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2012年4月心と宗教83: 悟りを開いたことあるけど何か質問ある?9 (962) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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悟りを開いたことあるけど何か質問ある?9


1 :12/04/16 〜 最終レス :12/05/03

「悟りを開いたことあるけど何か質問ある?」
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1288429092/
「悟りを開いたことあるけど何か質問ある?2」
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1318248610/
「悟りを開いたことあるけど何か質問ある?3」
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1321746325/
「悟りを開いたことあるけど何か質問ある?4」
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1325210358/
「悟りを開いたことあるけど何か質問ある?5」
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1328932254/
「悟りを開いたけど何か質問ある?6」
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1330618604/
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1331509305/
*前スレ
「悟りを開いたことあるけど何か質問ある?8」
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1333175392/
このスレの主はamaです。
ご質問は、できるだけ日常の言葉を使っていただけると助かります。

2 :

ろんのアホがみなさんに感染しないように、少し紹介します。私の考えはフッサールとはちがいます。
  超越論的還元が解き放つのは、首尾一貫して継続されるべき、まったく新しい種類の経験、
  すなわち、超越論的経験である。
  この還元によって、あらゆる場面で隠れて機能している絶対的主観性とその超越論的生が開示される。
  実在的な客観も理念的な客観もそれらのすべては、この超越論的な生の志向的綜合によって構成され、
  定立的な存在の妥当性を付与されるのである。
  超越論的還元は、こうしてひとつの絶対的な現象学的学の主題となる領域を提供するのであり、
  そしてこの学は、すべての超越論的ないし理性論的問題提起を内蔵しているがゆえに、
  超越論的学と呼ばれるのである。・・・・・ 全集 第9巻 『現象学的心理学』
しかし、この結論は論理的必然でもあるのです。
  現象学的還元とは、一切の超越者(私に内在的に与えられていないもの)に無効の符号をつけることであり、
  すなわち、その超越者の実在と妥当性をそのまま定立しないで、せいぜい妥当現象として定立することである。
  たとえば、一切の心理学や自然科学など、あらゆる科学を私はただ現象として利用しうるにすぎず、
  したがって、それらを私にとって、認識批判学の手がかりになりうる妥当的真理の体系として、
  また前提としても、仮説としてさえも、利用してはならない。
  この還元によって初めてわれわれは、もはやなんらの超越性をも提示することのない
  絶対的所与性を獲得するのである。・・・・・ 全集 第2巻 『現象学の理念』
「私に内在的に与えられていないもの」、つまり私たちが日常生活を送るために必要な素朴な信念の体系
すなわち、超越者を無効にすることで、純粋体験(現象学的還元による現象)という領野が開かれます。
これはまったく新しい種類の経験であり、超越論的経験(経験を成立させる条件としての純粋経験)です。
しかし、それは「私に内在的に与えられていないもの」を無効にすることのなかに、すでに内在しています。
現象学的還元において、経験の主体たる「私」は無効にできないと、はじめから主張しているのですから。

3 :
前スレ871
>あなたはわかってないと思うけど、一言で言えば、ハイデガーは哲学じゃないの。。
形而上学だから哲学ではない、って言いたいんでしょう? よく見かけるアホの典型。
>哲学科の中でも、ハイデガー主義者はいるけど、まともな厳密な学じゃないから、
>ゲリアン(ハイデゲリアンの略ね)といわれて、あんまり相手にされなかったりする。。
くだらない流行に染まっていい気になってる恥知らずが ↑ ここにいますよ。
ろんにハイデガーは理解できないよ。それ以前に読んですらいない。バレバレ
  ハイデガーは・・・・・結局主観性から出発して、議論を構築するってやってるわけだから。。前スレ825
では、ハイデガーはフッサールの他者理解(間主観的世界)についてどう思っていたでしょうか?
>ハイデガー自身は天才かもだよ。。
>けれどハイデガーに心酔する人たちは、まともな哲学やってない人たちなんだよ。。
>まあ学部生レベルだとそういう話だな。。
>大学の教員になって、まだやってる人たちは、そういうことわかったうえでやってるから、いいんだけど。。
はいはい、どうでもいいから。(苦笑)

4 :
前スレ873
>厳密に論理構築した哲学って、ドイツだとスピノザ、カント、フッサールくらい。。
>ヘーゲルとハイデガーは、こうですって、根拠もなく断定してるだけだから。。ww
>まあ、クリアーに思考するのが好きな人、思想なんか要らん、哲学がやりたいという人は、
>まず、ヘーゲルやハイデガーには行かない。。
>カント、フッサールか言語哲学に行く。。
>カント、フッサール、言語哲学、は地味だから、つまらんかもだけど、
>まあまっとうな哲学と言ったら、そっちだし、まともな哲学の基本を理解せずして、思想だけやると、
>まず、まともなものにはならない。。
>哲学科で、西洋哲学全体を踏まえた上でやるなら、まだいいんだけどね。。
 ↑ 知ったか、落ちこぼれの戯言、哲学と格闘したことがない証拠、猿でもわかる哲学入門、
スピノザもカントもフッサールもヘーゲルもハイデガーも言語哲学も・・・知らないんだから、騙るな!
入門書で哲学史を学ぶことは哲学ではありません。
系譜をながめたり、分野の系統をたどることも哲学ではありません。
哲学は哲学することです。
哲学は自分の頭で考えることです。
哲学の書物を開いても、思考の痕跡を追うだけでは、哲学の営みではありません。
哲学者の思考を生きるのでなければ、哲学しているとは言いません。
入門書に意味がないのは、哲学者の生き生きとした探求に出逢えないからです。
哲学は流行りの思想を知ることでもなければ、流行りを吹聴することでもありません。
哲学は哲学することです。
哲学は自分の頭で考えることです。

5 :
>>1
スレ立て乙であります・・・。
何やら哲学戦争に発展しておるようであります。

6 :
>>1
スレ立て乙です〜
哲学と悟りの違いってなんなんでしょ〜ね〜

7 :
>>6
ほぼ関係ないでしょう。
哲学が言葉で真理に至ろうとするならば、
仏教は身体で悟りに至ろうとするのでしょう。

8 :
>>2
もちろん「私」と呼ぼうと「絶対的主観性」(超越論的主観性)呼ぼうと、
「私」には、いかなる内容も実在性も求められません。
なぜなら現象学的還元において、超越者の実存とその妥当性はエポケーされているからです。
ハイデガーは『存在と時間』の中で、現象学的還元による現象を、以下のように位置づけます。
  存在は絶対的超越である。現存在の存在の超越は、
  そのなかにもっとも根底的な個体化の可能性と必然性とが伏在しているかぎり、
  殊別的な超越である。
  超越としての存在を開示することは、すべて、超越的認識である。
  現象学的真理(存在の開示態)は、超越的真理である。
現象学的還元による現象は、ハイデガーにとっては「存在の開示態」なのです。
現象学的真理(超越的真理)において、フッサールとハイデガーは一致します。
けれど、ここを基点として、フッサールは個別の現象について「何であるか」を、
つまり「本質」を問う作業に入っていきます。(形相的還元)
ここから先は、方法論はともかく、やっていることは認識論の範疇ですから、
信頼していた弟子ハイデガーと袂を分かたなければならないのは必然なのです。
  現象学的記述の方法的意味は、解意するということである。
  現存在の現象学のロゴスは、解意という性格をそなえている。
  このはたらきをつうじて、現存在は自身にそなわる存在了解に、存在の本来的な意味と、
  現存在自身の存在の根本的諸構造とが打ち明けられるのである。
  
ハイデガーにとって、現象学的還元による現象は、そこから存在論がはじめられる原点なのです。

9 :
>>8
>ハイデガーにとって、現象学的還元による現象は、そこから存在論がはじめられる原点なのです。
訂正
ハイデガーにとって、現象学的還元は、そこから存在論がはじめられる原点なのです。
つまり、現象学的還元に、存在論への方法的意義を認めているということです。

10 :
>>7
しかし、言葉では至れない…
言葉を発すると、言葉を発した自分が生ずる。
正に、主体ですね〜
言葉を止めても、思考する限り、思考する自分が生ずる。
ハムスターが、回転車の中を走っている様な感じですかね〜w
自分が止まるしかないのでしょ〜ね〜

11 :
>>7
>哲学が言葉で真理に至ろうとするならば、
>仏教は身体で悟りに至ろうとするのでしょう。
大悟くんは、お元気ですか? 奥さんを大事にしていますか?
アンポンが奥さんと子どもを大切にして共に生きていくことが悟りです。
くらいに思っていれば、間違うことはありません。
おやすみなさい。

12 :

バカ女史のろん教授への怒りは収まりそうもありませんね。
今後の二人の対決も見どころです。

13 :
ブッダが生きていたころのインドでは修行者は尊敬されていました。
もしブッダが現代の日本や、まして中国に生まれていたら全く違う生活規範を作り上げていたはずです。
作物を植えたら生えてくる。これは人間が持つ所与の知恵じゃないでしょうか。
大地の人間への愛であり、植えて分かち合うのは人間による愛です。
いつも食べたいと思っていたり、作物の成長をいつも気にかけていたり、植えないで期待していたり、
そういうのは欲といわれると思います。

14 :
種を蒔いたら放っておく
素晴らしいすな
植えるのはやりすぎかもしれませんが(笑

15 :
愛とかいう単語を使い始めたら一旦止まってみるべき
そこには人間の傲慢さが隠されてはいませんか?

16 :
スレ立てありがとうございます。

17 :
前スレ>>894
> 迷える子羊って言うけどさ、ホントに迷っているんだろうかね。。
> 正しく訳せば、迷子の子羊か。。
なんのことはない、迷わせているのは私ですね。
「ひとつ」になっていないから、つまりそれになりきれていないから、
迷っているように見えるだけなのかもしれません。
> ・・無門禅師の話だと、シッポはもう穴に落ちて見つからないそうだけど。。
>  通り過ぎれば穴に落ち、 引き返しても粉みじん。
穴とは何でしょうか?
引き返して、もう一度見ようとしても、そのときのままではない・・・。

18 :
前スレ>>898
> 大人は、いつまでもくよくよするかもだな〜。。
ああだこうだと評価・分析・解説したいのですね。

19 :
間違って重複してスレ立ててしまったわ。。
まあ次立てなくていいから、楽だろう。。
うっふっふ、9が二つになっちゃったけどね。。
次スレ「悟りを開いたことあるけど何か質問ある?9」
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1334530181/
バカ女を相手にしてバトルすると、長文が多くなりすぎらしいねー。。

20 :
前スレ956
ぜんぜんわかってないじゃん。。
西田とフッサールをごっちゃにしてるという指摘もズバリ当たってる。。
西田は禅を経験した人だから、主客の消滅と言う体験があることは知っていたと思う。。
しかし、それを哲学として構築しようなんてしたから、いろいろ矛盾は生じるし、
僕からしたら、哲学にすることに意味はないと思う。。
一方フッサールは、明確に主客があるのよ。。
ウィキなんて見てないけどさ、『デカルト的省察』の議論を知ってますか?
地平と言う概念で、いまだ経験したことのないもの、未知の対象を規定し、
さらには、自己の純粋意識による哲学の構築と言うそのものを放棄し、
他者との共同主観性を根拠に哲学を確実なものにしようとする。。
すなわちこうした試みそのものが、純粋意識、あるいは還元による、超越論的哲学告知気の試みの破綻であるわけ。。
(つづく)

21 :
続きは消えちゃったから、またあとでだけど、一体バカ女はハイデガーを持ち上げて何が主張したいんだろうか。。。
ぼくは、フッサールが抜けているから、あなたにはまともな哲学的思考ができていないと言いたいのだけどれど、バカ女の方が主張したいことが不明だな。。
まあいいや・・どうせ意味ないんだろうか。。

22 :
哲学研究者と言うものは、例えばハイデガーでもその主張を自己の主張にしてるわけじゃないし、
それを自己の武器みたいに思って、自我を強めるなんてこともない。。
マトモな人たちだからあたりまえだけど。。
まあ、バカ女は何らかの武器が欲しいんだろう。。
精神分析的に言えば、去勢の否認とか、ファロスの代理とかになるんだろうなー。。
要するに、幼児的な万能感にいつまでもしがみ付くガキと言うことだ。。

23 :
>>17
迷わせている私があるのかなー。。
たとえばぼくのおRが、穴に突っ込みたいと思ったとしてww、僕が思ってるんだろうか?
おRの部分欲動と言うか、おRの願望に過ぎないと思うんですが。。。。。
無門が言う穴に堕ちというは、単にシッポが無くなったことの説明だと思いますが。。

24 :
まあおRの欲動は長続きしないから、あまり気にしませんが、おRの願望に従ったほうが楽しそうだって時は、おR様にしたがっちゃうかな〜ww
飛び出していったヒツジについて行ってしまう羊飼い。。
いや、おいらは、羊飼いを無視して遊びに行く羊そのものかもだ。。

25 :
>>3
形而上学ですらないじゃんww
わからんかなー?まともな形而上学と、恣意的で無根拠な青年の主張との違いが。。

26 :
ハイデガーにおける存在とは神の被造物、あるいは神です。。
よってそういう宗教観念、キリスト教観念を再び取り戻そうとする試みなのよ、要するに。。
だからダメなの。。

27 :
>>1
ろんさんスレ立てありがとうございます
m(_ _)m
粗茶ですがどうぞ

でわ参りましょう
http://www.youtube.com/watch?v=3LmbH1wdjy4

28 :
8スレ>>894
>単に好きなとこに遊びに行ってるだけなんじゃないだろうか。。
帰りたくなった時には、帰ってくるんじゃないだろうか
公園で友達と野球して
川で泥んこになって遊んで
家に帰ってお風呂に入ってご飯食べて寝て
そしてまた遊びに行くのですね
それが真相かもしれません
全ては全ての遊びかもしれませんね

29 :
世界は母なのです。世界を敵としてしまっては主客の分離は避け得ない。
世の中はいい人ばかりです。
みな誠実で、寛容で、あまりに私がひどいと時々怒ってしまうこともありますが、優しく導いてくれます。
これはあくまで主観であって、そのいい人は多かれ少なかれ自分自身の見つめたくない部分は自分に見ず、相手に投影して、
そして主観的に寛容で誠実でいい人だと感じているようです。
不思議なことにいろんな人がいますがその平常時の主観は実に似通っているのですね。
自分に認めたくないことをつつかれるとすぐ怒る人なんかはある意味普通の人です。
しかし自己回避が強くサイコパスに近づくと、あらゆる自分に不都合なことはスルーするか相手に投影して、心底自分は普通の人間であり
周りの人は哀れな人として見たり、かわいそうな自分を根拠無く責め立てる人としてみたりするようです。
この辺、本当に誠実な人も不実な人も一見主観が似通っているような。
悪い人というのは私の主観を通じて他人を評価するところに存在するだけで、悪い人だと思っている主観は存在しない。

30 :
仏陀は食中毒で亡くなりましたが、最後の食事を布施してくれた人に感謝してこの世を去っていったようです。
最初の食事は母が与え、最後の食事は彼が与えてくれた。彼は特別な人だと。
仏陀にあっては敵は存在せず、全てが祝福だったようです。全ては捉え方なのだと。
(ちなみに体だけということですと、ラマナマハリシ、ラーマクリシュナは喉の癌、グルジェフは交通事故からの持病で最後は数リットルの腹水
oshoは歯の病と放射線をうけて体中がひどい苦痛だったようです。20世紀の覚者はクリシュナムルティ以外は壮絶な身体の苦痛にあったようですが、
彼らはただ見守り微笑んでおり、むしろ周りにいる人が見守れず苦しんでいたようです。
しかしこういった単純な体のことよりも、普通敵意を見るようなことに覚者は全く敵意を見出さない事により身近な感銘を受けます)

31 :
8スレ899
>格子戸越しに見なければというけれど、むしろものを見えなくしているのは格子戸の格子ではなく、格子戸の周りの壁では。
壁のことは公案に書かれていないことから察するに
この公案においては、格子(戸)が価値判断のメタファーなのかもしれませんね
ただ8スレ616では
>格子窓の向こうに牛が通り過ぎていくのを見る
と書いているのです
「格子戸」ではなくて「格子窓」をくぐり抜ける牛...
イメージするとなんともシュールな感じがします
(笑)
ちなみにに悟り子は473さんのご推察の通り「格子窓」の向こうを牛が横切るのを見る
と解釈してました

32 :
哲学論議は興味がないんで、どうでもイイな。

33 :
>>21
>一体バカ女はハイデガーを持ち上げて何が主張したいんだろうか。。。
バカ女さんの主張したいのは、「自分の悟りについての哲学的な考察の正しさ」じゃないかな。

34 :
>>22
>精神分析的に言えば、去勢の否認とか、ファロスの代理とかになるんだろうなー。。
>要するに、幼児的な万能感にいつまでもしがみ付くガキと言うことだ。。
病気である自分に対する絶対肯定の根拠が、バカ女さんの「哲学理論」だから
これを否定することは自分自身の否定に繋がるから話としては切実だよ。

35 :
なるほどな〜
でもここは、悟りのスレだからな〜
肯定も否定も超えなきゃだな〜
超えるというか、観るというか…

36 :
>>6
>哲学と悟りの違いってなんなんでしょ〜ね〜
あくまでも私見ですが
哲学は厳密にして精緻な言語的思考により何かを言語的に概念化する学問であり
悟りは平たく言うと開かれた心で自由闊達に生を生きる在り方だと感じます
あくまでも御参考までに

37 :
何もない、と通り過ぎることこそが、穴に落ちることだと思いますね…。

38 :
たぶん哲学が面白くないのは悟るまでのはなしだからだよ
悟ったならその先をはなさんとな

39 :
哲学の話は難しいんで、バカにも分かるサイトはどこかにないですか?

40 :
>>36
なるほど〜
しかし、哲学ってのは、意味のわからん言葉を並べてる様にしか観えんな〜
最終的に何がしたいのか、ようわからんw
向こうの、ノスさんと変わらんのじゃない?w
正法眼蔵の方がよっぽど哲学の様な気がするんだが…

41 :
おおっ、イカン!!
ずっとコテハン抜けてた!!

42 :
>>39
悟りを4段階に分けて浄化の困難を切り抜ける方法など
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/occult/1333754331/1-100

43 :
>>27
ああお茶どうも。。
でもこのスレ立てたのはバカ女だからね。。
僕は、>>19にあるように同じスレをまた立ててしまった。。。
男とはおっ立てるのが好きな種族なのか。。ww

44 :
>>34
そうだな〜。。
基地にどう対応するかって、マンガがどっかに貼ってあって、それによると否定しない方がいいということらしい。。
否定も肯定もしない。。w
話題を変える。。ww
今日の天気はいいね〜。。
桜も散ったね〜。。
とか言ってればいいのかも。。ww
否定すると火に油を注ぐように妄想が膨張して、逆効果らしい。。
というか、はじめからカウンセラーのとこにでも行けばいいものを。。

45 :
去勢とはすなわち自己万能感の放棄であって、大人にって社会に参入するに当たっては、誰もが受け入れるあたりまえなことなんだ。。
で、自己万能感の根拠が哲学知識って、まあ、傍から見たら、意味ない、しょーもないことやってんだけど、
本人とっちゃーそれが、自我そのものだから捨てられないのだろう。。
捨てられないなら、論文でも書いて学会誌にでも投稿すればいい。。
あるいはブログとかホームページにでも書いて、感想も求むとかやればいいこと。。
まあ論文は無理だろうけどね、テクストを原文で読む根性がなきゃアカデミズムではやっていけん。。
とにかく、10枚くらいでもいいから、理路整然と自分の考えをまとめる、と言うことができないと、人から見て何を主張したいのかわからない。。
おそらく「私は頭がいい」とか「哲学を知っている」と言うこと以外何もないのだろうけど。。ww

46 :
今日は、やけに雀がちゅんちゅん

47 :
>>45
なんだか、中島敦の「山月記」を思い出したよ。
「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」だっけ。

48 :
無門関
第三十五則  倩女離魂
和尚が僧に聞いた。「魂と肉体が別々になっていた女があった。どちらが本質か」
揚子江の畔、衡州という所に張鎰という金持ちがいて、倩女という才色兼備な娘をもっていた。
張鎰には王宙という甥が居たから、冗談半分に、「お前達は将来夫婦になると良いなあ。」などと言っていた。
年頃になった倩女は引く手あまたで、或る役人から熱心に申し込まれたため父親は承諾してしまった。
いよいよ嫁にやるという時、王宙はとても耐えられず、遠い他国へ行って暮らそうと決心し、揚子江を下って蜀の方へでも行こうと船を漕ぎ出した。
すると堤防をばたばたと走ってくる者がある。
見ると倩女であった。
二人は手に手を取り合って蜀の奥地に入って十数年の歳月が流れた。
子供にも恵まれ幸せな家庭を築くことが出来たが、思い出されるのは故郷に残してきた両親である。
さぞ自分達のことを心配しているだろう、一度国へ帰って両親に謝りたい。
そこで二人は船に乗り衡州へ帰った。
いきなり行って年老いた両親を驚かせてもいけないと、先ずは王宙一人が無断で倩女を連れ出したことを詫び、懇ろに謝罪した。
「お陰で子供も二人授かり今は幸せに暮らしております。」と言うと、「何を言っているんだ。倩女はお前が国を出てから、ずっと病気で寝たきりだ。」
驚いた王宙は船着き場に戻り倩女と子供を連れて来た。
すると寝ていた倩女もむっくり起き上がって表へ出ると、いま来た倩女と顔を合わせにっこり微笑んでピタツと一つに成ったという。
倩女幽魂 A.Chinese.Ghost.Story.2011.720P 1:41:07
http://www.youtube.com/watch?v=gxM-Vinkong&feature=fvwrel
A Chinese Ghost Story (1987) 倩女幽魂 (Cantonese) Fulll Movie 1:35:41
http://www.youtube.com/watch?v=WfR7amivIXI&feature=related
【新倩女幽魂】【www.6park.jp】【 古天?, ?亦菲, 余少群】 1:37:46
http://www.youtube.com/watch?v=ea409-DZStg&feature=related
Tony Leung 倩女幽魂3:道道道(?語)梁朝偉 王祖賢 張學友 利智 Cantonese 1:49:12
http://www.youtube.com/watch?v=VJ5mygDCaZ0&feature=related

49 :
神のみぞ万能なのだよ・・・。

50 :
哲学とはカルトにハマるより怖ろしい自己完結型盲信といえる・・・。

51 :
レベル2って・・・低すぎ・・・。
修行が足りん。

52 :
俺もやってみた。

53 :
結構、レベルあるな。

54 :
>哲学とはカルトにハマるより怖ろしい自己完結型盲信といえる・・・。
ww上手いこと言えるようになったじゃないか、安堂w
悟りオタクになるのも、同じようなもんだぞwwww

55 :
まあ教理化は哲学化と同じだからですね・・・。
哲学とは病気の一種で、哲学病といわれております。
長年確信していた信念が壊れた時に患いやすい病でしょう。最悪狂死するがね・・・。

56 :
僕は哲学科の友達が何人かいて、一人だけアカデミシャンの道をまだ続けてる。。
ただここ2年くらい連絡を取ってないから、何をやってるのかわからない。。
哲学の場合はは途中でやめて、一般企業に就職する場合が多い。。
僕の友達も、3人大学院まで行って、一人は修士で辞めた。
もう一人は博士課程途中で辞めて、就職・結婚。。
もう一人はフリーターでヒモ生活だったんだけど、今は何してるわからん。。
今も哲学続けてるのは、大学非常勤しながら結婚もしたみたいだけど、職に就いたかはわからんな〜。。
こんど、連絡取ってみようと思ってるけど。。
ついでに言うと、鬼スレで馬を〆るとか〆ないとかで、やり合ってたやつはたぶんこのうちの一人。。
こいつは頭よかったんだけど、言ってる言葉まるでアホなんだよん〜、あっはっは。。
みんなメチャクチャおもろいやつらだった。。
あーひとり留学して学位取って来た女の子は、小学校の先生やってるよ、今。。
学部卒で、地方局のレポーターになった娘もいたな〜。。
おいらは哲学科じゃないんだけどね。。

57 :
哲学科なんか行くなら神学部にでも行って司祭にでもなった方がいいだろう。
まあ日本は神学部なんかほぼないけど・・・。哲学部は一つもないだろう。
大学というシステムがヨーロッパの修道院起源の聖職者医者法律家養成の専門部門だから。

58 :
>>47
詩人になれなくて、虎になっちゃう話だっけ。。
>>51
おれもレベル知りて〜。。
どうやって出すの?

59 :
>>20
>西田とフッサールをごっちゃにしてるという指摘もズバリ当たってる。。
真性のバカですか? ろんはもう少し勉強しなさい。
  経験するというのは事実そのままに知るの意である。
  全く自己の細工を棄てて、事実に従うて知るのである。
  純粋というのは、普通に経験といっている者も
  その実は何らかの思想を交えているから、毫も思慮分別を加えない、
  真に経験そのままの状態をいうのである。
  たとえば、色を見、音を聞く刹那、未だこれが外物の作用であるとか、
  我がこれを感じているとかいうような考のないのみならず、
  この色、この音は何であるという判断すら加わらない前をいうのである。
  それで純粋経験は直接経験と同一である。
  自己の意識状態を直下に経験した時、未だ主もなく客もない、
  知識とその対象が全く合一している。
  これが経験の最醇なる者である。・・・・・ 西田幾多郎『善の研究』岩波文庫
冒頭のあまりにも有名な部分の抜粋ですが、
はっきりと「自己の意識状態を直下に経験した時」と書いてあります。
とは言っても、いわゆる意識を思い描いてしまうのでは話になりません。
純粋経験とは、主客が没する経験ですが、経験であるからこそ主客は消滅しません。
この逆説が理解できなければ、真の哲学には近づくことさえかなわないと思います。

60 :
>>57
結局ルネサンス以降の西洋の思想は、神との対決なんだよ。。
哲学の中で、神を無視するもの、その影を残す者、哲学的に変奏するもの。。
ニーチェのように真っ向から批判するもの・・ハイデガーのように、巧妙に復活させるもの。。
いろいろだね。。

61 :
>>59
だから、経験的には主客未分。。
哲学的には主客分裂、というだけ。。
逆説でもなんでもない。
あんまり意味のない考察だと思うが。。。

62 :
>>20
>西田は禅を経験した人だから、主客の消滅と言う体験があることは知っていたと思う。。
>しかし、それを哲学として構築しようなんてしたから、いろいろ矛盾は生じるし、
>僕からしたら、哲学にすることに意味はないと思う。。
ろんは先達の域まで到達してないのに、その手前で簡単に明らめることを諦めています。
私のような天才は別ですが、凡人は一歩一歩あきらめずに近づいていくしかありません。
>一方フッサールは、明確に主客があるのよ。。
フッサールは『イデーンT』で「純粋体験の領域が超越論的なのは、現象学的還元によって
素材とノエシス的諸形式との絶対的領域が見出されるから」とハッキリ書いています。
現象学的還元は、超越論的主観性への還元(デカルトのエゴ・コギトへの還元)ですから、
超越論的独我論を導きます。(あらかじめ言っておけば、フッサール自身が言っています)
フッサールは、フレーゲとの対話により心理学主義を捨てましたが、新カント派との交流から、
今度は「純粋自我」(心理学主義に対抗するものとしてのそれ)を立て、
そこから現象学的還元に至るのですから、この意味でも主観を立てるのは必然に思われます。
>他者との共同主観性を根拠に哲学を確実なものにしようとする。。
共同主観性は、フッサールが思うようには成立しません。ここから先は有料です。(笑)
ウィトゲンシュタインの哲学は、フッサールとの対決によって導かれていると言われます。
私は、弟子のハイデガーは、おそらくウィトゲンシュタインの独我論を経由して、
自らの存在論を打ち立てています。
哲学者研究に興味はないので、妄想でかまいませんが、これが解明へのヒントです。

63 :
>>58
名前欄があるでしょ。ここに例えばろんなら、以下のように入力する。
  名前:ろん !ninja
>>60
神か・・・。ユダヤ教の前はゾロアスター教があったから、そのあたりから一神教の形成と見るべきか。

64 :
>>21
>一体バカ女はハイデガーを持ち上げて何が主張したいんだろうか。。。
ハイデガーについては批判した記憶はあっても持ち上げた記憶がありません。
私は共同主観性についてハイデガーがどう考えていたか、ろんに質問しましたが、
ろんがそれに答えられたら、フッサールの誤りにも気づくことができるでしょう。
  もし哲学というものが、思索の問題事象すなわち存在の真理へとまずもって関わる
  という可能性をたえず阻止することにのみ従事するならば、そのかぎりにおいて、
  そうした哲学は、自分の扱う問題事象の容易ならざるむずかしさにいつの日か
  ぶつかって崩れ折れるという危険なぞ露知らずその外部に立って、
  みずからの安全性の保たれたものにとどまる。
  それゆえに、挫折に関してこれを上から見下ろしながらあれこれ論評するような
  「哲学する」やり方などは、みずから挫折のなかに立って思索するやり方からは、
  一つの裂け目によって分け隔てられているのである。・・・・・ 『ヒューマニズムについて』
>ぼくは、フッサールが抜けているから、あなたにはまともな哲学的思考ができていない
フッサールは、現象学的還元が到達点で、あとは山を下るばかりです。
現象学的還元のアイデアはすばらしいけど、それ以外に見るものはありません。

65 :
>>62
だからなんで僕が『デカルト的省察』の話をしてるのに『イデーン』に戻るんだよ?
『デカルト的省察』が独我論を超えようとして転回した後の思想。。
現象学は独我論だという批判にこたえようとしてるんだよ。。
フッサールで主客が残らないというのは、はっきり言ってトンデモです。。
主客が残らない厳密な学が完成したなら、今頃みんなフッサール主義者になっているだろう。。
限界があるから、過去のものとされているの。。
こういうのも常識なんだがねー。。
僕はフッサールのゼミに出てたことあるんだけど、
先生はそういう限界を全部わかっててやってるのよ。。
ノエマ・ノエシスと分ける限りは主客が残らざるを得ないと。

66 :
>>63
できるかな♪

67 :
今度こそ!

68 :
あっはっは、レベル40って、おれつえーじゃんww

69 :
>>68
忍法帳巻物とかある。水遁の術とか土遁の術が使えるらしい。
ぜんぜん興味ないけど・・・。ただレベル上がる程連投がきくようだ・・・。
http://info.2ch.net/wiki/index.php?%C7%A6%CB%A1%C4%A1%B4%AC%CA%AA

70 :

なんか規制みたいで書けません。どうなってるの?
>>22
>まあ、バカ女は何らかの武器が欲しいんだろう。。
ろんにとやかく言われなければなにも言い返しません。
>要するに、幼児的な万能感にいつまでもしがみ付くガキと言うことだ。。
ろん自身の解説ですか?
>>61
>だから、経験的には主客未分。。
とんでもなく話がすれ違っています。よく読んで。
主客は経験が成立するための条件なのね。
まさか主客がなくても経験が成立するとか思ってるわけ?
>逆説でもなんでもない。
ろんはわかってないの・・・・・自分で考えてね。

71 :
>>65
>『デカルト的省察』が独我論を超えようとして転回した後の思想。。
>現象学は独我論だという批判にこたえようとしてるんだよ。。
後期はタガが外れたと前スレのときに書いたよ。
>フッサールで主客が残らないというのは、はっきり言ってトンデモです。。
一言もそんなことは言ってません。
私は、はじめから主客がある、って書き続けているのに、なに言ってんの?
>ノエマ・ノエシスと分ける限りは主客が残らざるを得ないと。
  純粋体験の領域が超越論的なのは、現象学的還元によって
  素材とノエシス的諸形式との絶対的領域が見出されるから
って書いてあるのに、なに言ってんの?
私をやっつけたい気持ちはわかるけど、冷静になってよ。
私は悟りの境地でも、ひとつになる境地でも、絶対に主客の形式は消滅しない、
って主張し続けてきているわけだから、フッサールが主客を消滅させたなんて
思っているはずがないでしょうに。
とにかく話しがすれ違っているから、冷静になって読み返しましょう。

72 :

とにかく辛いの・・・
http://www.youtube.com/watch?v=LPb_PZXmG3c&feature=related

73 :
>>25
>形而上学ですらないじゃんww
なにがどうたらだから形而上学ですらない、と言えなきゃアホの戯言でしょうが。
>わからんかなー?まともな形而上学と、恣意的で無根拠な青年の主張との違いが。。
なにひとつもわかっていないのに、わかっているふりをする。それが、ろんという風景。
>>26
>ハイデガーにおける存在とは神の被造物、あるいは神です。。
>よってそういう宗教観念、キリスト教観念を再び取り戻そうとする試みなのよ、要するに。。
嘘ばっか言うな! どこで言ってるのか示しなよ。
ハイデガーは神存在/非存在についてはなにも言わないし、
少なくとも自分の哲学上では、有神論者でも無神論者でもありません。

74 :
>>70
>主客は経験が成立するための条件なのね。
まさか主客がなくても経験が成立するとか思ってるわけ?
主客も経験もありません。。
その時々の現象があるだけです。。
道元が言ってるように、ものを意識するときにあるのはものだけ。。
こころとを意識するときにあるのは心だけ。。
ものを意識したということを過去から振り返って、ものが意識できたのだから、
意識するもの、ノエシスでもいいけど、そういう主観があったと想定してるだけなんです。。
現象学的に観察すれば、今働いている意識と言うものはつねに一つだということです。。
主客とは経験を知的に振り返って、概念的に分割しただけと言うことです。。
禅者にとってはあたりまえ。。
哲学者はわかってないかもだけどね。。

75 :
>>71
超越論的と言う言葉の意味ホントにわかってますか?
ちょっと説明してみてくださいよ。。
ぜんぜんわかってないように思えるんだが。。

76 :
>>73
>どこで言ってるのか示しなよ。
どこで言ってるか知らんが(最後期で顕著だと思う)、全体としてハイデガーの存在の扱い自体がそうでしょ。。
神じゃなかったら、ただの質料、ものでいいじゃん・・ゴミと一緒でしょ。。w
それをなぜ御大層なものの如く扱うのか。。
ハイデガーの存在は神だってのは、デリダを始め後の人の多くが言ってること。
Onto-teo-theologyだったか(?)、存在神学なんて言われてる。。

77 :
>>74
勘違いしてすみません、はないの? それでいいの?
>主客も経験もありません。。
>その時々の現象があるだけです。。
現象があるだけ、などとどうして言えるんですか?
>道元が言ってるように、ものを意識するときにあるのはものだけ。。
>こころとを意識するときにあるのは心だけ。。
「意識する」ときにあるのは「もの」だけ、が、ただ「ものがある」ということなら、
どうして、意識する、などという行為が必要なんですか?
>ものを意識したということを過去から振り返って、ものが意識できたのだから、
>意識するもの、ノエシスでもいいけど、そういう主観があったと想定してるだけなんです。。
まさに、ろんの主観でしょう。
>現象学的に観察すれば、今働いている意識と言うものはつねに一つだということです。。
今働いている意識は、どうして働く必要があるのですか?
それ以前に、どうして意識がないといけないんですか?

78 :
>>75
>超越論的と言う言葉の意味ホントにわかってますか?
フッサール自身の言葉に、どんな疑問があるのか言ってみなよ。
>ちょっと説明してみてくださいよ。。
ろんがわかってないんでしょ。人に説明させるな!
>ぜんぜんわかってないように思えるんだが。。
おまえがな。

79 :
>>77
現象以外に何かあると考える方がおかしいだろ。。
誰にでも存在すると言えるものは、心とその内容だけでしょ。。
見てるものも心と言えば心、ものといえばもの。。
見方が違うだけだな。。
意識する行為なんてなくとも、意識してるではないかww
働く必要があるんじゃなくて、はじめから人間として完成してるんだから、
ただ生活すればいい。。
意識がないといけないんですかとか愚問だよ、そういう生物だってだけ。。w

80 :
>>76
>どこで言ってるか知らんが(最後期で顕著だと思う)、全体としてハイデガーの存在の扱い自体がそうでしょ。。
>神じゃなかったら、ただの質料、ものでいいじゃん・・ゴミと一緒でしょ。。w
>それをなぜ御大層なものの如く扱うのか。。
ひどいな、おい。話す気にならないわ。
ろんが、存在、存在、言ってた存在はいったいなに? ゴミをご大層に扱ってたのか?
>ハイデガーの存在は神だってのは、デリダを始め後の人の多くが言ってること。
デリダが言ってることを丸呑みか? 卑しい性格だわ。

81 :
>>78
いや、あなたがわかってるかどうかが問題でしょ。。
簡潔に説明できんの?

82 :
基本的にろん氏は、こだわりが強く、劣等感が強く、権威に敏感。
その他の欲望も人一倍ある。
それを禅のロジックで押さえつけてるだけですから。
主客があるという女史への、そして個人として哲学を生きているといってる女史への、
まあそんなもの見ちゃいません。投影するためのスクリーンがあるだけで、他者からの指摘は、見ないことにしてるんだ。相手するほうがバカだろwww
相手に自分のコンプレックスを投げつけてそれを否定するだけ。
それに同調する人がいるのがこのスレのすごいところだけど。
宗教は本当は自分自身の人並みの広大な欲望に直面する道なのですが、
殆どの人は、また最終的に道に入る人でも、本来の欲望に2乗する形で宗教の夢を上書きしてしまいます。
夢を去るところを夢の解決という夢を上書きしてしまうのですね。
言葉の上では夢を去っているつもりでも、その振る舞いは普通の人より神経症的だし、今回も自分のコンプレックスを女史に投げつけていましたからね。
スレ主も良性だけどやっていることは同じ。
それとひとつになるといっても、それを、またそれとの分離を作り出しているのが私なのに、
その私がそれを愛しそれになりきろうとするのは、私を残してより強めることでしかない。
やはり2重の夢の方向なのだ。夢想ばかりで自分を掘り下げようとしない。
だからその私が創作した愛の根底にある私の悲しみや怒りや傲慢さをama氏の言動に見る。

83 :
「体験に執着しない」
体験しているのが、体験を体験として認知しているのが、経験の総体である私です。
私は瞑想体験を記憶してしまっており、それが心地よいものならそう記憶します。
すると、それ以外のこと、人生全般のことが相対的に好ましくなくなってしまいます。
私を見つめていれば、生には連続性は無く跳躍がある。体験という地平は薄れる。
しかし、私が復権しそれを体験としてしまうと、それを言葉にしようとして人に伝えようとしてしまう。
要は私からの開放という個人的なワークが中断されてしまう。
人助けは、自分助けの中断。
どうしようもなくなって人とのかかわりに活路を見出すならいいのですが、順調なところ分かち合おうとするのは私の復権ですね。
あらゆる記憶の総体である私。私があらゆる喜びと苦しみと、恐れ、希望、欲望、問題、計画を作り出します。
つまり私が生み出すものはそれを受容し過ぎさらし、一見希薄なれど前述のものの全ての生みの親である私を
やはり受容的に受動的に見つめる。
私をそのままに解放の夢を見るのは逆走ですし、それを回避して自分自身の現状と対峙しても、あらゆることを生み出す中心としての
私をそのままに苦しみだけ回避しようとするのが陥りやすいところです。
恐れを見つめることは、対応する執着や欲望、私のアイデンティティそのものを見つめることであり、
変容というのは全体的なものであり部分的にどうこうなる性質のものではありません。

84 :
>>82少し訂正
主客があるという女史への、そして個人として哲学を生きているといってる女史へのちぐはぐな
言動は正に問うに落ちず語るに落ちるといった感で彼の世界観がよく見えます。
基本的にろん氏は、こだわりが強く、劣等感が強く、権威に敏感。 その他の欲望も人一倍ある。
それを禅のロジックで押さえつけてるだけ、というか投影マシーン。
矛盾する言動や、相手の発言していないことへの反論を指摘されるとそれはいつもスルーしますが、まあそんなもの見ちゃいません。
投影するためのスクリーン候補があるだけで、自分自身に注意は決して向けない。
「自分を見るという言葉は相手に忠告するために利用します 。」わかりますか。言葉はあくまで使用者の道具であり、ここまで無力なのです(笑)
相手に自分のコンプレックスを投げつけてそれを否定するだけ、という機能が完全無自覚なまま働きます。
それに同調する人がいるのがこのスレのすごいところだけど。
本来、禅は主格が無いと嘯くのではなく、強烈に自分の主客の認識に向かい合います。
「道をお尋ねしたい」「これは美しい山であることよ」「山の話をお伺いしたわけではありません」
「仏の子よ、山を越えない限り、道に入ることはできない」
宗教は本当は自分自身の人並みの広大な欲望に直面する道なのですが、 殆どの人は、また最終的に道に入る人でも、
本来の欲望に2乗する形で宗教の夢を上書きしてしまいます。 夢を去るところを夢の解決という夢を上書きしてしまうのですね。
スレ主も良性だけどやっていることは同じ。だから一見ぜんぜん違いそうな人と話しが合う。
それとひとつになるといっても、それを、またそれとの分離を作り出しているのが私なのに、 その私がそれを愛しそれになりきろうとするのは、
私を残してより強めることでしかない。 そこには傲慢さがそこはかとなく現れる。やはり2重の夢の方向なのだ。夢想ばかりで自分を掘り下げようとしない。
だからその私が創作した愛の根底にある私の悲しみや怒りや傲慢さがama氏の言動の奥底にあらざるを得ない。

85 :
>>79 ごめん、書き込めなかった。
逃げないで、一つひとつの質問にちゃんと答えてほしかったけど、
ろんだもん、仕方ないね。
>現象以外に何かあると考える方がおかしいだろ。。
じゃあ、なんで、存在、存在、存在、とご大層に書いてたわけ?
もし現象の意味で存在と書いてたなら、
これからは、現象、現象、現象、って書いてくださいね。
>誰にでも存在すると言えるものは、心とその内容だけでしょ。。
心があると思ってるんだ? どこどこ見せて
それからバカ女には心がありますか? 教えて教えて
>見てるものも心と言えば心、ものといえばもの。。見方が違うだけだな。。
心にないものは存在しませんか?
>意識する行為なんてなくとも、意識してるではないかww
>働く必要があるんじゃなくて、はじめから人間として完成してるんだから、
>ただ生活すればいい。。
単なる与太話ということでいいよね?
>意識がないといけないんですかとか愚問だよ、そういう生物だってだけ。。w
話になりません。もういいよ、君、いらない。

86 :
>>81
>簡潔に説明できんの?
なんでわからないの?
  純粋体験の領域が超越論的なのは、現象学的還元によって
  素材とノエシス的諸形式との絶対的領域が見出されるから
って書いてある通りだよ。
素材というのは、現象を構成するところのそれ。
ノエシス的諸形式は、意識する作用の諸形式。
わかった?
現象学的還元は、認識判断の暗黙の前提(存在/真理妥当)を停止することであり、
それにより見出される絶対領域は、認識判断の暗黙の前提が成立するための基盤なので
「超越論的」と呼ばれる。ならわかるの?
そこから超越者が超越者として構成されるところの基盤として見出されるから超越論的なの。
わかった?
ろんのデタラメの訂正ばかりで、ろんは勉強できていいけど、私にはなにもありません。
私には、ろんから得るものがひとつもありません。不公平です。私にもなにかください。
あっ、そうだ、公案の答えでいいや。

87 :
哲学に興味を持ったり、また哲学を批判的に評論したりしている人は、
内部的には哲学に魅惑され影響を受けています。それゆえの反動です。
バカ女氏のいうことは思考の世界においては至極もっともなことばかりなので特に反論もないですし、
できるとすれば宗教に誘うくらいです。
でなければ一体何を言うことがあるのでしょうか。
というぐらい宗教に対しても飄々としていられればよかったのですけど。
言葉だけは私とおなじという宗教の概念にはどうも引っかかってしまう。
経験の総体である私が、判断して体験としてまた言語化する。
この働きがある限り、言葉には惑わされる。

88 :

  存在の真理の思索は、無神論でもないが、有神論でもなく、
  ひとえに慎ましく存在の真理に奉仕する。
  しかしながら、このような指摘をしたからといって、思索される−べきものとしての
  存在の真理のなかへと突き進むよう提示する思索は、けっして有神論を取る決断を
  下したつもりもないのである。
  そうした思索は、無神論的であることができないのと同様に、
  有神論的であることもできないのである。
  しかし、そうであるというのも、どうでもよいという冷淡な態度にもとづいてではなく、
  むしろ、思索としての思索に対して立てられた限界を尊重するがゆえにであり、
  しかもこうした限界が立てられているのも、思索に対して思索される−べきものとして
  みずからを与えてくるところのもの、すなわち、存在の真理によって、
  まさにその限界が立てられているからである。
  ――― ハイデガー『ヒューマニズムについて』ちくま学芸文庫
今日はこれで。

89 :

473さんが嫌でなければ、レスさせていただきます。
ろんの悪口は一切なしでお願いします。
とりあえず、今日は失礼します。

90 :
あんたらは、それで、ハッピーなんかね?
ハッピーなら、それでいいんだけどね〜

91 :
「悟り」のスレで哲学の話は読むのが難しくて疲れるよ。
なんてったって人の名前や固有名詞が知らないものばかりだからね。
でも、哲学者が「悟り」をどう捉えていたのかには興味があるな。

92 :
そうなんだよね〜
ただ、他人に分からない言葉を並べて優越感にひたってるだけの様な気がする。
自分に向き合うとは、程遠い…
まあ、哲学とか、悟りとか分別するのもナンセンス。
自己とは何か、世界とは何か、その境目は?
それを訳のわからん言葉で誤魔化さずに、思索すればよかろうが…

93 :
>>1
あっ大変失礼しました
f^_^;
麗しの乙女さん、スレ立てありがとうございます
m(_ _)m
麗しの乙女さんに花を

94 :
言葉とは、自分との対話でもあります。
複雑な言葉は、自分の心をも複雑にしてしまいます。
みなさん、できるだけ、簡単な言葉で、語ってみてはいかがでしょうか?
哲学を簡単な言葉で表すというアプローチは、とても興味深く思います。

95 :
>>15
>愛とかいう単語を使い始めたら一旦止まってみるべき
そこには人間の傲慢さが隠されてはいませんか?
あと痛みや悲しみや怒りや憎しみや無力感や退屈や絶望や不安や自己正当化など
色々な感情が隠されているのかもしれませんね

96 :
>ただ、他人に分からない言葉を並べて優越感にひたってるだけの様な気がする。
wwwwwwww

97 :
>>30
>仏陀にあっては敵は存在せず、全てが祝福だったようです。全ては捉え方なのだと
全ての体験に祝福が隠されているとわかっていたとしたら
私達は今までとは違う在り方をするのかもしれませんね

98 :
どうした?wwww  473はw
誰もレスしてくれないので、毒吐き始めたのか?wwww

99 :
>>38
>悟ったならその先をはなさんとな
>その先をはなさんとな
>はなさんとな
つまり「話さんとな」と「放さんとな」をかけているわけですね
わかります
(o^∀^o)

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