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2012年09月世界史180: オスマン朝・オスマン帝国(05) (390)
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オスマン朝・オスマン帝国(05)
1 :2012/05/04 〜 最終レス :2012/10/07 オスマン朝・オスマン帝国(04) http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1293719080/ ■オスマン・トルコの歴史■ http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1293690693/ オスマン朝・オスマン帝国(03) http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1234609506/ オスマン朝・オスマン帝国(02) http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1160847288/ オスマン朝 http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1008047030/
2 : ・永田雄三編『西アジア史U―イラン・トルコ』(新版世界各国史9) 山川出版社、2002年 ・佐藤次高編『西アジア史T―アラブ』(新版世界各国史8) 山川出版社、2002年 ・柴宜弘編『バルカン史』(新版世界各国史18) 山川出版社、1998年 ・鈴木董『オスマン帝国―イスラム世界の「柔らかい専制」』 講談社、1992年 ・鈴木董『オスマン帝国の解体―文化世界と国民国家』 筑摩書房、2000年 ・鈴木董『オスマン帝国の権力とエリート』 東京大学出版会、1993年 ・鈴木董『オスマン帝国とイスラム世界』 東京大学出版会、1997年 ・鈴木董『イスラムの家からバベルの塔へ―オスマン帝国における諸民族の統合と共存』 リブロポート、1993年 ・新井政美『トルコ近現代史―イスラム国家から国民国家へ』 みすず書房、2001年 ・新井政美『オスマンvs.ヨーロッパ』(講談社選書メチエ) 講談社、2002年 ・新井政美『オスマン帝国はなぜ崩壊したのか』 青土社、2009年 ・永田雄三・羽田正『成熟のイスラーム社会』(世界の歴史15) 中央公論社、1998年 ・永田雄三・加藤博『西アジア』(地域からの世界史8) 朝日新聞社、1993年 ・林佳世子『オスマン帝国の時代』(世界史リブレット19) 山川出版社、1997年 ・林佳世子『オスマン帝国500年の平和』(興亡の世界史10) 講談社、2008年 ・『イスラーム・環インド洋世界 16-18世紀』(岩波講座世界歴史14) 岩波書店、2000年 ・『イスラーム世界とアフリカ 18世紀末―20世紀初』(岩波講座世界歴史21) 岩波書店、1998年 ・歴史学研究会編『世界史史料2 南アジア・イスラーム世界・アフリカ : 18世紀まで』 岩波書店、2009年 ・歴史学研究会編『世界史史料8 帝国主義と各地の抵抗T』 岩波書店、2009年
3 : ・大塚和夫他編『岩波イスラーム辞典』 岩波書店、2002年 ・日本イスラム協会編『新イスラム事典』 平凡社、2002年 ・伊東孝之他監修『新訂増補 東欧を知る事典』 平凡社、2001年 ・三浦徹・東長靖・黒木英充編 『イスラーム研究ハンドブック』(講座イスラーム世界別巻) 栄光教育文化研究所、1995年 ・小杉泰・林佳世子・東長靖編 『イスラーム世界研究マニュアル』 名古屋大学出版会、2008年 ・羽田正・三浦徹編『イスラム都市研究―歴史と展望』 東京大学出版会、1991年
4 : 【マグリブ】アラビア語圏の歴史【マルタ語】 http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1336044467/l50
5 : トルコ人・トルコ文化圏・テュルク諸語圏の歴史 http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1331529490/l50
6 : オスマン帝国の版図拡大を30年刻みぐらいで地図に表したgifってないですか
7 : ボスニアのイスラム教徒が デヴシルメの対象とされた理由を教えてください。
8 : イスラム教徒からの強い要望があったから。 当初はキリスト教の子弟のみが対象だったが、子供たちが完全に出身地と縁 が切れたわけではなく出世後も利益を地元に還元したりしてた。貧困層のイス ラム教徒にとってはデウシルメはキリスト教徒の社会的上昇を可能にする特 権であり羨望の的だった。ただしイスラム教徒少年のデウシルメは制度の末 期に限る。
9 : >>7-8 オスマン帝国も後期になるとムスリムの上昇志向が強くなってるね。 後期にはアナトリアのムスリム農民が軍隊に多く入ってきたらしいし。 確かに、デヴシルメで徴用されたオスマン帝国の支配層の中には、 出身地とのつながりを保ってた人が多くいたね。有名な例では、 ボスニア出身の宰相ソコルル・メフメト・パシャなんかが挙げられるかな。
10 : 十字軍の頃は話のわかるイスラム圏とマジ基地キリスト教十字軍という感じだったのが 現代はすっかりプロテスタントのせいか悪者にされてるイスラム教 オスマン帝国のあいだは何してたんだ
11 : >>10 >現代はすっかりプロテスタントのせいか悪者にされてるイスラム教 宗教改革の頃、プロテスタントとオスマン帝国はわりと良好な関係だったんだけどね。 お互いに反ハプスブルクということで、敵の敵は味方の論理で近しい関係を築いてた。 神聖ローマ帝国の中にはオスマン帝国のほうが宗教に寛容で楽園だという噂があり、 オスマン帝国に移住しようと考えた人もいたらしい。オランダにも似たような話が存在し、 海乞食の間では教皇の下よりもトルコのほうが住みやすいというスローガンがあった。 オスマン帝国側もハプスブルクの力を弱めるためにプロテスタントを支援してたそうだし。 現在、イスラームが悪者扱いになってるのはまた別の理由かな。 9.11などのイスラーム原理主義の台頭なんかがしばしば欧米で非難されてる点だし。 オスマン帝国に関して言えば、当然スペインやオーストリアのハプスブルク家なんかの間では、 最盛期の頃から敵国だし悪者だった。一方で同時代でもフランスなどとは関係も良好だったけど。 18世紀頃からはロシアなんかも敵国に加わり、19世紀にナショナリズムが強まってくると、 ギリシャ独立戦争などでオスマン帝国が悪者だという考えも見られるようになってきたね。 イギリスなんかはスエズ運河の利権などもあって、第1次世界大戦まではわりとオスマン帝国寄りだったけど、 それでもバタク虐殺などではイギリス国内でも反オスマン帝国的な世論が強まってたそうだし。
12 : 世界最凶のカルト プロテスタント
13 : >>9 近代においても、将校の多くは貧しい階層の出身者だ。 ムスタファ・ケマルやエンヴェルも貧しい家庭に生まれている。 陸軍幼年学校、陸軍予科学校には財政援助が多くなされ、 貧しい階層の子弟も入学できた。 Michael Provence, 「Ottoman Modernity, Colonialism, and Insurgency in the Interwar Arab East」 『International Journal of Middle East Studies』43(2011) pp205-225
14 : >>13 エンヴェルなんて出生すらはっきりしてないからね。確かに良いところの生まれではないね。 エンヴェルたちとともにオスマン帝国末期の政治を率いたタラートも貧しい郵便局員だったし。 ある意味、当時のオスマン帝国軍は貧しくても成り上がることが可能だったと言える訳か。 新井政美氏は、アブデュルハミト2世の時代に教育制度が整えられたことが青年トルコ人の、 台頭につながったと言ってるけど、それは士官学校においても同じだったのかも知れないね。
15 : ある意味幕末みたいなものだべ
16 : >>15 確かに幕末の日本で今まであまり良いところの生まれでもなかった人々が台頭したのと似てるね。 国が大きく変わる時期には下克上が起きやすいということなのかも。
17 : >>9 ムスリムの上昇志向について言えば、 ボスニア出身で、アッカーの総督にして大型アーヤーンとなったジェッザール・アフメト・パシャ (アフマド・パシャ・アル=ジャッザール)も該当するかな。 ジェッザール・アフメト・パシャは大型アーヤーンで、 ナポレオンのシリア侵攻時には、イギリスと連携してフランス軍を撃退している。
18 : イスラムは名誉の殺人はヒンズー教徒でも行われているが、カシミール過激派とISI、エジプト、アルジェリア、 イラン、アフガン、サウジ、イエメン、パタニの原理主義者のテロのせいでイメージが悪くなった。
19 : プロテスタントという宗派はない。創価、あるいはオウム、幸福の科学を語るのに「仏教は」と言っても意味がない。 実態に迫るにはルーテル派、カルビン派、英国国教会、クエーカー、バプテスト派、ペンテコステ派という風に分けるべき。
20 : オスマンってホモみたいな名前だね
21 : オスメイトって便所大変だよな
22 : >>17 時代的に考えて、彼はムハンマド・アリーと同じタイプの人と見ても良いのかな。 どちらもナポレオンとの戦いを経験してるし、地方で成り上がった権力者だ。 後期になるとオスマン帝国でも上昇志向の強いムスリムが増えるようになったね。 ジャッザール・パシャはそのような中で台頭したアーヤーンの一人だと思う。
23 : 何を以って「上昇志向」というのか混乱してない? >>9 は生まれながらのムスリムの出世についてだけど、>>17 は改宗したキリスト教徒で、 それまでと同様の普通の出世パターンなんだが。どちらも「可」とするならスルタン以外の 要人の人名を羅列するだけでいいような。
24 : >>23 あれ、ジャッザール・パシャって途中からムスリムに改宗したのか。勘違いしてたよ。 僕が上で言ったのは生まれついてのムスリムが出世したパターンだからね。 ムハンマド・アリーは当てはまるだろうけど、ジャッザール・パシャは当てはまらないか。
25 : >>17 、>>22 18世紀のアーヤーンの台頭について扱った研究って何がありますかね?
26 : >>25 西アナトリアのアーヤーン、カラオスマンオール家については、 永田雄三『前近代トルコの地方名士―カラオスマンオウル家の研究』(刀水書房、2009年)を参照。 バルカンについては、 佐原徹哉『近代バルカン都市社会史』(刀水書房、2003年)を参照。 東アナトリアやアラブ地域のアーヤーンについては、 日本語で読める研究がないのが残念である。
27 : >>25 すでに>>26 が挙げてるけど、永田雄三氏の本がアーヤーンについては一番詳しい日本語文献になるかな。 17世紀から18世紀のオスマン帝国史は最近になって研究が進んだばかりの分野でまだまだ発展途上だから、 今後の研究次第ではもっと色んな本や論文が出ることになると思う。
28 : バヤジット雷帝の皇子たちの命名って スレイマン(ソロモン)、イーサー(イエス)、メフメト(ムハンマド)、ムーサー(モーゼ) とかある意味凄いセンスだな
29 : 別に。イスラム圏じゃそこら辺の名前は結構定番だったりするし。
30 : 壮麗なる世紀ではヴァリデとイブラヒムはまだ生きてんの? 日本のドラマの基準で判断すると そろそろリュステムやララ・ムスタファ・パシャが登場してもいいころだよね。
31 : ヴァリデ、前回の最後でお亡くなりになりました。 止めを刺したのはヒュッレム。最後病床のヴァリデに一体何を言っていたのか、 誰かトルコ語わかる人で見た人教えて欲しい。とにかくヒュッレムのセリフに ヴァリデが眼を向いて、そのままお亡くなりになりました。
32 : ち〜ん(笑)こ
33 : 清々しさすら感じるほどュッレム悪役設定されてますね 近年ではオスマン帝国を傾けた悪女扱いは薄れて スレイマン大帝を魅了した伝説の女性扱いされていても ネガティブなイメージは完全払拭されていないようですな
34 : >>33 > 近年ではオスマン帝国を傾けた悪女扱いは薄れて > スレイマン大帝を魅了した伝説の女性扱いされていても それって日本だけじゃないの?寵妃ロクセラーナとかいう本とか。
35 : ヒュッレムがオスマン帝国を傾けた傾国の美女だとすると、 そのうち、世界三大美人 になるかも知れない。
36 : http://www.batoto.net/read/_/97290/minamoto-kun-monogatari_ch29_by_mundomanga-kun/3
37 : >>30-35 『壮麗なる世紀』を見るのは別に構わないが、 スレの話が宮廷や君主の身辺ばかりに偏るのはよくないだろ。 近世史は、他の時代と較べて同時代史料、とりわけ一般民衆に関する史料が豊富に残されており、 こうした史料を用いた社会史研究ができる点に魅力がある。 他の地域と比較すると同時代史料は少ないとはいえ、 近年、オスマン史においても社会史研究はすすんできており、 林佳世子『オスマン帝国500年の平和』(講談社、2008年)にも社会史に関する記述は多くある。 一般庶民の生活がある程度分かるようになっているにもかかわらず、 話が君主や宮廷ばかりに偏る点は是正されるべきだ。
38 : >>37 言いたいことは分かるし、社会史が面白いと思うのは同じなんだけど、『壮麗なる世紀』の 話題が出てくるのはネタがなくスレが止まっているときだけだから。話題振ってくれるのを みんな待っているんだよ。
39 : http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/2107/1/ioc11805.pdf#search=' ムカータ 税' じゃ御題をふってみる 林佳世子の論文見つけたよ
40 : オスマン帝国ではペルシャの宗教のシーア派は弾圧されていたの?
41 : >>37-39 >>40 オスマン領でも、東アナトリア、レバノン山岳地域、イラク、イエメンなどには シーア派住民が暮らしていたが、 こうした人々は、帝国中央の「正統」スンナ派を任じる人々からは 「異端」と見なされてはいたものの、別に弾圧されていたわけではない。 レバノン山岳地域、イエメンにもシーア派住民がいるように、 シーア派は決してイランだけの宗教ではない。 社会史との関連で言えば、 19世紀、ガージャール朝イランからオスマン領イラクのシーア派聖地への巡礼を扱った研究として、 守川知子『シーア派聖地参詣の研究』(京都大学学術出版会、2007年)がある。
42 : これのことかな 116 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2012/02/25(土) 01:26:16.76 0 イラン人にとって、イラクのシーア派聖地は外国って感じがしないのかな? 117 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2012/02/28(火) 23:17:35.19 0 >>116 聖地巡礼は、過酷な外国旅行って感じだったらしいよ。 山賊の襲撃から身を守るために集団になったり、山賊一味を護衛として雇ったりしたり、 慣れない土地でのスンナ派住民とのトラブルなどが絶えなかったようだし、オスマン朝当局も歓迎してなかったし。 旅で死んだ仲間の棺を引きずりながら、旅を続けたりもしたようだ。(ドラクエじゃないけど) 過酷な旅+試練+聖地+感動+大勢の参詣仲間たち=「熱狂的なシーア派イラン人」になって帰って来る。
43 : オスマン帝国領にイラン人が入国できたの?
44 : >>37 ご指摘の件はもっともだと思うけど、もう少し言葉を選んでくれないだろうか。 >「壮麗なる世紀」を見るのは構わないが」 というのは、あなたに視聴に関する権限があるような印象を与えるので不適切な表現だと思う。 >「壮麗なる世紀」を語るのは構わないが」 という表現の方が適切に思う。 >一般庶民の生活がある程度わかるようになってきているにも関わらず話が君主や宮廷にばかり偏る点は是正されるべきだ という文言は、ふた昔くらい前の >特権階級や資本家ではなく、人民について語るべきだ。 と観点の違う人に強制したマルクス史観を想起させる。 ドラマは確かに、世界史版にもドラマや漫画スレ、未公開映画スレがあるので、 そちらで語る方がふさわしいというのはあると思うが、宮廷や君主については 語っても構わないと思う。話題が偏るというのであれば、そう考えた人が率先して 提供すればいい話だと思う。
45 : ちょっと興味深いニュース http://maash.jp/archives/14322 800年前ということは第二次ブルガリア帝国の頃だろうけど 1900年代初頭までということはオスマン朝下でも継続されてたってことだよな オスマン朝は概して宗教に寛容だったにしてもこういう土着の風習も そのまま続けられてたんだな こういう民俗学的視点の資料ってのは何かあるのかな
46 : >>43 19世紀のことになるが、 オスマン朝はイラン国籍の男性とオスマン国籍の女性の結婚を法律で厳しく制限し、 結婚した場合でも、妻や生まれる子供はオスマン国籍にとどまることと定めた。 イスラーム法では、子供は父親の系譜になるので、母親の国籍に入るのは異常である。 こうした法律・通達の背景には、 オスマン領へのイラン人男性の流入やオスマン女性の流出問題があったと考えられるそうだ。 大河原知樹「歴史人口学で見たシリアの都市社会―ダマスカスの結婚性向の計量分析」『東洋史研究』第65巻第4号 2007年。 52頁の注(47)を参照。
47 : その時代の女性しかもイスラム教徒が 身内の男性の承認なしに異国、異宗派の男性と結婚できるわけないよね 社会問題になるほど異宗派婚があった背景が知りたい
48 : >オスマン領へのイラン人男性の流入 彼らは、トルコ人と似た言語であるアゼルバイジャン人が殆どだったのでは?
49 : >イラン人 とされるのは、シーア派の人間を指していたのでは?
50 : このスレも完全に死んだな。 キチガイ荒らしと質問を連発するくせに回答をもらっても礼すら言わないクレクレ厨が原因。
51 : やった byビザンツ厨
52 : >>47 ウラマアにおカネつんで建前だけ守ってりゃOK. 現在でもムスリム女性と結婚するだけのために形だけ改宗して、ムスリム男よりもエグイDVする日本人男が陰では嫌がられている。
53 : >>47-49 ロシア進出で苦境に陥ったアゼルバイジャン人シーア派の男がトルコ側に出稼ぎ。 一部のイイカゲンな人間は当然、旅の恥もするわいな。
54 : オスマン語にはペルシャ語も多く混ざってるから、ペルシャ人(アゼルバイジャン人シーア派も含む)自体を排除したわけではない。 革命の扇動になるシーア派の折伏が許せなかっただけ。
55 : 妻帯を認められる前のイェニチェリの一部も似たようなトラブルを起こしそうだな 彼らはトルコの言葉や習俗を身につけるために一定期間農村に労働力として送り込まれたから そこで女性を妊娠させてもおかしくはない セリム2世が即位すると速攻でイェニチェリは妻帯を認めさせたから 内縁の妻や表沙汰にできない実子がいる隊員がたくさんいたとしか思えない
56 : イスラムに独身思想は無いから。スーフィーは別だろうけど。
57 : 美形のイェニチェリは、スルタンの衆道相手させられていたのか?
58 : 決死隊旗本にR禁止するとか、皇帝が骨肉の弟を殺害・幽閉するとか、オスマン・エリートは日本の江戸時代武士よりもイビツで好きになれない。
59 : イスラムの教えの健全な部分にも違背するのに、どこからそういったイビツな風習が?しかも中央アジア出の民族なのに・・・
60 : いや、他のテュルク系王朝って王位争いで内戦とかやり過ぎだし。 一部の王族だけ犠牲になって国が安定するなら致し方ないという考え方もありえる。
61 : >>59-60 ここは「オスマン帝国スレ」なのだから、「オスマン帝国」に即して議論をしてくれないか? >>55-59 イェニチェリ関連の話になると、なぜRだの何だのという議論になるのかが理解に苦しむ。 >>41-42 、>>47-49 オスマン帝国崩壊後のイラク国家成立時に、イラク国籍を取得する者は、 国家成立時にオスマン国籍をもつ者の子孫と規定されたが、 建国以前、オスマン帝国に住民登録されることで発生する徴税、兵役義務を嫌って、 多くのシーア派住民がその宗派的類似性からイラン国籍を取得した。 その結果、規定上イラン国籍となったイラク在住のシーア派アラブ人が多く発生した。 1920年代、イラクの教育行政に携わったサーティウ・フスリーは、 シーア派詩人ムハンマド・ジャワーヒリーのバグダードでの小学校アラビア語教師任命にあたり、 面接でジャワーヒリーに対して、「イラン人なので任命できない」と言ったという。 酒井啓子「イラク・アラブ民族主義思想における宗派主義とそれへの批判」 酒井啓子編『民族主義とイスラーム―宗教とナショナリズムの相克と調和』 アジア経済研究所 2001年 147頁を参照。
62 : >>56 イェニチェリは妻帯禁止だよ
63 : イェニチェリはヒゲを伸ばすことも禁止されていた。ムスリム男性自由人であることも否定された特殊階層?
64 : イェニチェリは引退するまで結婚できなかった。退役が認められた者は結婚できたようだ。 給料高かったのだから女奴隷はもっていたはず。「結婚」禁止と言うのは。世襲禁止と言う意味合い。
65 : 18世紀半ば当初禁止されていた軍務以外の職業にも関わるようになって、 結婚して軍団に彼らの子供を登録する権利を獲得。子どもの多くは、役人やウラマーになる。 退職または除籍されたイェニチェリは年金を受け取って、子どもたちを育てた。 世襲特権化身分になって制度は崩壊する。
66 : こいつらがセルビアでスルタンの指令以上の略奪搾取を極めて、スルタンもそれをとめることができなくなったので、セルビア独立、オスマン滅亡の元になった。
67 : 独身=禁欲と言う意味ではない。気の毒なのはよぶんに購入されハーレムに生涯閉じ込めらてスルタンに相手もされなかった女奴隷たち。西洋人のR蕩な想像とは異なり女子修道院のような世界だった。 忠勤を尽くした臣下に一部はご褒美に「下賜」されたものの。
68 : 大半の女奴隷は払い下げられたんじゃないの? 年をとってもハーレムにいるのは特別な役職に就いた女性か 母后や夫人、側室の側近くらいでしょ 子供を産むのが難しくなる年齢の女性をハーレムで養うのは経費の無駄だよ 毎年、若い女奴隷を仕入れていればハーレムを維持できるし
69 : スルタンが替わったら、前スルタンの子を身ごもってるかもしれないので側室、女奴隷は金角湾に沈められ。怖い。
70 : >>61 > >>55-59 > イェニチェリ関連の話になると、なぜRだの何だのという議論になるのかが理解に苦しむ。 そいつら荒らし目的のキチガイだから。
71 : アゼルバイジャン人云々言ってる奴等馬鹿じゃないの? 帝政ロシア下のアゼルバイジャンは石油産業が大発展してむしろ労働者を吸収する側だったんだが。
72 : イラン領のアゼルバイジャン人 おそらくイラン人口の5−4分の1
73 : 宮廷料理とかどんなだったんだろう 男も女も殺しまくってる印象なんだが、技術や知識は継承難しかったのかな
74 : ググればけっこう出てこない?帝国末期のものがほとんどだろうけど。 バヤジット1世のころは、まだ素朴な中央アジア風だったのかもしれない。
75 : 宮廷料理人までR必要ないだろ
76 : >>73 の祖国では現在でもそういった習慣があるからだろう
77 : メシがまずかったら料理人をRか バイオレスだな
78 : イェニチェリが宿営中に鍋で煮る中身とかは記録に残ってないのか 質素なレシピだろうけど
79 : >>77 みたいな小学生並みの知能しかもってない奴がまだのさばってるのか。
80 : まともな人間が>>77 の様な印象を抱くのなら必ず根拠となるものがあるのだろう。 なので是非>>77 には料理人をRと書いてあるソースを提示してもらいたい。内 容的に間違った資料というのならその間違いをここで議論すれば良い。あくまで >>77 がまともであり、精神病やR中毒患者とかでないなら、という条件下だが。
81 : トルコ共和国がオスマン帝国最大領土をいま取り戻したら アラブの油田、スエズ運河、チグリス・ユーフラテス川の水源 黒海と東地中海の制海権にウクライナの穀倉地帯に エジプトとバルカン半島の観光資源をゲットできるな もしかしてロシアを凌ぐ大国w
82 : お菓子は結構凝ってるな。材料もいいのがあるし スイカ彫刻はオスマン由来だったのか・・・
83 : >>81 >トルコ共和国がオスマン帝国最大領土をいま取り戻したら それはトルコ共和国だけに当てはまらないだろ。 バルカン諸国、アラブ諸国についても当てはまるはずだ。 現在の諸「国民国家」を前提にして、多民族・多宗教国家オスマン帝国をとらえてはならない。 「トルコ共和国がオスマン帝国最大領土をいま取り戻したら」なんて言い方は、 「『あの偉大な帝国』を自分たちだけの遺産と思っていたい現代トルコ人の確信犯的心性」 (新井政美『オスマン帝国はなぜ崩壊したのか』 青土社 2009年 25頁) に迎合するものだ。 近年では、非トルコ人に着目したオスマン帝国史研究の成果が出ている。 一例として、 藤波伸嘉『オスマン帝国と立憲政―青年トルコ革命における政治、宗教、共同体』 (名古屋大学出版会、2011年)を挙げておく。
84 : バルカン半島や中近東の国々はオスマン帝国の被害者ポジションで 国民をまとめようとしているし庶民もそれを受け入れているじゃないの
85 : それもまた逆の意味での国民国家の幻想の結果といえる。 アラブとクルド「アルメニア人虐殺や非イスラム教徒差別はトルコ人のせい」 ギリシャ「バルカンの経済的後進性と識字率の低さはトルコ人のせい」 アラブもクルドもギリシャもオスマン帝国を支えた支配階級だったのに、オスマン帝国=トルコと決め付け 自分たちも貢献した「負の遺産」からの責任回避をしている。
86 : アラブ系クルド系で出世した者って居たのか?
87 : アブドラ・ジェブデトとか
88 : 前にも誰かが言っていたが、基本バルカンとアナトリア中部以西以外は現地の支配機構をそのまま 保持していたから、伝統的身分制が維持され社会的上昇はありえないか難しい。クルド人とか元々 土豪とかの支配層だったわけで19世紀までは「出世」とは別問題なのでは。
89 : >>86 近代には、活躍したアラブ系オスマン人は多くいるぞ。 軍人、大宰相となったマフムート・シェヴケト・パシャや、 イスタンブルの師範学校長となったサートゥ・ベイ(サーティウ・フスリー)、 オスマン帝国議会議員となったアブデュルハミト・ゼフラーヴィーなどたくさんいる。 オスマン帝国末期に官僚、軍人、議員となったアラブ人には、 帝国崩壊後に成立した諸「国民国家」の政治エリートになった者も多くいる。 一例としては、 トランスヨルダン首相を2度務めたアリー・リダー・リカービー、 イラク王国首相となったヌーリー・サイード、ジャアファル・アスカリーなど。
90 : なんかブルガリアスレが2つも立ってるんだけど、ブームでもあったの? ということで・・・ >>45 「資料」とはどの様な意味で使っているのか良く分からないが、キリスト教受容以前から続いていると思わ れる風習はバルカン各地に残っており、バルカンの各民族がその様な風習に着目し記録を積極的に残すよう になったのは19世紀から。これには民族主義の高揚による各民族の「固有性」を強調することが目的であるの と都市化に伴う識字率の向上も関係していると思われる。大体にして教会側は非奨励との立場を明確にしてい るが、時と場合によっては黙認している。 代表例として太古には人身御供を伴ったであろう雨乞いの儀式や春の到来とともに2色の糸飾りを木の枝に 結ぶ風習などがあるが、最も高インパクトなのがトランス状態に入り霊媒、心霊治療、火渡りをする儀式。ギリ シャ語でアナステナリア、ブルガリア語でネスティナールストヴォと呼ばれているが、元来は東トラキア地方の キリスト教徒(ブルガリア語話者、ギリシャ語話者双方)が居住していた20カ村で伝わっていて、一部の家系が 霊能力を駆使して上記儀式を行うというものだった。トラキア人のディオニュソス信仰起源と考えられているが、 霊媒師が聖コンスタンティン・聖へレナのイコンを掲げて儀式を行うのは恐らくは教会側からの批判をかわすた めに始められたのだと思う(それでもギリシャ正教会は多神教時代の名残として「異端」扱いしているが)。 儀式の現状だが、第二次バルカン戦争でギリシャ人・ブルガリア人相互の虐殺行為が開始するとともに住民 は民族意識に応じてギリシャもしくはブルガリアに亡命するようになり、その後も同地に残った数少ないギリシャ 人は第一次世界大戦後の住民交換で一人もいなくなった。彼らの末裔はギリシャにもブルガリアにもいるが、 ブルガリアでは火渡りだけのショー化しているのに対し、ギリシャでは簡素化したものの(8日間の祭日が3日に 短縮等)それなりに「霊能力」は温存され伝統は継続している。 (続く)
91 : (続き) ただ、現地民による民俗学的記録の場合だと、地元の人間にとっては「当たり前」のこと、あるいは触れること がタブーであることなど記録されない場合も多い。当該民族の識字率が著しく低い場合も記録から漏れる要因 でもある。アルバニアなんかがその典型例だが、その意味で20世紀初頭にアルバニア人居住地域を旅し、同 地の風習を記録したダーハムのHigh Albania(1909年刊)は三日月は実は現地キリスト教徒に愛用されていた モチーフだったことや男装の風習について言及しており、貴重な資料である。 >>31 今更だけど、その部分「だけ」探して見て見たけどこんな感じ。 ヒュ:ヴァリデに対する美辞麗句。本当はヴァリデのことを慕っていたけど理解してもらえなかったと泣き言 ヴァ:露骨に無関心の表情 ヒュ:スレイマンを如何に愛していたか (シーンが変わって宝石いじり) ヒュ:実はイブラヒムは裏切り者ということを知っている。ニギャルと浮気していたので関係者にばらす ヴァ:表情一変 ヒュ:これで万事安泰になるから安心して下さいと言って去る >>71 特に19世紀末になると一方でオスマン領内の経済難が悪化する一方バクーの好景気はアゼルバイジャンを越 えてカフカース全体にまで波及したので、オスマンのキリスト教徒のみならずイスラム教徒もカフカース方面に 移住する様になる。ヘムシン人は工業化の進展激しいグルジアに移住し手に職を付けていた。パン屋が有名だ が、それはこの時代に習得した技能。本来は定住が目的だったが、赤化と共にほとんどがアナトリアに帰還し ている(一部はアブハジアに残留したとのこと)。旧マクレヴィス村はそういった出稼ぎヘムシン人が邸宅を建て る様になったのでコナクラルと改名された(現在はジャムルヘムシン市の区)。
92 : 訂正 誤 ジャムルヘムシン 正 チャムルヘムシン
93 : >>90 「元来は」ということはその東トラキアの特定地域から ブルガリアやギリシャへ伝搬したということ? その手の文化で伝搬経路がはっきりしてるのって中々凄い。
94 : バルカンのイスラム教徒コミュニティには、おどろおどろな異教風習は残っていなかったのでしょうか?
95 : ヘムシン人=グルジアにWWUのときまで住んでいたメスヘティ・トルコ人 ? 中央アジアに追放されて、今も排外主義のグルジアには帰還できない。
96 : 中央アジアは、第一公用語とバイリンガルであれば、多様性を認めるからね。 高麗人も残留している。 でも、タジキスタンは周囲の国から厳重包囲されて、国境は薬物汚染チェック検問。 自己が排外主義ではないのに、周囲から排除されちゃっている。
97 : タジキスタンはイスラム原理主義に乗っ取られたの?
98 : アフガンのケシ栽培マフィアに乗っ取られたの ( -_-)
99 : >>93 ブルガリアの場合は伝播というより一旦途絶えた地方行事を再生させた感じ。上記エスニッククレンジング後 ブルガリアに流入した東トラキア難民はネスティナールストヴォを継続せず。もちろん2次大戦後の共産党政 権が復活を阻止したという事情もあっただろうし、一旦は「消滅」している。それが民主化後には伝統の復活 として一部の研究者により再現の試みが図られた。この運動が実は必要以上に功を奏したのか、東トラキア 難民系以外の各地方の民族舞踊団体も「火渡り」をレパートリーに入れるようになった。現在では例えば夏に 黒海沿岸のリゾートに行けば、おおよそ東トラキア系とは関係なさそうな人たちが観光客へのアトラクションと して「火渡り」をやっていることもあるし、私個人は冬のソフィアのとあるレストランの民族舞踊ショーで火渡りを 見たこともある。 >>94 多神教の名残はキリスト教徒だけに見られるわけでなく当然イスラム教徒にもあり、上記「火渡り」みたいな 例外もあるものの大体キリスト教徒に伝わっているものはイスラム教徒にもあると考えていいでしょう。ただ、 「おどろおどろ」となると・・・w真っ先に思い浮かぶのはアルバニアのルガト。ルガトもまたアンデッド系で、生前 悪人だった者の死体が夜に動き出す、もしくは霊となってイスラム教徒に憑依するという話。退治する方法はた だ一つで、ファトワーによりルガトになったと思われる死者の墓を掘り起こす許可をもらい、その後に白馬が問 題の墓を飛び越えるか試してみる。もし白馬が動かなかった場合はその墓にはルガトが埋められているのであ り、遺体を焼却することによって退治完了となる。他にも月食はルガトの魔力によるものだとかの言い伝えもあ るそうな。こういった伝承が20世紀初頭まで信じられていたそうです。 >>95 違う。
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