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2012年3月民俗・神話学24: ◆◇◆日本の伝統文化を守ろう◆◇◆ (186) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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◆◇◆日本の伝統文化を守ろう◆◇◆ (186)
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遠野物語 (162)
夜這いについて Part2 (602)

◆◇◆日本の伝統文化を守ろう◆◇◆


1 :
日本の民族、神話や、文化の象徴である天皇について

2 :
近松も西鶴も芭蕉もゐない昭和元禄には、華美な風俗だけが跋扈してゐる。情念は涸れ、強靭なリアリズムは
地を払ひ、詩の深化は顧みられない。すなはち、近松も西鶴も芭蕉もゐない。われわれの生きてゐる時代が
どういふ時代であるかは、本来謎に充ちた透徹である筈にもかかはらず、謎のない透明さとでもいふべきもので
透視されてゐる。
どうしてかういふことが起つたか、といふことが私の久しい疑問であつた。外延から説明する、工業化や
都市化現象から説明する、人間関係の断絶や疎外から説明する、あらゆる社会心理学的方法や、一方、
精神分析的方法にわれわれは飽きてゐる。それは人が起つたあとで、人者の生ひ立ちを研究するやうなものだ。
何かが絶たれてゐる。豊かな音色が溢れないのは、どこかで断弦の時があつたからだ。そして、このやうな
創造力の涸渇に対応して、一種の文化主義は世論を形成する重要な因子になつた。正に文化主義は世をおほうて
ゐる。それは、ベトベトした手で、あらゆる文化現象の裏側にはりついてゐる。
三島由紀夫「文化防衛論 文化主義と逆文化主義」より

3 :
文化主義とは一言を以てこれを覆へば、文化をその血みどろの母胎の生命や生殖行為から切り離して、何か
喜ばしい人間主義的成果によつて判断しようとする一傾向である。そこでは、文化とは何か無害で美しい、
人類の共有財産であり、プラザの噴水の如きものである。
フラグメントと化した人間をそのまま表現するあらゆる芸術は、いかに陰惨な題材を扱はうとも、その断片化
自体によつて救はれて、プラザの噴水になつてしまふ。全体的人間の悲惨は、フラグメントの加算からは
証明されないからである。われわれは単なるフラグメントだと思つてわれわれ自身に安心する。
悲惨も、いかなる悲惨であらうとも、断片の範囲を出ないからであり、脱出はわれわれの能力外のところではあるが、
立派にのこされてゐるからであり、われわれの不能に酔ふことと脱出に酔ふこととは一致してゐるからである。
三島由紀夫「文化防衛論 文化主義と逆文化主義」より

4 :
日本文化とは何かといふ問題に対しては、終戦後は外務官僚や文化官僚の手によつてまことに的確な答が与へられた。
それは占領政策に従つて、「菊と刀」の永遠の連環を絶つことだつた。平和愛好国民の、華道や茶道の
心やさしい文化は、威嚇的でない、しかし大胆な模様化を敢てする建築文化は、日本文化を代表するものになつた。
そこには次のやうな、文化の水利政策がとられてゐた。すなはち、文化を生む生命の源泉とその連続性を、
種々の法律や政策でダムに押し込め、これを発電や灌漑にだけ有効なものとし、その氾濫を封じることだつた。
すなはち「菊と刀」の連環を絶ち切つて、市民道徳の形成に有効な部分だけを活用し、有害な部分を抑圧する
ことだつた。占領政策初期にとられた歌舞伎の復讐のドラマの禁止や、チャンバラ映画の禁止は、この政策の
もつともプリミティヴな、直接的なあらはれである。
三島由紀夫「文化防衛論 文化主義と逆文化主義」より

5 :
そのうちに占領政策はこれほどプリミティヴなものではなくなつた。禁止は解かれ、文化は尊重されたのである。
それは種々の政治的社会的変革の成功と時期を一にしてをり、文化の源泉へ退行する傾向は絶たれたと考へられた
からであらう。文化主義はこのときにはじまつた。すなはち、何ものも有害でありえなくなつたのである。
(中略)しかしこれはもともと、大正時代の教養主義に培はれたものの帰結であつた。日本文化は外国に対しては
日本の免罪符になり、国内に対しては平和的福祉価値と結合した。福祉価値と文化を短絡する思考は、大衆の
ヒューマニズムに基づく、見せかけの文化尊重主義の基盤になつた。
われわれが「文化を守る」といふときに想像するものは、博物館的な死んだ文化と、天下泰平の死んだ生活との
二つである。その二つは融合され、安全に化合してゐる。その化合物がわれわれを悩ますが、しかし、文化に
対する、ものとしての、文化財としての、文化的遺産としての尊敬は、民主主義国、社会主義国(中共のやうな
極端な例外を除いて)を問はないのである。
三島由紀夫「文化防衛論 文化主義と逆文化主義」より

6 :
(中略)
(社会主義的文化政策は)文化の形式と内容は分離可能なもの考へられてをり、形式自体は無害であるから、
これに有用な内容を盛ることができるとされ、極端な場合は江青女史の京劇改革のごときものも可能になる
ところの理論的根拠がほの見えてゐる。
しかし、単にものとして残された安全な文化財については、レニングラード・バレエがソヴエトにとつて
有害でないやうに、歌舞伎も、能も、あらゆる伝統的日本文化も、一応有害ではないのである。それはむしろ
有益な観光資源であり、芸術院会員の歌舞伎俳優は、一転して、忽ち人民芸術家の称号を与へられるであらう。
(中略)アマチュアの創造する文化は、既成職業人の創造する文化よりも、はるかに規制しやすいといふ認識が
ここ(働くものが文化をつくる)には含まれてをり、社会主義国家が発表機関を独占すれば、ことさらな
言論統制を強行しなくても、一般アマチュアの発表慾と虚栄心に訴へかけて、それと引きかへに、内容を
規制することが容易なのである。
三島由紀夫「文化防衛論 文化主義と逆文化主義」より

7 :
しかし、社会主義が厳重に管理し、厳格に見張るのは、現に創造されつつある文化についてであるのは言ふ
までもない。これについては決して容赦しないことは、歴史が証明してゐる。(中略)
何らかの政治的規制が文化の衰弱を防ぐといふ口実をゆるすところが、文化自体の包含する矛盾であり、
文化と自由との間の永遠の矛盾である。(中略)
が、いはゆる自由陣営の文化主義と、社会主義国の安全な文化財に対する尊重とは、いづれも一見、伝統の
擁護と保持の外見をとるがゆゑに、もつとも握手しやすい部分であると思はれる。
いづれの立場からも文化は形成された〈もの〉として見られてゐる。その結果何が起るかについては、中世以来の
建築的精華に充ちたパリの破壊を免かれるために、これを敵の手に渡したペタンの行為によくあらはれてゐる。
(中略)国民精神を代償として、パリの保存を購つたのである。このことは明らかに国民精神に荒廃をもたらしたが、
それは目に見えぬ破壊であり、目に見える破壊に比べたら、はるかに恕しうるものだつた!
三島由紀夫「文化防衛論 文化主義と逆文化主義」より

8 :
このやうな文化主義は、一度引つくりかへせば、中共文化大革命のやうな目に見えぬ革命精神の形成のために、
目に見える一切の文化を破壊する「逆の文化主義」「裏返しの文化主義」に通じるのであり、それは、ほとんど
一枚の銅貨の裏表である。私はテレヴィジョンでごく若い人たちと話した際、非武装平和を主張するその一人が、
日本は非武装平和に徹して、侵入する外敵に対しては一切抵抗せずに皆しにされてもよく、それによつて
世界史に平和憲法の理想が生かされればよいと主張するのをきいて、これがそのまま、戦場中の一億玉砕思想に
直結することに興味を抱いた。一億玉砕思想は、目に見えぬ文化、国の魂、その精神的価値を守るためなら、
保持者自身が全滅し、又、目に見える文化のすべてが破壊されてもよい、といふ思想である。
戦時中の現象は、あたかも陰画と陽画のやうに、戦後思想へ伝承されてゐる。このやうな逆文化主義は、前にも
言つたやうに、戦後の文化主義と表裏一体であり、文化といふもののパラドックスを交互に証明してゐるのである。
三島由紀夫「文化防衛論 文化主義と逆文化主義」より

9 :
第一に、文化は、ものとしての帰結を持つにしても、その生きた態様においては、ものではなく、又、発現以前の
無形の国民精神でもなく、一つの形(フォルム)であり、国民精神が透かし見られる一種透明な結晶体であり、
いかに混濁した形をとらうとも、それがすでに「形」において魂を透かす程度の透明度を得たものであると
考へられ、従つて、いはゆる芸術作品のみでなく、行動及び行動様式をも包含する。文化とは、能の一つの型から、
月明の夜ニューギニアの海上に浮上した人間魚雷から日本刀をふりかざして躍り出て戦死した一海軍士官の行動をも
包括し、又、特攻隊の幾多の遺書をも包含する。源氏物語から現代小説まで、万葉集から前衛短歌まで、中尊寺の
仏像から現代彫刻まで、華道、茶道から、剣道、柔道まで、のみならず、歌舞伎からのチャンバラ映画まで、
禅から軍隊の作法まで、すべて「菊と刀」の双方を包摂する、日本的なものの透かし見られるフォルムを斥(さ)す。
文学は、日本語の使用において、フォルムとしての日本文化を形成する重要な部分である。
三島由紀夫「文化防衛論 日本文化の国民的特色」より

10 :
日本文化から、その静態のみを引き出して、動態を無視することは適切ではない。日本文化は、行動様式自体を
芸術作品化する特殊な伝統を持つてゐる。武道その他のマーシャル・アートが茶道や華道の、短い時間のあひだ
生起し継続し消失する作品形態と同様のジャンルに属してゐることは日本の特色である。武士道は、このやうな、
倫理の美化、あるひは美の倫理化の体系であり、生活と芸術の一致である。能や歌舞伎に発する芸能の型の重視は、
伝承のための手がかりをはじめから用意してゐるが、その手がかり自体が、自由な創造主体を刺戟するフォルム
なのである。フォルムがフォルムを呼び、フォルムがたえず自由を喚起するのが、日本の芸能の特色であり、
一見もつとも自由なジャンルの如く見える近代小説においても、自然主義以来、そのときどきの、小説的フォルムの
形成に払はれた努力は、無意識ながら、思想形成に払はれた努力に数倍してゐる。
三島由紀夫「文化防衛論 日本文化の国民的特色」より

11 :
第二に、日本文化は、本来オリジナルとコピーの弁別を持たぬことである。西欧ではものとしての文化は主として
石で作られてゐるが、日本のそれは木で作られてゐる。オリジナルの破壊は二度とよみがへらぬ最終的破壊であり、
ものとしての文化はここに廃絶するから、パリはそのやうにして敵に明け渡された。
(中略)
このもつとも端的な例を伊勢神宮の造営に見ることが出来る。持統帝以来五十九回に亘る二十年毎の式年造営は、
いつも新たに建てられた伊勢神宮がオリジナルなのであつて、オリジナルはその時点においてコピーに
オリジナルの生命を託して滅びてゆき、コピー自体がオリジナルになるのである。大半をローマ時代のコピーに
たよらざるをえぬギリシア古典期の彫刻の負うてゐるハンディキャップと比べれば、伊勢神宮の式年造営の
文化概念のユニークさは明らかであらう。歌道における「本歌取り」の法則その他、この種の基本的文化概念は
今日なほわれわれの心の深所を占めてゐる。
三島由紀夫「文化防衛論 日本文化の国民的特色」より

12 :
このやうな文化概念の特質は、各代の天皇が、正に天皇その方であつて、天照大神(あまてらすおほみかみ)と
オリジナルとコピーの関係にはないところの天皇制の特質と見合つてゐるが、これについては後に詳述する。
第三に、かくして創り出される日本文化は、創り出す主体の側からいへば、自由な創造的主体であつて、型の
伝承自体、この源泉的な創造的主体の活動を振起するものである。これが、作品だけではなく、行為と生命を
包含した文化概念の根底にあるもので、国民的な自由な創造的主体といふ源泉との間がどこかで絶たれれば、
文化的な涸渇が起るのは当然であつて、文化の生命の連続性(その全的な容認)といふ本質は、弁証法的発展
乃至進歩の概念とは矛盾する。なぜならその創造主体は、歴史的条件の制約をのりこえて、時に身をひそめ、
時に激発して(偶然にのこされた作品の羅列による文化史ではなくて)、国民精神の一貫した統一的な文化史を
形成する筈だからである。
三島由紀夫「文化防衛論 日本文化の国民的特色」より

13 :
香川県の某接骨院に勤務する指圧師です。(勤務先は申し上げられません)
 
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香川がベースですが近隣、また遠方でも交通費ご負担いただければ
参ります。
 
よろしくおねがいします。

14 :
三島由紀夫w
昭和天皇が226のテロに反対したとことで天皇を批判したエセ勤王家w
言葉巧みに馬鹿を騙すテクニックは一流。

15 :
日本人にとつての日本文化は次のやうな三つの特質を有することになるが、これはフランス人にとつての
フランス文化も、同種の特質を有すると考へてよからう。すなはち国民文化の再帰性と全体性と主体性である。
真のギリシア人のゐないギリシアに残された廃墟は、ギリシア人にとつては、そこから自己の主体へ再帰する
何ものもない美の完結した〈もの〉であつて、ギリシアの廃墟からの文化の生命の連続性を感じうるのは、
むしろヨーロッパ人の特権になつてゐる。しかし日本人にとつての日本文化とは、源氏物語が何度でも現代の
われわれの主体に再帰して、その連続性を確認させ、新しい創造の母胎となりうるやうに、ものとしての
それ自体の美学的評価をのりこえて、連続性と再帰性を喚起する。これこそが伝統と人の呼ぶところのものであり、
私はこの意味で、明治以来の近代文学史を古典文学史から遮断する文学史観に大きな疑問を抱くものである。
文化の再帰性とは、文化がただ「見られる」ものではなくて、「見る」者として見返してくる、といふ認識に
他ならない。
三島由紀夫「文化防衛論 国民文化の三特質」より

16 :
又、「菊と刀」のまるごとの容認、倫理的に美を判断するのではなく、倫理を美的に判断して、文化をまるごと
容認することが、文化の全体性の認識にとつて不可欠であつて、これがあらゆる文化主義、あらゆる政体の
文化政策的理念に抗するところのものである。文化はまるごとみとめ、これをまるごと保持せねばならぬ。
文化には改良も進歩も不可能であつて、そもそも文化に修正といふことはありえない。これがありうるといふ
妄信は戦後しばらくの日本を執拗に支配してゐた。
又、文化は、ぎりぎりの形態においては、創造し保持し破壊するブラフマン・ヴィシュヌ・シヴァのヒンズー三神の
三位一体のやうな主体性においてのみ発現するものである。これについて、かつて戦時中、丹羽文雄氏の
「海戦」を批判して、海戦の最中これを記録するためにメモをとりつづけるよりも、むしろ弾丸運びを
手つだつたはうが真の文学者のとるべき態度だと言つた蓮田善明氏の一見矯激な考へには、
深く再考すべきものが含まれてゐる。
三島由紀夫「文化防衛論 国民文化の三特質」より

17 :
それが証拠に、戦後ただちに海軍の暴露的小説「篠竹」を書いた丹羽氏は当時の氏の本質は精巧なカメラであつて、
主体なき客観性に依拠してゐたことを自ら証明したからである。文学の主体性とは、文化的創造の主体の自由の
延長上に、あるひは作品、あるひは行動様式による、その時、その時の、最上の成果へ身を挺することであるべき
だからである。そして日本文化は、そのためのあらゆる文化的可能性をのこしてゐるからである。
以上三つの再帰性、全体性、主体性による文化概念の定義は、おのづから文化を防衛するにはいかにあるべきか、
文化の真の敵は何かといふ考察を促すであらう。
三島由紀夫「文化防衛論 国民文化の三特質」より

18 :
体を通してきて、行動様式を学んで、そこではじめて自分のオリジナルをつかむといふ日本人の文化概念、
といふよりも、文化と行動を一致させる思考形式は、あらゆる政治形態の下で、多少の危険性を孕むものと
見られてゐる。政治体制の掣肘の甚だしい例は戦時中の言論統制であるが、源氏を誨の書とする儒学者の思想は、
江戸幕府からずつとつづいてゐた。それはいつも文化の全体性と連続性をどこかで絶つて工作しようといふ政策で
あつた。しかし文化自体を日本人の行動様式の集大成と考へれば、それをどこかで絶つて、ここから先はいけない、
と言ふことには無理がある。努力はむしろつねに、全体性と連続性の全的な容認と復活による、文化の回生に
向けられるべきなのであるが、現代では、「菊と刀」の「刀」が絶たれた結果、日本文化の特質の一つでもある、
際限もないエモーショナルなだらしなさが現はれてをり、戦時中は、「菊」が絶たれた結果、別の方向に欺瞞と
偽善が生じたのであつた。つねに抑圧者の側のヒステリカルな偽善の役割を演ずることは、戦時中も現在も
変りがない。
三島由紀夫「文化防衛論 何に対して文化を守るか」より

19 :
ものとしての文化の保持は、中共文化大革命のやうな極端な例を除いては、いかなる政体の文化主義に委ねて
おいても大して心配はない。文化主義はあらゆる偽善をゆるし、岩波文庫は「葉隠」を復刻するからである。
しかし、創造的主体の自由と、その生命の連続性を守るには政体を選ばなければならない。ここに何を守るのか、
いかに守るのか、といふ行動の問題がはじまるのである。
守るとは何か? 文化が文化を守ることはできず、言論で言論を守らうといふ企図は必ず失敗するか、単に
目こぼしをしてもらふかにすぎない。「守る」とはつねに剣の原理である。
守るといふ行為には、かくて必ず危険がつきまとひ、自己を守るのにすら自己放棄が必須になる。平和を守るには
つねに暴力の用意が必要であり、守る対象と守る行為との間には、永遠のパラドックスが存在するのである。
文化主義はこのパラドックスを回避して、自らの目をおほふ者だといへよう。
三島由紀夫「文化防衛論 何に対して文化を守るか」より

20 :
(中略)力が倫理的に否定されると、次には力そのものの無効性を証明する必要にかられるのは、実は恐怖の
演ずる一連の心理的プロセスに他ならない。(中略)そこ(文化主義が暴力否定から国家権力の最終的否定に
陥る経路)では「文化」と「自己保全」とが、同じ心理的メカニズムの中で動いてゐる。すなはち、文化と
人文主義的福祉価値とは同義語になるのである。
かくて、文化主義の裡にひそむ根底的エゴイズムと恐怖の心理機構は、自己の無力を守るために、他者の力を
見ないですまさうとするヒステリックな夢想に帰結する。
冷徹な事実は、文化を守るためには、他のあらゆるものを守ると同様に力が要り、その力は文化の創造者保持者
自身にこそ属さなければならぬ、といふことである。これと同時に、「平和を守る」といふ行為と方法が、
すべて平和的でなければならぬといふ考へは、一般的な文化主義的妄信であり、戦後の日本を風靡してゐる
女性的没論理の一種である。
三島由紀夫「文化防衛論 何に対して文化を守るか」より

21 :
(中略)
もし守るべき対象の現状が完璧であり、博物館の何百カラットのダイヤのやうに、守られるだけの受動的存在で
あるならば、すなはち守るべき対象に生命の発展の可能性と主体が存在しないならば、このやうなものを守る行為は、
パリ開城のやうに、最終的には敗北主義か、あるひは、守られるべきものの破壊に終るであらう。従つて
「守る」といふ行為にも亦、文化と同様に再帰性がなければならない。すなはち守る側の理想像と守られる側の
あるべき姿に、同一化の機縁がなければならない。さらに一歩進んで、守る側の守られる側に対する同一化が、
最終的に成就される可能性がなければならない。博物館のダイヤと護衛との間にはこのやうな同一化の可能性は
ありえず、この種の可能性にこそ守るといふ行為の栄光の根拠があると考へられる。国家の与へうる栄光の根拠も、
この心理機構に基づく。かくて「文化を守る」といふ行為には、文化自体の再帰性と全体性と主体性への、
守る側の内部の創造的主体の自由の同一化が予定されてをり、ここに、文化の本質的な性格があらはれてゐる。
三島由紀夫「文化防衛論 何に対して文化を守るか」より

22 :
すなはち、文化はその本質上、「守る行為」を、文化の主体(といふよりは、源泉の主体に流れを汲むところの
創造的個体)に要求してゐるのであり、われわれが守る対象は、思想でも政治体制でもなくて、結局このやうな意味の
「文化」に帰着するのである。文化自体が自己放棄を要求することによつて、自己の超越的契機になるのは
この地点である。
従つて、文化は自己の安全を守るといふエゴイズムからの脱却を必然的に示唆する。現在、平和憲法を守ることが、
一方では、階級闘争の錦の御旗になり、闘争とは縁のない、感情的平和主義者、日和見主義者、あらゆる
戦ひの放棄による自己保全を夢みるマイ・ホーム主義者、戦争に対する生理的嫌悪に固執する婦人層などの、
自己保全派の支持層に広汎に支へられてゐるといふ事情は、イデオロギッシュな自己放棄派が、心情的自己保全派に
支持されてゐるといふ矛盾を犯してゐる。
三島由紀夫「文化防衛論 何に対して文化を守るか」より

23 :
文化における生命の自覚は、生命の法則に従つて、生命の連続性を守るための自己放棄といふ衝動へ人を促す。
自我分析と自我への埋没といふ孤立から、文化が不毛に陥るときに、これからの脱却のみが、文化の蘇生を
成就すると考へられ、蘇生は同時に、自己の滅却を要求するのである。このやうな献身的契機を含まぬ文化の、
不毛の自己完結性が、「近代性」と呼ばれたところのものであつた。そして自我滅却の栄光の根拠が、守られるものの
死んだ光輝にあるのではなくて、活きた根源的な力(見返す力)に存しなければならぬ、といふことが、文化の
生命の連続性のうちに求められるのであれば、われわれの守るべきものはおのづから明らかである。かくて、
創造することが守ることだといふ、主体と客体の合一が目賭されることは自然であらう。文武両道とはそのやうな
思想である。現状肯定と現状維持ではなくて、守ること自体が革新することであり、同時に、「生み」「成る」
ことなのであつた。
三島由紀夫「文化防衛論 創造することと守ることの一致」より

24 :
さて、守るとは行動であるから、一定の訓練による肉体的能力を具へねばならぬ。台湾政府の要人が、多く
少林寺拳法の達人であると私はきいたが、日本の近代文化人の肉体鍛錬の不足と、病気と薬品のみを通じて肉体に
関心を持つ傾向は、日本文学を痩せさせ、その題材と視野を限定した。私は、明治以来のいはゆる純文学に、
剣道の場面が一つもあらはれないことを奇異に感じる。(中略)肺結核の登場人物は減少したが、依然として、
そこには不眠症患者、ノイローゼ患者、不能者、皮下脂肪の沈積したぶざまな肉体、癌患者、胃弱体質、感傷家、
半狂人、などの群がり集まつた天国なのである。戦ふことのできる人間は極めて稀である。病気及び肉体的不健康が
形而上学的意味を賦与されたロマンティスムから世紀末にいたる古い固定観念は、一向癒やされてゐないのみならず、
こんな西欧的観念は、時には時世に媚びて、民俗学的仮装であらはれたりする。このことが行動を不当に
蔑視させたり、危険視させたり、あるひは逆に過大評価させたりする弱者の生理的理由にさへなつてゐるのである。
三島由紀夫「文化防衛論 創造することと守ることの一致」より

25 :
さて、「菊と刀」を連続させ、もつとも崇高なものから卑近なものにまで及び、文化主義者のいはゆる「危険性」を
避けないところの文化概念の母胎は、何らかの共同体でなければならないが、日本の共同体原理は戦後バラバラに
されてしまつた。血族共同体と国家との類縁関係はむざんに絶たれた。しかしなほ共同体原理は、そこかしこで、
エモーショナルな政治反応をひきおこす最大の情動的要素になつてゐる。それが今日、民族主義と呼ばれる
ところのものである。よかれあしかれ、新しい共同体原理がこれを通して呼び求められてゐることは明らかであらう。
戦後の民族主義はほぼ四段階の経過を辿つたといふのが、私の大まかな観察である。
戦後しばらく、占領下の民族主義は国家観念の明らかな崩壊の状況下に社会革命なるものと癒着してゐるやうな
外見を呈した。(中略)吉田内閣は、国民総体の欺瞞へのよろこびを代表してゐた。占領に対する欺瞞的抵抗が、
民族主義のひそかな、語られざる満足になり、一方、大声の、公然たる民族主義は、革命の空想と癒着した。
三島由紀夫「文化防衛論 戦後民族主義の四段階」より

26 :
(中略)
池田内閣のあのやうなふしだらな消費政策がはからざる逆効果をもたらし、オリンピックにおいて、平和憲法と
民族主義との戦後最大の握手が国家の司祭によつて成功した。これは一つの国家による、そして国民による、
民族主義的達成のピークであつた。しかし安保条約下における民族主義といふ制約は、民族主義そのものの質の
変化を正にこのときひそかに要求してゐた。佐藤内閣は、いろんな面で、「正直な内閣」たらざるをえぬ宿命を
担つてゐた。国会の防衛論争が正に破綻に瀕せんとする寸前に、オリンピック選手円谷の自刃が起つたことは
象徴的である。国家権力は、再び、民族主義に、それのみが国家が民族主義に寄与することのできる贈物で
あるところの国家的栄冠を与へることに失敗しつつある。
第三次の民族主義は、エンタープライズ事件を一つの曲り角として、再び「ナショナリズムの糖衣をかぶつた
インターナショナリズム」の登場を許したと思はれる。
三島由紀夫「文化防衛論 戦後民族主義の四段階」より

27 :
エンタープライズ事件における三派全学連の行動は、日本におけるナショナリズムとインターナショナリズムの
「見る者」と「見られる者」の分離を明確にした注目すべきモメントを形成した。すなはち、米軍基地の存在が
過去の自民党政府の民族主義の昂揚によつて却つて、自立の感情を刺戟し、国民心理に無形の負担を感ぜしめ、
又、国会の防衛論争において、「自主防衛」の具体的方策を執拗に問はれた佐藤首相が、「自主防衛とは
すなはち三次防を行ふことだ」(十二月九日国会答弁)と答へた瞬間に、論争はその論理的発展を失つて単なる
政争の場面へ顛落し、国民の自主防衛意識は精神的支柱を失つて政治的プラグマティズムへ直結され、却つて
米軍基地の柵をのりこえた日本青年といふ象徴的事件が、国民のエモーショナルな欲求の一斑を満足させて、
民族主義を一つの曲り角へ導いたのである。このやうなターニング・ポイントは、実はヴィエトナム戦争によつて
長期間に養成されたものであつた。
三島由紀夫「文化防衛論 戦後民族主義の四段階」より

28 :
すなはち、ヴィエトナム戦争への感傷的人道主義的同情は、民族主義とインターナショナリズムの癒着を無意識の
うちに醸成し、反政府的感情とこれが結合して、一つの類推を成立させた。類推とは、他民族の自立感情に対する
感情移入を以て、自民族の自立感情のフラストレーションの解決をはかるといふ代償行為である。そこでは
厳密に言つて、近代国家の形成を経ぬヴィエトナムの民族主義とわが民族主義との歴史的諸条件の差異、
民族主義にとつての本質的な差異は看過されてをり、又、インターナショナリズムの連帯と同情や感傷による
連帯との本質的な弁別は、無視されるか、あるひはカヴァーされてゐる。(中略)
彼ら(三派全学連)は上陸した米軍兵士をすわけでもなく、基地内の米軍兵士に射たれたわけでもなかつた。
ただ強引に「見られる民族主義」を演じるといふその象徴行為は、彼らの「作られた民族主義」の側面を露呈した。
三島由紀夫「文化防衛論 戦後民族主義の四段階」より

29 :
インターナショナリズムによつて国家を否定し、ナショナリズムによつて民族を肯定しようといふその政治目的は、
その否定と肯定が同義語になるやうな決定的モメント、すなはち革命を暗示するには足りず、却つて、その分離の
様相を明確にしたのである。(中略)
「かれら」の文化は、民族主義とインターナショナリズムの国家超克との結合点としてとらへられるであらう。
これは文化主義のもつとも先鋭な政治的利用の方式であり、文化主義そのものが内包してゐる「人類の文化」概念の、
民族主義的下部構造からの再構成である。この種の動きは、小規模ではあるが、日本の新劇運動に深く浸潤してゐる。
その依つて立つ共同体理念である民族主義自体が、共同体の意味の移管を暗示するやうに「作られて」ゐるのである。
しかし、何はともあれ、共産主義にとつてもファシズムにとつても、もつとも利用しやすい民族主義が、目下の
ところ、国家に代つて共同体意識の基本単位と目されてゐるだけに、民族主義のみに依拠する危険は日ましに
募つてゐる。
三島由紀夫「文化防衛論 戦後民族主義の四段階」より

30 :
民族主義とは、本来、一民族一国家、一個の文化伝統・言語伝統による政治的統一の熱情に他ならない。(中略)
では、日本にとつての民族主義とは何であらうか? 自主独立へのエモーショナルな熱望は、必ずしも民族主義と
完全に符合するわけではない。(中略)言語と文化伝統を共有するわが民族は、太古から政治的統一をなしとげて
をり、われわれの文化の連続性は、民族と国との非分離にかかつてゐる。そして皮肉なことには、敗戦によつて
現有領土に押し込められた日本は、国内に於ける異民族問題をほとんど持たなくなり、アメリカのやうに一部民族と
国家の相反関係や、民族主義に対して国家が受け身に立たざるをえぬ状況といふものを持たないのである。
従つて異民族問題をことさら政治的に追及するやうな戦術は、作られた緊張の匂ひがするのみならず、国を
現実の政治権力の権力機構と同一し、ひたすら現政府を「国民を外国へ売り渡す」買辧政権と規定することに
熱意を傾け、民族主義をこの方向へ利用しようと力めるのである。
三島由紀夫「文化防衛論 戦後民族主義の四段階」より

31 :
しかし前にも言つたやうに、日本には、現在、シリアスな異民族問題はなく、又、一民族一文化伝統による
政治的統一への悲願もありえない。それは日本の歴史において、すでに成しとげられてゐるものだからである。
もしそれがあるとすれば、現在の日本を一民族一文化伝統の政治的統一を成就せぬところの、民族と国との
分離状況としてとらへてゐるのであり、民族主義の強調自体が、この分離状況の強調であり、終局的には、
国を否定して民族を肯定しようとする戦術的意図に他ならない。すなはち、それは非分離を分離へ導かうとする
ための「手段としての民族主義」なのである。
(中略)
前述したやうに、第三次の民族主義は、ヴィエトナム戦争によつて、論理的な継目をぼかされながら育成され、
最後に分離の様相を明らかにしたが、ポスト・ヴィエトナムの時代は、この分離を、沖縄問題と朝鮮人問題に
よつて、さらに明確にするであらう。
三島由紀夫「文化防衛論 戦後民族主義の四段階」より

32 :
社会的な事件といふものは、古代の童話のやうに、次に来るべき時代を寓意的に象徴することがままあるが、
金嬉老事件は、ジョンソン声明に先立つて、或る時代を予言するやうなすこぶる寓意的な起り方をした。それは
三つの主題を持つてゐる。すなはち、「人質にされた日本人」といふ主題と、「抑圧されて激発する異民族」
といふ主題と「日本人を平和的にしか救出しえない国家権力」といふ主題と、この三つである。第一の問題は、
沖縄や新島の島民を、第二の問題は朝鮮人問題そのものを、第三の問題は、現下の国家権力の平和憲法と
世論による足カセ手カセを、露骨に表象してゐた。そしてここでは、正に、政治的イデオロギーの望むがままに
変容させられる日本民族の相反するイメージ――外国の武力によつて人質にされ抑圧された平和的な日本民族といふ
イメージと、異民族の歴史の罪障感によつて権力行使を制約される日本民族といふイメージ――が二つながら
典型的に表現されたのである。
三島由紀夫「文化防衛論 戦後民族主義の四段階」より

33 :
前者の被害者イメージは、朝鮮民族と同一化され、後者の加害者イメージは、ヴィエトナム戦争を遂行する
アメリカのイメージにだぶらされた。
しかし戦後の日本にとつては、真の民族問題はありえず、在日朝鮮人問題は、国際問題であり、リフュジー(難民)の
問題であつても、日本国内の問題ではありえない。これを内部の問題であるかの如く扱ふ一部の扱ひには、
明らかに政治的意図があつて、先進工業国における革命主体としての異民族の利用価値を認めたものに他ならない。
そこには、しかし、日本の民族主義との矛盾が論理的に存在するにもかかはらず、ヴィエトナム戦争とアメリカの
黒人暴動とが、かかる「手段としての民族主義」を、ヒューマニズムの仮面の下に、正当化したのである。
三島由紀夫「文化防衛論 戦後民族主義の四段階」より

34 :
手段としての民族主義はこれを自由に使ひ分けながら、沖縄問題や新島問題では、「人質にされた日本人」の
イメージを以て訴へかけ、一方、起りうべき朝鮮半島の危機に際しては、民族主義の国際的連帯感といふ
論理矛盾を、再び心情的に前面に押し出すであらう。被害者日本と加害者日本のイメージを使ひ分けて、
民族主義を領略しようと企てるであらう。しかしながら、第三次の民族主義における分離の様相はますます
顕在化し、同時に、ポスト・ヴィエトナムの情勢は、保守的民族主義の勃興を促し、これによつて民族主義の
左右からの奪ひ合ひは、ますます先鋭化するであらう。
三島由紀夫「文化防衛論 戦後民族主義の四段階」より

35 :
叙上の如く、日本では戦後真の異民族問題はなく、左右いづれの側にとつても、同民族の合意の形成が目標で
あることはいふまでもないが、同民族の合意とは、少なくとも日本においては、日本がその本来の姿に目ざめ、
民族目的と国家目的が文化概念に包まれて一致することである。その鍵は文化にだけあるのである。又、その
文化の母胎としての共同体原理も、このやうな一致にしかない。
そもそも文化の全体性とは、左右あらゆる形態の全体主義との完全な対立概念であるが、ここには詩と政治との
もつとも古い対立がひそんでゐる。文化を全体的に容認する政体は可能かといふ問題は、ほとんど、エロティシズムを
全体的に容認する政体は可能かといふ問題に接近してゐる。
左右の全体主義の文化政策は、文化主義と民族主義の仮面を巧みにかぶりながら、文化それ自体の全体性を敵視し、
つねに全体性の削減へ向ふのである。言論自由の弾圧の心理的根拠は、あらゆる全体性に対する全体主義の
嫉妬に他ならない。全体主義は「全体」の独占を本質とするからである。
三島由紀夫「文化防衛論 文化の全体性と全体主義」より

36 :
文化の全体性には、時間的連続性と空間的連続性が不可欠であらう。前者は伝統と美と趣味を保障し、後者は
生の多様性を保障するのである。言論の自由は、前者についてはともかく、後者については、間然するところの
ない保護者である。
もちろん言論の自由は絶対的価値ではなく、それ自体が時には文化を腐敗させることは現下の日本に見るとほりで
あり、ともすると言論の自由が文化の創造的伝統的性格とヒエラルヒーを失はせ、文化の全体性の平面のみを
支持して、全体性の立体性を失はせる欠点があるけれども、相対的にはこれ以上よいものは見当らず、これ以上、
相手方に対する思想的寛容といふ精神的優越性を保たせるものはない。かくて言論の自由は文化の全体性を
支へる技術的要件であると共に、政治的要件である。言論の自由を保障する政体の選択が、プラクティカルな
選択として最善のものとなるのはこの理由からである。文化の第一の敵は、言論の自由を最終的に保障しない
政治体制に他ならない。
三島由紀夫「文化防衛論 文化の全体性と全体主義」より

37 :
しかし、言論の自由は本質的に無倫理的であり、それ自体が相対主義の上に成立つた政治技術的概念であるから、
いはゆる自由陣営に属することの相対的選択を、国是と同一視する安保条約の思想は、薄弱な倫理的根拠をしか
持ちえぬのは当然であり、それは今後ますますその力を失ふであらう。
言論の自由と代議制民主主義とが折れ合ふのは、正にこの相対主義的理念に於てであり、いかなる汚ない言葉も
一度は言はれねばならない、といふところから精神の尊卑をおのづから弁別せしめるのであるが、その最終的
勝利にはいつも時間がかかり、過程においては、趣味の低下、美の平価切下を免れない。それは言論の自由が
本質的に、文化の全体性のうち、その垂直面、すなはち時間的連続性には関はらないからである。しかも自由の
非自由に対する優位は、非自由の速攻性と外面的権威に対してハンディキャップを負ふ一方、自由そのものが、
政治宣伝技術上イデオロギー化のきはめて困難な政治概念であるため、危機に臨んでは、無理なイデオロギー化に
よつて足をとられやすい。
三島由紀夫「文化防衛論 文化の全体性と全体主義」より

38 :
そこで自由諸国といへども、内部から全体主義に蝕まれる惧れをなしとしないのは、幾多の実例に見るとほりである。
「民主政治の信者は……共産主義者よりも、自分の考えがちなことすべてについて無意識である」とパーキンソンは
その「政治法則」の中で言つてゐる。「たとへば、彼らの宗教はかならずしも一冊の聖なる書物による宗教ではない。
彼らは、あいまいな歴史知識にもとづいて議論しがちだ。(中略)政治の理論と実際を討議するどんな場合にも
君主政治もしくは寡頭政治にまったく長所がないと否定するのは、バカげたことであらう」
かくて言論の自由が本来保障すべき、精神の絶対的優位の見地からは、文化共同体理念の確立が必要とされ、
これのみがイデオロギーに対抗しうるのであるが、文化共同体理念は、その絶対的倫理的価値と同時に、文化の
無差別包括性を併せ持たねばならぬ。ここに文化概念としての天皇が登場するのである。
三島由紀夫「文化防衛論 文化の全体性と全体主義」より

39 :
国と民族の非分離の象徴であり、その時間的連続性と空間的連続性の座標軸であるところの天皇は、日本の
近代史においては、一度もその本質である「文化概念」としての形姿を如実に示されたことはなかつた。
このことは明治憲法国家の本質が、文化の全体性の侵蝕の上に成立ち、儒教道徳の残滓をとどめた官僚文化によつて
代表されてゐたことと関はりがある。私は先ごろ仙洞御所を拝観して、こののびやかな帝王の苑池に架せられた
明治官僚補綴の石橋の醜悪さに目をおほうた。
すなはち、文化の全体性、再帰性、主体性が、一見雑然たる包括的なその文化概念に、見合ふだけの価値自体
(ヴェルト・アン・ジッヒ)を見出すためには、その価値自体からの演繹によつて、日本文化のあらゆる末端の
特殊事実までが推論されなければならないが、明治憲法下の天皇制機構は、ますます西欧的な立憲君主政体へと
押しこめられて行き、政治的機構の醇化によつて文化的機能を捨象して行つたがために、つひにかかる演繹能力を
持たなくなつてゐたのである。
三島由紀夫「文化防衛論 文化概念としての天皇」より

40 :
雑多な、広汎な、包括的な文化の全体性に、正に見合ふだけの唯一の価値自体として、われわれは天皇の
真姿である文化概念としての天皇に到達しなければならない。
かつて建武中興が後醍醐天皇によつて実現したとき、それは政権の移動のみならず、王朝文化の復活を意味してゐた。
(中略)
このやうな文化概念としての天皇制は、文化の全体性の二要件を充たし、時間的連続性が祭祀につながると共に、
空間的連続性は時には政治的無秩序をさへ容認するにいたることは、あたかも最深のエロティシズムが、一方では
古来の神権政治に、他方ではアナーキズムに接着するのと照応してゐる。
「みやび」は、宮廷の文化的精華であり、それへのあこがれであつたが、非常の時には、「みやび」はテロリズムの
形態をさへとつた。すなはち、文化概念としての天皇は、国家権力と秩序の側だけにあるのみではなく、
無秩序の側へも手をさしのべてゐたのである。
三島由紀夫「文化防衛論 文化概念としての天皇」より

41 :
もし国家権力や秩序が、国と民族を分離の状態に置いてゐるときは、「国と民族の非分離」を回復せしめようと
する変革の原理として、文化概念たる天皇が作用した。孝明天皇の大御心に応へて起つた桜田門の変の義士たちは、
「一筋のみやび」を実行したのであつて、天皇のための蹶起は、文化様式に背反せぬ限り、容認されるべきで
あつたが、西欧的立憲君主政体に固執した昭和の天皇制は、二・二六事件の「みやび」を理解する力を喪つてゐた。
明治憲法による天皇制は、祭政一致を標榜することによつて(明治元年十月「氷川神社を武蔵国の鎮守に為し
給へる詔」には、祭政一致の文字が歴然と見える。――西角井正慶氏著「古代祭祀と文学」)、時間的連続性を
充たしたが、政治的無秩序を招来する危険のある空間的連続性には関はらなかつた。すなはち言論の自由には
関はりなかつたのである。政治概念としての天皇は、より自由でより包括的な文化概念としての天皇を、多分に
犠牲に供せざるをえなかつた。
三島由紀夫「文化防衛論 文化概念としての天皇」より

42 :
そして戦後のいはゆる「文化国家」日本が、米占領下に辛うじて維持した天皇制は、その二つの側面をいづれも
無力化して、俗流官僚や俗流文化人の大正的教養主義の帰結として、大衆社会化に追随せしめられ、いはゆる
「週刊誌天皇制」の域にまでそのディグニティーを失墜せしめられたのである。天皇と文化は相関はらなくなり、
左右の全体主義に対抗する唯一の理念としての「文化概念たる天皇」「文化の全体性の統括者としての天皇」の
イメージの復活と定立は、つひに試みられることなくして終つた。かくて文化の尊貴が喪はれた一方、復古主義者は
単に政治概念たる天皇の復活のみを望んで来たのであつた。
とはいへ、保存された賢所の祭祀と御歌所の儀式の裡に、祭司かつ詩人である天皇のお姿は活きてゐる。御歌所の
伝承は、詩が帝王によつて主宰され、しかも帝王の個人的才能や教養とほとんどかかはりなく、民衆詩を
「みやび」を以て統括するといふ、万葉集以来の文化共同体の存在証明であり、独創は周辺へ追ひやられ、
月並は核心に輝いてゐる。
三島由紀夫「文化防衛論 文化概念としての天皇」より

43 :
民衆詩はみやびに参与することにより、帝王の御製の山頂から一トつづきの裾野につらなることにより、国の
文化伝統をただ「見る」だけではなく、創ることによつて参加し、且つその文化的連続性から「見返」される
といふ栄光を与へられる。その主宰者たる現天皇は、あたかも伊勢神宮の式年造営のやうに、今上であらせられると
共に原初の天皇なのであつた。大嘗会と新嘗祭の秘儀は、このことをよく伝へてゐる。
文化の現存在と源泉、創造と伝承とが、このやうな形で関はり合つてゐる文化共同体としての天皇制は、
近代文化の担ひ手の意識からは一切払拭されてゐるやうに見えるけれど、われわれは宮廷風の優雅のほかには、
真に典例的な優雅の規範を持たず、文化の全体性は、自由と責任といふ平面的な対立概念の裡にではなく、
自由と優雅といふ立体的構造の裡にしかないのである。今もなほわれわれは、「菊と刀」をのこりなく内包する
詩形としては、和歌以外のものを持たない。
三島由紀夫「文化防衛論 文化概念としての天皇」より

44 :
かつて物語が歌の詞書から発展して生れたやうに、歌は日本文学の元素のごときものであり、爾余のジャンルは
その敷衍であつて、ひびき合ふ言語の影像の聨想作用にもとづく流動的構成は、今にいたるも日本文学の、
ほとんど無意識の普遍的手法をなしてゐる。宮廷詩の「みやび」と、民衆詩の「みやびのまねび」との間に
はさまれて、あらゆる日本近代文化は、その細い根無し草の営為をつづけてきたのであつた。伝統との断絶は
一見月並風なみやびとの断絶に他ならず、しかも日本の近代は、「幽玄」「花」「わび」「さび」のやうな、
時代を真に表象する美的原理を何一つ生まなかつた。天皇といふ絶対的媒体なしには、詩と政治とは、完全な
対立状態に陥るか、政治による詩的領土の併呑に終るしかなかつた。
みやびの源流が天皇であるといふことは、美的価値の最高度を「みやび」に求める伝統を物語り、左翼の
民衆文化論の示唆するところとことなつて、日本の民衆文化は概ね「みやびのまねび」に発してゐる。
三島由紀夫「文化防衛論 文化概念としての天皇」より

45 :
そして時代時代の日本文化は、みやびを中心とした衛星的な美的原理、「幽玄」「花」「わび」「さび」などを
成立せしめたが、この独創的な新生な文化を生む母胎こそ、高貴で月並なみやびの文化であり、文化の反独創性の極、
古典主義の極致の秘庫が天皇なのであつた。しかもオーソドックスの美的円満性と倫理的起源が、美的激発と
倫理的激発をたえずインスパイアするところに天皇の意義があり、この「没我の王制」が、時代時代のエゴイズムの
掣肘力であると同時に包容概念であつた。天照大神はかくて、岩戸隠れによつて、美的倫理的批判を行ふが、
権力によつて行ふのではない。速須佐之男の命の美的倫理的逸脱は、このやうにして、天照大神の悲しみの
自己否定の形で批判されるが、つひに神の宴の、鳴滸業を演ずる天宇受売命に対する、
文化の哄笑(もつとも卑俗なるもの)によつて融和せしめられる。ここに日本文化の基本的な現象形態が語られて
ゐる。しかも、速須佐之男の命は、かつては黄泉の母を慕うて、「青山を枯山なす泣き枯す」男神であつた。
菊の笑ひと刀の悲しみはすでにこれらの神話に包摂されてゐた。
三島由紀夫「文化防衛論 文化概念としての天皇」より

46 :
速須佐之男の命は、己れの罪によつて放逐されてのち、英雄となるのであるが、日本における反逆や革命の
倫理的根源が、正にその反逆や革命の対象たる日神にあることを、文化は教へられるのである。これこそは
八咫(やたの)鏡の秘義に他ならない。文化上のいかなる反逆もいかなる卑俗も、つひに「みやび」の中に
包括され、そこに文化の全体性がのこりなく示現し、文化概念としての天皇が成立する、
といふのが、日本の文化史の大綱である。それは永久に、卑俗をも包括しつつ霞み渡る、高貴と優雅と月並の
故郷であつた。
菊と刀の栄誉が最終的に帰一する根源が天皇なのであるから、軍事上の栄誉も亦、文化概念としての天皇から
与へられなければならない。現行憲法下法理的に可能な方法だと思はれるが、天皇に栄誉大権の実質を回復し、
軍の儀仗を受けられることはもちろん、聨隊旗も直接下賜されなければならない。
三島由紀夫「文化防衛論 文化概念としての天皇」より

47 :
(中略)
時運の赴くところ、象徴天皇制を圧倒的多数を以て支持する国民が、同時に、容共政権の成立を容認するかも
しれない。そのときは、代議制民主主義を通じて平和裡に、「天皇制下の共産政体」さへ成立しかねないのである。
およそ言論の自由の反対概念である共産政権乃至容共政権が、文化の連続性を破壊し、全体性を毀損することは、
今さら言ふまでもないが、文化概念としての天皇はこれと共に崩壊して、もつとも狡猾な政治的象徴として
利用されるか、あるひは利用されたのちに捨て去られるか、その運命は決つてゐる。このやうな事態を防ぐためには、
天皇と軍隊を栄誉の絆でつないでおくことが急務なのであり、又、そのほかに確実な防止策はない。もちろん、
かうした栄誉大権的内容の復活は、政治概念としての天皇をではなく、文化概念としての天皇の復活を促すもので
なくてはならぬ。文化の全体性を代表するこのやうな天皇のみが窮極の価値自体だからであり、天皇が否定され、
あるひは全体主義の政治概念に包括されるときこそ、日本の又、日本文化の真の危機だからである。
三島由紀夫「文化防衛論 文化概念としての天皇」より

48 :
(大野)氏が、天皇に心をとらへられることを、単に十九世紀の制度の作つた新しい侵略主義的感情だといふならば、
階級が感情を作るといふこの古くさい退屈な理論は、尊皇思想のみの力が明治天皇制を形成したといふ唯心論の
裏返しにすぎない。制度が先か、国民感情が先か、といふ鶏と卵とどちらが先かといふやうな「論争」に
巻き込まれたくない点では、氏も私と同様であらう。
私が特に制度の問題を論ずるに当つて、歴史的「文化的」伝統との関聨を重んじ、このエトス=パトスに重点を
置くのは、文化とは非常に高度な洗練を成立条件としつつ、一方民族の根底的なエトス=パトスの原始性と
切り離されたとたんに、その生命力を失ふやうな繊細な花だといふ考へがあるからである。
三島由紀夫「再び大野明男氏に――制度と『文化的』伝統」より

49 :
高度な宮廷文化(みやび)の保持者として機能しつつ、民族的原質とつねに相関はつてきたものこそ天皇であり、
それを措いて、他に日本民族の最終的なアイデンティフィケーションは不可能であると私は考へる。もちろん、
宮廷文化を除外した日本の歴史も書けるし、民衆文化史も書けるであらう。大野氏の云ふやうに「ええぢやないか」
騒動を中核に置いた民衆の歴史を書くことも可能であらう。しかし、大野氏のやうな考へは、文化から、その最高の
洗練と美と高貴を追ひ出さうとする一種の畸型の情熱に転化することが容易であり、あげくのはては、毛沢東の、
「百姓にわからない文化は文化でない」といふ考へ方や、江青女史の京劇改革の方向へ結びつき、つひには
文化芸術は、ガサツな政治宣伝の道具に使はれてしまふのである。すなはち大野氏は、最初の私の引用にあるやうに、
「革命的であればこそ他のあらゆるものに優越する」といふドグマを、一歩も出ない人だからである。
三島由紀夫「再び大野明男氏に――制度と『文化的』伝統」より

50 :
最近東京空港で、米国務長官を襲つて未遂に終つた一青年のことが報道された。日本のあらゆる新聞がこの
青年について罵詈ざんばうを浴せ、袋叩きにし、足蹴にせんばかりの勢ひであつた。(中略)
私はテロリズムやこの青年の表白に無条件に賛成するのではない。ただあらゆる新聞が無名の一青年をこれほど
口をそろへて罵倒し、判で捺したやうな全く同じヒステリカルな反応を示したといふことに興味を持つたのである。
左派系の新聞も中立系の新聞も右派系の新聞も同時に全く同じヒステリー症状を呈した。かういふヒステリー症状は、
ふつう何かを大いそぎで隠すときの症候行為である。この怒り、この罵倒の下に、かれらは何を隠さうと
したのであらうか。
日本は西欧的文明国と西欧から思はれたい一心でこの百年をすごしてきたが、この無理なポーズからは何度も
ボロが出た。最大のボロは第二次世界対戦で出し切つたと考へられたが、戦後の日本は工業的先進国の列に入つて、
もうボロを出す心配はなく、外国人には外務官僚を通じて茶道や華道の平和愛好文化こそ日本文化であると
宣伝してゐればよかつた。
三島由紀夫「日本文化の深淵について」より

51 :
昭和三十六年、私がパリにゐたとき、たまたま日本で浅沼稲次郎の暗事件が起つた。浅沼氏は右翼の十七歳の
少年山口二矢によつて短剣で刺され、少年は直後獄中で自した。このとき丁度パリのムーラン・ルージュでは
Revue Japonais といふ日本人のレビューが上演されてをり、その一景に、日本の短剣の乱闘場面があつた。
在仏日本大使館は誤解をおそれて、大あわてで、その景のカットをレビュー団に勧告したのである。
誤解をおそれる、とは、ある場合は、正解をおそれるといふことの隠蔽である。私がいつも思ひ出すのは、
今から九十年前、明治九年に起つた神風連の事件で、これは今にいたるもファナティックな非合理な事件として
インテリの間に評判がわるく、外国人に知られなくない一種の恥と考へられてゐる。
約百名の元サムラヒの頑固な保守派のショービニストが起した叛乱であるが、彼らはあらゆる西洋的なものを憎み、
明治の新政府を西欧化の見本として敵視した。
三島由紀夫「日本文化の深淵について」より

52 :
電線の下を通るときは、西洋の魔法で頭がけがれると云つて、頭上に白扇をかざして通り、あらゆる西欧化に
反抗した末、新政府が廃刀令を施行して、武士の魂である刀をとりあげるに及び、すでにその地方に配置された
西欧化された近代的日本軍隊の兵営を、百名が日本刀と槍のみで襲ひ、結果は西洋製の小銃で撃ち倒され、
敗残の同志は悉く切腹して果てたのである。
トインビーの「西欧とアジア」に、十九世紀のアジアにとつては、西欧化に屈服してこれを受け入れることによつて
西欧に対抗するか、これに反抗して亡びるか、二つの道しかなかつたと記されてゐる。正にその通りで、一つの
例外もない。日本は西欧化近代化を自ら受け入れることによつて、近代的統一国家を作つたが、その際起つた
もつとも目ざましい純粋な反抗はこの神風連の乱のみであつた。他の叛乱は、もつと政治的色彩が濃厚であり、
このやうに純思想的文化的叛乱ではない。
三島由紀夫「日本文化の深淵について」より

53 :
日本の近代化が大いに讃えられ、狡猾なほどに日本の自己革新の能力が、他の怠惰なアジア民族に比して
賞讃されるかげに、いかなる犠牲が払はれたかについて、西欧人はおそらく知ることが少ない。それについて
探究することよりも、西欧人はアジア人の魂の奥底に、何か暗い不吉なものを直感して、黄禍論を固執するはうを
選ぶだらう。しかし一民族の文化のもつとも精妙なものは、おそらくもつともおぞましいものと固く結びついて
ゐるのである。エリザベス朝時代の幾多の悲劇がさうであるやうに。……日本はその足早な、無理な近代化の歩みと
共に、いつも月のやうに、その片面だけを西欧に対して示さうと努力して来たのであつた。そして日本の近代ほど、
光りと影を等分に包含した文化の全体性をいつも犠牲に供してきた時代はなかつた。私の四十年の歴史の中でも、
前半の二十年は、軍国主義の下で、不自然なピューリタニズムが文化を統制し、戦後の二十年は、平和主義の下で、
あらゆる武士的なもの、激し易い日本のスペイン風な魂が抑圧されて来たのである。
三島由紀夫「日本文化の深淵について」より

54 :
そこではいつも支配者側の偽善が大衆一般にしみ込み、抑圧されたものは何ら突破口を見出さなかつた。そして、
失はれた文化の全体性が、均衛をとりもどさうとするときには、必ず非合理な、ほとんど狂的な事件が起るのであつた。
これを人々は、火山のマグマが、割れ目から噴火するやうに、日本のナショナリズムの底流が、関歇的に
奔出するのだと見てゐる。ところが、東京空港の一青年のやうに見易い過激行動は、この言葉で片附けられるとしても、
あらゆる国際主義的仮面の下に、ナショナリズムが左右両翼から利用され、引張り凧になつてゐることは、
気づかれない。反ヴィエトナム戦争の運動は、左翼側がこのナショナリズムに最大限に訴へ、そして成功した事例で
あつた。それはアナロジーとしてのナショナリズムだが、戦争がはじまるまで、日本国民のほとんどは、
ヴィエトナムがどこにあるかさへ知らなかつたのである。
三島由紀夫「日本文化の深淵について」より

55 :
ナショナリズムがかくも盛大に政治的に利用されてゐる結果、人々は、それが根本的には文化の問題であることに
気づかない。九十年前、近代的武器を装備した近代的兵営へ、日本刀だけで斬り込んだ百人のサムラヒたちは、
そのやうな無謀な行動と、当然の敗北とが、或る固有の精神の存在証明として必要だ、といふことを知つてゐた
のである。これはきはめて難解な思想であるが、文化の全体性が犯されるといふ日本の近代化の中にひそむ危険の、
最初の過激な予言になつた。われわれが現在感じてゐる日本文化の危機的状況は、当時の日本人の漠とした予感の中に
あつたものの、みごとな開花であり結実なのであつた。
三島由紀夫「日本文化の深淵について」より

56 :
日本の歴史で、と言つてわるければ、日本人の心の歴史で、最初の意想外な事件がおこつたのはいつだらうか。
古事記をひろげてみよう。(中略)
神話の世界では、背理と奇蹟は日常茶飯事だ。朝おきてなぜ「おはやう」と言ふのかと訊ねても甲斐がないやうに、
なぜ高天原から独神がうまれ男女の神があらはれ、なぜ天の沼矛で海の塩をかきまはしたら島ができたか、と
たづねても意味のないことである。現代人はそれを凡て生殖の比喩として理解する。天の沼矛とはもちろん、
バッカスの祭に必要なあるもののことだと信じて疑はない。それはそれでよい。意想外の事件でないといふことが
わかればそれでよい。だが古代人は、おそらくかういふ背理を比喩だとして合理化することはなかつたであらう。
背理は背理のままで自然だつたであらう。さうでなければ、なぜかういふ天の沼矛その他の奇蹟が語られたあとで、
その奇蹟と同じ内容である一行為を、男女の最初の交はりとして、露はに語つてゐるのかわからなくなる。
三島由紀夫「相聞歌の源流」より

57 :
それはただ強調するために伏線を引くといふ近代的手法のみなもとではあるまい。神話の最初の一節として、
ある異常な、非人間的な静けさが必要だつたのである。どんな奇蹟もそこでは意想外でないやうな、真昼の静謐が
必要だつたのである。そのためには聴き手の心にも、あらゆる奇蹟を奇蹟のまま、(比喩としてでなく)、何ら
意想外なものを感じずにうけとる能力がなければならない。逆説めくが、天の沼矛は賜物の比喩ではないのである。
現代人にはこの最初の二節を読む能力がなくなつてゐるのかもしれない。
(中略)
日本人の心の歴史で最初の意想外な事件がおこつたのはそのあとだつた。それは奇蹟ではなかつた。奇蹟なら
すでに意想外ではない。何かまちがひらしく見えるものだつた。ともすれば妖神のいたづららしく思はれるもの
だつた。しかし妖神のいたづらといふやうなものではない。それは人間から来た最初の蹉跌であつたのである。
神の力がすこしもまじつてゐない最初の事件がおこつたのである。人間がはじめてその「あやまち」によつて
神に与つたのである。これを意想外と言はなくて何と言はう。
三島由紀夫「相聞歌の源流」より

58 :
(中略)
人も知るやうに、最初の合歓からは水蛭子といふ不具がうまれた。二神は天上に一旦かへつて天つ神の命をうけ
占ひをする。すると「女が先に言つたのがよくなかつた、又降りて、やりなほせ」と神示がある。二神は再び
天の御柱をめぐりなほし、今度は男神から先に「あなにやしえをとめを」と言つたあとで夫婦の交はりがなされた
ために、次々と健やかな島々神々が生れたのであつた。
少くともこの挿話は神話的にどんな意味があるのだらう。私は学説がそれをどう説いてゐるかしらない。しかし
古事記のどこを見ても、(それをよくなかつたと神示がいふだけで)、このふとしたあやまちが神か魔神かの
しわざであつたとは書いてない。神がそれをとめることができたとも書いてない。神はただ暗に非難めいたものを
人間になげかけるだけである。「やりなほせ」と言ふだけだ。人間のこのあやまちの動機には何もふれてゐない。
まるでそれにふれることを怖れてでもゐるかのやうに。
神の間でもタブウがあつたのかもしれない。人間らしいものの奥底にそのタブウがひそむのを神は見たにちがひない。
三島由紀夫「相聞歌の源流」より

59 :
(中略)最初の言葉は上気した花嫁の古代の桃のやうな唇からさきに洩れた。「あなにやしえをとこを」と。
――何故こんなことになつたのだらう。何故こんなありうべからざることが起つたのだらう。(とにかく
「ありうべからざること」に人間性の最初のあらはれが見られたといふこの神話は甚だ象徴的で且つ皮肉である)
――天つ神たちは一方ならず動揺したにちがひない。信仰といふものがあつたとすれば、その信仰が深い地鳴りを
伴つてゆれ出すのを感じたにちがひない。しかし彼らがおぼえたのは愕きや憤りばかりではけつしてなかつた。
彼らは畏怖を感じた。人間が人間のままで神に与つたこのへんな瞬間に対する故しれぬ畏怖を。人間がこれからも
永遠にこんな妙な方法で瞬時に神に与つてしまふことをくりかへすであらうといふ畏怖を。――それは天つ神たちに
むずかゆいやうな痛みを与へたであらう。彼らはこの得体のしれぬ胸の痛みをもてあましたであらう。人間が
繁殖しつづけるかぎり神の胸からとり去られることのないこの痛みを。
三島由紀夫「相聞歌の源流」より

60 :
神はいくたびか、おそらくは数千回・数万回も、このそこはかとない痛みの復活に出会はねばならなかつた。
地上で相聞の交はされるたびごとに出会はねばならなかつた。
その最初の機会であつたところの「人間から来た最初の蹉跌」に、日本の詩歌のひめやかな源流を見ることは
不当だらうか。相聞歌の発祥を見ることはあやまりだらうか。「あなにやしえをとこを」「あなにやしえをとめを」
といふ至上の呼び交はしが、偶々人間から来た最初のあやまちであつたといふこの神話ほど、相聞の世界の妙諦に
触れ、その世界の豊饒と溢美を暗示し、その世界の悲劇を隈なく物語つてゐるものがあるだらうか。数千年に
わたつて相聞歌が人々の心にもたらした不安・をののき・よろこび・悲哀・苦悩のことごとくは、この一瞬の
不吉で美しい呼び交はしから流れて来てゐはしないだらうか。
相聞歌は永久に同じモチーフのくりかへしである。鶯が鶯をよぶのである。夜の薔薇のしげみのなかで、一ト声
愛らしく、二羽の小鳥がよびかはすのである。この最初の発声が過ちであつたとは、何といふ例へやうのない
美しさだらう。
三島由紀夫「相聞歌の源流」より

61 :
いざなみの命・日本の最初の花嫁は、倫理も思想も悲哀さへも知らなかつた。彼女はただ神のまにまに自在に
行動しうる筈であつた。さういふ少女の口からほとばしつた意想外な喜びの呼び声が、天地の秩序をかへるほどの
力をもつてゐたことは想像にかたくない。神話によれば、花婿にはいくらか思想に似たものがあつたやうに
記されてゐる。事後になつて、「女人を言先だちてふさはず」と愚痴をこぼしたのは、花婿のはうであつたから
である。しかしその花婿にしてからが、「あなにやしえをとこを」といふ呼び声に接したとき、一語もさし
はさまずに、「あなにやしえをとめを」と即座に呼びかへした。この呼び交はしは一つの言葉のやうであつた。
片々でとぎれることはできなかつた。第一の言葉がをはるかをはらぬかに、谺よりもはやく、第二の言葉が
つづけられたのである。丁度西洋中世の古拙な絵画中の人物が口からその発した言葉のしるされてゐる白い帯を
放射してゐるやうに、二人はたちまち二人のあひだの空間に、左右から迫持になつた美しい言葉の穹窿を築いた。
三島由紀夫「相聞歌の源流」より

62 :
その刹那から、言葉はもはや二人だけのものではなく、世界のものとなつた。その時から二人は言葉を失つて、
ただ顔を見合はせてゐるほかはなかつたのだ。なるほど花嫁の目にうつつてゐる花婿は、ただ一人のますらを、
ただ一人の美しい男性であり、花婿が目のあたり見てゐる新妻は、この世にただ一人の美しい女性であつたであらう。
しかし無残にも、二人は人間の真率な歌ひ交はしをはじめたあとでは、もはや天上の曇りない至福の生活から
別れねばならなかつた。あたかもその証しのやうに、二人の合歓のゆくてには、人間の最初の非運、「不具の子を
生むこと」が待ちかまへてゐたのである。その後の歴史にかずしれずくりかへされた相聞歌のやりとりで、これに
似なかつたものが一つでもあつたらうか。この人間に作りうるもつともうつくしいものである魂の呼びあふ歌が、
うたはれると同時に失はれるのを人々は見なかつたらうか。
三島由紀夫「相聞歌の源流」より

63 :
人間同志、愛する者同志がこんなにはげしく呼び合つてはならないらしい。そんな風にして呼び合ふのは何か
不吉なことにちがひない。神の胸にそれほどしげしげと痛みを与へてはならなかつた。この美しい最初のあやまちに
人間は人間最初の「不具の児」を賭けさせられたが、それ以後、相聞歌のために払はれた多くの精神のいけにへは
ますます数をましますます人の肩に重くのしかかつた。人は相聞のためにおそろしい代価を払はねばならなかつた。
ある限りの不幸を予知せねばならなかつた。この単純な使ひ古されたモチーフを歌ひ交はす、唯その事のために。
相聞歌は人間が突端に立つときのもつともはげしい危機の歌となつたのである。そのあとでかならず二人は
言葉を失ひ顔見合はせ、二人の最美の刹那が二人の顔のうへにもえつき、一握の黒い灰を残して消え去るのを
見たのである。それでもなほこりずまに、男女は呼び合はねばならなかつた。
三島由紀夫「相聞歌の源流」より

64 :
最近、村松剛氏が浅野晃氏の「天と海」を論ずる文章を書くに当つて、私にかう問うたことがある。大東亜戦争末期に
つひに神風が吹かなかつたといふこと、情念が天を動かしえなかつたといふことは、詩にとつて大きな問題だが、
さういふ考への根源はどこにあるのだらうか、と。
私は直ちに答へて言つた。それは古今集の紀貫之の序の「力をも入れずして天地(あめつち)を動かし」だ、と。
私は直ちに答へた。どうして直ちに答へることができたのか。ここに私と古今集との二十年以上の結縁がある
のだと思ふ。
二十年の歳月は、私に直ちにさう答へさせたほどに、行動の理念と詩の理念を縫合させてゐたのだつた。もし
当時を綿密にふり返つてみれば、私は決してさう答へなかつただらう。なぜなら古今集序のその一句は、少年の
私の中では、行動の世界に対する明白な対抗原理として捕へられてゐた筈であり、特攻隊の攻撃によつて神風が
吹くであらうといふ翹望と、「力をも入れずして天地を動かし」といふ宣言とは、正に反対のものを意味して
ゐた筈だからである。
三島由紀夫「古今集と新古今集 一 私的序説」より

65 :
(中略)
ではなぜ、このやうな縫合が行はれ、正反対のものが一つの理念に融合し、ああして私の口から自明の即答が
出て来たのであらう。
いふまでもなく、それは、つひに神風が吹かなかつたからである。人間の至純の魂が、およそ人間として考へ
られるかぎりの至上の行動の精華を示したのにもかかはらず、神風は吹かなかつたからである。
それなら、行動と言葉とは、つひに同じことだつたのではないか。力をつくして天地が動かせなかつたなら、
天地を動かすといふ比喩的表現の究極的形式としては、「力をも入れずして天地を動かし」といふ詩の宣言のはうが、
むしろその源泉をなしてゐるのではないか。
このときから私の心の中で、特攻隊は一篇の詩と化した。それはもつとも清冽な詩ではあるが、行動ではなくて
言葉になつたのだ。
三島由紀夫「古今集と新古今集 一 私的序説」より

66 :
――私が今ふたたび、古今集を繙(ひもと)かうとする必要があるとすれば、それはいかなる必要だらうか。
私はこの二十年間、文学からいろんなものを一つ一つそぎ落して、今は、言葉だけしか信じられない境界へ
来たやうな心地がしてゐる。言葉だけしか信じられなくなつた私が、世間の目からは逆に、いよいよ政治的に
過激化したやうに見られてゐるのは面白い皮肉である。
それはそれとして、戦後の一時期は、言葉の有効性が信じられ、その文学理論に基づいた文学が栄えたが、これこそ
最も反古今集的風潮であつたといへる。「力をも入れずして天地を動かし」の、戦時中における反対概念は、
言葉なき行動の昂揚であつたが、戦後における反対概念は、言葉そのものの有効性の信仰であつた。
何故なら、古今集序の一句は、言葉の有効性には何ら関はらない別次元の志を述べてゐるからである。もし
詩の言葉が、天地を動かす代りに、人心を動かして社会変革に寄与するやうに働くならば、古今集が抱擁してゐる
詩的宇宙の秩序は崩壊するの他はない。
三島由紀夫「古今集と新古今集 一 私的序説」より

67 :
「鬼神をもあはれと思はせ」る詩的感動は、古今集においては、言語による秩序形成のヴァイタルな力として
働くであらうが、それは同時に、詩的秩序をあらゆる有効性から切り離す作用である。古今集の古典主義と、
公理を定立しようとする主知的性格はすべてそこにかかつてゐる。
詩的感動と有効性とが相反するものとして提示された古今集に親しんだのち、私はすでに古今集のとりこになつて
ゐたのであらう。戦後の一時期に、私は一度も古今集を繙かなかつたが、それはすでに私の心の中で、「詩学」の
位置を占めてゐたからである。
今、私は、自分の帰つてゆくところは古今集しかないやうな気がしてゐる。その「みやび」の裡に、文学固有の
もつとも無力なものを要素とした力があり、私が言葉を信じるとは、ふたたび古今集を信じることであり、
「力をも入れずして天地を動かし」、以て詩的な神風の到来を信じることなのであらう。
三島由紀夫「古今集と新古今集 一 私的序説」より

68 :
古今集の世界は、われわれがいはゆる「現実」に接触しないやうに注意ぶかく構成された世界である。プレシオジテが
つねに現実とわれわれとの間を遮断する。それは日本におけるロココ的世界であり、情念の一つ一つが絹で
包まれてゐるのである。
文化の爛熟とは、文化がこれに所属する個々人の感情に滲透し、感情を規制するにいたることなのだ。そして、
このやうな規制を成立たせる力は、優雅の見地に立つた仮借ない批評である。貫之の序が、一見のどかな文体を
採用してゐるやうに見えながら、苛酷な批評による芸術的宣言を意味してゐることからも、これは明らかである。
(中略)
古今集は「人のこころ」を三十一文字でとらへるために、言葉といふものを純然たる形式として考へ、感情といふ
ものを内容として考へた整然たる体系を夢みてゐた。これが「新古今集」との明らかな較差であつて、近代詩派が
むしろ新古今集に親しみを感じるのは、言葉自体のこの純形式的意欲がそこでは一種の象徴言語に席を譲り、
象徴において言葉と感情は融合してゐるからである。
三島由紀夫「古今集と新古今集 二 古今集」より

69 :
古今集ほど、詩の複合的な情緒(シュティムンク)を欠いた歌集はめづらしい。(中略)
古今集における四季の歌に、貫之のいふ「誠」を求めるのは至難の企てであるやうに思はれる。しかし「目に見えぬ
鬼神をもあはれと思はせ」る歌の「誠」とは、古今集では、近代人の考へるやうなあからさま誠実ではないのである。
(中略)
想像力の放恣が不正確に陥り、一定の言葉にこめられた意味内容が無限にひろがり、芸術的効果が(いかに
美しくとも)何か不確定なものに依存することになるのを、古今集の四季の歌は厳密に避けてゐた。一定の効果への
集中度によつて、混沌が整理され、整頓された自然ははじめて人間的なものになるのであり、抒景歌の「感情の
真実」はそこにしかない、と考へるときに、すでにわれわれは古今集の「詩学」の裡にゐるのである。
三島由紀夫「古今集と新古今集 二 古今集」より

70 :
実はこの秩序の観念こそ、「みやび」の本質なのであつた。草木も王土のうちにあつて帝徳に浴し、感覚の放恣に
委ねられたいかなる美的幻想的デフォルマシオンをも免かれて、一定の位置(位階)を授けられ、梅ですら官位を
賜はり、自然は隈なく擬人化されて、それ自体のきはめて静かな植物的な存在感情を持つやうになり、そのやうな
存在感情を持つにいたつた自然だけが、古今集の世界では許容されるのであれば、四季歌における「誠」はどこに
存するか明白であらう。それは草木の誠であり、草木は王土に茂り、歌に歌はれることによつて、「みやび」に
参与するのである。
古今集における「誠」とは、デモーニッシュな破壊的な力を意味しなかつた。秩序において演ずる一定の役割に
「真実」を限定することこそ、やがて詩語と詩的宇宙を形成する必須の条件であり、言葉はそこではじめて
「形式の威厳」を獲得する。
三島由紀夫「古今集と新古今集 二 古今集」より

71 :
今まで私は、古今集についてばかり語つてきた。(中略)
私は、新古今集の美学に謡曲の詞藻を通じてむしろ深く親しんだのであるが、新古今集自体は、美学上の究極形態で
あるとは考へることができないからである。
古今集は何といつても極端だ。論理的にも一貫してをり、古今集の「みやび」が何を意味してゐるか、私にも
わかるやうな気がする。すなはち、この世のもつとも非力で優雅で美しいものの力、といふ点にすべてが集中して
をり、その非力が精巧に体系化されてゐる点に、「みやび」の本質を見ることができるからである。又、元の話に
戻るが、そのやうな究極の無力の力といふものを護るためならば、そのやうな脆い絶対の美を護るためならば、
もののふが命を捨てる行動も当然であり、そこに私も命を賭けることができるやうな気がする。現代における私の
不平不満は、どこにもそのやうな「究極の脆い優雅」が存立しないといふことに尽きる。
三島由紀夫「古今集と新古今集 三 新古今集」より

72 :
(中略)
私の新古今観は、あくまで定家の新古今集であり、しかもそのマニエリスムの美学は、むしろ後代に於て、
能楽の詞章として、もつとも適した器を見出したといふ考へであり、新古今集自体は、世にも美しい歌集ながら、
畢竟、折衷主義の産物だと考へる者である。
しかし、近代の象徴詩派がしばしば嘆息したやうに、新古今集は、古今集の持たぬ恍惚と魅惑を放つてゐる。
その中心が定家の有心体であることはいふまでもあるまい。
古今集にあつては、「みやび」に統括されてゐた古典主義的な美学は、新古今集にあつては一歌人の個性に発した
わがままな理論体系になり、古今集において普遍性のために犠牲に供されたシュティムンクは、新古今集においては、
意味のニュアンスの複合、聯想作用によるイメーヂの複合、言語の論理的つながりを無視することによる情調的複合、
および本歌取による「芸術の芸術」的複合……といふ風な、さまざまな複合形式の下に活かされてゐる。
三島由紀夫「古今集と新古今集 三 新古今集」より

73 :
.人間の伝統など重んじてはならない。
どうでも良いことで変化廃止をすべきもの。

74 :
「端午の節句」
四月の始から、もう端午の節句のセット等を、デパァトは店頭に飾り出す。四月の半ばになると、電車の窓から
見えるごみごみした町にも、幾つもの鯉のぼりが立てられる。腹をふくらまし尾を上げて、緋鯉ま鯉は
心ゆくまで呼吸する。彼等は町の芥を吸ひ取り、五月の蒼空を呼んで居るかの如くである。
かうして五月が来るのだ。
私の家も例年の様に五月人形を床の間に飾つた。いかめしい甲は最上段にふんぞり返つて、金色の鍬形を
電気に反射させてゐる。よろひも今日は嬉しさうだ。今にも、あの黒いお面の後から、白い顔がのぞき側にある
太刀を取つて……然し、よろひは矢張りよろひびつの上に腰掛けてゐる。松火台の火は桃太郎のお弁当箱を
のぞいて見たり、花咲爺さんのざるの中を眺めたり、体をくねらして、大変な騒ぎである。
(続く)
平岡公威(三島由紀夫)中等科一年、12歳の作文

75 :
「端午の節句」
神武天皇の御顔は、らふそくの光が深い陰影を作り非常に神々しく見える。
金太郎は去年と同じく、熊と角力を取り乍ら、函から出て来た。よく疲れないものだ。お前がこはれる迄
さうして居なければいけないのだ。
さうして、人形は飾られた。白馬は五月の雲。
そして紫の布、それは五月の微風だ。
白い素焼のへい子(し)。
その中には五月の酒が満たされてゐる。
五月が来た!
それは端午の節句が運んできたのである。
平岡公威(三島由紀夫)中等科一年、12歳の作文

76 :
万葉集が楽しめるなら、俺たちは大和民族さ
詩は民族の魂

77 :
八月四日(木)
日本文化の感受性は稀有のものである。これこそ独自の、どんな民族にも見当らぬほどに徹底したものである。
私にはふと、第二次大戦における敗戦は、日本文化の受容的特質の宿命でもあり、また、人が決して自分に
ふさはしからぬ不幸を選ばぬやうに、もつともこの特質にふさはしく、自ら選んだ運命ではないか、と思はれる
ことがある。なぜなら、敗北は受容的なものである。しかし勝利は、理念であり、統一的法則でなければならぬ。
日本文化は、このやうな勝利の、理念的責務に耐へ得たかどうか疑はしい。しかしそれと同時に日本の敗戦は、
理念が理念に敗れたのではなく、感受性そのものが典型的態度をとつて敗れたにすぎなかつた。そこへゆくと、
ナチス・ドイツの敗北は、完全に理念の敗北であつて、日本の敗戦とその意味はまるでちがつてゐる。ナチスの
敗北は、勝利の理念と法則から、敗北の感受性と無法則性への、日本では想像も及ばぬ、堕地獄的顛落であつた。
三島由紀夫「小説家の休暇」より

78 :
さて日本文化の稀有な感受性のはたらきは、つねに、内への運動と、外への運動とを、交互に、あるひは同時に、
たゆみなくつづけて来たのである。内への運動は、その美的探究の、極度の求心性にあらはれた。この感受性は
かつて普遍的な方法論を知らず、また、必要とせず、感受性それ自らの不断の鍛錬によつて、文化の中核となるべき
一理念に匹敵する。まことに具体的な或るものに到達した。日本文化における美は、あたかも西欧文化の文化的
ヒエラルヒーの頂点に一理念が戴かれるやうに、理念に匹敵するほど極度に具体的な或るものとして存在してゐる。
そこでは、理念は不要なのである。なぜなら、抽象能力の助けを借りずに、むしろそれと反対な道を進んで、
個別から普遍へと向はず、むしろ普遍から個別へ向つて、方法論を作らずに体験的にのみ探究を重ねて、しかも
同じやうに絶対(この「絶対」といふ用語も、仮に比喩として使つたのだが)をめざして進む精神は、理念の
代りに、それの等価物たる或る具体的存在にぶつからざるをえない。
三島由紀夫「小説家の休暇」より

79 :
私がこれを美と呼ぶのは、あくまで西欧的概念にすぎず、他に名付けやうのないものに、仮にその名称を借りたに
すぎぬ。私は、このことについては他所でもたびたび書いたのだが、日本の美は最も具体的なものである。
世阿弥がこれを「花」と呼んだとき、われわれが花を一理念の比喩と解することは妥当ではない。それはまさに
目に見えるもの、手にふれられるもの、色彩も匂ひもあるもの、つまり「花」に他ならないのである。
一方、日本文化の外への運動については、政治的措置にすぎぬ鎖国のかけで、その感受性の受容能力は、日本および
支那の古典と、現実の風俗のみに向けられて、これが今日、あやまつて「日本的」と呼びなされる、偏頗な特質、
似て非な独自性を形づくつた。もともと感受性といふものの無道徳性は、あらゆる他民族の文化の異質性をも
融解してしまふ筈のものなのだ。それはどんな放恣な娼婦よりも放恣であるべき筈なのだ。
三島由紀夫「小説家の休暇」より

80 :
江戸文化は、かうした感受性の外への運動を制約されて、日本の内部で、遠心力と求心力を働らかさざるを
えなかつた。その前者は、西鶴、後者は、芭蕉に代表される。
今や、しかし日本文化がこれほど裸かの姿で、世界のさまざまな思潮のうちに、さらされたことはなく、現代日本の
文化的混乱は、私には、感受性の遠心力の極限的なあらはれと思はれる。
ローマ人テレンティウスの有名な一句「私は人間である。人間的なるものは何一つ私にとつて疎遠ではないと
思つてゐる」をもぢつて言へば、「私は感受性である。感じられるものは、何一つ私にとつて疎遠ではない」かの
やうに、ギリシア思想も、キリスト教も、仏教も、共産主義も、プラグマティズムも、実存主義も、……また、
シェイクスピアの戯曲も、ドストエフスキーの小説も、ヴァレリイの詩も、ラシーヌ劇も、ゲーテの抒情詩も、
李白や杜甫の詩も、バルザックの小説も、また、トオマス・マンの小説も、……どれ一つとして、この稀有な、
私心なき感受性にとつて疎遠ではないのである。
三島由紀夫「小説家の休暇」より

81 :
一見混乱としか見えぬ無道徳な享受を、未曾有の実験と私が呼ぶのは、まさにこんな極限的な坩堝の中から、
日本文化の未来性が生れ出てくる、と思はれるからだ。なぜならかうした矛盾と混乱に平然と耐へる能力が、
無感覚とではなく、その反対の、無私にして鋭敏な感受性と結びついてゐる以上、この能力は何ものかである。
世界がせばめられ、しかも思想が対立してゐる現代で、世界精神の一つの試験的なモデルが日本文化の裡に作られ
つつある、と云つても誇張ではない。指導的な精神を性急に求めなければこの多様さそのものが、一つの広汎な
精神に造型されるかもしれないのだ。古きものを保存し、新らしいものを細大洩らさず包摂し、多くの矛盾に
平然と耐へ、誇張に陥らず、いかなる宗教的絶対性にも身を委ねず、かかる文化の多神教的状態に身を置いて、
平衡を失しない限り、それがそのまま、一個の世界精神を生み出すかもしれないのだ。
三島由紀夫「小説家の休暇」より

82 :
(中略)ここで私が、文化形式と呼ぶものは、内容を規定し、選択し、つひにはそれ自ら涸渇するところの、
死んだ形式ではなく、内容を富まし、無限に包摂するところの生きた形式である。日本文化の稀有な感受性こそは、
それだけが、多くの絶対主義を内に擁した世界精神によつて求められてゐる唯一の容器、唯一の形式であるかも
しれないのだ。なぜなら、西欧人がまさに現代の不吉な特質と考へて、その前に空しく手をつかねてゐる文化的混乱、
文化の歴史性の喪失、統一性の喪失、様式の喪失、生活との離反、等の諸現象は、日本文化にとつては、
明治維新以来、むしろ自明のものであつて、それ以前の、歴史性と統一性と様式をもち、生活と離反せぬ文化体験をも
持つ日本人は、この二つのものの歴史的断層をつなぐために、苦しい努力と同時に、楽天家の天分を駆使して
きたので、かういふ努力の果てに、なほ古い文化と新らしい文化との併存と混淆が可能であるやうな事情は、
新らしい世界精神といふものが考へられるときに、何らかの示唆を与へずには措かないからである。
三島由紀夫「小説家の休暇」より

83 :
Wikipediaの陰陽師の項に「声聞師とも呼ばれる」てあるんだけど、正確には、声聞師は陰陽師の配下で市井に下り興行(陰陽道的な)をした人々じゃん
後の門付け、漫才師
昔に比べてマシになったけど、相変わらずWikipediaは間違いが多い

84 :
竜灯祭へお招きをうけて、灯籠流しにもいろいろの趣きがあるのを知つた。今まで私がしばしば見たのは熱海の
灯籠流しであつたがこれはふつうの施餓鬼の行事で、ひろい海面の潮のまにまに灯籠が漂ふのは、淋しい彼岸へ
心を誘はれる心地がした。柳橋の竜灯祭は神事である上に、いかにもこの土地らしい華麗なものである。
川面いちめんに灯籠が流れ出す数分間はふだんはただ眺めてゐるだけの隅田川をわれとわが手で流した灯籠で、
占領してしまつたやうな快感を与へる。地上の豪奢を以て、水中の竜神の心を慰めるといふ趣きがある。それが
いかにも「竜灯祭」といふ名にふさはしいのである。
また、それから引き潮に乗つてあれほど夥しかつた灯籠が、数分間のうちにほとんど視界を没し去るのも、
いかにもいさぎよくて、江戸前の感じがする。執念が残らないで、さはやかなのである。
三島由紀夫「竜灯祭」より

85 :
最後まで料亭の舟着場の下などにまつはりついて離れない少数の灯籠もあるが、これも執念といふものではなくて、
そのすぐ上方の座敷のさんざめき、美妓のたたずまひなどに心を残して、無邪気にそこに居据つてしまつた感じで
可愛らしい。あたかもその十いくつの灯籠だけが、そろつて首をもたげてうすく口をあけて、地上の遊楽の
美しさを讃美してゐるやうだ。
灯籠流しといふと、人はすぐ暗い仏教的イメーヂを持つが、私の発見したのは別のものだつた。このごろの
大キャバレエの遊びよりも昔の人はもつと豪奢な遊びを知つてゐた。そして消えない電気の光りよりも、波の
まにまに夜のなかへ馳け込んでゆく灯籠の光りのはうに、はるかに、遊楽に一等大切な「時間」の要素が、
いきいきとこめられてゐるのを知つた。一度花やかな頂点に達してそれが徐々に消えてゆく、そのゆるやかな
時間の経過の与へる快さは、快楽の法則に自然に則つてゐて、いづれにしても花火よりも「快楽的」であると
思はれるのだつた。
三島由紀夫「竜灯祭」より

86 :
電気の世の中が蛍光電灯の世の中になつて、人間は影を失なひ、血色を失なつた。蛍光灯の下では美人も幽霊の
やうに見える。近代生活のビジネスに疲れ果てた幽霊の男女が、蛍光灯の下で、あまり美味しくもなささうな色の
料理を食べてゐるのは、文明の劇画である。
そこで、はうばうのレストランでは、臘燭が用ひられだした。磨硝子の円筒形のなかに臘燭を点したのが卓上に
置かれる。すると、白い卓布の上にアット・ホームな円光がゑがかれ、そこに顔をさし出した女は、周囲の暗い
喧騒のなかから静かに浮彫のやうに浮き出して見え、ほんの一寸した微笑、ほんの一寸した目の煌めきまでが
いきいきと見える。情緒生活の照明では、今日も臘燭に如くものはないらしい。そこで今度は古来の提灯が
かへり見られる番であらう。
子供のころ、こんな謎々があつた。
「火を紙で包んだもの、なあに」
この端的な提灯の定義は、今日でも外国人の好奇心を誘ふものであらう。
私の幼年時代はむろん電気の時代だつたが、提灯はまだ生活の一部に生きてゐた。
三島由紀夫「臘燭の灯――今月の表紙に因んで」より

87 :
内玄関の鴨居には、家紋をつけた大小長短の提灯が埃まみれの箱に納められてかかつてゐた。火事や変事の場合は、
それらが一家の避難所の目じるしになるのであつた。
提灯行列は軍国主義花やかなりし時代の唯一の俳句的景物であつたが、岐阜提灯のさびしさが今日では、生活の中の
季節感に残された唯一のものであらう。盆のころには、地方によつては、まだ盆灯籠が用ひられてゐるだらうが、
都会では灯籠といへば、石灯籠か回はり灯籠で、提灯との縁はうすくなつた。
「大塔宮曦鎧」といふ芝居があつて、その身替り音頭の場面には、たしか美しい抒情的な切子(きりこ)灯籠が
一役買つてゐた。切子灯籠は、歳時記を見ると、切子とも言ひ、灯籠の枠を四角の角を落とした切子形に作り、
薄い白紙で張り、灯籠の下の四辺には模様などを透し切りにした長い白紙を下げたもの、と書いてある。江戸時代の
庶民の発明した紙のシャンデリアである。
花灯籠、絵灯籠、灯籠流し、といふのはもう言葉ばかりで、正直のところ、私の都会生活で、ゆらめく臘燭の灯に
接する機会は、レストランか、さもなければ停電の夜だけになつた。
三島由紀夫「臘燭の灯――今月の表紙に因んで」より

88 :
この間伊豆の田舎の漁村へ取材に行つてゐて、その村のたつた一軒の宿に泊り、夕食に出された新鮮な魚が、
ほつぺたが落ちるほど美味しかつたが、一晩泊つてみてびつくりした。
別に化物が出たといふ話ではない。
ここは昔ながらの旅籠屋で、襖一枚で隣室に接してゐるわけであるが、前の晩の寝不足を取り戻さうと思つて、
九時ごろ床についたのがいけなかつた。
宿の表てつきは、丁度、芝居の「一本刀土俵入」の取手の宿とそつくりで、いかにも古雅なものだが、道の往来は
芝居のやうには行かず、すぐ県道に面してゐるので、石材を積んだトラックや大型バスが通るたびに、宿全体が
家鳴震動する。
それでまづ寝つきを起され、又眠らうと寝返りを打つたとたん、隣りの部屋へドヤドヤと人が入つて来て、
酒宴がはじまつた。
と、それにまじつてトランジスター・ラヂオの大音声の流行歌がはじまつたが、ラヂオをかけながらの酒宴といふのも
へんなものだと思ふうちに、それがもう一つ向うの部屋のものだとわかつた。
三島由紀夫「プライヴァシィ」より

89 :
更に別の部屋からは、火のつくやうな赤ん坊の泣き声。……夜十時といふころ、宿全体が鷄小屋をつつついたやうな
騒ぎになつてしまつた。
やつと静まつたのが十二時すぎだつたが、それがピタリと静まるといふのではない。
しばらく音がしないで、寝静まつたかなと思ふと、連中は風呂へ行つてゐたので、風呂からかへると、又寝る前に
一トさわぎがある。
西瓜の話ばかりなので、商売は何の人だらうと思つたらあとできいたら果して西瓜商人であつた。
一時すぎにやつと眠りについて、朝五時をまはつたころ、村中にひびきわたるラウド・スピーカアの一声に
眠りを破られた。
「第八〇〇丸の乗組員の皆様、朝食の仕度ができましたから、船までとりに来て下さい」
それから間もなく静かになつて、又眠りに落ちこむと、今度はラヂオ体操がスピーカアから村中に放たれた。
三島由紀夫「プライヴァシィ」より

90 :
(中略)
――かうして一日たち二日たつた。
最初の一夜は、「これは大変だ」と思つたのに、馴れといふものは怖ろしいものである。
二日目にはもう隣室の話し声は気にならず、トラックやバスの響きに眠りを破られることがなくなつた。
三日目になると完全にコツをおぼえ、宿中全員が寝静まらぬうちは眠らぬことにきめ、女中を呼ぶにも大音声を
張りあげ、食事がおそいときは、
「おそいぞ!」
と怒鳴り、よその子供がバタバタ廊下をかけまはれば、
「うるさいぞ!」
と怒鳴つて、夜寝不足ならば十分昼寝をし、ほぼ快適な生活を送れるやうになつた。
――それはさておき、かりにも都会で、プライヴァシィを重んずる「近代的」生活を、生活だと思ひ込んで
ゐる人間には、人の迷惑などを考へずにのびのびと暮してゐるかういふ旧式の日本人の生活は、おどろくべき
ものであつた。
都会なら、となりのうるさいラヂオを容赦しないが、ここではラヂオはすべて音の競争であつて、隣りのラヂオが
うるさかつたら、家のラヂオの音をもつと大きくすればそれですむのである。
三島由紀夫「プライヴァシィ」より

91 :
みんながそれに馴れ、何の苦痛も感じないなら、人間の生活はそれで十分なので、何も西洋のプライヴァシィを
真似なくてもいい。
西洋の冷たい個室の、完全なプライヴァシィの保たれた生活の裏には、救ひやうのない孤独がひそんでゐるのである。
(中略)
そこへ行くと、日本の漁村の宿の明朗闊達はおどろくばかりで、人間が、他人の生活に無関心に暮すためには、
何も厚いコンクリートの壁で仕切るばかりが能ではなく、薄い襖一枚で筒抜けにして、免疫にしてしまつたはうが
賢明なのかもしれない。少くとも、さうしておけば、U2機事件みたいなのは、起りやうがないのである。
しかし、この昔風の旅籠屋が、襖一枚の生活を強制するのが、昔を偲ばせて奥床しいとは云ひながら、それが
そのまま昔風とは云ひがたい。何故なら、江戸時代には、人はもう少し小声で話したにちがひないし、怪音を
発するトランジスター・ラヂオなんか、持つてゐなかつたからである。
三島由紀夫「プライヴァシィ」より

92 :
このごろデパートを一トめぐりしておどろくのは、いはゆる「グッド・デザイン」の大量進出である。手術室の
メスのやうなナイフやフォーク、紙屑籠のやうな椅子や、椅子のやうな紙屑籠、マナ板まで雲形定規みたいな形を
してゐる。ガス・ストーヴ一つでも、昔風なルネサンス様式模倣の古式ゆかしい形のガス・ストーヴなんか、
東京中探したつてありはしない。(中略)日本座敷にモダンなテレビが置いてあると、何とも醜悪な感じがするが、
さりとて仏壇形のテレビなんてどこにも売つてやしない。一体何を以てグッド・デザインといふか。日本間といふ
ものが消滅せぬ以上、日本間むきの、観音びらきの扉に紫の房なんかのついたテレビ・キャビネットこそ、
グッド・デザインといふものではないか。
こんなことを言へば、進歩的デザイナー諸氏に叱られるに決つてゐるが、私自身が、近来の「機能主義にあらざれば
人にあらず」といふ風潮に逆らつて、もつとも反機能主義的な家を建て、もつとも反機能主義的な家具を誂へた
人間だから、敢て言はせてもらふ。
三島由紀夫「社会料理三島亭 アメリカ料理『グッド・デザイン』」より

93 :
大体今のグッド・デザインといふやつは、古くさい様式だの、古くさい装飾過剰だのに反抗して生れたものである。
殊に、家具や生活器具は、様式や装飾にとらはれてゐれば、必然的に、使ひ心地のわるいものになつてゐる。
昔の人は、使ひ心地のよさや快適さよりも、様式や装飾のはうを愛してゐたから、前者を犠牲にして、お尻の痛い
椅子や、持ちにくいフォークを我慢して使つてきたわけである。
機能主義といふと、バカに働き者らしく威勢よくきこえるけれども、その実、現代人のナマケ性にマッチしてゐる
やり方かもしれないのである。三度の食事も、コソコソと、昔なら男子禁制の台所の一隅で、リビング・キッチン
とやらのおちつかない合成樹脂の棚の上で、大いそぎですませる。さういふと働き者みたいだが、私に言はせれば、
そんなやり方は、御飯のたべ方を怠けてゐるのである。むかしの人は御飯をたべるのにも、煩をいとはず、
全身全霊をこめて作り且つ喰べた。西洋人のはうが今でも昔流で、フランス人は昼飯も、晩飯も、ゆつくり
二時間ほどかけて喰べる。
三島由紀夫「社会料理三島亭 アメリカ料理『グッド・デザイン』」より

94 :
グッド・デザインとは、生活に対する一生けんめいな、こまごました、わづらはしい意慾と関心が薄れて来た時代の
産物である。さういふ関心をみんな機械が代用してくれる時代の産物である。
ところで、西洋ではグッド・デザインも意味があるので、ルイ式の家具調度や、曾祖母ゆづりの食器一式に
飽きた人たちが、かういふ簡素なデザインに魅力を感じる意味もわかる。古くさい家具や食器に対する、離れがたい
なつかしさと同時に、不便な憎たらしさがつのつてくると、新デザインの家具や食器がほしくなるのもわかる。
はるかに快適で、便利で、使ひよい。明るく清潔で、手入れも面倒でない。
しかし日本では、そこらへんが微妙である。日本の家ほど機能主義的な家はないので、一間が寝室にも客間にも
居間にも茶の間にもなる。ナイフやフォークやスプーンの代りに、箸が二本あれば足りる。襖は、壁とドアを
兼用してゐる。作りつけのベッドの代りに、ふとんがあり、くたびれたらタタミの上へぢかに寝ころぶことも
できる。
三島由紀夫「社会料理三島亭 アメリカ料理『グッド・デザイン』」より

95 :
……機能主義やグッド・デザインの狙ひはとつくに卒業してゐるので、日本における西洋風とは、最新のモダン・
リビング、最新のグッド・デザインでも、旧来の日本風よりいくらか反機能的な生活形態をいとなむことに他ならない。
(中略)
日本人は、様式の統一といふことをやかましく云はない。スキヤ建築の座敷にテレビを置くなら、どうしても、
紫檀か何かの箱でなくちや納まらない箸だし、芸者屋の茶の間にテレビを置くなら、ツゲの箱かなんかでなくては
をかしいのに、平気で新式デザインのテレビを置いてゐる。日本座敷の縁側に、パイプを折り曲げた椅子なんかを
置いてゐる。かういふ様式無視は、明治以来の日本人の美意識欠如と進取の気象をよくあらはしてゐる。(中略)
(グッド・デザインは)あくまで商業的成功であつて、「革命」ではないのである。グッド・デザインの販路拡大を、
「革命」だと思つてるデザイナーがゐたら、よほど考へが甘いのである。何もないところを占領するのは
革命ではありません。
その上、その商業主義的成功は誤解を生む。西洋式生活は簡便で安いといふ誤解である。こんな誤解は戦前には
なかつた。あきらかにアメリカ占領後の現象である。
三島由紀夫「社会料理三島亭 アメリカ料理『グッド・デザイン』」より

96 :
西洋人の生活は、見かけ以上にしきたりに縛られてゐる。その点では日本以上である。その上、生活における様式の
統一といふことを重んじる。手術室のメスみたいなナイフを使はうと思へば、まづ家全体を手術室風にデザイン
しなければならん。コタツに足をつつこんで、メス式ナイフで、トンカツをちよん切るなんて器用なことは、
西洋人にはできない。(中略)
早い話が、日本でも、デパートで一人前数百円でメス式ナイフとフォークを買ひ込んで来て、さて、それに合はせて
グッド・デザインのディナー・セット、グッド・デザインの椅子、家具一式、ベッド、それにふさはしい家、
(中略)……と様式の統一を心がけたら、大へんな金がかかるのである。だから大部分は、様式の統一をあきらめて、
断片だけで我慢する。
貧乏して裏長屋に住んでゐる詩人が、タバコだけは英国タバコを吸ふ。これが日本式ゼイタクであり、西洋への
あこがれといふダンディズムである。裏長屋ならシンセイを吸ふはうが、様式的統一に忠実であり、かつ美的で
あるといふことが、どうしてもわからないのである。
三島由紀夫「社会料理三島亭 アメリカ料理『グッド・デザイン』」より

97 :
日本の領土権の強い民族
http://www.youtube.com/watch?v=25rNpp9pRFg
http://www.youtube.com/watch?v=H-CTrLLBf_A

98 :
東北の民俗学について教えて!
エロい人!!

99 :
この叫び(剣道のかけ声)には近代日本が自ら恥ぢ、必死に押し隠さうとしてゐるものが、あけすけに露呈されてゐる。
それはもつとも暗い記憶と結びつき、流された鮮血と結びつき、日本の過去のもつとも正直な記憶に源してゐる。
それは皮相な近代化の底にもひそんで流れてゐるところの、民族の深層意識の叫びである。このやうな怪物的日本は、
鎖につながれ、久しく餌を与へられず、衰へ呻吟してゐるが、今なほ剣道の道場においてだけ、われわれの口を
借りて叫ぶのである。それが彼の唯一の解放の機会なのだ。私は今ではこの叫びを切に愛する。このやうな叫びに
目をつぶつた日本の近代思想は、すべて浅薄なものだといふ感じがする。それが私の口から出、人の口から出るのを
きくとき、私は渋谷警察署の古ぼけた道場の窓から、空を横切る新しい高速道路を仰ぎ見ながら、あちらには
「現象」が飛びすぎ、こちらには「本質」が叫んでゐる、といふ喜び、……その叫びと一体化することのもつとも
危険な喜びを感じずにゐられない。
三島由紀夫「実感的スポーツ論」より

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