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戦国大名の経済力 3


1 :2010/03/04 〜 最終レス :2013/01/30
田舎大名の大内なんかが1番経済力を持っていたなんてうそ臭い
戦国大名の経済力について資料を持っている人は詳しく教えてくれ。
■過去ログ
戦国大名の経済力
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1154686672/
戦国大名の経済力 2
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1235291839/
軍役や軍政は関連スレでどうぞ。
【一領具足】戦国時代の兵農分離【郷士】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1267337010/

2 :
>>1
前スレ
>>984
>>994
同意
0か100かって程でもないが極端な人間がいるな

3 :
織田厨ふぁびょんなって
>>1

4 :
ファビョらずに冷静になろう

5 :
              __ __
              ,ィミ川彡三ヾ三\
              {三{※}三}三ll三 }
            _ヽ彡川ミノ三レ勿/__
          ,ィミ川彡三ィミ川彡三ヾ三\
         {三{※}三{三{※}三}三ll 三}
       __ヽ彡川ミノヽ彡川ミノ三レ勿/__
      ,ィミ川彡ヾィミ川彡ヾ,ィミ川彡三ヾ三\        っ
     {三{※}三{/ ,二二、\{※}三}三ll三}   ∧ ∧  っ
       ヽ彡川ミノ/ /\ | /ヘ ヽll.ミノ三レ勿/    (´・ω・`)  乙です
    I二二二二二| |―‐((_))―| |二二二二二二I二○==○  年貢を納めに来ました
           ヘヽ/ | \,/ /         〈_ノ=レ'
  ( (        \二二二/          (_vノ (_y)

6 :
年貢といえば、室町時代までは年貢は、各農民が戸別に領主、もしくは荘園主に納めるものだった。
村によって年貢がまとめて徴収される村請は、戦国期くらいから、惣村の発展とともに広まった。

7 :
>5
前スレでもちょっと気になってたけど、
大八車が使われるようになるのは江戸時代から。
一説には明暦の大火(1657)の後の江戸の復興時に発明されたとか。
織豊時代までだと、牛車なら畿内以西ではそれなりに使われていた。
大津や鳥羽から京都まで、木津から奈良までの車借が有名。
>6
「村請」だと庄屋がいて村全体で連帯責任な江戸時代のシステムが思い浮かぶ。
戦国時代だと「地下請」「百姓請」「惣村請」といった用語のほうが良さそう。

8 :
荷車なんて紀元前から世界中にあったのにw

9 :
坂道や多雨で泥濘と化す日本では、車を活用するに必要なインフラ整備は膨大なものがある
それこそ大消費地への輸送でないとペイしない

10 :
ペイもなにも、百姓が年貢を荷車に載せて引く
どこに無駄がある?

11 :
>>7
戦国期も村全体で連帯責任だろw
どうしても言い換えたいなら地下請がいんじゃね、語呂いいし
惣村請は一揆の香りがしてちょっと違う感じ

12 :
>>10
年貢運ぶ日なんて天気が良い日でしょ
それに駄載が基本

13 :
つーか>>7はなにか勘違いしているようだが、それまでも日本で荷車は普通に使われていた。
江戸期には大八車と言う、車台の大きさが8尺と規格化された荷車が普及するようになった、ってだけの
話だぞ。

14 :
輜重輸送や大砲運搬に荷車が使われた例はない

15 :
船方役、夫役、伝馬役とあったわけだし
使用条件が整ってれば荷車も使われたでしょ

16 :
使われなかったということは、荷車の使用条件が当時の
日本では殆ど適合しなかったということに名る

17 :
何時の間にやら年貢の運搬と軍需物資の輸送が一緒くたにされている不思議。

村や都市の中、近郊など道路状態のいい場所では普通に荷車は使われていたと考える方が自然。

18 :
確かに、しかし逆に言えばそれ以外の場所や長距離輸送では用いられなかった

19 :
http://blog.goo.ne.jp/tukemaru/e/6f7f70984cca214e6acb01b7949c7221
↑江戸で大八車を使い始めた頃の話。
人が車を曳くという行為自体がかなり特異なものと受け取られている。

20 :
>>19
それは「人が曳く」のが珍しいってだけでは?荷車を牛馬が曳く分には普通だったと読めるが。

21 :
曳馬城とは・・・・・
    /\       ヾ、-=====─-丶\`'‐ .,_ ___ _、ニミ 三.、/
 、.ヾ 丶丶----;‐ゝ、 -:==;─- .,∠ i.丶   /_.、 -‐''` `'‐.,
 } |  ⌒l l‐┬‐'-r.| .,(_Y_) __`' ``{ .二}ゝb'ソ_ ̄ ̄ | ̄
  丶 ⌒! !ニ!    l|   ̄ ̄  '''' 、d/ ̄リ`‐゙--    |
  丶.ノ(ゞ     \,_     _.、/  ..:;;ソ        |
   \'‐\i       ̄ ̄ ̄ 、..   .,__)`'‐--==ー
    |::\_、l            `  ̄ 、ト:::.       i
    |    :|                           !
    、ト  ::!          ⊂ニニニ:==‐ー     /
城を馬に曳かせることで
城が自由に移動できる移動要塞だったんだよ!

22 :
はい

23 :
上り坂は数人で押さないと動かないし
街道ですら所によっては大き目の獣道みたいなもんだし、川にはしかかってないしで
条件のそろってる場所のみしか使えなかったのは致し方ない

24 :
ソースだ、資料だ言わないで普通に考えればいいこともあるよな

25 :
そうはさせない!

26 :
みたことしかしんじないぞ

27 :
田舎のリアカーって路外性能いい気がするのに(ぬかるみだって板きれで突破)
なんで昔は人力の荷車は道がいい場所しか使わない、とか思うんだろ……

28 :
>>27
ゴムタイヤと金属スポークのリアカーと木の車輪とスポークの荷車を一緒にするな。
大八車も当時としては大々的な軽量化があってこそあそこまで普及した。

29 :
>>27
昔の山道がSASUKEのアスレチック並みの危険性だったのかもしれない。
が、牛や若い衆の曳く大八車って野菜満載してても結構走破性あるんだよな。

30 :
>>28
当時は日本全土が山脈や密林ばかりで
平坦な土地に敷設された整備してある街道がほとんど無かったもんな

31 :
中世の日本における車輪の話
ttp://www.geocities.co.jp/HeartLand-Sakura/5469/real07.html
車輪の製造はハイテクで、費用、材料、技術ともに一般に流布するほど安くはなかったという話
こんなもの作るくらいなら、担いで運んだ方がマシだった模様

32 :
今対象とされてるAA(>>5)は年貢を納めてるわけで……
荘園から領主への年貢ってので当時の大量輸送の必要性がうまれたわけで
それに当時の最高の技術が使われててもおかしくないと思う

33 :
面倒だから銭にしようぜ

34 :
室町期なら年貢の為替決済も普通。

35 :
>>2
こういうのとかな
19 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/04(木) 02:20:41 ID:xIWFpWTY
>>16
信長のやったことは鎌倉室町と変わらぬ旧態依然としたものであり、北条や武田のやったことは
そこからの脱却を明らかに志向した上、近世に引き継がれた。
時代からの脱却を志した側と旧態依然とした慣習の中に安穏としていた側、
どちらが先進的か馬鹿でも解るだろうに。

36 :
>>31
んな頓珍漢な個人サイト持ち出して、何がしたいんだ?w
京都近郊では普通に馬借や車借の商いが成立していたのに
担いで運んだ方がマシとか頭悪過ぎ

37 :
>>35
おやおや信長厨顔真っ赤

38 :
>>36
ちゃんと読もうよ
>では近距離ではどうだったのでしょうか。また、村々の中では?という話です。
京都の話ではないよな
あと、頓珍漢なサイトかどうかちゃんと確認しようぜ
ttp://www.geocities.co.jp/HeartLand-Sakura/5469/real06.html
あと、京の話が出てくるのは>5だけ
みんな京都限定の話はしてないんだが?

39 :
>>38
ちゃんと読むも何も、>>9で大消費地へ運ぶ以外ペイ出来ないと放言しちゃってるよな
実際は近江や大和、摂泉他(京都近郊)で民間の馬借、車借の商いが成立していたし
今川や北条、その他領国でも小荷駄役や伝馬役を請け負っていた問屋や宿、商人は
当然に荷車を使用してるわけだから、ペイ出来てる事になるよな

40 :
>>39
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E8%BB%8A%E5%80%9F/
>山がちの日本では車借より馬借による運搬が主力であったが、近世に入っても、大津、京都、伏見(ふしみ)間では牛車が活躍していた。
>しかし18世紀に入ると牛車にかわって大八車が普及、発達するようになった。
基本的に大消費地間の輸送が基本
>今川や北条、その他領国でも小荷駄役や伝馬役を請け負っていた問屋や宿、商人は
>当然に荷車を使用してるわけだから
長距離輸送に荷車が用いられた出典を提示されたし

41 :
>>40
yahooソースとか舐めてんの?
>長距離輸送に荷車が用いられた出典を提示されたし
長距離の陸上輸送が全て馬の背に荷物を載せた形態だったと証明すればいいよ
んな筈が無いから無理だけどねw
大量の荷物を伝馬、小荷駄で運搬するのに荷車を使わないわけがない
宿や駅は街道沿いに置かれていて利用条件も整ってる
というより、宿・駅と伝馬・小荷駄があるのにわざわざ荷車を使用してなかったと思う込む理由が知りたいわw

42 :
>>41
では、『日本大百科全書』(小学館)からとしましょう
荻生徂徠が否定しています>輜重輸送に荷車
私も荷車が使用されたという資料を見たことがありません
これは合戦図屏風、合戦記、慶長記などよりの判断です

43 :
後、車が使われたのはあくまで宿や駅の中で、地形上の理由から
街道間の輸送には用いられません

44 :
>>40
>基本的に大消費地間の輸送が基本
基本的に基本とはどういう意味でしょう?

45 :
今日も重箱の隅のつつきあいが始まるお・・・

46 :
w

47 :
>>30
当時は禿山ばかりとも聞いたが
三増峠とか現在は森だけど当時は禿山だったらしい
森林の保全が本格的に行われるようになったのは江戸時代と何かで読んだことある

48 :
>>47
保全が行われるくらい環境破壊が進んだからね
全体的に見れば原生林が多かったのは間違いない

49 :
交通網(街道)としての話だから、まぁ実際の山が禿げてても密林でも道がないことには……
>>42
いま話題になってるのは輸送手段としての”(荷)車”で、「合戦絵巻に出てないぞ?」ってのは
絵巻にないから戦場ではRしなかった!、といっちゃう感じがする……
西欧じゃローマ街道無かった所でも荷車、そんな街道整備されてなかったアジアも車つかってたわけだし
どーみても「車が使える所は使って、使えない所では駄積」ってだけの話じゃ

50 :
問題はその車が使えない所に差し掛かった時
車を置いて行くかどうかだな

51 :
荷車は高価で一般には使われてなかったとか言っちゃってるからな

52 :
>>49
人や馬による駄載や、竿担ぎはあっても荷車がない
そして輜重輸送だけ荷車が使えないというのはおかしな話

53 :
>>50
”運送業者”あってその権益も保護されてるわけで……
今の宅配もすべてトラックじゃなくてJRなんかもつかってるみたくだったんじゃないですかね
>>52
牛車(人が乗るだけでなく輸送用)って、平安時代から使われていたんですけど……

54 :
>>52
前にも書いたけど、牛車があっても限定的にしか使われていないということ
町中とか京周辺の一部地域
基本的に道路整備された平地のみで、大津・京間は大量需要による例外的なもの

55 :
>>35
その貼られてるレスは別におかしくないと思う
↓に比べればずっと
16 :人間七七四年:2010/03/01(月) 12:16:53 ID:9mkGAgai
最近>>9のような北条・武田は石高に応じて兵役を決めたから革新的
織田はむしろ遅れていたと主張するのが流行ってるらしいね
実際は後進地域が少しでも周りの勢力に対抗するための必要に迫られた
制度だったんだろう

そんなに信長が先進的で他が後進的だったという事にしたいのかと

56 :
>>54
>荷車がない(>>52)に対して、当時は”荷車”は常識だったって指摘ですよ
昔の動力車(牛)ってのは農業労働力目的で日本中に広まってたわけで、
使用可能だけど(荷)車を使わない理由が、インフラ(道路)が整備されていないと無理、というなら、
じゃぁ戦車が戦争に使われていた時代(戦国時代の呉越とか)はどーなる?ってな話に……
軍事の補給については、、例えばアレキサンダー大王が補給を人力だけにしたり、
一般的な輸送とは違う観点から評価しなくちゃならないと思いますけどね

57 :
織田・豊臣より北条・武田が近世を切り開いたと読めるが、無理があるんじゃね?

58 :
別にそこまではいってないような
豊臣はともかく織田は別に近世を切り開いてるとも

59 :
後に近世を形作る権力の統合と制度の進歩は別々に起こっていた、って話だな。

60 :
微妙って事ね

61 :
権力の統合は豊臣政権からに見える
織田はまだ自分の領域で完結する戦国大名領国を抜けてない

62 :
そういえば織田って分国法ありましたっけ?

63 :
>>56
インフラ整備されていないの一つの要素に、起伏の大きい地のままという点がある
そういう点も含めて当時の日本の街道は不向き
日本の戦国期の輜重輸送で、一般的な輸送方法と区別する点は特にない
そういう記述もないので軍事輸送と一般輸送は同じレベルと見るべきだろう
また江戸初期を描いた江戸図屏風にも荷車の類は一切、描かれずに駄載のみ
となっている

64 :
>20
江戸での牛車利用は寛永11年(1634)の増上寺安国殿(現在の芝東照宮)の
普請の時がおそらくはじめてで、この時は京都より牛車を召し呼んだ。
続いて寛永13年(1636)の江戸城外濠の開削と土橋石垣の建築に伴い
大量の輸送力が求められ、さらに京都から人と牛が連れてこられて、
牛込に小屋場が設けられた。
普請が終わると招かれた人たちは幕府よりそのまま江戸に残ることを求められ、
寛永16年(1639)に高輪の大木戸の外(後の芝車町、俗に牛町)に移り住み、
この人達が牛車での輸送業を始めた。
駿府では江戸より早く慶長14年(1609)に焼失していた天守の再建のために
伏見鳥羽から牛車を導入した記録がある。
京都から技術移転、人材招聘するまで東国では牛車は使用されていなかったと思われる。
ちなみに江戸時代は幕府が使用を禁止したこともあって
京都、駿府、江戸、仙台以外の都市、街道では牛車は使われていない。
(仙台は貞享4年(1687)の日光の普請のあと江戸から技術移転。)

65 :
江戸での大八車の考案は明暦(1655)以降が通説で、便利だったためすぐに数を増やし、
天和2年(1582)には業務を圧迫された伝馬町が大八車に税金をかけるよう
幕府に要求を始める。(実際に徴収されるのは元禄13年(1700)から。)
大坂でも18世紀中頃からベカ車という人力の荷車が使用され始めるが、
やはりすぐに数を増やし、業務を圧迫された伝馬方や舟運業者からの要求により、
寛政3年(1791)には積荷の種類や重量の制限や、橋を越えて遠方への輸送の禁止といった
規制がされている。
大八車もベカ車も潜在的需要があったところに適合する商品が開発され、
急速に普及→既得権益(特に伝馬)保護の為に規制というパターンだと思われる。
>13の言うようにもし以前からふつうに人力の荷車が使われていたなら、
既存業者がなんの反応もしていないのはおかしい。

66 :
>>63
今川、北条も街道沿いに一定間隔で宿・駅を整備しているということ
で、そこには荷駄役や伝馬役が課されているから
荷車による大量の運搬が行われていたと考えるのが自然
わざわざ禁止したってなら話は別だけど、聞いた事ないしね。

67 :
憶測述べるだけじゃなくて史料でもあさってくれば?
使ってたって一次資料があれば一発なんだし

68 :
>>66
どちらも馬の負担と、それに伴う餌やら各種の雑役の負担は課せられていたけど、
車等の負担について記載無いんだぜ?

69 :
車は餌くわんから

70 :
損傷時の保障やら部品調達についての記述くらいあってもよかんぺ

71 :
気軽に貼ったであろうAAから、とんだことになったな

72 :
大八は押したこと無いが、リアカーは斜面地じゃかなり辛い。
赤土で舗装されてないと難しい。山道など以ての外。道に石が転がってたらもう大変。
やっぱ背負子や天秤の方がいいっす。

73 :
既に車が通れることを知っている場所であれば車使って、
無理、あるいは判んね知らねって土地では人力か荷馬ってことでいいんじゃねーの

74 :
技術的にこうだろww
動力がいきなり馬になるわけがない
手運び→一個一個運ぶかったるいお→荷車→お馬さんに運んで貰おう→荷馬

75 :
荷馬と荷馬車は違うぞw

76 :
>>72
登りよりもむしろ下りが怖い
以前、落ちてくるリヤカーに轢かれそうになった

77 :
慶長七年に家康の定めた東海道の伝馬駄賃では重量が一駄に付き、
三十貫目と規定されており、駄載のみが記載されている

78 :
>>73
アスベルガーの奴にそんな理屈は通じないw

79 :
>>58
近世を造ったのは織田よりむしろ豊臣じゃ…と思ったら>>60でそういう意味で補足してたのか

80 :
というか無理やり分断して○○がやった○○はやっていないと考える方がおかしいってことだろ。
三好から織田豊臣徳川と長い時間かけて少しずつ移行していった、
中世から近世への移行は畿内政権の影響のみではなく西国東国の影響も受けていると、
それらの大きな流れを特定の人物政権の功績としたり特定の人物政権の功績は無いとしたりして
無理やり持ち上げたり貶したりするから話がおかしくなるし荒れる。

81 :
豊臣徳川と織田三好じゃ明らかに違う気が…
上でも言われているように織田三好はまだ戦国大名領国であって
豊臣徳川みたいな全国政権じゃないような

82 :
>>80
荒れるとかどうでも良いんだが……
学説的なことで多数決やら妥協的な結論導いたところでろくな結果にゃならんし
中世〜近世ってのは、メルクマールをどこに置くかで結論が変わるだろうが、
それが、たとえば軍事、経済、政治、文化などそれぞれ細論を論じるところから
始めるべきだろう。
で、このスレは経済なわけだよ。だとすると、織田時代には、たしかに(細川〜
三好から引き継いだ)近世化への序章とも言うべき改革は漸進的に起こりつつ
あったが、それが「近世(経済の規模の全国化、流通規格の統一等)」には、ま
だ至っていない、ってな結論を出している人が多いってことだよ。

83 :
徳川が集大成みたいな感じですよね

84 :
>>82
>織田時代には、たしかに(細川〜
>三好から引き継いだ)近世化への序章とも言うべき改革は漸進的に起こりつつ
>あったが、それが「近世(経済の規模の全国化、流通規格の統一等)」には、ま
>だ至っていない、ってな結論を
いや自分としては正にこういった意図で発言しているのだが。
>>83
そう思うんだけど、どうも上記を見るに過剰反応してレスする人間が多いみたいだ。

85 :
豊臣政権が西国に偏重した政権だったからな。
小田原征伐以降も、西国へのきめ細かさに比べて東北を含む東国統治は大雑把すぎた。

86 :
>>85
東国にはやや遅れた地域が多かったのは事実ですが
北条の統治はなかなか配慮していると思いますよ

87 :
>>86
そうじゃなくて豊臣政権の東国統治のこと。
とりあえず家康と氏郷に大領与えて丸投げみたいな感じ。

88 :
>>86
>>85が言いたいのは東国が遅れてるかどうかではなく
豊臣政権が西を統治するのには力を注いでいたが
東を統治するのはあまり介入してなかった、って事では?
制度や経済では東国が遅れているとは特に思えないどころか先進的な所も結構ある

89 :
そうね。
大諸侯を投げ入れて統治。
そいつに地方の諸侯を監視させると。

90 :
唐入り考えて、畿内と同然のようにしろとされた九州と、東国の違いかな?
唐入りのためか九州から大坂への連絡網を築いたりもしているし。
東国に関しては関東入りした際に永楽銭の扱いについて何かの触れを出したいたと思った、
ただ検地の不徹底さは毛利領だって東国に負けていないと思う。

91 :
東国の検地については関東甲信越では例によって北条や武田が結構進めていたみたい
上杉も細かい軍役張をつくってるくらいだからそれ相応のものはあった模様
東北は結構大雑把だったと聞くけどどうなんだろう

92 :
>>87
>>88
なるほど。西国への執心ぶりに比べて東国への干渉は薄いですよね

93 :
「経済の規模の全国化、流通規格の統一等」なんて、もう荘園制と銭とともに室町までには定まっていて
織田豊臣以降の流れは、いかに課税対象を増やす(把握)するか、が目的じゃないのかなぁ……
豊臣での検地なんて規格統一名目で面積ちょっと減らしたり「コレすると税収増えますよ」なんていってるし、
隠し財産を明らかにするための政策が、経済全体の発展だどうのってとるのもなんだかな気もするけど
>>91
豊臣時代で一揆が起きなかった地域は、けっこう(それ以前の支配者による)制度が整ってた気がする……

94 :
東国は制度的には先進地帯だから、口挟む必要が少なかっただけ
後進地帯の東北と西国は、それはもう叩き直す必要があった。
毛利島津に対する秀吉のお叱りの書状の数々は、苦労してんなーと涙を誘う

95 :
>>84
そうですね。いろいろな制度を取り入れながら、
長い時間かけて少しずつ移行していったというのが正解だと思います
それを一つの具体例から強引ともいえる>>35のような結論を引き出してしまうのは
明らかにおかしなことだと思います
それを指摘すると確かに過剰反応や、信長厨なんて言葉が出てくるので
どのような意図を持った人間がそのような主張をしているのかはなんとなくわかりますが

96 :
>>95みたいなレスする人の意図も何となくわかります

97 :
たしかにw

98 :
>>95
信長厨乙w

99 :
税金とか振り返ってみる
wikiからコピペ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%A7%9F%E7%A8%8E#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E7.A7.9F.E7.A8.8E.E3.81.AE.E6.AD.B4.E5.8F.B2
○飛鳥・奈良時代
租(そ:口分田収穫の3%)
調(ちょう:絹、地方特産物を運搬納税)
庸(よう:布の物納、男子のみ)
歳役(さいえき:年10日間労役、庸との選択性)
雑徭(ぞうよう:年60日間の労役)
兵役(へいえき:宮中警護、九州警護)
○平安
年貢(ねんぐ)
公事(くじ:糸、布、炭、野菜などの手工業製品や特産品)
夫役(ぶやく:労役)
○鎌倉
年貢(ねんぐ:全収穫高の30〜40%、別当とも)
公事(くじ:雑税。藁、むしろ、薪、炭、布、絹、塩、魚類など)
○室町
年貢、公事、夫役
○安土桃山
年貢(ねんぐ:収穫の3分の2)
夫役(ふえき:築城などの労役提供)
○江戸
本途物成(ほんとものなり:年貢、米収穫の40%〜50%、一部銀、大豆による石代納が認められた)
年貢制度って息が長いですね。

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