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2013年02月日本史434: 邪馬台国近江説◇論争に終止符! (203)
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邪馬台国近江説◇論争に終止符!
1 :2010/11/19 〜 最終レス :2012/09/01 〜 〜 〜 〜 ,ヘ、〜/ ┃ /ヘ / 〜 〜 {ヽ_ / {_/ ┃ 「対馬国」 ▲/ / 〜 ヘ/ ★末盧国 ┃ ∠ノ / ニイガタ /ヘ~ ┃ / ┃ 「一大国」 / _ |ヽ■伊都国 ┃ /▲フ / /ヽ/ |/ | 伊吹山 ┃ | 「 / | ヽ ★奴国 ┃ | |__/ ヽ, 水行 ヽヘ ★不弥国 ┃ / トヤマ | ↓ / ┃ ↓ / カナザワ ┌ ' ノ ┃ ↓ / / ノ ┃ ↓|フクイ 丿 ノ ^’ ┗━━━━━━━━━━━ |_ 水行↓,/ / _/ヘ/▲投馬国 | | \ 末盧国・・・敦賀市 / > 天 \ 伊都国・・・旧伊香郡高月町 / / 安 \ 奴国 ・・・長浜市 \ | 川 不弥国・・・米原市 ∨ ☆呼邑国 投馬国・・・野洲市・守山市 邪馬台国 ★ 天 邪馬台国・・・旧信楽町 岩 ☆為吾国 戸 呼邑国・・・甲賀市 為吾国・・・伊賀市 ☆巴利国 巴利国・・・名張市 ☆烏奴国 烏奴国・・・宇陀市 ☆奴国 奴国 ・・・奈良盆地
2 : 元スレ 謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!50 http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1287354561/ ※容量オーバーで書き込めなくなったので、別スレ立てました。 ※近江説独立スレです。終止符スレ51は別個でお願いします。
3 : >>1 の「投馬国」にあたる守山市に 「伊勢遺跡」なる大規模な弥生遺跡がありまして http://www2.city.moriyama.shiga.jp/iseiseki/ise5.htm 2冊出ている「邪馬台国近江説」は共にこれを根拠としています。 邪馬台国の「宮」がここかどうかは疑問ですが 「野洲川」流域であることから、 日本神話の舞台である可能性は非常に高いのではないでしょうか http://www.youtube.com/watch?v=zKD9WWFkQWU
4 : 日本神話に、アマテラスが天岩戸に隠れたというエピソードがありますが 滋賀県南部には、湖南アルプスと呼ばれる巨岩地帯があります。 ttp://dondonko.sakura.ne.jp/hiking-climbing1/konRps.htm そしてその隣接地域である信楽の「内裏野(だいりの)」には、 奈良時代ごろの遺跡があり、長らく「紫香楽宮」跡とされていました しかし、近隣の宮町遺跡から木簡が大量に出土したため、 この遺跡は甲賀寺(大仏が建立される予定だった)跡と目されるようになりました。 しかし「内裏野」という地名は、そこが宮跡であることを示しているように思えます
5 : 大和(やまと)には、群山(むらやま)あれど、とりよろふ、 天(あめ)の香具山(かぐやま)、登り立ち、 国見(くにみ)をすれば、国原(くにはら)は、煙(けぶり)立ち立つ、 海原(うなはら)は、鴎(かまめ)立ち立つ、 うまし国ぞ、蜻蛉島(あきづしま)、大和の国は 万葉集に収められた舒明天皇の「国見の歌」ですが、 2度出てくる“やまと”は、「山常」「八間跡」と書き分けられています。 そしてこの“やまと”が単純に現在の大和=奈良、“香具山”が現在の香具山なら 香具山から「海原」が見えるというのはおかしいのです。 湖南アルプスの岩山からは、琵琶湖が近くに見えます。 また、信楽の高原地帯は現在、陶器の産地です。 「煙立ち立つ」・・・、舒明天皇が歌を詠んだ当時から、 信楽は陶器の生産地だったのではないでしょうか?
6 : やまとは 国のまほろば たたなづく 青垣 山ごもれる やまとし うるわし ヤマトタケルが東国平定の帰路、伊吹山付近で詠んだとされる歌です。 そして伊吹山からの眺望がこれ。 ttp://www.photo.zekkei.com/archives/245.html これほどに詠まれた場所と対象が一致する歌であるにも関わらず これが長い間離れていた奈良を想う歌だというのは、無理があるのではないでしょうか?
7 : レス100以内で過疎る。に 1000000000000000000点。
8 : 868 :日本@名無史さん:2010/11/18(木) 01:24:24 蘇我氏と共に、記紀から消された物。 ・蘇我氏(の善政) ・蘇我氏の先祖神 ・邪馬台国 ・ヒミコ ・トヨ ・毘売ネットワークシステム ・豊玉伝説 ・ハニヤスヒコ天皇 ・葛城勢力が最も活躍した時のモモソ姫の執政 ・開化天皇の女性表記 ・クロコダイル(ワニ船)シャーク ・倭国大乱 ・クマソの先祖神 869 :日本@名無史さん:2010/11/18(木) 01:26:48 そして、ジックリ記紀を読み解けば。。。蘇我氏が蘇えると。。。 こういうレトリックなのだ。うーん、記紀ミステリー。 信じるか信じないかは、貴方次第♪
9 : ↑の言うように、 日本書紀・古事記のアヤを解くには「蘇我氏」は大きなカギです。 蘇我馬子。変な名前です。しかし日本史には似た名前が登場しますね。 「小野妹子」。小野氏の本拠地は滋賀県大津市です。 〜『日本書紀』によると大唐に派遣され、大禮(冠位十二階の位)蘇因高と呼ばれた。 日本の通説では『隋書』が記録する「日出処天子」の文言で知られる国書を 携えた使者は小野妹子とされる。〜wikiより引用 小野妹子の子が毛人。孫が毛野。 なんだか蘇我馬子−蝦夷−入鹿とかぶってませんか? 「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」 この文書を中国に突きつけた外交官こそが、蘇我馬子だったのではないでしょうか? ならば、その一族を退けようとした人達は、一体何が目的だったでしょう? 宗教上の争い?本当にそうでしょうか?
10 : それまで何も言わなかったくせに畿内説でまとまり始めてからかすめ取りに掛かるのは近江承認の典型だな。 近江泥棒伊勢乞食
11 : うまこ、いもこ。 似たような名前が、魏史倭人伝にも登場します。 「伊都国」の副官、泄謨觚(せもこ?) 柄渠觚(へごこ?)。 ここは帯方郡からの使者が留まる所と記されており、 住人の名前や表記も他の国とは違うニュアンスがあります。 >>901 の地図の「伊都国」、旧伊香郡高月町(現在は長浜市)は 全国有数の古墳群と、国宝も含む仏像を持つ町です。 グーグルマップで地形か航空写真を見ていただくと分かりやすいですが 「関所」「入国管理局」を置くのに適した場所だと言えます。 そして、(私は実際に聞いたことはありませんが) 高月の方言は、湖北方言の中でもさらに異なるとされています。 (湖北方言自体も特殊な関西弁です)
12 : 蘇我氏、小野氏、そして魏志倭人伝の伊都国 これらは同じ一族だったのではないか、と。 そしてさらに、日本神話の登場人物。 アマテラス、スサノオ、ツクヨミ。 この「スサノオ」ですが、この名前は出雲神話と共通です。 しかし同一人物とは思えないフシがある・・・そもそも場所が離れてます。 「スサノオ」は出雲神話から名前を借りただけではないでしょうか? ならば、その下に消された名前があるはずです。 日本書紀・古事記の編集者が、隠さなければならなかった名前。 それは、蘇我氏=小野氏=伊都国の、始祖のものだったのでしょう。 その名前は? さらに奈良時代以降冷遇されていった氏族の名前をさがすと、 めぼしい名前があります。忌部(いんべ)氏。 日本神話の「フトダマ(アメノフトダマノミコト・天太玉命)」が先祖です。 アマテラス、フトダマ、ツクヨミ。 これが本来の高天原の三神ではないか・・・と思います
13 : 「フトダマ」は、古事記では「布刀玉命」と書かれています。 神話に詳しい方なら、連想するアイテムがあるのではないでしょうか? 布都御魂(ふつみたま)。 神武東征の折、助太刀に差し出された刀です。 なぜ「布都御魂」を持つ一派は、突然西から来た神武天皇に加勢したのか・・・ 彼らは元々「神武天皇」と同じ言葉を話す民族だったのではないでしょうか。 そして、帯方郡への窓口だった伊都国人で、外交官であった蘇我氏・小野氏でもあり、 「古語拾遺」を漢文で記した忌部氏であるなら・・・? 帯方郡。中国か韓国の一部のように言われてますが、満洲ですね。 彼らはそこから来たのではないでしょうか。 高天原の「スサノオ」=フトダマ、蘇我氏、そして神武天皇は 満洲人だったのではないか。・・・そう仮定すると、辻褄が合うことがたくさんあります (中国人でも韓国人でもない、ということは強調しなくてはなりませんが)
14 : 庄内式土器と伽耶新羅陶質土器(4世紀中葉)の土器が一緒に出ているの だから、庄内式土器の時代が4世紀中葉であった事は間違いない。 従って、それより後の布留式土器は4世紀後半以降と言うのが妥当。 箸墓からは馬具の鐙が出ているから5世紀でも不思議はない。 日本の考古学はお粗末じゃのう。
15 : 924 :日本@名無史さん:2010/11/19(金) 06:17:11 >>920 なるほど「〜〜こ」という名前ですね。確かに当時の豪族のお名前の中では、 異質で特徴的かもしれませんね。ふむ。 ちなみに、妹子の子孫の毛人・毛野は、音読みだとどのように読む(読むと 思われる)のでしょうか?参考の為におうかがいできれば。ただ、魏志倭人伝 の時代と馬子の時代は少し離れすぎているような気もしますが。 あと、出雲神話体系及び出雲解体にも結びつくようなアプローチでもあります ね。非常に興味深いです。以前、アマテラスとタカミムスビの関係で、興味 深い関係性、すりかえをも思わせるような架空を聞いた事があるます。もし そうなるとスサノウ・アマテラス・タカミムスビの関係性なども再構築する 架空なども架空としては想起されて来るかもしれません。(テーマから離れ すぎるかと心配しますので、浅学の俺的にはこの程度までしか言えませんが) 925 :日本@名無史さん:2010/11/19(金) 06:27:07 >>923 古事記では布都の刀、日本書紀ではフツノミタマですね。アマテラスが タケミカヅチに神武への加勢を命じた時に「私が行かなくても変りに」と して神武に送ってやった、あの伝説のえくすかりぱぁですな。 ちなみに、タケミカヅチは、今回の争点に(俺的には)かなり謎を握っている 神様の一人と見ています。(先述参照)
16 : 926 :914:2010/11/19(金) 06:47:22 >>924 毛人・毛野の読み方は分かりませんが、北関東の古い国に「毛野国」がありますね。 「蝦夷」もまた東国の人々ですから、なにか関係があるのではと思います。 高天原の「スサノオ」=フトダマが元満洲人なら、 アマテラスとツクヨミ、そしてタカミムスビ(オモイカネ?)は どこから来たのか。と、考えてみます。 ツクヨミは、そのまま「月読み」の意味でしょう。 月の満ち欠けを観察してどうするのか? 稲作の種まき〜収穫の計画を立てる。つまり稲作をする人々、 いわゆる弥生人だろうと思います。 >>901 の地図の中でも「投馬国」にあたる野洲川下流は、 弥生遺跡が多く見つかります(銅鐸も)。現在も田んぼが多いです。 ちなみに野洲の子供はこんな子ばっかりです。 ttp://www.youtube.com/watch?v=Pazt_7nnMDg
17 : 927 :914:2010/11/19(金) 07:08:35 >>925 「タケミカヅチ」 〜別名 建布都神(タケフツ)、豊布都神(トヨフツ)。 また、鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)に祀られていることから鹿島神(かしまのかみ)とも呼ばれる。〜 やはりフトダマ一族と北関東は関係が大きそうですね。 私は関東方面には全く土地勘がないのですが 源氏の関東武士というのは北関東からも出ていますよね? 源氏の発祥は河内です。 神武の軍勢が居を構えたのも、おそらく河内(葦原中国)だったでしょう。 古墳時代には、河内に都が置かれました。 天皇家の分家だなんて通説がありますが、源氏とは、神武の一族なのだと思います。
18 : 928 :日本@名無史さん:2010/11/19(金) 07:29:56 >>927 古事記によると、イザナギ(イザナミとの別離後)に、天照・月読・スサノウ の三神を生む直前に産んだ三神(ソコツツノオ・ナカツツノオ・ウワツツノ オ)は摂津住吉の三神になっています。 また後代の神武の近畿での進軍ルートは難波→河内→紀伊の国となっています なにかしらの因縁を感じますね。 また、摂津・河内と言えば、後代の天皇も度々遷都先として選ぶ土地柄でも あります。
19 : と、いうところで。 >三神(ソコツツノオ・ナカツツノオ・ウワツツノオ) そしてですね、その住吉大社付近に「加賀屋(かがや)」という地名があります。 「狗奴国」、邪馬台国と対立していた国ですが、 これは「かが」国なのだろうと思います。鼻濁音気味のな“な”に近い“が”。 この三神を氏神とするのは、邪馬台国の頃から大阪に住んでいた人達だと思います。 この「狗奴国」を南から制圧してからその兵をもって邪馬台国を降伏させる。 ・・・それが、帯方郡出発時の、神武(の祖父?)御一行様の計画だったと思うのです。 だから、日向という南の果てに上陸している。 魏史倭人伝に書かれたルートを鵜呑みにして南へ南へ進むと、そうなりますね。 しかし、神武軍が日向から狗奴国=葦原中国=大阪に到着するまでの数十年の間に 出雲から来た勢力が入り、高天原の邪馬台国連合傘下になり、状況が変わりました。 大阪はすでに、“天孫”族(フトダマ)が治めるところとなっていた。 そのため、アマテラス系のナガスネヒコがいる大和に直接攻め入るべく、 和歌山側に回ったのだと思います。
20 : で、タケミカヅチ。 別名 建布都神(タケフツ)、豊布都神(トヨフツ)で、鹿島神宮に祀られてる。 そして、フツノミタマを所有するフトダマの子孫だった。 同じく満洲から来た神武の葦原中国制圧の手助けをした。 が、その力からかえって疎まれ、東国平定を命じられることになった。 それがヤマトタケル(御一行)・・・、それゆえ、関東の祭神になっている。 なかなか納得のいく解ではないでしょうか。 伊都国であった場所、旧伊香郡はかなり田舎ですか、なぜか優秀な実業家が出ます。 ヤンマーの創始者や ttp://www.kigyoka.jp/exh/ent/img/block2/2-4-2.jpg bjリーグ滋賀レイクスターズの代表 ttp://www.ocn.ne.jp/sports/bjleague/images/bj090122_01.jpg なんだか、関東っぽい顔をしておられる。と思うんですね。
21 : 満洲付近から佐渡島経由の航海が、当時の船で可能だったのか? という疑問がおありかと思いますが(私もそこは自信がなかった) 他のスレでいただいたレスがこちらです。御の字。 -------- 対馬経由で朝鮮半島にわたるルートは、距離こそ短いけれど、 潮流が速く、また天気が急変しやすいので小型の船舶では非常に危険なのです。 現在は、気象レーダーや気象衛星の情報により台風や低気圧の接近をいち早く知ることができるけれど、 卑弥呼の時代よりずっと下った遣唐使も遣隋使でさえ、よく遭難しました。 そこへ行くと日本海ルートは、風向きが安定しているので、春から夏場にかけて東風に乗って大陸に渡り、 冬になって西高東低の気圧配置が強まる前に西風に乗って帰国するという風まかせの航海が可能だったのです。 渤海との交流は、この風を使って行っていたし、このルートで魏に使いを送ることも可能だったはずです。
22 : 魏史倭人伝の伊都国に関する記述、 帯方郡の使者が往来する時、常にここにとどまる。 とあります。これは、単に数日寝泊りするだけではなく、 風向きが変わるまでの間、滞在するということだったのでしょう。 そしておそらく帯方郡の使者は のちの渤海とほぼ同じ場所から出航したのだと思います。 半島付け根、東岸まで領土だったなら、そうするのが自然です。
23 : >>14 その数字では、神功の渡海が説明出来ない。 神功元年のあづないの罪は273年の日食である。 323年 神功49年 東晋が洛陽奪回を断念し、東北方面は空白地帯と成る。 その隙を突き倭は、半島を占拠する。 磐余稚桜宮(桜井茶臼山古墳)から、110年後に誉田御廟山古墳が作られる。
24 : >>23 近江説に転向なさったんですね!
25 : 近江伊勢遺跡の衰退は、唐古、鍵遺跡や丹後大風呂遺跡の衰退と期を一にする。 今考古学は、この時代を弥生後期後半とする。 残念ではあるが、2世紀末の出来事。 崇神6年、民の離散である。 6年で説明出来るのは、大物主や伊勢が崇神に身を寄せる。 つまり大王の座を崇神に譲り、出雲に引っ込んだ大物主は「振根」を名乗る。 フリネが生きていれば、九州が乱れることも無かった可能性が有る。
26 : 伊勢遺跡は2世紀末まで!2世紀末までだから!みたいに言われても。 つまりその頃までは近江に国の中心があったという事でしょう? 伊勢遺跡の場所やあり方は、高天原にふさわしい。 そのあと「都」がどこへ動かされたかも、神話がヒントになるでしょう。
27 : 〜 〜 〜 〜 ,ヘ明石市/ ┃ /ヘ / 〜 〜 {ヽ_ / {_/ ┃ 「対馬国」 ▲/ / 〜 ヘ/ ★末盧国 ┃ ∠ノ / ニイガタ /ヘ~ .‖明石海峡大橋 ┃ / ‖ ┃ 「一大国」 / _ |ヽ■伊都国 ┃ /▲フ / /ヽ/ |/ | 天保山 ┃ | 「 / | ヽ ★奴国 ┃ | |__/ ヽ,淡路市 ヽヘ ★不弥国 ┃ / トヤマ | ↓ / ┃ ↓ / カナザワ ┌ ' ノ ┃ ↓ / / ノ ┃ ↓|フクイ 丿 ノ ^’ ┗━━━━━━━━━━━ |_ 水行↓,/ / _/ヘ/▲投馬国 | | 友\ 末盧国・・・明石市 / > ヶ \ 伊都国・・・淡路市岩屋 / / 島 \ 奴国 ・・・淡路市久留麻 \ | 水 不弥国・・・淡路市釜口 ∨ 道 投馬国・・・洲本市 邪馬台国 ★ 邪馬台国・・・和歌山市
28 : >その頃までは近江に国の中心があったという事でしょう? ホ30036 ヲヲモノヌシは アワウミの ヲヲクニミヤを つくりかえ コシネのクニも サホコみな タミをおさめて しつかなり いまアマキミの クラヒなる 西暦42年 神武東征元年 大物主は近江に入植し、そこで国を治める。 神武が大物主の子共を世継ぎとする程、影響力は強い。 つまり、書紀では、神武が大王の如く見えるが、大王は大物主であった。 193年 新羅、倭人が飢餓のため渡来。 この時、近江伊勢遺跡も衰退する。 ホ33078 ワレはこれ ヲヲモノヌシの カミなるが キミなうれひそ たせざるは わがココロあり わがハツコ ヲヲタタネコに まつらさば ひとしくなれて トツクニも まさにまつらふ ハヅキナカ トハヤがチハラ メクハシメ ヲヲミナクチと イセオウミ ミタリミカトに つげもふす ユメにカミあり タタネコを ヲヲモノヌシの イハヒヌシ ここに記載された「イセオウミ」こそ 近江伊勢遺跡だろう。
29 : 〜 〜 〜 〜 ,ヘ明石市/ ┃ /ヘ / 〜 〜 {ヽ_ / {_/ ┃ 「対馬国」 ▲/ / 〜 ヘ/ ★末盧国 ┃ カスミガウラ∠ノ / イバラキ /ヘ~ .‖明石海峡大橋 ┃ / ‖ ┃ 「一大国」 / _ |ヽ■伊都国 ┃ トウキョウ /▲フ / /ヽ/ |/ | 天保山 ┃ | 「 / | ヽ ★奴国 ┃ | |__/ ヽ,淡路市 ヽヘ ★不弥国 ┃ / チバ、タテヤマ | ↓ / ┃ ↓ / カナガワ、ヨコハマ ┌ ' ノ ┃ ↓ / / ノ ┃ ↓|カナガワ、ヨコスカ 丿 ノ ^’ ┗━━━━━━━━━━━ |_ 水行↓,/ / _/ヘ/▲投馬国 | | 友\ 末盧国・・・明石市 / > ヶ \ 伊都国・・・淡路市岩屋 / / 島 \ 奴国 ・・・淡路市久留麻 \ | 水 不弥国・・・淡路市釜口 ∨ 道 投馬国・・・洲本市 邪馬台国 ★ 邪馬台国・・・和歌山市
30 : オオモノヌシ=物部氏というのは、 日本書紀・古事記に後からあちこちにねじこまれていますね。 オオモノヌシという名前自体が、露骨にオオクニヌシの真似です。
31 : 物部氏は、蘇我氏との宗教絡みの政治抗争に敗れて表舞台から姿を消した ・・・と、いう事になっていたりするようですが ならばなぜ、日本書紀・古事記でむやみに持ち上げられているのか。 クーデターを起こした天武が、物部系だったからです。 彼らは吉備と尾張に住んでいました。 出雲神話のおまけで登場するのはそのためでしょう。 壬申の乱の際は、東の尾張から加勢がありました。 そして彼らが実権を握っている間に、「伊勢神宮」は東海へ移されました。 まあざっくり言いますと、簒奪です。
32 : 家伝から、物部の血筋から入鹿が出て嬉しいとか書いてなかった? 孝徳帝が遷都したのは蘇我の土地だったり、理解不能
33 : 伊勢神宮が巻向の真東に位置するのは、政庁が巻向付近こにあった垂仁の頃に遷されたからです 東海に根を張っていたのはむしろ尾張氏でしょう 伊勢神宮に祭られていた天叢雲剣が倭建の遠征に際して差し出され、最終的に熱田神宮に祭られる事になった逸話は、 東方の支援を尾張氏が担っていた事の現われでしょう
34 : スサノオは、ヤマタノオロチを倒すことによって 「天叢雲剣」を手に入れました。 三重県松阪市付近に「櫛田川」が流れています。 ヤマタノオロチの侵略に悩まされていた、クシナダヒメとは ここの女性なのではないか・・・ だとすれば、ヤマタノオロチは尾張勢です。 天叢雲剣が熱田神宮に祀られているのも、正しいという事になります。
35 : 天孫降臨のクシフル峰とか、「クシ」は別の意味がありそう ヤマタノオロチも、邪馬台国とか三輪山(巳輪=蛇)に関係があるのかも
36 : 魏史倭人伝の「躬臣(くし)国」。これは松阪市辺りなのでしょう。 関連がありそうなのが 葦原中国の偵察に使わされた「雉の鳴女(なきめ)」。 帯方郡への使者は「難升米(なしめ?)」です。 同じ人物ではないでしょうか? おそらく、クシ国はヤマタノオロチ退治以降 スサノオ(フトダマ)の子孫が治めることになったはず。 ですから「難升米」もまた、漢字を解する伊都国の系譜なのだと思います。
37 : 葦原中国って帯方郡のことかも
38 : 葦原中国=大阪です。 難波潟 みじかき葦の ふしの間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや 難波江の 葦のかりねの ひとよゆえ みをつくしてや 恋わたるべき 和歌にも詠まれるように、葦は大阪を象徴する植物でした。
39 : >葦原中国=大阪です。 難波、河内の中心が入り江や、潟湖では、主張出来ない。
40 : >いまアマキミの クラヒなる 神武のこと >イセオウミ トハヤの娘のチハラメクハシ姫 オオミナクチ イセオウミ の三人 日本書紀(祟神) 倭迹速神浅茅原目妙姫 大水口宿禰 伊勢麻積君 の三人
41 : 伊勢麻積君 ≒錦織 近江に関係することは間違いない。
42 : 伊勢麻積君 崇神による四道将軍派遣、この結果として、東海西部以西を領土とする。 垂仁時代に倭媛が伊勢へ遷宮する。 崇神時代にイセオウミと書かれている、この時代ではまだ伊勢は領土の外であろう であるならば、崇神六年までは近江に「イセ」氏が居た可能性は高い。
43 : 毛野=群馬 麻績=長野の南 錦織=松本付近 手力男=長野 手力男の親、思兼=伊那 伊勢津彦は、思兼の元?で蟄居。 神武崩御により、懿徳が世継ぎとされるが、それをかたくなに拒む手研耳。 手研耳に組する者、伊勢、諏訪。 手研耳は破れ、建御名方は、諏訪へ幽閉?伊勢津彦は、思兼の元で蟄居。 それを監視する思兼親子。 孝昭時代には、蟄居は解かれる。 長野から群馬にかけて、近江系が配置された、古墳時代。 書紀に書かれない口伝の歴史、どうまとめようか?
44 : なぜ無理やり近畿にしたがるの?
45 : それは、 240年 正始元年春正月, 東倭重譯納貢, 「南に行けば邪馬台国」が東の倭と方向が変更され、倭王がいるからです。 そして 黒塚には、△鏡、黄旛が副葬される。 しかし 伊都国は女王の傘下の国であり、壹與の時代には、大倭が伊都国に1大率を置き 国々ににらみをきかす。
46 : 安曇族というのは全国各地に散らばっているそうです。 安曇野だけでなく、渥見半島、安曇川などなど。 「三遠式土器」や「高地性集落」はかれらの残したもの ではないかと思うのですが、そういう研究はないんでしょうかね? 「住吉」もこの人達に関わる名称だとか・・・ 大阪、狗奴国とは元は安曇族の国だったのでは。 英語版wikiでは It is believed that the Azumi language was an Austronesian language of the Malayan branch. マレー語近縁のオーストラロイド言語を話していた、とされてます。
47 : 日本に弥生人が渡来したとされる頃、 長江流域で建国し、滅んだ国が二つあります。 呉(紀元前585年頃 - 紀元前473年) 中国では日本人を「呉の太伯の子孫」とする説がある 越(えつ、紀元前600年頃 - 紀元前334年) 百越に属する民族を主体に建設されたといわれる。 うん。 この人達、日本に来てますね。そう思いませんか? 越は東南アジア寄りの地域です。 越人が「安曇族」になったのではないでしょうか。
48 : この「越」は、中国最古の王朝「華夏」の末裔を自称していた。 加賀、各務ヶ原・・・「かが」のつく地名もまた、各地に見られます。 そして、魏史倭人伝の「狗奴国」。 web検索すると、アズミは海洋民族だという記述もありますが 関連する地名から想像するに、 彼らは漁師というより、船大工・木工職人だったのだと思います。 日本が誇る木造建築技術は、この南から来たグループがもたらした。 ・・・「半島から伝わった」よりも、ずっと説得力があります。
49 : あっまちがい >>46 ×三遠式土器 ○三遠式銅鐸
50 : 他スレからメモ。 三輪地域が衰退するころ、纏向の大型建築物が築かれた。 しかし纏向もほどなくして過去のものとなった。 三輪・・・ナガスネヒコ一族の居住地 纏向・・・葦原中国(オオクニヌシ一派)との合併後の都 ・葦原中国吸収合併 ・纏向が築かれる(オオクニヌシ勢の新技術も導入) ・神武東征、三輪のナガスネヒコ去る ・都移転、纏向→? こんな成り行きかと。
51 : 崇神天皇 188年〜216年 2章 五,六年の記事は、新羅192,3年に対応。異族多帰は、各地の土器。6年秋大物主の国譲り。 209年 任那建国 垂仁天皇 217年〜239年 景行天皇 240年〜261年 成務天皇 262年〜265年 3章 仲哀天皇 266年〜274年 0章 273年日食(神功元年に注入) 神功皇后 275年〜 ここより盟神探湯による世継ぎの部分。磐余稚桜宮は、桜井茶臼山 メスリ山の時代、佐紀楯列までの70年間。 応神天皇 345年〜387年 磐余稚桜宮から110年後が誉田御廟山。名前の入れ替えがある。 仁徳天皇 313年〜399年 纒向遺跡は崇神から景行迄。箸墓築造を以て衰退する。 成務、仲哀は、近江であるが、治世期間が短い。近江は仮宮であろう。 仲哀は、陵池で白鳥を飼う。この時代であれば、箸墓であろう。 神功、応神は、磐余に宮を築く。 仁徳が秋津遺跡の可能性がある。
52 : >成務、仲哀は、近江である そうなんですか?しかし欠史八代と同じく架空説が強いですね。 成務天皇(wiki) 〜都は志賀高穴穂宮(しがのたかあなほのみや、現在の滋賀県大津市穴太)。 比叡山のふもと、「坂本」の近くです。 10kmちょい北に、「小野」「和邇」の地名が今も残ります。 この都が架空のものだったとしても、 ここに住む人達が、何か重要な役割を担っていた事は間違いないでしょうね。
53 : テンテル、スサノオに次ぐ第三の神としてツクヨミがあるように 畿内説、九州説に次ぐ第三勢力の近江説のスレ主は、「ツクヨミ」のHNを名乗るに相応しい
54 : >>53 ネーミングありがとうございます、 ですが私のご先祖はたぶんツクヨミ神ではないです。 アマテラスでもスサノオ/フトダマでもないです。 タカミムスビとか、そっちの系譜。 後頭部が出っ張った縄文アタマなのでね(^^
55 : 新モンゴロイド ------ |● ● | .. | O マンチュリア民族 ---------- |● ● | .. | O モンゴル民族 旧モンゴロイド ------ | |● ● | O クメール民族 ----------- | |● ● | O 縄文人
56 : ----------- | | / \ / \ \ o / エラ呼吸 ------------
57 : で、今話題の、葛城の秋津遺跡ですね http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2010112502000018.html 文献などの手掛かりが乏しい「謎の4世紀」を解明する貴重な遺構といえ、 専門家らは周辺一帯を本拠に5世紀ごろから活躍した大豪族・葛城(かつらぎ)氏に つながる「プレ葛城氏」の居館・祭場か、初期大和王権が直接関与した施設の可能性が 高いとみている。 葛城。西に山を越えると大阪府太子町です。 太子町は、もちろん、聖徳太子ゆかりの地だとされてます。 蘇我馬子が推古天皇に「かつて自分達の土地だったから返してほしい」 と願い出たという土地でもあります。 葛城の豪族は神武に加勢したという説も・・・?
58 : ですので、 やっぱりこの両家と聖徳太子の繋がりが非常に気になる所です。 蘇我馬子(うまこ) 小野妹子(いもこ) | | 蘇我蝦夷(えみし) 小野毛人(えみし) | | 蘇我入鹿(いるか) 小野毛野(けぬ) かぶりすぎですやん。 ただ、記紀に書かれた年代はややズレるようですが。
59 : おもしろいサイトがありました。 蘇我馬子と小野妹子の年表を比べる http://n.ashitane.net/%E8%98%87%E6%88%91%E9%A6%AC%E5%AD%90/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E5%A6%B9%E5%AD%90
60 : >欠史八代と同じく架空説が強いですね。 書紀は太陰暦で書かれている。太陰暦は19年を1章とする積み重ねで出来ている。 であるならば、19年単位で各天皇紀から空白年1章×n回の空白を抜いても太陰暦のままである。 居たかいないか解らない天皇でも太陰暦の一郭を占める限りその時代を抜くことは出来ない。 そして文献と整合性の得られる数字が正しい日本の歴史と成る。 歴史を合わせられるのは、新羅本紀であり、 百済本記が合わせられない文献であることは今の議論を見れば明らかである。
61 : 685 火鉢(東京都)[]投稿日:2010/11/26 23:54:03 ID:Rmvfu1E40 中国と日本のダイナミズムを理解してもらうために、改めてあげておこう。 【安東大将軍倭王、その帝の「南朝」とは】 周-秦-漢-晋-南朝 という漢民族の歴史は、 南朝−滅亡 という形で、7世紀に終了する。最後の漢民族の戸籍はわずか500万人。 どこに滅ぼされたか?秦の始皇帝以来、万里の長城を築いてまで、外部民族として扱った 鮮卑など北方民族によって、滅ぼされた。 で、史上初の万里の長城以北を領域までの大皇帝、隋帝が生まれた。 しかしながら、隋は、今でこそ中国の歴史の一部であるが、7世紀の時点では 明確に、漢文化外の勢力。 この隋帝に対して、対抗できる国はあったのか? 実は、この史上最強の皇帝、隋に対して、倭王が出した手紙があれだ、 「 西の天子さん元気?俺は東の天子だよ」 完全に対等宣言。 同じ中国と思えば、大将軍位の倭王がなぜ、隋帝に天子宣言?と思うが これは不思議でもなんでもない、 封国されてた漢豪族の子孫、安東大将軍の倭王にとっては、 本国の南朝が滅ぼされたのなら、「我こそ本流の天子だ。」 と思ったわけである。 白村江の戦い だって、 何故、倭王が百済を助けに600艘も船を出すんだ?って話、 百済王も倭王も漢(南朝)文化の同じ大将軍国。 隋唐は鮮卑族の北方民族、実はこの時点で漢化も行われていない蛮族勢力。 隋唐からすれば、陳を滅ぼし残る漢文化勢力は、百済と倭しかこのアジアに残っていないんだな。 そして、百済が滅んで百済王も倭王のところに逃げ、 そして、 倭は、「日本」と改名する。 というわけで、日本こそが、周-秦-漢-晋-南朝ー日本 というのが、漢民族の正当な流れなのである。 倭王武の子孫は、その後、坂之上の田村麻呂の活躍などで 全国に源氏武士勢力を広げ数千万の子孫を作り日本人の現在となる
62 : >白村江の戦い だって、何故、倭王が百済を助けに600艘も船を出すんだ?って話、 倭王が百済を助けに… この思考自体が間違っている。 323年神功49年 倭は百済軍を引き込み半島を占拠する。 ここが百済建国の初めである。つまり百済国自体を倭国が造ったのだ、だから親としては 不肖な息子であろうと、困ったら助ける。 これが親である倭国の対応である。
63 : >>61 こういうのは極めて少数派なので目立つ
64 : 昼休み終了(^^)/~~
65 : ラヂオ氏 奈勿大聖神帝紀(ネムルデソングシンゼギ) 1年, 11月, AD377年. (ver.1) 。 317年 元年 丁丑 十一月 加耶君守克□ 慕訶立 以宣失為太后 時加耶与倭相通 不遵朝廷之令 至是以倭王女為妻 而不聴宣失之言 遣使責之 千熊長彦 383年の 人. Name:radio2010/06/04(金) 17:38 奈勿大聖神帝紀(ネムルデソングシンゼギ) 7年, 323年 七年 正月 行水羊祭 光臣伊伐〓 白花稟主 7年1月, 水羊(癸未年)祭を行った。 三月 夫余流民三十戸又来降 夫余与倭相通 年年受其民 散置都鄙 倭臣熊彦美而善弁 与阿□相通 多聴其言 故国人異反 或帰于我 亦帰于麗 休礼太后生長?子勿? 始立戸口典 禁民子母相婚 ラジオ氏は丁丑年を377年と言うが、377年では倭が従うべき朝廷は無い。317年とすると 316年 前趙の劉曜が西晋を滅ぼす。 317年 丁丑 倭は伽耶と共に朝廷に従わなかった。(東夷校尉崔から距離を置く?) 323年 癸未 神功49年3月 再度渡海 半島の占拠、再編成。千熊長彦に従う平州方面の人々の渡来。 326年 神功52年 泰■四年■月十六日丙午正陽造百錬■七支刀■ 331年 辛卯年(広開土王碑) 楽浪方面へ領土を広げる。 340年代には百済は大国として存在する。 千熊長彦は、武蔵の人と説明されているが、 武蔵国造は、毛野国の流れ、毛野国は、長野方面から。 千曲川は、長野を流れる。 近江に入植した渡来人は、伊那から長野、群馬へと流れる。 この時期の長野の土器は、伊勢を源流とする。
66 : oomaera ahomarudasi itibunokijutu rongai もう少しべんきょうしましょうね。
67 : 大前さん達はあほ丸出しです 具体的には指摘できませんが一部が論外です もう少しべんきょうしましょうね。
68 : 具体的に指摘すればいいのに
69 : ヒント:DNA 日本人(沖縄、アイヌ、マタギ含む)ほぼ同じ、 フィリピン等、南方系:明らかに異なる 朝鮮系ともまったく異なる 科学的な調査に基づく事実くらい把握しておけ、馬鹿どもが。 日本人はどっから来たの論議の前に、 日本人のDNAは大陸と地続きで無くなった数万年前の時点で(ry
70 : そして、渡来人が渡ってきて氷河時代からの住人は壊滅したんです。
71 : >氷河時代からの住人は壊滅した このネット時代にこれはまた・・・ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA#Y.E6.9F.93.E8.89.B2.E4.BD.93.E3.81.AB.E3.82.88.E3.82.8B.E7.B3.BB.E7.B5.B1.E5.88.86.E6.9E.90 http://www.scs.uiuc.edu/~mcdonald/WorldHaplogroupsMaps.pdf http://www.genebase.com/tutorial/item.php?tuId=22 その他日本ではごく少数ながら ネイティブアメリカンのY−Q系統、 ヨーロッパで多数派のY−R系統などまで見られる。 島国でありながら、縄文人が絶滅するどころかかなりの多様性を有する
72 : 縄文人は大陸と地続きで無くなってから渡ってきたのである
73 : Y染色体は出土する人骨から採取できないので 邪馬台国にはあまり意味をなさない。
74 : 弥生人の人骨から、 北欧フィンランドに住むサーミ人と同じミトコンドリアDNAが検出される
75 : GOOGLE画像検索「日本人はどこから来たか」 http://bloom.at.webry.info/200707/article_7.html WIKIとか含めて、も前らのおしゃべり場になってるんだから、 それをソースに持ってこられても困るww ソースは2Chつってるのと同じw 朝鮮南方言う前に、地続きでなくなった時点で基本shutoutされてる、 ということ、わかた??
76 : Saami 多数派 U5 : R→U→U5 V : R→HV→V 日本 F : R→R9→F B4 : R→B→B4 B5 : R→B→B5 Saami 少数派 CZ : M8→CZ 日本 CZ : M8→CZ
77 : >>75 「も前ら」って誰?日本人? 手前さまはどなたですか?
78 : あっ、CZは九州古墳の棺中から検出されるD4と近縁な系統だ・・・ Bは棺の外から出土する系統。 D4が支配者でBやFが被支配者
79 : 弥生遺跡出土の人骨から、北欧サーミ人と共通のmtDNA。 Y−DNAにおいて、サーミ人と日本人に共に見られるのはN系統。 Y−DNAも十分、古代史を探るカギになり得ます。
80 : 弥生遺跡出土の人骨よりも 古墳時代に増えてくるmtDNAのD4が問題じゃね? 中国の青海省4世紀人骨がD4 匈奴の匈人4世紀人骨がD4
81 : >>79 「殉葬百人」の生き埋め要員のR系ですか? それともCZですか? どちらのmtDNAかはっきりさせてください
82 : 邪馬台国論争の役にはたちませんなw
83 : >>81 生き埋め要員?そんな分類に意味がありますか? 北欧フィンランドと日本で、同じ遺伝子が存在する。 その理由を探りたくはありませんか? ・・・でもさほど考えるまでもありませんよね、 彼らは「匈奴(フンヌ)」「フン族」だと思います。
84 : そして、魏志倭人伝の邪馬台国の国々には、 “奴”という字がやたら使われてますね
85 : (´ー`)y─┛~~ 焦らず>>76 あたりを手がかりに フィンランドのことを調べてから論じるといいんじゃないの? 今夜に決着つけなくても、邪馬台国は逃げていかない。
86 : フィンランドというのもあくまで手がかりですから。 さらにY−N系統が優勢な国として、ロシアのサハ共和国がありまして どんな感じの人達なのかと検索してみましたら ttp://www.elen-music.com/images/art096_profile.jpg なぜか卑弥呼がいました。 ttp://s.cinematoday.jp/res/N0/01/49/N0014968.jpg このデコの飾りって、日本でも出土してるんだろうか
87 : >>74 これは酷いな。 秋田犬は西洋の犬と同じ遺伝子を持っているから縄文犬の系統、縄文犬の系統だから人も〜と言ってるが、 秋田犬は、幕末から明治期にかけて西洋犬と交配して作り出された犬種だから 西洋犬と同じ遺伝子を持ってるのは当たり前のこと。 こんなの犬好きなら常識に近いことなのに。
88 : >>87 弥生遺跡から出土した人骨から検出されるDNAの話をしてる。 犬の話ではないし、現代における遺伝子分布の話でもない。 幕末から明治期にかけて西洋人と交配して作りだしたと?
89 : >>84 「な」が日本に多いように半島には「ら」が多い。 「な」と「ら」は同系統の言葉じゃないかな。 「n」と「r」は転換しやすいし。 本来「稲荷」は「いなに」と言う発音の筈だが、「いなり」と発音される。
90 : □現在の道程(Googleマップ調べ) 敦賀駅 | 約30km(山道) 高月駅 | 約10km 長浜市国友町 | 約10km 米原市伊吹庁舎 □魏志倭人伝 ルート 末盧国 | 500里(草木盛んに茂り、行くに前人を見ず) 伊都国 | 100里 奴国 | 100里 不弥国 この“1里”は75〜90mという説がある(短里)
91 : 持統天皇の別名が「高天原広野」である。 そして、彼女は近江大津宮を築いた天智の娘である。 ちなみに天高原、ではなく「高天原」である事もポイント。 高い所にあるアマハラ。アマとは海のことも指す 持統天皇の出身地の、高い所にある海。 つまり、高天原とは近江である。
92 : 神武天皇は、日向の地は日本の西に偏ったところで 日本を治めるには適さない地だと思っていました。 そこで、かねてより爺やに聞いていたヤマトへ行く事にしました。 爺や曰く 〜東方にあるヤマトの地は日本の中心にあり、 周りを青い山で囲まれた美しい地〜 さて、青い山。奈良盆地は山に囲まれてはいますが ブルーマウンテンな印象はあまりありません。 「青い」は植物が青々としてるという意味?・・・苦しいですね。 青い山で囲まれた地、とはこのような所ではないでしょうか http://omfuji.jp/L1/pnzb-04L.jpg (湖北〜湖南) http://www15.ocn.ne.jp/~funazusi/biwakophoto/kogan_fukei/yasugawa_hira01.jpg (湖西)
93 : 伊勢の國の風土記に云はく、夫れ伊勢の國は、天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)の十二世(とをまりふたつぎ)の孫、 天日別命(あめのひわけのみこと)の平治(ことむ)けし所なり。天日別命は、~倭磐餘彦の天皇(~武天皇)、彼の西の宮よ り此の東の州(くに)を征ちたまひし時、天皇に隨ひて紀伊の國の熊野の村に到りき。時に、金(こがね)の烏の導きの隨(ま にま)に中州(なかつくに)に入りて、菟田の下縣に到りき。天皇、大部(おほとも)の日臣命に勅りたまひしく、 「逆ふる黨(ともがら)、膽駒(いこま)の長髓(ながすね)を早く征ち罰(きた)めよ」とのりたまひ、 且(また)、天日別命に勅りたまひしく、「天津の方に國あり。其の國を平(ことむ)けよ」とのりたまひて、 「逆ふる黨(ともがら)、膽駒(いこま)の長髓… この言葉は 神武が九州で聞いた言葉でもある。
94 : ホ29007 アニミヤの ヰツセはタガノ オキミなり ミオヤアマキミ ツクシたす ソトセおさめて ヒたるとき アマキミのニを タケヒトに さつけアビラノ カミとなる キミミヤサキに タネコらと マツリとるゆえ しつかなり カクヤマのトミ ナガスネが まゝにふるえば さわがしく ハラノオキミは カテとゝむ かれにナガスネ フネとゝむ ヲヲモノヌシが うたんとす ホ29041 ノリくだせ ホツマヂ ひろむアマモイワフネ ホ29043 シホツチノ オキナすゝめて ニギハヤか いかんぞゆきて むけさらん モロミコもげに いやちこト さきにオシテの こたえつら キミすみやかに ミユキなせ アススキミヱの カンナミカ アミコみづから モロひきて ミフネのいたる ハヤスヒド こうして、大物主は近江、神武は大和、天たねこは河内にと、入植して行く。 この状態は、崇神まで変わらない。
95 : 「ホ」って、ホツマツタエですか。 ちゃんと訳して、重要な所を抜粋してもらわないとわっかんないです。 これまた、どこまで信憑性があるものか・・・近世の偽書ではないにしても ある地点で話が変わった可能性はいくらでもあるわけですから。 3行目「香具山の登美ナガスネ」 ナガスネヒコは香具山に住んでいたんだろうか? 香具山は本来どの山のことか、これまた悩ましい所です。 >>5 のように「国見」をした場所は湖南アルプス付近に思えますが 持統天皇「春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天の香具山」 この歌のように、織物を川水で晒し、干すという作業をするのは むしろ野洲川沿いにある三上山の方がふさわしいのではないか・・・ でも、大和三山の残り、畝傍と耳成だけど 魏志倭人伝では(野洲市付近とおもわれる)投馬国の副官が 「弥弥那利」となってる。ミミナリ。これは関係あるでしょう。 しかしそれ言ったら香具山は「カグヅチ」と関係ありそうなわけで。 正直、整理つきかねますね。
96 : ホツマツタエで意外な活躍をしているのが、 「ヒルコ/ワカヒメ」です。 記紀では、イザナギイザナミの、不具のため捨てられた最初の子(ヒルコ)とか アマテラスの妹で、スサノオの乱暴により死亡(ワカヒメ)とかいうチョイ役ですが ホツマツタエでは、「アチヒコ/オモイカネ」の妻となっているようです。 ご存知「オモイカネ」は、アマテラスよりも実際の政治の決定を行っていた神です。 ちなみに、このヒルコ、川に捨てられたのは記紀と同じですが ホツマでは「カナサキ夫妻」に拾われてスクスク育ったということです。 さて。カナサキ。アチヒコ。 滋賀県湖東地方には、神崎(かんざき)郡、愛知(えち)郡という地名がありました。 彼らが住む場所だったのか!?・・・かなりマユツバな説ではあります。 しかし、この神崎郡だった場所(現・東近江市)に、「神郷亀塚古墳」があります。 最古級、3世紀前半の古墳であるとされる。前方後方墳。 並列する2基の木槨(もっかく=木で作られた玄室)が確認され、 有力者の夫妻であろうと思われる。だそうです。 夫婦で埋葬。これは非常にマレな形態だそうな。 オモイカネの、そして卑弥呼の墓・・・、 まんざら、マユツバでもない気がしませんか?しませんか。そうですか。
97 : >>94 ほ〜ら、偽書といわれる書物を持ち出した〜と口撃していた男が、偽書と いわれる書物を持ち出した〜ww
98 : 投馬(於投馬)=出雲 邪馬台国=奈良県 橿原 斯馬国=三重県 志摩 己百支国=滋賀県 伊吹 伊邪国=愛知県 犬山? 都支国=岐阜県 土岐 彌奴国=岐阜県 美濃 好古都国=中山道・河渡宿(岐阜市) 不呼国=福島関? 姐奴国=信濃 對蘇国=木曽? 蘇奴国=諏訪? 呼邑国=小諸? 華奴蘇奴国=金沢宿? 鬼国=甲斐? 爲吾国=伊香保? 巴利国=榛名山? 烏奴国=新潟県 魚沼? 狗奴国=毛野
99 : カクヤマのトミ ナガスネが この“カクヤマ”は、九州である。 書紀:田道間守至自常世國。則賚物也非時香菓八竿八縵焉。 ホツマ:ホ37203 タシマモリ トキシクカグツ フソヨカゴ カクのキヨサホ カグヨサホ もちきたるマに。このカクの木4棹、カグ4棹 カクは、果物の木。当時の倭でなら、栗、クルミ そこへ新しい実のなる木を持ち込む。 カグ(香具)は、果草であり、新しい種籾の持ち込み。 香具山は、焼き畑山となる。
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