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鉄道郵便を語るスレ


1 :2008/09/04 〜 最終レス :2013/09/14
郵便物の輸送を鉄道が担っていた時代もありました。
郵政省所属車(クモユ141、キユ25ほか)や鉄道郵便局などなど
鉄道郵便全般の思い出を語るスレです。
 郵便車 - Wikipedia
  ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%B5%E4%BE%BF%E8%BB%8A
 移動する郵便局、「鉄道郵便」の時代 | エキサイトニュース
  ttp://excite.co.jp/News/bit/00091160222221.html

2 :
2。

3 :
種村の取り巻き、鉄郵を思い出す

4 :
古くは、車体側面に〒投函口を持つ車両があったと聞くが、
流石に実際にみたことはない。

5 :
燃費が高騰してるからまた復活させてもいいと思うんだけどね...
あんなに専用車両を作る必要性があるのかどうかは疑問だが...
(昔は宅急便とかなかったから仕方ないのか)

フランスのTGV郵便車両は有名だけど、
海外でもあんなに専用車両や専用列車が走っているのかね
日銀輸送みたくお金も運んでいたんだっけ?

6 :
外国でも、西欧では減りつつあるらしい。
郵便そのものの取扱量も減っているのだろうか。
S55ごろ、新幹線に郵便物を積載との案が出たが却下。

7 :
ヨーロッパだと、路面電車に郵便差出用のポストがついてるのを見かけるよね。合理的だと思うけど。
それはそうと、国立の郵政研修所に郵便車が保存されてて、希望すれば、中の見学もできますよ(少なくとも数年前まではできました)。有名なことなのかな?

8 :
>>7
wikipediaによると、あと、
のと鉄道・能登中島駅のオユ10、
青森港・八甲田丸のスユニ50、
小樽市総合博物館のキハユニ25が保存されてるそうな。

9 :
東海道、山陽本線を走っていた東門便、なつかしい。

10 :
        Λ_Λ . . . .: : : ::: : :: ::::::::: :::::::::::::::::::::::::::::
       /:彡ミ゛ヽ;)ー、 . . .: : : :::::: :::::::::::::::::::::::::::::::::
      / :::/:: ヽ、ヽ、 ::i . .:: :.: ::: . :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
      / :::/;;:   ヽ ヽ ::l . :. :. .:: : :: :: :::::::: : ::::::::::::::::::
 ̄ ̄ ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄

11 :
郵便車に限らない(または必ず連結されているとは限らない)けど
なぜ、昔の大型時刻表とかには、一部主要幹線の
荷物列車の時刻が載っていたのだろう?

12 :
チッキとか関係あるんじゃね?

13 :
>>12 そっかぁ!
手荷物を送るときは早めに送っておいて、駅留めにしたのかな?
郵便と関係なくてすんません

14 :
>>12
荷物列車は一応、旅客列車のカテゴリーに入っていたからね。
荷物列車が国鉄の貨物局の担当になるのは末期になってから。

15 :
昭和61年に全廃されたと記憶しているが、当時郵便局でバイトしてて、
元鉄郵の職員が数名転勤していたのを覚えている。
郵袋に付ける札に「○○鉄道郵便局」というのが残っていて、
もう使わないからと数枚頂いて帰ったこともあった。

16 :
明治の鉄道郵便の授受はタブレットみたいにホームある装置にひっかけた
たまに乗務員が郵便袋ごとホームにおちたりしたそうな
逓信博物館にその装置があるそうだが倉庫の中にあるそうだ

17 :
関係ないけど、日本郵便(馴染めね〜)とマル通の統合で
ペリカン便のコンテナはどうなる? 懐かし板行き?

18 :
鉄道電話のスレもあっていいのでは?
全国どこでも駅間ならタダでした。

19 :
夜行客車列車やら、長距離客レが各地にあったのも、
特に廃止直前の末期は郵便荷物(ユニ)があったせいだとか?
客はほとんどいなくても、各駅で積み下ろしはそれなりとか

20 :
>>18
国鉄と契約している旅館とかにも鉄電設置しているところもあったな
遠距離だと音が小さいとか難点もあったけど
スレ違いスマソ

21 :
クモユ141
大垣夜行347Mの先頭を飾っていたな

22 :
>>18
知人の父君が、国鉄の保線の下請けの責任者してたころは
非常呼び出し用なのか、自宅に鉄電がひかれていたそうだ。

23 :
30年前の東海道でEF58が牽引する青い列車や
クモユニ74をよく見たなぁ

24 :
その昔、鉄道郵便局でバイトしてました。

25 :
>>20
昔国鉄に勤めてた死んだ爺さんが言ってたが、
電話局の電話より国鉄の電話の方が長距離でも良く聞こえてたと言ってた。
その爺さんは戦前秋葉原で荷物の発送作業に従事してて、
入社当時似た様な駅名で乗せる列車間違えたりして良く怒られたとか言ってたw
スレチゴメン。


26 :
国鉄の鉄道電話は通信自由化の前に存在した
日本最大の専用回線網かもね。


27 :
警電は?

28 :
郵便車が連結されてたかは覚えていないが、東海道線の荷物列車を
ごく短期間、EF62が担当してた時期があったね。
SG搭載してたための起用だったとか。

29 :
>>28
EF62が搭載していたのはSGではなくEG。あの頃には旧世代のマニ車・オユ車は
殆ど淘汰され、東海道〜山陽・九州方面も2000番台車で運用されていた。
EF58老朽化に伴う後任には色々検討されたとかでEF65にEG積むとか、EF70を
直流化改造するとか案もあったが結局59−2で信越本線(特に碓氷峠)の貨物列車が
なくなり余剰の出たEF62が起用されたもの。
(横川〜軽井沢間以外であればEF62以外の電機でも客レ、カモレに起用できる)
もっとも、山岳線区用のEF62は高速域の出力がEF58にも劣り、ニモレのスジは多
少寝かされた由。
結局分割民営化も元号の変更も待たないうちに郵便・荷物輸送から撤退する事になって
EF62も悉くあぼーんしてしまったけど…勿体無いなぁ〜と当時思ったものだった。

30 :
>>28
鉄道への興味が失せた頃に見たなぁ。
「あー、EF62がこんな所を‥‥EF58はいよいよか。。。」
と思ったよ。

31 :
>>19
高崎線に1982年まで1往復だけ客車普通列車が残っていたのは鉄道郵便輸送のため。
列車番号が変わっても車両自体は上野〜高崎〜長野〜長岡〜新潟へ行くのは有名な話。
1982年以降はクモユ143の増備でオユ10、11を追い出し、クモユ141とともに運用に就くが、
1984年で車中区分廃止、トラック輸送切替の暫定措置で残っていた護送便も1986年で廃止。

32 :
>>18
日本交通公社(JTB)の時刻表編集部にも鉄道電話があった。

33 :
鉄電なら…
国鉄〜JRの取引業者なら大抵はあったよ。
電通にもあった。
国鉄時代からキャンペーンを請け負っているためか。

34 :
今の様に速達を航空機で運んでいないで、
新幹線もなかった頃は、
各方面への一番早い接続列車(特急又は急行)の
郵便車側面の差出口に速達分の切手を貼って出すのが最速だった。
大きな会社の庶務課とか文書課では、
急いで届ける書類が出ると、
年配の主みたいな物知りが、時計をチラッとにらんで、
小使いさん(使いっ走りボーイさん)に、 例えば
「東京駅21時30分急行筑紫××番線、九州行き速達5通」
なんて怒鳴っていたそうだ。
それにも使える『定期入場券』をいつも持っていて。

35 :
>>34
確かにこれは早いよな。
丸の内勤務で夕方に東京中央局に走らされた事務担当者は多いはず。

36 :
クモユ143…はかない命。

37 :
大阪駅で見た、郵袋を満載した台車を何台も連結してホームの上をノロノロ走っていた光景が懐かしい。
大阪駅も改装が進んで当時の大規模駅の雑然とした雰囲気は消えつつある。

38 :
糸崎往復のアルバイトだな

39 :
>>34
郵便車側面の差出口
これって研究している人いないのかな。形式図をみて気になっていたけど
まとまった発表て無いよね

40 :
東京、名古屋、静岡、大阪、博多、鹿児島 
といった大都市の本局が駅のそばにあったのも
鉄道郵便の絡みだったのか?

41 :
>>40
昭和30年代くらいまでは一桁酷道でも未舗装があった時代だからね
遠距離に発送する手段としてトラックはまず考えられない時代
市内で集めてきた郵便物を本局に集めて大まかな方面で仕分けて列車に乗せるのが一番効率がよい
必然的に都市の代表駅そばに本局置くのは必然じゃない?
列車に乗っけておけば未仕分けの物も車内で仕分けできたわけだし

42 :
>>40
そのとおり。鉄道郵便車から移送しやすい駅前に建てられていることが多い。
よく集配普通局のことを「本局」というけど、郵政の現場では言わない。
「○○中央局」はその地域の基幹となる局で、中央局をハブにして周辺各局へ輸送された。
地域間輸送の中核を担っていた。
ただ、中央を名乗っていても、地域間輸送の中継局にならない場合もある。
群馬県では前橋中央よりも高崎が中継基地となる。これは交通の便を考えれば理解できるはず。
こうした地域間中継局を「地域区分局」と呼ぶようになったのは、鉄道郵便廃止以後の話。
トラック輸送にシフトされた現在では、渋滞が激しい都市中心部よりも郊外に中継基地を置くようになっている。
東京だと新東京、名古屋だと名古屋集中(現神宮支店)、埼玉だと新越谷、宮城だと新仙台といった具合。
特に新越谷は越谷貨物ターミナルのすぐそばにあって、主にゆうパック(小包)の区分、輸送を行っている。

43 :
東京駅と東京中央郵便局の間は地下のトンネルでつながってて、ベルトコンベアーで郵袋を流してたそうな

44 :
東京中央郵便局ってのも今は無いんだね。

45 :
>>44
今もありますよ。局舎建て替えに伴い八重洲側のビルを借りて一時移転してますが。

46 :
東京中央郵便局の地下窓口とか、昭和初期の風情があって良かったのになあ…。

47 :
私は「マユ13」才

48 :
>>40
東海道だと、搬入搬出の便を考えて局は神戸方に建てられていた、というのを聞いたことがある。

49 :
東海道では郵便専用の地下通路とかがあった駅もあるね

50 :
>>48
確かに東京、横浜、名古屋、京都、大阪・・・みんな神戸方にあるな

51 :
>>8
保存車は結構ありまして、スユニ50だと小樽、三笠鉄道村、佐呂間駅跡などにも。
小樽はスユニ、キハユニのいずれも車内に郵便物持ったままじっと直立している
マネキンがいてちょっと同情したくなる。

52 :
まだ旅客車が全車冷房でなかった時代、郵便車に冷房がついている車両を見て、
いいなあと思ったり。

53 :
自然通風(後に通風モーター強制換気)では辛いと思った。
窓は少ないし、大事な郵便1通でも風で飛ばしたら厳罰もの。
信書の大切さは第一番の厳守事項だったとか。
車両が鋼鉄製になると、熱の篭り方は物凄い状態に。
旅客車両は夏は窓全開で扇風機も廻る。
それにしても、蒸気機関車の運転室は開けっ放しの通風だけ。
夏でもストーブの前での勤務、凄すぎる・・・。
水泳の鈴木大地君の金メダルを聞いた時、
お父上が昔SLの機関士で元々身体のつくりが違うと、妙に納得した。

54 :
>>52
車両は郵政省の予算だったから
国鉄と違い贅沢できたわな

55 :
あと郵政の組合も強かったしな
一般の庁舎並みに冷房するためならAU13積ませるなんて大したことでない、と言う意識か

56 :
1M車であるクモユ141のクーラーを自車電源で動かすなんて
今考えても大変な技術だったかも。

57 :
素朴な疑問なんだけど
スユニとかキハユニみたいな合造車の場合は
国鉄の車両に間借りして郵便業務をおこなっていたのか?

58 :
>>47
いよぅ、同業者w

59 :
スユ44は、郵便車であるものの、パレット方式で、ほとんどワキみたいだった。
やはり客車タイプなのが味がありますね。

60 :
>>57
合造車の車籍は鉄道会社だからね

61 :
>>57 >>60
これは国鉄所有車の場合だと、使用料金みたいなものが決められていて、1両
あたり1キロの運行についていくらという具合でした。廃止晩年はそれまでの
度重なる国鉄値上げで次第に高くなっており、俗に「1車1キロ600円」とか。
スユニだとその半額、キハユニだと3分の1という計算。ちなみに、国鉄所有車
は制作費、検査、清掃、給水費用など当然国鉄持ち。反面、間合い運用で郵便室に
小荷物を積もうが国鉄の自由。一方、オユ10など郵政省所有車は制作費、検査等
委託費は郵政省負担となり、いわゆる私有貨車と似たようなものでした。この場合
国鉄には「牽引料」名目で支払われるということ。人件費ともども郵便車運行費は
高くなっていき、廃止の一因になったとも言われています。

62 :
実質荷物車なのにワキ8000はどうして貨車形式になったのですか?

63 :
東武のクハユって、ちゃんと機能していたのか?
「準急小川町行」で3000併結していたが…

64 :
>>4 >>34 >>39
側面のポスト、昔はスユ42など郵政省所有全室郵便車の主要型式に設置されて
いたようです。戦後に駐留軍の郵便行政官が「作業環境改善」を数多く提案
した中で、冷暖房、照明などと共に列挙したのが始まりとか。曰わく「停車場
で旅客の便宜のためポストを設置すべし」
どこに環境改善と関係あるのか疑問ですが、ベテランの乗務員に聞くと「あれの
ために難儀した」と。つまりは、ここで書かれているように列車めざして行先に
適合する郵便物を入れてくれればいいとして、行先と反対方向のブツを投函され
逆送手続きさせられたり、動き始めた列車を追いかけて投函しようとする人が
いて危険だったりで乗務員にも業務に支障があり概して不評でして、後年は廃止
されました。
のちのち鉄郵印で消印された郵便物は駅構内ポストに投函したものが大半ですが
廃止が近づくにつれ鉄郵印を収集しようとする人はストレートな手段を考える
ものでして郵便車のドアをノックしてこれを送って下さいと頼まれたりしました。
この時代に郵便車にポストがあったとするとぞっとします。郵趣業者がハガキ
100枚をゴムバンドで束ねて投函なんて…Orz

65 :
今はコンテナ貨物輸送?
〒の私有コンテナあったっけ?

66 :
>>61
>>64
素晴らしいレスですね。
素朴な疑問ですみませんが、「郵便車」と「荷物車」の違いは何でしょうか?
手紙・葉書を運ぶのが「郵便車」で、小包を運ぶのが「荷物車」でいいので
しょうか?また、荷物車に郵袋を乗せても問題ないのでしょうか。

67 :
そもそも荷物車で運ぶのは、国鉄が受け付けて送る荷物ではないかな。
郵政省は鉄道小荷物にはタッチしない。国鉄と日通が運ぶはず。

68 :
>>66
★「荷物車」「郵便車」の違いについて。
これは旧国鉄というか鉄道院、鉄道省のころから車両区分として「旅客車」
の小区分として明文化されていたと思われますが、百科事典でも客車の分類
として存在します。くだいて言えば「郵便車」は「もっぱら郵政省職員が
乗務して郵便物を輸送するために必要な設備を有する車両」というところ
でしょうか。荷物車は、国鉄が引き受けた小荷物、手荷物を輸送するための
もので、車体側面に「荷物」の標記がありました。
★小荷物と郵便小包
小包とは、ここでは郵便小包を指し、これは郵便局に差し出されたもので、
郵便物のひとつですから郵便車で運ばれました。たしか当時は6Kgまでしか
差し出せず、それより重い荷物は宅配便が普及するまでは国鉄小荷物による
ところが多かったようです。
★用途の原則と例外
前項で郵便車に小荷物を載せて云々と言いましたが、誤解のないよう説明
しますと、荷物車は手荷物、小荷物、郵便車は郵便物、旅客は客車が原則
なのは当然です。しかし、イレギュラーなケースも出てきます。
・郵便車に小荷物
これは郵政省所有車の全室郵便車ではあり得なかったと思いますが、スユニ
など半室郵便車では行われていました。先に国鉄所有車は何しても勝手と
いうような表現をしましたが、小荷物車が全般検査で入場した場合など、
郵便運用の間合いで待機している半室郵便車を使用して郵便室にも小荷物
を積載していたのを見ました。また、郵便車を運行していない支線にキハユニ
を運用して小荷物輸送する場合も郵便室を遊ばせておくことはなく、荷物室
ともども使用したわけです。これは国鉄所有車である限りいちいち郵便局に
ことわる必要はないでしょう。ただし、区分棚など不要な設備があり使い
勝手はよくなかったでしょう。
・荷物車に郵便物
これも専門的ながらいくつかのケースがあります。まず郵袋を小荷物として
国鉄に託送するケースがまれにあって、その場合は荷物車に小荷物といっしょ
に積まれ国鉄が扱います。次に、本来は半分の車室で郵便車を運行している
ところ、年末などの郵便物増加で、国鉄に「拡張契約」して荷物室も使用
させてもらうケース、あるいは、郵便車が検査で入場した代車として荷物車
があてがわれ、荷物室にも郵袋を積むことを余儀なくされるケース。荷物車
のほか普通座席車の代用もよくありました。これの使い勝手たるや、経験した
者でないとわからない苦労の連続でしたが、長くなるので割愛します。
こういったケースでの代用は興味を持って見ていたので、飯田線などで荷物
扉からも郵袋が出てきて喜んだものでした。今でもそのシーンを見れるDVD
があります。

69 :
年賀のときは増結とかあったのでしょうか?

70 :
>>68
おお!!早速の極めて詳しいレス、ありがとうございます。よく分かりました。
感謝です。
「元二乗」さんは、荷物列車の乗務員さんだったのでしょうか。
国鉄OBの車掌さんに聞いた話では、荷物列車は夜間走るものは手当てが付き、
喜んで乗務を志望したとか。また、乗務は2人だったけど、業務は実質一人でこ
なし、もう一人は冬場はSGで温まる暖房器で焼酎を温めて飲むのが楽しかった・・・・・・とも。
いかがでしょうか。

71 :
>>69
年賀はがきは年末の物増時期に出回りますが、小包などの増加が激しくて増車
措置が取られている中、大した容積増加ではありませんでした。言い換えれば
郵便物全体が増えているため、臨時便、臨時増結、拡張契約、貨車コンテナ
増便、自動車臨時補完とあらゆる手段で対応していました。
>>70
私は郵便車乗りでした。小荷物乗務がお話のとおりならいいですね。手当は
よかったですが、仕事は厳しかったですよ。

72 :
>>71
ありがとうございます。
実は私は集配勤務なのですが、こうして大先輩のお話を聞けるのは本当に貴重です。
鉄郵といえば、鬼の便長という話をよく聞きますが、便長は局の役職でいうとどの位置にあるのでしょうか。


73 :
>>71
郵便車に乗務されていましたか。
ところで、郵便車内部は、郵袋開封時にホコリが立つため、排塵器と掃除機が
備え付けられていたそうですが、実際に郵袋はそんなにホコリが立つものなの
でしょうか?
また、郵便車でも冷房付きは、作業環境は格段に改善されていましたか。

74 :
>>72
集配をされていますか。
私も郵便局で集配をしたくてアルバイトの門をたたいたんです
けど高校生だとどうとか言われ区分差立てから鉄郵の道へ。
便長さんは威厳があってあこがれましたね。長くいなかったので
わかりませんけど、人に聞けば課長代理相当と言われましたが
その貫禄はもっと上だと感じましたけどね。事務室の食堂で、
「便長にお茶やご飯を出すときは音を立てないように丁寧に」
とか教えられてそうしていました。
>>73
現代と違って当時は郵袋が輸送の第一線で多用されていました。
駅ホームでも地面に置かれたり、雨の日の泥、砂ほこりなどが
容赦なく付着するわけですから、車内だとわかりにくいけど
そうとうなホコリが出たはずです。それを窓のない風通しが
悪い環境で否応なしに吸うのですから、病気にもなりやすいと
言えます。排塵器があるのはオユ10など全室の扱便専用車だけ。
護送車あるいは半室、3分の1室ではそのようなものはなく
ホコリは吸うがままです。風邪をひいてなくてもマスクをしたい
ところ、誰もそうしないので吸っていました。
また、掃除機は古くは駐留軍の提案で使用したが弊害が多く
取りやめたとされています。私ら最若手は掃除担当で、ショルダー
バッグに柄を短く切った箒とチリトリを入れて携行し、作業終了時
にみんなの足元を「失礼します、失礼します」とぺこぺこ頭を下げ
ながら掃いて回ります。そして最後に大声で「ありがとうござい
ました〜〜!」と…。ゴミはわんさと出ました。それをバッグに
詰めて事務室か鉄郵のゴミ箱に捨てますが「○×乗務員」とか
「○○鉄郵差立」という標札、は束紙など全部ゴミで捨てていて
今から考えるともったいないです。
次に冷房について。確たる統計は知りませんが、晩年、郵政省
所有全室車は一部を除いてほとんど冷房がありましたが、護送車
、半室車に設備がないので、全国で3分の2は非冷房だったよう
です。作業環境は格段に違いました。エコとか弱冷という概念が
ない時代の国鉄クーラーは寒いくらいガンガン効いていましたから
冷え性の人はジャンパーを持ち込むほどで。しかし、非冷房だと
悲劇でして、窓がほとんどない、あるいは開放できないことが災い
しまして、車内は40度〜50度手前は当たり前。扇風機も温風をかき
回すのでドライヤーみたいに感じ、みんなの意見で消したことも。
まあ、これが仕事と腹をくくって乗ってました。受渡しのとき
ドアを開けるとホームの風が心地良かったですね。
あと、スユニ61など半鋼製の車よりも後に製造されたスユニ50
など全金属の車の方がもっと暑かったみたいです。

75 :
郵便線路って 上6補
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/nenga/1212875122/
ここの過去ログに鉄郵の話がよく出てくる。
青函の乗務員は船内でそのまま区分していたから、
電源の関係上郵便車の位置は決まっていたのでは?

76 :
>>21
クモユ141にはあこがれました。いちど乗りたかったけど
東門線では東阪上下便、東名上下便に使用していてうちの
局は担当外だったので。ガキヤ347Mで旅行中、停車駅ごとに
寝ないで先頭付近の郵袋積卸しを見学してましたっけ。
ちなみに大垣〜大阪は単独で「荷×××M」という列車番号。
運転手と車掌の2人だけ国鉄、あとのお客は全員鉄郵という
ユニークな列車でした。

77 :
>>74
これはまた貴重な経験談、ありがとうございます。
郵袋もかなりホコリがたつようですね。また、非冷房の車両は夏場はそんなに
暑くなるのですか・・・・・・信書が飛ばないように「網戸」みたいなものは
取り付けられなかったのでしょうか。冷房車はありがたいですが、逆に効き過ぎ
ですか。
掃除機は、以前、丸の内の郵便局で販売されていた「郵便輸送変遷史」に、進
駐軍の提案で試験的に電気式真空掃除機を配備したとの記述がありましたが、
やはり試験的なものに終わったのですね。

78 :
年末年始に郵便会社のアルバイトをしてみ。
部屋中ホコリだらけで顔を拭けば真っ黒になる。

79 :
 かつては長距離の荷物と鈍行とが一部区間でも併結されているのが珍しくなかった。
とりわけ東北本線でのED75牽引時。

80 :
>>77
網戸ですか。人情としてはつけてほしかった気もします。
ただ、旅客車両全般に採用されていなかったのは、耐久性に
劣ることではないですか。劣化したり列車の振動などにより
穴があき、素材がくたばって破れるという悪循環で経費も
かかり建造物とは違って使われてこなかったのでしょう。
郵便車だと、車内でも郵袋の積卸しのため、郵袋やら鉄製
の標札差しが車内の壁や天井に激しくあたりますから、
網戸だとひとたまりもなく破れたでしょう、荷物車同様に
鉄格子が設置されていたのもガラスを保護するためでした。

81 :
非冷房郵便室は素人目にも窓がないので暑いだろうとは想像に難くないね

82 :
今でも伝送、特殊室の作業は鉄郵の名残がある。
読み上げも「100番銀座」「番無し銀座」と読むし、
○代、赤バッテンも現役。

83 :
特殊室の空間っていい意味でも悪い意味でも昔の名残があるよね。

84 :
>>16
大昔に郵袋の通過授受をやっていた話。落っこちた人がいたんですか。
欧米に習って、急行が通過する駅で沿線の局と受渡ししたそうですが
おっしゃるとおり、大変危険な作業で落ちた以外に地上員も死亡した
り重軽傷を伴う事故がしばしば発生して取りやめたようです。
海外の郵便車では保存されているもので網や投下アングルを装備した
ままの車両もあり、グッズの絵はがきには授受シーンを描いたものも。
しかし衝撃的だったのは、先日、日本鉄道保存協会総会で、来賓の
イギリス保存鉄道協会会長の講演の中で、現在も動態保存の郵便車で
通過授受の実演をしており、パワーポイントの画像に感激。懇親会で
通訳を入れて会長に尋ねると2両の郵便車が車内も美しく維持されて
走っているとのことで、牽引はおそらく蒸機でしょう。
ドイツでもそうですから。今すぐイギリスに渡りたいですね。
しかし、カネと時間が(泣)

85 :
>>84
以前蒸気機関車スレで紹介された英国蒸機のyoutube動画にありますた。 >郵袋の通過授受
スユ30やマユ31等戦前製郵便車の荷物扉は通過授受用に下半分だけを開くことができる構造ですね。

86 :
>>85
そういや、古い郵便車で側扉が不自然な形のやつがありますね。

87 :
>>80
なるほど、網戸では耐久性に難がありますね。納得しました。
そういえば、郵便車も荷物車も、窓の保護棒だけでなく、天井の照明にも
保護枠が取り付けられていましたね。

88 :
家に、1980.10改正の幹線鉄道郵便線路時刻表が転がってる………

89 :
>>88
うpきぼん

90 :
>>87
郵袋室にはたしか天井の蛍光灯にも保護枠がありました。私が勤務
していたころはまだまだ輸送量が多くて車内は飽和状態でした。
本線では大半の便は小包など容積の多い郵袋をどんどん積んで
くるので天井に届くまで積み上げ、さらには天井の空間にまで押し
込んでいましたので、蛍光灯も内圧で割れないように保護していま
した。本線の護送で郵袋の山に登って、下から飛んでくる郵袋を押
し込む作業中には不覚にも保護枠や網掛けフックに後頭部をぶつけ
たことがあり、とても痛い思い出です。

91 :
南海にも郵便車があったね。
古い電車を改造したのが。

92 :
>>89
同意。ただ本当に見てみたいのは75年あたりのやつだな。53.10で合理化が行われ、
57.2で分室廃止、59.2で取扱便廃止だからね・・。

93 :
>>37
郵袋の台車、私も押していましたよ。なつかしいシーンを再現
したくて台車を手に入れて郵便車に郵袋積込みしています。
  http://www2u.biglobe.ne.jp/~YAMACAT/FRPS/hokuriku/080920/080920.htm
の4枚目の画像です。

94 :
並白赤錠

95 :
>>89
のんびり待っててくれw

96 :
>>85
動画、探しました。
http://www.youtube.com/watch?v=LDy8BcEkEug
http://jp.youtube.com/watch?v=DGwn0VfHszk
http://jp.youtube.com/watch?v=ymnh04By7CI&feature=related
どうも私の聞き違いでイギリスの郵便車は2両ではなく2鉄道の
ようで、ごろごろいますね。牽引もきかんしゃトーマスあり、SL、DL
何でもありのようで。同じ線路を前進後退と結構派手にやってます。

97 :
それにしても能登線の甲駅に放置されていたオユ10はどういう経緯であそこへ行ったんだろう‥
北陸筋で運用を終了したなら、わざわざ能登線の奥の方まで疎開留置することも無かったろうに。
それが幸いして、結果として保存されるようになったんだろうけど。

98 :
>>97
これは、鉄道郵便が廃止された年の61年12月、能登線廃止後に転換
する第三セクターのと鉄道が保存活用するため引取る話が持ち上が
ったため、長駆青森から能登線甲駅に回送されて留置されたと判断
されます。後の状況からするとそうとしか判断できず、でなければ
どこかで解体されてしかるべき車両がわざわざ奥能登に置き場所を
求めなくてよいわけです。しかも運用されていたのは、東京北海道間
ですからなおさらそう感じます。
生き残った要因のひとつは、のと鉄道が保管し続け、しかも線路保守
機械等の留置線として使用していた甲駅側線の先端で、置いていても
支障がなかったことから13年間の長きにわたり存置されていました。
その後「ふるさと鉄道保存協会」が譲渡を受け保存活動を開始して
現在に至るものです。

99 :
>>98
元二乗様レスサンクスです。
保存の計画があったのでしょうか。それにしても天竜浜名湖鉄道の様な20系寝台車とかでもなく郵便車、というのは
なかなか「渋い」選定ですね。

職場で、「同業者」の上司とその話になったことがあります。
郵政局か本省の担当者が「とりあえずあの当たり(甲駅)にでも留置しとけや」と手配だけしておいて、担当者の人事異動のドサクサで
いつの間にか忘れられたのでは‥?という推測を立てた事があったのですが‥
恐らく今となっては真相は「藪の中」と言うことですね。
一度見に行ってみたいものです。

100 :
>>99
そうですね。時系列で述べますと
 61年10月 鉄道郵便廃止
   12月 オユ102565を国鉄能登線甲駅に回送
 62年4月 国鉄能登線がJR西日本に
 63年3月 JRからのと鉄道に転換
となります。調べによるとオユ10はいったん郵政省から旧国鉄に移籍
していて、のと鉄道が発足する以前に設立されていた「のと線運行対
策準備会」が国鉄から買い取ったものだそうです。準備会が同車を選定
した経緯などは不明ですが、廃車後に引き取り手が決まらないまま留置
するなら青森でも函館でも周辺に留置するところはいくらでもあるはずで
わざわざ甲駅まで回送したことからすると、準備会からの指名なり内定
があったものと考えられます。 
日ごろは外観しか見れませんが次回一般公開は来年4月下旬の予定です。
下記のホームページで告知しますので、いちど来て車内作業を体験して
下さい。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~YAMACAT/FRPS/hokuriku/hokuriku.htm

101 :
オハユニ61の郵便投函口に7円のハガキを投函した日を思い出した。

102 :
>>101
先日オハユニ61に横川鉄道文化村で対面しました。かつては投函口が
あったのですね。どこの駅で投函されましたか? 

103 :
オユの青い側面に、チョークで、
積んだ郵袋の数を計算していたのを、
思い出す。

104 :
二乗様たびたびのレス感謝です。
オユ10が郵政省から国鉄に管理換えされていたのは意外でした。廃車の手続きの関係でしょうか。
なるほど渡す側(旧国鉄)も貰う側(のと鉄道)も担当者がコロコロ変わっていたら話が有耶無耶になっていそうな感じですね。
それにしても郵便車なら宮原区(あるいは向日町区?)や当たりにもありそうな感じですが、なぜわざわざ東北筋のオユ10を持ってきたのか‥
ただ単に状態のいいオユ10が青森当たりにしか無かっただけかもしれませんが‥
いちど公開に合わせて訪れてみたい物です。ありがとうございました。

105 :
>>102
昭和40年代の和歌山線和歌山市発の王子行き。カマは和歌山機関区のシゴハチ。オハユニは天ワカでした。亡き祖父が和歌山機関区の機関士でよく乗りました。列車が混んでいる時に、顔馴染みの郵便乗務員に郵便室に乗せてもらったのも、遠い日の思い出です。

106 :
>>105
私が現役のちょっと前にオハユニは衰退していて、五能線、城端線、
小浜線あたりが最後の活躍の場でした。保存車両のオハユニに入った
ときは「よくこんな狭い車内で作業をしたもんだ」とか思いました。
おっしゃるのは国鉄和歌山線で、郵便線路としては王寺和歌山線、
縮めて「王和線」でした。そうですか、C58が牽引、郵便室にもお乗り
になったとは…。東京直通の寝台車を連結した列車もあったはずです。
私が鉄郵にいたときの王和線はキハユニ16とかいうのが走ってまして
ファンにはちょっとした人気者でした。
いろいろ苦労はあったみたいですが、今でもSL牽引郵便車で作業したい
と思うことはあるし、保存郵便車を引っ張ってもらいたいというのが
実感です。ドイツやイギリスではどちらも実現まっただ中なのですが。
>>103
うちのオユ10にも黒板はあるのですけど、つやがなくなってほとんど
使っておらず、業務上のメモはホワイトボードに書きます。でも、
チョークを備付けてこんど書いてみましょう。積込み郵袋数は少ない
ですけど。
>>104
私もいまだ疑問でして、東北からわざわざ持って来なくても宮原あたり
にごろごろいたのでは。状態など車齢の若いものでよいものはあった
はずです。乗務していて一番よかったスユ16なんか残してほしかった
ものです。空気バネ台車で20系天の川に颯爽と連結されてました。
でも、軽量客車の後期のものは、風雨にさらされると劣化も早く、
同じように保存を続けていたらオユ10と比べてどれだけ持ちこたえた
かは疑問です。あれだけあった郵政省所有車でも、オユ10で2両、
スユ15で1両が車体をとどめている以外は、知る限りでは、キユ25が
レストランに転用されたとか、オユ14が下関の港で車体が3つに分断
されたがすでにないとか、もっと残ってないものかと残念に思います。
それでも数奇な運命に左右されながらも能登で生きているオユ10に
ぜひ会いにきてやって下さい。車中継送区分作業の小道具はそろえて
いますので、作業をみんなで存分にしてやるとやつも喜ぶと思うの
ですけど。

107 :
>>106
ご教示有難う御座います。王子じゃなく王寺でした。キハユニ16ですか!なっかしいです。電気式キハ09の改造車でしたよね?あとキハユ15の4号車にはよく乗りました。加太越えのデゴイチを撮りに行く時、湊町発亀山行の一番列車の先頭はいつもキハユ15の4でした

108 :
揚げ足取るようで悪いがキハ09は機械式でも郵便車に改造もされてないのだが。
キハ08 09は61系客車改造

109 :
>>108
鋼体化客車改造の気動車ははじめ、キハ40、キハ45だったものを形式改称した2代目でキハ45がキハ09になったはず。キハユ二16の種車は電気式キハ45000?だったでしょうか.を改称した初代のキハ09だったような?

110 :
109です。手持ちの資料を漁りました。とんでもない勘違い。初代キハ09の改造はキハユニ15でした。皆さんおさがわせすみません。


111 :
>>107
キハユニ16に続き、キハユ15の話題になりましたね。あれを初めて
見たのは加太越えを撮影した帰りに、加太駅に新性能電車モドキの
いびつなマスクの車両が先頭で現れたときで、前半分は見事に窓が
ない車両にカルチャーショックを受けたものでした。後年、四国で
あれの同類マスクに見慣れるまでは、キハ先頭車のスタイルから
大きく逸脱した中間改造車は好きになれず、播但線のキハユニ26に
すごくあこがれていたものです。(中学生がそういうものにあこが
れてどうするのか) 加太でも郵便局員の積込みに視線が釘付けに
なり、乗り損ねるところでした。
そして、その8年後にそこの路線を乗務することになります。関西
本線は郵便では「亀山大阪線」(通称かめはん)でして、当時は
客貨分離のあとで、主要幹線同様に荷物列車で、何両かの荷物車の
真ん中にスユニが連結されてその半分の郵便室で暑い中奮闘しました。
ここでベテランの皆さんにキハユ15について聞くと、
・昔全部客車のころは郵便車は客車列車についていたが気動車になると
 変なやつ(キハユ)が連結され始めた
・夏に乗ると客車よりもえぐい暑さで、エンジンの熱気が薄っぺらい床を
 通して車内でこもる。床が焼けてるかと思った。
・大阪の受渡し駅は客車時代を通じて湊町だった。荷物列車になってから
 貨物駅の百済になって行くのも面倒になった。
ということでした。資料によると6両が改造で作られ、4号だけ亀山に
配置だった以外は後にキユニに再改造されたとか。4号はキハユのまま
昭和53年に廃車されています。国内では「ハユ」タイプは少なく、使い
勝手が悪かったみたいです。

112 :
郵政省持ちでもないゲテモノ珍車に乗務させられるのは大変だったんですなあ

113 :
>>111
キハユ15.本当に格好いいといえる車じゃなかっですね。しかし、35系の編成のなかでは唯一のクロスシート車なので加太通いの際の指定車でした。同行の友人は、郵便室の仕切りドアをみては、ここはトイレだ!タレベン室と書いてある。と毎回同じギャグをとばしてましたっけ。

114 :
>>112
ゲテモノの最たるものが「代車」でした。先に小荷物車代用の話で触れ
ましたが、郵便車にはそれほど予備車がなく、国鉄所有の合造車とて
必要数ぎりぎりだったのか検査等で工場に入ると、代わりに代用される
いろいろなものと遭遇しました。冷房がない、使い勝手が悪いというか
作業が困難な車も遠慮なく登場し、車内に踏み入って「これでどう作業
するのか」と不安になったこともあります。画用紙に描いた郵便マーク
をセロテープで貼っていたのがご愛嬌でしたね。

115 :
線区はどこだったか、思いだせないんですが、車はキハ26だったかな?室内の半分をアーコデオンカーテンで締め切り郵便マークを貼り付けたのを見た様な記憶が有るんですが、これもその一つですか?

116 :
>>115
おっしゃるキハ26は立派な(?)代車です。たぶん日ごろはキユニが
使われた線でしょうが検査か何かでキハを代用したものと思われます。
【代車の作り方教室〜〜^^;】
・代車を選ぶ
 予備の荷物車、客車などから選定する。
・鉄道郵便局への通知
・区分棚の設置
 車庫に保管していたと思われるビニール製簡易区分棚を必要数準備し
 車内の網棚等にロープで結んでぶら下げる。
・表示
 簡単な〒マークを車両両側面に最低1カ所ずつ。たいていは画用紙に
 赤色で〒と書いてセロテープなどで窓の内側から貼付。
…こうして作られた代車が組成されますが、局には通知されている
はすが、乗務員は点呼の都度、代車になるなど聞かされた覚えはなく、
ホームに現れるのを見た一同は、あぜん、がっかり、おもしろそう^^;
(私)など、評価はさまざまでした。ものによっては開いた口がふさが
らない歴史的に滑稽なシロモノもありまして。
通勤、旅行中などで客室側に乗り合わせたのでしたら、カーテンごしに
郵袋読み上げの声など聞こえたのではないでしょうか。それは実に貴重
な経験でしたね。

117 :
久々に古いアルバム開いてみました。(和歌山客車区にて)
オハユニ61の側面の投函口のアップもありました。当時中学生の私ですがマニアだったのですね。なぜ、こんな写真が?と言う様なものもあり、懐かしさいっぱいです。
あと、43系(切妻、採光窓あり、台車はTR47型式は読めません)の郵便車には、投函口は見当たりません。

118 :
>>116
まるで年賀だな

119 :
>>117
けっこう昔の郵便車にカメラを向けられていたのですね。
私が乗り始めのころ、年末繁忙期の臨時便にスユ42だったか予備車
だった旧式の郵便車が運用に入りました。年配の面々がその車両で
昔話をしたとき「今は塞いどるけどここにポストがあったんや」と
押印台を示して解説してくれました。もっとも本線を早く廃止した
のか、ローカル運用のオハユニに遅くまで投函口が残っていたかも
しれませんね。

120 :
>>119
特に郵便車を追いかけた訳では無いんですが、祖父の家に近かった客車区でよく遊びました。区の方でも国鉄職員の孫なので寛容にみて頂いた様でした。
特に今で言う所の旧客が好きで、和歌山客車区は、うってつけの場所でしたね。私にとって43系は急行用、10系軽量客車は新型客車でした。

121 :
>>120
何か似たような話になりますが、私は某準大手私鉄の親戚が多く、
社宅に行くと親や叔父叔母のしゃべりにたいくつして、近所の車
庫に行き、●●と■■の親戚やというと寛容に入らせてもらって
いました。そこの電動貨車と連れの貨車に乗って遊んでいるうち
国鉄荷物電車に興味関心ができ、その荷電のへこんだ側扉に愛着
が出るとついに郵便小荷物車両のとりこになった次第です。
SLや夢の超特急0系、ブルートレインなど、撮影はしましたが
イマイチ無関心でした。高校のときアルバイトを始めたのが郵便
局で、差立てという、金属わくに掛けられた郵袋にブツを投げこ
んでいっぱいになると袋締めをして発着口に運ぶ仕事で、列車の
時刻が近づくと「東門上一」とか便名を書いて送り出すのです。
このときが鉄道郵便車に近づく第一歩だったと言えます。

122 :
>>63
東武のクハユ「準急小川町行」に興味を引かれ調べました。
東武東上線は「東京寄居線」という路線名で、昭和46年10月1日に
廃止されています。ひと目見たかったですね。
ちなみに伊勢崎線は「東京伊勢崎線」、昭和41年10月1日に廃止。
私鉄荷物電車が衰退して久しいですが、郵便輸送の撤退はずっと
以前だったことがわかります。

123 :
元二乗さんって、阪青線で大阪敦賀、東門線で大阪糸崎に乗務していた方ですか?

124 :
>>123
はい、そのとおりです。

125 :
>>124
そちらでしたか。自分は東京鉄郵の第二乗務課(隅田川発)の方かと思ってました。

126 :
>>125
担当のことにあまり触れてなかったですが、>>111で亀阪線に乗っ
ていたことをちょっと。阪青線、亀阪線は第二乗務課、東門線は
第一乗務課でした。途中で一乗→二乗に移籍してます。

127 :
荷物車も小包を輸送してたから郵便車の仲間。

128 :
便名を記入するのに、東門1と東門一を使い分けていたのですかね?

129 :
>>128
だいたいの現場では、正式な便名で表記していたはずです。
数字は漢数字が正しく「東京門司間上り一号便」の場合は送り
がなの「り」は省かれ「号便」も省略されるので「東門上一」     
と表記し、郵袋標札もそのように書きます。鉄道郵便局や乗務員
事務室に掲示された時刻表にも便名はそのように表記されていた
と記憶しています。なお、例外もあって「阪潟上り乗務員」とい
う標札で積み込まれたり、一律の決まりはなかったような。
車内でも乗務員によりメモに「東門上3」と書いたり人によって
まちまちでしたが、書類には漢数字で書いていたはずです。
その他大きな鉄道郵便局では便名を表示する看板に独特の書き方
があったのですが長くなりますのでこのへんで。

130 :
>>129
締め切り護送便に使うメンコ(票札)ってのは差し立て局名下にオレンジ色の太線が入ったものでしたっけ?
自分が某特A局の郵便課に勤務してた頃、平成の4年アタマぐらいまで
「パレット票札」として代用されていた覚えがありましたが。

131 :
>>130
私が在籍したS55年くらいまでメンコにオレンジ線が入ったのは
見た覚えがなかったです。
鉄郵(駐在)の差立て実務をほとんど知らないのですが、当時パ
レット締切便の専用台車に乗せられた郵袋を見てもオレンジ線
には気づきませんでしたしね。
どなたか鉄道便に差立てした局の方の証言がほしいものです。

132 :
今現在のカラー管理でいえば、オレンジ色は特割、特特に使ってはいますが。

133 :
おら、借り上げとるぞ!
えー…

134 :
昔、京都駅とか大阪駅のホームには荷物専用のエレベーターがあって、上下に
開閉するドアでした。ドアには大きく「危険」と表示されていて威圧感があり
ました。一度、このエレベーターに乗りたくて仕方なかったです。

135 :
列車がストライキで止まった時はどうしてたのかな?

136 :
>>134
このドア、最初は不気味に感じました。駐在勤務でいちばん最初
に乗ったときは、郵袋を満載の鉄車を押す先輩アルバイトの横を
くっついて歩き、ホームでも様子を見ているだけの「見学」でし
て。そのとき、初体験した感想は、とにかく遅いということ。デ
パートのそれと比べるからか知れませんが、雑居ビルなどのエレ
ベーターも乗った経験がなく、自分でボタン操作をしたことがな
かったのでボタンを押したかったのですがやらせてもらえず、次
の列車になって鉄車を初めて押し、郵袋の積み卸しを経験。次の
出勤日あたりで、教えてもらいながらボタン押しをやらせてもら
えるようになりました。でも安全確認を担当する人がいて、その
合図で「閉」を押せとか教えられた覚えがあります。
心残りなのは、加古川あたりにあった線路をまたぐ「テルファ」
を経験できなかったこと。鉄車が頭上を揺れながら移動するのは
迫力がありました。
>>135
私が乗務中にはストで運休(ウヤ)の覚えはありませんでしたが、
南九州の雨で上りがやたら遅れて来るので糸崎で連絡を受け、
仮眠前から遅れて出るかも知れないが待機は定刻にとか言われ、
結局定刻に来ると判明して駅に向かったことがあります。
それまでは国鉄もストが多く、聞いたところでは、ニュースで
早合点したりせず、本局に電話で問い合わせるなどの心構えを
持つようにしていたことで、特に連絡がなければ定刻に出勤し
て待機するようにとのことでした。基本的にはストの情報があ
っても要求が妥結すれば運転再開もあります。まあ、走り出し
たら終着までは走っていたようですが、途中で打ち切られ、鉄
郵サイドもどえらい目に遭わされた話も聞きました。最悪の場
合は、乗務員は便乗帰局、ブツは自動車派遣撤収とか。また、
滞貨防止のため、臨時自動車便、内海航路便代行とか措置が決
められていたようですが、経験せずじまいでした。


137 :
>>136
このエレベーター、乗られていましたか。うらやましいです。
ちなみにエレベーターの構造規則として、荷物用のエレベーター以外は、ドア
は上下に開閉する方式のものは造れないとのことで、人用のものは必ず左右に
開閉し、安全確保のため、ドアに挟まれたら感知するセーフティーシューが設
けられています。
上下に開閉する方式のものはセーフティーシューの代わりに光電管式の安全
装置が設けられているとのことで、おそらくこの駅のエレベーターにも付いて
いたのでしょうね。

138 :
>>137
上下に開閉する扉なので、鉄車や人がまたいでいるとき閉まると
確かに危険です。なので、ついつい扉から距離を置くように鉄車
も奥へ押し込み、身体も扉から意識的に離していました。
鉄車1台に人が10人くらい同時に乗れましたが、危ないと感じた
のは職員がぞろぞろ乗る途中にボタンに手が当たって閉めてしま
わないかということで、昨今のエレベーターのボタンは少しへこ
んでいるとかタッチパネルのような感じなのに対して、荷物用の
ボタンは直径4センチほどの黒いプラスチックで操作盤からぐい
と突き出ていまして、「開」「閉」と書かれて出っ張っていたの
で不用意に触れると閉まらないかと気を遣いました。その光電管
式安全装置の存在は知らなかったです。とにかく
  ・エレベーターで扉を閉めるときに注意する
  ・鉄車をホームから落とさない
  ・仮眠ベッドで寝過ごさない
の3箇条を自分で勝手に決め厳守していました。

139 :
東京北局の郵便車、根室まで2昼夜かけて走ってたよね。
4回ほど便名変えて。
東京南局の奴は長崎だっけ?

140 :
東青、青函、函旭、旭根かな?

141 :
函館以北は函滝、滝根でした。石勝線開業後に函札、札根に変っています。

142 :
>>141
大阪局の郵便車は阪青〜青函〜函旭でしたっけ。
ニセコで函館〜札幌を走ってたような…

143 :
>>142
乗務当時は路線名が「阪青線」で、郵便物処理は青函乗務員宛
の作業はありましたが、青森から先の運用は把握、研究してい
ませんでした。青函航送されていたのは確かで、車体のサボは
「大航」と書かれていました。ものの本も調べましたが函館か
ら先の運用はわからず、どなたかご存じないものかと。

144 :
>>143
S55.10改正の幹線郵便線路時刻表を持ってるので
ちょっと調べてみます。

下りは確か「きたぐに」〜連絡船〜「ニセコ」〜荷レだったような…

145 :
>>143
ちょっと調べてみました。
大阪局の郵便車の運用はこんな感じ。
大阪2210【阪青下】(501レ)1710青森035【青函下一】(1便)425函館620【函旭下一】(121レ)1946旭川
旭川615【函旭上一】(122レ)1948函館040【青函上一】(2便)430函館1255【阪青上二】(502レ)827大阪
「ニセコ」に連結は、東京北局の郵便車でした。
隅田川1816【東青下二】(荷35レ)729青森【青函下二】(167便)1340函館1434【函滝下】(101レ)
2004札幌2139(417レ)2312滝川2324【滝根下】615釧路643(441レ)1026根室
根室1130【滝根上】(442レ)1453釧路2130(418レ)448滝川456【函滝上一】632札幌1020(104レ)
1603函館040【青函上二】(2便)430青森738【東青上一】(荷42レ)405隅田川

501/502レは急行「きたぐに」
101/104レは急行「ニセコ」
417/418レは急行「狩勝7号/8号」

146 :
>>145
ありがとうございます。古きよき時代ですね。
ニセコの車が狩勝に繋がれるなんて。意外に感じたのが、「狩勝     
くずれ」と呼んでいた441レ〜442レの郵便車がオユだったので、
輸送量にしては1両まるまるなんて恵まれてるなと思ったもので
す。別保という駅から小高い雪山を登り、駅に発着する列車を俯
瞰撮影したことありますが、おまけにコキやらの貨車も連結され
たすごい混合列車だった記憶があります。まぁ、そこだけスユニ
にするのも運用のロスだから根室まではるばる走らせたのでしょ
うね。

147 :
素人質問かも知れないけど、青函連絡船に郵便車が積み込まれたとき、中の職員はそのまま車内にいて
仕分け作業を継続していたのでしょうか? それとも、船内に移動していたのでしょうか?
冬の航海だと結構船が揺れたので、作業するにしても、結構危険そうな気がしますが・・・


148 :
>>147
洞爺丸事故から旅客を客車に乗せたままの航送はやめているから
郵便車もやめてるんじゃないのかなぁ‥と推測。
それとか天候不順時のみ客室に上がるとか?と言ってみる。

149 :
>>147
はい、お答えします。「青函乗務員」は国内で唯一、船内で作
業していました。もっとも、聞くところによると、船底の車両
甲板はディーゼルエンジンの排気ガス防止と火災防止のため、
停止させられていたため、夏場は冷房が使えず蒸し風呂状態だ
ったと思われます。冷房車に限って扇風機はないし、風通しも
望めないし、大変だったでしょう。ともかく、その車内で区分
作業をしていたはずです。航行はたしか3時間50分だったか、
でも青森又は函館のホームで乗ってから対岸の駅で降りるまで
ならもっと長時間でしょうし、船が動き出すのが感じられたの
か、汽笛が聞こえたのかなど、興味は尽きません。ちなみに文
献によると、同航路は開設以来、郵便積載をしていたらしいが
戦争中断を経て、昭和23年から再開、と言っても青森、函館で
郵便車の郵袋をいったん貨車に積替えて船内に押し込み、船倉
内に設けられた郵便室で乗務員が貨車から出した郵便物を処理
していたというものです。しかし、駅での積替えと貨車の押し
込みに時間がかかり、貨車から郵便室までブツをかついで往復
したり、室内がエンジン騒音、排気採光不良で大変な環境で能
率も上がらなかったことから昭和29年に郵便車航走が実現して
スピードアップと環境改善が図られたということです。
なお、外国では旅客を乗せたまま連絡船に押し込み航走すると
ころもありますが、青函航路では洞爺丸沈没事故なんかあって
実施に踏み切れなかったと聞いています。その点、青函乗務員
は航行する船内で郵便車に乗ったまま移動したので、一種独特
の乗務であったと言えます。もっとも、高波で船が揺れると列
車の走行で揺れるのとは違った感覚があったでしょう。
危険と言えば列車の揺れもずいぶん悩まされたもので、積み上
げた郵袋がくずれるわ(私の積み上げ技術の欠如)、ポイント
通過の横揺れで車内でこけたことも数知れずです。

150 :
せっかくなので、西方向のロングラン運用を。
東京南局と鹿児島局の郵便車は、東京汐留駅〜鹿児島駅のロングラン運用がありました。
東京南局
汐留【東門下一】(荷31レ)720東小倉822【門鹿西下一】1821西鹿児島
鹿児島【門鹿西上一】(荷2032レ)2032東小倉2140【東門上五】2155汐留
鹿児島局
鹿児島1926【門鹿上二】(荷2038レ)150熊本220(荷34レ)621東小倉710(荷32レ)1045汐留
汐留1900【東門下三】(荷37レ)1830東小倉2308(荷2037レ)916鹿児島
>>146
釧路〜根室を結ぶ唯一の貨物列車でもありました<441/442レ
ある意味で、国鉄側と郵政側の都合が一致した・・・みたいなw

151 :
>>149
ご説明下さり有難うございました。
走行中の列車やポイント通過でもそれだけ苦労されたのであれば、荒天下の航海での
車内作業は想像を絶しますね。トイレも船内では使用出来ないでしょうし。

152 :
関係ないけど郵便番号7桁化より前って鉄道での輸送前提に
番号(上2桁の地域番号)振られてたような・・・。
岩手県久慈郵便局が03(青森輸送局)扱いだったり、
栃木県足尾郵便局が37(高崎郵便局)扱いだったり・・・。
他にもいろいろあったな。

153 :
>>146
441/442レ懐かしいな
確か郵便+荷物+客2にコキが2両くらい付いていたな。コキには緩急車もなかった。

154 :
>>153
そのコキ車がコキ10000系…

155 :
>>150
東門に乗っていて、車両が九州に直通していることはある程度聞
いていましたが、便名は東門、門鹿西と門司で区切られ、所属乗
務員も替わりますので、作業手順は門司で全部降ろしてもよいよ
うなものでした。実際、東小倉で駅落ち(門司局、東小倉分局な
ど)と門鹿東あて以外を乗せたまま鹿児島方面に向かったものと
折り返しなどで全部降ろしたものとあったのではないかと思われ
広島鉄郵の方に糸崎事務室でお会いしていたので聞いておけばよ
かったと悔やまれます。まぁ、そこまで勉強熱心ではなかったし
自分の作業習得が精一杯でしたし、30年後にこんなカキコをする
なんて夢にも思わないし。
ひとつ、上り護送の車内で興味本位で大阪小包あての郵袋山(笑)
に登って差立局をよく拝見していると主要局は言うにおよばず、
どこの局もあるわあるわで、高千穂、三角、吉松などのローカル
局のほか、福伊上一、諫加上二なんて乗務員締めもざくざくあっ
て、それぞれの郵袋がどんな旅をしてここに積まれているのかと
思いをはせたものです。

156 :
>>148
郵便車と荷物車は廃止迄乗せてたよ

157 :
>>147
既にレスがついていますが、そのまま船内で区分していました。
区分後、郵便車からデッキに上がって休息を取っていたので、
どこかに専用の出入り口があったはずです。
冬場の天候不順時は、連絡船に搬送後、直ちに区分作業に当たっていました。
時化の時は竜飛岬を通過するまでに終了させないと区分どころの話ではなく、
それこそ大変な騒ぎであったといいます。
しかも青函は、青森函館それぞれに最近区間が設定されていたので、
受渡欠便を防ぐために、あるいは状況によっては各便長判断で、
青函乗務員宛郵袋の作成時に何らかの判断が働いたかもしれません
(阪青酒青、東青盛青はともに青鉄持ちなので事情は聞き伝えていたはず)。
>>149
冷暖房はともかく、車内灯の電源確保のため、
郵便車の位置はある程度固定されていたではないかという指摘があります。
>>152
そうです。
9-XXは鉄道局で車内継走区分していました。

158 :
>>157
青函に乗ってらした方には申し訳ないが、途中でバタバタした受
け渡しがないので、最初にドバッと作業したら後はのんびりした
乗務かと思っていましたが、それはそれで大変な乗務だったこと
がわかりました。下りの場合、青森駅ホームで乗り込むと、車内
には盛青又は酒青からの引き継ぎブツが大量にあって、あと青森
積込みが加わるのですが、扱い便だけに竜飛岬までに片づけるの
は容易だったかどうか、当時の方々に伺いたいものです。すべて
片づけてデッキで休息となれば、天気のいい日などは気持ちよか
ったでしょう。
阪青下便で青函宛の作業と言えば
★速達小包
04〜09の北海道あては「青函乗務員」で締め切って敦直乗務員に
引き継ぐ
★締切郵袋
広い方の締切室に積まれていて、北海道はいちばん奥に積み上げ
て石川〜青森の山と仕切るために網掛けする(これを網内と呼称)
網内は敦直、直酒、酒青乗務員は一切再点検せず、自局受けの北
海道も網内に追加していく、各便長は網内の送致証を青函宛に作
成して引き継ぐ
というものでした。阪青下護送の締切りも同様。青函にとっては
推定で締切が200〜300はあったのではないかと思われ。これをす
べて読み上げて積み上げ、開被郵袋の各種郵便物も処理するのは
短時間では大変かと思われます。阪青ではしていた小郵袋の開封、
書留区分、封鉛までしていたらこれまた手間のかかることです。
さて、私にはちょっと難しいのですが、青函から先の最近区域区
分を盛青、酒青が青函宛郵袋作成時に便長判断で…というのは?
函館での結束便は青函各便によって決まっていますから、函旭下
便と函江下便あての郵袋を青森までに締めておき、青函では継送
で済むようにするということでしょうか。

159 :
>>157
秋田県と青森県(岩手県山形県もだっけ?)は8-xxも鉄郵で車内継送でしたよね、確か。

160 :
>>157
車両甲板から客室に通じる通路はありました >どこかに専用の出入り口
洞爺丸型には客車航送用(連合軍専用列車〜洞爺丸事故まで一等車の航送実施)に
客車から船内に出入りできる簡易的なホームと連絡通路が設けられていたほか、
十和田丸(T)・津軽丸型でも客車航送の復活を想定してそれらの準備工事は施されていました。

161 :
そういえば洞爺丸事故の殉職者には郵政職員も入っているんですよね…
(引き上げられた郵便には事故に遭った旨の付箋をつけて配達したとか)
北陸トンネル火災の時は乗客の誘導したり、確か山陽線では郵便車が全焼したり、
鉄道事故にまつわるご難もいろいろと…

162 :
>>161
東北線ではPFに追突されたオユ10とかもいたし。

163 :
>>161
「何でも鑑定団」で出ていたよ

164 :
>>157
連絡船内での郵便車や荷物車の留置位置となると、一番奥に留置するのが基本だったようです。
緩衝機付きの連結器とエアブレーキの栓、そして車内暖房供給用の管と電源が用意されていました。
上の甲板(普通船室)へ上る階段もありますね。
>>160
車両甲板から客室に通じる通路は、普通船室の食堂の付近に1か所ありますね。(津軽丸型の場合)
他には、士官室や船員室等につながる乗組員用の階段が数か所あったようです。

165 :
>>159
8-**を継走区分していたのは、02岩手、01秋田、03青森、04函館。
岩手は花巻以南が029、釜石・山田線以北が028。
秋田は奥羽線秋田以南019、羽越、奥羽線を018。
青森は青森以東を039、以西を038。
函館は長万部以南が049、以北が048。
岩手は単純に番号が足りなかったのです。

166 :
追加。
07〜09は、
078が深川以北、079が釧路線。
088が釧路線音別以東、089が厚内以西。
最近まで道内では、08帯広と08釧路で区分特定があったはずです。
098は宗谷線、099が石北線、名寄線は「イトモンベツ」以南と渚滑線。


167 :
というか、3桁区分の下1桁が9の地域は、基本的に鉄道郵便線路絡みの局な訳で。

168 :
とみせかけていくつか例外もある。

169 :
例外があるから”基本的に”の文言が入ってるんだろ、突っ込むまでもない

170 :
冬の郵便車公開です。駅前では能登の焼き牡蠣も味わえます。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~YAMACAT/FRPS/hokuriku/090124p/090124p.htm

171 :
>>170
いつの間にか公開回数増えてる
でもこれじゃ郵袋投げる以前に雪投げることになるんじゃw

172 :
>>171
これまでは、4月にスプリング、9月にオータムの2回でしたが      
去年から能登中島駅でかき祭が開催され、今年も同様に開催され
ますし、臨時列車かき喰い号5本の運転など力の入れようですの
で郵便車も公開することとしました。記念入場券やキーホルダー
などグッズも増えましたし。HP写真のようなすごい雪になれば
安全のため雪かきをしておきます。積もればアトラクションを^^)
・郵袋ソリ
 鉄車で運べませんから、現地でソリを調達して深川駅名物郵袋
 ソリをイメージするとか… 調達できればですが。
・ヤカンの駐在さん実演
 側扉に入り込んだ雪が凍り付いて開かないから敦賀分局駐在さ
 んがヤカンで湯をかけてくれると開閉できた。実際はドアレー
 ルに流した湯がまた凍り、雪と共に開閉を阻むのだが。
雪投げで思い出したのですが、阪潟上便だったか木ノ本のホーム
で高校生が雪合戦をしていて、流れ玉がこっちへ飛んできて郵袋
降ろしのじゃまになったので「こらやめんかい!」と言うと逃げ
て行きよった。
雪投げは鉄道の運行に支障ないよう駅裏公園でご自由にどうぞ。
そして駅前ではかき料理を存分に味わってください。

173 :
年賀状…

174 :
過去を懐かしむのもいいが
郵便輸送の鉄道利用の復権について議論するのはどうか?
(現在でもコンテナ輸送はやっている。
大阪の貨物駅でコンテナに2ヶ月も
郵便物が眠っていた問題も新聞で触れていたので)
自分の一例として鉄道郵便全盛でもしなかった
新幹線輸送の導入があるがアイデアがあったら
元二乗さんをはじめとした住人のみなさまからご意見願いたい。
(郵便輸送のいわゆるモーダルシフトも地球環境問題上必要だと思うので)

175 :
板名100回音読して来いあきめくら

176 :
もちろんスレタイはわかってはいるなかあえてカキコ。
ただ郵便の鉄道輸送の復権も少しでもキボン。
だから鉄道関係者と郵便関係者とで議論してもらいたく提案。
過去のことをもとにしつつ将来のことを提案するのはスレ違いではないとは思う。

177 :
スレタイと板名の違いも分からんのかこのバカ

178 :
>>174
郵便郵政板で激しく既出
やりたかったら向こうでネタ振ってこい

179 :
しかも結論としては
「意味がない」
でほぼ終了していたと思う。
参考までに書くと、東京・大阪間で佐川が使っているJR貨物のあれでさえ、
郵便輸送という点からはまだ遅い。
理由は東京午後受→大阪府午後配達にしかならないため。
で、それなら最初から自動車便でやった方が融通性が良いということになる。
やりたければこちらで。
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/nenga/1212875122/

180 :
どんなに鉄道輸送でスピードを上げても、駅から各支店のアクセスが意外に時間食う。
あとは支店到着後の処理にも時間がかかる。
鉄道コンテナを使う郵便物は特割や特特と言われている配達日数に余裕を持たせる代わりに料金を割引くものが殆ど。
専用車両を新造して区分機を設置し、2pass処理まで車内でやるんだったら話は別だが。


181 :
>>106
>>107
かなり遅レスですみませんが、キハユニ16の図面を見たとき驚いてしまいました。
郵便室に窓がない!!!
あの一坪ちょっとの狭い小部屋で、夏場なんてどうだったのだろうかと。また前の
方のレスで、郵便車はほこりも相当酷かったそう。
この車で勤務した人には同情を禁じえませんね。

182 :
>>176
スレ違いで板違い。
鉄道郵便復活は無意味。
と言うか、当時よりもサービス悪化。
郵便郵政板で何度も何度も話が出ては同じ結論に達している。
「何度も同じ話が出てきて、何度も同じ結論しかでない以上、議論の余地は存在しない。」
以上、論破完了。
以降、この話はスレ違いで板違いなので完全スルーでよろしくお願いいたします<ALL

183 :
…以上で周知終わります。
では、郵便体操。
♪今日も元気に 郵便体操をいたしましょう!

184 :
>>181
キハユニ16が郵便車史上まれな珍車であると言いますのはその
特異なスタイルもさることながら、郵便室、荷物室の仕切りが
なく、1カ所だけの側扉のそばに「郵便荷物」と書かれていた
ことです。明治初期のものは知りませんが、どのような合造車
でも郵便と荷物は分けられていて、郵便乗務員は郵政省、荷物
は荷扱掛、車掌など国鉄が担当しましたから混乗して同じ部屋
を分け合うなんてことも理論的にはありません。しかして車内
をのぞくと構造は区分棚を設けた郵便室で、その使い方を観察
した限りでは和歌山のやつはあるときは京都〜王寺〜和歌山で
郵便輸送、またあるときは紀勢線などで小荷物輸送に使ってお
り、郵便室又は荷物室のどっちかに使うと解釈すればある程度
理解できますが珍しいことに変わりありません。
通学途中に京都駅で「京王下二」に乗り合わせた(と言っても
乗るのはキハ)ことがよくあって、時たまキハユニ16が登場し
ますが、仕切り壁に近い座席で壁に耳を当てて締切郵袋の読み
上げを聞いていました。
また、よく山中渓に阪和貨物の撮影に行くと、きのくに何号だ
ったか、キハ58系の先頭にこのキハユニ16が新聞輸送で連結さ
れ、京王のようなとろい速度でなく、急行運転で疾走していた
光景が思い出されますが、何かキハ58らに「早ぉ走れ」と押さ
れているみたいでかわいそうに見えました。
湘南スタイルというのか正面2枚窓の個性派で、乗務してみた
かった車両のひとつですが、おっしやるように夏の暑さは気動
車は格別で、キユ25以外は暑くて大変だったと想像されます。
なお、一部貫通改造したものや九州で郵便室拡張、郵荷分離改
造を受けたものもあるようですね。

185 :
>>184
さっそく、レスいただきありがとうございました。
荷物室と郵便室には仕切りはなかったわけでしたか。いや〜、必ず仕切りが
あるものという固定観念で早とちりいたしました。
同じような車で、オハユニ63/64というのもありましたが、こちらも郵便荷物
共用の扉になっていましたが、仕切りはやはりなかったのでしょうか?
いづれにせよ、車両数が少なかった時代、郵便荷物より人間サマの乗れる部分
を多くせいということだったのでしょうね。
ところで、「きのくに」併結のキハユニ16は、まさか客扱いはなかったのです
よね?


186 :
>>184
連投すみません。
ところで房総にはクモハユ74という珍車もありましたね。こちらは必要に
応じてアコーディオンカーテンで客室と区切るというものですね。
区分棚はありましたが、主に新聞輸送に使われたようで、こちらも郵便or
新聞輸送or客室のすべてに使おうという意図だったのかも知れませんね。
こちらも101系や113系と併結運用がありましたが、結局客室は一度も使わ
れなかったようですが。

187 :
横川にオハユニを保存してましたね。
あれはまだゆとりがあったのかちゃんと分けてありましたが。
路線によっては拠点間の護送便形式で郵袋搭載専用に割り切って使っていた例もあったんでしょうか。

188 :
>>185 >>186 >>187
私は見たことないのですが、オハユニ63/64も荷物郵便扉が共用
だったのですね。>>187さんがおっしゃるように横川のオハユニ
61は別々の扉で仕切りもあります。(先日見てきました)
扉が共通なら、キハユニ16同様に車内に仕切りなしと申せまし
ょう。言うなれば、そのときどきで、郵便車か荷物車かどちら
かに使いなさいということです。同じ部屋で陣地を分け合い、
郵便、荷物の両方を運ぶということはないと考えていただいて
差し支えありません。それは59年2月で扱便廃止後、護送と締
切便だけになった後も同様です(明治初期や戦中混乱期のこと
は知りませんので原則論として) 郵便室と名のつく使い方を
するときは共用車であろうと代用車であろうと、国鉄職員と言
えども郵政部外者として立入禁止となります。

蛇足ながら、荷物車内に荷物といっしょに郵袋が積まれていた
ケースは小荷物託送のケースであり、郵袋には荷札がついてお
り、その郵袋は小荷物運賃が支払われた「小荷物」に過ぎませ
ん。国鉄や近鉄、地方私鉄で散見されました。
きのくにキハユニ16のハ室には乗客は乗せずに空きにしていた
か、あるいは新聞をばさっと積んでいたのではないでしょうか。
撮影中に車内までは関心もって見ていませんが、あの座席で急
行料金を取っていたらひんしゅくでしょう。私なら料金を倍払
ってでもあのクルマの急行運転を楽しんだでしょうが。
あと、クモハユ74も憎めない三枚目でした。古い雑誌で走行中
の写真を見たのを覚えていますが、ハ室に立つ人の姿があり、
乗客なのか荷扱掛かわかりません。仕切りはアコーデオンカー
テンでして、ハ室に乗れば郵便作業はまる見えで、房総ミニ周
遊券か何かで房総半島一周作業見学で1日明け暮れることもで
きたでしょう、と最近まで思っていましたが、ロングシートは
あったのに客を全く乗せなかったとしたら、クモユニでもよか
ったのにと思われます。もし
 「郵便or新聞輸送or客室のすべてに使おうという意図」
で、場合により使い分けするのなら、日によっては仕切りせず
に全室客室(郵便室部分立ち席)として使ったのでしょうか。
もし私の地元に時間を決めてそんな電車が走っていれば、当時
の私なら中学の学生帽に〒マークをつけて詰め襟制服でニセ郵
便物とシーツを改造した布袋を持参して乗り込み、車掌の制止
も聞かず、鉄道郵便乗務員訓練をしたでしょう。事実、播但線
や加古川線等でキハユニの郵便室が回送扱いの列車に乗ると仕
切り扉を開けてそっちに乗ろうと企てたがいつも鍵がかかって
入れず残念がっていました。(中学生のときからそんなことし
ているから今になって郵便車にしがみついている…)
以上長文スマソ


189 :
>>188
長文のコメント、恐れ入ります。
なるほど汎用用途を企図していも、厳密に郵便利用と荷物利用とは分けられていた
わけですね。
ところで、オハユニ63/64についてはネット上に写真は見当たりませんでしたが、
以下のCAD図面がありました。
ttp://124.25.73.248/tecs/zumen/pc/pc59/pc591904.pdf
ttp://124.25.73.248/tecs/zumen/pc/pc59/pc591905.pdf
(出典:鉄道CAD研究所ttp://homepage3.nifty.com/jindou/tecs_next.htm)
ここには平面図もありますが、やはり郵便室と荷物室の仕切りはないようですね。
キハユニ16同様、このような汎用車は使い勝手が悪かったせいか、昭和30年中葉には
早々とマニに改造されてしまったようです。
またクモハユ74については、001はもともとはクモハ74と称し郵便室の窓も塞がれてい
なかったようで、「旧型国電50周年(JTBキャンブックス)」によれば、夏季以外は郵
便扱い量が少なく、その場合客室として使うつもりだったようです。ただ同書によれば
やはり乗客を乗せたことはなかったようですね。
ところで私は、営業中のキハユニ15の郵便室に潜入したことはありますが、残念ながら
郵便室には郵袋一つなくもぬけの空でしたね。そういえば東武のクハユに乗客が郵便室
に乗っている写真を見たことがあります。

190 :
>>189
クモハユ74はまったく奇妙な存在ですね。001は当初は区分棚を
着脱式とし側窓もつぶさずクモハとしていたみたいです。
これならキハ20の600台のようなアコーデオンカーテン付の郵便
荷物代用車の同類です。まあ後の改造で窓をつぶして区分棚を
固定したみたいですけど。
キハユニ15と言えば私は郵便線路でなかった三木線列車に連結
されているのを?と思ってのぞきこむと小荷物がころがってま
して荷物室との仕切りは開放していましたね。まだ三木駅など
着発個数は多かったみたいですけど今は廃線です。

191 :
>>183
>♪今日も元気に 郵便体操をいたしましょう!
なつかしいなあ。
私の郵政現役はバブル期と重なるので、鉄道,船舶輸送前提の
システムから道路,航空輸送前提のシステムへの変革期でしたね。
集中局の駅の近くから高速インターの近くへの移転、各鉄道郵便局
の輸送郵便局への改称、遠距離定型郵便物の船舶から航空への転換
とか・・・。
「投げ」作業やってて「青森鉄局」「長野鉄局」とかの付箋
見て「ふーん相当紙余ってるんだね」と思った記憶が・・・。
以上当時の東京中央郵便局第一郵便部第二郵便課(全国からの東京都区の
郵便番号上2桁10〜13宛担当)勤務の元バイト君でした。

192 :
追加です。こうなると鉄道とは全然関係ないですが・・・
当時の東京中央郵便局では区分機が入れるのも取り出すのも
人力でした。入れるのは入れるだけだから楽だけど、
取り出す方は番号別の箱が満杯になるとブザー鳴って区分機が
止まってしまうのでそれとの戦いでした・・・。入れる方も
バイト君だとそれなりに加減してくれるけど、相手が正規職員の場合は
加減がないので大変だった記憶が・・・。
当時現場責任者の課長補佐さんに「じゃ、あんた区分機やって」
と言われるのを何よりも恐れてました。

193 :
あれっていったん抜き取りが始まると無限反復横飛びの地獄なんだよね。

194 :
>>191
>>♪今日も元気に 郵便体操をいたしましょう!
>なつかしいなあ。
>
民営化された今も健在です。
カセットテープが延び延びになってヘタってるので、そろそろMP3で行こうかと。

195 :
>>194
ウチの課じゃ無理だなぁ。>mp3ファイル化
だいいち、ジサマばっかりで存在すら知らないwww
せいぜいCD化してCDプレーヤー寄越せって言う程度だよ。


196 :
昔郵政板にmp3化されたやつがあった

197 :
>>196
それを携帯に保存して各自再生する、と。

198 :
べ、別にupしてほしくなんか無いんだからね!

199 :
オイラは職場で仕事前に聴くからイラネ。

200 :
>>194 支社によるのかな。
おれの周辺局(当時)では5〜6年前だったか、廃止の文書が出たって事で、
速攻でラジカセと共に処分された。
>>198 ぐぐったら見つけたよ。
ttp://proxy.f3.ymdb.yahoofs.jp/bc/836809e/bc/8c19/%cd%b9%ca%d8%c2%ce%c1%e0.mp3?BCxsYcJBAqvU9Ug7

201 :
鉄道郵便局の業務開始前にもいたしたんでしょうか?
>今日も元気にいたしましょう

202 :
前から思ってたんだけど、イントロが♪カローラ2に乗ってに聴こえるの俺だけかな

203 :
それは言ってはならない事実w

204 :
>>202
こう思うんだ、♪カローラ2に乗って、の作者の方がパクッたんだと。


205 :
流れ豚切るけど、鉄道郵便全盛期の年賀状って、どういう輸送体制だったのかな?

206 :
>>205
>>71に少し述べていますが、補足すると年末繁忙期の輸送体制と        
しては小包等の増量に対応した輸送力増強が図られており、年賀
状そのものはあまり容積が大きくなく、定型高等信の輸送力の中
で送達されていました。ただ、特徴的なのは2ケタ区分で分配局
に送付して再分配という定形外や小包と同様の送達をしていたと
思われ、郵便車内でもゴムバンドで固定された把束単位で差立て
するもので、年明けに他の定型とごっちゃになるまでは車内での
1通ごとの区分は行わなかったと記憶しています。
意外に列車内には多く積まれていなくて、考えられるのはビジネ
スがらみがなく、一般の郵便物と比較して近距離への差出しが相
対的に多いのか、自動車便へのウエイトが高かったのでは。
余談ながら、年賀状を甘くみると痛い目にあったもので、郵袋は
並乙、航空乙など小さめですが、ゴムバンドでくくられた紙の固
まりで石のようなものですから比重がやたら重くて不用意に足元
に落とすと大けがするから要注意でした。もっとも夏の東門線で
揖保そうめん、鴨方そうめんの木箱が小包で出回り、郵袋を落と
してけがをした経験がありましたから年賀状ではセーフでした。
夏の風物詩と新年のあいさつ、共に侮るとけがのもとです。

207 :
高等信という言葉の意味を知る社員も少なくなったなあ。

208 :
>>207
そうですか。今はこの用語は使っておりませんか… 私も長年、
郵政から離れておりますもので。
鉄郵当時、格の上下で言うのはおかしいが、第1種定形などは高
等信であることから、そうでない速達小包よりは格上だったはず
です。というのも高等信が空輸するところを速達小包だと鉄道輸
送したり2ケタ区分で分配局中継で流れるので到達が遅くなった
りという具合で。

209 :
今でも通常配達で物量が多いときは「切手が貼ってあって消印が打ってあるのは今日中に配れ」って
言う時がありますが…
最近は日時が指定されている小包の方が送達に厳しくなりました。

210 :
会社名は伏せてお送りします、っても珍しい速達小包じゃあ
すぐに他人にバレるわなぁ>ヒサ○大黒堂w しかも差出人は社長名w

211 :
>>210
>ヒサ○大黒堂
局員に知られるようお送りします

212 :
あと、AVもパソコン部品とか書いてもバレバレです

213 :
>>212
有名女子アナの裏ビデオと称して、
その女子アナがニュースキャスターやってるのを録画したのを
代引きで売り付ける「代引き詐欺」ですね。わかります。





なつかすぃ…
俺ら伝送小包担当やってて、還付で返ってきたそのニセモノの配達証書いてたけど
小包番号だけでも半端ない数に…

214 :
>>207
あまり使わないねえ。一般信はまだ一部生きていますが。

215 :
>>213
一時期発着に持ち戻りやら受取拒否やらの代引きが山のようになってたなぁ

216 :
ピクトリアルの5月号が郵便・荷物輸送特集。
ネタ絶賛募集中だと。
鉄道雑誌だとどうしても鉄道側の視点になりがちだけど、郵便側の視点が入るとより面白くなるんじゃないかと。
これ逃すとこの分野が特集されることはほぼ絶望的と思われるので、
このスレ常駐の元鉄郵さん所蔵の資料はどんどん提供してほしいな。
(最後はクレクレでスマソ)

…もしや、すでに編集部から執筆依頼が来てたりして

217 :
鉄郵時代の区分細則、年賀区分細則、晴海北コツ南コツの
区分規定なら手元にあるけど。

218 :
>>217
ピクトリアルに投稿汁

219 :
>>216
コンテナ輸送でもありなら考えるが…

220 :
いよいよ1月24日、25日にオユ10公開です。
ぜひ来てくださ〜〜〜い (^o^)
http://www2u.biglobe.ne.jp/~YAMACAT/FRPS/hokuriku/090124p/090124p.htm

221 :
>>220
行きたいな〜〜
死ぬまでには行きますので
オユ10腐らせないで下さいね。

222 :
>>216
おお、これはぜったい買わないと♪

223 :
>>220
オユ10も見たいし牡蠣も食いたいが
今週末は雪が心配‥
そもそも寒そう‥

224 :
>>218
してもいいが、全部で1500頁は超える代物。
何か聞きたいことある?

225 :
トリビアを一つ。
大型書留通常のみを納入した郵袋は、航空便差立ができなかった。

226 :
>>224 非売品か?

227 :
このスレは勉強になるなあ

228 :
>>220
オユ公開ですが、24日は150人ほど。ほとんどがかき祭のお客      
さん。25日は大雪でのと鉄道もほとんど運休となり、中止とし
ました。    

229 :
>>228
仮に能登半島で冬場に公開しても暖房が引けないから
鉄郵体験したら寒くないですかね?
何処かからスチームを引き込めたら面白そうですが、さすがに無理ですかね‥

230 :
>>229
そうですね。スチームの湯気が台車下から上がればイメージ抜群
ですが、現在はスチーム管が機能しませんので、暖房するなら発
電機を回して電気ストーブでも使えば電気暖房ってところですか
ね。ただ、1日めもこごえる程寒かったというわけではなくて、
作業を楽しんでいたら1日は過ぎました。車内で何もせずじっと
していると寒いでしょうが、何かと身体を動かさなければ忙しい
ところです。むしろ、真夏のツアー見学が大変な暑さで、お客
さんも長居せずに車外へ出て行く方もいまして… クーラーだ
けでも何とかしたくて家庭用の設置とか意見も出ましたが車両
の原型を崩すとの意見が大勢を占めて見送っています。

231 :
>>230
工場で使うスポットクーラーで窓から冷風入れたらどう?

232 :
つか備え付けのクーラーはもう死亡してんのかねぇ、
外部から電源を取るだけで動きそうな気もするが。
さすがに発電エンジンは死んでるだろうが、クーラーなんてそう簡単に壊れんよ。

233 :
ガス抜けてそうだが

234 :
>>231
車両にそれしている所って、京阪男山ケーブルですね。八幡市の
駅に停車中に「ひえゾウくん」とかいうゾウの形のクーラーがあ
って車内に冷風を送っているのでイメージはわかります。
問題はいちばん暑い作業室に開閉できるまどがないことで、一時
は壁をぶち抜いて配管して家庭用クーラーも考えたんですが否決
となりました。スポットクーラーで郵袋室や休憩室の窓から冷風
を入れても作業室に届きませんで。何より車体を写真撮影される
方も多くいて、廃車体活用の建造物みたいになりがちなところが
相容れず、暑さは我慢して、非冷房郵便車を肌で体験することに
落ち着いた次第です。
>>232 >>233
クーラーはガス抜けを通り越して死んでいます。床下エンジンも
です。何より内部の腐食で雨水が浸透し、錆び色の雨漏りがぽた
ぽた床にしたたる状態であったため、錆び止め剤を充填して、ビ
ニールシートをかぶせて固定するという工事をしました。
多額の金があれば、走行機器の修復と動態化、次にクーラー回復
ですけど、夢のまた夢。

235 :
>>234
ありゃりゃ、腐食はどうにもなりませんね、
暖房なら小型のダルマストーブでも持ち込めば簡単だと思うけど、
冷房は色々困難そうですね。

236 :
あの汗だくになって郵袋を振り回すのが良いのです。
長郵袋を復元できませんかねえ。

237 :
自慢にはなりませんが、夏場のツアー見学日には何かと車内の整
理に長時間いると大汗でして、昔の非冷房車乗務をいやでも思い
起こさせます。9月の公開にお越しいただくと暑い日になること
が多いので1日汗だくで作業を楽しんでいただけます。

238 :
>>236
長郵袋は新巻きジャケとかの長尺小包を納入すんのに使ってた椰子だよな?
おいらもバイトから数えて20年以上現場にいるけど、見ないな。
並甲、並赤、航空郵袋なら飽きる程見るけど。

239 :
>>238
三ヶ月位前に初めて見かけた…
長甲郵袋
なんじゃこりゃ!
と思いながらも大型締めて島流し
@長崎

240 :
>>239
なんと…
でもうpは叶わないよなぁ。
お勤め乙だす。
さて、出勤すっか。

241 :
>>240
乙です。
並乙なら時々見かけますが…
スレ違いスマソ

242 :
錠郵袋なら5年前に二枚見たことがある。

243 :
袋類は郵政博物館に無いの?

244 :
合造車の場合、トイレはどうしてたのでしょうか?
スユニ50は郵便室と荷物室のあいだにトイレがあるからいいとして。
キユニ28みたいに郵便室・荷物室・トイレの順に、
室内が配置されている車両は、荷物室を通してくれたのかと?。
あと、キハユニ26みたいにトイレへ行くのには、
客室を通っていったのでしょうか?

245 :
生理現象については今より昔の方が寛容だったと思う。
モンスタークレーマーも居なかっただろうし

246 :
>>244
スユニに乗ったときは郵便室と一体になっていて使いやすかった
が、亀阪線の荷物専用列車で他にも荷物車が何両かあったから、
荷物室側の国鉄乗務員が使うことは皆無でした。
キユニみたいな構造だったら困りものですが、荷物室を通しても
らわないとね。もっとも通してほしいと頼めば拒否されることは
なかったでしょうが、誠に勝手ながら輸送中の郵便車は国鉄職員
の立入りは御法度モードでした。(例外はあったかも)

247 :
>>246
>誠に勝手ながら輸送中の郵便車は国鉄職員
の立入りは御法度モードでした。
いや、モードではなくご法度。
郵便法第10条の「信書の秘密の厳守」に抵触する恐れがあるため。

248 :
ウンコくらいさせてくれよ…

249 :
国鉄職員が郵便室に入るのは禁止でも、
郵政職員が荷物室に入るのはOKだったとか?

今でも郵便車両は便乗禁止だね。

250 :
保守カキコ
>>249
確かに収集とかに使っている軽四のワゴンにも「便乗禁止」と書いてますな
所でオハユニ61みたく
[客室|WC|郵便室|荷物室]
な構造で荷物室に乗務しているニレチさんがトイレに行きたいときは、やっぱり郵便室を通ったのだろうか
まあオハユニ61を使っているようなローカル線だったら、原則はあっても郵政側も少々は目をつぶっていたかもしれんが

251 :
>>250
「便乗禁止」と書いてある車両は地域によって違うのかな。
東京支社管内だとNitteiのトラックや取集車で見かけるけど、
関東支社管内だと見かけない。
支店で小包配達用に使う軽4車両(事業支店所有車)にも書かれていない。
>荷物室に乗務しているニレチさんがトイレに行きたいときは、やっぱり郵便室を通ったのだろうか
書留の査数中に入って気まずい思いをした荷物車掌さんは多いはず。
でも鉄道局員と国鉄乗務員の仲が悪いとは思えず、休憩中は一緒にタバコ吸ってたりとかしてたんじゃないの?
郵便の現場も、元鉄道局員とか国鉄から転職してきた職員がほとんど退職しちゃってるうえに、
59.2も組合の昔話になってしまっている。

252 :
>>250
というかオハユニ、クハユニ、キハユニなどは、車掌の車内巡視に問題は生じない
のでしょうか?
これらの車両では、郵便室を通行しないと客室に出られません。
実際キハユニ26に乗車したときも、郵便室の扉が開いて車掌が客室に入って来て
いました(郵便室に鍵さえかかっていなかったような気が)

253 :
>>251
>郵便の現場も、元鉄道局員とか国鉄から転職してきた職員がほとんど退職しちゃってるうえに、
おまいは知らないだろうけど、
当時20代前半でさっさと見切りつけて国鉄から転職してきた人も多いから
郵便の現場にはまだ結構な数いる筈だぞ。
ただあんまり過去の話をしたがらない人が多いけどな。

254 :
いるね。国鉄末期に配転の一環として郵政に試験を受けて転職した人。
不思議なのは精算事業団からきた人もいる。

255 :
国鉄入社→民営化前に郵政入局→民営化前に退職

256 :
>>255
それ一番良くね?

257 :
>>256
いいかも知れないけど
入局当時まだ30代前半ぐらいの人だと…
( ´ー`)。oO放送大学の学生やってて、いつもスク休(スクーリング休暇)とってた
       塩浜操出身のOさん、元気かなぁ…

258 :
国鉄以外の私鉄で輸送していた線路って、どういう線路があるんだろ?
俺が知ってるのは、米原貴生川線(近江鉄道)くらい。
南海電鉄と近鉄に郵便車があったそうだけど。
島原鉄道もあったのかな?

259 :
島原鉄道にキハ4500改造のキユニがありましたね…
あれってブレーキの方式的に他とつなげられなかったのではないかと
思うのですが単独で走っていたのかな?それとも実用には供されず?
それ以前は小柄なキサユニ?があってキハ55に牽かれてたそうですが
(終点では機回ししてたんだろな)…

260 :
鹿交南薩線だな。

261 :
>>259
島原は知らんけど
1両くらいならブレーキ無しでもおkかと
実際それでトロッコ車両牽いて走ってる所もあるのだし

262 :
関係ないけど、澪つくし号って常用ブレーキは牽引する電車(SME方式)に
依存してるんだな。非常ブレーキは効くだろうけど。
ユ101号ってことでお許しを…では本題へ…

263 :
199−**は鉄道郵便で運んでいましたが、189にも鉄道郵便で
運んでいたのですか??

264 :
>>210
実家にいた頃、姉貴宛に変わった郵便物が来た。差出人は印刷だけど
毛筆で書いてあり、いったい誰なのかとすごく興味を持った。
電灯にすかしてみると、ヒサ○大黒堂の文字が。
姉貴が痔だってばれた瞬間だった。

265 :
ブルトレに郵便車が連結しなかったか・・・。
速達性から良さそうにみえるが。

266 :
>>265
今になって思えば阪福等の一部区間は航空便の代用で使えたかもしれませんね。

267 :
>>263
189あたりの「9」は鉄郵とは関係はない。地域によって移動局の子番号としたところと、
静止局として付定したところがある。
>>266
単に郵袋搬入の時間がとれるかどうかだったのでは?東門線での郵袋数を
想像すると、国鉄側がいい顔をしなかったように思う。

268 :
「天の川」じゃダメですか?
一応20系+スユ16

269 :
>>264
いつも新聞テレビ欄に広告の出ていた大黒堂。
いたづらで中学の同級生に送りつけてやった。

270 :
郵便車の便所は紙に困らなかったらしい。

271 :
ユで洗っていたからね。

272 :
ウマイ!

273 :
>>267
パレットなら可能だったのでは?
電源車の床面積的に無理かもしれんけどw

274 :
現行の【翌朝10時】は飛行機頼みだけどブルートレイン便が活用出来れば引き受け可能エリアが広がったかもしれない…

275 :
某郵便局の解体を巡ってすったもんだしてる鳩山さんが
鉄道郵便車にもちょっかい出してくれたら嬉しいんだけどな。

276 :
駅傍の本局って地下通路でつながってたんだよね?
まだ残ってるんだろうか・・・
専用軌道もあったとか

277 :
>>276
そこの出身者@今年定年、の人曰く
地下通路はだいぶ前、昭和50年代にはコンクリで埋められたそうな。
まぁ、漏れもあすこを活用して翌朝搭載とかって妄想こいたこともあったけど
考えてみたら取り扱い方とか設備投資とか大問題ありすぎるし
ただでさえ赤出してる商品のために元もとれないようなことする訳ないんだよな…

278 :
ピクの特集立ち読みしたけど…微妙orz

279 :
>>278
確かに微妙・・・
個人的には、寿都鉄道に無認可郵便車があったって事と、
米原貴生川線の時間が載ってた・・・くらいかな?

280 :
結局このスレの偉い人たちも資料提供しなかったみたいだし
大した記事が集まらんかったのかもね
それを微妙とか文句付けるのは筋違いかと

281 :
今回の特集、郵便に限った話じゃないけど「輸送」って言ってる割には車両(の分類)の話メインなんだよね。
運用とか、システムとしての視点からもうちょっと取り上げてほしかった。
システム話じゃ売れないのかもしれないけど。



282 :
>>278
買って読んだけど…このスレの住人には物足りない特集だと感じた。
ピクのアーカイブセレクション「国鉄客車開発記」に載ってた郵便車に関する記事の方が読み応えがあった。
たぶん、原稿募集の段階で思ったよりもネタが集まらず編集部も困惑したんだろうな。
結局、写真原稿しか集まらなくて車両特集になっちゃったんだろうね。
現在の鉄道コンテナを用いた郵便・小包輸送の話も少し触れても良かった。
さすがにそれをやると鉄道趣味雑誌の範疇を逸脱しそうだし。
ちなみに鉄道博物館のライブラリーでも鉄道郵便に関する書物は少ない。
逓信総合博物館の資料室に行って漁ればいろいろ出てくるとは思うんだけど。

283 :
テーマの持つボリュームからすると優に2分冊になってもいいように思ったけど、
やや掘り下げが少ない感じ。車両の紹介は確かにこのスレの住人の方はわかりきった情報
といえるが、広範な読者を対象とする趣味誌である限り仕方ない面もあると思う。
できれば、以前食堂車従業員の手記のようなものがあったように、このスレの方のように
現場に関わった方の苦労話があったら面白かったと思った。
ただ収穫だったのは、クモハユ74の就役時は一般乗客にも開放されていたという点、
これは発見だった。

284 :
このスレ面白いですね
自分は集配なんですが、職場のベテランの方の鉄郵時代の話は興味深い話ばかりです
最近は仕事もきつくて鉄郵魂もそろそろ限界だなぁなんて言ってますけどねぇw

285 :
>>258
乗務していたころの路線図(S53)ですとおっしゃる米原貴生川線
のほか諫早加津佐線(島原)もあり、いずれも扱便を運行してい
ました。しかし、S.59.2.1で両線とも廃止となっています。
それより少し前ですと
  大阪和歌山線(南海)    S.47.9.25廃止
  伊集院枕崎線(鹿児島交通) S.50.3.10廃止
がありました。
近鉄については手持ちの資料ですと郵便車は相当古く
  柏原河内長野線(長野線) T.14.3.31廃止
しか判明しません。
参考まで近鉄は昭和50年代も郵袋の託送便を走らせていまして
大阪では鉄郵はノータッチで、中郵が上本町駅に差出して荷物
札をつけて伊勢や沿線の局、積替えで名古屋、上野などにたぶ
ん高等信だけを運んでいました。亀阪線や名和線よりも速度が
速いので経費は高いが活用されていました。
車両は鮮魚荷物電車で鮮魚商さんや他の小荷物といっしょに乗
っていたのでしょうか。
その他、託送だといろいろな私鉄や国鉄荷物車、路線バスなど
で郵便物輸送をしていたようです。
>>276
大阪駅の場合、中央局地下と駅地下通路で結ばれていたけど、現
在はブロック塀で仕切られているみたいで。
専用軌道があったのは東京ですな。

286 :
>>280
ところがうちのメンバーに寄稿要請ありまして22-24ページを担当  
しました。

287 :
能登中島のオユ10のクーラー直すのってどれくらいかかるの?
しかしクソ重たいエンジン積んでる割には「オ級客車」なんだよね。
新性能客車だって発電エンジン搭載車両は「ス級」だろうに。
座席の有無がそんなに影響するのだろうかな。
マニ50みたいな軽い車両もあるからいいのか
でもあれエンジンないよな。

288 :
>>287
クーラーは修復不能。乗っかってるだけ。

289 :
>>287
>>288
オユ10のクーラーってキハ58のクーラーと同じ形式だったような…
廃車から載せ換えできないかなぁ?
発電機もキロ28と同じような出力だから、重量は大した事はない。

290 :
ありがとうございます
しかし何故壊すのか…

291 :
あ、オユ10は破壊しないんだよね

292 :
つか「マ級」て重たいんだよね、ごめんなさい。

293 :
>>289
クーラー型式はAU13Aだが廃車キハから入手のチャンスがあったも
のの取り替え工事の場所的制約、工費、技術など素人工事では不
可能と判断して断念したね。クーラーから雨漏りしていたし。

294 :
4月にオユ10公開をします。みなさん来て下さい。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~YAMACAT/FRPS/hokuriku/090425p/090425p.htm

295 :
>>293
かわだけ良いの貰って張りぼては?

296 :
荷物積込の写真は評価点だろう

297 :
>>287
ナハ10を筆頭とする10系をあなどるなかれ

298 :
30年以上前の特集は秀逸だったなあ。

299 :
>>294
行きたいけど仕事ですわorz

300 :
300

301 :
301

302 :

|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄つちのこ軌道 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○鵜飼健一郎は放置が一番キライ。常に誰かの反応を待っています。
|| ○ウザイと思ったらそのまま放置。
|| ○放置された鵜飼健一郎は煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
||  ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
|| ○反撃は鵜飼健一郎の滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。
||  エサを 与えないで下さい。             Λ_Λ
|| ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて   \ (゚ー゚*) キホン。
||  ゴミが溜まったら削除が一番です。       ⊂⊂ |
||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_      | ̄ ̄ ̄ ̄|
     (  ∧ ∧__ (   ∧ ∧__(   ∧ ∧     ̄ ̄ ̄
   〜(_(  ∧ ∧_ (  ∧ ∧_ (  ∧ ∧  
     〜(_(   ,,)〜(_(   ,,)〜(_(   ,,)
       〜(___ノ  〜(___ノ   〜(___ノ

303 :
郵便事故?

304 :
春のオユ10はどうだったんでしょ?

305 :
>>304
両日とも雨天でしたが、熱心なファンが遠方から来ていただき、
大変好評でした。サイトが完成したらご案内します。

306 :
>>305
先日の一般公開の結果です。
 http://www2u.biglobe.ne.jp/~YAMACAT/FRPS/hokuriku/090425/090425.htm

307 :
東京名古屋間、名古屋大阪間に即日配達郵便が公社化まであって
新幹線で一日一便ジュラルミンケースで運ぶのがあったけど
鉄道郵便の範疇には入らないのかな

308 :
それ言い出したら現在も続いてるコンテナ貨物列車での
郵便物の輸送も屁理屈こねくり回せば鉄道郵便輸送だぜ?

309 :
>>308
確か水窪だったかどこかの集配センターが、
飯田線に乗って配達に行ってたと思うけど、どーなんだろ?

310 :
>>309
小和田ですな
http://www.arakawas.sakura.ne.jp/backn010/kowada/kowada3.html
http://65744119.jugem.jp/?eid=355

311 :
山形県鶴岡の郵便番号は999-****なんだけど、これってもろに
鉄道郵便がらみなんですか?

312 :
999-7Xなら阪青直酒、999-8Xなら阪青酒青。
997-XXは鶴岡を起点として自動車便受渡地域。

313 :
>>311
あまり話題にならなかったけど、「郵便番号999」というタイトルのテレビドラマがあったな。
そのドラマのセリフは「999の7いくつとか、8いくつとかはあっても、999だけってのはないんだ」と言っていた。

314 :
>>313
死んだ息子が銀河鉄道999が好きで…って内容でなかったか?

315 :
>>314
http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-24587
>愛息を交通事故で亡くした母は錯乱状態。
>愛息のバイクナンバーと同じ番号で息子に手紙を書く。

316 :
保守ついでに
>999-****
7桁変更時に番号が足らなくなったから
使わなくなった鉄郵の999を使ったのでは?
札幌市の一部に7桁時以降001を使っているけど
元々北方領土に割り当てる番号だった、という噂があるくらいだからな
(真偽は不明だが)

317 :
>>316
7ケタ以降以前に999-XXは存在した。

318 :
>>316
郵便番号3桁時代も知らん人がいる時代になったんだな。


319 :
>>316
7ケタ以降以前に001(札幌北局)は存在した。

320 :
>>316
その噂は事実だよ。
郵便番号制度開始後、札幌市周辺の郵便区増加で06x―xxが足りなくなって、
北方領土用にキープしていた00xを使用。

321 :
正直スマンカッタ
7桁になる前の年から〒の中の人やってるんだが‥orz
(今は郵便から離れている)
とりあえず赤郵袋を頭にかぶって袋を封緘して逝ってくる

322 :
>>321
逝かなくていいので、代わりに郵便体操やって下さい。
ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm7239484

323 :
>>322
郵便体操か〜
研修所に行ったとき、クラスの漏れも含めた3分の2以上は存在は知っていても「?」だったからなw
結局回りの郵便課の連中の見よう見まねで何とか付いていった覚えが‥
(無集配特定局とかだったらそら知らんわな)
数年後別の研修で行ったら普通のラジオ体操だけになっていた
それよりも上沼垂の485あたりでも流れる「美しく青きドナウ」を聞くと研修所の朝を思い出して鬱になる

324 :
>>321
国際船便でお願いします。

325 :
仮に北方領土が返還されたら郵便どうするの?
また新規に番号を作るの?

326 :
008〜009が、未だ空いてる。

327 :
歯舞諸島で087-1X、色丹が087-2X、
国後が087-3X、4X、択捉が087-5X、6Xかと。


328 :
以前郵政板で「根室か釧路の枝番になるのでは?」という推測がされていたな

329 :
保守カキコ
大宮の鉄道博物館の屋外に食堂として置いてある455系とか183系の室内に家庭用(?)のエアコンが付いていたけど
屋外からは室外機がどこにあるかよく分からんかった
うまくやったら能登中島のオユ10にも取り付けが出来るのかな?と書いてみる
考えてみればオユ10も鉄道博物館にあってもおかしくないよな‥

330 :
国立の研修所にあるやつを大宮に

331 :
スユニ50
函ハコ
郵袋40
荷重4.0

332 :
オユ10一般公開「鉄道郵便車フェスティバル2009・オータム」の
日程が決まりました。
   9月26日(土)、27日(日)の10:00〜16:00
   のと鉄道 能登中島駅
です。詳しくはまたお知らせします。

333 :
そっちすか。四連休の期間ではないのですね。

334 :
阪青下敦直乗務員age

335 :
便長!金輪線郵袋一本残留しますた!逆送おながいします

336 :
モーダルシフトで戻る事は無いのかな?

337 :
>>334
332の実演ですが、阪青上二敦直乗務員をやってます。
>>335
金輪下一にも3個ほど結束させます。(有証、無証、速小)
それと便長グッズを増強。原符もどき、6玉そろばんetc.
あと当時の制服、帽子の貸し衣装あり。前掛けは各自持参を。

338 :
>>335
>>337
つ 白い紙
局長名・自分の所属と指名
あと題名、始まりとその結末、以後の心構えを書いて、最後はビシッとこう書くんだ。
「何卒、寛大なご処置をよろしくお願い申し上げます」

339 :
>>338
すなわち、始末書と…

340 :
>>339
誰にも強制されず‥ありのままを‥あと何だっけ‥
〒に入って2ヶ月目に一回書かされたお>始末書
。・゚・(ノД`)・゚・。
それ以来書いてないけど

341 :
>>336
つミ
JRコンテナで特特・特割・あと外務が嫌がるしまじ【ry
ただしJPEXの関係でこの先は……。
日通の私有コンテナで輸送かも。

342 :
>>341
JPEXデザインの20ftコンテナを載せた貨物列車が颯爽と走っていく姿を見てみたい。

343 :
JPEXコンテナよりも東京【タ】〜安治川口EF200リミッター解除列車。
速度の為なら減トンおK。
ランテック教【又はヤンマー】の霊散るコンテナ借りてパレットごとチルド入れるとチルコン不要w
中味はもちろん説明不要ですな。速達全部乗せて珍走4トンモーダルシフトして下さいYO。

えぇ。パラ入れて倒壊の変電所ぶっ飛ばしてもおKw


344 :
>>340
みんなそんなもんだよ。
お前さんだけじゃないって。

345 :
>>343
倒壊の変電所吹っ飛ばすと、他のカモレに迷惑がかかります><
せめて塩尻大門経由殿様スジノンストップでお願いしまつw<EF200全力全壊運転

346 :
>>345
ネタにマジレスだが、山登れん(登ったら登ったで下りで速度抑えきれん)と思われ

347 :
便長!アホ西が直酒乗務員分を誤結符しやがりますた!
一般事故いってもいいでつか?
\___________ 
      V
     ∧_∧∩
    ( ´∀`)/
 _ / /   /  
\⊂ノ ̄ ̄ ̄ ̄\

348 :
>>346
つ「EF67重連を後補機に」

349 :

        . ,ゝ---<,.
      ,,イ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\
     /=--i/'''''''''''''ヽ;;;\
    /' ,,.-ニ, .`  ,r--.、ヽ;;;ヽ
    || ヽ--ソ  `''~~`  .|;;;;;|
    |l tニニフ--.,,.エニニフ .|;;;;L、
   .r'~|   {.  ,ノ     |;{r }
   .! .f i __,,,.二,,,,_  , .|j.トi丿   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   `イ ..−L..」._丿ニ=-┘ `=ン  < ギギギ・・・>>348め 告げ口しよったのう・・・
    ゝ、   ''''     ,ン`j     \__________
'''''''" ̄| \,     ,..=イ  .ク
,,..---r' `ヽ,~'''''''''''''~    .ソ
r-''''~~'i,,   ,,,_~''''''     ~'}
';;;;ヽ.,  「`-..,_ .~'''-     ._人
 ヽ''''  .|  ` ~~`''''''−'''''''~

350 :
ラララ・・・>>347だった
くやしいのう くやしいのうorz

351 :
>>347
バカヤロ!緊急とれ!

352 :
便長!米分で浜阪乗務員が寝言語っていまつ!
並甲で殴ってきていいでつか?
\___________ 
      V
     ∧_∧∩
    ( ´∀`)/
 _ / /   /  
\⊂ノ ̄ ̄ ̄ ̄\

353 :
>>352
金具で1発やるなら古いごわごわしたのを使え。
それなら郵袋把束紐やろうか?アレでちょいとな。
つζ

354 :
便長!S先輩を並甲に詰めて局長室前に放置してきました!今すぐ逃げましょう!(AAry)

ちなみに、私の大先輩が若かりし頃にやらかした実話ですw

355 :

           , -‐- 、
         /^8 /    ヽ
.       / ノ.//ノノ ))))〉
        'ノノ! ! |. ( | | ||    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
          `l |ゝ" lフ/リ   < おにいたま!
      iア-、 /^l水ト、     \_____
       ̄く `ヽ |l:|l、ヽ‐v'し'i
           ` -ノニニト、ー┘ ´
         //   ! \
         /       ヽ
.        〈  /      ヽ i
       ヽ/        i,ノ
        ` ァ‐ァr‐r ´
         /、./ l .!
.         l! l\ ll\!!
          ヽ_)l__ノ
           , -‐- 、
         /^8 /    ヽ
.       / ノ.//ノノ ))))〉
        'ノノ! ! |. ( | | ||     / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
          `l |ゝ" lフ/リ   < 郵袋入りだよ!
         ,-'i^ヾf^1ヽ ホウ   \_____
         ヾ^ 〜ァィ'^〈
       《/   《|ヾ〉 ヽ
        i        |
        /|    F i   Fi i
         `ヘ _____ノ

356 :
>>352
ダイヤ乱れた時に寝床がなくなるよw

357 :
>>355
何その一個〆。
これもやるから首につけとけ。
つ「送状」

358 :
便長!>>354の人入り郵袋が阪○上で到着しますた!
調査課に通報しまつか?
\___________ 
      V
     ∧_∧∩
    ( ´∀`)/
 _ / /   /  
\⊂ノ ̄ ̄ ̄ ̄\

359 :
熊本鉄郵age

360 :
郵政板の利用者って>>358みたいな昔のAAを使いたがるよな。

361 :
便長!>>360がなにかいっていまつ!
長郵袋に入れてトンボ東京あてに放り投げていいでつか?
\___________ 
      V
     ∧_∧∩
    ( ´∀`)/
 _ / /   /  
\⊂ノ ̄ ̄ ̄ ̄\

362 :
オユ10公開のリンクです。みなさんぜひおこし下さい。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~YAMACAT/FRPS/hokuriku/090926p/090926p.htm

363 :
便長!阪青上二敦直乗務員あてに郵袋一本締めまつ。
当日自分で開披しまつ!
\___________ 
      V
     ∧_∧∩
    ( ´∀`)/
 _ / /   /  
\⊂ノ ̄ ̄ ̄ ̄\

364 :
>>361
>>363
こんな古いAAを使ってるあなたがリストラされないなんて、郵政民営化は一体何だったのだろうか。

365 :
>>364
リストラじゃないよ。
鉄道郵便局っていう過去の世界から、四次元ポケットをくぐってやってきた、我々の大先輩だよ。
年金、退職金、分けてくんないかな…

366 :
タモリ倶楽部で、鉄道郵便の特集をやってくれないかなあ。
やっぱりロケは、郵政研修所のオユ10 2555でやることに
なるんだろうかな。

367 :
ああ、切手趣味を採り上げた流れでか。
あれ見逃したけど。

368 :
タモリ倶楽部での郵便ネタ放送に期待。
以前「トリビアの泉」で長距離ランナーと郵便物を競争させたVTRを見てタモリがえらく感心していた。

369 :
暮らしの手帖では郵便番号を書かなかったり速達で出したりして
速さを競わせてた。その当時はどちらも結果は半々くらいだった。
鉄道に関係なくてスマヌ

370 :
オユ10公開がせまってきました。
9月26日、27日10:00〜16:00
のと鉄道能登中島駅
です。郵袋、赤色搬送台車を使用して各種郵便物による
「阪青上二」の作業体験です。
乗務員コスチューム→制服制帽、前掛け、改造サンダル
書類→実物そっくり送致証、送達証の再現と作成
小物→6玉そろばんなどなど・・・
で実演をパワーアップします。記念グッズも充実。
ぜひお越しください ^^)
     

371 :
だんだん凄くなるね〜〜
そのうち、走行してとか。

372 :
>>371
去年の秋イベントでは手押しで動かしたのですが。
また大きな節目のイベントではやってみようかと。

373 :
>>372
動かしてばらばらにならないことを祈ります。
行きたいけど、財布の中身が。・゚・(ノ∀`)・゚・。

374 :
どーも、事務局長です。
皆さまには、お初です。
本日から、オユ一般公開でし。生きた、車内の様子を見学できますし、体験できます。
ぜひ、お越し下さいね。

375 :
公開の時に限って勤務が入る‥( ´・ω・)

376 :
>>375
お前は俺か?

377 :
>>375-376
おまいらは俺か?

378 :
>>377
お前も俺か?

379 :
オユ10の秋一般公開を開催しました。HPは
http://www2u.biglobe.ne.jp/~YAMACAT/FRPS/hokuriku/090926/090926.htm
あと、1月の公開ページも作ってもらいました。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~YAMACAT/FRPS/hokuriku/090124/090124.htm

380 :
>>379
乙様です。
大分車体がやれて来ちゃってますね。

381 :
オユ10というのは数少ない現存の10系車両でもあるんだぞ、と。

382 :
10月12日にのと鉄道穴水駅で「のと鉄フェスティバル2009」を
開催しますが、鉄道郵便グッズの即売で参加します。みなさん
連休の旅行に北陸に来る方はぜひお立ち寄りを。

383 :
オユ10は垂れ流し便所の実演もされたのか。
現存するJRで救援車代用として使われているスユニ50(中身は現役のまま)が、
まだ垂れ流し便所であるらしいので。

384 :
>>383
保存当初から物置として使用

385 :
最近、鉄郵に興味持ちました。
郵政研修所のオユの中にあった鉄郵廃止前夜の
消印集を撮ってきたんですが、
東陽輸送センターというのが謎です。
鉄道と直接関連するんですか?

386 :
>>385
末期の東海道筋なんかは鉄道と自動車(東名経由)を併用していて、自動車便は東陽センター発着(立寄)だった。
東陽C自体は汐留や隅田川と違って、駅併設ではない。鉄道線路との受渡があったかどうかはちょっとわからん。
(ちょっと時間もらえれば調べられる)
ただ、実態はともかく内部的には自動車は鉄道の補助っていう位置づけで、鉄郵の中に組み込まれてたんじゃないかと思う。
(都区内〜長距離線路や長距離線路〜長距離線路の中継は鉄郵の役割だったってこと)
ただ、おいらも当時現役ではないから、細かいことはよくわからん。すまん。

387 :
>>386
ご丁寧にどうも。自動車便の扱いだったのかー。
東陽町の駅と関係あるのかと思ってました。

388 :
>>386
両国発着の郵便がなくなった時点でなくなったような。
場所は今の深川郵便局のトコだったけ?
東陽町駅に近いトコ。

389 :
>>388
そう。つか、東陽町駅の真上だ。

390 :
>>389
たしか窓口がなく(大口などはあったかも知れないが)
郵便のトラックが出入りしているのを見ていたので
よくわかる。
近所の人は鉄道郵便とかに関係ある場所、なんて理解はしていた。
ちなみに晴海は船に関係する郵便の集まる場所なんて理解していた。
晴海も旅客船なんかロクに来なくなった時代だったけど。
新東京が出来てトラック来なくなったからな東陽輸送センター。
いかにあちこちに輸送センターがあったんだと新東京開局したときに
思った。(鉄道とは関係なくてすいませんねぇ)

391 :
>>390
晴海と船は関係ないよな?

392 :
>>391
実際は関係ないけどね。
神津島とか伊豆とか沖縄とかね。
当時は速達くらいしか航空搭載していなかったでしょ。
たぶんそんなイメージでなったんだろうか?

393 :
>>391
晴海は大型、定型外専門。
ただし大口窓口と航空便のフライトコンテナの扱いがあったらしい。
日航機墜落事故の当日、勤務してた人が
テレビみながら「ありゃ、俺たちが差立てた便だよ…」って驚いた覚えがあったとか。

394 :
OBから新越谷って何だと聞かれて
「要するに昔の晴海、ホッコツみたいなもんでさあ」
といったらすぐ理解した。

395 :
>>393
板違い&不謹慎だが
あの123便に郵便物が搭載されていたのか‥
となるとクラッシュカバーが存在したかもしれないんだな
現場から回収されて「当該郵便物は日本航空123便に云々」という付箋を貼って配達、という事があり得たのか
(実際には皆燃えてしまって回収なんか出来なかっただろうが)

396 :
>>395
あのときは生存者がいたからそれどころではなかったかもね。
全神経を救出作業に向けていたんだろうし…
たしかにそういう他の事故郵便を写真では見たことあるけど…
あの大惨事で生存者がいたことに感動したなぁ…

397 :
59年1月の自分宛のハガキが出てきました。
釧路網走間 上一 (釧網上一)と、同区間 下一札根上(根釧)です。
どうやったら押印されるか問い合わせてお願いしたんだろうな…
その節はどうもご迷惑おかけしました… 

398 :
>>397
駅で停車中、たまにドアをノックする人がいて、落とし窓開けて
用件を聞くとハガキを5〜10枚持ってて、これ消印して送って下
さいという依頼でした。ブツの状況から郵便趣味の人とわかるの
で、ある人に「だいぶ集まりましたか」と聞くと遠方から旅行中
とかで、関西発着の便をそろえるのに苦心している、大阪駅構内
ポストにがむしゃらに入れても阪青線、阪鶴線各便がすべてそろ
わないとかこぼしていたなぁ。夏休みなので全部の便に手渡すま
で家に帰らないって(おいおい・・・) その人、当時どうやっ
て鉄道便の区間やダイヤを把握していたのか、まったく熱心とい
うか感心ですな。あと、宛先を考えて手渡してほしかったもので
、列車の進行方向ど逆のブツを渡されて、場合により断ったこと
もありました。逆送措置はめったにとれないもので。郵便車側面
のポストが廃止された理由のひとつがそれ。

399 :
昭和53年夏、上りのニセコの郵便車で大阪方面の郵便物を職員さんに渡しました。
その際、「このままこの車と一緒に大阪まで行くのですか」と尋ねたら、一旦札幌に戻し航空便に
なるだろうという返事でした。真相はどうだったのでしょう?
郵便車を利用したのはこの一度だけです。

400 :
>>398
今のように情報網が発達していなかったですしねえ・・・
構内ポストに入れたものが果たしてちゃんと鉄郵が消印されるのか
確認した記憶があります。前述のはたぶん遠方に郵便でお願いしたのかも
知れません。なぜならその日付は入院中でした。
地元駅構内から投函したものがあるのですが、たしか消印されないかもと
言われた記憶があります。地元宛は除外して、地元の郵便局にまわすって
ことがあったのでしょうか?結果は鉄道印が押印されていました。
一般郵便局で風景印を押してもらうのとはちがって、なかなか
手間のかかるものでした。ご協力ありがとうございました。

401 :
>>395
燃えてしまってムリだったようなJAL123便。
ただ雫石事故は(ANA)は拾って貼り付けたそうだ。
血糊みたいなのや破損を監察が持ってきたそうだ。
まだ鉄郵という名の東京空港センターに在職者だった人。

402 :
>>399
当時の輸送体系では定形の北海道〜関西は航空輸送でした。
札幌あたりで手渡したのであれば、とりあえず消印はして、小
樽で逆送りして札幌で落とし新千歳空港から飛ばしたのでしょ
う。私見としては東京、大阪方面の高等信は航空郵袋に詰めて
函館で降ろして空港へ送る、つまり航空結束がなかったものか
と考えます。104レは函館到着16時ころでしたし。でも乗務員
がそういうところをみると、航空結束はしなかったのかな。
>>400
大阪の場合も駅構内ポストは鉄郵駐在が収集して部屋に持ち
こみます。のぞき見したところ、そこでおおざっぱな区分棚
により大阪中郵渡しと乗務員渡しとに分けていたみたい。
乗務員渡しは
 ・阪青下方面 京都〜青森県まで
 ・阪鶴下方面 生瀬以北兵庫県〜島根県
 ・亀阪上方面 王寺〜三重県
だったはずで、送致証といっしょに紙ひもでくくって乗務員に
手渡され、めでたく便名印で消印となります。
なお、速達に限り東門上下、静岡県〜山口県も乗ります。これ
は、当時すでに東門・門鹿西特例区分で、定形は速達しか車内
区分していなかったため。
消印されないというのは、鉄道便区分対象外の区域と判断され
たからで、最寄りの局へ回されるという予想だったのでしょう
が、結果的に便名印が押されていたとすれば、うまくのっかっ
たのでしょう。実際、大阪→京都などは自動車便が常識ですが
、阪青下方面各便に乗ると何通か京都のが出てきて消印して区
分担務者に渡すと、のちにゆるく把束して手渡され、それを並
乙郵袋に入れて京都無証の看板つけてへなへなのを京都で駐在
に「はい、1個」と言って渡しました。以上長々と失礼をば。   

403 :
>>402
早速有難うございます。
追記ですが、手渡したのは長万部停車中でした。
機関車交換を写すついでに手渡したものです。
ついでで申し訳ありませんが、
「高等信」「航空結束」とは何でしょうか? ご教示お願い申し上げます。

404 :
>>403
長万部からの上りで手渡して札幌戻しというのも・・・理解しが
たいけど研究の余地がありますね。
「航空結束」
鉄道の車内で空港輸送指定局宛に航空郵袋で差立すること。
例えば、大阪に向かう各路線では、東京は必ずといっていいほど
航空指定で、後述する高等信に限って「航空結束表」に基づいて
差立しました。表は、便ごとに指定局が異なっていて、到着時間
帯により策定されていたようです。なお、郵袋引渡しは大阪中央
か京都中央宛てで、そこから伊丹空港に向かいます。
東京、福岡、札幌の3つくらいなら作業も多少楽ですが、早朝に
大阪に到着する便だと各方面の1番機に結束していて、阪青上一
に敦賀から乗務すると、予備郵袋が航空甲10枚、乙20枚くらい積
まれていて、東京は定形、速達、書留各担務が別々に甲郵袋で締
めましたが、その他の結束先が記憶ではたしか
 札幌、函館、青森、秋田、山形
 高松、徳島、高知、福岡、大分、宮崎、鹿児島
くらいはあって、ほとんど乙郵袋で差立したと思います。
これらは、各高等信を合納するので私がブツ集めと締めを担当し
てましたが複雑そのもので、開袋台の上に書留小郵袋、速達きん
ちゃく、定形はそくを並べ、その日の出物により看板の色と航空
便番号などのハンコを判断して締めていきました。中には速達1
通で締めるヘナヘナのも作ります。こんなのに航空会社にカネ払
うのかと思いきや受け取る中郵にはこれまた作戦があるようです。
ともかく草津到着までにはケリをつけなければならず、EF58がぶ
っ飛ばすのを多少うらめしく思いながらほうほうの体で間に合わ
せたものです。それ以前には、米原でぱらぱら入ったブツをもっ
て、大津、京都、大阪落としの差立ては完了させたあとなので、
最後の仕上げがこの作業でした。航空結束と聞くとどうしても
この嵐のような乗務を思い出します。東京に早朝に着く夜行列
車の各便もまた、すさまじい作業ではなかったでしょうか。
なお、本来、結束便という用語があって、航空結束もこれと同
義語とおもわれます。
「高等信」
昭和50年代前半当時の基準としては
・普通通常定形郵便物
・速達通常郵便物
・書留通常郵便物
・速達小包のうち航空扱い小包
が該当しました。(外国信も含まれる場合あり)
高等信とそれ以外の決定的な違いは主要都市間を航空輸送するか
どうかで、車内の差立もそれにより左右されます。
つまりは、カネがかかっても速く送達できる手段を使うという考
えであり、例えば大阪降ろしのブツは各方面に航空結束されまし
た。蛇足ながら、大阪から三重県、名古屋方面へは近鉄託送もあ
りましたが高等信に限っていたと聞いており、それ以外の三重県
宛ては亀阪でのんびり、又は東門で名古屋経由でした。

405 :
>>403
長万部からの上りで手渡して札幌戻しというのも・・・理解しが
たいけど研究の余地がありますね。
「航空結束」
鉄道の車内で空港輸送指定局宛に航空郵袋で差立すること。
例えば、大阪に向かう各路線では、東京は必ずといっていいほど
航空指定で、後述する高等信に限って「航空結束表」に基づいて
差立しました。表は、便ごとに指定局が異なっていて、到着時間
帯により策定されていたようです。なお、郵袋引渡しは大阪中央
か京都中央宛てで、そこから伊丹空港に向かいます。
東京、福岡、札幌の3つくらいなら作業も多少楽ですが、早朝に
大阪に到着する便だと各方面の1番機に結束していて、阪青上一
に敦賀から乗務すると、予備郵袋が航空甲10枚、乙20枚くらい積
まれていて、東京は定形、速達、書留各担務が別々に甲郵袋で締
めましたが、その他の結束先が記憶ではたしか
 札幌、函館、青森、秋田、山形
 高松、徳島、高知、福岡、大分、宮崎、鹿児島
くらいはあって、ほとんど乙郵袋で差立したと思います。
これらは、各高等信を合納するので私がブツ集めと締めを担当し
てましたが複雑そのもので、開袋台の上に書留小郵袋、速達きん
ちゃく、定形はそくを並べ、その日の出物により看板の色と航空
便番号などのハンコを判断して締めていきました。中には速達1
通で締めるヘナヘナのも作ります。こんなのに航空会社にカネ払
うのかと思いきや受け取る中郵にはこれまた作戦があるようです。
ともかく草津到着までにはケリをつけなければならず、EF58がぶ
っ飛ばすのを多少うらめしく思いながらほうほうの体で間に合わ
せたものです。それ以前には、米原でぱらぱら入ったブツをもっ
て、大津、京都、大阪落としの差立ては完了させたあとなので、
最後の仕上げがこの作業でした。航空結束と聞くとどうしても
この嵐のような乗務を思い出します。東京に早朝に着く夜行列
車の各便もまた、すさまじい作業ではなかったでしょうか。
なお、本来、結束便という用語があって、航空結束もこれと同
義語とおもわれます。
「高等信」
昭和50年代前半当時の基準としては
・普通通常定形郵便物
・速達通常郵便物
・書留通常郵便物
・速達小包のうち航空扱い小包
が該当しました。(外国信も含まれる場合あり)
高等信とそれ以外の決定的な違いは主要都市間を航空輸送するか
どうかで、車内の差立もそれにより左右されます。
つまりは、カネがかかっても速く送達できる手段を使うという考
えであり、例えば大阪降ろしのブツは各方面に航空結束されまし
た。蛇足ながら、大阪から三重県、名古屋方面へは近鉄託送もあ
りましたが高等信に限っていたと聞いており、それ以外の三重県
宛ては亀阪でのんびり、又は東門で名古屋経由でした。

406 :
>>404 >>405
なんでか二重送信・・・ごめん

407 :
>>406
重要なことなので2回かと
うちは、マニ勤務でした。

408 :
>>404
再び早いレス有難うございます。
何せ30年も前の事ですから、完全解決は難しそうですね。
あの当時、鉄道郵便が永遠に続くと当たり前に思っていましたが、
あれから10年もたたないうちに無くなってしまい、当時は少々驚きました。
そして今、この場や先般のRPの特集で郵便車が少しづつ理解できました。
贅沢を言えば、RPの特集は郵便車が現役のうちにやってほしかった。
ここの記載事項、このまま埋もれさせるのが勿体無い内容ですね。
鉄道郵便輸送という、いまは存在しないが、かつては社会に不可欠なものの
貴重な証言の集まりになってきている気がします。
ありがとうございました。
阪青上一、きたぐに併結の郵便車でしょうか?EF58引退の頃、よく追っかけていました。
もしそうだとすれば、あの郵便車の中は毎日すごい状態だったのでしょうね。


409 :
>>407
いやぁ、書き込みは1回しただけなのになぜか・・・(鬱)
ところでマニの経験談も聞きたいけどスレ違いになりますか。
一点だけ、検査入場郵便車の代用で荷物車が入ったときは車内
構造に慣れず難儀しました。床のスノコでこけるわ、頭上の棚
に頭ぶつけるわで(泣)

410 :
>>408
私も長らく鉄郵はいつまでも続くと思っていましたが現場にいる
と国鉄荷物と共倒れになることは聞こえてきましたので、いろい
ろ考えて郵便とは違う道に進みましたのでその後の郵便の変化は
知りません。
さて、今年のピク誌では特集してましたが、あった当時も特集は
出てまして買って所蔵しているほか、ジャーナルも終焉の時期に
特集記事がありました。このスレも印刷保管してファイルしてま
すが、ぜひOBの方に証言を寄せてほしいものですね。
阪青上一は荷4048レで、上りきたぐには阪青上二でした。いずれ
もブツ量は多く、
 上一〜作業が前述のように煩雑
    航空と鉄道便結束指定が特に多い
    信越、北陸からのブツ多数
 上二〜北海道、東北、信越からのブツ多数
という特徴がありました。生活上、寝不足で乗務するのが泣き所
でしたね。

411 :
>>410
いろいろ有難うございました。
撮り溜めた荷物列車などの写真を見る見方が変わりそうです。
是非、宇田賢吉氏に続かれますようお願い申し上げます。

412 :
>>409
擦れ違いと言われそうですが。
マニ30−2000番代担当で東鉄車掌です。
JRに成ると同時に解任されました。
スノコ?貨物室のですか?

413 :
>>412
小荷物列車スレを立ててみてはいかがでしょうか。興味深い世界
ですね。
スノコは荷物車にはたいていあったみたいで、たぶん水切り兼す
べり止めの役目ではないですか。つまりは、真ん中が通路でその
両側がスノコになるような荷物の並べ方ではないかと想像してい
ます。
郵便車の床はリノリウム張りにしろ何にしろ、スノコがなくて、
そのときどきで郵袋を置くレイアウトを変えるので真ん中をすっ
きりできないことや、もとより郵袋から水がしみ出すことは想定
外なので(実際はあったが)スノコを敷かなかったのでしょう。
で、オユの全検入場とかでスユニなど充当されると、半分ある荷
物室も締切郵袋室に使うので、床にスノコがないことを前提に動
くとつまづいてこけたり、改造サンダルだと脱げてしまいます。
まぁ、小荷物の扱いには都合よかったのでしょうが、今でも保存
荷物車を見学すると、荷物輸送の情景でなく、荷物車代用での作
業が思い出されます。
もっとも前の職場で国鉄小荷物掛の経験者がいて、互いに鉄道荷
物と郵便の盛況を経験した者どうし話が盛り上がったものです。

414 :
わかりにくそうだけど荷物列車のスレあったような

415 :
このスレ?
【八丁畷】荷物列車【汐留】
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1240394518

416 :
元二乗さま、いろいろありがとうございます。
僕の場合、札幌駅から札幌市内宛てですからねぇ…
汽車に乗りようがない場所です。どうやって消印をもらったのか…
職員さんに話して、どこかから送ってもらったのか、四半世紀前では
なぞであります。
某北国の鉄道部品屋さんの金沢店に、鉄郵印コレクションが出ていますね。

417 :
>>415
鉄道模型板にも荷物列車がありますね。
今やなき郵便車を机上の1両でも楽しみたいな。

418 :
90年代前半に某中央局で非常勤やっていた頃は、局内の隅に
赤台車あったなぁ。普段は物置台代わりでしたが、秋にコン
テナ平積みで長野からリンゴのふるさと小包が来たときは、
大活躍(笑)。
そういえば、80東小倉輸送、83久留米輸送は鉄郵の名残で
した。あと輸送局でなくても、38北長野とかも鉄郵で運んで
たころの名残だったなぁ。
未だに長万部・倶知安・小樽・銭函まで04x-xxxxなんで、
函館から自動車便で運んでいるのだと思うと、鉄郵は偉大
ですね。
銭函は1-3丁目が047-0261、4-6丁目が061-0371になってい
るんで、航空便で本州から運ぶケースでは明暗のような・・・

419 :
>>385-390
調べたら、S57.11改正の時点でも汐留と隅田川の受渡しをやっていた
それと、遠距離地域向けに大型通常を国鉄コンテナに積載して発送していたことも判明
鉄郵の一組織に組み込まれていただけのことはやってたらしい

420 :
>>419
昭和55年10月の時点で、鹿児島中央、熊本東、博多、松山西、神戸中央、神戸分局、大阪中央、
京都中央、札幌輸送センター、盛岡、金沢中央、富山南、長野中央、新潟中央の各局宛で
コンテナ発送してるね<東陽センター(当時は東京鉄郵東陽分局)
あと、貨車締切便ってのがあった。
昭和55年10月時点で、東京北部発水戸局行き及び高崎局行き、青森鉄郵発函館分局行きの合計3本。

421 :
>>395
洞爺丸に積んでいた郵便物にも貼ってあったそうだ

422 :
>>418
久留米輸送は鉄道郵便関係無い罠。
そう言えば最後まで残った輸送局だったなぁ。

423 :
勘違いしてました。
並甲に積められてきます………

424 :
その3日後の朝、
>>423の亡骸を詰めた並甲郵袋がフェリー便で新東京の河岸に揚がったのだった…

425 :
>>422
久留米輸送と東小倉輸送、最後はどっちだっけ?

426 :
>>425
東小倉輸送。
平成11年7月5日に廃止。
久留米輸送は平成7年。
輸送局は青森、東京、長野、大阪とあったけど、青森長野は平成元年、
東京は平成2年、大阪は平成6年に廃止。

427 :
阪青下敦直乗務員宛並乙age

428 :
保守
429 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

430 :
>>421
関西ローカルの「ビーバップハイヒール」でやってたよ。
ttp://asahi.co.jp/be-bop/backnumber/091029.html
紹介文にはないが、「洞爺丸」と「日航よど号」のクラッシュカバーが
出てきた。よど号はともかく、洞爺丸は郵便車から引き上げたやつだな。

431 :
おおお

432 :
郵便番号導入以前〜機械で大分けしか出来なかった頃は、鉄道で移動しながら仕分け
というのはなかなか合理性があったんだろうな。なんかのどかというか。

433 :
>>432
そう言った意味では郵便車は「移動郵便局」と言えるかも
しれませんね。

434 :
寝ているあいだに目的地に着く夜行列車と似ているかもね。

435 :
車両側面に投函口があった、そうな
おかんから聞いたことがある

436 :
郵便制度120周年の本買ったけど、鉄道郵便の記述があまりない(-.-)

437 :
昔の郵便車
スユ44もあった。スニ40に郵〒便


438 :
スユ44 南東郵305のサボ。
オユ10は、冷房用の電源エンジンが後付けで、農家の耕運機のディーゼルエンジンのため
♪バタバタバタ オユ14・スユ16はスハフ12・14の電源エンジンだから
♪グオーッです。

439 :
>>438
そのバタバタエンジンですが、うちのオユ10は動きません。先
日、見学に来られたエンジニアの方からレストアすれば動くと
助言をいただきましたが、クーラーがあぼーんしていますしね。
真夏のバスツアーが暑い中で郵便車見学しますが、短時間ですし
「昔は冷房がない郵便車は蒸し風呂でした」と解説するとみんな
納得・・・ 

440 :
何とか今年こそは能登中島に行きたいんですけどねぇ
今まで何故か毎度毎度公開の日に勤務が入っていていけなかったんで‥
何とか公開日の当たりを付けて前もって年休でも入れますか

441 :
今年初めてのオユ10公開は1月23日です。
駅前ではかき祭りもやってますから名物のかきも味わいにきて下さい。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~YAMACAT/FRPS/hokuriku/100123p/100123p.htm

442 :
ここではあまり関係ないが
今年の3月に晴海支店が開設される。
名前は多少違うが場所はあの晴海通常集中と同じ場所で同じ局舎
であります。
いいんだか悪いんだか。フォークリフト事故で有名になった
銀座支店も南部小包の局舎。なんとなく民営化というリバイバルブーム
みたい。

443 :
>>440に同じく。
1月23日は泊まり確定だし、
雪で交通機関が動かず帰れなかったなんてシャレにならないからなぁ
公開予定が決まったら、早めに告知してくだされば幸いです
GWの公開は、4/24・25あたり?

444 :
>>443
開催日の内定は早くからしていますが、開催に必要なスタッフ      
の人数がそろわないと正式開催とならないので心苦しいところ
です。今後は内定日だけでもこのすれでお知らせしておきます。
なお今回は1月24日もスタッフが2人はいますので、臨時公開
として、随時見学は受け入れ、車内で鉄郵作業の濃いところを
訓練しちゃおうと計画中。もちろん随時閉店して駅前にかきを
いただきに。春公開は4/24.25になるかも…ですが、まだ決め
かねてます。内定段階でお知らせします。

445 :
懐かしいな、むかし京都鉄道郵便局に勤めてた。
浜阪乗務員で山陰までよく乗務したもんだ…

446 :
>>444
今回は別の用事(FPの試験)があるのでNGなんですorz
牡蠣は食べてみたいですが
だいたい例年の傾向から行くと春は「4月の最終の週末」ごろですかね‥

447 :
>>446
そうなんです。あまりGWに近づくと周辺に何かとイベントがあっ
て、客足が吸い取られることから、少し前にしています。スタッ
フが集まる際の乗物の混雑、宿泊の値段といった事情もあります。

448 :
>>447
何とか春公開には都合を付けて行きたいものです‥

449 :
>>445
自分で自ら辞めたのと、クビになったのとでは、意味が違うんだよ。

450 :
冬の音威子府の深夜、急行利尻の発着はすごかったな。
除雪された雪がうず高く積り、カチカチに凍ったホームを
ソリをはいた運搬車に郵袋を山につんで、押されていく。
客車からはもうもうと暖房用スチームが立ち上っていて
ホームの待合室の石油ストーブも勢いよく燃えていたし。
美深、名寄、士別なんかは上りと下りの利尻が交換したり到着時間が近かったから
関係局は受け渡しで大変だったと思う。

451 :
先日のオユ10冬公開は盛況でした。ホームページもアップしました。
 http://www2u.biglobe.ne.jp/~YAMACAT/FRPS/hokuriku/100123/100123.htm

452 :
教えて下さ〜い。
東門線の区分及び運送方法に「下記に該当するものは郵便区分方法細則における接続間隔時間3時間以上ある場合と同様の取り扱いとすること」と書いてあり、
例として、米原駅、草津駅、加古川駅、下関駅において列車発着間隔が4時間以上あるものがあげられています。
この「接続時間が3時間以上ある場合」の意味がわかりません。どういう意味でしょうか?教えて下さい。

453 :
>>452
はい、お答えします。
「接続間隔3時間以上ある場合」の取扱い
一般に、鉄道便相互の郵便物引き渡しを「結束」と呼び、直接引
き渡す相手便を「結束便」と言いました。
鉄道便から他の鉄道便に結束する駅は原則として、路線が分岐し
ていて、極力鉄道郵便局又は分局がある駅が指定されていました。
さて、東門線の岡山を例にとって説明します。ある下り便が岡山
に到着して、3時間以内に分岐する他線、つまり、鳥岡、岡米、
岡玉のいずれかの路線に発車まで3時間以内の便があればそれを
結束便とします。具体的には車内で当該便あての郵袋にブツを納
入して便あての標札をつけ、送致証も便あてに作成して岡山の駐
在に引き渡すと、一切が当該結束便に渡されます。
一方、3時間を上回る接続時間の場合は、その路線各局あては岡
山中央局に引き渡し、いったん局で差し立てし直して当該路線便
に引き渡されます。これを「○○線には結束がない」と言います。
つまりは3時間以上ある場合の取扱いとは、当該方面への次便に
対して結束せず、同場所の静止局に引き渡せということですが、
おわかりいただけますでしょうか。
3時間を目安としているのは、駅ホームから当該静止局に往復す
る時間と差し立てに要する時間がそれくらいかかるから、3時間
以内だとそういうことをしているヒマがないとの見解でしょう。
例えとしては不適当ですが、列車で旅行している人で「私は列車
乗り継ぎ駅で3時間以上時間があれば町へ出て観光するが、それ
以下だと乗り遅れが不安だから駅構内のどこかで列車を待つ」と
いう方針の人がいたとします。鉄道郵便輸送はその人の方針とい
っしょだということです。こんなところで、おわかりでしょうか。

454 :
あの伝説の、 「オユ10」氏だろうか・・・

455 :
長年の疑問が解けました。ありがとうございます。

456 :
オユ10の春季一般公開は
   4月24日(土)25日(日)いずれも10:00〜16:00
と決定しました。みなさん、ぜひおこし下さい。また、このすれ
の方は当日スタッフにお知らせ下さい。
>>454 オユ10氏とは別口です…
>>455 お役に立ててさいわいです

457 :
【急募・郵便車乗務員】
3月21日にのと鉄道貸切列車を使って
 「鉄道郵便車復活運転パート2・よみがえれ金輪線」
を開催します。空席があり、現在参加者募集中です。
  http://www.railforum.jp/ftrain/app/bbs.php?Xpmode=1&Xbno=61
のNo.1004をご覧の上でお申込み下さい。

458 :
>>457
貸切列車ですが、当協会HPでもアップしました。
  http://www2u.biglobe.ne.jp/~YAMACAT/FRPS/hokuriku/100321p/100321p.htm

459 :
4月のオユ10一般公開です。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~YAMACAT/FRPS/hokuriku/100424p/100424p.htm

460 :
>>457 貸切列車も盛況のうちに終了です。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~YAMACAT/FRPS/hokuriku/100321/100321.htm

461 :
>>460
あとから画像を2枚追加しています。

462 :
>>460
貸切列車のテレビ放映
http://www2u.biglobe.ne.jp/~YAMACAT/FRPS/hokuriku/100321V/100321V.htm

463 :
郵便課勤務の若造です。
質問させていただきます。
鉄郵局の定義がよく分かりません;
当初移動局のみを指すのかと思っていたのですが
詳しく調べてみると現長野東局のように長野中央局とは別に
あたかも静止局の如く局舎を構えて作業をしていた
例がある事に気付きました。
これを分局というのでしょうか?
そこではどのような作業が知りたいです。
把束単位での区分や区分棚でバラの区分け等を
したのでしょうか?


464 :
>463
>>453の作業場とか?

465 :
>>464
なるほど…。
では鉄郵分局とは駅駐在の事務室を指すのでしょうかね?
>>453の説明だと接続便の都合によってはバラを
岡山中央局に宛てて分配事務をしていたという事ですよね?
車中継走区分とはバラの区分のみならず把束単位の区分もして
いたのでしょうか…?
その辺りがイマイチしっくり来ないのです;
余談ですが〒100には東京中央局、東京鉄郵局、更に
東鉄東京駅分局という三つの局があってそれぞれの機能
が興味深いです。

466 :
連続になってしまいますが現在の新東京局にある輸送部は
かつての東京輸送局や東京鉄郵局と関係あるのでしょうか?

467 :
>>466
大有り。もともと鉄郵出身者の受け入れ先みたいな意味があった。>新東京支店
53.10の改正時に東京鉄郵の東京駅常駐が廃止になって
その人員なんかを基幹にして、現在の深川局のあるあたりに「東京輸送局・東陽輸送センター」ができた。
その後、中郵の一部人員・晴見・東京輸送などの人員を集めて新東京局が平成2年の8月6日にできた。
(同時に東京小包局が出来た)
俺が転属してきた時にはまだ鉄郵出身者がまだ大勢いたけど
乗車組(第一乗務課)あがりの人は寡黙な職人気質の人が多くて
駐在組(第二乗務課)あがりの人は陽気でよく喋る人が多かった。
まぁ今はみんな年取って殆ど退職してったから
今鉄郵出身って人は課に2、3人いるかいないかぐらいだよ。

468 :
>>467
詳しい解説ありがとうござます。
東京駅分局の人達がベルトコンベアを使って
郵袋を東京中央局に流していたのですね。
ところで東京多摩局が出来る前は18〜20地域の
地域区分局はどこだったのでしょうか?

469 :
>>468
どこって1局しかないんだし

470 :
>>465
今回岡山分局を例に示しましたが、鉄郵及びその分局の業務範囲
は場所により違っていました。また、時期ごとに変遷もしていま
す。岡山ですが、昭和50年代半ばに東門線に乗務していた際は締
切郵袋の受け渡しのみでした。
高等信のバラまで処理するのは米原分局くらいだったかな。米原局
(521)もあったけど、分局のみ受け渡ししていました。
青森鉄郵あての把束紙をごみ入れから見つけた記憶がうっすらある
ので、そこもやっていたかもしれません。
あと、小包、速達小包の分配をしているところは多くて、姫路分
局、糸崎分局、広島鉄郵、小郡分局、下関分局などがありました。
「車中継走区分」の定義ですが、車中で郵袋を開披して区分作業
する一切を示しますので、バラの区分のみならず把束単位もあり
ました。特に、東門、門鹿西両線は特例区分といって、バラは速
達のみ、定型普通信は全て把束単位でした。

471 :
4月のオユ10一般公開のようす
 http://www2u.biglobe.ne.jp/~YAMACAT/FRPS/hokuriku/100424/100424.htm

472 :
http://procurement.japanpost.jp/general/2010/20100517000967.html
仕 様 書
1 件 名
特別展「鉄道と郵便」の企画運営、展示用造型等の委託
2 委託概要
平成22年6月18日(金)から平成22年7月25日(日)まで、特別展「鉄道と郵便」を開
催するに当たり次の業務を委託する。

473 :
>>472
http://www.teipark.jp/event/event.html#2

474 :
偽カン は このレスですか?

475 :
2ヶ月レスがなかったのかよw
今秋のオユ10の公開のご予定は、いかがですか?>関係各位

476 :
ただいま決まりかけです。
9月25日土曜日10:00−16:00でする方向。翌26日は不明。

477 :
>>476
どうもです。
その辺かな〜と思って休み取ってあるので、伺う予定です。

478 :
>>475
26日も時間短縮ながらやりそうです。475さん、お越しになったらスタッフにスレの方であることをお知らせください。

479 :
オユ10一般公開です。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~YAMACAT/FRPS/hokuriku/100925p/100925p.htm

480 :
昭和55年10月改正時の時刻表見てて疑問に思ったのですが、
青函上一号便(旭川→大阪)と上二号便(根室→隅田川)がどちらも青函2便に積載されています。
この時、船内で一号便と二号便相互間での郵便物のやりとりとかは、無かったのでしょうか?

481 :
オユ公開しました。ご来場ありがとうございますm(_ _)m
http://www2u.biglobe.ne.jp/~YAMACAT/FRPS/hokuriku/100925/100925.htm

482 :
産業遺産の保存に敬服いたします

483 :
春に能登中島に伺った者です
今回は残念ながらいけませんでしたが
次回は是非参加したいと思います

484 :
明治村の特別展はよかった

485 :
鉄郵は、鉄道、郵便両方のマニアがいるのかな。
俺は、昔は両方のマニアだったが、純鉄道マニアでも
鉄郵印収集した人もいるのかな? ここのお客さんは
郵便マニアとしてカキコしている人もいるのかなぁ

486 :
ホームページ「現在の鉄道郵便局跡」
http://www2u.biglobe.ne.jp/~YAMACAT/FRPS/hokuriku/facilities/fac00/fac00.htm

487 :
>>485
種村氏の取り巻きの鉄郵氏なんてその典型でないの
ググると切手の面でもかなりの有名人らしいことがわかる

488 :
私鉄に郵便合造車を置く必要があったのかな
大鉄がデホユを作ったが、ほとんど稼働してなかったという話を聞いた。
とはいえ南海や東武ではそこそこ需要があったようだし・・・

489 :
>>488
鹿児島交通もあったな。

490 :
近江も比較的遅くまで稼動していた。

491 :
>>488
 頭部はもちろん

492 :
>>468
武蔵野・武蔵府中・立川・八王子じゃなかったかな。
駅分局からベルコンで流していた局は中郵のみならず
東京鉄郵局もあったよ。
そこは後の東京輸送局(場所は異なる)であり
現新東京支店の輸送部にあたる場所。
中郵にあてた郵袋は中郵開被のメンコのみでそれ以外は
鉄郵局舎に流して継越とした。
さらに言うと全ての大型を晴海に送った訳じゃなくて
中郵開被の大型も都区各局から沢山流れてきてた。
まぁ番号でいうと18〜09あてだが。
票札の記号ってのは基幹局の輸送担当が郵袋を
ベルコンで流して各課に振り分ける時に中身が一目で
判るようにするために考案されたものだと思うよ。
記号なしや○代なら特殊郵便部、無証なら第一郵便部、
大型なら第二郵便部、○コなら小包郵便部、特割なら
手の空いている部署…といったようにね。

493 :
>>492
特割は南コツじゃなかったか?

494 :
能登のオユ10 2565一般公開来たな。

495 :
そういえば、たとえば青森宛の郵便物を
うっかり東海道線の電車に積み込んだ場合は
配達日数は遅れるの?

496 :
>>495
早くなることはあり得ないな。

497 :
>>495
もし早くなるのであれば、そのルートが採用されているはず
現実には、東京に送り返したほうが早いか、米原まで送ったほうが早いか、
って話だな
そして差立側は事故取られて始末書、と

498 :
>>488
寿都鉄道にもあったな。
郵政省無認可だったらしいが。

499 :
>>497
そう言うのって始末書まで行くのか
事故を取られて上司に罵詈雑言浴びせられて終わり、じゃなくて
えーっと、
「誰に強要される事もなく、自分の意志で‥(中略)‥寛大な処分をお願い致します」だっけ?
始末書の書き方忘れたw
(「書き慣れた」じゃ困るけどww)

500 :
年末で見るテレビもなく、何となくこのスレをみながら父に質問などしておりました。
父74歳元鉄道郵便局員。スレのいろいろを読み上げていると「あーー、鉄郵ん頃はよかったなー、鉄郵が戻っちきたらまた行きてえ。」と申しております。
郵袋の種類や作業の手順、下っ端の時の体験や失敗談(笑)などなかなか面白い大晦日の夜になっております。
スレの皆様ありがとう。

501 :
さあ、その体験談をここに書きとめる作業に入るんだ。

502 :
>>498
無認可だったのは郵政省じゃなくて運輸省ね
郵政省に対しては、立地的に託送(小荷物扱い)だっただろうから、何の認可も要らないはず

503 :
ぎょうせい刊の「鉄道郵便114年のあゆみ」を購入した勢いで
「大荷7 大 宮」のサボかな(!?)も入手したが、いいけど
スレチ覚悟で罵詈雑言を浴びても構わないが、
いっくら検索を掛けても、その運用がヒットしない。
晩年の上記「大荷7 / 大 宮」の運用について、
何方かご教授下されば幸いなんだけど…

504 :
>>503
大荷7は55‐10で大阪⇔汐留 マニ36、50、60を使用。
RFの258号を見ておくんなまし。今手元にないので何レに繋がってたのかはわかりません。
一応こっちもあるんだけどね
【八丁畷】荷物列車【汐留】
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1240394518/

505 :
>>504
503です。旭屋へ行っても判らなかったところでした。御教示THXです。

506 :
>503
もう調べてしまったかもだけど
RF258見たら
32レで走っていたみたい

507 :
>>506
503です。御礼申し上げます。
ここまで情報(ヒント)を頂戴すれば後は自力で桶かと。
良スレでありがたいです。

508 :
>>501さま
鉄道や列車に関することじゃなくって、鉄郵の作業とか仕事中の便長とのやり取りとか、そういうのですけども、そんな体験談でもいいのでしょうか。ちなみに父は鉄郵終わりごろには便長だったと申しております。

509 :
>>508
むしろそういうネタの方が面白いと思う
ヨロです

510 :
>>509
了解です。今度の土日にでも便長とこたつで書き込みしてみましょう。
ときどきメモを取るのですがいつかまとめてみたいと思っていたので甘えさせていただこうかと思います。我が家は親戚も鉄郵一家でして、小さい頃は鉄郵じゃない郵便局が不思議でした。
なんともまとまりの無いことになりそうなので、何かご質問などありましたらご提案ください。父も昔を思い出すと凄く楽しそうです。今日も聞いてみたら、電車自体のこと(オユ10やクモユ)についても話し出したら止まらない様な気がしました。

511 :
どこの路線に乗務されていたんですか?

512 :
>>511
熊本鉄道郵便局の分局にいました。よく鳥栖や門司や小倉に泊りで行っていた記憶があります。カレンダーに「泊」「明」「夕」と書いてあってそれを見ながらああ今週はおとーさんいないなあ、今日はお弁当いるんだな、などと思っていました。
書き手がど素人なものでうまく返答できないですみません。ウィキ見ながら勉強しています。

513 :
昔、四国にキユ25ディーゼル郵便車が有った。キユ251〜キユ254です。
1と2はキハ28の前期型 3と4は後期型です。
1と2 3と4は向きが異なる。
つまり、1と2は多度津駅上で運転台が新浜・今治・松山に向いて 3と4は高松に
向いていました。

514 :
昔の郵便車
スユ44もあった。スニ40に郵〒便  昔はワキ1000を即席に締め切り扱いの
郵便車に使用したが ワキ10000の考えでパレット輸送にした。
護送便で。


515 :
>>512
その乗務先だと・・・早岐?

516 :
>>515
今聞きました。東下1、東下2、門延、門宮、などだそうです。

517 :
お言葉に甘えて、先日のメモを書いてみます。聞き損ねて間違いがあったらすみません。
●鉛玉と紙紐で封緘する道具があり、一番給料の少ない下っ端がその封緘準備をしていた。
紙紐(把捉紐)を決まった長さに切り、紐の先に穴の開いた鉛玉を通して紐を結んで玉を作り、鉛玉が抜けないようにする。それを沢山作って束ねておく。
封緘する時は紐をぐるぐる回してくくり、鉛玉をペンチのような道具で潰す。
潰すと「熊本鉄道郵便局」の文字が鉛玉にくっきり刻印される。鉛玉は再利用する。封を開けたら紐からはずして回収する。溶かしてまた鉛玉にして次の封緘に使う。
●郵袋には甲と乙とあって、甲が大きくて乙が小さい、並甲とか並乙とか言っていた。赤が現金書留の郵袋、白が速達の郵袋、航空郵袋は(薄い青?)薄くて生地のいいもので軽量化してあった。

518 :
●鉄郵以外の郵政職員には職場に一冊しか時刻表が渡されなかったが、鉄郵職員には特別に一人一冊支給されていた。毎年3月に国鉄の時刻表が改定される時、手書きでその改定された部分を全部訂正しないといけなかったのが泣きたいくらい辛かった。
●昔気質で先輩の言うことは全て正しい、白い物でも先輩が黒といえば黒、鍛えられた。先輩や便長は威厳があった。その代わり部下の面倒はよくみる風潮がありお金がなければ貸してくれたし、飲食は全部先輩や便長が払った。

519 :
>>517-518
貴重な話をありがとうございます
出勤の時間はどんな風に決まってたんでしょうか?
普通に「今日は日勤だから8:30出勤」とか
鉄道会社職員同様に「今日は○○便に乗るから(列車がでる30分前とかの)8:52出勤」とかいう風に

520 :
>>519さま
他にもあるのですが、文字数でエラーが出たりしてうまくかけません。
ぼちぼち書かせていただきます。
出勤時間の件、また聞いておきます。
出勤したら二日留守にして一日帰ってくる、のが常でした。
朝方帰ってきて昼寝をしてまたすぐ出ていく時や、午後に帰ってきて次早朝に出て行く等もありました。
鉄郵詰所に泊まり用の二段ベッドが四組ある部屋が幾つかあり、そこで休んでいるようでした。
過去には出発時刻に寝過ごして慌てて次の駅まで車で飛ばして追いついたなんてチームもいたようです。

521 :
●下っ端の仕事はまず皆の荷物を持つ事と、お茶のやかんを持つ事。
下っ端は乗り込むときにやかん持って仕事道具持って皆のかばんを持って
自分の逓信カバン持ってと、山のように運ぶので大陸の人の引越しじゃとよく冷やかされた。
郵便車内で弁当を食べることはあまりない。
先に食べてから乗り込むことが多かった。
差し入れで駅弁売りさんが幕の内とかを持ってきてくれることもあった。
そんな時は便長も下っ端も無く皆同じものを食べた。
●郵便の差し出し口は、三分のニ車にはついていなかった。
オユや全車にはついていた。
日豊線は半車(小荷物郵便車)が多かった。
駅の近くの会社で郵便車の発着時刻をよく知っている人が手渡しで郵便物を良く持ってきていた。
詳しい人は一般の人でもポストに入れないで郵便車に直接持っていていた。

522 :
>>520-521
楽しみにしています。
差し出し口の件は能登中島のオユ10保存会に居られた元鉄郵の方に
「昔はここの当たりに差し出し口があったそうなんですが‥」と聞いたのですが。
(その時に出勤時間の件も聞いたような気がするのですが、忘れてしまいました)
また見に行きたいのですが、今回は資格試験と重なったので行けずです。残念。

523 :
昔は青緑の看板があったらしいですね

524 :
ご教示ください。
郵便車貫通扉右脇上に、マーカーランプの付いた、スイッチ箱みたいなのが有りますが、何でしょう?
私は16番の模型に凝ってますが、郵政省の車は詳細図が入手難で困ります(泣)
よろしくご教示願います。

525 :
車掌呼び出しスイッチでないのかい?
俺もシロウトなんで便長よろしくお願いします!

526 :
>>>525
確かに、インターフォンぽい感じではあります。
80×100位の箱で上半分にランプ、下半分に滴型のカバーが付いた押しボタンの様な物が付いてますね。

527 :
なかなか書き込み出来ません、すみません・・・
出勤時間の件、今まとめています。
まとまり次第書き込みいたします。
(青緑の看板やマーカーランプも聞いてみます。
マーカーランプはオユの扉のことでしょうか?ど素人で申し訳ないです。
車体の画像を探して見せてみます。)
確か郵便車には駅長だろうが郵政のトップだろうが身分証明、許可証だったかな、
証明がなければ何人も絶対に入れない決まりがあったとか。
鍵は便長が持っているので便長が許可して錠前をはずさなければ
偉い人でも入れないらしいです。錠前には郵政省と入っていた・・・と言っていたような。
鉄郵の話になるとどんどん思い出すので書き取るのが追いつきません。
出勤時間の話も興味深いものでした。
我が家では専用のカレンダーがあってそれに全て書き込まれており、
鉄郵官舎以外の人が見ても全く分からない符合ばかり。
我が家の普通は他で通用しないと分かった時は衝撃でした。
他にメモしたことも書き込みしてみます。

528 :
>>>527
こんばんは。郵便車も郵便荷物合造車もです。貫通扉右斜め上の幌座内側に出っ張っている箱です。丁度ドア開閉用の車掌スイッチ位の箱です。
ご説明たのしみにしております(^-^)v

529 :
「これは自分の分局のやり方なので他とは違う所もあると思う」とのことです。
●新入りは「区分原簿」を全部覚えないと何も始められなかった。
郵袋表札の書き方とか路線の名前とか。
東門上り1、2、3、4とあって、偶数が特急、奇数が各駅、
各駅だと東京まで二日かかっていた。
詳しい人は速達を特急の時に直接郵便車に持ってきていた。
●郵袋表札の書き方もいろいろある。
乗務員名を書いて「糸崎→門司」なら「糸門」、
大阪→糸崎=阪糸、浜松→大阪=浜阪、東京→浜松=東浜など。
乗務員宛にすると開嚢しない郵袋という意味だった。
●区分原簿は今でも大事にとってある。他にもいろいろ独自の本を持っていたが
退職する時に鉄道の好きな人が欲しいといったのであげた。
●一覧表を正確に書けなければ便長にはなれなかった。
積んだ郵袋の数と種類を厳格につけていく。
郵袋を数えながら、読み上げ担当が言う内容を、列車の中で揺れながら
一覧表に書かなければいけないので技術がいった。
自分の若い時の便長(「おやじ」と呼んでいます)はどんなに揺れても
とても綺麗な字で一覧表を書くので尊敬されていた。
例えば別府−大分 通常1、というと二段に分かれた表の上の欄に
正の字の一をつけ、小包1というと下の欄に一をつけた。
通常が上、小包が下というのは決まっていた。
慣れてくるとふざけだして「別府」と言わずに「国際観光港」とか「湯の町」とか
言う奴がいた。
中津を「福沢諭吉の里ー」など。(鉄郵独自のギャグらしいです)
「なんやとー?」とか言いながらそれでも正しく機転を利かせて
一覧表をつけていく便長は人気があった。
ただ九州出身で無い人は大変で、その場で確認できない
(いろいろ上下関係もあるので)から、後でそっと確認したりしていた。

530 :
>>528さま
了解です。箱の謎を問いかけておきますね。
書き込み遅くなるかもしれませんがお許しくださいませ。

531 :
>>527
>錠前には郵政省と入っていた・・・と言っていたような。
以前江戸東京博物館で鉄道ネタの特別展があった時、錠前が展示してありました。
キャプションには「郵便列車の現金保管庫の鍵」となっていましたが、おそらく郵政車の扉の封印用の錠と思われます。
〒マークと郵便の文字が刻まれています。
(この展覧会は展示物の撮影が可能だったので、しっかり撮影してありました)

532 :
遅くなってすみません。
勤務時間をまとめていましたが、先にスイッチとランプの件をお知らせまで。
(勤務時間の件、もう少しお待ちください)
大変申し訳ないのですが、便長自身「そういうスイッチを触った事が無いので
わからない」そうです。
ちょっと驚きました。(あれだけ乗り込んでも未知の世界があるのか!)
オユの写真の扉右スイッチボックス?を見てもらったのですが全く記憶になく、
自分の勤務範囲では業務中「外側」のスイッチを触るような出来事は
車掌さんにも中の人間にもなかったと言い切りました。
まず、車掌さんが郵便車の中を通ること自体あり得なかったし、
連絡を取ることもなかったと。
鉄郵職員以外は鉄道郵便局長が出す「搭乗者証明」がなければ絶対に郵便車内部に
入る事が出来ないため、呼び出しやインタフォンの可能性はなさそうな感じです…
連絡電話などもなかったと言っています。
何か用事があれば駅で外側側面の扉に回って声をかけてくることになっていて、
例えば列車事故が発生し手前の駅で待機しないといけない時などそうやって連絡に来たそうです。
便長は「何か連結の時に使う奴じゃなかろうか」とのこと(まだ考え中です)。
列車内での連絡は全て駅停車時に側面扉からが常で、急行などは途中停車できないため
「緊急時のみ貫通扉をノックしよったりして大声でどなりあう事はあったかもしれん」けども
はっきり記憶にないため自分の時はそんなことなかったと思うとのこと。
「第一、扉の所は天井までびっちりせっつけて郵袋を積み上げよるから
壁になってふさがれて扉は開けられん(機能しない)」現状だったそうです。
スユ16 2201様、お役に立てずすみません…
青緑の看板についてもあまり記憶にはないようです…
詳細が何か分かればきっかけになるかもしれません。
郵便マークの青緑の看板?ということでしょうか。
また思い出し次第、書き込みいたします。便長まだスイッチと看板を考えています。

533 :
スユ16 2201様
便長の回路がつながってひらめきました!
「あれはもしかしたら、郵便車が最後尾になった時に赤いランプがつくんやけど、
その時のランプのスイッチの箱かもしれん。そやから触った事が無かったんやと思う」らしいです。
郵便車内の電気は触るけど、外側に何かすることは一切なかったので多分そうではなかろうかと。
車体自体を見たらよく解かるのかもしれません。
便長ひき続き考えています。
また解りましたら書き込みいたします。

534 :
199の相模湖や藤野は鉄道郵便で運んでいたと思うんだけど、189の東村山や359の所沢は
鉄道郵便とは無関係だよね?
>>3
その人亡くなったらしい。

535 :
回想774列車さま
ご調査有り難うございました。
郵便、荷物車の後部標識灯(テールランプ)のスイッチは、車掌室机前の壁に、扇風機のスイッチ、室内灯のスイッチと並んであります。
難題を出してしまい済みません。気長に情報を落ちしておりますm(__)m

536 :
>>534
うん
関東だと10-18、(20-)22-24、(26-)27、33、35は鉄郵とは無関係

537 :
親父が土浦で郵袋積み降ろし〜土浦局の逓送の仕事してたんですけど、小学生の頃に見学したの思い出しました。
常磐線にはいつまで走ってたんでしょうか?ホームの一番上野寄りに郵袋用のエレベーターがあった記憶

538 :
>>537
昭和57年11月改正までっぽいねぇ
この改正で急行十和田から郵便車と荷物車が外れる&客車鈍行が電車化

539 :
>>532
車掌とのやりとりの実際がかなり遮断度高いな……
まさに「車掌室以外全部郵政省の陣地」だったんだな

540 :
>>539
マニ30なんかも同様だったんだろうな

541 :
鉄道模型板の
荷物車・郵便車スレで
合造車(キハユニとかクモハユニとか)で
郵便室の区分棚はどの程度使われたのか?
というのが話題になっている

542 :
お節介だろうけどリンクを貼ってみたり
【素組】荷物車・郵便車を模型で楽しもう 8【改造】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/gage/1266502614/

543 :
>>539
郵便法第10条に「信書の秘密厳守」が謳われてるんで
乗務に関係ない車掌は立ち入り禁止の筈です。
それにしては、ジャーナルの86年12月号の特集で再掲のあった区分室の写真
作業中なのに何で入れたんだ?って思ったら
送達証切って郵袋を「締めてる」トコだったから
中身の郵便には関係ないっていうことで撮影許可してもらえたのね。

544 :
>>543
種は毎日時代同乗取材してるけど

545 :
過疎ってるので(^.^)
客車のスレで10系軽量客車グループ以降の郵便車の構造と系列が一致しなくなっていると言う書き込みで揉めてるみたい。
こちらに書かないなんてスレ違いですよね(笑)

546 :
>>545
どこのスレ?

547 :
これだな
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1295865224/

548 :
ナオスマカ10系12系14系20系35系47系50系客車を語る
101 :回想774列車[age]:2011/02/19(土) 18:12:31 ID:oV4gbafr
99
100
荷レ現役当時は精子にもなってなかった癖に、生意気言うな。脳ミソ掻き回したろか!

ナオスマカ10系12系14系20系35系47系50系客車を語る
107 :回想774列車[]:2011/02/19(土) 18:44:03 ID:oV4gbafr
>>103
偉そうに高見の見物か?
近付くのが嫌でも、俺から近付いてやろうか?

おじさんがファビョってるスレですね(笑)

549 :
あっちROMってたけどご本人ここに来てたのか
ワロタwww

550 :
このスレでは車両関係はウエイト低いからなあ
実務とか制度がメインの話題になってしまうわけで

551 :
突然の書き込み失礼いたします。
大変遅くなりましてすみません…勤務時間の件書き起こしてみました。
(スイッチの件などであまりお役に立てませんで恐縮です…。
とあるサイトさんでは「車掌さんの呼び出し連絡用スイッチ」とありましたので
そうなのでしょうか…OB会の時にでも聞いてもらおうと思います)
父に調べるためオユの画像など見せましたところ「いまだに郵便車両を見るとぞくぞくする」
といっております。
郵政博物館に行きたがっているのでなんとか連れて行きたいものです。
●勤務時間はその日の乗車便の行き先で変わる。
総勤務時間は1万560分/4週と決まっており、この時間になるように乗務時間を調整する。
これ以上になると残業がつく。
1万560分に足りない場合は「予備時間」を使う。
降車してから構内で積み替え作業を行ったり、書類作業などをして調整する。
把捉ひもを切ったり、鉛玉を結びつけたりはこんな時にやっていた。
自分で勤務時間を把握して「今週は時間が足りんから降りてから構内作業して帰ろう」と
予定を立てたりした。
乗車前には「準備時間」があり、大体発車30分前くらいが充てられた。
(発車30分前には出勤しておく)この準備時間は総勤務時間に入る。
●特急だと大体夜中の1時に発車して朝の6時に到着、各停だと昼11時に発車で
夕方6時半ごろ到着になるので、間に合うように出勤する。
どの便に乗るかは分局の「指定主事」がつくった勤務指定表をもとに振り分けられる。
分局総定員120名のうち乗務者は80名いた。
各週休(月曜日が休みの人、火曜日が休みの人…と曜日毎に出勤者のリストがある)
で振り分けられ、急用で予定外に休む人があると「予備出勤」の人が代わりに乗った。
予備出勤は交代制で1年に2回くらい回ってくる。
その週は休みでも何かあると出勤になるので出かけられない。
●指定主事は乗務員からたたき上げの人がなる。
経験を積んだ時に上から指定主事をやれと指名され偉くなっていく。
乗務をやめて分局で業務をする。
分局には事務の人や構内で積み下しなどする人もいるので全員が乗車するわけではない。
●鳥栖行きは荷物が少ないので二名乗車、門延下り二名、鳥大上り1二名、
東下りは多いので東下り1四名乗車、東下り2は六名乗車だった。
内訳は6名なら便長、赤(現金担当)、区分、書留、速達、把捉わけ、
ハイハイ(下っ端…荷物の仕分けで赤ちゃんのようにはいつくばるから)、となっていた。
この順番は必ず給料額順になっていた。
年功序列というより一日でも早く働き始めた人が上になる。

552 :
●宮崎から帰る便では終点に着く前は駅が少ないので列車が止まらず時間が足りなくなり
戦争みたいになった。
慌てて荷物をまとめて前掛けを畳んだり原簿を逓信鞄にしまったりスリッパから靴に履き替えたり、
着くまでにすべてきれいにしておくのに忙しかった。
降車してからの作業は、報告書を書いたり、事故があれば事故の内容を上にあげる書類を書いたり、
残務整理をするのだが30分では終わらない。残業になる。
●入局してからしばらくすると必ず九州内の分局に異動させられて鍛えられる。
異動せんと本採用にしてくれん。
「外」に行って帰ってこんと「本物」じゃねえと言われていた。
移動先での業務が辛くてやめて行った人もおるが、鉄郵は郵政省の仕事の中でも特に待遇が良かったので後悔する人が多かった。
22才で門司分局に異動して九州全体を把握する業務についたおかげで九州全体の知識がつき、帰ってからだいぶ楽だった。
熊本に行った人、熊本から来た人、長崎や鹿児島に行った人がそれぞれ同期で戻ってきて、皆の経験をもとにして作業するから得
意分野があった。
●入局したころは、駅の分局に宿泊室があり、一階の畳の部屋に布団と枕をならべて寝ていた。二段ベッドになってからは二階の
部屋に移った。小倉などに会った目覚まし装置(背中に敷いて寝て時間になると空気が入って押し上げる装置)はなかったので、
構内作業の人が起こしに来てくれていた。分局で寝るのはみんな何もかも知っているので安心だったが、出張先で寝ると目覚まし
は便長だけなので宿泊室で寝るとき緊張していた。一階には逓信鞄をまとめておく場所や、分局長が扉の鍵を補完する金庫などがあっ
た。専用の散髪屋さんが三階にいて常駐していた。
●年末になると新巻鮭のお歳暮が多くて、専用の長郵袋に入っていた。
包装が悪いのがあって、塩や水が漏れてきたりするので他の郵便につかないように気を使った。
門司の地下道に広い保管所があって、列車に積む順番に鉄の赤台車に荷物が積んである。
年末の荷物はお餅が多かったのでねずみが郵袋を食い破ったりしていた。
門司に積み込む荷物の原簿があって何便に何の荷物を載せるときっちり指示がある。
駐在で構内の指示をする職員さんがいて時間通りに荷物を積み込むようエレベーターで待機している。
そこに台車を積み込んで乗せるために運んでいく。
とりあえず、まとめて見ました。
ご質問いただいた方には遅くなり申し訳ありませんでした・・・
足りない部分などありましたらまたお知らせください。
荷物車を一台丸ごと借り上げて郵便車にする話とその際に使用する錠前の話も聞きましたので
まとめたものをまた書き込みさせていただけましたら幸いです。

553 :
>>517
>>500様のお話では門鹿東線も小郵袋から書留取り出して区分、記録していたようですね。
麻ひもに鉛玉(封緘)通したやつで小郵袋の口を縛ってニッパーでつぶしました。
大阪でしたけど、阪青線の場合、当時の担当は乗務かばんにそんなの200本ほど入れて乗りました。乗務前にひも切って鉛通す作業までしたかなぁ?できてあったのが置かれていたのか?
下っぱで書留担当することがなかったのですが補助として手伝いはしました。重たい鉛ひもでしたので「おまえのかばんにも入れてくれや」とか言われて持ち込んだものでした。
阪青上一、上二では数多く締めました。京都府以西、航空結束一円が数多くありましたので。2人で送達証書いて2人で締めて、ニッパーが1個なので取り合いして、それ締めたらこんどは継越小郵袋と合わせてまた送達証2人で書いた・・・深夜の車内が目に浮かびます。
ちなみに、うちのオユ10公開日には、それの実演もやります。「敦直乗務員」という赤乙開けると現金書留が出てきます。(封筒の中身は古新聞です)
http://www2u.biglobe.ne.jp/~YAMACAT/FRPS/hokuriku/090425/090425.htm

554 :
郵便車の暖房はどうなっていたのですか。
寒冷地では無暖房で頑張っていたのですか?

555 :
追加
停車中の便所利用はどうしていたのですか。
構わずに垂れ流し便所を利用されていたのですか。

556 :
我慢、我慢の子であった。

557 :
暖房は蒸気暖房と電気暖房を牽引機の種類によって切り替え。

558 :
DD13や混合列車の場合は?

559 :
>>558
DD13で郵便車含む編成を牽引したという事実が無い。
ちなみに、客車列車牽引運用があった水郡線の場合、ホヌ30を連結していた。
他にも牽引していた事例はあるけれど、鉄道郵便運送が無い路線(和田岬線・姫路港線)か
郵便車を連結しない臨時運用(紀勢本線和歌山〜和歌山市)しか無かった。
混合列車の場合、蒸気暖房を使えるのは、蒸気暖房搭載牽引機の次位に
客車と一緒に連結され、その後に貨車が連結されている場合のみ。
電気暖房も同様。
蒸気暖房・電気暖房非搭載牽引機及び、牽引機の次位が貨車の場合は、ダルマストーブです。
客車には、温気暖房機が混合列車対策の為に装備されていましたけど、郵便車には付いてたのかな?

560 :
>>559
>DD13で郵便車含む編成を牽引したという事実が無い。
何でこんなこと断言できるの?

561 :
>>560
そう言う事実がないから。

562 :
>>561
だから何でそういう事実がないと断定できるの?

563 :
まさに「悪魔の証明」ですな

564 :
>>563
つまり照明できないようなことを事実であると主張してる訳よ
おかしいだろ

565 :
>>553
元二乗さま
麻ひもに鉛玉を通したのは、自分の分局では一番新入りさんがやる
仕事だったと言っていました。
乗車前の準備時間(30分)は忙しすぎるので、降車後の残務整理時間や
荷物車に郵便を取りに行く時などの余った時間を使ったそうです。
(すみません、メモが手元に無いのでうろ覚えです)
深夜の車内の静かな争奪戦、仕事が目に浮かびます。
オユ10公開、便長を連れて出かけてみたいです…計画を練っていつか必ず。
実演見たら便長は泣くかもしれません。
郵便車の冷房について(南国の話)と、トイレの話聞いてみました。
便長は今日鉄郵同窓会に出かけて行きました。
例のスイッチの件も聞いて来てくれるといいのですが。

566 :
●冷暖房の話
クーラーが入りだした年代を聞き損ねましたが(出がけでありましたので)
クーラーが入る前は締め切りの蒸し風呂、天井の風を取り入れるところ以外は
空気の出入り口が無いためでっかい氷柱を休憩室にたてていたとのことです。
外側が木、中にトタンを張った大きなたらいのような入れ物に氷柱を入れて、
周りでトマト冷やしたりしていたそうです。
蒸し風呂の中の作業の後食べるそのトマトが天国のように美味しかったとか。
冷房が入りだしてからは、門司ー鹿児島間でずっとつけっぱなしで寒いくらい良く冷えた。
郵便車専用の冷房のディーゼルエンジンがあり、ボタンひとつで一発でかかっていた。
ボタンは郵便車の休憩室についていた。
他の車両のエンジンが止まってもそのディーゼルエンジンはずっとかけっぱなしだった。
●暖房は、SLの時代もディーゼルも、機関車からの配管が車内に通っていてよくきいた。
区分棚の下にそのパイプが通っていて、金属のパイプがあつあつになって足元から上に
熱い空気が上がってきた。
冷房は自分たちでスイッチをいれられたが、暖房スイッチは調整権限を車掌さんが
持っていたので車掌さんに入れてもらっていた。
乗る前に車掌さんと相談して、「今日は(圧力)何キロくらい入れるかい」と聞かれ
「何キロくらいにしちょくれ」とお願いしていた。
よくきくので熱くなったら車掌さんに連絡して調整してもらっていた。

567 :
いきなり色々書きこんですみません…
間違いなどありましたらお知らせください。
●トイレについて
先ほど聞いたところ、トイレは停車中は基本使用禁止とのことです。
(書かれておられるように、垂れ流し型であったため)
郵便車には専用のトイレがついており、他の車両のトイレを使うことはなかった。
ただ、荷物車と郵便車が連結している時や、キハユニ(郵便車と車掌さんの車両が連結?)
の時は車掌さんと一緒に使っていた。
荷物車と郵便車の間にトイレがついているので、お互いの車両には入らない。
オユには専用のトイレと洗面所が休憩室側についていた。
さらっと聞いただけなので、つじつまの合わない事を書いておりましたらすみません。

568 :
>>518 >>565
500さま

そうですか、麻ひも鉛玉通しが新入りさんの仕事だったとは。大阪では書留担務者の仕事だったような記憶ですが、準備で手すきのときに手伝いしたような気もします。
いまオユ10車内には、セット済みの麻ひも+鉛のほか、未セットのパーツも保管してまして、通し作業など小道具作りもお客さんに体験?させてみましょうか。
オユ10公開は、いちおう4月23日に照準を当てています。広報できる段階であらためてお知らせしますね。
郵便車の冷房は寒いくらいに効いていました。今は床下エンジンがかからなくてあきらめています。
鉄郵同窓会、うちも4月にします。2年に1回だったのが去年から毎年開催になり、鉄郵談義に花が咲きます。
時刻表ですが、とりあえず個人の乗務カバンに1冊ありまして、転勤した先輩のを引き継ぎました。このたび、金沢のものを入手しましたが、結束表、区分規程などといっしょに綴られています。
国鉄の時刻改定による訂正、区分取扱い、受渡局改訂などで赤ペンで訂正、別紙をノリ貼付けなどがくり返されていますが、なぜか所掌区域以外の路線図などは訂正されていなくて、大昔の局名が書かれたままだったり。
人間関係は厳格な中にも便長や先輩を慕う風潮は大いにありました。行先地の乗務員事務室で昔は若手が便長の靴磨きやったとか。
糸崎では立ち飲み屋で飲み食いさせてくれて便長のおごりだったことが思い出されます。
以上、いろいろ思いつくまま。

569 :
>>568 元二乗さま
余談ですが、自分も関西におりましたので「お前のカバンにも入れてくれや」の言い回し
懐かしくなります。
オユ10車内で鉛玉通し体験いいですね、マニアックで自分は好きです!
我が家にも未セットパーツがどこかにあるような。
一分間に何本出来るか競ったら面白そう。
オユ10公開、いつもスケジュールを見ながら指をくわえる状況になっておりました。
何度かある中の一回にでも参加できたらなあと考えております。
熊本鉄郵分局同窓会、泊り込みで盛況だったようです。
ビデオでとりたいくらいですが、ついていってインタビューとかしようかな・・・
だんだん集まる人も少なくなり何かしたい気持ちになってきています。
全国のOBが集まって鉄郵談義なぞできたらさぞ豪勢でしょう。
便長は寝床でプリントアウトを読んでいます。錠前や借り上げの郵便車の話も
まとまり次第書かせていただけたら幸いです。


570 :
>>519 >>520 >>569
500さま
乗務行路や寝室のお話がありましたので私からも。昭和50年代の話です。
大阪鉄郵ではどの路線にも乗務行路番号がありました。
月間行路表が渡されると自宅カレンダーに書き込みします。
最近見たテレビで車掌の行路表が出ていましたが、郵便車ですと車掌のように行ったり来たりではなく、
行き先での折り返しは1回か2回です。
番号は基本的に2桁の数字で表し、十の桁で行きの便を示し、一の桁で帰りの便を示したので、番号を見ればどの便で行き、
どの便で戻るかが一目でわかる仕組みでした。
例:第一乗務課(東門線の大阪〜岡山・糸崎)の場合、
  行きの便 1→東門下一 2→東門下二 ・・・ 6→阪門下?
  帰りの便 1→東門上一 2→東門上二 など
  なので、「12」行路であれば東門下一で糸崎で折返し後、東門上二で戻る。
  第二乗務課(阪青線の大阪〜敦賀)の場合、
  行きの便 1→阪青下護送 2→阪青下 3→阪金下 4→阪富下 6→阪長下
  帰りの便 1→阪青上一 2→阪青上二 3→阪金上 4→阪潟上
  なので、「61」行路であれば阪長下で敦賀で折返し後、阪青上一で戻る。
といった具合です。実はもっと複雑で東門線はたいていの便で扱い便と護送便がペア連結なっていて、護送の場合は往復で4桁になる法則でしたが、
やはり一目で何に乗るのかわかるように工夫されていました。
その他、亀阪線、阪鶴線(鳥取、福知山、東舞鶴)方面の番号は忘れましたが法則に基づいて付番されていました。
さて出勤時刻ですが、行路ごとに乗る便の発時刻のだいたい1時間前になっていて、制服に着替えて乗務課に行き、確認表に押印します。
そのとき、自分の氏名と行路番号を対比する箇所に押印して担当さんに示し、指定された者が指定時刻に出勤したことを確認したもらったような記憶です。
折返し先の乗務員事務室で何をしたかは定かでありませんが、寝過ごし、事務室集合の遅刻は許されませんでした。
自分の行路を認識しておいて、帰りの便では寝室でもひとりで起きる場合もあって誰かが起こしてくれる訳ではないので、目覚まし時計をよく点検し、
カバンにもうひとつのマイ時計を持参して、時計2台に起こしてもらいました。
敦賀の22行路なんか、仮眠は3時間程度のとんぼ帰りでしたし。
二段ベッドの話ですが、糸崎も敦賀も乗務員が多いので寝室も多く、寝室単位でも一斉に寝たり起きたりではありませんから、
先に寝ていても後から来た乗務員が入る気配で目を覚ましたものです。
ここで乗務行路が関係してくるのですが、寝室の扉わきに「どのベッドが○○行路の□□担務者」とか書かれていますので、
毎回ベッドが違っても間違わずに使用していました。
一斉に寝室を使わないというのがわかりにくいかもしれませんが、ある便、例えば阪青下に乗務員が7人乗っていたとしますと、
帰りの便は人によってまちまちで、とんぼ帰りする22やら、翌日夕方まで過ごせる24やら担務者によって異なるので、
事務室に着いてもすぐ寝る人と食堂でお酒をいただいて歓談する人に分かれます。
また、24の人が翌日の夕方に阪潟上で集合すると、24の人やら44、14の人やらで総勢7人になって敦賀から乗務するという仕組みです。
その他、JRの車掌区、列車区でも、主に特急ばかり乗る組(ベテラン)から通勤電車ばかりの組があるのと同様に、鉄郵でも数字1〜5の組があって、
1なら便長クラスだったはずです。
私は5組の中で、14やら31やらいくつかのパターンが指定されていたので、月間で5種類くらいの勤務が休日をはさんでローテーションしていました。
ほか、急な変更でてんやわんやしたこと、その他ハプニングもありますが、長くなりますのでこの辺にしておきます。

571 :
オユ10公開日は4月23日です。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~YAMACAT/FRPS/hokuriku/110423p/110423p.htm

572 :
缶コーヒーBOSSのCMにオユ10が出てきます。ホームページでもちょっとPR。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~YAMACAT/FRPS/hokuriku/hokuriku.htm

573 :
確かに、背景に少し写っていますね。
ttp://www.suntory.co.jp/softdrink/boss/rainbow/cm.html

574 :
参考
ヤマト運輸:路面電車輸送開始
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110518k0000m040082000c.html

575 :
元二乗さんが交通新聞社新書から本出したら真っ先に買いに行く。

576 :
♪やんやんやん、やんやんやん、やんやんやん、やんやんやん、
やんやんやん、やんやんやん、やんやんやん、やんやんやんやん


577 :
>>572 元二乗さん
ttp://www.bl.mmtr.or.jp/~idu230/his/sinbun/nimotu/36.htm
大阪〜米原間に車内区分車が3両いますが
この場合東門上りの車と大門上りの車の間の幌は繋がってたんでしょうか?
また、米原〜長岡までの車両区分車での接続待ちはどうされていたんでしょうか?
いらっしゃいましたらご教示願えれば嬉しいです

578 :
>>577
すいません、大阪で大門線は解放されて
入れ替わりに長岡行きが連結されるんで東小倉〜米原間は実質2両でした。
お詫びします。

579 :
突然ですが、質問させてください。
郵便車の画像を見ていると、区分室の採光窓が固体によっては
白塗りだったり、あるいはスモークっぽく見えたり、
あるいは透明のガラスのように見えるものもありますが
実際に、区分をしていた時代の車両で多かったのはどれなのでしょうか?

580 :
577さん。ありがとうございます。
これまで、阪門上と阪長下とは、郵連結する荷物列車が同じなので、
便車が直通するものと思っていました。
思いこみは怖いですね。

581 :
>>577
このたびの荷36レは編成表を見ると見事な多層建ての郵便車連結をしています。
砕いて説明しますと
 大郵3 阪長下 大阪→米原
 四郵1 東岡上護送 岡山→汐留
 門郵1 東門上三 東小倉→汐留
 大郵1 阪門上 東小倉→大阪
が絡んでいまして、すべて乗務員が乗り、護送以外は扱便です。大阪で解放と増結がありますが
岡山米原間では編成中に郵便車は3両あるということです。貫通幌については、郵便車どうしが
連結されていてもつながっていなかったはずです。もとより、車両間を往き来するものではなく
1両ごとに別々の便であり、乗務員の仕事は独立しています。何より、貫通扉は内側から施錠して
安全を図っていました。
長くなりますと文字大杉にひっかかりますので、接続に関することは別途説明します。

582 :
【結束と最先引渡し】
次に接続についてご質問ですが、以前説明しました鉄道便どうしの結束というのは規定時間内に結束
指定駅を発車する他便のほか、同一列車に併結されていた複数の郵便車が、分割により先行、後続
又は別方向へ向かう便へも積み替え可能な限り結束便になり得ます。
今回の荷36レにあっては、あらかじめ岡山で東岡が加わり、大阪では阪門を切り離すと同時に阪長を
増結するという入れ換えが短時間に行われたということで、大阪では以前お話しした他便への結束
が行われています。具体的には、東岡、上三、阪門の各便から阪長に対して滋賀県長浜塩津間及び
福井県以北阪青線方面が主なものです。大阪では各便とも大量の郵袋が降ろされるので、わずかな
連絡時間で阪長宛の郵袋をホームで選別するのは駐在も大変です。そこで「最先引渡」という制度
がありまして、車内で郵袋の山を積み分けるとき、大阪鉄郵引渡のつまり他線積み替え郵袋とは別
に阪長宛は別の山にしておいて、大阪駅でドアを開けるとすぐに「阪長の最先やで」と駐在に言い
ながら引き渡すと、台車に乗せて阪長が連結される位置に持って行くわけです。そのあとで鉄郵宛、
中郵宛通常、大阪小包宛と分けながら降ろして行きます。あと、わずかながら阪門車内で岐阜県以
東のブツが出れば、同じく最先引渡にて上三に渡される場合もあります。
一方、阪長は大阪積み込みの郵袋は引込線で停車中に飲み込まれているので、入れ換えで荷36レに
連結されたあと、最先引渡のブツも追加で積み込まれ、作業開始となります。
また阪門は最先郵袋だけを降ろすと入れ換えされて引込線に入ってからぼちぼち全部のブツを降ろ
していたと記憶しています。

583 :
>>579
連投ごめん。
当オユ10の区分室採光窓は白っぽいスリガラスです。車種により白強化プラスチックや透明ガラス
もあったかもしれません。

584 :
>>583
元二乗さん、レスをいただきありがとうございました。

585 :
>>582
ご回答ありがとうございました。
あと阪長下の米原での入れ換えは乗務している局員の方も一緒に乗ったまま行われたのでしょうか?
また、東岡上りオユ12は「無証締切大郵袋」の扱いだけのように思うのですが如何でしょうか?
甚だ勉強不足で申し訳ありませんが、以上ご回答願います。

586 :
>>582
便乗質問です。
阪長下の米原での待ち時間中(655着1033発)、米直下が先に発車していますが(800発)、
阪長下から米直下への積替ってやってたのでしょうか?
>>585
東岡上護は、大阪で高等信の積み込みもしてたかと思いますが・・・
どうでしょう?<元二乗さん

587 :
>>585
順にお話していきます。
阪長下に限らず、阪潟上、阪金上下便にあっても大阪米原間は荷物列車、米原以北
は普通列車というパターンであればいずれも米原駅で入れ換えがありますが、乗務員
は乗ったまま作業を続けています。前後にしゃくられたり、連結の衝撃で作業に夢中
でも、どっち方向へ引き上げられてどこへ持って行かれるかはわかっていたものです。
次に東岡上護送ですが、搭載していたのは、四国各県、玉野、岡山等で積み込まれた
関西地区以東のブツが中心です。特に岡山以東からは締切郵袋、それも大型通常、速
達小包、普通小包を主体に積み込むようになっており、高等信は上三などの扱便に搭
載となりバランスが取られていました。東門線じたいは扱い、護送がペアで併結の列
車が多かったので、おおよそはそういう積み方をし、諸規程にも明記されていました。
一方、岡山など分局がある駅では、他線からの積替え締切郵袋にあっては、そういっ
た原則がありながらも、駅ごとの定数というものが決められていて、扱い、護送が併
結される列車では、その日の出具合によって、郵袋種別にとらわれずに積み込む場合
もあり、護送に有証郵袋が全く載らないかというとそうでもありません。特に小包の
有証などは護送でも多く入りました。
また、扱い又は護送便と締切便が併結される列車にあっては、有証郵袋は締切便に積
まずに乗務員がいる扱い又は護送便に積むことが明記されていました。

588 :
>>586
阪長下には乗務する機会がなかったので米直下に結束したかについてはよくわかりません。
米原で停車中に米直が先に出ますが、米原敦賀間は締切であるため乗務員が乗らず、敦賀
から敦直乗務員が乗ります。米原では、駐在により敦賀以北扱いの郵袋が積込まれたはず
ですが、阪長の高等信もかなりあるので、敦賀以北を全部積み替えますと阪長の車内はが
らがらになりそうですので結束した郵袋があったとしても限られたものだったはずです。
乗務したOBさんをさがして聞いてみますので気長にお待ち下さい。
東岡上護送の大阪以東の積込みの詳細は乗務が名古屋鉄郵の浜阪乗務員だったのと、鉄郵
駐在の差立て事務をしたことがないので詳細は不明です。高等信のほとんどは上三のほう
に積まれたと思われます。

589 :
ウィルスソフト入れてるのにユキチカに感染するくらい低い確率だ...

590 :
詳しいスレですね。
部外者の知らないばかりでした。
駅のホームに郵便ポストがあったり
駅前のポストに出すと早く着くと言われてましたし。
短い停車時間に受け渡しをしているのを
うるおぼえで覚えています。
今思うと鉄道郵便はエコなんですね。

591 :
>>590
ホームの郵便ポストは今ふうのタイプが京都駅なんかにありますね。
鉄郵の時代は大阪駅でも各ホームの柱にへばりつくような小型のポストがありまして、
駐在員が各ホームを回って集めていました。また回収頻度が1日3回なんてものでは
なく、7回前後くらいだったと記憶します。また、各地の駅前ポストについては鉄道
便の受渡しがある駅ではご指摘のとおりで相対的に市中のポストよりも早く届くとい
う定説がありました。理由は直接乗務員に渡されるからで、車内で日付印により消印
され、区分棚から差立てられますので、郵便局を介するより早く送達されたものです。

592 :
駅前のポストで出すと早く着く理由が分かりました。
結構一般の人が知っていたと思います。
ホームのポストは地方は小型で柱に付いているタイプが多かったような?
郵便の消印の下の方は
一般の郵便局は時間帯ですが
鉄道郵便は東青ナントカと略号みたいの入っていたと思うのですが
行路名??便名だったのですね。
今思えば、取っておけば良かったかなと。

593 :
>>592
鉄道便日付印は上から運行区間、日付、便番号(乗務員交替便は乗務区間も)が示されて
いました。日付印を紹介するサイトがありますし、オークションでも消印済み郵便物が出品
されていますね。
主な用途は郵袋送致証など各種書類に押印するためのものですが、車内引受郵便物はそれを
用いて消印したわけです。静止局(鉄郵の呼び方)の手打ち消印は金槌形ですが、便の日付
印は棒形なので、逆手に持って押印台でゴム板敷いてブツを並べて押しますので、押しにく
いものです。阪青の大阪や京都の数よりも亀阪下りの奈良なんかの方がわんさとあって手こ
ずったことを記憶しています。「郡山、早ぉさがせぇ、次やどぉ」なんて焦ってました。

594 :
>>593
アレは棒型でしたか。
ブツを消印するのに槌型は高速で叩けて便利なんですが
一般局の伝送・発着で使う棒型ではさぞ難しかったかと察します。
蛇足ですが、自分は一般局で伝送やってた時に、簡易記録(現・特定記録)の受領証の日付印を全て棒型印で捺す「内職」をやったことがありました。
何せ大口の顧客の受領証でしたので、捺し終わった時には手首が3日間言うことを利かない状態だったのを思い出しました。

595 :
>>594
棒型であった理由はおそらく携行して持ち込むのにコンパクトだということでしょう。
通称「カツ」と呼ばれていて、携行する肩掛けカバンのことを「カツ箱」と呼んでました。
中には植日付文字、ピンセット、黒印肉などが入ってまして、今でも逓信博物館には収蔵
されていて、鉄道郵便展で見ることができました。伝送発着も棒型だったですか。鉄郵、
分局の駐在でも棒型のカツでして、夜中に通路を歩いていると事務室内から「トトン、
トントン・・・」という音が長いあいだ響いてました。日付植え変えたらその日に使う送致証
なんか数十連発でまとめ押してしていたようです。
ようで、事務室の外に

596 :
>>593
詳しい内容有り難うございます。
消印は郵便物におすのが第一目的じゃ、なかったのですね。
揺れる車内でおすのは、大変でなかったのでは。

597 :
一般局だと棒型持ってたのは窓口と発着、特殊かな?
>>596
通信日付印(為替印もだけど)は、郵便局の実印(公印)であり認印であり訂正印です。
今でもそれなりの効力は持ってるけど、国営時代のそれは半端じゃなかった。

598 :
>>588
どもです。
とある資料に、米直下便に、高崎以南宛小包郵袋を積載云々と書かれていたので、少し気になって。
やはり時間的に難しかったのかな・・・?
>>597
その通りです<棒型
二本以上あったら、一本は星活(時刻記載部分が☆)にしてありました。
今もだっけ?
国営時代なんて、誤埴なんてやらかした日にゃ、即始末書・・・・・・

599 :
>>598
ウチの支店では現役です。
特定局等の窓口ではシャチハタになってるとこもありますが。
(碓氷・横川の局でシャチハタに化けたのを見たときは、ぶったまげました)
しかし、自分はここ何年も時間の所を換えた覚えがない…
日付印は郵便課の命でもあったんで、時間の部分を間違えて押印機を回したら
当事者、総務主任、お内裏様と始末書取られて、挙げ句黄色の紙で
「( ゚д゚)先日日付印の誤植が管内◯局で発生しました云々」
と、周知が回るハメに。
年賀状なんか引き受け日の日付印押印して年内に配達したら・・

600 :
>>598
今も★★★は現役ですな
でも、支店によっては自前(?)で回転式ゴム印を特注しているところもあって、
某支店の輸送課の印は運送記でよく見る
実は今勤務している支店も、完全に内部用だけどあるセクションで特注印使ってます


601 :
>>596
揺れる車内のカツ押しですが、狭い押印台にゴム板敷いた上で逆手で棒形を握って押します。
少数ならきれいに押せるんですが、どばっと持ち込まれたときにゃトランプ並べしてどどど
・・・と連続押しするので結構疲れます。黒肉はもともとべたつかないようにインク少なめに
してましたから、印影が薄いブツが多かったはずです。愛好家さんの持ち込みもありました。
>>598
米直下の長野県以南搭載は敦直乗務員の結束方でそうなっていまして、直江津で東直便に直通
したからです。少なくとも米原発の時点では、その方面の搭載はせず、94地域まででした。

602 :
31.11の復刻版時刻表を見てると、本文の列車名の下の方に〒マークが付いてて
巻頭に「ポスト備付主要列車」とあるけど、このマークっていつ頃なくなったんかなぁ。
ちなみに、付いてる列車と、郵便車連結区間
急行「阿蘇」東京〜門司
急行「雲仙」東京〜門司
急行「明星」東京〜大阪
急行「日本海」大阪〜青森
夜行準急 名古屋〜長野
夜行準急 上野(常磐線)盛岡
夜行準急 上野(上越線)新潟
夜行準急 函館〜旭川
急行「大雪」函館〜旭川
急行「まりも」函館〜根室
夜行準急 小樽→網走(片道)


603 :
>>601
愛好家の持ち込み?そんな事出来たのですね!
昔写真を見た事ありますが区分棚があったようなので
区分もしながらと大変だったと思います。
地方でキハユニ26?という車両を見た事があります。
運転室、郵便室、客室と分かれ1両になっていました。

604 :
車内消印がほしくてホームのポストから何度も手紙だしたけど
ついに手に入れることはできなかった。

605 :
>>604
郵便物の積み下ろしをしている時に、郵便車内の人にお願いして渡したものだ、、。

606 :
近江や島原なんか比較的末期まで郵便車があったがあれって護送だけですか?近江は朝一番の貴生川から該当列車に乗ったけど郵便車が付いてるよ〜っと友人と話したが興味がなかった。いま思えば勿体ない。

607 :
>>606
近江は末期まで車内区分してたはず。
島原もじゃなかったかな?


608 :
>>607ありがとう
あっ乗ったのは貴生川7時1分発だったの思い出した。

609 :
>>603
ある日のこと、停車中にドアをノックした人がいたので規則上で扉は開けませんが
落とし窓開けて用件聞くと「このハガキ出して下さい」と言い同じ宛先の住所氏名
が書かれていたハガキを10枚ほど差し出しました。方向的に受けられる宛先だった
ので引受けましたが「印影をまっすぐに、ていねいに押して下さい」とのこと。
最初は「???」と思いましたが、郵趣愛好者の日付印収集目的かなと理解して
ゴム板の上に1枚1枚乗せてはまっすぐ置き、インクもしっかりつけてからきれいに
押して区分さんに手渡しました。何度かはそういう人からの手渡しがあった記憶します。
いまごろ貴重なコレクションとなっているでしょう。
>>604
ホームのポストなんですが、鉄郵、分局が集めても、受持集配局が集めても列車に直接
持ち込まれないと車内消印にならないんですね。タイミングや方向があると言いますか。
★鉄郵の場合
駅構内ポストなどから集めると事務室に持ち帰ります。大阪鉄郵の場合は駐在の部屋に
区分棚があって、消印しないまま方向別に区分します。鉄道便送達の方向は、各便にブツ
を渡す際に送致証といっしょに渡しますから車内消印となります。それ以外の大阪府など
自動車便方向や航空便方向はすべて大阪中郵に引渡しました。
★ローカル線の駅前ポストなど
案外ここに入れると車内消印が多かったです。それは、近在局が収集するのですが、鉄道
便に積み降ろしするために駅にやってきた局員がホームに行く前にポストを開けるからで
す。そのとき、積み込む列車に沿う方向のものを送致証といっしょにひもでくくり乗務員
渡しになりますが、それ以外は局に持ち帰り、局で消印されます。どちらの消印になるか
はタイミングに左右されますね。乗務中はほとんどの駅で何通か消印するブツが入りました。
これを通称で「開函」(読み方→かいかん)と言いまして、投函の対語かなと理解してい
ました。ちなみに当時はあちこちの駅に入場券など郵送依頼したことがあり、返信封筒が
よく鉄郵印で戻ってきたものです。
>>606
近江は米原貴生川便(通称べいき)、島原は諫早加津佐便ですね。59年2月以降は生き残ら
なかったですから最後まで扱便だったはずです。

610 :
637−21時代の富貴局へ郵袋運んでいた、五條〜富貴の路線バスがいつの間にか廃止・・・
>>609
>「開函」(かいかん)
今でも使ってるよ。局前ポスト開けるって意味で。

611 :
>>609
>「このハガキ出して下さい」と言い同じ宛先の住所氏名
が書かれていたハガキを10枚ほど差し出しました。方向的に受けられる宛先だった
試験通信です、というドッキリカメラ

612 :
>>610
今年の三月末に廃止になりました。

613 :
どっかの駅の業務用エレベーターに
〒マークがついているのがあった鉄道郵便の名残だったのだろう?
上下に開くタイプで、色は茶色だったような?

614 :
 ゆうパック、翌日午前中配達の地域縮小へ
 郵便事業会社(日本郵便)は29日、ゆうパックの標準配達日数を8月28日から一部変更すると発表した。
 荷物を受け付けた翌日の午前中に届けられる地域が狭まる一方、翌日中に配達できる地域が広がる場合もある。
 ゆうパックとペリカン便との統合に伴い、小包のみを積載していた運送便を、郵便物と一緒に運送することにした。
物流の効率化で年間200億円以上のコスト削減が見込めるという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110729-00000836-yom-bus_all
  将来郵便鉄道輸送も復活するかもな、いちいちトラックで個別に輸送するよりコスト削減になるとかで

615 :
コンテナ輸送はやるかも知れないよね。

616 :
>>615
今はやってないの?
少なくとも'90年代には、やっていた時期があったよね

617 :
>>615-616
北海道−関東で翌々日午前の配達になる時は
JRコンテナの場合があるようだ。

618 :
ゆうパックは、たとえば関東−北海道間だと、航空機輸送禁止指定の荷物は、JRコンテナで運ばれている。
追跡サービスを見ていると、貨物駅最寄の支店を経由するから、わかりやすい。

619 :
>>614
結局元の木阿弥かよ(´・ω・)
(地方便は元々郵便物のパレットと一緒に差し立ててた)


620 :
>>619
 今の日本の政策決定階層(政治家、財界、官僚)は東京以外は無人地帯くらいにしか思っていない
田中角栄経世会亡き後は都会利権の清和会の天下だからな、政治とカネも問題もスルー

621 :
>>620
意味不明な上に、板違い

622 :
上の方でレスがあるけど
コンテナ輸送は数年前の段階ではやっていたぞ
(いつぞやの「ねんきん特別便梅田駅放置プレイ事件」の時はJRコンテナに入れたまま引き取らず放置していた)


623 :
>>622
安い郵便の遠距離輸送は今でもJR貨物だ。
岡山→新越谷 がかなり活躍している

624 :
もう各停タイプの郵便列車が通用しそうな地域って無いのかねぇ
定期列車にキユニなんなか繋いでさ

625 :
5トンコンテナにパレット5台しか積めないからな〜
輸送効率の悪さは1つのネック(もう1つは貨物のダイヤの悪さ)

626 :
>>624
身延線、飯田線、大糸線なんかには使える予感。

627 :
うるせえバカ

628 :
只見線・・・

629 :
>>625
それは頭の悪いコンテナ業者。
普通はロール7台がピッチリ入る。
おまけに折り畳んだ青パレ2台まで付けてくる某九州地区の支店(や◯や、やず◯でよくご存じの…)もあるぞ

630 :
新幹線で輸送するという観念はないのだろうか?
(航空便のない東京―名古屋間をはじめとして
新潟や仙台そして盛岡などへの速達など)

631 :
>>630
昭和55年ごろ、構想が新聞に載ってたような(既出)?

632 :
おじゃんか。

633 :
>>630
手間かかるからやんないんだと思う。
今は東京駅から名古屋駅に運んでもどっちも駅前で作業してないから。

634 :
名駅そばは分室だけど
東京中郵は…

635 :
>>634
今は郵便局は窓口しかやってないのはご存じだよね

636 :
>>587
>>614
関東では綾瀬便が復活するらしいですね。速コツは不明ですが。
そういや航空郵袋には昔は一般信も普通に納入してて
速達が含まれる場合は青緑の看板を使いましたね。
最近見掛けないけど今でも使っているのでしょうか?
あれって袋に縫いつけられた看板を差す縁の太い枠の
せいで朱線が見えなくなるのを防ぐ意味があるらしいですね。
納得しました。
>>元二乗さん
鉄郵の場合、書留は一般・現金・簡易を分けて区分して
別把束・郵袋納入したのですか?
あと大型書留通常は航空輸送出来なかったようですが
その際の看板には大型印を押したのですか?

637 :
ここってやっぱり郵趣の方も多くいらっしゃるの?

638 :
>>636
当方の乗務では阪青線のみ書留の小郵袋納入を行い、その他の線区は小郵袋単位の扱い、
つまり開被は行ってませんでした。
さて、小郵袋を開被して区分、納入の際は一般・現金・簡易を分けて区分しておらず、
送達証において一般(現金を含む)のみ番号を記載し、簡易は通数欄の記載にとどまり
ました。
また、把束ひもによってくくることはなく、直接送達証と共に小郵袋に納入して封緘し
ました。
書留通常は当時すでに定形外であっても航空輸送しており、航空結束の際は看板に大型
印は押しません。大型印は、定型外の書留でないものだけを納入した郵袋に付けるもの
で、それ自体が無証なので無証印も併記していません。

639 :
>>638
詳しい説明ありがとうございます。
>>小郵袋単位の扱い
それは区分口の大きな棚で紅白の巾着を混ぜて
区分する継越区分の事ですね?少し前まで統括支店では
大郵袋のスタンドを沢山並べて放り投げていました。
一般・現金・簡易は合わせ区分だったのですね。
私が入った15年前は配達記録がまだなかったころでしたので
一般・現金と簡易は分けて区分し別把束して合納でした。
送達証の書き方は元二乗さんの頃と一緒でした。
バラで直納していた点は驚きです。雑の単位数未満の場合や
ブツが痛みそうな場合はバラで直納していましたね。
なるほど。大型印の意味は当時も今も変わっていませんね。

640 :
質問です。
郵便車には特割等大口差出のブツは出回っていたので
しょうか?切手貼りが多く出回っているイメージがあるので。
特割大郵袋は南コツや大阪中央継越だったのでしょうか?
沿線の小さな特定集配局から上って来た有証大郵袋の中身が
赤郵袋、白郵袋、大型把束、小型把束、小包、というように
全種類のブツが納入されてて到着処理がややこしかった経験は
ありましたか?
今では有証大郵袋に無証を合納する事は禁止されていますが。

641 :
>>636
>そういや航空郵袋には昔は一般信も普通に納入してて
速達が含まれる場合は青緑の看板を使いましたね。
最近見掛けないけど今でも使っているのでしょうか?
東京地区の場合だと羽田あて、東京国際あて等、地方からの航空搭載の有証郵袋にはかなり使われてる筈。>青緑のメンコ
航空郵袋に速達以外の無証郵便を入れてたのは、90.08.06以降見かけなくなったけど
布製のメールケースが使われる以前は、超大口「別納(←ここ注意)」郵便とかで使われたりしていた。


642 :
>>639
小郵袋単位の扱いとは、おっしゃるとおり区分口の大きな棚によるもので設備は「小郵袋
区分棚」と称します。東門線ですと特例区分のため小郵袋は開けない代わりに大郵袋を開
けていくと小郵袋が500本ほど炸裂するので、そんな棚に収まらず、床にもぶちまけて這い
つくばって送達証書くこともありました。
なお、私が乗務を離れて以降に「並赤」という郵袋が扱われており、それには書留を直に
納入されたと聞いています。
>>640
車内で特割等扱った記憶はありません。別納、後納はありましたけど、DMもまだ少数
でした。東門では大阪と姫路か岡山の間に黄色い大郵袋が締切で積まれてきて、これを
読み上げるときは「ビジネス大阪」とか言いました。但し、車内開被はまったくありま
せんでした。これがそうかもしれません。
また、沿線小規模局ですと、有証大郵袋に無証を合納はあたりまえとなっていまして、
現在は禁止というのが初耳です。ローカル便ですと、受け渡しとも1個だけというのが
普通でして、たいてい錠郵袋というのを使ってまして、標札も省略できました。
開けると、それこそ何でも入っているのですが数が少ないのでとりわけ煩雑ではありま
せんで、担務者に振り分けていきます。次の駅までに各種のブツをとりまとめて1個の
郵袋に納入して降ろすという手順ですが、こういう状態が続くのはのんびりしたもので
した。むしろ、局の規模により開被郵袋でも有証、無証、小包などが別々に入るとその
分の取扱いが多く、次の駅まで時間が少ないとバタバタしてしまいました。



643 :
>>641
そうですか?私は青森西やちょっと前では倉敷からしか
見た事ありませんね。うちの支店も在庫はあるそうですが
ガラガラの活字が他課に貸し出し中なので作成出来ません。
というか速達普通通常はバーコード付きじゃないとマズいから
特殊以外需要はないですね。
航空搭載地域あてに速が混じったら航空郵袋と一緒に使っても
良いんだろうけどPCで打ち出してっから今更ガラガラ使うか
どうか微妙ですな。
新東京が開局してから大きく変わったらしいですね。
無証はPケースでの差立が当たり前になったみたいで。
すみません、超大口「別納(←ここ注意)」郵便ってなんですか?
見た事ないです。

644 :
>>642
並赤郵袋って歴史浅いんですね!これには驚きました。
そういや「近年(15年前で)は郵袋がカラフルになった」
とかって何処かで聞いたような気がします。
逆に言えば昔は看板の表示が中身を知る唯一の手掛かり
だったのですね。
どうやら並赤郵袋が錠郵袋に取って代わったようですね。
やはり特割は静止局で利用者区分済みの上で差し出されて
いるから郵便車内では郵袋継越だったみたいですね。
オレンジのビジネス郵袋は今でも翌朝の差しで使ってます。
厳密にはパレット単位では有証と無証の合納は当たり前ですが
郵袋単位では禁則です。(特定記録と簡易書留は近年無証になった
がこれは考えない。大郵袋に○有りと青印を押す)
やはり量が少ない時は有証と無証の合納は当たり前だったのですね。

645 :
では質問です。
郵袋運送記の査数欄には有証・無証・小包とあったのですか?
小包を郵袋に納入するという事自体イマイチピンと来ないもので。
つまり書留小包は有証郵袋に査数されたのですか?
そして書留小包に普通小包を合納する事もあったのですか?
速達小包は○コという看板を使用したのですか?
その際は普通小包も合納したのですか?
私は並乙郵袋が小包納入用という事位しか知らないもので。

646 :
>>645
鉄道郵便車にあっては「郵袋運送記」が存在したかまでは便長クラスの仕事まで詳しく
踏み込んでいなかったので知り得ませんが、乗務終了時にすべての書類を便長がひとま
とめにして千枚通しで穴あけて紙ひも通して一件書類として提出するものの中にそのよ
うな一覧表があった記憶です。そこでは、郵袋数の受け払い一覧表みたいなものに通常、
小包に分けて各駅受け数、払い数が記載されていますが、有証、無証の受け、払いは乗
務員が開被、差し立てしたものの内数が( )書きもしくは別記載だったようです。
これを見ると、駅ごとの車内の郵袋の流れが一目瞭然でしたような。
小包もまた郵袋に入れるのが原則で、一部、郵袋に入らない大きさのもののみ、看板を
直接ブツに張り付けていましたがこぐ少数でした。
小包は2〜4個で郵袋がいっぱいになるので、書留小包だけが入った有証、書留とそう
でない小包が合納された有証のいずれもありましたが、読み上げ、管理には有証、無証
の区別はありませんで、通常と小包とに分けられ、結束方法はその両者で異なってきます。
車内扱いでもたまに書留小包が出ましたが、たいていは合納して小包有証の看板つけて
封かん具つけて降ろしていました。
速小はおたずねのとおり○コの印ついた看板です。普通小包との合納については、原則
しないこととなっていて、それぞれに差し立てしますが、ローカル小局では、錠郵袋に
なにもかも入れるので、その両者が合納されることはありました。
蛇足ながら、どうしてもある局宛で速小と普通小包を合納する際には通常郵袋差し立て
と報告し、看板は普通通常とするという規則が書かれていて、いちどだけ阪金下便で
福井あてに締めたことがありますが、普通通常、しかも無証というのは白看板に無証印
だけ、本来は定型は束(定型外合納可)を納めた郵袋なので、えらく角ばった普通通常
郵袋は異様に感じたものです。敦賀で交替した敦直乗務員が読み上げ点検するとき郵袋
の形状と看板の内容に「・・・(-"-;)?」となったことと思います。

647 :
>>646
なるほど、郵袋運送記は支店の帳場では監査簿
(出入集計表)とともに記録する重要なもの
ですので最高責任者が管理していたというのは納得です。
書コツはごく僅かですので有証無証に分けて記載しなか
ったのでしょうね。
なるほど!看板の赤丸印の表示というのはどうやら
「中身が…だけ」という意味があるようですね。
有証一条=何でもありだから振り分けろ=看板省略ですよね。
これはかつて支店の特殊室では速達書留通常と継越赤小郵袋を
合納する時に速達書留通常を白郵袋に詰めて封緘して
大郵袋ににこの看板をつけました。
速コツと普通のコツを合納するならば表示の法則からすると
○コはダメ(中身が速コツだけじゃないため)ですから
赤十字に一条というところでしょうか?
なんだか見づらそうですねw

648 :
そういえば護送便・締切便では差立局名の下に
オレンジ一条が表記されると上のレスにありますが
こういった変わった(今ではないであろう)表記
って他にどんなものがありましたか?

649 :
>>647 >>648
鉄郵を離れて以来、局の輸送作業に従事していないので現代との対比は語れませんが、
「有証一条、オレンジ一条」というのは当時はありません(少なくともS55年までは)
まず、書留小包が決して少数だったわけでなく、大阪小包から鉄郵に届く郵袋には封
かん付きはそれなりにありました。ただ、締切郵袋取扱い上では有証無証の区別は要
しないから書面にも書き分けしません。
唯一、乗務員開被郵袋から出てくる小包については書留は差し立て時に送達証を書き
ますし、送致証には締切欄の上に別わくで乗務員開被欄があって、ここに書き込む車内
差し立て郵袋に限っては有証、無証を書き分けました。
当時、鉄郵に準備されていた看板の印刷は次の種類がありました。
@通常有証(まっ白け)
A通常無証(@に無証印がある)
B通常速達有証(上に赤線2本)
C通常速達無証(Bに無証印がある)
D速達小包有証(○コ印あり)
E速達小包無証(Dに無証印がある)
F小包有証(赤十字)
G小包無証(Fに無証印がある)
H航空速達有証(青色)
I航空速達無証(Hに無証印がある)
自分は通常担務者で郵袋開閉、通常継越が専任でしたので乗務かばんにはこれら看板を
フルコースで準備し、乗務便の作業により数は違いますが最大200枚ほど携行しました。
また、受渡(小郵袋継越)、速達の各担務者もみずから必要な看板を準備、使用し、
通常有証、速達無証について数量が多い局宛ては通常担務を素通りして開被、差し立て
をしていました。

650 :
>>649
またまた驚きです。有証一条がなかったと言う事は
封緘された白郵袋と赤郵袋を合納する場合の大郵袋
の看板の表示はどうなのでしょうか?
ちょっと前までは並赤に納入して有証一条としていました。
さらに言えば速達通常無証が入った白郵袋と定形や大型の把束
を並郵袋に合納する場合は無証一条とならなかったのでしょうか?
なるほど!継越は有証無証の区別をしないのですね。
一理あるとます。数が合えばいいのでしょうね。
200枚とは随分な量に感じますが忙しそうな雰囲気は
伝わってきます。
○番という表示はありましたか?昔使ったらしいですが。
ちなみに鉄郵では配達区分というのはなかったのですよね?
余談ですが先輩に聞いたらビジネス郵袋というのは
昭和末期に登場した大企業の社内便を肩代わりした
ビジネス郵便を輸送するものだったそうです。
結局バイク便等に押されて定着しなかったらしいです。

651 :
>>650
●封緘された白郵袋と赤郵袋を合納する場合
つまり速達書留の白又は書留の赤合納ですね。これは通常有証郵袋ですので看板は
649でいう@です。書留小郵袋が1本でも入れば何を合納しようが基本的に@。
Bはめったにありませんでした。東門、阪青の本線クラスでは、小郵袋だけで30〜
50本出る局は@で締めて他のものは合納しません。(速達無証が少量の場合は合納
もあり)また、大阪中央、京都中央など他種別のブツを合納をしてはならない局も
ありました。
●速達通常無証が入った白郵袋
速達は白郵袋のきんちゃくの口を結んだだけのものは定型は束、定型外とも原則は
合納できます。書留郵袋や書留小包が入らなければ通常無証、つまりAを付けます。
明石、相生、尾道あたりですと、受け、渡しともに小郵袋のみ有証で、普通通常と
速達を合納して無証で、というパターンが多かったです。
また、Bですが、速達を白きんちゃくに入れずそのまま郵袋に納めたもので、それ
だけの数量がある局、必ず速達のみで締めなければならない大阪、京都、神戸中郵
宛てで用いていました。合納してよい局に合納するか、それぞれ別々に締めるかに
ついては車内のブツの数量を見て受渡、速達、通常の各担務者が相談して決めてい
ました。
●定型外の納入
当時は束することなく、1通ごとにバラで郵袋に納入されていました。
ただ大阪中央の府下・市内分配では足踏み式ビニールひもくくり機では束して郵袋に
納入していたらしく、投げ込み作業がしやすいようにしていると中郵の人から聞かさ
れたことがあります。
●番号印
配達区分は全くありませんが、大阪へ向かう上り便に航空結束があるので番号印を1
〜5くらい標記したゴム印を看板と共に携行していました。何番を押すかは手元の航
空結束表を参照しながら慎重に押していたのですが、阪青上一なんか結束先が多数あ
って、ブツの出ものを見ながら、看板の色、無証であるか、何番かなどを間違えなく
するのは煩雑で米原⇒京都は神経が参ったものです。ゴム印はほかにも、大型、空印
年賀(季節限定)があり、赤鉛筆や黒の魔法えんぴつなども駆使して多種多様の看板
を車内で作ったものです。

652 :
>>641
航空便で送る速達、は今は郵袋ではなくパレットにメールボックスを積んで、それをそのまま搭載するんじゃないのかな?

653 :
>>651
なるほど。通常有証の看板であっても中には速達が
含まれている可能性があったのですね。
単なる無証であっても中に速が入っている…
これも今では考えられない事ですね。
逆に言うと一条がなかったのになぜ二条はあったのか
その辺が不思議に思えますね。
大局は種別によって処理する課が異なるから量が
少なくても細かくわけるんですよね。
その辺は今でも一緒で新東京・新大阪宛ては厳密です。
ところで○代(小郵袋代用)という看板はなかったのですか?
そういうゴム印は持ってましたか?
Bの通常速達有証の看板は大量の白郵袋のみを納入した
有証大郵袋に付ける看板ですね。
書留速達通常が大量にあって白郵袋に入りきらない時は
それだけを有証大郵袋に直納して○代の二条としました。
こういう取り扱いは当時はありましたか?

654 :
続きです。
大型薄物は十字把束せずに並乙に直納というわけですか。
これもまた意外です!大型区分棚を移動した時に出てきた
紙札には左上に赤い大型印が打ってありました。
それは確かにおっしゃる通り大阪府下の局差立でした。
あの番号印は航空番号のことだったのですね。
その印は押しませんが今でも番号は健在です。
どうやら鉄郵では小郵袋(並乙も?)に入るブツは
把束しなかったようですね。考えてみれば合理的ですね。
そういうバラで納入する事って今では
速達普通通常を白郵袋に納入する時だけですね。
書留は50通とかキリのいい数で紙紐で括って締めてます。
ところで空郵袋を送付する時は空印表示をする事は
分かるんですけどパレットに積んでの送付しかしたこと
がない私にはちょっとイメージが湧きません。
郵袋を裏返して10枚単位で小さく折りたたみ紙紐で括って
大郵袋に納入して○空表示の看板を付けたのでしょうか?

655 :
>>653
並赤とか一条というのを知らないものですが、当時は甲乙を問わず大郵袋に書留のブツを
直接入れることはなく、必ず赤白小郵袋で封緘してから入れるので○代とかいう小郵袋
代用という取扱いには接していません。
赤の二条線は看板の上のほうに水平に示されているんですが、これは結構昔からのようです。
看板棚に欠品が出たので倉庫に取りに行くと、古い段ボール箱に黄ばんだ昔の看板が数多く
ありまして、その中にも二条赤線の速達用がありました。事務の人に聞くと「それ使わんと
いて。大昔のやつやからこんど焼き捨てよか」と言ってました。いつごろのやつですかと聞
くと「さあ〜、郵便車が全部茶色のボロで姫路から蒸気で引っ張ってたころやな」という返事
でしたので、二条赤線はそれだけ長い歴史があったようです。(この人に言わせれば旧型客車
はボロなんでしょうか・・・orz)
Bの看板ですが、それ自体の出番はありませんで、有証郵袋の中身が白ばっかりということは
事実上ありません。書留小郵袋の中に速達が1通でもあれば白ですが、実際、1通もない赤も
たくさんあって、全体の中で白は3割程度です。結局、速達用はCばかりがよく売れまして、
つまりは速達担務の「バラ速締め」に大活躍です。なので棚からはCばかりが取られていくの
で品切れになりますから、売れ残ったBはどんどん無証のはんこを押されてBの代用に成り下
がるわけです。いわば何のために存在するのか気の毒な種別です。
次に郵袋のことですが、並乙というのは小郵袋とは役割が違い、あくまで大郵袋の一族でした。
なので、並甲を使うほど数量がない局、結束鉄道便あてに締め切るときに数量が少なければ使
いましたが、あまり多く入らないので、乗務にあたり渡される予備郵袋に並甲が50枚あると
しますと並乙は10枚程度です。入ってくるのはたいてい並甲なのでそれも使いますから、乙は
実に少数です。余るのでいつも予備返却に混ぜてました。
書留を小郵袋に入れるときはは束しないと申しましたが、速達を封緘なし、つまりきんちゃく
絞りで締める場合には、は束もあります。速達区分棚はオユ10など全室郵便車では狭口の定型
用と広口の定形外用がありまして、定型については区分後に10通程度があれば○速印のは束紙
(紙札)をつけては束します。それを白甲乙に納めて大郵袋に納めることはありました。
最後に空郵袋について。前述のように乗務員予備郵袋として乗務開始終了時に受け渡しします。
大阪では鉄郵が、敦賀では敦賀局が差し立てして積み込むのですが、○空の標記があります。
最も数が多く種類が多かった阪青上り一号便ですと、だいたいの記憶では
  並甲60枚、並乙10枚、航空甲10枚、航空乙20枚
  白甲30枚、白乙30枚、赤甲10枚、赤乙30枚
という感じでしたか。なお、各停の阪金上、阪潟上では錠甲1枚が入り、塩津の降ろしで使う
とまた錠が入ってくるので虎姫までは渡してはもらいのくり返しでした。なお、ひもで10枚ずつ
縛った記憶は薄いですが、小郵袋だけは別に縛っていました。
蛇足ながら、○空は乗務員予備のほか、郵袋が偏る局相互間の回送にも使われ、東門上護送便に
乗ると並甲を布ひもで20枚ずつくらいを十字に縛って「○空大阪小包」の看板付けたのが岡山から
大量に入る日があり「カスだい〜!」とか読み上げてました。空郵袋の通称が「カス」だった
もので。EF58のダイナミックな運転でよく揺れるオユ12の車内では上手な石垣積みで積み崩れを
防ぐ技術が必要でしたが、このカスがくせものでして、いわば固い枕のような形状で、これを石垣
に混ぜると他の郵袋の崩れを誘発するので苦心してました。角張った小包でしっかりした石垣を
構築してからその中の空洞にカスをぶち込んだものでした。


656 :
>>655
どうやら一条という扱いは後付けのようですね。
意外です。それに代用郵袋制度も歴史は新しいとは。
作業の合理化の一環なのかもしれませんね。
○代は県下の分配の時に多用しました。
ということは小郵袋不足時に代用として用いる
「白代」「赤代」も無かったという事でしょうか?
小郵袋票札にそういう表示をした事がちょっと前まで
ありました。余談ですが大郵袋の代用としては
色付きリボンを票札差しの根元に結んだ事もありましたよ。
もしかしたら元二乗さんの時代にはまだなかった扱いかもしれません。
並赤の代用なら赤、並の代用なら白、航空の代用なら青緑等…。
○入が多いシーズンは肝を潰しましたが;
大郵袋の中身が白郵袋だけいう事はなかったんですね。
興味深いです!Bは恐らく巨大静止局での引受に使った
のかもしれませんね。お話を聞く限りでは継越過程での
出番はなさそうです。
なるほど!速達通常無証の差しでは確かに昔は○速印を
押して把束してましたね。郵便予備室で発見しました!
概ね無証は把束して有証は把束せずに小郵袋を使ったのですね。
速達通常無証は非速達との混入を防ぐために白郵袋に基本的に入れて
量が多い時は速達だけで大郵袋直納にする。今は大郵袋がケースに変わり
ましたが基本的には同じと言えます。
では速達通常無証のみを納入したきんちゃくに小郵袋票札は付けましたか?
ちなみに我が支店では付けてません。
ところで予め錠郵袋の準備数がないのは何故ですか?意外です。
有証の小郵袋を納入するために必要だったのではないのですか?
並郵袋を封緘して使っていたのですか?錠郵袋というものは過去に一回しか
見た事がないくらい私にとっては謎な存在でして。
ただ、先輩には「鍵掛けるなよw」って言われました。

657 :
>>652
メールボックス…東京統括支社管内だとメールケースって言ってるけど
アレは共通の呼称じゃないのか。
今は航空地域宛の速通はメールケース納入でも〆てるけど
ウチの支店では普通にパレットケースでも差し立ててる。
また羽田で一旦区分にかけられる分(雑、とも言う)はパレットケース納入で差し立ててる。
手間がかかるんで、羽田は真っ先に「雑を先にくれ!」って言ってるけど
出さないと、結束便間に合わなかったじゃないか!って現場に直接電話がくる。
(一部東北・北海道方面の航空便には終便が早いとこもあるため)
あと、明けで雑のパレットだけで差し立てて、継ぎ越しのパレットケースだけのパレットが残ると、現場は大急ぎで
(#`Д)<臨時呼んで!臨時!
って業務企画に内線かけて臨時のトラック便を呼んでるな。

> 余談ですが大郵袋の代用としては
色付きリボンを票札差しの根元に結んだ事もありましたよ。
有証代用で赤リボンを結付てのは「取扱規定」にもある。
また、ビジネス郵便に使う場合もあって
これが「黄色」だったけど、後年この規定が「よくあさ」代用に代わった。
なお、平成元年頃の規定では、有証・速達・定型は同じ局宛のブツが3通以上ある場合
それで小郵袋または把束が作れることになっていた覚えがあるよ。

658 :
>>656
速達通常無証のきんちゃくには郵袋票札は不要でした。票札+封鉛は書留を納入したとき
だけです。
錠郵袋の準備数が少ないのは確かですね。有証差し立ても原則として並甲乙、航空甲乙を
使い、これに封かん具(赤リボンを郵袋ベルト金具に通してホックをはめるやつ)をつけ
ました。ですから封かん具も300本くらいカバンに入れてました。
錠郵袋は、使用できる受渡局が決まってまして、阪青ですと、近江八幡、彦根、長浜塩津
間くらいでしたか。また、数量が少なくて錠1枚に合納できる場合に使いまして、多いとき
には、別に並甲で渡してもいいわけです。上りの塩津で錠を渡すと書きましたが、塩津では
乗務員開被は錠で積んできて、その他締切が入ればそっちは並甲が何個かあります。それで
その錠を中之郷に渡すときに使うと入った錠をまた木ノ本に・・・のくり返しです。ちなみに
書留が1本もなくても、つまり無証でも錠はかけ、看板は省略しました。昼間の便ではだい
たい締切のお供もないので受渡員に「はい、いっちょう」と言って1個渡すと、受けも1個
だったりしました。
阪鶴(福知山線)の予備ですと、途中「篠山&丹南」「宮田&大山」「石生&沼貫&成松」
のように1駅で複数の局が受け渡しなんかするので錠の予備も多めに預かったと思われます。
また、錠郵袋の使用が皆無となる阪青下、阪青上一、上二、東門線各便では錠の予備はなか
ったと記憶しています。
乗務員はたいていズボンのベルトに鎖を下げていて、そこに錠郵袋の鍵、封かん具や封鉛を
切るナイフ、番号印がセットになって結着されていましたね。

659 :
>>658
なるほど。小郵袋の封緘には封鉛、大郵袋の封緘には
リボンを使ってホックをしたのですね。
なるほど!昔は送達証の有無に関わらず並郵袋は陸送に
使用し航空輸送には航空郵袋を使用するといった使い方
をしたのですね。納得です。OBの中には
「並赤でも並でもどっちでもいいんだよ!看板さえ正しければw」
と言っている人がいるのですが意味が分かりました。
無証でも錠を掛けるという点が面白いです。
錠郵袋は物数が少ない時の合納に使う事が多かった
みたいですね。
ちなみに看板省略の際は看板があるつもりで
「函南有証(無証)1」という風に授受したのでしょうか?
看板が無くても有証か無証は厳密に明記しましたか?
封鉛を切るナイフって〒マークのある赤い折りたたみ
ナイフですよね?看板を作るガラガラと一緒に今でも
あります。

660 :
続きです。
還付は専用の棚で区分したりしたのですか?
あるいは混合でよかったのですか?
余談ですが特割は扱い便ではなく締切便に積み込んだ
可能性が浮上しました!
関東では南部小包、近畿では大阪小包で集中処理して
たっぽいです。関東は今では新越谷ですが。

661 :
>>659 >>660
航空郵袋ですが、輸送行程で航空に積む区間がある場合は用いました。ちょっと意外ですが
その目的以外に使ったレアなケースも。郵袋がどこかに偏るという話ほしましたが、東門下
り方向の扱便では、大阪から航空郵袋が多く入ります。東京方面から飛んできた「阪糸岡山
県」「同広島県」という開被が特に多く、開けたあとの航空郵袋を全部予備返しとして糸崎
で渡します。一方、岡山、倉敷、福山、広島を締めるのには並甲が大量に要りますが大阪で
もらった並甲予備、開けた並甲を合わせても作業していると不足する予感がしてくるのです。
特に、岡山、広島両県へのバラ速が多いのが困難に拍車をかけるので、現場判断で、車内締
めする岡山、倉敷へのバラ速締めに航空甲を転用しました。まず、速達区分棚だけでは場所
が足りないのでどうするかというと、普通通常の投げ込みが一段落したら郵袋掛け9わくか
らいったん普通通常の並甲を全部外し、補助区分棚(底ぬけホッパー)も空にして郵袋に入れ、
全部を小締切室に押しやり、掛けに航空甲6枚、並甲3枚を掛け、航空には岡山、倉敷の速達
看板を3枚ずつはめ、並にも福山、広島、結束便などの看板もかけて、全部を速達処理に転用
した上で速達担務は主に定型速達を処理し通常、締切の各担務が総がかりで定型外バラ速の山を
台にぶちまけて投げ込みます。岡山、倉敷なんかすぐに袋がいっぱいになるので航空甲で締めて
いくわけです。これについては沿線局と協議が整っていたみたいで、この処理が常態化していま
した。もっとも、並甲が足りそうなときはしておらず、非常手段ということです。
錠郵袋ですが、看板省略というのは、乗務員〜沿線局の受渡しが1個で収まる場合、当該駅には
1局しか受け渡ししない、局は積み込み搬送が1列車だけである、看板がなくても局が乗務員から
受け取ったこと、またはその逆であることが明白である、という条件が整えば看板がなくても混乱
しないので省略したものと考えています。1駅で2局以上が受け渡しに来る場合、1駅1局でも、
局から1度の運び出しで、たまたま駅にほぼ同時に来る上下両方の便があるなどのケースでは扱って
いて「この郵袋どこに渡すんだっけ?」では困るのでそういう場合は看板を付けたはずです。
ナイフですがおっしゃるとおり〒マークがあって刃物がサバイバルナイフのように出し入れできる
タイプのものでした。看板作るガラガラというのはローラー回転式の印刷機のことですか?
意外と小型で、手提げ金庫みたいな機械で中に瓦せんべいみたいなはんこをはめこんでスイッチを
入れるとセットした看板に一枚ずつ印字します。事務の人がデスクでいろいろ作っていましたが、
大阪中郵宛て無証など使用頻度が高いものは看板棚に品切れがよく出るので、ゴム印で補ったり、
車内で手書きもしました。
還付って、つまり書留の宛先不明のことですか?車内ではめったに出ませんが、書留担務でしたら
それなりの処理方法に従っていたことと思います。
参考まで特割郵袋には遭遇していませんが、締切便の一般的ルールとして有証は積んではいけない
、扱いか護送に積むべしと規則に明記されていました。(無人だからでしょうか)
但し、一部区間が締切となる扱い、護送は例外だったはずです。

662 :
>>661
なるほど。極端に特定のブツが多い時は臨機応変に
例外的な処理をしたのですね。職人技です。
それにしても統括支店勤務の私は速達がずばぬけて多い
という状況には未だ遭遇した事はありませんが
多い時は神経を使いますよね。
ところで補助区分棚というのが静止局にはないので
分かりませんが普段はどうやって動作させどのように
使用したのでしょうか?
なるほど。中身と受け渡し便が確実に明白な場合は
省略できたのですね。今のJPSよりも合理的です。
その郵便カッターは特割や把束テープの開束にも
大活躍したそうです。

663 :
続きです。
はい。ローラー回転式の票札作成機です。
活字を交換する際手がよく汚れました(笑)
実は何故か「青森鉄郵」だけまだ残っています!
コレクターがいるのでしょうかね(笑)
小型普通通常の還付の事です。
還付は一般より送達優先順位が低いため
専用の棚で分けてから○還の青印を打ってPケースに
詰めているんですがそのように鉄郵でも還付は
一般と分けて後回しにするような取り扱いはありましたか?
有証の無監視はセキュリティ上問題がありますからね。
今でも特殊室外で特定記録を区分する時は防犯カメラが
ない場合を除き無人になる事は禁止されています。
年賀って区分しました?
それとも差立局はある程度溜めて締め切りを送って来たから
車内での扱いはなかったのでしょうか?

664 :
>>657
亀レスになりました;
ううん。リボンによる代用郵袋制度ややこしいから
止めて欲しいです。
翌朝バッグや同郵袋が無い小さな支店が
並赤に黄色リボンで「『翌朝』○代」と付けてきた時は
見逃しそうになってヒヤヒヤしてますorz
3通以上で小郵袋や把束が作れる時代もあったのですね。
ちょっと把束はブツが傷んで作れなそうですが。
今では小型普通通常は単位数量は10通、大型は20通、
速達と書留は5通ですよね。
トイレットペーパーの芯で無理やり把束しましょうか?(爆)
地域間便が多い統括支店ではそうしているらしいです。

665 :
>>662 >>663
補助区分棚というのは、全室郵便車にある設備なんですが、郵袋掛けを設置する側の
壁面にへばりついている金属製のボックスです。オユ10、11では3区画、スユ16では
4区画ありました。郵袋掛けは2列又は3列の設定で6〜12わく掛けられますが、実
際の作業では不足するので、開袋台の隣には束区分棚があり、それと補助区分棚とで
まかなっていました。つまりは、上が開いた金属わくにブツを放り込み、郵袋に納め
るときは、下についているふたに郵袋を掛け、レバーを引くと底板が抜けてブツが郵
袋に落下するのです。別名ホッパーとも呼びました。郵袋掛けの上の空間を有効に使
おうと設計されたものです。最終締めのころになるとこれの操作でバタン、バタンと
いう大きな音が車内に響きました。
看板作成機は現在も変わりないようですね。この活字ですが、神戸の瓦せんべいという
よりは、京都の八つ橋(生でない硬いほう)に似ています。出し入れするつまみがついて
いますが、手が汚れやすかったのと、交換中に不用意にスイッチを入れてつまみに手を
切られたというケガがありまして、あまり触りたくなかったものです。
小型普通通常の還付ですが、車内でめったに出ないながら、区分していて出会ったことは
あります。特に別扱いではなく、その他のブツと合わせ区分しました。むしろ、見落とし
て元の宛先に逆送りしないかと気を遣いました。
年賀ですが、差年末の引受開始時はおおまかに2けた区分してましたので、締切もあれば
開被もありましたが、ゴムバンドでは束されていて、これをばらさず、2けた指定区分局
に送付しました。正月が明けると、普通の2種はがきと同じ扱いになるので、府県雑区分、
2次県内区分、大阪市区分でもバラで登場しますので、しばらくは区分棚が真っ赤になって
いたような。これと荒巻鮭速小郵袋からしみ出る塩っ辛いにおいが風物詩でしたね。

666 :
>>665
なるほど郵袋掛け上部の空間を有効活用するための
工夫なのですね。把束や大型の厚物を投げるのに
都合がよさそうです。
そういやオユ10やクモユニ143形には特殊区分棚という
のがありますがこれは何を区分するのに使ったのですか?
書留のバラの区分ですか?
あと小包区分棚というのは実際に私は見た事ないです。
郵便車の写真を見る限りでは積み方にコツがありそうですね。
確かにあのつまみって危険そうですね。
原始的な機械ですから交換中も動いちゃうんですね。
還付が少なかったのとは意外です。
年末は細かくて把束区分であり、年始の一般信との
混合時からバラの区分が始まったのですね。
普通の葉書の束は紙紐で十字にくくりますが年賀葉書
の束は太い輪ゴムで把束するだけなんですよね。
種別に関わらず2.3.4とか5.6.7といった1ケタ集合区分
って鉄郵でもあったのですか?

667 :
>>666
どの郵便車でも特殊区分棚と通常小口区分棚とがあります。前者は広口のもので、後者は
狭口、つまり定型普通通常に使用します。さて、特殊区分単でオユ10など全室車の場合は
押印台の隣から順に小郵袋区分棚(広口)、速達区分棚(定型狭口)、同(定形外広口)
の順に並んでいました。なお、書留バラの処理は阪青線で行う場合、特殊区分棚のどこか
を割り当ててする場合と、上り便なんか余裕がなければ、反対側の通常小口棚で二次区分
が終わって余った区分口を使ってしていたはずです。
小包区分棚は網を張ったハンモックみたいなやつですね。収まりきれない場合はまとまっ
た局をさっさと締めて数を減らしてましたっけ。
葉書の束は今は紙紐で十字にくくるんですか。当時は封書、葉書とも定型は水平に2回
回して独特の方法では束をし、十字にはしてません。あのは束、10秒とたたずに蝶結び
するんですが、先に静止局で修行していたので車内で苦労せずに済みました。
なお、1桁集合区分はしたことなく、府県雑でも最低2桁区分でした。

668 :
>>667
特殊区分棚は書留専用というわけではなかったのですね。
大型普通通常の棚物は把束区分棚で区分したのですか?
それとも郵便車内には小型普通通常の区分棚の下段に口の大きい
区分口があるのでそれを使ったのですか?
厚物は郵袋掛けで投げ区分ですよね?
大局には扇形区分棚があって箱型の厚物はそれで区分してます。
あの網棚は見た感じすぐに一杯になっちゃいますよね。
まとまった(年賀でない)葉書は手区分では紙紐、区分機では把束機を
使っていずれも十字把束です。ちなみに棚物定型外もOBの人は十字把束しますね。
封書だけとか葉書と封書が混合している場合は普通に水平にかます結びをします。
年賀葉書は紙紐の節約の観点からゴムバンドなのでしょうね。
うちの支店では手区分は必ず把束糸を使うようにしています。
というのも把束機では結束時間間際では行列が出来てしまって効率が悪いので
各自が棚の前で縛ってます。それに把束機は一日一回は必ずトラブルを起こします;
どうやら1桁集合区分は静止局がブツが少ない時にやるものっぽいですね。
運行についてですが分配局のある駅へ向かう列車の場合は全国差立となったのですか?
今のトラック便みたいに一旦全て統括支店に送付するのでなく
途中にある局あてのブツがあった場合はその途中の駅で締めて出したんですよね?
逆に分配局から遠ざかる場合は車内投函されたブツの中には方向が逆で
扱いに困るケースもあったのでしょうね。
「○○局は締めたからこの区分口はもっと先の区間の○○局の区分口にしよう」
というように静止局と異なり一駅ごとに区分口を変更していたのでしょうか?
大都市近郊のように鉄郵受渡局が全くない区間が長く続く場合は護送便・締切便だけ
だったのでしょうか?

669 :
>>668
ご質問に順にお答えします。
●定形外の区分
普通定形外は形状にかかわらず、郵袋掛けに投げ込むか把束区分棚に入れます。
通常小口区分棚の最下段に広口の区画がありますが、あれは定形外のためでなく、
例えば、全国府県雑区分の設定の際に隣で二次区分すべきブツを広い区画として
入れやすくし、隣の二次区分担当は区分担務が府県雑をこすっている最中でも
抜き取りしやすいので、そういう使い方をしていました。また、広い区画を左右
に分けて2区画分の役目をさせる場合もありますが、双方のブツが混じらないよう
注意が必要でした。これも局、路線、担務者個人により扱いが異なりました。
●分配局区分
「分配局のある駅へ向かう列車の場合は全国差立となったのですか」の意味がわかり
にくいのですが、車内で扱うブツは極力列車の特性を生かして2桁区分を避けていた
というところです。全国の主要局からは小包、速小、大型は2桁区分による分配局宛の
締切が多数車内にありましたが、車内で出たものは、3桁5桁区分で細かく降ろしてい
きます。大阪から阪青下便方面の速小で例示しますと
・大阪中央差し立て
おおざっぱには
  91⇒敦賀分 92⇒金沢鉄 93⇒富山南 94⇒直江津分 95⇒新潟 ・・・
という2桁ごとの分配局宛てに締め切られ、阪青下に搭載されても各分配局に
寄り道してから再度鉄道、自動車等で送達されます。
・阪青下車内
敦賀、福井落ちはそのまま差し立てるほか、
  92、93、94⇒敦直乗務員 95、99、01⇒直酒乗務員 03⇒酒青乗務員
として締め切られて引き継ぎされますので、各乗務員は当該停車駅に基づき
結束表で定められた差し立てをしますから、分配局への寄り道は少なくなり
ます。定形外、小包でも車内で出ると同様に送達されていました。
蛇足ながら、大阪中央局でそういう差し立てなので昼間に差し出した北陸
向け速小が分配局宛て送達されるのに、そのころ姫路や明石に差し出した速小は
大阪、京都よりも数が少ない分、その方面をまとめて「阪敦(あるいは敦直、
直酒、酒青、青函)乗務員」といった看板で差し立てをされ、東門上一に乗ると
大阪駅の結束で阪青下に乗り、車内で開けられて停車駅ごとに早く届けられる
というのも事実でした。
●車内投函の扱い
郵便車からポストがなくなったのはだいぶ昔のことで、以前説明した車内消印
したブツ、つまり駐在員、受渡員から渡された駅ポスト引受け分について説明
しますと、あらかじめ送達方向が逆にならないように選別されて渡されてます
から区分口を変更などの支障はありませんでした。もっとも、誤送、誤区分に
起因する逆送が生じた場合は、とてつもなくややこしい方法ですったもんだした
ことがあります。
●都市近郊の受け渡し
確かに大阪周辺では、神戸、京都、三田、王寺までは受け渡しがなく、沿線に
集配局直近の駅があっても自動車便で中央局経由でした。でも、その間が護送、
締切というわけでなく、扱い便は作業してました。
ただ、乗務員担当区間にそぐわない京岡上下便の京都大阪間が締切扱いだったり
急行だいせんだった阪福下二⇒福下下便が大阪福知山間だけ扱いで、受渡員が
停車駅ごとに来ない深夜の福知山鳥取間では護送とし、福知山で一部乗員が下車
していました。

670 :
>>669
なるほど。しかし小型普通通常の棚と違って
把束区分棚って区分口が8つしかないので
大型の区分が難しそうですね。
合理的な使い方ですね!狭いスペースの車内で
限られた時間に区分するには二次区分の抜き取りをし易い
ようにしているんですね。静止局では区分担務の背後に
銀台車に載せたファイバーがいくつも置いてあってそこに
ぶちこんで二次区分の人はそこから塵取りみたいな入れ物
ですくい取って棚の前に持って行きます。
よく考えてみれば全国差立等という静止局みたいな
区分はありえないですね。駅設置のポストは駅駐在や分局員が
予め区分して列車の方向と車中区分に適した宛て先のブツ
だけを渡したのですから雑(10〜09)という事は無かったのですね。
二桁区分は遠い地域の静止局が差したててくる
場合に多かったみたいですね。現走行地域は細かく区分し、
受渡沿線局宛てはどんなに量が少なくても5桁区分だったのでしょうね。
区分口の変更はあまりなかったようですね。
差出口はオユ10はなかったのですか?
開袋台の上にありそうな気がしますが。
扱い便になるかならないかは大変面白いです。
例えば「70 岡山中央局」とある郵袋が大阪駅で
沢山積まれたとしてもその分配は岡山中央局でやるわけで
岡山分局、ましてや車内での区分はしなかったのですよね?
多過ぎて出来ないですよね?

671 :
続きです。
詳しく説明すると大郵袋で締めてある「70 岡山中央局」は
締切室へ直行して関与せず乗務員開被大郵袋で中身が
「70 岡山中央局」の把束や小郵袋は把束区分・小郵袋区分、
さらに想像ですが「70〜75 乗務員宛て」等の
雑は開束・開披して区分するといったスタンスだったのでしょうか?
あるいは量が極端に多くて車内で区分出来なければ静止局に任せ
車内で十分対応出来る時は車内で区分したのでしょうか?

672 :
>>670 >>671
●は束区分棚
だいたいの車両は8区画くらいで、1/2車でもあります。正確には、郵袋掛けをカバーする
ためのもので郵袋掛けよりも入る両が少ないので、多めのブツがでる宛先局を郵袋掛けで、
それよりも少なめのところは補助区分棚、は束区分棚で補うということですか。なので、
すべてに大型、は束を問わず投入しました。
●差出口
オユ10にはなく、埋めた痕跡も見あたりません。旧型オユには差入口がある車両の写真が散見
されますが、以前に廃止されました。当時のベテランの方に聞くと、ブツは押印台の前に入った
みたいですが、郵便車の進行方向を表向きに表示していないので、送達方向を意識して入れる人
と、そうでない人がいるので、後者だと、それこそ逆送、あるいは最終地引渡しとかしたそうで。
発車し始めてから追いかけて入れる人もいたそうで危険ですし、廃止は妥当でしょうね。なお、
回送中、締切中などは入れられないよう、蓋を固定できたそうです。
そうそう、敦賀で乗ろうとしたら、スーツ着た人が20通ほどの封書を手渡し「これ送って下さい」
と頼んできました。一部速達もあって、ごていねいに「は束」もしており「方向は?大阪行きです
けど」と言うと「すべて米原以遠です」との返事(笑)。受取ってカツ押すと確かにそのとおりで
した。こういう人ばかりですと、差出口が最後まであってもよかった気がします。
昔、大都市のある企業では、ブツ持って駅に駆けつけ郵便車に直接渡しする任務の社員がいたとか。
●宛先と処理
岡山の標記がある締切郵袋は、岡山分局も乗務員も開被処理することはありません。
また、は束が「70岡山県」とかいうのが車内で出ても、速達は開束区分しますが、普通定型
は束は岡山宛て送付です。当時すでに「東門、門鹿西特例区分」と言いまして、両線は受渡
局が大幅に整理され、阪糸間ですと、2桁区分拠点局のほか、明石、相生等一部の3桁局しか
停車、受渡しがありません。車内作業も普通通常小口区分、小包類処理、小郵袋開被区分は
廃止されていたので、5名乗務が基本でした。
また、車内作業に課せられた処理は駅到着に遅れないよう必死でやりましたが処理しきれない
ブツを静止局に送ることは事故、災害等を除き許されなかったので、車内作業の負担は多すぎず
少な過ぎずとなるよう、搭載数量、開被郵袋の比率があらかじめ、鉄郵駐在、静止局と協議され
ていたようです。

673 :
>>672
とても興味深く勉強になってます。大抵の疑問は解けました。
言い忘れていましたが昔は赤一条という概念が無かった
ようですがそうなると649のAのようなただの無証の看板
でも中に速達が入っているかもしれないから到着したら
すぐに開けて見なくちゃいけないから大変そうですね。
安心して後回しに出来るのは赤十字と大型印が押してある
看板ってことですかね?
なるほど!把束区分棚、補助区分棚、郵袋掛けの使い方
が大体分かりました。主に大型普通通常や定型の把束に
使用したのですね。想像ですが書留小郵袋区分が終わった後に
郵袋掛けが空いている場合には当然そこに有証大郵袋
をひっ掛けて小郵袋を投げ区分したりもしたのでしょうね。
すみません、そうなると特殊区分棚というのがイマイチピンと
来ないのですがこれは普段は大型速達通常や書留
(形状問わず)に使用したのでしょうか?
時と場合によっては小型書留通常は小型普通通常の
小口の棚で分けることもある点は以前の話で分かりました。
郵便車に投函したというのは相当昔の話だったのですか。
つまり郵便車の引受は駅のポストオンリーだったのですね。
確かに追いかける人とか絶対いそうで危ないですね(笑)
総務の文書担当が大抵手紙を駅に持ち込んだのでしょうね。
特例区分とはブツが非常に多い幹線であったようですね。
容積が大きくて嵩張るコツや量が極めて多い小型の区分を
しなかったこと等を考察すると車内作業の負担が過重に
ならないようによく協議されていた事が伺えます。
恒常的な不結束で連日監察呼び出しではたまったもん
じゃないですから当然ですよね。(巨大静止局では実際にある)

674 :
>>673
●無証の取扱い
普通通常無証の開被郵袋に速達が合納されているかどうかは、差立局と便ごとの取扱量で
おおよその判断はつきます。東門あたりは大阪、神戸、姫路、岡山・・・とどこでも速達無証
を別に締めて積んでくる局が多かったので普通通常無証には入りませんが、相生、三原など
便により数量が少なければ合納していました。とにかく、開被する際には、入っているかも
しれないという先入観で見てますから、白郵袋が出れば、真っ先に速達担務に手渡したと
いうことです。
●開被の優先度
大阪など開被を多く引き渡す局では、開被だけをとっても納入方法を仕分けして乗務員が
多くの開被に優先順位をつけられるようにしていました。例えば東門下便を例にあげ中郵
第二普通課から鉄郵経由で渡される郵袋に限って示しますと
 「東門下○」「阪糸乗務員兵庫県」「阪糸乗務員岡山県」「阪糸乗務員広島県」
といった看板で入ってきます。取り決めで神戸のブツは入っていないのですが、明石以西
は入ってきますので、下○、兵庫県を先に開き、処理が進むに従って岡山県、広島県の順に
開けば、処理遅れなどはなくなるということです。これは、速達、有証でも同様なので
各担務が作業数量を勘案しながら順序を決めて開被処理していました。
なお、東門下五は姫路で姫広下二に結束するので岡山県のブツは姫路までに仕分けて姫広に
「土居野馳間」を結束させなければならず、岡山県も兵庫県と同時くらいに開いていた上、
明石を通過する足が速い便だったので、てんてこまいでした。郵袋掛けをバラ速に転用し、
航空郵袋で岡山締めなどしたのもこの下五でやっていたことでした。
他の線区で出る開被小包も後回しにできるわけでなく、乗ると早速開いていましたし、
大型印の乗務員開被は皆無で、無証を開くと大型も混じっていたということで。
逆に車内では大阪、晴海の大型は差し立てました。
●郵袋掛けの用途
郵袋掛けはほとんど、普通通常のみで使いましたから、以前述べましたバラ速使用も例外
でした。小郵袋に使うことはなく、あちらは小郵袋区分棚の前で記録が済むと10本1は束
にして、押印台の前の床に置かれますので、私ら通常担務が数を数えて送達証と一致する
ことを確認して送達証に自分の番号印を押して締めました。このとき、降ろす局名やブツ
量を判断して、無証との合納をするかどうかも判断します。なので、締める前の小郵袋は
床に並べられていたということで、もたもたしていると歩く場所がなくなりました。
●特殊区分棚
先に述べたとおり、小郵袋区分棚、速達区分棚(定型、定形外)の総称が特殊区分棚と
いうことです。なお、特例区分に適合した車両も現れ、オユ14やスユ16の一部はこれの
専用に作られ、定型小口用、小包ハンモックをなくして特殊用を増やし、中央部に郵袋
掛けと補助区分棚を増設していたので、そちらはバラ速専用に使用できました。

675 :
>>674
なぜ白郵袋に速達を納入するのか意味が分かりました。
速達を目立たせるためなのですね。
そんな事しごく当たり前で恐縮ですが。
速達無証が一緒に上がってこなかった場合は
入っているものとみて必ず開被してチェックしたのですね。
速達小包じゃなくても速やかに開被したのですね。
大型の取り扱い、とても面白いです。
小郵袋は10本1把束で床に置いて査数したんですね。
特殊区分棚というのは総称だったのですね。
どうやら線区によって地方によって郵便車のレイアウトは
異なる場合もあるようですね。

676 :
看板の差立番号って記載しましたか?
現在の看板には何故かありません。

677 :
今、そこの空欄は自分のナンバリングやガチャ判(回転印)を押してるな。
90.08.06以降の入局者でスマソ

678 :
>>676
乗務員は差立番号欄に便名のゴム印を押しました。
乗務前にある程度あてずっぽの枚数を押しておいて足らなかったら車内で押した記憶が。

679 :
>>678
なるほど。確かにうちの支店でも特割が大量に到着した日や
物調の時には便名を手書きで書いている事があります。

680 :
>>677
自分のナンバリングといえば自分の印鑑を
票札に押してくる統括支店と押してこない統括支店が
ありますが本来は押さなきゃいけないのでしょうかね?
因みにうちの統括支店はゆうパック関係の課は押しませんが
郵便関係の課は押印することになっています。

681 :
>>680
本来はどっちでもいい代物。
押してる支店は、差し立てパレットが誤結付なくラインにちゃんと並べてあるか
それを確認した、という意味で押してるんだが
今は押したら押したで、やらかした担当者ホイホイになってるからな…
(誤送されてきたパレットのメンコの写しが到着支店からファックスで送られてきて、『誰だ、こりは?』って事に)

682 :
ウチでは支店で作った用紙に押印して、それをボックスに入れて、更に透明のデスクマットみたいなのを入れてるよ。

683 :
>>592
そういやユニット窓はガタがきたり隙間風が生じる場合は交換できるんじゃないの?
今まで交換したという話は聞いたことがないが

684 :
新潟上野間で、笹団子の速達小包区分した方いませぬか。

685 :
つまみ食いした人はいませぬか。

686 :
>>684 昭和50年代の例規に、「笹団子を内容とする速達小包の取扱いについて」として、
区分方法がちゃんと載っていました。

687 :
9月25日にオユ10公開です。当日は穴水駅でのと鉄フェスティバルもあります。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~YAMACAT/FRPS/hokuriku/110925p/110925p.htm

688 :
オユ10氏、どうしていますか? 元気ですか?

689 :
小ネタを1つ
現在発売中のビックコミックオリジナルに、ストーリーに鉄郵が絡んだ作品が掲載。
20日になると次号が発売されてしまうのでお早めに。

690 :
>>689
あれは大した事ないよ。
それより、郵政職員が国労組合員(国鉄職員)と乱闘って、まずくね?
国労は今でもあるんだし。

691 :
>>690
国労と旧全逓はむしろ立場が近そうだが‥
もっともこれが共産系の派閥になると分からんが
ちなみに昔全逓の協賛バザーで「こくろうキャラメル」を買った事があるw

692 :
スレチだが
>>691
マル生スト後の昭和54年の4.28の大処分で、多数の若手幹部が懲戒処分、解雇食らってから
全逓は闘争方針を当局との対話による労使協調路線へと、しょっぱい方向にシフトしたんだよ。
もちろん4.28処分者に対する支援、国労との協調姿勢ってのもしばらく見せてたけど
連合発足以降、総本部は国労支援そっちのけで対抗組合の全郵政との歩み寄りを模索し始めた。
(尤も、やってることが一緒だから仲良くしようや、ってのもあったけど)
そうした方が組合員のためになるって判断したからだね。
それで、民営化後になって全逓と全郵政はアレ、国労?知らん、と。

693 :
日本郵政グループの労組は、民営化後も複数あるじゃん。
共産党系の組合、何て言ったかな?

694 :
郵産労ね

695 :
>>692
その全逓から分裂して、最後まで国労闘争支援と4.28の支援をしたのが郵政ユニオン。
大体今はJP労組(旧全逓+全郵政)で)90%。その他少数組合が10%(以上は本務者=正社員、非正規を入れると一番パイパン(未加入)が多い)
関係ないけど、昨日の反原発集会、JRは国労や東労組、JR貨物労組や動労千葉の旗やのぼりはみたけど、JP労組は見なかった。
郵産労・郵政ユニオンはいたようだ。

696 :
参加できる訳ないじゃん。>JP労
ご存じのようにミンスのお得意様っつか、大支持労組だし。
話の腰がまた折れるけど、俺がいる支店(局)の鉄郵出身者はゴルフ大好きな人が多くて
安い月給で働いてる筈の人間が、何でそんなブルジョワな趣味持ってんだとしばらく幻滅したことがある。
ロッカーには要らないアイアン捨ててあるし、仕事で使う手鉤がアイアンのシャフトの再利用だったりw

697 :
そんな議論よりオユ10みにいってやれよ
昨日後悔してたろ

698 :
客車急行列車や長距離鈍行に連結されていてこそのオユ10だったしなぁ。
青い車体に表示された赤い「〒」マークが美しかったほどだった。
曇りガラスの〒マークもかっこよかったな。
上野駅ホームの台車上の郵袋についた赤十文字マーク札をみて、日赤が郵便を使って
物資を運んでいるのかと思った。
古い「日赤看護婦」記念切手の深緑基調と腕章の赤十字との色合いが、郵袋と結付された赤の十文字札との色合いとが
実によく似ていたこともあったから。

699 :
切手は正しくは、日本赤十字社創立75年 です(昭和27年発行)

700 :
>>697
穴水の鉄道フェスティバルと湯乃鷺駅と「花咲くいろは」の車内放送と一緒にまとめて見て来ましたが何か
だいぶ外板がくたびれてきているのが辛いところだな
穴水のNT800みたいに綺麗にしてあげたいんだろうけど厳しいなあ

701 :
上野駅発着の鉄道郵便が消えたのは昭和57年11月。
それから間もなくのこと、
北陸方面行寝台特急列車の最後部の荷物車両をホームから覗いてみると、郵袋が。
よく見ると「ビジネス」などという票札がついていました。

702 :
>>651
お久しぶりです。
定型外の納入についてですが現在でも新大阪支店継越の
大型は十字把束となっています。
先日大阪市・大阪府内各局宛ての大型薄物が多かったので
十字把束するようにと課代から指示がありました。
そして普段新大阪からくる切手証紙貼付の大型も2桁区分の
十字把束でケースに納入されて到着しています。
どうやら大阪は特殊な地域のようです。
前置きが長くなりましたが鉄郵では定形外はバラで
郵袋に納入すると書いて下さいましたが
その際は並乙に納入したのですか?それとも量が多ければ
並甲にも納入したのですか?並甲だと到着局での取揃えが
大変じゃないかなと思いましたもので。

703 :
>>702
当時は鉄郵に限らず、定形外の郵袋納入に把束という概念がありませんでした。
使用郵袋は中身もそこそこ入りますので、大半が並甲でした。到着局の作業を見聞き
した限りでは、台の上で取りそろえるという感じではなく、プラかごにぶちまけて
郵袋掛けに投入、あるいは定形外専用の区分棚で処理していたようです。

704 :
>>703
なるほど。薄物は小型と違って並甲で到着しても
取り揃えずにそのまま棚で区分したのですね。
小型と違って取り揃えなくても速やかにと区分出来る
レベルだったのでしょうね。
一旦ファイバーに移してから投げ区分というのは今でも
うちの支店は速達の厚物やレターパック等の継越区分でやっています。

705 :
>>702
十時把束は基本パレットバラ積みのはず。
(十時把束のみで)バラ積みする数量が無い場合、十時把束をケース納入しているのかと。
今でも、水路便で送る定形外はバラで並甲に納入してますよ。
定型と速達通常と合納で。
赤線一条引っ張ってこないけど<某77支店
>>703
水路便では今でもよく見かける光景ですw

706 :
>>705
なるほど、パレット直積みってバルクだけじゃなくて
切手貼りでもありましたっけ?
あと横神継越の大型薄物も十字把束のケース納入ですよね。
そうなんですか?
水路便ってPケース使わないんですね。
赤線一条引っ張らないとは古風ですね。

707 :
古風でいいですなぁ
 
茶色くなった省監修の「必携」そのものです。

708 :
>>706
アレはね…
Pケース使うとガサバってしまって
結束した分のゆうパックが全部積めなくなるんで使わないんだ。
でも島しょの差し立てやると、数って大事だなって解るんでいい仕事だな…って思うよ。

709 :
>>708
確かにPケースは場合によっては嵩張って
邪魔になりますよね。空ケースをパレに積んでも
いつでもに新東京に送れる訳でもないし。
小生の支店は夕方の特集で普通通常が多い時は
並郵袋に納入してくるように協定で決まっています。

710 :
>>709
後半ですが
「特集が多い時間帯は折ケースも邪魔になるので
並郵袋に納入するように特定局との間の協定で
決まっているようです。」の間違いでした;
>>393
晴海は大型専門の差立集中局だったようですが
東京中央でも大型の差立はやってたのですね。
部署までは分かりませんが神田・京橋・渋谷以外の
東京都区内各局引受の大型普通通常の都外差立と
神田・京橋・渋谷引受の近県差立を担っていたようです。
想像ですが小規模局からの雑の郵袋は開被して棚でバラを区分、
大規模局からの郵袋は2桁締切になっていて郵袋を区分して
コンテナに積載したのでしょうね。
意外でした。
東京中央はなんでもやる本当に大きな局だったのですね。

711 :
新東京は東京中央と東京輸送(含む東陽C)と晴海の寄せ集めだったから、
できた当初はいろいろと大変だったらしい

712 :
東京中央にできないものはコンピュータ郵便の引受ぐらいだったと思う。
一円未満の切手の交換って銀座支店に引き継がれたんだっけ?スレ違いスマソ

713 :
国際電電の丸の内分室などというものも入っていたし。
内国電報は扱っていないが、国際電報は「中央郵便局へ行けば」って感じ。

714 :
少し前に特割の話が出ていたので挙げときます。
特割は300km以上の長距離輸送の場合は
時代に関わらずコンテナ輸送が原則だったようです。
それ以下は自動車便輸送。
従って鉄道郵便車に積載されることはなかったようです。

715 :
新越谷って何だとOBに聞かれて、
ホッコツの復活だと言ったら妙に合点された。

716 :


717 :
>>715
新越谷ってJPSの実験台にされた所じゃなかった?

718 :
>>717
あれは新越谷じゃなくって越谷じゃなかったけ?
今新越谷ってコツやってるの?埼玉ターミナルに移管した?

719 :
>>717
それはただの越谷ですね。
>>718
浦安と新越谷は今はコツやってません。
>>715
バルク(特割)の区分は北部小包でもやっていたのですか?
銀座以前は南部小包だと聞きましたが。

720 :
南海の郵便車は異様に車幅が狭かった。

721 :
それは簡易鋼製化したからじゃないの?
郵便車固有の事情ではありません。

722 :
大航1age

723 :
JR,JP合同でイベントやってよー

724 :
能登中島の公開は厳しいのかな‥
マジンガーZ&花いろトレインと一緒に見に行きたいのだけど

725 :
>>724
明日、28日公開です。

726 :
転載だけどネタ投下
ttp://engawa.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1295865224/から
630 名前: 回想774列車 [sage] 投稿日: 2012/05/19(土) 17:52:59.32 ID:5Dp/IzVS
>>629
宇野行きには「大荷」の徳島、松山行きがついてたよ。
「郵」はどこのだったのかな、覚えなし。
632 名前: 回想774列車 投稿日: 2012/05/20(日) 22:19:58.53 ID:ydCGNT08
>>630
松山郵政じゃないの?
実際の路線はどこなのでしょう?

727 :
>>725 秋はいつ?

728 :
鉄道模型板に載っていた
RMライブラリーから郵便客車ネタが出るらしい
ttp://www.amiami.jp/top/detail/detail?gcode=BOK-07701&page=top


729 :
>>720
お客を乗せるわけじゃないから、別に広くなくても構わないと考えたのでは?

730 :
東京中央と東京駅が地下で繋がっていた所は
今はどうなっているのだろうか?
鉄道郵便無くなって潰したのかな?

731 :
房総地区で活躍したクモハユ74はハの部分で客扱いしたかしなかったか文献によりまちまちだが実際はどっちだったのだろう。

732 :
締め切られていたと言う記事が多い気がする

733 :
>>730
コンクリで蓋いだだけらしいから、機材運んで発掘作業してみたら?
当局が許可するかわからないけど

734 :
東京駅の地上には何も面影ないね。

735 :
地上部にはホーム上のエレベーターしかないはずだからなぁ

736 :
新幹線や特急列車で郵便を運ぶという発想は思いつかなかったのか?
こうすれば速達化出来たのに
TGVでは郵便車があるが

737 :
>>736
既出だが1980年ごろ郵便コンテナ積載を検討という
新聞記事を見たような気がする。

738 :
新幹線で郵便物を運んだらいいのに
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/nenga/1355308191/l50

739 :
都内に
鉄道郵便車の保存車あったような。

740 :
>>739
国立の郵政研修所にオユ10がいる

741 :
小型荷物を新幹線で運ぶサービスはあったけど。もう廃止されたみたいだが。
新幹線は速いけど、夜間に運転しないのが支障となっているからでは?
昼間に集配して、主に夜間に長距離輸送するわけだろ。
朝、新幹線が走り始めるのを待つより、夜間にトラックで高速道路走らせた方が早くつく。

742 :
>>741
東京と新潟はまだやってるみたいよ

743 :
>>739 >>740
http://lumlum.sakura.ne.jp/FRPS/hokuriku/cpti2555/cpti2555.htm

744 :
ポスト付きの鉄道郵便車って、形式何ですか?

745 :
鉄道郵便車は国鉄の所属じゃなかったんだね。

746 :
スユ42 他

747 :
横浜中央郵便局も、鉄道郵便と関係のあった郵便局?

748 :
大概○○中央郵便局はターミナルの駅前にあって
県内郵便の取りまとめや鉄道郵便を担当していた
自動車輸送に取って変わられ取りまとめも新東京や
横浜集中のように郊外の局に移って行った

749 :
特急列車に郵便車を連結して速達化を図るという発想は思いつかなかったのか?

750 :
>>749
日本の在来線特急は欧州ならせいぜい快速列車程度の速度だからね、戸口から戸口の車には叶わないだろう
TGVみたいに新幹線なら可能性があったかもしれないけど、人運んだほうが儲かるからね

751 :
>>748
面白いのは東海道山陽系統で、沿線の各中央郵便局が下り方にあったこと
東京・横浜・静岡・名古屋(後の駅前分室)・京都・大阪
広島(後の広島東)・博多(中央局では無いが)と揃っている
(微妙に「下り方」から外れているのもあるが)
けど神戸中央は駅から近いけど違うんだよな
岡山はよく分からん

752 :
横浜中央郵便局は鉄道郵便があった頃の名残はあるのかな?

753 :
少なくとも見える範囲にはない
荷物用エレベーターもないし、郵便局〜ホームの地下通路が昔あったとしてもその後の工事で分断されてる

754 :
分断されていたとしても、人知れず地下通路が残っていたら胸熱だな。

755 :
で、その地下通路を歩いて行くと、途中で水が溜まっていてその先で崩落している
これは、俺が廃道をJeepで探しまくっていた時の経験だが、かなり参るぞww

756 :
よく考えたら、通路残ってても郵便局側しかねーな
なぜなら駅側は南口コンコース&通路で全部掘り返されてる

757 :
ていぱーく閉館になるんだな。仕分けされたか

758 :
>>757
再開発で移転みたいね

759 :
にしてもスカイツリーに移転とは今の郵政にしては大出世じゃねえか

760 :
ていぱーくって大手町の博物館か?あそこには鉄道関係の資料あるのかな?

761 :
>>760
http://procurement.japanpost.jp/general/06_25-02-09_%E4%BB%95%E6%A7%98%E6%9B%B8_20130313135819.pdf

762 :
ていぱーくは普段はあんまり鉄道郵便関係の展示はないね。
何年か前に特別展やってた。

763 :
>>761
ありがとうございます。
これによると、鉄道関係の資料はあまりなさそうですね。

764 :
目白の切手の博物館はどうなんだろう

765 :
>>751
それで東海道山陽の郵便・荷物車は下関方に連結されてたのね。

766 :
大きな駅だと駅前郵便局ってあるけど、あれも鉄道郵便の名残なのかなぁ?

767 :
ていぱーく、最後にまた鉄道郵便の特別展やってくれないかな?

768 :
国立に保存されている郵便車は土日でも見れる?

769 :
郵便車についてたポストに投函すると、独特の消印が押されて趣があった。

770 :
小樽の鉄道博物館に鉄道郵便車が2両あるのは立派だと思う。
ただでさえ現存数少ないのに。

771 :
普段のていぱーくには、鉄道郵便の資料は展示されていませんか?

772 :
横浜の駅前のでっかい郵便局も横浜駅とつながってたりするのかな?

773 :
20くらい前のレスくらい読めやこのボケ

774 :
府中の郵便車の保存車両、見に行ってみようかな?

775 :
郵便車に付いていたポストに投函すると、○○〜○○間と書かれた押印がされて趣があった。

776 :
>>756
地下道は郵便局側だけでも残ってないのかな?

777 :
地下道跡があるとしたら、倉庫とかになってそう。
でも、横浜駅に鉄道郵便車が発着してたのって想像できない。
どこに停まってたんだろう?

778 :
>>777
東海道線ホームにクモユニが停まってるのを撮った記憶がある。
肝心のその写真が見つからないんだが・・・ 今から30年くらい前のことだねぇ

779 :
郵便車の中に1982年製造1986年引退→解体という車両があったらしいですが、勿体なさすぎますね。

780 :
>>777
東海道線ホームしかありえない(現在の横須賀線、当時は貨物線にはホームがない)

781 :
鉄道郵便に関する資料のある博物館はどこかありますか?

782 :
近江鉄道でも鉄道郵便を担っていたらしいですね。
車体にポストが付いていたそうですが、消印が気になります。

783 :
>>782
米原貴生川間
上下各2便

784 :
府中の郵便車、見てみたい

785 :
鉄道郵便についての資料がたくさんある博物館や資料館はありますか?

786 :
女性専用車両を利用する男性客に暴挙謀略しまくりのおばさん


東急東横線より
http://www.youtube.com/watch?v=Jf0qxSGr7fs&list=PL1k4xaNSVVuMH4s3w1YOTynHcO6CM1cgp

787 :
>>779
同時期に製造されたマニ50もそうだけど、
スユ15後期車やクモユ143など、メーカー
から落成後一回も全検を受けずに廃車になったのがいた。

788 :
郵便車に取り付けられているポストに投函したときの消印が興味深いね。

789 :
横浜駅から郵便局に地下道が今も続いていたら胸熱

790 :
汐留−門司特認(特例?)車とは何ですか?
どこ見ても書いていない。

791 :
>>790
東門特例車
東海道・山陽線での郵便輸送が急行荷物列車に全面移行したため、小駅での授受がなくなった
その関係で、取扱便でも車中区分を行う対象が大幅に縮小されたので、区分棚の配置を中心に区分室のレイアウトを変更したのが「東門特例車」
区分棚の配置が変わったので、外見上も窓の配置が変わってるはず
あと、「東門特例」とは言ってるけど、その後対象線区が拡大されている

792 :
品川の物流博物館に鉄道郵便の資料はありますか?

793 :
>>791
有難う。
オユ11全車と、オユ14・スユ16の200番台がそれかな、このあたりどうもよくわからん。
オユ10 1001〜1005は、RPだとそういう説はあるが未確認となっていた。

794 :
能登中島のオユ10が整備されたそうで
ttp://rail.hobidas.com/rmn/archives/2013/09/10_2565_1.html
やっぱり本職がメンテすると見違えるなあ

795 :
府中にも郵便車ありますよね

796 :
乗務員の夜食、試してみたらうまかった。
http://lumlum.sakura.ne.jp/FRPS/hokuriku/sup01/sup01.htm

797 :2013/09/14
鉄道郵便があった頃の名残のある駅や郵便局はまだありますか?
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