はボロですかそうですか。
- 404 :
- >>403
きちんと実績をひっさげて出世した「きのくに」と
呼称整理のために急行を名乗るようになった列車は違うだろう。
- 405 :
- たそがれショウボート
ってなかった?
- 406 :
- 急行あじがうらが走ってた頃は
茨城交通の駅や国鉄の切符や急行券が買えたんですか?
- 407 :
- >>406
茨城交通の駅で国鉄の切符が買えたかということ?
結論から言えば、連絡運輸の範囲であれば乗車券・急行券が買えた。
(もちろん、乗車券は茨城交通内の駅発になるが)
当時の連絡運輸範囲はおおむね関東圏内。
(なお、現在のひたちなか海浜鉄道の運輸連絡範囲は都区内及び松戸〜日立間のみ)
- 408 :
- 485系急行 きのくに ときわ
- 409 :
- 中央快速(東京口)が急行電車と呼ばれていたころには
それは日中は走らなかった。
- 410 :
- 比叡
- 411 :
- 急行ひめかわ(新潟−青海)
キハ58系で急行らしい急行だった。
新潟はわかるが、青海って、、、今では考えられない。
- 412 :
- 電化セメントとかあったよな >青海
- 413 :
- 県庁所在地で国の出先機関もある新潟市へのビジネス・所用向けな設定、と考えればわかりやすい。
何しろ信越線経由でも新潟−糸魚川170km越えだろう。
気動車準急が普及した時代には、それなりに速達需要があったであろうルートだ。
糸魚川の一つ西の青海からなら、セメント関係者までカバーでき、
糸魚川と上越と柏崎のビジネス客を拾える。
まあ今なら北陸道経由でミニバン飛ばして2時間で走っちゃう距離だけど。
- 414 :
- 柏崎ってぇ〜と、ブルボンとコロナですかいな?
それと・・・東京電力?
- 415 :
- 湯檜曽って昔は急行停車駅だったらしいが、今は急行券どころか乗車券も買えないのが寂しいな。
- 416 :
- >>415
そんな駅くさるほどある。
- 417 :
- >>415
一度は急行が停まっただけいいじゃないか。
一度も急行が停まらず、線自体が
廃止されてしまった駅もある。
まるで416の人生みたいだけど。
- 418 :
- 根北線みたいに準急すら走ったことなく廃止された線は気の毒だ
- 419 :
- >>382
「おくたま」は、東京都心から山の中の終着駅である奥多摩駅へ
・家族で楽しくハイキング
・夫婦でのんびり散策
・若い男女が大自然の中で青姦
に行くための電車だよw
話は違うけど、ガキの頃「かいじ」号が「甲斐路」号である事が分からなかった
今の特急かいじ号には、ドア脇に武田菱の紋が入っていてカッコいいね
- 420 :
- http://www.naganoblog.jp/usr/fastical/e257-7-door.JPG
- 421 :
- >>419
快速や普通の特快のつもりで中央快速線内だけを利用すると、
なんとなく「普段着の自分」が浮いてる気がする不思議な列車ですなw
中央線と言えば末期の183系アルプスはHMが「急行」だけで味気なかったな。
特急型使用の急行なんてそんなもん、だったはずが、
いまや急行能登がムーンライトえちごまでもが絵入りHM付きだもんな。
妙高も末期は189系だったよな?あれもHMは「急行」だけだったかな、よく覚えてない。
銀河とか客車急行はJR化後あたりには絵入りテールマーク付きだったよね。
特急型で運転されてて専用絵入りHM付きだった定期急行って他に何かあったっけか。
- 422 :
- >>421
妙高は絵入りではなく文字で急行妙高ってなってた
http://rail-photo.o.oo7.jp/jre_tc183-101_myoko_1990.jpg
- 423 :
- >>422
サンクス、文字HMだったんだ、全然記憶にないw
これはこれで珍しいね。
- 424 :
- 連投スマン
気になって画像検索してみたら、アルプスも妙高と同じく急行アルプスの文字HMだった。
あれ、記憶違いだったかな…イタリア国旗みたいな色の頃も、長野色の頃も「急行」だけだったような気がしたんだが…。
- 425 :
- >>421
もうすぐこの板の仲間入りをする、583系「きたぐに」が絵幕だね。
- 426 :
- >>421
「きたぐに」陥落で、とうとう最後の急行になる「はまなす」も特急車両で絵幕。ついでに機関車にもヘッドマークあり。
- 427 :
- 上野発(小山経由)高崎行の「急行わたらせ」と
上野発(高崎経由)小山行の「急行あかぎ」が走っていた時代は
両毛線は上りも下りも上野行の列車が存在していた。
両毛線内は快速(末期は普通)であったが準急時代の「わたらせ」は
桐生〜(小山経由)〜上野間を全区間準急運転をしており両毛線唯一
の優等列車であった(前橋、新前橋間の急行あかぎは除く)。
その後急行に格上げされるも1年位で両毛線内は快速になってしまった。
- 428 :
- >>421
きたぐにの臨時版、急行越後や急行シャレー軽井沢にもイラストマークが用意されていましたね。
- 429 :
- >>427
紀勢本線(新宮以西)にも、上下両方に、名古屋行き急行があった。
他にも、上り下り両方に同じ行き先の列車が走ってた路線はあるだろうね。
- 430 :
- >>429
そりゃまあ昔は循環急行とかもあったからね
- 431 :
- >>427
しかし、真ん中へんの桐生、足利、佐野からは、
館林経由で東武急行に乗る方が早かったという
- 432 :
- >>427
両毛線内快速化後も暫く両毛線内の定期券での利用が出来なかったんだよね
- 433 :
- 大宮を通過する急行あかぎもあったよね。
- 434 :
- >>433
朝の上りで、赤羽に停まるやつね。
- 435 :
- 自分がまだ小学生だった頃の東北本線は、長編成の急行が普通に走っていた。
特にグリーン車は、クローバー印と緑色の帯、普通車とは違う窓の配列が
とてもかっこ良かった。
冬になると雪だらけの長距離列車が上野を目指して走っていく。
色々な電車が色々な行き先を目指して走っており一日中見ても飽きなかったな〜
時刻表を見ると列車により微妙に停車駅が異なっていたりしてとても面白かった…
でも東北新幹線が開業し現在は周知の通り。
- 436 :
- >>435
お前の年齢なんて誰も知らんのよ
「自分がまだ小学生だった頃の東北本線」ってのが何時頃を指すのか分からんではないか
- 437 :
- 言いたいことは分からんでもないが、小学生だった頃、の方がノスタルジックでいいんでね?
情報価値がないからチラシの裏に書いとけ、とまでは言わんだろ
中学高校と眺めた記述がないから昭和50年代前半が小学生時代、
グリーン帯が総じて消えた最末期には鉄道趣味を離れていたと推測できるかと
- 438 :
- >>437
あのさあ
小説や詩じゃないんだよ
- 439 :
- 単発IDならノスタルジックレスでも構わんと思うけどな。
一人でノスタルジックに浸って何度もレスだと飽きるけど。
了見を広くもとうぜ。
- 440 :
- >>438
アスペ
- 441 :
- >>435
よくわかります。
特にこの季節はどれだけ雪で遅延しているのかと想像したりさ。
- 442 :
- >>440
お前がな
- 443 :
- >>442
日常的に走っていた情景の回想で特に情報価値がないから時期を書く必要が全くない
なのに時期を記せと固執するのはただのアスペ
そもそも知識があればおおよそ1970年代の10年間と推測可能でしょ
細かい知識があればさらに詳細な絞り込みも可能
53.10以降順次消されて行った帯がだいたいある時期に見てる
窓配置に言及しながらサハシ無視してるんだから脱車後
結局、書いてなくても53.10前後の数年間と絞り込めるわけ
チラ裏の思い出話に興味はねえよって立場は理解できる
趣味研究的に厳密な立場ならそう思うことはあるだろう
たださあ、その立場なら、時期を特定するだけの知識は持ってなきゃいけないわけ
自分の無知を露呈しながら、他人の思い出話に食って掛かるんじゃ、
ただの迷惑なアスペとしか言いようがないでしょ
早く精神科に行ってらっしゃい
- 444 :
- トルコ風呂でオスペ
- 445 :
- >>443
正当化するのに必死だな
- 446 :
- >>444
爺さん
してもらってたのか?
- 447 :
- 「語る」スレだしなぁ、「いつの時期でしたか?」とか
質問されて思いで語りだと見当違いな気もするが、
別に良いじゃん。
頭が固いぞ m9(`・ω・´)
- 448 :
- >>447
何時の時期ってのは大切な要素だぜ
人に理解されるように書くのは当然のことだよ
ひとりよがりな文章ほど迷惑なことはない
- 449 :
- 俺が小学生の頃は上野に気動車急行が乗り入れてたなぁ
今の感覚であの時代に戻れたら一日いても飽きないだろうな
- 450 :
- うずしおの自由席で「徳島までの急行券」と言って車内券買ってた老人いてた。車掌も特急券と言い直すことなく発行してた。老人の感覚では特急=急行なんだろうか?
- 451 :
- 特別「急行券」だから間違いとも言いきれない罠。
- 452 :
- 老人の感覚では「うずしお=急行」なんだろうけど、車掌の立場として「特急料金ですが、
よろしいですか?」という確認をしなくてよかったんだろうか。
- 453 :
- 急行「みまさか」
- 454 :
- >>449
同世代ですね
東北筋ではおが1号、いいで、出羽が三羽烏と言われていた
いいでは磐越西線経由新潟行き、出羽は陸羽西線経由酒田行きと今では考えられないような経路でしたね
- 455 :
- >>446
をいをい、爺さんはねぇべ。
逗子、保土ヶ谷と住んでいましたので堀之内がホームグランドです。
- 456 :
- >>455
爺さんがダメなら、
ジサマだな。
トルコ風呂でオスペは
最近見なくなった光景だろ。
- 457 :
- 上野口の中距離急行の看板列車といえば
常磐線→ときわ、東北本線→なすの、だと思うが
高崎線→あかぎ?それとも、ゆけむり?
水戸、平、宇都宮、黒磯は各線の主要駅だが
前橋、新前橋って微妙な存在だよね…
- 458 :
- たまたま前橋が1駅ズレていたから「ゆけむり」と「あかぎ」にわかれていただけで
両者まとめてってことでいいだろう。平と黒磯は鉄道的には主要だけど町自体をみると
たいしたこともない。特に平は地図だけみると30万都市の玄関にみえるが
実は「いわき市」ってのは複数拠点合併地方都市の典型例なんだよね。
- 459 :
- 「草津」も忘れないで下さいね。。。
高崎線は東北本線と違い上越・信越・吾妻・両毛と行き先が多いので焦点ボケしてしまってるんでしょうかね。
個人的には「ゆけむり」かと思いますが。
>>458
前橋は利根川がネックで今の前橋駅を通せなかったらしいですね。
結果、高崎が宇都宮・水戸以上と言える位の主要駅になってしまいましたが。
旧平市自体の人口は10万あるかないか程度ですが、前橋にすらない駅ビルがあったり
その駅ビルの開業が水戸や高崎より前とかなり優遇(?)されてましたね。
- 460 :
- >>459
利根川がどうこうってのは後になって言われた話だと思うよ
前橋駅通してたら大迂回になるから最初から考慮してないと思うぞ
- 461 :
- JR各社は急行列車を復活させろ。
周遊券で無条件に急行乗れる特例を出せよ
- 462 :
- 急行という言葉の響きからは、何故かキハ58系のDCと寝台車と座席車と荷物車を
連結した旧型客車の夜行列車を連想してしまいます。
ex.『みまさか+但馬』、『越後+ゆのくに』、『雲仙2号』、『きたぐに』・・・。
- 463 :
- >>461
急行列車の衰退は、高速バスの普及も一因だな。
- 464 :
- 昔に比べて特急停車駅がかなり増加したから、今の特急と昔の急行
はほとんど同レベル。
以前から他スレでも書込みがあるけど、急行全廃による実質急行料金
の値上げ。
高崎線系統の特急なんて昔の急行より停車駅が多いし…
「ひたち」「あずさ」(スーパ−系は除く)なんてモロ「急行ときわ」
「急行アルプス」だし…
- 465 :
-
この写真は何?http://pub.ne.jp/WarkingRyu/?entry_id=3834854
http://www.japan-hobby-tool.com/column_camera/mazken016/
- 466 :
- >>464
料金設定の妥当性などを別にすれば、
新宿〜松本間
●現行あずさ3時間以内(定期)
●全廃ずみアルプス3時間40分以上(塩嶺ルート最速を含む)
同格と安易に断じるのはどうかと思う
ちなみに「あずさ」はJR化直前の61-11改正の183系時代に、すでに現行に準ずる速さになっていたことも申し添えておく
- 467 :
- 北陸本線の場合国鉄時代は雷鳥白鳥しらさぎゆのくに
立山快速電車客車鈍行と実にバリエーションがあった
今はサンダーバードしらさぎ521系普通電車の何れか
サンダーバードしらさぎはモバイル用のコンセントが
あるがこれを除くとやはり今の時代車の方が快適だな
- 468 :
- >>466
MT54モーター+CS15制御器+DT32台車、の組み合わせは、線路条件さえ良ければ手堅くいい走りをするからなあ
実用上のポテンシャルがかなり高い
無論、MT比とギア比は重要だが
- 469 :
- >>468
往年の「六・八・九トリオ」みたいなものだね。(^◇^)
- 470 :
- >>469
どれがしぶとく残るんだ?
- 471 :
- >>466
急行が特急に遠慮して、わざと遅く走っていたこともあることをお忘れなく。
高山線に80系DC特急「ひだ」を新設した時、走行性能は58系DCの方が上だか
ら、特急は停車駅削減と急行のスピードダウンで何とか面目を保っていたら
しい。
中央東線でも165系の方が181系より速く走れそうだから、同じような操作が
行なわれたかもしれない。
- 472 :
- >>471
165系と181系はモーター一緒だしギア比一緒だし、165系の「ほうが」速く走れたってことは
ないんじゃないかなあ。どうだろう。
- 473 :
- >>471
らしいとかかもしれないとかお前いい加減すぎるだろ
- 474 :
- >>472
181系と165系はモーターは同じだがギア比は181系3.5、165系4.21で、中央東線
のような勾配路線では165系の方が有利じゃないかな。
話は違うが、昔の韋駄天急行と言えば仙台青森間「くりこま」の全車指定席便だろう。
455・457系で特急並の所要時間で走っていた。
停車駅は特急よりかなり多いため、駅間でかなりとばしていたと思われる。
この列車だけは特例で110キロ以上出していたのかもしれない。
誰か乗ったことのある人、いかがでしょうか。
- 475 :
- >>474
参考まで
仙台発7:00くりこま1号1511M→青森着11:49(4時間49分、16駅停車)
同区間の「はつかり」は約4時間30分〜4時間35分。(はつかり11号を除き8駅停車)
夜行も含めれば
仙台発5:38十和田5号205レ→青森着11:41(6時間3分、八戸で15分停車、退避なし、17駅停車))
因みに上りのゆうづる4号5008レの場合
青森発18:54→仙台着0:05(5時間11分、8駅停車)
1979年8月号時刻表より
- 476 :
- >>475
詳細なデータをありがとう。
最速はつかりと比べると所要時間は19分増、停車駅は8駅増ですね。
一駅停車による所要時間で駅間の走りを推定できますが、2分とするとくりこまは
はつかり並の速度で走っていたことになります。
でも、急行の駅停車時間は30秒が普通なので、加減速ロスを加味しても2分も
かからないような気がします。
結局、全車指定席のくりこまが特別速いのではなく、全車指定席便以外が遅い
だけなのかもしれません。
- 477 :
- >>474
乗ってはいないが、上り「たざわ2号」で通過待ちくらったことはある。
- 478 :
- で、急行と準急の違いって、何だったの?
急行は長距離運行に対応した車両を使うけど、
準急は適当な車両使うよ、って事だったの?
- 479 :
- 夜行の急行佐渡って、どのくらい混雑していたのですか?
- 480 :
- 準急は103系やキハ30での運行実績があるというのは本当ですか?
- 481 :
- くりこま1、6号は夜行と昼行の特急がぽっかり空く時間帯に設定されていましたね。
連絡船接続も特急待遇でしたし
- 482 :
- >>480
キハ30は急行もあるよ
- 483 :
- >>481
そりゃまぁ、そのままスジを伸ばしたら東京近郊は非実用的な時間になっちゃいますから
- 484 :
- そう言えば下りの「いわて1号」も上野→仙台間が季節列車扱いで仙台以北が定期運転という時期があった。
仙台が今ほど発展してはいなかったけど、この区間のローカル需要は短距離も含めてそれなりにあったんだろうか。
- 485 :
- >>484
仙台⇔東北各都市間の需要は昔から多い。
- 486 :
- 岩手県と山形県を結んだ・経由した列車って一回も無かったかな?
- 487 :
- 国鉄提供のこんな番組あったんだね。
急行佐渡1号、満席だったのかな。。
http://www.youtube.com/watch?v=Jdz5SSbX1i0&feature=related
- 488 :
- 急行マゾ
- 489 :
- >>471
急行と特急の所要時間の差って、車両の性能や停車駅数の差よりダイヤ上の優先度の差
が大きかった気がする。こと単線区間では行き違いでどっちが待つかが影響大きい。
それにしても「新幹線」が列車交換のため運転停車する時代が来るとは。
- 490 :
- そりゃ特急どうしなら優先順位もないしな。昔、白鳥が能生に運転停車したようなもんだ。
- 491 :
- >>489
>それにしても「新幹線」が列車交換のため運転停車する時代が来るとは。
田沢湖線かな?
確かに、単線の新幹線なんて昔は想像すらしなかった。
- 492 :
- >>491
山形新幹線でもあるよ。
羽前中山だったか中川だったか、どっちかで止まる列車あるはず。
- 493 :
- 愛称のない準急もあったんだよね
- 494 :
- 中央線の101系だっけ?
- 495 :
- >>492
36-10改正までは無名の準急とか結構あったような。
愛称名自体は指定席のマルス入力時に必要ということでマルス普及後には座席指定のある列車は普通でも導入されたはず。
- 496 :
- アンカーミスったorzもう寝よう
- 497 :
- 昭和40年代半ばのRPに愛称なしの急行の記事があったような。
東京から米原行、車両は113系で、ありゃスカ塗りだったかな?
- 498 :
- 遜色急行?東海より安かったのかな。
- 499 :
- >>461
おそらくはまなすも新幹線新函館延長を待たず廃止になるのは目に見えてるから、
北海道新幹線が開業した時点で急行という列車種別は料金不要列車の種別に
格下げされる可能性もあると思う。
まぁ急行自体が国鉄時代の遺物で、今の30歳以下の若い世代にはJRに急行があることを
知らない人も多いしな。
- 500 :
- 俺、36だけど小学生の時は急行と快速の違いがよくわからなかった。165系の快速もあったし。いまだによくわからない。
- 501 :
- 普通列車と名乗りながら、
長距離夜行とかで夜間は駅を飛ばす列車がたまにあって、
快速ではないのかと疑問だったもんだ。
- 502 :
- >>501
大垣夜行の静岡ー浜松間ノンストップは代表だろうな
- 503 :
- >>501
国鉄・JRの列車種別ってのは
特別料金がいる列車 急行
特別料金がいらない列車 普通
と言う区分けになってる
で、急行も特別急行と普通急行に別れる
で、普通列車の中で各駅停車だったり、快速だったり、特別快速だったり、新快速だったりがある
- 504 :
- >>503
なるほど。
子ども心に新快速って何だろう。
車両が特急っぽいし、特別料金必要なんだろうかとか思ってたけなぁ。
そういや総武快速にも特別快速ってあったな。
普通の快速よりも更に停車駅が少なかったわ。
- 505 :
- >>504
総武沿線民だけど、総武快速の津田沼行きや千葉行きが快速名乗っているのが納得いかなかったな。
列車線の全駅に止まる普通列車じゃねえかと。
東海道線や東北線を見て思ったね。
今や成田空港行きなんか通過するホームは東千葉だけだもんな。
- 506 :
- 料金がいる優等列車としての急行は北海道新幹線新函館開業以降は確実になくなるから、
その時にJRも私鉄同様に急行という種別は優等列車から一般列車の種別に変更されると思う。
かつて有料の急行を走らせてた東武も今では一般列車の種別になってるし。
- 507 :
- だんだんと急行と快速の垣根がなくなったきたよね。あ、急行と特急の垣根もなくなってきた。新特急なんてのもできたし。
- 508 :
- >>507
急行→快速あるいは急行→普通というのが大きい理由大阪→急行立山→富山→快速→糸魚川→快速→富山→
急行立山→大阪というパターンは70年代から存在したしかも富山で先に快速電車が先発し金沢まで立山より先着していたから快速>急行と言う不等式が成立したちなみにその快速電車は金沢まで特急よりも先着した
- 509 :
- >>508
句読点も改行も無しってのはさすがに勘弁して下さい
- 510 :
- いちいちの突っ込みも勘弁。
- 511 :
- >>510
突っ込みっていうか要望な
言わないと改善されないじゃん
- 512 :
- おまえは読みにくいかもしらんが、
スレ見てる世界中の人が全員そうじゃない。
- 513 :
- >>512
スレ見てる世界中の人が全員そうじゃないと許容されるのか?
おかしくね?
- 514 :
- 逆に訊くが、あんたは自分が読みにくいだけでレスしたんだろ?
あんたが言う改善とやらを強要するレスは要らないんだよ。
現実の人間どうしなら直接言えば回りに影響はない
ここは誰でもが見にきたり見られる場所なんだよ。
あんたが読みにくいと思うように、俺もいちいちのその指摘がいやなんだよ。
あんたが書き込まなかったら俺も書き込んでないし、
あんたが粘着しなかったら俺も粘着してない。
- 515 :
- というわけで俺はもう退くことにした
あんたの気に障った点だけはおわびする。すまんな
- 516 :
- 一般論として、句読点とか改行とかがない文章が読みづらいってのは間違ってないと思うぞ。
- 517 :
- 確かに読みづらい。
改行と句読点はお忘れなく。
- 518 :
- >>516>>517
同意
- 519 :
- >>518
常連コテハンが「同意」の2字発言のためだけにスレ違いのレスを引き伸ばすのは万死に値する愚挙だぞ
…で、話を元に戻して、特別急行があって(普通)急行がないとしたら、(少なくとも俺は)なんか違和感を感じてしまう
まあ、中央快速も京阪神快速も省電〜国電初期は急行(料金不要)だったし、阪和線に至っては料金不要の特急まであったわけだが…
- 520 :
- いやあ照れますね(笑)
そういえば新幹線開通当初の時刻表って【こだま号】が特急【ひかり号】が超特急ってなってなかったか?
超特急って名称が正式に出来たりしてね。
- 521 :
- そうでしたね。ひかりの欄に 超特急 と書かれなくなったのはいつ頃からなのでしょうか?
- 522 :
- >>521
古いことは坂井のジサマが知っとるだ。
- 523 :
- いやだなぁ、ぼかぁ大学生だぜ。図書館や古本屋で見たに決まってんじゃん。
- 524 :
- >>506
定期列車では急行は用無しだが、団体を含めて臨時列車では残ると思うが。
- 525 :
- ぶらり鎌倉号がしぶとく残りそう。
- 526 :
- >>523
大学生に上の年齢制限はない。
昭和末期にグアムで提灯買ったんだろ。
- 527 :
- 大学も今や主婦のカルチャーセンターと化しているorz
- 528 :
- JR東日本が行った男性客に対する乗車拒否作戦
JR東日本の本社職員・支社職員・駅員が行った
寝台特急あけぼののレディースゴロンとシートに乗車者する男性客への乗車拒否バリケードです。
男性を侮辱した人権侵害の一連の模様をご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=RJDXzoXs490&feature=channel&list=UL
http://www.youtube.com/watch?v=taqjOajeu5E&feature=channel&list=UL
- 529 :
- >>521
博多開業時だろ。
東京〜名古屋の「ひかり」「こだま」の料金差がなくなった。
- 530 :
- 急行だと「くりこま」の速さばかり有名だが、新幹線開業前の153系東海道急行も侮れない。表定速度75キロくらい
- 531 :
- 東海、比叡etc.の準急との棲み分けを図り、且つ特急群の邪魔をしない(勿論待避はするが)という使命があると、過密ダイヤの中でそれくらいの速度が当然必要だったと思う。
- 532 :
- くりこまなんか80キロあったんでしょ?
むしろ当時の東北特急と差別化されてないw
- 533 :
- >>532
特急は上野発着で、そのあいた時間を埋めてた
下りの一番列車と上りの最終列車は速かったね。
札幌ー旭川ノンストップのさちかぜも速かった。
- 534 :
- >>531
くりこまは東海道急行と違い「朝仙台を出て夕方に札幌に着く」ことを目的として設定さ
れた列車だから、単純に比較できないよ。
当時の東北線特急は上野発着ばかりであり、仙台を早朝に発車する青森方面行き特急は
存在せず、さらに485系に余裕がなかったため、455系韋駄天急行が誕生した。
- 535 :
- >>534
あおばのこともたまには思い出してあげて
- 536 :
- あおばは青森の方に行かないと思うが?
- 537 :
- >>536
東北線を走る特急ではあるだろ
- 538 :
- >>532
北斗星も誕生当時は仙台から北で表定速度が80キロあったよ
EF81としては極限状態だろうね
- 539 :
- >>534
ゴーマルサンあたりで山陽特急の廃止で浮いた485系もしくは583系を使用して
速達くりこまを特急に格上げしても良かったのではと思う。
実際あの改正で583系の一部が南福岡から青森に転属してるし。
- 540 :
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- 541 :
- むしろ浮いた455の処遇に困ったからじゃないかな? くりこまの格上げ
架線下DC急行はいっぱいあったけど、支線直通を併結したり前後に支線直通運用があったりして
新幹線開業まで東北地方の急行の運用は変えたくなかったのじゃないか
- 542 :
- くりこま1・6号が特急格上げで
485系12両や583系13両が埋められる程の利用客が見込めたかってのもあるかと。
- 543 :
- >>542
当時はまだ急行の需要もあったしね
上野からの夜行急行で仙台以北の急行需要満たすのは難しいし
- 544 :
- それと新幹線連絡でもないのに上野まで行かない特急というのは、当時の風潮ではまだ抵抗があったと思う。
初代「あおば」がコケたのは他にもいろいろと理由があったが、このあたりのことも影響していたはず。
- 545 :
- >>544
あおばはコケてないだろ
- 546 :
- 「くりこま」が話題になってるけど、
乗車経験のある人はいる?
俺は「たざわ2号」に乗って、「くりこま」に抜かれた経験はある。
どうせなら、抜かれるなら前の座席に座ってる
綺麗なお姉さんがよかった。
- 547 :
- 僕は発毛前のJSがいいな
- 548 :
- 誰か >>545 に初代あおばのルートを教えてやってくれ
- 549 :
- 1980年代の大半 仙台に住んでいたのだが
残念ながら急行時代の455系「くりこま」乗車経験は
1982年春 盛岡始発仙台行の「くりこま2号」のみだった....
そういえば 少し遡って1970年夏、10月改正用早期落成車を利用して
583系臨時特急「とうほく」が仙台青森間に運転されていますね
- 550 :
- >>548
北上線だろ?
だから何?
- 551 :
- くりこま1、6号は仙台〜札幌の日着連絡を担う列車で全席指定だった時期もあったが、ボックス座席で食堂車もなくスピードも同区間の特急より20分ばかり余計にかかっていて、やっぱり急行だなと思った
- 552 :
- >>551
くりこま1、6号といあたりは
まだ青いな。
- 553 :
- 客車はつかりより早かったりする、くりこま。
- 554 :
- 昭和56年3月平日の上り全車指定の急行くりこまに乗ったが満員だった。
スピード自体は乗ってしまえば分らない。
- 555 :
- >>552
といあたりは
- 556 :
- 東北の韋駄天急行といえば臨時ではあるけど「エコーもりおか」も忘れちゃならない名列車だと思う。
上りは当時のやまびこ1号と所要時間では互角の勝負を演じていた。
- 557 :
- エコーとやまびこ
どうちがうの?
- 558 :
- 車両
- 559 :
- こだまとやまびこ
どうちがうの?
- 560 :
- 「のぞみ」と「きぼう」、どう違うの?
- 561 :2012/10/27
- >>559
ビルにはねかえった音も「こだま」だけど
山にはねかえった音に限り「やまびこ」
なにかをのぞむとき
「きぼう」といえばかなうことが希なるものを望ことに限る
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