2012年09月邦楽139: amazarashiの歌詞 考察スレ (210) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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amazarashiの歌詞 考察スレ


1 :2012/07/02 〜 最終レス :2012/11/01
みんな頼んだw

2 :
アマザラシはかまってちゃんの影に隠れてるけど相当ゴミだぞ
かまってちゃんより痛いかもしれない

3 :
いいのはボーカルのみ
それ以外の音歌詞演奏は何番煎じだよって話
あと信者の痛さがもうね

4 :
雨にも負けて、風にも負けて
それでも人生ってやつには負けるわけにはいかない
ってなんか厨二心を揺すぶられる

5 :
削除依頼

6 :
128 : 名無しさん@お腹いっぱい。 : 2012/03/06(火) 12:28:43.78 ID:M2HgO1PY0 [1/2回発言]
デスゲームの歌詞カードの隣にある詩の意味がよくわからん
犯人はおそらく自分だっていうことなんだろうが、
難解すぎる

129 : 名無しさん@お腹いっぱい。 : 2012/03/06(火) 12:49:24.99 ID:tlmycmhx0 [1/1回発言]
周りが敵だらけだと思って神経削って生きて来たが、結局人生とは自分自身を生かすかRかのゲームなんだ

7 :
今度の新曲のモチーフ、2ちゃんねるのメンRレじゃねーかな。
靴紐が縛れないことが、コミュ障につながって、一気に死にたくなる
という妄想の展開ぶりがさ。
さすがに、最後の方で希望の光を差し出してるけど。

8 :
すみません。「無題」の最後の歌詞
 信じてたこと正しかった 
ってありますがイマイチ彼女の気持ちを読み取ることができません。
皆さんはどういった解釈で彼女の気持ちを汲み取ってますか???

9 :
考察するほどのもんでもないし本スレでやれよ

10 :
偶然あなたの絵を町で見かけました。
あなたとお別れしてから、ずいぶん時が流れましたが、
あなたはずっと描き続けていたのですね。
今はお互い別のレールの上ですが、今でも絵を描いて
いる時のあなたの姿は、胸の中で輝いています。
「信じてたこと正しかった」
クサ過ぎてごめんなさいwww




11 :
「信じてた事正しかった」
信じてた事正しかった?信じてた事正しかった!信じてた事正しかった…それぞれの解釈でいいって意味だと思ってた

12 :
こんなスレを待ってたんです!
本スレではちょっとリュックだの中高生だのとバカばっかで
居場所なかったんで引っ越してきました。
ラブソングの長ったらしい自己満解釈を書いてたイタい奴です。
無題なんですが、1番の「信じてたこと」と、3番の「信じてたこと」の意味には逆転があると思うんです。
彼女の発言の意図としては一緒なんですけどね。
1番の「信じてたこと」は初見だと、「いつか売れると信じていた」
という意味に聞こえます。彼もきっとそう捉えたんでしょう。
でも彼女が本当に信じていたことは、「認められなくても、(成功するまで)ずっと描きつづける」ことだったのだと思います。
この歌だけからするとこうなりますが、この歌詞に込められた意味はこれだけではありません。
そうしている人がほとんどだと思いますが、この歌は「絵」を「歌」に置き換えて聴くと、
秋田さん自身の「体験」ととることができます。
もちろんamazarashiは爆発的に売れたことはありませんから、フィクションなんですが、
同じ「作品を生み出す者」としてその信念や苦しみを反映していることは言うまでもありません。
amazarashiファンなら一度は思ったことがあるはずです。
なんでアイドルばかりが売れて、amazarashiが売れないのかと。
つまりそれが答えです。
聴き手や、社会の好みに迎合するのではなく、アーティストとして、自分の創りたいものを創る。
実際秋田さんはインタビューで「聞き手はあまり意識していない。自分がきいて励まされる曲を作っているのだ」と言っています。
彼女が彼を好きになった理由、それから「信じてたこと」というのもこれで、
彼の、とにかく絵が好きだから描くんだという姿勢だったんだと思います。
それで、人々に無能だと嘲られ、題すらつけたくなくなってもそれでも
えを描き続ける彼に対して、「信じてたこと正しかった」といったんでしょう。
あと、最後の1回は僕は彼自身が自分に言い聞かせる言葉だと思って聴いています。

13 :
絵描きの「彼」が一カ所だけ、結局空っぽな「僕」の事になっている所が
秋田さん自身をダブらせている一番のポイントでしょうか。
ちなみに僕を支えてくれた彼女というモチーフは、何曲も出ているので女に
食べさせてもらっていた時代というのがあるのだろうかと想像してしまいますw
自治厨では無いけれど、このスレは面白そうなので、俺解釈vs俺解釈で
荒らすことなく、「ああ、そういう見方もあるんだね」程度の寛容な心持ちで
行きませんか>all

14 :
良いスレだと思うけど、言葉面や作詞技法で解釈するような歌詞じゃないと思うんだ
類語辞典ひいて言葉を変えてるってことは印象つける歌詞を書くためだけだと思ってる
あとは根本のメッセージを自分のセンスで汲み取れば良いし、だから他人のセンスなんて知ったこっちゃないんだな、これが
でも長文さん、細かいところに気づいててすごいねリフレインの意味は考えたことなかったわ

15 :
本スレで誰かが言ってたけどラブソングの「雨=悲しみや苦しみ、傘=それらから身を守る物(愛)」って解釈はなるほど、と思った
バンド名の由来が「日常に降りかかる悲しみや苦しみを雨に例え、僕らは雨曝しだが「それでも」というところ」らしいからあってるかもね

16 :
住民ほとんど居ないようだから、書き込みますが。
ハルルソラの歌詞カード、中間貯蔵施設という見慣れない文字。
ググって見れば核燃料の貯蔵施設を建設中なんですね。
あえて、キーワードを書き込むと言うことは、当然ハルルソラの
主題は貯蔵施設の工事現場のある、むつ市の風景という事で
さわやかな曲調とはうってかわってヘビーな曲になります。
ニュース画像の風景を見ると、ハルルソラの前の曲、カラスも
この風景から作られたのではと想像します。
歌詞の話にもどすなら、一番解釈に厄介な部分が
「描き直すには大きすぎる」という部分かと思うのですが、
素直に読めば、人間はぐだぐだ悩んでいるけど青空を
見上げてごらん、その広さの前ではちっぽけな悩みだろ。
と読めるし、裏側から読むと、原発問題はありとあらゆるもの
が複雑に絡んでいて、どうしたら良いんだろう・・・。とも、
オイラには読めるのですがいかがでしょうか。

17 :
描き直す〜のとこは、原発問題が起こってしまって簡単には元に戻せない現実を表してると思うのですが。

18 :
>>17
素晴らしいですね。
気付かなかった。
幸せそうな日常
それに対して「変わらないものがかわらなければいい」、「この町の嘘」。
「でかい建物」、「生活のためには…それは安すぎる」
聴けば聴くほどそう思える。
古いSF映画の時は無理やり原発とつなげようとするのが
大嫌いだったけど、この曲は確かにそうだと思います。

19 :
>>16
です。間違えました。
>>17も正しいとは思いますが。

連投失礼。

20 :
>>17 古いSF映画の直球ぶりを考えると、激しい想いをたたきつける方が
しっくりくるような気がしてきました。
>>18 自然災害で傷ついた人達への祈りとか励ましなどは、多くのアーティスト
がやっていますので、amazarashiに対してはその後の原発事故に端を発した、
人心の荒廃というか不信感の蔓延についての歌を期待していました。
で、古いSF映画です。よくぞメジャーレーベルであそこまで言ったものだと、
私は拍手ものですね。ハルルソラの方が洗練されているけど、不器用な熱い想い
は好きです。
ネタバレになるので詳しくは書きませんが、ライブでの映像はさわやかな青空とい
うよりは、重苦しい現実という感じです。
(オマケゲームの背景も意図が感じられるのですが、ちょっとベタすぎる感じで・・・)

21 :
自分の想像力が皆無だから、こういう考察は凄くありがたい
ハルルソラ明るい曲だけど実は一番重いのかも

22 :
ラブソングのストレルカとベルカってどういう意味?
シグナルとシグナレスには愛に関係する台詞があるらしいけど
考えたんだけど両方の名前似てるんだよな、対比の関係になってるとか?
何か関係あるかな

23 :
>>22
ストレルカとベルカはソ連の実験用の犬で、宇宙に行ったらしいよ。自分も知らなかったんだけどWikipediaに載ってた(^^)

24 :
「シグナルとシグナレス」という宮沢賢治の童話では二人はカップル。
ストレルカとベルカは旧ソ連の宇宙飛行犬という事で、ちょっとベルカ
の性別がハッキリしないけれど恐らく雄で、ストレルカは雌犬なので
ここはひねらずに、カップルという事で良いのでは無いでしょうか。
色々ググると某エロゲーでは、犬の夫婦にこの名前が付けられて
いますね。飼い主も宇宙飛行犬の名前だし。制作者の好みなのでしょう。
余り余計なことを書くと・・おや、誰か来たようだ。

25 :
語れることなんてそうはないかもしれないけど、
いざ考え始めたらどの歌から手を付けていいかわからなくなるな。
どれも魅力的ってゆうことやね。
だから誰かお題を。なければとりあえず千年幸福論の1曲目からか?

26 :
それでは、デスゲームから。
考えたのはこのアルバムがどのくらい震災の影響を受けているか?
(古いSF映画などは、かなり影響を受けているように思います。)
(まずは詩集から考えてみると、)
大災害が起こって昨日とは違う世界になってしまった。
個人的な苦悩なんてのは所詮個人的なものでしかなかった。
(〜が悪いとネットでは憤るが)この世の中は自分たちが作り上げたものだ。
(で、もう一度本編に戻って)
テレビの向こう側の悲劇−ネット上の不毛な争い−不毛さに無自覚な僕ら
埃をかぶってる粗悪品は、たくさんの人に伝えられない自分(ひろむ)の
メッセージではないかと考えます。
で、問題の「一滴の涙が、海に勝るとは・・・・」です。
(直前の歌詞を受けて、)メッセージソングを歌うよりも、実際に現場で
戦う(救難、救命・・・)人の姿の方が説得力がある、と読むか。
ネットの大海で繰り広げられる百万の言葉よりも、・・・・同上・・・と読むか。
リアルで母親を泣かせたことのある人は、百万の説教より母親の一滴の
涙の方が強力であることを知っていると思いますが、ちょっとここに
はめ込むのは違うように思います。
で、その後の歌詞は偏執狂の様に犯人捜しをするのですが、その答えは
詩集側の最後の所に「自分自身だ」とあります。
と、こんな感じに解釈してみました。長文ですみません。

27 :
テレビやラジオの向こう側で起こった死の事実でさえ、
私の悲しみは現実味のない淡い気持ちのまま。
ネットで憎しみやねたみの感情を露わにしても、
私の虚しい気持ちなんてバラエティーを見たら忘れてしまう。
週刊誌の受け売りの言葉でさえ、
それが自分のことだなんて気付きもしない。
どんなに言葉にしても自分の感情なんて
他人にも、ましてや自分にも分かりはしない。
喜怒哀楽いったい何の感情なのかは分からないが、
涙を流しているこの瞬間こそ、私は私を自覚している。
生まれてから死んでいくだけの人生ゲームの中で
冷笑したところで何も生まれない。
悲観したところで何も変わらない。
閉じられたこの世界の中で悪い奴がいるというのなら
それは誰だというのだろう。
信じていたものが正義か悪かさえ分からない。
他人の言葉でさえ信じることができなくなった。
もう頼れるのは自分しかいない。
そんなことは分かっているのに、
いまだに誰かに助けを求める私は一体誰なんだ。
結局、悪い奴を見つけることはできなかった。
無自覚な奴が犯人だということは分かっているのに。
私はいまだに犯人探しを続けている。私は私を探し続けている。

28 :
>>27
おおおおおおおおおおおwww

29 :
>>27いえああああああああああ

30 :
やばい
しばらく見てない間にこんなに…
>>26も素晴らしいけど>>27神だ

31 :
干からびた栄光が国道沿い血を流さずつぶれている
のいみがよくわからん\(^o^)/

32 :
干からびた栄光⇒過去の特別な人生経験
国道沿い⇒衆目の中、大衆の中
血を流さずつぶれている⇒目に見えない無意識のうちに消えている
自分はこれまでの人生で、あんなことやこんなこともしてきたんだ。
俺ってすごいじゃん。自分って特別な存在なんじゃね。
という自意識が、大勢の中では気付かないうちに埋もれて消えている。

33 :
おお、サンクス
amazarashiの歌詞は難しいの多いね

34 :
>>33
あくまで一つの見解ね。
他にも自由な解釈があっていいと思うよ。
ってか、いろんな解釈を知りたい。

35 :
>>33
逆にいうと、>>31の疑問がなかったら考えることもなかったし、
そのままスルーしてたよ。そういう意味では自分の中で
新たな発見ができたので、こちらこそサンクスです。
&連投スミマセン

36 :
>>33
これもそうだと思うけど
田舎者の自分の考察も言わせてくれ。
干からびた栄光⇒これは33とおなじ
国道沿い⇒田舎の国道沿いなんぞ草ボーボー&犬の糞とかゴミとか超無造作に転がってるのw
血も流さず潰れている⇒コンビニ袋のゴミが車に轢かれて無様に誰の注目を浴びるでもなくただ道にあるだけ…
ってなんか一緒だなw
すまんw

37 :
>>31
>>32で完璧だと思うけど別の切り口で。
「干からびた栄光」は>>32と同じですが、
「血も流さず潰れている」のは
「国道沿い」を走る車に轢かれたからとも考えられます。
「血も流さず」は、人に痛ましさを見せることもなくということでしょう。
つまり、一度つかんだ栄光は消費社会の中で吸い尽くされ、
速すぎる時代の流れについて行けず、今や誰にも知られることなく
時代の流れの傍らに転がっている。
こんなのもアリかなと。
大きくは違わないけど、「いろんな解釈を知りたい」ってとこに
激しく共感したので。
本スレで同じことを言ったら「チラシの裏にでも書いてろ」と言われましたよ…


38 :
内面というか精神というか、そういうことばっか考えてたから
車に轢かれる情景描写は俺には斬新だわ。なるほどね。

39 :
質問されたものじゃなくても、どんどん解釈したのを言っていってよ
結構楽しいぞ

40 :
歌詞の世界観が広がって愛着がわくね
>>25>>31みたいにお題みたいなものがあると言いやすいかも

41 :
じゃあ光、再考

42 :
クリスマス アノミー SF の一連のPVの解釈とか聞きたいな
実際よくわからんです。

43 :
確かに。でもPVはよく分からなくても妙にハマってるとこが良いよね

44 :
pvはめちゃくちゃ難しいですね。
全てのアニメーションMVについて総合的に考えないといけないので長くなりそうですが、
本スレと違ってここはいい人ばかりの「チラシの裏」なので気にせず気合い入れていきます。
まず、MVは秋田さんが作ったものではないし、MV自体の存在価値として、
過度に曲を説明してしまったり、1つの解釈を強要してしまってはいけないので、
あえて曖昧なところを残したり、象徴的なもの(てるてる坊主など)を多用して
聴き手に考える余地を残しているのだと思います。
そのうえで考えると、
全てのAMVに出てくる「てるてる坊主」は、人々の願いが実体化したものと考えられます。
本スレでも述べたのですが、>>15の言う通り、
「雨」はバンド名の由来からして降りかかる不幸や災難を表すものであり、
てるてる坊主は、本来その「雨」が降らないように願うものなので。
ただ、「てるてる坊主」は逆さに吊るせば「雨」を願うものとなるので、
その願いというのは良いものに限定されません。
「クリスマス」のフル武装したヤツなんかもいますし。
さてここで、今までのMVに出てくる登場人物について考えると、
大人は、「クリスマス」のラストのおっさんと、「ラブソング」のアキタだけで、他はすべて子供です。
おっさんは見たところ別の世界の人と考えられるし、
アキタも登場人物というよりはただの「唄うたい」で、
「夏を待っていました」などにおける歌詞の表示と役割的には同じものだと思われるので、
実際の登場人物は子供だけです。
そして、子供たちが生み出した「てるてる坊主」は、
「クリスマス」の女の子が作ったものだけ(多分)です。
では、他の蠅みたいな奴や、蜘蛛みたいな奴、武装したヤツはどこから来たのか。
子供たちは「ラブソング」で一堂に会し、その答えを知って絶望しているのでしょう。

蛇足ですがその答えは「大人たち」でしょうね。

45 :
てるてる坊主は人の願いかー
なるほどねー

46 :
それはYKBXさんがインタビューで言ってたな
子供たちの願いや感情にオーバードライブして変身するって

47 :
なるほど。
秋田さんが作ってないにしてもamazarashiらしいな
SFのフードの人が作った地球(?)みたいのはどういうことだろ
あれが古いSF映画で歌ってるようなシェルターみたいな避難場所なのかな
って考えるとあのフードの人も子供たちの味方の「てるてる坊主」な気がするな

48 :
確かにラブソングのPVでの子供たちは皆目が死んでる感じがする

49 :
YKBXさんのインタビューね
http://white-screen.jp/?p=13135

50 :
元々4部作構成ということなので↓が一連の流れ。
@夏を待っていました
Aクリスマス
Bアノミー
C古いSF
YKBXさんの言葉でいう第一章で、
「ラブソング」からは第二章ということですね。

51 :
こっからは考察(妄想?)
■夏を待っていました
冒頭のヨボヨボなてるてる坊主は人生を回想していて、その内容を表している。
ただてるてる坊主を擬人化しているだけでなく、人生のターニングポイントを
てるてる坊主とそれをつるす紐で表現していたところが興味深い。
まず、歌詞の2番に入る前らへんのコードを地に刺して、自分の意志で紐を切っているところ。
これは子供から大人への転換期や自由の獲得を表現していて、
切り離された後に立派な草木を生やしたが、またその先につるされている描写は、
結局大人も子供と同じだった、自由にはなりきれなかったということ。
人間でいうと10代から20代らへんの描写になるのかな。
次に歌詞の2番が終わった後、テレビ坊主だったのが、吹っ飛ばされてアンテナ坊主になったところ。
ここでは意志はなく、紐が切れてしまっている。これは死別やすれ違いを表している。
たとえテレビの受け売りでも話し相手がいて楽しんでいたが、
だんだんその相手がいなくなって、気付いたら孤独になっていた。
アンテナを張って少しでも誰かの声を聞きたいと思ったが聞こえてこない。
じゃあ今度は自分がスピーカーになって存在を知らせようとしたが、
周りのみんなもスピーカーになっているから結局誰とも交流することができない。
自分の思い通りには物事は進まなくて、縁(=紐)が切れるさまは、
成人した子供をもった親のような描写になるのかな。
最後のサビが始まった部分では紐がなく、自由に飛び回っていたが紐の長さの限界で途中で止まってしまった。
これは人生の終わりを表現している。仕事を定年退職して自由の身になったと思ったが、
寿命という限界から自由にはなりきれなかったとも読める。
歌詞が全部終わった後からは、てるてる坊主は笑って
自分の意志で紐を切った後にいろんな形態に変形している。
これは人生の走馬灯で自分の人生に納得したということなのだろうか。

52 :
PVの一連の考察に行き着く前に
「夏を待っていました」で満腹になりそうです。
結果的に一連のPVの中での「夏を待っていました」は、
人間の感情をオーバードライブする存在として
てるてる坊主を説明するようなものになりましたね。
少し雑にいえば、見た目で決めつけるな、
いつまでも昔の自分と同じだと思うなよ、感情なんて急変して何がおかしい、
いつも笑っている人間だって泣いたり、悲しんだり、怒ったりするんだぞ、
という描写をしたのかなと感じました。
あとは、「古いSF映画」の最後にも「夏を待っていました」の
笑っている映像が使われていますが、これら2つをリンクさせると、
この世界がフィクションだろうが、ノンフィクションだろうが、
この先の未来に何が起ころうと、答えは君自身で見つけてほしい。
『最後に君自身が納得できる』のならそれで大丈夫。
ということを伝えているように思えます。

53 :
自分が納得すれば大丈夫か・・・
でもここで見た感情の起伏を利用しようってやつらが出てきて・・・
って流れかな
夏待に至っては単純にてるてる誕生秘話だと思ってた自分が残念だけど、
考えられる機会ができてよかったって思うよ。


54 :
>>46,>>49
大人は子供達を保護してたんですね。
大人が荒らした世界に子供が取り残されたのだと思ってました。
でもなんで隔離したはずの世界に危険なてるてる坊主がいるんでしょうかね?
攻撃的なヤツを作ったのは大人っていうのは間違ってないと思うんですけど…

55 :
願いの象徴のてるてる坊主で
逆さになればその逆、見方を変えれば雨を願う呪いの象徴としてのてるてるになるように
物事は見方や人を変えれば変わるものなんだってこのかな?

56 :
■クリスマス
@主人公の少女は、とある本(隔離施設に関する説明書)を読んでいる。
だが、本の内容の意味がよく分からないので、
読み終わったページを切り取り、紙飛行機を作って遊んだりしている。
外は雪が降り出して楽しいが、家に帰っても一人ぼっちなので退屈だった。
テレビでは戦争の映像が流されているが、
それが現実に起きていることだなんて実感できない、そんな日々を送っていた。
A紙飛行機の時同様、遊び心でてるてる坊主を作って吊るしてみた。
夜空にミサイルが放たれたが、流れ星だと思い込み願いを祈る。
何か楽しいことが起きますようにと。
するとミサイルが近場に落下、戦争をようやく実感した少女は怖くなって逃げ出す。
B敵坊主に攻撃されてピンチだったが、味方坊主が助けにきた。
攻撃が効かないと分かると変形=武器を強化して敵坊主を圧倒。
しかし、倒された敵坊主はより強力な武器で味方坊主を攻撃。
Cそして、味方坊主は死んでしまった。
死を目の当りにし、少女はようやくすべてが現実のことだと気付く。
(SFに続く)

57 :
既出ですが、人の感情や物事の有様を描写していると思います。
@重要なことやもの(=説明書)でもよく分からないままにしたり、
誤った使い方(=紙飛行機)や考え方(戦争=フィクション)をしている描写
人間の無知や無自覚を示しているように思えます。
A今が楽しければいいとか、何か面白いこと起きないかなといった
ささいな思いからでてるてる坊主(=武器)を作ってしまったことから、
武器を作った(≒世の中の戦争や事件が起こる)きっかけなんて
そんな大層なもんじゃないということが込められているのかと。
でも、いざミサイルが落ち、現実を直視すると、現実逃避する。
B坊主対決では攻撃が効かなかったり、圧倒されたりすると、
お互いに武器を強化して応戦している描写は、戦争の有様を提示し、
どちらかが滅びるまでは終わらないということを伝えている。
Cことの重大さなんてものは、本やテレビでいくら喧伝しても伝わらない。
死を目の当たりにして人は初めてそれに気付くという意味でしょうか。

58 :
結果的に一連のPVの中でのクリスマスは、
人間の願いや祈りの無力さをあらわすとともに、その思いが逆に
戦争や事件を生んでしまっているような皮肉さも込められているんじゃないでしょうか。
>>54
てるてる坊主は武器(=てるてる坊主)を認識すると攻撃を仕掛けるようになっているのか、
またはアノミーで少年がケーブルをつないだことにより、
大量のてるてる坊主が放出されて、たまたまタイミング良く?悪く?少女のもとに現れたか。
クリスマス見た時点では前者なのかなと考えましたが、
SFで同時描写されている映像を見た後だと
後者なのかなとも思ったりします。
連投すいませんでした。

59 :
>>54
隔離したって時間の問題だってことではないかな。
いくら対策したって元凶を断たないかぎり悲劇からは逃げ切れない
ってことかと。

60 :
クリスマスを見直して気になったんですが
武装てるてるから少女がハイウェイに逃げてるけど、なぜハイウェイなんてあるんでしょうか。
アノミーもですが隔離施設には全く関係ないようなものが結構ありますよね。

61 :
中にいる子供に隔離施設の中だということを
気付かせないために関係ないものも作ったんじゃないですかね?

62 :
■アノミー
イマイチ描写されている以上のことはわかりませんでした。。。
パソコンのバッテリーが切れたから、
電光掲示板の電気を借りようとしたら、
てるてる坊主が出てきて、天上にも穴が開いた。
もしかしてこの工場は隔離施設を外から遮断するための
エネルギーを発送電していたのだろうか?
少年はパソコンで何をしていたのでしょうか?
途中の鐘の音っていったい?
小型の虫はいったい?
このPV単体でどうのこうのよりもSFへの前フリなのでしょうか?
頭がこんがらがってきましたw

63 :
パソコンだけ考えました。
少年はパソコンを起動すると、なにか非日常的なサイトに
アクセスした。そこでウィルス(てるてる?)を入れそうになった
その時点でパソコンの電源は落ちる。
ここは、大人が遠隔操作で阻止したのかなと思っています。
そんなことも知らずに見たいという欲望を抑えきれない少年は
ネットに繋ぐことに成功し、ウィルスを入れてしまった。
これは情報社会が進むことに伴う弊害や
>>57@のような人間の無知も示してるのだと思うのですが
…どうでしょうか。

64 :
ウイルス=てるてる坊主で大人が遠隔操作で阻止したって発想は、
考えてなかったけど、面白いね。
子供が余計なことしないように大人が防ぐ手立てをしても、
子供の方が賢くてすぐにすり抜けるアイデアを思い付いて実行する。
んで、結果的に子供からドボンしちゃう。
そう考えると、大人も子供も無知ってことでは同じだね。

65 :
秋田ひろむも好きだけど横部正樹も好きだ。
早く映画化してほしい。

66 :
なんか考察止まっちゃったなあ・・・
ってことで余談を・・・。
ラブソングのPVとかCDジャケットに『イチゴ』が出てるのを見てイチゴを調べてみたところ、
イチゴは正義の象徴だそうです。
ラブソングは愛がテーマみたいですが、
最近それぞれの曲が正義を説いてるようにも聞こえてきました。
実際、イチゴって何を意味してますかね?

67 :
苺って正義の象徴なんだ、へー

68 :
苺って正義の象徴なんだ、へー

69 :
苺って正義の象徴なんだ、へー

70 :
PVでの夏待ちはなんとなく分かったけど、歌詞としての夏待ちがイマイチ分かりません。

71 :
>>66
ライブでは腐っていく苺の映像が出ましたから、
とりあえず愛が大事とか言っているけど、中身は腐ったこの社会
というラブソングの趣旨にはぴったり合うのではないでしょうか。

72 :
そういうことかあ。
見た目はかわいいけど中身は・・・
いろんなものに通づるものがありますね。
>>70
正直自分も微妙です。
だれか、救って〜

73 :
恐らくひろむ版の「スタンド・バイ・ミー」だと思います。
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD676/index.html
若い人だと映画は知らないかな。曲は有名なので聴いたことがあるはず。
夏(未来)にわくわくしていた子供時代を現代から振り返っています。
3番目のサビ−現代、2番目のサビ−ちょい過去、その他全部−子供時代。
2番目のサビは「あの時と同じ膝をかかえて」いるので、恐らくダメな靖人君。
迫り来る時間という「鬼」、部屋から青い空を見上げてという所から、恐らく
引きこもりか、ニート時代の話でしょうか?
想像ですが3番目のサビは社会人になってから、暑い日の信号待ちか何か
で、ふと過去の記憶がフラッシュバックしたような感じです。
という事で、自分はヘビーな現実を抱えながらも未来への希望に胸を膨ら
ましていた子供時代を懐かしむという解釈ですね。
レンタル屋には大抵置いてあると思うので、未見の方は探してみて下さい。
良い映画ですよ。

74 :
「鬼は迫りくる時間の流れ」
「もういいかいまだだよって叫んだよ」
「もういいかいまだだよって声もない」
「もしも今日があの日の続きなら 僕らの冒険を続けなくちゃ」
この「まだだよ」ってのは何かを諦めない、
終わりにしたくない気持ちでもあるんじゃないかな?
大人になった俺は昔よりもできることが増えていって
俺も少しは成長したんだなと思っていたけど、
たまに子供(〜大学生)の時のアルバムや日記なんかを見返すと、
昔の自分が別人のように思えて、今の俺よりもすげぇなとか、
今の俺には同じことはできないやって驚くことがある。
昔は負けず嫌いで「まだ」できるなんて駄々こねていたけど、
今は「無言」で周囲の流れに身を任せて、
どこかで諦めてる自分になってたことに昨日気付いた。
そんで今日改めて夏待ちを聞いてみて、たぶん今の俺にとって大事なのは
「もしも今日があの日の続きなら 僕らの冒険を続けなくちゃ」
ってことなんだと思った。

75 :
アノミーの男の子はアンドロイドだってだれかが言ってた。

76 :
アンドロイドも人もそう大差ないとは言うけれど、ホントだよな。
信じてきたものがうち砕かれて放心状態になった時の自分って、
一歩間違えれば人間終わるなってつくづく思うもん。
もうどうでもいいやって。
そんな時に「それでも」と力をくれる彼らに今は救われてる。
負け組なんかじゃない。
立ち上がるための歌なんだって思うよ。

77 :
さて、曲単体の歌詞考察だけだとまた過疎ってきそう
(ってかそもそも少なそう)
だから少し捻ってみるのはどう?
この曲とこの曲を流して聴くと面白いとか
オススメとかがあれば知りたいな。
ライブ行った人なら分かるだろうが、
「ポエジー」から「ラブソング」
「ワンルーム叙事詩」から「奇跡」
みたいな感じで。
もちろん単体考察も面白いからあればどんどん知りたい。
賛否なんにせよ、歌への思い入れが深くなれれば、わいは楽しい。

78 :
いろんな歌にでてくる「彼女」や「あなた」を通して、
たった一人でいいから一緒に笑ったり、想いあったりする
そんな相手がいることの力強さと切なさをamazarashiの歌には感じます。
人類みんな家族だ、なんて到底信じられない愛の歌よりも、
目の前のたった一人の人と紡ぐ愛こそが何よりも素晴らしい。
もしかしたらそのたった一つの愛すら幻想かもしれないと思えても
それでもあなたとなら・・・。
amazarashiの歌の中にある愛には、そんな気持ちを感じます。

79 :
祈りで音源化された時に追加された
「二度と帰らぬものに〜昨日と同じ雪が降る」って
どういうふうに捉えればいいんでしょうか?
歌を聴いているとおおぉっとなるんですが、
歌詞だけ見るといまいちまだピンとこないんです。

80 :
真っ白な世界でもあるように、雪は真っ白に染めるものだと思います。
亡くなったあなたへの悲しみも時間が経てば、薄れてしまう。
あなたとの想い出でさえ薄まっていく。
そして、昨日今日と雪は降り積もっていく。
悲劇があったことは確かなのに、自分は変わっていく忘れていく。
そんな薄情な自分を詠ってるのかなと思います。
逆に、時間がたてば楽になるよって言ってるようにも聞こえますね。

81 :
おおぉ、なるほど!
スッキリした、サンクス!!

82 :
ポエトリー曲の考察って難しいのかな

83 :
祈りの件、オイラはもう少し素直に解釈しています。
人間の悲劇とは関係なく、非情にも時間(自然)は流れて
行くけど、僕は祈り続けるよ。祈ることに意味が無いとは、
思わないぜ。

84 :
ポエトリーもいろいろあるけど、
逆にポエトリーと言えばこの曲っていうのはどの曲だろう?

85 :
夏、消息不明好きだなぁ
てかポエトリーって分からんのばっかだ。

86 :
祈りの件、夏待ちの
「もしも今日があの日の続きなら 僕らの冒険を続けなきゃ」
ってのとも結び付くんじゃない?
もの二度と昨日には戻れないけど、
そうやって震えるあなたの肩には、
今日も昨日と同じ雪が降っている。
さあ、祈りを続けよう。


87 :
私は遺書が好きなんだけど、
確かに考察は難しいね。。。

88 :
「*」はポエトリーに入るんですか?

89 :
俺はポエジーが好きだなあ、断片的でもいいから考察して欲しいな。

90 :
ポエトリーリーディングはすべて歌を作った後に流れを作るために入れていると秋田さんが言っているので、
読み解く上で歌詞とともにアルバム内でのその順番が大きな手がかりになると考えられます
ところで、amazarashiのアルバムは、初めの何曲かで世界に対する想いや不満をぶちまけ、
それから少し落ち着いて、思い出だったり、フィクションだったりする叙事的な歌で聴かせ、
最後にすべて吐き出した後で空っぽになって、「それでも前向きに歩いて行こう」
というメッセージを込めた歌で終わるという、まるで小説のような構成になっています。
(0.6ではムカデ→少年少女→初雪、アノミーではアノミー→ピアノ泥棒→この街、
 千年ではデスゲーム→SF等→未来づくり、ラブソングではラブソング→ハレルヤ→ハルルソラ)
そしてワンルームではポルノ映画→ワンルーム→真っ白となっていて、
ポエジーの場所はポルノ映画とワンルームの間。
小説でいえば起承転結の転の直前、承の最後の部分。
つまり世界に対する不満を「転ぶ」直前のギリギリの状態まで高めて吐き出す詩でしょう。
そしてさらにポルノ映画で皮肉った「願えばかなう」というメッセージを効かせ、
「〜したい」という表現でそれらの希望がかなわない世界を皮肉っているそんな詩でしょう。
内容についてはまた今度もうちょっと考えてみてからにします。
ポエジー単体より>>78の方の言うとおり「あの子」、「桜」、「カラス」といった登場人物の役割について
全体的に考えてみる必要があるかもしれません。

91 :
あの子と僕の関連性か…個人的に戦争についても考えたいな

92 :
アルバムの構成には気付かなかった。
改めて考えるとすごく上手いなぁ。

93 :
よく出るキーワードとしては、
・僕
・二人称の人(あの子、君、あなた)
・さくら
・雪
・歌
・戦争
とかかな?

94 :
■ポエジー
○○したい、○○しないというフレーズで構成されていますが、
各々で微妙にミュアンスが異なっていると思います。
@前半「僕らは〜」としているが、
客観的に見た僕らというニュアンスが強い。
僕単体は本当は含まれていないかもしれない。
A次に「あの子のスカート〜」や「ペガサスの〜」は、
現実的には不可能な願望の類。
B次に「〜主張したい」、「〜語り合いたい」、「〜伝えたい」
君(過去または未来の自分)へのメッセージの類。
「〜〜したい」ということばでも、
 @みんなの意志に近い自分の願望
 A妄想に近い現実的に不可能な願望
 B後悔に近い自分自身への伝えたい願望
のように分かれてくると思います。
人が悩んでいる時に「結局君は何がしたいんだい」と他人に言われる状況に近くて、
ポエジーは「自分は一体何がしたいんだろう」と悩む姿を表している。
@がしたい、でもそれって本当に僕がしたいことなのだろうか。
Aがしたい、でもそれって現実には無理だよね。
Bがしたい、でも今そんなことを言っても仕方ないよね。
そんな@ABを、何度も思考を巡らせた結果、
「あぁそうか、『僕は僕を愛したい』んだ」という結論に辿り着いたのです。
※根底には『僕は僕を愛したい』という願望があるというだけであって、
 @やAやBを否定しているわけではないと思います。

95 :
【質問】“アイスクリーム”について
(抜粋)
・・・石畳の歩道が 日照りでとても熱そうだから
今年の六月は ここに捨てていこうと
アイスクリーム屋の看板を見て 思った・・・

という部分で、“今年の六月は ここに捨いこうと”
思ったのは何なのかわかりません。
そもそも、
@“今年の六月は(○○を)ここに捨てていこうと”思ったわけではなく、
(何かあるものを捨てていこうと思ったわけではなく)
A“今年の六月(「今年の六月」そのもの)はここに捨てていこうと”思ったということでしょうか?

秋田さんにとって“6月”って特別なように思うので、
ちょっと気になっているんです。。。
(「夏を、まっていました」でも、“6月”がポイントになっていますしね…)
どなたか、思うところありましたら教えてください。

96 :
関係ない感想で悪いんだけど…皆色々考えてて感心したw最初そんなに需要あるスレだと感じなかったごめんなさい
>>95sageって半角でいれるらしいよ!
6月かぁ…夏の入口的な時期ってのがなんかポイントなのかなと思うけど


97 :
需要があるのかは分からないけど、
俺解釈同士で争うんでなく、
いろんな解釈を知りたいって欲求が大きいからかな。
知れば知るほど歌に愛着わくしね。

98 :
「夏を待っていました」が入った『爆弾の作り方』は2010年6月9日発売
「アイスクリーム」が入った『ラブソング』は2012年6月13日発売
だから6月にそれほど深い意味はない・・・なんていうのは早計な気がして、
でもこの2曲だけじゃ、まだ特別な意味があるのかどうかも難しいですねぇ。
来年の6月にも何かあれば、当たりなんですが。。。

99 :
■アイスクリーム
>>95
アイスクリームの最初の歌詞に
『この六月のとある一日ですら とても唯物的に思えて』
とあるから、六月=唯物的(打算的)な感情を
ここに捨てていくという表現だと思います。
1度目の「僕は僕の情緒と秘密を交し合う」では、
虚しい感情を抑え込み、
2度目の「僕は僕の情緒と秘密を交し合う」では、
寂しい感情を抑え込み、
「虚しい 寂しい と言ったら終わり」
そうは分かっていてもその気持ちは拭えない。
だから今年の六月という名の唯物的な感情は捨てて、
自分の気持ちに正直になろうと思ったってことだと思います。(≒唯心的?)
それで正直になった自分の最初のメッセージが
「アポロジー」(=ごめんなさい)ってことなんだと思います。

100 :
アポロジーで、「嘘は泥棒の始まりです」が
歌詞のまんまに聞こえないのは、私だけでしょうか。汗

101 :
「アイスクリーム」は単体で考えようとしたらamazarashiのなかでもトップクラスに難解だと思います。
ただ、アルバム内での役割を考えると(前述の「ラブソング」におけるアルバム構成には誤りがあったので後で訂正します。)、
割とわかりやすく「ハレルヤ」から「アポロジー」への流れを汲んでいます。
まず、ここでいう唯物的というのは、 感情よりも即物的なものを優先する立場 と考えられます。
辞書にはこんな意味は載っていませんが、 即物的 、或いはもっと意訳して 機械的 と言い換えてしまうと、
「ハレルヤ」からの流れが見えてきます。
「ハレルヤ」は「まるで生きてるなんて感じねぇ」、「退屈に溺れる」毎日を生きるくらいなら
いっそ燃え尽きてでも、こんな僕でも今を生きてる実感がほしい。そんな曲だと思います。
余談ですが「千年」以前なら間違いなくリストカットとかの内容が入っていたでしょうね。
「アイスクリーム」に話を戻すと、「駅のエレベーター」が無感情に、即物的に、規則的に、機械的に上がり下がりを繰り返す様子が
「まるで生きてるなんて感じねえ」毎日の繰り返しを表しているようで、
秋田さんにとって特別な(?)「6月のとある1日ですら」変わらない毎日の繰り返しに思えてしまう。
そして世の中の大部分の人と「約数」が違う「僕」は、周りに合わせて笑うこともできず、
心の中で「虚しい、寂しいと言ったら終わり」と言い聞かせる。
けれども「虚しい。寂しい。」と口から洩れてしまう。
…僕の忍法帳レベルとやらでは全部書いたら長すぎて投稿できないようなので、連レスになってはしまいますが
2つに分けて書きます。

102 :
そして問題の「今年の6月はここに捨てて行こう」ですが、
ここで「6月」について考えてみますと6月=梅雨の季節=『雨』が降る季節です。
『ama』zarashiではこの『雨』というのが非常に大きな意味を持っていて、それゆえに6月は特別なんだと思います。
そして『雨』=降りかかる不幸や災難の喩え→この詩(とアポロジー)では、世界に対する非難と解釈できます。
この少々強引な解釈に沿っていくと、今年は今までの厭世的な見方や世界に対する非難、「嘲笑」いは
捨ててしまおうと、熱せられた歩道に落ちたアイスクリームが融けていく様子を想像して(強引な蛇足ですが)、
雨が蒸発していく様に重ね合わせて、思思ったのでしょう。
そして「ごめんなさい、ちゃんといえるかな」となるわけです。
あと、いつか前述の訂正をするときに書こうと思っていますが「ラブソング」は終わり即ち結であり、始まりつまり起となるアルバムですので、
そのことを考えて聴くと、
これまた大分強引ですが、 今年の6月は青森の工事現場ではなく(描写から推測するに)東京のアイスクリーム屋でバイトをしよう と言っているように聞こえないこともありません…。
「情緒と秘密を交し合う」は今までのように文学作品からの引用かと思ってググってみたのですが出てこなかったので、
物足りないながらもこのくらいにしか解釈できません…
この「情緒」というのが「しらふ」レベルに逼迫した感情なのか、ただただ虚しさを感じているのかもわからないので曖昧にしておきます。
こんなとこで。
他の方の解釈も楽しみにしております。

103 :
>>101>>102
すごい分かりやすい。ありがとう。
"アイスクリーム"と言う存在はつまり、秋田さんにとって新たなスタート(アポロジー)のきっかけになったものの象徴なのかもしれない。
それは誰か人であったり、もしかしたら私達リスナーの存在でもあったり。
待ちわびていた"熱そうな夏"を向かえるにあたり、今年の"六月"という虚無的な感情はここに捨てていきたい、捨てていけると思えた。
秋田さんの「アポロジー」を書く上での転換点が描かれたような詞ですね。

104 :
>>102に大事なことを書き忘れていました。
なぜ「アイスクリーム屋の看板を見て、(今年の…捨てて行こうと)思った」のか。
それについても、これまた強引な僕の解釈を書いておきます。
「日照りでとても暑」い季節の、甘く冷たい「アイスクリーム」。まさにのどから手が出るほど欲しいもの。
だがそれは「看板」。
つまり「アイスクリーム屋の看板」というのは 絵に描いた餅 のようなものだと考えられます。
絵に描いた餅…計画ばかりで実際には役に立たないもの ですが、この言葉が生まれた仏教説話からすると、
議論よりも実践が大切 ということを表す言葉らしいです。
つまり理想は役に立たず、そこのあるものだけが価値を持つ=「唯物的」な印象を受けてしまった。
だから、世界に対する恣意的な憤りや、いつかの6月の感傷、「人ごみの機微に傷つ」くようなうらびれたセンチメンタルは
「ここに捨てて行こう」と「虚しい、寂しい」と感じながらも思ったのでしょう。


105 :
哲学的ですなぁふむふむ

106 :
やっと規制解除されたので、
キーワードで思い出とミサイルもよくでますよね。
あと、歌中の彼女って居るだけで僕は救われる幸福の象徴ってイメージですが、
(あの)女の子はいつも何か待ってるイメージがします。他人任せ、無力というか何というか
でてくる女性は何人いるのかな。
どうでもいい話だったかな、ごめんなさい。

107 :
※クイックジャパンvol.103より抜粋
花沢健吾:
最近の音楽全般(amazarashiを除く)は、歌詞に深みがなく
薄っぺらで糞だと思いますが、どう思いますか?
秋田ひろむ:
僕はどうしてもミュージシャン視点で聴いてしまうので、なかなかそこまでは言えないです。
この曲作るのにいろんな苦労があったんだろうな、とか想像してしまうので。
でも、そんな想像の余地さえない、大人たちの机上の空論で出来たような、
誰の気持ちも内在しない歌は控えめに言っても糞だと思います。

108 :
歌に歌い手や聴き手の気持ちが内在するってことが、
amazarashiの魅力であり、このスレに需要がある理由な気がした。

109 :
ちょっと歌詞考察とは離れるかもしれないからスレチガイだったら、
無視してもらってかまわないですが、皆さんから見たら
「0.」「0.6」「0.7」ってどう思います?
例えば、他のミニ・フルアルバムはある曲のタイトルが
そのままアルバム名になっているのに、「0.」「0.6」だけ
曲のタイトルでないのは何故だろうか。
そしてそれをつけたタイミングは何故そのアルバムなんだろうか。
「0.1」「0.2」と進まず「0.」から「0.6」に進んだのはなぜだろうか。
などなど疑問があるのですが、本スレだと「一歩前進」の一言で終わってしまいました。
憶測でも可能性でも妄想でもなんでもいいので、
もっと突っ込んだ考察はないかななんて思っているのですが・・・。

110 :
>>109
ちょっと情報が少なすぎますね…
ただ、1つ目の疑問については一応しっくりきそうな憶測はあります。
以前、アルバムが起承転結の小説的構成になっているという仮説を述べたのですが、
これは個々のアルバム間でも言えるのではないかと思うのです。
もちろん1つのアルバム内でもこれが正しいという証拠はないのですが…
「0.6」以降のアルバムを、「0.6」を起として承・転・結に分けると、
「爆弾」、「アノミー」が承(世界に対する思いを吐き出す曲が多め)
「ワンルーム」、「千年」が転(物語、思い出といった叙事的な曲多め)
「ラブソング」が結(皮肉も込めつつも前向きな曲多め)
といった具合になるかと思います。
ただし個々のアルバムや曲は単なる要素ではなく1つの作品ですので、
ポエトリー曲以外はそこまで意識されているわけではないと思います。
単に並べ方にある程度の意図がありそうだという程度のことです。
ここで「0.6」というタイトルですが、「0.6」から「ラブソング」までちょうど6枚です。
全然関係ないかもしれませんが情報がこのくらいしかないのでここから強引に考察すると、
「0.6」を出した時点で6枚のアルバムを出すことを決めていたのではないかという仮説が立たなくもありません。
そして、「0.」の時は、認められなければ(聴き手には迎合しないはずなので個人的な事情かもしれないが)続きは「0」枚。
だけどもし認められるなら(逆説略)続きを出そうという意味で「.」。
一応つじつまは合うと思います…。
ただ次から7枚出すかというとどうでしょうかね?
そこに意味がない気がしますが…
もうすでに7枚のアルバムのタイトル曲(もしくはリード曲)ができていると考えればなくはないかなと。


111 :
6月とは関係ないのかな

112 :
>>111
このスレみてたらその考えは、よぎるよね。
>>110参考にさせてもらいます。
0.6は6つのアルバムだとしても、0.7ってのはアルバム数じゃ無くて、
この次のライブなり7枚目のアルバム自体じゃないかな。
この7が6をまとめ、8に繋げる。大事な節目なのかと思います。
あくまで憶測ですが。

113 :
すいません、sage忘れてました。

114 :
突然だけど、デスゲームとアポロジー、それと闇の中〜ゆきてかえらぬ〜は繋がっていると思う。
共通点は、歌詞の中で涙と海が出てくるところで
言い訳みたいな涙が海に帰るまで(闇の中)→一滴の涙が海に勝るとは知らなかったな(デスゲーム)→汚れた海は許せないな、汚れた涙もおんなじだ(アポロジー)
って風に(涙=歌?)、
闇の中..で世の中の色々に抗う事を決めて、デスゲームで「この世など犯人捜しのゲームだ。」みたいな感じで嘲笑ってみたけど、復讐ばかりしていてもだめだ...と 気づいた

アポロジーの小さな川の〜あたりを考えていたら思いついた。
なんだか、
わかりにくかったらごめんなさい。


115 :
話変えてすみませんが、
ポルノ映画の歌詞で
街ノ灯ニハ…ってどうしてカタカナ表記なんですか?

116 :
“アイスクリーム”について質問した者です。
ここに質問をした後に、電車で曲を聞いていたときにふと自己解決してしまいました。
みなさんの考え程、深くは思い至りませんでしたが・・・。

“この六月のとある一日ですら とても唯物的に思えて”
と言っているわけだから、“唯物”的なこと(物質のみが真の存在、という考え方)を
よしとしていない(であろう)秋田さんは、この唯物的な“六月”だって熱い石畳に捨てれば、
アイスクリームみたいに溶かしちゃうだろうから、よし、ここに捨てて消してしまぇ〜
って思ったんだなと、勝手に自分解決したんです。。。
いやはや、とにかくいろんな方のそれぞれの考えがあるのは面白い。
先日、ベローチェ(カフェ)で隣のテーブルの中年男性二人が
現代のエンターテイメントについて熱く語っていたのを盗み聞きしていたのですが、
あぁいう風に議論するのって楽しそうだなぁ〜って感じました。
業界の人ではなく、どちらかというとマニアな者同士の会話だったわけですが、
いやぁ〜熱く語るのは面白い。。。
別にここがそれに近いというわけではないのですが、好きな事を熱く話せる
って、実に楽しい!
(自分もその時まざりたかった)

追伸
>>96
sageって、半角でいれるとは知らなかったです。
教えてくださってありがとうございます。
(・・・でも、どうして全角で入力したことがわかったのだろう・・・?)

117 :
>>114
「涙」=歌ですか...
感服いたしました。
「涙」→負の感情の発露 ですから、まさにamazarashiの歌に合いますね。
とくに「アポロジー」では「汚れた涙」というのは当然言葉通りに
欺瞞や偽善を指しているのだと思って聴いていたので新しい解釈で聴けるのはうれしいです。
となると「海」ですが…
涙と比べてはるかに広大な水たまり、すべての水が流れ着く先。
 世界 ですかね…。
「闇の中」では、「言い訳みたいな」歌が世界に届くまでは「闇の中」に。
「デスゲーム」では「一滴の涙」=現実での一言(歌)と対比して
ネット世界での膨大な量の無意味な発言の比喩。
「アポロジー」では、「汚れた」世界に対する「復讐」であった「汚れた」歌への後悔。
「涙」と「海」についてはこんなところでしょうか。
こうした比喩や記号論的コンテクストっていうのはとても重要だと思います。
前々から話になっていますが、「カラス」や「桜」といったものの解釈も聞きたいです。

118 :
さくらで、
日当たりが悪くなるから…本当にどうでもいい話だったかな、ごめんな
ここの歌詞イマイチ本当にどうでもよく考えてしまってよく分からず
何だか腑に落ちないんです。

119 :
ほんとにどうでもいい話だったかな、ごめんな
については、いろいろ考えたりもしたんですが、
最終的にはこういう意味があるんだよって思うより、
ほんとにどうでもいい話だったって思うほうが
聴いてて気持ちがいいような気がしてきてしまう。
考察でなく感想になるけど、
こういうフレーズでもそれが歌になるというのが驚いたし、
ほんとにすごいと思ったよ。
たいした回答にならずすみません。。。

120 :
大平は飛び降りた

121 :
溜め込んでいた手紙の山を改めて見ていると、
私はこれだけたくさん愛されていたんだと気付く。
でも手紙を読み終わった後のこの虚しさは一体何なのだろう。
幸せって何だろうなって、帰り道に友達と話してた頃が懐かしい。
必死で夢中になって、バカだなって思うこともたくさんした。
でもそんな昔の自分が、今の自分にとっての憧れの存在だということにまだ気付いていない。
難しく考えないで素直に感情を出せばいい、と周囲の人間は言う。
じゃあ過去を思う今の私は、
あの頃は良かったなって笑えばいいのかな?
あの頃には戻れないと嘆いたらいいのかな?
分からない。
そんな感情を出したところで、今の自分は何にも救われないことに気付いて、また閉じこもる。
完璧な人間なんていない。コップに入った半分の水がごとく、
要は心の持ちよう、考え方次第なんだ、と周囲の人間は言う。
頭では分かっている。次に自分がやるべきことが何なのかも分かっている。
分かっているからこそ、その先にある結末も分かってしまった。
分かりたくなんてなかった。
終わりに気付いてしまった今、この虚しい感情はどうすればいいのかな。
それでもどうにかしなきゃなって思えていることが、私にとっての唯一の救いかもしれない。
弱音を吐いたところで、何も変わらない。
過去にしがみついても、何も変わらない。
どこまでいってもこの虚しいという感情は止められない。
だったらどうすればいいのか、誰か教えてはくれないだろうか。

122 :
>>121
秋田さん現る!

123 :
前書いてたデスゲームの人かなあ?
自由に個人個人一曲まるごと考えて書き込むのもいいかもね。質問とか抜きにして。

124 :
虚しい気持ちにやりきれない姿を「空っぽの空に潰される」と
歌詞で表現する秋田さんはやっぱりすごいなって思うね。
普段考えててもそんなキーワードはなかなか出てこないけど、
いざ言われてみるとすごくしっくり納得できるから不思議。
それにしても「0.7」に関する情報が一切出ないね。
なんとなくだけど単なる一歩前進じゃなくて、
既存の曲を再構築したライブをするんじゃないかなって最近思う。
「光、再考」が通常版とremix版で印象を変えたように、
これまでの曲をアレンジした楽曲でライブを
魅せてくれるのではないかと期待している。
逆にすべて新曲という可能性も考えたけど、
amazarashiが「歌詞を見ながら聴きたい」という欲求を考えると、
初見で新曲の歌詞が分からないまま聞くのは、
感情移入が難しいので積極的に取り込むとは思えない。
ライブの最後に次回への期待も込めて新曲を披露する意味は大きいけどね。

125 :
amazarashiの歌は何度も反芻したくなる。
繰り返してこそ、歌い手の歌に聴き手の感情が内在化してくる。
そしてこのスレの歌詞考察でも感じるけど、
同じ曲でも一見似ているようで、それぞれ異なる解釈が溢れていると思う。
もちろんその時々の状況によって、感じ方は変わってくることもあるだろうし、
他人の解釈を聴いて今までと印象が変わることもあるかもしれない。
そして一方でそういう変化の場に遭遇しなかったとして、
ずっと同じ気持ちでその曲を聴くこと自体も別に悪くはない。
だが、もし『それでも』という思いを聴き手の衝動まで持っていくとしたら、
聴き手に変化を生み出すことが重要なのかもしれない。
その変化は今までと違う新曲という変化でなく、
既存の楽曲を変化させることの方がより影響が大きい。
今までこんな思いで歌を聞いていたけど、
音が変わっただけでこんなにも印象が変わるんだ。
こんな見方、考え方、感じ方があってもいいんだ。
そんな変化こそが「僕らは雨曝しだが『それでも』」につながっていくような気がします。
歌(歌詞)だけでなく、音(楽曲)としてのamazarashiの可能性にかけて、
今再構築という意味でライブをするなら、
「0.7」にはこんな意味合いが考えられるんじゃないかなと
ふと思いつきました。
かなり個人的な未来予想図というか願望丸出しですみません。
若干スレ違いかもしれなかったね。ごめんなさい。

126 :
ツアーの東京公演でカルマの歌詞を「殺して」に変えたのは
つくった時から時代が変わって欲しいものを手に入れる為には
奪うだけでは手に入らないからR必要さえ出てきたということを伝える為か
ただ間違えただけか

127 :
>>126
まったく気づかなかった。。
確かに気になるね。もうちょい詳しく。
カルマのどこの部分の「奪って」が「殺して」になってたの?

128 :
それが欲しくてもがいてもがいて奪って奪って
あれは涙が止まらなかったな。なんだか何かが秋田さんに乗り移ったんじゃないかってぐらい心に響いた。俺はUstreamだったけど。
だから殺しては間違いだとは思いたくないです。感想ですいませんが…。

129 :
他会場でも殺してだった

130 :
殺してはかなりビビった

131 :
他会場でもそうなのなら歌詞を間違えたとかじゃなくて
意図にそうした可能性があるね。
実際に会場にいたのに、
その変化に気付けなかった自分が悔しい。
次のライブの時に注意して耳を傾けとくよ。

132 :
そういやライブ時のリーディングポエトリーって、
ライブ限定の詩なのかな?
千年幸福論の時の最初のリーディングポエトリーは、
詩集の千年幸福論のやつだって分かったけど、
他のは詩集になかったような気がするんだけど。。。

133 :
これまのでライブでのオープニングとポエトリー!
■この街で生きている
オープニング:ポエジー
ポエトリー1「飛べない鳥」
⇒光、再考
ポエトリー2「生きている」
⇒さくら
ポエトリー3「昨日以外の全てについて」
⇒この街で生きている
■千年幸福論
オープニング:千年幸福論(詩集)
※ポエトリーなし
■ごめんなさい、ちゃんといえるかな
オープニング:ポエジー&*
ポエトリー1「彼について」
⇒逃避行
ポエトリー2「彼女について」
⇒隅田川
ポエトリー3「僕について」
⇒ナモナキヒト

134 :
彼について
最終近くの電車を降りて地元の駅
いつもの横断歩道を渡る頃
彼はといえば日々の忙しさに心まで押しつぶされそうだ
彼の明日が彼のものであるために
彼が選んだのは
『逃避行』

彼女について
夏が近づいて
地元の寂れた商店街でさえ陽炎が揺れる頃
彼女はといえばいつかの夏の記憶に心まで押し潰されそうだ
「後悔だけはしないように」
という後悔をバッグにいつも忍ばせて
彼女は今日も出かける
『隅田川』

僕について
7月8日東京青海(ここは各会場で違う?)
14曲目を歌い終えた頃
僕はといえば希望と挫折交互に足踏み未だ繰り返す
彼は彼の日々として
彼女は彼女の日々として
君は君の日々として
交差した今日この日に胸を張って名乗る名前も持たないが
僕らの名も無き過去たちは今こそ称えて然るべきだ
『ナモナキヒト』

135 :
結局、ナモナキヒトでの名前を付けること
ってどういう意味を持つんだ?
重要なのにそこだけ分からん。

136 :
>>133
>>134
ありがとう。当時聞いた時の感覚を思い出したよ。
はじめ聞いた時は、キーワードを追うのに必死だったのと、
ライブの雰囲気の緊張感と心地よさでなかなか頭に入ってなかったようだ。
3つ通して意味があったんだね。改めて感動したよ。ありがとう。

137 :
>>135
<歌詞引用>
名前を付けてくれないか その傷だらけの生き方に
名前を付けてあげるのだ その傷だらけの生き方に
今こそ名前を呼び合うのだ この傷だらけの生き方の名も無き人
この歌詞での名前をつけるというのは、他者による自己の承認です。
自分の考え方や性格や生き方がどのようなものなのかは、
本当のところは自分自身では分かりません。
僕がいて、君がいて、一方からあなたってこういう人だよね。
というように言われて初めて気付くわけです。
つまり、僕と君、または君とその他大勢との比較の中で
特徴が顕在化してくるから君という存在が分かるということです。
もし、一人だけでいた場合、自分という存在が、
いい人なのか悪い人なのかなんてことも分かりません。
自分では怒りっぽい人だと思っていても、
周りから見たらやさしくていい人の場合だってあります。
自分の性格ほど自分ではよく分からないというのはまさにコレです。

138 :
自分に名前をつけるという行為自体も、自分自身ではできませんよね。
自分の名前は、自分以外の家族とかにつけてもらいますし、
自分がつける名前は、自分以外の子どもや孫とかですし。
そしてどんなに「傷だらけの生き方」をしていたとしても、
それを理解してくれる人の存在がなければ、
その生き方はなにものにも形容することはできません。
ナモナキヒトを考察してみると、、、
「一人の夜の寂しさを〜」から始まる1番の歌詞は、
おそらく『僕』自身のことを歌っている。
「誰かが君のことを〜」から始まる2番の歌詞は、
おそらく『僕』から見た『君』のことを歌っている。
「人知れず流した涙〜」から始まるラストは、
そんな『僕』と『君』のRであり、運命であり、
必然でもあるすれ違う今この瞬間を強調している。

139 :
そのすれ違いは、束の間であり、ありふれていて、些末過ぎるかもしれない。
それでもすれ違えた今こそ、僕も君も一人じゃないからこそ、
それはもう(まだ名も無い僕等の生き方を)讃えて然るべきじゃないか。
※讃えるという行為も一人ではないからこそできることではないでしょうか。
「君に見つけられるのを待っている」
⇒君は気付いていなくても、僕は君のことを気付いているってことでしょうか。

つまり、ナモナキヒトから私が感じ取ったことは、
 僕の生き方も、君の生き方も
 まだ誰にも理解されない悲しみの中にあるのかもしれないが、
 数々のすれ違いの中で誰かは君の存在に気付いているし、
 そして君自身も誰かの存在に気付いてあげてほしい
というメッセージではないかと思いました。

140 :
「匿名を決め込む駅前の 雑踏が真っ赤に染まったのは
夕焼け空がきれいだから」
「明日を変えらる力が僕らにはあるはずだった
テレビはいつものバラエティー少し笑えた」

AMAZARASHIって、こんな感じで最終的には聴き手の想像に任せたりするところあるよね

141 :
確かに。想像いかんではまったく違った風にも感じられるしね。
でも、それでも世界観は全然ぼやけてなくて、
鮮明にイメージできてしまうというのもあるかと。

142 :
>>115
カタカナの部分は背後霊に語りかけてるとかかなぁ?
言葉のチョイスでなく表記となるとなんか難しいね。

143 :
しばらくご無沙汰しておりましたところ、秋田さんのような方が現れて、
僕の稚拙な解釈は必要なくなってしまったようですが、吐き出させていただきます。
>>135
ここでの「名付け」るという行為は、過去として整理すると解釈します。
その心はと言いますと、「名付け」=歌にする(秋田さんの場合)です。
人間は本能的に漠然とした、形のないものを怖れます。
夜の森の中、後ろから何かわからないものが追ってくる。それが自分の影だとは気付かず、とにかく逃げるしかない。
逃げるために疾走している間だけ、すれ違う木々木々や自分の足音、から「今」を認識できる。
後ろから追いかけてくるものに恐怖して逃げているのに、自分が切り裂く風はなんだか心地よい。
立ち止まったら終わりだ。「虚しい」なんて言ったら終わりだ。
もう何も追いかけて来ないんじゃないか。だとしたら何のために走ってるんだ?
どこかへ行きたいわけじゃないのに。虚しさがこみあげて一瞬振り返る。
再び前を向くと何もない巨大な暗闇。今まで僕を僕と認識させてきた木や音はない。風もない。そして地面もない。
その暗闇に飲み込まれ、まっさかさまになってやっと気づいた。
今自分を追いかけてくるのは影だけだ。そして今度の追いかけっこには終わりがない。
そこにはもはや恐怖はない。走馬灯。一瞬の永遠。
この虚しさに流す涙もない。
せっかく具体例だしたのにわかりにくですね。すみません。
つまり過去という「ナモナキ」恐怖に追われ続けないように、過去に「名前を付け」ればいい、ということです。
「僕は歌で、君は何で」「名前を付けてくれないか」。
もしも「怖い」という言葉がなかったら、その圧迫感は永遠となり、恐怖さえ虚しくなるでしょう。
「つらい」という言葉がなかったら、吐き出せない思いは無限大に膨らみ続け、辛苦さえ虚しくなるでしょう。
もしも「虚しい」という言葉がなかったら…虚無の「無」さえなくなり、何も存在しないでしょう。存在しないということも成立しないでしょう。
「名付け」ることで、つまり秋田さんにとっては歌にすることで、
大多数の人は「名前」を用いて相談したりすることで、苦しみを整理して生きていけるのです。

144 :
■キーワードとしての桜 ※桜が歌詞に出てくる歌は↓の通り。
 無題(桜模様の便箋)
 ポルノ映画の看板の下で(桜が散って綺麗だからと 人生に例えてしまう程の)
 ポエジー(本家の桜の木をもう一度見たい)
 さくら
結構ふんだんに使われているように感じていましたが、
「さくら」以降は桜に関する歌詞ってないんですね。驚きました。
「さくら」自体が完結編だったのかもしれないですね。
以下、考察(妄想?)です。
無題における桜は、彼女との関係のシンボルとなっている。
桜は春の季節、Rと別れの季節、過去の彼女との思い出を思い出すシンボル。
だぶん彼女とのRも別れも桜の咲く季節だったのかと思われる。
ポルノ映画〜の桜は、桜の咲く、散るを人生のRと別れに置き換えている。
桜が咲いても散っても涙してしまうというのは、
あなたと出会ってしまったことが悲しいのか。
あなたと別れてしまったことが悲しいのか。
いずれにせよ、この悲しみの感情はどうしたらいいのだろうというもどかしさを表している。
ポエジーの桜は、もう一度見たいということは、
逆にもう見ることのできない桜ともいえ、後悔や喪失感を表している。
さくらの桜は、人の別れとR、終わりと始まりで物語が進むのなら、
そこで生じた感情や積み重ねた思いはなくならないということを表している。
一見、物事の分岐点に見えて、桜が散ったから、人と別れたからといって、物語は終わらない。
逆も同じで、桜が咲いたから、人と出会ったからといって、物語は始まらない。
すべては続いている。(僕らの物語は今でも消えない。)

145 :
だから、この嬉しいという感情も悲しいという感情も決して無駄じゃないよと。
4曲を通して考えると↓でどうでしょうかね?
桜を見て春になる度、昔別れた彼女を思い出す。
桜の散り際に例えれば、彼女との別れ際も幾分か綺麗に見えたのかもしれない。
でも、別れの際に流した涙は、一体なんだったのだろうか。
思えば、彼女と出会ってから流した涙は、一体なんだったんだろうか。
考えれば考えるほど、彼女を失った悲しみ、もう元には戻れない後悔の念が拭えない。
それでも、
「過ぎ去った人と新しく出会う人 終わりと始まりで物語は進む
だとしたら それに伴った悲しみさえ 生きていく上でのルールだから」
僕と彼女が出会ったということ、別れたということは、
時間が経った今でも決して無かったことにはならない。
それは今を生きる僕と彼女の物語へと続いているから。
★どうでもいい話
 彼女との別れは僕にとっては嫌なことだった。
 今はもうどうしようもない昔の話かもしれないけど、まだちょっとだけ後悔している。
 彼女にとっては本当にどうでもいい話(=思い出)だったかな。
 どうでもいい話をしてしまってごめんな。
 (=当時の出来事に対しての彼女へのごめんな)
 (=あの時「ごめんな」って一言が言えなくて後悔していたけど、
   今はもうどうでもいい思い出かもしれないけど、今度こそ言うよ、ごめんな)

146 :
たしかに。
「桜」は一瞬の美しさではなく消えない思いを表しているようですね。
「人並みのロマンチシズム」ならただその散り際を「人生に例えてしまう」だけですが、
秋田さんにとってはその散り際が、咲き際が、「ついには」「桜」の季節「終日」が、
「彼女」を思い出させて悲しいのでしょう。
つまり簡単に言えば 思い出 の象徴ですかね。
「無題」でも「桜模様の便箋」は彼女との思いでの品ですし、
「さくら」でも、「その時の僕らはと言えば」と回想が始まるのは「洗濯物」に「張り付いたさくら」
をみたからです。
「ポエジー」でも故郷の思い出として使われている(ここは自信がないです)ように聞こえます。
「もう一度見たい」のは桜の花ではなく「木」ですので、
もしかしたらこれは「さくら」の「どうでもいい話」に出てくる「窓の外にある大きな木」かもしれません。
そんな数少ない思い出を「嫌いだった」ことを後悔しているとも考えられます。
巡り巡る季節の中、桜が咲くたびに、散るたびに彼女のことを思い出して悲しくなるのでしょう。

147 :
なんか最近おもしろいな〜!!
単体曲の考察も面白いけど、複数の曲でも物語がつながってるようで、
amazarashiの世界観が広く深くなってく感じがする。
いやはやただの感想で恐縮ですが、おもしろいなぁ〜!!


148 :
ポルノ映画の桜は印象的だったけど、
さくらと結びつけたことはなかったな。
じゃあポルノ映画に出てくる女の子を
桜、彼女と重ね合わせたのかもね。
なんというか…桜がこんなに辛いものなのも秋田さん独特だなあ。
桜は思い出は思い出でも、最後は、
忌々しくて大嫌いな思い出になるものだったりするのかな。

149 :
■キーワードとしての雪 ※雪が歌詞に出てくる歌は↓の通り。
初雪(初雪が 風に吹かれて 僕らの街 通り過ぎただけ)
クリスマス(罪深い三百幾日に 白い雪の粒が舞い落ちて)
ワンルーム叙事詩(雨にも負けて 風にも負けて 雪にも夏の暑さにも負けて)
真っ白な世界(積もる 積もる 白い雪 全部真っ白に染めてよ)
アノミー(愛など無い知らない 謎解けない吐きたい 雪溶けない吐けない)
カラス(陽が落ちても 今朝からの雪は止まず)
祈り
(二度と帰らぬものに 雪が降り積もる
もう会えない日々に 雪が降り積もる
震えるあなたの肩に 雪が降り積もる
昨日と同じ雪が降る 昨日と同じ雪が降る)
ほとんどの歌でサビに雪が入ってる。
まぁワンルーム叙事詩は宮沢賢治にかかってるから別物かもだけど。
私の印象的には「雪」より「桜」のほうが強く印象に残ってたけど、
サビとか祈りのラストの盛り上がり部分(Cメロ?サビ?なんというのだろう?)とか
結構たくさん使われていたんだね。意外だった。
今度ちゃんと考察してみるよ。

150 :
>>148
桜って咲いた時は華やかに扱われるけど、
散り終わった姿はなんとなく目を背けていた気がするね。
確かに嫌な思い出の1つかもしれないけど、
咲いた姿も散った姿もちゃんと見つめているようにも思える。

151 :
>>149
意外と少ないね。
雨と雪って形状が違うだけで似たようなものだから
苦悩だとかに関係すると思いきや、あまり関係無いような気がするな。
祈り、真っ白な世界は「全部真っ白に染めてよ」の感じで考えてます。
クリスマスの雪は…始めて聞いた時、直感的に放射能の類いに脳内変換していました。
まあ、違うでしょうが。

152 :
>>151
雨と雪の発想は思い付かなかった。
ってか、桜とか雪ばっか印象強かったけど、
肝心の雨を失念してました。。

153 :
>>151
雪と雨の関係は面白いね。考える余地はまだあると思うよ。
■キーワードとしての雨 ※雪が歌詞に出てくる歌は↓の通り。
つじつま合わせに生まれた僕等
 母親のこぼした涙が 焼けた匂いの土に染みて それを太陽が焦がして 蒸発して出来た黒い雨雲
 その雲は海を越えた砂漠に 5ヶ月ぶりの雨を降らせた 雨水を飲んで生き延びた詩人が 祖国に帰って歌った詩
夏を待っていました(降りだした夕立に走りだす つぶれた無人駅で雨宿り 明日は何して明後日は何して)
隅田川(日暮れて 連れあう街に蝉時雨)
ワンルーム叙事詩(雨にも負けて 風にも負けて 雪にも夏の暑さにも負けて)
コンビニ傘(冬の雨は冷たいんだよな と呟きあって)
理想の花(雨上がりに咲くideal)
ピアノ泥棒(僕は泥棒 中野のアーケード 雨宿りの振りして品定めの日曜)
夜の歌
 雨が降り始めて 僕はふと歩みを緩めた 雨雲に滲む月明かり あれが僕の目指す光
 雨粒が落ちて アスファルトで弾ける 叶わない願いならいっそ洗い流すか
 不安の雨の 中で今夜は雨宿りしてさ
 雨が降り止んで 僕はやっと歩き始めた 青空にうすく昼のつき あれが僕の目指す光
逃避行(銃弾の雨を掻い潜った これが僕の選んだ戦場)
遺書(雨が降ったら喜んで 虫の死骸と眠ります 私は土になるのです)
美しき思い出(幼い頃感じた父の背のぬくもり 西新宿 故郷の海 白紙のノート 置き去りの夢 行かないで 行かないで 蝉時雨)
14歳(そんな響きの声だから 僕らの胸は張り裂けた 遠くに雨雲 明日はきっと雨だから)
ラブソング(土砂降りの雨の中を 傘もささないで歩いた)
ハルルソラ(正午の陽射しが乾かしてしまった 昨日までの雨 昨日までの苦悩)
※ちなみに1曲に何回も同じワードが出てくる歌については、
 フレーズを1つだけ選んでるので、実際にはもう少し多めですよ〜。
 (つじつまと夜の歌は選びきれませんでしたが。。。)

154 :
>>143
ロッキンオンジャパン7月号のメールインタビューで秋田さんが
「僕にとって歌は自己主張や自己肯定の手段ですが(略)」
といっているので、名前を付けることは、
まさに同じ目的のための手段の1つなんでしょうね。
納得しました。

155 :
みんなよく長文を読んだり書いたりする気になるな・・・

156 :
言葉に飢えているのかもしれないです。。。

157 :
>>155
ごめん。
変なこと言ったけど、よくよく考えてみれば、
このスレみたいにamazarashiの歌詞について、
誰かの意見を聞いたり、自分の意見を発したりっていう場が
自分の回りにはないからだと気付いたよ。
別に理屈や論理でどうこうしたいとかそんなんじゃないんだ。
今まで自分が思っていた聞き方、感じ方、考え方とは違う
新しい何かが発見できたりすると素直に嬉しいんだ。
嬉しいから自己満足で書き込んだり、人の意見を読んだりできたんだと思う。
ある意味、自分の中の手段の1つなのかもしれないね。
あと余談ですが、
このスレ、人は少ないかもしれないけど
「こんな考え方、感じ方があるんだ」っていうことに
肯定的な雰囲気を感じるのも理由の1つかもしれません。
ありがとう。

158 :
知り合いに「amazarashiのライブに行ってすごい満足したよ」と伝えたら、
後日、「ラブソング聴いてみたよ、いいね」と感想がきたので、、、(中略)
「ラブソングは皮肉の歌なんだ」と伝えたら「えっ、そうなの?」と返ってきた。
あまり音楽を聴かない人からしたら、
歌詞よりも曲のほうが先に感覚に入ってくるみたいね。

159 :
自分は音楽が先に入ってくる方だよ
歌詞がスカスカだと思うバンドの曲も聞く
amazarashiは曲を聞いて、歌詞を知ってますます好きになるパターンが多い

160 :
>>153
なんだか意外と苦悩の類いじゃなさそうなもんもあるな。
つじつまは苦悩というよりも生きる糧になってないか?
蝉時雨は雨ではないけど苦悩に通じる感じがする。実際うっとおしいし。
あと隅田川でも美しき思い出でも蝉時雨は思い出の一部だよね。

161 :
>>160
たしかに「つじつま」の「雨」は異質ですね。
どちらかというと前に議論されていた「涙」と「海」の関係に近いような気がします。
何の関係もないようなことが、些細な出来事が巡り巡って世界のどこかで誰かの運命を変える。
そんな巡り合わせを「つじつま合わせ」と表現してしまう秋田さんはすごいですね。
だとしたら「僕ら」に降る「雨」は誰かの「つじつま合わせ」で、
また「僕ら」の「涙」もいづれ誰かの運命を変えるのかもしれないですね。
それが苦悩をもたらすのか、恵みの雨となるのかはわかりませんが。

162 :
連レスですが追加で。
実際に、秋田さんが「雨」に「曝」されて(苦悩を味わって)、
流した涙(歌った歌)は巡り巡って僕たちを救ってくれていますし。
だれかの「つじつま」を「合わせ」るために苦悩に曝されるのならそれは無駄な悲しみじゃない。
僕らがした些細なことの「つじつま」を誰かが合わせることになり、誰かの運命が変わるのなら、
僕らが成すすべてのことは虚しくなんかない。
誰かがしたことが、世界にとってマイナスであったことにしないために、
そして無意味であったことにしないために、せめて僕らは「人を愛さ」なきゃいけないんですね。
こうして秋田さんの歌は、確実に良い意味をなしていきます。
僕たちが秋田さんの歌を聴いて、何かを感じることが秋田さんへの「つじつま合わせ」になっていきます。
だから何も虚しくなんかない。
>>121がもし秋田さんなら、(誰か素晴らしい人の、「空っぽの空につぶされる」+「14歳」の解釈かもしれませんが)
そう伝えたいです。

163 :
桜を見て春だと気付いたように、
歌詞で春夏秋冬を考えると、、、
春:桜
夏:雨
秋:?
冬:雪
なんですけど、秋には何が入ると思いますか?

164 :
>>163
私もそれは思ってました。
キーワードだけじゃなくて歌もないんですよね。秋だけ。
強いて言えば「カラス」が一番似合うのは秋なんじゃないでしょうか。
秋から「カラス」が連想できるかと言ったらそれはないんで、十分であって必要ではない答えですが。
一応「冬が来る前に」は秋と言えなくもないですので、軽めに考察していきます。
まず冬についてですが、前々に「雪」はすべてを真っ白に染め、忘れさせてくれるものとありました。
ここから考えると、冬はつらい過去を考えなくて済む、夏や春に比べると穏やかな季節といえます。
そしてまた「クリスマス」、「真っ白な世界」から、
冬は一年の終わりの季節であり、いったん過去を(ごく表面的にですが)清算してまた次の春を迎える季節ともとれます。
つまり、「冬が来る前に」は、そんな冬の前に、過去を振り返ろうとする詩でしょう。
ここで、「カラス」について考えてみますと、
「コンビニ傘」…「昼はカラスに啄まれ」←思いっきり「冬」といってましたがとりあえず続けます。
「ポルノ映画」…「風来のカラス水遊び」
「さくら」…「千川通りで轢かれていたカラスの遺体」
「14歳」…「電線に止まるカラスの憂鬱」、「彼女は(「上京した少年」の髪がゆれるのを)カラスの目玉で見てる」
「渋谷の果てに地平線」…「都市の空に鳥が飛んだ…故郷に泣いてくれるな」←「渡り鳥」なので「カラス」ではありませんが僕の解釈では役割はほぼ同じです。
「カラス」…「上空に群れを成して飛ぶカラス」
「ハルルソラ」…「でかい建物にカラスも留まれば」
いったんここまでにして連レスとはなってしまいますがつぎに続きを書きます。

165 :
驚いたことに、「カラス」は「雨」や「桜」よりも多いんですね。
全体を通してみると、amazarashiの歌のなかの「カラス」は荒れた街の風景を連想させる役割と、
「夕日」とセットで故郷(青森県むつ市)へといざなう役割を持っていると考えられます。
次に、いままで拝見させていただいた解釈を参考にしながら四季の順に並べると、
見るたびに「彼女」が思い出されてつらくなる「さくら」の春→「とある6月」の「つじつま合わせ」である(?)苦悩の「雨」に打たれるつらい夏
→秋→新たな春に向けて過去を清算する(という不可能を「雪」に望んでしまう)冬となります。
ここに「カラス」を当てはめると、夕日に向かって飛ぶ「カラス」にいざなわれ、故郷に帰って荒れた果てた現状と過去に思いをはせる秋
と秋を定義できます。
「カラス」の役割については概ね自信がありますが、やはり「冬」に「カラス」が出てくる歌がありますので、秋:カラスとはできないかもしれません。
一応雨上がり(夏の終わり)の夕日に「カラス」が飛ぶといった描写の歌もありますが。

166 :
古いSF映画の歌詞なんだけど、だいたいの意味はわかったんだけども
サビの「僕らが信じる真実は〜」のところの意味がよくわからない
まあ一番大事なとこなわけだがw誰か解説とか頼むw

167 :
自分はそこは深読みせずそのままの意味でと捉えてたわ

168 :
>>166
俺の考えでは、
地下室に避難するしか無くなった世界
ロボットが犯罪を起こす世界
自分がロボットなのかも分からない世界
は誰かが自分の利益等の為に仕向けた事が人々の
思いも寄らない方向に進んだせいだろうから、
僕らが信じる真実は誰かの創作かもしれない
つまり、そいつが語る創作を人々はあたかも真実のように感じてしまい、
そのまんまなにも知らずに最悪な結果になるかもしれない。
見えてる事全てを信じたらいけない。
人が人である理由が人の中にしかないのなら明け渡してはいけない場所それを心と呼ぶんでしょ
メリットがあるからといって、
その結果世界がめちゃくちゃになるのなら、
そんなものは受け入れてはいけない、
大事なものを大事と思わない心にはなっちゃいけないんじゃないかな。
まあ、長々書いたけどそのまんまかな。
ついでに、ライブDVD発売が嬉しすぎる!!

169 :
>>166
たしかに他の方のおっしゃる通り、全く別の意味や隠された主題はなく、
そのままの意味で理解するのが正しいとは思うのですが、言葉通りに聞き流すのが正しいということではありません。
1番、2番のサビ、3番のサビの前半は歌詞とその大意すら同じですが、
それぞれから受けるべき印象は全く違うものであるはずです。
僕は最初に聴いたとき、どんでん返しともいうべきその展開にいたく感動しました。
まず流れとして、
1番で「昨日の夜遅くテレビで」見た「古いSF映画」の凄惨な未来世界の情景が展開され、そして主人公もアンドロイドであったというどんでん返し。
2番で「当たり前にある」美しい自然の情景を表現し、「昔の人は神様と呼んだ」「君は何と呼ぶ」で伏線を張る。
3番で実は「古いSF映画」の「世界」の方が「真実」で、「当たり前にある」はずの「人類の原風景」の方が「誰かの創作」の「拡張現実プラネタリウム」であったというどんでん返し。
4番で現実に引き戻し(2番3番は「古いSF映画」を「夜遅く」まで見ていたせいで見た悪夢だったのかもしれません)、
  最後にやっぱり「僕は名もないアンドロイド」と、「この世界は誰かの悪意かもしれない」ことを再び印象付ける形で突き落す。
  (また、「僕らの見てるこの世界」)にも「こころ」を「誰か」に「明け渡してして」しまった人間がいるという警鐘ともとれます)
…というふうに展開していくというのはよろしいですよね?
ここまでの解釈が正しいかどうかは別として、このように聴いていれば、
計3回のサビから受ける印象はまったく違うでしょう。
毎度のこと失礼しますが今回も2度に分けます。

170 :
まず、1番のサビで、「古いSF映画」の主人公が自分も「アンドロイド」であることに気づいていなかったように、
僕らにも「誰かの創作」と気付いてていない「真実」があるのかもしれない。
酷い未来にしないためにも「こころ」だけは「明け渡してはいけない」のだ、と感じさせ、
次に2番のサビで、この自然を守るという「こころ」を「明け渡してはいけない」という印象を与える。
そして最後のサビでやっと、「僕らの信じる」、「当たり前にある景色」も「誰かの創作かもしれない」ということに気づかせる。
各サビにはこんな役割があると思います。
全て僕個人の印象ですので、もちろん人それぞれであるとは思いますが、サビ以外の各部分を聴けばまさか全くいっしょということはないでしょう。
特に「どう?理解できたかな…本日の東京汚染予報」を聴いた後ではガラリと変わるはずだと思います。
…本当に申し訳ないのですが、3回に分けさせていただきます。

171 :
さらに、この歌には数多くの伏線が張られています。
まず、ただのSF映画ではなく「古い」SF映画であるということ。
モチーフになったのは1982年公開の ブレードランナー という映画らしいのですが、
「古い」まではいいとしても、「前時代の」というのは違和感があります。
これはのちに出てくる「拡張現実プラネタリウム」と対比して、
本当の世界は未来の世界であって映画を見ているところから既に「誰かの創作」かもしれないという効果を持っています。
また、前述の「昔の人は神様と呼んだ…君は何と呼ぶ?」は、
木々や人々の創造主を昔の人は神と呼んだが、実はそれはサビに出てくる「誰か」
…即ち映画監督や、「拡張現実プラネタリウム」の創作者かもしれないということの伏線になっています。
これを現在の社会の状況に拡張すると、利己的な誰かの悪意に騙され、心を明け渡して諸手を挙げて賛同することへの警鐘となり、
ひいては原発の安全性という誰かの創作であった真実への批判と、それを受け入れない心を持っていなければならない、というところまで飛躍できます。
(僕はこの曲が単に原発批判の歌とする解釈は安直で、
原発をはじめとした現代社会にあふれる欺瞞への批判を含ませた、理性の主体性と独立性を主題とする歌だと思います。)
まとめると、私たちがもしも「誰かの悪意」によって作られた世界で、「創作」である真実のもとに暮らしているとしても、「こころ」だけは「明け渡してはいけない」。
「誰かの筋書きかもしれない」未来に向かっていくとしても、「受け入れてはいけないこと」は自分「自身が決めなきゃ」いけない。
そんな歌だと思います。

172 :
>>166
例えば、私にはリンゴは赤く見える。だから私はリンゴは赤いと答える。
君が見たリンゴも赤く見える。だから君もリンゴは赤いと答える。
でも、君が見たリンゴは、私から見たら青色に見えて、リンゴには見えない。
私が見たリンゴは、君から見たら青色に見えて、リンゴには見えない。
つまり、私が見た赤という色は、君から見たらその色は黄緑色というのかもしれない。
二人からはまったく別の色に見えているのかもしれないし、
物体としては同じ色を見ているのに、違う呼び名で認識しているのかもしれない。
そうなった時、どっちが正しいとか間違っているとか、決めることはできるだろうか。
仮に、第三者がそれを赤だと言っても、黄緑だといっても、私ないし君から見える色が変わるわけではない。
認識や呼び名が変わるだけ。それ自体が正しいかどうかは結局のところ分からない。

最終的には何が真実なのか、そもそも真実って何だ、真実だったらどうなのか、結局何が何なのだ。
という哲学っぽいテーマがこの歌には秘められているのかなと感じます。
まとめると、、、逆にサビの歌詞のまんまであることに辿り着いてしまいました。
  僕らが信じる真実は 誰かの創作かもしれない 僕らが見てるこの世界は 誰かの悪意かもしれない
  人が人である理由が 人の中にしかないのなら 明け渡してはいけない場所 それを心と呼ぶんでしょ
  僕らが愛した故郷が 殺されてしまうかもしれない 僕らが待ってた未来は 誰かの筋書きかもしれない
  人が人である理由が 人の中にしかないのなら 受け入れてはいけない事 それは君自身が決めなきゃ
大切なのは、今僕らが見る、聞く、信じる、存在する世界を、どのように捉える、感じるにしても、
その認識が正しいか、間違ってるかは、誰にも分からないし、誰にも決められない。
物事をありようのままに捉えてもいいのだけれども、自分が受け入れたくない事だけは君自身で決めるしかないよ。
というメッセージだと考察しました。
P.S. ライブDVDを待ってまいました!これでじっくり映像が見られる!!

173 :
打ち間違えました。ごめんなさい。
×:つまり、私が見た赤という色は、君から見たらその色は黄緑色というのかもしれない。
○:つまり、私が見た赤という色は、君から見たらその色は青色というのかもしれない。

174 :
>>166
受け入れてはいけない事

信念に背くこと

信念は何か

君自身が決めなきゃ
※それ以外のことは事象として
 そうであるかもしれないし、そうでないかもしれない。

175 :
amazarashiに限った話じゃないのだけど、
歌を聞いて、言葉を認知して理解して、
次第に自分の感情に染み込んでいくのって、
外国語の言葉が理解できるようになっていくのに似ているね。
歌も最初は音として、次にぶつ切りの言葉として、
次第に連なった言葉として、最後にいくつかのメッセージとして、
聞けば聞くほどその容貌が鮮明になっていく。
そうして各々の聞き手の中、
少なくとも自分の頭や心の中で
現れた姿が印象深く、残像が消えないから
amazarashiから興味が離れないのだとふいに思った。

176 :
こんな長いレス読んでる奴いるの?

177 :
俺読んでてなるほどなぁって思うけど
そもそも200レスぐらいしかないし

178 :
もうちょっと簡潔に書いてくれるとみんなに読んでもらえることと思う

179 :
読む気があるときに読む
自分の解釈と照らし合わせて読むと面白い

180 :
過去を変えられる、それが人間の能力です:日経ビジネスオンライン
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20120925/237238/
押井守さんが寺山修司さんや他の人の言葉を交えて、語っている談話記事です。
たまたまサーフィンしてたら見つかって、読んでいたのですが、
「つじつま」や「古いSF」を想起したので、書き込みました。
※日経ビジネスオンラインへの会員じゃないと全部は見れないけど、
 興味があるかたはどうぞ。

181 :
なんだかんだ考察も一回りした感じがするんだけど、
まだ触れてない歌あるかな?
それにしても考察してみて、
歌への感情の入り方が増した気がする。
そして何回聞いても色あせない歌に感謝。

182 :
書き込んでて恥ずかしくない?

183 :
恥ずかしいっていうか自分の考察をさらけ出すのは怖いな。

184 :
>>183
怖いとは?

185 :
頭の中覗かれてる気分になるとか、言い回しが恥ずかしいとか?

186 :
自分自身がどう思っているかということ。
怖いなら無理しなくていいし、
恐れずさらけ出すならそれもいい。
書きたい人は書けばいいし、
読みたい人は読めばいいし、
興味ない人は無関心でいい。
周囲の意見や批判はあってもなくてもどっちでもいいけど、
自分自身がそれをどう受け止めるかということ。

187 :
最近、身の回りで寺山修司さんの名を聞く機会が多くなってきているのだけど、
amazarashiの歌で寺山修司さんの影響を受けているであろう歌って何ですか?
寺山修司さんについては無知なのでいろいろと気になります。

188 :
歌のバックボーンを知れれば、
より深いとこまで感じ取れるかもしれないけど、
意外と実際そこまで足を踏み入れた人はあんまいないんじゃない?
少なくとも寺山修司さんのことはよく分からないし、知らないです。

189 :
アノミーは寺山修司さんの「アダムとイブ 私の犯罪哲学」を参考にしていると、ナタリー辺りで秋田さんが言っていた気ぃがする。

190 :
>>189
ありがとうございます。
初めて知りました。
今度本屋でちら見してみます。

191 :
ラブソングでスタートライン仮、収録しなかった意図ってあるんですかね?

192 :
単純にアルバムの主旨と違うからじゃないかなあ
スタートライン自体は聞いたことないけどね

193 :
>>183
どっちにしろ気持ち悪い

194 :
なみだは人間の作るいちばん小さな海です


ああ 一滴の涙が 海に勝るとは知らなかったな

195 :
隅田川のあなたってさ、死んでしまったのかな?
花火が咲いて散るまでには会いに行きます、って部分が後追い自殺を思わせるんだよね。
千年幸福論であなたが居なくても生きる僕を許せない、とも言っているし。
隅田川ってamazarashiの歌ではめずらしいストレートなラブソングだよね。
一度も好きとか愛しているとか言っていないのに、あなたに対する愛を強く感じられるのはすごいと思う。
なんかラブソングのインタビューで、ラブソングが多すぎてありがたみが感じられないって言ってたの思い出した。

196 :
愛する人を追って死ぬ行為の良し悪しは別として、
ある意味、代替不可能で唯一至極の愛情表現なんだろうな。

197 :
生半可な気持ちでラブソングは書いちゃいけないんだな。

198 :
>>195、196
すごくしっくりきた

199 :
ラブソングを書くこと自体はいいんだろうけど、
そのラブはアイドルとかがファンに向けて、
「(みんな)好きだよ〜」って感じに聞こえるんだよね。
失恋ソングもしかり。相手は誰でもいいように聞こえるんだよ。
人とのRや別れの繰返しの生活の中で、
そんなに好きだとか愛してるなんて連呼してたら、
うさんくさくて軽く感じてしまう。
その好きは他の好きとどう違うんだって。

200 :
次のライブかDVDで新曲出るかな?
新しい歌が楽しみで仕方ない!
次なる言葉の宝探しが始まるぜ!!

201 :
「0.7」の特設ページの背景で気付いたけど、
登場キャラクターはやっぱり3人で決まりみたいね。
さらに全く話変わるけど、
空っぽのPVだけ実写なのは何故なんだろう?

202 :
自分が生きていることが罪であるように感じて
誰の目も届かない場所に逃げ隠れたら誰からも責められないと思ってた
だけどそうしていたら自分が生きている意味さえ分からなくなってしまった
何が正しいのか
なんてことをずっと考えているけど未だに分からない
僕は人の気持ちが分かるような優しい人にはなれない
僕はただの狡賢い怠け者なんだ

星空が水面に映った川が綺麗だから近づいてみたら実は生ゴミ臭く汚いのように
世界もよく見たらゴミだらけだ
愛があるようなあの男女もただ酔っぱらっているだけで実は愛なんてないんだろう
それを綺麗だと思うのは、そいつも酔っぱらっているからで
酔っぱらいばかりのこの世界だからこの世界を美しいのだろう

「嘘は泥棒の始まりです」
「自分に正直に生きなさい」
幼い頃にした約束は大人になった今も守っていていいのですか
それを守らないのが大人で
その約束を破れない僕はただの出来損ないなんだろう
そう言って開き直って
約束を貫き通せたらいいのだけど
自分が悪いやつな気がして反省ばかりで嫌になる


約束を守れなかったことを謝らないといけない
守れなかったのを世界のせいにしていたら誰も僕のことを愛してくれないから
ごめんなさい、ちゃんと言えるかな
ごめんなさい、ちゃんと言えるかな

203 :
世界が僕を邪魔者扱いしてきたから
誰の迷惑にもならないように息を殺して隠れていた
そんな世界いつか復讐してやる
そしたら僕は心から笑えるようになると思ってた
復讐して僕を馬鹿にした奴等を嘲笑ってやったけど
ただ虚しいだけで尚更惨めになってしまった


小さな川が連なって最後には大きな海になるように
僕が生きていて犯した小さな罪も次第に大きな罪になるのだろう
汚れた海を見て許せないと思う
自分が犯した罪も許せない
それをどうすることもできない
自分が悔しくてしょうがない
けど嫌われたくて罪を犯したわけじゃないんだ


人が期待したような生き方では生きれなかったことを謝らないといけない
人を憎んで傷つけてばかりだと誰も僕のことを信じてくれないから
ごめんなさい、ちゃんと言えるかな
ごめんなさい、ちゃんと言えるかな

204 :
世界が全部悪いんだ
そう悪口を言ったり
世界に反抗してみたり
自分に嘘をついて生きてたら
自分が一番傷ついた
約束を破って大人になっても
結局は同じじゃないか
あの頃と同じでふてくされるのも変わっていない
誰の目も届かない場所に逃げても結局世界から逃げることは出来なかった
僕が嫌う僕は影のように常に付きまとってくる
明日から生まれ変わって新しい僕になります
そう言って今日になってしまった

誰かの為に生きることなんて出来なくて自分の為だけに生きている僕を
認めてくれたあの子に謝らないといけない
いつまで経っても変わることが出来ず世界を憎んでた僕を
それでも受け入れてくれてた世界に謝らないといけない
ごめんなさい、ちゃんと言えるかな
ごめんなさい、ちゃんと言えるかな

いや、御免なさい ちゃんと言わないとな

205 :
よく気持ち悪く言って言われるでしょ

206 :
俺はちゃんと読んでるけどな

207 :
>>205
よく日本語でしゃべろよって言われるでしょ

208 :
なんだかんだ読んじゃうよね。

209 :
>>207
ハハハハハハハハハ( ´・_・`)

210 :2012/11/01
>>203
参考になりました。
特に「酔っぱらって抱き合う男女」についての「しらふ」をふまえた解釈は素晴らしいと思います。
ただ、「僕」は普通の大人のように約束を破れなかったのではなく、もう少しストレートに、
「幼いころの約束」を一貫して守れておらず、嘘をついて生きてきたと考えてもよいでしょう。
「酔っぱらって抱き合う男女」は「僕」が期待通りに約束を守ることができなかったことに対する言い訳だと思います。
どちらかというと世界に対する「周りの人がみな酔っぱらいで嘘をついている」という批判よりも
自分が世界に対して誠実になれなかったことに対する後悔の方が主題でしょうから。
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