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2013年17鉄道懐かし40: 【マニ20】20系固定編成客車スレ01【ナロネ20】 (979)
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【マニ20】20系固定編成客車スレ01【ナロネ20】
- 1 :2009/04/26 〜 最終レス :2013/09/15
- 20系固定編成客車を真面目に語るスレです
法螺話を書く方の投稿をお断りいたします
- 2 :
- ネタや法螺を書きたい方は
【ルーメット】20系寝台車【走るホテル】
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1240396562/
上記スレでお願い致します
- 3 :
- >>1
乙です
- 4 :
- ここはあの有名な基地害が立てたスレじゃないよね?
- 5 :
- >>4
違います
その方は聞く耳を持たないので、真面目に話し合いたい目的で立てました
20系なら国鉄内部資料など色々持っているので、車両面・運用面なら
可能な限り答えたいと思います
- 6 :
- それは失礼しました。
彼の傍若無人には、かなり腹が立っていたのでちょっと疑ってしまいました、すみません。
はじめて20系に乗車したのは、48年頃の出雲です。
幼稚園の頃で、子供一人で寝台に乗せるのは危ないと言う事でA寝台に乗りました。
(確かA寝台は大人一人と小さい子供は一緒の寝台を使用することができたと思います)
京都での機関車交換まで起きていたかったけど、その直前で寝てしまったそうです。
浜田で降りるときに機関車を見たらDD54でした。
大人になって色々調べたらDD54は49年に出雲牽引から撤退しているので、貴重な体験ができました。
- 7 :
- >>6
実際のところ48年夏の時点でDD51(借入車や先行投入)やDF50代走が半ば普通になってたので本当に貴重 >DD54出雲
その上最近出てきた話によると下り列車でHM掲げたのは本当に短期間だったらしい、、
- 8 :
- >>6
私は「北星」「銀河」「十和田」「津軽」の乗車経験があります
寝台のロネは最後まで乗れなかったですが、十和田でハザ
代用のナロネ21に乗りました
網棚がないので、通路が荷物で凄いことになってましたよw
津軽の時はハザ代用のナハネ20で、これも短期間で「おが」と
編成振替がありましたから、乗車経験のある人は少ないかと
- 9 :
- 203レ時代の十和田3号ナハ21乗りマスタ^^さすがはロネ改の車だけあって
防音等良かったなあ…ナナゴのホイッスル 次は「いちのへえ」のアナウンス
懐かしい・・・
- 10 :
- >>9
あいにくナハ21には乗らずじまいだったのですが、
ハザとしては最高クラスの車両だったようですね。
- 11 :
- ナハ21補足ですが、乗り心地はさておき、ロネ時代のゴールデンブルー?
シートにはヘタリが見えて美しくはなかったですな^^またロネ時代の通路の
カーペットがはがされて痛々しかったのを覚えています。
でも今になってみれば、どんな乗車体験でも時を経れば貴重なものになりますね。
何せ、客車列車自体もうほとんどなくなる寸前?ですからね
- 12 :
- ナイテシ21
- 13 :
- ttp://kokutetu.blog.eonet.jp/117/2008/05/post-0a48.html
高砂で改造されたナハ21(だいせんに投入)の床は、新車同様だったみたい
十和田のナハ21は大宮改造なので、絨毯を剥がしただけのようです
- 14 :
- ナロネ22乗車歴のある奴は流石にいないか
- 15 :
- ナロネ20ならありますよ
ナン20はないけど
- 16 :
- ナロネ20も日車製と日立製で微妙に窓割が違うんだよね
クロ151と共に保存して欲しかった車両だな
クロ151と異なりその後も改造して使用されたわけじゃないから
- 17 :
- 廃車になった頃って国鉄の財政赤字が厳しかったときだったから。
ナロネ20に限らず、153系とか二枚窓のクハ86などの保存車が
ないのは非常に残念なことだ。
20系だって電源車は1両も残ってない。
- 18 :
- >>13氏
なるほど・・・・大宮の荒療治だったわけか^^でもあの独特のジョイント音と
乗り心地 かなうものなら又乗ってみたい
そして連絡船乗り場に向かう人並みにまぎれてみたいものだ
- 19 :
- 13氏のところにあるブログにも書かれてますが、乗り心地は良いんですが、座席幅は狭かったので、4人座ると
狭かったですよ。
私はだいせんのナハ21を良く利用しましたが、高砂工場改造だけに仕上げは良かったですね。
- 20 :
- 自分は昭和56年の3月に青森から上野まで十和田4号のナハ21に乗車しました。
青森から満席だったのを覚えています。
寝台の方は、天の川のハネの下段を利用したことがあります。
高校の頃だったのですが、身長168cmの自分でもベッドが窮屈でしたね〜
乗車したのが2月だったので、デッキが雪で真っ白だった・・
- 21 :
- ハネは昼間座るにはちょうどいい幅だったけどねw
新系列の70cmベッドはちょっと座るには中途半端
52cmというと通勤電車のロングシートと同じくらいなのかな?
あの幅の寝台は今の時代では厳しいかもしれない
- 22 :
- 20系は、急行でよくのりました。
銀河、だいせん、新星、さんべ、唯一特急で乗ったのは、あさかぜ51号。
いずれも電源車はカヤまたは12系からの供給。機関車を選ぶ列車では残念ながら乗れませんでした。
一方ナロネ22は永遠の憧れ。オロネ25登場前夜、全廃の危機にあったA寝台個室を連結しロネを3輛従えたあさかぜ1(2)号は最盛期からすれば落ちぶれていたかもしれませんが、当時の小学生からみると旧き佳き階級社会を映し出したような特別な列車に思えたものです。
- 23 :
- やはり20系客車ってブルトレの王様だよね…65P 58P 75 DD等なんでもござれだーー^^
あの国鉄が作り出した編成美 今のJRに望んでも叶わぬ夢か^^
- 24 :
- >>22
カヤ21化後もMR管、電磁ブレーキ共一応機関車に接続してた >あさかぜ51号
- 25 :
- クレクレスマソ
以下の組み合わせの最高速度をご教示頂きたく存じます。
ASブレーキ時代
@BPのみ
AREB以降
A電磁ブレーキ+MR+BP 例 東京ブルトレ
BMR+BP 例 47.10以降の大阪ブルトレ
Bカヤ編成 BPのみ 例 銀河・天の川
CBPのみ 営業上は不可だろうが、工場入場時等
D12系+20系
E20系+ワキ10000
雑誌の20系特集でもまとまった記述が無いので、よろしくお願い致します。
- 26 :
- >>25
AのEF65・EF81牽引時を除き基本は95km/h
ただAの場合でもED75等は100km/h制限
Cの場合空気供給の関係上操作が制限(ただ営業運転でも救援や迂回で実例有り)
問題はDとEなのだが異種混結の都合上制限ありと思われ
(20系と10000系もブレーキは電気系統など似ているようで異なる)
- 27 :
- キャンブックスの鋼製客車IIで、マニ20採光窓の謎は解明されてるのかな
- 28 :
- マニ20の窓増設時期、初期車の非常口改造時期、カニ22 51はいつパンタを降ろしたのか?
そんなディープなネタは車両史編さん会くらいしか書かないと思うw
JTBの鋼製客車は良い本だけど、昔の誠文堂ガイドブック的な本だから。
- 29 :
- >>28
書いている内容からして20系にお詳しい方と推察するので、ご存知かもしれないけど
・マニ20窓増設:S44年年末の電源車火災後,、緊急処置的に実施した説が有力
模型の客車スレでS44年8月撮影の写真は改造前との情報あり
・初期車非常口改造:手元の最近10年の国鉄車両という本では
ナハ20・ナハフ20・ナハフ21・ナロ20についてS36年度の実施との記述あり
その他の車種は不明
・カニ22 51パンタ撤去:はやぶさ新設のS35年7月に電装解除したんじゃないかな?
はやぶさの基本編成は3本必要で所定のマニ20だけだと予備車が設定できないので
- 30 :
- マニ20の窓は(3両しかないのに)位置も大きさもバラバラだからな
緊急に突貫工事で開けたという説は正解かも
- 31 :
- >>29
確かにMGと関連機器を撤去したがしばらくの間パンタだけ残ってた >カニ22 51
- 32 :
- >>26
有難うございます。
電磁ブレーキを使わない限りは95km/hということですね。
EF58の山陽ブルトレも100km/hでは無かったと。
- 33 :
- >>31
35年なら、カニ22 51も将来的に電装復活させる方針だったからね。
- 34 :
- 山陽本線全線電化を見据えて製造したカニ22が、実際に電化が完成した年に
方針転換で製造されなくなったのはなんとも皮肉
- 35 :
- >>34
当初は20系を東京-九州各地への寝台特急専用と計画していたのだが、
その後東北など全国展開する方向に変わったからね。
山陽線の電化が完成した39年だと、幹線でも非電化区間が多かった時代だし、
みずほの時に若干軽量化したとはいえ、MG付カニ22はとにかく重い車だった。
- 36 :
- >>35
>MG付カニ22はとにかく重い車だった。
最近ピクトリアル誌のアーカイブスを読んで、64トンもあったと初めて知りました。
建設規定にある客貨車の軸重制限、1軸14トンに抵触するので、「機関車に準ずる」
という扱いにして制限を免れたそうですね。
- 37 :
- >>14
25型置き換え前ギリギリで乗れた。その時のあさかぜ下り1号のナロネ22は1両。
昭和53年年明け直後のせいか乗車率が良くなく、翌朝朝食摂りに食堂車行ったら防府付近で
もう閉店してた。何となく九州ブルトレの行く末が暗い感じがした。
- 38 :
- >>34
発案者が発案者とはいえ明らかに思いつきでやってしまった感がある >カニ22
- 39 :
- 集電器を降ろした後のゆうづる・あけぼの運用についたカニ22も味がある
所でEF61は本務機としても補機としても牽引歴があるんだな
- 40 :
- >>31
某所で、試運転ではなさそうな(車両の汚れより判断)カニ22パンタ付「はやぶさ」の
写真を見たことがあるのだが、そういう理由だったのか、情報ありがとう
- 41 :
- 子供の頃、持っていた鉄道図鑑に描かれたさまざまな列車のイラストのひとつに、カニ22
が<さくら>のテールマークを掲げ、パンタを上げて走っている姿があった。
正確には、並んでいるイラスト中、唯一“後追い”構図の“走り去る”姿だったわけだが、
消防の自分は、てっきりそれが後ろに連なる客車と一体化したスタイルの、珍しい機関車
だと信じていたっけ。
- 42 :
- 鋼製客車Uは写真と図面に押されて文は比較的簡素也。無論マニ20の彼の詳細も無し
- 43 :
- すみません。教えてください。
新幹線博多開業直前期の
「殿様あさかぜ」の編成はこれでよかったでしょうか…。
特に食堂車の前後の記憶があやしいので
間違っていたらご指摘または修正をお願いします。
↑博多方
**.カニ21
01.ナロネ20
02.ナロネ22
03.ナロネ22
04.ナロネ22
05.ナロネ21
06.ナロ20
07.ナシ20
08.ナハネ20
09.ナハネ20
10.ナハネ20
11.ナハネ20
12.ナハネ20
13.ナハネ20
14.ナハネフ22
↓東京方
- 44 :
- >>43
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%81%95%E3%81%8B%E3%81%9C_(%E5%88%97%E8%BB%8A)#19720715
- 45 :
- >>43
食堂利用者の利便性を考慮して、43年に(6)ナハネ20・(7)ナロ20・(8)ナシ20とされている
47年にあさかぜ以外の編成統一を理由に(3)(4)のナロネ21がナロネ22に変更されているけど
食堂車の位置は(8)のままで変わっていないと思う
- 46 :
- >>44-45 ありがとうございます。
>>43のような「綺麗な??」編成ではなくて、
B寝台車が1両だけ食堂車の博多方に飛び出していた記憶も若干あったりして、
でもグリーン車があればそんなはずもないしなぁとも思っていたりして、
ずっとモヤモヤしていました。
特に45さんの解説がわかりやすかったです。
(ただ、編成の中央という意味なら、7号車でも8号車でもよいような気もするのですが…。)
これですっきりしました。
重ねてありがとうございます。
昭和47年7月改正といえば、総武線の東京乗り入れの改正時ですね。
ブルトレのダイヤ改正時をわざと外して、逆に夏期輸送に備えて、
編成の変更を実施したのかなぁと、勝手ながら想定してしまいました。
- 47 :
- >>45
編成統一もそうだけど、あさかぜ以外のナロネ22の利用率の低さ、
(特に「あかつき」)も理由の一つとしてあったかと
- 48 :
- >>41
オレは現役時代生で見て無いんで交通科学館ので興味持ったな
- 49 :
- ナハフ20はその後ナハネフ20、ナハネフ22に改造されたそうですが、両者の改造内容
の違いが、手近にある資料からは今ひとつよくわかりません。
私が思うに
展望デッキの窓が平面ガラスで構成された初期のナハフ20からの改造→ナハネフ20
展望デッキの窓が曲面ガラスになったナハフ20からの改造→ナハネフ22
かと思うのですが、いかがでしょうか?
- 50 :
- >>49
ナハネフ20はナハフの窓割り2個分を寝台1区画に割り当てて改造した形式。
22よりシートピッチが広く定員が6名少ない。
一部の窓埋めとトイレ&洗面台の増設でナハフ時代とは多少外観が異なる。
ナハネフ22へ改造されたグループは車体を新製してる。
ナハフ21→ナハネフ21も同様な改造で生まれた形式。
- 51 :
- >>50
ありがとうございました。
ナハフ21→ナハネフ21の改造で思い出しましたが、たしかナロ20→ナハネ20
の改造もありましたね。これも車体新製だったんでしょうか?定員48人のナロ
20を、窓割り2個→寝台1区画で改造すると、定員36人と大幅に少なくなって
しまうので…。
- 52 :
- >>49
ナハネフ20 2,3は平面ガラスのナハフ20 2,3から改造で、ナハネフ20時代も平面ガラス
ナハネフ20 4は曲面ガラスのナハフ20 4から改造で、ナハネフ20時代も曲面ガラス
なので曲面ガラスのナハネフ20も存在した
種車が平面ガラスでナハネフ22 500番台になったのは、ナハネフ22改造時に曲面ガラスになっている
ナハフ20からナハネフ20、ナハフ21からナハネフ21「以外」の改造は、台枠・台車再利用で車体新製
一部改造では床下機器の再配置も実施
- 53 :
- >>51
車体は新製してる。ナロ20、ナハ20からの改造車は500番台。
経緯は分からないけどナハフ20 5→ナハネ20 513なんてのも居た。
- 54 :
- >>52>>53
お2人とも詳しく教えていただき、感謝です。
私は、よく線路際で20系ブルートレインを眺めていた70年代前半はまだ小学生
でした。<あさかぜ>に組み込まれたナロ20が子供の目にも異色の存在で注目
していたのですが、(車体新製でない)小窓を連ねた、座席車改造の寝台車の
存在には気付きませんでした。
- 55 :
- >>54
70年代前半の定期列車に限定すると
東海道・山陽筋ではナハネフ21がさくらに(〜72年)、72年以降なら瀬戸に短期間使用されたくらいで
その後は日本海・つるぎ・あけぼの・ゆうづるなど東北筋の運用中心だったので、見る機会が無かったのかと
私も、最後に使用された天の川のナハネフ21しか記憶にありません、ナハネフ20は遂に見る機会がありませんでした
- 56 :
- ナハネフ20は3両(2,3,4)のみで'64-10から富士、'65-10〜'68-9あかつき
'68-10から日本海と'72-10以降つるぎナハネフ21編成の共通運用の後
'75-3改正で運用離脱して廃車されてる。
東海道(米原以東)ではちょっと馴染みが薄かったみたいだね。
- 57 :
- NHK新日本紀行(アーカイブス)で奥羽本線矢立峠のD51三重連やってたが
俺は蒸機よりも陣場駅通過のDD51重連牽引の特急『日本海』に萌え〜
しかもカマの次位の客車が珍しい狭窓車だったし
- 58 :
- >>56
http://blogs.yahoo.co.jp/yaji_747/13883993.html
ナハネフ20は青森時代「ゆうづる」にも入っていた模様。
ブログ主はナハフ20と勘違いなさっているようだけど、洗面所窓の広さ、
撮影した時期平面窓のナハフ20は他形式改造済で存在していなかった、
(最後まで残ったナハフ20 3両は全て曲面窓)
そして何よりもデッキ脇の窓が1箇所埋められているのでナハネフ20で間違いない。
バックサインが雪で埋もれて見えないのが残念。
この時期、本来の所定は「日本海」ナハネフ20・「ゆうづる」ナハネフ22なのだが、
同じ青森所属ということで形式変更があったと思われる。
ただナハネフ20が常に「ゆうづる」に入っていたかどうかは不明。
- 59 :
- >>58
フォローサンクス。上野でナハネフ20とは珍しいね。
- 60 :
- 寝台券買ってナハネフ20だったら当たり?
- 61 :
- 外れではない。少数だしな
- 62 :
- >>59
58です
日本海でナハネフ22を使っている写真も結構残っている。
同じく所定ではマニ20のはずの日本海カニ21の写真もよく見るし、
逆に秋田転属前のマニ20ゆうづるの写真も見たことがある。
所定は所定として、所属区内である程度の融通は効かせていたのだろうな。
- 63 :
- ナハネフ20とかナハネフ21とか、記憶が薄いのですが、
こういう車両が出てきていたのもまさしく国鉄の施策のはざまの車両という感じですね。
きれいさっぱりナハネフ22とナハネフ23に改造されれば、
それはそれでよかったのかもしれませんが…。
同様にナロ20も全車両が寝台車に改造されていてもよかったかもしれませんが…。
まあ、これも過去の歴史でしかないといえば、それまでですが…。
- 64 :
- ナロ20を最後まで残した背景に、出張旅費の関係があるとピクに書いてあったが
重役はB寝台に乗せられなかったのだろうな。
- 65 :
- >>64
国家公務員の出張旅費の場合、昭和54年頃までは係長以上の役職は国鉄グリーン料金が支給されていた。
因みに現在は中央省庁の課長以上、地方局なら局長以上でないとG料金は支給されない。
- 66 :
- >>64
重役はA寝台にもB寝台にも乗れなかったのか…。
個室はともあれ、解放のA寝台にも乗れなかったのは
さすがにお気の毒ではあるような気がしますね。
まあこういう時代もやがて航空が当たり前になってきて、
悩むまでもないことになるのだが…。
- 67 :
- >>63
計画当初は全車ナハネフ20・21に改造する予定で計画的に番号を振っていたのだが、
国鉄の保守現場はとにかく異端車を嫌ったからね
ナハネフ22・23と定員の違いもあったので、営業・運用的にも面倒だったのだろう
趣味的には面白い車両なんだけどね
- 68 :
- システム屋の俺としてはゆうづるにナハネフ20入れる日の寝台券の
マルスのデータ変更をどうしていたか激しく気になるところ。
ってかこういう変則運用が多いから昔は指定券類は1週間前
発売だったのか?
ナハネフ20、ナハネフ21は趣味的には面白いが職業的には
嫌過ぎる〜
- 69 :
- >>68
発売日云々以前に定員の少ない方に合わせてれば問題ないかと。
- 70 :
- >>68
ナハネフ20の定員基準で座席データを作成。
ナハネフ22充当時は差分を調整用とする。
てな感じ。
- 71 :
- ナハネフ20は、大阪駅で見た事がある程度で、車内を見る機会は遂にありませんでしたが、車内の寝台部分や、
窓が埋められた箇所の写真は見かけないですね。
実際に乗ると、寝台区画は、相当広く感じられたのかもしれません。
- 72 :
- >>64
短距離利用客の為に残したと言われてる。
- 73 :
- >>67 ありがとうございます。
後述の>>68さんもおっしゃっていますが、
異端児が生まれるのは困ったことですよね。
趣味的にはユニークで面白いのかもしれませんが。
まあこれも歴史上の一ページとしか言いようがないのですが…。
- 74 :
- >>72
そんなあなたにナハ21
- 75 :
- 20系客車の異端車というか、正確には20系客車とは言えないのでしょうが、
旧型客車を改造したマヤ20という電源車がありましたね。
あれの種車なのですが、資料により「スハ32」と書かれていたり「オハシ30」
と書かれていたりするのですが、どちらが正しいのでしょうか?
あるいは、スハ32→オハシ30→マヤ20かとも思ったのですが、確かオハシ30
の種車はオハ35だったと記憶しているので、これは違うかと思います。
- 76 :
- >>75
オハシ30改造車→マヤ20 0番台
スハ32改造車→マヤ20 10番台
なのでどちらも正解
- 77 :
- >>75
どちらも正しい
マヤ20- 1 (←オハシ30-4)
マヤ20- 2 (←オハシ30-2005)
マヤ20- 3 (←スハ32-2278)
マヤ20-10 (←スハ32-2612)
マヤ20-11 (←スハ32-2787)
マヤ20-12 (←スハ32-2197)
>>76
0番代と10番代の違いは給電容量の違い(0番代が125kVA × 2、10番代が165kVA × 2)と車内レイアウトの違い
によるものであって、種車の違いによるものではない
- 78 :
- >>75
オハシ30の種車は1〜3がオハ35、4,5が進駐軍用のオシ31(スハ32改造)。
マヤ20 1,2は元オシ31のオハシ30から改造された。
>>76
0番台で最初に改造された2両はオハシ30が種車だが、2回目に改造された
マヤ20 3の種車はスハ32。
マヤ20 10番台の種車は、10〜12の3両共に種車はスハ32。
- 79 :
- リロードしてなかった、スマソ
- 80 :
- >>78-79
ドンマイ
- 81 :
- マヤ20 の0番台と10番台ではDGの設置場所が異なるが、
0番台では厨房設備や食堂室部分だった箇所にDGを設置して
普通車部分はあまり手を加えなかったらしいね。
そのため重量が片方に寄ってしまい、10番台ではそれを是正するために
DGを車体中央に持っていったとのこと。
- 82 :
- 皆さん詳しく教えていただきありがとうございます。
小学生の頃マヤ20の写真を何かの本で見て、その異様な姿にびっくりしたものです。
もっとも、“異様な姿”にさらにびっくりしたのは、その後中学生の頃、これも何か
に載っていた、セノハチ越えの急行列車の電車と補機の間にコンバーターとして連結
されていた、旧型客車改造の職用車です。
形式は忘れてしまいましたが、古めかしい客車が電車と同じ湘南色をまとったに姿は、
マヤ20を上回るインパクトがありました。
スレ違いなのでsageておきます。
- 83 :
- カニ25
カヤ27
歴史は繰り返す
- 84 :
- >>82
153系6M6T12連が瀬野八越えのために補機EF61やEF60特急色を連結するにあたって中間連結器がわりに
間に入っていたダブルルーフで湘南色のオヤ35だな
オヤ35-1 (←スロハフ31-6)
オヤ35-2 (←スロハフ31-13)
>>83
マニ24-500ってのもあった
- 85 :
- マヤ20はバックサイン周りが異質だな
- 86 :
- >>85
ナハネフ23やナハフ21辺りと同じ要領で設定したんだろうが、如何せん中間車からの改造だったからな。スハフ42みたいに緩急車からの改造なら少しはましだったんだろうが>マヤ20。
- 87 :
- >>86
言ってることがよく判らないんだが
- 88 :
- >86サンは後方監視窓が無いのが不満だと云ってるのかな?
- 89 :
- >>87
丸妻と切妻の違いを言いたいのかと思った
緩急車のスハフ32から改造しても、多分同じ形状になるしw
マヤ20のバックサインは、切妻のナハフ21に合わす為の無理矢理感は否めない
- 90 :
- せめて模型の世界だけでも、スハフ43やオハニ36みたく立派な
バックサイン付けてやりたいね>マヤ20
- 91 :
- スハフ43につけていたバックサインってなんていう列車ですか。
- 92 :
- >>91
「さくら」「かもめ」「はつかり」
- 93 :
- スハフ43 10番台も含めるなら「みずほ」
- 94 :
- >>43
ttp://www.noble-joker.com/nj_home/@4henseihyou/henseihyou_4/asakaze1.htm
ttp://www.noble-joker.com/nj_home/@4henseihyou/henseihyou_4/asakaze2.htm
- 95 :
- 動くホテル、動くブルートレイン
- 96 :
- ブルートレインが動くのは当り前ではないかw
- 97 :
- ナハフ20の曲面ガラスだけれど星さんの本見ると初期車両作った時点でも
技術的には可能ではあったみたいだね。こだまの20系電車のクハのほうが垂直方向
にも曲がってるからこっちの方が難しかったらしい。
どちらかというと予算の問題であさかぜの好調で予算を通しやすくなった
とか。もっとも技術がこなれて安くなったと言う点があったのかもしれないけど。
- 98 :
- 名鉄7000系も曲面ガラスにする構想もあったようだが
結局は平面ガラスでデビュー
新幹線0系も試作車は曲面ガラスだったが量産車は平面ガラス
スレ違いゴメソ
- 99 :
- 曲面ガラスの製造技術はあっても、量産レベルまで追いついていなかったとか、
強度的に問題があったとかいろんな事情が読み取れて興味深いですね。
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