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2012年2月心と宗教60: ☆十字架☆イエス・キリスト☆復活25 (631) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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☆十字架☆イエス・キリスト☆復活25


1 :12/01/29 〜 最終レス :12/02/15
主は、福音を宣べ伝えている人たちが福音によって生活すべきことを、定められたのです。
しかしわたしは、これらの権利を一つも利用しなかった。また、自分がそうしてもらいたいか ら、このように書くのではありません。そうされるよりは、死ぬ方がましだからです。
わたしのこの誇りは、何者にも奪い去られてはならないのです。 わたしが福音を宣べ伝えて も、それは誇りにはなりません。なぜなら、わたしは、そうせずにはおれないからです。
もし福音を宣べ伝えないなら、わたしはわざわいだ。 進んでそれをすれば、報酬を受けるで しょう。しかし、進んでしないとしても、それは、わたしにゆだねられた務めなのです。
では、その報酬とはなんでしょうか。福音を宣べ伝えるのにそれを無代価で提供し、わたしが宣 教者として持つ権利を利用しないことです。(コリント人への手紙)
※前スレ
☆十字架☆イエス・キリスト☆復活24
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1326452991/

2 :
ネヨさんはローマ法王に間違いを指摘するそうです。
みなさんネヨさんの結果報告を楽しみにしましょう。
☆十字架☆イエス・キリスト☆復活24
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1326452991/995
>995 名前:神も仏も名無しさん [sage] :2012/01/29(日) 20:12:21.28 ID:Oi1EVKHg
>再掲

>ローマ法王に手紙でも出して間違いを指摘してあげれば?
>「ローマ法王間違えを認める」なんて見出しの新聞記事を楽しみにしてるよ。

>ネヨさんはヘタレだから絶対出来ないだろうけど。
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1326452991/997
>997 名前:神も仏も名無しさん :2012/01/29(日) 21:11:55.87 ID:qU+6wZRB
>>995
>スェデンボルグによれば、マタイ24章に記されている「世の終わり」とは、
>「代の終り」のことで、これは連綿と続いてきた伝統キリスト教会の終焉のことを
>指しているんですすと。
>だから、神がこの教会はやく終わらせなければ、だれ一人救われないと言っています。
>そうして、黙示録21章に記されているように、今の教会が終われば、新しい主の教会が、
>天から下りてくるんですって。
>と言っても、教会そのもが無くなるのではなく、今の主キリストの教えでない教義が
>終わるのではないかと思ってます、、が^^+
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1326452991/998
>998 名前:神も仏も名無しさん [sage] :2012/01/29(日) 21:37:24.24 ID:Oi1EVKHg
>>997
>ローマ法王に間違いを指摘してあげるんですね?
>すごい楽しみです。是非結果を教えてくださいね。

3 :
マルコ14:24
そして、イエスは言われた。「これは、多くの人のために流さ
れるわたしの血、契約の血である。
マルコ14:25
はっきり言っておく。神の国で新たに飲むその日まで、ぶどう
の実から作ったものを飲むことはもう決してあるまい。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
信仰共同体に属していても、神の国に入れるワケじゃない。
イエスの受難とそれ以後において、パンとぶどう酒によりイエスと繋がるという意味が、
罪の購い、つまり各々の十字架を背負って主に付き従うという意味と並行している
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
ルカ13:26
そのとき、あなたがたは、『御一緒に食べたり飲んだりしまし
たし、また、わたしたちの広場でお教えを受けたのです』と言
いだすだろう。
ルカ13:27
しかし主人は、『お前たちがどこの者か知らない。不義を行う
者ども、皆わたしから立ち去れ』
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
契約とは如何なる事か?
罪人と呼ばれる人々、彼らと飲み食いしたではないか。
契約とは無条件贖罪を意味しない。飲み食いし、杯を掲げ談笑しただけでは出会わないのだ。
イエスは先に杯を揚げたが、晩餐の場の皆が飲み食いし終えたのを見て
最後のパンの一欠片を口に入れ、残りの杯のぶどう酒を飲み干したに違いない。
イエスを磔にしたのは我々だと気付かない限り、2000年前の贖罪は意味を為さない。

4 :
失敬w
ルカ13:26
そのとき、あなたがたは、『御一緒に食べたり飲んだりしまし
たし、また、わたしたちの広場でお教えを受けたのです』と言
いだすだろう。
ルカ13:27
しかし主人は、『お前たちがどこの者か知らない。不義を行う
者ども、皆わたしから立ち去れ』
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
信仰共同体に属していても、神の国に入れるワケじゃない。
イエスの受難とそれ以後において、パンとぶどう酒によりイエスと繋がるという意味が、
罪の購い、つまり各々の十字架を背負って主に付き従うという意味と並行している
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ マルコ14:24
そして、イエスは言われた。「これは、多くの人のために流さ
れるわたしの血、契約の血である。
マルコ14:25
はっきり言っておく。神の国で新たに飲むその日まで、ぶどう
の実から作ったものを飲むことはもう決してあるまい。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
契約とは如何なる事か?
罪人と呼ばれる人々、彼らと飲み食いしたではないか。
契約とは無条件贖罪を意味しない。飲み食いし、杯を掲げ談笑しただけでは出会わないのだ。
イエスは先に杯を揚げたが、晩餐の場の皆が飲み食いし終えたのを見て
最後のパンの一欠片を口に入れ、残りの杯のぶどう酒を飲み干したに違いない。
イエスを磔にしたのは我々だと気付かない限り、2000年前の贖罪は意味を為さない。

5 :
父なる神と主イエスキリストに
賛美、栄光、知恵、尊厳、誉、勢い、神の愛、
全てのよきものが、これからも永遠までもありますように。
そして主イエスキリストを信じる全て者に神の愛と祝福と恵みが永遠にありますように。

6 :
>>1
スレたてありがとうございます。みことばも感謝いたします。

7 :
父なる神は消失しました^^+

8 :
聖書に書かれてる嘘八百を捨てて
現実と向き合って生きましょう!

9 :
イエスは、「わたしは天と地の一切の権能を授かっている」と言われました。
父の神は引退されたんでしょうか? リンゴさん

10 :
聖書は真理を語るものです。
嘘八百なんてものはありません。

11 :
>>9
父の中に主イエスキリストがおられ、主イエスキリストの中に父がおられる。
また、われわれクリスチャンの中に父がおられ、父の中にわれわれクリスチャンがいます。そしてクリスチャンの中に主イエスキリストがおられ、主イエスキリストの中にクリスチャンたちかいます。

12 :
>>8
現実と向き合うとは具体的にどう言った事なのか述べられていませんので、
嘘八百という気分と印象だけを落とされているように感じられ、
それでは「現実と向き合いましょう」の方を嘘八百だと言われかねないのでしょう。
関係性の中で生じ続けている連鎖の実態が我々の毎日の現実を成していますね。
それは環境や外部に相当することです。
そのことに対する理解と自覚ができておれば、言い換えれば、ご自分が関係性における無意識連鎖に埋もれない心の自立にあるということを現わしていますし、
関係性意外に生きる事の無い人間の連鎖のただの実態から、質的実態へと変容していることも、同時に理解しているということです。
現実と言う切り取った言葉を気分と印象で小脇に抱えているだけの無明でないのであれば、
聖書を小脇にはさんでいるのと、光を照射するように灯のもとで聖書を開けて向き合う事の
認識的混同と分離はむしろないと思われますが。

13 :
見えない神:旧約の神、新約の父
見える神: 神の子 イエス・キリスト
実は同じ神 表現のちがい 
父は子のなかにある霊魂 子は肉体 聖霊は両者の働き これが父・子・精霊の三一性
これでこそ本当の一神教

14 :
>>12
>>8さんではないのですが、現実をみるというのは、字の通り、実の現れ
潜在意識と無意識は、人間の繋がりの中で集合するととてつもない力を発揮します
表面で隠されているそれらは確実に実り、実ろうとします
その実を認識し意識的にそれらを更に助長するか、また、握りつぶし新たな実を育てるか
またはそれらを流れに任せて見過ごすか
今生きている人間に、これからどんな実を育てられるか、判断が委ねられていると思います
固は全体の第一歩です

15 :
われわれは現実世界(外界)を、直接見ているわけではなりません。
外界のイメージを脳で再構築して見ているのです。
聞いたり、味わったり、嗅いたり、触れたりする、いわゆる五感においても同じです。

16 :
神との契約で神となったイエスが、父なる神と同一だと言ってるけど。
それでは、どうしてそんなまどろっこしいことしたんでしょうか?さて・・・

17 :
イエスの霊魂の由来は天の父、イエスの肉体は母由来の神人なのです。
そうして数々の地獄の誘惑や試練に打ち勝ち、母からの人間性を栄化し、
父と完全に一致合体されました。十字架の苦難は試練の完成です。

18 :
>>16
神との契約で神となられたのではなく、主イエスキリストは永遠の昔から神です。

19 :
>>18
イエスが永遠の昔から神であるなら、神が死者の中からイエスを復活させられた意味がわかりません。
イエスは、天地一切の権能を持っているのでしょう。
永遠の昔からまします神が、永遠の昔からの神イエスを復活させるとは矛盾ですね。

20 :
イエスは、天地一切の権能を授かっているんでしょう(マタイ28.18)
そのイエスが自らのおん力で復活しないで、神が死者の中から復活させたとはまったく矛盾ですね。

21 :
イエスは神の初子ですよね。

22 :
神は罪深い
なぜなら自ら婚約者のいる女に中田氏するという姦を犯しているからだ。
十戒を自ら守らない神はすでに全知全能ではない。
しかもヤり捨てた中古女をであると偽装して人類を裏切ったのだ。
キリスト教はユダヤの唯一神をギリシャ神話のスケベジジイ神ゼウスとなんら変わるところのない凡百のうちの一柱に貶めた。

23 :
永遠のむかしから父から生まれた子の神なんて、聖書のどこにもありません。
イエスのご誕生は、福音書に記されているとおりです。
神の子とは、旧約の神の御腕で表されている神の全能、人間性のことですよ、

24 :
イエスのご誕生については、ルカによる福音書にはっきり記されています。
「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから生まれる子は
聖なる者、神の子と呼ばれる。」(ルカ1.35)
「いと高き方の力」とは、旧約の主、旧約の神、あるいは、新約の父でしかありません。
永遠の昔しからまします子の神がこの世に降られ、マリアの胎に宿られてたとは、
どこにも記されていません。

25 :
>>22
イザヤ29.16
「おまえたちはなんとゆがんでいることか。
陶工が粘土と同じにみなされうるか。
造られた者が、造った者に言いうるのか。
『彼がわたしを造ったのではない』と
陶器が陶工に言いうるのか。
『彼には分別がない』と。

26 :
>>22
聖書で、「姦」の最高の意味は、神や神の(みことば)などの聖なるものを冒涜すること。

27 :
>>23
詩篇とへブル人への手紙に神が神の子供を産むことが書いてあるよ。

28 :
神は分割されない方だから、神が子供を産むのは矛盾であり不可能。

29 :
ヘブライ人への手紙は、おそらくパウロ書簡がもとになって書かれたものだろう。
このヘブライ人への手紙の冒頭でも、永遠の昔いたという御子を、イエス・キリストとして語られている。
イエス・キリストは、マリアの胎に宿られて、お生まれになったのだから、ここも
明らかに矛盾している。

30 :
>>28
神は霊と書いてあり、神はご自身の霊を分け与えてくださるとヨハネ第一の手紙に書いてある。
また、それによって神が私たちの中に住まれ、
私たちも神の中に住むことがわかるとも書いてある。

31 :
ヨハネ1章にある言葉は神が最初にお一人で創造された。後からすべてのものは
神が言葉をとうして創造されたので言葉は神の初子、独り子なのです。

32 :
>>30
それはね、聖霊と呼ばれているものですよ。
聖霊は、そのもとしての神ではなく、唯一でかつ遍在されている
神から発している、神の働きのことです。
神は唯一で分割されない方だが、人間はその神を受ける器に造られて
いるから、人間に内在されることは出来るが、だからといって自分が
神そのものになった思うと幻想になります。

33 :
>>31
神とは創造されない方なのだから、御子が言葉によって造られたと言うのは、明らかに矛盾です。
言葉は神と共に永遠のむかしから存在していたのですよ。
言葉とは、神の真理のことですからね。

34 :
書き直し
神とは創造されない方なのだから、神によって最初に造られた言葉が御子に
なったというのは、明らかに矛盾です。 御子が被造物であるならもう神とは言えません。
ましてや御子が全能などもってのほかです。

35 :
神は三位一体ではなくただお一人です。

36 :
三位一体のペルソナの神は、キリスト教会の作文です。
父・子・聖霊は、独り神のもつ三一性です。

37 :
>>32
イエスキリストにより与えられる聖霊は神。
このスレでも論証したとおり。
君は神の子供がそんなに妬ましのか。
なぜ神の子供と書くと必死になる?ほんとネヨはサタンだな。

38 :
ヨハネ第一の手紙
「父がどれほどわたしたちを愛してくださるか考えなさい。
それは、わたしたちが神の子供と呼ばれるほどで、
事実またそのとおりです。」

39 :
>>37
聖霊とは、神そのものではなく神から発する神のおん働きのこと。
この働きが人間へ流入することにより、人は善を行い真理を悟ることができる。
神の独り子とは、神が産んだ子供という意味ではなく、エホバの御腕で表される人間性のこと。
イザヤ書を読めばそのことは誰でも理解できる。
(イザヤ書40.10、11 51.9 53.1、2)
神が我が子を生んで神の親子がそれぞれ神だと言えば、それはもう二神である。
一神教とまったくもって矛盾。
それに聖霊も神だなど、笑止千万。キリスト教会の三位一体のペルソナの神とどこがちがうの?
神を三分割することこそサタンの所業だ。
全能の神を三分割し、力を弱めてから統治せよという悪魔のささやき。

40 :
>>38
使徒の書簡など聖言ではないし、まちがった解釈のものが多々ある。

41 :
ヨハネ第一の手紙
「父がどれほどわたしたちを愛してくださるか考えなさい。
それは、わたしたちが神の子供と呼ばれるほどで、
事実またそのとおりです。」
ヨハネはこの意味が分かって書いてるんでしょうか?

42 :
父神がそれほど人間を愛していたなら、何故、人間を原罪に定め、呪い、
神から遠のかせたのか。
そうしておいて、神は人間と和解するため愛する独り子の御子を遣わし、
十字架で人類の罪を背負わせ、生贄にするようなむごいことをされたのか、がまず分からない。

43 :
ね、分からないでしょう
何故かというと、このキリスト教の教義自体がおかしいからです。
アダム原罪 エデンから人間の追放 三位一体の神 キリストの十字架の贖罪
復活 すべて解釈が間違っているからです。
それで、信仰義認なるまるで救いにもならない空文句が出来てしまったのです。
これが、反キリストの「獣」「竜」「バビロン」の教義であることは、黙示録を読めば明らかです。
 

44 :
>>42
主イエスによる人の罪の清め。イエスキリストの血は全ての罪を清めます。
清くなり聖なる者とされなければ神の家族に加えてもらえない。なぜなら、神は聖なるお方でありわれわれも清くならなければならないと書いてあるからだ。

45 :
>>44
イエスの血が罪を清めるとは何かが、まるで分かってないのですよ。
イエスの十字架の血の贖罪など、まったくパウロや教会の作文です。
まず、イエスの「血」が何かが理解できていない。

46 :
>>45
何もわかってないオマイがイウナ。

47 :
イエスの「血」とは、イエスのおん体に流れている血液のことではなく、
キリストにある「神の真理」、すなわち、(みことば)のこと、主ご自身である
ことは聖書の多くの箇所から引用できます。
イエスの「血」を飲むとは、みことばのもつ、すなわち神の真理によって、
人が罪から清められ、再生し、新しく造り変えられることを意味している。
これは、主イエスの命じられたことの実践を通してこそ、初めて達成される。

48 :
>>46
いいかげん、空文句の単語信仰は止めようなリンゴちゃん

49 :
>>47
そういう戯言を書いてはならない。
>>48
空文句と言えばスエーデンボルクとネヨ君のことですが。

50 :
イエスこと(みことば)ご自身であり、(みことば)は(いのち)そのものである。
イエスの{血」が、みことばの真理、神の真理であることはだれでも理解できる。
わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。
だれでも渇く者は、わたしのところに来て飲むがよい。
わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から、
生ける水が川となって、流れ出るであろう。
主よ、あなたは永遠の言葉の命を持っておられます。
天地は滅びるであろう。しかし、わたしの言葉は滅びることがない。
ヤコブの泉のみが耐えない。
そこにはヤコブの井戸があった。

51 :
なるほど(^^;)

52 :
訂正
イエスこそ(みことば)ご自身であり、(みことば)は(いのち)そのものである。
ヤコブの泉のみ絶えない
だれでも、わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、
わたしも、その人のうちにとどまる。
イエスは、杯をとって言われた。「これは、わたしの血である」
かれは、自分の衣服をぶどう酒で洗う。ぶどうの血でもって、その衣を洗う。

53 :
こんなんもありました。
あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。
わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。
イエスはいつも(みことば)の中におられるという意味です。
イエスが天の雲に乗って来られることは多くの箇所に記されています。
(マタイ17.5 24.30 26.64 マルコ9.7 14.61、62 ルカ9.34、35 21.27
黙示録1.7 14.14 ダニエル7.13)
ところがこの「天の雲」が何のことか分かりません。
「天の雲」は(みことば)の文字の意味のことです。

54 :
リンゴ氏も、ますます磨きかかってきましたね。^^

55 :
大バビロン、みだらな女たちや、地上の忌まわしい者たちの母」と言う名である。
わたしは、この女が聖なる者たちの血と、イエスの証人たちの血に酔いしれている
のを見た。
何のことかさっぱり分からないでしょう。
「大バビロン」とは、イザヤ書14章に記されている、明けの明星ルシフェルと
して描かれ、神の地位にまで昇ろうとおごり高ぶった成り上がり者のことで、
主の神としての権威をことごとく自らに移した者らのことです。
「みだらな女たち」「地上の忌まわしい者たちの母」とは、主の(みことば)を
ひん曲げて教えている教会のことです。「らな」とは神を冒涜すること、
「女」「母」は教会を意味しています。
「聖なる者たちの血」「イエスの証人の血」とは、神の真理にあずかる人たちです。
「酔いしれる」とは、偽りを吹き込むことです。
それを見たヨハネは、大いに驚いたのです。
それで、ヨハネが見ていたものを巻物にして、七つの教会に送ったことが理解できます。

56 :
「みだらな女たち」「地上の忌まわしい者たちの母」とは、主の(みことば)を
ひん曲げて教えている教会のことです。⇒カトリック教会の事ですね!

57 :
主の教会が設立後すぐ腐敗してくるのは、黙示録1章、2章に記されているとおり、
主が僕ヨハネに命じて書かせた七つの教会に宛てた手紙を読めば分かります。

58 :
解釈が独特だ…

59 :
でもリンゴさんが聖典原理主義的なのはある
ところで同じ聖典原理主義でも解釈が別れるところって有りそうだね…

60 :
1:マタイによる福音書 / 9章 1節
イエスは舟に乗って湖を渡り、自分の町に帰って来られた。
2:マタイによる福音書 / 9章 2節
すると、人々が中風の人を床に寝かせたまま、イエスのところへ連れて来た。イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦される」と言われた。
3:マタイによる福音書 / 9章 3節
ところが、律法学者の中に、「この男は神を冒涜している」と思う者がいた。
4:マタイによる福音書 / 9章 4節
イエスは、彼らの考えを見抜いて言われた。「なぜ、心の中で悪いことを考えているのか。
5:マタイによる福音書 / 9章 5節
『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。
6:マタイによる福音書 / 9章 6節
人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に、「起き上がって床を担ぎ、家に帰りなさい」と言われた。
7:マタイによる福音書 / 9章 7節
その人は起き上がり、家に帰って行った。

61 :
>>14
>>>12
>>>8さんではないのですが、現実をみるというのは、字の通り、実の現れ
ええ、ですからどんな実を育てられるか、判断が委ねられているのですね。
ありがとうございます。
>潜在意識と無意識は、人間の繋がりの中で集合するととてつもない力を発揮します
>表面で隠されているそれらは確実に実り、実ろうとします 。
社会での多数決と言うのは、制度以前からも、人間が行ってきた多数の人間の意識の反映としての
実の現れであり、少し具体で考えますと
例えば独裁者を駆逐する自由と平等やそれらを権利として掲げ、制度化したところで
多数の意識がほんとうは独裁者と同質性を持ち、支持していたという選挙結果があったりしますね^^
独裁者を恐れ依存するのは、ほんとうは自分達の潜在意識の劣悪さや誤魔化しをどこかで知っており、欲望に先導を無意識に任せている弱い自分自身(=独裁者)を恐れてすり替えているのだと思いますね。
自由と平等を求めて多数決を、見えないようでなく、見えるように制度化したら思わぬ結果があったということです。
不満を抱き、独裁者の罪にしていられた隠していた事が、
制度化によって、自らの姿(潜在意識、無意識)が表面に現れただけで、自由や平等を我がものに昇華できるほどの意識に至っていない皮肉な結果が返ってきている、ということがありそうです。
昇華(消化)できていないにしろ、制度化によって実が現れたということは、直視を促すという意味ではまず一歩の質的実りです。
ただし、誤魔化しであったと逃避を自覚できないならば、分裂的病理に陥ることでしょう。
神が自由を与えているのは、自分(人)が自由を求めている同じ原理によるものであるとよくよく観察できなければなりませんでしょう。
求めていても、それを消化できないからと言って、神のせいなのでしょうか。
それこそ現に自分の自由を求める気持ちを見て、訊ねる気持ちを個が思い起こす事が出来れば良いですね。

62 :
>>60
福音書が実話ならキリストは凄いよ
今までそんな人はいなかっただろうから

63 :
キリストの死が、わたしたちに永遠の命をもたらしました。
そして主イエスキリストがよみがえられたように、
信じる全ての者も終わりの日によみがえり、
栄光の体に復活するのです。

64 :
>>61
おはようございます
私の言葉足らずの文章にお返事いただきありがとうございます
自由意思による心の光や闇が水面下で人々の心に湧くのは、いたしかた無いものでしょう
ただその中で、あなたが仰った一人ひとりの゛質量゛、これを育むのもまた一人ひとりなのですよね
風が過ぎ去ったあと、気付く事が殆どといっていいほどの現代ですが、普遍のものは変わらぬ質量として風に飛ばされず、あってほしいと思っています
あなたのお言葉身をに染みました
ありがとうございます

65 :
>>63
キリストは全能の神なんでしょう?
神がどうして死ぬの?

66 :
神は降臨します!
アーメン
http://img.gazo-ch.net/bbs/56/img/201007/763126.jpg

67 :
>>66
君、そこまでして自分を売り込みたいということでつね。
その根性は認めてあげましょう。

68 :
>>65
生き返ったような気がします
君はステマかね

69 :
http://d.hatena.ne.jp/littleyohane/20120130

70 :
エホバの証人を見習い焼香拒否をしよう!

71 :
>>69
・イザヤ42章・エホバ神が偶像崇拝を否定される理由
・民数記25章・エホバはなぜバアル崇拝に反対されたのか
・歴代第二15章・アサは偶像崇拝と戦う
ご紹介のページとリンクされていました上記の箇所も合わせて先ほど拝見させて頂きました。
シリアを中心に中東の資料館でおびただしい数を誇る数千年前のバアルの彫刻物を私は目にして
現地入りして感じました事は、動植物や性エネルギーに対する畏怖心や憧憬が織り交ぜられて
生活密着型の祈りがあったと思いました。
自然の脅威に対する恐れはごく当たり前の事ですが、そこから派生した人間が社会(他者)に対して
思いつくことで派生していく(連鎖)事柄が問題の偶像崇拝の焦点なのではないのでしょうか。
そのような原始的ともいえる信仰形態をとっていないというだけで、偶像崇拝ではないと言えますでしょうか。
偶像崇拝とは、そのような形態や対象にあるのでしょうか。
人々の生活から生まれた美的、美術的感性を否定して
彫像物を軽蔑、破壊する様な乱暴な観念は、はずむ人の喜びをも傷することにならないのでしょうか。
さて、少し旧約を飛び越してイエスのところにまいりますと、偶像崇拝や盲目とはそういう生活形態自身を
指しているのではないと思われるのですが。

72 :
バアル信仰とは、日本の自然崇拝型信仰と似ていると思いました。
ここで問題なのは、自然の恩恵を受けて暮らす人々のリアリティではなく
おそれが畏れでなく、恐れとなってよからぬ連鎖を及ぼすと言うバアル信仰に限らない事象ではないのでしょうか。
ですから、原始的に一見して見えるから良くない偶像崇拝である、ではなく、畏れではなく恐れがもたらすモノが
偶像崇拝の根幹にあって、形態を問題視している限りは何千年経過しても、ループしてしまうのではないのでしょうか。

73 :
>>65
キリストは命を捨てる権威があり、それをもう一度得る権威を持っておられる神であるからです。
そして主イエスキリストはわれわれの罪をあがなうために、
十字架で血を流され、死んで命を捨てられ、
3日目に神の権威によりもう一度命を得られ、よみがえられたのです。

74 :
神様は永遠に素晴らしい目的が有るのよ!?♪。

75 :
>>73
妄想だなw

76 :
幻想^^+

77 :
「あなた方は園のすべての木からは食べてはならない,と神が言われたのは
本当ですか」。
  ここで蛇は(すべてダメ)と言うインパクトを女に与えた。

78 :
「園の木の実をわたしたちは食べてよいのです。 でも,園の真ん中に
ある木の実を[食べること]について,神は,『あなた方はそれから
食べてはならない。いや,それに触れてもならない。あなた方が死ぬこと
のないためだ』と言われました」。
  女は神から食べてはいけない木について聞いていた。

79 :
神によって完全なものとして造らた人間が、
神との約束を破って、園の真ん中にある果実を食べ、
すべての人間が罪びとになったということか?

80 :
すると、完全から外れる完全とは何ぞや?

81 :
ローマ帝国の権力維持のために利用さえされなければキリストも人の子に過ぎないが素晴らしい思想家であるという評価で済んだのに、
人間の私利私欲貪りの口実にされた時点で神の子に祭り上げられたキリストにまで批難が行く様になった。
キリストはよいがキリスト教が気に入らないと言ったマリリン・マンソンの言い分は最もだ。

82 :
>>80
完全な者とは神様、そしてイエスキリストのことを言います。
人間が完全な者と認められる方法は神の義を持っていなければならない。
その神の義はイエスキリストの十字架の血による人の罪の清めが必要です。
そしてイエスキリストと同じ神の義を持つ方法は主イエスキリストへの信仰であると聖書に書いてあります。

83 :
神の義を賜るための聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエスキリストはわたしの主ですと告白し、自分の心の中で神がイエスキリストを死人の中からよみがえらせ復活させられた」と信じるならあなたは救われます。

84 :
女が悪魔の誘惑に負けて木の実を食べたことにより、
すべての人間が罪人になった。
禁断を犯したた罰ってことだな。

85 :
>>83
幻想^^+
>>84
嘘っぱち

86 :
22:マタイによる福音書 / 7章 22節
かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。
23:マタイによる福音書 / 7章 23節
そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』」

87 :
見るからに美味しそうな木の実を植えさせ、ヘビに誘惑させ、アダムとエバに
食べさせておいて罪に定め、子々孫々まで呪われた神はなんて酷いことをするのでしょう。
そして今度は、自分の愛する独り子を人類の罪を赦すため十字架で生贄にし、
したのです。それも自分では手を下さずに人間を使ってやらせたのです。
なんて惨いことをするのでしょうか。これが全能の神のすることでしょうか。

88 :
「あなた方は決して死ぬようなことはありません。 その[木]から食べる日には,
あなた方の目が必ず開け,あなた方が必ず神のようになって善悪を知るようになる
ことを,神は知っているのです」。
  ここで蛇は真反対の事を女に吹き込む。「絶対、死なない。」おまけに神が
  素晴らしい木の実をわざと禁じていると神に疑いをもたせた。

89 :
しかし、聖書の神を信じているみなさん、ご安心ください。
神は愛の神であり英知の神です。
愛そのもの英知そのものの神が、そのようなことをなさるわけはありません。
これはすべて間違った解釈から出てきた偽りの教義なのです。

90 :
エデンの園に蛇がいたといっても本当に蛇がいたのではありません。
「ヘビ」とは、人間の感覚的なものを表しています。
しれは感覚的なものも肉体に最も近いし、ヘビは地面に最も近いから
という相応です。
男のあばら骨の一部から建てられた女とは、自己愛の(エゴ)のことです。
男は理性(合理性)を表します。
そうしてヘビすなわち感覚は女を説得して、善悪の知識の木の実を食べる
よう促します。男も食べたとは、人の合理性もそれに同意したことを意味
します。二人はとうとう悪に踏み込んで行くことになります。

91 :
この手ロは現在の悪徳商法でも同じです。女は男よりずっと後に創造されて
人生経験が足リなかったので騙しやすかったしー人でいる時をねらったのです。
「絶対儲かります。」「必ずやせます。」「この壷を買えば幸福になリます。」

92 :
「エデンの園」とは「庭園」のことではありません。
「エデン」は愛、「東」は主、「園」は理知を意味します。
「エデンの園」とは、天的な人間の理知で、その理知は愛を通して、
主からいただきます。
そして園には、見て快く、食べて好ましいあらゆる木が生えていました。
「木」は「感知力」を意味します。「見て快い木」とは、真理の感知を意味します。
「食べて好ましいあらゆる木」とは、善の感知を意味します。
また園の中央には、命の木と善悪の知識の木が生えていました。
「命の木」とは、愛とそれに由来する信仰です。
「園の中央」とは、内部人間の意志の中という意味です。
「善悪の知識の木」とは、感覚的なもの、科学的知識に依存した信仰を指します。

93 :
そこで女は見て,その木が食物として良く,目に慕わしいものであるのを
知った。たしかに,その木は眺めて好ましいものであった。
  それまで怖れて近づかなかった木を女はじっと見つめたのでしょうね。
  見れば見るほどおいしそう。園の他の木の実もとてもおいしいのだから
  どれほどの美味なのだろう。それに神のようになれるかも・・。

94 :
「善悪の知識の木」というのは、食べると必ず死ぬという猛毒をもつ木です。
しかし、この木から食べたアダムは、九百三十年も生きたと記されています。
どうしてでしょうか?よっぽど遅効性の毒だったのでしょうか? 
これがわかりません。
ええっ、食べなければ永遠に生きられたですって。
それはおかしいですねェ
それは、中央に生えている命の木から食べなければ、永遠に生きられないと
記されているからです。
善悪の知識の木から食べて、人は神のようになったのに、今や、命の木から
食べて、永遠に生きる者になるおそれがあるので、主は、かれをエデンの園から
追い出されてしまいました。
これがまた分かりません。

95 :
「悪魔」の誘惑に負けて木の実を食べた人間の女。
「ただの人間の女」の誘惑に負けた、人間の男。
神が作った人間が完全なものというのであれば、
おかしな話だなwww

96 :
ヘビ(感覚)の誘惑に負けた女(自己愛のエゴ)
その女の言いなりになった男(合理性)
これはすべて人間の中にあるものの表象です。

97 :
「愛」とは何でしょうか。
愛が人間の命であることを知っている人はいません。
自己愛とは何でしょうか。
かの大哲学者カントは、我執、自己愛、すなわちほかのあらゆるものより、
自己自身が好きである自己偏愛、うぬぼれのいづれかであると言いました。
つまり「エゴイズム」のことであり、その本質は醜悪さです。
これが、人の命になっているのです。

98 :
女が、木の実を口にする前に、
「女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け」(創世記3:6)とある。
悪魔の誘惑ではなく、もともと人間に「うらやみ」の感情が
あったと書いてある。
「果実を食べたために罪びとになった」
というキリスト教の重要な教義は、単なる後付け設定だなw

99 :
自己愛に同類のものが世間愛です。
富みや財産に愛着する愛ですが、そのほかに、肉的感覚をよろこばせて
くれるものは何でも愛する愛です。
それには、目を喜ばせる美しさ、耳を楽しませるハーモニー、鼻にくる芳香、
舌を刺激する美味、肌にくる柔らかさなど多様多彩です。
「女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け」(創世記3:6)とある。
つまり、このようなものが人間の命になっていると言う表象です。

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