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2013年05月日本史283: 食物と酒、嗜好品の歴史@日本史板 (471)
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食物と酒、嗜好品の歴史@日本史板
- 1 :2011/12/04 〜 最終レス :2013/04/05
- 日本の食文化の歴史全般について語りましょう。
- 2 :
- 足利義量とか足利義尚みたいに若くても酒飲みすぎると死ぬの?
- 3 :
- 毎年新歓のイッキ飲みで死んでニュースになる大学生や新社会人みたいに、若くても酒飲みすぎると死ぬよ。
- 4 :
- 23歳の義尚はまだしも、17歳で酒害で死んだ義量は漢だな
- 5 :
- 関連スレ
食物と酒、嗜好品の歴史@世界史板 58皿目
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1322515160/l50
- 6 :
- どこの自治体でも作ってる郷土の歴史の本とかで地域の伝統的な食事を色々眺めるとサー。
畿内以外の、特に東日本北日本の料理とか、ほとんどどれもマジでクソまずそー!みたいに思えんだよね(苦笑
- 7 :
- 海に面してないところは、基本食文化貧しいよ。
畿内にしても。
- 8 :
- そう思うのは。自分が生粋の大阪人で上方風の料理で育っているからかもしれないけどサ。
- 9 :
- まあ、きりたんぽはうまいけどな
- 10 :
- 東日本や北日本で異常に甘辛い塩辛い、強烈な味付けの料理が多いのは、ちょっとの量でご飯をかっ込む必要と厳しい寒さに対応しているからだと聞いた。
そーなん?
- 11 :
- 冬が長く長期保存が必要なら塩はきついだろうね
ご飯の話は日本中昔はそうやんけ
- 12 :
- 保存だけじゃなく、塩で血圧を上げて体を温めるんだよ。
- 13 :
- 毛利興元や上杉謙信は血圧とストレスですな
- 14 :
- 日本料理で獣肉全般がゲテモノ扱いになったのって、いつ頃なんだろうな。
また、どうしてそうなったんだろう。
聞くところでは、室町の頃までは獣肉も本膳にあがってたとかいうことだけど。
アリューシャン列島まで漂流した大黒屋光太夫の一行のうち、
獣肉食を拒んだ者が、栄養失調で命を落としたりしたほどだった、
っていうあたり、江戸期あたりにはよほど強力な食物禁忌になってたってことが見て取れる。
しかも、船員ともなれば、ただでさえ体力勝負の仕事なんだから、
ふだん低カロリーの食事ばかり摂っていたわけでもないだろうに。
こういった話ではたびたび出てくる「仏教の影響」というのも、
ほんとかどうか、よくわからない。
中国、韓国、モンゴル、ブータン、タイなどなど、
仏教が一定以上の影響力を持つ国でも、獣肉食は全く珍しくないし。
というか本来、仏教の戒律では肉食は禁じられてないんだよね・・・。
- 15 :
- 真の日本である関西では米などほとんど食べへんからね
米は今で言う石油のような重要な工業原料であり
平民以上はほとんど口にする事はなかったので
今でも貧乏人の食料とされとるよ
- 16 :
- >>15
デムパはどっかいけ
- 17 :
- 東北よりも寒い地帯に住んでいたアイヌの伝統食は、塩っ気の殆ど無いものだがね。
そのかわり、脂っこい。
- 18 :
- そもそも、製塩技術はあったの?
- 19 :
- アイヌに製塩技術は無かった。
塩を手に入れるには、和人と交易するしかなかった。
しかし同じように交易でのみ入手できる米や日本酒、煙草に比べて
塩は重きを置かれていないようだ。
- 20 :
- 味噌 醤油 納豆 豆腐などの大豆加工食品が江戸の食生活を支え
庶民や僧侶の蛋白源になっていた。
- 21 :
- 動物性タンパク質の決定的な欠乏を植物性タンパク質のみによって補うことは不可能
- 22 :
- なので、赤豆腐とか御所車とか巻紙とかを食べてタンパク質を補ってました
- 23 :
- >>21
なので、昆虫食で補っていました。
- 24 :
- そうそう、イナゴとか蜂の子とかw
- 25 :
- テッポウムシとか蚕の蛹とか
- 26 :
- 動物性蛋白質が不足したとして、補う必要ってあるの?
逆に植物性蛋白質が不足しても動物性蛋白質を摂ってれば補った事になんの?
- 27 :
- 江戸時代は遊郭で遊んだ後は納豆汁を食べてたと。
豆腐&納豆&味噌で、ジェットストリームタンパク質補給をしてた。
動物でも鳥はOKだったでしょ。
身近ではウサギとかカモとかスズメとか。ドジョウも。
京都のハモ料理は、夏場に明石から運ばれる魚が腐るから、ハモが皮膚呼吸で輸送ストレスにも耐える為に、生まれた食文化と聞いた。
- 28 :
- >動物でも鳥はOKだったでしょ。
>身近ではウサギとかカモとかスズメとか。ドジョウも。
ある程度の生活レベルの人はね。
- 29 :
- 江戸の庶民や下級武士は魚を1月に1度ぐらいしか、食べれずに基本的に菜食
と言った状態だった。
- 30 :
- 永山久夫の本読んでると、玄米と大豆で栄養ばっちりみたいなことばっかり書いてるけど、
本当は田圃にいる雑多な貝類、甲殻類、昆虫などいろいろ食べていたんだよね。
- 31 :
- 味噌で必須アミノ酸補ってたんだべきっと
- 32 :
- 君も永山久夫と同意見なのか
- 33 :
- 東夷は非狩猟採取社会やろ
そこらの雑草とか食うてたんやろが
- 34 :
- http://ww2.enjoy.ne.jp/~tteraoka/ceremonialparty.htm
中世ヨーロッパ貴族の宴会
こういう派手な宴会をやらずに、質素を尊んだ鎌倉武士は偉い
- 35 :
- http://www.toraya-group.co.jp/gallery/dat02/dat02_127.html
とらやのサイトにある、歴史上の人物と和菓子というコラム
- 36 :
- 黄金水・・・ゴクリ・・・
- 37 :
- 精進料理にR製品を使えるか。
これ、坊様によって意見が違うようだ。「動物性だからNG」「動物の命を奪わないから辛うじて許される」「当のお釈迦様な悟りを助けたのがスジャータの布施した牛Rだから何の問題も無い」など。
肉や魚は我慢できても、料理の味わいを大きく左右するR製品くらいは採りたいものだね。
- 38 :
- 徳川家茂は甘党で虫歯だらけだったって本当すか?
家定が作ったカステラも食ったのかな?
- 39 :
- フィリピン人の先生に英会話習ってるんだけどさ。
この前「『世界のケーキ』ってテレビで見たよ。日本にもカステラってケーキあるんだね。美味しいの?」と訊かれて、そう言えばあれもケーキだなと気づいた。
因みに航空便で送って試食してもらったら「すごく美味しいね」と喜ばれた。
フィリピン人の口に合うようだから海外進出検討しても良いかもね。
- 40 :
- 素朴すぎてインパクトがないなぁ
- 41 :
- >>38
発掘調査で明らかになった徳川家茂の遺骨は享年21歳にして虫歯だらけだったのは事実。
甘党だったのも事実のようで、家茂が上洛して江戸城を開けている際には、夫婦仲の良かった御台所の和宮が
旅の途中の家茂に何度も江戸城から「菓子」を送り届けていることが「徳川実紀」に書かれてある。
ただし、このとき和宮が家茂に送った菓子が何であったのかは不明。
家茂が徳川家定の養子になったときすでに家定は死の間際で病床にあり(家定が死ぬ16日前に養子縁組)、
家茂は家定が没した後で江戸城に入っているため、家定の作ったカステラを食べた可能性はなさそう。
- 42 :
- おおくだらないがおもしろいレスw
- 43 :
- カステラはフィリピン経由ででんらいしてんじゃないのか
- 44 :
- >>43
自分も「スペイン由来ですよ!?」と先生に話したんだけど、フィリピンには似たようなお菓子は無いらしい。
スペインから直に伝わったか、フィリピンでは廃れてしまったかではないかな。
全くの余談だけど、高山右近の話をしたら、先生凄く喜んでた。
- 45 :
- >>41 なるほど、虫歯になっても菓子を食う家茂△
- 46 :
- 農耕・酪農・牧畜の歴史・社会史・文化史
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1323952793/l50
- 47 :
- 今の日本のカステラは日本で独自進化したのではないか。
安土桃山時代は湯に浸したり大根おろしをかけて食べていたらしいから
スペインの昔のあれはもっと硬くて日持ちするようなものだったのではないか。
- 48 :
- 当時のカステラは現代のような甘〜いお菓子ではないだろうねw
- 49 :
- 卵焼きに大根おろしを添えるから、
その感覚だろう。
- 50 :
- 桃山時代には砂糖は無かったので
カステラとは塩味であった可能性が高い
- 51 :
- >>50
南蛮貿易で桃山時代に砂糖は日本に入ってきていたよ。
金平糖などが桃山時代にあったから。
逆に、江戸時代初期に鎖国をしてからは砂糖が輸入されなくなった。
しかし、島津の琉球支配とともに沖縄産の砂糖が江戸中期から流通し始める。
8代将軍吉宗は砂糖栽培を推奨しており、
この時代には砂糖を使った饅頭や生菓子などこんにちの和菓子が作られるようになった。
- 52 :
- 三関から向こう側の連中って、そんなに遅れてたんだ
- 53 :
- >>37
奈良時代にはR製品食べてたんだよね。
食べなくなったのは平安時代なんだろうか。
そういえば、あれだけ何でも食材にする中華料理でも、
伝統的な品ではR製品て使わないよね。
(上の、奈良時代のR製品摂取って、おそらく大陸渡来の食文化だとは思うんだけど、それもいつの間にか廃れたってことだろうか)
19世紀以降、西洋諸国の船が来航する地域の料理で、
やっと牛Rが使われだしたんだっけ。
まあ、今じゃ中華料理文化圏の人たちも、
ごく普通にチーズバーガー食べる時代になってるな。
しかし、チーズを漢民族が一般的に食べるようになったのって、
ほんとにここ数十年、ごく最近の現象なんだとか・・・。
- 54 :
- 握り寿司が確立したのって文政時代あたりだな。
そうすると食文化年表を書いた時
寿司とカレーの時間差って60年ぐらいしかない。
寿司って伝統を誇るもんではないな。
出自は所詮ファーストフードだし。
- 55 :
- >>54
でも、その差って、日本では、「伝統ある/なし」の判定において、さまざまな分野で結構大きな差なんだよね。
>>1とは外れるが、
A 1860年代の町並みは、文句なく「伝統的な町並み」だと理解される(京都市中京区。蛤御門の変で実は全焼)
http://matinami.o.oo7.jp/kinki1/kyouto-nakagyou1.htm
B 1890年代の町並みでも、まだ「伝統的な町並み」だと理解される(埼玉県川越市)
http://matinami.o.oo7.jp/kanto2/kawagoe.htm
C 1920年代の町並みは、微妙な扱いになる(東京都中央区佃島、大阪市の多くの地区など)
http://matinami.o.oo7.jp/kinki2/oosaka-sinimazato.htm
D 1950年代の町並みは、歴史的であるとは全く理解されない。(東京都台東区浅草)
http://tamagazou.machinami.net/asakusa.htm
- 56 :
- >>54
その寿司の伝統と言うのは、握りだけでなくそれ以前の押し寿司なども
含めれば,明治に国内に入ってきたカレーよりは歴史があるということに
なる。
- 57 :
- >>56
要するに「国内のものを継承した場合は『伝統的』と見なされるが、外国から来たものを発展させた場合はなかなか伝統的とは見なされない」ということかな。
- 58 :
- http://www.daiichisankyo.co.jp/healthy/hlmethod/syokusai/30/history.html
奈良の大仏建立の労働者に報酬として味噌が支払われたらしいが
当の本人達からすれば、高級だがしょっぱいだけの食品をもらっても
嬉しくなかった思われ。
- 59 :
- 貴重なアミノ酸の補給源だったんだろうな
- 60 :
- 江戸時代 食事とか平安時代 食事とかで検索するといろいろ出てくるな
江戸時代の平均的な大名の夕食は、今の一般人よりカロリー低かったのが
わかる、おかずも3種類ぐらいだしで、
- 61 :
- >>58
飯のおかずにも酒のつまみにもなるんじゃない?
- 62 :
- 塩分の補給にもなったよね。
- 63 :
- 江戸時代のカステラっておつゆの具にもなってたんだよな。
- 64 :
- 現代の日本料理でも、魚のすり身を少々混ぜたカステラを、
澄まし汁の具にしたりするね。
- 65 :
- >>63
甘くないカステラを具にしたとして、どんな感じの吸い物だろう?
オニオングラタンスープみたいなものかな?
- 66 :
- 味噌がうれしくないていう感覚がわからん
現代人か?
- 67 :
- >>65
甘くなかったわけではないみたいだよ。
だけどかなり固くて日持ちのするものではあったようだ。
- 68 :
- 味噌って塩辛いものでもあるし甘いものでもある。
- 69 :
- じゃあビスケットスープみたいなもんか
- 70 :
- 明治以降の「洋食」の中でも最高に日本化してるのはトンカツかな。大抵は米飯や味噌汁がつく。
実はカツサンドの存在からも明らかなとおり、トンカツとパンは合うんだけど。
- 71 :
- >>64
それは伊達巻のことか?
>>66
奈良の大仏建立の労働者たちは、報酬として支給された味噌を
実際に口にして「なんだ、塩辛いだけの食いもんか、、貰ってもうれしくないな」
と落胆したのでは?
- 72 :
- 重労働したら汗もかくし、
塩分補給が本能的に欲しくなる。
- 73 :
- ピラミッドの建設の際にも労働者にニンニクが支払われたことがあるそうですね。
- 74 :
- http://www.kabuki-za.com/syoku/2/no76.html
江戸時代後期のおせち
>天保7年(1836)刊の『日用惣菜俎(にちようそうざいまないた)』
>には、年始重詰として「初重かずのこ、二重ごまあへたたき牛蒡、
>三重鮒昆布巻、四重黒煮豆またはてりごまめ」とあります。
>現在にくらべ、江戸のおせちは質素でした。
数の子 ごま和え たたき牛蒡 昆布巻き 黒豆しかなかったわけか。
伊達巻や金団は大名クラスじゃないと食べれなかったんだろうね。
しかし、江戸時代後期は砂糖を国内生産できるようになったんだから
金団のように砂糖使った食品も身近になったのでは?
- 75 :
- >>73
タマネギじゃなかったっけ
- 76 :
- 伊達巻はカステラかまぼことも呼ばれる
- 77 :
- 出島から砂糖輸入してたんだけどな。
長崎街道沿いに菓子文化
- 78 :
- >>77
徳川吉宗がさとうきび栽培を奨励し国産化を進めるが、この時期の国産砂糖は
黒糖が大半で明治以降外国から白砂糖が入ってくる。
しかし、江戸時代では白砂糖を国内で大量生産できなかったのか?
- 79 :
- >>78
和三盆は白砂糖じゃないの?
- 80 :
- >>79
和三盆は、江戸の庶民には高価で口にできなかったのでは?
昔の庶民にとって砂糖とは黒糖を指している。
- 81 :
- 徳川吉宗のさとうきび栽培奨励によって
徳島藩や香川藩で砂糖が作られるようになり日本産の意味で
和三盆と呼ばれるようになった。
こんにちの和菓子に多用される牛皮(ぎゅうひ)はここから
作られるようになった。
江戸時代の庶民が和三盆に限らず砂糖を口にできたかというと疑問。
饅頭屋など庶民的な和菓子屋も城下町などにしかなく富豪はともかく
農村に生きる一般庶民が口にできるものではなかっただろう。
- 82 :
- なんだかなw
そもそも吉宗の砂糖黍奨励は、海外交易での金流出防止が目的。
ということは、奨励以前にそれだけの輸入量があって、
当然、それだけ消費されていたわけだ。
ソレが国産化されて、富豪しか口にできないだと?
知識はあっても知恵足らずw
- 83 :
- >>82
知恵たらずはそっち。
徳島・香川二藩でどの程度の砂糖が量産できたと思ってるんだ?
それ以前には清国からの輸入品「唐三盆」に頼っていたわけだが
これはなかなか手に入らない貴重品だった。
そもそも吉宗の時代以前に、どの程度の和菓子が作られていたのか
調べていたら良い。
- 84 :
- 砂糖黍栽培は土壌の地力を劣化させ、砂糖の精製は多くの人手がいるから
植民地のある西欧の方が大量生産しやすかった。
- 85 :
- 砂糖が入手しにくい時代の日本では水飴や甘づらが甘味料だったが
栄養学的に見れば、砂糖よりもこっちのほうがいいわけで。
- 86 :
- 茶道 團扇 吳服 花道 漢字 圍棋 無不源於中華
- 87 :
- 出島での貿易の最盛期は元禄時代で、日本の銀、金、銅などが輸出され、生糸や砂糖、薬品、香料などが輸入されていたそうで。
輸入品のなかで代表的なものの一つが砂糖。出島は別名「砂糖島」といわれるほど輸入した砂糖で溢れていたのだとか。
この砂糖は主にインドネシアのジャワ島の砂糖農園で作られたもので、計量の後に取引され、その一部は江戸参府の際の贈答品などとして将軍や幕府の役人へ贈られたり、道中お世話になった人々へのお礼、また、長崎でも役人への贈り物とされたのだらしいです。
高価で珍重されていたため、長崎に古くから伝わる伝統料理は甘めなのが特徴。裕福だった証。
それでなくても、長崎奉行赴任は憧れ職だったとかで。
最近では、観光か学術か知りませんが、長崎街道を‘シュガーロード’という言い方をしてるみたいですね。
- 88 :
- オランダ船が大量の砂糖を積み込んでいたのは、砂糖を「バラスト」(船底の重り)として使っていたため。
砂糖は植民地の産物…
奄美大島は薩摩によって砂糖地獄と化していましたなぁ。
- 89 :
- 農耕・酪農・牧畜の歴史・社会史・文化史
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1323952793/l50
- 90 :
- >>88
TVで再放送の暴れん坊将軍で、薩摩藩の搾取に苦しむ島民を吉宗が助ける
みたいな話があったな。
しかし、この砂糖地獄説って最近言われる、日本を何でも悪く言う「自虐史観」
ではないの?そう、かつて非西欧国を植民地にした白人国家や日本を妬む
中国韓国などが、日本や日本人を悪者扱いして優越感に浸りたいから
戦後のGHQなどを通して行われた、日本人の民族の誇りや尊厳をだめにする
ために行われた。「戦後自虐史観教育」の一つとして砂糖地獄説が出てきたのでは?
別に日本人が優秀だなんて言ってるわけじゃない、差別意識強くて傲慢な
西洋白人や自己中心的で嘘つきな中国韓国よりずっと良心的な民族であると
思うんだが、日本人は。
- 91 :
- >>90
薩摩内部でも「奄美の収奪はやり過ぎ」という声が出てたわけで、あまり誉められない状況だったと思うよ。
- 92 :
- どういう人が言ってたの?
- 93 :
- 人頭税とか?
- 94 :
- >>91
奄美の収奪が酷かったのって、薩摩が借金で破綻寸前になって、
藩を挙げて返済しようとしてた時のことだっけ?
- 95 :
- 江戸時代は、とうもろこしとサツマイモ、ジャガイモをなんでもっと
作らなかったのだろう
そうすれば餓死することはなかったのに
- 96 :
- >>92
近思録派。
- 97 :
- >>95
米本位経済で、米を機軸通貨の代わりとして扱っていたから。しかし江戸時代も
ある程度すぎ実質的に貨幣経済になっていたが、幕府が相変わらず米本位経済を
推し薦めた。
- 98 :
- 武士が農民から米を年貢として徴収し、換金する経済体制だったから
東北のように当時としては米ができにくい地域でも無理やり米作りをさせ
飢饉を招いた。
- 99 :
- そうか、勉強になった
- 100read 1read
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