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2013年05月心と宗教16: 仏教 議論スレッド 68 (594) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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仏教 議論スレッド 68


1 :2013/05/07 〜 最終レス :2013/05/12
仏教の総合的な議論スレッドです。
仏教に関すること全て扱います。
仏教 質問箱スレッドで議論になったら、
または、議論に発展すると感じたら、
或いは、話題・論点を拡げたい時は、
ここに誘導し、質問箱の機能の確保に御協力ください。
前スレ
仏教 議論スレッド 67
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1367073730/
ログ保管庫
ttp://houjugusya.web.fc2.com/link.html
Wikipedia ― Category:仏教
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E4%BB%8F%E6%95%99
論文検索
ttp://ci.nii.ac.jp/
ttp://www.jstage.jst.go.jp/AF13S010Init/-char/ja/
ttp://www.inbuds.net/jpn/index.html
パーリ三蔵
ttp://www.tipitaka.org/cell/mainlist.html
ttp://www.tipitaka.org/romn/
大正蔵経検索
ttp://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php

2 :
(どうでもいい余談だがw)
真言宗が心経を読経するときの太鼓は良いなw リズミカルでww
(黄檗宗のドラは近くでやられると頭にひびくwww)

3 :
>>2
太鼓は必ずしも真言宗全体ではないよ。
ローカルな習慣だとおもわれ
前976
そこは文献学によって蚕食されてなし崩しになっていったと思います。
大きな転機は大村西崖の『密教発達史』かと思う
http://www.chisan.or.jp/denbouin/book/gendaimikkyo/13pdf/08.pdf
同様のことはチベットでも起きていますが、チベットは成就者が多いので、
現代では逆に文献学が変わってきて伝統を無視した勝手な解釈は相手にされなくなってきてます。
特にアメリカ、フランス。文献学が根強いのがドイツ圏、日本、スリランカ
前990
それも指摘したと思ったけど
だから、おじいちゃんと仏教は一旦別物としないと絶対わからないってば
前991
そりゃ相手がバラモンでヴェーダに通達するという言葉を使ってるんで
その記号そのまま意味を変えて答えてるでしょ
その部分を本当にヴェーダの達人と読んだ伝統仏教徒でも学者でもいいから誰かいたら教えてくれ
ヴェーダの祭式なんか仏教には一切ないぜ
前993
テーラワーダの伝統説、言語学によって否定される
前994
七日ごとに中有で生まれ変わって最大それが七回
だから7x7で49日
つまんないことでゴネないでね
言っとくが、そういうのは付き合わないぜ

4 :
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1367073730/994
「49(日間)」という数字?
それとも
「次の生までに若干の期間(≒タイムラグ)がある」こと?
つか、ワシがそういうこと調べてるわけないでしょw もともと興味なかったし、
「そうした期間があるかどうか」は話の前提として措くとしても、具体的数字に意味を見ないから。
 (また、時代・地域によって、その意味付けも異なるだろうし。
 チベットにはチベットの、中国には中国の、中国経由日本には中国経由日本の、
 それぞれの意味づけがあろうし、それのどれを選ぶのか?と問われても困っちゃうからw)
ワシ個人は、49日だろうが50日だろうが、スパンは本質的に無意味だと思ってるし、
中有という状態自体、眉唾で見てるから。
一応概略として、
・パーリ・上座部はその期間・スパンを見ない (一部論蔵に言及されるだけ)
・原始初期仏教は、(少なくともテキスト上は)その考え方すら見ない
・大乗は、七七にそれぞれ、審判や通過・変化・浄めの節目を見る(それぞれに仏まで配置する)
といったところか?
おそらくチベットが一番詳細だろうが、その辺は一代でもなく、サロメの担当だろ?w
で、おそらく貴方は、成道の描写も引用しながら『7×7』に崇高重要な意味を見るのでしょうけれど、
(また、いつもの同じ話・言い合いになりますがw)、
それってお釈迦さん発祥でもないし、その意味付けが採用されてもいないですよね・・。
3や7が良い数字だってのは、多分に文化的なものです。
経文・陀羅尼等が三遍返し七遍返しが多いのも、それを受けているからだし。
添削宜しくw  >>3

また迷子になってたわ  乙>>1
(けど、スレ建てはコテ無しが紳士的なマナーだと思うんだなw)

5 :
>(けど、スレ建てはコテ無しが紳士的なマナーだと思うんだなw)
おお、そうなのか?w
それは、知らんかったw  以後、気をつけようw

6 :
>>4
>(けど、スレ建てはコテ無しが紳士的なマナーだと思うんだなw)
なんで?
それとバルド・トゥードゥルは結構くわしいよ
おおえまさのりは問題外だけど、川崎さんの訳もゴンパを瞑想と訳したり、ナーローの六法で解釈するなど、問題が多い
カルマチャクメの要約とかドゥジョム・リンポチェの要約とか、
ギュルメー・ドルジェの英訳がいいと思う。
でもこれもサマヤが発生するように思う。

7 :
>>6
ご新規さんや、当該コテを快く思ってない人とかに対してのイメージの問題。
また、スレ管理者という印象も与えがちだしね。
 *(1は入り口だからね。ご新規さんに対するものとして、
   たとえば、その板での(色んな意味でのものがあろうがw)有名人が立ててたら、
   「ここってそういうとこ?」と二の足を踏ませそうな危惧もあるし。
   1は無味無臭がいいと思うんだな。サロン系スレ・馴れ合いスレなら又別としても。)
そか。 川崎訳が“積ん読”状態なんだが・・・w

>でもこれもサマヤが
密教キビシー!w

8 :
>>7
なるほど。納得、パーピマンも流石の対応ですな
読まない方がいいよ。サマヤが発生するから。
だから、当然オイラも話さないけど。
密教の本は、師匠から習ったことを補う意味で読むのはありかもしれないぐらい
それすら、要らないというのが厳密な道だけど、言葉の壁があるんで、
師匠と意思疎通に不自由でない人以外は厳しい。

そうそう遊びは、カラスに対応するでしょ。

9 :
>>8
>遊びは、カラスに
おお、目から鱗w 確かに。
なんか、色々が一気にスッキリする感があるなw

10 :
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1367073730/991
>966で否定されているのは
「ヴェーダがあったから釈迦は修行する気になった」ですね。
「釈迦がヴェーダの内容を支持しない」のとは、ひとまず別のトピックです。
混ぜると話が散乱します。
釈迦が修行しようとおもった動機に相当するのは四門出遊(か、史実でないならそれに相当する出来事)ですね。
釈迦的には「リグ・ヴェーダとか三ヴェーダの達人」は解脱できません。
梵網経に明らかです。
初期の仏教徒にはヴェーダを学ぶことが許された再生族の人達がいるにも関わらず、
釈迦が修行者にリグ・ヴェーダとか三ヴェーダを引き続き学ばせた形跡がありません。
そこで、三明知とは、三ヴェーダとは別のものを指すと考えるのは不自然ではないでしょう。
「聖霊」がキリスト教では人格を持つ神の第三位格となり、イスラム教では天使ジブリールを
指す言葉にもなったように。

11 :
>>9
おお、やっと共感が得られた
オイラもカラスは全く支持できないから
>>10
そうヴェーダっていうと祭式主義を指すから、一般に
そういう意味で釈尊がヴェーダによって解脱したというのはもちろん、
ヴェーダに基いて修行したという学者も伝統仏教徒も皆無だと思われ
もしかすると変な人がいるかもしれないけど、誰も相手にしていません
釈尊は相手が執着してる言葉を使って、別の意味を与えて戯論寂滅や、
解脱への道に導いてるだけだと、真っ当な人ならハッキリと読めるんだけどね
『スッタニパータ』でダニヤとかバーラドヴァージャとかになされているように

12 :
耕田バラモンの話から出発して、
「釈尊は農作業を元に思索し、解脱した」「農作業(のノウハウ)を下地として仏教は始まった」
というようなものかな。

13 :
釈迦在世時代と現代では諸事情が大きくかわっており、「仏教」から「仏法思想」へと、その捉え方も裾野を広げている。だからと言って経典の本意を曲げるものではない。

14 :
>>12
浅いな、あまりにも浅すぎる。
釈迦が悟ったものは何か、ここから本当の意味での仏教学が始まるといって良い。

15 :
チベット密教全般 気軽に触れるなって事ですね
確かに素人を魅惑する力は強力ですけど^^;
>>4
数字や語句に暗喩を重ねるのは危ない領域の人にその傾向が強いので
仏教に関しても深入りはしません
研究者でも宗教学 人類学全般ですがそっちに入り込んでる連中はもうわけがわからなくなることが多すぎ
廃れてしまった手法ですね
>>6
おおえさんはヒッピー向け英訳の翻訳ですから^^;
そういう時代だったのでしょう^^;

16 :
>>12
そうそう
>>14
それが分かったら学なんかいらんはw
>>15
そうです。というか密教を学んでその通りやらないなら罪しか積まないので
仏教文献学は、テキスト分析に限定すれば着実な方法だと思いますよ
ただそれを解釈する時、常識を持ち込んではどうしようもないということです。
文献学の泰斗ドゥ・ヨングも伝統仏教の解釈を重視する必要があると言ってます。
これは流石だと思います。
そういう意味で伝統仏教と文献学がいい意味で調和した学者に
山口益、生井智紹、水野弘元、片山一良の四人が挙げられます。
前二者が大乗傾向で、後二者がテーラワーダ傾向があります。
それぞれ真宗・真言宗は正に大乗そのもので、
曹洞宗は珍しくテーラワーダに親近性のある宗派だからでしょう。

17 :
>>16
足らねえよ。
ガッツリ遣らなきゃ駄目だな。

18 :
>>17
オイオイ、大丈夫かブッダが何を悟ったか分かったらブッダなんだが
テキストや伝承から、それが何か推測するだけで分かるとはいえないんだは
これはサイエンスとかヴィッセンシャフトって言われるものの基本だろ
それを推測と言わず分かったというと最早サイエンスとかヴィッセンシャフトって言われるもんじゃなく
妄想か信仰って言われるもんだ

19 :
>>3 オイラ氏
>前991
>そりゃ相手がバラモンでヴェーダに通達するという言葉を使ってるんで
>その記号そのまま意味を変えて答えてるでしょ
説法相手:バラモンの青年ヴァーセッタ
Sn.655 (前略)これによってバラモンとなる。これが最上のバラモンの境地である。
Sn.656 三つのヴェーダを具え、心安らかに、再び世に生まれることのない人は、諸々の識者にとっては、梵天や帝釈天と見なされるのである。
バラモンの中で一人も梵天や帝釈天に再生せず、輪廻から解脱した者がいないのであれば、貴兄の説も正しいでしょう。

しかし「梵網経」を読みますと、釈尊が世に出る以前から梵天や帝釈天に再生した存在がございます。
(「大善見王経」では王族が梵天に再生しております。)
よって仏教によらなければ輪廻から解脱できない(梵天や帝釈天に再生しない)というのは如何かと存じます。
(クリスチャンでなければ天国に入れないのと類似。)
>その部分を本当にヴェーダの達人と読んだ伝統仏教徒でも学者でもいいから誰かいたら教えてくれ
以上、素朴な推論ですが、伝統仏教徒や学者で誰一人疑問に思わなかったのであれば、皆そういう読み方に慣れていたとも考えられます。
私達、異教は仏教テキストの伝統的な読み方を知りませんので、直感したまま読んだり、多くは信に引き寄せて読む傾向にあります。
また末法の世に伝統的解釈は担保されているのでしょうか。

20 :
>>19
>バラモンの中で一人も梵天や帝釈天に再生せず、輪廻から解脱した者がいないのであれば、貴兄の説も正しいでしょう。
相変わらず分かってないね
仏教では梵天や帝釈天も輪廻の中、苦の中で解脱できない存在なんだよ
で、『梵網経』で外道の聖者は「このような趣く先をもたらし、このような未来をもたらすであろう」というのはそれぞれの三昧の境地に見合った天に転生するという意味
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html
これは時代も地域も問わない伝統仏教の一貫した立場だよ
なんであれ体系的なテキストきっちり読めば必ず書いてあること

21 :
>>18
生半可な学入れているからその程度なんだな。
釈迦は「諸法実相」の在るべき姿そのものを悟ったという話だ。

22 :
>>20
なにも遠回りする必要はない。
そんなやり方じゃ生きているうちに成仏まで行かんよ。

23 :
>>21
学ってそういうもんなんだが。
それは重要じゃないんで、どうでもいいとして。じゃ、君のいう
>「諸法実相」の在るべき姿そのもの
ってどんなこと、そしてそれが妥当だと何が保証するわけ?
それも言えないんじゃ、学でもなんでもない唯の妄想、ハッタリ確定だって自覚しないといけないし、一行コメントじゃ学だって学者は認めないはなw

24 :
>>22
オイオイ、学なのか伝統的な道なのかハッキリ自覚しないで適当に使ってたのかw
もう、いいは

25 :
>>19 在家さん
(1/2)
もうちょっと先入観なく、じっくりとテキストを読んでみてください
>よって仏教によらなければ輪廻から解脱できない(梵天や帝釈天に再生しない)というのは如何かと存じます。
まず輪廻からの解脱=梵天や帝釈天への再生、というのは早合点かと思います
>Sn.656 三つのヴェーダを具え、心安らかに、再び世に生まれることのない人は、諸々の識者にとっては、梵天や帝釈天と見なされるのである。
とありますが、【三つのヴェーダを具え〜生まれることのない人】は、【梵天や帝釈天とみなされる】のであって、
梵天や帝釈天に【新たに転生するのではありません】
(続きます)

26 :
>>19
(2/2)
(続きです)
このことは同じくSnの151の
>立ちつつも、歩みつつも、坐しつつも、臥つつも、眠らないでいる限りは、この(慈しみの)心づかいをしっかりとたもて。
>この世では、この状態を【梵天の境地】と呼ぶ。
(中村訳は”崇高な境地”。原語はブラフマ・ヴィハーラ)
とあるように、慈悲心の完成を梵天に例えていることも同様です
いずれも、梵天(or帝釈天)に【再生する】とは書かれていないでしょう?
いかがでしょうか?

27 :
>>19 一在家
>Sn.656 三つのヴェーダを具え、心安らかに、再び世に生まれることのない人は、諸々の識者にとっては、梵天や帝釈天と見なされるのである。
>>20 オイラ氏
>仏教では梵天や帝釈天も輪廻の中、苦の中で解脱できない存在なんだよ
その論理だとSn.656の「再び世に生まれることのない人は、梵天や帝釈天と見なされる」は仏の教えではないことになり、
つまり「(仏弟子ではない外道の)諸々の識者にとって」の見解になります。
スッタニパータの中に仏の教えでない、「梵網経」のように異教の見解が述べられていることになるのではないでしょうか。
一応論理的に整合しますが違和感があります。

28 :
>>24
まだあれだな、
一を聞いて十を知るレベルでは無さそうだな。
よし、わかった!
「諸法実相」の展開をするが、長い話になるので改めてすることにする。
まあ、それまで楽しみにしていてくれたまえ。

29 :
>>26
>いずれも、梵天(or帝釈天)に【再生する】とは書かれていないでしょう?
はい、梵天に【再生する】とは書かれていないです。
>>25
>とありますが、【三つのヴェーダを具え〜生まれることのない人】は、【梵天や帝釈天とみなされる】のであって、
オイラ氏は【梵天や帝釈天】は【生まれることのない人】ではないのが仏教解釈上の常識とのことです。
少し貴兄のご説明と差異があるかと存じます。

30 :
>>27
ここは対機説法のいい例だと思いますよ
説法の相手はバラモン姓であるヴァーセッタという青年です。
かれはヴェーダや梵天というバラモン教の言葉の世界で生きています。
いわば、ヴェーダや梵天、バラモンという言葉に執着があるわけです
そこで釈尊は、ヴェーダや梵天、バラモンという空っぽの言葉に、新しく意味を入れ替えて、仏教の教えを説いているのです
>>29
>オイラ氏は【梵天や帝釈天】は【生まれることのない人】ではないのが仏教解釈上の常識とのことです。
>少し貴兄のご説明と差異があるかと存じます。
そうではないと思いますよ。在家氏は、貴方が「梵天(帝釈天)に再生=輪廻からの解脱」と勘違いしている、と見たので
誤解を解くためにそのような表現になったのだと思います

31 :
訂正
在家氏は、貴方が → 一代氏は、貴方が

32 :
前スレを成仏させてから書き込めっての

33 :
>>32
前スレは容量落ち

34 :
>>30
>そうではないと思いますよ。一代氏は、貴方が「梵天(帝釈天)に再生=輪廻からの解脱」と勘違いしている、と見たので
>誤解を解くためにそのような表現になったのだと思います
>>19 一在家
>Sn.656 三つのヴェーダを具え、心安らかに、再び世に生まれることのない人は、諸々の識者にとっては、梵天や帝釈天と見なされるのである。
「正見」というか小学生がSn.656を読めば、「再び世に生まれることのない人=梵天や帝釈天」と意味を理解すると申しております。
なお四悉壇より、釈尊はそうは思っていなくても相手に合わせて方便でそう説いたのであれば、それはそれで宜しいかと存じます。

35 :
このスレの三大あほぉ
 
@ 一在家
A 凡夫一代
B 宝珠愚者

36 :
>>30
訂正しまっす(よく読んでなかった。。)
一代氏の言うとおり、【梵天や帝釈天】は仏教の常識として、輪廻の生存にすぎず、輪廻の苦からは脱出していません
むしろヴァーセッタのように解脱者をバラモン人の言語習慣に合わせて【梵天や帝釈天】と表現する方が圧倒的に珍しいです
Sn 151(慈経)の
>立ちつつも、歩みつつも、坐しつつも、臥つつも、眠らないでいる限りは、この(慈しみの)心づかいをしっかりとたもて。
>この世では、この状態を【梵天の境地】と呼ぶ。
という箇所も慈悲の完成を【梵天の境地】と表現しているのであって、【梵天の境地】=解脱としているわけではありませんし

37 :
>>34
>「正見」というか小学生がSn.656を読めば、「再び世に生まれることのない人=梵天や帝釈天」と意味を理解すると申しております。
ええ、Sn 656はヴァーセッタ・バラモンに合わせた対機説法なので、ここでは相手になじみのある【梵天や帝釈天】という言葉で、
解脱を表現しているわけです
ですが、一般に梵天や帝釈天は、輪廻の中にある衆生とみなされます。ここは宜しいですか
>なお四悉壇より、釈尊はそうは思っていなくても相手に合わせて方便でそう説いたのであれば、それはそれで宜しいかと存じます。
うーん、そう思ってないというより、梵天や帝釈天という言葉自体は、自性を持つものではなく、空っぽなので、そこにどんな意味もこめられるのですよ。。

38 :
これが、素(天然)なのか意図的なのかわからんがw、
在家はずっとこうだもんな・・・w
ワシは狭量で和辻寄りだからwww、
一代みたいに、“在家の方がマシ” なんて到底思えないんだよね・・・。

39 :
在家と凡夫はなあ・・・救いがたい!

40 :
>>37
>ですが、一般に梵天や帝釈天は、輪廻の中にある衆生とみなされます。ここは宜しいですか
そして釈尊は下生前は梵天で、更に悟った後に梵天に背中を押されて初転法輪を決意しました。ここも宜しいですか
下生前は梵天:長部「大善見王経」to アーナンダ、「三明経」to バラモン を参照
梵天に背中を:長部「大本経」to 比丘達 を参照

41 :
小乗経は大乗経にくらべ範囲がせまいからな。
時間潰し程度に関われるだろう。
膨大な大乗の経典群は、その選択肢によって人生が180度ちがうからな。ある意味命懸けでもある。
それに訳者によっても、その精度は異なってくるので取っ掛かりづらい面があるのも否めないだろ。

42 :
>>39
>在家と凡夫はなあ・・・救いがたい!
貴兄は断見派の方でしょう。 読心通が無くても分かりますよ。
理由は私とオイラ氏を憎むからです。

43 :
>>40
別に不思議ではないですよ
梵天勧請は衆生の代表者に懇願されたということ
それに仏陀は天から人間界に下るという一種の試練を乗り越えられたということ
それだけでしょ

44 :
ある単語を用いる際の捨象なんて、誰でもよくやってると思いますけどね。
ヘンデルを音楽の母と言い出した人は別に彼が実は女性だったと思ってるわけではないでしょう。
イエスも生物学的な意味で羊とか獅子とか呼ばれてるわけではないでしょう。
神を父と呼ぶ聖書の慣習もそうです。
しかしヘンデルは「音楽の母」であり、イエスは「子羊」「獅子」であり、ヤハウェは「父」であると
みなされているのは確かなのです。

45 :
在家さんのツボがさっぱり分からないなあ…orz
サロメさんがレスしてれてるし、もう任せよう。。。

46 :
>>44
キリスト教でも 人間が嫡子に等しい神の養子になったことを表現するのに
神の子 と呼んだり そういった信者たちを 神々 と表現します
在家さんはそういった聖書の形容を直に解釈して 人間が神の神性を持つ
人間は神の本質を持つのだ。。。と解釈されてしまうのですよ

47 :
文字通りの意味で帝釈天という意味ならまずいでしょう。
帝釈天は軍神ですから。
「彼は敵の殺戮(戦闘)において呼び招かるべき者なり」リグ・ヴェーダ4・24のインドラの歌

48 :
>>45
ヒント 〜 額の真ん中

49 :
仏教でいう仏とか菩薩、まは天照や八幡というのは、それぞれの役割をもつ生命の働きなんだよな。
今にある仏像など、古美術程度の価値があるぐらいかな。末法とはそういう時代。
各々の持つ「一念」とは「法」そのもの。ここがみそ。

50 :
>>45
>在家さんのツボがさっぱり分からないなあ…orz
貴兄は多分このスレの前世、前々世、過去世スレを読まれてないからかも知れません。
長部「大本経」で有名な「梵天勧請」がございますが、仏教徒の多くは梵天が釈尊に懇願したと伝統的な解釈をしております。
私はこのテキストを読みまして別の解釈をしました。
・釈尊は説法を諦めようとしたが大梵天の中の一方が説得して仏は心変わりした。
・大梵天は釈尊を上回る天眼通で世界中をスキャンし初転法輪の対象者がいることを根拠とした。
・この大梵天の人類愛(大慈悲)が無ければ初転法輪は行われず、今日の仏教は無かった。
ツボの一つは大梵天への感謝でしょう。
ですから、帝釈天はおいておいても、梵天を過小評価する書き込みにはコメントを入れております。
PS
もしかしたら貴兄はオイラ氏が推薦したX氏かも知れませんね。

51 :
>>27
ちょっとアナタの文を誤読してたので説明が雑でした。
お詫びして、もう一度。答えは同じです。
相手が執着している言葉を否定せずに、意味を変えています。
ここは中部98経ヴァーセッタ経と平行するものです。
相手はバラモンで、バラモン、三ヴェーダ、梵天などを真理として執着しているので、
それらの言葉・記号を否定せずに内容を変えていることが分かるでしょう。
だから、バラモンといってもここで釈尊が真のバラモンというのは仏教のシャモン、あるいはアルハットのことです。
それは生まれではなく行為でバラモンになるという点と、653で縁起を見ると説かれていることから明らかです。
行為、カルマでバラモンになるとはバラモン教では説きません。
それは置くとしても縁起は仏教以外で説かないのでこれでハッキリするでしょう。
次に三ヴェーダというのはバラモンでは、リグ、サーマ、ヤジュルの三つですが、
656で三ヴェーダというのは647で説かれる三明に他なりません。
つまり、三明を知るものはアルハットです。
これと同じで梵天、帝釈天という記号は三明を知るものはアルハットの境地を指しますから、ネハンに他なりません。
ですので、『梵網経』と全く矛盾しませんよ。諸学者もそうとっています。
中村先生も註で三ヴェーダを三明としています。
>>34
『スッタニパータ』は前から何度も言ってますが
暗記用に諸経のエッセンス・詩句だけ抜いた難しい経典なんですよ
お坊さんたちは教えを受けてるから、詩句からそれが思い起こされるのでいいんですが、
現代人は省略されている部分を勝手に妄想で自分に引き付けるからなあ
小学生とかが読むのは無理。まして中村訳はよくないし。

52 :
>>44
それと仏教は違う。
仏教の場合は、言葉・記号に本質がない無我・空で仮設だとするので、
相手が掴んでる記号を手放す方向に意味を変えて用いるんです。
釈尊などは相手が傷つかないように巧妙に述べます
龍樹菩薩などは外科手術のようにバッサリ述べます
目的は同じです。
>>46
あの説明で分かってもらえないと私にはもう無理ですね

53 :
>>50
そうそう彼の方が賢いし、何より心が綺麗! 
もう、オイラは消えた方がいいかもね〜

54 :
>>52
形容を直接的に解釈した上にその主張の補強のために
見当違いな資料を引用します
たとえば>>46で引用した 人間=神の子 神々=人間は本来は神性を持つ!
。。。の補強に キリスト教とは直接無関係なユダヤ教の分派 クムランの宗規文書にある
光の子といった表現を持ってきたりするわけです
本来はその文書自体の表現の意味合いを検証すべきなのですが それを抜きにある学者が
クムランはキリスト教と関係があると言っているから。。。で済ませてしまう
先に結論があってそれを補強する材料をかき集めるというわかりやすい手法なので
それを事前に理解されておくといいかもです
在家さん個人にはなにも含むところはありませんけどね

55 :
>>51 オイラ氏
>相手が執着している言葉を否定せずに、意味を変えています。
バラモンの青年に対して釈尊は四悉壇の内の「各各為人悉壇」を用いて対機説法をされた
ということで、目出度く本議論は止論と致しましょう。
仏教テキストベースだけだとカラス氏のヴェーダ達人の指摘も間違いではございませんので、
引き続き仏教テキスト&四悉壇をベースに進めて参りましょう。
釈尊の秘書のアーナンダ尊者は仏教テキストを一番よく知っておられたのに、四悉壇の空気が
読めなかったせいで、「ゴータマ先生は4枚舌か?」と悟りが遅れたのかも知れません。

56 :
>>54
そうそう、なんか基礎はテキストに添って最後に強引に引っ張ってくるのが
彼の手法ですね。あとタヌキ芸ね。

57 :
>>55
梵天は輪廻する衆生であるでいいですね?

58 :
>>52
ヴァーセッタに対して「帝釈天」「梵天」というのは
如来十号や「竜」「象王」などの表現とはまた違う、
「特定の相手のための手立て」ということ、と言う事でよろしいでしょうか。
ヴェーセッタは一瞬「?」となったと思います。
虫も殺さないような覚者がインドラとは……。
>>54
「主流派キリスト教の人もそう考えている」とは考えないのでしょうが、
イエスや釈迦などは彼らと違う「(自分と同じ)『わかってる』側の人間」と
見なしているのだと思います。

59 :
>>55
>釈尊の秘書のアーナンダ尊者は仏教テキストを一番よく知っておられたのに、四悉壇の空気が
>読めなかったせいで、「ゴータマ先生は4枚舌か?」と悟りが遅れたのかも知れません。
なんでこういう妄想を入れるのか理解できない。
>仏教テキストベースだけだとカラス氏のヴェーダ達人の指摘も間違いではございませんので、
間違いでしょ。なんでだよ。最初から言ってる通りだってまだ分かんないの?
こういうんじゃ、話にならないんですけど

60 :
>>54 サロメさん
>。。。の補強に キリスト教とは直接無関係なユダヤ教の分派 クムランの宗規文書にある
>光の子といった表現を持ってきたりするわけです
グノーシスを引用した場合は貴兄のご指摘の通りでしょう。
しかし、クムラン宗はユダヤ教エッセネ派、洗礼者ヨハネがその一員だったとの学説も多いようです。
その洗礼者ヨハネをイエス自身が「モーセを含む全ての預言者より偉大」と保証された訳ですから、
「キリスト教とは直接無関係な」というのは貴兄ら現代のメジャー派の見解でしょう。
またナザレは3世紀頃に作られた地名だということもキリスト教議論板に紹介済みですが、
板違いなのでこの辺で止めておきましょう。

61 :
>>58
キリスト教は神と人間には断絶があるが信仰によって神に接近できる
この構図が
ある種の新興宗教 新新宗教がもつ選民思想 人間は神
人間にはすでに仏が宿る と言った考えに不都合なのでしょうね

62 :
>>60
だから貴方が取捨選択した結果に過ぎない
>の学説も多いようです。
は根拠になりえませんし
洗礼ヨハネの素性もキリスト教には無関係です
ナザレの地名についても関係ありません
つまり検証の代わりに妄想を入れるのが貴方の手法です

63 :
>>55
在家さんはきっちり確認とっとかないと後でとぼけられるんで、以下他の三人も絡んでますんできっちり答えてくださいね
1.梵天、帝釈天も『スッタニパータ』でも輪廻する存在で、
そこでいう「梵天、帝釈天」はネハンの意味だった。
2.だから『梵網経』と矛盾しない
3.釈尊がヴェーダによるというのは記号に囚われた誤解だった。
以上三点一々、明確にご返事ください

64 :
洗礼ヨハネはクムランの一員だった 学者がそういっている←在家氏の取捨選択した学者

洗礼ヨハネは新約でイエスが評価してる

(飛躍)

だからクムランの宗規文書の光の子表現は新約の神の子表現と同じ
申し訳ありませんがむちゃくちゃです
>>54参照
ブッダが梵天云々も同じような主張の手法だと思いますけど。。

65 :
在家は、物腰が丁寧な分、却って神経を逆撫ですんだよな・・・w

66 :
>>59
>なんでこういう妄想を入れるのか理解できない。
これは妄想でなく、過去にこのスレでどなたかが言っておられたので記憶しております。
秘書アーナンダは同じ法を釈尊が色々な説き方をされたので混乱したとかいった内容だったと思います。
出典は不明ですが、どなたかご存じの方はご教示願います。>住人各位
(参考)「仏教要語の基礎知識」水野、P4
仏が人々に法を説かれる場合には、相手の智慧経験の高下浅深によって、同じ教理を示すにしても、その説き方を違えられた。
(中略)以上のような仏の説法態度が経典に出ているのであるから、経説の理解も複雑になってくるのである。

67 :
>>44
ですね。
「“仮置き”される主体を、根源的・始原的・永続的主体と見做す」ことが、
顛倒妄想無明の最たるものというのが、通仏教的に肝なんですけどね・・。
だから、主体希求という顛倒妄想の中にある凡夫・外道は、
 「涅槃を見る主体が居ないじゃないか!?」
という焦燥を生じるわけで・・・。

68 :
>>64
彼の目的はおじいちゃん説が仏説やイエスなどと同じって言いたいだけですから
そういうやり方じゃもったいないって言ってるんだけど分かってくれないんです
私はおじいちゃん説を否定してるわけではなく、それを仏教に引き付けるのは止めてくださいと言ってるだけです。

69 :
>>66
それはいいから、三つに答えてください

70 :
>>68
私も各宗教を真光視点で混淆させ
それを万教帰一と主張することには賛成できないだけですね

71 :
>>67
あれ? なんで44ってアンカー入れたんだろ・・?
話が繋がってない・・・ orz  寝ぼけて夢でも見てたんだろうか・・・?w
忘れてください m(_ _)m  >>44さん

72 :
>>63 オイラ氏
>1.梵天、帝釈天も『スッタニパータ』でも輪廻する存在で、そこでいう「梵天、帝釈天」はネハンの意味だった。
『スッタニパータ』でも、梵天or帝釈天=輪廻する存在=涅槃の意味
同意できません。輪廻=涅槃という点が腑に落ちませんので。
>2.だから『梵網経』と矛盾しない
『梵網経』では、大梵天も世界の消滅・生成の際に再生されたとのことですので、「梵天=輪廻する存在」と矛盾しません。
>3.釈尊がヴェーダによるというのは記号に囚われた誤解だった。
四悉壇を考慮せずにストレートに記号に囚われた誤解だったと補足します。
>在家さんはきっちり確認とっとかないと後でとぼけられるんで、
現在の私も空性であれば、未来の私は見解が変化している場合もありますので、あしからず。

73 :
イエスをライオンに例える場合
「子殺し」「老いたら若い雄ライオンに負けて群れを追放される」
などのニュアンスは含まれないでしょう。
「再び世に生まれることのない人」を例える際の帝釈天・梵天でも同じでしょう。

74 :
死ぬほど遠い未来に地球人が宇宙に自分とこの宗教を布教しにいく場合、
各惑星の文化上のイメージを参照し、宇宙人に対し、現地の異星生物を喩えとして用いることになる
……のかもしれませんね。

75 :
>>72
>『スッタニパータ』でも、梵天or帝釈天=輪廻する存在=涅槃の意味
>
>同意できません。輪廻=涅槃という点が腑に落ちませんので。
だから、バラモン側の記号を使って意味は全て仏教になってるでしょ
だから輪廻=涅槃ではなく、バラモン側で最終的目的とされる梵天or帝釈天ではなく
梵天or帝釈天という記号が涅槃の意味に言い換えられてると
なぜ、あれだけ説明して分からないのでしょう

76 :
>>68 オイラ氏
>彼の目的はおじいちゃん説が仏説やイエスなどと同じって言いたいだけですから
私は7年ほど前に仏教議論板に参りました。
私が祖父の寝言を引用したのは1年ほど前からですので貴僧の思い込みですよ。
何回も自己紹介をしましたが、50年近く前に師と万福寺の岡崎大僧正が、
「本当の釈尊の教えを知るのには原始仏教を調べる必要がある。」と意気投合されたのが因で
仏教議論板で対話しながら学んでおります。
>>70 サロメさん
>私も各宗教を真光視点で混淆させ それを万教帰一と主張することには賛成できないだけですね
富士山の頂上に至る複数の登山ルートを探しているのであり、人智で作られたルートは対象外ですよ。

77 :
>>76
いやいや、そんなことないでしょw
で、それはいいんで、梵天は納得しいただけた?

78 :
>>75 オイラ氏
>だから、バラモン側の記号を使って意味は全て仏教になってるでしょ
>だから輪廻=涅槃ではなく、バラモン側で最終的目的とされる梵天or帝釈天ではなく
>梵天or帝釈天という記号が涅槃の意味に言い換えられてると
上記の文章であれば分かりました。

79 :
>>53 オイラ氏
>そうそう彼の方が賢いし、何より心が綺麗!
「泥の中のドジョウすくい」という言葉があります。
綺麗な人が汚い泥の中に入るには慈悲が必要ですね。ご推薦は分かりました。

80 :
>>78
よっしゃ〜

>>79
確かにノーブルな彼より、パンクなオイラの方が2ch はお似合いかもw
まるっと解決!

81 :
>>76
>私は7年ほど前に仏教議論板に参りました。
一番驚いたことは住人の多くが輪廻を否定していたことでした。
原因を調べましたら、どうやら「中論」の誤読にあると仮設しました。
(誤読ポイント)
・龍樹は釈尊を超えた天才である
・縁起の法は因果の法でなく、相互依存性である
・龍樹は八不にて時間・運動が無いことを証明した
最近はオイラ氏らのように同じ「中論」を読んでも、輪廻の法を肯定する住人が
増えてきましたので、ほっとしております。>>76
>私は7年ほど前に仏教議論板に参りました。
一番驚いたことは住人の多くが輪廻を否定していたことでした。
原因を調べましたら、どうやら「中論」の誤読にあると仮設しました。
(誤読ポイント)
・龍樹は釈尊を超えた天才である
・縁起の法は因果の法でなく、相互依存性である
・龍樹は八不にて時間・運動が無いことを証明した
最近はオイラ氏らのように同じ「中論」を読んでも、輪廻の法を肯定する住人が
増えてきましたので、ほっとしております。

82 :
「ああ、アイツはウチのチームの“イチロー”だよ」
「ウチの課には、封緘の“プロ”が居てね・・w」
「あの子はね、この町の“アイドル”なんだよ」
「奴は言ってたよ・・。お前を、光秀に討たれる“信長”にしたくない、と」
「想像創造力豊かに絵の具を使える子は、皆岡本太郎である」等等
上記全て、各語の原義及びストレートに支持する対象を示すのではなく、
【それぞれが含有する或る特性(或いはポジション)を抽出適用させている】
わけだが、
在家は勿論、宝珠もカラスも、コレが理解できないみたいなんだよね・・・w ┐(´ー`)┌

つか、この話も何百回と繰り返されてるよな・・w

>>80
そういうのを“御人好し”と言うのでは?w

83 :
こういうの(>>81)も、カラスや隠居にも共通する逃避テクだなw
(確かに個々では、より重要・根本と思われるが)
【文脈的に、対話の流れ的に、今はその話でないのに】違う論点を持ち出して、
現前の、自らに突きつけられている指摘・批判を回避しようとする。
で、それは違う話でしょ?と言われると、
「いや、これこそが重要な論点だから。(今為されている指摘・批判は不問にしろ)」とね。
(隠居なんか、ハッキリとそう言うもんなw)

84 :
>>76
>富士山の頂上に至る複数の登山ルート
契約の宗教は道がひとつだけ 契約はひとつなんですよ
だから混淆はできません 相手の宗教にも失礼でしょう
ただ
それでも相互理解はできるし敬意ももてます
一夫一婦制社会に一夫多妻 一妻多夫を持ち込んでも混乱を招くだけです

85 :
>>82
>そういうのを“御人好し”と言うのでは?w
はいはい、縁起バカですから

86 :
         A列            B列
       バラモン教         仏教
    (≒ヴェーダ(の文脈))
最高・最終  ・梵我一如       ・涅槃
の境地
目指すべき
ところ
知らるべき  ・全ヴェーダ聖典    ・縁起、四諦、
智慧                    無常、無我、苦
最高の    ・梵天・帝釈      ・ブッダ・阿羅漢
境地に
至った人
ヴェーダ    ・ヴェーダ聖典に   ・ブッダの教えに
の達人      通暁した人     通暁した人
修めきった人  修めきった人

3ヴェーダに  ・3ヴェーダに    ・三明を
通じた人     通暁した人      修めきった人
修めきった人

梵行、      ・伝統的       ・ブッダの説く
清浄な修行    バラモン祭儀     実践行
最上の行     の行        ・涅槃・解脱
                       へと導く行

87 :
こういう図式だと考えれば、
梵我一如=涅槃と考えてしまうことも、さもありなん、かな・・・。

88 :
>>87
いや、それより現象が仮象、幻で、実在、アートマンにヨーガで合一できるみたいな神秘主義の理解を一旦持つとそれで分かった気になっちゃうってのが強いと思う
それと逆で机・遊び・生命教流の常識気休め説ね。
なんでも一旦、筋が通ったと思うとそれに当てはめて、当てはまらないやつは切り捨てるプロクルーステースの寝台です

89 :
あ、位置補正が足りてなかったか・・・w
ま、判るっしょ。

>>88
けど、少なくとも在家&カラス(&宝珠)は、(しかも、このスレ一連の件は)、
【テキストの記述のされ方の(上記図のような)等号から】、
「ブッダもアートマンを説いた」「梵我一如を説いた」
「仏教はヴェーダ(或いはヒンドゥ)の教えだった」
と導き出してるわけで・・。
体験(定)の恍惚性(特別性)由来ではないでしょ。

しかし、物知りだねぇ・・w  その逸話(神話)初めて知ったwww

90 :
>>89
後付でしょ
最初は神智学とか、グノーシスとかムーとか

91 :
>>87
>梵我一如=涅槃と考えてしまうことも、さもありなん、かな・・・。
むしろ「仏・仏子一如」とイメージしております。
(参考)入中論12-40:仏の未来の寿量は世間の人が全て成仏しない限り存する。
完全な涅槃に向かう心を退けてまで「衆生済度」にこだわる如来には意図がある筈です。

92 :
>>前スレ956
>あれは漢訳の原典はパーリじゃなく、サンスクリットとか中期インド語で
>原典から微妙にパーリと違ってて、漢訳者のせいじゃないって何回か言ったのに
 増谷文雄(訳著)『阿含経典』筑摩書房刊の「総論」にも、パーリ五部聖典と漢訳四阿含との対比(対
応関係)だけしか触れられてないけれどね・・・。内容に違う部分があるからパーリを原典とはしていな
い(つまり、サンスクリット聖典からだ)、という結論も果たしてどうかなと私は思います。
 漢訳時(翻訳)における改変・歪曲や付加挿入などはある筈がないというなら、そういった決め付けも
大きいのでは?
 いずれにせよ、漢訳阿含経には大乗影響が見え隠れしているのは確からしい・・・。増一阿含経など
は大乗が所蔵していたものと見られると、>>前スレ984の根拠とも合わせて、そのことを増谷氏は指摘し
ています(シナ仏教そのものが大乗なのだから、これはしごく当然かと!)。
 大乗徒というのは、自分達の正統性を主張するためならば何でもやりますから(大義名分のためなら
経典の偽造生産、経典改造なんかは常々、平気で正当化されます)。
増一阿含經 (No. 0125) 0549b13 - 0550c14:
宜分部世尊所説各各異菩薩發意趣大乘如來説此種種別人尊説六度無極布施持戒忍
[show] (1 hit)
 『世尊の所説おのおの異なる。菩薩は意を発して大乗に趣き、如来この種々の別を説く』
(増谷文雄訳『増一阿含経』1.1)
>>前スレ987
>基礎知識くらい持っといてくれよ・・・。
専門大学で受講するような事柄を我々が知ってるわけがないよ。
そんなこと一般書の何処に書かれてるの?(涙)...

93 :
>>前スレ973
>>そうそう密教を講座とかは
>よくあるカルチャー講座的に、概略把握へ向けた程度のものでも、やっぱり駄目?w
>(いや、予想通りの回答だし、この答えも薄々わかるけど、やはりキビシイね・・・(^^;) )
偏狭な意識です:
もう時代遅れですよね。
 この智山が見せる明るく建設的な姿勢を見よ!!
智山伝法院
(真言教学・仏教学のテーマ・教相に基礎づけられた事相や儀礼の解説や実習の講座、寺庭婦人の寺院
生活に役立つ講座、あるいはインド・チベット密教やサンスクリットに興味をもたれる方のための講座等)
の開設、阿字観の直指導、機関誌上のヒンドゥー・ヨーガの解説指導(連載)もあり。
 しかし、これに対する古義/高野山は、株価運用で6億8千万円もの(信徒たちからの大切な浄財を)損失
するなどという大師のお顔に泥を塗る始末ですよ。別件では、セブンの母校/駒大も69億余もの損害賠償
の要求が棄却されたとからしいけれど(まっ、仏教には関係ないけど・・・)。

94 :
>>前スレ970
>教えを聞いたらサマヤが発生するんで
>やるしかありません。やらなかったら酷い目にあう教えです
いいえ、遭いませんから(脅し=迷信:乙)。
>>16
>というか密教を学んでその通りやらないなら罪しか積まないので
ならば、
ゴータマの教えを学んでその通りやらないのとでは、
一体、どっちの罪が重いのです?
ある意味では、大乗の方こそ罪を積みまくりでしょ??
(経典の偽造と大量製造、大乗非仏説について研究する真摯な僧侶を見せしめ破門)
>>前スレ953
>在家さんも宝珠さんもキリスト教に強い影響受けてるからですよ
 「キリスト教」にではなくて、「イエス」にですよ。それは、キリスト教(教会)を通じてもたらされるイエスに
ついての話しなどではなくて、神智学、及びオカルティズムの系譜から提供されたイエスについての話し
ですから(聖書そのものは自分でも開くけれども)。
 あっ、ただ、“エホバの証人”の家庭聖書研究を半年間ほど受けたことはあります。日頃から彼等の真摯
な姿勢には心から敬服しているので・・・。あと、“モルモン末日聖徒”のスライド上映会を自宅で開いてもらっ
たこともあるけれどね。 (これを以って、キリスト教に強い影響を受けたというなら否定しないが・・・)
 まっ、確かにイエスが好きであることは間違いない。

95 :
>>94
>(大乗非仏説について研究する真摯な僧侶を見せしめ破門)
そう。こういう研究者は輪廻も否定する常識派なんだけどな?
君の立場の揺れは、明らかに神智学的矛盾に行き着くんだよなあ
輪廻は認めても、動物には輪廻しないとか
輪廻や神通、さらにはクートフーミは認めても大乗仏典やテルマは認めないとか、
それでも密教やバルド・トゥードゥルは認めるとか
>>92
>専門大学で受講するような事柄を我々が知ってるわけがないよ。
そんなこと言われてもね。
一般書に載ってないから、証拠にならないというのはないでしょ
逆に一般書レヴェルでの議論に限界があるんだって自覚すべきでしょ

96 :
>>11
>そうヴェーダっていうと祭式主義を指すから
ちゃうやろ。ヴェーダってのは当時のインドで発展した宗教的な文書の総称であり
そこには祭祀もあるが、それだけではなく、瞑想や、哲学的なものも含まれてんだろ。
その思想から出た宗教の一つがバラモン教であり、主にバラモン教は祭祀主義を中心に発展した
宗派の一つであり、ヴェーダ=バラモン教とみるのは誤りである。繰り返すがあくまでバラモン教はヴェーダを元に
出来た宗派の一つであり、仏教も、ジャイナ教もその一つに過ぎない。それぞれヴェーダの解釈の違いで
宗派が分かれているだけ。ちなみにヴェーダの文書に書かれている祭祀などなにかの
たとえでそのような儀式をやるようにと何者かがそのような文書を残して当時のバラモン教はその祭祀
主義に陥ったが、大事なのはその儀式に秘められたメッセージであって、そんな儀式自体には
なにも意味は無かったことにゴータマさんは気付いたんだろ。
たとえばカトリックのミサ。あれは最後の晩餐の再現だが、重要なのは最後の晩餐の物語に
秘められた創造の秘密の真理を知ることであり、儀式に過ぎないミサ自体には全く救いには意味が無いのと同じでさ。
じゃぁ、最後の晩餐の意味とはと解説してあげたいところだが、ここで話すの豚に真珠なのでやめておこう。
で、一代さんよ。お宅だろ、前にヴェーダとウパニシャッドは別物だとチンプンカンプンなこといってたの。ウィキだがこれでもみて
基礎から学べよ。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%80
たく、ウパニシャッドとヴェーダは別だなんてよく言ったもんだ。お宅は人のことを言う前に、間違いを素直に認められないのは
自分もだってことを自覚したほうがいいと思うよ。

97 :
越法罪破るとやばい(=それに応じて起動する超自然的なものがある)は迷信だが、
宝珠さんが支持する超自然的事柄(「カルマの主」がいる、とか)は迷信でない。
その基準を明確には答えられないでしょう。
>>96
ストーリーだけ作ってどうするんですか?
ウパニシャッドの時も、同じ言い回しを使っている(雨を降らせよ、がどうの)
……よって自性についての教義にも同意している、という無理くりな話でしたよね。
はじめにストーリーが先行しすぎです。

98 :
おやおや、やはりというか予想通り、ゴータマさんがヴェーダを否定せず、ブラフマンを
否定しなかったのは、相手がバラモン教徒だったから相手に合わせた待機説法、方便と末法仏教徒
お得意の詭弁がきましたね。ま、仏教自体が詭弁を好むような君ら悪人からヴェーダを切り離す
為に用意されたようなものだから、うまく仏教の目的を果たしてるわけで笑えるわな。
だいたいゴータマさんから直接それは方便だと確認できない以上、方便だと主張するのはその人の
思い込みでしかなく、その思い込みが正しいと強弁は出来ないと言うことをまず知れよ。
大体ゴータマさんがヴェーダを否定したというなら、いくら方便だと言っても肯定的に話しすぎだろうが。
君らの末法仏教の解釈が正しければ、ヴェーダ思想の中心ともいえる、真我=ブラフマンは
君らの仏教(末法仏教)とは水と油なんだからよ。君らの方便説は、ゴータマさんが業報輪廻転生を説いたのは
あくまで待機説法。方便だとするのと同じくらい無理なものがあるんだよ。ま、君らは詭弁を好むエゴイズムの奴隷
である悪人だからしょうがないんだろうけどね。

99 :
>>97
俺は自性があるなんて言ってねぇよ、ば〜か。
ま、解釈によってはあるともいえるがな。

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