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キリスト教総合スレッド その9 (841)

世界史ちょっといい話


1 :2012/01/24 〜 最終レス :2012/10/19
このスレは世界史の良い話を書くスレです。

2 :
この手のスレって戦国板以外じゃ定着しないよね

3 :
穆公

4 :
エリザベス二世がイギリスの田舎を見てまわったときのこと。
そのルートにある家で息子が母親にこう釘をさした。
「母さんは紅茶をあふれるほど注いで、ソーサーにこぼれたのをすするだろ。
あんな行儀悪いことは女王陛下の前で絶対にしちゃいけないよ」
母親はうなずいた。
後日、はたしてこの家に女王陛下がたちよったのである。
がちがちに緊張した母親は、息子の助言など忘れていつも通りのくせで紅茶を飲んだ。
そして女王陛下が帰ったあとで、母親は息子に自慢げにこう話した。
「おまえは行儀悪いなんて言ったけど、陛下だってソーサーにあふれた紅茶を
すすっていたわよ!」と。
女王陛下は内心もちろんこの飲み方に驚いていた。
しかし、自分が普通の飲み方をすれば相手は粗相をしたとあわてて、
恥ずかしがってしまうにちがいない。
そこで女王陛下は、とっさに相手をまねてソーサーから紅茶をすすったのだ。
君主たるもの、どんな相手でも気遣うというおはなし。
似た話で「フィンガーボウルから水を飲む陛下」というものもある。

5 :
>>4
面白いな。しかしこういうのを見るとイギリスも恥の文化なんだなあ。

6 :
君主の威信より平民の面子が大事か?

7 :
>>6
地位にかかわらず他人のメンツを安易に潰しちゃイカンってことだよ。

8 :
イギリス人って皮肉屋な面が強調されがちだけど、結構ウィットに富んだ民族でもあるよね
>>4みたいな感じのディスりじゃない、その国や民族の良い面にスポットを当てた逸話が
ここで投下されて行くと良いな

9 :
1937年国共合作が成立し国民党と共産党は一時停戦をすることになった。
長征残留部隊の司令官だった陳毅(後の10大元帥、政治局常務委員)は
停戦の通知を行うために湘贛省ソビエト地区に入ったがそこの主席だった
譚余保(後の湖南省党副書記)は陳毅を党を裏切ったスパイだとして牢獄に押し込め銃殺しようとした。
しかし念のため党中央に問い合わせたところ
陳毅の通知は正式な党の指示であったことが確認され譚余保は陳毅に泣いて謝罪した。
さすがに陳毅は剛毅な男であり笑って譚余保を許したのであった。

10 :
こういう風ないい話は、人の心を元気にするから理屈抜きにイイやね。
お姫様のファンガーボールの話を小学生の頃に聞いて感動したことがあるな。

11 :
光武帝が夜遅く帰った時、門が閉まっていて入れてもらえないということがあ
った。身分を門番に伝えても規則ということで開けてもらえず、しかたがない
ので朝帰りをした光武帝は、自分を入れなかった門番に褒美を与えた。
東ローマのレオン6世がお忍びで夜の町を歩いていたところ、兵士に不審がら
れたので、金貨を渡したところ見逃してもらえた。
更に別の兵士と出会った際も、金貨を出すことで見逃してもらえた。
こういうことを何度か繰り返していたが、最後に会った兵士は金貨を出すと逆
に怒り出し、皇帝を鞭打って牢に入れた。
翌日、牢から出られた皇帝は金貨を受け取った兵士たちに罰を、自分を牢へ入
れた兵士に褒美を与えたという。
春日局が門限を破って大奥に戻ろうとしたところ、門番に遮られて帰ることが
出来なくなったので、冬の寒い夜を外で過ごす羽目に陥った。
翌朝、門番は信用出来る男という理由で誉められ、褒美を貰った。
ナポレオンの陣中において、不審な男を兵士が誰何したところ、要領を得ない
ので引っ立てられた。男はナポレオンであり、兵士を賞賛して警備を任せた。

12 :
関東大震災の後、東郷平八郎邸はかろうじて焼け残ったので、若手将校が見舞い
に訪れたところ、それらしい屋敷の前で野良着をつけて後片付けをしている老翁
がいたので、「爺さん、東郷閣下のお屋敷はここか」と問うた。
すると老翁「そうだ」と言ったきり、振り向きもせず作業を続ける。
将校相手に態度がでかいのに怒って近づいてみると、老翁は東郷本人だった。

13 :
山野野衾氏はネタ豊富そうだからこのスレがネタ切れでストップしてる時なんかには書き込んで欲しいよね

14 :
悪い話もある人ですが、ピョートル大帝。
彼が崩御した原因は、真冬の河口で砂州に乗り上げた船からの救出作業に協力
するために、自ら水に飛び込んで体調を崩したこと。
ただ、生命の源(旧約聖書のサムソンしかり、類話は多いです)である髭を切る
などの西欧化政策から「あれは西洋人が成り代わっているのだ」という今でいう
ネトウヨの様な発言が一般市民の間からも出ていた状況であり、崩御は歓迎さ
れたということです。
>>13
貴方も書き込んで下さい。何より、>>1さんが立て逃げというのが頂けません。

15 :
文帝と周亜夫の話も有名だな
初めて読んだのは漢文の授業だったか

16 :
変人哲学者として当時から有名だったディオゲネス
樽の中に住んだり公然の前でオ○ったり・・・。
しかし住民達からは暖かい目で見られていたらしく、悪い若者に樽を破壊されたときは皆でお金を出し合って新しい樽を買ってあげたらしい

17 :
>>14
ルイ14世も死んだ時は民衆から喜ばれたそうだね

18 :
>>17
そのへんはどこを切り取るかにもよるだろうな。
民衆でも嘆き悲しんだ人間も多かっただろう。

19 :
確かに歴史はどの角度から見た記録なのか…を意識しないと間違うと思う。
敗者側から見たものと勝者側から見たものでは違うし、事実と真実は別物とも言える。

20 :
勝者と敗者で綺麗に分かれればよいのですが、友人同士でも同じことを記した
印象がまるで違いますからね。
それぞれの関心から、異なる部分を省略することもある。
甲乙丙丁の四人が同一のことを記していた場合、甲の記録だけだったら現代に
書かれる様相が異なっていただろう、ということもあります。
そして、勝者が歴史を作るとはよく言われますが、敗者も敗者なりに都合よく
歴史を作りたがります。敗者の方を全面的に信ずることも、また出来ない。

21 :
竹内均教授が大陸移動説を昭和天皇陛下に進講した。
「地球の歴史はどのくらいですか」
「3〜40億年くらいといわれています」
「それは変ですね。それだけの長い期間じっとしていた大陸が2億年前から急に騒々しく動き出したのですか」
「いえ、それ以前も動き回っていてそれが2億年前に一つになっていたのではないかと思われます」
「わかりました」

22 :
WW1に従軍した世界的バイオリニストのフリッツ・クライスラー。
戦後演奏旅行を再開し1923年日本にもやってきた。
演奏が休みの日、ある場所に訪れた。
クライスラー「今日は日本で最も偉大な場所に行きました」
日本人の記者「それはどこですか?」
クライスラー「乃木将軍の墓所です」

23 :
中々思い浮かばないものだな
悪い話なら結構あるんだが

24 :
別にいい話に限らなくてもいいと思うが

25 :
いや、>>1にいい話って書いてあるし…
インドの騎兵三十人が、中央アジアのタタールの村を襲撃し、女も物も略奪 して回ったことがあった。
ところが、皆逃げ惑っている中で
一人だけ冷静な老婆がいて
「お前さんたち、悪いこと言わないから早くお帰りなさい。
もうすぐ娘が帰って来るが、そうしたらお前さんたち、おしまいだよ」
と言う。
だが、誰も本気にすることは無く、遂には老女自身も縛り上げ、馬の背 に乗せて連れ去った。
ところが、半里も行かない内に、後方を見ていた老女が喜びの声をあげた。
すさまじいばかりの砂煙と馬蹄の響きで、娘の帰還を悟ったのである。
娘はまず、遠くから奪ったものを置いて立ち去れば、命は助けようと言った。
そして、誰も本気にはしないと見るや、瞬時に三つ四つと矢を放ち、敵の騎兵を射落としてしまった。
インド人たちも矢を放つが、射程距離が違い過ぎて勝負にならない。
あっという間に半数が射殺され、残りも抜刀して突進して来た娘の手にかかり、全滅させられてしまったのであった。

26 :
すげえw

27 :
>>25
2004年の私の書き込みじゃありませんか。懐かしい。

28 :
>>27
うん、ムガル帝国誌から文字起こそうと思ったけどちょうど該当の部分がネットにあったんでちょっと改変して貼った
ムガル帝国誌も一応読んでますよ
サティの時に裏切った浮気相手を道連れにした話とか悪い話ばっかりあるよねあれ

29 :
いとも簡単に人が殺されますからね。
一部出ているペルシャもさることながら、インドも古代から王への不敬には
かなり厳しい土地でしたし。
透明人間になる薬を飲んでいた竜樹が王宮で殺されそうになった時、王の頭
の周囲に踏み込んだら罰(確か死罪)を受けることを利用し、王の側に逃げ
込んで一命をとりとめたという話を初め、仏典にも王の不可侵性を示す話が
ずいぶんありますが、時代が下っても、イスラームが来ても、ムガールが来
ても、緩和された気が致しません。

30 :
ヒューマニズムがないからねぇ…
洋の東西問わずモリモリ死んでいくから現代の価値観でみると悪い話が多い

31 :
>>29
そんなことより働け
親が泣いてるぞ
変な名前で毎日2ちゃんねるに入り浸ってるなんて知ったらどんな顔するだろうな

32 :
>>31
毎日張り付いてそれを監視しているキミは絶望的だなw

33 :
>>31
山野で親が泣くなら、
案山子だと一族郎党が憤激するんだろうなw

34 :
連合軍捕虜収容所での通話・日本人=自害する。ドイツ人=脱走を謀る。イタリア人=歌い出す・・・つまらんか

35 :
>イタリア人=歌い出す
アフリカ第二の高さを誇る山、ケニア山のレオナ峰(4985m)に初登頂した
のは、第二次世界大戦中にイギリスの捕虜収容所からこの峰を眺めていてど
うしても登りたくなり、物資を懐に入れるなど準備を重ねて脱走した三人の
イタリア人捕虜。
下山した三人は収容所に戻り、罰として一月弱の独房生活を強いられた、と
いうのはいい話……なのでしょうかね。

36 :
イタリア人はいつ見ても人生楽しそう過ぎて困る

37 :
イタリア人すげぇな、まじで、、

38 :
第二次大戦時の日本人捕虜が作ったウズベキスタンの国立ナヴォイ劇場
1966年の大地震の時、周囲の多くの建物が倒壊するなか
ナヴォイ劇場はビクともしなかった。
どういう境遇になっても日本人、国民性は変わらんわ

39 :
昔山野氏がアッバース大帝と泥棒の小話を書いていた気がする。
記憶違いかもしれないが、もし山野氏で、思い出したら書いて欲しい。
なんとなくいい話げだった気がする。

40 :
すいません。↓でした。山野氏は前後に登場していましたが↓を書いたのは別の人物でした。
夜中にアッバース大帝がお忍びで街を歩いていたら
変な男たちの三人連れに出会って意気投合。
彼らは実は盗賊団で、これから王の宝物庫を荒らしにいくという。
面白くなったアッバース大帝も着いていって、道々お互い自己紹介をする。
盗賊1「自分は動物の言葉が分かる」
盗賊2「自分はどんな鍵でも開けられる」
盗賊3「自分は一度見た顔は決して忘れない」
大帝「自分は実は絶大な権力を持っていて、
   髯をちょっと捻るだけでどんな大罪人でも許すことができる」
途中で犬が吼えたのを聞いて盗賊1がいわく
「犬が言っている。『大金持ちはお前たちの中にいるのに、今宵お前たちは何処に行くのか』」
やがて庫に着くと盗賊2が鍵をこじ開けて四人で荒らしまわる。
翌朝大帝は王宮で兵士を呼びつけて昨夜の盗賊たちの人相を詳細に語って
「ひっ捕らえてまいれ!」と命令。
そこで三人の盗賊が捕まえられてきて、盗賊たちは顔を上げられずにがたがた震えている。
ところがそこで盗賊3がふと大帝の顔を見上げて驚いていわく
「俺たちは三人とも特技を披露した。今度はあんたが髯を捻ってくれ」
これには大帝も苦笑して彼らを許すしかなかったという話。

41 :
アラビアンナイトやなw

42 :
ロシア皇帝のパーヴェル1世は
「臣民が皇帝の為に血を流すのではなく
皇帝が臣民の為に血を流さねばならぬ」と言っていた。
但し、その具体的方法として皇帝が考えていたのは
君主同士の決闘であった。

43 :
良い話かどうか分からないけど
その子ニコライ1世の話。
陸軍の主計官に会計を誤魔化して私腹を肥やしている男がいた。
発覚しそうになり主計官は自殺を決意した。
夜、いよいよと拳銃を手にした主計官の肩を叩く人がいた。
皇帝その人であった。
「今回だけは無かったことにしよう」と語りかけて
主計官は自殺を思いとどまった。

44 :
わかりやすくっていい方法だと思うが、パーヴェルの母親で君主だった
エカテリーナのことは念頭に置いていたのかな。まあ、エカテリーナの
ような母親を持ったからこそ、女性でも決闘して全然問題無いと考えていたの
かも知れないが。

45 :
特に良くも悪くもない話。
ある寒い日の未明。一人起き出したエカテリーナ2世は、ストーブに火を点けて
暖をとろうとした。
ところが、やがてとんでもない悲鳴が上の方から聞こえて来る。
それと察した女帝は、慌ててストーブの中に水をかけ、消火した。
かくして、女帝は使用者がいない間にストーブに繋がる煙突を掃除していた
少年に謝罪することとなった次第。
もう一つ。
大黒屋光太夫が謁見した際、女帝は船内に祀られていた伊勢の神棚を手にと
ると、偶像がないのに信心の対象とすることは、日本人の習慣であると評し
た由。『北槎聞略』が今手元にないので、うろ覚えですが。
フリードリヒ2世やルイ15世、同16世でも、面白がったでしょうね。
マリア・テレジアなら、嫌ったと思いますが。
>>40で伊勢盛時を、>>42でアミンを思い出しました。

46 :
日本の神社には偶像がないから外国人には分かりづらいらしいね

47 :
道教みたいな、いかにもな偶像宗教のほうが確かにわかりやすいだろうな。

48 :
ナチスドイツでは純潔の血が優れた人間を生み出すが
大日本帝国では純潔な精神が優れた人間を生むと比較されてるくらいですしね

49 :
今朝の朝刊に載ってた「震災の時の各国からの支援物資」を読んで笑ったわwww
 伊「パスタ10t」米「放射線防護服など」仏「マスク・消毒用アルコール」土「ウズラ豆缶」豪「牛肉」スリランカ「紅茶」英「カップ麺」
 イタリアの歪みなさ。
https://twitter.com/#!/maruta_yagilove/status/168293324548096000

50 :
ヘタリア人は生まれながらの臆病者

51 :
やっぱり悪い話も含めるべきなんじゃね?

52 :
コルベ神父の話はあまりに凄惨だし劇的に過ぎるよなあ。
これ有名な「ちょっと」どころじゃない話だけど
パリ・コミューン崩壊の時、ヴェルサイユ政府軍に捕らえられた
コミューンの少年兵がいた。
即時銃殺になろうとして
少年兵曰く、
「お願いだから少し待って!近くの家に母さんがいるんだ。
最後のお別れをしたいんだ!必ず戻ってくる。行かせてくれ!」
政府軍の将校は「嘘を付いてそのまま逃げる気だな」と思いつつ
憐れに思って「一時釈放」してやった。
しばらくして、なんと少年兵は戻ってきた。
「さあ戻ってきたよ!撃てよ!」
ユゴーが伝えている話。

53 :
>>52
実利よりも誇りに生きるのはかっこいいがそれで死ぬには少々若すぎるな
この後どうなったんだろう?

54 :
赤眉の乱の時も、賊に「老母の所へ食料を届けてからにしてくれ」と言って一旦
解放された息子が戻ってきたので、殺されずに済んだという話がありましたね。
(桑の実の話とは別)
以下、『大智度論』ほかにある説話ですが。
昔、実語(嘘をつかないこと)を心がけている須陀須摩という王がいた。
ある時この王が園に出ていると、空から翼を持つ鹿足という王が現れ、須陀
須摩王をさらっていってしまう。
鹿足王は、百人人の王の頭を神に奉げようとしていたのであるが、須陀須摩王が
「私は昔から嘘を言った事が御座いませんが、園に出る前に出会った婆羅門に
『帰ったら供養しよう』と言ってそのままになっておりますので、これを遂げさ
せて頂きたい」と訴えたところ、七日の猶予と共に返された。
無事供養を遂げた主に対し、周囲は「守りを固めてさらわれるように致しましょう」
と勧めたが、嘘をつきたくない須陀須摩王は鹿足王を待って身を委ねる。
鹿足王は感心し、更に教えを説かれたこともあって、改心したのであった。
類話は、実話から願望まで各所にありそうです。

55 :
×百人人の
○百人の(『仁王般若経』では千人)
○さらわれるように
×さらわれぬように
失敬。

56 :
釈迦の話がヨーロッパでキリスト教の聖人の話ということになってたって事もあるし
他の国の話が場面と人物を変えて言い継がれているって事もあるかもしれないね

57 :
>少年兵
ユゴーは、「そのまま銃殺された」と伝えていたと思う。
そのことに激しく憤ったからこの出来事の詩を書いたはず。
うろ覚えですみません。
でも実際には助命されたという説もあるらしい。


58 :
>>49
結局、各国とも自分のとこのあまりもんをまわしてるだけじゃないのか?

59 :
同じくパリ・コミューンの話。
今度は悪い話。
ヴェルサイユ政府軍にガリフェという嗜虐的な将軍がいた。
彼の部隊はパリに進撃、捕らえられて震えているコミューン側の婦女子を前に
ガリフェは演説をぶつ。
「我こそはガリフェ!諸君は私が残酷だと聞いているだろうが
諸君の想像以上に私は残酷なのだ!」
そして捕らえた人々を片っ端から銃殺させた。
三流漫画の救いようの無い悪役のようだ。

60 :
>>56
聖ヨサパトと聖バルラームのことですね。
ソロモンの逸話や大岡裁きで有名な「二人の女が一人の子を争う話』もガンダーラ
から両話の記録より古い(仏教説話を題材にしたとおぼしき)像が出土しています。
像の出土より前に没していますが、南方熊楠は仏典や漢籍の事例を渉猟した上で、
インド起源の話が東西に広まったものとしています。

61 :
>>60
こういう例をみるとキリスト教も多神教的側面を保管出来てるよね
神が聖人になっただけで

62 :
フランス革命が起こる少し前の話
フランス貴族出の海賊であるミッソンはマタガスカル島にリバタリアという海賊の国を建国した
リバタリアは合議制であり人種、言語、民族によって差別されない
自由と平等が保証された理想郷だったという
この理想郷を守るためミッソンは海の守りを徹底させリバタリアの安全を図った
ある日、いつものようにミッソンが海賊稼業から帰ってくると
リバタリアの国民は全員虐殺、略奪されていた
ミッソンは海賊らしく海の守りには長けていたが陸は無防備だったために
マタガスカル島の現地住民に襲撃されたのだ
自ら作り上げた理想郷が消滅した事に失望したミッソンはヨーロッパへ帰る事にした
しかし帰る途中、運悪くハリケーンに遭遇し海の藻屑と化したという

63 :
現地住民からしたら勝手にやってきて住みついてるやつら何なのって話だからな
みなごろしにした当時の由長は英雄だろ。

64 :
海賊やっておいて自由!平等!とか言われてもな…

65 :
誰でも自由に盗めます。
誰でも平等に殺せます。

66 :
良い話とは言えないだろうが
ユダヤ人抑圧政策を採っていたニコライ2世に
あるユダヤ人が自分達にも自由と平等をと直訴した。
皇帝は彼に哀しげに目をやり
「予は諸君を解放してやりたいが、
ロシア帝国の為を思うとそれはできない」と答えたらしい。

67 :
チャールズ2世の愛人の1人ルイーズはフランス人ということもあって、市民からは嫌われていた
ある日、これまたチャールズ2世の愛人(ということはライバル)のネル・グインと馬車で出かけたところ
豪華な馬車はルイーズに反感を持つ市民に取り囲まれて罵声を浴びせられ、立ち往生した
その時、ネルは馬車の窓から顔を出し「私だよ、プロテスタントの売笑婦ネルだよ」
市民は「ネルが一緒じゃしかたないや」と馬車の包囲を解いた

68 :
アレクサンダー大王が海賊に、
「海を荒らすのはどういうつもりか」
と問うた
海賊はすこしも臆するところなく、
「陛下が全世界を荒らすのと同じです。
ただ、私は小さい船でするので盗賊とよばれ、陛下は大艦隊でなさるので、皇帝とよばれるだけです」
と答えたという

69 :
マウリヤ朝を打ち立てたチャンドラグプタは暗殺を恐れて毎晩寝所を変えていたという
ソヴィエト連邦の指導者ヨシフ・スターリンは暗殺を恐れて毎晩寝所を変えていたという
常陸の戦国大名佐竹義重は暗殺を恐れて毎晩寝所を変えていたという
時代や土地が変わっても専制君主の考える事は同じか…

70 :
(へーベルのカレンダーゲシヒテンより抜粋)
オランダのライデン市、1807年のとある平和な夕方、
ライン川に停泊中の火薬の樽70個を詰めた船が突然大爆発した。
付近の家々は倒壊し、何百人もの人が生きたまま、あるいは死体となって埋まった。
中には子供たちのいた校舎も三つあった。
油や鯨油の倉庫が多数あったので、大火災も起こり、甚大な被害が出た。
当時イギリスはオランダと交戦中だったにもかかわらず、ロンドンからは
救援物資や多額の義捐金を積んだ船がいく隻となく到着した。
「ライデン」とは、受難・苦しみの意味だそうですが、この災難が起こるより
ずっと前からこの町の名はライデンと呼ばれていたそうです。


71 :
うろおぼえ

ムガル帝国はヒンドゥー教徒の多い地域でのイスラム王朝であったが
その初期は異教徒に寛容で諸イスラム王朝に共通していた異教徒に課す税(ジズヤ)も設けなかった
ある日隣国ペルシャからイスラムの神学者がムガル帝国の皇帝に謁見する機会があった
その神学者は
「異教徒には『コーランか剣か』で対応するべきだ」
と皇帝に進言した
皇帝は何も答えず代わりに隣にいた大臣がこれに答えた
「我々(イスラム教徒)はこの地においては料理に含まれる一つまみの塩ほどでしかない
そのような方策は現実的ではない」
後年、ムガル帝国の第6代皇帝のアウラングゼーブは熱心なイスラム教徒であり
イスラム法にも基づく統治を行いジズヤも設けた
彼は外征を繰り返しムガル帝国の最盛期を築くが
それは諸民族、宗教との軋轢を生み帝国の基盤は大きく揺らいだ
彼の死後、帝国は急速に崩壊してしまった

72 :
>>69
どれも基本的に残虐な人物だし当然といえば当然かな…
佐竹義重で思い出したので一つ話でも
ムハンマド・アリーはオスマン帝国からナポレオン率いるフランス軍が去った後のエジプトに太守として追認された
しかし在地土豪のマムルーク達は半独立的でアリーの統治基盤は脆弱であった
イギリス軍がエジプトに上陸してきた時、アリーはこれを打ち破ったものの
イギリス側に付いたマムルークも少なくなかった
ある日、アリーは宴と称して400あまりの有力なマムルーク達をカイロ、シタデル城に招待した
しかしこれはアリーが仕掛けた罠であった
アリーは城に集まったマムルーク達を一網打尽、皆殺しにした
地方のマムルーク達も翌年息子に軍勢を率いさせ攻め滅ぼし一掃
アリーはエジプトにおける支配権を確立しエジプトは近代化への道を歩むことになるのである
以上、シタデルの惨劇でした

73 :
ある海賊がアレクサンダー大王に、

「世界を荒らすのはどういうつもりですか」

と問うた
アレクサンダーはすこしも臆するところなく、

「海賊が海を荒らすのと同じだ。
ただ、私は国軍で他国と戦うから皇帝と呼ばれ、オマエは海賊船で商船を襲うから海賊と呼ばれるのだ」

と答えたという

74 :
ナポレオンが士官学校にいたころ、果物が好きで
果物売りの娘からツケで買っていた。
やがて学校を卒業し、ツケを未払いのまま軍人になった。
それから数々の武勲をあげ、将軍となり、第一統領となり、
いろいろあって最終的に皇帝になった。
そしてやがて、士官学校のあった町に行き、いつぞやの
果物売りの女を探し出し、ツケを払った。
利子として多額の金貨も一緒に。
それから、この町に来る度に自分が泊まる為に、と言って、
女の家も建て替えてあげた。
律儀なのかスケベなのかいろんな意味でいい話だと思う。

75 :
>>72
南方三十三館仕置か…
つまり佐竹義重はスターリンやチャンドラグプタやムハンマドアリーに匹敵する人物と言う事だな!
…あれ?あんまり誉め言葉になってない…?
>>74
士官学校時代に小娘で皇帝になった時に再開って事はどう考えても三十路過ぎてね?

76 :
>75
>>74
>士官学校時代に小娘で皇帝になった時に再開って事はどう考えても三十路過ぎてね?
その士官学校はブリエンヌにあると書いてあるので、実は士官学校ではなくて
陸軍幼年学校のことと思われ。すると卒業年から換算して再会までに20年くらい
経っていたと思う。てことは女は30代中ごろか後半くらいか?
再会時、女にはすでに子供もいたそうで、ナポレオンがその子供の学費を出してやって
ナポレオンと同じ士官学校に行ったそうだ。旦那の話はでてこなかったので
未亡人だと推測。

77 :
ナポレオンって後家殺しなん?

78 :
>77
英雄色を好むっちゅうから、後家だろうと中年女だろうとコマシたかもしれん。
最初の奥さんも子持ち年上女だったし。

79 :
皇帝にならなかったら返さないつもりだったのかな

80 :
>79
皇帝になるまではそれどころじゃないくらい忙しかったんじゃないの?
皇帝になったあと返しに行ったからこそ、果物売り女に最高の栄誉を
与えられたんだし結果おーらいさ。

81 :
うろ覚えですが、こんな話がありました。
1790年代、フランス革命干渉戦争で、ライン川を挟んで睨みあう
フランス軍見張り兵とドイツ軍見張り兵。
見張りに退屈したフランス兵が「やーい、ばーかばーか」と叫ぶと
まじめなドイツ兵が「おーい、今何時か?」と聞かれたと勘違いして
「3時半だよ」と叫び返してあげた。
国民性というか、ちょっといい人の話。

82 :
にらみ合う兵士の交流と言えば、1914年、第一次大戦の最初の年のクリスマスに
西部戦線のイープルでにらみ合っていた英独両軍の兵士が、クリスマス休戦で、
たばことかウイスキーとかソーセージとか交換したりして交流したそうな
残念ながら翌年以降はクリスマス休戦はなくなるが

83 :
ボヘミア王の証の一つである聖ヴァーツラフ王冠には「真のボヘミア王でないものが被れば一年以内に死が訪れる」という言い伝えがあった
第二次大戦中、重要な工業地帯だったこの地域を統治していたラインハルト・ハイドリヒは
この言い伝えを迷信と侮りプラハ城に安置されていたこの王冠を被った
9ヶ月後彼はイギリスの支援を受けたチェコ人に暗殺された

84 :
中央アジア、ペルシャを制し一代で大帝国を作り上げたティムールの棺の裏にはこう記されていた
「私が墓から出た時、大きな災いが起こる」
20世紀、ソ連が調査の為にティムールの棺を開き遺体を外に出した
3日後、ドイツがソ連に侵攻を開始、甚大な被害を受ける事になる
災いを恐れたのかソ連はその後遺体を棺に戻し蓋を鉛で溶接、以後ティムールの棺は開封されていない

85 :
>>76
疫病・不作・戦争で国内が荒れると平民レベルは晩婚化が当たり前になるので、
風潮的に中ごろ位では意外と気にならなかった可能性もある。
まあナポレオンが平民かは置いておいて。


86 :
>>82
まだ敵に対する敬意というものが残ってた時代だったんだな…

87 :
→ビルマの竪琴

88 :
ここは不気味な話スレか?

89 :
>82
クリスマス 休戦 でぐぐったら、いろいろ類似のエピソードがでてきて泣けた。
いい話なんだけど、せつない話だ。

90 :
ネルー
「本当のサドゥー(インドのいたるところにいる仙人のような存在)なんて実際にはほんの一握りしかいないんじゃないか?」
側近
「そんな事言ってサドゥー達に聴かれたら怒り狂いますよ」
ネルー
「そんな心配は要らない。例えサドゥー達の耳に入っても皆自分こそが一握りの真のサドゥーだと自惚れるからだ」

91 :
女王エカテリーナがある宴会でおならをした。
若い陸軍士官がとっさに「失礼しました」と罪をかぶった。
その後彼は異例の昇進をした。
ある国際会議で、日本代表がおならをした。
とっさに椅子の肘掛をこすって類似の音をだし、ごまかそうとした。
なんどかこすっていると、となりのインド代表がつっこんでくれた。
「最初の音がいちばん良く似ていましたな」

92 :
無政府主義者クロポトキンが亡命先のロンドンで
国王エドワード7世が臨席するパーティに出席したことがあった。
国王のスピーチに皆起立して拝聴したが
クロポトキンは座ったまま。
国王、にこやかにクロポトキンに語って曰く、
「私のスピーチはどうでしたか?」
クロポトキンはひどくばつの悪い思いをしたらしい。

93 :
>>45 亀+野暮ですが
女帝自らストーブに火を入れ、自ら消したんでしょうか?
また、冬のモスクワの未明時に煙突掃除するものなのでしょうか?

94 :
日本の森有礼と清の李鴻章が会談したときの会話
李鴻章
「祖国の衣服を捨て西洋の衣服に身を纏うなど恥ずかしくないのか?」
森有礼
「400年前に辮髪で胡服を着た漢人がいたのか?」
李鴻章は慌てて話題を変えた

95 :
>>94
どう答えても政治的に見事にヤバ過ぎですな

96 :
質問を質問で返すなあーっ!!疑問文には疑問文で答えろと学校で教えているのか?
とでも言っておけばよかったんだよ

97 :
そもそも質問を質問で返すなってのは誰が言い始めたんだろう

98 :
イギリスの王ヘンリー4世が国民の贅沢をたしなめるため
「派手な服装、アクセサリー着用禁止」の法令を出したが
さっぱり効き目がなかったので、法令に一文つけ加えた。
「ただし、R売婦とスリはおかまいなし」
たちまちその日から法令が守られるようになった。

99 :
日本の、それも戦後の話だけど
とある殺人犯の死刑囚がいた。
獄中で見事なまでに模範的な態度を見せたが
なぜか被害者の遺族への謝罪をしようとしない。
死刑執行が言いわたされた日。彼は拘置所長に遺族への謝罪を切々と綴った手紙を手渡した。
所長達は驚くとともに「なぜ今まで一度も謝罪しなかったのか」と訊いた。
すると彼は言った。
「自分は心から悔い改めたつもりでしたが
どうしても生への未練がありました。
そんな自分が謝罪の手紙を出すと、『もしかしたら遺族の人たちが
これで同情してくれて減刑に同意してくれるかもしれない』と期待するかもしれませんでした。
それは真の悔い改めではありません。だから執行が決まった今日に
手紙をお渡しすることに決めたのです」と。
この死刑囚の名前も事件名も思い出せないんだけど
強烈に印象に残った。

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