2012年09月戦国時代92: ◇◆◇蒲生氏郷を語ろう◇◆◇ (931) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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◇◆◇蒲生氏郷を語ろう◇◆◇


1 :2006/07/12 〜 最終レス :2012/10/27
文武両道の名将です。

2 :
死因に興味がある。
諸説あるようだが・・・

3 :
◆蒲生にしてやられた政宗
小田原の戦いの後、蒲生氏郷は秀吉から会津92万石を与えられた。
会津は元々蘆名氏の領地だったのを、伊達政宗が攻め取った地である。
小田原参陣で遅れたために秀吉から取り上げられてしまったのだ。
それが「そっくり氏郷に」と思うと政宗はなんとも悔しい。
そこで事あるごとに氏郷にたてついた。
奥州の一揆を煽動して氏郷を会津から追い払おうとしたが失敗。
次は境界線についてイチャモンをつけた。阿武隈川をはさんで安達ヶ原と黒塚である。
政宗は、安達ヶ原は蒲生領だが黒塚は伊達領と主張した。
この時氏郷は少しもあわてず、
みちのくの 安達ヶ原の 黒塚に 鬼これもりと 人や見るらん
という平兼盛の歌を引き合いに出し、黒塚は安達ヶ原に属すとして見事に勝った。

4 :
レオ様は華がありますよね
早死にしなければ面白そうだったのに惜しい

5 :
郷土の英雄としてあがめる松阪人が噂を聞きつけてやってきました。

6 :
蒲生氏郷といえば、伊達政宗の前には完全に赤子扱いだったな w
葛西大崎一揆討伐の際、氏郷は、一揆軍と一緒に政宗に挟撃され、殲滅される
のではないかと怯え、ノーローゼ状態に陥った。(名生城の戦い)
氏郷は名生城(いまの宮城県古川市)に立て籠もったまま、いわゆる「ひきこもり」
をしてしまったのだ。城を出たら、政宗にブチ殺されると本気で信じ込んだためだ。
浅野長政が、両者の間に立って仲介したが、氏郷は伊達の重臣国分盛重と伊達成実
を人質に差し出すという条件で、ようやく城からはい出てきたといエピソードが残って
いる。
氏郷の若死には、十歳以上も歳の離れた政宗に翻弄されまくた、そのストレスも相当
影響しているに違いない。

7 :
厨ってうざいよね〜

8 :
だからスレなかったんだな

9 :
ノーローゼってなんだ。

10 :
>>5
レオ様は会津のものだ
松坂には渡さん

11 :
文武両道で徳も備えたぽい武将
小早川隆景、直江兼続、蒲生氏郷、竹中半兵衛、片倉景綱

12 :
直江は疑問

13 :
片倉も疑問
朝倉宗滴追加希望。

14 :
信長に才を見いだされ、秀吉も重用し、家康関東移封の背後の抑えとして会津92万石の大大名にまで
登り詰めた近江日野の武将。
だからこそ、突然の死には何やら焦臭いものが・・・
毒殺説が多く語られているが、そうだとすれば誰の手によるものか?
その才を恐れた三成、秀吉によるものか、天下取りの支障となると考えた
家康と正宗によるものか?
関連付ける史料が無いので憶測でしかないわけですが、
仮に氏郷が生きていれば家康が天下を取れなかったと考察される史家の方もおられます。
豊臣秀長・小早川隆景・前田利家らの名前もあげられますが
これらと並び称される氏郷は非常に優れた武将だったのでしょう。

15 :
名君だけど逸話ばかりで次期天下人と言えるだけの実績に乏しい
信長に才を見出されたと言っても織田家の政務に参加していたというわけではないし

16 :
信長の六角攻めで最後まで抵抗し、降伏後、すぐに人質から小姓に取り立てられ、
信長は娘冬姫を娶らせた。あの信長が若くして一門扱いだから、優れていたんじゃないの。
ただ基本的に優れた人とは言っても、時期天下人なんて誰も言ってないが。

17 :
相当なイケ面だったんだろうな・・・。
茶道やってたし風流だな〜。

18 :
板違いだが
信長の野望や太閤立志伝で配下にしたらナンか得した気分になれる
能力的には半端なんだが使い勝手がいい

19 :
覇王の薫陶を受けて育ち文武両道の優れた若武者へと成長する
奥方も絶世の美女だし周りも羨む美男美女夫婦であったろう
まさに戦国エリート
それでいて下々の者にも優しく戦にでれば勇猛果敢
レオ様ステキ☆

20 :
前田利家のお気に入りだったからここまで大大名になれたんじゃないの?

21 :
本能寺の変さえなければなあ

22 :
むしろ前田より大身なんですが…

23 :
本能寺でも蒲生親子はいい動きしてるよね

24 :
若いのに何であんな大身になれたのかな?
信長の娘婿っていう以外にどういう理由が?
何か特別な大功があったかな・・・?

25 :
織田や豊臣の家臣はみんなスピード出世だよ
氏郷も初陣以来なんの失態もないし各地できっちりと成果をあげているから
10万石やそこら貰っても何の不思議もない
あとはやはり左遷だな
逸話みたいに豊臣の天下を奪われるとまでは思わなかっただろうけど
氏郷は織田系列には顔が効くし、上方では知られた名族でもあるから
影響力は少なくない
その上、前田や利休など秀吉の側近ともやたら仲がいい
そしてなにより秀吉に忠誠心が全くない
このまま上方に据え置くのには面倒な存在であったと思う
でも罪があって飛ばすわけじゃないから代替地は大封をあてがわなければならなく
それで会津に40万石以上も与える事になったのかと
後は東北の平定に功があったのと
僻地に送った安心感、懐柔の意味も含めて加増していった結果92万石まで成長したと言ったところだろう
氏郷は大の家康嫌いだったから関東への牽制の意味もあっただろうね

26 :
日野城城主祖父、親父とも織田家家臣で、初陣の伊勢北畠氏攻めで数々の武功を挙げ信長の信頼を受け養女冬姫を貰い忠三郎と改名とある

27 :
限りあれば吹かねど花は散るものを
こころみじかき春の山風
蒲生氏郷 名将言行録
いいな〜この句意味深くて

28 :
プレミアムから出ている、乃亜の「痴女王」をみました。
チャプター1 R
男優さんのR首舐めからはじまりキスと耳舐めシーン、耳舐めのシーンで若干男優さんの目が写り込みますが殆ど問題なし髭もそってます。
徐々に下へクチビルを這わせて太ももの辺りまで、それからR&R カット割りによる客観映像の挿入は有りませんが
カメラがクチビル舐めやRのシーンで、左斜め横と正面から寄るシーンが多いのである意味客観映像かもしれません。
最後は、クチビルを寄せ舌を出しながらのRでフィニッシュです。
このシーンでは、乃亜はR語どころか一切の台詞を喋りません、また男優さんですがフィニッシュシーンも含めて、吐息、うめき声、台詞、喘ぎ声一切無しです。
チャプター2 からみ
R風味の主観映像です、男優さんの台詞はありませんが、吐息と喘ぎ声がモロに入っています。
チャプター3
スカートをたくし上げ立っている乃亜が尻を男優さんに突き出して、普通に男優さんの顔が映っていますが、このシーンでは
舐めてるシーンよりも、正面の乃亜の顔のアップや、舐めてるシーンもアップで男優さんの顔が余り映ってはいません。
反対に向きカメラに尻を突き出しながらRの上Rシーンへ それから男優さんに馬乗りになり股間を押し付けていきます。
そのご男優さんのクンニシーンと、乃亜のRシーンへ 多少男優さんの吐息が漏れフィニッシュシーンは呻きます。
まったく主観映像ではない客観映像です。
チャプター4
こちらもR風客観映像による絡みです、フィニッシュシーンを含めた比較的男優さんの声は抑えられています。
化粧と髪型で顔の印象が、自分がしっている乃亜とはかなり違っていたのでちょっと驚きです。
最初のRシーンだけ主観映像なので、ファンの人意外はまったくおすすめできません。
主観派AVファン集まれ!
http://pie.bbspink.com/test/read.cgi/avideo2/1150016631
http://www.h01.i-friends.st/index.php?in=yumitan2005
ジャンル検索 - 主観Rビデオ総合カタログ
http://vreal.aphro.info/pu/Genre/
あと、このページは誰でも編集できますんで、良ければ皆さんご協力よろしくです(=´ー`)ノ
ただ、その中でも「完全主観」となる9,hhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhh

29 :
どこから来たのか、どういう理由なのか、わかりやすい荒らしだなw
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1137033419/349-545

30 :
また伊達厨が荒らしているのか(笑)

31 :
氏郷には信長とウホッな疑惑があるらしいが、マジか?

32 :
小性上がりは、ほとんど皆そんな疑惑がある
信長はバイだったのかい?

33 :
>>32戦国武将はほぼ全員バイだろう。
S玄とか一部が有名すぎるだけw

34 :
家康は殆どウホッ毛は無かったらしい・・・
やったと思われるのは井伊直政ぐらい。

35 :
謎は全て解けた!名古屋にケツの穴掘らせて切れ痔になった氏郷。ばい菌がその傷口に入り下血症になり死亡。カッコがつかないから毒殺説を流し現在にいたる

36 :
氏郷×山三郎・・・イケ面同士だ!
いかにもウホッとボーイズラブが喜びそうなシュチュエーションですな!

37 :
ケツの穴を掘ったり掘られたりする時は裂けない様に気を付けろ!!

38 :
う〜ん・・・R臭そう。

39 :
氏郷の肖像画…………( ゚д゚ )

40 :
R臭そうとか真面目に想像するなよ

41 :
止めてくれーっ(激笑)!
想像なんてしたらゲロっちゃうだろ(笑)!

42 :
商人ゴッコとかの逸話に詳しい人とか、いませんか?おもしろいのとか何でもいいから

43 :
商人ごっこって名護屋城の仮装大会?

44 :
>>25
結局秀吉に都合のいい駒だったように見える・・・

45 :
伊勢松坂や陸奥会津での治績、伊達政宗との駆け引き、利休七哲にまで数えられる教養、
「大領であっても京に遠くては天下は望めない」と言った逸話

46 :
そのあと泣いたんだっけ

47 :
初名の賦秀は変

48 :
氏郷と政宗は、そもそも役者が違う。
  「天正一八年には、氏郷は三十五歳、政宗は二十四歳。然もいずれかと
  いえば、政宗は歳においては、十二歳の年下であったが、その世態人情
  に通暁した点においては、とても衿貴、豪邁なる一本調子の漢たる、氏郷
  の比ではなかった。彼は蜘蛛の網を張る如く、八方にその手を広げた。
  企て得られるだけのことは企て、なし得られるだけのことはなした。悪魔と
  会食する時には、長匙を用いるべしとは、彼に対する適当の言だ。氏郷が
  この煮ても焼いても食われぬ代物を相手として、一揆の討伐に従事したのは
  すこぶる同情に値することであった」 
 
                    (徳富蘇峰「近世日本国民史」)

49 :
今で例えるなら
氏郷は一流企業の御曹司で京大卒
政宗は土建屋の息子で東北大卒
俺の家は金持ちで東北大でてんだぞ
と田舎でふんぞりかえってたら
なんかもっと凄いのがやってきて
しかもオシャレでイケメンときてる
政宗は金のネックレスに金の腕時計で金かけてオシャレ気取ってるつもりだったが
氏郷の洗練されたいでたちに愕然
ちくしょう…東北じゃ俺が一番なんだあ!
とばかりに嫉妬の炎が燃え上がったのだろう

50 :
伊達が(東北の)天下を取るのに目障りなのは間違いない。

51 :
堀秀政と氏郷は暗殺だと思っている。

52 :
政宗と氏郷は領地が隣接してさえいなければ、結構仲良くなりそうな気がするけど 

53 :
>>47
蒲生治秀
蒲生長秀
弱っちそうな平凡な名前になってしまう。
だが『郷』がつくとスマートになるのが不思議w
蒲生治郷
蒲生長郷

54 :
確かに氏郷て名前変えて正解だね
蒲生氏郷って名前はスマートでセンスいいよ

>>52
そういわれてみれば氏郷と政宗って趣味や好みが似てるね
まあ、性格が全く違うけどw

55 :
前田利長、細川忠興と仲良し

56 :
このひとが長生きしてれば大老入りしてただろうな。
そうすると徳川の時代は来なかったかも・・・

57 :
家康大嫌い、でも豊臣の天下にも忸怩たる思いあり。
早世して良かったかもしれんね。

58 :
氏郷が天下を取るにはどうすれば良かったか…やっぱ人生の転機は会津左遷なんかな〜って思う。
それ以前に性格的に国造りが好きだったんだと思う、あと領土の概念について政宗と比べると、氏郷は上から与えられるもの、政宗的には切り取るものと言う覚悟の違いからくる考え方のシビアさが足りないように思われる。
天下人たる資質と資格があっても本人にその気が無ければなぁ〜強いて言えば環境が氏郷の敵だったような気がする…若い頃は恵まれ過ぎて、壮年時に伊達との争いで神経擦り減らしてりゃ長生きできんわな。

59 :
>>58
いや、立場が全く違うだろ…
切り取るもなにも蒲生はそんな事できる権限ないし
氏郷なんかは元服前に御家が滅んで自家は取り込まれてしまうわで
人質からスタートだからな
しかも相手は織田家
上方は激戦区になり織田家中自体も激戦区だから
頭角を現すだけでも一苦労
一家臣に過ぎないから上からの指示がなければ活躍の場すら与えられない
とても恵まれていたとは言えない

60 :
トリビア
蒲生氏郷はユダヤ人を家臣にしていた

61 :
例の赤鬼?

62 :
赤鬼、しかし信頼できる史料には遣欧使節に随行したとだけしか出てこない

63 :
>>49
あーそれぴったりだなぁwでも氏郷も
いかにも中央から流されたエリートって感じで、粋がってる政宗に対して
無視すりゃいいのを鼻で笑ったりしてチョッと大人気ないよねw

64 :
氏郷は政宗の影に怯え続け、命を磨り減らしたことは疑いない。
毒殺を疑ったり、名生城に立て籠もったり。
晩年はちょっと可哀想になってくる。

65 :
またか

66 :
夢遊病みたいに徘徊してるのだろうな

67 :
>>2
>>51
蒲生氏郷が病死であることは曲直瀬道三の日記で明らか

68 :
その曲直瀬が毒殺したんじゃないかって噂になったんだよw
氏郷の容態が悪いから秀吉が曲直瀬を送って診療させた
曲直瀬が帰った後に血を吐いて死んだから
秀吉の命令で毒盛ったんじゃないかと京で噂になった
当然事実無根で噂好きの京人が面白がって騒いだだけで
秀吉も曲直瀬もいい迷惑だったろうなw

69 :
この人は前田閥の一人でしょう
娘を嫁に出してるし仲が良かったらしいです
それで西の宇喜多、中央の前田、東の蒲生のラインで家康に対抗する
つもりだったみたいですね、他には細川や加藤清正などもいます
早死しなければ面白かったと思います

70 :
俺の地元に名生城跡あるけど悲しい程に話題にのぼらない人

71 :
地元での人気は圧倒的に氏郷です。
伊達政宗は、1589年に会津に攻め込んだ際に会津の寺院を焼き払ったりと暴虐の限りを尽くしたので、地元では人気ない。
聞いたところによれば、大河ドラマ『独眼竜政宗』は会津では視聴率が悪かったとか・・・

72 :
妻の冬姫が秀吉に関係を迫られて断ったから
石高を減らされたという話は本当なのだろうか

73 :
あのオッサンならやりかねない・・・・が、
それならもっと他に例がありそうじゃないか?

74 :
>1589年に会津に攻め込んだ際に会津の寺院を焼き払ったりと暴虐の限りを尽くしたので、
あはw
ソースは?

75 :
伊達厨の出すソースは伊達の捏造フィルターかかったやつだけだからな
心の拠り所がマンせー妄想小説だし、大昔の事でソースソース言う事が意味がないこと理解しようね

76 :
伊達厨をまともに相手するだけ無駄スルーしれ
コピペしかできないバカばかり

77 :
会津人って日本でも有数の可哀想な人たちでしょ?
江戸時代は搾取され続け
会津戦争では徴兵され
四民平等の後、教育勅語において学校教育を受けてみれば
その先生はかって自分たちを搾取していた武士層の人間
で、彼らに「会津武士魂」を言う名の敗者の妬み思想を植え付けられて現在に至る
まぁ薩摩も似たようなもんだけど

78 :
むしろ土佐
明治で勝ち組になったにも関わらず
何故か今でも行動原理は中央に対するルサンチマン根性

79 :
ルサンチマン言いたいだけちゃうんかと

80 :
堀やら山内やらがやっとあの数字なのに
なんでこの人はこんなに若くして92万石なの?

81 :
堀は関東に入れるつもりだったけど、小田原の陣の時病死して取りやめになった。
思ったけど、堀と蒲生って似てるよな。

82 :
>>81
ああ なるほど。
よく考えたら山内は現場の人だから
一定の数値以上になりにくいのかな。
堀やら蒲生やら目付けに仕える戦以外もできる奴のが
最終的に出世しやすいのかもしれん。
理系と文系の差みたいに。

83 :
まあ、秀吉からみれば山内は下僚だし
早い時期から秀吉につけられたからね
掘や蒲生は同僚だけど

84 :
ああ それ以前に格が違ったな。。。すまん

85 :
蒲生氏郷が高評価なのはやはりその出世振りにも表れるとおりの器量と運かと。
まず、織田家の人質時代に信長に気に入られることから始まって、娘をもらうに至った幸運。
戦績は、まず、小牧長久手合戦の功績によって松坂に12万石で、
九州征伐、続く小田原征伐で会津に40万石、その後最終的には92万石の領主になってる。
人間的には、戦陣では常に先頭に立って指揮し、自身が突撃するほど勇猛果敢でありながらも、
その反面で和歌や宗教にも通じ、茶の湯においては千利休とも交流があったという、
正に文武両道の武将であったといわれてる。
政治面では、信長の手法を見習うように、会津において商業の発展に大きく尽力し、
一方で鶴ヶ城の整備にも力を尽くした。漆器と酒造なんかも氏郷がもってきたものだし。
でも40歳の若さで死んだ。暗殺とも言われているほど、周りから(秀吉?家康?)その才覚は恐れられていたのかもしれない

86 :
要はチ○コで出世したんじゃないのか
もちろんそれだけではないが

87 :
アッー

88 :
政宗と比べれば人物が小粒だが、良将という気はする。
関ヶ原まで生きていれば、上杉よりましな対応はできただろう。

89 :
どうみても政宗は氏郷にたかる蝿にしか見えないわけだが
何が気に入らないのかしつこくちょっかい出してたけど
逆にどんどん氏郷はでかくなってるしw

90 :
政宗が猛犬なら、氏郷はチワワみたいなもんだろ。
尻をかまれたチワワが、泣きながら遠く離れた飼い主の秀吉に
いいつけに奔ったわけだしw

91 :
氏郷が会津に封じられて間もなくの10月、
 同じく「奥州仕置」によって大崎・葛西30万石に封じられた木村吉清の領地で、
 秀吉に領地を没収された大崎義隆の旧臣たちが蜂起し『大崎・葛西一揆』が勃発。
 氏郷は奥州仕置奉行であった浅野長政からの鎮圧軍派遣要請に応じ11月2日に出陣。
 また伊達政宗も兵を率いて出陣し11月14日に氏郷と政宗は軍議を開き合意する。
 だが翌日、政宗が「氏郷暗殺」を企図しているとの極秘情報がもたらされ、
 氏郷は名生城を攻撃し陥落させるとそのまま兵5000と共に篭城した。
 この氏郷の動きのため単独で軍事行動を取る伊達軍であったが、
 11月24日、一揆軍は伊達軍が接近すると抵抗することなく退却。
 これら一連の不審な動きの一部始終をつぶさに監視していた氏郷は、
 さらに政宗から一揆方に出された直筆の檄文を入手したため秀吉に対して
 「『大崎・葛西一揆』は政宗の謀略である」と報告した上で、
 一旦、政宗と和睦した上で会津黒川へ帰還。
 政宗は天正19(1591)年に秀吉から召集され、
 有名な「鶺鴒の花押」の釈明で切り抜けることに成功し、
 逆に氏郷が吉清を助けなかったことを叱責されることになってしまう。
 吉清は領地を没収され、その領地は政宗が手にする。
 一方、氏郷は失意の吉清を家中に迎える

92 :
氏郷っていきていたら
上杉征伐みたいに家康に因縁ふっかけられるんじゃないの?
仲わるいしさぁ

93 :
仲は悪くないよ
氏郷は秀吉も猿呼ばわりしてたし家康もケチ呼ばわりしてたけど仲悪かったわけではない
ただ、そう思ったから言ってただけ
無論好きではなかっただろうけど 
だが、本能寺の後は明確に秀吉を支持してる
関ヶ原でも家康に間違いなくつくだろう
感情と政治を混同するタイプじゃないからな
そもそも氏郷の嫡男は家康の娘もらってるし
豊臣への忠誠心も皆無
家康としても仲間に引き入れようとはしても、わざわざ敵対する理由はない
実際家康は後に蒲生家を優遇してるしな

94 :
そのときは前田と宇喜多と細川に援軍を頼むから問題ない
つか氏郷が生きてたら家康の方が先にくたばってたかも
利家と家康がガRしそうなとき(結局は回避)
氏郷が生きていれば間違いなく戦をするべしと言っただろう
そして自ら先陣を買って出て家康とやりあってたハズ

95 :
若死するといいよねこんな妄想してもらえて

96 :
うん…自分もそう思った…

97 :
惜しい人ほど早死にするっていうからね
どうでもいい奴に限って長生きする

98 :
秀吉家康その他諸将
どうでもいいわけないだろおー

99 :
蒲生氏郷は、徳川家康を「けち川」と呼んでいたらしいからね。

100 :
「あんなにケチでは天下は取れない」と言ってたもんな。
氏郷にとっての理想の天下人像はやはり信長なんだろうね。
氏郷は心の中で秀吉や家康をバカにしてたっぽいし。
てか氏郷夫人の「冬姫」って信長の長女だった覚えがあるけど、信康夫人の「徳姫」は
次女かな?


101 :
徳姫が長女
冬姫が次女
と一般的には言われている

102 :
■転載
秀吉が京都に大仏像を建立した時のこと、氏郷は石垣用の大石材を寄進した。
それは近江の三井寺の山上から京都まで綱で引きたててきた、という巨岩だが、
この引綱作業には、何百何千という家臣・人夫にまじって氏郷みずからも加わった。
折しも盛夏の候で、綱を引く連中は、頭から水を浴びたよう。むろん氏郷も同様だ。
歯をくいしばって引いているうち、ふと涼しい顔をしている一人の男が目についた。
戸賀十兵衛という侍の若党である。
綱を引いているような格好をして、実はサボっていたのだ。
「奴をここへ連れて来い。」
家来のひとりに命じてその若党を連れてこさせた氏郷は、目の前に引き据えたとみるや、
一刀のもとに首をはねた。
これを見た作業員たちは一人残らず震えあがり、必死になって巨岩を転がしたという。
これとよく似た話が信長にもあり、彼の酷薄な性格を物語る例として、
引き合いに出されるのだが、各大名競争の造営工事とあれば、
これもまた戦闘に準じた行為として、氏郷は厳しい軍法を適用したもの、と思われる。

103 :
信長の精神的な後継者だったカンジだね。
でなければ浅井家の配下&小豪族である蒲生家の嫡男に自分の実娘を嫁にいかせる訳ない。


104 :
ちっちぇw

105 :
浅井の配下ではないよ。敵方だ。

106 :
>>105
敵方っていうと、六角家方だったか?
北近江と南近江は小豪族が多過ぎて混乱しちゃった。

107 :
日野だから六角。

108 :
日野って地名か、公家かと思った
蒲生は俵藤太の後裔で、近江蒲生郡に土着
氏郷の曽祖父高郷以来、六角佐々木の家臣
氏郷の父賢秀は六角の六老臣の一人だったが、
観音寺城攻略時に信長に従う

109 :
氏郷の「氏」はどこから来ているの?

110 :
某蹴鞠の天才にあやかって

111 :
郷は祖父からだろうね
ご先祖さまは秀のつく人が多いんだけどね
氏もいないことはない 氏俊
関係ないかな?

112 :
蒲生と言えば、六角の家老じゃなかった?

113 :
じゃーさ、氏真の氏はどこから来たの?
あと真もどこから来たの?

114 :
氏は氏親とか氏俊とかもいるし、家祖は足利義氏(義兼の子)だから。
真はどうでもいいっぽいな。

115 :
蒲生氏郷があの地位まで上り詰めたのは記憶力のおかげだという話があるね

116 :
氏郷は鯰尾の兜をかぶり、常に先頭に立って敵に突入する勇猛な武将として知られますが、その反面、和歌や宗教に理解のある、安土桃山文化を代表する文化人としても有名です。
とりわけ茶道では利休七哲の筆頭にあげられたほどです。利休の曾孫江岑宗左の残した、
「江岑夏書」(こうしんげがき)では、利休が秀吉に切腹を命じられたとき、自分が京都にいたならば師の利休を死なせるようなことはしなかったものをと、氏郷が口惜しがったことが書かかれてあり、茶の湯を通じた利休と氏郷の交流には興味深いものがあります。

117 :
>>115
詳しく

118 :
次の戦国無双の新キャラは蒲生氏郷がいいな〜

119 :
大河ドラマの主人公をそろそろやって欲しい。

120 :
いいね〜。どんな配役で?

121 :
大河ドラマ「LEON」

122 :
主演
蒲生氏郷 ジャン・レノ
冬姫 ナタリー・ポートマン

123 :
全米が泣いた!!




(´・ω・`)ぶちころすぞ

124 :
>>117
織田信長は小姓や近侍たちを集めて武勇伝を披露するのが大好きだった。
しかし、集められたほうはたまったものではない。
昼間は仕事をし、夜は早く休みたいのに・・・。
しかし、毎回熱心に耳を傾け、武勇伝に目を輝かせた若者がいた。
それが蒲生氏郷である。
記憶力もズバ抜けてすばらしく、何度か繰り返される話も覚えていて
話が違うとその場で指摘したという。
家臣の中には「あいつはいつか大物になる」と予言した者もいたほどだ。
熱心に聞き入った武勇伝を木曽に氏郷は数々の武功をあげ、やがて秀吉に使え
最後は会津の大大名にまでのし上った。

125 :
(´゚∀゚)へぇ〜なるほどなるほどなるほどなっ。で、基礎の字間違ってるがなとツッこんでみた。


(´・ω・`)俺もツッこんで欲しいからワザと間違いボケをカキコするが誰も指摘しない。
(´;ω;`)

126 :
聞いた武勇伝を「基礎」に武功をあげれるものなのか?

127 :
(´・ω・`)ぬるぽ

128 :
>>126
そんなもん出来る奴もいるし、出来ない奴もいるだろ。
太田道灌なんぞ、古い和歌の知識を咄嗟に思い出して戦に役立てたって話もあるくらいだ。

129 :
この時代の学問なんて耳学問だからな
人の話し聞いて参考にする程度

130 :
確かに兵法書や軍記ものにしても、映像があるわけじゃないし。

131 :
>>128
んなこたぁ当り前だろ。
#熱心に聞き入った武勇伝を木曽に氏郷は数々の武功をあげ、やがて秀吉に使え
#最後は会津の大大名にまでのし上った。
ってのがおかしいと言ってるのだ。
本人次第だと言うのなら、資質が優れていたと言うこった。

132 :
>>124
dクス。
そういう話聞くと、人間は頭が良くないとなって思う。

133 :
この人の最大の失敗は、早死にしちゃった点だね。
後の歴史へどれだけ影響あたえたか!て考えると。
まぁ、無事是名馬だから、その点は大きなマイナス。
それに、早死したために、家中が空中分解してるし。

134 :
江南最強の蒲生を味方に。
これで安心織田信長。

135 :
家康秀吉がハト派なら、政宗氏郷はタカ派

136 :
四人ともタカ派じゃね?

137 :
>>120
蒲生氏郷 オダギリジョー
織田信長 佐藤浩市
伊達政宗 えなりかずき

138 :
氏郷サンが信長のお気に入りになった理由って何だと思う?
美少年だった、賢かった、仕事ができたetcだけでは説明できない気に入られようじゃないか。
吸収合併したちっちゃい会社の坊ちゃんをお情けで雇用→幹部候補ですやん(´・ω・`)

139 :
氏郷は美少年じゃないだろ…

140 :
そんな事したら織田家中は幹部候補だらけやん

141 :
>>140
実際昨今はネタが枯渇したのか、ちょっとでも信長が厚遇した家中の人間を
やたら大きく取り扱っている小説とか多いね。

142 :
氏郷が会津で評判いいのは、
会津塗や清酒、本郷焼などを、つくるのをはじめたことによるのかな?

143 :
氏郷が長生きしてたら五大老には上杉景勝ではなく氏郷が選ばれただろう。
それか氏郷を入れて六大老とか・・・

144 :
可能性はないとは言えないけど
死んでしまったらどうしようもないよ

145 :
おお うじさとよ しんでしまうとはなさけない

146 :
>>143
ってか、そもそも「毛利輝元・徳川家康・小早川隆景・上杉景勝・宇喜多秀家・前田利家」
で六人だから七人目になるのではないのか?

147 :
氏郷がいたら景勝はいらん

148 :
いやいる。

149 :
>>146
輝元を筆頭に持ってくるのに違和感を感じた…愛?

150 :
>>149
俺が愛してるのは石田三成だけだ。
ぶっちゃけ・・・浮かんだ順番に書いただけ。
しいて言えば、前田利家は浮かばなかったんだ・・・(だから最後

151 :
>>146
マジレス失礼つかまつるが上杉景勝は先に亡くなった小早川隆景の補充要員だったから、仮に氏郷が入ってても景勝を省いた六大老制になったと思う。
あと、あえて言っときますが決して景勝が要らない子だという意味ではないですよw

152 :
>>151
書いておいて言うのも何だが・・・気づいてた。
いいんだよ!!
ごめんなさい・・・。

153 :
前田は確実にいらなかったと思う
結局何の役にも立たなかったの前田だけだし
元々裏切り癖があるしなんで前田なんか引っ張り上げたのか謎
前田を豊前にやって
毛利親子を加賀に入れるべきだったな

154 :
>>153
旧信長軍の生き残りだから安全枠だろ
それに生きている間はちゃんと家康の牽制役になったじゃないか

155 :
>>154
秀吉が生きてるうちはそうだが
死んだ途端に手のひら返したように家康に取り入った
五大老で一番優遇されてたのに
前田に80万石もやるくらいなら宇喜多と上杉に40万石ずつ加増したほうが余程マシだったろう

156 :
>>155
取り入った…?
秀吉死後は専ら仲介役だったと思うぞ
取り入ったと言うなら利家が死ぬ直前じゃないか?

157 :
つーか仲介しようとして、大坂の馬鹿妾の周辺から>155みたく思われたら
俺なら立場鞍替えするな。かつもっちゃんじゃねえけど。
死ぬ直前まで家康懐柔しようとしただけでも偉いわ。

158 :
>>155
実際に取り入ったのは死ぬ直前に会った時だけだと思うが。
やっぱり、老いには勝てないし仲介役をするなかで自分の息子じゃ家康に太刀打ちできないと悟ったんじゃないかな。
だから死ぬ前に手を打った。

159 :
何かで読んだのだが、この時代に梅毒が広がったと言う説は本当?

160 :
インディアン嘘つかない

161 :
>>1512
日本でははじめて記録に出たのは1512年らしいが
南蛮人の渡来で広まってそうな気はするよな
コロンブス→イベリア半島→日本ってルート?
結城秀康以外にも患者いたのかね?

162 :
すげぇロングパスがきたな。

163 :
わろた

164 :
年号かと思った

165 :
品のいい、オボッチャマンで、イケメンってイメージ。
加えて有能。人格、人当たりは悪くないがそこそこプライド高くて野心家。
でもハングリー精神があまりなさそうなので天下取りには一歩とどかないイメージ。
真田雪村や立花宗茂系列の清廉な若武者路線だが、2人ほどにはまっさらなお人好しではない。
伊達政宗系の成分が10%ほど混じっている感じ。

166 :
掌返してはいないだろ。
利家は頑張った。利長がカス

167 :
うん そうだな
で 誰に言ってんの?

168 :
【謙信最強は創作】
謙信が戦国最強の武将(軍神)とされたのは、江戸時代の創作ですね。
武田の甲州流兵学が幕府公認となったので、紀州徳川家(頼宣公)が
上杉流兵学(軍記書)を宇佐美定祐に作らせたというのが最新の学説です。
臼井城攻めの失敗など謙信が敗北した合戦も、複数の史料で明らかになっています。
※謙信自身が敗北を認めている書状↓
 晴信年(念)を入れ、いかにも堅固ニしらわれ候間、落居さうなくつき堅候、
併馬を為寄候上者、善悪ニ不及候間、無ニセめへきそうふんにて、当月七日より
取詰候ヘ共、(中略)佐(佐竹)・宮(宇都宮)を始、弓矢かいなくわたられ候、
房州(里見)・太田いくさにまけ(第二次国府台合戦)候時よりも、たゝいまきうくつなんきニ候、
とかくこのたひハかた〜〜にあふへき事いかんなるへく候やと、心ほそく候間、
早くはりをやるへきために一昨夜ハちゝんをやり候ヘは、めのまえの者ともはらを
たて候て、うたてしかり候、これ又よきなく候へ共、さゆうなくゆたん候へ者こと
のひ候てきうしくちおしく候(中略)
 かいほつ又ろう人のうちに一両人ておい候、さセるきなくうすてニ候、返々
いつもよりかへり(帰り)たく候間、このたひハおつと(落ち度)あるへく候やと
心ほそく候、
永禄七年三月十三日                  虎(花王)
[三洲寺社古文書]

【上杉家の歴史】
上杉謙信が小田城を攻め落とした時、小田城下がたちまちにして奴隷市場に早変わりし、上杉謙信自身から差配して人の売り買いを行った。
奴隷の値段はひとりあたり20〜30銭の安さだった。
1561年(永禄4年)、謙信は関東管領の就任式で忍城城主成田長泰の非礼に激昂し、顔面を扇子で打ちつけた。
諸将の面前で辱めを受けた成田長泰は直ちに兵を引きいて帰城してしまった。
原因は諸将が下馬拝跪する中、成田長泰のみが馬上から会釈をしたためであったが、成田氏は藤原氏の流れをくむ名家で武家棟梁の源義家にも馬上から会釈を許された家柄であった。
だが、謙信は無知でこの事を知らなかった。
この事件によって関東諸将の謙信への反感が急速に高まり、以後の関東侵出の大きな足かせとなった。
上杉謙信は臼井城の原胤貞を攻めた際、数千の死者を出して逃げ帰っている。
これを機に由良成繁が上杉謙信を見限って離反。
長野業盛が武田信玄に攻撃により滅亡。
臼井城攻撃に失敗した謙信は
信玄に箕輪城を奪われ氏康に金山城を取り込まれてしまい
とうとう厩橋城までもが謙信の手からこぼれ落ちた
上杉家重臣の北条高広も上杉家から離反。
謙信の関東経略は失敗し北条家と同盟という救いの手に助けられる。
謙信の死後、養子の景勝(謙信の姉の子)と景虎(北条氏康の子)が後継者の座を巡って内紛を起こし、越後を二分した争いは天正7年(1579年)の御館の乱で景虎が討死する事により景勝が勝利した。
しかしこの内乱によって、上杉家家臣の新発田重家は離反し、柴田勝家率いる織田勢は能登や加賀、越中に侵攻して同地を1581年までにほとんど奪ってしまった。
つまり、謙信が築き上げた勢力は、この内乱によって完全に失われるとともに、上杉氏は大きく衰退してしまったのである
本能寺の変の直前には、柴田勝家が率いる方面軍に越中の城は次々と落とされ、
信濃からは森が、三国峠からは滝川がと、三方から侵略を受けて防戦も無理な状態だった。
新発田氏の反乱で越後国内はボロボロ。 反乱を鎮圧する力さえも残っていなかった。
景勝自身も死を覚悟しており、本能寺の変が無ければ上杉家は数ヶ月後に滅亡していただろう。

169 :
市町村合併で滋賀県蒲生町もなくなっちゃったな。
現在蒲生郡は日野町、安土町、竜王町。
旧来の地名を維持できるのは公立学校ぐらいか。寂しいな。

170 :
氏郷は家康嫌いだというレスが過去に多々あったが、千利休の息子少庵を助ける時、家康と連名して秀吉に許しを請うたらしい。
そんなに家康のことが嫌いじゃなかったのだろうか、それとも少庵を助けるためなら大嫌いな家康とも手を組めたとでもいうのだろうか?

171 :
嫌いというか矜持、プライドじゃないかな。
いかなる相手にも心で屈しないという。

172 :
蒲生郡が伊達の飛び地になってる件

173 :

海音寺潮五郎曰く、
「氏郷は不運な人といってよいだろう。その器量にくらべると、決して充分とはいえない。秀吉の没後十五年生きていたら、天下はどんなことになったろうと思うと、彼のために一掬の涙なきを得ない。」

174 :
単に家康のことを吝嗇(ケチ)な田舎者としてみていただけで
家康よりは洗練された文化を解するから見下していただけでは?
嫌っちゃいないだろ。
東京住まいの若いエリートサラリーマンが鹿児島かどっかの
故郷以外出たこともないけど土地だけはある方便丸出しの農家のおっさん
に対して抱く感情くらしかなかったのではないかと・・。
>>173
こういってはなんだが個人としての器量はともかく
組織人としては家康に及ばない気がする。

175 :
>>173
あの武将列伝シリーズは俺も好きだったが、ちょっとヨイショしすぎだよな
氏郷は名将ではあっても天下人の器ではないと思う
けどやっぱ早世は惜しまれる
まぁ、氏郷存命で関ヶ原合戦迎えてもけっこう目端の利く人だから東軍につきそうだが・・・

176 :
氏郷が生きていれば上杉は会津にはいないからまた変わってくると思うが。

177 :
氏郷が生きてれば家康は天下を取りやすかったかな、取りにくかったかな?

178 :
柴田勝家の与力として従軍していたのに、本能寺の後は迷わず秀吉に従ったのを見ると、案外秀吉死後は家康派になったかも?
しかし氏郷は近江出身だから西軍も捨てがたい・・・
氏郷は家康の事はともかく三成の事はどう思っていたのだろうか?

179 :
>>178
小僧くらいにしか思っていなかったんじゃない?氏郷のプライドの高さから考えれば。

180 :
俺らの住んでる盛岡にゃ、氏郷さんの兜がある。
姫さんが南部の殿さんに嫁いだ時の、御守りだったかな?




「天を衝く」で愚将扱いされてるのはry

181 :
もし関ケ原時に生きてたら、三成は絶対に引き込んでいただろうし、
もしかしたら五大老の一人になっていたかもしれない。
そうなったら、利家、氏郷両頭で豊臣政権支えていた可能性が高い。
関ケ原では西軍総大将になってたかもしれない。

182 :
>>178
元々、織田信長の娘婿であり戦功によって大封を得た氏郷から見ればあまりよい感情もってなかったんじゃないかね?
ifの話をして恐縮だけど、信長が日本統一してたら氏郷から見れば陪臣なわけだし

183 :
>>170
利休七哲の一人なんだし当然って気もするが。

184 :
>>181
当然五大老にはなれてたでしょうね。秀吉亡き後の政権を支えるためにつくららたのが五大老だから、徳川、毛利に次ぐ領地を持つ氏郷が就任しても不思議はない。
政治能力、人望、どれをとっても家康に対抗できたのは氏郷だけだったでしょう。
そうなると家康もあんな大胆な行動も取れなかっただろうし、もしかしたら関ケ原も無かったかもしれない。

185 :
>>184
将来を見越して家康に協力し豊臣家解体を推進した、かもしれない。

186 :
俺も>>185に同意
氏郷は有能だけど自分の能力を弁えていたと思う
本能寺の変後、昇り龍だった秀吉に与力したように家康に協力しそう
後、>>184は過大評価気味
氏郷は戦場での勇猛さや領内の統治は上手かったが大きな意味での政治能力は未知数
仮にも天下を取った家康と比べるのはさすがにきびしい

187 :
伊達と徳川を押さえ込むのって、氏郷、景勝、義宣と揃っていたとしたら
効果は大きかったかもしれないけどなあ。

188 :
性格のよさそうな人ですね。

189 :
>>187
秀吉の構想は、まさにそれでしょ。氏郷は前田家とも繋がりが深いし。
徳川相手に一戦やらかすなら、ある程度の人脈はないと厳しいよ。
上杉・佐竹は交友関係が狭いというか、微妙に偏っているからなぁ。

190 :
伊達政宗の邪魔するから嫌いだな

191 :
伊達政宗と石田三成がいなければよかったのに。

192 :
三成は関係ないだろ

193 :
政宗の邪魔をした訳ではない。
政宗が氏郷の邪魔をしたんだ。
その後秀吉が見苦しい言い訳をする政宗を許したのは、むしろ政宗より氏郷の方を恐れていたからではないだろうか?

194 :
>>193
秀吉は誰でも恐れすぎだなw

195 :
>>193
氏郷を会津に配置させたのが、伊達や上杉への牽制を意味するっていうのが前提ならば、
東北地方の大名の勢力均衡を崩さないためにも正宗に厳罰を与える事を止めたのだと思う。

196 :
>>194
後継ぎが居ない分、実力あって若い奴は特に怖かったろうな。

197 :
埼玉県草加市蒲生という地名は、何か関係あるの?

198 :
二万で関東に押し出していればなあ

199 :
この人の中では
信長>|高い壁|>秀吉>利家>俺>|高い壁|>家康
(天下人としての器)
わりと自信たっぷりだな

200 :
蒲生は越谷

201 :
利家を妙に高く評価してたよな、氏郷

202 :
人を見る目がないけど優秀
孔明?

203 :
:]

204 :
奥さんの冬姫のスレが立ったw
秀吉 vs 冬姫
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1159487750/

205 :
蒲生さんて、「家康はケチだから天下とれない」って言ってたってホント?
あんま信じたくないなー。
大河独眼竜で蒲生役の人、すげー格好良い。惚れる。

206 :
言ったっぽいよ
>>99-100>>174

207 :
伊達政宗にしてやられた人というイメージしかない

208 :
何をしてやられたの?
でも、政宗が大崎葛西一揆扇動したのなら氏郷は政宗に感謝しなきゃならないかもね
あれを鎮圧したお陰で大幅に加増されたのだし
でも本当に政宗は関係なかったとしたら悲惨だな
氏郷が讒言で政宗陥れた事になってしまうw

209 :
>>207
むしろ蒲生勢の猛烈果敢な進軍に遅れを取って城落城したころに現れ
「私も働きたかったのに・・・太閤殿下に会わせる顔が無い」
「じゃ、この先の城を落としたら如何?」
         ↓
言ったものの一揆の先導者は政宗だから空鉄砲撃って城攻めやる気なし
         ↓
蒲生が「攻めあぐねてるなら力を貸しましょう」
         ↓
焦って攻撃
とけっこう手玉に取られてるのは政宗という感がなくもない
氏郷の後ろには豊臣政権があるってのが大きい理由だろうけどな

210 :
氏郷といえば名生城立てこもり事件。
浅野長政がなだめすかし、伊達成実が入ってようやく城から出てきた。
また、政宗と会談した際、毒を盛られたと勘違いし、解毒剤を飲むな
ど大騒ぎした痛い人というイメージ。
政宗の隣に配置され、ストレスで寿命を早めたことは間違いない。
さらに息子の秀行を左遷した、秀吉の蒲生へ対する嫌がらせ、悪意も凄い。

211 :
>>210
名生城立てこもりはそもそも伊達の人質交換が原因じゃなかったっけ?
会談は政宗に疑心抱いてる状態で行われたから必要最低限の処置じゃないか?

212 :
アンチだろ。
それか政宗厨。

213 :
>>210
とりあえず、非常に苦労の多い人なんだなってのは分かった
隣人がメチャクチャな奴だと、生活がきついよな
政宗ってのは、性格が狂っていたから

214 :
>>213
氏郷=日本
正宗=南朝鮮

215 :
氏郷=南朝鮮
正宗=北朝鮮

こうだろw

216 :
いや違う。>>214の方が正しい。どちらかと言うとね。

217 :
どっちも正しくないと思うw

218 :
氏郷は織田派期待の星だからなぁ。
秀吉とすれば、早く死んで欲しかったろうし。

219 :
しかし、氏郷とて、織田家の復興を信じていたわけじゃないだろう
心でどう思っていたかは知らないが、結局は秀吉に従ってるんだ
秀吉だって、まさか氏郷が謀反を起こせるとは思っていなかっただろうし
秀吉が謀殺したってのは、少し無理があるんじゃね?

220 :
秀吉の暗殺は京の町民の間で流行ったただの噂だよ
別に秀吉と氏郷は不仲だったわけじゃないし
むしろ氏郷は本能寺の変以来一貫して秀吉を支援している
秀吉も対徳川の筆頭として利家と共に氏郷に期待していた
会津に転封したのは無論関東を北から牽制するものだし
若年でありながら利家以上の大封を与えた点から見てもどれだけ秀吉が氏郷に期待していたかが分かる
利家と氏郷は親類でもありお互い凄く仲が良かった
そして親豊臣派で徳川に敵意を持っていたから秀吉とすれば大事な人材だよ

221 :
>>218
そうかな?
氏郷の方は、地方にやられて天下を狙えなくなったと涙を流したとかそういうエピソードもあるけど、
秀吉のほうはどっちかっていうと、なんとなくむしろ氏郷の事を信頼してたんじゃないか?という気もする。

222 :
秀吉厨

223 :
実際、この人が天下取ってた可能性はあるのか?

224 :
>>223
俺は氏郷は好きだがそれは無理だと思うよ
そもそも寿命が・・・

225 :
夢もてや

226 :
長生きすれば利家の後釜になったろうし全く狙えない位置ではないと思う
でも家康が生きてるうちは行動起こさなかったろうな
氏郷も相当に目敏いから軽挙は絶対しないだろう
家康に隙ができなければ普通に徳川政権下に収まる可能性が高い
秀吉に対してもなんだかんだ言ってたけど敵対するようなそぶりは全く見せなかったし

227 :
この人があと30年生きて会津に居たらどうなってたかねぇ
政宗とにらみあったままの可能性も高そうだけどw

228 :
京から遠すぎてどうにもならんだろう。
間に徳川がいなければあるいはどうにかなったかもしれないという可能性はないとも言いきれない気がするが。

229 :
氏郷が長生きだったら歴史は違う方向に行く可能性は十分ある
五大老は確実になっていただろうし先が読めないな

230 :
長いモノには巻かれろの精神で大人しく生きていたのに
早く亡くなってしまって惜しい人だな

231 :
氏郷が生きてたら家康も天下取れないか圧勝したかどっちかだな
利家の後釜として居座られたたら三成も勝手な事できないし
家康も豊臣家中で権力強めるぐらいに留まった可能性がある
逆に家康に氏郷が同調して三成らと抗争を起こしたら
伊達・蒲生・徳川で東日本は完全徳川派
そうなれば佐竹も東軍に転ぶしかないし
そもそも東に誘い出して…、と言う構想すらなくなってしまう

232 :
生きていたら、秀吉の死後、本来の織田派武将を糾合して、天下とりに動く、というのは、有りか?
東北は、徳川派と織田派に割れる(というか、伊達派と反伊達派かな?)だろうし。

233 :
生きていたら
三成vs武断派の豊家武将の衝突がなかった
家康が会津征伐に出る口実がなくなる
この二点だけでもかなり大きく歴史は変わってそう

234 :
>>233
なんか、黒田如水がもし氏郷と同じくらいの時期に死んでいたら、それと
全く同じ事を言われそうだな、と思ったよw

235 :
如水は言われんような気もするがね。

236 :
側室を持たなかったと言っても、
あっち方面に興味があったのなら「冬姫だけを愛した」と言えるのだろうか

237 :
ずっと がもうし きょう と思ってました

238 :
がもうくん たいら

239 :
ガモウひろし

240 :
東北いきになってなげいたというが
なら92万石から近江あたりに5万石にしてやるからっていったら喜んだのだろうか・・・?

241 :
伊勢で12万石だったんだからそれじゃ謀反を考えるくらいに怒るだろうw
1590年の時点で近江で20万石だったら大喜びだろうな。

242 :
秀吉ってなんでこいつを重用したんだろう
信長時代の実績だと掘秀政、長谷川秀一のほうが目立ってた気がするけどなぁ

243 :
>>242
その辺は大物過ぎて秀吉がコントロール出来ないからじゃないか?信長存命時には
信長側近のその二人には秀吉もヘコヘコ頭下げていただろうし。そういう姿を
知られすぎている人間を、立場が変わったとはいえあまり用いたいとは思わないでしょ。

244 :
ちょっと待て掘秀政も重用されてるだろ

245 :
>>242
氏郷が重用されたのは英正と秀一が死んだ後じゃなかったっけ?
三人の中では末席的存在。

246 :
前に何かの小説で読んだけど、小田原の陣の後
本当は堀秀政に会津をやろうとしたんだけど死んじまったから
蒲生にあげたってのは作り話か?

247 :
>>246
関東やるんじゃなかったか?

248 :
年齢(3歳差)、領土(小田原以前で18万石と12万石)、秀吉への支持の度合い、
氏郷のほうが名前はメジャーだけど、生前はあらゆる点で堀秀政の「次」の存在だったからね。
長谷川秀一は、本能寺の時に家康と一緒に逃げたり、小牧長久手で(自分のせいではないが)
徳川に配送しているから、朝鮮役まで生き延びたけど、秀吉の覚えはよくなかった。
最終的に氏郷に与えられた領土が百万石だったとして、堀秀政が生きていれば
堀60万石、蒲生40万石くらいに割り振られたんじゃないか。


249 :
氏郷より秀政の方が重用されてたって、そりゃそうだろ。
本能寺以前から秀吉に接近してた訳だし、
戦績だって、治績だって、同世代武将の中じゃ抜きん出てる。
というか、長谷川秀一って、なにやったっけ?
小姓としてのイメージしかない。

250 :
長谷川っていえば同じかの地で病死した加藤光泰
ゴタゴタあっても甲府を預けられてたんだから面白いな

251 :
>>249
八切止夫によると(ry

252 :
加藤光泰は信長在世中から秀吉の与力だったからな
秀吉の信頼度がちがうだろ

253 :
奥さんのスレより遥かに下にありますよ
人気ないなぁ

254 :
なんで奥さんのスレがあるのか謎だけどなw

255 :
この人の家臣の話が知りたいのう
横山、名古屋、佐久間以外に有名人はいるの?

256 :
名将言行録だと、秀吉に「氏郷10万と信長5千が戦うとしたら、信長につく」とか言われている扱い
大規模な合戦の経験がないの?

257 :
単に氏郷が嫌いだったんじゃないか?

258 :
好き嫌いで評価は変わらん

259 :
「氏郷が4千の首をとってもその中に信長の首はないだろうが、信長が五つも首を取ればそのうちの一つは氏郷のものだ」だっけか?>名将言行録

260 :
氏郷が陣頭指揮というか、自ら率先して前線に行くタイプだったからそれを秀吉がたしなめた。
そういう話。

261 :
いや、今生きてる奴の中で最強クラスの氏郷の名前を出して、それ以上に
信長様は凄かったんだぞ、って言いたかっただけでそ。秀吉は。

262 :
>>260が正解だろ

263 :
新しく蒲生家に来た将とかに「戦場で鯰尾の兜の武者が先頭切るから、それについていけ」て言ってたらしいな<氏郷
自分自身のことなんだが

264 :
将棋で言えば玉で歩を取りに行くようなものだから叱られるのも当たり前
同じような叱られ方をしたものも多い
武田勝頼とかもそうだった

265 :
信長も若い頃は陣頭指揮だったからなぁ。
氏郷が信長に気に入られたのは、意外とそういう部分が
信長自身に似ていたからなのかもね。

266 :
一長一短ではあると思われる。
北条綱成とか島津家久とかもそうだし、信長もそうだが、
えてしてこういう戦い方をする奴は奇跡的な逆転勝ちを呼び込むこともままある。
大国の大将としてはいかんのだろうけどね。
その辺の使い分けなんだろうな。

267 :
立花道雪もそうだな。
上の人間が前へ前へ行ってしまうと、首を取らせるわけにはいかんから雑兵でも必死になる。
主君から軍配を預かる、侍大将なんかはこれでも構わない。
ただ、氏郷は国持ちの身分になってもやりかねん(やってる臭いが・・・)男だったから、秀吉は釘を刺したんだろう。
このエピソードは確か、家康や利家、秀家などの五大老クラスの面々と同席してた時の話。
とくに若い秀家なんかに真似されたら困るから言ったのかもしれないな。

268 :
じゃあ同じ秀家に大将の戦い方の教えを請われて、信長様のように陣頭指揮すれば攻勢でも劣勢でも対処できる!と言った利家(やはり名将言行録)と見解は真っ二つということかな?

269 :
まあ秀吉には陣頭指揮は無理だよなw
自分自身も槍働きが人並み以上じゃないと

270 :
秀吉は秀家を猫かわいがりしてるからなぁ。
あ、ちと話はずれるが、朝鮮役で小早川秀秋が猪突して自ら首取りに行ったとき大激怒したよな秀吉。

271 :
信長にも氏郷は一騎打ちして首取りしたことを誉められるどころか叱られている
大将が前線に出なければならない時があることと、迂闊に一武士のように身を危険に晒すのは別、と教えたかったんだろうか?

272 :
今川義元見てればよくわかるだろ
大将が討ち取られたらいくら残存兵があっても戦は終わるんだよ

273 :
今日は氏郷祭りage

274 :
きりん

275 :
信長様のお気に入り

276 :
似た様な話なかった?
同兵力の氏郷軍と秀吉軍が互角に戦ったとしても、最後まで生き残って勝つのは秀吉軍だと・・・
なぜならば、氏郷は大将のなに最前線で戦うので、最後の一兵になるまでには死んでいる。
逆に秀吉は最後の最後まで生き残るのは秀吉自身だからだ・・・


277 :
将棋で王将使って果敢に攻める人いるよね?
それと同じで考えながら戦えば危なくはないんじゃない?

278 :
>>277
まぁなんだ。
ちったぁ想像力働かせなさい。

279 :
昔、ペルシャの王様が前線に出て、討たれ、その一戦で王朝滅びた事があったな。
なに朝だったかな?

280 :
オスマントルコなら、皇帝がティムールの捕虜になったために一度滅亡して後に再興されたとされるが

281 :
アケメネス朝のキュロスとアルタクセルクセス1世の兄弟喧嘩はキュロスが飛び出して戦死してたな
で、キュロス軍が総崩れで敵地を逃げる羽目になったのがクセノポン

282 :
ガモウひろしって何代目に当たるの?

283 :
同僚のスレが立ちましたよ
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164396819/l50

284 :
蒲生氏郷
略して、ガモウジ
みんな、そう呼んでやってくれ

285 :
大阪、蒲生四丁目の交差点! ゆかりの地ですか!

286 :
いやいや埼玉県内の東武伊勢崎線 蒲生駅こそゆかりの地だろう

287 :
ローカル杉

288 :
この姓の人が知り合いにいるんですけど、超珍しいですよね。最初読めなかったw
氏郷さんと何かしら関係あるんでしょうか?

289 :
あるっちゃあるんじゃ。
氏郷は家臣に蒲生姓与えまくりだったから、先祖が家臣の人かな。
氏郷本人には男系の子孫は残っていない。

290 :
>>288
滋賀県じゃさして珍しくもなかったですよ
シャチハタや名前スタンプも必ず置いてありました
他府県の大学に進んで初めて変わった姓だと気付きました

291 :
>>290
へーそうなんですか。うちは仙台なんですけど、彼以外その名字の人は今のところ
知りませんねえ。
もとはそちらの家系なのかな。

292 :
>>291
藤原秀郷の子孫が近江国蒲生郡を賜って改名したのが蒲生氏のルーツ
東北から見ればよそ者だな
ちなみに大隅の蒲生氏とは無関係

293 :
>>284
「ラブやん」に出てくるジャモジさんみたいだなw

294 :
>>292
藤原氏ならむしろ東北では一番尊敬されそう。

295 :
平泉周辺だけだと思うぞw

296 :
藤原秀郷関連の本では蒲生氏が秀郷流に箔をつけたいが為に
大ムカデ退治や将門退治の話で秀郷を英雄っぽくしたらしいとも言う
名前に郷の字つけたり家紋変えたりするぐらいだからよっぽど心酔してたんだろうな

297 :
ちょいと質問なんですが
秀吉の朝鮮出兵を聞いて氏郷が
「猿め、死に場所を失くして狂ったか」って言ったのって実話?
なんかで読んだ気がするんだが・・・海音寺さんだったかなぁ
知ってる方おられたら元を教えて下され

298 :
>>297
それは小牧・長久手陣の話です。
小説は多分司馬遼太郎の「覇王の家」あたりかと。
ちなみに文庫だと下巻P223。

299 :
>>298
ご教授感謝です
小説だったのか・・・ちょっと残念
氏郷は小牧の戦では伊勢で戦ってたんだっけ

300 :
>>299
童門冬二の近江商人魂では朝鮮出兵の時に言ってた気がする
伊勢で戦ったのはしずがたけ(何故かry)の時
小牧の戦では中入りの策に反対したとか陣払いの時に殿軍してたりだったと思う
その後も伊勢で戦ってはいたけどね。PHP文庫の小説からの抜粋ですが…

301 :
>>300
複数の小説で引用されるってことは原典があるのかな?

302 :
司馬遼太郎の小説って歴史小説界ではある意味で原典みたいなところあるしなw

303 :
童門の小説なんざ孫引きに決まってるだろ

304 :
城南署窓際警視蒲生を会津93万石に封じる

305 :
あいつが蒲生……。
蒲生”セロニアス”時貞……!!

306 :
蒲生氏郷って個人的に堀秀政と親交あったんですか?

307 :
ここは学者が集まっていますねぇ。
会津に旅行に行くとき、観光地を探していたら「蒲生氏郷の墓」というのがあって、
会津に貢献した人なんだろうな、とは思ったもののその後のフォローはせず
今に至りました。小説読んでみます。

308 :
昔、サントリー美術館で会津若松城内にあった屏風絵「泰西王侯騎馬図屏風」
の二点セットを特別展示で見ました。安土桃山文化の真髄という感じの洋風画でした。
今でもあれが蒲生レオ様の華麗なるイメージです。

309 :
ゲームの話で申し訳ないが、信長の野望シリーズでは【革新】でついに(大名、または大名の後継者以外で)
一番使える武将になったな。
氏郷のためにいつでも「管領」の席は空けてある。

310 :
寿命にはあまり恵まれなかったよねこの人
40くらいだっけ?

311 :
そう。短命を嘆いた辞世の句がこれ。
限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心短き 春の山風
この人、何かとセンスがいいんだよね。

312 :
氏郷ばかり優遇されてQちゃんが憐れだお( ^ω^)

313 :
仙台藩の百姓ってカワイソー
江戸時代、飢饉がある度に餓死者がたくさんでたんだよね・・・

314 :
ダメ藩主だったからな

315 :
あと十年寿命が長ければ、日本史をがらりと変えていたに違いない。
まずは豊臣五大老の一角に名を連ね、秀吉の死後は織田秀信を擁立し第三勢力を形成。
天下を織田、豊臣、徳川の三国志時代に突入させる。

316 :
ほうほう

317 :
>>315
その十年後の豊臣家の五大老は、
宇喜多秀家、蒲生氏郷、上杉景勝、毛利輝元、堀秀政(生存の場合)では!?

318 :
氏郷が生きてたら間違いなく家康についたと思うお( ^ω^)
前田も引き込んで家康も史実より楽に天下取れたかもしれないお

319 :
豊臣にも徳川にもつかず、織田秀信を擁立して、織田家を盛り立てたと思うけどなあ。
前田は信長譜代だから同盟者。池田・丹羽や細川・藤堂・黒田あたりも引き込めそうだ。

320 :
史実では東軍についた大名ばっかりだな。これでは家康も黙っているほかあるまい。
あるいは、直参・譜代で鉄の結束のもと、豊臣でなく蒲生に対して戦いを挑むか?
豊臣が秀信に対して手を出せるとすれば、大老として参戦するのもアリかもしれない。
または逆に、信長時代からの同盟者として織田にくみし豊家追い落としにかかるのか?

321 :
>>320
家康の経歴を考えれば豊臣家の天下よりは織田家の方が立場的にも良いから、
黙ってると言うより、そうなったら率先して織田につくんじゃないか?

322 :
蒲生氏郷・徳川家康・前田利長が中心になって織田秀信を擁立か。これは面白そうだ。
問題は、史実で家康についた豊臣恩顧の大名や諸将が、織田方につくかどうかだな。
加藤清正・福島正則ら秀吉子飼いは、織田と豊臣が戦う場合は豊臣につくだろう。
そうなると、伊達政宗あたりも豊臣をとり、最上義光らも靡いていくことになる。
この場合、勢力の分布のバランスは史実と同じ位なので、豊臣方も決戦を選択しそう。
関ケ原で家康が指揮をとれば東軍勝ちだが、氏郷では少し厳しいかも知れないw

323 :
政宗豊臣に行くかな?
氏郷とは仲悪いけど家康が居る方にきそうな気もしないでもない。
義光は秀次をどうしてるかによるな、史実どおり駒姫殺してたら死んでも豊臣になんかつかないだろう。
ただ氏郷が生きてただけなら秀次が生きてるという理由にはならんし。
あと上杉の動向にもよる。

324 :
今更織田なんて引っ張り出して何のメリットがあると言うのだ
そもそも信長にしても織田が天下人であった事はない
秀信を擁立したところで何の名分も得られない
それこそ自分が天下人になった方がいいと皆思うだろう
だいたい家康は秀吉生存中に既に天下への野心を現しているのに
わざわざ苦労して自分より上の人間を作り出すなんて馬鹿な事をするわけがない

325 :
確かに秀信擁立には無理がある。天下統一への大義名分がない。
秀頼の名を巧みに利用して普通に天下統一に走るんじゃない?
婚姻関係の前田と力合わせただけで強大な力になるし。
何より前田家にとって強大な蒲生家があるって事は大きな支えになるし
史実の加賀征伐も前田家が受けてたつ可能性だってありうる。
加えて南部家と蒲生家の中は悪くないし北陸でも伊達を除けば上手くやれそう。

326 :
氏郷は単独で天下を取るほどの勢力はない。信長の娘婿だから織田を担ぐのは自然。
そうすれば前田・池田・丹羽は必ずついてくる。家康の協力については二重の仮定。
総大将が老獪な家康ではないため、加藤・福島や細川が豊臣に流れる可能性はある。
そうなれば伊達や黒田もそちらに靡く。伊達・上杉に挟まれたら最上は従うしかない。
ただ、家康が織田にくみするというのはいくつかの仮定のうちの一つにすぎない。
また、その場合に加藤・福島・細川が豊臣に流れる可能性も仮定。

327 :
秀吉が死んだ当時の織田家に天下を争うだけの求心力なんか無いし、
前田・池田・丹羽が今更織田家に付くとも思えない、そんな目算があるならば秀吉存命中に行動起こしてるって。
それに担ぐべき秀信が西軍の属したりと独立心は無いし、豊臣家を悪く思ってない様子、
まず御輿になってくれるかさえ疑問だよ。

328 :
織田を捨てて真っ先に羽柴に付いた男を随分美化するよね

329 :
前田ら織田旧臣が氏郷・秀信に呼応するというのは微妙な観測だな。
逆をいえば彼らが陣営入りすることが挙兵の絶対条件になるだろ。
氏郷の外交能力と信長の娘婿という立場なら、秀信を担ぐことは可能。
秀吉についたのは、彼が秀信を跡目にして後見になってたからであって。
もし秀吉の死後、氏郷が豊臣を支えてれば家康は手出しできなかったし、
逆に家康についていれば、徳川方が圧倒的な勢力になっていた。
その場合、石田三成や上杉景勝はさすがに挙兵を自重したはずだから、
関が原の戦いは起らず、逆に家康は天下をとれないことになる。
氏郷が長生きしていたら、いずれにせよ豊臣政権が長続きしていたか、
あるいは織田家を奉じて天下を取りに行っていたかのどちらかだ。




330 :
会津宰相の氏郷さえ健在ならば・・・

331 :
三法師云々以前に氏郷は本能寺から一環して秀吉派だぞ
終始秀吉の天下取りの協力者でありつづけた
この二人は信長生存時から仲良かったのだろうか?
利家繋がりで交流があったのかな

332 :
本能寺直後には、織田家の各軍団があるだけで、秀吉派も何派もないだろ?
それとも、清洲会議などの時に氏郷が何か画策したという史料があるのか?
三法師擁立後の秀吉について柴田・滝川・信孝・信雄と戦うのは自由だし、
四国の長宗我部も信長と対立していたわけで、討伐参加は自然だろう。
結果を見てみれば秀吉の天下簒奪に利用されていた、というところだ。
しかし、氏郷もその過程を通じてかなりの大大名に出世したからな。

333 :
豊臣につくと見せかけて三成らを挙兵させ、途中から徳川に寝返れば家康の天下だが…
切支丹だった氏郷がそれをやるとは思えない。やはり秀頼を支える役が似合いかな…

334 :
>>332
その数ある軍団の中でも終始秀吉と行動を共にしていた
山崎の合戦の後、氏郷は秀吉から三千石を貰っている
禄を受けたと言う事は既に半ば家臣化していたとも言える
織田の臣であると言う意識があれば秀吉から直接禄を受ける事はない
清洲会議でも秀吉に協力し会議後に秀吉から一万石加増されている
氏郷は本能寺直後から次の天下争いが始まっている事を意識し
秀吉が天下を取ると睨んだのだろう

335 :
なるほど

336 :
蒲生宰相の死去には謎が多い・・・非常にいぶかしい。

337 :
関が原の前に朝鮮征伐という素晴らしい活躍の場があるじゃないか

338 :
そうであったな

339 :
でも朝鮮出兵は渡海を免除されてた
この点から見ても秀吉が氏郷を優遇してたのが分かる気がする
既に発病してたのかも知れないが
それはそうと家臣のローマ派遣は事実なんだろうか
4回ほど法皇の元に派遣したと言う話しだが裏付ける資料は遺されていないようだね
でも氏郷に仕えたイタリア人騎士ロルテス、所謂山科勝成は実在したようだから
あながち有り得ない話しでもないとは思う

340 :
東日本の大名は皆名護屋に待機と命令されてますので優遇には当たりません

341 :
上杉景勝や伊達政宗なんかは渡海してるじゃん
それに東日本の大名も渡海する前に秀吉が死んで和議が成立した為に
大名自身は渡海しなかったが
重臣を名代とし先陣は次々渡海を開始していた

342 :
朝鮮などイチコロだし、その高い教養から、明国との折衝も任されていたはず

343 :
国替えがあった大名は・・・領国経営優先でして。
あぁ、会津宰相さえいれば。

344 :
あうううううううううううううううん

345 :
伊達の牽制をしつつ、家康を後背から監視すべく
会津若松に封されたわけであり、奥羽諸将に号令しつつ
上杉・堀らと共同戦線を構築すれば・・・
会津宰相の早逝が悔やまれてならないのであります。

346 :
朝鮮を攻め滅ぼしていれば…

347 :
>>331
羽柴秀勝と冬姫が同腹説があるからそのせいかもしれない。

348 :
今更織田家を担ぎ出そうという発想にはワロタ

349 :
イの一番に秀吉に付きながら「猿め!猿め!」と陰口を叩き
大封をもらいがら「これじゃ天下とれねー」と嘆き
愚痴を付きながら仕事は真面目で政宗の尻尾つかんだのに
煙に巻かれて悔しがる、プライドが実力より高いくせに
妙に文化人なので誠実そうに見える

そんな氏郷が好き

350 :
氏郷が死んだらさっさと豊臣は蒲生家を取り潰そうとしたのを、前田家に助けられたんだっけ?

351 :
>>350
結局18万石に減らされたけどね。
堀久太郎が生きていたら、蒲生はどれくらいの領地を与えられていたのだろうか。
あらゆる意味で氏郷よりも格上な久太郎が会津鎮護で60石級にまわされていたのは確実だろうが、
そうなると、氏郷は40万石くらい?

352 :
元の領土というものを考えよう。

353 :
蒲生麻由
http://ameblo.jp/mayutolisara/

354 :
名古屋山三郎以外に蒲生氏郷が愛した小姓ないし男色相手は誰が有名?

355 :
織田信長さま

356 :
手柄を立てた家臣に、ほいほい蒲生姓をくれてやるのは面白いw

357 :
よく蒲生衆とかいうけど一人しかしらねぇ(´・ω・`)

358 :
>>357
ガモウひろし一人か。
もう少し教養つけろ。

359 :
蒲生譲二

360 :
オヤジの賢秀はどんな人物だったんだろ?

361 :
賢く秀でてたんじゃね?

362 :
その通り!
だな。

363 :
本能寺の時に、信長の側室らを匿ったのは見事だな。
明智が畿内を治める可能性は考慮しなかったんだろうか?

364 :
側室だけじゃない、正室もつれて逃げている。
若君という表現もあるから、幼い男子もいたんだろう。

365 :
どっちかといえば、親父さんの功績だとおもうけど
違うの?

366 :
『信長の野望』での能力値は過小評価だと思うのですが・・・

367 :
妥当なとこだろ

368 :
生まれるのが遅ければ遅いほどボーナスが付かないから可愛そうだよね

369 :
いや・・氏郷はこんなもんだろう・・・凄い数値ついてるし、
過大とも思わないが過小は無いな。
なにげに信長の能力を受け継いでるあたりもポイントでかい。

370 :
片倉景綱より低いのは淋しい限りです。

371 :
>>356
その事で前田利家から馬鹿にされてるずらよw
そんなんで一々名前を卸してたら我が家は皆、前田になってしまうwwって

372 :
>>371
手柄を上げる部下がいなかったんだな・・・

373 :
鯰兜は何者ぞ! 

374 :
そう言えば秀吉もホイホイ羽柴性を下げ渡していたな。

375 :
小学生だった俺は氏郷の武将としての凄さより
まずあの揉みあげに度肝を抜かれた

376 :
>>372
あえてそう言ってるのが分かるからスルー
>>374
天下人と一介の大名とでは意味が違うずらよ。

377 :
>>376
いやあ、天下人にしても秀吉は極端な気が。山内一豊クラスにすら下げ渡しているんだぜ?

378 :
特例的(気分)なものもあると思うが、
オレが言ってるのは名を卸す意味が違うってこと。
なんだかウザイね君は。

379 :
>>366
蒲生氏郷はむしろ過大評価と叩かれる事の方が多い武将だろ
同じような経歴で来て生前は全てにおいて氏郷を上回っていた
堀秀政がえらい過少評価されてんだから我慢しろと

380 :
久太郎よりは評価高いでしょうに。

381 :
堀は確かに目立たんしな・・・
ただ、蒲生といい堀といい、もう少し長生き出来たとしたら
歴史の展開も変わる要素を持ってる気がするけど

382 :
レオン様

383 :
先日、会津に墓参りに行ってきた。
合掌した後、そういえばと思って十字も切ったりしてみたが
他のキリシタン大名の墓も皆、仏式なんだろうか。渋い五輪塔だった。

384 :
大友宗麟の墓所は洋風だった気がするが・・・
ところで、ウィキペ見ると、蒲生氏郷は長男を廃嫡しているとあるが、
秀行って次男だったの?

385 :
>>370
嘘書くなよ。 片倉より総合で3くらい上じゃないか。
むしろ直江兼次より低いほうがおかしい。

386 :
パワーアップキット買えよ、貧乏人。

387 :
はじめまして。こんなスレがあったんですね。
うちで見つかった家系図に、蒲生賢秀さまの名前があるんですよね。
氏郷さんは男兄弟いないようですし
賢秀さんからうちの家系に無理やりつなげてインチキしてあるのだと思うのですが、
浄土真宗の僧兵なのになんで蒲生氏につなげるのか不思議なんですよ。
敵ですよね?

388 :
関ヶ原以前に改易されたので東軍でも西軍でもない、
石高が高い、勝手に拝借できるので相場が安いの3拍子揃ってるな

389 :
>>388
なるほど。 腑に落ちました。
系図界ではある意味人気なんでしょうか。
主義というかお家の立場みたいのは関係ないんですね。
学の無い人が学の無い人たちにひけらかすために注文したのかな。

390 :
氏郷は蒲生の苗字を安売りしまくってるからなぁ・・・

391 :
いろんなやつらに「蒲生」姓をあげまくりだしな。
そういえば「山陵志」の著者の蒲生君平は、氏郷の末裔という
家伝があったために、蒲生氏を名乗っているな

392 :
一向一揆のときは攻めにいってたんでしょうか?
うち思い切り越前一揆衆みたいなんで仇かも!

393 :
氏郷って政宗におちょぅられてなかったっけ?

394 :
>>392
ご同胞、うちは越中だ。

395 :
>>394
まじすか、 生き残りオメ!

396 :
>>393
実際蒲生が圧倒的に上手くやり返したけど朝鮮出兵が控えてたから許されましたとさ。

397 :
秀吉という後ろ盾が無ければ、伊達と一揆勢に名生城(旧古川市)で包囲され立て籠もっていた
氏郷はそこで頓死していただろう。

398 :
>>397
秀吉の後ろ盾を前程に作戦立案してるんだから、そうなるのは当然だろ。
後ろ盾がなければ別の形の戦略をとるよ。

399 :
伊達の人ってずいぶん絡んでうるさいんだね。
なんか仙台の人が嫌いになってきた。

400 :
政宗は一揆勢に氏郷殺させようとしたが全く隙がなく逆に訴えられて 自分が掻き回した土地に転封されると言う悲しい結果になったわけだが しかも皮肉にも会津ばかりではなく米沢まで氏郷の手に渡されると言う事に

401 :
所詮小悪党だよな政宗って
本当なら秀吉や家康に何度殺されてたことか

402 :
冬姫と結婚は12歳なんだね。
本能寺の変で信長が無くなった次の年に長男が生まれてるのか。
27歳。もしかしてそれまで夫婦生活なかったんでないの。

403 :
ああ秀行に兄がいたのか。廃嫡されてどこに行ったんだろう。

404 :
らしいね。ところで、蒲生帯刀なる人物が氏郷の子息にいて、
蒲生君平はその人の子孫であるという家伝をもとに改姓しているんだが、
何者なんだろう。もしかして、件の廃嫡された長男ってこの人の事?

405 :
インチキでなければそこしかないんでそ?

406 :
保科の方がいい

407 :
氏郷が生きていれば五大老は間違いなかった!そして前田利家とは繋がりが深く、上杉は越後から動く事は無かった。徳川は滅んでいたと思う。

408 :
政宗に苛められたっていう劣等感が強いんだろうね。
みんな凄い反応w

409 :
秀行兄って何やらかしたんですか?

410 :
一揆を煽って氏郷をハメようとしたものの、付け入る隙がなく、
逆に尻尾を掴まれかけたもんで、件の花押のエピがでてくるんだっけ?
結局政宗の策謀とやらは、毎回裏でこそこそやるわりにマトモに成功
した試しがなく、結局関係者の口を封じて終わり、保身だけは何とか・・・
というパターンだよな。

411 :
もの凄い反応w

412 :
>>411
とりあえずお前の希望にそうことはできたようだなw
>>409
何だろうな?諱が調べられたらいいんだが。
ちなみに氏郷の子女は
蒲生秀行
籍姫(前田利政室)
南部利直室(重直生母)のほかにいたっけ?

413 :
なんだろう長男廃嫡って
前述されてる「山陵志」でぐぐると
作者のいわれでぼちぼち出てくるけど

414 :
蒲生帯刀正行という名前らしい。

415 :
過大評価の人だな

416 :
早死にがいかに素晴らしいか尾崎豊や夏目雅子が証明してるよ

417 :
>>414
ウィキペディアしかひっかかんないね。

418 :
wiki関連以外のネット上で長男廃嫡の事実が見つからないし、
wikiの蒲生氏郷・秀行の項目に長男の存在を記したのは同一のユーザー
いずれの項目でも凡例の兄弟・子の欄には何の追記もせずに、ただ本文に「長男or兄がいたが廃嫡された」としか書かず、
名乗りや廃嫡の経緯などに全く触れていない
帯刀正行に関しては蒲生君平関連でしかヒットせず、
秀行の弟とするサイトもあった(ttp://kobahiro962hk.jugem.jp/?cid=102)
ネット上で拾える正行の情報としては
・宇都宮時代に三千石(上記サイトから。弟であるということも含めてソースは蒲生君平勅旌碑とのこと)
・秀行が宇都宮から会津に戻るときに従う
・墓が会津にあって君平が額づいた(墓がそれとわかる形できちんと残っていた?)
ここまで書かれているのに君平関連以外ではこの人物について全く記述がない
正行っていう諱も不思議
廃嫡されたとはいえなぜ”秀”が入らないのか、
弟ならば”行○”の形になるべきではないか、
どちらにしても”正”はどこから取ったのか…
ネットのみからの類推に過ぎないけど、
・帯刀正行は君平の祖母の妄想
・wikiの記述は勘違いかでっち上げ
なんではないかと。以上長文乱文スマソ

419 :
蒲生君平の伝記を読んでも帯刀が「廃嫡された」とは書かれてないんだよなぁ。
まぁ、しょせんは伝承レベルの話ということで。

420 :
家伝の書があったのなら
それが本物かどうかによるよね。
まあもしかして母親が別、ということもあるかと。

421 :
山科勝成のことが書かれている「御祐筆日記抄略」は
氏郷に廃嫡された氏俊という人物の子孫の家に伝わる史料という。
Wikipediaに書いてあるのはこっちの人物か?
とはいえこちらも同時代に当人のことが見当たらないという点では
伝承レベルの話だが。

422 :
系図によっては氏郷には氏信・氏春という異母兄がいたことになってるものもある。
たしか蒲生氏ゆかりの寺社所蔵の系図だったかな。(綿向神社か信楽院どっちかだったと思う)
でもそれをもとに計算すると、賢秀は10代前半で長男・長女をつくってることになるから、
不可能ではないけど信憑性薄そうだな。兄二人は片方は信長の六角攻めで戦死、
もう片方は氏郷が人質に行ってる期間に出家したことになってた。

423 :
ありえるありえる

424 :
>>422
兄ほんとにいたのか。その出家方調べる必要出てきました。
綿向神社か信楽院ですね。
ありがとうございます。

425 :
どなたか週刊それがしのおやかたさまに投稿してくだされ

426 :
 

427 :
蒲生氏郷って信長の野望とかでも能力高いよね。
なんで大したことしてないに、こんなに能力が高いんだろう。
前田利家くらいの能力が妥当だと思うんだけど。

428 :
蒲生氏郷が決して無能では無いのは分かるが
日本史上に名を残す天下人や有力大名と同等の能力はどう考えても不自然
史実での実績も講談の英雄としての名声も
一般知名度もファン・アンチの数もどれもこれも微妙で中途半端な武将。
オール能力70ぐらいの中堅武将だと思う

429 :
ガモウジはマルチタイプの能力だよ
小早川隆景、直江兼続、蒲生氏郷、大谷吉継

430 :
鶴ヶ城と会津若松・近江・伊勢の実績があるから政治のほうは高評価できると思うよ。
あの短期間でよくアレだけ出来たもんだと思える。
統率能力や特技は三位中将信忠と交換すれば良いと思った。

431 :
>>430
信忠に足りなかったのは、逃げ足だけ。

432 :
>>431
逃げ足と運は、戦国大名にとって最も大切なものだぞ。

433 :
まぁ運はともかく、逃げるのは無理っぽい・・・。

434 :
>>429
過大評価4人衆ですか?

435 :
小早川隆景をそこに入れるのは激しく失礼。

436 :
のぶやぼだと劣化幸村みたいな能力の人だろ

437 :
本当お前ら過大評価だの過小評価だの好きだな

438 :
だなw
ゲームオタほど過大評価や過小評価とかいう言葉を好んで使うよな
何様なんだろうな

439 :
>>436
幸村とはいろんな意味でタイプが違う。
劣化信長という感じ。何故か信長の能力受け継いでるし。

440 :
信長

劣化武将
松永久秀、斉藤道三、伊達政宗、蒲生氏郷
徳川家康

劣化武将
武田信玄、藤堂高虎、鍋島直茂、津軽為信
上杉謙信

劣化武将
立花宗茂、吉川元春、真田幸村、加藤清正

441 :
>>438
そういうネタだし問題ないだろ。

442 :
YOUアサヒっチャイナよ

443 :
信長様のお気に入り

444 :
がもにゃんは神なんだお

445 :
>>442
声あげてワロタ

446 :
今夜はおでんにすっか
がんもどき食いてえ

447 :
>>418
>>421
>>422
蒲生家の系図を見ると氏郷の兄は書いてない。
氏郷の子どもとして氏俊の名はある。
系図によるのかな。

448 :
劣化の如く天下を取れ

449 :
氏郷の肖像画って生存時に書かれたの?
そうでなければあのモミアゲは絵師がギャグで書いたとしか思えん

450 :
領地争いで、伊達政宗をやり込めた教養人!

451 :
ギャグだろ

452 :
>>437
ID笑いすぎ

453 :
氏郷いいね。謙信と似たタイプの武将だな

454 :
ええっwwwww
謙信みたいなバカと一緒にすんなw

455 :
謙信はものすごい優秀な人間だぞ。
ただちょっとキチガイなだけだ。

456 :
>>447
系図によるのだと思う。自分は秀行以外の子供が出ている系図は初耳です。
なお>>422が言ってる系図は信楽院(しんぎょういん)に伝わる。
新人物往来社の「蒲生氏郷のすべて」に概略が出ている。

457 :
>>453
謙信の天然っぷりは田舎ならではと思う。氏郷は都会人なんだよ。その彼が
肥溜めの臭いがしそーな政宗と係わりを持たされたのが気の毒でしょーがない。

458 :
>>456
おおご親切感謝です。
図書館にあったので借りて見ます。

459 :
斎藤利三には若い頃に世話になったと、記録に残ってるね。

460 :
斎藤利三のグラビアで抜いてたのか?

461 :
斉藤としみ 18歳☆

462 :
[蒲生氏郷]織田家北陸方面軍寄騎
剣術の師 稲葉一鉄
軍学の師 織田信長 斉藤利三
茶道の師 織田信長 利休
憧れの武将 佐々成政
氏郷に皮肉られた武将
徳川家康
織田信雄
前田利家
荒木村重

463 :
>>462
佐々成政が好きで、家康の器量を見誤ってるうっじーって、結構負け犬チックな性格?

464 :
会津へ移ってからの期間が短すぎて対家康の対処がどの程度だったのか判断しようが無いね
正宗(おそらく)は初っ端から謀略仕掛けて砕かれてる←これが評価高いんじゃないかな?
謀略で全てを纏めようとするタイプではなくあくまで合戦で優劣決める武将だと思われ織田の婿としての器は
後当時の佐々は相当な武将だからね、切腹しちゃったけど

465 :
器はそれなりにある ぬけてた

466 :
>>463
違う。家康のことはケチだからバカにしていた。「あんなにケチでは天下はとれまい」
出身地のせいもあってか価値観が全く違う。氏郷は近江商人育ての親として経済感覚に
優れてるし、信長の婿として南蛮的に華やかで稀有壮大なものが好き。
家康とは逆に気前が良すぎ。大禄の家臣をつくり過ぎて、プライドの高い彼らが
氏郷の死後喧嘩して蒲生家は左遷された。

467 :
なんてアホ武将w

468 :
最終的に実質90万石の武将にアホ言うのか
家臣に気前がよいのは間違いじゃないが信長真似てるからしょうがないわな
ただ石高から考えて動員兵数がやたらと多いこの手の武将は自分の資産削りまくってるので死後は崩壊するね

469 :
投資した分を取り返す前に死んじゃった、てことかな
人への投資が一番難しいからね

470 :
>>467
アホ?頭脳だけで言ったら、当時の有力武将でたぶんNo1くらいだが。ゲーム脳クンには
氏郷の凄さはわからんでしょ。伊勢でも会津でも、平定したばかりの領土へ乗り込んで2、3年で
新しい町を作って現代に続く地場産業を興してる人ですから。会津なんか政宗と敵対しながら。
家康のケチさは三河武士全体がケチだからで、譜代の家臣に対してケチでもOK。むしろ派手な人は
嫌われる土地だし。氏郷は上方商業地帯の領主の息子で、ケチケチしてたら譜代の家臣さえついてこない
文化で育ってる。商人達は頭を使って儲けるのが誇りで、単なるケチは無能と同義語。
信長の真似というより元々信長と氏郷は価値観が似ている。

後に会津領主になった保科正之は氏郷を崇拝していた。(無論本人に会ったことはないが)
「この鄙の地によくぞ産業と文化の華を咲かせてくれた」というわけ。会津若松城は結局
幕末の攻撃にも落城せず、開城だし。←これが氏郷の真価、19世紀の戦争にも耐えた城。

471 :
お勉強だけがよく出来てバカな子っているんだよね♪

472 :
>幕末の攻撃にも落城せず、開城だし。
こらヒデェwwww

473 :
鶴ヶ城を評価するなら大改修した加藤も誉めてやってくれよ
そのせいで潰されたけどw

474 :
氏郷祭り

475 :
ミネルヴァのシリーズにも氏郷があるけど、未だ未刊なんだよね。
新人物から「蒲生氏郷のすべて」が出てるみたいだけど、どう?
このシリーズは前に直江のやつを読んで、当たり外れが大きいのを
感じたんだが・・・・

476 :
>>470 遅くなったがそのとおりと思う
俺は秀吉に対して佐々の馬印継承する願いを申し出候と言う話が大好きだ
いかに氏郷が秀吉に頭を下げる事を恥じていたかがよくわかる
この頃天皇家の行動により事実上切腹した佐々成政の名誉は回復されていた
しかも氏郷の一言でかつての戦友を罪人扱いした秀吉自身に間違いを認めさせ、さらに北条攻めの際
メインの戦場で戦えるポジションを掴んでいる
頭を下げるからには一つ恥をかかせてやろう的な言葉の駆け引きは面白いね

477 :
でも堀よりあらゆる点で下。

478 :
学研M文庫の「蒲生氏郷」を読んだ。
何だかやたらと戦を好み、先陣に拘るウザイ描写だった。事実は知らんけど。
退屈な小説だった。

479 :
M文庫は確かにくだらないね
会津以降でも一冊書ける位逸話があるのにまったく書かれて無いし
それ以前に拘るなら異色な家臣団を詳しく書いて欲しかった

480 :
白人や黒人もいたんだよな
どこから連れてきたのだ?

481 :
>何だかやたらと戦を好み、先陣に拘るウザイ描写だった
そこはまあ、間違ってない

482 :
この人を調べて行くと思うのは、
「信長の直に見て育った青年が懸命に信長を真似て
オリジナルにものすごく近づいても
文禄の世の中ではもう微妙に流れから取り残されている」
ってことだな。

483 :
信長の娘婿選手権、誰が岳父にそっくりかというテーマでは
文句なく氏郷だろうな。

484 :
いつになったらNHKドラマになってくれますか。

485 :
まず逸話に乏しい
戦国ヲタ以外に無名な伊達政宗や北条氏規に泡吹かせた程度でドラマは_

486 :
前田氏との友情モノと、
放逐されたお兄さんがいることにしようよ。
で、先方は一向一揆に参加して、兄弟が涙の対決するの。
あとね、昔の山伏は上流から敵陣に毒を流したんだって。
それで亡くなって、奥方は秀吉に狙われると。
そんなような話入れてたら風神の門くらいのドラマにならないかな。

487 :
>>485
個人的には信長が安土で、力士1万人集めて相撲トーナメントやったとき
その奉行に選ばれたにもかかわらず気が付いたら自分もトーナメントに参加していた、って話が好きだなw

488 :
>>487
'`,、('∀`) '`,、

489 :
氏郷と信忠ってなんか似てるな。
大将の癖に先陣を切るのが好きな辺りが。
ってかそこだけか?w

490 :
共に織田学校の卒業生だからな

491 :
細川忠興も信長に気性が似ていたって聞くな。氏郷とも仲良かったっていうし
このくらいの年齢の家臣が信長に憧れて真似でもしてたんだろうか

492 :
>>491
だろうな。
忠興の家紋は信長の刀についてた紋所をもらったものらしいし。
豊臣秀次も信長の統治を参考にしたと言われてる。
あの年代の畿内の武将たちの間じゃ伝説だったんだろう。

493 :
伝説とかより同じ教育を受けていたとするほうがよくね?

494 :
蒲生といえばジョンバンニ・ロルテスというイタリア人家臣だよな
あまり知らない人がいるかも知れんので略歴
イタリア人で元マルタ騎士団員(マルタ騎士団はオスマン・トルコの大軍のマル
タ侵攻を少数の部隊で激戦により撃退したことで有名)
宣教師オルガンティーノとともに来日
日本名、山科羅久呂左衛門勝成
滝川一益配下の関一政家臣を経て蒲生氏郷家臣
九州岩戸城攻めで持ってきた石火矢(大鉄砲?小型砲?)撃ち、城に攻め入る戦
功を挙げる
氏郷死後、帰国
オスマンの兵と島津の兵どっちが強かったか聞きたかったな

495 :
おもしろすぎる

496 :
>494
その経歴のほとんどは小説の創作だがな。

497 :
あぁ御祐筆日記妙訳という蒲生家に伝わる写本に載ってたやつだろ、あれ小説?
書かれたのが江戸時代としても宣教師と直接接触のない当時の人間がよくマルタ
騎士団(武士団?)とかいう情報を知り得たな
武功夜話の方が小説っぽいけどな

498 :
『御祐筆日記抄略』自体が武功夜話と同レベルか、それ以上のトンデモ
明治時代の論文に”名前”と”内容の一部”のみが存在するだけ

499 :
そう言えば秀吉が「信長兵五千対秀吉兵一万で戦うとしたら氏郷はどちらにつく?」
と聞いた話あったね

500 :
なんと答えたのですか?

501 :
来年の大河は直江兼続が主役だよね。
氏郷亡き後の会津を治めた大名の重臣だから、少なからず関わりがあるだろうね。

502 :
>>499-500
信長5000VS氏郷10000なら、秀吉は信長に付くって話では?
信長は全滅に近い損害でも信長はしぶとく生き延びるから再起可能だが、
氏郷は先頭の数人を討ち取れば、その中に氏郷がいるから全て終わりって逸話。
氏郷の勇猛果敢さがよく分かる。

503 :
よく戦死しなかったよな

504 :
蒲生氏郷に10年寿命があったら、家康は天下を取れなかったでしょうか?

505 :
>>504
利家が死んでいたら同じ事。

506 :
〉504その仮想は興味あるね
ただ家康秀吉と比べて汚れてないと言うか潔すぎる
もうすこし卑怯な精神持ってれば可能性あるかもしれないが、そんな氏郷は嫌だな

507 :
普通に家康にシッポ振ってたろう
個人の好き嫌いと家の保全を見誤るようならむしろ氏郷を過小評価することになる

508 :
利家が生きてたら利家の下で黒田長政状態だったんだろうけど、
死んでたら家康につくだろ。
石田に味方することだけはないだろ。

509 :
横槍スマソ 家の安定優先してたらあのような無茶な雇用してません。確実に目指してる物が違う
石田も蒲生旧臣を雇用出来なかったら挙兵して無い可能性は?
関が原三成軍には大量に混ざってるけど

510 :
氏郷の家康嫌いは有名
秀吉死後は家康につくだろうとかニワカ妄想も酷すぎ
氏郷が生きていたら、小早川隆景死後
景勝の代わりに五大老入りしてただろ
つまり史実の上杉の代わりに蒲生が徳川に対抗する
そうなると、結構面白いこといなるぞ

511 :
因みに氏郷は信長の娘婿なので、織田家中では格式が高い
なので、利家は死に臨んで氏郷をかなり贔屓すると思われる
そうなると氏郷+三成の構図が
家康が叛旗を翻す→氏郷が会津で挙兵→家康、会津討伐に軍を進める
三成も上方で挙兵→家康、関ヶ原へ踵を返す→東北の詰めとして伊達、最上が動く
越後の上杉が最上、伊達と対峙する→蒲生軍は江戸に進撃
江戸の守り結城秀康は佐竹、相馬軍が迎える
その間に蒲生軍が江戸に進撃→東軍、またもや江戸に踵を返す
西軍→東軍方の城を落としつつ東軍の背後に迫る
江戸に退却中の東軍を真田が足止め
後ろから三成西軍、前は蒲生軍に挟まれ東軍壊滅


512 :
同じ百万石領有の前田利長も信長の娘婿だがあっさり家康に降伏してるけど?

513 :
氏郷と利長は相聟
氏郷の娘は利長の弟(利政)の嫁
相聟なのは秀吉の意志は関係ないけど
氏郷の娘が利政に嫁ぐのは当然秀吉の承諾(指示?)があってのことだろう
秀吉としては前田と蒲生が婚姻関係で強く結びつくことを歓迎していた、と考えて良いのか
それとも、氏郷の首に縄を付けるために、前田との関係を強化させたのか
どうなのかしらね

514 :
本能寺の際に利長が蒲生の元へ逃げ込んできた話があるし元々関係が深かったと予想
氏郷が前田利長賞賛する話もある 何故か利家への話と摩り替ってる事が多いけど

515 :
前田家が家康に従ったのは、家康が前田家を倒そうとしたとき、誰も前田家を助けようとしなかったのが、最大の理由。
氏郷が生きていれば、この時に歴史が動く。

516 :
>>513
宇喜多と前田も婚姻してるんで、単に傘下の大大名の結束を固めたかっただけだろう

517 :
>>516
いやその頃の前田はまだ能登しか任されていない
信長にとって利長は利家より有能と評価してた説のほが説得力ある

518 :
>>517
なぜそうなる?

519 :
つまりは家康が前田家に難癖つけて攻めようとした時に
氏郷が反家康に立ち上がればいいわけだな
蒲生氏郷軍
氏郷、前田、石田、上杉、宇喜多、佐竹、相馬、大谷、小西、毛利、立花
勝てんじゃねーの?

520 :
>>519
誰一人として氏郷についていかない連中ばかりだなw

521 :
つくだろ
反家康という目標があるのなら三成一派も味方になるはず
毛利だけは微妙だが

522 :
目標が同じだから合同して戦う、とは世の中限らないんだぜボウズ。
むしろ同じ目標の者同士が、主導権をめぐって争う事の方が多いってもんだ。

523 :
バカか?
目標と言っても相手は人間なんだよ
敵の敵は味方という言葉を知らないのか?

524 :
>>523
つまり主導権争いしている相手の敵である家康こそが味方ってわけですな。

525 :
>>519
石田→勝手に死闘はじめんなゴラァ!
上杉→会津ゲットのチャンスじゃね?
佐竹→会津ゲットのチャンスじぇね?
相馬→会津ゲットのチャンスじゃね?
大谷→ハイハイ調停調停、仕事仕事
小西→ハイハイ調停調停、仕事仕事
毛利→毛利は関係ございません
立花→東国じゃ戦の機械はねーな、残念(戦馬鹿)

526 :
バカか?
それは秀吉死後に
氏郷が家康よりも先に政権内の主導権確保の為に
他家との勝手な縁談などの
秀吉との誓約を無視した行動を起こすという前提で
はじめて成立する話だろうが
それなら先に、その可能性を立証してみろ
バカ

527 :
>>525
はいはい
自演乙自演乙

528 :
なんかID:KYWDVmxmは思い込みが激しすぎて…。
例えば「反徳川」って同じ言葉で括られている集団の中にも、その内実は
「家康を滅ぼす!」ってヤツから「権力が集中しすぎているからそれを分散してくれればいい」、さらには
「立場的に反徳川の姿勢をみせとかなければならない」ってのまで相当な「温度差」がある、ってことが
わからないんだろうな。

529 :
バカか?
それは「反三成」って同じ言葉で括られている集団の中も同じじゃねーかw
「三成を滅ぼす!」ってヤツから「権力が集中しすぎているからそれを分散してくれればいい」
「立場的に反三成の姿勢をみせとかなければならない」ってのまで相当な「温度差」がある、ってことが
わからないんだろうな。
てか、オマエの家康マンセーの思い込み強すぎ

530 :
氏郷を盟主にする必要性がまるでない面子だな。

531 :
そんなこと言い出したら史実の石田西軍自体が、まさにそうじゃん
体裁だけは一応、毛利を総大将にするってのなら
氏郷だってできるわけだしね
それよりも、氏郷が生きていた場合
小早川隆景死後、間違いなく氏郷が五大老入りしてただろうし
利家ラインを維持できれば名分もつくんじゃないか

532 :
>>531
> そんなこと言い出したら史実の石田西軍自体が、まさにそうじゃん
だからバラバラだったんだろう。

533 :
結城秀康とか佐竹義宣とか蒲生氏郷とか
色んな五大老候補がいるもんですなぁw

534 :
氏郷が生きれてれば、五大老には順当に収まると思うが。
結城などは家康の子息でもあるし、実力はせいぜい10万石程度。
佐竹も早くから秀吉によしみを通じていたとはいえ、上杉や蒲生を
差し置くだけの重鎮とはいえない。

535 :
>>532
問題は三成自身が
東軍の豊臣恩顧大名に嫌われまくってたってことだろ
それが東軍の強い結束に繋がった一因なわけだし。
でも利家健在の頃に家康が同じ行動を利家に対して起こしても
東軍の結束は同じように高くならなかっただろうよ
それどころか軍すら作れない
ならば、その利家死後の前田家に攻め入ろうとした家康に対して
氏郷が救いの行動を起こせば
史実での三成とは全く違う結果になってただろう

536 :
>>533
結城秀康とか有り得ない
順番として
氏郷>義宣>上杉>島津>伊達
こんなもんだろ
やっぱり、そこそこの石高は必要だろ

537 :
上杉は佐竹差し置いて五大老入りしてますが・・・

538 :
もう、小学生なみの質問ばっかしてないで
考えリャすぐに分るだろうが・・
上杉は史実では氏郷死後会津120万石もらってるから大老入りしてんだろ
でも氏郷が生きたままなら越後40万石のままだろうが
それならコネ+石高で佐竹の方が優位なんじゃねーの?ってこと

539 :
>>538
とりあえず上杉家の石高を調べてから書きこめ

540 :
上杉が会津を貰ったのは五大老入りの後だし
そして小早川隆景は37万石なんだが

541 :
瑣末なことだよ
石高に多少誤差があったとしても
蒲生氏郷が生きてる以上
佐竹も上杉も順番からいって五大老にはなれない

542 :
>>540
当たり前だ
秀吉の中国大返しの時に
隆景が必死に追撃しようと主張する毛利家中を宥めたんだから
隆景の判断があったから秀吉は天下を取れたと言えるし
毛利家も政権内で安堵された。
それと似たような武将が蒲生氏郷でもある

543 :
自分の発言に責任ぐらい持とうぜ。石高言い出したのはそっちだ
もっとロジカルに答えてくれ
そしてな、その理由で秀吉の天下に貢献したといえば
第一に丹羽長秀であり、第二に池田恒興であり、第三に堀秀政だ
これらが悉く死んだから前田利家や蒲生氏郷にお鉢が回ってきたのであってな
むしろ氏郷は秀吉に90万石に取り立てられた武将であり、秀吉に恩こそあれ、秀吉に恩は売ってない

544 :
すぐ死んで実際に大老になっていない奴の名前挙げても意味ないじゃん
そりゃ長秀も恒興も生きていれば、功績を認められ大老になれたかも知れない
でも、ここでは氏郷だけ長生きしてればって話しなんだから
早くに死んでいない奴なんか引き合いに出しても無意味なだけじゃん
それと
>氏郷は秀吉に90万石に取り立てられた武将であり、秀吉に恩こそあれ、秀吉に恩は売ってない
現に宇喜多秀家も上杉景勝も、皆が取り立てられて大老になってんじゃん
つまりは氏郷は功績もあれば取り立てもされてる両方に当てはまってるということ

545 :
はいはい、ウッジーが長生きしていれば五大老になったし、天下も取れましたよー。
つーか、ウッジー生きてれば信長クラスだよ、うん。
で、この話題終了。


546 :
信長は戦が鬼だけど、氏郷はどちらかといえば行政タイプだよな。あっという間に会津若松つくってさ
本人的には将帥としての信長に憧れてる節があるけど
信長生きていたら本人の望み通り畿内で5、10万石が精々だろうな。代わりに蘭丸や三成や正純ような政権内の官僚コース
豊臣政権の様な大大名にはなってない気がする。「大大名でも田舎じゃ意味ネーよ」とか駄々こねる辺りが可愛いところだ

547 :
行政タイプとか冗談も程々にな

548 :
本人の意識はともかく、実態は行政、文官系の人間だろ。
政治力と武力を縦横無尽に使わないといけない戦国武将としての才能は、全く感じられない。

549 :
どんな本を読んだのか知らないがそんな実態はない

550 :
>>536
五大老に結城秀康をくわえて六大老にしようって話が
実際にあった

551 :
織豊時代通じて部隊長クラスとしてはコンスタントに活躍してるよ

そう考えると秀吉の逸話で兵数差があるとはいえ信長と競わせたのは
むしろ氏郷に万を動かせる男としての箔ををつける意図があったのかも知れない

552 :
>>550
ねえよ。

553 :
氏郷ファンは秀吉には複雑な感情を抱いてると感じる時がある
主に冬姫的な意味でw

554 :
確かに氏郷は
戦に出れば誰よりも先を駆ける勇猛さ
会津の基盤を作った内政力
政宗の謀略を悉く破る智謀
若くから信長の娘婿になるというエリートコースを進み
本能寺の変後は逸早く秀吉に味方する戦略性
明智軍がさった後の安土城を堅守する慎重さ
万能タイプの武将であったと言えるね
小早川隆景 直江兼続 竹中重治 蒲生氏郷
戦国4万能武将だ

555 :
よし、ヒース・レジャーで映画化だ

556 :
ヒースは死んじゃいましたが・・。

557 :
>>554
竹中と直江とか
面白いこと言いますね

558 :
>>556
氏郷も死んでるから無問題

559 :
先駆けする部隊は文献などに内容が出てこないのは事実
織田軍で見るなら一番槍が誰の家臣か見ると判明する
柴田佐々森などが圧倒的に多い
蒲生隊が登場するのは秀吉時代の伊勢北条攻めなど頻繁に見られる
先駆け武将が戦上手とされているのは本体が来る前に陣形や攻撃方針などを決めている事
大将が戦場に到着する頃には即決戦になっても問題ないように準備したり相手の準備を妨害したりもする
極端に言えば先陣を誰に任せるかで勝負が半分以上決まる

560 :
関係ないけど、関ヶ原の福島はどうみても戦上手じゃないと思うな。
ありゃタダの突撃バカ。

561 :
ホントに関係ないな。

562 :
>>552
http://www.asahi-net.or.jp/~jt7t-imfk/taiandir/x190.html
これってどう? もしこの書状の内容がでまかせなら大阪城天守閣の学芸員に捏造疑惑発生ということになるが。

563 :
氏郷、会津120万石の太守になる

政宗の謀略を破り、家康への牽制役を全うする

隆景死後、五大老入りする

秀吉死去

利家と強く結束し、豊臣政権の後ろ盾を期待される

利家死去

家康が他家との勝手な縁談を進める

五大老の立場から宇喜多、毛利と共に家康を戒める

三成と家康の確執が激しくなる

家康が前田家討伐を表明する

氏郷決起。前田家支持を表明する。三成も氏郷に従う

家康が東軍を結成。蒲生討伐に乗り出す

畿内で三成挙兵

東西両軍関ヶ原へ

564 :
携帯からスマン
>>563
まんま景勝じゃん。
氏郷なら景勝みたいにそう易々と戦に持ち込まれる事はなかったのでは?
氏郷なら京都から動かず、家康の巧みな術中に嵌まる事も無かったのでは?
氏郷が存命なら、なんとか戦に持ち込まれる事を避け、政治的に問題を解決できたのではないだろうか?
そういう人物がいなかったからこそ、家康が好き勝手に動けたんだと思う。

565 :
日頃から「何かあったら俺が家康に後ろから噛みつくよ」なんて公言してる人物は
そういう泥沼政治劇や調略劇に向かないし、御しやすい
言ってしまえば立ち技は華麗だが、寝技が全くできない
だからこそ爽やかで見てる分には気持ちいいし、上からは好まれるんだが
氏郷はそういう保護する人がいてこそ輝けるタイプで一人立ちしてどうこうできるタイプじゃない

566 :
いつも「ぶっ殺してやる!」って言ってるsラは、実際は怖くもなんともないのと一緒だな。
本当に怖い奴はいつもニコニコしている。

567 :
「何かあったら俺が家康に後ろから噛みつくよ」
ソースプリーズ

568 :
>>564
家康の前田家に対する討伐を阻止する行動に出た時点で
かなり歴史が変わると思うけど
ここのスレの人たちにそれを言っても納得してくれないんだよ
是が非でも家康が史実と同じような行動に出て、
氏郷でも利長でも木っ端微塵に打ち砕くと思い込んでる
だから氏郷が存命の場合に、家康が天下取りに動き出す想定をしたんだよ
結論として氏郷存命の場合、家康の天下は疑問符がつくのは間違いない

569 :
>>567
老人夜話や利家夜語
前田利長や細川忠興の仲良し大名同士で飲んでた時に
「太閤百年の時に誰が天下を盗れるか」という話題になり、氏郷は利長を指して
「利家殿の他にどれほどの人物がいようか。北陸から京まで邪魔になる者もいない、
 西国の毛利輝元が上洛しようとすれば、備前に宇喜多秀家が控えている、
 関東の徳川家康が上洛しようとすれば、この俺が会津におる。即座に食らいついて、箱根を超えさせぬ」
氏郷はよく利家シンパにされてるが実際は利長を評価した発言だったりする
同じ信長の女婿同士含む所もあったろう。利長も器量人であり、信長に気に入られ、
信長存命中にすでに城を任されたからな。出だしの悪さがあるとはいえ、追いつけないものがある
秀吉の代になったことで前田と並ぶコトができたとも言えるだろう

570 :
>>569
ソースサンクス
でも、申し訳ないがこの内容と>>565の内容がオレの中で上手くリンクしないんだ・・・

571 :
>>569
>氏郷はよく利家シンパにされてるが実際は利長を評価した発言だったりする
なぜ?
利家が天下取れるの話なのにどうやったら利長の評価に解釈できるの?

572 :
>>571
利家本人の年齢を考えると、名前こそ利家が全面に出るだろうが
実務レベルは後継者である利長が中心になることになる
利家が天下を取る=利長にはその天下取りを支えるだけの器量があった!
ていいたいんじゃないかな
ところで、たまには利長や氏郷と相婿である
丹羽長重のことも思い出してあげて・・・
この人もなかなか優秀な人物なんだけどな

573 :
利家を褒めるけど本当は利長に決まってるのって、
さすがにそれは主観的すぎだろう。
個人的に思い入れがあるのは別にいいけど、
あたかも定説であるかのように言わないでくれ。

574 :
>>569のような逸話が残せるほど
秀吉政権は自由な空気は無かったと思うんだけどな
上で丹羽長重の名前出したけど
この人の経歴て、氏郷の息子(秀行だっけ?)とダブる部分あるよね
二人とも親父(長秀、氏郷)の死後即、
いろいろ難癖付けられてずいぶん領地も削られたよね

575 :
この逸話は「利家殿に決まってる」の前に「この男(利長)だ」っていう氏郷のセリフが入るんだけどね
いや、利長は割り食うところが多い人物だからさ
利家の配下じゃなくて、柴田の寄騎扱いだし、氏郷と一緒に信長の家族を匿ってたり独立した武将なんだけど
利家の逸話や評が実際は利長の話だったりしてね。昔っから利家のオマケみたいな扱いでクローズアップされない人だけどさ

576 :
なにこの良スレ、たまげたなあ

577 :
織田時代が特に似てるんだよな氏郷と前田利長
親子の立場なんてそっくり
父より勇猛果敢な息子
共に信長の姫婿
父が近江商人の使い手と算盤侍
本能寺が無ければ同じ道を歩んでた可能性高すらある

578 :
氏郷と信忠との間には、何か逸話はないのか?

579 :
ない

580 :
蒲生氏郷で有名な蒲生風呂は松阪では有名な話

581 :
氏郷なんて地味なヤツどうでもいいよ

582 :
秀吉に突撃を進言した人だ(この時突撃していれば家康は無かった)会津120万石余を秀吉から与えられたけど有名?な愚痴を言った人。好きな武将の1人です。

583 :
ごめん120万石余はその後で入国した上杉景勝です。蒲生氏郷は90万石余が正解です。

584 :
俺は氏郷の野心が好きだな

585 :
この人が長生きしたとして、成功できたかは別としても、
間違いなく当時の情勢の主要人物にはなった人だよね。

586 :
いや既に主要人物になってた人かと

587 :
氏郷程度カスでスレたてんなよ!

588 :
小牧長久手は突撃したかったろうなあ。
こっちの許可の方が辺境に(福島県)行かされるより蒲生氏郷は嬉しかっただろうなあ。

589 :
蒲生飛騨守は、なんか毒虫に刺されて夭折したそうだな

590 :
なぜ佐々の馬印を継承したの?
しかも継承する許可貰う為に城まで夜攻めして
そこまでして貰う物か?
別にこの二人の逸話も聞いたことないし意味わからね

591 :
鎌倉時代までさかのぼってぐぐれ

592 :
蒲生氏郷の人物文庫
の小説買おうかな…

593 :
ふう・・・なんと美しい
http://b.pic.to/t489v
お松を笑わせろ
(°д°;)あ

594 :
万能型っぽい武将
蒲生氏郷
小早川隆景
片倉景綱
直江兼続
真田昌幸
武田信繁
竹中半兵衛
大谷吉継
羽柴秀長
香宗我部親泰


595 :
氏郷が関が原まで生きていたら?
天下とっていただろ
これは間違いない。 秀吉が家康の押さえのために会津に置いた男だぜ
細川黒田福島加藤などの豊臣七将とはランクが違う。


596 :
大河は直江、次龍馬、次こそ氏郷を…

597 :
いや、政宗やってくれ

598 :
戦乱の時代を駆け抜けた武将列伝コレクション
蒲生 氏郷(がもう うじさと)
http://www.rakuten.co.jp/ningyou/770757/834233/
http://image.www.rakuten.co.jp/ningyou/img10351716583.jpeg
なんだこのおっさんは

599 :
>>597
今やっても「独眼竜政宗」以上のものは絶対出来んと思うぞ
>>598
一応鯰尾形兜をかぶってるのな

600 :
独眼竜政宗最高!!
次に中井黄一の武田信玄かな。
篤姫なんか見てられないよなw

601 :
大河は糞フェミ脚本家のせいで女の活躍と平和がどうとか糞みたいになっちまった印象
殺伐としたやつだけやってくれよ

602 :
新たな視聴者層を獲得ということなんだろうけどな。
次の直江がもしも昼ドラみたくなったら泣くわ…

603 :
文禄元年(1952年)、豊臣秀吉、大明討ち入りを宣言。蒲生氏郷、秀吉の精神疾患を指摘する。

604 :
>>602
え、来年の大河は、
バツ一女がイケ面ダンナを捕まえてラブラブ&尻に敷いて、
主君とその息子からも信頼されて幸せに暮らす、
というお船の方が主人公の、スイーツの夢をかなえるドラマに決定したはずですが?w

605 :
東北地方在住です。
高校時代の同級生に蒲生という姓の人がいました。
当時からコーエーファンだった僕は、きっと彼は氏郷公の末裔に違いないと
勝手に思い込んで(;゚∀゚)=3ムッハーしていたのですが、実際のところは
どうだったのだろうかと今になって気になってきました。
氏郷公は直系の子孫はいないそうですが、何かしらの関わりぐらいはあったのかなと。
どう思います?

606 :
蒲生姓乱発してるし

607 :
蒲生さんなんていくらでもいる。

608 :
東北の蒲生より滋賀の蒲生の方がまだ可能性はありそうだ

609 :
家来か何かの末裔じゃね??
レオン君てば気前良すぎで、家来とかにバンバン蒲生姓
プレゼントしてたらしいじゃん。

610 :
蒲生荘って所から発生した氏族で、そっから蒲生さんは全国に散らばってるよ。

611 :
九州大隅の蒲生さんももとは同族?

612 :
本当にあんなモミアゲがあったのか気になる

613 :
蒲生姓を家来に乱発しすぎて利家に注意されたらしいからな…
秀吉死後は景勝と手を組むという前提なら面白い流れになったかもしれんね
単独では貫禄、人望共に家康には敵わんだろうし、
本人もそこら辺は分ってただろうから逆に家康に着いたかも、蒲生家の為に

614 :
そりゃ真っ先に秀吉に付いた男だからな
先見の明はある

615 :
織田秀信を盛り立てるという線は?

616 :
意味が分からん

617 :
信長個人に恩義はあっても、織田家にそこまで尽くす理由も義理もないわな

618 :
織田に対して義理はあったのだろうけど秀吉に粉砕された感があるね
ただ佐々木氏関係には蒲生家としての義は貫いたと思うよ
200石佐々木の刀持ちとか見栄っ張り大名には無理と言うもの
大国貰っても蒲生家の本分は豊臣家臣じゃないんだよ見たいな筋の通った冷戦は好きだな

619 :
山科勝成ってあんまし詳しい資料が無いけど実際のところはどういう人物だったんだろうね。
わざわざ異国の地で仕えるとか聞くと何と無くオカルト臭いのが…

620 :
>619
話の出所が氏郷の子孫と称する家に伝わる日記という時点で眉唾だがな。

621 :
過大評価の典型だろ

622 :
まちPR まかせて 活性化担うキャラクター
松阪、津の市民グループ製作
http://chubu.yomiuri.co.jp/news_kan/kan080406_7.htm
 松阪市中心部の商店街の女将(おかみ)さんでつくるまちおこしグループ「くらふと結女(ゆめ)」(斎田衣保代表)が、
同市の礎を築いた戦国武将、蒲生氏郷(がもううじさと)と、地域ブランドの「松阪牛」を組み合わせた
マスコットキャラクターを完成させた。また、津市の市民有志でつくる市民グループ「高虎時代行列盛り上げ隊」は、
秋の「津まつり」の時代行列「高虎時代絵巻」を盛り上げるためにキャラクターを作り、名前を「とらまる」とするなど、
活性化へキャラクター作りが続いている。
 松阪市の「くらふと結女」のマスコットキャラクターは「がモーくん」と「ふゆめチャン」。「がモーくん」は、蒲生氏郷の
「がもう」と、牛の鳴き声の「モー」を、「ふゆめチャン」は、氏郷の妻「冬姫」と、「くらふと結女」をもじった。松阪牛が
カブトをかぶり、ヨロイを着た武将姿と、着物を着たお姫様姿になっている。
http://chubu.yomiuri.co.jp/news_kan/img/ky080406_5.jpg
松阪の「くらふと結女」が作った「がモーくん」(右)と「ふゆめチャン」

623 :
がモーくんかわいいな。しかしどう見ても牛には見えない…

624 :
こ、これは…ゴクリ

625 :
なんだこのキモイがモー君と冬姫はwwww

626 :
なまずかと思ったw(氏郷の兜にちなんだのかなと)

627 :
藁たwww

628 :
>>622
顔色わるくね?

629 :
幸田露伴「蒲生氏郷」読了

630 :
昨日京都行ったら駅で琵琶湖キャンペーンみたいのやってて蒲生さんの特集やってたな
とはいっても大したことやってなかったけど

631 :
信長の野望で超男前に描かれてるね!

632 :
器用貧乏

633 :
全部合格点。だけど合格点どまり、って印象のある人だ。

634 :
>>633
なんかわかる。何をやらせても、そつなくこなすけど、
なにかこう突き抜けたものが無い印象。

635 :
だから多少偏っていようとも、
がむしゃらに天下をめざすとこととか、
人としての器量、立ち居振る舞いにおいて
伊達政宗のほうが人々に慕われてしまうんだよな。

636 :
>>635
政宗とも充分渡り合ってはいるんだけど、如何せん
政宗のほうが押し出しがいいというか、人目を引くような感が
強いからなあ。しかも若死にした上、家も絶えてしまっているし。

637 :
氏郷が早死にしなければ家康政宗VS利家氏郷が見られそうなもんだったのに

638 :
三成と氏郷の関係はどんなだたのかな?

639 :
生きてたら、確実に五大老

640 :
伊達政宗にビビって何も出来なかった氏郷が五大老とかwww
笑わせるな

641 :
伊達厨を装った馬鹿ハケーン

642 :
氏郷の前では伊達の謀略も形無しというのが事実だからなぁ

643 :
伊達の謀略が形無しなのは、氏郷に限った話じゃ無い。

644 :
クマーしすぎだろww
それにしても氏郷は死ぬのが早すぎたな…

645 :
蒲生氏郷は大好きです 天下取れたんじゃない?って感じですけど
No2 No3の器でしょうなぁ…

646 :
蒲生が関ヶ原まで生きていたら、伊達家が消滅していただろうことを思うと残念の一語に尽きる。
その場合、一昨年のM-1グランプリの優勝の行方がどうなっていたのかも気になるところだ。

647 :
この人、なぜか評判すごいけど、
軍記とか抜きにして、まっとうな業績は何かあんの?

648 :
将来大河の主役で氏郷やってやるぜ!

649 :
今年の大河見てたら氏郷でも主役でいけるんじゃない?と思えてきた。
ていうかなんで直江兼続が伊達政宗の永遠のライバルなんだよ?
どっちかというと政宗のライバルは氏郷だろ!
真田幸村が憧れたとか家康が最も恐れたとかありえねぇ〜!

だったらもし氏郷が大河の主役になったとしたら思いっきり吹きまくってくれ!
「信長からは自分の後継者にと切望され、秀吉からは自分の亡き後の天下人はあいつだと警戒され、会津から家康と政宗の動きを一人で封じ込めた男。文武両道に優れ、茶の道では利休七哲の筆頭に挙げられ、また戦場では自ら陣頭に立ち采配を振り勝利する。
氏郷がもしあと20年、いや、あと10年長く生きていれば、家康の天下は無かった…」と。
まあこれでも今年の大河の主役の持ち上げっぷりよるは現実味があるか。

650 :
ただ氏郷は、肝心なところで人がいいと言うか、間が抜けているからなあ。
例の政宗の一揆扇動疑惑の時も、最初「政宗が裏で操ってる!」って報告してきて、
それからすぐ後に「あ、やっぱ政宗が裏にいるかどうか確証無いわ」って訂正の報告出して
一気に信用を落としたり。

651 :
年末のクライマックスが政宗相手の一揆合戦じゃちょとね
死に際又は終盤の美しさが足りない

652 :
クライマックスが無いというのはあるなあ。

653 :
>>651
政宗が主役だと、壮年期のライバルとして、両者ともに魅力的に
描ける余地はあるんだが、氏郷が主役だと、これからしばらくして
すぐ死んじゃうからねえ。
辞世は戦国武将のなかでも、トップクラスの出来だとは思うんだけどね。

654 :
具体的に政宗のような実績がないじゃんこのシト
なんか凄いらしいという風聞だけで

655 :
山内一豊の奥さんですら主役になれちゃうわけでして…
きっといい脚本家がいれば何とか…
まずどこか所属しなきゃな!
スレチごめん

656 :
>>654
秀吉は実績も無い人物に92万石もの所領を与えた訳ですね?

657 :
まあ秀吉の元で実績上げすぎると長生きできん
悲しいのぉ

658 :
蒲生氏郷は朝鮮出兵する秀吉に、自分の領地は返上するから、朝鮮半島を
くれ!って直談判したんだろ。そりゃ秀吉も危険な人物と考えたかもね

659 :
この人は戦だけでなく茶湯や和歌も上手で利休の一番弟子と呼ばれていた
まさに文武両道の男だった。

660 :
>>658
それってもしかして例の法則なんじゃないのw
あんなものくれだなんて

661 :
お前らの先祖の武将をいえで書き込ませて頂きました。
オヤジの母が蒲生氏郷の直系だそうです。
江戸時代にすぐ改易されてしまい、前田家にお預けになったそうで。
菩提寺も金沢にあるとの事です。偉大な御先祖様なのに、子孫はまるっきりダメポ…
総じて男子は早死傾向です。
携帯から失礼しました。

662 :
>>661
>>605
……うん

663 :
>662
605に直系はいないと書かれていたから書いたのだけどね。
細々とですが、続いていますよ。今は東北に住んでいないです。
男がいなくて、取り潰しになっただけで、女の方は前田家にお預けとなり、婿養子をとって残っているそうです。

664 :
>>663は馬鹿なの? 何なの?
氏郷でもキレて追い出すレベルのKYだぞお前

665 :
>>661>>663
>江戸時代にすぐ改易されてしまい、前田家にお預けになったそうで。
>男がいなくて、取り潰しになっただけで、女の方は前田家にお預けとなり、
>婿養子をとって残っているそうです。
最後の当主蒲生忠知は男子がないため断絶しましたが、女子がいたという記録もありません。
氏郷以降の蒲生家の女子で公的な史料(「寛永重修諸家譜」など)で確認できるのは、
氏郷の娘である籍姫(前田利政の妻)と秀行の娘である崇法院(加藤忠広の妻)の二人だけです。
加賀藩なら藩士録があると思いますが、確認はとってあるんですよね?

666 :
好きな武将だからってその人の子孫って広言するのどうかと思う。
わたしも婚前は蒲生姓やったけど、そんなこと言ったこともないし思ったこともない。

667 :
( ・ω・)???

668 :
ガモウひろしか

669 :
「山陵志」の蒲生君平(下野出身)は氏郷の子孫を称してたけど、
実際のところは、蒲生姓を貰った重臣のいずれかの子孫といったところ
なんだろうね。
もし本当に(例え庶子でも)氏郷の子や孫がおれば、何らかの形で
蒲生家を残そうとなるか、運動が起きるだろう(実際に、蒲生家が改易と
なる際も、かなり慎重な扱いだったわけだしね)

670 :
前に戦国武将のコテハン名乗っている奴が自分はその武将の配下の子孫だって寝言言ってたが
その御先祖様は名乗っているコテハンの主君を裏切った奴だったという面白現場を見たが
そのコテハンはどうなったかなぁ

671 :
>>669
角倉玄紀と正妻(前田利政・籍姫夫妻の長女)の間に男子がいれば、
一応氏郷の曾孫になるんだが、たとえ男でも曾孫じゃダメだろうなぁ。

672 :
>>671
まえ寛政譜をみたら、実際に幾人か子がいたけど、さすがに無理だろうね。
利政夫妻は半ば世捨て人のようなもんだし

673 :
>>669
廃嫡されたとされる氏郷の長男蒲生氏俊はどうなんだろうね

674 :
いるかいないかわからんレベルだろ>>氏俊

675 :
短パン

676 :
蒲生氏郷の辞世の句が似顔絵付きで紹介されている。
(ニコ動)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6290002
(you tube)
http://www.youtube.com/watch?v=YroWZyEozLY

677 :
>>676
本人さんが宣伝するなら、もうちっと上手くやってくれよ
あちこちでこの動画貼ってるだろお前さん

678 :
あえて対抗
俺はこれが好きだな。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3265037

679 :
羽柴忠三郎は、御屋形様に謀反ありと根も葉もないことを殿下に注進し続けた厄介者だお!
御屋形様は和久宗是殿や浅野弾正少弼(長吉)殿の賢明なフォローで事なきを得たが、忠三郎の
ような「うつけもの」のせいで肝を冷やされたお。こんなヤツが会津に封じられるとは殿下のお考えが
よくわからないお(^З^)!

680 :
>>679
ま、いつも簡単にバレるような煽動しかできてないからな、仕方有るまい

681 :
>>679 忠三郎は、それだけ太閤殿下に忠義を尽くしていたということだろう。
伊達作州(美作守、左京大夫)が太閤殿下にとって危険な男であるのは間違いないからな。

682 :
ttp://www.bunka.pref.iwate.jp/ciss/bunkazai/detail/id/137
鯰尾兜と紹介されてるけど燕尾兜じゃないの?

683 :
>>682
燕尾兜だな。メールで指摘してあげなされ。

684 :
>>682
『銀色の鯰尾兜』とされている本などもよく見かける。
この燕尾兜(氏郷の妹(異説有り)が、南部利直に嫁ぐ際に持参したもの)を
指して、鯰尾兜とされるケースもあるようだ。

685 :
この人、すげえモテモテだったらしいね。
秀吉の女中たちにキャーキャー言われてたって何かで読んだ。

686 :
>>669
蒲生姓は滋賀と群馬に起源がある。
他にもあるだろうけど。
で、その学者は群馬の方の蒲生さんみたいだよ。
蒲生氏郷スレ日本史板にもあるね。

687 :
>>685
それで秀吉か三成に毒殺されちゃったの?淀がよろめきそーだから。
井上靖の「淀どの日記」では、氏郷と淀殿が親しいような感じで書いてあったな。

688 :
>>687
毒殺説はデッチアゲ。ただの病死。
病気であったことを示す史料は道三の記録にもあるが、
毒殺という記録や噂は当時の史料にはない。
江戸時代になってから書かれたテキトー資料に記載されてるだけ。

689 :
冬姫と山三とどっちも織田系からおいしく頂くなんて
早世だけどかなり充実してた人生送れてただろうな

690 :
まあただ、当時から毒殺の噂はあったらしい

691 :
へうげの氏郷ももうすぐ亡くなりそう

692 :
城下町がちゃんと作れなくてすぐに侵入困難な迷路みたいな代物を作ってしまう氏郷公かわいいよ。
敵が来るならそれでもいいが領民にはやたら不評だったらしいw

693 :
・信長から見込まれていた
・秀吉に疎まれ会津に左遷→それでも92万石←前田利家より多い
どう考えても優秀な武将だったんだな

694 :
左遷だの仲悪かっただのは俗説だおね( ^ω^)
信長横死後いち早く秀吉に従い一貫して秀吉の天下取りに協力しているし
諱まで変える気の遣いぶりだ
秀吉にとっては数少ない信頼できる人物であったのは間違いないでしょお( ^ω^)
だから会津に大封を与え奥羽の奏者的な役割を任せたのだおうね

695 :
氏郷はデカ|

696 :
蒲生氏郷を毒殺した直江兼続は、愛と義ですか??????????
太閤の時越後佐渡両国を領りやーして
七十五万石の領主也抑そもゝゝ此直江山城守ハ
武勇智謀兼備ぶゆふちぼーけんびの者故ゆへ太閤在
世に石田いした三成弓矢の指南逆謀の
相談人也此度の乱利運らんりうんと成ときハ
主人景勝かげかつを北陸道七ヶ国の領主と
して其身ハ主人景勝かげかつの領分不残のこらず
23ページ
配分すべきとの相談に相極り調略てーりやく
して蒲生氏郷うじさとを毒害し其跡あとを
騒かセ終ついに会津を闕所けつしよとなし
主人景勝かげかつを百二十万石にして
所替さセ又景勝かげかつを勧め逆心し
て天下を乱し関東西国関東西国くわんとーさいごく一時に
乱国として本懐ほんくわいを達すべしと
調略てーりやくして是迄図づに叶かなひ今石


697 :
蒲生家は氏郷の時から重臣の間で争いがあったと聞いたことある

698 :
実際あったみたいね。氏郷も家臣間の競争をあおるタイプだし。

699 :
上杉お国替えだというのに、蒲生の「が」の字も出てこねえ
しかも、会津には近江商人がどうたら、街が豊かだどうたら
しゃーしゃーと言いやがって(`・ω・´)

700 :
天地人の話ね。
なんつーか、主人公の半径数メートルのことしかやらない感じだから。
さすが女脚本。

701 :
>>700
その半径数メートルもまともに描けてないけどね。
てか出ない方が幸運だろこの大河。

702 :
そうだな。むしろスルーされて幸せな大河。

703 :
まるで会津が空白地だったかのような描かれ方。さすがは糞大河だ。
架空の利休の娘が出てたが、実際会津に利休の次男がかくまわれていた事なんて知らねえんだろうな。

704 :
俺も特別蒲生贔屓と言うわけでは無いが
え?!なんでここで最上出てこないの…?!とか
ここは流石に蒲生家の事には触れるだろうと思ってたが
むしろ出なくて安心したわ 上杉家メインだから主役補正はあっても
全然良いけどナレーションですら全くフォローがないとか

705 :
信長や福島も扱いがメチャクチャだったからね…

706 :
出張で熊本から鈴鹿に来ました。
蒲生氏郷公の銅像を見に行きたいのですが何か目印はありますか?

707 :
日野の来来亭の近く。
日野高校や松尾の交差点
307号線沿い。

708 :
>>707
706です。
ありがとうございます。

709 :
氏郷が生きてれば家康の天下はなかったな

710 :
は??
政宗にビビって何もできなかった氏郷がどうしたって?
家康が何をしようとしても、政宗に睨まれて会津から出れんわなwwwwwwww

711 :
>>710
代わりに景勝が追撃可能になるぜ?
何もできなくてもいるだけで価値があるんだよ

712 :
>>711
なんで氏郷が生きている以外状況はみんな同じになると無邪気に信じてるの?
これがゲーム脳なの?

713 :
>>712
ん?そっか 移封前は領土で言えば蒲生>上杉か
ってことは大老に景勝じゃなくて氏郷が入る可能性があったわけか
ってことは・・・どうなるんだ?ゲーム脳な俺に教えてくだしあ

714 :
>>713
わかった。教えてやるからRうp

715 :
蒲生氏郷はすごい
でも伊達政宗はそれ以上にすごかった
これで満足だろ

716 :
器用で才能豊かな前田利家って印象w

717 :
裏切りとシモの世話でおこぼれ与った利家と氏郷を比較するのは失礼だお( ^ω^)
豊臣政権としては秀長、Qちゃん、氏郷らを失ったのが痛手だお
そして利家、輝元、景勝みたいなボンクラばかり残ってしまったという皮肉┐ (´ω`) ┌

718 :
>>717
あちこちでレス見かけるけど、要するに天地人への妬みだな。
さすが山形市関係者ww

719 :
あんなR大河を自慢げに語られても( ^ω^)…ジギャク?
歴代最高視聴率を誇る独眼竜政宗を知らんのかお?( ^ω^)

720 :
よそでやれ

721 :
氏郷はあんなクソ大河に出なくておK
ひたすらマンセーされたらたまったもんじゃねえよ

722 :
勝新が秀吉やってた伊達政宗は知ってるんだけど、もっと
氏郷が多く登場してた大河ってあるかい?

723 :
すぐに思い出せぬほど地味ぞ

724 :
それが氏郷なのです。
お忘れなきよう

725 :
吹かねばなんとやら・・・ 蒲生です♪

726 :
蒲生がもう死んだ

727 :
へうげでも地味でした

728 :
>>722
利家とまつで出てたけど、独眼竜政宗の時程じゃないね。
まあ、氏郷はなかなかイケメンな俳優が演じ、対して政宗はブサイクなオッサンが演じてたので、この辺で少し良い扱いを受けたなと満足出来る程度。

729 :
欠点と言えば量産型蒲生を生産しすぎる事くらいか

730 :
城下町作りの下手糞さ

731 :
>>730
何を指して下手糞なのか具体的に書けよ!
氏郷は松阪にも会津にも近江商人を連れて行って商業を発展させ、漆塗などの新しい産業を興したりして、短かい期間でかなり城下町も発展させたはずだが?

732 :
>>731
町割
松坂じゃ「氏郷の町割のせいで松阪は発展できない」って、江戸期まで言われてた。
会津若松にいたってはあまりの町割のひどさに、都市として完全に機能しなくなり、
しまいにゃその道に詳しい武田家牢人雇って一から町割しなおした。

733 :
氏郷は軍事バカだから防衛機能を重視して産業や居住性を無視した町割をしたんだっけか

734 :
>>732
なるほど、まだまだ俺は無知だったんだなぁ…

735 :
日の本初の巨大迷路だったんですよ

736 :
確かに、会津盆地あんなに広いのに会津の街は狭くて今でもこじんまりしてるお( ^ω^)
氏郷というと経済発展を取り沙汰されるから何と無く町割り名人的なイメージあるけど
これは意外な実態だお( ^ω^)

737 :
しかし会津若松では今でも氏郷祭りが開かれるほど慕われる

738 :
イソ○ンが売り切れてて、仕方なく類似品を買ったんだが、
メーカーの住所が「滋賀県蒲生郡日野町」で、何だか良かったw
いまのところ、インフルにも罹っていないし。

739 :
氏郷公が我が身を削って加護して下さっているんですよ

740 :
ありがたや、ありがたや。
ところで、立花さんとこじゃ宗茂公の兜の模様をあしらったお守りが発売されて
盛り上がってるけど、蒲生ゆかりの神社やお守りってあるの?

741 :
そのへんどうなんでしょうねレオン殿
今年の氏郷まつり、今月末まで氏郷公役を一般公募しておられる様子
ttp://www.city.matsusaka.mie.jp/kankou/moyooshi/ujisato/bosyu.html

742 :
>>729
褒美で、蒲生の苗字をバラマキですかw

743 :
氏郷奇癖エピソードでは「怪談好き」というのが気になる
聞くのが好きなのか、語って怖がらせるのが好きなのか

744 :
氏郷祭り
名前だけ聞くと激しくて男くさい熱いお祭りかと思ったけど
>>741見ると武者行進かでも一度行ってみたいな

745 :
>>743
語られて怖がるのが好き
それは、ともかくエピソードとかかっこいいよな。黒田長政や立花一家と並んで好きだ
姫の戦国で今川家も好きになったが

746 :
水着ポスターに激論 松阪競輪PR用
2009年10月31日 11時09分
松阪牛のステーキを持ち、かぶとをかぶった水着姿の若い女性をモデルにした
三重県松阪市の松阪競輪のポスターが、市民の間で「品がない」「面白い」
とかんかんがくがくの議論を呼んでいる。
ポスターは31日から開かれる「開設59周年記念 蒲生氏郷(がもううじさと)杯王座」の広報用。
ステーキは市が誇る松阪肉で、かぶとは、松阪城を築いた戦国武将蒲生氏郷にちなむ。
同競輪のポスターで水着の女性を採用するのは初めてで、胸元を隠すかどうか議論されたが
「インパクトが大事」と原案通りにまとまった。2700枚を作製。
10月中旬から、場内のほか公共施設などで掲示したところ、話題沸騰となった。
競輪場から100メートルほどの距離に中学校があり、近くに住む女性(69)は
「教育上良くない」と苦言を呈す。一方、ある自治会の男性(77)は「競輪の売り上げを伸ばすための努力だろう。問題ない」。
「過去になかったポスターを目指した」(金子善生・競輪事業担当理事)という市の狙い。集客増につながるかは未知数だ。
(中日新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2009103190110824.html
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/images/2009103199110934.jpg
これは…

747 :
すげえええええええええええ
としか言いようがない
でも縁の人物だしダメとも言えないわな
話題作りにしては面白いと思う

748 :
いいと思うけどなー。

749 :
今年の松阪の氏郷まつりの氏郷役はなんだかレオンっぽい人だった。つか外人だった。
とにかく屋台が多くて松阪商人の商魂を感じた。

750 :
あと5年長生きしろよバカ!

751 :
たしかに会津の町割はひどかったんだろうな。蘆名のをもとにした
のかもしれないけど。
上杉家が神指に城作ろうとしたのも軍備がどうのじゃなくて、町割し直す
のが目的だったようだし。

752 :
つまり関ヶ原の原因は、氏郷の都市計画音痴が起こしたと言うべきなのか。

753 :
>>713
ちょっと遅いレスだがよく考えてみた。
秀吉の死後、大老を始め諸将は大抵京都にいて、上杉は新しい領地の整備の為に会津に帰った所で謀反の疑いを掛けられた。
氏郷が生きていれば上杉の会津転封も無かったし、無理矢理戦を起こすのは難しかったのでは?
秀吉亡き後、諸将を味方に付ける為、婚姻などで強引に力を伸ばした家康。
三成との対立はそこから始まった訳だが、もし氏郷が生きていたならどうしただろう?

754 :
家康が有利と見たらあっという間に勝ち馬に乗っただろう。

755 :
家康が有利と見るというか、家康に肩入れするんじゃないか?
氏郷って別に豊臣恩顧じゃないしな
家康だって氏郷に接近するだろうし

756 :
氏郷が姓を下賜した量産型蒲生って、結局何人ぐらいいたんだ?

757 :
蒲生殿の子孫ているの?

758 :
>>755
豊臣恩顧じゃないってのはおかしくないか?
本能寺以降いち早く秀吉に付き、近江の一部の領主から会津92万石までに上り詰めた、言わば秀吉傘下の出世頭じゃないか
氏郷が生きていれば、天下を奪おうと暗躍する家康とそれを阻もうとする三成との中間的な立場に立って、第3者的な役割を果たせたんじゃないかなと思う。

759 :
蒲生は譜代格だね
信長亡き後は一貫して秀吉を支援し天下取りに貢献している
だから秀吉の信頼度も一番だった
氏郷と堀Qが生きていれば豊臣政権の中核を成したのは疑いようがない

760 :
氏郷が生きていたら前田利家の後をついで織田閥のトップになる
前田、宇喜多、細川、加藤などを従えて家康と対立
もちろん氏郷が折れることはないので戦になる

761 :
>>760
逆だろ。利家は氏郷が死んだから織田閥のトップに立った。
基本的に賤ヶ岳以後の織田閥の序列は
丹羽長秀>堀秀政>蒲生氏郷>前田利家
かと。

762 :
本能寺前の立場なら
長秀>氏郷>利家>秀政だな

763 :
あ、賤ヶ岳直後だと一人忘れてた
丹羽長秀>池田勝入>堀秀政>蒲生氏郷>前田利家

小牧長久手後
堀秀政>蒲生氏郷>前田利家

小田原陣後
蒲生氏郷>前田利家

朝鮮役後
前田利家

764 :
>>760
戦になると言ってもお互い京に居るんだよな。
家康が戦を起こすにはまず相手に領地へ帰る様に促し、すかさず謀反の疑いを掛け、討伐の為に兵を挙げるという大義名文が出来る。それでまんまと前田利長や上杉景勝を陥れた。
氏郷なら前田利長や上杉景勝のように、のこのこと領地に帰って謀反の疑いを掛けるような事はしないだろうと思う。
また氏郷なら加賀に帰ろうとする利長を引き止める事も出来ただろう。
家康がどんな手を使って戦を起こそうとするかが問題だ。

765 :
つーか家康は氏郷の嫡男秀行の舅で、両家は親戚同士なんだが。
家康は嫡男の後見人だ。
氏郷が生きていてもよっぽどのことが無い限り、家康と敵対するようなことは無いよ。

766 :
氏郷が死んで蒲生家が秀吉と対立してそれを徳川に助けてもらっただけ
氏郷が生きていたら尊敬する利家について家康と対立してたよ間違いなく


767 :
尊敬する利家とか、正気かよw

768 :
>>765
秀行と家康の娘の婚姻は氏郷の死後だろ。
それより氏郷自身と家康の縁といえば、千小庵の助命を連名で秀吉に願い出た事くらいか。
全然家康に恩が無かった訳でもなさそうだな。

769 :
家康嫌いなんだろ氏郷って

770 :
家康を嫌った記録なんて一個も無いぞ

771 :
次の天下人は誰か?と問われた時
みんな家康の名を上げたら
氏郷だけ前田利家だと言ったんだろ
家康はケチだから天下は取れないとも
家康派じゃねーよ氏郷は
存命していたら秀吉没後、前田家潰そうとした時に彼が先に立ち上がったかもね

772 :
>>771
それは「前田利長」に対してな。
友達の親父をヨイショしてあげたんだよ。

773 :
利家の実態は家康以上のケチ。

774 :
>>763
有能な面々が先にどんどん死んで、繰り上がり出世しただけの前田

775 :
よく解釈して利家の場合は前田家伝統の馬鹿殿様の振りという可能性も
行動も発言内容もおよそ天下とは程遠く異常なほど無能丸出し
秀吉をよく知っているだけに馬鹿であり続けたからこそ長生き出来たのかも
秀吉は自分の考えを超える活躍をした武将には厳しいイメージあるし

776 :
なんかこの板ってディープな前田党の人がいるよね
>>766-767

777 :
氏郷が生きてたら関ヶ原どうなっただろ
政宗を半分の兵力で打ち破る戦手腕にいきなりの会津転封を上手く収めた内政手腕をもってしたら或いは・・・
まあ妄想か 政宗如き打ち破っても大局に影響ないよな

778 :
>>777
氏郷が生きていれば関ヶ原なんか起こってないよ。
ちょっと前までのレスの流れを読めば分かると思うが、家康が戦を起こす口実が無い。
大名衆はほとんど京か大坂にいたからそこでの派閥争いになるだろう。

779 :
>>778
成る程、理解
d

780 :
限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心短き 春の山風

781 :
関ヶ原は起きたでしょう
家康は秀吉死んでから直ぐに豊臣恩顧の大名切り崩し始めたんだから
真っ先に前田に暗殺疑惑かけて潰しにかかった
上杉、毛利もこの手で潰しに来たと思う
三成が立ち上がるのは当然
氏郷がどっちにつくか見ものだったな
俺は前田と懇意で家康嫌いの氏郷は西軍についたと思うけどな
天下取りの野望も果たせるしな

782 :
上杉討伐が蒲生討伐に変わっただけになるのかもな
それだと
結局は敗戦すると思うがな

783 :
前田と組んだ可能性か・・・
前田利長も相当身体の調子が悪かったみたいだしどうなんだろ
蒲生征伐になってたら上杉は越後のまま?それはまた展開が変わる

784 :
あんな兜被ってたら真っ先に狙われちまうぞw目立ちすぎw

785 :
盛岡に住んでて良かったと思う事の一つは、その兜がいつでも見に行ける事だ。

786 :
>>785
南部利直が氏郷の娘婿なんだよね。
でも利直に嫁いだのって、本や史料によって氏郷の妹だったり従妹だったりで
一定しないけど、氏郷の養女ってことでいいの?

787 :
妹なら普通養女にする必要はないお( ^ω^)

788 :
蒲生と堀の2代英雄が関ヶ原前に死んでしまったのが悔やまれるわ
小牧長久手の戦いで徳川軍撃破してるからな堀は

789 :
日本近代史版の
会津戦争は終わらないよ
というスレで会津絵蝋燭や
会津塗りを旧薩摩藩士の
三島福島県令が彦根より職人を
招致し完成させたと
言ってる奴がいるんだけど
これって真実?

790 :
前に会津逝ったとき、お墓参りしてきたけど、観光シーズンなのに見事に誰もいなかったな…
その後、斎藤一の墓にも逝ったがもちろん誰もいなかったW

791 :
会津は、白虎隊・松平容保>新撰組・天地人>蒲生氏郷
こんな扱いな気がする
確か夏に蒲生氏郷の祭が地味にあった気がする

792 :
>>791
蒲生家が存続してりゃまた違うんだろうけど、やはり会津の人にとって
「おらが殿様」は会津松平家なんだろうな。それでも芦名よりはマシ・・・かな?

793 :
>>781
俺が思うに氏郷が存命なら、秀頼の守役は氏郷が任命されてたのではないかと思う。
氏郷が死んだ時に秀吉が「これで秀頼の天下は無くなった」と嘆いたという話が実話かどうか分からないが、
実際に守役に任命された前田利家もその時既に体調を崩していた事を考えると、あり得ない話ではないと思う。
氏郷が秀頼と共に大坂入りすれば、伏見の徳川に付く大名は僅かであったろうし、
下手に盟約違反を犯そうなら、秀頼名義で家康を問詰める事も出来ただろう。
氏郷ならそれくらいやってのける事が出来ただろうし、そうでなければ会津の地は任せられなかっただろう。
だから家康も下手には動けず、関ヶ原も起こらないと思うのだか…

794 :
部下に好きなだけ給料を申告させ
俺は一石もいらんと言い!
気遣った部下が石高に見合った給料を申告しあわせていったのが
予算制度のはしりだとか…
氏郷が生きていたら、三成の
出番はなかったかもね!

795 :
氏郷と真田幸村は一騎討ちしたよね

796 :
氏郷って石田・直江とかと仲いいの
同じインテリグループだが

797 :
氏郷が石田や直江なんかと仲がいいなんて聞いたことがない。
よくも悪くも交友の中心は旧織田家グループ。

798 :
蒲生氏郷の不幸は会津転封。葛西大崎一揆の頃は、
年下の伊達政宗には散々いたぶられてしまう。
政宗による包囲殲滅線にノイローゼ気味になった氏郷は
名生城(旧古川市)に立て篭もったままの状態になってしまう。
浅野長政の斡旋によりようやく事は収まったが、この事件も
氏郷の寿命を短くした要因だろう。

799 :
氏郷が会津転封となったとき、もし家康が上方に攻め登ろうとしたら
尻尾に噛みついて決して行かせるものかとおっしゃってたらしい。
そもそも氏郷が在世なら家康対抗の大老に処せられただろうし、
家康と組むことは無かっただろう。
また三成らとは仲が良いというより、毒殺説の関係者としての色が濃い。
まあ、全部ウソだろうけど。

800 :
確かに氏郷が秀頼の後見人なら前田利家以外で唯一、家康と渡り合える
器ではあっただろうね。信長の娘婿で文武に秀でて、信長時代からの家臣だから、
軋轢も少ない。
氏郷存命であれば、前田の東軍入りはない。他にも氏郷なら器的に
加藤・福島・細川等の三成嫌いの人達も付き従う可能性はあっただろうし
というか氏郷が健在であれば5大老入りしてもおかしくないし利家亡き
後に家康に対抗できる唯一の存在だったろうね。
関ヶ原の際に三成は毛利を大将に立てたが、これだと豊臣の将が別れるのは
仕方ない。輝元が豊臣家の為といっても、秀吉との付き合いは浅く、まして
秀吉の下で働いてた将たちがわかれるのも納得。
氏郷ならこういった点は考慮できる。上杉がそのまま越後を持ってたとした
越前・越中・能登・越後・会津を西軍側でこれに佐竹、伊達・最上は動けようも
ない。後方の憂いがなくなる前田は戦力の大半を西軍本体に送れる。
関ヶ原がなくなるかは微妙だな。利家が存命中でも私婚させたりしてたし。
他の4大老の連署で戒めてもさしてこたえてない。
氏郷存命で三成襲撃事件の各将及び7本槍が氏郷に従うようだと。
徳川250万石でもさすがにきついだろうな。

801 :
政宗程度に翻弄されてた氏郷が家康の相手になるとか本気で信じているのだろうか

802 :
>>801
氏郷が目付になったおかげで自身の企てが頓挫しちゃったのは政宗のほうだろう。
秀吉の裁定も政宗の言い分を立てつつも、キッチリ実を氏郷のほうに与えているあたり、
政宗・氏郷の両者が秀吉の手の上にいた感すら受ける(もっとも蒲生の場合は豊臣政権が
バックにある存在だけど)。

803 :
会津は伊達と徳川への牽制という意味でも、そうとうな大名じゃないと
勤まらないと、秀吉は考えてみてたみたいだもんな。
氏郷亡きあと、上杉に会津を任せたのも納得だし。
秀吉の中では、会津には反徳川・親豊臣の大名を置く必要があったんだと
思う。徳川や伊達を信じてなさそうだったし。

804 :
ゲームとかだと氏郷は過大評価、って言われてるし
堀秀政以下という評価が多いけどさ
実際に戦でぶつかりあったわけじゃないから戦上手かどうかはわからないけど
政宗が扇動した一揆で>>209みたいに優雅に政宗をあしらってるわけでしょ?
まだ政宗が若かったからと言えばそれまでだけど智謀の面じゃ氏郷>政宗じゃない?
会津での商業奨励も目を見張るものがあるしやはり信長の薫陶を受けた人物として相応しいんじゃないだろうか
仮に堀秀政と蒲生氏郷が利家ぐらいに長生きていて堀が関東、蒲生が会津で東ににらみをきかせてたら
かなり豊臣は安定してたんじゃないだろうか 三成がいるのは不安だけど
長文失礼

805 :
氏郷は神だよ
信長よりカリスマ性があり秀吉より戦上手、家康より天下人の器がある

806 :
それで天下取れなかったんだからよほどの間抜けだったんだな

807 :
難攻不落の伊賀を攻略したのも氏郷?

808 :
伊賀は織田軍が大軍ですり潰したみたいなもんだから
氏郷の活躍が特別目立ってた訳じゃないと思う
氏郷の戦はほとんどが局地戦だからその辺の采配は優れてたんだろうけどね
氏郷が長生きしてたらすんなり徳川の天下にはなってないかもだけど
氏郷が天下取れたかというと微妙かもしれない
確かに茶人やキリシタン等の関係で交流してる武将は多いけど
利休事件や禁止令で下火になってるから表だっては交流出来ないだろうし
元信長の家臣だった前田、細川、池田あたりとは相性よさそうではあるが
豊臣恩顧や外様大名とさほど交流があったと思えないし
彼らを従える程、根回しが出来るのかは疑問が残る
利家亡き後、秀頼の後見人に収まる可能性は高いけど、石田あたりとは衝突しそうだし
なにぶん会津が本拠地では本人が言ってるように京から遠すぎるしな

809 :
氏郷は大規模な戦の経験ないから分からないけど名将であることは確か
ただだからといって家康に勝てるとは思えない
ぶっちゃけあんまり変わらない気もする
ついでにage

810 :
ヤフオクで蒲生の古文書売ってた

811 :
氏郷が大活躍した戦といえば九州征伐での岩石城攻めだな。
九州の中でも難攻不落と言われた岩石城をたった半日で落城させ、
その後の九州攻略に大きく影響したそうだ。

812 :
関ヶ原で生きてれば…って話だけど、
氏郷本人の器量はともかくここは家臣団の結束がグダグダだから、
宇喜多のようにあっさり切り崩される可能性が非常に高い
ただし史実の上杉と違って隣国越後が味方になるぶん余力はあるかも

813 :
蒲生が会津に居たまま西軍になるのなら、上杉は当然東軍になるだろ常識的に考えて。

814 :
なんで?

815 :
上杉はもとから会津方面への拡張を狙ってたんだから、会津が関東に敵対する形になれば
会津を挟撃出来るポジションになる越後の上杉は、大喜びで徳川について
東方への勢力圏の拡大に勤めるに決まってるじゃん。

816 :
if話は嫌いじゃないが蒲生が西軍なんてちょっと無茶過ぎるだろ。

817 :
そうだね氏郷が豊臣の為に戦う姿が想像できない
上杉が欲しがってた土地は会津より越中

818 :
>上杉はもとから会津方面への拡張を狙ってた
そんな素振りあったか?
むしろ庄内へは本庄繁長を通じて勢力拡大してるから、
最上と敵対して西軍になると思うけど。

819 :
氏郷生存関ヶ原Ifを妄想すると
そもそも宇喜多の代わりに五大老に入ってしまったり
三成襲撃事件が起きない可能性が出てきたり
前田家にイチャモン付けた時にもなんか動きそうだし
上杉征伐=会津征伐が蒲生征伐になるのか
越後征伐になるのか根本的な所が変わり過ぎて難しいな

820 :
信長オタ
秀吉はあんま好きくない西軍オタ
アンチ秀吉、家康、政宗の人らには妄想ネタに丁度いい人物みたいだね
ファンは氏郷が長生きしてたら云々のifが大好きみたいだけど
それなら堀秀政も同時に長生きしてたらどうなるかね

821 :
堀秀政ももちろん凄いけど、氏郷の方が歴史の表舞台に出たのが早かったし
数々の逸話があるからな、信長に娘をくれ!といったり、会津転封の際に
このような東国では天下の機をうかがおうにも伺えぬ。小国であろうとも京の
近くにいるほうがよいといったり、秀吉に朝鮮攻める折に、会津を返上するから
朝鮮をくれといったとかもあるし。利休7哲で交友関係も広い。
ifしちゃうのには、関ヶ原で東軍についた前田・細川・池田との仲。
5大老におそらく石高的にも入っていただろうし。三成等が輝元じゃなく
氏郷を頼ったかもしれないという筋書きも考えうるからな。
後、他の4大老は秀吉死後の家康が秀吉との約束を破りしこんさせたり
してるのを連名で咎めたりしてることを考えれば、上杉が徳川と結ぶ事も
考えにくくないか??最上との関係ももちろんあるし。
利長だって利家の後継いで、秀頼の後見の役割果たそうとしてた矢先に
家康にいいがかりつけられたのに、他の大名は家康を非難しないから
もういいやってなった感じだし。
堀が生きていたとしてここまで歴史の大局に影響を与え得たか?と言われれば
疑問じゃないか??
よくいわれるのが秀長・氏郷。隆景(これは後10年後に生まれれてくれれ
ばとか安国寺の言ったことだが)の誰かが生きてれば面白かったとかいうが。

822 :
そんなことより
生駒家の養子になった
息子の子孫の有無が気になる

823 :
氏郷は戦術面は優秀だけど、戦略面や謀略なんかでは全く未知数だから
どこまで家康に対抗できたかはわからないけど、旧織田閥の有力者としてのつながりはあるから戦力的には困らないでしょ。
関ヶ原の勢力図は全く違うものになってただろうね。
まず氏郷の家康嫌いは有名だし、元々野心家だから家康と対立した可能性は高い。
家康勝利の原動力になった旧織田家勢力は史実では利家死去でまとめ役がいなくなって家康にとりこまれたけど
氏郷がいたら普段からまとまってる勢力はそのまま氏郷側に着く可能性が高いはず。
少なくとも家康対利家の時に前田側についた連中はそのまま(立場的に利家の後継者の)氏郷に着くと思う。
必然と家康は切り崩しやすい外様の上杉とか毛利とかを代わりに引き込もうとしたかもね。
ただ氏郷は奉行連とも折り合い悪そうだから、石田増田長束はどっちに着いてもビリ貧かな。


824 :
そうは言ったって前田利長と6つぐらいしか変わらないんだけど、まとめ役として機能するかね?

825 :
前田利長はいっちゃあ悪いが実績がなさすぎる氏郷は幼少のころから
信長の下で戦ってるから、いうなれば同じ釜の飯をたべた連中は氏郷を
指示するだろうし。それに伴うキャリアもある。
利長の場合、利家が死ぬ10年ぐらい前に利家が隠居して、利長に家督を譲って
秀吉存命中に5大老の一人として活動させて。なにか困った時に利家がでて
いくみたいな体制を作ってれば違っただろうけど、。

826 :
実績なら利長と氏郷じゃトントンだぞ?
信長から利家とは別件で所領貰ってるし
つーか氏郷と同じ釜のメシを食べた連中、残ってないだろ

827 :
そもそも氏郷が徳川嫌いとかいうのも疑わしいお( ^ω^)
それに嫌いだから戦争するとか安直過ぎるお( ^ω^)

828 :
百姓たん
>嫌いだから戦争するとか安直過ぎるお( ^ω^)
つ武断派の面々
氏郷なら、あの家康に天下取らせる位なら俺がもう一方の大将になってかっさらってやる、
とうとう俺の時代が来たんだな、位のこと考えても不思議ではないと思ふ。

829 :
しかし氏郷の死後遺児が家康の娘と結婚するという皮肉、というか秀吉もよく許したなこの婚姻。

830 :
本能寺の変の後に真っ先に秀吉についた遊泳術をもった氏郷が好きなんで
生きていたら真っ先に家康派に与してくれると俺は思ってる
だれでもかんでも天下取ればいいってもんじゃないし

831 :
>>828
漏れも>>830と同じ考えだお( ^ω^)
氏郷はいち早く秀吉に馳せ参じて秀吉の下で忠実に天下取りの覇業を助けたお
逸話で言えば家康以上に秀吉に対して暴言吐いているけど
現実には秀吉に逆らうような事は一切なかったお( ^ω^)
葛西大崎一揆の時もそうだったけど氏郷は勇猛なだけではなくかなり用心深いお
だから間違っても好き嫌いで喧嘩売るような真似はしないと思うのだお( ^ω^)
むしろ機を見るに敏な氏郷ならいち早く家康に協力して
旧織田系諸将を引き込むぐらいの芸当はするかもしれないお( ^ω^)
>>829
秀吉が命じたんじゃなかったかお?( ^ω^)

832 :
堀と蒲生が生きてれば面白かったよ
この二人なら豊臣恩顧の大名まとめれた可能性はある
2台巨頭が若くして死んでしまった
タヌキだけ長生きしてな

833 :
でも氏郷生きてれば大局かわらせるの可能だったんだよ。

834 :
豊臣政権の「○○が生きていれば〜」一覧
羽柴秀長
小早川隆景
堀秀政
前田利家
蒲生氏郷
羽柴秀次
加藤清正
真田昌幸

835 :
死人にはいくらファンタジーをかぶせたって文句言われないからな。
でもぶっちゃけ
>>834こいつら全員生きてても史実の流れは大差なかっただろう。
そして新たな「〇〇が生きていれば〜」が出現した。

836 :
まあ秀長・秀次が生きてれば間違いなく歴史違っただろう。
そもそも秀長が生きてれば、唯一秀吉に物申せる存在として、各大名頼りに
しただろうし、秀吉が死ぬときに遺言で秀長に全権をゆだねるにすればいいだけ。
秀次がそのまま関白であるなら、秀次の下で政権を固めるだろうし。
家康が動くかもしれんが、史実で言うところの、豊臣臣の連中、福島や山内
等は家康側になびかないだろ。
小早川隆景ないし穂井田元清が生きてれば、毛利内の秀元・広家の2枚体制が
隆景ないし元清の下動いてただろうと思う。
ただ歴史が変ったかどうかは疑問。後隆景が関ヶ原まで生きるのも寿命が厳しい
堀秀政は生きてればとよくいうが、どれだけの所領を得られてる大名に
なってたか謎。60万石以上の所領を持ってれば十分影響力はあっただろうが
旧織田閥、細川や池田・前田利長との関係はどうだったの??家康との関係は?
氏郷も堀とかぶるとこはあるがこちらは、会津、生きていれば5大老。
前田・細川・池田辺りとは仲が良く、上方でのパイプもある。会津という土地は
伊達と徳川に挟まれてる土地だから、これらとあまり関係が良好でない者を
適任者として秀吉はおいたと思うんだが。
氏郷が大局をかええたであろうといわれるのはここだと思う。つまり、秀吉死後
氏郷が徳川とくっつけば、もう関ヶ原みたいなことがあったとしても、
断然徳川有利で終了。逆に、前田・毛利・宇喜多・上杉といった大大名中心に
家康に対抗したら、流石の家康も厳しい。
真田昌幸は大局に影響なし。加藤清正も大局に影響なしだと思う。
利家も生きてたとして後何年生きれたか・・家康が生きた年まで生きれない
だろ。後この人の失態は、秀吉存命中に、引退して利長に後継がせとけば
よかった。秀吉存命中に前田利長を5大老にさせといて、利長に人望集めさせとけ
ばまだ違っただろうとは思う。

837 :
生きてれば五大老ってのもなんだかなー

838 :
人望とかリーダー的な要素ある人は自然に回りに人がよって来るもんよ
利長じゃ無理でしょ
蒲生が生きてても上杉討伐が蒲生討伐に変わるだけかも知れない
堀もしかり、上方のど真ん中に所領持ってないと辛い
関ヶ原で戦ったのは宇喜多と石田だけ、豊臣恩顧の大名、徳川方に総寝返りという所にマッタ入れるのが
歴史を変えるヒント
やはり秀次なのかな

839 :
秀次生きてても家康はちょっかい出したと思う
勝手に他大名と婚姻結んだりして
んで秀次が家康排除に乗り出してって展開になった時
恩顧の大名が秀次につかなかったら
関ヶ原はまた起こる
やっぱり駄目なのかな、秀次でも、秀次+秀次サポートする力強い人材
このセットで豊臣政権は守ることが可能なのかも知れない
秀次+蒲生&堀かな

840 :
関が原自体が奇跡と思うが・・・。上杉なんて戦国時代に逆戻りと思って迎え撃った
と思う。全国各地で反家康や親家康が入り乱れて戦いまさか1日で決着が付くとは
思いもしなかっただろう。

841 :
秀吉が死ぬ時期に秀長と関係が良好とは限らないので、秀長が生きていたら全権を委ねるという可能性は怪しい
秀長と並び称された利休は粛清されたし、血縁にあたる秀次もごらんの通り
それに秀長には子が無いのも頭の痛いところである。実際に大和大納言家は断絶したしね
秀次が生きていたら家康は動かん
秀次は直轄100万石に関白の権限、外戚に池田や最上など
秀次付きの前野、木村、梶尾、中村、山内なんかは他に付くメリットがない
よく言われる尾張閥、近江閥なんかとは(実際あるのか微妙だが)両方とも関係が良好(石田三成には秀次系の家臣多いし)
蒲生が毛利、宇喜多、上杉らの中心になることは考えられない
石高では毛利が上で、豊臣との近さなら宇喜多が上、実際に関ヶ原での大将と副将
平素から仲がいい、織田閥出身だから細川らが味方してくれるってのは希望的観測
宇喜多なんかは細川や前田との関係は良好だったけど史実では東西別れた
平素の仲の良さなんてそんなもんだって
利長は利家存命中に利家の代わりやってるよ
利家と利長の間の引き継ぎなんて関係ないんだよ
現実問題として家康が五大老の中で圧倒的な石高を持ってる、それだけが純然たる事実で
その力を背景に政治を保障していくれるってところが秀吉死後における家康のポイント
関ヶ原に限らず、南北朝から応仁の乱なんかもそうだけど、親家康か反家康かじゃなく
「自分の敵が家康に寄って利権を主張しているから、こっちは家康の反対勢力と結びつく」
それだけの事
だから蒲生が家康と接近したら伊達辺りは大人しく家康閥に収まるかは怪しい

842 :
秀吉は血縁を重んじるからな
金吾なんて、武将としての器が対してない奴を、小早川に養子に出したり
してるし、自分の親戚関係を積極的に起用してる。秀次しかり。
その中でも秀長は別格だろ。四国征伐を秀吉の名代で総大将にあたり、秀吉から
援軍だそうか?の提案も固辞し、四国平定。
細川と蒲生は織田閥もあるが、ゆうさいと氏郷の関係も近いし、
841の言う所は、三成が主導権を握ってるからっていうのを考慮してないじゃん
言ってることはホントわかるんだけど。前田は自分が家康にはむかおうと
した時に宇喜多とかに助力も求めたけど、力になってくれなかった。
宇喜多には人望あったとしても。それ以上に
三成アレルギーが相当あったって事が大きいでしょ?
じゃないと、三成を襲撃するなんて過激な行動なんて考えられんし
確かに、「自分の敵が家康に寄って利権を主張しているから、こっちは家康の反対勢力と結びつく」
それだけの事 ってのはわかるけど

843 :
> 秀吉は血縁を重んじるからな
何の冗談だ。

844 :
前田をあっさり手離したのが痛かったなぁ大阪方は

845 :
秀吉が血縁を重んじる……?
そうだね、秀頼可愛さに秀次を殺して金吾から所領を取り上げたよね
血縁重んじてるなー

846 :
まあわからんでもない、脳なしボンクラを大名なんてには普通せんからな。
コネがなければ、秀次なんて関白こなせる器ないだろうし、金吾にしろ
小早川家を相続できる器でもないわ

847 :
見てきたようにものを言う

848 :
秀次は自分の領国も関白の仕事も過分無くこなしているだろ?
失敗があったなんて記録残ってないし。戦の才能は無かったが
金吾の方は逆に朝鮮で活躍している
陣頭指揮をしたことを秀吉に叱られたが、これは秀吉の好みの問題だろう
陣頭指揮大好きの氏郷に対しても「あれじゃあ戦の具合が悪いと討死するわ」って言ってるし

849 :
そりゃ初めから秀吉によりすぐりの家臣団や大封もらっているのだから
余程の気違いでもなければ何もしないで黙っていも普通に運営できるに決まっているお( ^ω^)

850 :
そんな単純なもんじゃないだろ。秀次は君主の重要な資質で有るその家臣団の統率と言う作業も
大過なくやっていた。

851 :
そりゃ秀吉が死んでからでなくては統率できたかどうかは分からないお( ^ω^)

852 :
それ言っちゃうと関ヶ原で氏郷が生きていも天下二分出来るほどの統率力があったかどうかも分からんからなw
家康ですらキャパシティオーバーでてんやわんやしてんのに

853 :
そりゃそうだお( ^ω^)
氏郷も五万、十万の大軍動かした経験ないし未知数だお( ^ω^)
それ以前に氏郷が石田や上杉の立ち位置につくとは思えないけど

854 :
利長&淀殿の密通説についてどう思われますか?

855 :
ここで聞くこと?

856 :
恥ずかしがらなくても・・・

857 :
!

858 :
ここで聞くならせめて山三郎との密通説にしろよw

859 :
なあちょっと思ったんだけどこの人と堀が二人とも65くらいまで生きたら
どうなったと思う?まあでもそうなると堀が奥州に100万石程度で
この人は家康の旧領に60万石ぐらいだろうか?でもそうなると5大老の座
は厳しいかな?

860 :
仮にそうなっても氏郷が家康に立ち向かうかな?
むしろ合力しそうな気がする 本能寺後はすぐ秀吉に付いてるし視野広そう
ついでにage

861 :
そりゃ本能寺時点じゃ日野城の小領土しかないから影響力なんて微々たるもんだし
親父の賢秀も生きてたからな。あの時点で蒲生家がどんな動きしたって歴史は変わらないしな。
何の参考にもならんわ。
問題は実際に天下がぐらついていて自分でその趨勢に決定的な影響力を行使できそうなときにどうするか。
氏郷は野心家っぽい言動を見せてるからつい期待しちゃうんだよな。
堀のQ太郎は有能だけど野心家っぽくないし堅実だから堅実な方選ぶだろうな。
奥州仕置の時点で92万石だから大老の座は堅いだろ。
うまく利家の代わりに秀頼のもり役の座もゲットできれば家康とは確実に対立するね。
そうでなくても家康は他の大老の力を削ぎにいってるから対立する確率は高いと思うよ。
藤堂みたいに諸侯に先駆けてさっさと服従姿勢でもとってりゃ別だけどさ。

862 :
大軍指揮した事ないからわかんないけど実績がないから妄想が膨らむというものだよね
氏郷なら案外大軍も上手く動かせたんじゃないだろうか 本当早死にしたのが惜しいね

863 :
言動が野心家っぽいのはお隣の独眼流と一sy

864 :
五大老になるなら、会津から畿内近くのどっか、大和豊臣家跡地とかに転封ってなるんじゃね?
その前に生きてたら朝鮮に行くだろうからまたそこで死ぬ可能性もあるわけだがw
会津には福島なり池田なり黒田あたりから、40万石づつくらいで二人入る流れになりそう。
正直、蒲生が生きてるよりも黒田が会津にいる方がすげえ嫌な流れになりそうだがw

865 :
あげ

866 :
>>864
馬鹿かお前
このスレの1から全部読み直せ

867 :
氏郷の評価が高いのって政宗が治めきれなかった会津を治めたおかげだよね

868 :
政宗?

869 :
えっ

870 :
蘆名家復活を許さずそのまま蒲生飛騨を會津に入れた秀吉の真意は如何?

871 :
>>870
蘆名が地域における統合権力としての実態を喪失していると判断したんだろ。
九州の大友の扱いとかと一緒。

872 :
天道で岡定俊ってのが蒲生家臣で出てきてやたら高能力なんだけど
検索してもあんまり情報出てこない。こいつ誰?

873 :
「岡左内」で調べると幸せになれる

874 :
Rが嫌いそうな人だね

875 :
信長に目をかけて貰い愛娘まで嫁にくれたのに
信長の娘を養女にした上で秀吉の側室にするのはしたたかだよな。

876 :
蒲生の名字、家来にあげまくってるなw

877 :
それを前田利家が馬鹿にしてた

878 :
大河ドラマで観たい。

879 :
氏郷まんじゅうが食べたい

880 :
蒲生氏郷は天下を狙える器量があったと言われているけどこれは過大評価だろう。
秀吉が大将としての信長と氏郷を比べたエピソードを見てもそこら辺りが
彼の限界だと思う。

881 :
やあ

882 :
蒲生氏郷も、堀秀政もそうだが、良くも悪くも上にいる人間があった上での吏僚的な優秀さで、
自身で周辺を切り取ったり状況を作っていくような才能があったようには思えんからな。
そういうタイプは前田利家が限界値だろう。

883 :
あげ

884 :
義理の父の話が聴きたいby利政

885 :
氏郷の祖父や父に関する逸話とかありますか?

886 :
蒲生賢秀の有名なエピソードなら
信長は毛利軍との決戦のため、安土城を出陣。
城番として安土城を預かることになった蒲生賢秀だが、本能寺の変が伝わり、既に明智軍が瀬田まで進出していることを知る。
この人数では迎え撃ち難し、と日野への撤退を決意した。
賢秀は安土城内のわずかな兵や、信長の身内を連れ、日野城へと向かおうとする。
その際に一人の者が
「安土城には金銀財宝がやまほどある。これをみすみす、明智軍に渡すのは忍びない。
金銀財宝を運び出し、城を焼き払って引き払うべし」と進言。
しかし賢秀は、
「信長様が心血を注いで建てたこの城。蒲生が一存で焼き払ったとなれば、のちのちまで申し開きが立たぬ。
明智方に渡るとしてもそれは運命。致し方もござるまい。」
さらに、
「その際に天守の金銀財宝を持ち去ることもみすぼらしく、世間のそしりを受けるであろう。」
こう言い、安土城の物には手をつけず撤退した。

887 :
>>885
蒲生軍記でも読め

888 :
蒲生氏郷は早死にその息子もまた孫2人も早死に。
しかも氏郷の娘は前田家の次男に嫁いだけど改易。
たしか孫娘が嫁いだ先も断絶。
何か呪われてんじゃないか?

889 :
信長か
ああ信長さ

890 :
安土城明知に取られたってまた取り返せばいいだけだろ
うっかり燃やした奴は戦犯な

891 :
>蒲生賢秀
同時代の人から臆病者とか能力が劣るとか、さんざん馬鹿にされていた。
蒲生氏郷については「トビが鷹を生んだ」とまで言われていた。
氏郷が突然変異で、息子以下は蒲生家の血筋並みの能力値なんだろう。

892 :
蒲生も堀も
豊臣恩顧の武将、黒田、福島、加藤よりは遥かに有能だよな
この二人を早く失ったのはほんとに惜しい事だと思う
次世代のエースだったのに

893 :
でもそれより格上の伊達政宗のあのへタレっぷりみると
早死にしてなくても大した活躍は出来なかったかもな、と思ったりする

894 :
まあ木村親子ともども、政宗のために翻弄された挙げ句、
焦燥のあまり頓死したともいえるから気の毒だわな。

895 :
>>892
信長の側近というか小姓は早死が多いな、戦死ではなく病死で。

896 :
>>894
木村がそんなタマかよ。荒木村重→明智光秀→秀吉と乗り換えた海千山千だぞ?
政宗を東北の田舎者と舐めきっていたのが原因だろう。

897 :
細川忠興と蒲生氏郷
信長のお気に入りは?

898 :
信長の気性的に合うのはやはり忠興さんじゃない?
蒲生は器量を見込んだ感じ。

899 :
氏郷は名将だけど、中途半端なんだよね。
光栄では、90が閾値。
氏郷の能力は皆、90弱・・・
奥羽の要にするには、荷が重すがいたか?>秀吉さん

900 :
ゲーム脳はキエロ

901 :
オマエも消えろ

902 :
信長は娘を、秀吉はで90万石やったんだから
相当な器量人だったのは間違いない
生きてりゃ関が原でどうゆう働きしたかwktk

903 :
生きてたら関が原自体が起こってなかったかもしれないよ。
前田利家みたいに。

904 :
蒲生氏郷は実力もないくせに口先だけで権力者から優先席奪い取った八丁男
信長も秀吉も見る目はないね。

905 :
>>904は有名な荒らしなので気にしないように。

906 :
蒲生氏郷が90万石も取れたのは政宗が実力で切り取った会津領を
政宗を恐れた秀吉が没収したから棚ボタでもらえただけ。
普通なら5万石程度で終わる男だったのを政宗がチートクラスに有能だったから加増されただけ

907 :
710 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/03(土) 12:38:03.93 ID:iCWYGOXI [2/2]
織田厨R

908 :
>>906
あの織田信長が、その程度の男に娘をやると思うのか?

909 :
信長の家臣なんて雑魚ばっかだもん
戦下手の4天皇がトップ4なんだからそれ以下の連中なんて鼻くそレベル

910 :
ちなみに蒲生氏郷はさしたる戦功もないどころか
紀州征伐や木造攻め、滝川征伐でけちょんけちょんに蹴散らされて醜態晒したカス武将
秀吉と同レベルの戦下手

911 :
信長なんて丹羽とかたいした実力なくても気に入ればそれなりに贔屓するしな
信雄、信孝とか無能でも一族は贔屓しまくりだし能力人事してたなんて講談レベルの俗説だろ

912 :
>>909-911
だーがだーがだがアスペの子♪

913 :
織田家を代表するような雑魚武将が氏郷
織田家内でいえばまだ実力は川尻、稲葉、日根野、金森あたりのが上

914 :
まったく戦闘経験のない乱丸でも持ち出しゃいいのに、律儀に実績のある武将を挙げてくれるだがさんなのであった

915 :
織田家中でいえば
柴田、滝川、明智>秀吉、佐々>佐久間、丹羽、細川、森(父)、蜂谷、稲葉>原田、川尻、日根野、金森、前田
>>>>>>>>>>蒲生
こんなもん

916 :
伊達政宗の切り取った土地あてがわれたけど氏郷は人望が全くなくろくに統治もできず苦しんでいたそうだ。
葦名末期の徳性の連発と対田村、上杉の敗戦、伊達の会津侵攻や須賀川の反乱などで極度に疲弊し荒れ果てた土地を
氏郷に与えたのはそれだけ氏郷がカスだった証拠
いわば左遷だろう

917 :
伊達の抑えにまわったんでないの?

918 :
徳川の抑えだろうな

919 :
誰が見たって東北の抑えだわ。徳川とは協力する立場だし。

920 :
蒲生は左遷だろ。奥州なんて田舎中の田舎。
しかも会津なんて葦名の徳性の連発や伊達の侵攻、須賀川一揆で荒れまくってたし

921 :
アスペルガーだが(=>>920)ってどんな人?
その名の通り、アスペルガー症候群に見られる、頑固・執拗・妄想の激しい人物です。
武田信玄を信奉していて信玄なら天下を取れたと信じ込んでいます。一方で織田信長が大嫌い、徹底的にこき下ろしています。
ちょっとでも武田を叩いたり信長を持ち上げたりする書き込みは絶対に許さないのがだがの信条。
だがは織田厨という人物を目の敵にしています。織田厨は一人しかおらず、武田を叩いたり信長を持ち上げるのは 全て一人の織田厨によるもの と信じ込んでいます。
もちろんあなたも武田を叩いたり信長を持ち上げたりする書き込みをすれば、だがから織田厨の認定を授けてもらえます。
こんなにたくさんの書き込み、一人で書き込むなんて物理的に無理だし、互いに異なる意見をかわしあっているのに同一人物による書き込みとするのは辻褄が合わないのでは…?そんな常識はだがには通用しません。全部織田厨の自演だそうです。
一応社会人のようです。
忙しい合間をぬって織田厨叩きの活動を続けています。大変な執念の持ち主です。

アスペルガーだがはどこに現れるの?
巨大掲示板2chの織田信長、武田信玄に関連するスレに出没します。
板は問いません。主な出没板は戦国板・歴史ゲーム板・日本史板ですが、他にも世界史板や歴史難民板、漫画板など あらゆる板の織田武田関連の話題のあるスレに出没します。
そしてそれらのスレでの都合の悪い書き込みは全て一人の織田厨によるものと思い込んでいます。

アスペルガーだがの書き込みの特徴は?
織田厨と見られる書き込みに対して、全てに反論レスします。律儀にレスアンカー付きで。
例え何ヶ月も前の書き込みであろうと、掘り起こしてレスします。亀レスなどまったく気にしません。
口調はいつも上から目線。とても偉そうな態度で書き込みます。
だがの名前の由来は、「〜だが。」で終わる自己顕示欲の激しい文章を書くことが多いから。
暴言雑言当たり前です。モラルやマナーというものは持ち合わせていません。
強迫性障害と見られ、 レスしなかったら負け と考えています。
まともな議論の時でも、苦しくなると揚げ足取りや知能障害を起こして有耶無耶にしようとします。
別の話題の時でも、「信長はもっと負けてるけどな」などと無理矢理信長の話題に逸らそうとします。そして信長の話になればお決まりの織田厨認定が待っています。
苦しくなると無理な要求を突きつけて自論を正当化しようとするのもだがの常套手段。「武田が負けたって?具体的に武田が負けたと書かれている資料を出せ」etc.
アスペルガーだがはどこに住んでるの?
神奈川県
でも地元の北条は嫌い。

「だが」についてのまとめWIKI
http://www26.atwiki.jp/dagamatome/

922 :
結局実績より妄想で語られるアンチ政宗に持ち上げられてるだけの武将なのは事実

923 :
レオン氏郷読んだだろうな貴様ら

924 :
思ったんだが、蒲生氏郷は伊達政宗に暗殺された可能性ないか?
政宗が切り取った領地を与えられたのが、氏郷。
動機は十分にある。

925 :
思ったんだが、蒲生氏郷は伊達政宗に暗殺された可能性ないか?
政宗が切り取った領地を与えられたのが、氏郷。
政宗に動機は、十分にある。

926 :
重複連投すまん

927 :
氏郷の死因は現代では癌でほぼ確定してる。
しかしまあ、かつて暗殺疑惑が唱えられてた頃も何故か政宗より
動機が薄いはずの直江さんや石田さんの方が有名だったりしたが
政宗が当時、自分へとかけられる疑惑を逸らす為にそういう噂を流した可能性はあるね。

928 :
ミネルヴァの12月刊行が氏郷だそうな

929 :
ミネルヴァかよ。出るまでわからんが、正直あの出版社はあまり期待できないわなw
氏郷は三成というより、もっと直接的に秀吉によって殺されたという話もあるなあ。

930 :
そういえば鶴ヶ城に行く機会があったんだけど、鐘つき堂の土台に十字架が刻んであった。
十字架っぽいのはほかの石垣にもあったけどそれに比べるとものすごく深い。
戊辰戦争の落城寸前まで使われてたらしいけど氏郷の影響だろうか。

931 :2012/10/27
長命だったら高山右近の運命だったのか
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