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2013年02月心と宗教10: 坐禅と見性第90章 この小道は都・長安に通ず (254)
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坐禅と見性第90章 この小道は都・長安に通ず
- 1 :2013/01/16 〜 最終レス :2013/02/11
- このスレの1章は、南予さんが建てたスレッドである。
諸行無常、諸法無我、一切皆空である。
こころコロコロ、色即是空は空即是色、である。
無我なり。 無我とは、さとりである。
さとりとは、真理、法、ダルマである。
達磨さんはインドから中国にやって来たのか、来なかったのか。
人は生まれたから、死ぬ。
生まれなければ、死は無い。
一生の旅とは 性(いのち)のRであり、そして必ずの別れである。
無一物で生まれ、無一物で死ぬ。
ビッグバーン以来の一期一会である。
すずめはチュンチュンこんにちは、道端のタンポポのこんにちは、である。
出会えば必ず別れるのである。一期一会、と言う。
問う 「片手の人がたたく拍手の音を聞いてこい」
【前スレ】
◆坐禅と見性第89章ほとけとは麻三斤◆
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1353772438/
【過去スレ】
坐禅と見性第86章有始有終無始無終
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1338795406/
坐禅と見性第87章スレ違うも他章の縁側うとうと
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1343398541/
坐禅と見性第88章天上天下唯我独尊、全てが主人公
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1347634452/
- 2 :
- 友好スレ
坐禅と見性スレ避難所第1章
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11155/1296476490/
【ダボハゼ禅】坐禅と見性、隔離すれ【VIP用】参
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1346104659/
仏教】悟りを開いた人のスレ135【天空寺
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1356564401/
悟りを開いた人のスレ の避難所 22
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/8276/1348287392/
悟りを開いたことあるけど何か質問ある?24
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1353625520/
[人生相談板] 悟りを開いた人に聞いてみるスレ の避難所
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/8276/1257178145/
悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】20
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/jinsei/1355543158/
悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】17
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/jinsei/1348475621/
仏教議論スレッド54
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1357979649/
仏教 議論 33
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1331725479/
親父の|しゃぶりてぇ。
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/okiraku/1357370851/
ホ単 問答(禅 問答)
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1345333572/
☆ ★ 宗教なんでも@相談箱 ★ ☆
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1230561897/
宗教を論破するスレ
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1289821970/
- 3 :
- >>1
>問う 「片手の人がたたく拍手の音を聞いてこい」
答え
人の片手を借りさせ拍手させる。
- 4 :
- スレ立て乙。
乞う、長文テンプレ。
- 5 :
- また早く眼が覚めて、ぼーつとしている時。存在は色々考える私には無理難題あちらこちらにさ迷い気分だけは哲学者に?
全体からと部分からアートはつまり後はよくわからないうちに、今此処にたどり着いたけど意味不明存在なんて牛の空だ今此
処の尻尾が残っているのか?しつぽあれ昨日三十年通れない人がいたけど?今此処永遠に通り過ぎる事は無いのかわからんけ
ど今までは此処に居たけど先はよくわからんたぶん?私は今此処に居る。
スレ発て有難う 君の名はおばか◎だしさん
- 6 :
- ここはタイトルとは真逆の擬似似非の野狐禅を展開している糞スレである。
ポッタン(別名あは)と称する者が師家気取りを演じている。(本人曰、糞スレだから銀蝿が湧いてしょうがないと)
自己愛性人格障害のこの者は坐禅修行もろくにせず、名誉欲や偽善心、虚栄心など我執煩悩が旺盛である。
三昧と執着の違いも分らず、三昧であれば何でも禅と言い放って、もっぱら日々、競馬三昧、2ch三昧にのめり込んでいる。競馬や低俗なコピペを方々に貼付けては顰蹙を買うほどの俗物である。
本人は無師独悟とか称して、隻手の音を聞いた、その後次々と公案を透ったと大見栄を切っている。
しかし所詮、自分免許の浅はかさ。書込みからは証悟の片鱗すら伺い知ることはできない。
一例が「私は払子を立てた。これが私の禅です」と坊主の真似事が禅だと、恥とも知らず失笑を買っている。
そんな者がどこからか禅語をコピーしては、矛盾に満ちた皮相的で幼稚な取るに足らない曲解を書き込んでいる。
突っ込まれて答えられない質問には、恥隠しのはぐらかしや長文コピペで誤魔化すこと枚挙に暇がない。
またときに、尊大な我執による妄想妄念から、あられもない説法をしでかす。
「すずめさんがチュンチュンとこんにちは、タンポポさんがニコッとこんにちは」と幼児童話レベルの妄想が禅の悟りであると吹聴している。
しかも30年近くもこの有様というから愚かの極みで、恐らくボタンを掛け間違ったまま生涯を終るものと想像できる。
野狐禅に陥ったら、五百生間狐となって迷妄の深淵から抜け出せないというよい例である。
この様に我執に塗れた者が無我を語り、見性せぬ者が空を語るなど、入門者でも胡散臭さを感じて俄に信じる者はいないとは思う。
しかし中には、類は類を呼ぶ、同病相哀れむという諺通り、ポッタンを師とする者が現れた。
素人Aというポッタン酷似の者で、なにやら激しい妄想妄念を、誤字誤変換だらけで書き込んでいる。
最近は師への切替えが混乱し、妄想妄念も激しくなって分裂症も進んでいる様子である。
祖師禅とかけ離れたこの野狐禅スレに、間違って来られる入門者があるやもしれない。
しかし、よもやこの師弟に惑わされることはないと思われる。
万が一のため、ポッタンのように野狐禅に陥って人生を無駄にせぬよう警告の意味で記しておく。
- 7 :
- ぽったんの見性渇望物語である。
まだ、ぽったんが”あは”と名乗っていた時代のことである。
酒場に働く女から金色の炎が立ち上がってるのを見て、見性したというのがことの始まりであった。
勿論、見性とはまったく無縁のことは云うまでもなく、当然のことながら呆れた幼稚さに批判非難紛々であった。
それでもぽったんはそれが見性だという持論で仕切りに反駁したが、誰一人、頷くものがなく、渋々引っ込めざるを得なかった。
暫らくこの自説を封印して大人しくしていたのだが、持って生まれた猛烈な虚栄心はそれで収まる訳はなかった。
次には新たに、「お花さんが微笑んで、おはようとご挨拶」と童話風物語を語り始め、これが見性ですと新説を打立てた。
それが素性の知れぬマンゴー先生とかいう者に見性してると”認定”され、今日までそれがぽったんの唯一の拠り所になってるのは衆知のことである。
しかしそれだけではまだ虚栄心を満足させることができなかった。
その後、「隻手の音声」という公案について、頭の中で組上げた理屈でもって、音を聞いたと吹聴し始めた。
だが、そうはいったものの、ある人物から「本当は聞こえない」と指摘されたことから、組立てた理論が敢なく崩れ落ちてしまった。
すっかり自信を失なってしまったぽったんは、ここでも見性の自説を下さざるを得なかったのである。
その後は、音が聞こえるのは色即是空までで、その体験後は音は聞こえずそれが空即是色であると実に珍妙な見解に変えている。
その度に、都合良く解釈を変えるもので虚言癖もなかなかのものである。
またつい最近では、方々のスレで「無とは何か」などと、公案がパズルであるかの如く回答を募って師匠然を気取っていた。
しかしこれもまた、ある人物からトラック一杯の答えを集めても正解などはないと指摘され、あえなく撤退してしまう嵌めになった。
このようにどれもこれも、もともと見性などしておらず、ただ嘘でもいいから異常体験をしたとの虚栄心と師匠を気取っていたいがためであるのは明らかである。
真に見性してものであれは実体験からくる確固たるものを掴んでいるので、誰が何を言おうと一切右往左往することはないものであるが、この体たらくである。
次は何を言い出すのか実に見ものであるが、このようにポッタンの見性への思いは渇望というより飢餓に近いと言える。
- 8 :
- 以前にポッタンの隻手の音声のいい加減さを指摘したが、その後のポッタンの隻手の音声である。
最近では「片手の音は、聞こえないよ、キッパリ!!」に変更したようである。
かって「聞いた」から「聞こえるのは色即是空までで、その体験後は音は聞こえない」に変更したが、驚くなかれ再び三度の変更である。
今度は何に影響されたかは定かでないが、この様に他人の言にいとも簡単に左右されるのは、禅体験からくる確たる根拠がない為である。
そもそも隻手音声の公案とは、「片手で打つ音を”聞いて来い”」という問いである。
その答えが「聞こえません。キッパリ!!」では全く笑い話にもならない。
ポッタンはそんなことすら分からない全くの野孤である。それは禅を頭で理解するものと勘違いしているからこういうことになる。
(禅語の字面をなぞっただけの表面だけを追いかけて知識で理解しようとしているのが、コピー文の随所にみられる)
隻手音声は生易しいものではなく、ある面、無字の公案よりも難しい。
ポッタン如きの野孤がチョコット知識を並べた程度で透過することなど全くのナンセンスである。
「聞いてこい」という師家の問いに対して、「聞こえません。キッパリ」などと公案から逃げずに、日夜真剣に取り組まなくては、到底聞くことが出来ないのは言うまでもない。
さらに聞いたと言うのならば、師家にも聞かせてやらねば証明したことにはならない。
それが真面目な顔して、俗世間人が言うのと変わらぬ「聞こえません。キッパリ」では、師家もこの幼稚さには、ただただ苦笑するしかないだろう。
野孤禅の野孤たる例として、最たるものといってよい。
さらに滑稽なのは「片手の音は、聞こえないよ、キッパリ!!」と答えておきながら、方々のスレで「片手の音を聞いて来い」と師匠面して問うていることである。
この自家撞着にさえ気がつかぬ愚か者に、付ける薬はない。
主体性だとか主人公だなどと、普段偉そうなことを言っているが、この様に借り物の知識ばかりで主体性が全く身についていない口先だけの禅であることがよく分かる。
三十年近くも禅を学んでいるというのに、未だに禅の周りをウロウロして入口にも近寄れず、ちっとも埒のあかない野孤禅ポッタン師匠。
禅の資質、素養が無いに等しいポッタン”師匠”の口から、この次にはどんな言葉が飛び出てくるのか・・・・・、野孤禅は永遠に続く。
- 9 :
- ポッタン野孤禅では、禅語や公案を字面を追って理屈的解釈するものと勘違いをしていると、以前指摘したことがある。
ここでは、最近よく出してくる「眼横鼻直」を例に、その行き着く果てが自家撞着という矛盾であることを説明しよう。
直近によると「主人公、主体性、自由、鼻は直に涅槃」とポッタン流に珍釈している。(これはこれで全く酷いものだが・・)
その言下に「公案は、常識や知識で、これとそれを分けている妄想を、これとそれを分けない、これとそれは 一の如し」などといっている。
しかし何より、己自身が分別心によって、しっかりと区別している矛盾に全く気がついていないのであろうか。
他にも「自己はありません」と言ったかと思うと「自己を語ろうよ」と、「悟りは語れません」と言ったかと思うと「悟りを語ろう」と呼びかけたり、また「リアル(な世界)には・・・・云々」と言って、現実と観念上の世界が夫々別に存在するかのようにハッキリ区別したりする。
これらの例に限らず、悟りや仏の解釈に酷い矛盾があることや、隻手音声を透過したと言っている自身の言動に、甚だしい不一致や我執紛々として悟証の欠片も見出せない支離滅裂なことは、過去スレをちょっと覗いても数多見出される。
禅を、言葉の字面を追って理詰めで解釈するものと勘違いしている者は、必ずこのような矛盾にぶち当たる。
更に悪いことに、指摘された矛盾を取り繕ろうとしたり、相手に打ち勝とうとして、さらに分別心を掻きたてていることである。
矛盾を、さらに矛盾で覆い隠すため、理論武装の屋上屋を重ねていることである。
その様な、禅そっち除けの自我妄執愛に陥って悪循環に嵌ってしまっては、もう手の施しようもない。
その先には精々、禅に手が届かぬ絶望感と人格破綻であろうか。
そして、字面を追いかけた先に禅や悟りがあると思っているようで、空がどうの悟りがどうのと、いくら難解な仏教語を駆使して、己の禅を誇示しようと、素人、入門者の域を出ることはない。
最近では、質問には以前にも増して的確な回答が出せず、拾ってきた仏教語を自己流で解釈して誤魔化すようである。
畢竟、言うなれば十牛図の尋牛にも届かぬ、禅の周りをうろついているだけの単なる野孤なのである。
このように迷妄の底無し淵に落ち込み、禅の入口さえも見出せないで、もがいているのがポッタン野孤禅師匠である。
- 10 :
- 今回は、その後の隻手音声の続きであり、以下は最近のそのままの引用である。
「ある禅僧が、隻手の音声を聞いた!お師家様にも喜んでいただこうと足音を踏み鳴らして師家の部屋に飛び込んだとき、お師家様は静かに言われたそうです。片手の音は、聞こえない。
そこが、空即是色です。1秒もかからず、リアルに舞い戻していただいたそうです。 お師家さまの指導下で修行する事のすばらしさは、こういうことにあるのでしょうね」
とある。 しかし、この話は禅を心得た者から見れば、全くバカバカしい限りの虚言、虚構創作であることが明々白々にして容易に分かろう。
まず、隻手の音声を出した師匠が、未だ法身も会得していない者に、積み上げつつある修行を元の木阿弥に戻す様なことは絶対、口にしないからである。
いわんや「片手の音は聞こえない」などと、音がどうの、聞える、聞えないだのと分別差別の相対概念を、ここで持ち出すなど、まったくのナンセンスである。
かつ、俗世的相対固定観念に捉われたまま、未だ始末できない生煮えな禅匠がいる筈もないからである。
そして「そこが、空即是色です。1秒もかからずリアルに舞い戻していただいたそうです。」と続く。
法身が何たるかも分からないものが、1秒にしてリアルに舞い戻るも何もないものである。
よしんば、万が一そうであるにしても、まずは、無にしろ空にしろ、徹底させて、法身を会得させた後の、まだず〜と先々のことである。
証明する事にさえ苦心してるのに「片手の音は聞こえない」などと、足を引っ張るような愚劣な指導がある筈もないのは参禅したものなら承知のことであろう。
なぜポッタンがろくでもない嘘に満ちた拙話をでっち上げるのか。
それは、ポッタンの脳内で作り上げた「音が聞こえるのは色即是空まで、その後は音は聞こえずそれが空即是色である」という珍妙な屁理屈の辻褄を合わせようとの魂胆があるからに他ならない。これを嘘言の屋上屋を重ねるというのである。
ちょっと禅を齧った者にも、容易にわかる幼稚な作り話を、平然と書き込みする愚かさを繰り返すのが、ポッタン野孤禅の本領であろうか。
この様に、このスレにはポッタンの虚飾、虚言、嘘妄の作話で満ちているが、初心者は、野孤禅サンプルとしての反面教師としてならともかく、決して野孤禅に惑わされないよう、大いに気をつけて欲しいと思うのである。
- 11 :
- ポッタン禅が、いかに野孤禅なのかを指摘してきたが、最近も野孤禅のよい(?)サンプルを提供してくれている。
その中で、しばしば、不二一如の説法を垂れているので、それを紹介しよう。
最近の曰く、「二は二では無い、一の如し、バカの一つ覚えで、一如と言ってきてるよ。」
そして「視点を弱いものと同じ目線で見ることです。」 「相手とわたしがいて、相手は相手、わたしはわたしが、世間ですが、それでは、いけません。痛みを分かち合う事です。」
と、他人も私もなく一如なのだと、今度は聖人にでも変身したかのような、一見、大変結構なことを語っている。
しかし、これが口先だけのとんだ戯言なのである。
仏教に接しているものならば、五戒は知っているであろう。
その中に不妄語戒と言って、嘘言するなかれ、という人であれば当たり前な戒がある。
ポッタンは、今まで数々の嘘言や作り話で人を騙しているが、嘘言を吐くことは人の尊厳を蔑ろにするから出来ることであり、更に人を騙すのは詐欺にも等しい罪業である。
己が可愛いと思うなら、同様に他人も大切にすると思うのが、自他一如でもあろう。
また公案にしても、正師の元で、印可はおろか透過すらしていない。にも係わらず、師匠面して公案に答えよ、と人を愚弄にした書き込みを続けたりしている。
これらの例に限らず、他にも数々の愚かな行為を繰り返してきているが、これらの所業が他人にはどう写っていると思うのであろうか。
自他一如が分かっているならば、この様な行為はとても出来ることではあるまい。
更に、己が他人を慮る気持ちがないのを棚に上げ、他人には「視点を他人と同じ目線で見ること」と注文をつけている。もう滅茶苦茶である。
ポッタンの自他一如は、いかに自分に都合のよい自己中心的で、それを言うには到底、程遠い行為であるかが分かるであろう。
そもそも、己の所業による不徳を羞じる良識があれば、自他一如の説法する資格などないと思う筈である。
ところが、それを口にするのだから、すでに人を欺いていることだと分かっていないらしい。自他一如などとは、ポッタンの己自身を省みれば、安易に説法できるものではない筈である。
以前、ポッタンの言行不一致を指摘した。
この例も、いかに身につかない単なる口先だけの野孤禅ということを証明してくれている例である。
- 12 :
- 野孤禅は野孤の数だけ種類があるが、ポッタン野孤禅は差し詰め、口先禅とでも言ったところだろう。
最近、それに加えて猿真似禅(しかも幼稚的)というのを追加してくれている。
「宇宙未始前の一句をもつて来い。
宇宙が未(いま)だ始まる以前の一句を言いなさい。 だろうか。
わたしは、すっと立ち、両手を後ろにやって、羽をばたつかせながら、口では、チュンチュンと鳴く。」
と、これが「宇宙未始前の一句」の、ポッタンの「どうじゃ」と胸を張った自信満々の回答である。
どこぞの公案回答集から拾ってきた真似かは知らぬが、禅家はそんな猿真似が透る程甘くはない。
精々、化けの皮が剥れるのが関の山である。
無字も、隻手音声の公案も透過していない程度の未熟さは隠し様もなく、隙だらけの回答ですぐに正体を露呈する。
禅の本源が分からぬものが、勘違いをすると、このような、道化師のようなことをしでかすのである。
あらかじめ頭に描いたシナリオを、時と場所と状況も見極めずに、ただ演技するだけである。
如何にうまく演技しようと、所詮、猿真似は猿真似である。
猿は何でも真似をするから猿真似だが、さらに猿真似の芝居をする、これを猿芝居という。
それにつけても、この猿芝居、幼稚さはなんとかならないものか。
毎度の、お遊戯は幼稚園児並ではないか。
「すずめさんがチュンチュンとこんにちは、タンポポさんがニコッとこんにちは」が悟りだと言い、「私は払子を立てた。これが私の禅です」と語った類と同レベルのものである。
これを師家の面前でやれば 「何の演技じゃ、そんな猿芝居は幼稚園でやれ」 と一笑に付されるのが落ちであろう。
「倶胝竪指」では物真似小僧が指をチョン切られただけで済んだが、これが関羽将軍の面前であったなら、ポッタン猿真似禅師匠は首が胴体から離れているかもしれない。実に剣呑である。
ところでポッタンは人を笑わせる才能があるようだ。
三十年近くもやっている禅が、ちっともものにならず、しかも今後も見込みがないならば、さっさとイッパツ芸人に転向することを勧めるとしよう。
それとも、これからもポッタン野孤禅師匠の言動で、大いに野孤禅のサンプルを提供してくれるというのだろうか。
- 13 :
- これまで、ポッタン野孤禅の幾つかの実例を挙げて、野孤禅とはどんなものかを見てきた。
それから分かると思うが、ポッタン野孤禅は異常にまで文字語句に執着していることである。
万巻の書を読めば悟りが得られと思い込み、肥しにもならない屁糞知識を頭一杯に詰め込んでいる。
しかも悪い事に、強い自己顕示欲と虚栄心から、他人の悟りを己の悟りと偽るのである。
たとい好意的にとったにしても、頭に詰め込んだ他人の知識で悟った、と錯覚しているのが今のポッタンである。
しかし悟りの理論を組立てる必死の努力も報われず、すぐにボロが出てしまうのは哀れと言うしかない。
また、言葉に執着しているのは、2chでのレスの往来でも往々にして見られる。
ポッタンに好意的なレスには、“φ( ̄ ̄*) メモメモ、と熱心にメモをとるが、拙文(野孤禅スレです)レスのような気に入らないレスには、「内容がない」と言って批判、不満を垂れる。
どうやらポッタンは、よちよち歩きの幼児のように、アンヨがお上手と手を引いて貰いたいらしい。
小児幼稚性向はこれに限らないが、老齢による退行症状のなのであろうか、一層進んでいるようである。
そもそも、禅の本質が文字語句にある筈もないのは言うまでもない。
これが分からない様ならば、達磨が中国に渡った意も分からない。
「内容がない」と文句を垂れる前に、ポッタン己自身に禅の素質の無さを嘆いたほうがよい。
しかも先頃、ポッタンは次の様に語っている。
「法華経と言う経典を主人としてこれにひれ伏せば、こちらは奴隷である。こちらが主人公となって、法華経をこき使えば、こちらは主人公である。汝こそ汝の主人公、他の誰が汝の主人公でありえようか。」
己を知っていれば、書ける筈も無い文章ゆえ、どこからかのコピー文だろう。しかも本当に分かって書いてはいまい。
”法華経”を”文字語句”に置き換えれば、今のポッタンに、そっくり当て嵌まるではないか。
文字語句を追いかけ、振り回され、ひれ伏して文字語句の奴隷となっているのは、ポッタンそのものである。
いみじくも、ポッタン自身のことを指摘しているが如くの文章ではある。
三十年近くも文字語句に溺れている、これはもう性癖と言うべきで、自ら手に負えないようだ。
容易なことでは真ともになりそうもない。実に恐るべしである。
- 14 :
- ポッタンと川上雪担老師との過去の会話の件で、最近、ポッタンが何やら呟いている。
雪担師もすでに遷化されているので替わりに一言、解説しておこう。
ポッタン曰く「彼との会話の争点は、色即是空、空即是色だ。彼には色即是空はあって空即是色が皆無だった。そこを、悟り半分と云ってたのだが、右の耳から左の耳へとスルー。聞く耳を持たない」
まるで雪担師がポッタン野孤禅師以下の語り方である。これ程、身の程知らずの軽口を叩く、厚顔無恥の輩を知らない。
雪担師は、大事を了畢した修行底の禅師であり、仮初めにも一寺の住職で禅を布教している専門の禅家であった。
ろくに修行もせず、屁糞知識を詰込んだだけのポッタン野孤禅師匠、あなたとは全く違うんです。
当時、雪担師はポッタンが禅を知らぬ者と早くから見抜き、無師独覚とか言って、無知も幼稚すぎる色即是空、空即是色の珍釈に呆れ果てていた。
そして、(隻手の音が聞こえるまでが色即是空だとか、その後の聞こえないのが空即是色だなどと言った)愚かな観念をスパッと放り捨て、空のどん底を見て来いと、雪担師独特の語り口で説法していたのである。
その握って離さない固執した自説と、その元の我執から離れることを、色即是空で丁寧に説明していた。
我執に塗れ、空も観てないものが、やれ色即是空だ、空即是色だなどと言ったところで、所詮、青臭い屁理屈でしかない。
まずは、我執を捨て、空の空の空の空、色即是空のみ、空のどん底を観て来いと、空を徹底的に説いたのであった。
然るに、ポッタンは、その意を汲み取れず 「(雪担師は)空即是色が皆無だった」と、いかにも愚鈍なポッタンならではの戯言を言ってる。
青臭い屁理屈などいらぬ、空のどん底をぶち抜けば、全てがガラーッと一転、空即是色が観て取れるのだと言う、雪担師の親切すぎる説法もポッタンの耳には届かなかった。
それどころか「(雪担師は) 自己が立ってる地点から、一歩も踏み出そうとしなかったしできなかった。そこで分かれた。なにか彼の胸の奥にくさびを打ち込めたのか、打ち込めなかったのか」
などと、思わず失笑してしまう程、どこまでも愚か者の視点で嘯いている始末である。
野孤が禅師と同レベルにあると思っているこの野孤感覚。
普通の感覚の持ち主ならば、狂気の振舞いという他ないが、やはり、虚栄心と自己顕示欲の塊の性格異常者である。
- 15 :
- 以前、ポッタン野孤禅の行き着く先が、禅に届かぬ絶望感と人格破綻であろうと指摘したことがある。
その兆候が、すでに”雪担氏との会話”の中にあり、ポッタンの性格が異常なものであることを紹介した。
その人格破綻の進み様が、最近の書込みに見れ取れる。
まずは、ポッタンによる無門関「久響竜潭」の書込みの中に、その徴があるので、それを見てみよう。
ポッタン曰 「まっ暗闇は、昼間の明るさの中で、色は、ひとつずつが他と区別して独立している。真っ暗闇に差し出された紙燭の灯りに浮き上がってきた世界はまさにリアル、色の世界である。
ふっと吹き消された世界は、何も差別できない無分別の世界、空である。空であるから、金剛経の注釈書を積みあげ、一句を唱えて引導を渡し松明で火をつけた。」 とある。
竜潭和尚の慧敏な禅のはたらきには気づかず、読み取ることができないポッタンの非力さである。
以前の眼横鼻直での 「眼は水平に自由を、鼻は縦に主体性を表す」と同レベルの、相変わらず皮相的で字面を追い掛けた解釈と幼稚さで、コメントに値するものは何もない。
そして 「だが、(途中略)この人は、空だけを見ただけである。隻手の音声で言うところの、片手の他人がたたく拍手の音を聞いただけである。ここから空即是色へと立ち戻らなければならない」 と続く。
吹滅の因縁を、見解とはいえない屁理屈でしか捉えられないのは、ポッタンの貧粗な力量なら仕方が無い。これでは、香厳撃竹の因縁も分かる筈もない。今は一応、失笑しつつも目を瞑っておくとしよう。
ところが、「師家である竜潭和尚の力不足である。 こうして徳山は竜潭和尚の法を嗣ぐことになった、と言うことであるが、空即是色が未だ透らずである。」
と徳山、竜潭和尚の力量を、ポッタン野孤禅師匠の比ではない、と大言壮語しているのである。
野孤禅を次々暴かれ、後が無いポッタンにとっては、徳山、竜潭の両和尚をコケにし、貶すことによって、ポッタン野孤禅師匠は偉大なり、と虚勢を張りたい気持ちの裏返しである。
ポッタンは、(愚かで悪いのは、ポッタン野孤禅を理解しない世間であり、我こそが大覚者なのだ)、とカルト教祖の論理を主張したいのである。
その伝でいくと、仕舞に全ての祖師方々否定してしまうのは間違いなさそうで、自我肥大のパラノイア(誇大妄想狂)は、深く々々、人格の破綻が進行しているようだ。
- 16 :
- 前回は、ポッタンの貧粗な力量を省みずに、雪担老師、更には古仏の徳三、竜譚和尚までも貶し、悟りが不十分と豪語したポッタン、その自我肥大異常性格を暴いた。今や、その自我肥大は止まる事を知らず、人格破綻へと、まっしぐらである。
最近、頻繁に使っているのが、無師独悟(独覚)とかいうポッタン用語である。
無師なのは、本人によると、人嫌いによると言っているので、普段の幼児並性向から、異論を挟む余地は全く無い。
しかし、独悟や独覚となると、悟ったものでも憚り多くて、なかなか口にできる言葉ではない。それを機会ある度に、常套句のように喧伝しているのは、自我の肥大化がどこまで進んで行くのか、の感がある。
本人は 「決して自慢、ひけらかしていってるものでは、ありません」と言い訳しているが、額面どおり受け取るのは安直である。
その言下に「お釈迦様も、沙羅樹の下で瞑想され、暁の空に輝く明けの明星を見られて悟られたのだよ、と言っています。と言うことで、私の無師独悟は、お釈迦様と同じ無師独悟の仲間です。」 と舌の根が乾かぬうちに、本心が別にあると言っているのである。
上から目線はポッタンの常であるが、ポッタンの無師独悟は、釈迦と同様に崇高なものだと、本音が透けて見える。
形は似ているが、内容は月とスッポン、魚目燕石である。
ここまで自我肥大が進行すると、悟りなど無論、望むべくも無い。 自我清算のない悟りがあろう筈もないからである。
しかも、過去スレでは時折、坐禅などいらぬ、と本音を吐露していた坐禅修行が嫌いなポッタンである。
歩み始めた第一歩から、自我清算の方向ではなく、自我増大に走ってしまったのがそもそもの間違いで、しかも正す者のない無師が致命的であった。
三十余年間、肥しにもならない糞知識を頭に詰込むだけで、坐禅修行を怠ってきた代償は余りにも大きく、そのつけが今になって回ってきたのである。
その期間を、自己に謙虚になって、まともに修行していたならば、ここまで自我肥大化していなかったであろうし、少しは悟りに近づいていたとは思うのである。
失った時間が取り戻せる筈も無いが、自我が強大になってしまった上、高齢の今になって、自我の清算など到底適わぬ事であろう。墓場まで野孤禅を連れて行くのは仕方ない。
賢明な諸氏には、決してポッタンの様な轍を踏まず、坐禅修行に力をいれて貰いたいと思うのである。
- 17 :
- 前回は、ポッタンの貧粗な力量を省みずに、雪担老師、更には古仏の徳三、竜譚和尚までも貶し、悟りが不十分と豪語したポッタン、その自我肥大異常性格を暴いた。今や、その自我肥大は止まる事を知らず、人格破綻へと、まっしぐらである。
最近、頻繁に使っているのが、無師独悟(独覚)とかいうポッタン用語である。
無師なのは、本人によると、人嫌いによると言っているので、普段の幼児並性向から、異論を挟む余地は全く無い。
しかし、独悟や独覚となると、悟ったものでも憚り多くて、なかなか口にできる言葉ではない。それを機会ある度に、常套句のように喧伝しているのは、自我の肥大化がどこまで進んで行くのか、の感がある。
本人は 「決して自慢、ひけらかしていってるものでは、ありません」と言い訳しているが、額面どおり受け取るのは安直である。
その言下に「お釈迦様も、沙羅樹の下で瞑想され、暁の空に輝く明けの明星を見られて悟られたのだよ、と言っています。と言うことで、私の無師独悟は、お釈迦様と同じ無師独悟の仲間です。」 と舌の根が乾かぬうちに、本心が別にあると言っているのである。
上から目線はポッタンの常であるが、ポッタンの無師独悟は、釈迦と同様に崇高なものだと、本音が透けて見える。
形は似ているが、内容は月とスッポン、魚目燕石である。
ここまで自我肥大が進行すると、悟りなど無論、望むべくも無い。 自我清算のない悟りがあろう筈もないからである。
しかも、過去スレでは時折、坐禅などいらぬ、と本音を吐露していた坐禅修行が嫌いなポッタンである。
歩み始めた第一歩から、自我清算の方向ではなく、自我増大に走ってしまったのがそもそもの間違いで、しかも正す者のない無師が致命的であった。
三十余年間、肥しにもならない糞知識を頭に詰込むだけで、坐禅修行を怠ってきた代償は余りにも大きく、そのつけが今になって回ってきたのである。
その期間を、自己に謙虚になって、まともに修行していたならば、ここまで自我肥大化していなかったであろうし、少しは悟りに近づいていたとは思うのである。
失った時間が取り戻せる筈も無いが、自我が強大になってしまった上、高齢の今になって、自我の清算など到底適わぬ事であろう。墓場まで野孤禅を連れて行くのは仕方ない。
賢明な諸氏には、決してポッタンの様な轍を踏まず、坐禅修行に力をいれて貰いたいと思うのである。
- 18 :
- 以前、何処かのスレで、禅入門者が2chで真に悟りを得ている者か否かの見分け方を知りたい、という質問があった。
悟りを得ている者を見極めるのは、入門者には難しい。何をもって悟りを得ているかということからして難題である。
しかも、悟りの境地、境涯というものは、同じく悟ったものにしか窺い知れぬものである。
その上、ある者を悟ってると思っても、それは同じ境地にあるだけで、より悟ったものから見れば、未熟ということがよくあることだ。悟りに終着はなく、生涯の課題なのである。
また仏教知識を理路整然と捲くし立てるものが悟っている訳ではない。それは全くの別物である。
有余る知識を持つ理論家が悟っているのであれば、仏教学者は皆悟っていることになる。しかし現実はそうではない。
むしろ、自らの知識の呪縛にあって悟りを得られない方が多いかもしれない。
以前にも言ったことだが、知識は薬の能書きみたいなもので、能書きをいくら集めても、薬効が得られないのと同じである。悟りに知識は無用なのである。
一方、偽の悟りを見分けることは、入門者にも難しいことではない。
まず、偽者は悟りの心境にないので言葉も行為も軽く浮ついていることである。一端の理屈を語っても、こと行動や態度となると、如何に繕っても隠すことはできず、言葉について行けない。所詮、借り物の言葉でしかない。
ポッタンの例を見てみよう。彼は「区別しない」、「分別しない」と頻繁に口にする。(もっとも逃げ口上に使われることが多い)
しかし、本人はこの言葉の意味をよく承知してはいない。彼ほど区別しているものは珍しい位であるからだ。
彼はしばしば「マンゴー先生、素人Aという仏様に出会った」と語る。本人に好意的なものには、やたら諂い卑下するが、本拙稿のようなレスには、狗呼ばわりし異常なほど敵意をむき出し区別する。
また以前、何某から「悟っている」と煽てられては舞上がり、「あなたは仏様です」と手放しで喜んだ。かと思うと「勘違いでした。ポッタンは悟ってはいません」と取り消されると「あなたは悪魔のようです」と、手を還すようにコロッと態度を変えたこともある。
彼が他人の言葉に振り回され、私感情に振り回されるのは日常茶飯事であり、主人公々々々と説法するほど口程にもない。
この様に底が浅いので、言行不一致に注意を払えば、偽の悟りを見分ける簡単な方法の一つにはなるだろう。
- 19 :
- 言葉が軽いのは、偽悟り野孤禅の特徴でもある。最近、ポッタンは常套句のように眼横鼻直を説法しているので再掲してみよう。
彼の曰く、「眼は水平に自由と平等を、鼻は縦に主体性を表す」などと語っている。
しかし、この説明そのものが、眼横鼻直とは全く懸離れた迷妄の視点にあり、眼横鼻直になっていないことに気付いていない。
眼横鼻直は、彼の云う、眼が水平にどうの、鼻は縦にこうのとか、そんな分別観念を捨て、「すずめさんがチュンチュンとお早う、タンポポさんがニコッとこんにちは」などの彼我の妄想も捨て、
全ての妄念妄想を放捨して、真実在を真っ正面から受け止めれば、縦もなく横もなく、「すずめさんがお早う」とか、「タンポポさんがこんにちわ」とか、そんなものもない。
しかし乍ら、あるべきものはあるべき様に、ちゃんと納まっている。仏の世界は何も特別の世界ではなく、この真実在の世界が、即、仏の世界だという端的を、道元さんは眼横鼻直と云っているのである。
この、眼横鼻直の一句は、僅か四文字と雖も、色即是空、空即是色の一切を含み、俗世的な説明では、容易に解説し尽くせぬ手強く、侮れない一句であると云える。
ごく簡単に能書きを垂れはしたが、これを知ったところで、知的な理解に留まっているうちは、真に眼横鼻直は分からない。眼横鼻直に直参直入してこそ、分かるというものである。
然るに、ポッタンの説明は、水平だの縦だのと、悪癖悪習の二元対立、相対観念に捉われた見地で、全く仏法になっておらず、自らの偽悟りを証明している。
この観念に捉われた見方は、この例に限らず、彼の他の全ての説明について云える。
つまり、見性体験がなく無我を知らない。故に俗世的観念に捕縛されたまま、そこから脱却できない。その為に知的な理解に留まり、浅薄で皮相的な説明しかできない、と云うことだろう。
畢竟、見性体験のないことが元凶と云える。
そして、このポッタンの事例は、禅入門者へ幾つかの大切なことを示唆している。
30有余年の禅経験があると云っても、年数で悟りは開けないということ。誤った方向に進めば、後の修正は難しく、一生を台無しにすることもあると云うこと。
また、知識を詰め込んだだけでは悟りは開けず、見性の無い禅は無意味ということ、などである。
今後も、ポッタン野孤禅大師匠の偽悟り語録が続くであろうが、多いに注意して貰いたいものである。
- 20 :
- 言葉の軽いポッタン語録の中から、もう少し拾ってみよう。
ポッタン曰く「ほとけとは、さとりである。さとりとは平等である。平等とは無我である。無我とは一如である。一如とは如来である。
如来とは如である。見性とは、悟りと涅槃、現代語では平等と自由。また、無差別と主体性と言えます。禅のさとりは、一の如しですが、無分別とも言います。」
こんな能書きの類を言ってるうちは、全くの落第である。
これが30有余年間の集大成の言葉と言うのだから、実に進展の無い禅生活を送ってきたもので気の毒で哀れとしか言いようが無い。
どの師家に持って行っても、その初心者レベルの未熟さを瞬時にして見破られ、棒喝にも値しないと、追い返されるのが関の山である。
しかも、30有余年禅経験の結論です、などと言おうものなら、それだけで参禅入室を許されないのは勿論、読本は一切禁止、その上、只管の坐禅修行を命じられることだろう。
先に、ポッタンは眼横鼻直が分かっていないと指摘したが、そもそも、ポッタンは、自由、平等だとか涅槃などの仏教語を全く分かっていない。
お馬さんのケツを追い回し、取った取られただのと我欲に振り回され、我執に縛られたまま真の主人公にも会えず、二元相対の既成観念に囚われているものに、自由もなにも分かる筈が無い。
真に自由が分かっているならば、固定した観念に囚われた言葉などを繰り返し使う筈が無いからである。
また、人一倍、悪知悪覚の有無得失是非善悪などで区別する分別心旺盛で、しかも見性もない故、平等性智が発現しておらず真の平等など分かるはずが無い。
ましてや、自己顕示欲、虚栄欲、我欲など、煩悩の嵐が吹き荒れ、一瞬たりとも心休まることが無いものに、涅槃の境地などチラッとでも味わったことは無い。
そんな、言葉と心境が全く懸離れて見性も知らぬものが、「悟りとは・・・・うんたら、見性とは・・・・かんたら」と素人衆を相手に偽の説法である。
ポッタン野孤禅の正体を知った賢明な諸氏には、そんな薄っぺらい説法を真に受けることはないと思うが、
傲慢、増上慢この上なく素人衆を誑かすこの所業は、仏法を汚し冒涜する重罪であり、昔の修行僧なら、山から追放され、二度と山門を潜ることは許されまい。それどころか、簀にぐるぐる巻きにされ川に放り込まれても仕方あるまい。
いずれ地獄に落入って贖罪しなければならない罪業ではある。
- 21 :
- 言葉の軽さ薄っぺらさを指摘するのは、これまでの説明でも十分であるが、ポッタンの言説に戻って、肝心な点を指摘しておこう。
長年、肥溜め桶に漬け込んだ能書きの中から、拾い集めたのであろう。
悟り、見性を平等だ自由だなどと、頑愚なまで固定した観念に固執し、もっぱら、使い回しの草臥れた文字言句で説明しているが、そんな底が浅いものではない。
文字言句の字面を追いかけた結果、悟り、見性を、わずか数語の死んだ文字言句で定義するなど、これを死句を並べるといい、そこには禅のはたらきなど一片の欠片も無い。つまり、法が全く現われていないのである。
師家が一瞬にして、未熟を見抜くのはそこにある。
30有余年間の禅経験があると言いながら、仏法というものを未だ掴めず、法を見て取れる目も、表す力も全く付いていない。
無師独覚と放言しているポッタン野孤禅大師匠の越えられない限界である。野孤禅、まさに恐るべしである。
真に見覚めたものは、言葉で表現するにしても、直截で端的である。
一例を挙げよう。
無門関の「庭前柏樹」をご存知であろう。
ある僧が趙州和尚に「如何是祖師西來意」。達磨が中国に来た意図は何か、つまり悟りとは何かと訊ねた。
それに対し趙州は「庭前柏樹子」。ただ一言、庭先の柏の樹、と応えたのである。
これは何も、柏の樹に仏性があると言っているのでも、悟りの意味があると言っているのでもない。
柏の樹に用はないのである。
趙州の、法のギリギリのところ、悟りの端的を直截な言葉によって表現しているのである。
その言葉には、趙州の禅機に溢れた仏法が、実に活き活きと輝いている。これを活句という。
死句を並べただけの「悟りとは・・・・うんたら、見性とは・・・・かんたら」とは天と地ほど、雲泥の違いである。
また、無門はその頌の中で、「言無展事、語不投機。承言者喪、滯句者迷。」
と、「言葉で説明は出来ぬ、語れば本質の機微に触れることが出来ない、言葉を聞けば本来の意味を失い、句について滞れば道に迷う」と、言葉に執着する危うさを忠告している。
禅を志す諸氏には、書物から知識を得るにしても、文字言句の字面を追いかけて、死句を並べるのではなく、このような活句に参じるようになって欲しいと思う。
そのためにも坐禅修行に励んで、法を見て取れる目と力を、是非、養って頂きたいと思うのである。
- 22 :
- | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
||【このスレに来られた方へ】 ||
||★ここは野孤禅の本格スレです。まずそのことを充分、認識してください。 ||
||★野孤禅とはどういうものか、まともでない見本が満載です。 ||
||★ポッタン、素人Aと称するものの発言内容は、まさに野孤禅の見本といえます。 ||
||★素人Aとかいうものはポッタンの携帯黒子ですので、ご注意。 ||
||★この者達の自作自演が多々有ります。相手にならぬようご注意。 ||
||★同様に、かまって貰いたいが為のツリが多々見られます。相手にせぬようご注意。 ||
||★まじめな質問は別スレにてお願いします。 ||
||★誤って、禅の質問をしても、その回答はいい加減と思ってください。 ||
||★本スレの使用目的は、禅に関すること以外、ストレス解消、AAの練習等々、自由です。||
||★書き込む内容は、品格など一切問いません。 ||
||★あらしも排斥しません。 ||
|| 。 ∧_∧ ||
|| \(´・ω・`) いいかな・・? ||
|| ⊂ ⊂ )旦~ ||
||___∧ ∧___∧ ∧___ ∧ ∧__ ∧ ∧___| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|_______||
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〜(_( ∧ ∧( ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧ は〜い。
〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)
〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
- 23 :
- 我割れはこの世うに着て色々な眼を持つアートマン何が何だか解らなくなったブラフマン?心細くなつた時は安心画星意よね?
今見える世界はこの身が終わると身得んと言う死?書いていること意味が内蔵?途に書く私は朝になったらネタ無くても欠か無く
てはならない、なんでか人気無く無視されているのに?でも書きたいから書くのか?私は悟りの修行に熱心ではないけど悟りの
言葉好きなのか?まあ友な人が此処は沢山いる空楽しいのか?まあ今日も苦労なくネタ書けた後は一休み。人は安心画☆意野鴨
この未知は長安に続く?長安に続いていいないそれに長安なんてとっくに無くなった今は北京それに今中国に行くと危険?また
意味も無く無駄に無理に長くしている。それならWWWWWWWWWWWあれ長く安心?
- 24 :
- uni鯖 復帰!!!
~\(^-^)/バンザーイ./( )\モヒトツ\(^o^)/バンザーイ
ひとは眼が前についている位置の関係もあって前方だけが見えるシステム。
それに比べてお馬さん達は、目が横についているので、真後ろを除いてほぼ360度が、ぐるりと見える。
だから、ひとが気がつかないものに驚いて急に立ち上がり、ひとを振り落とす事もある。
前方しか見えない不自由さと、見え過ぎるゆえの過剰反応、どちらも自己防御なのかもしれない。
前方しか見ることができない人間は、360度ぐるりと見るよう、相手の立場に立って相手に成りきり千手千眼菩薩行者となる。
またF1の中島悟氏は運転席を10メートル高いところに置いたとして、全方向を見る、と言う。
周囲も見えにくいものなのだが、自分自身も観ることがむずかしい。
自己と対話する坐禅中、妄想(もうぞう)が湧く。
この妄想(もうぞう)を追いかけない事、妄想(もうぞう)を継がない事が大切である。
妄想(もうぞう)とは、無い事を有ると思い、有る事を無いと思う、転倒(てんどう)である。
妄想(もうぞう)は、何処から湧いてくるのか。
あれが欲しい、これが欲しい、と言う欲である。
また、我執(がしゅう)執着となる。
こころは、ころころ、瞬時に変る、この暴れ馬を制御する、これを坐禅と言う。
諸行は無常である。
また、涅槃とは、火が静まった事を言う。
涅槃寂静、である。
死に臨(のぞ)んで、「この世は甘く美しい」と祖佛は、言う。
生まれたら、死んでいく人間、今こそ、自己を語れ。
- 25 :
- 蜘蛛の糸 - 24:00
http://www.youtube.com/watch?v=qpIBmiPtMgc&NR=1
.杜子春 - 23:57
http://www.youtube.com/watch?v=c4AX9yEJpUA
.5代目古今亭志ん生『そば清』-rakugo- .14:18
http://www.youtube.com/watch?v=erkncMqD5EQ
そば清 馬生 - 27:37
http://www.youtube.com/watch?v=DZTV75IbKpc
志ん朝 『そば清』 rakugo - 36:59
http://www.youtube.com/watch?v=ECUDxO-gp3c
落語 「そば清」 桂文治(11代目) - 23:14
http://www.youtube.com/watch?v=QBoR6p8yTeU
「坊主の遊び」古今亭志ん朝 - 29:15
http://www.youtube.com/watch?v=LXBtcXB8sU8
馬生・志ん朝 - 125件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=a-7KPGT93no&list=PL5BBC7218777DFD00
- 26 :
- インドの神話「始まりにおいて、この宇宙は人間の形をした自己にすぎなかった。かれはあたりを見回したが、自分以外に何も
みなかった。それでかれはこう叫んだ。『私は彼だ』。そこから『わたし』という名が出てきた。今日でも人が話しかけるとき
かれがまず『わたしは』といい、それからかれが世間に通用している名前を告げる理由はここにある。かれは恐れた、これが人
々の一人でいるのを恐れる理由である。かれは考えた。『しかし私はなにを恐れているのだ。わたしの外にはなにもないのだ』
それで彼の恐れは消えて去った。彼は不幸だった。これが人々の一人でいると不幸である理由である。かれは仲間を求めた。彼
は抱き合っている女と男ほどに大きくなった。彼は彼自身であるこの身体を二つの部分に分けた。そこから夫し妻が出来た。・
・そこで人間の身体は(人がその妻と結婚する前には)割れたえんどう豆の片割れに似ているのである。・・かれはかの女と結ば
れた。そこから人間達が生まれるのである。かの女は考えた。『どうやつて彼は自分から私を産み出したあと、私と結ばれるこ
とが出来たのか。いいわ隠れてみよう』。かの女は牝牛になった。かれは雄牛になつてかの女と結ばれた。これから牛が生まれ
た。かの女は山羊になった。・・・こうして彼は蟻にいたるまでひとつがいで存在するあらゆるものを作り出した。こうして彼
は解った。『たしかに私は、私自身から創り出すものである。なぜなら私が全世界を創り出したのだから』そこで彼は創造と呼
ばれた。」固体と大宇宙の生みの親との恒久的な基層は以上の神話によれば一にして同じ。・創造主が「自己」と呼ばれる理由
- 27 :
- 師匠何でか欲わからんけど、待つ暗な中適当にぼおつとしていると何も思わず
数字いやネタが出てきて?適当に大当たりとなる。兎に角博打はよく出さないで
何も考えず適当にすれば当たり前になるのだけど宗教も同じくまあええか当たり前だ
でも損な現代社会では常識も身に付かず失敗多し?少しはマトモに慎重に考えよう
- 28 :
- 皆さん、お早うございます! (^人^)
- 29 :
- >>27 素人A さん
博打、
そうだね、ギャンブルだね、競馬。
人馬一体、
一の如し
馬は騎手と言う重い重い斤量を背負い、全力疾走をする。
騎手は、馬になるべく負担をかけないよう、馬の走りに合わせる。
競争馬のエンジンとも言える心臓は、走り出したらすぐ最大値を出す。
馬は、美しいんだよ。
- 30 :
- >>28 きっちゃん
オハイオ(*^o^*)オ (*^O^*)ハ (*^。^*)イオー!!
- 31 :
- Experience through WW2 Asian History - 175件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=inE1DSH0jrk&list=PL932172E07D9B5774
- 32 :
- 存在とは、無我です。
だから、一色(いっしき)に観えます。
一色に観ると言うのは、一の如し、一如です。
これはさとり を言ってます。
言葉で説明せよ、と言われれば、こういう風でしょうか。
- 33 :
- >>ポッ,ごろ寝,タンさん
> 存在とは、無我です。
ええ!?
禅仏教は、我が存在と思う者に無我を説き、無我に定見する者には空病の陥穽を説くのでは?
アナタは禅にしては異色ですよね。
一の如しだ無我だと一色たにしてませんか?
- 34 :
- >>33 たろ さん キャーッ(( *~∇~)从(^-^*))オヒサッ♪
存在とは、無我です。
> ええ!? 禅仏教は、我が存在と思う者に無我を説き、無我に定見する者には空病の陥穽を説くのでは? アナタは禅にしては異色ですよね。 一の如しだ無我だと一色たにしてませんか?
存在とは、法 と訳されますね。
ほかに、法は、真理とも訳されます。
この場合の法とは、存在です。
そして、色、です。
この場合の色とは、色即是空、の 色です。
色即是空 の色とは、物質です。
ひるがえって、「 存在とは、無我です。」とは、色即是空を言い換えたものです。
色即是空、空即是色は、真理、さとりです。 法、ダルマです。
ちなみに申し上げますと、「色即是空、空即是色」は、この八文字でわたしのお経さん、です。
この お経さんは八文字で、とどのつまり、万巻の仏教聖典です。
もうひとつ わたしの体験で云えば、色即是空は「片手のひとがたたく音を聞いた」、です。
また、「片手のひとがたたく音は聞こえない」は、空即是色です。
色即是空、空即是色は、さとり、です。
色即是空、空即是色は、万巻の仏教聖典です。
- 35 :
- air lines - 61本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=trWKd76ctUM&list=PL60F636EE28F6A098
- 36 :
- > いや、だから死なんて存在しないんですよ 人間が勝手に定義しているだけですよ
> 単細胞生物を主体と仮定してそれが活動を止めた時を死ということにしましょうぜってことでしょう
> 人間が我を主体とした時のみ人間は死ぬのであって。主体とみなさない場合は死ではないんですよ
> 故に釈迦は無我と言ったのでしょう。』
(_△_;〃 ドテッ!
おしゃかさま ご自身は、無我とは申されていません。
縁起の法を説きたまう。
縁起の法とは、
これが有るから、それが有り、
これが無ければ、それが無い。
現在的に言えば、きわめて自然科学者的態度で臨まれました。
単細胞生物の次世代を残す方法は、ひとつの細胞、単細胞が二分裂して1個が2個に分裂していくという事です。
どこに死がありますか?
- 37 :
- John Lennon, Mariah Carey & Christmas Songs - 100件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=MBagqdscIdQ&list=PLFA42681075C25EE9
- 38 :
- .Mariah Carey - 100本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=lijd3ybUOg4&playnext=1&list=AL94UKMTqg-9AC2fXycLJad2ULdT-Rr73t
- 39 :
- まえなめなめさんが貼った聖者くらい穴のなかで食い物と飲み物だけで修行して聖者様と崇められたのがあったけど?そういえ
ばなめなめさんこの頃見かけないけど如何しているのだろうか?元気だといいのだけど。聖者はやつぱり食う心配もなく煩悩にも
関係ない孤独な環境でも平気な無思考が基本なのか?私は是でも寂しがりやで孤独な環境は耐えられない。何も考えないのは誰に
も負けないのだけど一人ぼっちで静かな時は妄想するしか無い。ブラフマンも妄想して世界が恥まつたのか、ブラフマンをお釈迦
さんは困難矛盾だらけの正解を作ってとか?ブラフマンは叱られたのかよくわからん?でもブラフマンが妄想止めたら世界は消滅
する妄想の真がも無くなる?なぜ正解が無いほうが正解なのか?ヨーガの瞑想も考えるのを止めるために考えるのだとか適当な事
言うし?でも基本は制感なので貼りなおすかで制感。あとぎょうねん如雨露?三昧と?それは妄想では無い?内よくわからん
まあ曹洞宗の坐禅は制観になっているのか、私は相当に坐禅いや椅子禅をサボり続けて心見るいや試みる修行は仏まかせでまあ欲無い
- 40 :
- 最近抜け毛が酷くなって来たわよ!
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org3862435.jpg
- 41 :
- >>40
知らんがな。
- 42 :
- >>40
しらんがな。
- 43 :
- 禅語百選 百尺竿頭一歩進む(無門関第46即)百尺とは長さには関係ありませんとにかく高いポールのてっぺんの先「上求菩提」
という悟りを求める向上の過程の絶対境で「孤峰頂上」ともいいます。積む上にも積んで修行しなければ容易に到達し得ないと
ころですここまでゆくのも大変です。しかし此処にも留まっては行けないと長沙禅師は「百尺竿頭に坐する底の人、然も得入すと
いえども、未だ真為さず」と戒めます。「釈尊も達磨も目下修行のまっ最中」だと戒めます。??
でまだ進まないと行かんのか?要するに偉くなって下る事が出来ず下らないと何時までも悟を餅続ける事をいうらしい。下る努力
の修行は気合も入らず難しいのか?一度偉い眼に会うと大変だ?私の付け足した後半のネタが下らな過ぎる?私は全然登つてない
わたしは少しは上りなさい?努力努力骨骨渇?
- 44 :
- 駒は周りが回って動いているから心は困らない。色即是空 空即是色で一人前
迷っても芯空画があると思えばまあ良いか、そういえば孝子師匠は変わっていく
ものの中に永遠があるとかなんか言つていた。駒は不動芯我あるのから駒らない?
密教画の輪廻転生の曼荼羅の駒も中心にお釈迦様が不動の坐禅して廻りはまあ色々
なまあよい世界画あるとキャンベルさんが言っていたつけ。ぽつ師匠は色即是空は
空即是色と返すと鬼和尚はうんそうじゃと帰すし、私はダラダラ書くばかりだし
まあよいか。色々有るカラーアートは輝いて?まあよいか何かイライラまあよいか
- 45 :
- >>39
>>43-44 素人A さん
なめ さんは、心臓の持病をお持ちの様子。
2ちゃんねるにカキコがないのは心配だね。
世に、孤独死と名付けられた死がある。
これは第三者から見たら、孤独死となる。
本人からは、社会からの断絶、孤立死である。
人間とは、社会関係の存在である。
孤立死は、肉体が死ぬ前に既に死んでいる。
全宇宙が在って、地球が在って、すずめが、わたしが、在る。
坐禅が、公案が、有る無しに関わらず、まず、わたしがある。
おしゃかさまは。死にのぞんでことばを残された。
自灯明、法灯明。
自己を、真理を、たいまつのほのお としておこたることなく修行しなさいよ、と。
- 46 :
- 戦争ー62本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=TP8pDuiuNs8&feature=bf_next&list=PLD6784DA751E469B2
- 47 :
- なめ さん 連続カキコ、あり!!! よかった C=(^◇^ ; ホッ!
悟りを開いた人のスレ の避難所 22
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/8276/1348287392/
- 48 :
- 相変わらず、寝グソ垂れ流し止まらぬナアw
エア悟りの寝グソ垂れ流し放題が自慢てかw
- 49 :
- >>48
(ノω`)ププププ━━━━━━ッ
- 50 :
- 100 Chillout Classics The World's Best Chillout Album Part 2 3:31:41
http://www.youtube.com/watch?v=tGEXD-xLp_0&feature=relmfu
- 51 :
- 知能段階点 IQ
知能を5段階ないし7段階に分けて表示する方法。
あまり精密な結果を出さない方が良い場合などに用いられる。
ウェクスラー式とビネー式では分類基準が異なる。
○ 知能段階 ウェクスラー式IQ この段階の割合
非常に優れている 130以上 2.2%
優れている 120?129 6.7%
平均の上 110?119 16.1%
平均 90?109 50%
平均の下 81?89 16.1%
境界線 70?80 6.7%
知的障害(認知症を含む) 69以下 2.2%
○ 知能段階 ビネー式IQ ビネー式ISS この段階の割合
最上(最優) 141以上 75以上 0.6%
上(優) 125?140 65?74 6.1%
中の上 109?124 55?64 24.2%
中 93?108 45?54 38.2%
中の下 77?92 35?44 24.2%
下(劣) 61?76 25?34 6.1%
最下(最劣) 60以下 24以下 0.6%
- 52 :
- 古い写真から見つけた日本女性 . - 3:01
http://www.youtube.com/watch?v=i9-nlpjMmiI
- 53 :
- 日本人7人が死亡してしまった。
痛恨の極みであります。
- 54 :
-
いわゆる黙照禅は中国風過ぎますし、
白隠の禅こそ日本風の確立と言えます。
- 55 :
-
坐禅ノイローゼというのもありまして、坐禅のし過ぎで
白隠さんなんかはノイローゼというか、気が狂ったようになったしまった。
その禅病回復譚も、「夜船閑話」に詳しいわけです。
- 56 :
-
「内観の法」と「軟酥の法」は白隠さんが白幽子さんから授かったという
ことになってますが、
重症の禅病やノイローゼの方には試して頂きたい方法であります。
- 57 :
- なめなめさんお元気なようで人安心。やつぱり頭と心臓は心に繋がっていて精神にも作用する。修行してレベルが心臓に上がれば
空しい気持ちになり、何か足りない?そういえば煩悩が不足しているから空しいのか?でも3廻り半の蛇に帰りたいけど気合も
入らなくなるの鴨。精神的というより体が僧なるのか?拙い拙い引き返さなければと思っても胸がすぐ苦しくなるし盲まええ進む
しか無くなるのか?なめなめさんも修行しすぎたのかよくわからんけど、前やまちゃんが心臓と脳に気をつけようと言っていた。
やつぱりなんその法や小廻天で基礎を固めてからでは無いと行かんのか?気をコントロールするなんその法を身に付けて行けば
大丈夫か。.軟酥(なんそ)の法
軟酥の法とは、内観法と同じく、自己暗示によって潜在意識を変えさせる精神療法である。卵ぐらいの大きさの軟酥の丸薬を頭上
に乗せたとイメージする(酥とはバターのこと)。丸薬が頭上から足の裏まで流れ込んでくると想像する。 方法
軟酥丸は、清い色をして、よい香りがする実に素晴らしい丸薬である。これが頭全体を潤し、ヒタヒタと水が浸透するように下り
てきて両肩、両上肢、R房、胸、肺臓、肝臓、腸、胃、背骨、尾骨まで潤すと観想する。軟酥がここまで下りてくると、すべての
内臓の疾患や腹部の疼痛が消失する有様が水が流れるようにはっきり分かる。さらに軟酥は両下肢を温かく潤し、足の裏まで到達
するとその流れは止まると観想する。ちょうど、名医が香りがよく、病気にもよく効くいろいろの種類の薬剤をお湯で煎じて桶に
一杯入れ、自分の両下肢をその中に漬けていると観想する。http://homepage2.nifty.com/uoh/hosp/22hakuin.htm
- 58 :
- クソする場所は無分別じゃwぼったん尊師はそのように思うはずじゃw
寝グソはパンパースをつけると便利じゃw
無分別に寝グソできるぞw、
寝グソはさとり、根グソはほとけ、コンビニ禅じゃw
- 59 :
- 人間とは、ぼったん寝グソ脳による社会関係の存在である。
寝グソ無分別故に孤立死は、肉体が死ぬ前に既に死んでいる。
寝グソ脳全宇宙が在って、地球が在って、すずめが、わたしが、在る。
坐禅が、公案が、有る無しに関わらず、まず、わたしが寝グソ無分別である。
おしゃかさまは。寝グソ死にのぞんでことばを残された。
寝グソ自灯明、寝グソ法灯明。
寝グソ自己を、寝グソ真理を、たいまつのほのお としておこたることなく寝グソ垂れ流し修行しなさいよ、と。
- 60 :
- 自己陶酔の激しい寝グソ連投垂れ流しが最高の修行なのじゃw
ぼったん尊師につづけっ!!!!!
- 61 :
- 禅・瞑想・観想
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11908/1356476242/l50
- 62 :
- .幻の映像 1923年関東大震災衝撃映像 −7:24
http://www.youtube.com/watch?v=s46RFPNBG1s
- 63 :
- 幻の衝撃のぼったん、エロAA200回連投
- 64 :
- >>56-54
隻手の音声に参じたわたしは、そのコテ、どうしたものか。。
- 65 :
- >>57 A ちゃん
name さん
急にカキコ
それに大量だし
逆に寝込んでいたんじゃないだろうか、とも思った。
- 66 :
- .富士山噴火 - 9:33
http://www.youtube.com/watch?v=b5wD6Pzxr-k
- 67 :
- 禅語百選 把手共行 手を把って共に行く 仏の実在を信じ、そのおしえを学び、ともに手をとりあって人生を旅する仲間を
同行と呼び同朋と懐かしみます。四国遍路や西国巡礼の旅人たちは、たとい一人旅であっても「同行二人」と笠に記します。
自分以外の一人は弘法大師であり観音様です。禅者はこの同行を特に、どうあんと呼び習わしています、同行は師となり先輩
となり友となって、影と形のようによりそって修行にはげみます。つくしんぼうのように、どこか見えないところで、こころ
とこころが繋ぎあっているのです。人間と人間だけが「手を把って共に行く」のでなく、ほとけと人間、ほとけとほとけが、
ともに手を把りあって旅をつづけるのです。ほとけと修行者は、横に並んで歩くときもあり、前後になりあうときもあります。
同行は現実に同行する友だけではあのません。苦悩にあえいでいる自我の心の奥底に潜んでいるもう一人の友でもあります。
彼の名を自己といいます。人間とは現実の感性的自我と、本質的自己の同行の二人の存在です。感性的自我がどのように醜悪
でも、その心の奥底で清浄な同行の本来的自己が凝視していると信じるのが、禅の人間観です。信心です。この同行に出あつた
人を「さとつた人・めざめた人」といいます。ともに手をとりあう善友のあるのは幸いです。心中に信ずる同行のあるのは、
さらにさいわいです。・・ ?どうのこうのひとりでぶつぶつ言うのもまあ良い旅なのか?片手の人のどうのこうの?
ミストラル http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=TEJBjeLyYm4
- 68 :
- .Swan Lake Ballet - 2:12:58
http://www.youtube.com/watch?v=6LKyWPmtX7Y
.Tchaikovsky: Swan Lake - The Kirov Ballet - 1:55:42
http://www.youtube.com/watch?v=9rJoB7y6Ncs
Top Tracks for London Festival Orchestra - 100件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=UYW6lp3oFHs&playnext=1&list=AL94UKMTqg-9DpdiaEDUtQR80Ez45BA1Uh
- 69 :
- >>67 素人A さん
>把手共行(はしゅきょうこう) 手を把って共に行く
(-人-) 南無
祖佛祖師方と供に、この一本道を歩む。。
これは 悟後 の風景ですね。涙です。
同行二人(どうあんふたり)
- 70 :
- 銀行の魔法 - 3:38
http://www.youtube.com/watch?v=rjxzN_PmXxE
- 71 :
- >>70
人
(´・ω・)/ コテを変えたの?〜♪
( \ )
( )
 ̄T ̄T
人 変えたのコテを?〜♪
\(・ω・`)
( / )
( )
 ̄T ̄T
- 72 :
- 無門関十六鐘の声とケサ 雲門がいう、「世界はこんなに広いのに、なぜ鐘の声がするとケサを着るのだ?」
無門がいう---------いったい禅の修行には、声や色に迷ってはならぬ。たとえ声にみちを悟り、色に心を知っても、大したこと
じゃない。そんなことより、坊ずは声や色を乗り越えたら、物ごとがよくわかり、うまい手がうてる。それはそうだが、ところで
声が聞こえてくるのか、耳がそっちへ行くのか? かりに声も静けさも忘れたら、その時の話はどうする? 耳できいてもわか
るまいが、目で聞けばわかるのだ。?? 私達は僧じゃないし?でも同じ立場なのか盲用があるしまあ様もある馬車馬車と
者張り中で不自由に意図大変な思いで自由が内。適当に生きているから意図の絡み合いで何いいたいのか、でもからまなければ
一筋の糸駄空、でも色々とカラー無し、珠には自由に山の上空町町を見下ろして威張りたい、みんなさんまあようやつていると
さあ将棋サイトへ移行
- 73 :
- >>71 きっちゃん
コテを変えたの?〜♪ 変えたのコテを?〜♪
凹○コテッ
緋寒桜
http://www.youtube.com/watch?v=haLlZK5cr7I
- 74 :
- >>72 素人A さん
>無門関十六鐘の声とケサ
「食事を告げる鐘の声がするとケサを着てそそくさと部屋から出て来るのだ?」 』
いや、見事だ、この和尚。
坐禅と同じで。一本道だ!
妄想(もうぞう)する事が、一切、無い。
すごい!!!
- 75 :
- .真山仁 バブル、リーマンショックとは何だったのか - 1;27:42
http://www.youtube.com/watch?v=WowPzRTjM2s
- 76 :
- >この世ははかない
と、聞いて思う。
確かに、おっしゃるとおりである。
いつのまにやら、生きた者のみを話し相手にしてきたはずの世界の諸宗教が、死者をとむらい、その手間賃として望外な金銭を受け取って妻子と暮らしている。
これは、冠婚葬祭業である。
宗教では無い。
>この世ははかない
たしかに、墓が足りなくなってるらしい。
- 77 :
- .日本海軍・予科練「食事」 - 2:21
http://www.youtube.com/watch?v=TdiPaHZ4_GQ
日本海軍「軍艦旗掲揚」 - 1:15
http://www.youtube.com/watch?v=7-JSNohyhu8
.戦艦長門 - 5:13
http://www.youtube.com/watch?v=vem5iVILnOQ
.戦艦 長門 - 6:26
http://www.youtube.com/watch?v=ZeIGzt7sHcU
.戦艦 榛名 - 7:30
http://www.youtube.com/watch?v=My9bLJfml9s
.戦艦武蔵の最期 . - 9:30
http://www.youtube.com/watch?v=bhADaK7BwFU
.戦艦大和・その栄光と終焉 .日本海海軍の象徴としての?.. - 17:28
http://www.youtube.com/watch?v=uc9JHQJ0f3s
今甦る 戦艦大和 - 19件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=5xqAJz1oxy4&list=PLD960FE6D1F128596
大戦 大和魂 - 29本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=evC_UP-J6ME&list=PLCD704BCC20BA53A2
日本-台灣 - 44件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=y_D3tWILNEM&list=PL7357BA8E2D7A5AAD
Experience through WW2 Asian History −176本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=jLdX2ngSepY&list=PL932172E07D9B5774
親日の国 - 15本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=r8qLYR3-9Lg&list=PL7F7C0F4BC29BF5A8
海外(親日国など) - 43本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=cTRfPNEPR-A&list=PL66DD0C72B50B53A6
I'm proud to be Japanese!! - 90本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=L6HXwT6fPtk&list=PLC4209505CA6B6893
歴史 2 - 83本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=XvcqJ4iptlY&list=PL2F4F728F2882D9DC
日本刀 The Samurai Sword −21本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=xg5YmyxlO_U&list=PL01366CA1A2F13A3E
- 78 :
- >>74
ポッタンさんは、なにも分かってないですね。
- 79 :
- > 裸一貫なんにも持たずに生まれてきた
だめだね、そんなことでは。
お礼に差し出すてぬぐいの一本でも持ってアリガトウゴザイマシタ、と言いながら生まれてこなくちゃ。
I'm proud to be Japanese!! - 90本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=L6HXwT6fPtk&list=PLC4209505CA6B6893
- 80 :
- >>78 名無し さん
> >>74
> ポッタンさんは、なにも分かってないですね。
そうです、分けない事、分別しないです、わたしは。
あなたの、自己を語ってくれませんか。
- 81 :
- .明治の大相撲 梅常陸時代 - 2:42
http://www.youtube.com/watch?v=QnsyaqNdL2w
.日本一の巨人力士 大空武左衛門 - 3:35
http://www.youtube.com/watch?v=hismuUyeqIQ
.【横綱伝】 不知火 列伝 - 8:58
http://www.youtube.com/watch?v=HsTT9DKLRQY
- 82 :
- >>81
Pたんだよね・・・。
新スレおめでとうございます・・・。
シコシコ自己満足といわれるポッたんと安堂、
自己満足する自己は何処へ?
自己がないから満足だけが残ったのだった・・。
- 83 :
- >>82 Ann ちゃん
> シコシコ自己満足といわれるポッたんと安堂、 自己満足する自己は何処へ? 自己がないから満足だけが残ったのだった・・。
満ち足りている。。
過不足なし、と言うことだろうか。
自己が無い、
あれれ、自分が無いよー
スゴイヤ(*^o^)//・:*:・゜★.。・:*:♪・゜☆ パチパチパチ
三島由紀夫 - 28本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=O-Xoht_aeI0&list=PLC7A3F60049AB85BC&index=1
- 84 :
- >>83
自己が無い
あれれ、自分が無いよと
言う自分がないんかい・・・・。
無我とは真理なり・・・。
- 85 :
- 本章の委員
ポッとゴロ寝たん────スレ元首。見性禅者。
素人A────ポッたんに師事する随想者。
野狐禅スレです────反ポッたん超過激派。
基地子菩薩────基地外的阻害者。
太郎────禅者。
白隠慧鶴────禅病者。
チワワ犬改名本名・だいおう────反ポッたん超過激攻撃派
暗道────ポッたん勤皇派
- 86 :
- >>85 Ann ちゃん
>無我とは真理
と言ったばかりなのに、
スポーツ - 192件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=TyOCSg5R-yw&list=PLE039413A504B6BDE
- 87 :
- >>86
おやおや、
悟りなんか無いというのも
また悟りだと・・・・とでも言う塩と味噌的paradoxになってしまったのです・・・。
なんと頼もしい禅者たちが溢れていることでしょうか!
- 88 :
- >>87 Ann ちゃん
味噌塩さんが?
悟前のひとは、さとりを求めますよね。
悟前のひとには、さとりはあるのです。
さとったひと、悟後のひとは さとりを求めないので さとりはありません。
そう言う事を云ってます。
ドキュメンタリー(朝鮮韓国・在日問題)#1 - 195件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=wq3PpeMbfrY&list=PLA70C7263F7E252C3
ドキュメンタリー(朝鮮韓国・在日問題)#2 - 108件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=dO3IBxOIzhI&list=PLQA9j-xXbLJKkPGoaptHYxfklh_je8hEz
- 89 :
- つ http://i.imgur.com/cHHxv.jpg
- 90 :
- 全全禅的な事が書けなくて用があるとか仙道さんがとか孝子師匠とか?今日は相当に曹洞宗の道元したの心身学道のコピーだ
・・平常心とはこの世界化の世界という区別なしに、いつでも平常の心である。過日はここの平常心からさり、今日はこの平常
心から来ている。去るときは天地全体がさり、来る時は天地全体が来る。これが平常心である。平常心はその平常心の中で開閉
している。無数の門戸が同時に開閉しているから、それが平常心である。いまここに天地全体というのは、意識に上がって来な
い言葉のごとくである。突如として大地に噴出す一声の如くである。しかしそれだけではない。日常の言葉も心も事柄も等しく
意識に上がってこない。さらにこの生涯のあいだ、刹那刹那に消滅しているけれども、成仏の最終身までいかなければ、そのこ
とも知られ無い。しかし知られないけれども菩提心を発すれば必ず菩提の道に進むことができる。すでに菩提心が発しているの
である。さらさらに不審に思う必要はない。しかしたとい不審に思っても、それがすなわち平常心である。第二に学道というの
はからだで学道することである。この生身のまま学道するのである。からだは学道から来ているのであり、学道から来ているの
は、すへてこのからだである。尽十方界がまさしく一小個の真実人体である。生死去来していることが、そのまま真実人体であ
る、この身体を動かして十悪をはなれ八戒をたもち三宝(仏・法・僧)に帰依して家をすてて出家する。それが真実人体である。
そういうわけであるから、このからだを真実人体という。後進のものはけっして自然主義の外道に同調してはいけない。
- 91 :
- 私の所に大川さんの不滅のなんとかという本が無料で送られてきた。無断だけどただだしまあ読むかで、
内用は前呼んだ高橋さんのなあねで三分で一読み、結局死んでも霊我あるの一言で住む後は大川さんは
凄いんだあだけ?あれ私も脳死しても私は残るとか言っていたし自慢もしていた。気まずい雰囲気がでも
私のほうが人はよいし頭も固くないし駄洒落も出るし、でも大川さん面白くも無いし全部が出鱈目では無
いけど、なぜなら大川さん各宗教の読んだ本のあちこち写しているだけ、あれ私も拙い雰囲気になつたけど
なに言いたいのかオリジナルティが無い。才能の無い大川さんだけど何かの役に立っているの鴨と思うまあ
害が無い程度に政治的に頑張れ場、どうせ当選はしない程度の幸福なら。
- 92 :
- 81:(*^^*)ポッとゴロ寝,たん ◆PottancCb.
前のコテの方がいいね.笑
- 93 :
- >>88
> 悟前のひとは、さとりを求めますよね。
> 悟前のひとには、さとりはあるのです。
>
> さとったひと、悟後のひとは さとりを求めないので さとりはありません。
『悟った人は悟後の人、悟り以降の人は悟りを求めない』などの執拗な主張は口頭のシロモノですぜ.笑
そんなとこからウンヌンカンヌン、無我だなんだと言ってみても
結局レスする側の心境が文面からわかり、穴ぐらに住んでるコトがわかるなら、PUZZLE的なやり取りで勝ったとこで意味ないよ.笑
>>83
> 満ち足りている。。 >
> 過不足なし、と言うことだろうか。
そのわりには落ち着きがないね.笑
- 94 :
- シコシコモンキー亡者ぼったん、
彼の前世と来世はシコシコする檻の中のモンキーだw
檻の中でRーしながら檻の外の凡夫ども、俺は悟っているのだぞ、と自己陶酔するモンキーぼったんw
- 95 :
- 「私が火を付けた」福岡市の崇福寺火災で修行僧を逮捕
「私が火を付けた」福岡市の崇福寺火災で修行僧を逮捕 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
福岡市博多区にある旧福岡藩主・黒田家の菩提寺(ぼだいじ)、臨済宗「崇福寺」(宇佐見宗玄住職)で
今月9日、放火事件があり、福岡県警捜査1課と博多署は20日夜、寺の修行僧、永田秀明容疑者(26
)を現住建造物等放火容疑で逮捕した。
永田容疑者は「私が火をつけた」と認めたうえで、「日ごろのうっ憤がたまっていた」と供述しており、
県警は寺での生活に不満があったとみている。
調べによると、永田容疑者は9日午後9時10分ごろ、住職が生活する隠寮(いんりょう)北側の掃除用具
置き場に火を付け、隠寮と書院の計3棟約700平方メートルを全焼させた疑い。
永田容疑者は修行僧11人のリーダー的存在で、ふだんから1人だけ別の場所で座禅をすることがあった。出火
当夜も、他の10人は本堂で座禅をしていたが、永田容疑者は別の場所におり、火事に気づいたふりをして119
番通報していた。
(2005年5月21日1時40分 読売新聞)
- 96 :
- >>80
> そうです、分けない事、分別しないです、わたしは。
え!?いい歳して分別心を持たないなんて、許されざる所業ですよ。
ワケハナイなんて。そんな方向性はキケンでっせ.笑
分けないとか言っておいて、私は
とか。ギャグでしょう
- 97 :
- >>95
しょうもない貼りつけすな
- 98 :
- >>88
悟前だろうが悟後だろうが、
悟りとは悟り自体になれば悟りなしです・・・。
悟りでなくてもね・・・、
ぴったりとその何かになったら、
その何かは消えちゃうんです・・・。
どこいたんだべ?ってなる・・・。そいうもんです・・・。
- 99 :
- 酒を前にしては歌うべし
人生いくばくぞ
たとえば朝露のごとし去りゆく日々はあまりに多し
昂ぶる心は昂ぶらせよ
憂いは忘れがたし
いかにして憂いを解かん
ただあるは酒のみ
月は冴え星は稀烏鵲南に飛ぶ
三度木をめぐり宿るはいずれの枝か
山は高く水は深きもの
周公旦は客人を重んじ天下は心を寄せた
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