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1 :2005/12/15 〜 最終レス :2012/11/19
 

2 :
 

3 :
神は火である。
まさに神は炎であった。
しかし神は俺を痛めつける。
もはやこれまでか?
ついに腰を痛めてしまった。
他の人にとってはまだ大丈夫でも俺にとっては致命傷だ。
保険がない、金がない、身寄りがない・・・・・・
神は痛めつける
あるいは神ではない超越者であるかもしれない


4 :
神ですが何か?

5 :
数ヶ月前に指を骨折したときはまだ良かった。
治りさえすれば、何とかなるのだから。
(人生初の骨折だった)
しかし腰はそうはいかない。
正月を前にして俺は治療費として所持金のほとんどを散じてしまうのではないか?

6 :
etsy

7 :
神は誰にとっても炎であるのか。
そうではない場合があるのではないのか。
炎であるのは極少数の者にだけであるのではないのか。
そして、俺に与えられるのは氷の世界か。

8 :
俺は思う。
俺は別の道を歩んできた。
いつからか、そしてそれは久しい。
その道の到達点に炎があった。
だが、今の道は違う。
それでも、大分苦労して戻しもしたが。
だが、これほど戻してきているのに、
戻せば戻す程に風圧が強くなるのは何故なのか。
その道は善であるかもしれないが、
しかし、戻すことは悪であるとでも?
そんなことがあるのか?

9 :
んまああわれ

10 :
現在の生、「この世」の臨界点での炎ならば喜んで迎えられよう。
しかし、そうはならない場合、それはなんとも不可解である。
そんなことが許されるのか?
神が喜びを欲っさないということが有り得るのか?

11 :
tesy

12 :
ナンセンスのプラットホームから飛び移れ

13 :
tsedyer

14 :
このスレは以前俺が建てたスレの続きにする。
以前のスレがどういうもので、俺のコテハンがどういうものだったのかは、
推測できる人だけが推測すればいい。まあ、別に隠すこともないが
敢えて教える気ナシ。(なんとなく気分で・・・)

15 :
福田和也の『イデオロギーズ』を大して読んだわけではないが、
それからインスパイアされたものを語ってみる。
(とは言ってもそれはそのその本の解説であるどころか、その本とはまったく
関係のないトンデモを話すので注意されたい。要するにその本でなくともいい、
その本を単に言ってみたかっただけだ)

16 :
その本はテクノロジー、暴力、自由、信仰、愛と項目が分かれており、
愛の項目の最初においてアウグスティヌスについて書いている。
アウグスティヌスによれば、アダムが禁忌を破ったのは「善意の配慮」「他者(エバ)への配慮」
のためだと。

17 :
これによって楽園を追放されることになったと。
その本とは別のことを書く。
同じく聖書における「楽園追放」についての勝手な思いつきで、自分でも
何となく思ったこと。そして、またすぐにその考えを忘れるということによって
次に活用できるかな?と思えるときまで偽りであるだろうとして半ば捨て去るその考え。


18 :
「善悪知識の木の実」をエバ及びアダムがそれを食べ、自分達が裸であることに気付き、
恥じ、木陰に隠れることになる。これが罪であるかあるいは罪の一環であるとされる。
これを超解釈する。
これは、遥か昔の出来事なのではない。
これは、すべての人間に言えることで、まだ「男」とも「女」とも意識していなかった
「幼児期」のことだ。
幼児は男とも女とも意識せずに接し、ただ知識だけを吸収する。
というか、遊んでいたら知らぬうちに知識も吸収できていたというものだろう。

19 :
ここで言う「罪」とは「狂気」もしくは狂気に繋がる「寂寥感」とでもしておこう。
では、人が「男」と「女」を意識することで、そうした「狂気」や「寂寥感」というものが
生じるか?というとそうではない。寧ろ「幸福」になることの方が多いであろう。
だが、それは、最初の「男」も「女」も意識していないことによる「遊び」による「学習」
の量がどっしりとしているからこそ、出来るのではないのか?

20 :
問題なのは、この最初の「どっしりとしたもの」が破壊されることである。
そしてこれこそが(ここでいう)「罪」であるとでもしておくか。
ということになれば、「男」と「女」を意識しても、まだ、その初期のものがどっしりと
キープされている人の場合、それは罪ではないのではないのか?
今のところ、それは「YES」でいいだろう。(あとで変更するかもしれないが)

21 :
その初期の「男」も「女」も意識しないことによる精神の持続、延長が延々と
続いてゆく場合はいいが、それが「男」と「女」を意識しだした後に
破壊された場合、もう既に「男」も「女」も意識している後のことであるのだから、
「男」も「女」も意識していない状態に戻ってそれを「復活」させることなど
普通は不可能である。

22 :
「男」も「女」も意識している状態で且、その初期の「男」も「女」も
意識していなかった時に得た精神の持続が破壊されずに続いているのが、一般的に
よくいるであろう健常な人間の精神である。

23 :
哲学とは後に生まれた。
最初にあるのは哲学ではない。
哲学とはある意味、その人間の触れ合いに対して「否」を投げ掛けざるを得ず、
それは、最初の状態を意識しようとする一方でそれを破壊する危険性をも
少なからず増長させる。

24 :
この「楽園追放」の解釈は、「男」と「女」を意識したから「罪」だというわけではなく、
「男」と「女」を意識する以前のある精神状態もしくは、発言の流暢さもしくは、行動のスムーズさ
そしてそれを含むある精神状態を破壊させてしまうかもしれない可能性を生じさせることにある。
それは、多くの人にとっては一生キープできるもので、ある意味容易い。
だが、ごく一部の人間にそういう者が出て来るという、ただそれだけのために「罪」と言われている
というようなものかもしれん。

25 :
つまり、神というものが居て、この解釈の通り「罪」というものを規定しているのだとしたら、
その「Aという人間」は一生「罪」の状態に陥らないのを知ってはいるが、
ある極一部の人間が「罪」の状態に陥るのが未来に見えるので、「人間達全員」連帯責任として
「罪」があるとするようなものだ。

26 :
キリスト教の神学でよく言われるように、「キリスト」とは(父なる)「神」の(子なる)「言葉」である
いうのや「キリスト」=「神」=「命」=「真理」=「愛」=「道」=「御言」というのを
ここで如何に用いれるかを考えてみる。
人間が幼児の頃の無邪気さを維持し、「男」と「女」を意識し過ぎずに接することのその「本流」を
その「炎」を消さないようにすること。つまり、「男」と「女」を意識し過ぎて、
その流れから身を引いて身を隠すことは本来あることではない。
まあ、それは「理想」だ。現実が実際にそうではないにしても、極端にそうでなければ問題はない。



27 :
普通、赤子というものは、自分の親もしくは保護者の元で意識を覚醒させる。
人は子供の間、この保護者及び家族と共にあるのが一般的である。
そして、学校に行き、恋をして結婚というのが大抵の流れである。
この結婚というものは文化によって、どう違うかは別として、大抵は祝福された式典(結婚式)
を挙げる。(あるいは挙げない人もいる。だがそのような人でも「挙げれればいいな」という憧れもしくは
望みがある。もしくはあった。あるいは極稀にそういう願望を一切抱かない人がいるにしても
他の人がそういう憧れ、もしくは願いを持つということの気持ちの感じはほとんどが知っている)

28 :
大抵の人はそのような結婚式を可能ならば、挙げたいもしくは挙げてもいいと思い、
もし、それが経済上不可能であるとしても、お互いの家族に祝福されたい。そして更に、
お互いの家族を行き来したい。そう考える。
そして、それはある意味既に「常識」である。
自分の保護者、自分の家族との行き来というものは、その行き来という「反復」によって、
常に同じ感覚が刺激されており、それゆえの「長期記憶」を可能としている。
そして、それが「学力」にも関わり、つまり、その感覚の長期記憶が「学力」の「補佐」にも関わり、
作業能力の補佐にも関わるのである。

29 :
この現実的なもの。これとは別に「理性」というものを抽象化しようとするところに、
その現実を貧弱化させる原因があるのではないのか?
それはカトリックとプロテスタントで喩えるとすれば(そんなので喩えれるのか???と言うだろうが、勿論トンデモ)
カトリックである。
つまり、「哲学する側」がカトリックであり、それを脱するのがプロテスタントである。
カトリックの「観照」をプロテスタントは禁欲し、「実利」に走る。
歴史的には「予定説」が深く関わる。

30 :
このカトリックとプロテスタントというもの、そして「全哲学」が既に「神」によって
予知されており、その上で「聖書」が作られたのだとしたらどうだろう?
それは、この現代もそして未来も含まれている。
その中でのある意識状態を文字化したのが「聖書」ではないのか?

31 :
ヤーヴェがあれ程「怒れる神」なのはこの「現代」に関わるからなのではないのか?

32 :
「聖書」とは我々の何かを記録したものなのではないのか?
だとしても、そんなことどうやって調べられようか?
例えば、それが日本を問題としているのか、アメリカを問題としているのか、
世界全体を問題としているのか、それ自体が見当が付かない。
仮に「日本を問題としている」とした場合、それはどうなるか?

33 :
今、現代の日本だけに絞るとしたら、
「ポスト・コロニアル」であり「アノミー」である社会であり、
「戦争放棄の平和憲法」を持ち、「少年法」とそれによる犯罪の若年齢化、
そして、「複製技術」の極みとして登場したテレビ、そして、宇宙開発、
マルクス主義運動とその挫折などなどだろう。

34 :
この「複製技術の時代」であることは重要である。
恐らく「聖書」が単純ではないのはこれのためだ。
「神は全てを予知していた」にしても、神の欲望はそれでは済まず、
出来ることなら「神が予知していなかったこと」をも欲求する。
「神が予知していなかったこと」とそしてそれによって「神も又翻弄される」ことをも
含めて、より「豊穣」になるのである。

35 :
恐らく、神にとってこの「複製技術」は予知していた一方で「予知していなかった」。
そういう分裂が有ったのではないのか?
「聖書」では「未来に於いて救世主が飛来し全治を治め、悪の実体化した存在を打ち砕く」
というような単純なものがある。
そういう期待は「ヨーロッパが全世界に行き渡った時点でそうなる」つまり、
その時点で救世主が現れるというものだった。
ところが、ここで予定外のことが起きた。
それが「複製技術」である。
この「複製技術」の可能性はあまりにも豊穣であり、全地にヨーロッパが行き渡った以上に
「その極み」に行き渡ることは「果てないもの」のように見えた。
もはや、世界を終わらせ、救世主を迎えるところまで来ているのに、ここで全く
不測の、例外が世界に出現してしまった。人々は思った。
「その行方を見てみたい。救世主もいいが、その後でも遅くはない」

36 :
それは、ある意味「無限」あるいは「実無限」である。
救世主はこれに「映されること」を望むか?
いや、そうは思えない。
救世主はここで出ていこうにも出ていけない。

37 :
現代の、その「複製技術時代」の我々はどうなのか?
ある意味、その「テレビ」というものが大いなるモチベーションとなって、
人生を滑走する者もいれば、その逆にテレビに映ることを恐れる者もいるだろう。
その人にとっては、それは究極の兵器である。

38 :
これは実に刺激的で、ある種の残酷を勧誘する。
ナチズムのユダヤ人に対するホロコーストもこれによるのではないのか?
学校のいじめにしても。
それは、それまでの時代はリハーサルであった。これから時代が本番、
花の舞台である。その花の舞台で醜態を晒させ、未来永劫その醜さを記録しよう
という黒い欲望。
そのようなものがあったのではないのか?

39 :
steyd

40 :
tseyd

41 :
etsyder

42 :
estrdy

43 :
tesyd

44 :
は〜〜
まんどくせええ

あけおめーーー

ああ難しいいい
基地外な発狂した考えから出発するしかぬあああい!

45 :
人は生きている。
それは「なぜ生きるか?」という問い以前からであり、
気が付いたら既に生きているのであって、そのような問いは
「生きるのが苦しい」とか「生きるのがつまらない」というような場合においてしか
出て来ない。
論理以前に「生きることは圧倒的に当然である」というような
圧倒的な生きることの欲求があり、又圧倒的な肯定性があるのではないだろうか?
それを支えている一つのものとして、「美」があるとしてみる。
「美」が生きる欲求の大半を支えるものとしておく。

46 :
人間一人一人は得意分野が違う。
すべての人が集まってすべての分野は補われ完遂される。
各人が各人なりに美を捕らえることが出来るが、
各人がすべて美の職に就けるわけではない。
美の職に就いた人が美の職に就かない人に比べて
美の感覚が優れているのではないにせよ、
大方はそちらの方が優れているとでもしておこう。

47 :
偶然、そのような職に就く人、つまり幸運から(人によっては不運から)
そのような美の職に就く人もいれば、その職を辞める人もいる。
又、今現在そのような美の職に就いていないで別の職についている人が
将来においてその美の職に就く場合もあるし、逆に急に美の技術がなくなる人
(あまり想像はできないが)もいるかもしれないとしておく。

48 :
それは元々そうなる運命だったのか?
俺にしてみればある意味運命だがある意味運命ではない。
というのは、美の職に従事する人数の最低限をクリアーするだけの人数
さえいれば、多少、人は入れ代わってもいいからである。
だから、それだけの人数のキープだけが絶対的に運命的なのであーーる。

49 :
ある意味、最初美の職に就く人は決まっていた。
だが、それは変動し、今ある形になった。
今ある形というのは、では全く決まっていなかった、もしくは
想定されていなかったのか?というとそうではない。
それも可能性としてはあった。
それは幾番目かの可能性としてである。
そういう意味ではそれも又運命といえば運命なのであーーる。

50 :
しかし、この「美」は単に生まれつきだけの問題ではない。
それはその育った家庭や教育環境や友人などとの関係などにもよる。
最初にそういうものがあってそのような芸術家が誕生したと取るか、
前以てそのような芸術家というものが超越的に決定されており、
そこから、そのような家庭や教育環境や友人が後から生み出されたと
取るか・・・取り合えずはその両方であるとしておく。

51 :
この社会を見て、「なぜにこれほどのものが有るのだろう?」と考えるとき、
この「なぜ」に相当するものとして「学校がある」ということが
必然的に想定されるとしておく。
人間が赤ん坊から大人になることの観察上の経験からして
そこには幼児用の学校や少し大きめの子供用の学校や青年用の学校はあるだろう
と必然的に予想は可能である筈である。

52 :
実際の学校というものを見てみると、小学6年と中学1年というのは
わずかな差に見える。
しかし、実際はそうではない。
まず、中学1年に於いて大抵の場合、別の小学校の生徒と同じクラスになる。
更に日本の場合大抵、制服を着る。
そして、小学6年というのは小学1年〜小学5年と同じ場に存在し、顔を合わせており、
中学1年というのは中学2年から中学3年と同じ場に存在し、顔を合わせている。
中学3年だけが「受験生」であるにせよ、既に中学1年というものは社会的には
準備段階に置かれている。(当の本人が意識するにせよしないにせよ)
そして、「部活」というもの。

53 :
そして、学問が急にランクアップするということ。
算数が数学となり、英語というものが出てくる。

54 :
ここで、既に「将来の職業」なるものを具体的に決めて掛からねばならない
ような緊張感が走る。
ある意味それまで養われる側だった者がいつかは、或はもうすぐにでも
自立せねばならない、或は養う側に立たねばならないとい現実に突き当たる。

55 :
中学1年というものをそういう現実に突き当たるものとすると
小学6年というのはまだ辛うじてそうなってはいない。
小学6年というのは、それ故に中学1年以上に夢を大いに抱けるというか、
あらゆる夢を(夢であるに過ぎないが)自分の手中のものとできるときである。
その意味ではこのときが最も完全であるかもしれない。

56 :
52や53への付け足し。
教師が大いに変わる。

57 :
中学というのは自分の周りをより造形して自分の可能性に大いに挑戦する。
小学ではそのような限定を狭める以前の無邪気さによる色々な試みがある。
それは飛び上がる以前の「ため」みたいなもんである。

58 :
子供らの美の造形に於いて殊に現代に於いて重要なのは有名人、
殊に芸能人である。
彼ら子供らが、無邪気に「誰々(有名人)が好き」とかその有名人の真似をする光景
というのは恐らく誰でも容易に想像が付くのではないか?
この「自分は誰々のファンであり、誰々のどの作品が好きで、どこそこで
その誰々を見に行きたいし、出来れば有ってもらいたい」
と思うことを実際に親なり友人なりに言っているとする。
これは「言っていない」に比べて重要なことである。

59 :
そう周りの人に言っておくことで周りもそれを承知し、その実現に向けて
具体的な行動のプランをも練り得るからである。
そして、これが具体的な芸術的造形的一作品とも言え、そして大いなる一歩
であるとも言えるのであーーる。

60 :
彼ら子供は労働しないで済む分、労働を気にせずに勉強なり遊びなりを
することが出来る精神である。
いきなりだが、>>32の問題とこれを結び付ける。
これは聖書の産出の問題と関係があると。

61 :
創世記、出エジプト記などに出て来る(のちのユダヤ人である)ヘブライ人
というのは、意識における何かを文字化したものなのだ。

62 :
今ひとつの候補として小学6年を挙げた。
もう一方の候補として労働者として定着せずさ迷う半狂人をも挙げておく。
もしくはこの二つが組み合わさって出来ているのではないかとも思ったりする。

63 :
なぜに神は怒れるのか?
それは「神は善でなければならない」という通念に対する怒りではないのか?

64 :
この日本に於いて漢字、平仮名、片仮名及び実際の歴史上の殊に思想史上の人物、
殊に西洋文明を受け入れてから自国と他国を論理的に分析できるようになった
思想史上の人物(多くの場合一般人が知らないような知名度では相当低い人々)を
知るということと、西洋のアルファベット及び思想史上の人物を知ることとの
接点、融合に於いて神は炎を灯す。

65 :
tsed

66 :
tesyd

67 :
映画と都市とファッションというもの。

その現代的な建築物というものは、それに相応するファッションというものを訴える。
そうでないものに対して「挑発的」である。
その建築物その内装、外装自体が一つの「ロック」なのだ。
人はそれを吸い、自らがそれに相応しくないことに緊張し、恥じ、
何とか修正しようとする。
一つのハードボイルド(暴力性)が要求されもする。
その「暴力性」は良識者にとっての必要物になり、
逆にそれが出来ない場合、それが出来ている随伴者にとっての有害者(ある意味加害者)になる。

68 :
そこでの個人主義はアノミーから来た、あるいは自由思想から来た個人主義
とは又別のものである。それは「傷」ではない。それは一つの「悦」であり、
それによって個人主義でもありながら連帯感をも強めている。

69 :
人はまずこれ程までの商品社会が有ることに驚く。
というよりも、その人が存在するからこそ、これ程までの
商品世界が出現したのだが。人間が存在するということは必然的に
人間の欲望が存在するということである。そこで、社会が完全であるよりも
まず欲望に従った商品は出現せねばならない。ただし可能な限りで。
社会の完全よりも商品の方が先行するので必然的に資本主義というものが
現代及び過去において因果律を守った形で出現した。

70 :
現代の神学というものがハイデガーの影響の元にある。
だが、この資本主義の精神というものがというものがプロテスタントの倫理に
少なからず負っているならばそこに神が関わっているかもしれないというような
神学もあっても良さそうだ。(有るかもしれない)

71 :
新約聖書では「暗い顔をするな」「目を明るくせよ」ってなことが書いてある。
俺は前のスレでも書いたが、「神を求めるというのは場合によっては有害なのであり、
それならば寧ろ愛を求めよ愛が神であるというイエスの主張が正しいならば、
それは神をも求めたことになるのだから」ということに有効性があるのではないかと
まだ思っている。この有害性が律法主義的であり中世のカトリック的であるとしてみる。

72 :
そうすると、その意味では旧約の神ヤーヴェと新約の神の子イエスは
「似ている」と言えるのではないか?
旧約の神ヤーヴェが嫌悪したのは、実は彼が寧ろ望んだと思える「犠牲」ではないのか?
「犠牲」とはある意味「命令」であるのだが、たとえば「社会を自由にするために自分の自由を捧げよ。
(そしてそれこそが真の自分の自由なのだ)」という命令は自分の特殊性を一般性の改革の
ために犠牲にせよ。というようなものだが、ヘーゲルは異なり特殊性と一般性の双方を犠牲にせずに
止揚しようとするそれを「良心」とする。
それが仮に正しいとすれば、「犠牲」とは「良心ではないもの」ということになるのではないか?

73 :
カント的な自由では悪というものが不可能かあるいは入る余地はあるものの
ほとんど無いようなものではないのか?ヘーゲルの場合の自由では悪というものの可能性が
充分にある。その可能性がある上で一般と特殊を統一することが「良心」なのである。

74 :
73は俺
「神は善である」という人間の主張は神の不可知性を無視するものである。
人間の物差しで捉えられるという前提にそれは閉じ込めるようなものだ。

75 :
神は神の特殊を犠牲にせず、神の他者たる人間の側への配慮も行う。
それが神の側の配慮というものではないか?
ただし、『神との対話』という本があるが、その神が正しいとしての話だが、
この聖書の神は本当の神ではないという。
神が怒ったり命令するというようなことは有り得ない。ということだ。
それは至極最もである。

76 :
訂正
×神の側の配慮
○神の側の良心

77 :
意識とは既に対象と自我の二重物であり、この二重物の弁証法的運動が
へブライ人であるように文字化された。もしくは配置された。

78 :
そしてこの意識が死への先駆的覚悟性に於ける時間の精起が
神の臨在であるように文字化された。もしくは配置された。

79 :
というのは何の根拠もない。

80 :
意識は既に歴史を含んでいる。
久保有政は『ゲマトリア数秘術』でたしかへブライの歴史とヨーロッパの歴史を
相似するものとして捉えた。(未来に於いて黙示録のようなことが生じるというのは
この俺もどうも付いてゆけないが)
この相似が的を得ているとすると、それを>>77の定式で説明しようとすれば、
その二重物の弁証法的運動が古代へブライ人とそれの反復であるようなヨーロッパ
もしくはキリスト教の歴史であるように文字化されたか、もしくは配置された、とでもなる。

81 :
意識は既に対象と自我の二重物である。
これはへブライ人であるように文字化、配置化されただけではなく、
日本のマルクス主義運動であるようにも文字化、配置化された。
そして、それは砕かれた。

82 :
tesd

83 :
「奇妙な静けさ」とか「静か過ぎる」とか「張り詰めた空気」とか「息が詰まる感じがする」は一体どいうものなのか?
俺はよくは知らないが、それは「1/fゆらぎ」というものに反したものを感知しているということではないのか?
それは又「自然」ではなく「不自然」であり、そして「不快」であり「ちょっとした苦しみ」であり、「不自由」である。
「自由」とはその意味で「そこから1/fゆらぎへと脱け出そうとすることである」とも言えるのではないだろうか?
その「張り詰めた空気」というのはある意味「蛇に睨まれた蛙状態」であり、「監視」されているような
「落ち着かなさ」がるのではないだろうか?

84 :
それは「抑圧」であり「非カタルシス」である。
それは産まれた頃から有るものではない。
その「不自然」は最初から有るわけではない。
それが生じる場合、途中から生じるのだ。
そして、これは少数であろう。

85 :
大方の人間の在り方というのは気が付いたときは既に複数である。
その複数の状態でその幼児は倫理など考えるはずもなく欲求、本能のままに生きる。
本能のままに叫び、本能のままに泣く。

86 :
このとき、不自然であるはずはない。
子供というものは親というものを本能的に「運命共同体」として「究極的な何か」として捉える。
その無償の「世話」に圧倒的な愛を感じる。
それは子供の「長期記憶能力」に最大限に貢献する。
それは「剰余」として蓄積され、それは備給として、他の人達とのコミュニケーション
にも分配される。

87 :
その幼児もしくは子供は小学生の頃にかあるいは中学生の頃にか、自分の本能の
赴くままに生涯やってゆくくらいの「好きなこと」を見つけるのが普通である。
それは大抵が「部活」である。
そこで似たような人々が自然と集まってきているわけで、そこでは自然と「好きなこと」を
「好きなように」しゃべりあう。
そこに遠慮というものの必要というものも思わない。
必然的に「会話」は盛り上がるのであって、会話が仮に途切れることがあっても、
それはわずかなものである。

88 :
とかろが、その「好きなもの」があるのに、何かの原因でそれが出来ない場合、
そしてそれをせぬまま長期間、別のことをしているとする。
恐らくこの辺で人間はおかしくなってくるのだが、我慢の限度で戻れば、まだ
「自然」な状態に戻れるだろう。だが我慢の限度を越えてもその好きなことへ戻らない場合、
意識に於いて、「何が自分の本当に好きなものであるのか?」が分らなくなってくる。
その「好きなもの」は「他のもの」へと変わるわけではなく「残り続ける」のだ。
それは「抑圧」されて「無意識」へと追いやられ、意識ではもう「気にしていない」ようになっている
のだが、それは「途中で黙り込む」というような形で主張し続けるのである。

89 :
それは「無」ではない。
そのようなものは「有」であり、そして最も克服困難な「有」である。
その「沈黙」は全く「無い」のではなくて人々にとって理解困難で且おぞましい
出来れば近寄りたくない「有」なのだ。

90 :
その「不自然」とは、自分が気が付いたときに既に有ったものを、
自分の思考で一からやり直して作り出そうとするものである。
思考が悪いのではない。問題なのは「思考以前」を全て「思考」に交換してしまうことだ。

91 :
恐らくこれが、イエスが言う「私をR者は許される場合があるが聖霊をR者は許されない」
というものなのだ。

92 :
それは「言葉が足りない」というだけの問題ではない。
(訓練によって言葉を大いに話せるようになることによって、そのような
「異常さ」が消え去る、もしくは目立たなくなり、自分でも大して問題ではなくなる
場合は無いとは断言できない。だがその保障もない。)
訓練によって言葉を大いに話せるようになったとしてもその「おぞましい感じ」を持ち
続けたままであるならば、何ら変わらないか、もしくはそれ以上に人々は背筋を寒くする。

93 :
tesdy

94 :
tesdy

95 :
tesyd

96 :
tesyder

97 :
etsdy

98 :
tesyder

99 :
iryaser

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