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2012年2月創作発表115: ロスト・スペラー 3 (346) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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ロスト・スペラー 3


1 :11/10/14 〜 最終レス :12/02/03
まだ続く
過去スレ
ロスト・スペラー 2
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1303809625/
ロスト・スペラー
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1290782611/

2 :
ずっと規制されていたので、急に立てられてびっくりした

3 :
今から500年前まで、魔法とは一部の魔法使いだけの物であった。
その事を憂いた『偉大なる魔導師<グランド・マージ>』は、誰でも簡単に魔法が扱えるよう、
『共通魔法<コモン・スペル>』を創り出した。
それは魔法を科学する事。魔法を種類・威力・用途毎に体系付けて細分化し、『呪文<スペル>』を唱える、
或いは描く事で使用可能にする、画期的な発明。
グランド・マージは一生を懸けて、世界中の魔法に呪文を与えるという膨大な作業を成し遂げた。
その偉業に感銘を受けた多くの魔導師が、共通魔法を世界中に広め、現在の魔法文明社会がある。
『失われた呪文<ロスト・スペル>』とは、魔法科学が発展して行く過程で失われてしまった呪文を言う。
世界を滅ぼす程の威力を持つ魔法、自然界の法則を乱す虞のある魔法……
それ等は『禁呪<フォビドゥン・スペル>』として、過去の『魔法大戦<スクランブル・オーバー>』以降、封印された。
大戦の跡地には、禁呪クラスの『失われた呪文』が、数多の魔法使いと共に眠っている。
忌まわしき戦いの記憶を封じた西の果てを、人々は『禁断の地』と名付けた。
ロスト・スペラー(lost speller):@失われた呪文を知る者。A失われた呪文の研究者。
B(俗)現在では使われなくなった呪文を愛用する、懐古趣味の者。偏屈者。

4 :
ひたすら設定を積み上げて、物語を作ったり作らなかったりするスレ
時には無かった事にしたい設定と再会しながら、じわじわスレを進めて行くよ

5 :
膨大な量の設定と、それらを絶え間なく投下し続ける持久力
ホントに頭が下がります。がんばって下さい

6 :
たまにレスがあると何事かと思って緊張してしまう
でもありがとう

7 :
500年前の魔法大戦で、全てが海に沈んでしまった。
魔法大戦の勝者、共通魔法使いの指導者である、偉大なる魔導師と8人の高弟は、
沈んだ大陸に代わり、新たな大陸を1つ浮上させた。
共通魔法使い達は、唯一の大陸に6つの魔法都市を建設し、世界を復興させ、魔導師会を結成して、
魔法秩序を維持した。
以来400年間、人の間で大きな争いは無く、平穏な日が続いている。

8 :
過去に2回以上登場した人物で今後も登場予定がありそうな人々
サティ・クゥワーヴァ
第一魔法都市グラマー出身の、十年に一度の才子と呼ばれる魔導師。
良家の三姉妹の次女。
古代魔法研究所の研究員で、プラネッタ研究室に所属している。
僻地を訪ねて、唯一大陸各地に残る民間伝承を調査している……が、それは表向きの言い訳。
再び禁断の地に挑むべく、密かに外道魔法を調査している。
普段は猫を被って、寡黙で典雅貞淑な振りをしているが、行動的なので化けの皮は直ぐ剥がれる。
その実は挑戦的な性格で、実力者には対抗するし、売られた喧嘩は買う、困った人。
魔法資質は緑。
※最近キャラクター付けに困っている。
ラビゾー
禁断の地で暮らしていた過去を持つ、旅商の男。
正確には「ラヴィゾール」だが、決して自分では名乗らない。
好い年しながら、行く先々で老若男女問わずディスられ、その度に心に傷を負っている。
しかし、性格や行動を見直そうとしないので、自業自得と言えば、その通り。
魔法資質が低い上に、魔法色素が薄く、殆ど発色しない。
ジラ・アルベラ・レバルト
サティの調査に同行し、彼女を監視ている、魔導師会の執行者。
動物好きで、使い魔を飼いたいと思っているが、幼い頃から彼女は飼っている動物を可愛がり過ぎて、
構い過ぎた挙句、ノイローゼにしてしまうので、自重している。
標準的な魔導師で、得手不得手は特に無く、特別優秀ではないが劣等でもない、普通の人。
元補導員で、それらしく、良識と良心を備えた性格。
少々押しに弱い。
魔法資質は紫。

9 :
イクシフィグ・ヴァルパド・コロンダ
事故で魔法暦1000年から500年の時を遡った、未来少年。
自由都市ティナー出身。
諸般の事情で、グラマー市ニール地区魔法刑務所の、管理棟に監禁されている。
魔法は全く使えない。
コバルトゥス・ギーダフィ
各地を旅する自称冒険者。
父親はグラマー地方出身、母親はティナー地方出身、本人はエグゼラ地方出身。
端正な貌付きの優男だが、身勝手で軽薄、口が軽く、平気で嘘を吐くし、戦いも苦手。
本人曰く「やれば出来る」。
女を口説く事と、労せず儲ける事だけに熱心な、快楽主義者。
破滅型の人格に見えるが、社交性は高く、悪運も強いので、滅多な事では倒れない。
強者には諂い、弱者の振りをするが、物怖じしない胆力もあり、実力は未知数。
しかし、如何せん保身に走る為、彼が本気を出す事は無い。
グージフフォディクス・ガーンランド
ティナー中央魔法学校の中級課程に通う女学生。
成績優秀で品行方正な模範学生だが、突出した才能の持ち主ではない。
所謂委員長系。
グージフフォディクスは、伝統的な家系が故の長名だが、本人は気にしている。
友人・家族は「グージフフォディクス」と呼ばないので、尚更。
愛称はグー。

10 :
プラネッタ・フィーア
古代魔法研究所の教授で、サティ・クゥワーヴァの師、彼女の上司でもある。
第四魔法都市ティナー出身。
週に一度、グラマー市内の魔法学校で、上級課程の学生に、古代魔法史(選択制)を教えている。
ティナー中央魔法学校の上級課程を首席で卒業し、その数年間で最も優秀と謳われた魔導師。
高位の魔導師で、取り分け呪歌が得意であり、日常的に精霊言語の歌を口遊む。
公学校時代の愛称はネッフィー、ネア。
禁断の地には因縁があり、過去に触れられる事を嫌う。
魔法資質は青。
パステナ・スターチス
第六魔法都市カターナの海洋調査会社で、部長を務める女性。
海洋調査に懸ける志は高く、新しい時代を自らの手で拓こうとしている。
ティナー地方北東部の小村トックの出身で、プラネッタ・フィーアとは公学校で同級だった。
魔法は人並みに使えるが、得意と言う程ではない。
明るく朗らかな人柄。
愛称はパスチー、パスタ。
姓と名を合わせた愛称は、ティナー地方の一部で独特の物。
カーラン・シューラドッド
B級禁断共通魔法の研究を行っている老魔導師。
禁断共通魔法研究施設『象牙の塔』B棟地下にある、カーラン研究室の室長にして、
同研究室に所属している唯一の研究員。
研究の事しか頭に無く、倫理観が崩壊している上に、人の話も聞かない、狂人研究者。
B棟の地下に封じられている体だが、犯罪性向が強い訳でも、嗜虐趣味を患っている訳でもないので、
無闇に人に危害を加える事は無い。
その代わり、日常的に死体集めを行っており、時には自らの体を実験台にする事も厭わない。
よく誤解されるが、死体集めは実験に必要だから行っているのであり、死体愛好家の気は全く無い。
白髪で万年白衣の為、陰で「幽霊博士」と呼ばれている。
魔法資質は白。

11 :
バーティフューラー・トロウィヤウィッチ・カローディア
禁断の地で生まれ育った、『色欲の踊り子』と呼ばれる魔法使い。
実家を妹に任せて、禁断の地を飛び出した。
人を誘惑する魔法の使い手で、男を取っ替え引っ替え生活している。
外道魔法使いでありながら、好んで堂々と都市部に住む、変り種。
結婚恋愛相談所を経営している。
ラビゾーとは知り合い。
バーティフューラーが姓、カローディアが名。
トロウィヤウィッチは、旧暦の地名『トロウィ』の魔女を意味する称号名。
魔法色素は、青・赤・緑・黄・水・紫・白の七色に変色する特質型で、
自ら『虹色の<イリデッセンス>』を名乗る。
ニャンダコーレ
妖獣の祖先と思われているニャンダカニャンダカの仇敵、ニャンダコラスの子孫を自称する化猫。
身体に他の妖獣と異なる所は見当たらないが、並外れて知能が高く、温和で理性的。
妖獣神話を信じており、妖獣を監視して、逆襲を未然に防ぐ事が、自らの使命と信じて疑わない。
一部地方では、お喋り好きな化猫として、都市伝説になっており、『黒靴下』の通り名を持つ。
「ケトゥルナンニャ」が合言葉。
「コレ〜」「〜だコレ」等、何かとコレコレ鬱陶しいが、コレコレ言う前は人語が下手で、
会話中、頻りに「ニャ」を連発していた。
ある日、それでは他の化猫と同じだと思い、「ニャ」の代わりに「コレ」と言い始める。
時々返事代わりに、「ニャ」「ニャム」「ニャー」と言ったりするが、そこは気にしていない。
魔法色素は水色。
アラ・マハラータ・マハマハリト
旧暦から生き続ける旧い魔法使い達の中でも、取り分け古い魔法使い。
古めかしい魔法使いの格好をした、白髪白髭で猫背の老人。
ラビゾーの師。
名前は全て呪文名であり、周囲の者は慣習から、アラ・マハラータを尊称、
マハマハリトを親称と呼び分けているが、大した意味は無い。
過去にチカを弟子として育てたが、破門した。
長い間、禁断の地で暮らしていたが、ラビゾーに先立って、各地を巡る旅に出た。

12 :
チカ・キララ・リリン
共通魔法使いを憎む、外道魔法使い。
数年〜数十年に一度、若返りの魔法を使って、命を存えている。
禁断の地でマハマハリトに育てられたが、その魔法を無闇に振るった為に破門された。
しかし、破門された後も、師に対する敬慕の念は変わっていない。
師と同じく、名前は全て呪文名。
高い魔法資質が災いし、復讐の為に恨みを募らせた果てに、邪精化が進行中。
旅先の供である青い鳥チッチュと、師への想いを心の支えにし、危うい所で精神を安定させている。
後に弟弟子ラヴィゾールの存在を知り、彼が師の弟子に相応しき存在か、確かめようとする。
魔法資質は赤。
アクアンダ・バージブン
八導師親衛隊の女性。
既婚者で子持ちの上に、三十路を越えていながら、高い魔法資質を有する為に、老化が遅く、
少女の外見を保つ。
八導師の勅命により、イクシフィグの目付け役となった。
リャド・クライグ
象牙の塔でD級禁断共通魔法の研究を行っている博士。
時間と空間を操る共通魔法の使い手。
ブリンガー地方出身の元魔法学校教師で、象牙の塔では希少な妻子持ち。
象牙の塔で唯一の、D級禁断共通魔法研究室の室長。
狂人扱いのカーラン博士と違い、常識人で、人望が厚い。
妻のカリュー・クライグは、魔法実験の失敗で、独りだけ時間の流れが周囲より遅い。
魔法資質は妻共々黄。

13 :
レノック・ダッバーディー
旧暦から生き続ける、旧い魔法使いの1人。
ティナー地方南部に隠れ住み、時折都市部に降りて来る。
500年以上の時を、幼い少年の容姿で過ごしているが、ずっと子供だった訳ではなく、
旧暦では青年魔法使いだった。
マハマハリトとは旧暦からの付き合いだが、レノックの方が若い。
自分に直接係わらない物事には、無関心を装っているが、その実、結構な世話焼き。
ルヴァート・ジューク・ハーフィード
ティナー地方出身の、『緑の魔法使い』と言う、植物を操る外道魔法使いの男。
元共通魔法使いの『VM<バーサティル・マジシャン>』。
共通魔法秩序に反発し、無益な破壊活動を行っていた前科を持つ。
その後、執行者に捕らえられ、師との死別によって更生し、現在は、街から離れた地方で、
静かに暮らしている。
直情的だった若い頃とは、打って変わって、柔和な人格者になった。
後に2人の弟子の師となる。
魔法資質は緑。
※VMのVは、versatile(形容詞:多才な)が正しいと思うのだが、過去の設定を見返すと、
 versatility(名詞形:多才)になっている。
 何か理由があったのか、当時の記憶は定かでない。
クロテア
神の祝福を受けた少女。
髪、目、肌、魔法資質、全てが白い。
神聖魔法使いの祈りの結晶にして、幸いの化現、幸福を齎す存在。
幸福は彼女と共にあり、悪意や災厄は彼女を避ける。
故意による妨害ばかりでなく、偶然の事故すらも彼女を傷付ける事は出来ない。
しかし、彼女は無為である。
ホリヨンと異なり、彼女は悪を罰する術を持たない。
※白い魔法色素を持った者が生まれる確率は低い。

14 :
ドミナ・ソレラステル
クロテアの従者にして保護者。
旧暦から生きる神聖魔法使いの神官。
クロテアを己の信仰を捧げるに相応しい存在と認識し、彼女を崇拝している。
それは余りに盲目的、余りに独占的、余りに庇護欲求的過ぎて、本人には煙たがられている。
やや人間不信の気あり。
対外的には、クロテアとの関係は、親子で通している。
彼女を含め、旧い魔法使いには魔法色素を持たない者が多い。
ドミナは称号、ソレラステルは名、姓は無い。
※既に数回登場しているが、名前を呼ばれたり、自ら名乗ったりする場面が、未だ無い。
 誰これ?状態。
蛇男
魔法で蛇男にされてしまった人間……と思い込んでいた、合成獣。
僅かに人の性質を備えた、手足が無い、巨大な緑色の蛇。
実際は、限り無く人工生命体に近い事が、カーラン博士によって明らかにされた。
魔法資質は水色だが、身体構造上、精霊言語が話せず、共通魔法は使えない。
己の出生を知る為、執行者ストラドと共に、生みの親である外道魔法使いを探している。
巨大な蛇の容姿を他人に見られると、大抵驚かれ、酷い時には、石を投げられたりするので、
普段は裾の長いフード付きローブを着て、正体を隠している。
ストラド・ニヴィエリ
第三魔法都市エグゼラ出身の魔導師。
アウトロー気取りの不良執行者で、口と勤務態度が悪い。
蛇男を生み出した外道魔法使いを逮捕すべく、蛇男の親探しを手伝っている。

15 :
その他色々、新世界ファイセアルスで暮らす人々の話。

16 :
エグゼラ地方南部の小村ビリャにて
エグゼラ地方は南部のみ、夏季に限って、作物の栽培が可能である。
ビリャ村は人口の割に農地が広く、魔法農作物である改良油豆の産地として有名であった。
冬が長いエグゼラ地方で、油豆は凍結を防ぐ為に、植物性油脂を実に大量に蓄える性質を持っている。
油豆の実は、暑い地方では油脂が直ぐに腐敗するので、寒冷地でしか栽培出来ない。
ビリャ村はエグゼラ地方の中では、最も油豆の栽培に適した土地なのだ。

17 :
この年4月末にビリャ村は妖獣に蹂躙され、壊滅的な被害を受けた。
現在、ビリャ村は復興の只中である。
しかし、村民の心は――……。

18 :
ラビゾーがビリャ村に訪れたのは、雪が完全に消える6月の末。
定期的に村を訪れるラビゾーは、妖獣襲撃事件を聞いて、どんな風に村が変わってしまったのか、
恐々としていた。
所が、彼の予想に反して、村は荒らされた痕跡が無かった。
元から土地建物の被害は大した事が無かったのか……。
それとも既に忌まわしい傷痕は消し去られた後なのか……。
ラビゾーは村の様子を見て回りながら、この村に来た時は必ず訪ねる、
村唯一の小さな店に足を向けた。

19 :
幸いにして、小店の主は無事であった。
魔犬に姿を変えられたが、医療魔導師の魔法で人の姿に戻れたと、店主は語る。
 「犬っころになっていた間の記憶は無いんですがね」
ラビゾーの記憶にある店主の姿と、現在の店主の姿に、印象の変化は無い。
親しみ易い砕けた話口と、エグゼラ地方によく見られる、がっしりした骨太で頑健そうな体付き。
本当に、噂に聞く様な惨劇の被害者なのか、見た限りでは判らない程だ。
 「そういう魔法だったんでしょう」
 「いえ、中には朧気ながら記憶が残ってる人もいましたよ」
身内に死者も無く、今では平穏な毎日を送っている――かと思いきや、そうではないらしい。
店主はラビゾーに打ち明けた。
 「家は全員無事だったんですが、ただ娘の様子が変なんですよ。
  どこか余所余所しくて、どうやら記憶が少し……」
 「ああ、それは……何と言って良いやら……」
 「一家全滅という所もありますから……。
  家族皆、命があっただけでも有り難いと思うべきなんでしょうがね……」
ラビゾーは慰めの言葉が思い付かず、ただ神妙な面持ちで頷き、同調するしか無かった。

20 :
それから他愛無い世間話を続ける2人。
ラビゾーは店主が時々顔を顰めるのに気付く。
 「どうしました?
  何所か、具合でも……?」
 「ええ、犬っころになってた後遺症か……偶に臭いに敏感になる時があって……、
  最近は治まっていたんですが……」
店主は鼻を擦りながら答えた。
 「あ、そうなんですか……大変ですね」
 「そればっかりか毛深くなっちまって……」
店主は長袖を捲くってラビゾーに見せる。
白い腕全体、地肌が見えない位に、金色の長い毛が生えていた。
 「暖かそうですね」
ラビゾーが呑気に軽口を叩くと、店長は呆れ半分で眉を寄せ、苦笑した。
 「本当に大変なんですよ?
  手入れとか……でも、私なんかは見た目で判らない分、未だ良い方です。
  中には犬っころの尻尾とか、残った儘の人もいますからね……。
  医師様は、数年経てば自然に元に戻るだろうとは言ってましたが……」
復興への道程は長い。

21 :
小店の店長と会った後、ラビゾーは再び村を見て回った。
成る程――、もう暖かいと言うのに、外を出歩く村民の中には、手袋を嵌めて、
コートやマントを羽織っている者が見受けられる。
寒さに強いエグゼラ地方民は、夏が来て暖かくなれば、他の地方民なら肌寒さを感じる様な天候でも、
薄着で普通に過ごせる。
今の時期、厚着をしている者は、身体に獣だった時の跡が残っていて、それを見られたくないのだろう。
その事に気付いたラビゾーは、余り往来の人をじろじろ観察するのは失礼だと思い、
深く気にしない様にした。
彼は旅の身であり、村人との関係は薄い。
不審人物と思われては堪らない。
そう言えば――と、ラビゾーは耳を澄ます。
 (犬の鳴き声が聞こえないな……)
田舎では、田畑を荒らし家畜を襲う、野生の妖獣を追い払う為、それと不審人物の侵入を防ぐ為、
魔犬を番犬に飼っている家が多い。
ラビゾーの記憶では、このビリャ村も例に漏れず、魔犬を飼っている家が殆どであった。
 (妖獣にされたのか?)
品種改良された魔犬は、よく人に懐き、よく人の言う事を聞く。
人も魔犬を家族の様に思って、愛犬の死後、直ぐ新しい魔犬を飼う事に抵抗を感じる者もいる。
犬の鳴き声が聞こえない理由が、その通りであれば悲しい事だ。
ラビゾーは感傷的な気持ちになって、小さな溜め息を吐いた。

22 :
それから暫く歩いたラビゾーは、村の外れに、空の檻が沢山置いてある空き地を発見した。
「これは何だ?」と興味を持った彼は、何の気無しに空き地に踏み入る。
檻の大きさは大小様々で、熊が飼える大きな物から、犬猫を閉じ込める小さな物まであった。
ラビゾーは一つ一つ檻の中を確認したが、どれもこれも空。
一体何に使ったのか、それとも、これから何かに使う檻なのか、彼は首を捻る。
 「ニャー……」
その時、か細い猫の鳴き声が、彼の耳に入った。
余りに細い声だったので、音源は判らなかったが、それなりに動物の知識があるラビゾーは、
鳴き声の主が何を訴え掛けているか、鋭く察した。
 (この鳴き方は……助けを求めている!?)
元より正義感の強い彼は、甚く心配して、必死に猫を探した。
 「ニャー……」
断続的に発せられる、弱々しい鳴き声。
なかなか動物の姿を発見出来ず、焦るラビゾーであったが、遂に音源を探し当て、そして驚いた。
彼が見付けたのは、大きな檻の中に閉じ込められている、泥茶気た汚い布を被った、怪しい「何か」。
布の下の物の、正確な大きさは判らないが、膨らみから、少なくとも人の五歳児程度はあると、
推測出来る。
猫の鳴き声は、確かに、汚い布の下から発せられている……。

23 :
どうするべきか、ラビゾーは迷った。
布を剥ぐって正体を確認するか、何も見なかった事にして立ち去るか……。
村は妖獣の襲撃を受けた後である。
檻に入れられている事から、これは危険な妖獣の可能性が高い。
君子危うきに近寄らずとも言う。
「ここから離れよう」とラビゾーが決心し掛けた時であった。
 「コレ……ラビゾール?」
布の下から聞こえた、自分の名を呼ぶ声に、ラビゾーは身震いして飛び退いた。
ラビゾーは確認の為に、呼び掛ける。
 「……ラ、ラビゾー?」
その直後、布の下から白い塊が飛び出した。
 「ああ、コレ!!
  ラビゾール、コレ!!」
 「うぉわわわ!?」
白い塊の正体は、半身以上ある大きな化猫であった。
化猫は、二度驚いて体を竦めるラビゾーを見て、目を細める。
 「にゃー……コレ、相変わらず小心は治ってないんだな、コレ。
  いや、コレ、人は二十歳を境に成長が止まるのだったかなコレ?」
 「……ニャ、ニャンダコーレさん?」
ラビゾーが恐る恐る問い掛けると、化猫は2本の足で立ち上がり、背筋を伸ばして胸を張った。
 「コレ如何にも!
  我輩はニャンダコラスの子孫、ニャンダコォーゥレである、コレ」
ラビゾーと化猫ニャンダコーレは、互いに見知った仲である。
ラビゾーは警戒を解き、数歩檻に寄った。
 「その名乗りって一々やらないといけないんですか?」
 「コレ、ニャンダカの子孫である、妖獣共と一緒にされては困るのでコレ。
  いや、しかし、コレ、君に会えて良かったコレ。
  天は我を見放さなかったんだな、コレ……」
ニャンダコーレは脱力して、ぺたんと座り込んだ。
それに合わせてラビゾーは屈み込み、ニャンダコーレに訊ねる。
 「一体、どうして檻の中に?
  何か悪い事したんですか?」
 「コレ、失敬な、コレ!
  私は何も悪い事なんてしてないんだなコレ!」
ニャンダコーレは大いに憤慨し、機嫌を損ねた。

24 :
疑いの眼差しを向けるラビゾーに、ニャンダコーレは訴える。
 「そんな事より、コレ早く出して欲しいんだな、コレ」
 「いや……でも、詳しい訳を話して貰えないと」
 「コレ、後でも良いじゃないか!
  にゃぐぐ……信用が無いのだなコレ……」
ニャンダコーレの抗議に、ラビゾーは弱った顔するも、動こうとしない。
 「後ろ暗い事が無いなら、話してくれたって良いでしょう?」
 「コレ、全く困った物だな、コレ。
  ニャム……、隠す様な事でも無いし、コレ、聞きたいなら聞かせるが……。
  好い加減に柔軟さを身に付けて欲しい物だなー、コレ」
原理原則に拘る性格のラビゾーに、ニャンダコーレは渋々事の経緯を説明する。
 「私はティナーの都市で、コレ、不穏な噂を聞いた……。
  ニャンダカの子孫がコレ、北の地に集結し、地上の支配を企んでいると。
  私は奴等の野望を止めるべく走ったが……コレしかし、間に合わなんだコレ……。
  コレ、既に多くの血が流された後で……やはり、ニャンダカの連中は、コレ――」
ニャンダコーレは猫の面でありながら、静かに鬼の形相を作る。
 「……詰まり、事前に情報を入手して、急いで駆け付けたけど、着いた時には、全部片付いた後で、
  妖獣と間違えられて、捕まった訳ですか……。
  間が悪かったですね」
ニャンダコーレの様子から、不穏な空気を感じたラビゾーは、ニャンダコーレが現状に至った理由を、
「間が悪かった」の一言で片付けて、さっさと話を切り、檻に取り付けられている錠に触れた。
 「解りました。
  檻、何とか開けてみます」
 「ニャ、有り難い」
ラビゾーは万能ナイフの鋸で、檻の錠を削って破壊する。
ガリガリガリガリ……長く地味な作業であった。

25 :
1針後、ラビゾーは錠を外し、ニャンダコーレを解放した。
長時間の監禁で、ニャンダコーレは酷く衰弱しており、その足取りは、よろよろと頼りなかった。
食料を要求するニャンダコーレに、ラビゾーは魚の缶詰を開けて手渡す。
1匹では、再び捕まらないとも限らない。
そう心配したラビゾーは、ニャンダコーレを連れて、この地方から離れる事にした。
しかし、当然ではあるが、すんなり帰れる訳が無い。
空き地の近くを通り掛った、1人の中年の村人が、ニャンダコーレを連れているラビゾーを発見する。
 「おい、お前!
  そいつは……」
見るからに力のありそうな、体格の良い中年男は、髭の濃い熊面を顰め、ラビゾーに詰め寄る。
ラビゾーは内心しまったと思い、硬直した。
 「あんた余所者だな?
  勝手な事をされちゃ困る。
  こいつは俺等が捕まえた化猫だ。
  妖獣共は一匹残らず駆除する事になっている」
威圧的な中年男の言い草に、すっかり気後れするラビゾー。
一方、妖獣呼ばわりされたニャンダコーレは、牙を剥いて怒る。
 「コレ失礼な奴だな、コレ!
  私はコレ、妖獣共とは違うと言うのに!」
赤子の様に両手を振り上げ、小さく一歩踏み出すニャンダコーレ。
口周りには、食べ滓が付いている。
「ニャー!」と擬音を付けたくなる、可愛らしい威嚇だが、中年男は過敏に反応して、大きく一歩退った。
 「こ、コレコレ喧しい!
  畜生の分際で喋るな!」
冷や汗を掻いて声を荒げる中年男に、ラビゾーは違和感を覚えた。
自分より小さな化猫を罵声で嚇す姿は、ラビゾーの目には恐怖を隠そうと焦っている様に見えた。
まるで動物恐怖症……。

26 :
この中年男も、上着と手袋で地肌を隠している。
中年男とニャンダコーレの遣り取りで、心に余裕が生まれたラビゾーは、ニャンダコーレを制し、
自分が表に立って交渉しようと、中年男の前に進み出た。
厳つい中年の男が相手とは言え、ラビゾーも年齢は大して変わらない、おっさん同士なのだから、
萎縮する必要は無いと、開き直ったのである。
 「だ、大丈夫ですよ。
  彼は賢く大人しいですから」
 「……『彼』だと?」
正体の判らない男が、突然、化猫を「彼」と言い出したので、中年男は戸惑った。
それまで何もせずに棒立ちしていた姿が、酷く落ち着き払っている様に見えた事も相俟って、
中年男は俄かに慎重になる。
ラビゾー自身も、ニャンダコーレを「彼」と言う事には抵抗があったが、丁寧な口調で説明した。
 「彼は僕の知り合いです。
  そこらの妖獣とは違い、理知的で、話が出来るんですよ」
 「だが、妖獣は妖獣だ。
  それに知能が高いと言う事は、何を仕出かすか分からない……。
  危険なんだ」
ラビゾーを相手と認めた中年男は、歯噛みして顔を歪める。
ビリャ村を襲った妖獣は、人語を解する高い知能を持った妖獣に、指揮された集団であった。
中年男にとって、妖獣は憎い、小賢しい物は尚憎いと言う訳だ。
その激しい憎悪に、ラビゾーは一部同情した。
 「コレ、だから妖獣では――」
ラビゾーは、抗議しようとしたニャンダコーレの頭に手を置き、視線を送って黙らせる。
そして中年男の目を見て、懇願した。
 「……何とか見逃して貰えませんか?」
 「ならんね。
  大体、妖獣駆除は魔導師会の指示なんだ。
  あんたは魔導師会に逆らうって言うのか?」
 「……彼は例の事件とは無関係です」
 「それを証明する事が出来るか?
  いや、よしんば証明出来たとしても、そいつを駆除の対象から外す事は出来ない。
  魔導師会の指示は、『妖獣を駆除する事』なんだ。
  例外は無い」
中年男は頑として意思を曲げない。
極寒のエグゼラ地方では、魔導師会の協力なくして、発展が望めなかった。
魔導師会が絶対であるかの様に振る舞う性質は、エグゼラ地方では何ら特別な物ではない。
それに加えて、村が妖獣の襲撃を受けた事で発生した、「妖獣は危険な物」と言う直観的な認識が、
中年男の思考を支配していた。
危険物を排除したい、ある種、本能的な拒否感が、「魔導師会の指示」と言う後ろ盾を得て、
露骨になったのである。

27 :
ラビゾーも譲らない。
 「それは横暴ですよ……。
  僕は別に動物愛護主義者じゃないですけど……、野良の妖獣を絶滅させる気ですか?」
 「野良に限らない。
  少なくとも、この近辺の妖獣は全部片付ける」
中年男の答えを聞いたラビゾーは、はっと感付く。
 「……まさか、犬の鳴き声が聞こえないのは――」
 「そうだよ、あんたの想像通りだ」
 「いやいや……いくら何でも、それは――」
ショック受けた様子のラビゾーに、中年男は不快感を露にして、態度を硬化させた。
 「あんたは何も知らないから、そんな事が言えるんだ。
  大方、見た目可愛い動物がされるのは可哀想ってだけで、逃がそうと思ったんだろう?」
 「いや、僕は……――」
そんな安っぽい同情で言っているのではないと、ラビゾーは反論しようとしたが、中年男に遮られる。
 「とにかく、そこの奴は諦めな。
  高が妖獣の為に、魔導師会を敵に回すか?」
魔導師会の名を出されると、ラビゾーとしては弱い。
彼は数極逡巡した後、答える。
 「……誰だって争い事は避けたい。
  僕は彼を連れて村を出て行く、そして、この付近には二度と近寄らない……。
  それでは駄目ですか?」
ラビゾーはニャンダコーレを庇い、腰を落として低く身構えた。
掛かって来るなら、暴力も辞さない姿勢である。
しかし、ラビゾーは喧嘩上手でもないし、武術の達人でもない。
体格からして、取っ組み合いでは、中年男に敵わないが、そんな事は問題ではなかった。
 「おいおい、正気か?
  どっちが怪我するか、分からん訳ではあるまい」
冷笑する中年男に、ラビゾーは言う。
 「はい……。
  あなたは魔導師ではないでしょう?」
  
ラビゾーは男を睨み付けた儘、右手でコートのポケットを漁り、魔力石を取り出して見せた。
最早、形振り構わぬ足掻きであった。

28 :
中年男は魔力石を見るや、ぎょっとして、途端に慌て出した。
 「はは……マジで気が狂れてるのか?
  止めろ止めろ、魔法で人を攻撃する事は、禁止されている。
  本当に魔導師会を敵に回す事になるぞ!」
しかし、ラビゾーは完全に戦闘態勢である。
嘘の下手な彼は、その気が無い脅しは見透かされると思っていた。
己の胸の内に燻る、理不尽さに対する怒りを奮い立たせて、鷹の様な鋭い目付きで中年男を睨み、
自分が本気と言う事を必死でアピールする。
 「魔導師会、魔導師会って、魔導師でもないのに、あなたは何なんです?
  ここらの妖獣を絶滅させようと、どうしようと、そんなのは僕の知った事じゃないですよ。
  でも……無関係な彼をどうこうしようってなら、それは見過ごせない」
高揚した気分に任せて、苛立っている風に捲くし立て、触れなば斬らんと凄む。
傍から見れば気違いだが、それが功を奏した。
 「待て待て、落ち着け!!」
酷い奴に出会した物だと、中年男はラビゾーに絡んだ事を後悔し始めていた。
とにかくラビゾーの気を逸らせようと、必死に知恵を絞る。
 「……あっ!!
  あんたの後ろにいた化猫は、何処に行った!?」
ぎりぎりと魔力石を強く握り締め、今にも何か仕出かしそうな勢いのラビゾーに、中年男は、
化猫の姿が見えなくなった事を指摘した。
 「……何?」
ラビゾーは罠ではないかと、中年男を警戒しながら、そろそろ慎重に周囲を確認した。
針葉樹林に囲まれた土地、田畑が寂しく広がる。
ニャンダコーレの姿は、何処にも見当たらない。
ラビゾーは静かに構えを解き、両手をコートのポケットに突っ込んだ。
気不味い沈黙が訪れる。
半点後、中年男はラビゾーを強く睨んで、吐き捨てる様に言った。
 「これで人死にが出たら、あんたの所為だからな」
中年男は、その場を足早に去る。
暴論だが、ラビゾーは何も言い返さなかった。

29 :
中年男と別れた後、ラビゾーは早々に村を離れる事にした。
ラビゾーはビリャ村を離れる前に、自ら小店の店主に事情を説明し、別れの挨拶をした。
当分の間、或いは一生、彼はビリャ村には入れない。
店主は同情し、人死にが出るとは限らないし、仮に出ても誰の責任とは言えないと、
ラビゾーを慰めたが、「また来てくれ」とは言わなかった。

30 :
「コレ、申し訳無い事をしたなコレ……。コレ、魔導師会を敵に回して、大丈夫なのかコレ?」
「多分ですけど、妖獣駆除は魔導師会じゃなくて、市とか地方とかの行政レベルの指示です。
 魔法に関する事以外で、一般人に何かをさせる事は、魔導師会の権限を超えていますよ。
 魔導師会が何とかって言うのは、はったりか、そうでなければ、勘違いだと思います。
 魔導師の職務は、魔導師以外が代行する事は出来ません」
「コレ、よく解らんが……そうなのかコレ?」
「……多分。それより、人を恨んでいませんか?」
「ニャ、恨む事は無いな、コレ。
 元はと言えば、コレ、ニャンダカの子孫共が凶悪な事件を起こした所為。村人の反応は当然だコレ」
「……有り難う御座います」
「コレ、礼を言われる事ではないなコレ。寧ろ、コレは我が身の無力と、浅慮を詫びる所だコレ」
「人にはニャンダカニャンダカの子孫も、ニャンダコラスの子孫も、同じ妖獣に見えます……」
「承知している、コレ」
「……ニャンダコーレさんが妖獣でも、僕は同じ事をしましたよ」
「ニャム。コレ、君の友情に感謝する……コレ」
「当分、エグゼラ地方では独りにならない方が良いでしょう。僕が付いて行きます」
「コレ、助かる。
 ニャ、しかし……コレ、私が言うのも何だが……もっと上手い躱し方が、コレ、あったと思うのだコレ」
「はい。でも、僕は口が回る方ではないので」
「コレ、朴訥を気取るのは、良い事では無いぞコレ。損をするのは君なのだ、コレ」
「……解っています。でも、本当に、あの場は他に案が浮かばなかったのです。後悔はしません」
「コレ、相変わらず意地っ張りだなコレ」
「意地が張れなきゃ男じゃないですよ」
「ニャフ! 言う様になったな、コレ」
「フフッ、オ・ケ・セラ・セラ。過ぎた事ばかり考えても仕方ありません」
「ニャー……、そこまで開き直れるなら、コレ、もう少し堂々として欲しい物だな……コレ」
「……心掛けます」

31 :
魔法色素と魔法資質
魔法色素とは、魔力の流れを感知して発色する、色素である。
人を含む、魔法資質を有する動物は、生まれ付き持っており、赤、青、緑の光の三原色を、
父母から一色ずつ受け継ぐ。
その配色によって、赤、青、緑、黄、紫、水色、白の7色と、魔法色素を持たない場合(黒)を含めて、
全部で8通りのパターンがある。
統計上、白と黒はレアケース。
魔法色素自体は、生体以外にも含まれ、魔法色素を含む鉱石や、湧き水もあるが、
外部から摂取しても、体内に長時間蓄えられる物ではなく、遺伝しない。
色素の有無と、魔法の得手不得手は、全くの無関係で、魔法資質が赤だからと言って、
火の魔法が得意とは限らないし、水の魔法が苦手とも限らない。
ここまでは、以前説明した通り。
魔法資質の優劣とも無関係だが、高い魔法資質の持ち主は、多くの魔力を扱えるので、
当然ながら発色は強くなる。
魔法色素の濃淡には、個人差があり、余り発色しないからと言って、魔法資質が低いとは限らないし、
強く発色するからと言って、魔法資質が高いとも限らない。
しかし、一般的には、発色が強い者は、魔法資質が高い証との認識で間違い無く、
開花期の終わり頃まで、一部地域では平穏期になってからも、発色が弱い者は、
魔法資質を過小評価された。
この為、魔法色素を摂取して、生まれ付きの魔法色素を誤魔化す事が、流行った時期もあった。
魔法色素が薄い事は、何も悪い事ばかりではなく、発色しない事を逆手に取り、
執行者が囮捜査を行う場合もあるが、大抵の発色しない者は、魔法資質の低い者で、弱者と侮られ、
犯罪の被害者になるケースが多い。
標準的な魔法資質の持ち主は、魔力石を手にした際に発色する。

32 :
魔法資質の高まり
開花期から、人通りの多い街角では、魔法によるストリートパフォーマンスが、よく見られる様になった。
平穏期に入ってからは、娯楽魔法競技の普及と重なって、この様な大道芸は、都市ばかりでなく、
地方でも広く一般的となる。
しかし、魔法暦400年代も終盤になり、停滞期と呼ばれる頃になると、
大道芸は再び都会でしか見られなくなった。
放浪芸人は、余裕のある時代の生き物だったと、そう言う事だろう。
それを嘆き、昔を懐かしむ者もいるが、人の集まる所で芸を披露し、投げ銭を貰うと言う、
芸人本来の姿に落ち着いたとも言える。
中には、街路に面した店舗と契約して、人寄せにパフォーマンスを行う者もいる。
人を楽しませる目的とは言え、多くの都市では条例を設けて、届出の無い街頭芸を禁止している。
しかし、事前に届け出て許可を得るパフォーマーは少ない。
通行の障害や、店舗の営業妨害にならない限りは、見逃されているのが、現状である。

33 :
第四魔法都市ティナー 繁華街にて
冬の繁華街の大通りに、人集りが出来ている。
人々の注目を集めているのは、娯楽魔法競技フラワリングの、ストリートパフォーマンス。
ギャラリーは、ざっと1000人以上いるだろうか……。
人垣で、輪の外からは、パフォーマーの姿は見えない。
魔法の灯と共に、時々歓声が起きるので、偶々近くを通り掛った暇人が、
野次馬根性で必死に覗こうとする。
よく確認をしない儘、野次馬が憶測で、やれ有名人だ何だと言って、人伝に話が広まる。
そんな訳で、人集りが一定以上になると、人が人を呼ぶ現象が発生するのである。
偽客によくある手法だが、実際の所どうなのかは、見てみなくては判らない。

34 :
時を遡る事、数刻前――東南東の時。
後に人集りが出来る、この場所には、1人の女共通魔法使いがいた。
大体、女の大道芸人と言う物は、美女とか愛らしい娘と決まっている。
見目麗しくなければ、人目を惹き付けられない。
この女共通魔法使いも例に漏れず、色の薄い髪を長く伸ばした、色白の美女であった。
彼女が着ている暗い色合いの服は厚手で、見るからに動き難そうであり、
激しい描文動作を伴うフラワリングの競技者らしくなかった。
彼女は数人のギャラリーの前で、自らの両手の平に、小さな炎を出現させ、それを空間に固定して、
幾つも出現させる。
一度パンと手を叩けば、炎は一斉に消え、二度叩けば、青い色の炎になって現れる。
「置き火」と「色変え」と言われる技法である。
彼女の魔法は、そう派手ではなく、技巧に優れた(一般的には地味と言う)物であった。
但し、技巧に優れているとは言っても、この程度は魔導師クラスの者なら、誰でも出来る芸当で、
こんな物では、日に何万も目の前を通り掛かる者の内、10人前後を数点引き止める効果しか無い。
人の目を引く、魔力を大量に消費するフラワリングの大技は、魔法資質の高さを誇示する物でもあり、
魔力石を持たないでも使用可能な者は限られる。
この後、彼女は如何にして、1000を越す人を集めるのだろうか……?

35 :
余り人が集まらない儘、南東の時になる。
気温が上昇し、人通りが俄かに多くなり始める頃だが、それでもギャラリーは20人弱に増えた程度。
女共通魔法使いは、長時間の描文動作で、玉の様な汗を滲ませ、肌を淡く染めていた。
彼女は上がった息を整えると、人目も憚らず、上着を脱ぎ捨てた。
勿論、彼女はストリッパーではないので、ゆっくりと肌をちらつかせながら……と言った、
扇情的な脱ぎ方はしない。
そんな事をしたら、直ぐに都市警察を呼ばれて、お縄になってしまう。
色気を出すより、健康的に堂々と、暑くて堪らないと、ばっさり脱ぎ捨てるのだ。
その下は、汗で濡れた、薄いシャツ1枚である。
さて、彼女は何故、その様な行為に出たのか……?
理由は多々ある。
客引き。
それもあるだろう。
薄着で踊る美女が通りにいれば、足を止めて見入る男も出て来る。
いや、単に暑かったから上着を脱いだとも言い切れる。
しかし、何れも本質を突いてはいない。
彼女が服を脱いだ最大の目的は、魔法資質を高める為である。

36 :
既に忘れ去られている感のある設定だが、魔法資質が高まる条件は、個人で区々である。
肉体と精神の状態によって、魔法資質は変動する。
共通魔法使いは、体調が良く、落ち着いた精神状態で、魔法資質が高まる者が殆どだが、
中には極限状態で、能力の限界が引き出される者もいる。
この女共通魔法使いは、後者。
恥じらいを擲つ際の、神経の昂り、感覚の鋭敏化を以って、魔法資質を高めているのだ。
本人は堂々としているが、結局の所は、恥ずかしくて仕方無い。
その恥ずかしさを堪えて、開き直り、彼女は魔法を使う。
それまで披露出来なかった、魔力を大量に消費する大技を。
肌を見られて興奮する――と言うと、ただのだが、雑念を抑えて魔法に集中するのは、
並大抵の事ではない。
しかし、衆人環視の中でしか実力を発揮出来ないのは、娯楽魔法競技者に向いているとは言え、
一流とは言い難い。
この様に、惜しい人材が、多く魔導師になれないでいる。

37 :
魔法資質が高まった証拠に、女共通魔法使いの白金色の髪が、赤の魔法色素で、
くすんだピンク色に変わる。
ここからが彼女の本領発揮。
パワーアップした魔法資質で、次々と大技を繰り出す。
「光の壁」、「火柱」、「光球」、「電流」……何れも魔法資質が高い程、良いパフォーマンスを行える、
資質重視の技である。
女共通魔法使いの魔法資質は、ギャラリーが増える毎に高まり、その魔法も派手になって行く。
肌は桃色に、髪は朱色に染まって行く。
――現在では余り見られなくなったが、肌や髪、服装、全体的に薄い色を女性が好むのは、
魔法色素が綺麗に映えるからである。
それなりに魔法資質が高い者は、髪を脱色したり、日焼け対策をしたりと、白くなる方法を考える。
逆に、魔法資質が低い者は、地が白くても発色しないと惨めなので、濃い色を好む傾向にある。
一方で、魔法資質が極端に高い者は、気を纏う様に発色するので、肌の色を一々気にしたりはしない。
この女共通魔法使いでも、娯楽魔法競技者全体では、それなりのレベルに留まるのだ。

38 :
パフォーマーの活躍で、ギャラリーが何百と集まると、今度は輪の外に押し遣られて、
見事な芸を拝めない者が出て来る。
この溢れた者を目当てに、別のパフォーマーが近くで芸を披露する。
こうして人集りが膨れて行くのである。
その果ては、群衆による街路封鎖、通行妨害。
警戒していた都市警察が、直ぐに飛んで来て、一時の祭りは終わり、大道芸は大成功となる。
そうならなければ、幾ら稼ぎが成功しても、パフォーマンスは失敗と言って良い。
人が人を呼ぶ現象は面白い物で、最初に人集りを作った者が、最大の名誉を得る代わりに、
最大の富は、2番手、3番手に譲る場合が多い。
これは何も悪い事ではなく、最初に人集りを作った者は、最も安全に警察から逃げられるので、
最も確実に儲けられる。
後から輪に参加した者程、人集りの外側にいる事になるので、先に捕まる可能性が高い。
先にパフォーマンスを行っていた者は、人の流れが読めるので、余所が盛り上がり、
自分の所が寂しくなる、中空化現象が起これば、引き際も見極め易い。
中には、最後まで張り合う負けず嫌いもいるが、それでも他の者より捕まり難い事には変わり無い。
パフォーマーには、儲け優先の為に、盛り上がり所の2番手、3番手を計画的に狙う者もいる。
その者達はフォロワーと呼ばれ、技巧に優れ、魔法資質も高い者が多いが、
他人の客を奪う格好になる為、時に場荒らしと蔑まれ、事情通の間では、評価が低い事が多い。
評価の高いフォロワーは、自分に近い実力者や、上位の相手に喧嘩を売り、知名度が低い者の客を、
横から掻っ攫う様な真似はしない。
ただ、地域によっては、パフォーマー同士で縄張りを決めている場合があり、
礼を欠いた余所者には容赦無い事もある。

39 :
「……何見てんの?」
「いや、何も……」
「へー」
「な、何ですか……?」
「嫌ぁね。男って」
「えっ……」
「何、その不満そうな顔は? お前が言うなって?」
「あの……」
「あーあ。アンタ、あんなのが好みなのね」
「あんなって……」
「アタシの方が、もっと人呼べるけど」
「……お願いですから、張り合おう何て思わないで下さい」
「独占欲?」
「揉め事になりそうですから……」
「フフン。アンタが横いなければ、やってたかもね」
「済みません。鈍臭くて」
「ええ、全く」

40 :
外道魔法使いの共通魔法使い
外道魔法使いの中にも、共通魔法を使う者がいる。
外道魔法を捨てた訳ではなく、共通魔法社会で生きるのに、少し共通魔法を利用させて貰っている、
そんな連中だ。
外道魔法の多くは、特定の目的に特化した物で、汎用性では共通魔法に遠く及ばない。
「外道魔法使いの共通魔法使い」の多くは、目の前にある便利な物を、躊躇わず使った結果で、
裏切りだの潜伏だのと言った、深い意味は持っていない。
意固地に共通魔法を拒む外道魔法使いもいるが、それは外道魔法使い全体では少数に留まる。
多くの外道魔法は、呪文を与えられて、共通魔法に組み込まれているので、
余程特殊な魔法でない限り、外道魔法を使っても、素人目には共通魔法との区別が付かない。
普段、人に紛れて共通魔法を使っていれば、外道魔法使いと疑われる事も無い。
共通魔法を使う事によって、外道魔法使いが被る害は、無に等しいのだ。
魔法暦300年を過ぎた辺りから、魔導師会は、外道魔法の取締りを緩めた。
汎用性に於いても、専門性に於いても、共通魔法が外道魔法を完全に上回るまでに発展した事を、
認定したからである。
後は共通魔法の管理と教育さえ怠らなければ、時の流れる儘、人の心の儘に、
外道魔法は自然消滅する見通しであった。

41 :
外道魔法が衰退して行く中で、例外的に、共通魔法の脅威となり続けて来たのが、呪詛魔法である。
人を呪い、貶める魔法は、共通魔法に組み込まれていない。
対象の健康状態を悪化させたり、精神状態を不安定にさせたりする魔法は、共通魔法にも存在するが、
魔法資質によって効果範囲が制限される。
その為、多くの場合、相手と対峙する必要があった。
遠く力の及ばない存在に、どうしても害を与えたい。
或いは、相手に正体を知られる事無く、密かに害を与えたい。
その様な臆病者が、人を呪う為だけに、呪詛魔法に手を出した。
勿論、そんな旨い話は、そうそう無い。
独学の呪詛は、不発に終わる事が多かった。
魔法資質が高い者が、稀に呪詛魔法を成功させたが、心測法によって、直ぐに足が付いた。
魔法資質の低い者は、呪詛魔法を成功させられないかと言うと、そうではなく、例外があった。
呪詛魔法使いによる、捧呪の代行である。
依頼者の命を要求されたりと、代償は大きいが、強い恨みを持つ者は、躊躇わず捧呪を実行した。
呪詛魔法を使用した罪は、社会的正義の側面があった場合、少々の情状酌量は付く物の、
大抵は魔法封印以上、時に死刑相当の厳罰を与えられる。

42 :

偽りを禁じる「真実の魔法」と、「果実の魔法」、そして過去を暴く「心測法」によって、
致命的な嘘を吐く人間は、唯一大陸には存在しない。
吐くとしても、軽い嘘、罪にならない嘘ばかり。
その事を逆手に取り、稀に恐ろしい嘘を吐く大悪人がいるが、確実に裁かれる。
「真実の魔法」は、人の「偽ろう」と言う意識を禁じる。
「果実の魔法」は、人に有言実行を強制する。
何れも意識に関わる魔法であり、一定以上の知能を持つ物にしか効果が無い。
偽る心が無ければ、真実の魔法は効果が無い。
約束を憶えていなければ、果実の魔法は効果が無い。
これ等が抜け穴となり、真実の魔法と、果実の魔法を使われても、結果的に嘘を吐く事は可能である。

43 :
人に焦がれた妖獣の話
ボルガ地方西部にある、ゴノミ山に、人になる事を望んだ鬼熊の伝説がある。
復興期、未だ魔導師会がボルガ地方に訪れる前の事。
ゴノミ山には、主と呼ばれる、巨大な鬼熊がいた。
ゴノミ山の麓には小さな村があり、村人は鬼熊の縄張りに立ち入らない事、
鬼熊は村に降りて来ない事で、双方の平和が保たれていた。
所が、山の主の鬼熊は、人の生活を遠くから眺めている内に、人に憧れる様になった。
しかし、人と仲良くしようにも、人は大きな鬼熊を恐れるばかり。
人が自分を恐れるのは、自分が人に似ていないからと思った鬼熊は、人になる方法を考える。
先ずは人と同じ物を食べて、人と同じ性質になろうとし、草を食べたが、体が受け付けずに吐いた。
鬼熊は群れを作る習性が無いので、魔犬を従える事で、集団生活の真似をしてみたりもしたが、
魔犬には対等と言う物が解らない。
人の細工を真似ようにも、熊の手先は小器用な作業を熟せる様には出来ていない。
無理を重ねた鬼熊は日に日に弱り行き、やがて魔犬にも見放された。

44 :
ゴノミ山の麓の村では、ある日から、山の主の鬼熊を見掛けないと、話題になった。
同時に、奇妙な噂が広まった。
ゴノミ山に登ると、何処からとも無く、人を呼ぶ声がすると。
その怪しい声に応じると、2身もある黒い影の巨人が現れ、連れ去られると言う。
実際に被害者が出た訳ではないので、連れ去られる等、嘘も大概だが、この噂は村人を恐怖させた。
何より体験談が多かった。
ゴノミ山に入った者は、殆ど皆、この怪しい声を聞いていた。
そこで度胸のある村の若い男衆が、10人がゴノミ山に入り、声の正体を確かめる事になった。
山に入って1刻、「おーい、おおーい」と低い男の呼び声が聞こえた。
男衆は、仲間の誰かが呼んでいるかと思ったが、お互いに確認し合って、そうではない事に気付く。
「おーい」呼び声は未だ続いている。
男衆の1人が、「おーい」と応じると、先程と同じ声ではあるが、嬉しそうな調子で、
「おーい」と返事が来た。
今度は声のした方向が、はっきりと解った。
山の斜面の上方、男衆を見下ろす様に立っている、巨人の影。
光の加減ではなく、本当に輪郭だけの、黒い影なのだ。
それが発した「おーい」と言う、一際嬉しそうな声に、男衆は肝を潰した。
男衆は蜘蛛の子を散らす様に逃げ惑い、山を下る。
そうして噂は本当と言う事になった。

45 :
永らく恐れられていたゴノミ山の怪人であったが、その噂に終止符を打ったのは、やはり魔導会。
予断を持たない魔導師が、数人でゴノミ山を調査した所、それらしい影は見当たらなかった。
その代わり、鬼熊が掘ったと見られる風穴と、剥製化した鬼熊の死体を発見。
目撃情報とは多少食い違うが、伝聞に信憑性は期待出来ないとして、それで全てを片付けた。
事実、風穴を塞いだ後、怪物の声を聞いた者も姿も見た者も、ぱったりと出なくなった。
冒頭の話は、鬼熊のミイラが発見された後、その理由を故事付けたと物とされている。
しかし、復興期に有り勝ちな事ではあるが――魔導師会の誰が何をしたと言う、正確な記録は無い。
ただゴノミ山の麓の小さな村……現在のゴノミ村だけに、伝承が残るのみである。

46 :
ボルガ地方西部の小村ゴノミの公民館にて
サティ・クゥワーヴァは、村人から聞いた伝承と、第五魔法都市ボルガの中央図書館で閲覧した、
民話の記録を照らし合わせ、差異の有無を確認をしていた。
ボルガ地方は魔導師会の訪問が遅かった事もあり、妖獣との係わりを基にした逸話が、
1つの小村に必ず1つは遺されている。
それに拠れば、ボルガ地方では人と妖獣との間で、共存共栄が図られていた。
――いや、共存共栄は言い過ぎだろう。
ここでの妖獣との係わりは、大抵が妖獣優位で、人は妖獣に見逃されるか、保護される形で、
平穏な毎日を送っていた。
水蛇の一族は、例外的な存在であり、故にボルガ地方で強い影響力を持っていたと言える。
飽くまで、伝承が事実と言う仮定での話だが……魔導師会が来るまで、ボルガ地方の多くで、
妖獣が信仰されていたのは事実。
知能の高い妖獣は、復興期から数多く存在し、人を支配していた?
多くの者が畜生の戯れ言と聞き流す「妖獣神話」……その真偽について、
真剣に考える必要があるのではないかと、サティは思い始めていた。
しかし、ボルガ地方以外では、自然信仰はあっても、人を支配する妖獣の話は聞けない。
これは何を意味するのだろうか?
そして、もう1つ――……。

47 :
共通魔法使い以外の魔法大戦の英雄達
魔法大戦の英雄と言えば、魔法大戦の六傑や、偉大なる魔導師の八人の高弟と言った、
共通魔法勢力ばかりが有名だが、敵対勢力にも強大な力を持った英雄がいた。
予言者フリックジバントルフ、呪われし者ネサ・マキ・ドク・ジグ・トキド、断罪のエニトリューグ、
神王ジャッジャス・クロトクウォース・アークレスタルト、竜人タールダーク、甦るリリリンカー、
千変万化のラルゲーリ、精霊王チュエルンテュ・アト・アエ・ザン・サルガバナレン、
大魔王アラ・マハイムネアッカ等、『古の賢者達<オールド・ウィザーズ>』……
更に、各々が一国の軍隊に匹敵する配下を従えており、故に魔法大戦は熾烈を極めた。
予言者フリックジバントルフには顕現士、呪われし者ネサには無形無蓋の匣、
断罪のエニトリューグには九人の死神、神王ジャッジャスには神聖十騎士と神王軍、
竜人タールダークには双竜の戦士と竜人軍、甦るリリリンカーには不死不滅の一忠臣と不死軍、
千変万化のラルゲーリには増子増増子、精霊王チュエルンテュには四大精霊子と精霊軍、
大魔王アラ・マハイムネアッカには五天侯と魔神軍、加えて各々が所属する勢力と、
その他の魔法使い勢力があり、それ等が1つの陸に集まった魔法大戦は、
万単位の戦力が激突する、正に混沌の戦争だった。
しかし、現在の禁断の地は、これ等の大勢力が自由に動ける程、広大ではない。
魔法大戦の果てに、禁断の地は大部分消滅したと言われているが、結論は出ていない。

48 :
顕現士
予知魔法使いの大聖、フリックジバントルフの予言を実行する、11人の予知魔法使い。
フリックジバントルフの予知魔法の加護を受け、確実に予言を顕現させる。
実現ではなく、顕現。
他勢力との直接戦闘を避け、各勢力を転々としたが、九人の死神に全滅させられる。
無形無蓋の匣
呪詛魔法を完成させた者が所有する、人の負の感情を詰め込んだ匣。
その名の通り、形を持たない。
無形無蓋の匣とは、物体ではなく、溢れ出す邪念の形容。
長らく各勢力を苦しめたが、大戦六傑滅びのイセンに封印された。
九人の死神
心理魔法使い、断罪のエニトリューグの命令で動く、9人の人鬼。
何の感動も持たない、戮機械。
その正体は、エニトリューグに操られた人間で、意識はある物の、心を操られていた。
倒される度に、倒した者を乗っ取り、永遠に減らない仕組み。
呪われし者ネサに止められるまで、9人より減る事が無かった。

49 :
神聖十騎士
神聖魔法使いの祈りを受ける聖騎士。
元々は1人の強大なホリヨンの側近だったが、彼が崩御した後に分裂する。
ベルリンガー(鳴鐘人)、バグパイパー(笛吹き)、フラグレイザー(旗手)、ランスベアラー(槍持ち)、
シールドベアラー(盾持ち)、キャリッジドライヴァー(御者)、ヴァレット(従者)、ストラテジスト(軍師)、
プレアーリーダー(祈り子長)、ジェネラル(将軍)の10人。
時代によって、一国の王だったり、一地方領主だったり、権力とは無縁の地位に没落した家もあったが、
神王ジャッジャスの登場によって、再び10人が1人の王の下に集った。
しかし、激戦で一人また一人と減って行き、最後に残ったプレアーリーダーも、
ジャッジャスと共に断罪のエニトリューグにされた。
双竜の戦士
巨人魔法使いの英雄、竜人タールダークの両腕として活躍した、2人の戦士。
ケドゥスとスーギャ。
魔法大戦の伝承には、屈強な戦士だったとあるが、魔法使いだったとは記されていない。
九人の死神との戦いでケドゥスが死亡、スーギャも神聖十騎士に敗れる。
不死不滅の一忠臣
生命魔法使い、甦るリリリンカーに忠誠を誓った、1人の人間。
名をティアルマと言う。
リリリンカーの生命魔法により、不老不死の肉体を与えられた。
肉体が消滅しても、本人の意思とは無関係に、完全修復される。
これが消える時は、術者のリリリンカーが死んだ時だが、リリリンカーも不死。
しかし、断罪のエニトリューグに操られ、その間に大戦六傑滅びのイセンにリリリンカーをされて消滅。

50 :
増子増増子(ましこましましこ)
変身魔法使い、千変万化のラルゲーリが持つ、無限に増える黒い液体。
一度容れ物から出すと、体積が倍々計算で増える。
ラルゲーリは黒い水を魔法生命体に変えて、戦わせた。
大戦六傑滅びのイセンによって、増殖を止められる。
四大精霊子
精霊魔法使いの王、精霊王チュエルンテュに従う、火、水、土、風の精霊の子。
火のマッワル、水のリュア、土のディドッツ、風のヨーデの4人。
何れも強大な精霊魔法使い。
大戦六傑灼熱のセキエピ、地を穿つマゴッドと幾度にも亘って激戦を繰り広げたが、
度重なる戦闘で消耗し、最後は五天侯に敗れた。
五天侯
大魔王アラ・マハイムネアッカが使役する、東西南北と中央(真上)の空を統べる、5柱の魔神。
ダシャルクテーン、ロレバテーン、ジェノブテーン、シュメリテーン、フォッコテーンの5柱。
多くの魔神を配下に持つ、魔神の中の魔神。
この世ならざる者共。
他勢力を圧倒、大戦六傑織天ウィルルカをも退けるが、滅びのイセンに敗れる。

51 :
創世神話にも似た、これ等の伝説を鵜呑みにしている者は、現在では少ない。
魔法大戦の伝承でも多くを語られておらず、記述の矛盾も存在し、信憑性に欠けるからである。
それでも長い間、エニトリューグの『呪傀儡の魔法』、リリリンカーの『不老不死不滅の魔法』等の禁呪、
そして、ネサの『無形無蓋の匣』、ラルゲーリの『増子増増子』、神聖十騎士の『神器』等の禁具は、
禁断の地に封じられていると信じられていた。
それ等を求めて、開花期には多くの冒険者が、禁断の地に挑んだ。
これを危険視した魔導師会も、魔法大戦の再来を防ぐ為、禁断の地に向かった。
しかし、凶悪な魔法生命体に阻まれ、誰も何も得られぬ儘、華の開花期は終わり、
禁断の地に挑む冒険者は絶えてしまう。
禁断の地に挑む愚か者が減った事で、魔導師会も禁断の地から去った。
それまで誰も立ち入る事の無かった禁断の地だが、確かに中心部への侵入こそ阻まれた物の、
伝承にある様な想像を絶する驚異を目にした者は無く、禁断の地を巡る一連の動きは、
やはり伝説は伝説と認識される、大きな契機となった。
現在では、禁断の地の中心部に辿り着けなかった原因は、魔力の狂い、地形の複雑さ、道程の険しさ、
棲息する魔法生命体の多様さ、そして、魔導師会の妨害の為と言われている。
それなりの実力と、かなりの財力を持っていれば、禁断の地の攻略は、決して不可能ではなかったとも。
事実として、禁断の地の中央に到達した者はいない為、伝承を全て嘘と断じる事は出来ない。
しかし、禁断の地全域踏破の難易度は、カンガー以上、世界一周未満とされている。

52 :
魔法暦364年 ガンガー山脈を制覇したウェン・ライ・ン・ンに取材した際の記録より
――何故、ガンガー山脈に挑もうと思ったのですか?
「私は自分の目で確かめたかったのです」
――「確かめる」とは、何を?
「様々な噂、伝説……何より、空に最も近い所の風景を」
――「空に最も近い所」、ウェンさんらしい詩的な言い回しですね。
「いや、事実を言っただけですが……」
――ははは。それで、「空に最も近い所」は、どんな所でした?
「恥ずかしい話ですが……実は、よく憶えていないのです。必死でしたから、あの時は」
――それ程、ガンガーは険しかったと?
「ええ。『もう駄目だ』、『ここで死んでしまう』と、何度も思いました」
――こう言っては失礼ですが、よく生きて帰れましたね。
「はい。ずっと夢を見ている様でした……。全部夢だと言われても、納得してしまいそうです」
――そんな寂しい事を仰らないで下さい。
「いいえ。登頂の証に、山頂の氷を持って帰るのが、私には精一杯で……。
 ただ行って帰って来たに過ぎないのです」
――いえいえ、そんな事はありませんよ。正確な記録に残るガンガー制覇、これは偉業です。
「有り難う御座います……」
(以下、詰まらない話が続く)

53 :
ウェン・ライ・ン・ンは、世界各地の高峰を制覇した、登山家の英雄である。
しかし、彼はガンガー山脈制覇について、多くを語りたがらなかった。
ブリンガー地方のソーダ山脈や、ボルガ地方の霊峰を制覇した時は、嬉々として、事細やかに、
時に詩的な表現を交えて、その感動を過ぎる程に伝えたのだが……。
ガンガー制覇以後、ウェンは完全な鬱状態になった。
日を経るに連れ、彼の行動・言動は不安定になり、最期は入山自に限り無く近い形で、
ガンガー山脈で凍死した。
彼が発つ前に遺した最後の言葉は、「もう一度、確かめに行く」であった。
鬱病になった理由について、詳しい事は判っていないが、長らく極限状態に置かれたトラウマと、
高山病の後遺症が原因とされている。

54 :
「こんな事を言っても、誰も信じてくれませんが……私は精霊の声を聞いたんです」
「幻聴では?」
「やはり、あなたも信じてくれない……! 何度も、何度も何度も、私に語り掛けて来たんです!」
「お、落ち着いて下さい」
「あ、ああ、済みません……。幻聴……? ええ、幻聴、そう考えるのが自然ですよね……」
「その精霊とやらに、何か言われたんですか?」
「いいえ、大した事じゃないんです……。ええ、確かに、幻聴に違いありません」
「どうやら、お疲れの御様子。心の整理が付くまで、どこか静かな所で、お休みになられては――」
「はい。そうします」

55 :
ガンガー山脈の最高峰は、標高1区1通1巨、通称オールワン。
極北人の伝承では、そこには精霊の父がいると云う。
しかし、精霊の父とは如何なる存在なのか、詳しくは伝わっていない。

56 :
エグゼラ地方ガンガー北極原にて
ガンガー山脈の北に広がる平原は、分厚い氷に覆われた、草木の一本も生えない死の大地である。
同じ極北人でも、ガンガー山脈の北側と南側の民族は、殆ど接点が無い。
ガンガー山脈南麓の民族は、時代が進むに連れて他民族と混血し、純血種は残っていないが、
ガンガー北極原で暮らす民族は、全くと言って良い程、交雑が進んでいない。
ガンガー山脈の北側は、人が住める所ではないのだ。
深刻な食糧不足の為、ガンガー北極原で暮らす人々は、食物を選ばない。
年に数度現れる大海獣、氷海を漂う極小の甲殻類、氷を深く掘った下にいる泥虫、土中の無機質物、
同族の死肉……。
魔導師が訪れ、魔法作物を栽培する様になって、生活は多少豊かになったが、劇的な変化は無かった。
この民族は、人を襲って食べる訳ではないのだが、史記にあるガンガー山脈南麓の民族と混同され、
その誤解から未だに人肉食と恐れる者もいる。

57 :
サティ・クゥワーヴァが、ガンガー北極原の調査に向かうと言い出した時、ジラ・アルベラ・レバルトは、
彼女の正気を疑った。
サティは極北人の集落で調査を行うばかりでなく、旧暦の遺跡探索と、ガンガー山脈制覇をも、
目的にしていた。
極北の大地は、見渡す限りの氷原で、太陽も沈まず、極北人の案内無しに移動する事は出来ない。
その地理に詳しい極北人でも、余程の事が無い限りは、安全なルート以外を歩かない。
旧暦の遺跡は既に魔導師会が探索を終えた場所で、開花期以降は近寄る者が無く、今となっては、
極北人でも道を知る者はいない。
ガンガー山脈は、登山道こそ確保されている物の、何より山登りが厳しい。
ガンガー山脈の南側は傾斜が急で、途中から断崖絶壁になっており、中腹までしか登れず、
山頂を目指すなら、寒風吹き荒れる北側から登るしかない。
復興期から、ガンガー山脈の頂に挑んだ者は数知れないが、山頂に辿り着いた者は指折り数える程。
1人は大戦六傑のミタルミズである。
ガンガーの北は、如何にサティが十年に一度の才子と呼ばれる存在であっても、
容易に歩き回れる場所ではないのだ。
しかし、サティはジラの制止を聞かなかった。
エグゼラ地方に入ってから、サティは以前にも増して無口になり、超越した態度を取る様になった。
だから――――もしかしたら……彼女なら平気かも知れない。
そんな有り得ない事を、執行者ともあろう者が、考えてしまうのだ。
元からサティは口数の多い方ではなかったし、魔法資質に劣る者を見下す節があった。
サティの事は、ジラの気の所為だったかも知れない。
常識で考えれば、広大なガンガー北極原を1人で移動するのは、無謀。
サティ・クゥワーヴァの監視役である執行者、ジラ・アルベラ・レバルトは、
何としても彼女を止めるべきであった……。

58 :
サティ・クゥワーヴァとジラ・アルベラ・レバルトは、地元民の案内で、7月の中旬に、
ガンガー北極原に入った。
季節は夏だが、ガンガー北の夏は、他の地域とは全く違う。
白夜が有名だが、昼間は氷霧が発生して、只でさえ弱い日差しが、更に弱まり、
真冬と気温の差が殆ど無い。
完全防寒装備で臨むジラとは対照的に、サティは相変わらず服装を変えなかった。
これには極北人の案内人も驚いた。
極北人の集落に着いたサティとジラは、僻地の異文化に触れる。
極北人の集落は、雪原に幾つも並んだ小高い丘。
雪が解けないガンガー北では、極北人は雪と氷の下に『家<イグルー>』を構える。
小高い丘の一つ一つの地下に、住居があるのだ。
極北人は、地下4身も掘って漸く姿を現す、固い土の上に砂利を敷き、その上に毛皮を被せ、
氷の天井と壁を煉瓦で覆う。
天井には通気孔と小窓が幾つか。
毛皮のコートを着て丸々と膨れ、地下壕の様なイグルーに出入りする人々の姿は、
まるで極北に棲む大熊の様だが、内装は整っており、(こう言っては失礼だが)意外に文明的である。

59 :
サティとジラは、旅行者用の空き家を借り、そこを拠点にした。
外は雪風でも、イグルーの中は一定の温度と湿度があり、快適とまでは言えないが、
体を休める事が出来る。
翌日の調査に向けて、早速準備を進めるサティと、何とか思い止まらせようと説得を試みるジラ。
しかし、サティの意志は固く、低い太陽は時の儘に、西へと流れて行った。
夕方になると、極北人の案内人が、2人に夜食を持って来た。
案内人が差し出した、布巾の掛かったバケットを、ジラは笑顔で受け取る。
 「有り難う御座います。
  これは何ですか?」
 「ドロむしです」
北方訛りの語調で、案内人は答えた。
 「泥蒸し……。
  何の泥蒸しですか?」
 「えや、虫です。
  泥虫の丸煮」
泥虫とは土中に潜む無足種(ワーム状生物)の総称であり、特に種類を区別しない。
ミミズもウジも全部泥虫である。
味も臭いも無いが、極北では貴重な蛋白源。
ジラは引き攣った笑みを浮かべて訊ねた。
 「こ……ここの方々は、こう言った物を日常的に食してらっしゃるのですか?」
ブリンガー地方出身のジラは、虫が怖い訳ではないが、虫を食べる事には抵抗があった。
 「いいえ、我等は普通生食です。
  ……あのォ、調理せず、生の方が、宜しかったでしょうか?」
生食の物を調理した事が、無粋だったのかと、案内人は謙って尋ねる。
生きた虫を食わされては堪らないと、ジラは慌てて否定した。
 「いいえ!
  お気遣い、どうも……ははは……」
異文化交流は中々難しい物である。

60 :
案内人が去った後、ジラはサティに相談する。
 「こんな物、頂いたんだけど……どうしよう?」
悪戯気分で、彼女はサティにバスケットの中身を見せたが、サティは動じない。
 「食べれば良いんじゃないでしょうか?」
 「え、食べるの?」
 「――と言うか、他に使用方法があります?
  何処でも虫ぐらい食べるでしょう。
  ブリンガー地方では、バッタや芋虫を揚げて菓子にすると聞きましたが?」
 「何処の田舎の話?
  虫を食わせる所なんて、ブリンガーでは下手物屋くらいの物よ」
開花期までは、何処でも食虫の習慣があった。
所が、魔法作物の登場によって、食料の生産量が増えると、虫を食べる地域は徐々に減って行き、
特にブリンガーとティナーでは、平穏期の中頃には既に、家庭の食卓に並ばなくなった。
現在でも虫を普通に主食副食としている地域は、食糧の自給が心許無いグラマー地方とエグゼラ地方、
虫料理が盛んなカターナ地方、それ以外は、都市との交流が少ないド田舎くらいの物。
ジラの反応は、「ブリンガー市民としては」普通である。

61 :
サティが何の躊躇いも無く、太ったウジ虫を摘まみ、そして口に運ぶのを見て、
ジラは食べてもいないのに、げんなりした表情になる。
丸々と太ったウジ虫、ミミズの様な紐状の虫……赤、青、緑、黄、色形は様々で、統一性が無い。
食用とか食用でないとか、そんな区別はされていないのだ。
 「お、美味しいの?」
 「この類の虫は、そんなに味のする物ではありませんよ。
  気になる泥臭さもありませんし、そこは配慮して下さったのでしょう。
  ――っと、赤いのと小さいのは酸っぱいので気を付けて下さい」
トカゲや砂虫(砂の中に潜む無足種の総称)を食べる習慣がある、グラマー地方民のサティは、
味わった結果を冷静に報告した。
 「いや、誰も食べるとは言ってないけど……。
  それ……例えるなら、どんな味?」
 「一般的には、小エビに似た味――と表現するらしいのですが……グラマー地方では、
  エビを食べる機会が無いので、それで正しいか私には解りません。
  サソリとは違いますし」
ジラは小声で唸りながら、虫の死体を凝視する。
サティは続けて言った。
 「尤も、虫料理を食べられない人の大半は、味以前に、先入観から嫌悪感が先行し、
  過敏になって、口に含んだだけで吐き気を催すと聞きます。
  無理に食べなくても、良いんじゃないでしょうか?」
暫し、沈黙の時が訪れる。
サティは数匹食べた所で手を休め、真面目な声でジラに話し掛けた。
 「ジラさん、お話があります。
  私に付いて来て下さい」
ジラはバスケットに残った虫の山を見て、「サティも虫が余り好きじゃないのかな?」と、
見当外れな事を思った。
そして、大した疑問も抱かず、雪風荒ぶイグルーの外に出たサティの後を、追ったのである。

62 :
ジラが防寒着を装備し終え、イグルーの外に出る頃には、地吹雪は止んでいた。
静かに晴れたガンガー北の夜は、氷海の海獣も凍え死ぬ寒さ。
薄明かりの中、空には蛍光緑のカーテンが掛かっていた。
氷雪の大地は、天空のカーテンを映し、淡い緑に仄光る。
緑に染まった不毛の地、幻想的な風景の中で、サティはイグルーから離れた位置に、
やはり何時もと変わらないローブ姿で、寂しく立っていた。
 「こんな時期でも、オーロラが見えるんだね……」
ジラはサティに歩み寄りながら、空を見上げて、白い息を吐く。
 (――オーロラに、見えますか?)
ジラは不意に聞こえた囁きに驚いた。
少し遅れて、これが共通魔法によるテレパシーだと理解する。
成る程、極北の乾燥した冷たい空気で、喉を痛めずに済む、合理的な方法ではある。
その事に感心して、ジラはサティが言った事の意味までは気にしなかった。
ジラはテレパシーの共通魔法で、サティに尋ねる。
 (話って何?
  って言うか、この寒いのに、わざわざ外に出る必要があったの?)
この時、彼女は何と無く察していた。
話と言うのは、恐らくガンガー北極原の調査に関する事で、ジラが何と答えようと、
サティは調査に行くと言って譲らないに違い無い。
ジラは職務上、これを見過ごす訳には行かない。
断固たる姿勢で臨めば、魔導師会を敵に回す様な真似は、サティには出来ないと、
ジラは高を括っていた。

63 :
サティは徐にベールを取って、黒く長い髪を解き、極北の風に流した。
そして身を屈め、氷の大地に両手を突いて、土下座する様な体勢になる。
 (ジラさん……私は出来る事なら、この姿を人に見せたくありませんでした。
  しかし、こうでもしなければ、あなたは納得しないでしょう)
 (何を大袈裟な……そんな事くらいで、私の考えは変わらないけど?)
てっきりジラは、頭を下げて許しを請うと思っていた。
しかし、そうではなかった。
そうではなかったのだ。
サティは達観した調子で、淡々と意思を伝える。
 (そうですか……。
  確かに、私の監視役なら、既に知っていても不思議ではありません。
  では、篤と御覧下さい。
  ここで私が行う事、あなたが見た事、全て、魔導師会に報告して構いません。
  私は遂に至りました)
 (何の事?
  あなた何言ってるの?)
ここに来て漸くジラは、この事態が尋常でない事に気付いた。
夏のエグゼラ地方では、オーロラは見られない。
氷の大地から、陽炎の様に上り立つ、淡い緑の揺らめきは、地表に舞う細かい雪の粉を、
天空のオーロラが照らし出した物ではない。
雲に覆われて吹雪いていた空が、ほんの2、3点で、雲一つ無い晴天に変わる事は無い。
これ等は全て、サティが――……。
 「止めなさい、サティ!!」
ジラは悪寒に身を震わせ、衝き動かされる様に、大声で命令した。
サティが何をする積もりか、彼女には全く解らなかったが、何もさせてはいけないと思った。
 (ジラさん、私は理解したのです。
  それを今――)
サティの自信に満ちた心が、テレパシーを通じてジラに伝わって来る。
この事態は、本当に尋常ではない。
サティの青白い肌は、まるで死人……ジラは、北方の伝承、雪の精を想起した。
極北の凍える風は、魔導師のローブだけで耐えられる物ではない。
氷雪の中で、身動ぎ一つしないサティは、魔法で体を護っていると言うより、生気の無い体を、
魔法で動かしている様な……そんな印象だった。

64 :
深く考えてはいけない。
ジラは全くの無意識に、サティの異常性に関する考察を止める。
サティは知ってはならない何かを知ってしまったと、それだけを認識して。
 「サティ……お願い、もう止めましょう?
  あなたの目指す先に、あなたを幸せにする物は、何も無いわ」
サティは何も答えず、ジラの問いは、氷の大地に虚しく響く。
何処までも静かな夜に、ジラは己の無力を痛感した。
 (……ジラさん、私はガンガー北の調査を行います)
 「……あなた独りでやると言うのね?」
 (はい)
事は既に、ジラが判断して良い問題ではなくなっていた。
 「解った……。
  好きに……すれば良い」
ジラ・アルベラ・レバルトは、サティの説得を諦めた。
彼女は執行者の職務を放棄したのだ。

65 :
この後、サティ・クゥワーヴァは宣言通り、単独でガンガー北極原の調査に赴く。
ジラ・アルベラ・レバルトは、体調不良を理由に、極北人の集落に残り、サティの帰りを待った。
ジラが魔導師会に、この事を正確に報告したかは、定かでない。

66 :
禁断共通魔法の使用が許可されるまで
禁断共通魔法が、資格を持っている者に限るとは言え、公に使用を許可されるには、
長い期間と手順が必要となる。
新しく開発された禁断共通魔法は、象牙の塔で実験を繰り返し、実用に堪えられる物か試される。
その後、査定官の審査を受け、倫理的に問題が無いか、悪用された場合の危険性は如何程か、
十分に期間を置いて吟味し、許可範囲を決める。
更に、試用期間を置き、全体に導入する前に、実際に問題が発生しないか確認。
そこで問題が無いと確認されて、初めて禁断共通魔法は、大衆の生活に関わる物になる。
魔導師会は基本的に、禁断共通魔法の例外を認めたがらない。
民間に需要が発生して、早期に導入する様に圧力が掛かってからでないと、査定官の動きも鈍い。
時には、態と審査を遅延させ、機運の挫折を図る。
然るに、禁断共通魔法の限定的な解放は、強い要望があって、初めて為される物であり、
万が一に問題が発生した際にも、魔導師会が負う責任は大幅に(完全ではない)減免される。
これは時に利権と絡み、水面下で激しい政治的な駆け引きや取り引きが行われるが、
魔導師会は対立する2つの意見が存在する場合、基本的には独自に決定を下さず、
双方の直接対話を促し、妥協点を探らせる。
自己判断をしない究極の役所仕事だが、政治的判断を極力避けると言う意味では正しい。
魔導師会の目的は、飽くまで魔法秩序の維持と管理なのである。

67 :
「今年の6月に、エグゼラ地方で再生魔法の試用が行われたそうです」
「やっとか」
「条件が厳しすぎましたからね。実際に使わせる気は、無かったのかも知れません」
「エグゼラ魔導師会の手柄だな」
「それが、そうでもなくて……結局、再生魔法の解放は、取り止めになる見込みだそうです」
「そりゃどうして?」
「術者の負担が大き過ぎる事、人手が掛かり過ぎる事、魔力消費が大き過ぎる事、
 この3つが原因と言われていますが――」
「いますが?」
「それは以前から判っていた事ですから、もしかしたら誰か感付いたのかも」
「……だったら仕方無い。あれは危うい」

68 :
「再生魔法の解放中止について、一般の反応は?」
「市民団体からの抗議声明が幾つか」
「具体的には?」
「助かる命を見捨てるな、魔力と人命を引き換えにするのか――と、こんな所です」
「瀕死の者を1人救う魔力と人員で、より多くの者を救えると……そう割り切れる物では無いか」
「救急救命ではなく、身体欠損の修復手段として、解放を期待する声もあります」
「それは倫理的な問題が未解決と」
「市民間で意見が統一出来ていない事から、今の段階では、その言い訳で何とか凌げていますが、
 将来完全な合意の下で解放要求が提出された場合は、どうなさるのですか?」
「……私が決める事では無いにしても、見解の表明は必要になるだろうな」
「はい」
「歴代は時の趨勢に任せると言っていたが、今思えば中々無責任な発言だ。
 未だ先の事だと良いが――どうだろうな」
「カーラン・シューラドッドの存在があります。B級禁断共通魔法の開発状況は加速するでしょう。
 知ろうと思えば誰でも知れる状況になるのは、そう遠くないと思っています。
 今代、私の代では無いにしても……」
「魔法大戦の傷は未だ癒えぬ。魔法を大衆の手に委ねるには早過ぎる。
 人々には今少し夢を見ていて貰わねば」
「何も知らせぬ儘、時を迎えさせるのですか?」
「それが最良。魔法は費え、全ては幻であったと」
「魔導師会創設当初の意志とは違いますが……」
「時代は変わったのだ」

69 :
>>67
今年の6月じゃなくて5月でした

70 :
魔法暦496年 禁断の地にて
バーティフューラーの誘惑を退けたラビゾーは、流石はアラ・マハラータの弟子と、
禁断の地の住民から、一目置かれる様になっていた。
しかし、それをラビゾーは買い被りだと思っており、自己評価との落差から、
彼は尊敬の眼差しで見られる事に、心地悪さを感じていた。
そんな、ある日の事。

71 :
ラビゾーはアラ・マハラータ・マハマハリトに連れられ、禁断の地の森に出掛けた。
凶悪な魔法生物が徘徊する森の中、マハマハリトは村から離れ、森の深く深くへと立ち入る。
一体どこまで行くのか、ラビゾーが不安になり始めた時、マハマハリトは急に立ち止まった。
 「あれを見よ、ラヴィゾール」
師が指した先には、大きな霊獣の鹿……いや、牛?
とにかく立派な角を持った、巨大な有蹄の動物が立っている。
1頭で、孤独に。
 「あれが、どうかしたんですか?」
何が出ても不思議ではない禁断の地の森では、比較的常識的な形状の生物であるが故に、
標準より大き目の動物を見た位では、ラビゾーは然して驚かなかったが、この後の師の答えに、
我が耳を疑う。
 「あれはゴーパーさん家の山羊でな」
ゴーパー家は、禁断の地の村で代々牧場を経営している一家である。
外部との交流が殆ど無い禁断の地では、牧場経営者は比較的高い地位にある。
同様に村で牧場を経営している家は他にもあり、ゴーパー家は何も特別な家柄では無かった。
 「あれが山羊!? ゴーパーさん、あんなの飼ってたんですか!?」
牛より一回り所か、二回りも大きな怪物山羊の存在と、一見普通の牧場主であるゴーパー家が、
誰にも知られず怪物山羊を飼っていた事の衝撃。
 「声が高いぞ、ラヴィゾール。
  ……あぁ、気付かれたわい」
気の抜けた師の声から、ラビゾーは山羊が逃げ出したのかと思った。
しかし、己の目で確認した事実は、予想とは全く違った。
体高1身半もある山羊……最早、山羊と言って良いのか判らない、その大型動物は、
ラビゾーとマハマハリトを睨み付け、鼻息荒く蹄で土を蹴って威嚇している。

72 :
こんな物が突進して来たら、一溜まりも無い。
ラビゾーは何時でも逃げ出せる様に身構えたが、彼の師であるマハマハリトは、泰然自若としていた。
 「ホッホッ……恐れるでない、ラヴィゾール。
  弱気を見せれば付け込まれる」
流石は我が師であると感心するラビゾーだったが、自身の不安は抑え切れない。
挙動不審になる小心の弟子に構わず、マハマハリトは言う。
 「少し儂の話を聞け。
  哀れな子山羊の話よ」
 「何と無く長い話になりそうな気がしますけど――」
今は悠長に話をしている場合なのかと、問い質そうとしたラビゾーだったが、
マハマハリトは無視して語り始める。
 「あの山羊は放し飼いにしてあるのでは無い。
  捨てられた訳でも無い。
  自ら牧場の柵を越えたのだ」  
 「……確かに、見るからに暴れん坊って感じです」
 「元々は、周りの山羊より少し体が大きいだけの奴だった。
  だが、それが災いしてか、好戦的に育って、何事も力尽くで通す癖が付いてしまってのォ……」
マハマハリトは溜め息を吐く。
ラビゾーの目付きが鋭くなった。
 「詰まり、八分られた訳ですね。
  それで戻るに戻れないでいると」
 「う、うむ……お前さんは時々妙に勘が良くなるの」
集団において、攻撃性の高い個体の役割は、外敵を撃退する事である。
しかし、その攻撃性は、外敵が存在しなくなると、内へ向かう場合が多い。
結果、仲間から疎まれ、八分にされるのだ。
そうして、この山羊は群れに居辛くなり、自ら牧場の外へと飛び出した。
それから森の中で魔法生命体と戦う内に、こんなにも逞しくなってしまった。
――だが、山羊は群れる生き物。
どんなに強くても、1匹では寂しいのだ……。
だから今でも、村から近過ぎず遠過ぎない距離を彷徨いている。

73 :
大凡の事情を察して、怪物山羊を同情の目で見詰めるラビゾー。
彼の反応を確かめたマハマハリトは、満足気に頷いた。
 「ラヴィゾール、課題を与えよう。
  この山羊を手懐け、村に連れ帰るのだ」
 「えっ!?」
 「これも魔法を極める試練。
  何、今日一日でとは言わん。
  好きなだけ時間を掛けるが良い」
そう言うと、マハマハリトは平然と怪物山羊に背を向けて、来た道を引き返し始める。
ラビゾーは師の後を追おう思ったが、怪物山羊から目を離す事が出来なかった。
隙を見せれば、この怪物山羊は間違い無く、襲い掛かって来る。
ラビゾーは先に帰った師を、狡いと恨んだ。
立ち竦むラビゾーの背に、遠くから師の声が掛けられる。
 「ラヴィゾール!!
  この課題を達成するまで、日の明るい内に村に入る事は許さん!」
 「そ、そんな……」
ラビゾーの気弱な呟きは、誰の耳にも入らなかった。

74 :
マハマハリトがラビゾーに怪物山羊の連れ帰りを命じて、早十日。
事情を知っている村人は、ラビゾーの為に弁当を用意したり、使い古しの探索装備を下ろしたりと、
何かと彼に協力的だったが、未だ目的は達成されていなかった。
その間、ラビゾーは律儀に日が昇り切らない内に森に出掛け、夕方暗くなり始めるまで、
村に帰ろうとしなかった。
そうする事が、村人の厚意に対する誠意と思っていたからである。
この十日間、一応進展らしい物はあった。
ラビゾーは数日で怪物山羊の行動範囲の把握に成功し、一日中森を歩き回れば、
取り敢えず怪物山羊に遭遇出来る様になった。
しかし、そこからの進展が殆ど無かった。

75 :
ラビゾーは何度も怪物山羊に挑み、その回数だけ退けられた。
怪物山羊は見た目、普通の山羊と違うので、それなりの知能の高さを期待したラビゾーは、
初めは平和的解決を目指し、共通魔法での対話を試みたが、魔力制御が上手く行かず、
徒労に終わった。
魔法で駄目なら、生理的な欲求を利用しようと、餌付けも試みたが、これも失敗。
ラビゾーが何をしても、怪物山羊は頭突きで応じた。
ただ連れ帰るだけなら、様々な方法があるだろう。
しかし、師マハマハリトの言い付けには、「山羊を手懐けよ」ともあった。
実際、マハマハリトがラビゾーに教えたかった事は、手の抜き方である。
舌先三寸で無理難題を躱し、相手を遣り込める、狡猾さ、小賢しさ。
そう言った物を、身に付けさせようとしたのだが……ラビゾーは不器用過ぎた。
ラビゾーは中々思う通りに事が運ばない為、己の不出来を恥じ、師と顔を合わせる事すら、
避ける様になっていた。

76 :
半月が過ぎた頃、ラビゾーは怪物山羊の行動について、ある事実に気付いた。
最近、遭遇頻度が増している。
まるでラビゾーの行く先を知っているかの様に、待ち構えている事が多い。
餌を持って来ると思って、狙われているのかも知れない。
これは問題だと、ラビゾーは頭を抱えた。
所詮、相手は畜生なのだ。
奪える奴から奪う物を奪った、それだけの事に、恩義を感じる事は無い。
 (弱ったな……)
有無を言わせず課せられた難題とは言え、自分で一度やると決めた事で、
「出来ません」と音を上げるのは、彼にとっては大きな屈辱だった。
しかし、力尽くで従わせようにも、怪物山羊とは生物として根本的な所で、差があり過ぎる。
 (――根本的?)
ふとラビゾーは疑問に思った。
一体どうして、この山羊は化け物染みた変化を遂げたのだろうか?
全身を覆う真っ黒な長毛は、よく見れば山羊の物に見えなくも無いが、異常に伸びて前に突き出した角、
凶悪な貌付き、何より牛馬をも上回る巨体は、山羊本来の物とは懸け離れている。
突然変異にしては、余りに異常過ぎる。
元から山羊ではなかったのか、それとも――これが禁断の地と云う場所なのか……。
 (今考えても、詮無い事だが)
そんな事より、何とか怪物山羊を連れ帰る方法を見つけなくてはならない。
諦めるか、続けるか、ラビゾーの心は揺れ始めていた。

77 :
それから何の進展も無い儘、二十日が過ぎた。
ラビゾーは山羊を手懐ける所か、警戒心を緩める事すら出来ていなかった。
彼は自分でも、毎日毎日何をしに出掛けるのか、意味を見失っていた。
焦燥から心苦しさばかりが募る。
そんな時、ラビゾーは村の外れで、バーティフューラーと出会った。
 「あら、ラヴィゾール。
  アンタ、面白い事してるってね」
 「何も面白くなんか無いですよ」
彼女の軽口に、不機嫌になるラビゾー。
その反応に、バーティフューラーは意地の悪い笑みを浮かべる。
 「知ってるわよ、逃げ出した山羊を捕まえに行くんでしょう?
  ねぇ、付いて行っても良い?」
 「危ないですよ……」
禁断の地の森には、魔法生命体が徘徊している。
 「じゃ、アンタが守ってよ」
 「本当に危ないですって」
ラビゾーは逃げ足には自信があるが、人を庇う余裕は無い。
それに理由は解らないが、彼は危険な場所に女性を連れて行く事に、強烈な抵抗を感じていた。
 「平気よ。
  森の中を歩くのには、慣れてるからさ」
しかし、バーティフューラーは聞く耳を持たない。
 「でも……」
 「男なんだから、少しは頼り甲斐のある所を見せなさいよ」
彼女は気の弱いラビゾーを罵り、強引に頷かせた。
……そして、ラビゾーは何時も通り怪物山羊と、何時も通りに撃退された。

78 :
怪物山羊の頭突きで弾き飛ばされ、地面に転がったラビゾーに、バーティフューラーは言う。
 「アンタ、何がしたいの?」
 「僕にも解りません……一体、どうすれば良いのか……」
 「毎日こんな事やってるの?」
 「……そうですね」
 「馬鹿じゃないの?」
ラビゾーは何も言い返せなかった。
ここ数日間、彼は明らかに迷走していた。
それでも何もしない訳には行かず、無意味に当たっては砕けていた。
バーティフューラーは溜め息を吐く。
 「アタシの魔法を使えば連れて帰るのも簡単だけど?」
 「……駄目ですよ。
  僕の課題なんですから」
 「結果は同じなんだから、誰がやっても良いじゃない」
禁断の地の住民とは、押し並べて、この様な物なのだ。
この時、ラビゾーは感付いた。
この試練は目的さえ果たせれば、何をしても良い、人の手を借りても良いと。
 「同じ……じゃないですよ。
  この儘で帰ったら、こいつ、どうなるんですか?」
 「さぁ?
  後の事は、どうでも良いじゃない」
 「それだと同じ事の繰り返しですよ。
  こいつは、また牧場を飛び出してしまう」
 「それは牧場主の責任でしょ?」
 「あぁ……」
一瞬、ラビゾーは納得しそうになった。
人を安易な方へ誘惑するバーティフューラーは、旧暦の伝説にある悪魔の様。
いや、ここでは安易な方法を選んで良いのだ。
怠惰であるとか、堕落するとか、そんな小言を吐く者はいない。
しかし、天邪鬼なラビゾーは、流れに逆らいたくなる。
師の用意した答えに従うのではなく、自分は自分だと示したくて。
 「それでも、僕は自力でやり遂げたいんです」
  
 「アンタは本当に、変わってるわねェ……」
バーティフューラーは心底呆れ返った。

79 :
……1月が過ぎた。
ラビゾーが格好付けた割に、進展は何も無かった。
余りの滞り具合に、村民はラビゾーの行動を気に留めなくなり、次第に興味を失って行った。
しかし、以前とは違い、ラビゾーは焦らなくなっていた。
自分の進むべき道を知った事で、怪物山羊の行動を冷静に観察して、反応の変化を待つ、
精神的な余裕を持てる様になっていた。
そして迎えた1月と1日目、ラビゾーは恐るべき物を目にする。
天気は小雨。
こんな時に限って、何故か遭遇地点に怪物山羊がおらず、ラビゾーは怪物山羊を探して、
泥濘んだ地面に足を取られながら、薄暗い禁断の地の森深くに進入した。
1針もしない内に、彼は新しい獣道を発見した。
その先には……重傷を負い、息も絶え絶えに寝そべっている怪物山羊がいた。
立派な両角は憐れにも根元から折れ、雨に濡れた長毛からは、脈打つ様に赤い水が滲み出ている。
 (これは死ぬな)
医学的な知識の浅いラビゾーでも、一目で判る位、絶望的な状態だった。
ここで死なれては、試練は失敗扱いになるかも知れない。
怪物山羊の死体を持って帰り、師の前で「大人しくなったでしょう」と頓知を披露する考えも浮かんだが、
実行する気は起きなかった。
何とか治療出来ない物かと、ラビゾーは怪物山羊に近寄ろうとしたが、怪物山羊はラビゾーを警戒して、
起き上がろうとする。
下手にラビゾーが動くと、失血死を誘い兼ねない。
 (僕は敵じゃないってのに……!)
ラビゾーは歯痒い思いで、怪物山羊を睨んだ。

80 :
……死に行く物を睨んでばかりいても始まらない。
ラビゾーは怪物山羊の敵意を取り除く為に、共通魔法の「動物と話す魔法」を使おうとした。
もう何度も何度も試した方法である。
今回ばかりは、意思の疎通は出来なくても、自分に敵意が無い事を解って欲しかった。
 「E1E1A5、E1E1A5・EG4K3F4――」
ラビゾーは魔力の流れが読めない。
魔力を制御出来ているか認識出来ないので、完全に詠唱を終えるまで、魔法が成功するか、……
失敗するかも判らない。
只でさえ、禁断の地では共通魔法が失敗し易いのに。
 (生きろ、生きろ、生きろ)
それでもラビゾーは必死に、心の中で念じながら、呪文を唱えた。

81 :
――彼の想いが届いたのか、それとも力尽きてしまったのか、怪物山羊は緩やかに動きを止めた。
死んでしまったのかと、ラビゾーが蒼褪めた時……怪物山羊に異変が起こった。
ラビゾーの目の前で、怪物山羊は音も無く見る見る凋み、空気が抜けた紙風船の様に、
外皮だけになって、ぺしゃんこになってしまったのだ。
ラビゾーは我が目を疑い、言葉を失った。
誰かの悪戯か、物の怪に化かされたのか、未知の自然現象か、彼は大いに戸惑い、混乱した。
 (……僕の所為じゃない……よな?)
共通魔法が何らかの悪影響を及ぼした可能性もある。
とにかく、どうなってしまったのか確認しようと、ラビゾーが怪物山羊の残骸に近寄ると……。
 「メェー!」
高い鳴き声がして、真っ黒な子山羊が、毛皮の下から這い出て来た。
体長半身弱、至って普通の子山羊である。
 (なななな、何だ!?)
子山羊はラビゾーに纏わり付き、彼の体を嗅ぎ回り始める。
 「何が一体どうなって…………って、痛!」
呆けていたラビゾーは、脛に子山羊の頭突きを受けた。
 「こ、こいつ……」
瘤の様な角が当たった場所が、じわじわ痛む。
しかし、この子山羊からは、怪物山羊の様な悪意や敵意は感じられなかった。
これを1匹で森の中に置いて帰るのは、危険だと判断したラビゾーは、理由を考える事を止めて、
雨の中、子山羊を抱えて村に戻った。
子山羊は意外と大人しかったが、その重量と温もりは、決して幻では無かった。

82 :
黒い子山羊を連れ帰ったラビゾーは、師マハマハリトを頼った。
そして全ての事実を、洗い浚い有りの儘に話し、何が起こったのか、説明を求めた。
 「まさか、師匠の仕業じゃないですよね……?」
 「お前さんが何を言っとるのか、儂には全く解らん。
  だが、お前さんの言う事に偽り無ければ、課題は熟した事になるの」
しかし、マハマハリトは考える素振りも、悩む素振りも見せず、真剣に取り合おうとはしなかった。
そればかりか、事実の追求もせず、課題の合格を認める発言をした。
 「え……いや、嘘は吐いてませんけど……それで良いんですか?」
 「何じゃ?
  他の課題が欲しいんか?」
少なくともラビゾーの目には、そう映った。
 「い、いいえ……。
  ……あの、この子山羊、どうしましょう?」
 「ゴーパーさん家に持って行けば良かろう」
こうしてラビゾーは、自分でも訳が解らない儘、師に課された難題をクリアした事になった。

83 :
誰も予想しなかった結果に、村中の者は驚き、流石はアラ・マハラータの弟子と、ラビゾーを称えた。
しかし、当の本人にとっては不満の残る終わり方であり、やはり過大評価であると、
暫くは悶々とした日々を過ごす破目になった。

84 :
「ラビゾー、森の暴れ怪物山羊を仕留めたってな」
「仕留めてなんかいませんよ」
「怪物山羊を子山羊に変えて、持ち帰ったんだ。大して変わらないだろう」
「……その言い方だと、まるで僕が怪物山羊を、子山羊に変えたみたいじゃないですか」
「違うのか?」
「あの日、怪物山羊は大怪我して死にそうな状態で……、死んだと思ったら見る見る凋んで……、
 毛皮の絨毯みたいになって……、その下から子山羊が現れて……。
 僕は子山羊を、森の中から連れて帰っただけなんです」
「悪い、何言ってるか全然解らない」
「とにかく、僕は何もしてないんですよ」
「それは変だ。誰も何もしないのに、独りでに姿が変わった何て」
「その変えた変わったって言うのも、正しいか判りません。何れにせよ、僕は無関係です……多分」
「それじゃ何かい? 怪物山羊は自分で、子山羊に姿を変えたって?」
「……そうかも知れません」
「不思議な言い方をする。マハマハリトさんみたいだ」
「違いますよ。あの人は解って惚けているんです。僕は本当に何も知らない」

85 :
「ラヴィゾール、話は聞いたわ。アンタ、一体何をしたの?」
「何の話です?」
「あの暴れ山羊の事よ」
「……知りませんよ。僕が聞きたい位です」
「あらら、惚ける気?」
「違います。本当に知らないんですよ」
「はいはい。アンタの魔法に関係する事なら、深くは聞かないわ」
「いや、本当に知らないんですって」

86 :
「この子は、あんたに相当懐いとるな」
「懐かれる様な覚えは無いんですが……こいつ、何か変わった所ありませんでしたか?」
「いいや、普通の山羊だね。毛色以外、あれとは似ても似付かない」
「……こいつ本当に何なんでしょう?」
「あんたが解らん事、私等に解る訳も無い。確かな事は、あんたが森から山羊を連れ帰って、
 私の牧場に山羊が1匹増えた事。そして、それは良い事さ」
「はい……そうですね」

87 :
拝啓 プラネッタ・フィーア様
今年も残す所、数日となりました。
グラマーでは寒さが厳しくなる頃と存じます。
私は現在、カターナ地方のガラス市に滞在しています。
カターナ地方での調査は、今回で一通り終了しました。
振り返れば今年一年、大きな障害となる様な事は、ありませんでした。
これもプラネッタ先生を始め、多くの方々の、お心添え、御心配あっての事と感謝しております。
終末週を迎える前には、グラマーへの帰途に就く予定です。
グラマーに着き次第、先生に直接お会いし、改めて調査報告と、御礼の御挨拶をさせて頂きます。
敬具
11月20日 サティ・クゥワーヴァ

88 :
カターナ地方は、全体的に魔導師の数が少ない。
共通魔法を使う者も、他の都市と比較して少ないが、魔導師になる者の比率となると、
更に極端に落ち込む。
しかし、娯楽魔法競技の人気は非常に高い。
娯楽魔法競技人口も多く、概して優秀であり、高い魔法資質を持つ人材が豊富である。
それにも拘らず、カターナ地方に魔導師が少ない理由は、魔法資質が高いが故に、
労せず魔法を使える事で、原理を学ぶ意欲が低いからとされている。
……魔法に限らず、快活なカターナ市民は、成果が見え難い精神労働を嫌う傾向があるので、
その事とも関係があると言われている。

89 :
カターナ地方の小都市ガラスにて
この日、この街で、娯楽魔法競技フラワリングの公開演習が行われようとしていた。
一口に『公開演習<エクシビション>』と言っても色々あるが、今回ガラス市で開催される物は、
著名な競技者を呼び寄せ、フラワリングが一体どの様な競技なのか、実演して見せる物である。
普通、この様な形式の物は、最も実力がある者を主任にし、その前に中堅所を、
更に前に無名だが実力のある新人を充てる。
今回のプログラムは、南南東の時から2針毎に1人が実演する形式で、南の時に半角の小休止を挟み、
南南西の時から再び2針毎に1人が実演、南西の時に終了する。
東方の3人は新人2人と中堅1人、西方の3人は新人、中堅、大物が各1人。
計6人の演者がフラワリング技術を披露する。
新人、中堅、大物の公演料は、(総額では)殆ど変わらない。

90 :
新人は先輩の胸を借りる形になり、食い潰す積もりで掛かるが、中堅の場合は事情が複雑になる。
新人に食われない様にするのは当然だが、興行としての公開演習を成功させるなら、
大物を食わない配慮が要る。
新人が場を白けさせてしまった時には、『火付け』の役割を、逆に上手く盛り上げた時には、
その勢いを落とさない『火守り』の役割を熟さなければならない。
この事から、大物の前に出る中堅は、『営火長<ファイア・チーフ>』と呼ばれ、主任以上に、
興行の成否に係わる、重要人物となる。
勿論、主催や主任の顔を立てると云う事に、関心を持たない者もいる。
そもそも実力至上主義の娯楽魔法競技では、大物に配慮する必要は殆ど無い。
しかし、常識的に言えば、自分より上位の存在を追い落とす舞台は、公開演習ではなく、
各地から実力者が集う、公式大会の場であるべき。
公開演習は全体で1つの見世物であり、誰が1番かを決める物ではないのだ。

91 :
さて、今回の公開演習、主任は娯楽魔法競技の英雄、今六傑の1人、ライトネス・サガード。
第四魔法都市ティナー出身の魔導師である。
得意競技はフラワリングで、華やかさに懸けては、絶対の自信を持っている。
今六傑が主任であれば、盛り上げ役の中堅も、主任に見劣りしない様に、
最高の技を披露しなくてはならない。
所が、思わぬアクシデントが発生した。
公演前になって、営火長が倒れたのである。
しかも、代役を熟せる人物が、面子の中にはいない。
……と言って、プログラムに穴を開ける訳にも行かない。
主催も含め、一同は大いに慌てた。

92 :
重要なのは営火長ばかりではない。
新人や中堅が幾ら失敗しても、最後を飾る主任が、立派に役目を果たせば、成功とは言えなくとも、
興行の体は保てる。
故に、主任は絶対に失敗を許されない。
その点で、今回の主任ライトネスは、非常に頼もしい存在であった。
ライトネスは、周囲の狼狽振りとは対照的に、落ち着いていた。
飛び入りで素人が来ても、ライトネスは絶対に自分のパフォーマンスを成功させる。
本人を含めて誰もが、そう信じて疑っていなかった。
問題は、欠員を誰が埋めるか、誰が営火長の代わりを務めるかだった。
フラワリングは華やかな印象に反して、相当体力を使う物であり、1人が2人分を熟す事は難しい。
舞台準備の手伝いに、公演に参加しない新人が、数人付いて来ているが、
主任が今六傑の1人とあって、舞台に立つ者は、新人であっても高いレベルを要求される。
当のライトネスは気にしていないが、見栄えを考えると、それなりの実力者である事が望ましい。
営火長の代わりは、自動的に、もう1人の中堅競技者が務める事になるが、
この人物は実力はあっても、営火長の経験が無く、中堅競技者の中でも、
比較的新人に近い立場だった。
故に、今六傑の舞台で営火長を務める等、畏れ多いと、主任前を固辞したのである。
フラワリングに於いて、主任前と営火長は、同義語として使われる事が多いが、
主任前は主任の前にパフォーマンスをする人物の事で、調整役の意味は無い。
それが営火長になると、責任は一気に重大になる。
しかし、この者が不足なのは事実だが、他の誰が務めても不足には変わり無い。
誰かがやらねばならぬのだ。

93 :
誰もが主任前を避けるのは、何も責任の重さばかりが理由ではない。
先も説明した様に、公開演習は全体で1つの見世物である。
各々の役割、一連の流れは、固定されている。
披露する技の一つ一つが、公演前に決まっているのだ。
技と技の間に小技を挟んだり、技に我流のアレンジを加えたり等、少しのアドリブは許されるが、
技その物を変えたり、構成を組み替えたり等、全体の流れに影響する様な変更は出来ない。
今回の場合は、それが最も大きな問題と言える。
プログラムを変える時間は無いし、練習する時間も数刻しか無い。
今六傑の1人を呼んでおきながら、今回の公開演習は、興行としては開演前から、
失敗したも同然だった。

94 :
しかし、新人の1人が、奇跡的に助っ人を連れて来て、公開演習は無事に終了した。
サラサ・スティーヴァと言う名の、若い共通魔法使いは、主任前と言う大役を、
可も無く不可も無く遣り遂げ、興行成功の一因となった。
公開演習の主催は、後日彼女に十分な礼をしようと、共通魔法競技者のリストを調べたが、
そんな人物は存在しなかった。

95 :
冬のカターナ地方は、暖かく、過ごし易い。
2年目の現地民俗調査を終えたサティ・クゥワーヴァは、日程の調整も兼ねて、
ガラス市で羽を伸ばしていた。
彼女が報告書の纏め作業の気分転換に、街を歩いていると、見知らぬ女性が声を掛けて来る。
 「あ、サティ!」
サティは、その声には聞き覚えがあったが、一体誰なのか思い出す事が出来なかった。
肌の露出が多い、派手な服装をしている女性は、サティと同い年か、それに近い程度の若さ。
ローブ姿のグラマー市民を見分けられる事から、非常に優れた魔法資質か、
観察眼の持ち主である事が窺える。
しかし、心当たりは全く無かった。
不信の目で見るサティに、その女性は言う。
 「私の事、忘れたの?
  薄情だなー。
  公学校でも魔法学校でも、一緒だったじゃない」
 「まさか、ラッチ?」
 「思い出したか、スー・クゥワーヴァ」
 「忘れた訳じゃないけどさ、デン・ディーナン……」
学生時代の友人の変貌振りに、サティは閉口した。
グラマー市民は普通、肌の露出を嫌う。
サティの知る限り、ライチ・ディーナンと言う人物は、標準なグラマー市民から、
大きく外れた所のある者では無かった。
グラマー市民のサティには、大腿や腹、肩を出している同性の姿は、見るに堪えない物。
情け無いと思うよりも、ショックだった。
同郷の者が有られもない格好をしている事は、到底受け容れ難かった。

96 :
動揺を隠せないサティに、ライチは困り顔で問う。
 「……やっぱり、サティから見ると、変かな?」
彼女は自分の服装を確認して、恥ずかしそうに俯いた。
 「私ね、魔法学校の中級をクリアした後、フラワリングの『競技者<プレイヤー>』になったんだ。
  勿論、公式の競技者ね。
  その関係で、こんな格好してる訳だけど……」
グラマー市民は観察眼が優れており、ローブを着込んで顔を隠した、女性を判別出来る。
友人を他人と間違える程度なら、恥の一字で済むが、妻や血の繋がった者を間違えては、
個人の信用に係わる。
ティナーの古いジョーク集には、「グラマーでは浮気するとされるが、浮気が発覚する事は無い」と、
グラマー市民を揶揄した物があるが、それを真に受けて浮気すると、本当にされる。
姿絵であっても、細部まで精巧に描かれた物なら、夫は妻を容易に見分ける。
しかし、グラマー市民同士では個人を見分けられても、外部の者は見分けられない。
それは娯楽魔法競技者にとって、大きなハンデになってしまう。
その辺りの事情はサティも知っているので、ライチの思いも理解出来ないでは無いが……。
サティはコメントに困った。
似合わない訳では無いので、余計に。
 「な、何か言ってよ……」
自戒的なグラマー市民は、体型が隠れていても、崩れを気に懸けない事は無い。
寧ろ、自分の体は平時は使用を許されない、必の武器と考えている。
だからこそ、軽々に人目に晒す者は、侮られるのだ。

97 :
それもグラマー地方での話。
ここはカターナ地方。
グラマー地方の慣習を持ち出して、ライチを責める事は出来ない。
都市同士の交流が進んだ現在では、ライチの方が進歩的である。
全ての事情を勘案して、サティの出した結論は――、
 「別に変じゃないよ。
  こんな所で会うとは思わなかったから、吃驚して……。
  私は魔導師になって、古代魔法研究所に入ったの。
  今日は調査で来てるんだけど、ラッチは?」
適当に感想を言って、早々に別の話題に切り替える事であった。
 「私は公開演習でね」
 「へー、舞台に立つんだ」
フラワリング界隈の事情に疎いサティには、どの程度の実力と実績があれば舞台に上がれるのか、
現在のライチの評価も知らなかったが、取り敢えず言ってみた。
 「違うよ、今回は只の手伝い。
  今日の公演は、今六傑のライトネスさんが主任だから、私なんか出られる訳無いって」
自虐的に笑うライチ。
その様子から、彼女は未だ新人である事が窺える。
しかし、サティは舞台に上がれない旧友に同情するより、今六傑の名が出た事に驚いた。

98 :
それ程、今六傑とは社会的に影響力を持っている存在なのだ。
大戦六傑の名を言えない者でも、今六傑の名は言える事が多い。
 「今六傑が、こんな地方都市に?」
 「そうそう。
  だから主催にしてみれば、絶対に成功させたい所だったんだろうけどね……。
  今朝、主任前の人が倒れてさ、代わりがいないって今大慌て」
ライチは大きな溜め息を吐いた。
 「大事だね……ラッチ、こんな所で油売ってて良いの?」
 「良いの、良いの。
  私に出来る事なんて何も無いし」
欠員が出ても、彼女は舞台に立てないと言う訳だ。
下っ端故の気楽さである。
 「サティもフラワリング競技者だったら、今日の主任前の代わりが出来たかもねー」
 「買い被り過ぎだって」
 「でも、サティは学生の頃、フラワリングで出来ない技が無かったじゃない?
  上級専門書に載ってた奴も、全部実演してくれたし」
サティはライチの「フラワリングで」との前置きに、少し向きになった。
 「フラワリグだけじゃないけど」
学生時代の話だが、十年に一度の才子である彼女にとっては、呪文も動作も指定されているのに、
それが出来ない事の方が不思議だった。
しかし、聞こえていなかったのか、態と無視したのか、ライチは反応せず話を続ける。
 「主任前の人、難易度が高い技でプログラム組んでて、その通りに演れる人がいないんだよね。
  ライトネスさんの前で、余り下手な真似も出来ないしさ」
繰り返す程、重要な事でも無かったので、サティも言わなかった事にした。
学生時代の思い上がり……今は昔の話である。

99 :
それより、ライチの話を聞く限りは、事態は手詰まりの様に感じられ、サティは訊ねる。
 「……それで、どうするの?」
 「んー、プログラムを変更するんじゃないかな?
  禁じ手だけど、そうするしか無いし……。
  お客さんとしては、不満だろうけど」
 「仕方無いよね」
相槌を打って、理解を示そうとしたサティに、ライチは非常識な事を言う。
 「……サティ、本気で今日の主任前を演る気無い?」
 「え、何言ってるの?」
 「いや、サティなら本当に出来そうだなーって思ったから」
 「……私は、誰かの代わりにはなれないよ」
 「良いよ、プログラムに支障が無ければ。
  腕は落ちてないんでしょ?」
 「当然。
  あの頃よりは上がっている」
自分の実力に関して、サティは嘘が吐けない性格である。
誇張しないが、卑下もしない。
旧友だけあって、ライチはサティの扱いを心得ている。
 「じゃ、お願い出来る?」
 「あのね、私は仕事で来てるの。
  フラワリングの公開演習に参加するなんて、そんな事……」
 「偽名使えば良いじゃない!
  大丈夫、大丈夫、ばれやしないって」
ライチは無責任にも思える位、気軽に答えた。

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