2012年09月戦国時代117: 【安房・上総】里見氏を語るスレ2【関東副将軍】 (400) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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【安房・上総】里見氏を語るスレ2【関東副将軍】


1 :2009/12/12 〜 最終レス :2012/10/10
最盛期をもたらした義堯から、義弘、義頼、義康、大名家としては滅んだ忠義の辺りまで語ろう。
■前スレ
うぬぬ…里見家は戦国最強!
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156739699/
■関連スレ
戦国期の家督争い・御家騒動・内乱を語る
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1224768422/
本家以外の武田家を語ろう!
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1160787455/
【若狭】武田氏総合スレ上総】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1182782929/
千葉氏の系図が理解できない
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1183502839/
【最強】千葉氏【関東の覇者】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1189090442/
【関東】鎌倉・古河公方を語るスレッドU【擾乱】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1155293770/

2 :
>>1
乙。
個人的に一番良いと思ったスレタイで嬉しい。

3 :
千葉県民が2げっと

4 :
船橋市民が里見に引導渡しちゃる

5 :
愛称は“さとちん”でOk!

6 :
>>5
さとみんはダメか?

7 :
公方義晴で突撃したら負けた
ええい、里見は化け物か!

8 :
1乙です。
需要あるか分からんが、歴ゲー板の関連スレ。
信長の野望と言えば、里見氏だよね!
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/gamehis/1145593040/

9 :
ここもか。
【上総】千葉の歴史【安房】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1136529908/

10 :
最盛期の石高ってどれくらいだろ2、30万石位かな?

11 :
>10
前スレに所出はわからないのですが長宗我部の最盛期と同じくらいとかいてあった
ネットで調べてみるとそれは大体60〜90万石くらいみたいです
まあでも関東は特に離合集散背反二律の地侍の集合体みたいな感じなので
小弓公方の威光が強いときは小弓公方になびいて里見の威光が強いときは里見になびいて
北条の威光が強いときは北条になびいて・・・
みたいな感じなのでかなり流動的だったのではないでしょうか?

12 :
安房 9万5千石
上総 42万5千石
下総 68万1千石
時代によって違うだろうけど
下総はもう少し少ないか
最盛期は安房全域、上総の大半、下総南部と言われているので
60万石前後か

13 :
本田忠勝は上総大多喜で10万石だが、その後は5万石に減っているよね?

14 :
>>13
忠勝は関ケ原の戦功という名目で伊勢桑名に10万石のまま転封、
次男の忠朝が5万石で大多喜に残ったから、忠勝系本多氏全体では5万石加増ということになるね。

15 :
いつも公方を置き去りにしてトンズラする謙信に成り代わって
公方を保護していた里見の方が関東衆を統率するのにむいていたおね( ^ω^)

16 :
国府台では小弓公方をアッサリ見捨てたけどな

17 :
小弓はパチモンじゃんお( ^ω^)
元々里見が担ぎ出したわけじゃないし、義堯は初っ端から横槍り入れられたし( ^ω^)

18 :
毛並みは確りしてるじゃん

19 :
義実:美濃出自説が出てきたからね。
そりゃあ、新田庶流には変わりないだろうけども。

20 :
あ、小弓義明の話か。スマソ

21 :
正月時代劇で関東福将軍やらんかね

22 :
千葉県って現在でも農業生産全国2位なんだよね
なぜか山だらけの不毛の地のイメージがあるけど

23 :
そりゃあ昔は南部を除いて海だったもの

24 :
>>22
九十九里平野(椿海干拓地含む)、水郷地帯の米作が大きいね。
長狭・水郷は早場米の産地としても有名だし。
下総台地や房総丘陵も、谷の奥まで貪欲に谷津田として耕作されているしね。
今は耕作放棄されて荒れてるとこも多いが。

25 :
干潟(椿海)って干拓されたのは江戸時代なのに、減反が叫ばれ出した昭和40年代ぐらいまではそれほど耕作できてないんだよね
両総用水ができるまでは、ほんと水不足と塩害が凄かったらしい

干拓のほうは失敗の連続で関わった奉行はみんな腹切らされたんじゃなかったかな

26 :
後北条が本気で里見を潰さなかった(潰せなかった)理由は?

27 :
水軍が強かったのと、守り易く攻め難い房総半島が本拠地だったこと
とはいえ、結局は屈服に近い和睦を結ばせたので
北条としてはこれで充分と思ったのではなかろうか


28 :
どうでもいいが里見義康の安房国4万石って、慶長二年の太閤検地で
領地変わってないのに9万1千石に膨れ上がっているのな。
こりゃ領民はたまったもんじゃないわ。

29 :
>>28
毛利だって関ヶ原後にやったじゃないか
そんなんどこでもある
辻褄を合わせるためには下を苦しめるもんなんよ

30 :
書いてあるから四万石が正しいって・・・・
http://bousou.txt-nifty.com/blog/2007/07/post_d55b.html

31 :
>>28
いやいや武士領民総出で一生懸命に田畑を開墾したのかもしれんぞw

32 :
>>28
石高って、そんなに上下するのだろうか?

33 :
「ココいままで1万石ってことになってたけど、今日から2万石にするわ
年貢その分増えるけどよろしく」
てのがあったりするのよ

34 :
秀吉は金に困ると太閤検地をやって、そのたびに石高増やして増税してた。

35 :
秀吉は農民だったから
百姓のちょろまかしを知悉してたというのもあるとおもうけど
里見は知ってて知らんぷりするところが万年様たるゆえんなんだろう

36 :
秀吉が農民だったなんて今じゃ怪しい説だけどな。
百姓≠農民だぜ?

37 :
保守

38 :
秀吉も里見を厚遇しとけばよかったのに。
北条と里見の関係を徳川に当てはめれば、
関ヶ原でもっと面白い展開になったと思う。

39 :
二派に分かれて結局中立→奥羽に減封の佐竹パターン

40 :
里見とか佐竹なんて雑魚大名にいくら加増しても無駄
こいつらが役立たずのヘタレであるのは対北条戦で実証済
里見と佐竹を潰して上杉に200万石与えるべきだった

41 :
安房一国になった里見の抑えに本多忠勝を配置したのは
やはりそれなりに脅威と見ていたのかな

42 :
>>40
じゃあ、上杉の抑えはどうするの?

43 :
それを言うなら伊達だろう。
思い切って遠方から宇喜多か立花を配置w

44 :
徳川は水軍を警戒してたわけでしょ
小田原のときに仮に改易するんだったら、九鬼を入れて佐竹に支援させたほうがええかな
脇坂あたりも良いかも
いずれにしろ、どれだけはやく周辺海域の状況を把握できるかがかぎだろうけど

45 :
やっと解除キタ━━(゚∀゚)━━!!

46 :
里美氏って北条とは何度も戦争してるけど、北の佐竹や結城とは戦ってないの?

47 :
戦ってないよ。
所領も接してないし戦う理由が何も無いから。

48 :
将棋:17歳・里見が初の女流名人獲得 清水に3連勝
http://mainichi.jp/select/today/news/20100211k0000m040001000c.html
どの系統の里見さんなんだろ?

49 :

大野太平→川名登→滝川恒昭、佐藤博信


50 :
保守

51 :
里見義頼は後北条出の妻が死んで
後北条と敵対関係になったとどっかで見たんだが、
いつぐらい?

52 :
>>51
その話はウソみたい、同盟はもっと長く続いたらしい。

53 :
里見八犬伝の話をしようよ。

54 :
http://www.city.kurayoshi.lg.jp/p/gyousei/div/sogoseisaku/3/5/2/

55 :
各地で、大名のお祭りしてるんですね。
金沢だけじゃ、なかったんだー、良かった。
仙台も伊達政宗で、お祭りやってる??

56 :
そういえば里見氏って小田原合戦の時期になっても、小弓公方を
擁立しようとしてたりするんだよな

57 :
>>55
つ大多喜お城まつり

58 :
>>55
( ^ω^)つ政宗公祭り

59 :
青岳尼の墓所めぐりをした奇特な私・・・

60 :
好きな女を連れ去るために鎌倉まで遠征って
こんな素敵な話なのに歴女の食指は動かないのかな?

61 :
義堯と義弘ではどっちの
版図が最大になったの

62 :
一瞬だけどよしひろじゃない?

63 :

川名登編『里見家 分限帳 集成 【増補版】』(岩田書院、2010年4月発行)

64 :
忠義の弟の子孫が、堂本前千葉県知事

65 :
>64
へー
うちなんてひーじーさんがなにやってたかもワカンネ


66 :
>>64
義康の次男・忠堯だね。
里見氏の没落後は遠州掛川に住んだという。

67 :
館山にRが出来て、毎日そわそわしてる先輩に質問です。
ナゼ戦国武将の戦は、ローマの兵士と違って「盾」を持たなかったのですか?
いつも不思議に思います。 鉄不足?
でも藁とかキュッと束ねたのを幾つか束ねて、またキュッとやれば矢くらいは
防げたのでは。事実、戦では刀、槍より矢で亡くなった人が多いようですが。


68 :
盾・弩などは何故日本で普及しなかったのか 4
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1242040799/

69 :
67です。
>>68さんありがとうです。
最近合コンのお誘いがめっきりな先輩に質問です。
足軽は胴はまだしも、下半身はサラシのような短パンっぽいのは・・・
やはり自衛のために防御をしたいと思うのは人情でしょう。
では、房州の場合、全身アワビやサザエの殻で補強しなかったんですか?
余談ですがアクアライン通る度にあの時代にあれば、小田原攻めに遅参しなくて
済んだのにな。と、遠い目で海ほたるからランドマークタワーを見てます。

70 :
道路が無いなら舟漕げばいいだろ

71 :
>>70
びわくび(百尾)の出来事についてについて事情通の先輩。
要は防具の話が聞きたいです。

72 :
>>69
別に本当に遅参した訳じゃないというのが通説。

73 :
最近ゲリラ豪雨に備えてる先輩に質問です。
>>72
遅参はなんとなく知ったことなんすが、秀吉のイジワルなんすか?
上総や下総を取り上げたいから、水軍と戦って遅参したワケではないんですね。
とにかく貝殻で武装しなかった足軽の事と、後の大多喜城の本田氏は
サザエを模した兜だったし。
因みに自宅に甲冑(伊達政宗、真田幸村、家康)があってたまに着て遊んでます。
勿論レプリカで安価な物です。

74 :
>>69
中世ヨーロッパの歩兵や弓兵(要するに騎士以外の雑兵)は、
いつでもRできるように下半身は裸だった。
西洋のでも東洋のでも鎧は1人で脱着できず、複数の人間の介助が必要。
なので従者などいない雑兵は手軽なものしか装備できなかった。

75 :
>>74
最近暑くなって水分補給に余念がない74さん。
なるほど。 ポイントはRですね。
確かに帰省の折に城山で甲冑着たときはひとりでは無理だと思いました。
でも自宅にある甲冑は慣れるとひとりで着られるんですが、
ダースヴェイダー着るときははメンドクサイです。
ところで甲冑はふんどしから甲冑まで全部 左 から着るんですね。
休日のいま、伊達政宗の甲冑着てます。ちょこちょこツノが壁に当ってます。

76 :
戦闘中にRする人がどれほどいるか疑問だけど( ^ω^)
それに命懸けの状態なんだし垂れ流しでもよい気がするお( ^ω^)
むしろR塗りたくっていれば少なからず相手の戦意を挫けそうだお( ^ω^)

77 :
ゲリラ豪雨に怯える皆さんに質問です。
一応、勝浦のおまんの方や百尾のゆかりの方とお会いしたりしたんですけど、
まぁそれはそれとして、館山の正木地区は里見家臣正木氏由来ですか?

78 :
正木氏の由来が正木地区(安房国平郡正木)だったと思う

79 :
正木氏は単純な家臣じゃなくて従属同盟者的な・・・

80 :
洞中的なものかお( ^ω^)

81 :
>>79
> 正木氏は単純な家臣じゃなくて従属同盟者的な・・・
佐竹氏と江戸氏・真壁氏みたいなもんか。

82 :
イメージ的には松平と水野でどうじゃ?

83 :
里見氏を主人公にしたNHK大河ドラマって、無理があるような・・・・
http://www.city.kurayoshi.lg.jp/p/gyousei/div/sogoseisaku/3/5/2/

84 :
武永家の里見越後は、上総で北条と争ってた里見氏の一族?

85 :
いずれにせよ縁もゆかりもない山陰に転封され、大久保石州に連坐し、除封。

86 :
結局安房里見氏の出自は仮帽でOK?

87 :
窓際の旗本→副将軍→旗本
平沢勝蔵

88 :
>>84
天童氏が里見から分かれているらしいから、その支流になるんじゃないのかな

89 :
奥州の斯波一族庶子は里見名乗るのたまにいるからその系統の可能性もある

90 :
そういえば天童にも斯波から養子が入っていたね

91 :
a

92 :
>>83
大多喜町も、「本多忠勝・忠朝」で狙っているな。

93 :
里見八犬伝まんじゅう
ってのを国体会場で売っていた。

94 :
原作の著作権が切れているからね。

95 :
伊達兵部と対立していた里見十左衛門重勝はどの系統なんだろか。

96 :
戦国ちょっと悪い話22
ttp://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1284366912/227
でちょっと気になる話を見つけた
お題

227 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 18:36:23 ID:llOfiB8h
北条って何で里見ごときにてこずってたの?
さっさと滅ぼしてそこの兵力を上野とか下野に使えば良かったのに
229 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 18:44:28 ID:SYuyIJCM
>>227
一言で答えるのは難しいが、
当時の房総や常陸・下野を支配していたルールや慣習が、相模・武蔵とは大きく違うんだ。
武蔵を制圧したのと同じやり方で、房総に侵攻するのは難しかったということ。
ここでも参考にして
http://iiwarui.blog90.fc2.com/?q=%C6%B6%C3%E6
230 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 19:17:08 ID:2uYBKVhC
もう一つ。里見家と当主義堯と義弘がゲームのイメージから離れて強く有能だったとも言えるな。

97 :
下総流山に永年住みながらも↑の227氏と同じく、何故、後北条は里見(ごとき?)に
てこずっていたのか?疑問に思う。
↑で229氏は
>当時の房総や常陸・下野を支配していたルールや慣習が、相模・武蔵とは大きく違うんだ。
>武蔵を制圧したのと同じやり方で、房総に侵攻するのは難しかったということ。
>ここでも参考にして
と言うが、リンク先を拝見してもよくわからん。
里見家の「洞」(千葉氏支配下の下総が典型的な「洞」と云うシステム)が、
後北条が里見を攻略する上で障害となったってことなのか?
そもそも「洞」ってなんだ?
あと、常総・下総のルール慣習が相模・武蔵と大きく違うってのもわからん。

98 :
>>96
>北条って何で里見ごときにてこずってたの?
> さっさと滅ぼしてそこの兵力を上野とか下野に使えば良かったのに

滅ぼすことは可能だったかもしれないが、北条側もかなりの損害を出すので
そのタイミングで武田や上杉や今川が攻めてきたり、北関東の半分従属勢力が
離反するおそれがあった。


99 :
逆に疑問を持つと、どうして里見は北条ごときを滅ぼせなかった?

100 :
洞が足枷になっていたと見る事も出来る
洞というのは室町末期頃に形成されたシステムだけど基本的には中世の体制の延長にある
洞中に於いては権力が分散しており宗家の力は決して強くはない
寄り合い世帯的なものであって利害によっては行動を異にする事もあり
宗家当主の命令下に一丸となって進退する事は不可能といっていい

101 :
>>96-97
悪い話スレに誤爆があったから気になって探して飛んできたよw
そのスレの229です。
私は佐竹好きで、里見は門外漢なのでそこはごめんね。
洞中について知りたかったら、まずはここを読んで
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%9E_(%E6%AD%A6%E5%AE%B6)
もっと詳しく知りたければ古典的な研究だが、
『戦国期東国の都市と権力』に入ってる『戦国期における東国領主の結合形態』を参照して。
買うと凄く高いから図書館でコピーするといいよ。
>>100氏も言及してるんだが、
常総地域の豪族は自立性がものすごく強かった。
小豪族間が文字通り「親分=子分」の擬制血縁関係を結んで、ゆる〜く繋がって千葉洞やら結城洞やらを形成してたわけで
システマティックな北条家とは全然違う。
親分である宗家は軍事指揮権は持ってるが、子分の内政に介入する権利は何ひとつ持ってない。
こういう背景をもつ常総地域の戦争がどういう形になるか、
戦場で戦うと一方が壊滅的打撃を受ける前に、古河公方などが和睦を仲介して手打ちになる。
「ケンカしたけど仲直り、これからも一家同然に付き合っていきましょうね」
新たな親分=子分関係が構築されることも。
内乱はやるけど、他の洞の領地を侵食することは基本的にほとんどやらない。
先祖代々の領地を奪って、豪族を地生えの土地から排除しようとする北条家が介入してくると
異質な戦争の仕方をする北条家に対して、いつもは仲間割れする洞中も結束して抵抗する。
下手すると平安時代以来の領土だから、まさに一所懸命に防衛する。
こういう小豪族をしらみつぶしに叩いていくのは物凄い手間と時間がかかるわけ。
佐竹方が小田天庵様を何度打ち破っても復活し、結局完全に滅ぼすことができず、30年かかって屈服させたのが好例。

102 :
古河公方の影響力がほとんどなくなるのは何年あたり?
そのあとは誰が和睦調停をやったの?

103 :
人に聞かないでまずはwikiでもいいから自分で調べろ
それからもっと問題を詰めて質問しろ

104 :
千葉氏の重臣である原氏
さらにその原氏の重臣である高城氏なんかは千葉氏から直接命令を受けてるよね
それどころか北条氏から、千葉・原を飛び越えて直接指令が来てるし
この頃の下総は北条の下請け孫請けみたいだよねえ

105 :
足利茶々丸  ← 名前がかわいい

106 :
腹黒い早雲の犠牲者だな

107 :
里見梅王丸は?

108 :
叔父御にも祖父の血が流れてるってことだな by梅

109 :
義頼は義弘の庶長子

110 :
いまはそれが定説?

111 :
義弘の誕生年を1525年説とするなら
1543年産まれの義頼が実子でも年齢差的に無理はないな。
1530年説となると、数え14でお父さんか…
まぁ、当時は早婚で子作りも比較的早かったとは言え
実際の所はどうだったんだろうね。

112 :
当時の大名なら14歳で父親になるケースはあった。

113 :
>>112
調べてみたら、何人かそれくらいで子持ちになった
武将を発見できた。
話は変わって、安房里見氏ってゲームのイメージで
相模北条氏のやられ役って感じが浸透してて非常に残念。
実際、第一次二次国府台合戦の痛恨の敗戦が痛いけど
起死回生とも言える三船山合戦は、かなり評価されても
いいと思うんだよね。北条氏は戦国時代の有名所だから
高評価になるのも、仕方ないんだけど
義堯・義弘時代の里見氏はもっと評価されてほしいもんだ。

114 :
里見氏の強みは水軍のほかになにがあるのだろうか?
交易は得意だったのだろうか?

115 :
三船山合戦は北条氏政が相手だったことも里見にとって有利だった。
名将である氏康が相手だったらキツカッタと思う。

116 :
国府台や関宿以降の抗争では氏政にやられたがな

117 :
>>114
足利一族が房総に避難してくるその家格

118 :
>>117
小弓?
あれは武田が引き込んだんだけど

119 :
北条VS里見での里美方の強みっていう意味じゃないの?

120 :
里見は源氏だから征夷大将軍になれる資格があるということだなあ。
もっとも、なろうと思ったことは一度もないだろうが。

里見は水軍の他に、なにが長所だったのか?

121 :
>源氏だから征夷大将軍になれる資格がある
いまだにこんなの信じてるやついたんだ

122 :
>>121
そりゃ朝廷が平氏の信長が希望すれば将軍に任命する意思があったことは知っているし
皇族将軍や藤原将軍がいたことも知ってる。
でもさ常道からいけば源氏が将軍でしょ。

123 :
そんなこたあないでしょ
もともとは蝦夷対策で設けられたもんなんだし

124 :
>>118
小弓滅亡後の遺族とか足利藤政とかじゃないの?

125 :
>>124
なるほどね
でも、武田がこともあろうに北条方になって、公方は里見を頼りにしたんだから
その遺児たちが里見を頼って落ちてくるのは当然だと思うよ
家格というよりも父親の後ろ盾兼同族ってことで頼ってきたんじゃないかなあ
藤政のほうは知りませなんだ

126 :
佐藤博信氏が安房に亡命した足利一族(小弓・古河両方)に関して結構論文を出していた筈。

127 :
近年の研究だと、槍大膳こと正木時茂は1561年に死んでいたそうだから
第二次国府台合戦及び、三船山合戦の正木氏主力武将って
弟の時忠と時茂の長男・信茂と養子の憲時って感じなのかね。
時忠が北条に寝返って、信茂戦死後は憲時が義堯・義弘を
支えていたのかな。
そうなると、梅王丸と義頼の一件は単なる憲時の謀反じゃなくて
義弘派の憲時が義頼派を良しとしない上での決断とも取れるわけで。
時代小説の読み過ぎか俺。

128 :
>>127
このあたりの時代小説って何があるの?
オススメがあったら教えて。

129 :
時代小説ではないが
「崑出版」だっけ?
から房総の郷土史の本が多数出版されている。

130 :
里見家視点で物語風な感じならPHP文庫から出てる
『里見義堯』くらいしかないと思われます。
小説ではないですが、129氏が挙げてる崑出版の学術本もオススメ。
里見家改易始末と、房総里見水軍の研究が個人的に良書でした。
あとは、川名登氏の里見家関連著書なんかも
いいんじゃないでしょうか。

131 :
里見って内政でどんな実績残してる?

132 :
交易とか産業振興だな。
さあどうだったんだろ?

133 :
>>129
>>130
どうもありがとう。とりあえずPHP探して読んでみまつ。

134 :
>>131
南房総市(旧丸山町)に嶺岡牧場という
里見氏が軍馬を育てるのに作ったという牧場がある
もっとも、今はR牛試験場とかで馬とかはいないけど

135 :
「里見興国記」って小説は、義実と義堯に絞ってある。
典廐五郎「真相里見八犬伝」は、義頼〜忠義にかけての里見と正木の内実。

136 :
>>111
義頼の母親が青岳尼っちゅうのはどうかね?

137 :
>>129-130
崑じゃなくて崙書房。
流山市にある。
千野原靖方氏がよくそこから出してるね。
「戦国大名里見氏」「里見氏改易始末」「関東戦国史」「房総里見水軍の研究」などなど。

138 :
崙書房の本は柏の図書館(本館)1階のトイレ前にある。

139 :
千野原靖方氏ってどういう人なんだろうなぁ
本名なのか、一度お会いしてみたいものだ。
講演とかやる機会ないのかなあ

140 :
千野原靖方氏は存命なの?

141 :
まだ64歳だよw

142 :
里見氏研究で一番優秀なのは滝川氏だよね?

143 :
>>136
青岳尼が義明の妹なのか娘なのか
てか、恋焦がれた相手の子供なのに嫡男になれなかったことになるんだよね
よほど義弘に嫌われていたのかな

144 :
>>141
そうなのか。名前が大正っぽいのでw
失礼したw

145 :
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%99%E6%9B%B8%E6%88%BF
崙書房出版株式会社(ろんしょぼうしゅっぱん)は、日本の出版社の一つで、
主に千葉県・茨城県に関する書籍を発行している。
創業当初は千葉県・茨城県に関する文献の復刻版を発行し、
1977年から地域に根差した題材を文庫本として発行するようになる。
歌集・句集などの自費出版も手がけている。
利根川を題材にした出版物の発行では建設省から感謝状を送られる。
また、常総・房総の歴史に関する雑誌も発行している。営業所が茨城県石岡市にある。

146 :
安房里見て仮冒でしょ

147 :
>>143
滝川氏が義明の妹と娘が両方義弘の室になったという説を唱えたんだっけ?

148 :
義明の妹も娘(青岳)も、鎌倉太平寺の尼になっているね。
岩井三四二の「太平寺殿のふしきなるおくわたて」って短編に、青岳の鎌倉脱出が描かれている。

149 :
>>147
そんな説があるのか?

150 :
>>149
ほいっとな。
青岳尼
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E5%B2%B3%E5%B0%BC

151 :
>>147氏ではないが、これも。
里見義頼
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8C%E8%A6%8B%E7%BE%A9%E9%A0%BC

152 :
ウィキ見て思い出した。
義頼が青岳尼の子供という説を唱えたのが滝川氏で
義明の妹と娘が両方が義弘の室になって、青岳尼の伝記は両方ごっちゃになっていると言ったのが佐藤氏だった。

153 :
【北条】
千葉、原、高城、庁南武田
【里見→北条】
万喜土岐、真里谷武田、土気酒井、東金酒井
【里見→北条→里見】
勝浦正木
【里見】
小田喜正木

154 :
武田信長さんは名前が最強。

155 :
名前はね
上総に入るまでは悲惨だったみたいだけど

156 :
小倉くらの息子(義豊の子)は・・・?

157 :
義豊の子供って、義尭方についたんだっけ?

158 :
一族に甘い傾向があるよね。
梅王丸も殺されてはいないし。
そういえば、義弘と喧嘩して常陸に逃走した弟がいたな。

159 :
将棋の里見香奈ちゃんって安房里見ゆかりの子?
出身が伯耆の国なんだけど。

160 :
そうかもしれないな。

161 :
>>139
今年の4月に千野原氏の新刊が出ていた。
崙書房「小弓公方足利義明」

162 :
小弓公方ってのはローカル色満載のテーマだなあw

163 :
>>161
凄い読んでみたい
面白いんかな

164 :
千野原靖方『小弓公方足利義明―関東足利氏の正嫡争いと房総諸士―』(崙書房出版、2010年発行)

165 :
崙書房出版は凄い本ばっかり出してくるなあw

166 :
>>102
調べた。
古典的な研究だが1986年の『古河公方の権力基盤と領域支配』市村高男 によると
天文末から永禄半ばまでは佐竹・結城・那須・小山・江戸らの年頭挨拶が確認できる。
しかし、天正二年の関宿陥落と、北条氏康による古河公方権力の吸収以降には
里見・佐竹・宇都宮・那須の出仕は確認できないとのこと。
これ以後は北条傘下の諸氏だけが出仕したそうな。
房総で言えば臼井・国分・千葉・高城・村上・大坪ね。
ただし、結城・山川・常陸行方衆に限っては、北条に対立する勢力にも関わらず
天正5,6年まで出仕が確認できるとのこと。
彼らは独自に古河公方と強力な結びつきを持っていたのがその理由。
いわゆる天正六年の佐竹=結城=宇都宮=那須の反北条同盟が契機になってるみたいだな。

167 :
>>166
おー、これは初めて知りました。ありがとう。

168 :
安房里見は美濃系らしいが何故、古河公方方に?
上杉応援団やないの?

169 :
「戦国遺文・房総編」
第1巻発売中!

170 :
>>168
土豪の仮冒で新田里見氏とは関係ないから

171 :
美濃から来たって説を提示したのは峰岸純夫氏だったかな。

172 :
北条氏康を三崎三浦で撃破した里見義尭は
東国最強の水軍の持ち主
盗っ人大名・氏康にお仕置きしたワケだ

173 :
義堯は三崎三浦をわざわざ強調する必要がないぐらい、
氏康相手に勝ち星上げてるんだがな

174 :
里見に滅ぼされた某豪族のお膝元出身が通りますよ

175 :
>>174
好きな大名家とか武将とか教えてよ。

176 :
>>175
明智光秀、石田三成かな
ちょっと報われなかったりした人に惹かれます
里見さんちも江戸まで生き残ったのにとり潰されちゃったしなあ

177 :
久里浜の野比は、里見の火付けで野火というんだろ

178 :
>>176
> 里見さんちも江戸まで生き残ったのにとり潰されちゃったしなあ

北条も河内狭山1万石で(いちおう)生き残ったんだが、里見は消滅しちゃったからなあ。

179 :
>>178
狭山の子孫が創価の会長にか

180 :
>>178
狭山は氏規系だね。
氏繁系は遠州掛川藩主のときの1658(万治元)年に北条氏重が無嗣断絶に遭っている。

181 :
河津町の正木氏って安房正木氏?

182 :
>>166
ググっても書札礼の小論しかヒットしないけど
常陸行方衆っていわゆる南方三十三館?
一次史料ではそう呼ばれてるとか?

183 :
>>182
まず間違いなくそうだと思うが、
気になるなら古河市史史料編でも確認してね。
『南方三十三館』って佐竹の史料にしか出てこない言葉じゃないのかな。
分かってると思うが、ネットに載ってる情報なんてゴミみたいなものだよ。

184 :
へー。
そう聞いてはいたから、確認してみたかっただけ。
此処の住人なら詳しいだろうと思ったから。ありがとう。

185 :
>>183
ありがとう

186 :
てきとーな返事にお礼を言われてしまって寝覚め悪いから書いとくよ。
足利義氏が年頭の挨拶に対して返礼を送ったうちのこの5人のことだな。
烟田右衛門太夫
芹沢左近太夫将監
芹沢土佐守
行方左衛門太夫
大高三郎
いわゆる大掾氏旗下の行方郡の諸氏だな。
市村高男氏が言う「常総の内海」を通して古河地方と繋がりがあった氏族。
で、『常陸行方衆』という言葉は多分一次史料にはなく、市村氏の造語だと思う。
市村氏は当時の実態を表す名称を使うことに物凄くこだわってる研究者なので、
『南方三十三館』という、もろに佐竹氏中心の用語は使いたくなかったんだろうな。
想像だけどね。

187 :
さらにさらに感謝
行方左衛門太夫は初めて見ました
北関東の反北条勢とっては「南」=北条氏のこと(永禄日記で見た)だから
佐竹氏目線では南(北条)方三十三館
北条陣営の義氏目線では行方衆なんでしょうね

188 :
里見は房総半島の天然の要害に助けられていたんだなぁ
 
三国志のショクの国みたいなもんだね

189 :
行方(小高)氏に左衛門大夫って・・・? と悩んだけど
これ鹿島又四郎宛て足利高基判物の本文中にみえる行方兵庫大夫と同様、島崎氏か
人物比定は↓かな
烟田右衛門太夫   忠幹(のち烟田山城守)
芹沢左近太夫将監  定幹
芹沢土佐守      定幹
行方左衛門太夫   島崎氏幹か義幹
大高三郎        不明
里見氏からだいぶ脱線したけど
島崎義幹は「里見義弘の弟義政を井関氏と改めて城主とした」
ということで、無理やり里見氏に戻す!

190 :
安房の国に近づいて行くにつれて、どんどん山が険しくなって行く。
 
あれじゃ北条が里見を落とせなかったのも頷ける。

191 :
だね。

192 :
東京湾から攻めれなかったか?
里見は久里浜で三浦とやってるがな、

193 :
北条里見は基本海戦だよな。途中の山とかは関係ねえ。

194 :
むしろ国府台あたりまで出てくる里見の方が大変かもw

195 :
>>193
北条はどうしても海に出たかった、
だから朝比奈必死で掘った

196 :
鎌倉の北条?

197 :
鎌倉時代の北条と里見関係ねーじゃん。

198 :
>>195
これ、北条vs三浦の話ね。

199 :
話がそれてるな

200 :
北条vs三浦の話はちょっと困る。

201 :
>>193
つ三舟台
つ久留里城周辺

202 :
里見は海路で三浦半島に進出しているけど、如何せん海路だと補給が弱くなるから長期保持していた例は少ない。

203 :
しつこいな

204 :
里見が焼き払ったのが三浦の野火、、野比だろ

205 :
義康の禁制も野比村。

206 :
YRP野比のび太

207 :
小弓足利と古河足利

208 :
里見讃岐守

209 :
確か美濃の野武士が盗賊して生まれたんだよな里見は

210 :
里見姓の大名は2家
・安房館山12万3千石
・上野板鼻1万石

211 :
東京湾渡って、鶴岡八幡宮焼いたんだろ

212 :
神奈川県民としては迷惑な一族だw

213 :
里見が焼いたところに、後にペリーが来航

214 :
>>210
> ・上野板鼻1万石

これについて何か書いてほしい。

215 :
天童氏家臣の里見景佐について教えてくれませんか
天童一族なんでしょうか

216 :
>>215
最上庶流東根氏の一門衆。

217 :
庁南武田
真里谷武田
万喜土岐
土気酒井
鴇嶺酒井

218 :
土佐里見も気になる。

219 :
鴇嶺酒井?

220 :
東金に鴇嶺という地区があるらしい
そこが本拠だったのか?

221 :
鴇ヶ峰という丘に作られた城が、のちに転訛して東金城と呼ばれるようになった

222 :
今でも鴇嶺小学校ってのがあるね

223 :
成東も、もともと『鳴濤』だしな。

224 :
>>221
東金ダムの愛称も[ときがね湖]だ。

225 :
国府台で戦死した里見弘次 & 正木内膳って何者なんだろうか?
実は両者は同一人物で、里見の若きエース正木信茂で、国府台を訪れた弘次の娘ってのは種姫とか夢見すぎ?

226 :
松戸に陣の前というとこがあるが、古戦場?

227 :
それは陣が前だ

228 :
>>225
里見弘次は里見忠弘(義堯の息子・義弘の弟)の嫡男。

229 :
 講演会「両総の狭間を生きた酒井氏 ―土気城周辺を巡る攻防―」
               開催要項
1.主 催 土気城を守る会・千葉城郭研究会
2.後 援 千葉市教育委員会・朝日新聞社千葉支局・土気町自治会・千葉歴史学会
3.協 力 (本寿寺)
4.趣 旨 戦国後期、北条氏と里見氏による房総支配が進むなかにあって、両総の狭間に
独自の領域を形成した酒井氏と、その発展過程で各地に築いた城郭のうち、と
りわけ居城である土気城の果たした役割と実態を、最新の研究成果や発掘調査
結果などを通して、その歴史的価値を明らかにする。
5.内 容
   趣旨説明
 T.酒井氏の史実と伝説   滝川恒昭氏
 U.酒井氏の発展過程と城郭 遠山成一
 V.土気城と城下      小高春雄氏
 W.質疑・応答
6.日 時 2011年7月9日(土) 午後1時〜4時
7.会 場
   本寿寺 千葉市緑区あすみが丘東1−1−6
   駐車場有
8.定 員 150名(申し込み不要)
9.資料代 300円

230 :
>>229
うちにもチラシが来ましたよ。
土気城跡、老人ホームになっちゃったからねえ・・・・

231 :
夢の跡

232 :
今日、千葉大のやつが安房って何て読むのかわかんねえとか言ってた
初めは、こんなのもわかんねえのかと思ったけど、旧国名や地名なんて地元や興味のある人間くらいにしかわからんかと思い直した

233 :
最近は「安房」って名称自体あまり見ないからな
旧安房郡も南房総になっちまったし(一応、鋸南町で残ってるが)

234 :
X ジャパンの母校に名を残す

235 :
千葉近郊に住んでれば駅名とかでわかるんだけどな。
田舎者は自分の利用する鉄道以外記憶の許容力が無いからな。

236 :
>>232
千葉県外からきた学生なら知らなくてもあたりまえかもよ。
旧国名は安房にかぎらず、しらんひとはしらん。

237 :
伯耆だとか美作だとか、知らん奴は知らんしな

238 :
安房と阿波はセットで覚えるもんじゃね?

239 :
セットで覚えるという動機付けがない

240 :
読み方が同じ
ともに都から隔絶された異郷の地

241 :
安房はともかく、阿波は「隔絶された」ってほど遠くはないだろ
安房の由来は阿波からの移住によるものって説もあるとかなんとか
昔々、地元発行の本で見かけた記憶がある

242 :
海渡りゃすぐだもんな

243 :
阿波の忌部が安房に来たんだぞ。
天太玉命とか知らないか?
>>240
大和朝廷で祭祀を司ってたんだぞ。
今の感覚で言えば隔離地域同然だけど、
安房だって安房一宮の安房神社があるように
当時としては開けていたんだよ。
2000年以上前だけどなww

244 :
安房…上総に小弓公方
阿波…足利義維

245 :
古代は武蔵辺りは交通が困難だったから相模から房総に船で移動するのがメインルートだったんだよ
特に上総は要所だったと言える
鎌倉時代頃から開拓が進んで次第に陸路に移った事からメインルートから外れていった
もっとも安房辺りはどん詰まりだから古代から土佐や薩摩と同様に最果てと言う認識だったようだが
というか上総と分離する必要なかったんじゃ・・・

246 :
安房回り 東京湾1個
武蔵回り 多摩川、隅田川、荒川、江戸川、その他もろもろ
ってことだな。もちろん川の名前も構成も今とは違うが
本数的にはだいたい同じ。

247 :
>>246
一番の難所である利根川を忘れている
これらの河川に加えて沼地や湿地帯が無数に広がり
背丈を越える藪になっていたそうだから、舟で海沿いを進んだ方がずっと早かった
ちなみに東京湾から印旛沼に入り、常総間の内海(現利根川)を抜けて霞ヶ浦を北上し
恋瀬川を上れば常陸府中まで舟で行けた

248 :
>>247
>もちろん川の名前も構成も今とは違うが
246はちゃんとこう書いてるのに妙なレスをつけるね

249 :
しかも言ってる事が見当違いだしw

250 :
具体的にどの辺りが?

251 :
>>247
東京湾から江戸川と現利根川経由で印旛沼に入れるようになったのは利根川東遷後だった筈
間違っていたらすみません

252 :
東京湾の話と東遷後の話がごっちゃになっているわけかー

253 :
陸路前提の話をしているところに水路の話を持ちだしてくるから
ややこしくなっている。
それ以前に他人のレスを良く嫁。「東京湾」の時点で気づけよw

254 :
里見水軍って、北条水軍よりも優勢だったの?

255 :
そもそも江戸湾って用語は明治の造語という説もある

256 :
内海

257 :
里見氏の家臣に多そうな名字
1・正木
2・安西
3・堀江
4・岡本
5・御子神

258 :
安西、丸、一色とかいたっけね

259 :
加藤、市川を忘れちゃいけねえ

260 :
神余とか東平とか

261 :
堂本前知事、北から援助受けてたんだな
情けない

262 :
その手の埃が出る奴が多いだろ
小泉訪朝まで拉致事件は都市伝説だと思われていたんだから

263 :
さすが宗家に謀反し、北条を裏切り小弓を見捨てた男の子孫

264 :
出羽にいた里見って、縁者か何か?

265 :
天童氏が里見氏から分かれて、その天童氏からの派生かと
>>84 >>88-90
ここを見ると良い。

266 :
>>257
東條、木曾あたりは?

267 :
小田原城で家紋展やってるが、
小田原の役で
・豊臣方
・北条方
・その他
のカテゴリ分けで、なんで里見がその他なんだよ。

268 :
その展示が正しい

269 :
最上傘下の天童流里見は天童が最上に乗っ取られてからの分家か
里見の血を引く分家か

270 :
>>267
その他は里見氏以外には何があった?
参戦の名分が「鎌倉公方の再興」なんで
むしろ正しい展示だと思う

271 :
>>270
武田、今川、浅井、朝倉、六角、三好、毛利・・・・
佐竹、最上すら豊臣方だというのに・・・・

272 :
>>271
ほとんど滅亡した連中とひとくくりとは・・・・・

273 :
保守

274 :
今月発売の『歴史読本』、消滅した大名家特集だが、
小和田哲男はまだ[小田原の参陣が遅れ〜]なんて書いてやがるな。

275 :
とは言え、里見氏が後北条氏と豊臣氏の両天秤をかけて対応が遅れたという指摘も無きにしも非ず。

276 :
>>275
具体的に、誰がどの論文で指摘してるの?

277 :
>>274
里見家だけをさっと立ち読んだが、一昔前の資料を見て書いたんじゃないかって感じだった

278 :
>>257
房総の親戚に正木さんっているけどうちは違うくやしい
正木さんて里見家臣なん?

279 :
正木さんのそのまた先祖もカコイイ

280 :
>>278
最近は同盟的な立場だったのではないか、と見られてるね
俺は時茂系が家臣で、時忠系は従属関係だったのかなとか思ってる

281 :
内房を任されていた正木と外房を任されていた正木って同族?

282 :
>>280
どうやら里見さんとは姻戚関係みたいだね
家臣て呼ぶのか同盟者なのかどっちなのかな
>>281
安房正木郷の出ってだけで違うんじゃないかな

283 :
保田に砦あったって?
日蓮正宗的に重要な場所なんだが、、

284 :
>>283
妙本寺砦ね。
北条水軍が攻め寄せてきた時のシェルターでしょw

285 :
>>276
北条・里見同盟がどの段階で終わったか、曖昧だからじゃないの?

286 :
>>214
板鼻藩は、里見義頼の次男義高が慶長年間に立藩したが、1613年改易、子孫は庄内酒井氏の家臣となった。
なお、戦国時代、長野氏に従って群馬郡里見郷に居住した里見河内とは直接の関係はない(河内も安房里見氏の一族ではあるが)。

287 :
お相撲無双!

288 :
鋸山をくりぬいて山岳要塞にしようぜ

289 :
里見氏の埋蔵金伝承とかないんだろうか

290 :
小松寺(南房総市千倉町)にあるよ
「朝日さす夕日かがやくもろの木の下に
 うるし千盃朱千盃、銭十億万貫あり。まことであるから掘り出せよ」
だそうだ
ちなみに小学生の頃、一度だけ行ったが、とんでもない山の中だw

291 :
戦国時代に「億」って単位が胡散臭いなw
「まことであるから」ってのも何か笑えるなw
まあ、嫌いじゃないけど〜

292 :
仏教に「十万億土」って言葉もあるし、億があっても良かんべえ

293 :
>>290
今は広域農道(安房グリーンラインと言ったかな)が出来て行きやすくなったんだぜ。

294 :
>>293
そういえば、墓参りから帰るときに通ったな
九重〜大貫〜白浜ってことは、このスレ的には稲村城〜白浜城ってことになるのかw

295 :
昔は万の位の次が億だったそうな

296 :
濡れ手に安房

297 :
安房姫

298 :
大膳さんじゃなくて里見さんは甲斐の虎とか尾張の虎とかみたいに異名なかったの?
房総の鯨とか

299 :
副帥

300 :
「房総の鯨」だと和田千倉辺りの土産物屋にありそうだなw
個人的な感想だが、大きいってイメージは無いから鯨は無いと思う
光栄の攻略本には「房総の狼」とか書いてあったらしい

301 :
へぇ〜鯨は地域ネタだけどw
狼かぁ〜意外だなぁ
海の物かと思ってた

302 :
房総の怪物

303 :
9月11日に、川名登先生を偲ぶ会が行われるそうです。
ttp://ameblo.jp/awabunka1/entry-10992648306.html

304 :
講演会「里見氏研究のあゆみ」〜川名登先生を偲んで〜
 日 時  平成23年9月11日(日) 午後1時30分〜午後3時
 会 場  館山市コミュニティーセンター内 館山市中央公民館1階第1集会室
 講 師  岡田晃司氏(郷土史研究家)
         「大野太平氏について」
       滝川恒昭氏(千葉城郭研究会会員)
         「川名登氏について」

305 :
>>285
> 北条・里見同盟がどの段階で終わったか、曖昧だからじゃないの?

そうだな。
「この時点までは同盟が機能していたことが明らかだ」というのは何年かわかる?

306 :
>>304
って、川名先生いつ亡くなったのよ?
そんな話題ここでも聞いた記憶が無いのだが。

307 :
>>306
川名登氏は6月に亡くなったそうです。
千葉日報には訃報記事が出ていた。

308 :
>>306
ttp://tateyamals.blogspot.com/2011/09/blog-post_12.html

309 :
>>276
竹井英文「「房総一和」と戦国期東国社会」(佐藤博信編『中世東国の政治構造』岩田書院、207年発行)


310 :
>>309 >>275
該当の「「房相一和」と戦国期東国社会」に書いてあるのは、
・里見氏が後北条氏と豊臣氏の両天秤をかけて
里見が秀吉と天正十三年までに音信を通じていたことと、同時に北条への従属を強めていたことが指摘され、
市村説を踏襲しながらも、「房相一和」を小田原征伐直前まで継続していたことが「上総国没収の背景の一つ」とだけ。
・対応が遅れたという指摘
これは竹井は言及してないようだ。

311 :
あげ

312 :
稲村城が国史跡に指定

313 :
まじっすね
http://tateyamals.blogspot.com/2011/11/blog-post_18.html

314 :
岡本城跡もだね!

315 :
仮に後北条の大軍に包囲されたとして、館山城はどのくらいの期間持ちこたえることができただろうか?

316 :
何で館山城?

317 :
>>316
後北条がガチで里見を殲滅しようとした場合、里見サイドはどの程度の期間粘れたのか知りたい。

318 :
>>317
館山城っていつできたか知ってる?

319 :
築城自体は義頼時代じゃなかったかな
もっとも、当時の本拠地は岡本城だが
1580年〜1590年頃と仮定して
三方が海、北に嶺岡山系と安房国が城みたいなもんなので
秀吉の援軍待ちってことなら十分勝機はあると思う

320 :
>>304
川名氏ってのも房総に多い苗字だよね
里見の家臣にも川名氏がいたな
川名氏って本姓なんだろ?
平姓かね?

321 :
房総の鯱

322 :
>>320
http://koushouji.jp/about.html
このお寺 里見の家臣の川名藤七郎が開基だそうです
(藤)七郎だから 藤原氏みたいですね
工藤氏と同祖じゃないかな?
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/020/02022.htm

323 :
>>319
最近だと、館山に城を築城したきっかけは天正の内紛時に梅王丸サイドが攻めてきたときに備えたためという話がある。
ただし、館山城に後北条が攻めてくることまでを想定していたかは不明だし、そもそも後北条だって多方面作戦を常に強いられていた訳で安房本国に容易に侵攻できなかったと思う。

324 :
つーか佐貫や久留里で防がずに、いきなり館山城包囲された状態という設定がイミフ

325 :
>>324
佐貫や久留里は2ヶ月持たないでしょ。

326 :
>>323
>そもそも後北条だって多方面作戦を常に強いられていた訳で安房本国に容易に侵攻できなかったと思う。

そうだとは思うが、それでも一応の備えはしておかなければならなかったと思うが。

327 :
>>325-326=>>315
何でそんなこと議論したいの?
何か意味あるの、それ?

328 :
安房に攻め込んだら、確実に佐竹が南下するだろうけどな。

329 :
伊達の南下で佐竹に余裕はないと思う

330 :
里見は戦国大名といっても、地理的に北条以外と戦うのは難しい。

331 :
里見氏って昔のゲームでゲーム開始早々となりの国に滅ぼされることが
多かったので弱い戦国大名なイメージしかない・・・
強いの?

332 :
史実じゃしっかり生き残ったからね

333 :
同じ昔のゲームでも、信長の野望だと開始早々滅亡だが
天下統一では北条佐竹を抑えて関東統一してるときがあったな

334 :
>>331
ゲームは水軍とか険しい地形が無視されているから。

335 :
数回結構な負けがあっても滅びはしなかったからいいんだよ!

336 :
>>331
ゲームは極端に兵力に強弱つけるからね。
さらに実際に戦いでは各勢力の同盟、離反が有機的に
繰り返されるから、大軍が弱小勢力を駆逐することはできないから。
特に関東八館はいざという時の連帯感が強いし。
333のいうように、
天下統一の方が当時の状況を忠実に再現できている気がする。

337 :
>>329
伊達の南下が佐竹にとって深刻になった時期と北条が豊臣の侵攻に備えて内向きになった時期は被っているので、
北条が里見を攻めているうちに佐竹が南下しても伊達は蘆名や相馬との戦いを片付けない限り直接的な脅威にはなり得ないだろう。

338 :
ああ里見城

339 :
賀正

340 :
無知ですが教えて下さい
うちの近くに玉縄城跡があるんですが、里見のお城ですか?
知人がそうだと言うんですが、確か里見は房総の大名ですよね?
うちは神奈川なんですが…

341 :
一般的には後北条の城とされてるが、その後に本多正信が入城してるね

342 :
>>341
レスありがとうございます。
やはり知人が間違いでしたね 汗

343 :
里見八犬伝は有名ですね

344 :
>>340
里見が数度攻めているから勘違いしたのではないかな
それと首塚の案内板に里見義弘の名前もあるし

345 :
4月14日(土)に館山で稲村城・岡本城シンポジウム

346 :
小山評定後にアッサリ帰った真田
万石も無ければ、将軍にも媚びない喜連川氏
1万500石でも苗木城持ち遠山氏(金さんの親類)
家光側室の町人だった増山氏 米が取れない松前氏など
【陪臣・喜連川ほか】 「小大名」スレ 2 建てました
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1329412330/l10

347 :
あげ

348 :


349 :
素朴な疑問。
戦国時代の里見は、後北条以外の大名と戦争やったことがあったのか?

350 :
真里谷さんとちょいちょい上総の奪い合いしてなかったっけ
あと先代義豊を討った犬懸の戦い。まあこれは戦というより内紛かも

351 :
ウィキペディアに

永禄3年(1560年)、氏康が里見領に侵攻して来ると、義堯は久留里城に籠もって抗戦し、
上杉軍の援軍を得て大勝し、
反攻を開始して上総西部のほとんどを取り戻した。

とあるが、名将である北条氏康相手に大善戦しているんだな。
久留里城が堅城だったアドバンテージもあるだろうが。

352 :
千葉氏

353 :
>>349
その後北条に味方していた千葉氏と戦ってるよ。

354 :
ちなみに香取神宮あたりも攻めてる
しかも船で銚子回り


355 :
千葉氏は後北条の事実上の属領ではないだろうか?

356 :
香取を攻撃したのは正木氏。

357 :
反乱した正木時忠とも戦ったっけ?

358 :
>>354
里見の水軍はガチで強い。
問題は陸軍。

359 :
>>357
直接戦ったかわからんが、同じ北条方の千葉氏とは仲が悪かったみたい。

360 :
里見氏はある意味、反北条の盟主なわけだし
もうちょっと評価されてもいい気がするんだけどな。
北条と越後上杉が和睦した時は
短期とはいえ武田と里見で甲房同盟なんてのもあった。
甲斐武田が庁南武田を通じて同盟交渉したくらいだし。
のぶやぼのせいでとんだ雑魚大名に成り下がった気がする。
まあ、小田原役辺りからの処世術が後世の評価を貶めたのは否めないが。
ここが佐竹との埋らない差。

361 :
里見は、旗本としては残らなかったのか?

362 :
無嗣子の改易だから、宗家の子孫はいない事に。
子孫を名乗る一族は下級旗本になったり、越前の鯖江藩に仕えてる。
大身の子孫はいないね。
正木氏の方が上手く生き残った。

363 :
家康からしても江戸の喉元に外様大名がいるのは嫌だったんだろうな。

364 :
>>360
他ゲーだと割と扱いは良くなってるな
それでも北関東の武将と比べるとイマイチ扱い悪いが

365 :
佐竹みたいに移封先で幕末まで残れば
評価も違ったと思う。
家名が存続したかどうかは大きな差。
里見は記録も乏しい上に少ない記録も胡散臭いみたいだしなぁ。

366 :
稲村城の本ができたそうですよ。
http://tateyamals.blogspot.jp/2012/04/5.html

367 :
【千葉】戦国大名・里見氏が開き、江戸中期には「日本酪農発祥の地」に…鴨川市の嶺岡牧野馬土手群14カ所、「周知の埋蔵文化財包蔵地」に
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/femnewsplus/1339842624/

1 生徒もろきみ!φ ★ sage 2012/06/16(土) 19:30:24.51 ID:???
かつて嶺岡山系にあった嶺岡牧のうち鴨川市部分の野馬土手群が、県の「周知の埋蔵文化財包蔵地」として新たに確認された。
嶺岡牧は戦国時代に安房国を支配した里見氏によって軍馬育成のために開かれたとされる。
江戸時代には幕府直轄牧となり、江戸中期には酪農が始まるなど日本酪農発祥の地とも言われる。1911年まで牛馬が放し飼いされていた。
同牧は、太平洋を望む嶺岡山系の東端から県最高峰愛宕山の西側まで総面積1747ヘクタール、東西17キロに広がっていた。
鴨川市と南房総市にまたがっているが、今回は2010年度に鴨川市教委の嶺岡牧再生基礎調査で確認された野馬土手群14カ所が「周知の埋蔵文化財包蔵地」として、分布地図や一覧表に掲載される。
包蔵地内は文化財保護法で守られ、工事の際には市教委と事前に協議しなければならない。
ソース(千葉日報) http://www.chibanippo.co.jp/c/news/local/86532
写真=嶺岡林道から北側を望む。丘陵地でかつて牛馬の放牧が行われていた
http://www.chibanippo.co.jp/c/sites/default/files/IP120612TAN000004000_0001_COBJ.jpg

368 :
NHK大河を里見氏で
みたいな運動を館山辺りでやってるけど
正直、無理だよ…

369 :
せいぜい2時間ドラマだわな

370 :
八犬伝は2夜連続だったしなぁ。

371 :
NHKの人形劇は2年続いたぞw

372 :
関東最大の外様大名
って言い換えるとかっこいいな。

373 :
>>368
まあ無理だろうな。
マニアックすぎる。

374 :
雪の峠とかへうげものとかセンゴクとか
そっち方面で期待したほうが良さそうな気もする

375 :
「真相 里見八犬伝」(典厩五郎)
「太平寺殿のふしぎなるおくわだて」(岩井三四二『たいがいにせえ』所収)
「里見義堯」(小川由秋)
「江戸へ吹く風」(岩井三四二)

376 :
「大友宗麟」みたいな感じで正月の特番ならいけるかも。

377 :
>>368
千葉のかに道楽の並びにある何かの店の前に、里見氏を大河ドラマに、て幟立ってたな

378 :
里見氏で大河ドラマは無理。
ただ、山田風太郎の「八犬伝」を実写ドラマ化なら可能かも。
金曜20時くらいの枠で。

379 :
>>136
義頼の歳を考えれば、無理がある…っていうか、どう考えても
青岳たんは、子供を産んだ後に出家したってことになっちゃうから、
あまりにも訳アリ過ぎるwww

380 :
>>379
そこで出てきているのは「青岳尼2人説」
義明の妹と娘がともに義弘に嫁いでいて両者の伝記がごっちゃになったとする説

381 :
母にしろ娘にしろ
男のために俗世に戻るとか清姫並みの執念だな

382 :
失敬
清姫は愛憎か

383 :
>>379
詳しくは知らんのだが、こんな感じか?
義明妹・・・義弘の若い頃に結婚して義頼を産む。が早世
義明娘・・・出家して尼寺に入るが、義明妹の面影を忘れられない
     義弘がうんたらかんたら
…まんま源氏の君のパクリのような…

384 :
>>383
そんな感じじゃないか?
ちなみに言いだしっぺは滝川先生で、佐藤博信先生もそっちに引っ張られているっぽい。

385 :
義頼は、義堯と青岳の子ってのは?
さすがに無理があるか(笑)

386 :
お盆で帰省してたんだが
館山市内の商店に『大河ドラマに里見氏を』ってのぼりが結構立ってた
>>368は本当だったのかw

387 :
そういへば、
土岐為頼って1583年没は家臣の文書から確かで、1579年までに隠居、
娘の義堯室の生年が1514年も日我の文書からまずまず信頼できるとすると…
もしかして幻庵級の御仁なの?
上手くすると為頼の先代の存在が確かになりそうな…

388 :
ロマンチックな研究家の者どもは、
マトモな青岳尼の検証本を初めて出したであろう三山先生に謝れ!

389 :
>>386
大河は無理だろうが「八犬伝」の映像化(アニメまたは実写)なら可能かも。
もっとも実写化すると、八犬士の半分がジャニーズ枠になると思うが。

390 :
何年か前の正月ドラマで滝沢秀明主演の八犬伝が気がする

391 :
アニメなら豪華キャストのTHE 八犬伝か
あれ中途半端に終わったような記憶があるけど資金不足かな

392 :
里見☆八犬伝

393 :
腐女子向けになってしまうw

394 :
葵・徳川三代みたいに、里見氏の興亡までを数代に渡って描くならアリかもな
北条を筆頭に、有名所の関東武将も顔出すし・・・・・
風に乗って越後とか出羽まで種飛ばしてるから、なかなかタフな一族よね

395 :
>>394
その筆頭の北条がすでに一般人には無名ですがな

396 :
昨日が『大多喜お城まつり』。
まだまだ、『久留里城まつり』『南総里見まつり』が待っている。

397 :
ここで久留里出身の俺が登場する

398 :
久留里っつったら、
改易になった土屋さんの孫?が赤穂浪士討ち入りの時に隣の家から提灯貸してくれたというエピソード。

399 :
>>398
そうそう、久留里城の確か二の丸跡地かに資料館があってみせてもらったわ。なんか結構貴重なのも公開されてないけど倉庫にあった。
中学じだいに体験の仕事もさせてもらったわ。田舎なのにそこだけ湿度調節機能とかあって驚いたわ

400 :2012/10/10
【平成24年度安房学講座:第6回】
館山市渚の博物館
11月3日(土・祝)・13:30〜
『安房の戦国時代』
講師:滝川 恒昭氏(千葉県立船橋二和高校教諭)
先着60人まで、参加費200円(資料代)
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