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2012年6月料理491: 料理を作り始めた切っ掛けを知りたいな♪ (684)
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料理を作り始めた切っ掛けを知りたいな♪
- 1 :01/08/03 〜 最終レス :12/05/13
- 私が一番最初に作ったのは『白玉団子』です。
兄が調理実習で作るとかで、事前に家で練習をしていて
面白そうだったので真似して作りました。
必要に迫られて、とか 誰かに喜んで貰う為に、とか 純粋な好奇心で
とか、様々な理由があると思いますがその素敵なエピソードを
書き込んで頂きたいな♪
思い出深かった料理なども是非教えて下さいっ。
- 2 :
- ほうれん草のおひたしとゆで卵。
俺も家庭科の調理実習に備えて家で作ったよ。
- 3 :
- なんだろ、卵焼きかな?
片方に寄せては卵流して、ひっくり返して・・・
- 4 :
- 土曜日は家でお昼なんだけど
祖母が作る昼食に我慢できなかった。
出来合いのお惣菜とかボンカレーとかそうめんとか。
とにかく手抜きの代名詞みたいなのばっかりなので
人一倍食い意地貼ってる私は我慢できず冷蔵庫にあるもので自炊してた。
(自分で作るのは全然苦にならなかったし、好きだった)
- 5 :
- 多分、カレーがデビュー作だと思う。
母親が働きに出て、帰りが遅くなるからという理由で。
- 6 :
- よくある話だけど、結婚して作らざるを得なくなった。実家は
両親とも料理をするし、祖母もいて妹もいた。台所争奪戦に
なるので、一番根性のないわたしが挫折してそのままだった。
でも、1か月ほどで人並みに作れるようになった。カンというか、
舌を鍛えてもらってたんだと、結構親に感謝した。まずいと、自分
でどこが悪かったか、考えたら分かったから。
いまでは御飯作りも楽しんでやってる(^_^)
でも、子供の頃から料理できた人って、やっぱり尊敬する。
キャリアが違う。
- 7 :
- よく手伝わされていたのが、さやえんどうの筋取りと
餃子作り。
そのおかげで、料理はいまだに苦手なほうだけど
餃子包むのだけは自信があります。
- 8 :
- 母親が遊びほうけて家にいなかったから、
小学生のときから自然に自炊。
- 9 :
- お嫁さんって大変だなって思う。
私は小姑の立場なんだけど、本音言っちゃうと相手がすごく好きでも
台所ってあんまりいじられたくないから…
兄のお嫁さんが遊びに来ても、お客さんでいて欲しいな〜って思う。
ものすごーく美味しい料理作られて完敗!っていうなら不貞腐れつつ投げ出せるけど(笑)
帰省ネタかな、sageますね。
- 10 :
- 小学生の頃から両親共働き。ご飯を仕掛ける係りだった。
四年生ぐらいの時、宿題済んで暇だったので、たまたまあった
カレー粉の箱の裏を読んで、冷蔵庫の中から材料を取り出して
その通りに作ってみた。
帰ってきた父と母が大感激。ものすごーく褒められた。
この「褒められる」快感が、自分を料理好きにしたと思う。
- 11 :
- 工作や化学実験がすきだったので、それと同じ感覚で、小学生のときには
やっていた。
- 12 :
- 日曜の朝起きたら、5歳の息子が一人でクレープの生地を用意していた。
いつも一緒に作ってたとはいえ、驚嘆。
と同時に、一人で包丁入れから包丁出してバター切ったと思うと心臓バクバク。
- 13 :
- 小学生の頃、友達のうちに遊びに行った。
夕方になって、その子のお母さんに「ゴハン食べていきなさい」と言われ
食べていくことに。すると、友達は至極当然、という顔で
お母さんの手伝いを始めた。
学校ではちょっとぼーっとしたところのある子だったのに(藁、
てきぱきと野菜を切ったりしている姿を見て、
「こいつには負けたくない!」
と思った。
- 14 :
- カネも作ってくれるオンナもいないから。
sageとこ・・・
- 15 :
- 理由はありがちだけど、親が共働きだったから。
ウチは段階を踏んで家事を覚えさせられた。
米研ぎ>夕飯の買い物>料理補佐>自分で作る。
小学校2年ぐらいでスタート。夕飯全部作るようになったのは5年生ぐらいの時
- 16 :
- みんな、早くからはじめてんだなあ...
料理できる小学生って、いいね。
結婚して、しぶしぶ始めた
親が全く料理らしい料理をしてくれなかったので
有名な料理本を沢山買ってきて
100%本から知識を得たんだけど
本の通りに作ると、結構食える物ができる事に
感動して、はまりました。
それまで、エビチリに何が入ってるかなんて
想像もつかなかった(恥
私の母は今でも知らない。
- 17 :
- >>16
料理なんて、切る、混ぜる、煮る、焼く、炒める
くらいしか手順は無いから、ちよっと慣れたら、
食ったものからリバースエンジニアリングできるようになるよ。
- 18 :
- >>16
>>17に同感。舌で覚えれば、ちょっと慣れたら再現できるよ。
私も料理本買ったよ。ベターホーム(笑)それで基本を覚えてから、
自分の記憶にある味を再現していったの。でも、最初の一ヶ月は、
ずっと分量計ってた。
目下の悩みは包丁さばき(笑)皮むき器とか料理ばさみ使いまくり。
包丁一本で何もかもできる人、すっごく憧れる。
スレ主旨からはずれたのでsageときます(^_^;
- 19 :
- 幼稚園の時、
貧乏小人という絵本の中に出てくるスープが、
子供心にもなんか美味しそうで母と一緒に作った記憶がある。
キャベツとベーコン切って、鍋に放り込んだだけの
お手軽なコンソメスープだったんですが
未だに好きで、貧乏小人のスープと
名付けて良く作ってます。
しかし幼稚園のころから食い意地張ってたのか私。
- 20 :
- >>19
あ、なんか微妙にうちと似てる!
うちはベーコンとか豚バラとかの肉類を入れないで、
キャベツだけをコンソメで煮る事があるんだけど
あまりにも貧相なおかずなので「貧乏キャベツ」と呼んでます。
でも意外とこれがうんまいだけどねー。 スレ違いスマソーン
- 21 :
- 必要に迫られて。両親共働き。
左手には、料理を始めた小学校低学年の頃につけた切り傷の跡が
いまでも10個以上残ってます。母は、一切料理について教えてくれず、
料理の本やテレビを見て、必死に毎晩料理を作りました。おかげで、
小学校五年生の時に母の実家の祭りで、台所で海苔巻を一人で作れるほど
になりました。親戚中がほめてくれましたが、自分は全然嬉しく
なかったです。今は一人暮らしで、全く料理はしません。
- 22 :
- うちの親共働きで、7歳から米の炊き方を教わって
米を炊くようになったのが始まり。
小学校2年のときに卵焼き作ってた。
料理が楽しいと思ったのは、
夏休み中に祖母が熊本から来てたので
一緒に団子とかをつくった頃かなあ。
- 23 :
- 小学生の時、夏休みの自由研究をして(内容は覚えていないのだけれど)
野菜をすりおろしていて、残ったニンジンのすりおろしがもったいないなー
と思い、塩胡椒マヨネーズであえてサラダを作った。
家族がおいしいと喜んで食べてくれて、料理が楽しいなぁと思った。
それがはじまりです。
- 24 :
- フライを揚げてるのを見て、自分も揚げたくなった。
残ったパン粉と小麦粉をこねて、揚げて見て食った・・・
不味かった・・・
- 25 :
- 私は母の為に作ったのが初めてでした。
母は家でタイプライターの仕事をしていました。
朝早くから夜遅くまで仕事をしているので(勿論、その間家事も・・)
ある日の昼にサンマを焼いて、お湯に味噌を溶いただけの味噌汁と
ご飯を母の元に持って行きました。
今思えば、ちっとも美味しいはずのない食事だったのですが、
母は涙を流して喜んでくれて、それ以来料理が好きになりました。
確か小学校1年生くらいだったと思います。
- 26 :
- >>25
わたしがあなたの親でも、うれしくて泣くわ。きっと。
- 27 :
- >>25
ううっ。。。(もらい泣き)
- 28 :
- 中学のとき父を交通事故でなくし、母が
働きに出た(病院の賄い)。
で、毎日妹と二人でパンなんかを買って
夕食を済ませてたんだが、ある日妹が
ちゃんとした料理が食いたいと切れて
泣きだしちまって。
で、仕方なく冷蔵庫に入ってた残り物で
卵焼きを作ってやったのが最初かな
- 29 :
- 3歳かそこらから母の手伝いをしていた。
手伝いというより邪魔だったのだろうけど、
ぺティナイフでサラダに入れる胡瓜を切ったり(もちろんぶつ切り)
そういうことはさせてもらっていた。
小学校に入った頃は、卵焼き(もちろんオムレツ堅くしたみたいな形の)
とか目玉焼き、インスタントラーメン位しかできなかったけれど、
何時の間にか料理を覚えていっていた。
小4でオムレツ(一応中がまだ半熟なやつ)も焼けるようになった
母は料理はするけどあまり面倒なものは作らないから、
食べたいと思ったものは料理の本を見て作るようになっていた。
一番大変なことに挑戦したと思ったのは小6の冬休みに
一人でクロワッサンを作ったこと。あれだけは疲れたと思った。
料理は大好きです。でも似たような育てられ方をしたと思われる5歳違いの姉は
料理嫌いです。
ちなみに現在高校生。好きな料理は折りパイ、特にナポレオンパイ
- 30 :
- 料亭をやっている父親に無理やり、中学卒業と
同時に厨房に叩き込まれました
- 31 :
- >>28
もしかして、誰かつっこんでくれるのを待ってますか?(藁
- 32 :
- 食いしん坊だったからかな。
小学校高学年にレトルト食品に何かを加える感じとかしかやらんくて、
中学校の1年の頃に手伝い+おかずを1品自分で作るようになった。
高校生の頃には平日は補助、週末は自分が中心になって食事を作ってた。
大学生になってからは食材の買いだしとかも自分が引き受けるようになった。
今、祖母と交代で台所の用意をする自分(男)、、、。
- 33 :
- ↑ いいお婿さんになるよ。
- 34 :
- >>33
うん、うん、ほんとに<いいお婿さん >>32さんが。
婿殿は料理しないと嫁が不安です。
だって自分が倒れたとき、この人コンビニ弁当ばっかり食べるんだろうなって
思っちゃって。ちょっとでも心得があると「あーこれでいつでも倒れられるな」と。
倒れるのかよ!と三村になりつつ、まあそのほうがいざってこともあるので。
ごめん関係ない話でしたのでsage
- 35 :
- >>34
でも本当にそうだよね。
旦那様は料理が出来なければ絶対にイヤ!!とは思わないけど、
私が風邪で寝込んだ時や、どうしても・・の理由で家を何日も空けなければ
いけない時に、毎日コンビニ弁当食べられたんじゃ、落ち着いて寝てる&
出掛けてられないですものね。せめて冷蔵庫の中の卵や鮭などで、簡単にでも
夕食を作って食べられるのなら安心です。
- 36 :
- 料理ができるようになったのはいいんですけど、それのおかげでちょっと貧乏性に
なったのがアレですね。最近は家族が自分勝手に「これ美味しそうだったから」とか
「これ料理に使えると思って、、」とかムダな食材の買い物をしてくると思わず
「キぃーっ!」って激怒してる自分がいます、、、。
今日は1ヶ月ぶりに包丁を砥いだ。歯欠けがあったままにしてた自分はまだまだと思ってしまった。
- 37 :
- >>35
一週間、風邪が治らなくて寝込んで、レトルトおかゆとウィダーインを
ダンナが買ってきてくれて、それでしのいでた。でも、7日目に「おじや
でもうどんでもいいから、まともな物が食べたい」と言ったら、考えて、
コンビニで冷凍のうどんを買ってきて(火に掛けるヤツ)作ってくれた。
うちのダンナが、料理をはじめたキッカケでした(笑)
いまは、カレー、シチュー、ラーメン、チャーハン、焼き餃子(焼く
だけ)のほか、魚に塩ふって焼いて、ほうれんそうやにらをゆでて
めんつゆかけて、ごはんを炊いて、なにか具を入れて味噌汁を作る、
ぐらいのことは出来るようになってくれました。
寝込んでみるもんです。
- 38 :
- Windows2000/NTを使ってるいる方はCodeRedに感染している可能性があります。
下記のMSサイトからパッチをダウンロードして実行してください。
http://www.microsoft.com/japan/technet/security/codealrt.asp
- 39 :
- 私は9歳の時母が亡くなって、弟はまだ6歳だったから必然的に主婦やるしかなかった。
でも最初はウインナーに卵焼きみたいなおかずが続いたな。
親父の弁当もそんな。かわいそうだったね。
- 40 :
- 母は仕事が忙しい上に料理下手。それなのに父は外食嫌い。
「〜作って!!食べてみたい!!」と言っても
「お母さんはそういう凝ったものは作れないから、(オムライス程度よ
大きくなったら自分で作って、ついでにお母さんに
食べさせてね」と言われて育ったから。
今はまだ毎日やらないせいかもしれませんが、
絵を描いたり、工作をしたり、といった
趣味の延長感覚で料理してます。
この作品は長期保管がきかないのが残念ですが(w
- 41 :
- 学研『わくわくジュニアクッキング』
- 42 :
- 30才過ぎて会社の寮を出てちょっとまともな部屋に引っ越したら、
なかなか立派なキッチンがついていたから。
小学校の家庭科以来、久しぶりに自炊を始めてみたらはまった。
>>38 今日、Code Red の変種が会社で猛威を奮っていた。
変種は凶悪なので、やられたらフォーマットして再インストールが必要。
詳しくは http://www.jpcert.or.jp/at/2001/at010019.txt をどうぞ。
- 43 :
- 兄と姉が遠距離通学だったので仕方なしに。
当時中一で、部活終わってから米研ぐのは辛かったですね。
でも、末っ子だったので母親の所作を見ていたのが役立ってたかな。
最初は切ったりするだけの献立しか思いつかなかったのが懐かしい。
当然、家族からはブーイングでしたが。
限られた時間内で作り上げるのは、スリリングでしたね。
味はともかく、ほぼ毎日のように料理の鉄人やってた気がする。
- 44 :
- >>37
ええ話やねー、、、人間必要に迫られたらやるようになるのかな?
でも凝り始めたら止まらないのが男性だから ぜひハマってほしいものです。
>>38 >>42
CodeRed2のおかげでダンナ未だに帰れず。キーッ。
これじゃ私が倒れたときを想定して料理を覚えさせる時間もない!
- 45 :
- 物心ついたときには、字も読めないのに写真付きの料理本を眺めていました。
あとは親がガスや包丁の使用を許可するのを待つだけでした。
- 46 :
- 父の実家から毎年りんごを送ってくるので、
それを父がアップルパイ(折パイ)にしてくれてました。
粉をこねるのは小学生だった私の役目で・・・
初めて全部自作したのは中学生のころかな?
今は弟のホワイトデーのプレゼントを私が手伝って一緒に作っています。
だからうちの兄弟は3人ともはじめて=アップルパイです。
初めてがお菓子って言うのはもしかして少数派?
- 47 :
- 小学区4年生の1月、祖母が亡くなった。
親は共働きだったので、学校から帰ってもおやつをくれる
人がいなくなって、ある日空腹に耐え兼ねて、台所で見つけた
インスタント焼きソバを作ってみたのが、自分で料理というか
食べ物を作った最初。
すぐに、簡単な料理とかは作るようになった。
飢え死にしそうだった。
- 48 :
- チビの頃、台所で母の側をちょろちょろしていると、時折お味見が
天から降ってきました。それが楽しくて、見学に熱が入りました。
そのうち味噌汁の仕上げ担当を任命され、加熱の勘所などを少し
ずつ伝授されました。当時、小学校低学年。
>>46
材料の調達から自主的に始めたのは、私もお菓子作りでしたyo!
小学校高学年の頃です。
- 49 :
- 初めては小学校2年生の時。
作ったのはお雑煮。
正月に「お雑煮たべたーい!」と言ったら、
「忙しいからそんなに食べたいなら自分で作りなさい」と言われたので
作ってみた。
といっても作り方も知らず
だしの素入れて、塩ちょっと醤油入れて餅放り込んで煮込んだだけのもの。
でもそれなりに美味しかったんだよなぁ・・。
その後も両親が忙しいので弟に良く作ってた。
でも大体が自分料理なのであるもので目分量で勝手に創作料理。
- 50 :
- 基礎を覚えたのは厨房でのバイト。
彼女と同棲しだして、彼女を喜ばせようと思って
バイト時代を思い出しながら料理したら喜ばれ
よく作っているうちに料理がどんどん楽しくなってきた。
- 51 :
- 今大学4年。
来年から一人暮らしするかもしれないので
先月から料理はじめました。
最近ははまってしまってほぼまいんち作ってます。
- 52 :
- 小学校の時にはじめてクッキーを作りました。
その後シュークリーム、ケーキとどんどん憑かれたように作りました。
今ではあんまり作りませんが、あの憑かれたように作ってた日々は
なんだったのかと不思議に思います。
- 53 :
- 小学生の頃、コーンスープが大好物だった。
いつも手伝っていたので、いつしか一人でもつくれるように。
バターを溶かして小麦粉を入れて、少しずつ牛でのばして…
ノスタルジー。
- 54 :
- イタリアンのシェフのバイト。
もう辞めたけど、それ以来趣味になりました。
今では料理人になればよかったとちょっとだけ後悔しています。
料理人ってホントに尊敬します。
ジジイになる頃には何らかの形でイタリアン・レストランに
関わる事が出来たらな〜と思っています。
- 55 :
- 幼稚園くらいの頃からモヤシのヒゲ根取り・大根おろしなど下ごしらえを
担当していた。手伝い終わると必ず母親が「ありがとう、助かったわ。」
と言ってくれるのが嬉しさに毎日「お手伝いはない?」とご用聞きしてた。
コンロデビューは小学1年の夏休み。卵焼きを作って父に食べて貰った。
「おいしい、おいしい」と食べてくれたのが嬉しくて、絵日記に書いたので
記録が残っています。
- 56 :
- 両親は自営業でいつも家にいたけど、すごく忙しくて夕飯作る時間(9時か10時)
になると、母がヘトヘトになってるのが子供心に心配だった。
中学校に入ってからは、母の負担を軽くしようと、1品ずつ毎日作ってた。
それがレタスをちぎってトマトを乗っけただけのサラダだろうが、酢しか入って
ない変な味の酢の物であろうが、両親は「おいしい」と言って全て食べてくれた。
親には言わないけど、感謝してる。
それから、本とかを読んで徐々に勉強し始めた。
蛇足:
今はダンナに作ってるけど、ダンナもどんなに失敗しても「おいしい」と言って
食べてくれる。やっぱり、母と、「似たような人を選ぶんだね。」と言われた。
- 57 :
- ここのスレ読んでると料理する人って心が豊かな気がします。
とてもいい感じですね!
>>56
いいですねー。
「おいしい」(普段しょっちゅう作るもので、いつもと同じ味であっても)
と言ってくれると作りがいがあるでしょうね。
世の中の夫で多いといわれるのが「別に"普通においしいから"毎日無言で食べるタイプ」だそうです。
実は私の父も悲しいかなそういうタイプ。
前回と比べておいしいと感じれないと「おいしい」と言えない人って悲しい。
特においしくなくても感謝を込めて「おいしい」と言えない人って心が貧しい。
コミュニケーション能力が欠落してるとしか思えない人達って
せっかくの食卓を「マズくする」と思いません?
私はつい母の作ったものを食べると毎回「おいしい♪」って言っちゃう。
父親にも「たまにはなんか感想言えば?」と言うんだけどボツリと「おいしいよ・・・」
超・シラけ〜
黙っててくれた方がまだいいかもって感じ。
- 58 :
- >>57
単に、「おいしい」って言ってくれるのって大切ですよね。
色々、「まったりとした絶妙なうまみが、、、」と言われても、
それはそれでまたおかしくて。
作りがいがあります。
私も、誰が作ってくれても毎回「おいしい!」と言います。
だって本当においしいし、その人が自分のために作ってくれているから。
それって大切だと思います。それが一番満足するための調味料かな?
(お店とかだと、ちょっと不満なときもあるけれど。。。)
- 59 :
- 結婚してから、ちゃんと作るようになりました。
しかし、旦那はおいしいとも何にも言わない人、そこで喧嘩がはじまり、
”私は誉められるとやる気が沸いてくるタイプだから、もっとほめてよーーーー”
それからは、細かい感想は言わないんですが、おいしいと言ってくれます。
- 60 :
- 物心ついたときから,もやしの根取りとか豆の殻むきとかはやってたな.
すり鉢でゴマをするのもオレの仕事だった.
「男だって,料理くらいできないと将来困るよ」とお袋に言われて小学生の
頃から土曜日の昼飯なんか作ってた.ナポリタンとか.ヤキメシとか.
好きだったから,勉強よりよく覚えた.
おかげで20年以上一人暮らしだけど,ぜんぜん困らない.それはそれで鬱だ.
- 61 :
- 親戚のお姉さん(保母)に、「サンドウィッチ作ろう」という絵本をもらった。
それを見ながら、初めて炒り卵を作った。
小学校に上がるか上がらないかくらいの頃。
小学生の頃、共働きだったから、
土曜のお昼は、250円がおいてあるだけ。
(たまに作ってあるけどね。)
それで買うものというと、限られるから、材料を買ってきて料理した。
焼きそばとか、ラーメンとか。
昼飯を家にあるもので済ませて、スイカを4分の1買ったりした。
238円とか、そのくらいだったかな。
おかげで買い物の仕方も覚えた。
250円でいろいろ買うのはなかなか・・・
モヤシ28円だったもんな。よく買ったよ。
- 62 :
- いいスレだな。
私が一番最初に包丁を握ったのは、幼稚園の時。
キャベツの芯をとるのを手伝った。で、千切りに移行して。
薄焼き卵とか手伝ったり。出汁まきつくったり。
お菓子作りにはまったのが小学生の頃で、初めて作ったのはアイスボックスクッキー。
甘いもの苦手な父も「これはうまい、うまい」って食べてくれたのがうれしくて。
スポンジケーキを初めて作った小5のクリスマス。
小麦粉を入れた後もなんかがんばって「泡立て」ちゃって、
えらく硬い、しまったクリスマスケーキが出来たよ。
中学生の時キャンプから帰ったら、見事な搾り出しクッキーが作ってあって、
母の手作りかと思いきや、弟(小5)のお手製だった。
そういう姉を見てて、弟がなんか料理に憧れてたらしく。
奴も、今では大人になって、気軽に台所に立って、
イワシで梅と青じそを巻いたてんぷらとかちゃかちゃか作りながら
ビール飲んでる。
うまくおだてて乗せるとお昼ご飯のチャーハンとかパスタとか作ってくれるので、
実家でも重宝してるらしい。
- 63 :
- 19歳・大学1年の時つきあってた女の子。
“食べる”ということの大事さを教わった。
食事って、ゆっくりと楽しんでするものなんだね。
栄養云々頭でっかちになるのではなく、自分で“食べたいもの”を
作って食べてみる。
本当に「旨い」と思ったもの、実はそれが体の欲してるもの=現在必要な
栄養だったりするから、不思議。
- 64 :
- 大学入って独り暮らしを始めてから,ビギナーズ・ラックに調子づいた
のがきっかけ。
いろんな人が出入りして,いろんな料理を作って一緒に食べた。
そういう中でブラッシュアップして,食器や器具にこだわったり,食前
食後の飲み物にも興味が湧いたり。
そういう生活の中で得たのは,調理法や食材の知識だけじゃなくて,料
理の存在価値というのはそれが提供される場面・光景が伴ってこそ生ま
れてくるのだ,ということ。
- 65 :
- 一人暮しを始めてから。
外食や弁当だけだと高くつくし、野菜が十分に取れないので割と当然の
ように始めた。
腕はまだまだ未熟だけど、それなりには関心されたりしてる。
- 66 :
- 私の通っていた幼稚園では毎月お誕生日会(生まれ月に該当する子たちの
ために)があって、季節にちなんだ料理(ごはん、汁物、メイン、副菜
など今考えると結構本格的)をみんなで手作りする、という定例行事が
あった。
あれは料理が好きになるきっかけだった。手打ちうどんも作ったし
楽しかったな。
- 67 :
- まだ保育園にもいってない(多分3・4才)のころ、
お母さんが切っていたカブの端っこをもらって、
小さなボウルにお醤油とお砂糖をいれて、カブを入れて、
「お母さん、つけものだよ、食べて」って言った。
多分皮も剥いてないし、おいしくもなかったんだろうけど、
お母さんはにこにこして食べて、
「わぁ、おいしいね。ともか(私の名前)はお料理が上手ね。」
と言ってくれた。それがとってもうれしかった。
それが一番最初の料理体験だったと思う。
私が今料理好きなのは、台所でちょろちょろまとわりついて、私もお料理したい!って言う私に
お母さんが嫌がらずに教えてくれたからだとおもう・・・
お母さんにカンシャ!
- 68 :
- あ、いいスレ♪
うちはイナカだから、兄が「男の子だから」ってので、ちっちゃい頃からかなり優遇されてて。
野球のセットとか、コンポの類とか、万博も兄だけは行ったけど私は連れてってもらえなかった。
で、「お兄ちゃんばっかりいいなぁ」っていつも言ってたら、
当時はあんまり普及してない(しかも当時は高かった)オーブンレンジが台所に仲間入りした。
当然、兄も私も(小学校低学年)目がらんらんしちゃうんだけど、
「台所はおんなのこのお仕事よ」ってママンが言ってくれて、
私だけが使用を許されたの。
手始めにクッキーやら、シュークリームやら。
あ、ケーキを焼いてクラスの友達を家に呼んだりもした。それがきっかけかな。
去年私が結婚して家を出てからは、電子レンジの機能しか使ってない(っていうか、誰も使えない)みたいで、
この間実家に行った時、妙にカクカクな形の古臭いオーブンレンジを見たら、しんみりしちゃった。
- 69 :
- まだ小学校あがる前、たまごかけご飯をつくったのが、はじめてかな。(料理とはいえないが・・・)
母が料理しているとき手伝いするのがすきだったから、自然といろいろおぼえた。
洋食系が作れない母のかわりに、私が料理番組などをみて
ハンバーグやクリームシチュー、グラタンなど作ってました。
今は必要にせまられて、毎日作っているけれど、あの頃はもっと楽しかったな。
- 70 :
- 本格的にハマったのは、会社に入って3年目。
男女問わずお弁当を作ってきて見せ合うというのが流行ったので、
そこから色々研究しだした。
- 71 :
- 1)小学生時代
母親の手伝いで、コロッケ用のジャガイモの裏ごしとか、鶏がらでスープを取ったり
とかやらされた。つーか、自分からやりたがったらしい。「料理は楽しい」という
気持ちがここで確立。
2)中学、高校時代
ボーイスカウトの集会に行ってたので、自炊はよくやりました。土日に簡単なおかず
なら作るようになる。圧力鍋で炊飯することを覚える。
3)大学時代
小学校の警備員のバイトをやっていたので、泊まりのときは自炊をしていた。
この時期ペペロンチーノとチャーハンとプレーンオムレツの習得に情熱を燃やす。
4)社会人〜5年目
自宅から通っていたが外食が多くなる。自炊率減少。
5)社会人〜8年目
東京に転勤。会社の寮に入るが調理設備が何もないため、外食中心になる。
しかし給料のほとんどを食べ歩きに使ったため、異常に舌が肥えたのが後の
自炊に生きてくる事になる。
6)〜現在
1年前に転職。念願の「まともな調理設備のある」部屋を借りて、完全自炊
生活に。土日にスーパーの食料品売り場をうろつくのと、オレンジページを
読むのが趣味という、変なおやじになりはてる。
現在、30代独身。結婚の予定未だなし。鬱山車脳…
- 72 :
- >NO70
10年くらい前、オレの職場でも、それ、流行ってた。
男でも、極めついたやつが何人もいて「祭りずし」とか、わけのわから
ない弁当を作ってくる奴も出た。
オレは実は料理好きで、小学校1年生の時、ハムエッグを作ったのを皮
切りに、せっせと経験を積み、20代の頃は、一般惣菜はもちろん、う
どんも打てば、パイ生地も練るといった具合になっていた。しかしその
当時、会社では「料理は全く出来ネエ」と嘘言ってた。たまに弁当を作
っていく時は、わざと、めしにタクアンと魚肉ソーセージ、っていうよ
うなものを持っていって、オオウケにウケた。
そんな時、同情してせっせと弁当を作って持ってきてくれた女と、結婚
してしまった。
嘘がばれた今、共稼ぎなので、週の大半はオレが調理をやらされている。
みんな、ワナに引っ掛らないように、気を付けよう。
いろいろな面で、絶対、独りの方が……良かった。
- 73 :
- リアル厨房の頃かあちゃんの作る料理が不味いことに気付いてから。
- 74 :
- バイトでいやというほど作らされたら
自然に料理するようになりました
- 75 :
- 小6の時、父親が長期入院してて母親がそっちに付きっきりに
なったのがきっかけ。
- 76 :
- >>72
ええ話やないの。
- 77 :
- 超ガキの頃からちょこちょこ作ってはいたが
高校の時小遣いが足らなくなって、昼飯に
スーパーでスパゲティを買い
自宅まで帰って茹でて食うようなことを
始めてから本格化。
「包丁人味平」の影響も大きかった。
- 78 :
- 妹と10歳違いなのですが母が妹を産む為
入院した時初めてカレーとサラダを作った。
普段、母が作るのを後ろから見てたからなん
となく作れた。
以後も母が夕食を作るときは手伝うというほど
ではなかったが後ろから工程を見てた。時々
作ったりもしたけど・・・
結婚してとりあえずいちばん良かったのは旦那の
リクエストに答えられるということ。大抵のもの
は作れるようになっていた。自分自身驚いた(藁)
- 79 :
- 俺の母親は専業主婦だけど、体が弱くてよく寝込んでた。なにか出前取りなさい、って言われるんだけど気が引けて。
それで炊飯機にある飯でおかゆもどきを作ったらにこにこして食べてくれたんだよね。
それから母が寝込んだら、家族の飯を作るのは俺って感じになってたな。
母親と一緒にスーパー逝くのも楽しかった。
- 80 :
- >79
えー話やないかー。うんうん。
これ、ホームページ作ったら、ホノボノーンとしてて受けるかもね。
お弁当話も。
- 81 :
- 家庭の事情で始めた人って結構多いんだね。俺も小学校の時から、
家庭科の調理の時間が一番好きだった位だが、中3の時親父が
亡くなったのがきっかけかな?おふくろが働きに出て帰りが遅く、
それまで遊び半分でやっていた事を日常としてやるようになった。
何日も続けて自分で作ったものを食べているうちに親父が死んだ事を
つくづく実感した。おかげで今では外食率3%位です。
- 82 :
- 去年の暮れに失業した。
デザイン事務所の経営が苦しくなってのリストラってやつ。
ヒマだからうちでネットをぶらついてて料理板へ来た。
栗原はるみスレが盛り上がっていたころだ。
オヤジが男の料理オタクってやつで、うちには料理道具は何でも揃ってる。
まわりに食いしん坊も多いからコーチには事欠かない。
料理本も書棚いっぱいあるから、それ見ながらレシピもいっぱい書いた。
昼飯を自分でつくって食べているうちに、たまには家族の夕食もつくるよう
になった。
で、これがけっこう好評の連続だったのである。
失業保険が切れる頃、独立することにした。
じいちゃんの紹介で中小企業のロゴデザインやら会社案内なんかをつくってる。
社長さんたちをうちに招待して夕飯をご馳走すると大喜びされる。
呑みにいくことを思えばすんげえ安い接待だ。
ゴルフに誘われるが、あんなのはまっぴらゴメンである。
30人分のスープができる寸胴鍋を買った。(ゴルフ1回のお金でお釣りが来た)
あさっては締めにトンコツラーメンを振る舞うつもりだ。
料理にはまってしまったのか。
- 83 :
- 父が和菓子職人なので
幼稚園で粘土遊びの時間に材料を分けて貰って「煉切もどき」を作ってた
それを先生が連絡帳に書いてくれて、
父・祖父(親方です)が親の仕事をよくみてるもんだと感激して
本物の材料で作らせてくれた。
それまでは大事な原料に触るなんてのはもってのほかだったので
すごくオトナになった気分だった
祖母が抹茶を点ててくれて一緒に味わってウマ〜
料理の方は食器洗いが趣味の変な小学生だったので
夕飯の片づけしてるとついでに漬物用の野菜洗えとか
ついでにお風呂上がりに食べる梨剥いてとか言われてどんどん慣らされていって
ついに小6の年末にお節料理全品の下ごしらえ&盛りつけに挑戦(味付けは母&祖母)
年始回りに来た親戚に誉められてまたも調子にのり、その後は自主性を持って今に至るのです
- 84 :
- 母親の料理がとても下手で、子供心に「大きくなったら料理の上手な人と結婚
しよう」と心に決めていました。
大きくなってからは必要にせまられて夜食なんかをちょくちょく自分で作っていた
のですが、彼女(今の妻)の家で朝食を作ってあげたらとても喜ばれ、以来料理が
趣味になってしまいました。
現在我が家では料理は私の担当です。料理の上手な人に作ってもらうという夢とは
ちょっと離れてしまったのですが、料理って楽しいし妻も喜んで食べてくれるので
まあ満足です。
でも実はちゃんと作ると妻の料理はとてもおいしい。子供ができて妻が主婦業に
専念するようになったら夢がかなうはずです。
(そうなっても日曜はパパが作ります。)
- 85 :
- 一番初めは、小学校5年生のときの目玉焼きですね。
純粋に、料理に興味があったので。わたしは子供のころ
背が低くて、火を使っても良いとお許しが出たのが
5年生のときでした。
中学校時代はお菓子作りにはまりました。アイスボックス
クッキーをよく作ったなあ。高校に入ってからは
夜食に雑炊を。コンソメで、具はトマトやベーコンで
洋風にして、牛を入れて胃にやさしくしてました。
母には「雑炊にトマトと牛!?」と驚かれていましたが・・・
つまり汁気の多いリゾットですよね。レシピとか見たこと
なくて勘で作っていたので、気味悪がる家族に反論できず
ちと悔しかったです。食べればおいしいのになー
- 86 :
- 幼稚園の頃、ゆで卵をフォークでつぶしてマヨであえてサンドイッチを作った。
周りの子はボロボロこぼして結構汚くて保母さん二人がひそひそ「ねぇ、どれ食べる?」
なんて相談してた。そして指差したのが僕のつくったやつだった。
かなり感激。料理に興味がわいたし今でも料理好きだ。
- 87 :
- 小学生の頃に読んだ『冒険図鑑』に「食事の時コックはリーダーだ!!」みたいな
見出しに影響を受けて料理人って格好いいんだ!! と目覚めた。
- 88 :
- この2チャンネルを知ったのは1ヶ月前のこと。
ニュース版を中心に毎日見ていたらキャリアウーマンの
長女にうんと馬鹿にされています。
(なんでも彼女の会社が彼女も知っている会社の人をこの
チャンネルが誹謗中傷したということで東京地方裁判所か
ら削除の仮処分が出たとか。)
この料理のレスを見つけて読んでいるうちに何回か涙が出
てきました。もう家を出た子供達にも小さいうちから料理
の基礎くらいやらせるべきだったかなと思って。
それと意外(!)とちゃんとした〈失礼)高校生から奥様
までの女性が投稿されているのにも感心しました。
かくいう私は4年前から料理を始めました。
一つは30年お付き合いしている奥さんの料理がややマンネ
リだと感じられるようになたのとある出来事で奥さんが怒
って1週間何も作ってくれなくなったからです。
最近は、仲直りしましたが週末や休日は私の出番です。
ドイツ料理、インド料理、中華料理とだんだん腕が上が
ってきましたが最近は、イタリア料理と日本に田舎料理
が奥さんの評判がいいようです。
このように、しかたなく始めた料理ですが今では時々帰
ってくる子供達は家内には直接言いませんがそっと「パ
パの腕はママよりかなり上よ」とまで言ってくれるほど
です。
先週は会社近くの「ハナマサ」でレンコンの大きいのを
4つ、400円で売っていたので、酢バスが食べたくなり
衝動的に買って帰りました。
酢バスの他に余ったので、キンピラにしたり、牛肉と炒
めたりしました。
たまたま家に来た長女は「パパ、この酢バスは料亭並み
の味よ。ホームページを開いて、おじさんの晩年からの
手料理として紹介したら」と言われました。
もうとうそんなつもりはありません。
今日のお昼は、トマトが余っていたので、あるレシピを
ヒントにしてナスを揚げて、缶詰のいわしと、ピーマン
とトマトを材料にニンニク、タマネギ、トマトソースと
デミグラソースのマカロニスパゲッイを作って見ました。
それに庭に植えたバジルを添えました。
味は? 家内が外では1500円くらいねという出来映えで
した。
中年、老年男性も厨房に入るべしです。
- 89 :
- あげ
- 90 :
- 幼稚園の頃から自分で作れる物は作ってたよ
焼くだけとか切るだけとか茹でるだけで塩振って食べるものとか
火は使えなかったからお湯沸かす時にコーヒー沸かすヤツでお湯だけ作ったりね
小学校高学年くらいから母親の触った物食べれなくなって出来合いの物ばかりになって
これじゃダメだと思って自分で作るようになった
- 91 :
- >88
すばらしい!
私は情緒不安定なときにひたすら切ったり炒めたりかき混ぜたり
してると落ちつくので、よくカレー作ってたら、あらゆる種類の
カレーを一通り作れるようになった。
- 92 :
- きっかけも何も両親が自営で共働きだったから
無理矢理炊事を手伝わされた。
小学校2年の時には既に食器洗いは自分の仕事だった。
手かさかさだったなぁ。
晩御飯の仕度を手伝わなきゃダメだから
夜は部活があっても6時半までには帰らなきゃだめだった。
家庭科の時間なんてダントツで作るのうまかったなあ。
一応感謝するべきなんだろうけど当時は嫌で嫌で仕方なかったよ。
- 93 :
- 自炊率低しの社会人女子です。
でも彼氏とうまくいっている時は頑張ります。
彼氏が「食べたい」とか「好物だ」とか言ったモノは速攻で挑戦します。
たいしたモノを作るわけではないけど(精一杯で唐揚げ)ワタシにとっては大仕事。
実家の母に電話をして作り方やコツを聞き出します。
逆に彼氏となかなか会えない時や気まずい時は自分のゴハンすら作らなくなる。
わかりやす〜い阿呆なワタシ(苦笑)やっぱり食べてくれる人がいてこそ。
母親が「最近はやりがいがないから料理しない」と嘆く気持ち、わかる気もするなぁ。
(父親は夜食べてくるし子供達はみんな家出ちゃったし)
- 94 :
- 書き取りも満足に出来なかった幼児の頃に、ママンは「食べたかったら自分で剥きなさい」と言って、りんごと安全装置付き?果物ナイフを寄越しました。
食べたかったらから、埃だらけでぬるくなりまくりでしたが剥いて食べました。
その後はなし崩しに料理を手伝ってました。
おかんは上手い具合に仕込んだものだと思いますわ。晩ご飯係だったし。
大人になってから、兄貴が家事一切出来ない事に気が付いた時、やっぱり男の子って可愛いんだろなぁ。。。と変に納得しました。
いいんだけどね。一通り出来るようになったし。
- 95 :
- ヨメはんが倒れたのがきっかけ。
料理もできなかったオレは、レトルト粥とゼリードリンクをいっぱい買ってきた。
一週間治らなかったヨメはんは、一週間目に「まともなものが食べたい」と泣いた。
一念発起して、本を見て米をといで炊飯器にかけ、切り身魚を焼き(なぜかフライ
パンで)、ニラと卵を炒めた。ヨメはんは喜んで食べてくれた。
それ以来作るようになった。いまとなっては、病人にえらいものを食べさせたと
思うが(苦笑)うどんとかでよかったんだよな。
- 96 :
- 昔々夏休みの宿題で家のお手伝いをしましょうというのがあって、
いつも掃除のお手伝いをしていたのでたまにはと思ったのがきっかけかな。
最初の料理はそうめんゆでることだった。(料理というのか?)
でも、とても母親は喜んでくれた。
今でもたま−にだけど夏休みや冬休みになると作るね。
- 97 :
- 良スレage
- 98 :
- 「女のくせに料理出来ないのかよぉ。いかずごけ決まりだな」
この弟の言葉に大きなショックを受け早6年。
今は何でも作れます。感謝してマース!!
- 99 :
- 中学の時にね、男の子も家庭科をするようになったばかりの頃でね、
みんなでハンバーグ作ったの、
なんか、みんな顔が、かがやいてたよなーって、
いま、思い出したりした。
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