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あかつきですが、もうダメです


1 :10/12/07 〜 最終レス :12/04/18
金星の観測できません、ごめんなさい

2 :
鬱症状だな

3 :
なあに全盛期のはやぶさに比べればこの程度のトラブルなぞ……

4 :
へたれ

5 :
少し細長い楕円軌道に乗ったんじゃないかな?

6 :
金星に衝突して消えろ税金泥棒のクズ

7 :
順調に減速すれば金星に近付く分だけ衛星の金星公転速度が上がって
早く金星の影から顔を出したはず。
だから予定より遅いというのは減速がうまく行かなかったと考えるのが普通。
のぞみの地球スイングバイのときみたいなエンジントラブルとかで。
そうだとしたら、1時間の遅れからどの程度の噴射不足が予想できるのだろう?
予定では32時間で金星を公転する軌道に載るはずだったけど、
せめて1か月くらいかけて公転する程度の軌道には載ってほしい。
金星の重力圏がどの程度の広さか知らんけど、
地球の場合は最大で月の4倍くらいの距離まで、
長楕円軌道であれば最大3か月周期くらいの軌道が成立するらしい。

8 :
あと、事前のシーケンスにしたがって低利得アンテナから切り替わらない
というのも怪しい気がするなぁ・・・。
のぞみのときみたいにエンジンがじゅうぶん噴射されなくて
今まだ懸命に減速を続けているのではなかろうか。
そうでなければエンジンが爆発して瀕死の状態であるとか・・・??

9 :
JAXAは仕分けだな。

10 :
ロウゲインアンテナが死んだくさいな……
フェイズドアレイのハイゲインは使えんのか

11 :
なんでエンジン噴射ごときでアンテナが死ぬの?

12 :
やっぱ、JAXOに改名だな。

13 :
>>6
税金泥棒はお前だろ。
はやぶさみたいに復活したらまた手のひら返すんだろ?wwwww

14 :
うわ〜〜〜
朝鮮人の水準になってしまった、ゴメンナサイ。

15 :
あさつきですが、もうネギです

16 :
それは、わき毛。

17 :
ニコ動で使われる予定の曲
http://www.youtube.com/watch?v=NQfNYQ4HzYw

18 :
あたしの事好きなら、もっと頑張んなさいよ!
…ずっと待ってたのに

19 :
てすと

20 :
はやぶさのマグレ成功で浮かれすぎた。
あかつきの失敗が日本の技術レベル。
やっぱり俺たち日本人は劣等民族だorz
中国・韓国には敵わないorz

21 :
>>15
つぼった

22 :
ビグザム量産のあかつきには!

23 :
そろそろ、真田さんの出没の予感

24 :
「あかつき、予定の軌道に入っていない」宇宙機構発表
http://www.asahi.com/science/update/1207/TKY201012070461.html
血税が水の泡

25 :
あああぁぁぁ

26 :
1人頭120円くらいだ問題ない

27 :
なんに使われているかもわからない政党交付金年間300億円を廃止すれば、
毎年1機ずつ打ち上げられるのに。

28 :
ていうか、前回の失敗を明らかにしないうちに次の計画をどんどん進めるって
普通の感覚ではできないよな。税金使ってる自覚ないな。

29 :
>>15
バカパク

30 :
スラスター破損かぁ
これは絶望だな変に希望があるような言い方はしないほうが良いと思う
これだけ枯れた技術で作ったのに三菱重工がぶち壊した訳か
変なもん売り込みやがって霧ヶ峰だけ作ってろ

31 :
天下りいるのかな?

32 :
はやぶさだって、地球に帰ってこれたからもてはやされたけど
機体の不具合が幾重にも重なってどーしよーもなくなってたんでしょ
日本の技術力、終わってるよ。

33 :
>>27
政党交付金の使途は公開されているぞ、知らないのはお前がバカだからだ。

34 :
>>33
それは答えになってないだろ、>27をバカとよく言えるなバカ
お前は何に使われてるのか分かってんの佳代?パーマ代にも使われてんだぞ
おまけに余った分はせっせと溜め込んで…、その一番はかのレンホウだ二番じゃなくてなw
本来は返さなければならないものにも拘わらずだ、そんなの許せるのか!?

35 :
事業仕分けしろよ

36 :
この失敗はかなりまずいな。!
    ____
   /三ミ三ミ\
  /ミミヾミ三ヾ\
 /ノ/^゙⌒゙⌒ヾミ ヘ
 レ|     \ヾ|
 レイ ⌒\ /⌒ |||
 V(●ヽ ィ●)|ヘ/
 (Y  |    レ|
 O|  (_   Oノ
  丶〈―――〉 从
  /\  ̄ / ∧
 /  )`―-′ /||
 \ /8   / | \
 /|| ゚∞∞/ ノ

37 :
確かに。
民主党に政権を盗らせたのはかなり痛い。

38 :
ミンス党最悪

39 :
で、とりあえず6年間スレを保守してみますか?

40 :
>>39
頑張ってみよう

41 :
探査機の運用よりは容易い筈だ

42 :
>>39
俺は死んでる
2chも消滅

43 :
NASA火星探査機3340日…長寿記録更新
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20101216-OYT1T00874.htm
2001年4月に打ち上げられた米航空宇宙局(NASA)の火星探査機「マーズ・オデッセイ」が15日、火星の周回軌道上で3340日目の観測に入り、
「マーズ・グローバル・サーベイヤー」(1997〜2006年)が持っていた火星の長期観測記録を更新した。
NASAのジェット推進研究所(JPL)が同日、発表した。
2年間の観測予定を7年以上も上回る長寿。日本の金星探査機「あかつき」が周回軌道投入さえできなかったのと対照的だ。
マーズ・オデッセイは、有名なSF映画「2001年宇宙の旅(2001ア・スペース・オデッセイ)」にちなんで名付けられた。
火星上空から地表の元素の分布割合などを調査した。搭載機器類は正常で、12年の新たな火星探査計画でも活用される見通しだ。
やっぱり税金つぎ込んでるわけだから、6年後の再挑戦って言っても説得力ないよな。

44 :
あかつきが乙武ったと聞いて来ました

45 :
>>43
火星に投入する方が楽なんじゃね?

46 :
>>45
火星探査機は、結構な数が失敗しているぞ。

47 :
>>46
金星探査に強かった旧ソ連
火星探査に強かったアメリカ合衆国
後発の日本は小惑星探査で第一人者に躍り出られるか?
カツモクせよ!
…ってか?

48 :
失敗は失敗として、次々と探査機を打ち上げる事が出来れば・・・
せめて、同時期に2台以上の探査機を
同一の目標に飛ばす事が出来るなら・・・

49 :
スイングバイするなら当該惑星の位置の条件があり、失敗したからと早々に代替機を打ち上げる訳には行かない。

50 :
原発事故でシーベルトって単位が聞かれるが
シューベルトとか
シーボルトとか
言い間違った奴は居る?

51 :
>>50
職場の知ったかぶりがシーボルト連呼してた
崩壊も知らんくせに

52 :
>>50
タクシーに乗り「この先のファミレスの所を左折して〜」と言うと
「あぁ、デズニーの所ですね!」
と返答されてしまった。

53 :
ヌルポ

54 :
その前にシートベルト

55 :
>>54
菅野よう子ですか?

56 :
俺の趣味は海釣りなんだけれど
釣竿を手入れするのに、履き古したパンストがちょうどいいんだ。
ただ、俺は彼女なし、未婚の一人暮らしなので
古いパンストを手に入れるのに結構苦労する。
ある時、会社のみんなで仕事帰りに飲むことになり、
女の子たちもいい感じで酔っ払って
「下着をどうやって捨てているか?」みたいな話になった。
細かく切り刻んで捨てるとか、紙袋にくるんで捨てるとか
それぞれ言ってた。
ひとりが「私はパンストも細かくしてから捨ててる。
面倒なのよねぇ」と言ったんで
「マジで? もったいない。俺にくれません?
パンストってサオをしごくのにちょうどいいんですよね」
と言っちまった。
まわりドン引き。唯一、パンスト発言の女上司(50代)だけが
「あらあら、私のパンストで? まだ私にそんな魅力があるの?」
などとぬかしやがる。
動揺してさらに
「いや、あの、布の後、フィニッシュに使うんですよ」と俺。
死にたくなった。

57 :
出世のフラグ立ったな
オメ

58 :
以前観た深夜番組でダッチワイフ(性欲処理用の実物大精密人形)の
製作会社の職人さんが出てた。その人がこんなこと言ってた。
「そりゃああんまりでっかい声で言える仕事じゃねえけどさ。おれの仲間でも娘に
ばれて何年も口聞いてもらえなかったって奴居るしさ。ダッチワイフなんて言ったら
気持ち悪いとか、とかさ。女性差別だって抗議にきた団体もあったよ。
でもさ、ソープもそうだけど、だ〜れもソープやダッチワイフと寝たいなんて思ってる
男なんていねえんだよね。誰だっていい女とちゃんと恋愛して、ほれられてセックルしたいよね。
でもさ皆が皆そんなこと出来ないじゃない。ましてや障害者の人なんてそんなに
しょっちゅうソープ行くほどお金貰ってないしさ。
昔一回ある施設に寄付したときがあってさ、一人の障害者が『ソープとか
行っても何となくいやな顔をされてるのが分かる』って言って自分らの寄付したダッチワイフを
いとおしそうに受け取ってくれたんだよね。それ以来おれは例え人に
おま(ピー)人形って言われても、すこしでもあういう人達が喜んでくれる
ような人形を研究したいわけよ」

59 :
俺んち母子家庭で貧乏だったから、ファミコン買えなかったよ。。。
すっげーうらやましかったな、持ってる奴が。
俺が小6のときにクラスの給食費が無くなった時なんて、
「ファミコン持ってない奴が怪しい」なんて、真っ先に疑われたっけ。
貧乏の家になんか生まれてこなきゃよかった!って悪態ついたときの
母の悲しそうな目、今でも忘れないなぁ、、。
どーしても欲しくって、中学の時に新聞配達して金貯めた。
これでようやく遊べると思ったんだけど、ニチイのゲーム売り場の
前まで来て買うのやめた。そのかわりに小3の妹にアシックスの
ジャージを買ってやった。いままで俺のお下がりを折って着ていたから。
母にはハンドクリーム買ってやった。いっつも手が荒れてたから。
去年俺は結婚したんだけど、結婚式前日に母に大事そうに錆びた
ハンドクリームの缶を見せられた。
泣いたね、、。初めて言ったよ「生んでくれてありがとう」って。

60 :
実家から遠く離れた地域に転勤になり、なかなか馴染めなくて辛い思いをしていた時。
83歳のジィちゃんがダンボールの小包を送って来た。
田舎の古い商店でしか売ってないような昔のお菓子が一杯詰まってた。
こんな昔のお菓子、今は売ってる店ないっつーの。
こんな一杯食えねぇーっての。
孫の為にとどんな表情でこれを買って送ったのか想像させるなっつーの。
「頑張りませう。」
こんな手紙を入れるなっつーの!!
あの時は参った・・・。

61 :
仕事が忙しくて、休みの日にも持ち帰って家でやっていた。
娘が部屋に入って来た時、「遊んで欲しいのかな?」と思ったが、仕事に集中していたので無視していた。
ところが娘は「ぱぱ、おしごとがんばってね」と言い残して部屋を出ていった。
私は仕事を放り出して娘と遊びに出かけた。

62 :
嫁の日記を盗み読みしたら
いつも昼飯は、納豆ご飯やお茶漬けしか食べてないって分った。
友達とファミレスに行くのも月に一度と決めてるらしい。
俺に美味しい料理を食べさせたいからみたいな意味のことが
書いてあった。昼飯けずって夕飯にまわすって。
しかも、すげー明るく書いてあんの。
「今日は○ちゃん(俺)の好きな牡蠣を買うのだ〜」とかさ。
俺の文句とかも書いてあるけど、文句書いてるくせに最後は俺を庇ったこと書いてるし。
マジで泣いた。もっと俺に甲斐性があれば昼から寿司でもなんでも食わせてやるんだけどな。
給料少ないのに専業で居てくれって言ったの俺だし。
金のことで責められたこと一度もないし(タバコ減らせとは言われるが)
節約も楽しいよーとか言ってたし。
盗み読みは良くないことだが、結婚してよかったってつくづく思った。
こんなに俺につくしてくれたのって親以外で初めてだし。
何もしてやれんから、浮気だけはしないと誓うよ。ま、浮気しようにももてないからできない俺だがな。

63 :
阪神・淡路大地震のあと、阪急電車の復旧を沿線の人々は待ち望んでいた。うちもその一軒。
夜を徹して行われる作業、騒音や振動をこらえてくださいと、電鉄会社の人が頭を下げに来た。
「何を言ってるんだ?我慢するに決まってるじゃないか。それよりも一刻も早い復旧を。」
うちも含めて、沿線の人々はみなそう言って、電鉄会社の人を励ました。
阪急は国の補助も受けず、少しづつ復旧・部分開業していった。
そして最後に残された西宮北口〜夙川間の高架部分の再開によって、
ついに神戸本線は全通した。
再開の日に、もちろん漏れも乗りに行った。神戸で逝った友のもとへ行くために。
運転台の後ろは人だかりだった。みな静かに鉄道の再開の喜びをかみ締めているようすだった。
夙川を渡るそのとき、川の土手に近所の幼稚園の園児たちが立ち並んでいるのが目に飛び込んできた。
手書きの横断幕を持って・・・。
    「あ り が と う  は ん き ゅ う で ん し ゃ」
運転手が普段ならしないはずのそこで敬礼をした。
そして大きく「出発進行!」と声を上げた。
その声は涙声になっていた。漏れも泣けた。

64 :
思い出すと泣けてくるんだが‥
幼稚園の頃、同じ年で
近所にフィリピン人の男の子がいたんだ。
話すのは日本語だったしよく一緒に遊んだ。
その子は入園してなくて不思議で、なんで幼稚園来ないんだ?と何度か聞いた。ニコッとして「僕は行かなくていいんだ」としか言わないんだよな。
今思えば色々事情があったんだろう。近所には他に子供もいなくて、いつも俺が幼稚園から帰るのを外でポツンと待ってる。
たまに知らない奴に、フィリピン人だ〜とかからかわれてた。俺はその度「やめろ〜」って叫んでたけど、何故からかわれるのか意味がわからなかった。
その子の母親は昼も夜も働きづめで、うちの母チャンがご飯食べに呼びなって、よくうちで一緒に飯食ってた。母親が迎えに来た時玄関でいきなり俺を抱きしめて「ありがと、いつも遊んでくれてかばってくれてありがと」って泣いた事があった。
驚いて母チャン見たら母チャンも泣いてる。
もじもじとしてるしかなかった。
小学校に上がる前にどこかへ引っ越してしまったが、引っ越す日に俺が気にいってた車のオモチャをあげて又遊ぼうと言った。転んでもからかわれても泣かなかった奴が初めて泣いた。
俺も大泣きしてしまった。
元気でいるか?
元気でいて欲しい。

65 :
父親がレスキュー隊員だった。
自分にとって父ちゃんは誇りだったけど、危険な仕事だって分かってからは
仕事に行く父ちゃんに縋りついてわんわん泣く子供だったらしい。
でも、父ちゃんは「父ちゃんがお前や母ちゃんのことが好きなように
父ちゃんが助ける人たちにも、大好きな人がいるんだ」ってよく言ってた。
誰かを助けるたびに、自分が助けられてるような気がしたって。
だから、頑張って欲しい。がんがれ。レスキュー隊超がんがれ。
誰かを愛してる誰かのために、超がんがれ。

66 :
中学一年生の英語の授業の時。とある男子が、普通に授業を受けてて急に立ちあがったそうだ。
そして、走っていきなり教室を出ていった。教室は騒然。しかしすぐにその男子生徒は戻ってきた。
水がいっぱい入ったバケツを持って。
そして、その男子生徒の前の女子生徒にいきなりそのバケツの水をぶっかけたらしい。
英語の教師は激怒したらしい。廊下に呼び出し男子生徒を責めたんだと。
廊下に出て行き、何故そんなことをしたんだと怒鳴りつけても下を向いて黙ったまま。
それでその教師は職員室に連れていって、他の先生をゾロゾロと連れていって、怒鳴ったり
叩いたりしても口を空けず黙ったまんまなんだと。
で、男子生徒の担任はもう呆れて、親のところへ行くぞと脅し気味に言っても言わない。
結局親のところに行って、母親と父親に話しても、黙ったまま。次の日電話親に電話をしても
何も話してくれなかったという。
結局何日も尋問は続いたらしいけど、何も答えず黙ったままだったらしい。
で、仕方なくその事はそのままにして、2年がすぎ、彼が三年生になった時、ソイツの父親の仕事
のせいで、大分に引っ越さなきゃいけなくなったんだと。で、転校する前日、担任がソイツ呼び出して
「お前明日大分行っちまうんやから、2年前、なんでバケツで水ぶっかけたか教えてくれ」
って聞いたんだと。
そしたら、その男子、ためらったあげく、結局話したらしい。
で、その理由ってのが
「その日、朝からその女の子、調子が悪かったんです。ガクガク震えてて、様子がおかしかったんです。
で、その時、その子を見たら、顔は見えないけど、とりあえずイスの下から何かが滴れ落ちてたんです。
オシッコを漏らしてたんです。だから俺はそうするしかなかったんです」 

67 :
ばあちゃんのぼけは日に日に進行してゆき、次第に家族の顔もわからなくなった。
お袋のことは変わらず母ちゃんと呼んだが、それすらも自分の母親と思い込んでいるらしかった。
漏れと親父は、ばあちゃんと顔を合わせるたびに違う名前で呼ばれた。
あるとき漏れがお茶を運んでいくと、ばあちゃんは漏れに
駐在さんご苦労様です、とお礼を言って話しはじめた。
「オラがちにも孫がいるんですけんど、病気したって見舞一つ来ねえですよ…
昔はばあちゃん、ばあちゃん、てよくなついてたのにねえ…」
そう言ってばあちゃんが枕の下から取り出した巾着袋には
お年玉袋の余りとハガキが一枚入っていて、よく見てみるとそれは
漏れが幼稚園の年少のとき敬老の日にばあちゃんに出したもので、
「ばあちゃんいつまでもげんきでね」なんてヘタクソな字で書いてあったものだから、
漏れはなんだか悔しくて悔しくて、部屋を出た後メチャクチャに泣いた。

68 :
前に花火職人の爺さんが、世界各地で花火を打ち上げた時のエピソードを書いていた本を読んだことがある。
多分何十年も昔の話だと思うけど。
ヨーロッパのある国(ドイツだったか…?)では花火の打ち上げが大盛況に終わってホテルに帰ったそうだ。
しかし、すすだらけで火薬の臭いもひどい東洋人の薄汚れた男が現れたもんで、
他の宿泊客がみんな顔をしかめてたんだけど、ホテルの人がこの人がさっきの花火を
打ち上げた人だと説明したら、見事に一変、あれは素晴らしかったと真っ黒だったにも
拘らず取り囲まれて握手責めにあったそうだ。
アメリカでは花火がよく見える橋でみんな車を止めてしまうので大渋滞。同じ日に、
野球の試合もあったそうだけど、選手も客も花火に目を奪われてしまって試合に
ならなくて、とうとう試合を中断、選手も観客も敵味方関係なく花火を見て歓声を
あげていたそうだ。
アフリカに行った時は、さぞかし大騒ぎするだろうと思っていたけど、予想に反して
会場のスタジアムは静まり返ったまま。筆者はガッカリしたそうだが、後に風の噂で、
始めて見たあんまり花火がすごすぎて観客がみんな腰が抜かすほど度肝を
抜かれていたのだということが判明。ほっとしたとか。
きっとそれから年月をかけて日本の花火は世界に知れ渡って、メジャーになっていったんだろうな。
ディズニーは日常を忘れさせる、ディズニーならではの幻想的な夜のイベントをと、
世界中に素材を探し回ったあげく、日本の花火に行き着いたそうな。今でも
城のバックに派手に花火が打ちあがってるもんなあ…

69 :
会社のそばが小学生の通学路なんだが、子供たちが一人をいじめながら帰っていた。
「ハーゲハーゲ」
ハゲって言われた男の子は帽子を深くかぶってくやしそうにしていた。
俺がここで出て行って色々言うのも無粋だしなー、と思っていると社長が出て行って
「ハゲって俺のことか?うん?今ハゲって言ったな?」
と、ニヤニヤしながら子供たちに絡んでいる。
「違うよう、おじさんじゃないよ」
「いや、ハゲって言ったな。言ったよな」
「ごめんなさい」
「俺はハゲてても社長なんだぞ?」
「マジで社長!?」
子供たちは急にしおらしくなって歩いていった。
いじめられてた子が涙をためたまま社長を見てニヤっと笑った。
小さい会社だけど、社長マジで尊敬してます。

70 :
おじいちゃんは老いから手足が不自由でトイレも1人では厳しい。
だから、いつもはおばあちゃんが下の世話をしてた。
おばあちゃん以外が下の世話をするの嫌がったからだ。
ある日、家に私とおじいちゃん2人になった。
おばあちゃんが倒れてしまい母と兄は病院、父は会社から直行したからだ。
おじいちゃんと留守番してると申し訳なさそうに
「喪喪ちゃん、悪いんだがトイレに…」って言った。
私は本当に馬鹿だなって思った。
一人じゃ行けないの知ってたくせに気が付いてあげられないなんて
孫、それも女には言いづらかっただろうなって。
トイレに行くとパンパースが小と大で汚れてた。
たくさん我慢させてしまった。
私はおじいちゃんの気を反らそうと学校であった笑い話を精一杯明るく話した。
お風呂場で体を洗ってパンパースつけてホッとした。
同時におばあちゃんは毎日これをしてるんだと思うと何とも言えない気持ちになった。
そして「悪かったね、ありがとう」って五千円をくれようとした。
おじいちゃんは本当に馬鹿だなって思った。
私が赤ちゃんの時、両親は共働きでした。
おしめを変えて育ててくれたのは貴方じゃないですか。
幼稚園だって塾の送り迎えだってしてくれたのは貴方じゃないですか。
あれは無償の愛でしょ?
私はおじいちゃんが大好きだよ?だからお金なんかいらないんだよって言った。
2人してちょっと泣いた。
その日からは介護の人を頼んだり、家族にも頼ってくれたりでおばあちゃんの負担も減った。

71 :
彼女とセックルしてたら、中に出していいよって言われてびっくりした
マジかよおい
オレガンで約半年しか生きられないってさっき言ったじゃん
子供出来たらどうすんだよ
一人で育てるのかよ、オレ貯金もないから何も残してやれないよ
っていうかお前は絶対他の男と結婚した方がいいに決まってるよ
お父さんだって怒るよ
それがなんで笑いながら「だって○○の子供が欲しいんだもん」って言うんだよ
「○○の子供じゃないと嫌だよ、○○の子供は絶対私が生んで私が育てるんだよ」って言うんだよ
すげーよ、なんでオレ泣きまくってんのに笑いながら抱きしめてくれんだよ
これが引越し中に出てきた6年前の日記
から始まる日記なんて妻と娘には死んでも見せられないけど、
あの言葉でオレは生きる事が出来た
あの日のセックルがなきゃ絶対オレ諦めてた
人生で一番幸せな射精でした

72 :
級生と中華街に行くとか言ってた日、家の前まで来るとイイ匂い。
ウキウキしながらドアを開けたら、にっこり笑ったカミさんが
ホンコンソース焼きそば(知ってる?)のキャラみたいなカッコで
ソデに手を入れて
「アぃヤー、お帰りアルヨー!」
ヒザから崩れ落ちたね。ナマズヒゲまで付けてるし。
そのヘンな服は小ネタのためにわざわざ買ったのか。
「そうアル。アナタ帰り遅いから何度かスに戻って大変だたアルネー」
「あーパパアルー」娘もかよ!
・・・・バカだこいつ、バカすぎる。
あまりのバカさ加減に、涙が出た。
ああ俺、結婚して良かったなあ。
ホントに良かったなあ。

73 :
スネ夫「悪いなのび太!この戦闘機は二人乗りなんだ!」
ジャイアン「のび太はお留守番でもしてろよwww……じゃあな、心の友よ」

74 :
先日、定食屋だと思って入ったら、一番安い料理でも3千円はする高級和食店だった。
悩んだ挙句、顔を真っ赤にしながら正直に「予算が足りないので失礼します」と伝えたら、
店主は状況を察して「ご予算はいかほどでしょう?」と言い返してきた。
顔から火が出そうになりながら「千円では無理ですよね?」と言ったら、
笑顔で「天丼はいかがでしょう?」と勧めてくれて、余った高級食材らしきものを
集めてかき揚げ丼を作ってもらった。感動して泣きそうになった。
本当の高級店とはこういう店をいうんだなとしみじみ感じた。長文失礼。

75 :
小さな食堂(夫婦と息子さんで経営。バイトは私だけの合計4人)でバイトをしています。
基本的に調理は旦那さんと息子さんがやっているのですが、付け合せの人参のグラッセなど簡単なものは私が作っています。
昨日最後に来たお客さん(親子3人)が「この人参のグラッセを作ってる人はどなた?」と聞いてきました。
私は不味いと苦情を言われるんだと思い、震えながら「私です」とお客さんがいるテーブルに行きました。
お客さんは私をじろじろと見て「そう、あなたが作ってるの…」と呟きました。
私はもう怖くて怖くて、手をぎゅっと握ってその視線に耐えていました。
そうしたら奥さんの方が「うちの子、人参が大嫌いでどんな料理にしても絶対に食べないの」と言いました。
「それなのに、このお店のグラッセだけは美味しいっていつも嬉しそうに食べるのよ。
良かったらレシピを教えてくれないでしょうか」とメモ帳とペンを私に差し出してきました。
そういうことは店長に確認を取らないといけないので、冷静を装ってと厨房に行きましたが、実際は嬉しくてぼろぼろ泣いてた。
厨房に行くと店長は「話は聞いてた。レシピは教えてやっていいぞ」とレシピのコピーをしてくれていました。
そして「これも持っていけ」とグラッセとうちの一番の自慢のコロッケを渡してくれました。
お客さんにレシピと「これは気持ちです」と料理をテーブルに載せると、子供は満面の笑みで「ありがとう!」と、
夫婦も「このコロッケ凄く美味しくて大好きなんです」って美味しそうに食べてくれました。
このことが本当に嬉しくて嬉しくて、お客さんが帰った後、思わずおお泣きしてしまった。
店長が「料理屋は客に美味いと言われるのが最高の幸せだ。だから今のお前は最高に幸せなんだぞ」と
言って、私が泣き止むまでずっとお店にいてくれました。
お店もここにくるお客さんもみんな大好きだ。

76 :
俺ん家は俺と母親、それとおはあちゃんの三人で暮らしてる。
親父は離婚していない。パRとかやって借金をつくる駄目な親父だった。
母子家庭ってやっぱ経済的に苦しくて、母さんは毎日働いてる。
おばあちゃんは汚い服ばっかり着てる。
俺は行きたい大学があるけど、金がかかるからそこだけ受けて駄目だったら就職しようと思ってた。
それで、俺大学落ちちゃったんだ。
「すぐに就職先を見つけなきゃいけないな」
って考えてたら、俺の部屋におばあちゃんがやってきた。
「〇〇、大学落ちちゃったんだってね」
と、おばあちゃん。
「うん、でもいいよ。俺、就職するからさ」
ってちょっぴり強がって俺は笑ってみせた。
そしたらおばあちゃん、いつから使ってるか分かんないような汚い手提げ袋から、札束を出してきたんだ。
「え…何このお金…」って俺が絶句してたら、
「〇〇、行きたい大学があるんじゃろ?だったら行きんさい。
お金のことなら心配せんでええ。まずこれで予備校行きんさい。
年寄りは金持ちやで。それに、ちょうどばあちゃんな、何かに使おうて思ってたんじゃ」
と、そう言ってシワシワの手で札束を俺に握らせた、最後、俺の部屋から出るとき「頑張りんさい」って言って出てった。
それから俺、母さんにおばあちゃんのこと聞いたら、
「おばあちゃんね、あんたが産まれてからずっと年金コツコツ貯めてたみたいだよ。私も知らんかった」って。
マジ泣いたよ。
なんで金あんのに汚い服ばっか着てる意味とか、さっき俺の部屋で喋ったこととか思い出して、本当に泣いた。
もう、本当に頑張るから。今は肩を揉むことぐらいしかできんけど、絶対に大学に合格するから。
それと、俺は今日で2ちゃんねる卒業だわ。長い間、本当にお世話になりました。勉強がんばります ノシ

77 :
微弱陣痛で42時間苦しんだ。
最初はよくある雄叫びをがおーっとあげてたけど、なんだかどっかを境目に急に冷静になった。
夫がハライタだのごはんだのとふいふいいなくなっていたのに、母はずっと付き添ってくれてて、医師らが体に悪いと叱るまでトイレにも立たなかった。
それで突然偉大なる母親の愛情みたいなものを見ている気がして頭が冷えたのね。
枯れた声で叫んでたとこからふっと息ついて、ぐるんと母を見た。
私「お母さん、ありがとう。大好き」
母「何?!死ぬの?!お医者さん!娘が死にそうです!」
私「私ね、お母さんのさつまいものきんぴらが好きだよ」
母「いやああああ誰かきてえええ!娘が死ぬううう!!!」
私「お母さん、高校のころに『早くしね』って言ったの、あれ嘘だよ。なるべく長生きしてね」
医師「○○さん!気を確かに!」
私「こんな時だから言えるけど、お母さん、いつかでいいからまただっこしてくれる?」
母「(号泣)」
ここで赤さん発露。間置かず頭がぬるんと出て、「ふんぬらば!」のひといきみで赤さん完全生誕。
本当に女神が舞い降りたかのような数分だった。

78 :
とうとう嫁に言った。今まで黙ってたが、アレンジ料理を作るのやめてくれ、俺は普通が好きだと。
(嫁は普通のを作ればメシウマなんだがたまにアレンジ料理を作る)。
嫁はこれからそうする、と承諾してくれ円満解決、となって言いにくい事があっても夫婦なんだし話し合おうと決めた。
すると嫁から手紙が。
「あなたのHが下手で苦痛だった。ずっと言えなかったんだけど、何でも話し合うって言ってくれたし。
今まで気持ちいいふりしててゴメン。これからは回数を減らしてくれると嬉しいです」
orz

79 :
我家は母子家庭。
もちろん裕福ではないけど、つつましく暮らせば
生活に困るような事もないような家庭のつもりだったのですが。
ある日、元々指輪など装飾品にそれほど興味のなかった私が珍しく
超々安物の指輪を気に入って購入した夜。
私「ねえ、これかわいいでしょ〜?」(本当に気に入ってたから)
小4の息子「買ったの?」
私「うん、どう?」
息子「高かった?」
私「まっさかーー、500円だったかな」
その後、何故か息子は下を向いて黙ってしまい
どうしたのかと思ってたら
「俺が大きくなったら、すっごい高い指輪買ってあげるから」
って涙ふきふき言われてしまいました。
買えないから買わないのももちろんあるけど、我慢するほど
そういうのが欲しい私ではなかったのに
息子は、きっと勘違いしちゃったんだろうなって。
でもそんな気持ちが嬉しくて、私も泣き笑いしちゃった。
これから先、何があってもこの子がいてくれたら
乗り越えていける、って改めて思わせてくれた夜でした。

80 :
長女(当時4歳)が幼稚園の行事の参加記念品だかで箱に入ったクレヨンのセットをもらってきた。
ところが、こともあろうにその日の夕方、見事に全部折っちゃった。
当然うちの嫁は激怒、しかられて長女も大泣き。それで、
「お前、なんであんなことしたんだよ?」
と聞いてみたら、
「○○ちゃん(次女、当時2歳)と ヒック
 クレヨン半分こするって ヒック
 約束したんだもん ヒック」
思わず長女を抱きしめた。
翌日、どこから持ってきたのか透明な容器に半分に折られたクレヨンが
きちんと全色分しまってあるのを見て、ちょっと目の潤いが多くなってしまいました。

81 :
うちの娘も一人っ子。
いろんな人から「一人っ子は可愛そうよ,もっと生めば?」とはいわれる。
でも娘が3歳のとき、よかれと思って受けさせたおたふく風邪の予防接種の
副作用で髄膜炎にさせてしまった時、41度の高熱に苦しむ娘をみながら,神に祈った。
「私の生涯、子供はこの子一人で良いからどうかこの子を助けてください」と。
ちょっと育児失敗したかなあ。他の子供はもうこういうことができるのに。とか
思い通りに育たない娘をみて、次の子が生まれたらこうやって育てようなど考えてた
直後の発病だった。
罰があたって、この子を失うかもしれないという不安でいっぱいで
「とにかく命だけは助けて」と祈る毎日だった。
無事熱も下がり、恐れていた後遺症もなく元気で退院してからはしばらく
夜抱いて寝ていたものだ。思った通りに育たなくても、他の子ができることが
できなくても大切な可愛い我が子。
あの時祈った言葉に嘘はない。今目の前にいる娘がすくすく育ってくれるのが
一番幸せ。
神様との約束がずっと守られているから一人っ子のままなのだと思っている。
この話をするとたいていの人は黙る。

82 :
今日珍しく俺は母ちゃんを外食に誘った。
行き先は昔からよく行く馴染みのラーメン屋だった。
俺は味噌大盛り、母ちゃんは味噌並み盛りを頼んだ。
「昔からここ美味しいのよね」って、柄にもなく顔にシワよせて笑ってたんだ。
ラーメンが出来上がると、俺も母ちゃんも夢中で麺をすすってた。
あんまりにも母ちゃんがニコニコしながら食べてるもんだから、
俺もつられて笑っちまったよ。
しばらく経って、ラーメンを食い終わった俺はふと母ちゃんの方を見たんだ。
ラーメンの器に浮かぶチャーシューが一枚、二枚、三枚・・。そのチャーシューを捲ると麺がまだ沢山余ってた。
母ちゃんは俺の方を申し訳なさそうに見て、「ごめんね、母ちゃんもう年だから。ごめんね」と繰り返してた。
「んなもんしゃーねーべ」と言うと、俺は母ちゃんの残したラーメンをすすった。
そういやガキの頃、よく無理して大盛り頼んで、結局食べきれなくて母ちゃんに食ってもらってたっけ。
いつの間にか立場も逆転。あんなに若かった母ちゃんの顔も今じゃシワだらけで、背丈も頭一個分違う。
そのシワの数程今まで散々迷惑掛けたんだろうなって思うと、悔しさと不甲斐なさで涙が出てくる。
母ちゃん、こんな俺を今まで育ててくれてありがとう。
俺、立派な社会人になるわ。

83 :
子供の言語の発達って段階があって、一語とか二語文とかって言うんだ 「あれ」が一語「あれ」「取って」が二語文 成長するにつれだんだん文章になるのね
娘は言葉が少し遅かったんだけどそれは個人差だと思ってたし私と娘の間では意志の疎通は出来てたから不自由はなかったんだ
でも旦那を含む私以外の人とは気持ちが通じず、上手く通じないことに娘が辛そうで見ていて歯痒いことはままあったのね
でも3歳を過ぎたある夜、いつものように腕枕をして一緒に寝ようとしたら娘が小さい声で「ママ?」って呼ぶのよ
だから「ん〜?どうしたの?のどかわいた?」って聞き返したら
娘は「ママ、だいすき」って小さい小さい声で話してくれたんだ
もうね、しびれたね 娘を抱きしめてしゃくり上げながら泣いたね
そしたら娘、私を押し返して、自由になった小さい手で「なでなで」ってしてくれるの そんなのされたら余計に泣くからwwww
更に泣いてたら娘が立って隣の部屋に行ったのね
泣いてる母なんざ見たくないかな、隣の部屋で困ってるのかな、ごめんなって思って私も起き上がったら娘が部屋に帰ってきて、ティッシュを一枚持ってきてんの
んで「ふきふきよ」って私の顔の涙拭くのさ でもティッシュ一枚じゃ足りないって思ったらしく、また隣の部屋行って、帰ってきたらまたティッシュ一枚持ってんの 箱ごと持ってきたらいいのにwwwwハナかめないwwww
満足な母親してやれてない私のことなんかをだいすきだとよ
ばかだよね 私よく怒るし裕福でもないし 脳に腫瘍あるからお前が成人するまで生きれるかどうかも危ういんだよ
私なんかに初めての主語付けてのだいすきを言うなよ なくなっちゃうぞ 持って行くぞ って思ってさ
娘の第一次反抗期は本当にひどかったし、言葉も達者になったし自我が出てくるから喧嘩もよくしちゃうんだ
でも今も毎日寝る前に「おやすみなさい」のあとに「だいすきだよ」って言い合ってる
だいすきで居続けてもらえるよう今日も生きるよ 明日もそう生きたい
大人になった娘になにを返せるだろうって毎日考えてる とりあえず決まってるのは「○○、だいすき」って言葉だけど

84 :
小学生のとき、少し足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅いA君がいた。
でも、絵が上手な子だった。
彼は、よく空の絵を描いた。
抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。
担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
冷や汗をかきながら、指を使って
ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。
N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。
私はN先生が大嫌いだった。
クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、全校集会で先生のお別れ会をやることになった。
生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。
お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。
私は、A君の言葉を忘れない。
「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」
A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。
水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。
放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。
その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。
N先生がぶるぶる震えながら、嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした。

85 :
続き
昨日、デパートのポストカードの中に美しい水彩画と、A君のサインを見つけました。
N先生は今、僻地で小学校で校長先生をなさってます。
先生は教員が少なく、子供達が家から2時間ほどかけて登校しなければならないような
過疎地へ自ら望んで赴任されました。
N先生のお家には毎年夏にA君から絵が届くそうです。
A君はその後公立中高を経て、美大に進学しました。
お別れ会でのN先生の挨拶が思い浮かびます。
「A君の絵は、ユトリロの絵に似ているんですよ。
 みんなはもしかしたら、 見たこと無いかもしれない。
 ユトリロっていう、フランスの人でね、街や 風景をたくさん描いた人なんだけど。
 空が、綺麗なんだよ。 A君は、その才能の代わりに、他の持ち物がみんなと比べて少ない。
 だけど、決して取り戻せない物ではないのです。 そして、
 A君は それを一所懸命自分のものにしようしています。
 これは、簡単なことじゃありません!」
A君は、空を描いた絵を送るそうです。
その空はN先生が作り方を教えた、美しいエメラルドグリーンだそうです。

86 :
小さい頃は近所の駄目人間おじさんをバカにしてたっけ・・・。
よれよれの紺のビニールジャンパー、べた付いてそのままよりも少なく
見える髪の毛。猫背。生気のない瞳。ただその存在そのものを見下して
たね。将来自分は絶対に出世するんだって何の根拠もなく思ってたね。
小さい頃からの日々の積み重ねが大人になるまで続いてくなんて夢に
も思わなかったよ。中学生の頃通っていた塾の先生が言ってたな。
「俺はあんまり頭良くないから法政にしか行けなかったんだ、ははは。」
クラスのみんなで大笑いしてたっけ。あの内何人が法政以上の大学に
行けたというのだろうね。毎日会社に通って夜遅くまで働いてるお父
さんがいかに大変で偉大かって、やっと分かりました。
転職を繰り返して人に馬鹿にされて初めて分かりました。生きるって
本当に大変。何をやっても後悔が待ってるもんね。特別じゃない。
自分は特別な人間でも何でもないんだって、20代後半になってやっと
分かりました。あの頃、白い眼で見てしまったおじさん、ごめんね。
あなたのぶんまで生きようと思います。
でも、時間が必要だったことだけは分かって欲しいんだ、おじさん。

87 :
俺には妹がいる。昔はしつこいと思うくらい俺についてまわった。
中学に入った辺りからだんだん冷たくなってきて、俺が話し掛けても冷めた反応。
そしてある日のこと。その日は俺の誕生日。
朝飯を食べていると、まだ早いのに妹が行ってきます、と玄関にむかった。
玄関までついていって「俺、今日誕生日なんだけど」って言ったら
へえ、と冷たい反応。さすがに落ち込んだ。
その夜のこと。
トイレにいこうと部屋を出ると、妹の部屋の戸が開いている。風呂のようで
しばらく帰ってくる様子はない。悪いとは思いつつ、部屋に入る。
机の上には日記帳。いけないとはわかっていたが、好奇心に負けて開いた。
そこには、その日の日付でこう書かれていた。
『今日はお兄ちゃんの誕生日。お母さんに言って、今日のお兄ちゃんのお弁当は私が作ることに。
 お兄ちゃんは何にも気が付かずに食べたみたい。
 大成功?なのかな。ハッピーバースデー!お兄ちゃん』
俺は泣いた。

88 :
3年前の話。
当時、金融屋をやっていたんだけど<裏金>その年の夏。
いつものように追い込みかけに行ったら、親はとっくに消えていたんだけど
子供が2人置いてかれてた。
5歳と3歳。<上は男の子、下は女の子
俺はまだペーペーで、周りの兄さんらと違って顔も怖くなかったらしく
家に行ったときすぐに下の子になつかれた。
ボロボロの服で風呂にも入ってなくて、「いつから親はいないんだ?」って
聞いても答えない。
「何食ってたんだ?」って聞いたら、上の子は下をむいて泣いた。
下の子が「こっち」って手を引いて裏庭に俺をつれていった。
破れた金網を通ってでたところは、小学校の裏庭だった。
「あのね、みーちゃんこれ食べたの」って池を指す。
嫌な予感がした。
だってさ、その池って金魚がウヨウヨ泳いでるんだよ・・・。
2人を抱きかかえて家に戻ると、テーブルに小さいボウルと茶碗。
「お前ら・・・金魚食ってたのか・・・」って聞いたら「・・・うん」
すっげーやるせなくて涙がでて、俺もその場にいた兄さんらも泣いた。
すぐに兄さんがたくさん食べ物と洋服を買ってきた。
近くの銭湯で体を洗ってやった。
その後、俺らじゃどうしようもないから施設に連絡をいれた。
連れていかれる時に「お兄ちゃんありがとう」っていってた。
・・・全然ありがとうじゃねーよ・・・俺たちがお前らの親を追いつめたのに。
俺を含めて何人かは、この後仕事を抜けた。

89 :
ある日、男子トイレの洋式の方に入り座ると、ドア裏に小さな落書きがあったのです。
『入院して二ヶ月 直らない もうだめだ』
そして二週間後
(その落書きの事はすっかり忘れていたのですが)、またそのトイレに入りました。
…ドア裏は落書きでいっぱいいっぱいになっていました。
『頑張れ』
『ガンガレ』
『必ず良くなるぜい!』等々。
しかもその後、トイレはペンキ塗り直しされて、他のドアは新しい色になったのですが、なぜか、そのドアだけは塗り直されずに落書きがそのままでした。
それを見て温かい気持ちになりました。

90 :
初期の東芝レコで、8年間サザエさんを撮り溜めた
この間故障して数話がDVDにサルベージできなくなった
東芝のサポートに電話したら復旧は困難とのこと
どうしても取り出したい「サザエさん」があると告げたら
「サザエさんですか・・・・やるしかないですね」
と預かってくれた
3週間後、見事に修理されて戻ってきた
個人で部品を調達してくれたらしい
お礼を言うと、
「はい、技術とエレクトロニクスの東芝をこれからもよろしくお願いします」
と言われた。泣けた。

91 :
自分が小学5〜6年生の頃の話ですが
当時の親父がダメダメの多重債務者で、怖い借金取りがしょっちゅう家に来てました。
母は朝から晩まで勤めに出てたので当然ガキの自分が応対し、
大声で怒鳴られたり小突かれたりしてたんですが、
近所の人も親父が借金踏み倒してたんで誰も助けてはくれませんでした。
そうこうしてとある日、小学生の自分でもそれとわかるものすごい迫力の人が尋ねてきて、
「おぅボクー お父ちゃんおるかー?」とずかずかと家に乗り込んできました。
親父は数日前から帰っておらず、絵に描いたような貧乏アパートで半べそかいて
ひもじそうな自分を見て同情してくれたのでしょう、
「ごはん食べたか? おっちゃんがなんかおごったろ」 
と黒塗りのでかい車に乗せてハンバーグ(いまだに忘れません)を食べに連れて行ってくれました。
そうして家に戻ると、いつも見る取立ての人が玄関の上がり口にどっかりと腰をおろしており、
またいつものように「コラガキ*@§☆」とまくし始めたのです。
そこにド迫力のおじさん登場、「ゴルァおんどれー 子供になにぬかしとんじゃ ワシは
○○会の☆☆ゆうもんや、ワシに同じことゆうてみい!」とその取立人を追い返してくれました。
帰り際にその人は、「また同じような奴が来たら、これ見せたらええわ」
と大きな名刺をくれて去っていきました。
その後その名刺がたびたび威力を発揮し、取立てが止んだのは言うまでもなく、
しばらくして親父と離婚した母とその町を出ました。
あのおじさんにはその後会うことは無かったんですが、
子供だった自分にはヒーローでパンチパーマの神様でした。

92 :
学生時代、貧乏旅行をした。帰途、寝台列車の切符を買ったら、残金が80円!
もう丸一日以上何も食べていない。家に着くのは約36時間後…。
空腹をどうやり過ごすか考えつつ、駅のホームでしょんぼりしていた。
すると、見知らぬお婆さんが心配そうな表情で声を掛けてくれた。わけを話すと、持っていた
茹で卵を2個分けてくれた。さらに、私のポケットに千円札をねじ込もうとする。
さすがにそれは遠慮しようと思ったが、お婆さん曰く、
「あなたが大人になって、同じ境遇の若者を見たら手を差し伸べてあげなさい。社会ってそういうものよ」
私は感極まって泣いてしまった。
お婆さんと別れて列車に乗り込むと、同じボックスにはお爺さんが。最近産まれた初孫のことを詠った
自作の和歌集を携えて遊びに行くという。ホチキスで留めただけの冊子だったので、あり合わせの
糸を撚って紐を作り、和綴じにしてあげた。ただそれだけなんだが、お爺さんは座席の上に正座して
ぴったりと手をつき、まだ21歳(当時)の私に深々と頭を下げた。
「あなたの心づくしは生涯忘れない。孫も果報者だ。物でお礼に代えられるとは思わないが、気は心だ。
せめて弁当くらいは出させて欲しい。どうか無礼と思わんで下さい」
恐縮したが、こちらの心まで温かくなった。
結局、車中で2度も最上級の弁当をご馳走になり、駅でお婆さんに貰ったお金は遣わずじまいだった。
何か有意義なことに遣おうと思いつつ、その千円札は14年後の今もまだ手元にある。
腹立たしい老人を見ることも少なくないけれど、こういう人たちと触れ合うことができた私は物凄く幸運だ。

93 :
昔、俺がまだ神戸で雇われのバーテンダーだった頃の話。
その店は10階建てのビルの地下にあった。で、地下にはうちの店しかないんだけど、階段の途中にセンサーが付いてて、
人が階段を通るとカウンターの中のフラッシュが光ってお客さんが来たのがわかる仕組みになっていた。
でもたまに、フラッシュが光っても誰も入ってこない、外を見ても誰も居ないって事があって、
俺は寂しがりやの幽霊でも来たのかなって半分冗談みたいに、ウイスキーをワンショットカウンターの隅の席に置いて「ごゆっくりどうぞ〜」と言っていたんだ。
それからはそれがおまじないというか、げんかつぎみたいになって、そうゆうことがあると、いつもそれをしてた。
そのうちお客さんも「おっ今日も来てるねー」みたいな感じになって(そうゆう日に限って店は凄く忙しくなった) 姿は見えないけど、その頃は店の常連さんみたいに思っていた。
ある冬の朝方、またフラッシュが光ったんで、こんな遅くにお客さんかぁと思って外を見ても誰も居ない。
なんかそのまま朝の空気が心地よいので、階段の上まで昇って一服してたら、突然の大地震。そう阪神大震災です。
うちのビルは地下と一階部分がぺっちゃんこ。あのまま中に居たら確実に死んでました。
あとから考えるといつもただで飲ましてあげている、あの見えない常連さんが助けてくれたのかなぁと思います。
今も違う場所で自分でお店をやってますが、その店のスイングドアが風も無いのにギギィーって揺れたりすると、今でもウイスキーをワンショットカウンターの隅に置いてます。
そして心の中で「いらっしゃい。あの時はありがとうございました。」と思うようにしています

94 :
男が女の子の正面に立って、何かしきりに手を動かしてた。手話だ。
彼はやっと手話を覚えたこと、覚えるのは結構大変だったこと、女の子を驚かせようとして
その日まで秘密にしてたことを伝え、女の子の方は彼が勉強してることを知らなかったこと、
本当に驚いたこと、嬉しいと思っていることを伝えて、そのうちもどかしくなったのか彼の手を握って
2度3度、嬉しそうにその場でほんの少し飛び跳ねてみたりしてた。
悪趣味な盗み聞きだとは解ってたけど、その時ようやく手話を使いこなせる様になったばかりの俺には、
それは例えば外国の街で突然耳に入ってきた日本語が気になる様に、申し訳ないけどどうしても
気になる光景だった。たぶん、俺はにやけてたと思う。怪しい奴に見えたかもしれない。
でも、それは微笑ましくて、こっちまで心があったかくなる光景だった。
服の裾が引っ張られる感覚に振り返ると、そこに俺の彼女が来ていた。
何を見てたのかとか、顔が嬉しそうだとか、もっとはやく私に気づけとか、微妙に頬を膨らませて、
もの凄い勢いで手話を繰り出す彼女に、俺は手話でごめんなさいと伝え、ちょっと昔を思い出してたことを伝えた。
それでも彼女は少し首を傾げ、その”昔”を知りたそうな表情だったけど、俺は笑ってごまかした。
今目の前にいる女の子を驚かそうと、秘密で手話を勉強してた頃の事だ……とは、恥ずかしくて言えなかった

95 :
阪神大震災後のはなし
当時オレはあるファミレスの店員をしていて、
震災後、ボランティアでバイキングのみのメニューを無料で提供する事になった
開店と同時に満席になって席待ちの列、繁忙期以上の忙しさだった
お客さんの中には着の身着のままで来る人がいて、
他のお客さんが「自分は家が残っているし、帰れば着る物がある」と言って
上着を差し出す光景を時折目にして、目頭が熱くなったのを覚えている
昼を過ぎた頃、待ち列の中にやたら身奇麗でアクセをジャラジャラ付けた
若い男女二組がいた。彼等は使い捨てカメラで撮影してはギャーギャー騒いでいた
さらに彼等は皆が我慢して並んでいる中、「はやく席に案内してよ」と文句を言うばかりか、「席に着いたら、即ビール4つね」「わたしパフェたべたーいw」とワガママ放題
見るに見かねてケンカ覚悟で退店願おうとしたその時、
一人の御老人が「あんたら、観光に来たのなら、頼むから帰ってくれないか!」
と涙ながらに訴えた
すると彼等は「カンケーないよw」「ナニか言ってるーw」とケラケラ笑って茶化すだけ
さすがに頭に来たオレが「申し訳ないですが、出て行ってもらえますか?」
と啖呵をきった瞬間、オレの肩をポンと叩いて前に割って入る男性がいた
男性は腕まくりをして見事な刺青を見せ付け、傍若無人な若者たちの前に立つと
「オイ、にいちゃんら はよおうちに帰って、テレビでも見とかんかい!」と一喝
彼等は黙ってスゴスゴと、埃一つ付いてない国産高級車で帰っていった
その後、ヤのつくヒトであろう男性は帰り際、
「店員さんはケンカしちゃいかんよ、そういうのはワシらの仕事やからw」
「食事ありがとう、おいしかったよ」と言って店を後にした
その時の男性の埃まみれのパンチパーマにヒビの入ったサングラス、
少し足を引きずって歩いて帰っていく姿が印象的だった

96 :
俺はセイコーマートで働いて三年目になる。いつもくる小さな子の話を一つ。
その子は生まれつき目が見えないらしく白い杖をつき
母親と一緒に週に二、三度うちの店を訪れる客だった。
ある日、その子が一人で入口の前に立っている。
入口のドアが引くタイプだったので俺はドアを開けてあげようとした。
その瞬間!同年代らしき糞ガキ二人が「お前さぁ、目見えねぇんだろ?
素直に親帰ってくるまで家でおとなしく留守番でもしてろよ。バカだなぁ」といった。
さすがに俺も障害をもった人間に冷たくする人間は許せなかったので
入口に向かったその時!
ガキの片方が「ほら、先に入れよ。ドア開けといてやるからよ。」と言った。
そしてその子の手をつなぎ、「何買いに来たんだ?」と二人組の片方が言うと、その子は
「お母さんがすごい熱が出てるの。だから水枕に入れる氷買いにきたの。」と言った。
そして俺がレジで「398円です。」と言うと、二人組が「いいよ。俺が出しといてやるよ!
そのかわりお前のお母ちゃんがよくなったら俺たちと遊べよな!」といい会計をすました。
そしてきっとその子の家までだろう。
片方が氷をもち、片方はその子の手を繋いで帰っていった。
小さな子ども達の友情に感動!

97 :
私は今日車を買い換えることを子供たちに伝えた。
主人が結婚する前に、私をくどくために買ったマーチだった。
私を射とめ結婚しそれから6年間乗ったのだから
もうそろそろ新しい車が欲しいね、と彼は言った。
わたしも別段反対することもなく、
子供たちにも普通の会話のつもりで話した。
そこで話は終わるはずだった。
子供たちの反応は私たち夫婦のとは異なり、
今にも泣き出さんばかりであった。
「こわれちゃったの?」「もうあえないの?」
確かに普段から、ものにも心があるのだ、
だからものを粗末にしてはならないのだ、と教えてはいたが、
彼らがマーチに対してこれほど思いを抱いていたとは知らなかった。
私たち夫婦は彼らの優しさに心を打たれ、
それをほほえましくまた誇りにさえ思ったが、
実際今度生まれる三人目の子供のことを考えると、
今の車では小さすぎるのだ。
だから私たちは彼らが傷つかないように根気よく彼らを説得した。
その夜わたしはかれらがいつまでもその心を持ち続けることを願って床についた

98 :
納車される前の日に、上の子が手紙を持って私の前に座った。
別れゆくマーチのために手紙を書いたのだった。
「マーチへ。
いままで いろんなところに つれてってくれて ありがとう。これからも げんきでね。」
文字の書けない下の子はマーチの絵を
上の子の手紙の挿絵として書き加えていた。
マーチは自動車販売店に下取りされることが決まっていた。
そこのお店の人の迷惑になるかもしれないと思いつつ、息子たちの手紙をマーチに忍ばせ、わたしたちはマーチを見送った。
それから新しい車が来て、私たち家族は久しぶりに少し遠くまで出かけた。

99 :
それから9ヶ月がたったころ、マーチから息子たちへ手紙が届いた。
「あつし ゆうき へ げんきにしてるかな? ぼくは げんきです。
あつし と ゆうき と わかれたあと、ぼくは あたらしいかぞくに であいました。
 おとうさん と おかあさん と けんたくん の さんにんかぞくです。
けんたくんは まだまだ ちいさくて あまえんぼうさん です。
おおきく なったら けんたくんも あつし や ゆうき の ようにやさしいこに なってほしいな。
いつまでも げんきでね。 
                        マーチ」
かわりに読んでいたわたしは、途中で主人に代わってくれといい、
彼もあと少しで涙するところだった。
上の子は、まだたくさん泣いていい年頃なのに泣くのを必死にこらえている。
「悲しくないのにね、何で泣いちゃうんだろうね。」
一生懸命笑おうとしておかしな顔になっている息子を見て、
わたしたちも泣きながら笑った。

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