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2012年09月戦国時代56: 天正10年の武田攻めを語るスレ 4 (647)
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天正10年の武田攻めを語るスレ 4
- 1 :2012/03/31 〜 最終レス :2012/10/25
- 2万の軍勢を率いて新府城を出陣した武田勝頼が1ヶ月後には
わずか40人とともに山中を彷徨うことになった、日本史上でも
稀に見る裏切り劇について語ろう。
天正10年の武田攻めを語るスレ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1192166319/
http://logsoku.com/thread/toki.2ch.net/sengoku/1192166319/
天正10年の武田攻めを語るスレ 2
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1296903576/
http://logsoku.com/thread/toki.2ch.net/sengoku/1296903576/
天正10年の武田攻めを語るスレ 3
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1301404505/
http://logsoku.com/thread/ikura.2ch.net/sengoku/1301404505/
- 2 :
- 新府城の留守を預かる北条夫人が、韮崎の武田八幡に詣で、必死の祈りを込めて、
願文を納めたのは二月十九日のことである。
うやまって申し。
祈願のこと。
南無帰命頂礼八幡大菩薩、
この国の本主として武田の太郎と号せしより此かた、代々護り給ふ、
ここに不慮の逆臣出きたって国家を悩ます。
よって、勝頼運を天道にまかせ、命を軽んして敵陣にむかう。
しかりといへども、士卒利を得ざる間、その心まちまちたり。
なんぞ木曽義昌若干の神慮をむなしくし、
身の父母を捨てて、奇兵を起こす。これ自らの母を害するなり。
なかんずく勝頼累代重恩の輩、逆臣と心を一つにしてまちまちに覆さんとする。
万民の悩乱、仏法の妨げならずや。
そもそも、勝頼いかでか悪心ならんや。
思いの焔天にあがり、瞋恚なお深からん。
われもここにして相共に悲しむ。
涙らんかんたり。
神慮天命まことあらば、五逆十逆たるたぐい、諸天かりそめにも加護あらじ。
この時に至って神心。私なく渇仰胆に銘ず。かなしきかな。
神慮まことあらば、運命この時にいたるとも、
願わくば霊神力をあわせて、
勝つ事を勝頼一しに告げしめたまい、
仇を四方に退けん。
兵乱却って命を開き、寿命重遠子孫繁昌の事。
右の大願成就ならば、勝頼、われと共に社檀みがきたて回廊建立の事。
敬って申し。
天正十年二月十九日
みなもと勝頼うち
- 3 :
- おんな風林火山
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%82%93%E3%81%AA%E9%A2%A8%E6%9E%97%E7%81%AB%E5%B1%B1
http://www.tbs.co.jp/tbs-ch/lineup/d0323.html
http://www.youtube.com/watch?v=_gr2U6s8Vdo
- 4 :
- 天正10年(1582)2月、武田勝頼の従兄である穴山梅雪(信君)が信長に黄金二千枚を贈り、
織田家に通じた。一門筆頭の裏切りにより国人衆が次々に離反。勝頼の弟・仁科盛信らの
奮戦も空しく、同年3月、織田信忠の軍勢の前に甲斐武田宗家は滅んだ。
これに先立ち、盛信は信忠の婚約者でもあった妹・松を、関東に脱出させた。
勝頼の娘・貞、盛信の娘・小督、小山田信茂の娘・香具を連れた松は、八王子に逃れる事に
成功。この地で兄たちの討死の報を聞くこととなる。
その後、松は奇妙な話を聞いた。武田を滅ぼした織田信忠だが、婚約を解消した松を未だ
求め、嫡子・三法師の生まれた今も正室の座を空けていると言うのだ。
「そこまで、この私を愛して下さるのなら・・・」松はわずかな供を連れて尾張まで行ったが、
そこで彼女が聞いたのは、本能寺の変で信忠が二条城に散ったという知らせだった。
八王子に戻った彼女は、出家して寺子屋や機織りで生計を立て、兄たちの遺児三人を
立派に育て、貞は鎌倉公方の子孫・宮原義久へ、香具は磐城平藩主・内藤忠興へ、
自分を慕って出家した小督の他は、しかるべき家に嫁がせている。
尼となった松の法号は『信松院』という。『信』の字は信玄からか、それとも信忠からか。
いっぽう、裏切った穴山家に見返りなどなかった。
一門筆頭でありながら真っ先に裏切り、長篠でもいち早く離脱した梅雪は「卑怯者」と
陰口を叩かれ、あげく本能寺の変後、家康を疑い別行動をとった結果、土民に討たれた。
追い討ちをかけるように嫡男・信治も早世し、穴山家は断絶。梅雪には信玄の次女が
嫁いでいたが、夫と息子に先立たれた彼女もまた出家。『見性院』と名乗り、家康の保護を
受け、のちに江戸城は田安門内・比丘尼屋敷に住まうことになる。
こうして亡国の姫君たちは、世をはばかり、細々と生きて行った。
- 5 :
- 小山田信茂と武田氏滅亡天目山の戦い
http://www.rekishi.sagami.in/oyamada1.html
写真
長篠・設楽原の戦い
http://www5f.biglobe.ne.jp/~shingen/yukari/nagasinositara/nagasinosen/nagasinosen.html
勝頼、天目山へ
http://www5f.biglobe.ne.jp/~shingen/yukari/katuyori/katuyori.html
- 6 :
- 武田勝頼の土佐の会
http://katsuyoritosa.web.fc2.com/
武田勝頼〜城と古戦場〜
http://utsu02.fc2web.com/shiro194.html
どうしてたら武田勝頼が織田信長、徳川家康に勝てたの?
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51516607.html
- 7 :
- 武田勝頼って信玄以上の名将だったんだな part2
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1327681172/
- 8 :
- 267 :人間七七四年:2012/04/02(月) 22:18:52.09 ID:DrM5JO3b
だがさんなんで最近ゲームの板なんかで暴れるんですか!!
せめて議論しがいのあるここで自己の主張を闘わせてくださいよぅ…
268 :人間七七四年:2012/04/02(月) 22:23:56.03 ID:2lmlmTbn
のぶやぼ厨涙目w
- 9 :
- 【滅亡】勝頼が岩櫃城に行っていたら【再起】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1199968883/
http://unkar.org/r/sengoku/1199968883
- 10 :
- 北条夫人だけでも助けてやれなかったものか?
- 11 :
- のぶやぼ厨はゲーム板に帰ろう!
- 12 :
- 勝頼に殉じた人数は、どれのが史実に近いんだろう
- 13 :
- 滝川一益:上野一国、小県郡・佐久郡
河尻秀隆:穴山梅雪本貫地を除く甲斐一国、諏訪郡(穴山替地)
徳川家康:駿河一国
木曾義昌:本領(木曾谷)安堵、筑摩郡・安曇郡
森長可:高井郡・水内郡・更科郡・埴科郡
毛利長秀:伊那郡
穴山梅雪:本領(甲斐河内)安堵、嫡子・勝千代に武田氏の名跡を継がせ、武田氏当主とすることが認められた
森成利:美濃兼山城(長可の旧居城)
団忠正:美濃岩村城(秀隆の旧居城)
- 14 :
- 高遠城で織田の大軍を阻止するのはムリすぎる
- 15 :
- 「真田家伝記」には、真田昌幸は上州吾妻城に勝頼を迎えようとしたという。
この吾妻城は別名 岩櫃城ともいい、名前の示すとおり、
峻険な山々と平沢川の急流に守られた天然の要害であった。
上州は真田昌幸が制圧しており織田・徳川軍にもここで対抗できるし、時をみて上杉景勝の後援を頼むこともできた。
また近燐には内藤昌月(箕輪城)、武田信豊(小諸城)が守りを固めていたため、再起をかけるのであれば、真田昌幸を選ぶべきであったろう。
- 16 :
- 3月11日 天目山から秩父へ抜けようと試みたが、手前の田野で追っ手の地下人達に見つかってしまった。
勝頼はもう逃れられぬと覚悟を決め、北の方(北条夫人)に小田原へ落ち延びるよう伝えた。
しかし北条夫人は愛する夫と共に三途の川を渡ると決めていた。
彼女は小田原の兄、北条氏政に手紙を書き髪を少し切って添えて、小田原からの4人の家来達を呼び寄せこの手紙を届けるよう申し付けた。
「早雲以来の北条の娘ゆえ見苦しき自害はしなかったと伝えよ」と。
辞世の句は『黒髪の乱れたる世ぞ果てしなき思いに消ゆる露の玉の緒』
見事な最後(自害)であったと想像できる。享年わずか19歳であった。
- 17 :
- 天目山で勝頼に殉じた土屋昌恒の息子・土屋利直は家康によって
取り立てられ2万石の大名にまで出世した
- 18 :
- 生き残った主な武将
真田昌幸
曽根昌世
依田信蕃
- 19 :
- 第47回甲州市ふるさと武田勝頼公まつり
http://www.rurubu.com/event/detail.aspx?ID=12031
- 20 :
- 【日本の名城】“最強の武将”武田信玄が生涯の居城に★躑躅ケ崎館(つつじがさきやかた)
2012.04.13
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20120413/dms1204130727003-n1.htm
- 21 :
- 織田側の編成
天正元年(1573年)以降、織田信忠を筆頭に池田恒興、森長可、河尻秀隆らを主力とするいわゆる「信忠軍団」が編成されており(池田は後に軍団を離脱、摂津へ)、主に東美濃に勢力を張っていた武田の影響を排除する戦いをしていた。武田征伐時には以下のような陣容であった。
大将:織田信忠
先鋒:森長可、団忠正、木曾義昌、遠山友忠
本隊:河尻秀隆、毛利長秀、水野守隆、水野忠重
付属:織田長益他織田一門衆、丹羽氏次他
軍監:滝川一益
この出陣に当たり、信長は「今回は遠征なので連れていく兵数を少なくし、出陣中に兵糧が尽きないようにしなければならない。ただし人数が多く見えるように奮闘せよ」と書状を出している。
また、後から続く信長直率の軍団は以下のような陣容であった。ルイス・フロイスの「日本史」には、この信長本隊は兵6万を率いる予定だったと書かれている。
信長
明智光秀、細川忠興、筒井順慶、丹羽長秀、堀秀政、長谷川秀一、蒲生賦秀、高山右近、中川清秀他
- 22 :
- >>10
そもそも対北条和睦の人質のつもりで連れまわしたんだろう
笹子峠閉鎖されたためにあえなく頓挫したけど
- 23 :
- 武田家滅亡を最後まで描いた貴重なドラマ「おんな風林火山」は
視聴率が低かった
DVD化も多分されていないはず
- 24 :
- 勝頼に最後までついて来た武士は数十人と言われ、一人一人の名前まで記録されていたそうです。
旧武田軍団は(大物一族と上級家臣を除き)徳川家臣団に組み入れられます。
その時天目山グループ(戦死のものはその子孫)は重く用いられたそうです。
- 25 :
- 天目山グループよりも信濃諸侯のほうが出世してるよーな
- 26 :
- 天目山グループは当時幼少だった土屋昌恒の息子くらいだな。
こいつも実質秀忠側近というところから出世してるから旧武田家臣とは思われてないんだろう
- 27 :
- 武田家滅亡後、徳川に仕えた曽根昌世
徳川家から謎の出奔
- 28 :
- 新田次郎さんの小説みたいになってしまうが
武田軍の崩壊・裏切り・傍観には穴山信君の書状が廻っていたに違いない。
- 29 :
- 山県昌景が武田家滅亡を生き延びて徳川家に仕えていたら江戸時代は大名になったかな?
あと赤備えはどうなっただろうか?
>>24
家老クラスでも駒井なんかは家康に仕えている。
- 30 :
- 駒井政直 (1542〜1595年 54歳没)
駒井政武の子。深澤城主城代。武田滅亡後、家康に仕える。天正十一年閏正月十四日、甲斐中島報恩寺、正法寺、積翠寺、指切郷西保に三百六十二貫九百文余。十九年七月、上野那波郡千五百石。榊原康政に属す。文禄四年六月八日、五十四歳没。法名「全可」。子は親直。
- 31 :
- >>24
でも初鹿野とかってそこまで重用されていたっけ?
天目山グループではないけど結構それに近い存在。
長篠の戦いの敗走の時も土屋昌恒とともに勝頼に従っている。
この時勝頼のそばにいたのは土屋と初鹿野だけだったとか・・・
武田滅亡の時は一揆に巻き込まれて勝頼に合流できなかったと言われている。
- 32 :
- 飛騨、岐阜、駿河、武蔵、信濃から敵が侵入してきて親類筆頭の穴山や木曾が裏切って道案内してるし織田軍は超大軍(?)らしい!
こっち(武田)は前日に木曾に大敗したばかりだし新府城は出来てないし、
例え織田と戦っても勝頼は援軍だしてくれない…かも…
駿河から抵抗無く徳川軍が甲斐に入ってくるから信濃は無視されると考えて間違いじゃない…
あなたは信濃の国人です。とるべき行動は?
1、それでも居城で織田軍に抵抗する。
2、武田の代官を血祭りにあげる、又は追放する。後に織田軍に降る。
3、とりあえず新府城に向かい勝頼と行動する。
4、勝頼を居城に迎える準備をする。
- 33 :
- >>32
浅間山大噴火の影響で勝頼が出張ってきた諏訪から甲斐へ撤退したので
後詰めがまったく期待できないので織田に降伏するのが賢明です。
- 34 :
- 織田に降伏して認められる保証が無いので
一族兆散して他国の分家を頼る
- 35 :
- 一豪族程度なら交戦前に降伏
武田家に近しいなら勝頼公と共に行動する
- 36 :
- 関連過去スレ@日本史板
武田家滅亡後、徳川家に仕えた武田家家臣について
http://unkar.org/r/history/1208328645
- 37 :
- >>32
結論は、同じ信濃の木曽家に使いを送り織田家に寝返る。
そして織田家の援軍が来るまで自分の城に籠城。
甲斐の武田家に信濃の国人が味方する筋合いは、ないからね。
- 38 :
- >>32
信濃国人でなく個人的考えなら武田すきなので一族郎党集めて近隣の武田派国人もつれて山城に籠城する。
そうして織田の甲斐進行を送らせる。
信濃なのでそれなりの山城は、あるから1〜2ヶ月なら時間を稼げる。最後は、森さんにヒャッハーされて全滅するが
織田家に勝つ方法は、持久戦にして甲斐本国の防衛と信濃は、一部取られてもいいが時間を稼ぎ。
本願寺や浅井家のように防衛戦で戦う。
すきをみて信濃と駿河の奪還。
これしかない。
- 39 :
- 武田は攻められると脆い
結局、国人豪族の利害の一致で繋がっている組織でしかないからね
弱い武田じゃ従わない
こんな甲斐信濃で織田相手にゲリラ戦を繰り広げるのは無理
- 40 :
- 織田は攻められると脆い
明智は攻められると脆い
柴田は攻められると脆い
豊臣は攻められると脆い
上杉は攻められると脆い
つまり毛利、島津、徳川あたりが最強w
- 41 :
- 著名な武田系旗本
武田、土屋、柳沢、栗原、跡部
窪田、初鹿野、志村、小幡
内藤、曲渕、馬場、新見、加藤
長坂、松本、横田、大久保、日向
- 42 :
- 大名
小笠原大膳大夫…豊前小倉15万石、溜間格
小笠原佐渡守…肥前唐津6万石…帝鑑間席
小笠原遠江守…播磨安志1万石…帝鑑間席
大名
諏訪因幡守…信濃高島3万石…柳間席
大名
土屋相模守…常陸土浦10万石…雁間席
旗本
三枝能登守(旗本寄合席)
横田備中守(側衆上席)
初鹿野河内守(北町奉行、大目付)
跡部甲斐守(駿府町奉行、堺奉行、大坂東町奉行、大目付、勘定奉行、南町奉行、留守居格清水卿支配、若年寄格、菊間縁席)
伊沢美作守(長崎奉行)
荻原近江守(勘定奉行)
- 43 :
- 小宮山友晴
「譜代の臣でありながら、武田家最後の戦いに臨めぬのは末代までの恥辱」であり、
御盾となり高思の万分の一にも報いたい」と自身の忠節を貫く為に勝頼最後の地・
天目山に駆け付けた。友晴は奮戦するも衆寡敵せず鳥居畑で討死を遂げた。
この時、弟・又七も勝頼のもとに駆け付けたが又七は勝頼の命令により家族を護って落ちのびている。又七はその後は徳川家に仕えたという。
- 44 :
- http://hissi.org/read.php/sengoku/20120422/M1VQVGcxM3U.html
- 45 :
- 日本人は滅びにも美学を求めるよね。
これはもう様式美だね。
- 46 :
- 武田→高家
土屋→土浦9万9千石の土屋相模守
柳沢→甲斐國主柳沢美濃守
栗原→不明
跡部→大阪町奉行跡部山城守
窪田→不明
初鹿野→大目付初鹿野河内守
志村→不明
小幡→大目付庄田下総守
内藤→奥祐筆内藤左門
曲渕→南町奉行曲渕甲斐守
馬場→不明
新見→外国奉行新見伊賀守
加藤→不明
長坂→不明
松本→勘定奉行松本伊豆守
横田→留守居役横田備中守
大久保→長安。断絶
日向→日向明子
- 47 :
- >>38
本願寺には毛利
浅井には朝倉・本願寺
とそれなりの共闘相手がいたが武田には貧弱な上杉しか味方が居ない。
北条と組んでるなら全然違うがその北条まで敵のハッピーセット。
おまけに一族筆頭の穴山が甲斐を道案内。
例え籠城しても後方を攪乱出来る勢力も助けにくる勢力も当然無い。
北条が織田を裏切る・毛利、長宗我部が畿内に入る・上杉が織田軍に大勝する。
こんな現実みの無い事がない限りどんな手をうっても焼け石に水。
死に方が変わるくらい。
本願寺が降伏した瞬間武田の命運も尽きた。
織田の後方を掻き回す勢力が居なくなり畿内に備えていた軍が丸々武田にあたる訳だしこれはもう無理すぎる。
- 48 :
- >持久戦にして甲斐本国の防衛と信濃は、一部取られてもいいが時間を稼ぎ。
>すきをみて信濃と駿河の奪還。
実際未完成の絶対防衛線新府を捨てて岩殿に退避したのはそのつもりだったんだろう
都留郡を確保できれば折を見て篭坂から反攻できるかもしれない
- 49 :
- 昌幸が勝頼を自城に呼んだって話は軍記や創作にしか無いが
北條との取引は書状が残っちまってるからな。
その取引の真意をどう見るかはわからんが・・・
- 50 :
- 織田家臣の滝川に従属している時点で真田も武田を見限っていたと考えていいだろ
- 51 :
- >>50
それは武田滅亡後だろ
- 52 :
- 後典厩の首を東信国人衆の総意で滝川への手土産にしちゃった
信茂は運が悪かった
相手が信忠だったばっかりに
- 53 :
- >>49
昌幸の意図はしらんが実際オンナコドモ連れて
野辺山越えて千曲川下ってやっと上田
そこから浅間山の脇の上州街道越えるわけだ
まあ普通に清里あたりで追い付かれるかな
つーかぶっちゃけ新府の評定自体がまるっと作り話だったりして
木曾谷征伐の敗走そのままだから北条牽制でそれぞれ所領地留守居のほうが自然
- 54 :
- 信玄の弟・一条信龍
wiki
天正10年(1582年)の甲州崩れでは、3月2日に駿河を撤退して上野城に戻るが、
同方面より侵攻した徳川家康の三河勢に上野城を包囲され、3月10日、三河勢1万に対し手勢僅か3百で突撃して息子・信就と共に討死にした。(異説もあり)
http://4619.web.fc2.com/hero6.htm
武田勝頼の逃避行・滅亡時に、一条信竜が存命だったのか、信就が跡を継いでいたのかは、以上のとおりはっきりしない。
しかし、最後まで武田氏に従い、ともに散っていった事は間違いない。
自落して逃げ惑うのではなく、城に籠もって立派に甲斐武士の意地を見せ付けている。
これは仁科五郎とともに、賞賛に値するものであろう。
- 55 :
- 逃げ惑うっつっても大菩薩峠さえ越えられてたら
奥多摩に潜伏するなり秩父から西上野を目指すなり考えられたろう
信豊にしたところで本来は東信から援兵送るのが目的だから
伊那郡でせめて半月持ちこたえられたら諏訪で最後の決戦ができた
結局人石垣が崩れるのがあまりに早過ぎた
- 56 :
- 諏訪で決戦と言われても甲斐を徳川北条に落とされたら元も子もないのでは?
駿河で穴山が徹底抗戦すればそれも可能だが。
っか穴山みたいな筆頭の重臣が裏切ったら決戦できない。
誰が裏切るかわからないし疑心暗鬼が爆発的に広がってそれどころではない。
- 57 :
- 小山田ですら寝返ったんだからどこに逃げても勝頼は首とられて終了だよ
- 58 :
- 木曽攻めの時は誰も翌月に武田が滅亡するとは思ってなかったろうな
- 59 :
- 信濃の崩れっぷりはやはり過重な動員と賦役で人心を失っていたことに尽きる訳で
それというのも甲斐国人をまとめあげるための成果必要としたため無茶をしたと
一つ一つの判断はそれなりに合理的な判断に基づくものの総じて覧ると
やはりトチ狂ってると言われても仕方が無い
これはもう能力どうのこうの言うよりも生まれつき一国を率いる器じゃなかったと言うか
今で言うところの『ダメな奴は何をやってもダメ』というやつ
- 60 :
- みんな貧乏が悪い
- 61 :
- >>59
織田の経済・軍事に張り合うと自ずとそうなる。
無理な動員・徴発を繰り返し国内・国人は疲弊。最後は裏切り。
朝倉も武田も滅亡パターンに大差無い。
武田が長篠以降も家を保てたのは織田家に相手にされなかっただけ。
徳川相手に守勢に転じてまったく打開出来ない時点で完全に終了。
- 62 :
- 北条から嫁入り持参金せしめても足りず
上杉から同盟の対価一万両せしめても足りず
そりゃ誰かが着服してると疑心暗鬼に陥っても仕方が無いな
- 63 :
- 信玄がそのまま家康ぬっ頃して織田と休戦してからしねばよかったんだよ
- 64 :
- もと江尻城主穴山陸奥入道、ならびに岩殿城主小山田出羽が○○したのが原因
- 65 :
- 織田の強力な後援があるとはいえ、徳川を屈服させる事が出来ない時点でどうしようもない。
徳川屈服どころか長篠以降は全く良いところがない。
- 66 :
- 長篠前に濃越義絶前の織田に恭順して上杉と一緒に北条領食い潰すか
逆に御館で景虎援護と引き換えに氏政子息の人質と持参金をせしめるかの2択だった
前者は本願寺を敵に廻した上に三条婿の穴山や北条に近い郡内小山田の離反が早まる可能性あり
後者は織田の猛攻を防ぎきる保証がない
どちらにせよ時間を稼げれば史実よりはマシな展開になるだろう
- 67 :
- >>66
後者のパターンも武田に北条が付くかって言われると厳しい。
織田から朝敵にされたら北条は関東で総反攻喰らうのは目に見えてる。
結局前者を選んで卑屈に生きるか後者を選んで死に場所を選ぶかしかない
- 68 :
- さも長篠の戦い以降の武田はダメだと言わんばかりの捏造でワロタw
家康は長きに渡って高天神城を必死に落そうとするも
そのつど武田本隊が後詰めにくるとすぐ逃亡しまくり
兵糧を高天神城に入れて武田軍は悠々帰国なのにw
高天神城は天正9年になってやっと落せたほどの苦戦ぶりだったのにw
しかし高天神城と連携する城や砦は落せずw
所詮、徳川は最も武田策源地から離れていたと言われる高天神を落すのがやっとの小者。
氏政もこのままでは上野国は武田のものになるとビビってたのが現実なのにw
其の上、佐竹や里見まで武田とつるんでるしw
木曽氏の内通が始まる天正10年まで武田に亡国の危機など一度も起きてないのに
織田厨の印象操作気持ち悪いわ。
むしろ公儀(義昭)を支援して毛利と協調していて
織田も信濃への攻勢など木曽氏の内通まで一切できないのが現実。
- 69 :
- どう言い繕っても、武田は織田に滅ぼされたんだよ。
- 70 :
- ×織田に滅ぼされた
○勝頼の自爆と財政破綻と徳川北条戦の領国疲弊と浅間山噴火による自落
あんなもん織田じゃなくても滅ぼせるだろ
元々勝頼の自爆と対北条徳川戦で極端に弱りきってる上に天変地異による災悪
寝返りの連鎖でまともに戦う者皆無
今川氏真レベルでも5万もありゃ十分勝てる
こんなもんを実力で滅ぼしたとか言わん
いわば火事場泥棒みたいなもん
本能寺後武田領国の織田軍が皆蹴散らされて周辺大名の草刈場になったのも織田が雑魚すぎたおかげだろうな
- 71 :
- 最近のだがのレスはおいしそうじゃない
- 72 :
- 持ち上げているのが最終的に滅んだ武田というのが一番のダメ要素だからな。
ある意味だがは「滅んだ大名家はどう言い繕っても見下される」というのを体現しているともいえる。
島津にしろ伊達にしろ徳川にしろ織田にしろ毛利にしろ、最終的に存続しているというのが何より大きい。
没落では豊臣も大きいが、ここはなんだかんだで従事していた人間が多いから史料もたくさん残っている。
武田は朝倉今川あたりと同じ「最終的に滅んで復活もしなかった」というのが輪をかけて辛い
- 73 :
- ×資本主義に負けた
○ゴルバチョフの自爆と通貨破綻とアフガニスタン侵攻の領国疲弊とチェルノブイリによる自落
社会主義は負けてない
みたいな話か
- 74 :
- 織田や豊臣は滅びましたが???
織田のあれが滅んでないというなら武田も滅んでない
- 75 :
- 武田は江戸時代大名になったの?
なったのなら武田は滅亡していないといえるね。
武田のどの系統が大名家になったの?
ちなみに織田家は信雄系、信包系、有楽系と3つもあるよw
- 76 :
- あ、まさかとは思うけど武田信吉、なんて言わないでねw
あれは徳川家康の息子だから甲斐源氏武田とは何の関係もないよw
- 77 :
- 一門の諏訪頼忠・木曽義昌・穴山衆。皆大名として存続
- 78 :
- 唯一戦国時代の所領に復活を果たした諏訪因幡守頼水
- 79 :
- それは諏訪氏と木曽氏じゃん。穴山に至っては勝千代の代できっちり滅亡してる
当たり前だけどちゃんと「本姓武田」じゃないとダメだからなw
当然だろ、おまえの理屈で言えば丹羽氏も前田氏も織田一門だから「織田家」っていえるんだからw
別にそれでもいいけどなw
- 80 :
- ちなみに、木曽義昌率いる木曽氏は2代目義利の代に改易。
諏訪氏は頼忠系には武田の血が流れていないので一門と言えるかどうかは難しい。
少なくとも諏訪頼忠に武田の血は流れていない。(諏訪頼忠は諏訪満隣(叔父)の家系、武田と血縁結んだのは頼重(甥)の家系)
- 81 :
- その理屈なら市→江→家光って理屈で織田の血の天下や!(キリッ
- 82 :
- つかなんで勝頼は山県の後任に穴山を江尻城代にしたんだ?
長篠で逃亡した奴を城代にするって・・・・
高坂を江尻城代にした方が良かったと思う。
高坂が謀反ってことはないだろ。
- 83 :
- 穴山や信廉は勝頼をどう呼んでいたのか?という素朴な疑問
御当代様、四郎殿、お屋形さまetc.
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%8B%E5%BD%A2%E5%8F%B7
お屋形さまはあり得ないか
- 84 :
- >>82
じゃあ誰が高坂の代わりに北の守りの海津城代に着くんだという話にもなる
- 85 :
- >84
つ穴山
背後で裏切られるわけじゃなくなるから新府城での防衛が可能になるかもw
- 86 :
- 武田氏の滅亡後、重臣である馬場信春の娘の情報が家康に届き、鳥居元忠に捜索を命じる。
しかし鳥居元忠は娘は見つからないと報告し、捜索は打ち切られる。
しばらくして、その娘が鳥居元忠の側室になったという話を聞き、家康は高笑いで許した。
- 87 :
- >>6
信長にとって勝頼の首が目的だったから生存説はあり得ないけど伝説、伝承として
武田勝頼、土佐に来ていた?
2009年05月04日11時00分 高知新聞web
戦国武将、武田信玄の四男、勝頼の落人伝説が残る吾川郡仁淀川町大崎でこのほど、講演会「武田勝頼は土佐に来た」が開かれた。
「武田勝頼土佐の会」(岡林照寿会長)の主催。
岡林会長が集めた家系図や勝頼の墓とされる史跡の写真などを示しながら約四十人の歴史愛好家に講演。
勝頼の子孫に当たるという武田清美さん(69)=静岡市=も来場し、耳を傾けた。
勝頼は天正十(一五八二)年、織田信長との戦いに敗れ三十七歳で自害したとされ、山梨県甲府市の法泉寺に祭られている。
一方、同町には勝頼につながる史跡が数多く残っており、落ち延びて現在の同町大崎に居住し、
慶長十四(一六〇九)年に六十四歳で没したとも伝えられている。
講演を聴いた武田さんは「勝頼公が高知に来ていたとは夢にも思わなかった」。ただ、武田さんが家系図を調べたところ一、二代、名前が抜けているところが
あるといい「講演を聴いて土佐の地に来ていた可能性もあるのではないかと思えてきた」と話していた。
- 88 :
- 長野日報 2010年?
http://www.nagano-np.co.jp/modules/news/article.php?storyid=19148
「武田勝頼」通し地域交流 「由布姫・勝頼諏訪の会」
勝頼は諏訪氏を継いだことから「諏訪四郎勝頼」とも呼ばれた。信玄の死後に武田家を
継いだが、天正3(1575)年の長篠の戦いで織田・徳川連合軍に敗れ、天正10
(1582)年に天目山(山梨県)で自害した−というのが定説。
しかし高知県仁淀川町では、勝頼が武田家の家系であった香宗我部家を頼って土佐に落ち延び、
名を「大崎玄蕃」と変えてこの地で25年ほど活躍し、64歳で亡くなった−と伝えられている。
同町の大崎八幡宮の神主を代々務める岡林家に伝わる武田家の家系図に記述があり、同
神社には武田の家紋が裏面に入った手鏡が残されていることが、この説の根拠とされる。
2008年には同町住民有志らが「武田勝頼土佐の会」(岡林照寿会長)を発足させている。
- 89 :
- 由布姫の供養塔があることで知られる小坂観音院は、毎年行う由布姫の供養祭に訪れる
武田家子孫を通じてこの伝説を知り、中島住職が仁淀川町を訪問。昨年8月に土佐の会
が開いた勝頼没後400年祭にも出席した。岡林会長も小坂観音院を訪れるなど交流が
生まれたことから、勝頼を通じた地域間交流を深めよう−と諏訪の会の結成を計画した。
- 90 :
- 仁科盛信の息子(信基)→徳川旗本
河窪信実の息子(信俊)→徳川旗本
武田信清→上杉家臣(米沢武田家)
- 91 :
- オンナコドモは通りぬけたとこを見るにやはり笹子峠を塞いだのは小山田なんだろうな
背後から斬り付けたり城に引き入れてから敵方に引き渡すよりはいいとは思うんだけど
身の処し方としては中途半端で却ってダメなんだろうな
- 92 :
- 諏訪頼豊
天正10年(1582年)、織田信長が武田領に攻め込む(武田征伐)と、諏訪氏家臣団は頼
豊に対して武田氏を離反して諏訪氏再興を図るべきと進言するが、それを拒んで出陣する。
鳥居峠の戦いで敗れた後、織田軍に捕らえられて処刑されたという。これにより、家臣達は弟の頼忠を擁して諏訪氏再興を図る。
- 93 :
- 人質の御坊丸(織田勝長)を信長に返した件については
勝頼の弱腰の側近達の保身策というか、当時天下布武を
成し遂げつつあった信長の心証を少しでも良くしようと
の配慮だったのかもしれない。そしてそれが逆に信長から
して見れば、あの猪武者の武田四郎が、焼くなり煮るなり
好きにしてよいはずの人質を帰してくるとは、まさに
「コレガ塩カ」と武田攻めを決断させたと司馬爺か新田次郎か誰かの本に
描かれていたような。
- 94 :
- 高坂の進言受けて、穴山に腹切らせていればなぁ…
- 95 :
- 穴山謀反が7年早まったろうな
- 96 :
- 汚い穴だなぁ…
- 97 :
- 元法政大教授・犬飼和雄さん
2012年05月01日
■武田家の思い、音楽で
http://mytown.asahi.com/yamanashi/news.php?k_id=20000511205010001
- 98 :
- 抜粋
四川大学の研究室に日本語の勉強に来た男性がある夜、白楽天(白居易)が
作った楊貴妃の死を悼む「長恨歌(ちょう・ごん・か)」を語り、弓奏弦楽器の
二胡(に・こ)を演奏した。犬飼さんは、韮崎市の武田八幡宮に残る戦国武将・
武田勝頼の妻、北条夫人の願文の石碑をふいに思い出した。
「うやまって申す 祈願の事 南無帰命頂礼 八幡大菩薩、で始まる願文に、
長恨歌の一節が重なった」
犬飼さんは帰国後、武田八幡宮の木々に囲まれた境内に立った。武田家で家臣の離反が相次ぎ、窮地に陥るなか、十代後半の夫人が願文に込めた、夫勝頼の助命を乞う思いや、裏切った家来への怒り、悲しみを、ひしひしと感じたという。
音楽づくりは約20年前、この願文の思いをメロディーとともに、歴史資料と
して残すために始めたという。
犬飼さんが「こんなイメージ」と語り、演奏者らがメロディーを奏でながら、
試行錯誤で組み立てていく。レパートリーは、武田家の滅亡に関するほかの文書
や、万葉集の和歌を含め、20曲近くある。1曲をつくるのに1年近くかかる。
演奏回数は1年間で10回弱。ただし、勝頼夫人が天正10(1582)年に
願文を奉納したと書かれている2月19日は、武田八幡宮で毎年欠かさず演奏する。
「あなたの思いはわかったよ。そう伝える気持ちで演奏するんです」
- 99 :
- 穴山梅雪自身、「義信事件(一)」「義信事件(二)」では弟の穴山信邦を犠牲にしている。
その政治情勢との違いを踏まえ、梅雪はたとえ長篠からの単身撤兵という軍令違反を起こしても、腹を切らされることはないと踏んでいたのだ
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