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2012年6月哲学15: 西部邁43 (485)
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西部邁43
- 1 :12/05/11 〜 最終レス :12/06/08
- 【主要関連ページ】
東京『発言者』塾
ttp://www.hatugenshajuku.net/
西部邁FAQ―西部邁のまこも部屋―
ttp://www.geocities.jp/sachoquijote/index.html
西部邁ウィキペディア
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%83%A8%E9%82%81
【避難所】
ttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/5402/1335760115/
【前スレ】
西部邁42
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1332738638/
- 2 :
- 【その他関連ページ】
イプシロン出版企画
ttp://www.upsilon-publishing.jp/index.html
札幌『発言者』塾
ttp://www11.plala.or.jp/kitanosizume/sazareisikai.htm#
九州『発言者』塾
ttp://www.kyushu-hatugensha.org/
西部邁的BBS
ttp://8123.teacup.com/tosei/bbs
西部邁ゼミナール -戦後タブーをけっとばせ-
ttp://www.mxtv.co.jp/nishibe/
読書の時間
ttp://book.jorudan.co.jp/cgi-bin/browse.cgi?action=0
- 3 :
- 今こそ『発言者』塾のような西部グループの動向がわかる
ネットの総合発信所がほしい。
誰もブログもやらないからねえ
- 4 :
- >>1乙
>>2の九州発言者塾のリンクは変なサイトに置き換わってるから消したほうがいいよ
- 5 :
- このスレは本当に無意味だ。
ほとんど、昭和30年代がどうの、神がどうの
江戸がどうの、トライアンドエラーがどうの、ニートがどうの、徴兵がどうの、
超越性がどうのって奴しかないし
西部とまったく関係がない。単なる自己紹介スレだからな
もういらない。削除したほうがいい。
- 6 :
- >>4
その他関連ページの上3つのサイト、リンク切れてますね
確認不足でした、指摘ありがとうございます
- 7 :
- 【西部邁ゼミナール】この浅薄きわまる憲法を如何にせん【憲法前文】 2012/05/12 http://www.nicovideo.jp/watch/sm17801774
- 8 :
- 今の日本は危機的状況だよ。
明治政府が作り上げた日本そのものが崩壊の危機にある。
これは、集団主義的で協調性と団結力に優れた一つの成功モデルだったわけだが、
これがすべて崩壊の危機にある。まさに崩壊しないだろうと思われていた基盤そのものが崩壊し
明治以前の日本に先祖がえりしつつあるよ。それが近代社会に適合するかどうかはまったく未知数。
たぶん不適合を起こして、とんでもないことになる。日本社会はばらばらに崩壊する危機にある。
- 9 :
- 日本社会はばらばらに崩壊したら、高校中退のニートの俺はどうすりゃいいってのよ?
愛国心あっても日本が崩壊しちゃったら、どう自尊心を保てばいいってのよ?
- 10 :
- 村理論でハブられたら飢え死にコースで
- 11 :
- 明治政府の作り上げた体制がモダンだとすれば、
ポストモダンだろうね。
ただ、危機的状況にあるのは確か。
近代が隠していた日本人の悪い習性がポストモダンになって噴出し始めてる。
- 12 :
- プレモダンに戻そう
- 13 :
- ハイエクの自生的秩序という定理に関して君達は賛成かい?
西部スレ住人だからって必ずしも賛成とは限らないから訊くが。
- 14 :
- 縄文的自生的秩序には大賛成だ。
- 15 :
- あるべき理想というのはやはりあると思うんだ。
それは、伝統から生まれるものだけど、いつしか伝統を超えて存在するものになる。
穏やかで豊かで争いのない社会とかさ。
そういう社会をどう実現するかという設計はあっても良いよ。
それを全否定するのは無理でしょ。
- 16 :
- >>15
伝統を超えるということが理性による設計主義だから
その考えはユダヤ教なりマルクス主義(ヘーゲルでもいいけど)に
つながっていくよ。
伝統というのは「かくあるべし」ということを
無自覚のうちに為していることだから。
もちろん伝統的な慣習(法)がハイエクのいうように
いつしか自生的秩序として自動調整されていくとは限らない。
その意味でフィードバックとしての理性なり設計は必要だとは思うけど。
西部さんもハイエクについては大衆によって自生的秩序が破壊される可能性もある、
という意識がハイエクにはなく、いささか楽観的だと言っている。
- 17 :
- 和辻哲郎倫理学の「間柄」じゃないけど、
京都学派的な無の思想から穏やかで豊かで争いのない社会へというなら
保守思想と道元・西田哲学の融合として面白い社会哲学になるかもしれない。
- 18 :
- 自生的秩序なんてフィクションだ。
自生的秩序が成立するためには市民階級が権力を握っていることが前提で、封建制ではありえない。
つまり近代を通過していないとあり得ない。
秩序はいつだって支配階級によって権力的に押し付けられる。
あえていえば資本主義の運動は秩序を解体してゆく「自生的」なものではある。
例えば「自由貿易」によって「規制権益」が解体される。
慣習法という言葉も厳密に使うべき。慣習法とはなんなのか。
現在、法廷で論じられている慣習法はほとんど「ない」と言うに等しい。
「ない」は大げさなら商人どうし「こういう時はこういう行動を取る」という慣習が法に先んじて適用される場合があるという程度。
- 19 :
- 資本主義は投資と融資で動く体制で、市場主義体制と混同しないほうがいいと
中野剛志が言っているよ。
- 20 :
- 伝統から生まれ、伝統を超えるか。
まあ、理想とはそういうものだよ。そうして人間は進歩して
ここまで豊かな社会を築いたんだから。
人間と動物の違いは、理想を持つかどうかだ。
動物のままでいろといわれても、そうできないのが人間。
- 21 :
- とうぜん理想を持つのはいいが、理性によって未来が見通せると
神のごとき万能力を持ってると勘違いすると危ないと
保守は戒める。
たとえば道徳を涵養するのは秩序と自由のバランスが取れた社会を
理想とするからなわけでさ。
しかしそこから人工的に社会を、人間を統制していけると妄信すると
集産主義に陥ると歴史的な知見がある。
- 22 :
- なによりイデアがだろうね。
イデアがあることで理想が存在し伝統となって現れる。
もちろんイデアが自分自身を神として自己神格化する危険性は避けないといけないけど。
イデアを見失しなわずに、それを伝統と資本主義の中に上手く融合させた社会が
良い理想的な社会と言えるね。
- 23 :
- カール・マンハイムの保守論を通過していない保守論議はもう無意味だと思うよ。
彼の「保守主義的思考」や「イデオロギーとユートピア」は現代保守論には必読書。
- 24 :
- 別に人間の誤りは共産主義だけじゃないよ。
専制主義でも独裁主義でも共産主義と同程度には誤りでしょうよ。
フランス革命が誤りというなら、歴史上のすべての戦争が誤りだ。
事物を恣意的に取り出して糾弾するのはフェアじゃない。
フランス革命で急進的に変革したからこそ現在がある。
もし斬新的な変化を選択していれば、現状は違ったものになったはず。
それが今よりましかどうかは誰にもわからないんだよ。
- 25 :
- >>22
イデアでもそうだし、バークの保守思想自体がキリスト教の価値観から生まれ、
宗教─道徳─(時効としての)法─自由というものが融和した在り方を説いたからね。
資本主義と伝統の問題でいうと、市場原理主義や新自由主義という国境を越える経済政策に対して
保守思想がどう構えるかというアップデートな問題がある。
保守主義は自由主義だからということでそれらに組する保守論壇人もいれば、
それらと保守思想を明確に分ける西部邁のような人もいる。
- 26 :
- 歴史上で数えるほどしか起きていない革命の危険性はこれでもかと強調するけど
何千回も起きてる戦争の危険性にはまったく無頓着というのもどうかと思うよ。
どちらが確率的に危険なんだといいたい。
- 27 :
- 人間は理想を持っても誤りを犯すし、
理想を持たなくても誤りを犯す。
どちらの誤りが酷いかは、わからないね。
だったら、人間らしい方法を選択したい。
- 28 :
- そうだよ。人間は誤りをおかす。その認識が保守主義の出発点だ。
だから「時間の効果」の篩いにかけられた法をバークは擁護し
哲学の中心に据えたわけだ。
- 29 :
- それでは、フランス革命はなかった方が良かったと思う?
アメリカ独立戦争は?ロシア革命は?
また、ローマは滅びなかったほうが良かったのか。
ローマがカルタゴを滅ぼしたのは間違い?
第一次大戦は起きない方が良かったのか? 第二次大戦は?
たとえ個々に間違いだと言えるとして、それを避けてもまた別の間違いが起きるだけのような気がするよ。
間違いって何なんだろう?
- 30 :
- 結局、こうなんじゃないか。
正しいことは何もない。
正しいことは何もないから、正しいことを理由として何かをするな。
正しいことを理由として何かの犠牲を強いるな。何かの負荷をかけるな。
正しいことを口実に何かをするな。
こういう結論になるのではないか?
- 31 :
- 少なくとも、歴史的な出来事、歴史を左右した出来事はすべて間違いであると言えると思う。
フランス革命が間違いであるなら、
同じ理屈で歴史を動かした出来事はすべて間違いだろう。
ということは、今の現在の有り様は、歴史の間違いの積み重ねで作り上げられたってことだ。
現状は間違いの積み重ねでできあがったものであり、そうであるならこれからもひたすら
間違いが積み上げられて歴史は作られていくんだろう。
間違いとはそもそも何なんだろう?
- 32 :
- 歴史は事実であって正しいとか間違いとかない。
- 33 :
- じゃあフランス革命は間違いじゃなかったんだ。
- 34 :
- 昭和30年代にフランス革命は起きなかった。
それゆえ昭和30年代は素晴らしかった。
- 35 :
- 西部さんは、戦争は必ずしも悪ではないというんだが
ということは革命は必ずしも悪ではないとも言えるんじゃないだろうか?
- 36 :
- 歴史を裁断してみてもどうしようもないと思うが。
フランス革命もある必然のもとに起こった。
明治維新もだ。
- 37 :
- ゼミナールでinevitableを感じる時に
「歴史」という言葉を使うな~って佐伯と話てたじゃんかw
- 38 :
- >>34
そうだね。
昭和27年に再軍備反対のデモがあって、昭和29年にはビキニ環礁での
水爆実験があり第五福竜丸が被ばくした。
29年には「億万長者」って映画で政治家の汚職、原爆の恐怖が忘れられない娘が原爆を自作する、
共産主義的な劇団員とかが現れてまだまだ敗戦の色濃く残る東京の風景が見られる。
そういう心の焼け跡的なものが30年代には徐々に発展していき、同時にやさしさ思いやり
礼儀も残っていた。
今のような殺伐とした都市の様相は想像だにしなかった時代。
コカコーラで喜んでいたころは良かった。
ハンバーガーを食べるようになって少しずつ狂ってきたように思える。
- 39 :
- 米国にぬくぬくと保護されていた「少年ニッポン」が懐かしいんだ。どうしようもないな…
- 40 :
- 何かを信じるものがあるから人はやさしくなれるんだよ。
たとえそれが共産主義でもね。
信じるものがなくなったとき、人が唯一信じるのは自分(とその周りの)の利益だけになる。
- 41 :
- やっぱり保守思想というのは、キリスト教が土台にないと理解不能でしょう。
キリスト教が土台にないと、理想に対するしつこい因縁付けとしか思えない。
キリスト教が土台にあることを前提として、その理想は違う言っているわけで
そうした理想がないと、理想なんて何もないという単なる酷いニヒリズムになる。
欠陥だらけの人間が作った理想じゃなくて、神を信じろってことでしょ。
前半だけじゃ何の救いもない。
まあ日本で後半部分を置き換えるとしたら、天皇ってことになるんだろうけどね。
- 42 :
- つまり保守思想はキリスト教を前提とした「輸入思想」「輸入理論」だと。
マルクス主義を下地に戦後民主主義を展開した丸山真男ら進歩的文化人の裏返しで本質は変わらないということだな。
- 43 :
- キリスト教が下地になっているのはその通りで輸入思想というのもその通りだよ。
ただそのあたりは中川八洋が詳しく書いているけど我が国には戦前も戦後も
英国流の体系立った保守思想は入ってこなかった。
我が国はずっと文学者が保守を語っていた。これは西部邁も言っているけど。
ただ進歩主義と本質が変わらないという単純化は違って、
西部・中川などは、ユダヤ千年王国的なマルクス主義に代表される全体主義を
西欧こそが懐疑してきた。日本人は懐疑もしないですんなり進歩思想を受け入れてしまった。
こういうことを主張している。
- 44 :
- >>43
懐疑するには、軸足がいるんだよ。その軸足がキリスト教でしょ。
全部を懐疑するのは人間には無理。
- 45 :
- 理性を軸足にして神を懐疑するか、
神を軸足にして理性を懐疑するかなんだね。
両方懐疑するのは無理だからね。
どちらが正しいのか、それは誰にもわからない。
歴史だけが教えてくれる。
理性の失敗と非理性の失敗はどっちが酷いんだろうね。
- 46 :
- じゃあ日本はどうすればよいのですか
- 47 :
- 理想を持つというのは人間一般としてあるけど、
裏を返せばそれは満たされないものがあるという事。
共産主義なんてのは理想といえば聞こえはいいけど
その理想は怨念感情が源泉。
だからハイエクがいうように漸進的にルールと自由が進化し
無自覚のうちに生活を営める社会が安定した社会だということだな。
その状態を目指すには当然、理想とか活力が必要になってくる。
そういう意味での理想は保守主義的にOKだよ。
- 48 :
- 実需的にはそれでいいんだろうけど、心の問題は解決しないよね。
それで人はやっていけるかな。
すべてを懐疑することは人は出来ないから。
- 49 :
- >>44
仏教だって小乗と大乗の違いもあれば、その大乗にも
真言、曹洞、浄土などまったく違うスクールがある。
キリスト教とひと括りにすれば簡単だけど、各地の土着の在り方があり、
そこに環境や風土、民族の歴史、さまざまな要素のためにひと括りはできないでしょう。
われわれ日本人だってこれほど同一性を保った国民はいないのに
首相の靖国参拝の是非をアンケートでとると二分する。
- 50 :
- 昭和30年代に共産主義を信じた人たちは決して怨念ではなかったでしょう。
そこに人々は救いを求めた。それは、ほとんど宗教と同じ種類の感情だったと思う。
そうした救いを信じる人々は、たとえ貧しくても穏やかな日常を過ごせる。
信じるものがなくなった現代人は、たとえ物質的に満たされていても絶えず何かにおびえ
疑心暗鬼の中で満たされることがない。あらゆることが信じられなくなり
自分と係累の利益のみを考え、それを守ることに汲々とする。
それが現代社会だよ。
- 51 :
- >>50
それは貧乏一学生あたりは貴方のいうように救いを求め
縋っていたんでしょうね。
まあ我々みたいな若い世代はオンタイムで知らないから文献で
知るしかない訳だけど。
ただ共産党の幹部はマルクスやそのルーツであるルソーとおなじく
怨念から思想体系を構築し、現国家と民の権力を転倒させることが目的化していたでしょう。
フェミニズムというアナーキー思想もそうだけど、怨念から出発して結論を導く思想は
けっして社会を安定化させないし、心の平安と無関係だと思うよ。
- 52 :
- >>51
宗教というものは、その成り立ちはさまざまだからね。
決してほめられたものではないエピソードもあったりする。
共産主義がすぐに終わったのは、結局はその教義が正しくなかったからだろうね。
理性による教義は従来の宗教とは大きく異なるアプローチだけど。
まあ、いずれにしろ人間には何か信じるものがいることは確かだと思う。
すべてを懐疑すればOKというのは間違いだよ。第一、人間にはそんなこと不可能だから。
懐疑するにしても、別に何か信じるものがないと無理なんだし。
一般的に懐疑というとき、人は理性を軸足にして対象を懐疑するんだよ。
だから、理性を軸足にして理性を懐疑することはできないよ。できるとすれば、それは対象の
理性が論理的に間違っていることを見つけることだけ。でも、それは理性を懐疑してるんじゃなくて
論理の破綻を見つけただけだから。本当に理性を懐疑するには、他の何かに対する信仰が必要だと思う。
- 53 :
- >>52
その「他の何か」は西部にとっては伝統なのでは
- 54 :
- 理性を軸足に伝統を懐疑し、伝統を軸足に理性を懐疑してるんだよね。
無理だよ。土台が全部消えてなくなるよ。
- 55 :
- 懐疑主義と保守主義はイコールではないんだけど。
ヒュームが保守主義形成の重要人物で懐疑も保守思想の一要素ではあるが。
あと理性ではなく感性と感覚だよ、保守思想の論立ては。
計算式で合理社会を形成する社会主義と決定的に違う。
だから禅や京都学派の思想が保守主義に昇華できる可能性はあるし
若手保守人にはそのあたりを雑誌に小論で書いている人もいる。
- 56 :
- 語りえぬものには沈黙せよ。
ウィトゲンシュタインも現代保守思想の重要人物だな。
- 57 :
- >>55
京都学派は佐伯は評価してるみたいだが
禅については西部も中野も批判的だったよ
死道理であって、プラグマティックではない、と。
チャンネル桜の表現者特集の動画で見た
- 58 :
- 仏教の影響があったと思われるヒュームも、キリスト教者としては異質にも死を持ち出したり
逆説弁証法を説いたキルケゴールも、言語ゲームから沈黙に行き着いたウィトゲンシュタインも
大雑把にいえば理性による判断を懐疑して、理性的自覚を超えた個人や社会に行き着こうとした。
ハイエクの自生的秩序によって生成した法(ロー)も同じだと思っている。
仏教はあくまでも個人が対立軸を超えた無我に(無自覚のうちに)為るために行をするが、
保守思想は個人ではなく社会にそれを当てはめた思想なのではないか。
- 59 :
- >>57
中野さんは単純にその方面に知識不足で司会のかたに窘められていたね。
西部さんは禅に関しては昔から否定的。
保守思想家だから宗教と道徳の重要性を説いているけど、
身についたアウトロー性が具体的な宗教を論じるのを避けさせているのかな。
環境保全思想にも手厳しいしね。
- 60 :
- 哲学者が悟りを目指すのは違うと思うけど、
そういう境地になったんだとしたら、単純にキリスト教に回帰で良いと思うけどね。
どうせ大衆にとってはほぼ同じだし、実際大して違わない。
仏教も禅ではなく、浄土真宗が本筋だと思うよ。
- 61 :
- 高校中退のニートでも愛国者として評価してくれる宗教はどこにあるのよ?
どんな宗教だって言うのよ?
- 62 :
- 226の将校と同じだよ。彼らも資本家を憎んだ。
彼らの思考は、ここの人たちとまったく同じだと思うよ。
資本主義というのは、そういうものだよ。
生真面目になってるとやってられなくなるもの。
- 63 :
- >>60
キリスト教は文化的下地というだけでしょ。保守主義は宗教じゃなく社会哲学なんだから。
社会の中には当然宗教も、西部風にいえば価値判断のための重要なファクターとしてあるってくらいの関係性。
また悟りという大仰なものではなく、要するに理性や分別というものに対する過度の
信仰は個人のためにも社会のためにもなりませんよ、というくらいに取るといいと思う。
まあ本当は悟りなんて分をわきまえた「普通」の状態に戻ること以上のことではないんだけど。
それを形而上のことでしかないと見るから西部さんは宗教を嫌うんだよ。
そのへんは保守の各人の個人的差異の問題。
- 64 :
- 何かの信念とか情熱とかそういうものを持つなってこと?
絶えず醒めた目で状況を俯瞰しろってこと?
人が何かの成功を目指して頑張るとき、そこに信念や何かの価値観に対する盲信が必要なんだけど。
それも否定されるの?
- 65 :
- >>64
自分で体ごとぶつかって考えなさい。自分探しの人だとしたら付き合えない。
- 66 :
- 特攻隊に行った人はどういう信念だったんだろう。
強い信念を持つ人もいれば、諦念のみの人もいたんだろうか。
戦争に行く兵隊は、強い愛国心を持って国のために死ぬ覚悟を持っていた。
それは、保守的には良くないことなのか?
戦争という過激な事象を引き起こすのは、そうした過度の信念ってこと?
- 67 :
- 特攻隊の人達だって、怖くてどうしようもなかっただろうよ。
でもそれをある種の観念操作で乗り越えたんだ。
すべての人が乗り越えたわけではないだろうけど、
乗り越えた人、乗り越えようとした人がいた、
そのことをすべて軍の命令だったと言いきって、
左翼のように疑う気にはなれない。
- 68 :
- 自生的な法秩序なんて具体的な歴史の過程を考えてみれば到底考えられないと思うんだけど。
歴史はフーコーが言うように層のようになっているのであって、連続性など事実としてないでしょう。
公家が支配した時代は公家の法で、武家が支配した時代は武家の法が通用した。
明治維新後は議論はあるがブルジョワ的な体制が不完全ながら成立して、西欧風の法が通用した。
戦後は、進駐軍がやってきて、またアメリカ流の憲法解釈に切り替わった。
全てが断絶の連続で、連続するものなどなにもない。
あえていえば、今の日本国憲法体制はすでに明治憲法より長く通用しているのだから、「保守」する価値があるんじゃないか?
- 69 :
- それならユンガーやシュミットの目指した保守的革命を起こす必要があるんじゃないか。
保守的革命という概念は今でも有効だと思うけど。
- 70 :
- そうだ西部も保守的革命が必要だとどっかで言っていた
- 71 :
- だから結局「闘争」なわけですよ。保守がどうのという言説はマスターベーションに過ぎない。
あとは天皇制フェチになるくらいのもの。天皇制だけは続いているから。
- 72 :
- しかしマスターベーションは気持ちいいから止められないわけよね。
- 73 :
- >>68
西部の考えとは全然違うが、そう考える人もいるだろう。
いわば国柄、国体としての連続性と表層の次元における新しいものの連鎖だろう。
- 74 :
- 西部は天皇制の断固支持だから保守的革命も維新という王制復古の意味だね。
- 75 :
- 西部邁『大衆への反逆』(文芸春秋)1983
http://flavius.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-e5ee.html
ミルトン・フリードマン『選択の自由』書評より
フリードマンは嘆く。「人びとは、強力な政府が自由にとってどんなに危険な存在かということを忘れてしまった。それどころか、“もしも政府の権力が『正しい』手にあれば”
という条件つきではあったが、強い政府によってだけ達成できる良いことに心を奪われてしまうことになった」と。私も一緒に大衆の無知を嘆いたって構わない。
しかし、そんなふうに大事なことを忘却し、危険な短絡を犯すのが大衆というものだとしたら、大衆の自発的に営む市場行動の成果をなぜ手放しで楽観できるのか。
ケインズが大衆を騙かしたのだとしても、そう易々と騙されるのが大衆の社会ならば、市場の中心にもしケインズのような利口者が出てきたら、いったいどうするのか。
・・・・・「自由市場体制とより広い社会的・文化的諸目標の追求との間には、どんな矛盾も存在していない。
また、自由市場体制と不幸な人への同情との間にも何の矛盾もない」などと極楽トンボでおられるためには、完全無欠な合理的人間を仮想しなければなるまい。
再び問い質したい。そんな完全無欠な人々がなにゆえかくも巨大かつ危険な政府を容認したのかと。
・・・・・スミスは「公平で事情に通じた観察者の同感」が社会に安定性を与えるだろうと展望したのであるが、事態はスミスの思ったようにはうまく進まなかった。
・・・・・自分たちこそ公平な観察者だとまかり出てくる社会主義的あるいはケインズ主義的な計画者たちの傲慢はすでに明瞭である。しかしだからといって、
大衆をジュピターの地位に祭り上げるわけにはいかない。
そんなふうにいうのは「利害関係がからんだ詭弁」というものであろう。「能力に応じて開かれている人生」を私も歓迎するが、
いったい私のどんな能力がと、大衆人たる私は自問しないわけにはいかない。
かりに自己懐疑の能力を失った人間を大衆人とよぶのなら、私は大衆人でありたくない。
そしてフリードマンの言辞にはたしかに大衆社会のノーベル賞にふさわしく懐疑のかけらも見られないのである。
- 76 :
- 西部邁『大衆への反逆』(文芸春秋)1983
http://flavius.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-e3ae.html
「ハイエクの激しさ」より
それにしても、今ある巨大な経済学者の集団とは、理性の濫用を宗として科学主義の傲慢を発揮しつづけてきた技術者・科学者の集団のことなのであるが、
そういう経済学の最後の支えが、自らにたいする最も手強い批判者であるハイエクに求められているというのは、いったいどうしたことなのか。
そのカラクリは自由のイデオロギーにある。近代の経済学は、つまるところ、市場的自由のイデオロギーを水面下に隠しもつ技術知の浮島である。
そのイデオロギーのための哲学と理論と説得術とを有しているのはハイエクである。社会を「主観的意味の宇宙」とみなすハイエクにあっても、自由のイデオロギーだけは、
解釈されるべきものというよりもむしろ、経済学の生命線を維持するための究極のクレドなのである。
この信仰箇条を共有する限り、科学主義者も反共・自由の協会の準会員ぐらいにはなりうるわけである。
「自分の仕事をそれ自体完結したものとみる技術者の見解を多かれ少なかれ幻想とみなすことが大切である」とハイエクはいう。
「かれ(技術者)は自分には無意味と思える膨大な事柄に注意を払う必要性にたいし腹を立てる」と技術者を揶揄しもする。
しかし真に冷酷な理論家ならば、そして真正の自由主義者ならば、自由の名において創造された事柄の負の側面にもっと注意を払う理論を、
そしてそういう理論をつくるための認識の自由を、もつべきではないのか。自由がその反対物たる抑圧を産み落とすのは、
可能どころか現実ではないか。英国の経験論が産み出した最も上質な政治思想は、いわゆる積極的自由にたいする懐疑としての保守主義だったのではないのか。
自由の発揚がなにか善き事態を結果するであろうという進歩主義にたいする懐疑はとうぜん市場的自由にもむけられなければならない。
その懐疑を避けようとすれば、民衆の自由を手放しで賛美するという大衆迎合に陥るほかない。
しかもおそらく、舞台裏では、冷酷な理論家として、中央ヨーロッパ人にいかにもふさわしく、冷ややかな孤独の牢獄の中で大衆蔑視の思想を傲岸に鍛えながらである。
このようなかれにおける憂鬱質の欠如を私はあまり好まない。
- 77 :
- 自由というイデオロギーは既に選択されてしまってるからね。
それを前提として社会の仕組みは構築されてる。
特に経済については。
それを否定するには、革命が必要だよ。
世界の仕組みをひっくり返す革命が必要になる。
- 78 :
- sの革命を起こすには理論・イデオロギー・思想が必要となる。
自由を部分的にでも否定する思想が。
その思想、有りや無しや。
- 79 :
- >>77
何でここに来てるの?
西部派の保守を共産主義と結びつけるための情報操作?
- 80 :
- たぶんそうだろ。
革命話をしたいならはじめから
共産革命のスレあたりに行っているのが自然。
- 81 :
- 啓蒙思想や王政復古の時代にカントのような日本人に期待
- 82 :
-
1pit脳中川ポチ洋の信者では?
- 83 :
- >>77
世界の仕組みをひっくり返す革命を2ちゃんから始めるには道のりが遠すぎると思うから
君のほうが自分でひっくり返った方が、はやく達成感を味わえると思うよ?
- 84 :
- 王政復古といってもどこまで復古するつもりだろう。
天皇自体はどの時代もいて、現実の政治に対して影響力が強かった時代は極めて限られる。
ラディカルなフリしてもどうせ自民党みたいに立憲君主制を強調する程度なんだろ?
天皇親政とか言い出したら大したもんだけど、同時に社会からは哄笑を浴びることになるだろう。
国民主権を否定するならそこまで踏み込まないとただの戯言にしか聞こえない。
- 85 :
- >>82
ああ、彼らはほんとレベル低いからなw
ワンフレーズ・ポリティクスにすら到達していない
- 86 :
- http://sessai.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_a3a6.html
■ 総ての計画化に抵抗するための計画は、その反対物よりもましかもしれないけれども、同じスタイルの政治に属する。
―マイケル・オークショット著「政治における合理主義」
>要するに、「ミイラ盗りがミイラになる」ような愚は避けよという趣旨である。オークショットそれ自身は、
>エドマンド・バーク以来の英国保守主義の精神を継いだ政治学者であり、雪斎は学生の時分からオークショットの書を読んでいた。
>前に触れたオークショットの言葉は、フリードリッヒ・フォン・ハイエクを批判した文脈で語られたものである。
>ハイエクは、共産主義に象徴される「計画化された経済」を舌鋒鋭く批判した人物であり、
>マーガレット・サッチャーが影響を受けた人物として知られている。
>オークショットは、ハイエクの議論に半ば工学的な「偏狭さ」を見て取った。
>共産主義に対抗するために、「反共十字軍の徒」になってはならないのである。
ただこの櫻田淳は、小泉改革、新自由主義を支持しているのだが・・
それは別にして、ここが西部と他の自由主義者の違いだろう。
- 87 :
- むしろ、計画化に反対という概念自体が無理だと思うけど。
計画というのは、必ず必要なものでしょ。どんなことをやるにしても。
小学校の行事ですら計画は必要だよ。まして、国ことであればなおさらだ。
計画化に反対という言葉のある種の美しさに引きずられてるだけのように思うよ。
実際には、計画はあらゆるところで必要であり、また実際に計画されてる。国家の政策も含めてね。
ただ、計画化に反対するという概念だけが亡霊のように存在してる。
- 88 :
- >>87
計画化という言葉だけみてレスしているでしょう?
保守主義を分かっている人なら計画化という言葉の内実を知っているから
そんなレスはしないと思う。
あ、そこで「じゃあ説明しろ!」とかいわないでね。典型的なパターンだから先に言っておく。
自分で調べれば分かることだし、こんな便所の落書きをする場で書ききれる
浅薄なものではないから。
- 89 :
- このスレには保守主義の真髄を理解したものだけに書き込んでほしい。
いや保守の真髄を理解したものだけが書き込む資格があると言うべきか。
- 90 :
- じゃあ、官僚なんかが一生懸命国家の計画を作ってるけど
あれは計画化ではないわけ?
だれがどういうことを計画したときに、計画化というの?
- 91 :
- 具体的にはマルクス主義みたいなプログラムのことを言うんでしょう。
イデアでもなんでも同じですけどね。共産主義=イデアリズムですから。
プラトンが全体主義の起源だといったのがまさにポパーでしたよね。
- 92 :
- それじゃあ、マルクス主義に限定して否定すればいいんじゃないの。
計画そのものを一般化して否定するのは無理がありすぎるでしょ。
- 93 :
- 理想に基づく計画が駄目という一般化も納得できないな。
人間なら誰でも理想は持つし、計画も立てる。
マルクス主義が間違っていたからといって、無駄な一般化をする必要性はまったくないし
現実にまともな論理になってない。
単に一般化によって風呂敷を大きくして、論を大きく見せようとしてるだけのように思える。
- 94 :
- 今の官僚にしたって、あるべき状態というものを心に描いて、
それに国家を近づけるために計画を作っているんでしょう?
目標がないのに計画なんて立てられないよ。
論理自体が細切れになってて、その断片断片で満足しているように思えるよ。
- 95 :
- 計画を立案しても、それは所詮理性のなせる技。
人間の理性を超えた偶然や出来事によってその計画は頓挫する。
そこで保守主義は長年の経験と勘によって行動を起こす。
長年の経験と勘によって予期せぬ出来事を察知し、対処することが出来る。
- 96 :
- 官僚も理性と経験と勘をフルに動かして、計画を作ってると思うけど?
計画を作る人はたいていそうでしょ?
それとも計画した結果を批判する人だけがそうしたものをもってるというの?
- 97 :
- 計画=絶対的正義=イデアを定立すると、それに合わせて矛盾するものを排除する暴力が発生する。
普通の官僚がやる計画なんてのはあくまで暫定的な合目的性をもった細切れな計画にすぎない。
だけど、それが「正義」の衣を纏うと全体主義に変化する。
- 98 :
- じゃあ、計画を立案することが悪いんじゃなくて、それを
絶対化することが悪いんじゃないの。それを絶対化させない仕組み
は、民主主義社会なら普通はあると思うけど。
そうであるなら、批判すべきは計画化ではなく、計画の絶対化ということだね。
計画の絶対化など今の世の中ではあまり行われないと思うけど。
- 99 :
- そうでもないでしょう。一般化の抽象力はこういう時に使うべき。
例えば「民主主義」というプログラムは半ば「絶対化」されている。
しかし、民主主義を絶対化すると何やら良くないことも起こってくる。
衆愚政治であるとか何であるとか。
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