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現代中国語を学んでから漢文を学ぶべき


1 :2012/02/18 〜 最終レス :2013/09/08
今のやり方はおかしい

2 :
>>1
*          ∧_∧      *
      ‐――と(´・ω・`)   *   
 *      ― ‐/  と_ノ
     ダッ  / /⌒ソ      *
   *   Σ.-'´      *
         ∧_∧
        (´・ω・`)
        (m9  つ
        /    )
       ..( / ̄∪
      ∧_∧
.     (´・ω・`)つ ☆ペチペチ
      と_,、⌒) )
        (_ ノノ

3 :
>>1
もうちょっと具体的に説明してくれないと賛同も反論もできん

4 :
べつに中国語は必要ないけれど、お経みたいに音読みで通読してから訓読するとかは
やったほうがいいような気もするな
基本は漢音だから多くのお経の読み方である呉音とはずいぶん響きが違うんだよね
言葉の並び順とか文のリズムを肌でつかむという意味ではけっこういいと思う

5 :
この問題は常にどの発音でってのが議論の焦点になり、
訓読派はそれをもってして「ほらな、やっぱり訓読でいいんだよ」と思考停止を告白する。
ラテン語の発音にはいろいろ違いはあっても、
返り点つけて翻訳してその訳文でようやく文意を取ってるやつが
「これが正統」とかいってる事例があるのかと問いたい。
発音は何であれ直読に賛成。
訓読を撤廃せよとはいわないが、訓読は漢文の読解法としてはあくまでも便宜上のものであると
わきまえるべき。
日本での漢籍の受容について考えるにはそれなりに研究に値する方法であるとはおもうが。

6 :
インテリの中国人は現代語の表現に古典的な表現を混ぜて使ったりするからね。
日本語の漢字音は大体唐あたりの発音がベースなんだけど、漢あたりの発音とは全然違う。
中国の漢字辞典だと時代(王朝)ごとに細かく分かれていたりする。

7 :
>>4
「基本は漢音」とか簡単に言うけどさ、漢音って今の日本の慣用音とかなり違うよ?
たとえば「話」「語」「十」「善」「技」「自」「尿」とか、全部スラスラ漢音で読めるの?

8 :
>>7
「基本は」って意味わかる?

9 :
>>8
「話」「語」「十」「善」「技」「自」「尿」、すべて基本的な漢字だけど。
まあ君の頭にとっては難しい漢字だったんだね。

10 :
漢文の素読は漢音に慣用音を混ぜるだけでいいと思うな
馴染みのない漢音は使わなくていい
知ったか自慢くんはとっととウンチク書けば褒めてもらえると思うよw

11 :
>>10
では具体的に、どの漢字は漢音、どの漢字は慣用音で読むべきかをご教示願おう。
まずは上記の例から:「話」「語」「十」「善」「技」「自」「尿」(まだまだ続くよ)。
また、漢音・慣用音で読む基準も示してもらおうか。
「基本は」の意味を明確にするのはなかなか大変だぜ。
俺は 全 部 漢音で読むけど、それを自慢して褒めてもらおうなどと思ってないよ。
現実的な「漢音読み」というのがどのようなものか、楽しみに聞かせてもらうよ。

12 :
>>7のレスを読んで、漢和辞典で漢音を調べてみたんだけど
びっくりしました。
話:ワ(慣用音)カイ(クヮイ)(漢音)
語:ゴ(呉音)ギョ(漢音)
十:ジュウ(呉音)シュウ(シフ)(漢音)
善:ゼン(呉音)
技:ギ(呉音)
自:ジ(呉音)シ(漢音)
尿:ニョウ(ネウ)呉音
自分は、>>10じゃないけど、漢字は不得意な方ではないはずなんだけど
こんなに漢音ってあまり使われてないって事初めて知った。
ていうか、「漢音」の読み方なんてどこで覚えるんですか・・
何かよく分からない「漢音」覚えるんだったら中国語の読み方覚えた方がマシかも
とか思っちゃいました・・。

13 :
漢文は全部訓読みにすべきだろ。

14 :
古語には当時の母語話者による発音(古音)が実在した。
しかし古音は言語によっては現代人には不明のものもあるし、時代によって変遷している。
また外国人は古音の行われた当時から、古音から逸脱した発音(古外国音)を使っていた。
現代語の発音を用いず、ある文献の書かれた当時の母語話者による発音(当代音)を現代人も用いるべきという立場を仮に「当代音主義」と呼ぶ。
当代音主義は実際には、古音の変遷と古外国音の存在を無視し、ある一時代の古音を特権的に正統視するということをやってのけている。
たとえば漢文を中古音で発音する人は、中古音が隋唐時代の発音であることは知っていながら、それを使って宋や元の文章を読む。
文献の成立した当時の発音を厳密に守るならば、時代ごとに発音を変えねばなるまい。
また中古音で発音する人は日本漢文にも中古音を用いるかもしれない。
日本漢文は基本的には日本の中だけで流布したものであり、日本漢文については当代音主義に照らせば日本漢字音が用いられるべきだろう。
しかしながら、読む文献ごとに毎回発音を変えるのは実用的でなく、音韻史の知識を必要とするので、それができるのは一部の研究者レベルの人間に限られてしまう。
そこで当代音主義は、本来多数の発音を用いるべきなのに古音を一種類もってきてそれを統一的に使うという中途半端さをまぬかれない。
「漢詩の韻の響きは日本語で音読しても分からない」などといって中古音を使う人は、
清の人がどんな発音で唐詩三百首を読んだか忘れてしまっている愚かな人なのだ。

15 :
古語を読む際に今われわれの用いている現代語の発音――漢文の場合は普通話の発音だが――を使うことを主張する人がいる。
これを仮に「現代音主義」と呼ぶ。当代音主義に破綻と呼びうる点があるのと同じように、現代音主義にも問題がある。
それは、外国語も含めた各言語・方言の発音の中でどれが特権的に用いられるかという問題だ。
漢文の場合、そもそもなぜ普通話で読むことになっているのか。
普通話の元となった北方方言は、中国語の一子孫にすぎない。客家にしろ呉にしろ粤にしろ、多くの発音がありうる。
その中でなぜ普通話なのか。それは、中国で標準語として使用されているのがこの発音だからだ。
普通話がほかのものよりも発音しやすいとか、人気投票で一位をとったとか、そういったことではない。
普通話の歴史は近代から始まるが、近現代に政治的な理由で採用されたにすぎない普通話が、
本来政治とはそれほど関係のない、古語を読むという行為にも遡及的に適用されて、それが正統視されている。
これは恣意的という点では、当代音主義に優るとも劣らない。
「日本語でお経みたいに音読するよりも中国語で読むべきなんだよ」などと言って普通話で発音する人は、
「中国語」なるものが所与の、当然のものと思っている愚かな人なのだ。

16 :
そこで中古音も、普通話音も、現代の日本漢字音も漢文を読むのに用いる音として貴賎はない。
が、前三者あるいはそれ以外の発音が乱立するのはよろしくない。
複数人が漢文について語ったり読んだりする際にバラバラだと不便であるし、万人に三者とも教えるのは教育面で負担になる。
そのため貴賎はないが秩序は必要だ。個人的にはほとんど現状維持の形として以下のように考える。
・日本人が使いなれている現代の日本漢字音をデフォルトとし、日本漢字音だけで用が足せるようにする。
・専門家または好事家はプラスαとして中古音や普通話音なども使えればより望ましい。
・日本漢字音だけ使う人が見下されたり、普通話音を使うほうがステータスが高いとするような風潮は作らないように務める。逆もしかり。

17 :
現在も漢文を読む際にはあえて一般的でない漢音を使うのをよしとする人がいるようだが、自分に言わせれば徒労の類だ。
呉音と漢音は所詮入ってきた時期のちがいに過ぎない。
平安時代には長安のいと今めかしきトレンディーな発音として漢音をたっとぶ風潮もあったようだが、
現代人から見ればどちらも昔のこと、昔の人の感覚を引きずらなくてよい。
慣用的な発音ですべてやれとまでは言わないが、呉音が一般的なものは呉音を使うのがよいと考える。

18 :
>>5
そもそも古文を読む意味とは何か?それは古文に書かれている知識を得ることだろう。いわば文は花、知は蜜だ。
蝶は花から蜜を吸えればいいのであって花そのものにこだわりはしない。
古文を訓読によって読解でき、知識が得られるのならばそれで何も問題ないではないか。
音読のほうが訓読よりもより精確に知識が得られるなら音読が上だといえる。しかしそうではあるまい。
訓読は便宜上のものであることは認める。
だがそもそも何かを読むこととはすべて便宜のためだ。自分はそう考える。

19 :
自分は「漢文訓読は日本の貴重な文化的遺産だ」という趣旨の訓読賛美にはくみしない。
刀の持つ、人を殺せるということの価値と、刃の模様が美しいだとか切っ先の反りがどうこうとかいうことの価値は
同列にはあつかえない。価値のレベルが異なる。
訓読が賛美されるときは、日本語の文体に及ぼした影響だとかそういった、上でいう後者に属する価値が持ち出され、
これだけスムーズに訳文ができます、これだけ緻密な方法ですといったたぐいのことはアピールされない。
それはいかがなものか、最初に言うべきは翻訳術としての優秀さではないのかと思う。
また、漢文訓読体に対してある種の美を見出して持ちあげることにもくみしない。
漢文訓読体を懐古趣味とかマッチョイズムに結びつけて、
「今の(若い)人は古典を学ばなくなった。また漢文のもつ簡潔さ、力強さを吸収していないから、
 現代人の書く文章は軟弱になってしまった。古典教育、特に漢文教育を充実させて古典的教養を取りもどせ」という趣旨のことを
言う人は漢文に夢見すぎだと思う。

20 :
>>14-16に完全に同意。
ただ、>>17には言いたいことがある。
俺は日本の漢音で読んでいるが、その動機は、別に人に自慢したいからではない
(そもそもこの平成の御世で漢文を漢音で読んでも自慢になるわけでもない)。
ただ、「基本は」漢音で読むとなると、どれを漢音で、どれを慣用音で読むべきかの基準が分かりにくい。
漢音が全く通用しない「話」、「語」や「百」などなら慣用音になるのかもしれないが、
「無」や「納」、「末」、「未」などのように、漢音が呉音より劣勢とはいえ全く使われていないわけでもない場合はどうなるのか。
劣勢だから無視するのか?劣勢でも採用するのか?
俺はもうそういうことを考えるのが面倒になったから、全て漢音にしようという結論に至ったわけよ。
別に「俺は『話』を『カイ』って発音するんだぜ!すごいだろ!フフン!」とか言いたいからではないんだよね。
なんかそう勘繰る人があまりに多いから言っておくけどさ。
で、漢音に徹すると、それはそれでなかなかいいもんだよ。
「平安時代のトレンディー」とはよく言ったものだと思うけど、その感覚は今の俺たちも受け継いでいると思う。
実際、今まで慣用音でしか知らないと思っていた字を漢音で読んでみると、
何度か口に出した後、これこそが正式な学問の発音とされていたんだということを感じるんだよね。
やっぱり漢音の方が知識人にふさわしい読み方、呉音はよくわからない由来の読み方、と感じる。
それは現代日本語でも日本語に馴染んでいれば、記憶の奥底から感じられてくるものだと思う。
それに、漢音で一貫して読んでいると体系的だしね。
「空」を「コウ」って読むのは最初は違和感があるけど、「腔」「控」とも通じると思うとストンと落ちる。
「情」を「セイ」って読むのも「青」「精」を考えると同じ。
むしろ、体系の異なる読み方をバラバラに採用していると、それはそれで違和感が残ると思う。

21 :
>>12
少し大きめの漢和辞典をしっかり引けば漢音は載っているよ。>>12の手持ちの辞典はあまり良くない気がする。
あと、「中国語の読み方覚えた方がマシ」というのは絶対に間違い。
中国語の読み方を覚えるというのは、四声もきちんと習得するのとセット。
四声抜きの「中国語発音」をしたら、中国人は異様に強い拒否感を示すよ。
で、四声を全て覚えるというのは、今知っている漢字の読み方を 全 て 覚えなおすということ。
そんなの中国に住まない限り絶対に不可能。俺が何年もやってきて無理だったから言っている。
日本人なら、日本の漢音の方が楽に決まっている。四声を覚えなくていいだけでストレスフリー。
俺は上のレスでちょっと極端に読みにくい字を挙げたけど、実際にテキストを読んでいると、
慣用音と異なる読みに遭遇するのは10字に1字の頻度でしかないんだよ。

22 :
>>21
そうなんだ。
でもいちいち漢和辞典引いて調べるのもちょっと面倒というか・・・
自分は何か全部慣用音で読むか、
もちろん四声込みで中国語で読むか
どちらかがいいような気がする。
別に四声込みで新たに音を覚えても、そんなに労力は変わらないし、
中国に住まなくても全然できるじゃん。

23 :
中文還是挺好學的,現在中國稱之為白話文~
古漢語很多中國人現在也搞不懂,雖然高中之前要全部學習。
雖然四個聲調,對於日本人來說學習中文還是很有優勢的。

24 :
中國對於沒有四個聲調說話沒有排斥,北京話為普通話
其他地方有地方性方言,方言中並沒有四個聲調。
中國人對非聲調說話方式不排斥,只是可能聽不懂。

25 :
>>23
你的汉语不错

26 :
你是中國人?

27 :
日本人

28 :
なんだ、そういうことだったのか

29 :
>>28
中国語勉強中の日本人だよん

30 :
以后可以多交流~這裡有我的e-mail

31 :
しょせん カンブン は チュウゴクゴ だ から ニホンジン が まなぶ ヒツヨウ は ない。

32 :
原來是這樣,這裡有我的E-mail。可以繼續交流。

33 :
發了兩遍。。悲劇

34 :
中国語

35 :
中國語交流可以找我――matsuyamamiyabi666@hotmail.com

36 :
普通話で漢文を読んでもいい
古代の日本語だって今と発音が違うんだよ
でも現代語の発音で古文を読んでいる
古代の日本語は
母音が8種類
サ行をチャ行で発音
ハ行をパ行で発音
だった

37 :
高校国語教師の資格とろうとしているんだけど
やっぱり>>12みたいなのをマスターしないと駄目なの?

38 :
>>37
多分必要ないと思う。
漢字検定とかだって、漢音と呉音の区別とかないし。

39 :
>>38
サンクス。良かった。

40 :
>>36
>普通話で漢文を読んでもいい
「普通話で読んでもいい」というのは同意するが、「普通話でないとダメだ」と喚く奴がウザい。
普通話でもいいし、日本語の音読みでもいい。それだけ。
>>37
マスターする必要はないけど、呉音と漢音の法則みたいなのは知っておいた方がいいと思う。
いやしくも国語を教えるなら、日本人が漢字の読み方とどう格闘してきたかの歴史は知っておくべき。

41 :
漢文(旧漢字)にピンインが記されたもの(できればCD付き)が欲しいんだけど
そういうのって日本で手に入る?北京とか台北に行けば売ってるかな?

42 :
>>41
自分は前に中国のamazonで通販で購入した事も有るけど、
北京や上海の大きな書店や、
後意外と空港内の書店でも売ってました。

43 :
中国のamazonで買うと、本代より送料が高かったりするから要注意

44 :
私は中国人です.日本の皆さんよろしくね!

45 :
>>44
请多多关照

46 :
請多關照

47 :
中国人が中国語教えてくれる(非営利団体)
lang.alpha-lab.info

48 :
実は私の日本語は下手です,でも何が問題あるなら,教えてもいいよ.你們能說漢語嗎?

49 :
我能说汉语一点儿.

50 :
、ス、ヲ、ォ」ャ、チ、ハ、゚、ヒ。クホメトワヒオココモ・サオ羞罍ケ、ク、网ハ、ッ、ヌ」ャ。クホメトワヒオメサオ羞羲コモ・ケ、ウ、・マユス筅ヌ、ケ、陬ョ

51 :
>>50
文字化けしてる

52 :
>>21
シナチベット語の四つの声調を勝手に「四声」と言っているだけで
漢文の四声とは別物だよ。
中国語(満州語漢字音)に本物の四声あるはずないよ、
漢文とは繋がりが全く無い別言語なのだから。

53 :
>>52
またお前か

54 :
>>41
つ CDブック 唐詩一百首(中華書店)
http://www.chuka-shoten.co.jp/69_227.html

55 :
>>53
ワロタww
おいらもそう思った。

56 :
>>53
中国語声調:チベット語声調
一声≒高平調、
二声≒低昇調
三声≠低昇降調
四声≒高降調

57 :
>>56
もういいって

58 :
しつこいしスレチですな

59 :
在日中国人に聞いたら中国語と漢文の読解力は関係ないと言っていた。
漢文は後ろから読むからでしょ?

60 :
漢文は後ろから読むってどういう意味?

61 :
緻祢遐葩←読める方いませんか?

62 :
>>52
中国語と漢文が関係ないって言うのは岡田の説でしょう。
間違いだらけの漢文って本を読んでみな。

63 :
北方民族の影響でアルタイ語化
英語の文法を参考にする
日本語の漢字語を取り入れる
ことは事実ではあるものの、白話がベースになって普通話ができたことは明らか。
よって漢文と現代中国語が関係ないというのはウソ。

64 :
緻祢遐葩←読める方いませんか?

65 :
>>64
祢以外は見たこと無いな
文字化けっぽい?

66 :
>>63
白話と漢文を一緒にしちゃいかんよ。
「白話,即淺白、通俗的語言,是一個不正式、不規範的名稱」
何を指すか定義も何もないのだから。
満州族が話していた「白話」が「普通話」になったと言うなら同意

67 :
>>44.的中国人
「民可使由之。不可使知之。」
请您用现代汉语解释一下。

68 :
>>67
虽然我不是44楼但是我想说一下
我觉得你肯定非常明白这句话的意思,给看不懂的人解释一下:
国家统治人民,指使驱ー他们去做事就行了,不要让他们明白在做什么。
这话跟老子说过的那句
是以圣人之治:虚其心,实其腹,弱其志,强其骨。常使民无知无欲,使夫智者不敢为也。
颇有些相似~这些观点都是给古代的统治者看的
当然对现代统治者也有借鉴意义,中国确实不是政治很公开的国家
但我相信别的国家也是一样的,国家机器不愿意让国民知道的,国民也一定不会那么容易知道
不只是中国而已。
儒家的思想我不太了解,虽然我出生在孔孟之乡山东
道家思想却是略知一二,但是古人的思想主旨都是教人向善~
只此一句想要攻击的话,有些偏颇了

69 :
>>68
你的回答是没错的。
很遗憾、日本的知识分子用大考的训读法把它翻成「由らしむべし、知らしむ
べからず。」、(即;听从官的指示即可、不必通知给一般群众。)
虽然孔孟思想颇有古怪之处、但吉田松陰的孟子思想給「明治維新」帯来了
第一个推动力。特对孟子告子下篇「天将降大任是人也〜」、我认为它是
代表古今中外的名言之一。



70 :
逝者如斯夫,不舍昼夜

71 :
>>66
普通話は何もないところから突然発生したとでも?
紅楼夢なんかも現代中国語で読めるらしいし。
普通話に古典的表現を混ぜて使うこともあるよね。

72 :
>>70 東方佳人
「一日克己復禮、天下歸仁焉。 為仁由己、而由人乎哉。」
请解释一下。

73 :
>>72
你自己都明白为啥还让我解释~~

74 :
>>73 雅嬢
因訓読法的影響、如>>69所述、有些部分、日本知識分子不懂真正的意思。
如果可以、請解譯一下。

75 :
>>74
克制自己,按照礼的要求去做,这就是仁。你一旦这样克制自己,按照礼的要求去做了,天下的人就都赞许你是仁人了。实行仁コ,在于自己,难道还在于别人吗?

76 :
>>75 雅嬢
你対「一日克己復禮、天下歸仁焉。為仁由己、而由人乎哉。」的解释、不是100%正确的。
一日=一段時間  下歸(XIA KUI)=賜  為=make  由=going through
請再想一遍。



77 :
>>76
我对儒家思想真心不感冒啊T_T而且我觉得翻译不需要逐字逐句,有时候也要体会古文的意境
比如古诗古词中描写情感相思的句子,如果逐句翻译,意境全无~~

78 :
>>77 浪漫帝克的雅嬢
那、我給你解釈一下。
☆「一日克己復禮、天下歸仁焉。為仁由己、而由人乎哉」
**
你鍛錬自己、克服你自己的自私、拼命学習礼学后、経過一段時間的有一天・・,
恰似老天爺将賜「仁」給你。
在你的体内産生的「仁」、循環在你的身上呢。難道循環在別人的身上吗?
**
参考:「回也、其心三月不違仁」


79 :
>>78
わ,多谢指教~惭愧惭愧~
莫非78さん有在孔子学院学习?嘿嘿
看来我还是罗曼蒂克啊~哈哈~果然不是搞理论的人
搞艺术的人总有些神经大条~

80 :
>>79 罗曼蒂克的雅嬢
很遗憾、我的漢語是在上海名人俱乐部、迪斯科、KTV等噪雑的地方学的呀。
鲁迅曾経説過的・・・拉車売醤之流w  喏、差不多。

81 :
>>80
= =完全不出入这种地方,压力很大

82 :
>>68 >>79 罗曼蒂克的雅嬢 
☆「民可使由之。不可使知之。」
>国家统治人民、指使驱ー他们去做事就行了、不要让他们明白在做什么。

我的译文是如下:
**
你能使他们驱ー去干活儿,可惜不能让他们知道干活儿的意义是什么。
**
参考:童年的孔子是巫女生育的穷儿子,深懂穷人的心情与教育的重要性。


83 :
>>82
不一样吗?

84 :
>>83..罗曼蒂克小姐
从理性认识的角度来分析・・
与从感性认识的角度来分析的不同。
你懂吗?

85 :
没有什么意义

86 :
>>85...罗曼蒂克的少女
@不要让他们明白在做什么。
A不能让他们明白在做什么。
一样吗?

87 :
对我来说没意义~

88 :
咬文嚼字并不是个好现象

89 :
>>88 「ミヤビ」
@ 不要让他们知道报价单上所列商品的製造成本。
A 不能让他们知道报价单上所列商品的製造成本。
一样吗?

90 :
>>88
@ 見積書にある商品の製造原価を客にバラすなよ。
A 見積書にある商品の製造原価を客にバラすなんて、そんなことは出来ません。
同じか?

91 :
╮(╯_╰)╭这跟翻译古文是两码事,你这种做法中文叫做上纲上线

92 :
吾語女;女子不好學其蔽也濫。小人之過也必文。唯女子與小人為難養也。

93 :
原来你还有这种歧视妇女的思想啊~思想真落后

94 :
看来你不仅上纲上线,还没听说过闻道有先后,术业有专攻这句话
“唯女子与小人为难养也,近之则不孙,远之则怨”。(《论语·阳货》。下引《论语》,只注篇名。)
被普遍认为是孔子鄙视妇女和体力劳动者的论据。连海外真心尊崇孔子者也觉得难予讳言
“泛爱众”(《学而》)的“众”自然不分男女,都要“庶之,富之、教之”(《子路》),做到“近者悦,远者来。”
(《子路》)“四方之民襁负其子而至矣”(同上),这从善如流的“四方之民”指的当然是体力劳动者。
正因为发现“性相近”(《阳货》)的每个人的本质一样,人格平等,才能真心诚意地平等待一切人,特别是平等待普通百姓;
既不神化当权者,更不会神化自己。
所以“仁”不是自上而下的恩赐,而是突破“礼不下庶人”(《礼记·曲礼上》)地“道之以コ,齐之以礼”(《为政》)。
不仅“己所不欲,勿施于人”(《颜渊》)。而且“己欲立而立人,己欲达而达人”(《雍也》)。
不仅“有教无类”(《卫灵公》),人人都有受教育权
而且“学而优则仕”(《子张》),人人有参政权,都可以在修身、齐家、治国、平天下的事业中成就君子乃至圣人的人格。

95 :
另外先不说词语理解的问题,我无心学习儒家思想,
北方被儒家思想的隐忍给折磨坏了,我不认为儒家思想全部都是好的
我不原意接受儒家思想是我的自由,而不是我不求上进的表现,
从一开始你就是处处挑衅,又以这一句辱骂我同时鄙视女性
“不让古人是为有志,不让今人是为无量”
当然你认为我是一介无知女子,我做小人就罢了,
这么崇尚儒家思想的你,可是在你自己和小人之间画了一个大大的等号
虽说涵容以待人,恬淡以处世,我的修行还是不够,
现在不会再回复你了,这位打着儒家君子思想的伪君子
不是怕你,是不屑于理你
最后送你一句话
步步占先者必有人挤之,事事争胜者必有人挫之,以情恕人,以理律己。
好自为之

96 :
>>79句聲R、>>94句佞。是故惡佞人。

97 :
汝等之話不合於此串。若欲以漢文相語、宜往下串。
【文言】書くための漢文【将書】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/kobun/1316869332/

98 :
>>97
你是崇拜平安朝的假京極中納言?
你的古代漢語是不地道的。

99 :
学問の中でも、歴史学や史学、あるいは哲学・倫理学、それぞれ扱うテーマ、
分野が違います。1862年アメリカの奴隷解放が起こったという歴史的事実と
「正義」とを比較検討することは不可能です。歴史的な出来事を無条件で
「正義」と同じ土壌に据えて議論することは全く不合理であり、同じ次元の話
ではありません。
 
また#151は、歴史的な出来事を「当然」であるという表現を多々お使いですが、
「当然」と「正義」とはその内容がまったく違う概念です。「当然」、そして
「必然」、「偶然」等は「結果論」や「目的論」というテーマで、認識論の問題
になります。この認識論というのも「哲学」の一分野ですが、幾つかの学派が
あります。
 
 恐らく#151は史学的な分野に明るいのかもしれません。しかし、「正義」など
倫理・道徳の哲学的考察を東洋に広めたのが、#151もご存知のように孔子と孟子
です。既にご存知のことと「推認」いたしますが、孔子は「論語」として、今も
我々に語りかけ、問題提起をしております。
「仁とは何か」「知とは何か」等非常に面白く、きっと#151も「論語」が好きに
なると思いますが、それはあくまでも私の「推認」でございます。
(東京在住 女子大学生) 

100 :
>>94
聖人設教、萬世一系、與日月同輝、與天地同壽、爾悖倫棄禮、妄語瘋言、自甘於禽獸之類、可也、然毋貽笑于聖朝諸君。


101 :
予獨愛蓮之出淤泥而不染,濯清漣而不妖,中通外直,不蔓不枝,香遠益清,亭亭淨植,可遠觀而不可亵玩焉。

102 :

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103 :
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http://lang-8.com/194279/journals/1458567/

104 :
未だに高校生に古文、漢文をやらせる意味が分からない。
この大変な時代に・・・。
英語のスピーキング、代表的なプログラムや計算アルゴリズムを教えるとか、もっと有意義なことを・・。
留学生や外資の社員らは、
「日本人は大学を出るまで10年も英語やってて、
なんで話せないの?」と呆れている。
貴族の趣味みたいに、古典やっている場合ではない。

105 :
得意时信儒家
失意时信道家

106 :
传说祖师和观音菩萨同时看中了一座山,都想在这里享受人间的祭祀。
他们在来仙山的路上相遇,各自说明自己的目的后,二人便商定,谁先到山就归谁。
祖师走得快,先到了仙山,就把自己的神鞭插上山顶,接着查看别的山去了。
观音ー到后,看到祖师的神鞭,很是泄气,但突然有了主意,把自己的绣鞋脱下来一只,埋在祖师的神鞭下面。
不一会祖师回来了,笑着对观音说:“我先到了,神鞭为证。”观音说:“祖师来晚了,神鞭插在我的鞋上了”两人来到山顶,
祖师慧眼一望,神鞭下果然有一只绣鞋,便知道观音刷了滑头,心中有气,却也有理说不出,二话没说拔掉神鞭离山而去,
跟随祖师的护法神王灵官不服,埋怨祖师没有与观音争个明白,祖师说:算了,谁叫咱是个男的呢?言外之意不言而喻。
后来人们在这座山上为观音建了殿堂,又在西南边更高的万家山上建立了更漂亮的祖师庙,
以赞扬祖师宽宏大量的胸怀。还根据祖师对观音的态度,立下一条行事原则:“好男不跟女斗”
从此就在民间流传下来“好男不跟女斗”这句话。

107 :
人生五十愧無功
花木春過夏已中
満室蒼蠅掃難去
起尋禅榻臥清風

108 :
域內無同趣
海外覓知音
避地他鄉客
心生故國情


109 :
風来疎竹、風過而竹不留声。
雁度寒潭、雁去而潭不留影。
故君子、事来而心始現、事去而心随空。

110 :
東京一知事
真是不懂事
吃饱没事做
睁眼做瞎事

111 :
>>104
江戸期〜戦前の古文・漢文教育はしっかりしたものだった。
そんな古文・漢文教育を受けた人々が、明治維新を成し遂げて日本を世界有数の大国に押し上げ、
また戦後の廃墟の中から世界第2の経済大国を築き上げた。
戦後、古文・漢文教育は大きく後退した。
そんな古文・漢文教育を受けた人々が社会の担い手になる1970年代ごろから少子化が始まり、
その後のバブルのあだ花を最後に、経済全体が衰退の一途をたどることになった。
その因果関係を解明することは難しいけど、この事実はもっと噛みしめた方がいい。

112 :
半生行路苦辛身
幾度迎春環送春
節物怱怱留不止
惜花人是戴霜人

113 :
環→還

114 :
現代中国語と漢文の差は激しいアル。

115 :
>>107
>>112
生不逢時 不亦悲乎
樂天知命 淡泊明志

116 :
几回花下坐吹箫,银汉红墙入望遥。
似此星辰非昨夜,为谁风露立中宵。
缠绵思尽抽残茧,宛转心伤剥后蕉。
三五年时三五月,可怜杯酒不曾消。
十六
露槛星房各悄然,江湖秋枕当游仙。
有情皓月怜孤影,无赖闲花照独眠。
结束铅华归少作,屏除丝竹入中年。
茫茫来日愁如海,寄语羲和快着鞭。——黄仲则 《绮怀》

117 :
人生不滿百 常懷千歲憂
晝短苦夜長 何不秉燭遊
為樂當及時 何能待來茲
愚者愛惜費 但為後世嗤
仙人王子喬 難可與等期
——古詩十九首の十五


118 :
現在漢語與古漢語當然差別很大
就像英語,英國人認不得二百年前的英文
好歹一般中國人能基本能認得

119 :
二百年前の英語なら
現代の英国人はほぼ理解できるだろ

120 :
十年生死兩茫茫 不思量 自難忘 千里孤墳 無處話淒涼
縱使相逢應不識 塵滿面 鬢如霜 夜來幽夢忽還鄉 小軒窗 正梳妝
相顧無言 唯有淚千行
料得年年腸斷處 明月夜 短松岡

121 :
>>119
世俗小說應該可以能夠理解
正式書面語就未必能夠理解了吧

122 :
漢詩貼ってるクズはなんなの。
コテまでつけてあらすか。

123 :
まあ、いいんじぁない。
中国人でも、漢詩なんて理解でない人がアルヨ。

124 :
>>123
大多數漢詩可理解

125 :
現代中国語って漢文の後に出来たものだから、漢文読むには必要でないとおもうが。

126 :
高校時代に、長恨歌を習ったが、
中国語で理解するのとは大違い。
中国語では、決まった訳語をあてがうが、
それが重荷になるアル。

127 :
中国語はSVOが基本で前置詞もあると知ったら漢文は読める。
それと、日本人には中国語の古典=漢文のほうが読みやすい。

128 :
漢文をやるのに現代中国語をやるのは必要ない。
古典ギリシャ語をやる人が現代ギリシャ語(笑)をやる必要はないし、
ラテン語をやる人がイタリア語をやる必要はない。
まあこのような現代語をやって損はないけどね。
ただ、ギリシャ語やラテン語は、古典語の発音というものがある程度分かっているし、習得もできるけど、
漢文は古代の中国語の発音を習得することが実質的に不可能なので、
そこでどのような発音で読むべきかが問題。
現代中国語音か。日本語の訓読か、漢音や呉音で読むか。
まあそれは別スレがあるからそっちで論じてくれ。

129 :
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130 :
漢文ってのはあくまで文語であって、口語である現代語(普通話)とは全く違う
古文の勉強に現代語がどれだけ通用するかよりも難しいかもね

131 :
現代中国語でも書面語を学ぶときは、
漢文をある程度かじっていると、非常にとっつきやすいんじゃね?
「之乎者也」とかいう言い回しがあるらしいが

132 :
戦前、戦争当時あたりまでの大人の書いた漢字が達筆すぎて驚いた。
広島の原爆記念館で見たんだけどさ、壁に人探しで住民が記した字がどれも達筆すぎた。
弱点の突きどころがなかったし、書道でいえば5段レベルくらいと感じた。
今の大人は皆へたくそだね。
飲食店とかの手書きメニューとか、警察官が書く切符の字も、
店でもらう領収書の字も、まるで小学生低学年レベルの下手さ。
まあ、俺も書道は初段、検定は4級だし俺も下手だけどね。
今の60歳くらいでもやはり字の劣化は進んでる。
40歳くらいでもっと下手くそ。
20-30歳台はもう話にならん。

133 :
書くものじゃなくて打つものになりつつあるから

134 :
欧州や米州でも同じもんだいが起こった。
タイプライタアやパソコンの普及で、
みんな手書きの字が下手くそになった。
欧文の筆記体はもう書けない人が多いようだ。
みんな手書きにすると、活字体のアルファベットしか書かないそうだ。

135 :
限られた人しか書けないよん♪

136 :
欧米って数字の書き方も形も日本とは明らかに違うよね。
スイスでみる8とか書き順日本と違うし、7は横線入るのが普通だし、
5もひと筆で描いたような感じだし、1は三角帽子みたいになってるし。
アルファベットも日本特有の書き方で、海外とは明らかに違う。

137 :
↓これなのに,在日優先の日本はおかしいだろう?
韓国で日本人に課せられる国家による差別
◆日本人の公務員採用の禁止
◆日本人の国民年金加入の禁止
◆日本人の住民登録の禁止
◆日本人の身分証明書発行の禁止
◆日本人の税金に懲罰的重税
◆日本人の銀行口座、取引、預金、送金、融資の禁止
◆日本人のローンの禁止
◆日本人の生活保護適用の禁止   ←←★

138 :
中国語の「是」は「is」ですね?
なぜ、「これ」に訳するの?
白居易の「対酒」
蝸牛角上爭何事
石火光中寄此身
随富随貧且歡樂
不開口笑是癡人
蝸牛角上何事を爭う
石火光中此の身を寄す
富に随い貧に随うて且く歡楽す
口を開いて笑わざるは是癡人

139 :
>>138
「是」は「これ」という意味であったが、古く「○○、是 ××」(○○、これは××である)という形の言い回しが存在した。
はじめに名詞を出し、直後に是を続けて直接には是を主語として強調を表す。
ややくだってくると、強調の意図はあまりなくこの言い回しを使うようになり、
その後ついにどんなときも是を使うようになって是が「〜である」の意味になった。
是は歴史的には、指示語としての是(古いほうの是)と、
繋辞(専門用語で「〜である」という意味の語をこういう)としての是(新しいほうの是)の二つに分けられる。
このことは今でこそ中国語の常識なのだが、
昔の人はそうではなく、この二つの是についてあまり区別しようという自覚がなかった。
春秋戦国・秦漢では新しいほうの是はまだなかったので、「これ」と読んでいればよく、
それを唐詩などにもそのまま適用して「○○これ××」と読んだわけだ。
意識されていないが、訓読というのは不合理な言いかたがかなり入りこんでいて、是もその一つ。

140 :
訓読というのは中国語→日本語の翻訳だが、
翻訳の際には、中国語では同じ言い方でも、日本語では場合によって訳し分ける必要がある。
たとえば今のできごとを書いている文では、「〜する」、
昔のできごとを書いている文では、「〜した」と訳せねばならない。
「僕はきのうごはんを食べます」という文はおかしい。
古語でもそれは同じことなのだが、訓読ではほとんど常に「〜す」と訳し、「〜き」「〜けり」などを用いない。
これは中国語の原文では区別がないところに、訳者が「〜する」と「〜した」の区別(という情報)を付け足すことを避けるという意図がある。
訓読にはこういう語の意味とか文法とかを無視して原文を機械的に、一対一に訳するバカをやる面を持っている。
時代が時代ゆえにしょうがないとも言えるが、現代人が古人のやったバカをそのまま踏襲するのはこっけいなことだ。

141 :
日本語はとても難しいです!私は少し日本語ができます。
古と今、中国語の「是」。。。は?が?
「XXX是OOO」=「XXXはOOOです」

142 :
「是」は判断や説明を示すに用いる場合が多い。
例え:她是我的朋友。
存在を示すに用いる場合もある。
例え:山上是一片果林。
この場合、「これ」という意味は少し含まれます。
不開口笑是癡人
の「是」は単純に判断を示します。

143 :
>>141
あなたが日本語は言葉と思っていますか?
実は日本語は日本文化の一部、
もちろん、中国語も中国文化の一部です。
英語は単純に言葉です。

144 :
>>140
あんた、漢詩も訓読無しでいきなり現代語役だけで読んでるか?

145 :
漢詩を読む
http://www.mars.dti.ne.jp/itot/chinese-poetry-09-09-26/home.html

146 :
訓読否定する人って、上で言ってるように
漢詩の訓読も否定して、中国語発音or現代日本語訳しか
認めないってこと?
「くにやぶれてさんがあり」とか「しゅんみんあかつきをおぼえず」
とかの読みも否定するの?
あと、頼山陽とか佐藤一斎とかの日本の漢文や漢詩も、
中国語発音or現代日本語訳にすべきって考え?

147 :
音読、訓読、混読は別にいいじゃない?
漢文や漢詩の理解するには
作者の作詞背景を知る必要がある。


148 :
>>146
そこは戦後の有名な中国語学者の倉石武四郎先生の「中国語50年」
などの著作をみると良いかも
倉石先生は、訓読に否定的で、漢詩文は中国語で読むべきという主張をしていたが、
例外的に日本漢文は日本の古典なのだから訓読で良い、とも言っておられた

149 :
意味分からずに般若心経を唱えるより、
「四季の歌」を歌おう。
春を愛する人は 心清き人
すみれの花のような ぼくの友だち
夏を愛する人は 心強き人
岩をくだく波のような ぼくの父親
秋を愛する人は 心深き人
愛を語るハイネのような ぼくの恋人
冬を愛する人は 心広き人
根雪をとかす大地のような ぼくの母親


150 :
律詩も絶句と同じように、
二四不同・二六同・四字目の孤平不可・下三連不可の規則が適用されます。

151 :
俺は訓読も好きだけど、訓読にこだわる連中ってネトウヨ臭いのが多くて困る。

152 :
>>151
そりゃ話が逆で、訓読を否定する人たちに、中国共産党シンパが多かったんだよ。
最近はもちろんそうとは言えないけどな。

153 :
中国共産党シンパやら
ネトウヨやら
まったく関係ない
>>151>>152はバカですw

154 :
訓読は大事だろう。今の日本語は訓読の影響をうけてできている。
訓読を学べば日本語がきれいで深くなる。
ドナルド・キーンが日米の学生を比較して
日本で漢文をアメリカでラテン語を教えなくなって
学生の文章がへたで幼稚になったと言ってた。

155 :
149 名前:名無氏物語 :2012/06/21(木) 03:06:48.10 ID:hvgCZRyE
意味分からずに般若心経を唱えるより、
「四季の歌」を歌おう。
春を愛する人は 心清き人
すみれの花のような ぼくの友だち
夏を愛する人は 心強き人
岩をくだく波のような ぼくの父親
秋を愛する人は 心深き人
愛を語るハイネのような ぼくの恋人
冬を愛する人は 心広き人
根雪をとかす大地のような ぼくの母親

156 :
そう言えば法華経を訓読で読むのはいいかもしれないな
宮沢賢治の詩は法華経訓読の暗記からきてるから
春と修羅
  (mental sketch modified)
心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲(てんごく)模様
(正午の管楽(くわんがく)よりもしげく
 琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾(つばき)し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(風景はなみだにゆすれ)
砕ける雲の眼路(めぢ)をかぎり
 れいろうの天の海には
  聖玻璃(せいはり)の風が行き交ひ
   ZYPRESSEN 春のいちれつ
    くろぐろと光素(エーテル)を吸ひ
     その暗い脚並からは
      天山の雪の稜さへひかるのに
      (かげろふの波と白い偏光)
      まことのことばはうしなはれ
     雲はちぎれてそらをとぶ
    ああかがやきの四月の底を
   はぎしり燃えてゆききする
  おれはひとりの修羅なのだ
  (玉髄の雲がながれて
  ・・・

157 :
>>156
へー

158 :
朝に辭す白帝彩雲の間
千里の江陵一日に還る
兩岸の猿聲啼いて住まず
輕舟已に過ぐ萬重の山

159 :
人跡未踏の白文を解読する学者なら今のシナ語を知っていて当然だが解読済みの
ものを勉強するだけならいらん

160 :
なるほどな。巧いこと言うな。

161 :
「是」の意味も解らないのに、
解読済みwww

162 :
般若心経を解読しよう
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空
度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色
受想行識亦復如是 舎利子 是諸法空相 
不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中   
無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法   
無眼界 乃至無意識界 無無明亦 無無明尽 
乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 
以無所得故 菩提薩 依般若波羅蜜多故  
心無礙 無礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 
究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故   
得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多 
是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪   
能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪日 羯諦 
羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦  菩提薩婆訶 般若心経 

163 :
深知身在情长在,怅望江头江水声。白发未除豪气在,醉吹横笛坐榕明。
  天荒地变吾仍在,花冷山深奈吾何。
  洗竹放教风自在,隔溪看得月分明。
  儿童不解春何在,只向游人多处行。
  开帘一寄平生快,万顷空江着月明。

164 :
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165 :
李白之早发白帝城一诗君参片假名于其中是为何故?

166 :
日本語膠著語文法與漢文差異較大
現代漢語則是一脈相承

167 :
三国志演義を原文でスラスラ読めたら、諸葛亮の交渉術が丸ごと学べるし、
水滸伝を読めれば、中国人の特異な気質がわかる。
但し、スラスラと読めたらの場合だけw
>>67>>96 ミヤビの天敵)

168 :
水滸伝の特異「不打不成交」

其実、人在江湖、身不由己。

169 :
>>82
☆「民可使由之。不可使知之。」
>国家统治人民、指使驱ー他们去做事就行了、不要让他们明白在做什么。
我的译文是如下:
**
你能使他们驱ー去干活儿,可惜不能让他们知道干活儿的意义是什么。
**
参考:童年的孔子是巫女生育的穷儿子,深懂穷人的心情与教育的重要性。
==============================================================
我认为みやび的理解是正确的。“可”在古汉语中甚至在现代汉语中,
表达的乃是允许放任之意。而表达有能力做某事一般用“能”或“会”。例如:
此地不可游泳→ここでは泳ぐわけにはいかない
不能(会)游泳→わたくしは泳ぐことができない
孔子这句话所说的是国家机器的统治方法,大概可以理解为愚民政策。事实上,
关于这句话,中国的学者有着许多不同的理解,也存在争论。不同的断句方法,
会产生不同的意思。“民可使由之,不可使知之”或
“民可使,由之;不可使,知之”
还有“民可,使由之;不可,使知之。”
其中真意不再赘述。

170 :
>>82
愚民政策在什么国家、什么時代都有。
例えば:放射能の安全基準はころころ変わる。
那不是愚民政策吗?

171 :
安全という抽象的な概念と、
放射線量という連続的・定量的な概念とを無理に結び付けた基準なんて
万古不変のものではありえないのは当然のことで。
むしろコロコロ変わることに怒り出す国民が愚民なんだよ。

172 :
愚民政策に洗脳された国民、
当然愚民なんだよね。

173 :
テレビも洗脳力抜群、
一日6時間以上テレビを見る人も愚民です。

174 :
>>169 不雅的IP党
那、你能对古代的「由」如何解释?
(ミヤビ的死对头)
>>170
那 你能否指出论语上涉及到愚民政策的具体章句?
(同上)

175 :
2000年まで住宅金融公庫は「ゆとりローン」という特殊なローンを国民に勧めていた。
住宅を建てるために公庫からお金を貸し付け、最初のころは返済額が低いが、
3段階になっていて徐々に高くなるというローンだ。

176 :
>>174
『由』の意味って、http://dict.baidu.com/s?wd=%D3%C9http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE7Zdic94ZdicB1.htmをご覧くださりませ
3だと思ってる、“顺随、听从、任由”という意味である。
例えば、“信马由缰”“由不得”“信不信由你”って
日本の方によれば、広辞苑によって、

1.よる。もとづく。経る。…より。よって。「由来・由緒ゆいしょ・経由」「由是観之=これによってこれを観みれば」
2.よりどころ。いわれ。わけ。「理由りゆう・事由じゆう」
3.よし。伝言・伝聞の内容。「その由よしを伝える」「お元気の由よしで何よりです」
非常遗憾,贵国对“由”字的理解貌似是不包含“民可使由之”里“由”的意思。
广辞苑上对这句话的解释是
由らしむべし知らしむべからず。
人民を為政者の方策に従わせることはできるが、その理由を理解させることは難しい。
俗に、人民はただ従わせればよく、理由や意図を説明する必要はない。
我认为第二种解释是正确的,「必要はない」。
原因已经说过。“可”字在古汉语中单用一般只表允否,不表能力。只有在个别成形词如“不可思议”中表达能力之意。
理解这句话的关键并非在于『由』字,因为这个字的理解在中国已经形成共识,
存在争议的是『使』这一字。

177 :
>>
下边是题外话,贵国汉文教育中的训读法,有时候会对句子造成曲解。
汉文对于日本人说白了还是一门外语,不去学这门语言的语法,
而是颠倒汉语语序,添加助词,转化为日语古文,并非正道。
比如“有朋自遠方來”,日本人得变成「朋あり遠方より来る」,
我只能说意思有些差别。这种训读法忽视了“自远方来”是“朋”的后置定语,
朋有り、远方より来る,“朋友”这个主语先是“有”,然后“从远方来”,
两套谓语,等于是两句话,其实原意是,有一个从远方来的朋友、遠くから来る友がある。
而中国学生只学“朋=朋友”“自=从”就行了,“有+A+XXXX”是一个常见句式,现代汉语中也有很多用例。
比如,有 一个人 站 在 门口,
有 一人 立 於 門外。
这跟“有朋自远方来”属于同一种句型。
SVO语言和SOV语言差异很大,这种差异会造成思维方式和语言习惯的差别,
不是一个レ点就能解决的问题。
而且日本学习的汉文从先秦到唐宋均有,上古汉语和中古汉语的表达方法有诸多不同,
尤其是在介词上,如果训读时不多加注意,理解偏差是难免的。

178 :
>>174
看了许多日本网站,许多日本人以为现代的中国人都读不了汉文,数典忘祖。
这种思想是完全错误的,中国的教育有比日本高中汉文教育更加复杂的文言文教育,而且会教文言文语法。
日本高中生学完汉文,只能读,而且读不了白文;可中国高中生,读的都是白文,个别水平高的还能用文言文作短文。
在日本人之中「漢文は中国語ではない」「まったく別物だ」等观点尘嚣直上。
我觉得这么想的日本人的中文也就局限于“你最近好吗”的水平,他却不知道还有“近来安否”这一说。
只知道中文里有个“你我他”,却不知道“本人”“在下”“妾身”“尔等”“尊驾”“寒舍”“令堂”之类的。
现代汉语和古汉语一脉相承,现代汉语的书面语中留有大量文言痕迹,包括定语后置等。
但凡是接受过教育的中国人,看到一篇文言文(除非是易经那种),大意是绝对能懂的。
汉文毕竟是“汉”文,还是我们汉族的文学。
我们汉族并没有像你们日本人说的那样胡虏化,满蒙那些少数民族在元清时期和我们根本不通婚,
而且对于满蒙暴徒的强奸,汉族女子有“杀头胎”的习惯,就是杀死第一个生的孩子,以维持华夏血统的纯洁性。
汉人的血统观念,非汉人根本没法想象。不是纯血,根本入不了族谱。
汉人还是以前创造汉字的那个汉人,只不过在满清统治者的愚弄下被毁灭了一部分文化,磨灭了一部分民族精神。
以上都是牢骚,长文见谅。

179 :
>>174
再补充一点,那个ミヤビ嘴上说他对儒家文化没兴趣。不知道他拜不拜祖宗,呵呵。
但是,我不得不说,儒家文化、祖先崇拜、不语怪力乱神已经深深地刻在汉族的灵魂烙印里了,
影响了汉族人这两千多年的行为方式、生活习惯还有人生观、价值观、世界观。
2ch上好多ネット右翼说孔子吃人〜,不知道是真不知道还是故意捏造。
恐怕是鲁迅说过的“封建礼教吃人”→“儒家文化吃人”→“孔子吃人”
还编得煞有介事,一天吃几斤,清蒸还是红烧,让中国人看了真是啼笑皆非。
我本来觉得大和民族是一个值得尊敬的民族,可是这些人这样胡乱捏造,和半岛上那群棒子脑残有何区别呢?
我们中国人现在成天让共产党洗脑,其他国家的人成天让媒体洗脑。
不过有一个区别,共产党那洗脑在中国根本没人信,我们比你们还鄙视CCTV,我们宁可信谣言也不信政府说的话。在我们眼里,共产党=整天胡说八道
而在其他国家,媒体的洗脑还有颇多信徒,整天嚷嚷“チベット大虐杀”的时候,我建议你们去チベット旅游看看,去拉萨问问当地民众。
看看是汉人杀藏人,还是他们藏人杀我们汉人。

180 :
テレビも洗脳力抜群、
一日6時間以上テレビを見る人も愚民です。


181 :
軽く飛びましょう。
政治的な話題を取り上げたら、
喧嘩になるよ、やめましょう。

182 :
八戒偷偷继承师傅的文化
  一大早,沙和尚跑去跟师父说:“师父,昨夜大师兄悟空因头痛闹了一个晚上。”
  唐僧说:“我没念紧箍咒啊。”
  沙和尚说:“二师兄八戒默默地背诵紧箍咒一个晚上。”
  唐僧后悔莫及地说:“都怪我不注意保守绝密文件呀。”
  沙和尚说:“师父,您要追究八戒侵犯您的知识产权。”
  唐僧说:“他是在偷偷继承为师的文化呀。”
  沙和尚说:“悲哀呀,悲哀,我们帮您师父打完工,还要替八戒打工。”

183 :
>>181
すみません、愚痴だけですけど、私は別に政治的な話題が好きじゃないんです。
お許しください。
>>180
だからこそ、かねてよりテレビを見たことは一度もありません。
>>182
尼玛拙计,我没看懂什么意思,

184 :
>>180
日本の方々から聞いたことによって、NHKがCCTVの支社だろう?不思議と思ってる……

185 :
「不思議だと思ってる」。更正する。日本語下手、お許し。

186 :
>>176及IP党
那、你们对古代的「由」如何解释?w
参照「漢語史稿」(上下)王力著。
(ミヤビ的死対头)

187 :
>>186
我不是研究古汉语的专家,我只能按照《古代汉语词典》解释。
而且中国的各领域专家特别喜欢发表一些和别人不一样的奇谈怪论,我认为只有字典才可信。
“由”就是放任、顺从的意思,贵国造的和制汉语“自由”不就是取自“由”的这个意思么?
顺便一提,表示「では」的“那”字不能单独使用断句。要么改成“那么”,要么去掉读点。

188 :
>>186
不过么,比起放任、顺从(allow),可能遵照、听任(follow)更贴切。我觉得这属于近义演化。
诗经里“不愆不忘,率由旧章”也是这个意思。

189 :
>>176及IP党
那、你们对下列的「由」如何解释?w
顺从?w (笑)
居天下之廣居、立天下之正位、行天下之大道。
得志與民由之、不得志獨行其道。
(ミヤビ的死対头)

190 :
>>189
我不是说了么,遵照、跟随、听任更贴切,顺从不太贴切,“顺应”比较好,“顺应时代潮流”里的那个顺应。
说“顺从”你有什么好笑的呢?汉语里“顺从”包括日语里的「従順」的意思,但是不限于此,不要想当然。
汉语里顺从是可以做动词的,有allow的意思,也有follow的意思,和したがう意思有点相近。
不明白日本人学汉文为什么总是抠字眼,一字一句にこだわる,語感才是最重要的。

191 :
>>190
尼玛拙计

192 :
回家去吧!奴才。

193 :
>>190 IP党
那、你对下列的「由」如何解释?w
順应?w (笑)
☆「一日克己復禮、天下歸仁焉。為仁由己、而由人乎哉」
(ミヤビ的死対头)

194 :
班门弄斧是什么意思?

195 :
班門弄斧 :bān mén nòng fǔ
在魯班門前舞弄斧子。比喻在行家面前賣弄本领,不自量力。

196 :
なにやってんだ。
現代中国語ってのも、文言を使う場合が多い。
その現地人でさえ、文言を読めない。
そのことも理解しよう。

197 :

武士道知ってますか?

198 :
てす

199 :
満州語文法入門http://jp.alpha-lab.info/topic-3535-0.html

200 :
支那のような敵国の言葉を学ばせるのは,日本としては間違っている!
【北京時事】日本政府による沖縄県・尖閣諸島(中国名・釣魚島)の国有化に
抗議する反日デモは15日午後も中国各地で続いた。
首都北京の日本大使館前を占拠して展開されたデモの参加者が2万人以上となるなど、
デモの規模は中国全土で異例の規模に拡大。
暴徒化した参加者が日系の百貨店やスーパーを襲撃するケースも相次ぎ、
日中関係のさらなる緊迫化は避けられそうにない情勢だ。
この日の北京のデモは、靖国神社参拝問題などを受けた2005年4月のデモ
(1万人規模)を超え、1972年の日中国交正常化以来最大規模に拡大した。
デモ隊は15日午前、若者らに理性的な行動を求めた公安当局の規制を
振り切って大通りを埋め尽くし、「釣魚島は中国のものだ」
「小日本を打倒しろ」などと気勢を上げた。
石やペットボトルなどを大使館にめがけて投げたり、館内に乱入しよう
としたりするなど暴徒化。
日中関係筋によると、大使館正面に掲げられた
日本国旗が卵か何かで汚され、大使館は国旗を降ろす措置を取った。
このデモ隊に対しては、計2000人以上の武装警察部隊や特殊警察などが
バリケードを築いて配置に就き、激しいもみ合いとなった。
公安当局はデモ沈静化を試みたが混乱は収まらず、
当局がデモを制御できていない状況が浮き彫りとなった。→→→中国政府は潰れればよい。

201 :
>>200
終わってる国の言語を学び、
その古典を学ぶってのも、意義あり。

202 :
>>200
>支那のような敵国の言葉を学ばせるのは,日本としては間違っている!
敵国の言葉を学ばないとこんな分析はできないよ。
毛沢東の肖像画まで登場した反日デモの性質をざっくり考えてみた
http://blogos.com/article/46859/

203 :
☆かつてアジアの覇権を中国にまかせたら、こうなりました。
150年前、アジアの盟主を気取っていた中国ですがあっさり英露仏独葡の植民地になりました。
香港、マカオは100年間も英、葡に支配されていました。
中国は今でも英露仏独葡には頭があがりません。
中国は、周辺国からさんざん貢物を受け取りながらアジアの国々を守れませんでした。
そして英露仏独をアジアから追い出したのは日本なのです。
これらは重要な歴史的事実なのでしっかりと頭の中の入れておかなければなりません。

204 :
「韓国の歴史教科書」でググってみろよ。ハングル語と日本語訳が出てくる。
韓国は、子供の時から、日本を憎むことによって国家意識を養っている国。
日本は金になるから付き合っているだけ。裏では、反日活動に精を出すエゲツナイ国。
■韓国の反日授業 日本人役をやらせて韓国人を殺させる授業

205 :
韓国と全く関係のないスレに出てきて
おもむろに韓国がどうのこうのと喚き出すバカが多いけど
実社会でもこうなんだろうか

206 :
清という異民族に、300年飼い慣らされた民族だ。
こんなすばらしい裏表のある民族の言葉を学ぶことは、
人間の心理を学ぶ材料になる。
ただし、現代中国語を習得するのには、かなりの年月が必要アル。

207 :
「清」は民族名じゃないよ。
それに中国人ってのも民族じゃないし。

208 :
はっきり言って中国人も、漢文読めないアル。
だから、注釈書がいろいろ出てるアル。
中国語を学んでから、古典というのは、意味ないアル。
ただ地道に研究する場合には、
中国語は必須アル。
>>207
そういや、そうだ。
ありがとう。
酔って書いてしまったアル。

209 :
>はっきり言って中国人も、漢文読めないアル。
日本人も古文は読めないと言えば読めない。
http://wenku.baidu.com/view/3884714ae518964bcf847c68.html
http://wenku.baidu.com/view/84f67bef81c758f5f61f672d.html

210 :
>>209
百度のリンクありがとう。
これは、意味も分からずに暗記させるものでしょ。
知識人を貶めた共産党が、古典の価値を認めたかどうかは、
別にして、簡体字で書かれた古典って読みにくい。

211 :
>>1
トンチンカンなスレ立てるな、馬鹿
古代の中国には学ぶべき精神文化があったが
共産党支配の現在の中国には学ぶべき精神文化など一つも無い。
漢文は古代の日本人に影響を与えた中国の精神文化を学ぶことが目的であることを
忘れるな。

212 :
>>211
視姦を禁じる聖書は、視姦する奴が多いからの説法。
同様に、仁義を説く中国古典は、仁義かないからこそ説かれた説法。

213 :
大道廃れて仁義あり、ですね

214 :
>>212
古代中国にはそれを正そうとする思想家と思想集団がいたが
今の中国にはいない。
今の中国は全員がクズだから。

215 :
いまの日本にも孔子教団のような思想家と思想集団なんていないが。

216 :
>>215
日本国民の民度が高く、勤勉だから、そんな集団は必要ない。
そんなことも理解できないのか?
知恵遅れの劣等民族在日チョン(嘲笑)

217 :
>>215
それとも支那猿か?(嘲笑)

218 :
じゃあ論語とか読む必要ないじゃん

219 :
構うなよ
粘着されるよ
漢文扱ってるせいで最近この板に変なコピペとか書き込み増えたな……

220 :
>>218
日本人は古くから論語に親しんできたし、
その影響は日本人の精神に及んでいることが感じ取れないのか?
この知恵遅れ(プッ

221 :
>>220
皮肉だろ

222 :
構うなってレスした直後に絡んでしまった
ごめん

223 :
>>219
まともな意見も主張できない知恵遅れ(プッ
ましなこと言ってみろ、馬鹿(嘲笑)

224 :
>>221-222
論理的思考力ゼロの馬鹿(プッ
どうせ漢文だけでなく、数学もできねえんだろ(爆笑)

225 :
井の中の蛙大海を知らず

226 :
>>1
日本人にとっての古典としての漢文を学ぶ意義を理解していない馬鹿が
こういう戯言をほざく。

227 :
キチガイさんが一匹紛れ込んじゃったね。

228 :
>>227
負け犬の遠吠え(プッ
論理的思考力ゼロの知恵遅れの惨めな醜態(嘲笑)

229 :
有朋自遠方來
不亦樂乎
玉音放送ってのも、
漢文の達人が作ったらしいぜ。
あの文句を理解するにも、かなりの学力が必要だぜ。

230 :
中国語ができれば、人民網・雅虎首頁・中時電子報をサラサラ読める。
例えば、「千隻漁船将赴釣魚島」の出所がどこだかわかる。
古代漢語なんか不要不急だが、「三國演義」の原文は迫力満点。
それを読んだ後に、「三國演義」のDVDを見ると尚更楽しめる。
また、金瓶梅DVDの濃厚エロも宜し。

231 :
玉音放送は、結局戦前の日本が前近代を脱することができなかった象徴みたいなもの。
明晰さ、分かり易さを全力で避け、できるだけ国民に理解されないように書くという倒錯。
敗戦の決断と言う、全国民にとって重要な情報であるのにも関わらず。
結局のところ当時の日本は、言語に対して情報の伝達ではなく、呪術性や権威を求める未開社会だった。

232 :
スレちの投稿する人は大体対人関係もおかしい。

233 :
京都市南区の宗教法人の施設で、
男性信者に集団で暴行を加え死亡させたとして、
京都府警捜査1課と南署は21日、傷害致死容疑で男性の妻ら信者8人を逮捕した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120921-00000153-jij-soci

234 :
宗教いじめ、
学校いじめ、
家庭内暴力、
政治無能。
どうしたらいいの?諸葛孔明に聞く。

235 :
>>230 また、金瓶梅DVDの濃厚エロも宜し。
bitでダウンできるの。
金瓶梅のエロは、
马赛克
あるの。
てな具合で、中国語を知っていると便利なことは便利。

236 :
>>231 玉音放送は、結局戦前の日本が前近代を脱することができなかった象徴みたいなもの。
当時の状況では、仕方ない。
天皇は、神だったわけだから。
神が
戦争負けちゃった
とは言えない。
意味深長な言葉なので、
庶民には全く理解できなかったということは言える。

237 :
>>234
諸葛孔明は易学者です。
易学は陰陽二つの元素の対立と統合により、森羅万象の変化法則を説く。
日本は島国だから、マイナス思考が強い、いじめが流行しやすい。

238 :
>>237
易学は、単純思考とも言えます。
イギリスは、日本の教育制度を取り入れたけど、
日本の方がおかしくなってマース。

239 :
日本の教育制度は師弟関係が欠けている。
教師と生徒は友人関係に近い。

240 :
師弟関係は上下関係であった方がいいと思います。

241 :
>>234
諸葛孔明もいいけど、所詮は負け犬で終わったんで。
>宗教いじめ→宗教なんて信じなきゃいい。信じるのは俺教だけで十分。
学校いじめ→気に入らなかったら学校なんて止めちゃえ。止められないなら
積極的に会話したり勉強してる所を見せて、徹底的に教師に気に入られるようにするとか?
後は色々な手で自分にとって邪魔ないじめっ子を謀略で葬り去ればいいじゃん。
家庭内暴力→まず原因を考える事。それが判ったら本人にきっちり言う事。
信念と誠意が有れば、どんなに荒れてても絶対伝わるものです。そう言う誠意や努力よりも先に
警察や精神病院に売り飛ばすようなことをしてたら一生治りません。
政治無能→豚もおだてれば木に登る。いつ化けるかわからないから、見どころのある人間を見つけたら、いいところを
伸ばすようにしていくしかないです。

242 :
>>235
金瓶梅のDVDは、基本台灣で買うしかない。

243 :
しっかし、漢詩なんて、明代の人たちは、
現地音を信用せずに広韻なんてのを参考にしてたんじゃない。
日本の和歌とは、違うな。

244 :
明どころか宋の時代からすでに口語と漢詩の韻は乖離してたはず

245 :
>明どころか宋の時代からすでに口語と漢詩の韻は乖離してたはず
乖離は当たり前だけど、和歌もそうですよ。

246 :
宗教って、
親子であっても、
教祖が変われば教義も変わる

247 :
>>1
馬鹿丸出し(プッ
漢文は中国語習得の10000分の1以下の時間で
学習できることすら知らない知恵遅れ(嘲笑)
しかも、現在の支那に学ぶべき文化なんてあると思っているのか?(大爆笑)

248 :
>漢文は中国語習得の10000分の1以下の時間で学習できる
大きく出たな…。
お前ホントに漢文読めるのか?

249 :
中国語を学んでもなー
中国人ですら古典音痴だし


250 :
つうか、今のチャンコロたちは紀元前の漢文を勉強してるわけ?

251 :
>>250
不亦乐乎
って
論語にあるけど、今は別の意味になってるな。
紀元前の文は、中国人でさえ分からないアル。
だから、注疏ができたアル。
日本人、優秀アル。

252 :
>>236
明治の知識人は天皇の神格化に危機感をおぼえて
漢語の乱用をつつしむべきだったのではないかとおもう。

253 :
国王崇拝は未開人の習俗だってフレイザーの本に書いてあったな。
王権神授説の時代ならともかく
20世紀の半ばになっても国王の神格化に腐心するような国家は
確かにヨーロッパの近代国家には見られない。


254 :
>>253
アメリカの保守福音派の連中は
共和党の大統領の写真を礼拝堂い飾ってハレルヤとか叫んでる。
大統領崇拝と紙一重だと思うが。

255 :
アイオワで福音派の教会に行った時は大統領の写真なんか無かったぞ。
そもそもハレルヤって大統領の写真に向かって叫ぶものではないと思うw

256 :
>>1
馬鹿丸出し(プッ
漢文は中国語習得の10000分の1以下の時間で
学習できることすら知らない知恵遅れ(嘲笑)
しかも、現在の支那に学ぶべき文化なんてあると思っているのか?(大爆笑)

257 :
特亜系エセ左翼・カルト宗教団体が行っている敵対する人物への組織的な嫌がらせ、集団ストーキング、電磁波悪用による体調不良、マインドコントロールの手口、「集団ストーカー カルト」で検索してください。

258 :
天将降大任于斯人也,必先苦其心志,劳其筋骨,饿其体肤

259 :
>>255
「福音派」ってひとくくりにするが、一枚岩でもなんでもないんだぞ。
中国の地下教会なんてのからみたら、
アメリカの福音派なんざ堕落しきってて教会とは呼べない代物なんだそうだ。

260 :
「20世紀半ばになって国王の神格化に腐心する国家はヨーロッパには見られない」

「アメリカの福音派は大統領の写真を飾ってハレルヤと叫ぶ!」
仮にアメリカの福音派が一般にそうだとしても反論として的外れだが
>>259のいうごとく福音派の一部に過ぎないのならさらにどうでもいいな

261 :
宗教はなくなる!

262 :
>>230
>古代漢語なんか不要不急だが、「三國演義」の原文は迫力満点。
三国演義ほんとに読んだことあるんなら、古代漢語ある程度やらなきゃと
思うと思うが。

263 :
国家元首を神格化することと、公文書等に漢文訓読を使うかどうかはいちおう、別問題だろ
公文書等に漢文訓読の文体を使ってたのは、権威主義とか、新規参入をしにくくするとか、
まあ洋の東西を問わずありうる現象の一つの表れだろう
英米で法律や契約の文書にラテン語の言い回しが結構あったりするのと同じレベル
また、たとえば江戸期を考えると、やまと言葉・擬古文を重んじて、からごころを排した
本居宣長が天皇崇拝者だったことも想起するべきだろう
それはそうとして、本題に戻すと、自分は漢文も訓読も好きな人間だったが、
現代中国語をかじってきて、最近は、訓読がなんだか嫌になってきたのは事実
中国語の書面語とか古代漢語特有の部分とかをやれば、
論語孟子とか漢詩とか史記とかも中国語でそのまま読んでいった方が
逆にわかりやすくていいんじゃないかと思えてしまう
というわけで、スレの>>1の趣旨にはなんとなく共感を感じる

264 :
現代中国語で漢文を学ぼうにも現状そのための参考書がない。

265 :
>>264
中国、台湾で出てる古代漢語、文言文の教材を使えばいいのでは?
現代中国語は初級程度で、中国語の専門書や文法書なんて読みこなす
ことはできないなんてレベルで古代漢語を始めるなんて、効果が低い。
とはいうものの、太田辰夫のものや或いは中国の漢語研究の大家の
一人、王力の古代漢語の教材は日本語訳もあるけど。それから、
古いところでは藤堂明保のなんかで、古代漢語を読むときのやや
特殊な発音も分かったりする。
>>263
俺は現代中国語から入って古代漢語も読むけど、訓点は前回
どういうふうに読んだかが分かるから、便利かなと最近思ってる。
いい注釈書がたくさんでてるようなのはいいんだけど、
一回読んだ時に、読みこなせてなかったところが2回目、3回目で
分かることもあるから。

266 :
現代中国語を学んで得るものは皆無だけど
漢文で描かれた叡智は学ぶ価値がある

267 :
王力の本って翻訳出てたの?

268 :
燕雀安知鸿鹄之志哉

269 :
しらんなあ

270 :
>>1
ネタにマジレス。
中国語を知らなくても、読めるところに漢文の意味があるんだが。
漢文は、日本の古文や、欧州のラテン語とは違って、文章用に人工的に創られた言語。
昔の中国人だって「漢文」なんか話していなかった。
文字数をケチり、漢字の表意性を最大限に活かしているので、中国語を知らんでも、
漢文法がわかれば読める。
今の日本語文は、日本の古文(仮名文)ではなく、漢文訓読文が元になっている。
日本人が漢文を学ぶのは中国語を覚えるためではなく、日本の古典として。
「国語」の古典の時間に習ってんのに、理解してないヤツ多いなw

271 :
書き下し文とかトリッキーな読み方するわけだし、
すごく変態的な読み方で「他国語」を読んでることは自覚するべき。
たまたま似てるから読めちゃうけどなんとなく読めちゃうのは誤解のもとだね。
このむちゃくちゃをやってるおかしさは学生時代に気付きたかったんだよなw
いくら似てるとはいえ日本人はものすごい発明して、
他言語を日本語として解読したもんだと感心する
中国語は中国語なんだから、中国語からアプローチしたほうが自然だと思う
本来は漢籍なんか大学で専門的にやりゃいいでしょ
まあ上の世代がやってたことやめちゃうと、ゆとりとか言われちゃうから論語くらいは読めてもいいか
韓国とかはどうやって漢文勉強してるんだろ?やらんのかな

272 :
門外漢がスレタイだけ読むと中野清のガッツ漢文を連想する。
読み方が厳密すぎて途中で挫折したけどね。

273 :
門外漢ばかり

274 :
漢文こそ価値あり、現代シナ語なんて3文の価値もない。
王侯将相寧ぞ種あらんや。あとは1陳勝をまつのみ。

275 :
あほがおまえ、
漢文の定義は?

276 :
漢文は、支那人に滅ぼされた周の人の言葉であり、支那人の言葉でない。

277 :
支那人の制する所と為る。亦悲しからずや。

278 :
宋時代の語録を読むと、
ほとんど現代語に近いアル。
そのレベルに達するには、時間かかるアル。
書かれた記号・漢文を解読するには、更にかかるアル。
専門家に任せた方がいいアル。

279 :
言葉は時とともに変化するものであり、
周の人の言葉に拘るのは馬鹿である。

280 :
実際に中国へ行って現地の新聞を読んだ。
結構意味がわかるじゃないか
それで興味を持って
李白、杜甫、韓愈などを読んだ。
結構面白いじゃないか。

281 :
【国際】 韓国 「孔子と孫文は韓国人だ」
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1362699820/

282 :
>>263
それは現代中国語で思考出来るレベルまで語学が上達したからだな
まあ唐代ぐらいまでの古典なら現代中国語をスルーしても日本の漢音と訓読でかなり対応出来るはず

283 :
訓読・語順入れ替えによる文語文への変換というステップを挟むことで、
原文のリズムや語感に対する理解を損なっている部分はあるよね。
中国との直接的な交流がなく中国語が書物の上だけの言語だった時代ならともかく
また異言語間の思考様式の差異に対する認識が希薄だった前近代ならともかく
現代において他国文学を自国語本位に歪曲して読むやり方を墨守することに、
果たして合理性はあるのだろうか。

284 :
>>283
合理性はないけど、国立の教授は、
それで飯を食ってるし、
この訓読文化が、なくなると、
どうなると思う。

285 :
漢文は古代中国語で書かれた古典日本語だ
なのに、古典日本語を学ぶために、最初に現代中国語を学ぶのはナンセンス過ぎるだろw
古代中国語を古代中国語としてやりたい奴だけが中国語を先に学ぶ必要があるだけだ

286 :
過去の日本人が中国語文献を強引に日本語の型に押し込んで摂取してきたことは事実だけど、
それは時代的な制約からそうせざるを得なかっただけで、現代に続ける必然性や合理性に乏しいと思う。
実際に内容を理解するためには中国語文献は中国語として読んだ方が良い。

287 :
例えば現代に我々は、
数学を江戸時代の和算のやり方で学ぶわけではないし、
地理の時間に行基図で日本の地理を教わるわけでもない。
伝統的なやり方が最も合理的なやり方とは限らない。
時代に合わせてより合理的な方法に変えてゆくことが必要だろう

288 :
数学教育と言語教育を同列に論じてよいという証明がいるな。
そして古文漢文を教えなくても日本語と日本人の未来は明るい証明も。

289 :
現代中国語を使ってビジネスをやるなら漢文なんかやらなくても困らない
それと同じく日本人が漢文をやるなら現代中国語をやらないても困らない
結論
日本人が合理的に早く漢文を上達させたいなら現代中国語をやらなくてもいい

290 :
個人的感想だと、漢文習ってたおかげで、現代中国語を学ぶのが捗った
特に現代中国語の文語文を読解するのに素晴らしい威力だった

291 :
>>288
「これまで伝統的にそうしてきた」ことは、それを今後も維持してゆく理由にはならない、ということ。
数学と国語が完全に同一であることを主張したのではない。
>>289
「現代中国語を使ってビジネスをやるなら漢文なんかやらなくても困らない
それと同じく日本人が漢文をやるなら現代中国語をやらないても困らない 」
すまないが何が同じなのか全く分からない。

292 :
漢文に限らず、何か書かれたものを「読む」という営為において重要なことは、それを正しく理解するということだ。
読み方の手続きは、理解のための手段であって、目的ではないのだ。そこをはき違えないで欲しい。
原文の語順を恣意的(むろん日本人の都合で、という意味である)に並び替え、
部分的な翻訳(訓読のこと)を施して擬日本語文を作り、それを現代語訳する。
こうした手続きが原文理解の上で最適なのか、先入観なしに考えてみてはいかがだろう。

293 :
>>291
>「これまで伝統的にそうしてきた」ことは、それを今後も維持してゆく理由にはならない
国民の教育方法を変える場合、計算や実験のように「失敗しましたはい
やり直します」などというわけにはいかない。相手の人生がかかっている。
また国家の一世代まるごと能力がおちて伝統も破壊されてしまいました。などと
いって済ませられる問題ではない。今までの伝統を変えるのなら相当の根拠がいる、
特に言語教育の場合は。
>数学と国語が完全に同一であることを主張したのではない。
ちょっと答えがずれている。数学も地理も言語で学んでいる。言語は人間の
思考の根本。その言語のなりたちを現代日本語で学んでいる。

294 :
その失敗の内容や失敗の過程が漠然としていて説得力に欠ける。
だからメリットとデメリットの比較考量まで話が進まない。
「数学や地理などの教育は言語で行う」
「漢文訓読法の学習は言語教育の一部である」
「ゆえに漢文訓読法学習の廃止は能力の低下をもたらす」
こんな非論理的な三段論法を主張しても通らんぞ。

295 :
春眠不覺曉 處處聞啼鳥 夜来風雨聲 花落知多少.


296 :
五絶の極限まで音節を切り詰めた凝集美が、訓読すれば台無しだ。

297 :
論理がないのは漢文を現代中国語をやらないとダメと考えてる奴だな
そもそも漢文というのは日本の古典でもあるしそれを理解するノウハウの蓄積もある
それを無視して外国語から漢文をやっても理解するのも上達するのも遅い
よく日本人が漢文を誤読すると言われてるけど中国人もそれ以上に漢文の誤読をやらかしている
日本人にしても中国人にしても誤読するのは古典の知識や理解力が殆どの原因であって
現代中国語をやって上達すれば漢文を正しく理解出来るというものでもない

298 :
>>294
>こんな非論理的な三段論法を主張しても通らんぞ
提案したのは自分なんですから
>だからメリットとデメリットの比較考量
をきちんとして証明してくださいといっているのが
読み取れない?

299 :
経験から小中高大学の先生は言語能力と成績が関連あると
皆言うね。数学でさえも大学教授は日本語力と数学の論理能力は
何故か相関関係にあるという。その言語能力を高めるのに伝統的に
古典を使うのはどこの国でも共通している。そういう経験や伝統を
否定するのならメリットとデメリットの比較考量をきちんとして
皆を納得させるだけの論理と証明をだすべきだと言っている。

300 :
漢文訓読法というスペシフィックないち技術が
言語教育の分野に属するからといって恰も言語能力一般の発達に繋がるかのように主張するのは、
風が吹けば桶屋が儲かる式の詐術というものだ。
それならば外国語の学習とて(母国語を含めた)言語能力の発達に繋がるだろう。
訓読法により漢文を読む手続きを学ぶことの直接的な利点を挙げて見て欲しい。
私はもとより外国語で書かれた文であるから、外国語として読むべきだと思う。
無理に日本語の型に押し込む過程が読解に資するとは思われない。
その証拠に、英語をはじめとする他の外国語文献に対しては、
このようなアプローチは取られない。

301 :
少なくとも日本語の文体の一つとしての漢文訓読調は、
バカ相手にハッタリを効かせて煙に巻きたいときに重宝するよ。
実際、戦前には、これを縦横に使いこなすのが官僚の必須能力だった。
終戦の日の玉音放送はその白眉といえる。
格調高く荘厳で、それでいて何を言ってるのか聞いてる人間にはほとんど分からない。

302 :
そんな悪文を作るスキルなんて害の方が多そうだが
いずれにせよその種の漢文調文語文を日本語の文体として学ぶなら、
もとより書き下し文のまま読ませればいいわけで
レ点上下点を打つようなアクロバティックな読みのスキルは要らんだろう。

303 :
漢文を理解するのは日本人は訓読にして理解するが中国人もそれに近い形で現代中国語に置き換えて理解する
中国人にしても古典の素養もないのに現代中国語の要領だけでそのまま漢文を理解しようとしたら誤読が起きる
というか訓読することに異様に違和感があるみたいだが漢文の白文をどこで断句をするのか考えるには
日本のやり方はかなり有効に機能する
同じ意見なので参考までに
http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q1035692230

304 :
古文と現代中国語の間にある差は、当たり前だが漢文と日本語の間にある差とは全く質が違う。
というより実感としては古文も現代中国語も一言語内部でのバリエーションに過ぎない。
平安時代の日本語と現代日本語との差より小さいくらい。

305 :
日本の古文と現代日本語と漢文と現代中国語の関係性を比べれば古文と日本語の方が中国語の関係より遥かに近い
それに漢文は現代中国語が出来れば理解出来るという代物ではない
漢文と現代中国語の関係性をラテン語で考えるとイタリア語というよりフランス語ぐらい離れてる
英語圏の人達がラテン語を習得するのにイタリア語をやる人は殆どいない
ましてや発音も単語も相当変わってるフランス語はラテン語を習得する目的でやる奴は全くいない
現代中国語を学んでから漢文を学ぶべきという主張はラテン語を学ぶのにフランス語を学ぶべきと言ってるのと一緒で
漢文をまともにやったことのない戯言に感じるな

306 :
イタリア語とフランス語くらい離れてる?そりゃ嘘だわ。
中国語もイタリア語もろくに知らずに適当なこと言ってるだけじゃないかな。

307 :
現代中国語は単語も発音も語法も昔とはかなり変わっている
モンゴル侵攻の影響が大きかったと言われてるけど唐代の中古漢語とは大分違う
日本語の漢字は発音や単語を含めて唐代の漢文の影響を受けてるし今でも残している
唐代ぐらいまでの漢文なら日本語から漢文を理解した方が合理的で早い
ここで言う漢文を理解するというのは白文を断句出来るぐらいね
何度も言うが現代中国語で漢文をやっても古典の素養がないと理解は出来ない
理解するなら現代中国語の漢文の解説書を読まないと話にならない
もし現代中国語だけやって漢文を理解したつもりになってるとしたらかなりの誤読をしているはず

308 :
いや、現代中国語と古文が完全に同じとは誰も言ってないんだが。
ただ両者は同一の言語内部で語彙を共有している点で、
日本語と間の距離よりは遥かに小さいという事実を言うだけ。
ID:0vSIM5eX君の主張、イタリア語とフランス語ほどの差があるというのは
根拠が示されていないし、実感としても嘘だと思うよ。

309 :
で、ここで言われているのは、
現代中国語だけやって漢文を理解しろというのではなく、
学ぶ順序として現代中国語が先でしょうよ、という話でしょ?
外国語として中国語の学習をすっ飛ばして、
「特定の時代の書き言葉」を日本語の文に組み替えるための小手先の技術を学ぶ、
という姿勢がそもそも横着だし、そういうテクニックに汎用性もない。
同じ中国の古典でも、西遊記や紅楼夢のような白話文体になると
もはや漢文訓読法では手も足も出ないからね。
中国との付き合いが四書五経の講読だけで終わっていた江戸時代ならともかく、
現代にそういう小手先のテクを学ばせる正当性は薄いよね。
外国語は外国語としてきちんと学び、外国語として読めば良いし、読むべきだ。
現代中国語の基礎が備わっていれば、古文に関しても語法句法の差異を押さえるだけで
地に足のついた理解ができる。

310 :
言いたいことは分かるが、根本的に漢文教育の趣旨が変わってしまうな。
現状、漢文教育というのは古代中国語の学習のためではなく、あくまで「日本語」を形成した要素として、
日本語を知るために行われるものなんだよ。
現代というか中近世以降の日本語は、源氏物語のような古代の和文と、
古代中国の文献を「小手先のテクニック」で変換した訓読文とが、交わって形成されたもの。
日本語をその成り立ちまで遡って理解しようとすれば、
古文と漢文訓読の学習は不可欠なのね

311 :
>>309
実はそれで終わる話なんだよな
この板では漢文を学ぶ意義を問うスレが定期的に上がるが
スパッと「日本語の成り立ちを知るため」と答える奴は少ない

312 :
古典中国語学ぼうと思って中国語を学びだしたものだけど
本格的にやる場合と、高校教育の話は分けたほうがいいんでね?

313 :
高校教育でも、別に本式で中国語を教えろとは言わないが
いまように完全に中国語と切り離して教えるのではなく
現代中国語での朗読とかも取り入れて良いと思うけどな
NHKの漢詩紀行とかで石川忠久がやってたように。

314 :
それをやるには漢文教師の能力が全然足りないからなぁ。

315 :
そんな教師ばっかりだから、
何のために漢文を学ぶのか分からないという生徒が多いんだろうな

316 :
返り点みたいなくだらん技術は教えなくていいから
白文、ピンイン、書き下し文の三つをきちんと覚えさせるべき

317 :
いや返り点を使って読めば漢字の熟語の読み方や成り立ちが
自然とみにつく。日本語の昔の文型も身につく。
そういうのを覚えておけば将来日本語を使うのに有形無形に役に立つ。
ただ書き下しだけ読んでも実感として身につかない。
現実に漢字の単語でさえ返り点で読めば意味が通じるのに
そうせず混乱した使い方をしている人はよくみかける。

318 :
>>書き下しだけ読んでも実感として身につかない
そんなことはない

319 :
たぶん「読書」みたいな語を「書を読む」などと訓めば分かりやすい、みたいな主張なんだろうけど、
現代日本語の漢語語彙は、すでに漢文文法と切り離された和製漢語や略語を無数に含んでるので
漢文文法を無理に適用して返り点を打って解釈するより、
ちゃんと辞書引いて熟語ごとに意味を対応させて理解する習慣をつけさせるべきだと思う。

320 :
券売機の話は有名だな
そういう漢語本来の文法があるけど、和製漢語は和製英語並みにいい加減な場合が多い
ということをトリビア的に教えるのもいいんでね?
大したコストもかからんし
と一瞬思ったけど、既に教えてて実は自分も漢文の樹ぎゅでやったけど
覚えてない可能性に思い至ったは
自分の古文漢文の知識は、卒業後独学で習得したものばかりで
学校で習ったことはほぼ全部忘れてる
学校教育でできることは限られてるってことは前提に考えたほうがいいと思う
書き下し文だけ読めるようにするのが目標としても現実的じゃないかな。
あとは実は中国語で日本語とは別の言葉っていう事実だけを理解できるようにしておく。

321 :
書き下し文の形で名文をたくさん読ませた方がよっぽど国語力がつく。
句法より書き下した漢詩を暗記させるべき。
諳んじられる漢詩が春望と春眠と静夜思で打ち止めというレベルでは、
何のための漢文教育やら。

322 :
返り点どんだけ嫌いなんだよお前ら

323 :
嫌いだね。
凡そ文と言うものは、書いたように読むべきだ。
つまり上から下へ、横書きなら左から右へ。
あっちこっち行きつ戻りつ目を泳がせながら
語の順序を恣意的に入れ替えるような不自然な読み方をして、
作者の意が達するものかよ。

324 :
それを理解出来るようにした先人の努力を讃えるべきだな
もし直読だけなら半島みたいに殆どエリートだけしか広がらなかったかも知れんしさ

325 :
日本でも漢文は武士や僧侶といったエリートの占有物だったし
科挙制度のもとで漢文学習が切実に必要とされた朝鮮に比べて、
日本での漢文読解層が特に広汎だったとも思えないのだが。
なんかそういうデータでもあるのかな。
実際、直読がそんなに大したことだとも思わんけど。
ただ発音するときに訓を混ぜるか、音読みだけで下ろすかの違いがあるだけでしょ
「シーいわく、テーシいりてはすなわちコー、いでてはすなわちテー」
「シエツ、テーシニューソクコウ、シュッソクテイ」

326 :
半島では漢文はお経読みだったというのはきいたことあるな。
お経読みと返り点で書き下し文にして読むのでは素人が
考えても影響は違うだろうと想像できる。
半島では日本でいう大和言葉がほとんど残ってなくて
訓読の習慣もないと聞いたことがある。

327 :
>>半島では日本でいう大和言葉がほとんど残ってなくて
これはデマ。日本と同じで固有語も普通に残ってる。

328 :
訓読が行われることと固有語(大和言葉)の語彙が保存されることとは、あまり関係がないよ。
漢文の受容がエリート層にとどまる限り、庶民は固有語語彙を使い続けるし、それによって語彙は保存されるからね。
むしろ訓読による固有語と漢語の混交が、固有語文脈への漢語語彙の侵入を促進することはありうるだろうけど。

日本語にせよ韓国語にせよ、今のように語彙の過半までを漢語が侵食するのは近代以降。
庶民の生活にまで西欧文明が浸透したとき、それを表す語彙が明治初期に日本で作られた漢語訳語だったから。
それまでは直読、訓読にかかわらず日本や朝鮮における漢語の使用は限定的だった。

329 :
ちなみに訓読は15世紀くらいまでは半島でも行われていたが、直読に移行した。
儒教を国教とし科挙を導入した李朝では、漢文の読み書きは日本より重要だったし、
読むだけでなく正しい漢文を自ら書こうとすれば、直読によって白文に習熟する必要があるからね。
一方日本では頼山陽に見られるような和臭まみれのインチキ漢文で良かった。
鎖国下でインチキだと分かる人間が誰もいないから。
そういう違い。

330 :
頼山陽の漢文を和習というのは古典の知識がない奴らが言ってるだけたから
実際は清の知識人にも賞賛されたのを知らないんだな

331 :
ネイティブからの称賛って、「外国人にしては」補正が入るからなぁ。
日本外史など頼山陽の漢文に和臭があるのは事実だし
そのことと清国人に褒められたことは矛盾しないんだが

332 :
その和習ってどれよ?
頼山陽の漢文って古典を踏まえてて本格的だし全然ぎこちない漢文ではないんだが
そもそも江戸期は漢文が公用語なんだからエリート階級は当然使いこなせて当たり前
いわゆる和習というものは江戸時代でも殆どが古典の理解不足から来ているもので
古典の理解不足というのは訓読や直読、日本人や中国人に関わらず起きるものだから

333 :
和習について
http://kambun.jp/izanai/02-06washu.htm
頼山陽の日本外史を清末の批評家の譚献の日記で賞賛してる部分も載ってる

334 :
論点は直読のために「半島では漢文がエリートにしか広がらなかった」、
「固有語が失われた」という認識が是か否か。
前者に関しては訓読でも同じ、後者に関してはデマ。

335 :
訓読か直読かという議論で日本と朝鮮の漢文文化を比較するのは面白い着眼点ではあるな
なぜ日本では訓読が続けられたのか
なぜ朝鮮では訓読が廃れて直読になったのか
実際の歴史がそれぞれの利点欠点を例示してくれるかも知れない

336 :
自分は訓読賛成寄りの立場なのだが、微温的な案として、現状の訓読を改良して言いまわしを変えた新訓読体を使うようにするのはどうか。
翻訳である訓読というやり方自体がよくないという意見もあるが、それとは別に、訓読は書き下し文の意味が分かりにくいという欠点を持っている。
今用いている訓読は基本的に江戸時代の踏襲であって、
江戸時代の訓読自体もそれ以前の訓読を改変しつつ引き継いでいるため、新古の各要素が混在している。
そのような今の訓読体を掃除し、すっきりした訳ができるようになればよいと思う。
具体的にどう変えるのかはこれから考える。

337 :
確かに。
理解しやすさを理由に直読を排して訓読を支持する場合、
特に文語調の訓を墨守するべき理由って無くなるよな。

338 :
まず、訓読の細かい部分を廃止して単純化するのはどうか。
・曰、云での「〜いわく」(ク語法)を廃止し、「〜いいたり」とする
・宋人(そうひと)のように、国名+人を「そうのひと」のように「の」を入れる
・垂「なんなんとす」を「ならんとす」とする
・「為 所〜」の「するところとなる」を「〜せらる」とする
・宜「よろしく〜べし」、須「すべからく〜べし」、応「まさに〜べし」を単に「〜べし」にする
・安/焉が場所を表すとき「いずくにか」、理由を表すとき「なんのゆえに」とする
・〜、則〜「すればすなわち」を「〜せば」または「〜するときには」とする
・「〜するといえども」を「〜すれども」と「〜するとも」にする
・「〜せずんば」の「ん」をなくし「〜せずば」とする

339 :
・将「まさに〜んとす」を「〜んとす」とし、「まさに」は任意化
・不能「するあたわず」を「することあたわず」、無不「せざるなし」を「せざることなし」、など、ことを入れる
・使役文で「使 A B」のA「Aをして」を「Aに」とする
・苟「いやしくも〜」を「もし〜」にする
・以句が目的語より後ろにあるときの「〜するに〜をもってす」を廃止
・過去のときに「〜たり」、過去でないとき「〜す」の使い分けをもうける
その際「〜せり」をなくして「〜したり」に一本化する
・是以「ここをもって」と「これをもって」に一本化
・「なんすれぞ」を「なんのゆえに」にする
・「いかんせん」は「いかにせん」にする
・「よけむ」「なけむ」を「よからん」「なからん」として未然形け-+むを廃止

340 :
大して変わらないな。
どうせなら口語にすれば?

341 :
なるほど漢文訓読は古文の知識がないと読めないんだ。
そうすると勉強すると一石三鳥ぐらいの益があるな。

342 :
そうやって「多く学べる」ことを理由に現状を支持するなら
「中国語も学べる一石三鳥」はなぜダメなのか答えられないというジレンマ。

343 :
>>332
>>そもそも江戸期は漢文が公用語なんだからエリート階級は当然使いこなせて当たり前
いわゆる和習というものは江戸時代でも殆どが古典の理解不足から来ているもの
この主張って、江戸期の公用文が候文だということを知った上で言ってるのかね。
当時の日本の官僚層が使っていたのは、もとより和習を制度的な前提とした擬漢文だ。
漢学者がやるような「本格的な漢文を志向したが我知らず和習を露呈してしまう」類のものではない。

344 :
>>338
意外と面白いなw

345 :
「和習を制度的な前提とした擬漢文」
と言えばカッコイイけど要はインチキ漢文でしょ
漢文を適当に混ぜとくと知的でカッチョイイぜ、
という白痴的な権威主義、文化属国主義の賜物

346 :
例え頼山陽のような漢学者が正統的な漢文をものせたとしても、
それが江戸時代のエリートに一般化できるわけでもなく、
現実にその時代に公用できたのはインチキ漢文もとい擬漢文でしかない。
本格的に漢文すなわち中国語を理解しまた自ら書こうとすれば、
訓読のような姑息な手段によっていてはダメで、
原文を直読して文の型を頭に入れていく必要がある。
英語その他の外国語教育がそうしているように。

347 :
恩 沒看懂你想說什麼

348 :
中国の古籍が現代に出版されている時についている標点と、
日本の漢文についている句読点をつけるルールは同じですか?
自分は、日本では文学部でなく、科学史、技術史方面が専門です。
中国の大学で、古代漢語を講義で1年半だけ学びましたが、
標点のある本や白文で文の区切りが明らかなものを読むことはできても、
自力で白文に自信をもって標点をふれるかというと、まだまだ能力がたりません。
せめて、標点だけふることができれば、論文に引用するのにもわかりやすいと思うので、
もっと勉強をすすめてゆきたいと思います。
中国語の本でもよいので、標点をふる際の参考になる書籍があれば、ご教示をお願いいたします。

349 :
ルールは同じだけど白文から句読点で切るのは古典の素養が必要
戦前は良い参考書があったというけど今は漢文の需要がないし標点付きのをきちんと理解出来る
ようにする入門書どまりしかないみたい
標点されてれば訓読だろうが直読だろうが誤読は殆ど起きないけど白文からだと書く方や読む方の
古典の素養で誤読が起きやすい
中国の文化って科学的というより文学的だからそういうのが原典を当たるときの面倒臭さだな

350 :
訓読の問題点を端的に言うと、例えば
「国破山河在、城春草木深」という中国語と、
「くにやぶれてサンガあり、しろはるにしてソウモクふかし」という日本語が、
両者の語彙の間にあるニュアンスやイメージの差を無視して
あたかも互換であるかのごとく機械的に置き換えられているということ。
漢文は中国語という、日本語と本質的に異なる言語によって生み出されたものであって
外国文学を真に理解するにはそうした言語文化の差を意識することが不可欠なのに
そのギャップを意識できなかった前近代日本人は仕方ないとしても、
実際に異文化と向き合っていかなければならない現代日本人にとっては
むしろ害のある理解の仕方ではないかと思う。

351 :
その理屈だと、どんな言語でも原語で読めという
理想だが非現実的な話になるぞ
あと、半端な語学力なら翻訳の方が誤読は少なかったりするし
まあ、訓読文化がその差異を隠蔽してるって話かもしれないし
その詩については、城という中国語が
日本語ではすなわち都市に当たる単語で、街の廃墟を歌っているのに
日本語の感覚ではお城をイメージさせてしまうって指摘を読んだことあるので
そういう意味では、訓読よりきっちり翻訳した方が、ちゃんとした理解はできるだろうとは思う
>>349
ギリシア語とかサンスクリット語とか(そして古い日本語も)ももともと点とか単語の区切りとかがなくて
普通に書籍で読める区切りや句読点つきの奴は原典そのままじゃなく
文献学者の手が入ってるという話だし、中国語に限った話ではないのでは?

ちなみに偉そうに言ってるけど、自分ド素人ですw

352 :
個々の中国語語彙、日本語語彙はそれぞれに固有の意味のひろがりがあって、
ある場合において重なる意味を持つからといって、いかなる場合にも互換なわけじゃない。
これは当たり前のことで、この差異を無視した上に外国文学の正しい読みなどあり得ない。
だから翻訳するとしても、訳語を固定的に対応させるやり方(国→くに、破→やぶる、城→しろ等)ではなく、
文脈に応じた適切な訳語を柔軟に選択しなければ正しい翻訳にはならないし、現に他言語の翻訳においてはそうしている。
杜甫のうたう「国破」は、観念上は統治機構が秩序を失い、具体的には国都が破壊されたという意味。
しかし「くにやぶれて」という日本語から一般に了解される意味は、自国が戦争に負けたということだ。
知ってのとおりこの詩は戦中世代には敗戦時のイメージと結び付いて想起されることが多い。
しかしあの時の日本の状態は確かに見事な「くにやぶれて」ではあったが、「国破」ではなかった。
こうした理解のズレは語彙の意味範囲の差異を無視する訓読という手法に起因するもので、
正しい理解のためには他の言語と同じく、原語のまま読み、翻訳で意味を確認するという、
まっとうなやり方に改めるべき、というのが俺の考え。

353 :
>>349
ありがとうございます。
標点が既についている本を探すしかないようですが、印影しかない古籍もあるので、
自分の読解力をつけるためにも、標点のつけかたを学びたいと思いました。
中国にいる時に、もっとやっておけばよかったです。
日本で出ている漢文の訓読の本や、中国で買った文語の虚詞の教科書はあるので、
それを復習してみます。

354 :
訓読による漢文調の日本語は漢文に復文しやすいから原文が想定出来るのが利点としてある
それを現代日本語にすると訳者が恣意的に解することが起きる
これは現代中国語にしても漢文から訳すると起きることがある
杜甫の春望に限らず訳す際に誤読が発生するのは古典の漢文というものを知らないから
少なくとも352で上げたケースは訓読で起きたものではなく古典である漢文というものを同じ漢字
ということで現代語で解釈したから起きたケース
これは日本語に限らず中国語でも現代語的に解釈すれば起きる

355 :
原文が想定できるとか言い出したら原文そのまま読む直読に圧倒的に分があるわけだが
それに、原語である中国語と、訓として当てられた和語との間の意味のズレは、
現代語で解釈するか古語で解釈するかという差とは独立に、訓読というアプローチ自体が持つ問題。
「城」は「しろ」とは限らないし、「国」は「くに」とは限らない。
「恨」という中国語と「うらむ」という日本語のニュアンスは違う。
それは古語であろうと同じ。

356 :
訓を当てた時点で大和言葉として理解するから、それ以上探求しないってのはあるな。
同じ訓で読まれる漢語の、原語の差異が分からず使い分けができない。
例えば「注ぐ」「濺ぐ」の違いや、「方に」「将に」の違いを意識できない。
元の漢文を復元しようとすると、大抵ここで間違う。

357 :
しかし不思議なもんで、漢文の名文は訓読体に変換すると、
日本語(というか和漢混交文)の第一級の名文になってしまう。
疑うなら蘇軾の『赤壁賦』の訓読文を朗読してみると良い。
俺は一字一句暗唱できるが、どんな日本語の文章より美しく格調高いぞ。
たとえそれがオリジナルの正確な鑑賞という点からは問題のある、
我流に捻じ曲げられた方法であっても、
訓読体は我々の日本語の重要な古典の一画なんだ。だから学ぶんだ。
我々の祖先は本場のインドカレーを再現しようとして肉じゃがを作った。
それは確かにオリジナルとは異なる、酷い歪曲だったかも知れない。
しかし肉じゃがはいまや立派な日本の家庭料理だ。
今の日本人にとっては、本場のインドカレーの作り方より、
肉じゃがのレシピを覚える方が大事なんだ。
この例え、分かるかな。

358 :
>>357
決めポーズしても「外国語国民皆教育派」は不死鳥のように
甦って何度でもおなじことを言うよw
英語派だろうが中国語派だろうが実証という言葉と無縁な
彼らに理屈は通じない。

359 :
実証の問題ではなく何を重視するかの違いだよ。
訓読が直読より優れていると客観的に実証されてるわけでもないし
そもそもそんな実証は現実的には不可能だ。

360 :
>そもそもそんな実証は現実的には不可能だ
漢文教育を否定する人たちはそれを求めてるふりをしている。

361 :
このスレで相手に証明を要求してるのは、>>288,>>298,>>299など
いずれも現状の漢文教育を維持しろという主張の方なんですけどね。

362 :
訓読文が日本語の古典だというなら、もとより訓読文をできるだけ多く読ませるべきで
返り点の打ち方を暗記する今の漢文授業を維持すべき理由はなくなりますよ。

363 :
書き下し文の形で良いからもっと古今の名詩名賦名文を読ませろというのは俺も賛成。
ともかくも一定量のテクストを読ませて、暗唱させないと日本語力は付かない。
それは句法語法の暗記よりずっと大事。

364 :
日本語という意味ではそうなんだろうけどそれだと古文と変わらなくなる
今以上に時間が削られるならそうしなければならないかも知れんが原文を当たるときに
役立つから句法や語法は出来ればやって欲しいな

365 :
授業時間が無尽蔵にあるなら語法句法も中国語も教えれば良いと思うが
現状、極めて限られた時間の中では優先順位を付けざるを得ないし
中高教育の主眼が汎用性の高い基礎的な能力と教養の習得にあることを考えると
語法句法のようなテクニカルな内容よりは名詩や名文をたくさん読んで覚えて
語彙力や文章力、感受性を鍛える方が良いんじゃないかと。
正直なとこ俺も岩波文庫などで漢詩文を読むときは
白文を中国語で脳内朗読、書き下し文を日本語で脳内朗読、で現代語訳をさらっと読んで意味確認、
みたいな感じで句法語法とかはあんまり考えないな。

366 :
日本語の古典としての漢文だからね
中国語はそれとは別にやった方がよさそうだが

367 :
原文に独力で当たる能力なんて汎用性低いし
ごく一部の人間しか必要としないし、
中高の語法句法を覚えた程度でそれが身につくわけでもないしな。
やるとしても近体詩の三、四十首は暗唱できるくらいの
最低限の漢文教養を身につけるのが先だろう。

368 :
というか、漢詩文を読んでれば、
直読的な読み方はオプションではなく、必須だよね?
日本語の音読みで「ショウゼン・カン・ゲッコウ」と読むか、
現代中国語で「Chuangqian kan yueguang」と読むかは個人の趣味だろうけど
「ショウゼンにゲッコウをみる」という訓読文だけ頭に入れてても、
いざ諳んじようとすれば、見月光?看月光?とか
「こうべをたれてコキョウをおもう」→垂頭想故郷?とか
日本語で区別しない語彙については原語が復元できない。
漢→訓は不可逆変換。
だから少なくとも俺は漢詩文を読む際には
訓読した書き下し文と現代中国語での直読は常に併用してるんだが。
皆も訓読・直読は併用してるよね?

369 :
日本語の古典の学習として考えた場合は必ずしも必要という訳ではないな
原文を覚えるなら文選読みも良いとは思うけ

370 :
明治書院の新書漢文大系のように紙数の制限がタイトな漢文書籍では
書下し文・現代語訳だけを収録して、白文は語釈とともに省略されてる。
これを鑑みるに、一般に日本での漢文は専ら訓読されるもので、
原文は書下し文を読む際の参考に収録されているに過ぎないと思われる。

371 :
実際問題として書き下し文だけ読んで覚えても原文書けないでしょ。

372 :
だから、原文は書けなくてもいいというのが一般的な日本人の漢文受容のスタンスなのではないかと

373 :
それで「床前に月光を見る」とか「長安一片の月、万古衣を打つの声」とか書いちゃうわけか

374 :
やっと、書き込めるぜ。
中国語を学んでからって、
お笑いもの。
中国人でも、「文言」の修得には、十年単位だぜ。

375 :
書き下し文を日本語教育として学ばせることには、誰も積極的には反対はしてないんじゃ?
書き下す教育は、ちゃんとできるようにさせるのは学校教育の範囲では難しいし、やるなら中国語としてやった方がいい、という意見があるだけで

376 :
書下し文を読むことは日本語教育として必要だと思うよ。
日本語の文章力・語彙力を高めるのに格好の教材だから、
枕草紙や徒然草のような日本古典の名文とともに、
書き下した荘子や史記や杜詩を読ませるべきだと思う。
でもそうやって日本語教育に主眼を置く場合、
読まれるべきは原文ではなく書き下し文であって、
原文を読む能力を学ぶ理由はそこからは導けない。
ましてヲコト点の振り方読み方を学ぶ必要性は、
説得力をもって主張することが難しいと思う。

377 :
漢文調の日本語を沢山読んでると原文を読み解く能力がつくよ
加地伸行も受験生にいきなり漢文から始めるより明治の文豪とかの漢文脈の文章をスラスラと
読みこなせるようになれと言ってるぐらいだし
てか原文から書き下すのは漢文脈の文章なんだから読みこなせる能力がつけば原文解読に役に立つし
漢文の導入部としてはかなり有効に機能する

378 :
原文解読が必要になる局面がちょっと想像できないな

379 :
>>377
明治の文豪とかの漢文脈の文章をスラスラと
読みこなせるようになれと言ってるぐらいだし
これは、文化遺産だけど、加地さんも、
スラスラ読めないはず。森鴎外の舞姫なんて、和漢混淆文。
熟練の域。

380 :
森鴎外なら高校の時まあまあ読めた。
幸田露伴ならむずかしいかもしれない。

381 :
379は漢文を以前に現代日本語の能力を鍛えた方が良いんじゃないか。
文章が下手すぎるぞ

382 :
森鷗外あたりは高校でやらされるだろ

383 :
一二点上下点を廃止するのはどうか

384 :
すまんボタンおしてしまった。
漢文訓読の際に高校生に負担になっている点の一つは、一二、上下点によって複雑な順序で符号をつけるところだ。
そこでレ点以上の記号を廃止して、単純に一、二、三、四・・・と番号を振って(書き下し文にしたときの)順序を示すようにするのはどうか。
たとえば「有朋自遠方来、不亦説乎」は
有朋一 自遠方二 来三、不亦一 説二 乎のようにつける。
具体的な規則は、
・(而などによって)文に切れ目があるところで番号をリセットする
・前置詞+名詞ではその全体の一番後ろの字につける
・複合語と連綿語の場合は後ろの字につける
・〜者は者のところにつける。所〜は例外的に所のところにつける
・不(〜ず)や可(〜べし)のように日本語に訳したときに、後方の用言のほうに反映させる語にはつけない
・置き字にはつけない
・「嗚呼」や「諾(わかった)」のように間投詞や、一語だけの文では番号を省略する

385 :
いいよもうそういうの。普通に直読しなよ

386 :
加地さんも、言っていたけど、
研究者なら現代中国語で論文を書けるようにならないといけない。
しかし、一般の人には中国語なんて、
必要ない。

387 :
「一般人」に「必要」かどうかなんて基準で言うなら、
漢文訓読術は現代中国語以上に一般人に必要ないよ。
せっかく中国語の古典を読むのなら、
現代中国語による直読を取り入れれば
漢文の理解も深まるし、現代中国語の入門にもなる。
教養教育としては効果的じゃないかな。

388 :
こういうスレをのぞく人は中国語での教育に反対していても
自分は中国語できる人が多そうだな。

389 :
むしろできないから反対してるんじゃないかと。
人は自分の持たないものを無価値と断じたがるものだ。

390 :
中国語やれば漢文を理解出来るなんて断定してる奴ほど中国語も漢文もまともにやってないのが分かるな
前の方で文法や語彙が違う漢文と現代中国語が近いと言ってる奴がいるのでもそれは分かる
漢詩とかでも中国人だって注解がないと分からないのに日本人が現代中国語の発音で直読すれば
訓読より漢詩や漢文を理解出来ると思ってるとしたら頭がおかしい
もし現代中国語でやりたいなら注解の方をしっかりやって理解しろって感じだな
というか漢詩とかはお経みたいに唱えるだけでは殆ど意味はない
日本語なら書き下されたものとか現代中国語なら注釈で理解しないと話にならない

391 :
言語も文化も、中国からごっそりパクって成立してる国なんだから、
教養としても英語より中国語の方が学ぶべき優先順位は高いと思う。
そして日本語古典&中国語入門としての漢文学習は、
そういう日本の属国的文化の有り様を端的に把握する上で
極めて有用だろう。

392 :
日本の根幹にある言語は中国文化というより仏教だから中国経由のインド文化とも言える
それに漢文と現代中国語は同じではない
むしろ現代中国へは日本経由の欧米文化が入ってるからパクリ云々言うならそれこそパクリだな

393 :
言語が仏教? 何言ってんの?

394 :
390は論理的におかしいな。
そもそも「中国語をやれば漢文が理解できると断定」してる主張なんてこのスレで見たことがない。
あくまで中国語をやった方が理解が深まるという比較の話をしているだけ。
直読と訓読を比較するのに「注解がないと分からない」「注釈で理解しないと」云々と言い出すのもおかしい。
訓読が注解の情報を包摂しているわけでは当然ないのだから、
直読か訓読かという読み方は、注解の情報を得られるか否かとは関係がない。

395 :
現代でも使用可能な、世界最古のクレオール言語は何なのかな?
漢文訓読も、文字言語の範疇では候補になり得ると思われるのだが。

396 :
訓読は翻訳法だよ。
もし「古文を使って筆談で中国人と会話できる」と言いたいなら、
必要なのは原文を自ら書く能力だろう。それは直読によって身に付けるべきものだ。
もっとも、まともに教育を受けた人間なら筆談などせずとも英語を話せるし、
特に中国人と話したいという志があるなら中国語を学んでるだろうけど。
敢えて古文を書記言語のクレオールだなどと強弁して不便で不正確な会話に用いるべき理由がわからない。

397 :
>>396
モウマンタイ
今は、広東語も日本語の一部。
統一的な結論を急ぐのは、自滅気味。
古典を共有するという観点を持っていただきたい。
中国では、今までも、古典批判・焚書じみたことをしていた。
漢文いらんなら、中国語なんて必要ないアル。
原文なんて、中国人でさえかけないアル。
ただ、メッチャ古典教養のある新聞記事には、
中国人も心酔してるアルヨ。

398 :
397はまず日本語能力をどうにかした方が良いな。
レスが他人へ意思を伝達する文章の体をなしていない。
まずは易しい本を読んだり人と会話するなどして、
基礎的な言語能力を鍛えると良いだろう。

399 :
昔の政治家は字がうまいし、漢詩もつくれたんだよな。
例えば犬養毅の場合、字のほうは…待て、ググればわかる。
漢詩はエグイぞ。「笑却蘇張三寸舌、不如暮夜一嚢金」とか。
七言絶句の後半で、舌先三寸や選挙買収を簡潔に表現してる。
蘇張は蘇秦と張儀、戦国時代の遊説家。なんちゅう教養ぢゃ。
出典は山本正一編『新修墨場必携』日本篇(法政大学出版局)。

400 :
何の関係があるんだろう

401 :
>>394
注解の情報以前に現代中国語で漢文を理解するということが全然分かってないな
現代中国語で漢文を理解するなら書き下しの要領で漢文を現代中国語にしたり漢文に復文したり
というのをみっちりとこなさないと現代中国語の感覚は理解出来ないし話にならない
というより発音を現代中国語にしただけで日本語の漢字感覚から抜け出せると思ったら大間違いだから
それなら日本語の漢音で直読をやっても変わらないし効果は殆ど同じだな
現代中国語の発音より漢音の方が唐代の発音を残してるから漢詩なんて丁度良い
実際に石川忠久も現代中国語だけではなく漢音から唐代の発音を復元して漢詩の本に載せてたはず

402 :
今じゃ頼山陽の、昔じゃマンガにも出たような詩吟でよくやる詩の一節を引用しただけで、
「あいつ教養人ぶってるぞ」とか叩かれてるのが政治家なんだろうなあ
実際のところ漢文そのものを理解するってのもあるんだけど、
いわゆる「漢文訓読体」も一応は現代日本語の姿の一つってのも事実でしょう
民法・商法・刑法といった基本的な法律もつい最近までそっち寄りの文体だった

403 :
>>401
「中国語やれば漢文を理解出来ると断定」してる者はこのスレにはいない、と教えてあげたのに
まだ「現代中国語で漢文を理解するなら…」などと口走る御仁は、
もう少しちゃんと人の話を聞くことを学んだ方が良い。
「発音を現代中国語にしただけで日本語の漢字感覚から抜け出せる」という話にしてもそうだが
「AをすればBに資する」を「AしただけでBができる」と変換しちゃうのはなぜなんだぜ。
論理の扱いが雑すぎて他人の発言が読解できてないから反論が悉く的外れなんだよ。

404 :
原文を直読することなく、いきなり日本語文に組み替えるのは
原文の凝集性やリズムを味わう機会を奪うし、また解釈でも問題がある。
英語などと同様の外国語のテクストとして原文を読み、
文脈に応じた柔軟な訳語を選択して現代日本語への訳出を行った方が
機械的に単一の和語の訓を当てる訓読法よりも
より正確な理解に資するだろう、というお話。
日本の漢音での直読も、やらないよりはマシだが、
中国文学の基礎となる一語一音節のリズムが崩れるのは否めない。
しかし不正確な復元中古音を授業で用いる理由はないだろう。
日本語の仮名も平安時代と今とでは音価が変わっているが
学校教育でも一般的にも現代の音価で読まれている。
イギリス人がシェイクスピアを読む時も事情は同じ。

405 :
だから皆が中国語の勉強するためじゃなく
日本語の勉強するために漢文を学ぶんだと何度も言ってるだろう。
1.5流の人間は論理回路もぶっこわれてるのか。

406 :
だから言ってることが断定してるんだが
というより論理を「」で切り取ってこねくりまわしてるだけ
君の文からは結論として訓読の必要性が全く感じられない
比較とか言い訳に出してるだけで言い回し自体が断定してる
もう一度言うがリズムも凝集性も文法も語彙も現代中国語みたいに漢文と変わってるなら漢音でも同じだから
もし現代中国語でやるなら漢文を現代中国語で書き下したり漢文へ復文したり出来ないと理解するには殆ど意味はない
もちろん現代中国語の発音を覚えるという実用性はあるがそれなら漢文をやるより現代中国語をみっちりやるべき
今の実用性を重んじる日本の英語教育でもシェイクスピアを近代英語で教えないしラテン語をやらないのでもそれは分かる
そもそも春望の例を上であげてるがそれは現代中国語でも注解で示されているから訓読法だけの問題でもない
中国人でも注解で理解しなければならないのに日本人が発音だけ現代中国語でやっても漢文を理解することにはならない
実用性を抜きにすれば古典の漢文を理解する上では漢音による直読法と現代中国語の発音法は同レベルだから
その実用性も日本人なら古典を日本語で理解することは中国人が現代中国語で古典を理解するぐらいはある

407 :
そもそも、古代漢語と、現代中国語って、発音違うでしょ。
そんで古代漢語でも、上古と中古じゃ全く違うじゃないの。
自分が習った中国の大学だと、
ガチの古代漢語は金文なんかからはじめて、秦以前のテキストばかりで、
唐とかのは中古になって古典文学のほうでやってた。

408 :
そんで、自分の老師は、上古だけに限っていえば、
漢字の意味や文法なんかは、じつは現代中国より日本語のほうが古代漢語に近いから、
日本人の方が、古代漢語に親しみやすいからがんばれ〜っていわれた。
まあ、日本人学生を勇気づける方便だと思うけど。
あと、南方出身の中国人は、彼らの方言のなかに、
日本語と似た発音の漢字が有るよな〜とつけたしてた。
魚を「ウォ」っていうの、日本語の「うお」ににてね?とかいわれた。

409 :
「君の主張からは訓読の必要性が感じられない」といわれても、
そもそも私は訓読法の学習は必要ないという立場なので、そりゃそうだろうとしか。
漢文教育の目的を日本語能力の涵養に限定するなら、
原文を参照する理由はなく、書き下し文を多く読ませるべし。
また漢文原文の鑑賞や作文力の養成をも目指すなら、
さらには中国語入門としても位置づけるなら、
原文を中国語で直読することは有用であろう。
いずれにせよ訓読法の学習は必要ないと考えている。
そもそも訓読法は既述のとおり問題の多い読み方で原文の正確な理解から遠ざかる。

410 :
ちなみに、現代中国語をやっただけで漢文が100%理解できるようになるとは
私は言ってないし、思ってもいない。1.5流でも何でも構わないが、
主張を誤読して反論する前に相手の発言をよく読もう、というお話。
ちなみに、古文のリズムの再現性についていえば、
「日本語の漢音でも現代中国語でも同じ」ではないね。
中国語は単音節言語なので、1語は1音節に対応し、それに1文字が当てられているのだが
日本語は開音節だから、漢字の1文字1音節という対応を再現できない。
だから「古コ」「緒ショ」のように1拍で読む漢字もあれば、
「工コウ」「章ショウ」のように2拍で読む漢字もある。
他方、中国語では現代でも1文字1音節が維持されている。
従ってリズムに関しては、漢音より現代中国語の方が遥かに再現性は高い。
詩のように音節数がクリティカルな要素になっているものはもちろん、
散文でも名文と呼ばれるものはリズムの緩急も考慮されているのが普通だから、
それらを鑑賞したければ中国語で読もうとするのが自然な考えだろう。

411 :
つうか、古文と今の中国語ってそんなに差異ないよ。
現代日本語と古語くらいの差だと思えば良い。
勿論、日本語と中国語はまったく異質な別系統の言語だけどね

412 :
私は言っていないとか私、私と独り言っている人がいるが、
統一した人格に思われたかったらコテでもつけて
ID違っても同一人物とわかるようにして発言したらいいと思うよ。

413 :
× 独り言ってる
○ 独り言言ってる

414 :
というか誰も言ってないよな、このスレで
現代中国語を学んだだけで古文が完璧に読めるようになるとは。

415 :
そうそう漢文の授業が完璧じゃなくてもいいということ。
中国語読みは参考にテープで聞くぐらいでいいよ。

416 :
だよなー。あれもこれもやろうとするから結局どれも中途半端になる。
日本語教育が目的なのに原文とのリンクに拘って訓読法を教えるような愚はやめて
書き下し文の読解に集中すべきだろう。原文は参考程度に巻末に収録しておけばよい。

417 :
今どき「テープ」って表現が世代差を感じさせますな。ww

418 :
ぶっちゃけ日本語としての教育を言うのなら、古文の方で
歴史的仮名遣い≠原文であることとか
古代では日本語の発音自体が違ったこととかまず教えないとダメだろ

419 :
>>409
また漢文原文の鑑賞や作文力の養成をも目指すなら、
さらには中国語入門としても位置づけるなら、
原文を中国語で直読することは有用であろう。
 
なんか、ヒートアップしてますねー。みんな。
規制で半月ぶりの発言。
漢文の古典を完成されたものと思われては、困る。
高校テキストに載ってる漢文でさえ、その当時に書かれた中国人も分からないので、
注釈が必要だった。
日本に戻って考えてみても、
漢詩にしても、高校の教科書によって、読み方が違うよ。
中国語の直読は、やはり、入門レベルだよね。

420 :
お前>>397だろ。相変わらず文章になってない。
悪いことは言わないから基礎的な言語能力鍛えてから来い。

421 :
》419
満州語漢字音で詠んでも、全くの無意味
有害ですらある

漢音で素読、後に読み下し。

422 :
>>420
悪いことは言わないから基礎的な言語能力鍛えてから来い。
よく分かったな。
私の論文なら国会図書館にある。
ここは、論文調で書く所じゃないだろ。

423 :
>>421
そうそう。
異民族に征服されまくった中国語と漢文は、
別物。
中国語のアルタイ語化っていうのは、
現地の人たちも理解してる。

424 :
粗末な文章力で自作自演しても分かるからさ。
何度もいうが基礎的な言語能力を鍛えて来い。簡単な本で良いから読書しろ。

425 :
>>424
見苦しい文章をみせないでくれ。
その悪口は自己紹介してるのか。悪文でもなんでも読みこなせるように
自分の読書量を増やしたほうがいいんじゃないか。
自分の主張と違うから感情的に反発してるんだろうが
若者なら何を言ってもいいということはない。

426 :
自分の主張と違うかどうかを判定する以前に
>>419は論理が欠如していて主張としての体をなしてない。
「文章になってない」というのは全くその通り。

427 :
文章力は読書量がダイレクトに現れるからね。
ロジックの呼吸みたいなものを全く体得できてない、
稚拙な文で何かを言おうとする人をネットで見るたび、
「ああ、全然本を読まずに大人になったんだなー」と思う。

428 :
「書き下し文を読むと日本語力がつく」という単純な考えにも疑問なしとしない。
昔から教養のない人間ほど漢文訓読体の難解さが纏う権威に憧れたものだが
実際のところ漱石の「草枕」や露伴の「運命」のような、広汎な漢籍の素養が可能にした格調高い文語文は、
決して一般的な日本人が目指すべき良文ではない。
ろくに漢籍を読まないバカがああいう文体を真似ようとすると、
例えば平野啓一郎の「日蝕」のようなどうしようもない駄文が出来上がる。
漢文訓読文体を読むのはそういうものを愛好するマニアがやるべきことであって、
一般的な日本人の文章はやはり達意を旨とすべきだし、
そのために読むべきなのは平明で論理的な現代語の文章だろう。

429 :
芥川賞レベルなら一般人の目指せるレベルとしては上々だろう

430 :
芥川賞というのは文芸作品としての価値を認めるものに過ぎない。
国語教育が目指すところの、国民一般が培うべき文章力というのは、
平易で論理的な「達意」の文を作ることが第一義であって、
不必要に難解な語を使って物々しく飾った美文ではないだろう。

431 :
まあ現実に大学入ってから、あるいは社会に出てから
漢文訓読を必要として学ぶ人数と中国語を必要として学ぶ人数と
どっちが多数かといえば比べるまでもないわけで
高校漢文を中国語入門として扱ってくれると有難い気はする

432 :
》431
漢文と中国語は何の関係もない別言語なので、全くの無意味。
外来語として漢文が入り混んでいる別言語でしかない。
また、社会に出たら暗算よりも電卓使うから、学校では電卓使わせろとの論調はいただけない。

433 :
支那は毒の国!
【北京時事】中国メディアによると、江西省南昌県で、アヒルなどの卵を熟成させるピータンづくりに、工業用硫酸銅が使われていた疑いが強まり、同県は30社のピータンの加工場を閉鎖・生産停止とした。
 有害物質を含む「毒ピータン」が出回らないよう、国家食品薬品監督管理総局も、食品添加物としての基準に合わない硫酸銅が使われていないか、加工会社や製品などの検査に乗り出した。
 ピータンづくりは一般に、卵を塩や生石灰などと2カ月以上漬け込むが、大幅に期間を短縮するため、一部の加工場で硫酸銅を混ぜていたという。 

434 :
>>432
落ち着けよ。「漢文と中国語は何の関係もない別言語」とか
誰が聞いても明らかに嘘とわかるような主張で強引に否定しても仕方ないだろ。
反発したい気持ちはわかるが、もう少し論理的に反論しよう

435 :
暗算と電卓の比喩も強引すぎ。
そもそも暗算は社会に出ても日常的に使う。漢文訓読法はそうではない。
また電卓の使用法の習得は労力を要さない。中国語はそうではない。
電卓と暗算の習得は択一にするような対象ではないし、
現に初等教育では電卓の使い方も無論カリキュラムに入っている。
「漢文の学習において中国語をやるかやらないか」
という二択のアナロジーに全くなっていない。

436 :
現代中国語も基本的な文法構造は古文と変わらんよ。漢字の意味も大部分は保存されてる。
でなければ漢字を学んだだけの日本人が、筆談で中国人と意志疎通できるわけがないだろうに。

437 :
お互い漢文を学んでるんだから筆談出来るだけだな
それに漢文と現代中国語は何の関係もないと言った人は言い過ぎだが別言語とは言える
文法も漢字の意味も漢文は日本語の古文以上に変わっているから

438 :
》431
意味が分からない。
漢文と中国語は何の関係もない別言語なのに。
同じ別言語でも日本語は別格、漢文と遥かに漢字字意が
近く語順を変えるだけで読めてしまう。

439 :
いや、感覚としては日本語の古文と現代文よりも差は小さいよ
語の単位である漢字が担う意味が基本的に共通だから
強いて言えば「言葉遣い」程度の違い。
というか、文語文体は現代中国語の一部として普通に使われてるし
何の関係もない別言語なんて言ったら中国人は唖然とするだろうね。笑

440 :
差が小さいと勘違いするのは漢文を習ったり日本語で漢字を習ったりしてるからだな
その知識や感覚をベースに現代中国語を捉えてるから日本語の古文より近いと勘違いする
その感覚の奴が倭臭云々言ってるとしたらお笑いだな
そもそも漢字の担う意味だって漢文と現代中国語は日本語の漢字の感覚で漢文を読む以上に変容してる
文語体の表現を言うなら英語におけるラテン語だって現代中国語における漢文並みにある

441 :
>>439
漢文字意≒日本語字意
我叫阿≒我阿叫・我は阿と叫んだ・私はアと叫んだ
中国語
我叫阿→私の名前は「阿」です。

442 :
その変容の度合いが日本語の古文と現代文よりも小さいという話。
実際、「叫」という字は現代中国語でも「さけぶ」という意味もある。
字語に新たな用法が付加されることはあっても、
それで古くからの意味が無くなるわけではない。
だから現代中国人でも古文が読めるし、日本人と筆談することもできるわけだな。

443 :
>>441
つか現代でも「さけぶ」意を表したいなら「喊叫」と「叫」を使うし
古文でも「叫(名前)」と書けば「(名前)と呼ぶ」という意味だし
古文と現代文の差を強調する例にそれを挙げること自体
中国語および漢文についての無知を自ら告白しているようなもんだぞ

444 :
二文字と一文字は根本的に違う
それと漢文ならその実例をあげてくれ
基本的には441でOKだと思う

445 :
根本的に違うと君の主観で断言しても仕方ない。
喊叫という例によって、「叫」は「さけぶ」という意味でも
現代中国語において使われていることが示されている。
中日辞書を引いてご覧。
「と呼ぶ」だけでなく「さけぶ」という意味が載ってるのを君は見つけるだろうから。

446 :
「叫」は「さけぶ」「よぶ」「なく」など、もともと発声・発話行為を意味する語で、
「なづける」という用法もそこから派生した表現なんだが。
日本語の「私はAという( say A)」が「My name is A」の意味でも使われるのと同じこと。
「叫」も「いう」もそれでもとの発声・発話行為の意味がなくなるわけではないので
それを以て関係ない別言語だと言い張るのはちょっと強引すぎるなあ。

447 :
>>「二文字と一文字は根本的に違う」
これは完全に中国語も漢語も理解してない証左だな。
漢字は表語文字だ。一文字が一個の単語として意味を持つ。
「喊叫」は類似の意味の単語を並べたもので
「文字」「類似」などといった熟語と同じ構成原理の熟語。つまり
「叫」一字にサケブという意味があるからこそ成立している熟語なのだよ。
そもそも「他叫了」と言えば現代中国語でも「彼は叫んだ」という意味だ。
おおかた中国語を僅かに齧った子が、最初の授業で「我叫〜〜」という表現を教わって
「日本の叫と意味が違うんだ!」などとありがちな早合点をしちゃったんだろうが
そんな知識だけで知ったかぶらないように。恥ずかしいから。

448 :
そんな語源を辿るなら古典ギリシャ語とラテン語から現代のヨーロッパの諸語に流れてる
語源でいうなら日本語は漢文から借用して熟語を作って行ったから共通してる部分もかなり多い
そんな語源の話以前に漢字が一文字で意味を表すのか二文字以上で意味を表すのかというのは
漢文なり中国語なりを解釈するときの重要な差異でこの勘違いで誤読は起きやすい

449 :
叫の「サケブ」という意味は、
語源ではなく現に使われているもの。
中日辞書の「叫」の項の最初に載っている意味が「さけぶ」。
中国語における字語は普通、
派生的に新しい意味をも獲得していてもいなくても、
古くからの意味は継承保存している。
要するに古い時代の中国語を拡張したものが現代中国語であって、
全く別言語になったわけではない。
古文は中国語の原型であり、中核でもあるのだよ。

450 :
一文字で「叫」と使っても、「喊叫」という熟語の中で使っても、
サケブという意味で使われますよ、というのが>>447で言ってることなんだが
>>448君のレスを読む限り理解できてないみたいだねえ。
もう一回言おうか?
「他叫了」と言えば  現代中国語でも  「彼は叫んだ」という意味だよ。

451 :
>>450
君が中国語解らないと言う事実だけは理解できた。
>もう一回言おうか?
>「他叫了」と言えば  現代中国語でも  「彼は叫んだ」という意味だよ.
気の済むまで繰り返して言えば良いよ止めはしない。
「他叫了」は「彼は呼んだ」の意味であることは変らないなだから。

452 :
451君、悔しいのは分かるが、駄々こねても仕方ないだろ。 諦めろ。
諦めろ。
叫jiao 
(1)動(人が)叫ぶ。‖疼得他大〜 tengde ta da jiao 痛みに彼は大声をあげた。
(3)動 …と呼ぶ。…と称する。
【相原茂編 講談社中日辞典 第二版 799頁】

453 :
辞書引けば分かることを、なぜ言い張っちゃうんだろう…。

454 :
>>452
>>453
上記を同一人物と推測して書きます。
参ったね、辞書引いてもそこに何が書いてあるか解らないようですね。
他叫了:彼は呼んだ
他大叫了:彼は叫んだ
辞書が読めないから、漢語と中国語は全く無関係な別言語と気がつかないようです。
中国語動詞活用辞典 王 硯農 (著)でも立ち読みでいいから見てください。

455 :
うわ、まだ言い張っちゃってるよ…。
これで押し切るつもりなんだろうか。

456 :
白水社とか光生館のありきたりの辞書だと「叫ぶ」とあるので
一日つぶして「叫ぶ」と書いていないマイナーな辞書をやっと探し当てました、
とさ

457 :
>>455
辞書見ても解らない方に「辞書見たら」は酷な言い方でしたね。
反省します、では機械翻訳ではどうでしょうか?
     エキサイト翻訳   :Weblio 中国語翻訳 :Google 翻訳  :Yahoo!翻訳
他叫了 :彼は言いました   :彼は呼びました  :彼は電話をした:彼は呼びました
他大叫了:彼は大いに言いました:彼は大喝しました :彼は叫んだ  :彼は大喝しました

458 :
>>456
君、辞書見ても何が書いているか読み取れないでしょ。
意味を読み取れそうな辞書を挙げました。

459 :
というか、「呼ぶ」って他動詞だから、「彼は呼ぶ」って日本語としておかしいの。
辞書に載っていても「呼ぶ」「注文する」といった訳は「叫」に目的語がないときには選べない。
「他叫了」という文なら叫は自動詞、かつ主語が人間なので、「彼は叫んだ」と訳すことが適切。
いずれにせよ、叫が現代中国語で「さけぶ」という意味を持つか否か、
という論点で言えば、
辞書に単独で「さけぶ」という訳が載ってる以上、何を喚いても無駄。

460 :
横だが、上がってる例を見ても少なくとも全く無関係の別言語の根拠に放ってないと思うのだが
というか、同じ文字列で意味が違う文をあげれば全く無関係の別言語になるのなら
日本語の現代文と古文でも、意味が変わってる単語とかたくさんあるだろ

461 :
(1)古代漢語の叫も、「呼ぶ」という意味を持つ。
 【説文解字】叫、呼也。
(2)現代中国語の叫も、「叫ぶ」という意味を持つ。
 【講談社中日辞典】叫jiao(1)動(人が)叫ぶ。
故に「現代中国語の叫は呼ぶ。漢語の叫は叫ぶ。よって別言語」という主張は不成立

462 :
》459
とうとう、中国語ではない俺様言語言い出しましたね。
「俺が中国語だ」ですか
「日本語としておかしい」って中国語ですが?
俺様の中では日本語も中国語も同じ言語なんですね。

463 :
>462と同じ人です、君と違って別人装って書き込みしませんよ。
百聞は一見にしかずです。
http://www.yahoo.cn/s?q=%E4%BB%96%E5%8F%AB%E4%BA%86&amp;page=1
以上の膨大な中から、一つだけで良いので君の意に沿う
用法を選び出して、指し示して下さい。

464 :
日本語としておかしいのは、誤訳だから。
「他叫了」という文に目的語はないので、この文の「叫」の訳として、
自動詞「叫ぶ」は選択できるが、他動詞「呼ぶ」は訳語として選択できない。
つまり文法上、「彼は呼んだ」は誤訳。「彼は叫んだ」は問題なし。

465 :
>>464
うわ、最悪の絶妙の間で書き込んでしまったね。

466 :
462が何のために頑張ってるのかわからない。
現代中国語で叫は「呼ぶ」という意味だから、古文と現代中国語は全く関係ない別言語だ、
という主張なら
・「叫」は古文でも「呼ぶ」の意味を持つこと(説文解字)
・「叫」は現代中国語でも「叫ぶ」の意味を持つこと(中日辞典)
この二つの事実で既に終わってる。
「他叫了」は「彼は呼んだ」だ、などと誤訳を連呼したところで、
「叫ぶ」という意味が大抵の辞書にはっきり書かれてる時点で
現代中国語の「叫」に「叫ぶ」という意味があることは否定できない。
悔しくて言い張ってるだけならもうやめた方が良いと思う。見苦しいだけだから。

467 :
>>466
だから君の主張する用法使っている、中国人の書き込み一つだけ提示すればよいだけ。
簡単でしょ?
君にとっては中国人全てが間違っていて、俺様一人が正しいのかも知れないけれど
それは中国語ではないから。
君にとっては現実世界は意にそぐわない見苦しいものですよ。

468 :
中国人も辞書も正しい。
ただ「他叫了」は「彼は叫んだ」ではないと主張する人物だけが間違っていると思う。

469 :
中国人が「叫」を「さけぶ」の意味で使ってる例なんて
検索すれば幾らでも見つかるけど、わかりやすい一例を提示すれば
http://tieba.baidu.com/p/2370189549
「我要叫了!!!!!!!!
阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿
我叫了」
訳すまでもないが
「叫びたい!!!!!!!!
あああああああああああああああああああああああああああ
叫んだ」

辞書も中国人も間違っていて、君一人が正しいと言い張っても、
それは中国語ではないらしいぞ。

470 :
この程度の認識で「漢文と中国語は無関係の別言語」とか断言するってどうよ
というか、なんでそこまで別言語ということにしたいんだろうな

471 :
ほんと痛々しいね
今ごろは屁理屈の推敲中だろう

472 :
>>469
何勝手にルール変えて悦に入っているの?
例文は「他叫了」でしょ?
さらに墓穴掘っていることにも気がついていないし。
君の挙げたものはわざと間違った文法使うことで臨場感を出した文章
我要叫了!!!!!!!!
阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿
我叫了
私は言いたい「あーーーー」私は言った
「大叫」の「大」を抜くことにより
今、この瞬間、しゃべっている間にでも叫びたいと表現している
日本語訳すると:私は、()びたい「あーーー」()んだぜ
時制の無い中国語で、わざと()に入る「さけ」を抜いて文法壊して
臨場感を出している。

473 :
なんじゃそら

474 :
>もう一回言おうか?
>「他叫了」と言えば  現代中国語でも  「彼は叫んだ」という意味だよ。
待ってますよ、その用法のリンク先を。
追記、私の薦めた辞書見てくれたようで何より、読みやすいでしょ。
日本人は辞書書くとき「辞書引くぐらいだから、これぐらい解るだろ」と言葉端折るので
「解らないのだから辞書引くのだ」との外国の辞書執筆方針に比べて劣っている。

475 :
もうダメだろ、この子。

476 :
日本語まで崩れてきた

477 :
ワロタw

478 :
叫の意味が全く違う、っての自体が信用出来ないみたいだが、仮にそれが正しいとして
叫の一語でこれだけ言えるなら
この人の理屈だと【きく】という語は、上代では耳で音などを聞くなどの意味しかなく
現代語のような尋ねるという意味はなかったとされる。
そのことだけで、上代日本語と現代日本語は何の関係もない別言語だと言い張れるな。
もちろん、文法構造を始め一単語以上の大きな違いはたくさんあるわけだし
漢文と中国語の違いにも叫以上の違いがたくさんありそうだが
全く無関係の別言語と証明するにはどういう基準を使えばいいかとか、全くわかrんけど
それでもさすが叫一語を根拠にするのは根拠薄弱だと思うわ
というか、他に絶対、意味が変わってることが確実な単語とかありそうだけど
なんでそういうのを持ってこないんだろう

479 :
472のような支離滅裂な主張に賛同する人間はいない。出直せ。
とまれ、漢文と現代中国語は同一言語の文語と口語の関係にあり
日本語における古文と現代文の差と「類似する」ということはできるが
「よりも大きな差がある(ない)」といった比較は
定量的な根拠がなければあまり意味を持たないと思う。

480 :
だから恣意的に引用してるけど全く無関係なんて言ってないだろ
別言語というのと全く無関係な別言語というのは意味が違う
この人は意図的にこういうすり替えをする

481 :
>>480
みんなわかってるよ。
みんなが君達に共感しながらこのスレ読んでると思ったら大間違い。
俺はこの見出しを思い出した。
ドワンゴ会長曰く『日本は最下層の人間が全部ネットにぶら下がってる』
http://archive.2ch-ranking.net/newsplus/1352119116.html

482 :
確かに472みたいなのは「最下層の人間」だったとしても違和感ないな

483 :
全く意味不明なことを言って話をそらすって重症だな
てか自分のことだろ

484 :
>>480
>>454 :名無氏物語:2013/06/19(水) 20:45:41.51 ID:Lrrf42Ze
>>辞書が読めないから、漢語と中国語は全く無関係な別言語と気がつかないようです。
思いっきり「全く無関係」と言ってますけど

485 :
そもそも古文と現代中国語が無関係だとか言ってる子が
その例として「叫」の意味が異なること挙げたわけ
で、現代中国語でも普通にサケブという意味で使うよ、
と指摘されると辞書の記述を無視して「例を挙げろ」と要求し
実例をさっくり挙げられると中国人がわざと文法を間違ってると主張し
挙句、自家製中国語理論「臨場感を出すために文法を間違えた」を発表
という流れ

486 :
中国語会話で最初の5分で習うのが自己紹介。(我叫鈴木・・)
その彼は漢文教室で、漢文の先生に異議を唱える
「この武将は腹を刺されて叫んでいるのではありません
自分を打ち倒した相手を称えて、私は阿ですと自己紹介しているのです
先生は現代中国語を学んでから漢文を学ぶべきです」
たった五分で漢文学習障害者に育て上げるのが、シナ語学習

487 :
>>486や臨場感くん(>>472)のような主張を見るたびに不思議に思うのだが、
なぜある外国語単語に、複数の日本語訳語が対応しうることを理解できないのだろう。
中国語の動詞「叫jiao」にしても、文脈や目的語の有無によって
「叫ぶ」「鳴く」「吠える」「と呼ぶ」「という名前である」などさまざまな日本語に対応しうる。
ところが472や486のような一部の人たちは、複数の訳語が対応するという発想が持てない。
サケブという訓を覚えると漢文では必ずサケブの意味だと思い込み、
中国語の教科書で「我叫木下一郎」という例文を覚えると中国語ではヨブだと思い込む。
結果、「叫は漢文ではサケブ、中国語ではヨブ、よって別言語」という短絡的な主張を始めてしまう。
実際はヨブもサケブも「叫」という語が中国語において受け持つ意味の広がりの断面にすぎない。

488 :
そんなのは知ってるでしょ
根本的な問題はそこでは無くて現代中国語は漢文と同一言語だから現代中国語を学んでから漢文をやるべきと捉えるか
日本人なら現代中国語をやらなくても漢文は出来ると捉えるかでしょ

489 :
理解できてないから472や486のような主張をしてしまうのだろうな。
なお、私は古文が現代中国語の基礎であり中核であるという認識を前提として、
漢文教育を中国語入門として位置付けるべき、という主張に理があると見る。
すなわち飽くまで外国語である中国語のテクストとして読み、文法や語彙を解説し、鑑賞し、
必要に応じて現代日本語訳を用いることはあっても、そこに訓読点や書き下し文は介在させない。
漢字に訓じて(叫→サケブ)足れりとするような短絡的な理解は
日本語と中国語の語彙それぞれが表す意味範囲が一致しないという意識を希薄にし、
他言語に対する理解が皮相的となる弊害は472や486といった実例を見ても分かる。

490 :
>>486
「我叫鈴木」を習っただけで「叫」は全て自己紹介でしか使わないと思い込むとか、
中国語を学んだら漢文学習障碍者になるとか、発想がバカすぎて説得力が全然ないね

491 :
英語圏の古典中国語classical chinese教育は
現代中国語をあまり間に入れず(発音は普通話準拠なので全く入れないわけではない)
古典中国語文法を直接教えてるね。
漢文(=古典中国語の読み下し能力)教育でも、現代中国語をしっかり勉強してからというのでもなく
古典中国語を学ぶことは普通にできるでしょ
現代日本語を学ばずに古代日本語を学ぶことだってできるのと同じ
問題は漢文教育が、古典中国語を「日本語の亜種」とか思わせてしまうバイアスがあって
その危険性の問題でしょ

492 :
>>491
英語では中国語の文法用語はなんというの?
たとえば「蟻付」という語について蟻を説明する用語は?
adverbial position?
蟻(yi) means ants. it is in the advervial position,
then this 蟻 means 'like ants' みたいにしゃべってるのかな。

493 :
>>492
ttp://pds11.egloos.com/pds/200901/16/93/Classical_Chinese_Grammar.pdf

494 :
>>491
重要なことは漢文を「外国語として認識する」こと。
そのために主張しているのは漢文を「中国語として学ぶ」ということ。
それが漢文それ自体を正確に理解する正道であるし、
また現代中国語を学ぶ際の基礎ともなる。

495 :
無論、「現代中国語を完全にマスターしてから漢文を学べ」などと言っていたら
何年かかっても漢文には辿り着けないでしょ。それは現実的に不可能。
しかし「漢文を中国語の学習の一環として学ぶべき」というならその通りだと思う。

496 :
基本的には漢文をやりたいのか?現代中国語をやりたいのか?でしょ
漢文をやりたいなら必ずしも現代中国語は必要ではない
現代中国語をやりたいなら必ずしも漢文は必要ではない

497 :
それは「ピンチョンが読みたいかシェイクスピアが読みたいか」というようなもの。
学ぶ側として自分の必要や趣味に応じて発展適用の方向を選択すれば良い話であって、
教える側が強いて二者択一を迫って知識の応用範囲を狭く限定する必要はないし、するべきでもない。

498 :
例え教材としてシェイクスピアを読むとしても
「シェイクスピア用の英語しか教えない」とまで限定する必要はないよね
同様に古文を読むとしても
「古文用の中国語しか教えません」という必要もないってこと

499 :
(原文)雖然→(訓読)しかリトいへドモ→(現代語)であるが
(原文)A未嘗B→(訓読)AいまダかつテBセズ→(現代語)AはBしたことがない
というのをやめて
(原文)雖然→(音読)sui ran→(現代語)であるが
(原文)A未嘗B→(音読)A wei chang B→(現代語)AはBしたことがない
と教えるだけでもだいぶ違ってくる。
漢文文法が中国語文法の知識としても生きる。

500 :
そもそもシェイクスピアって近代英語だからな
中国語だと明代ぐらいだから同一言語的に拡張して行っても理解しやすい
一方で漢文は英語だと古英語やラテン語だから同一言語的な解釈は難しいしすれば誤解が生じやすい
例えば中国人が書いた本で間違いだらけの漢文というのがあるが日本人を専門家とかを含め批判してるんだが
現代中国人の感覚をそのまま古代に適用させようとするから自分の方が間違って解釈してるケースがある
だから必ずしも現代中国語の感覚は漢文やその古典を理解する為に必要とはしないし時には誤解の元となる

501 :
ラテン語と英語はそれぞれイタリック語派とゲルマン語派に属する別系統の言語で
後者が前者から語彙を取り入れた関係にある。
他方、古文と現代中国語は同一言語の文語と俗語の関係に過ぎない。
ゆえに古文と現代中国語を、古英語・近代英語と現代英語に例えるのはまだ良いが、
ラテン語と英語の関係に例えるのは従って的外れ。
その例えが成り立つのは、漢文と日本語の関係などだろう。

502 :
だからその認識が間違っているんだって
今の北京語を母体とした現代中国語は元や清の支配で英語並みかそれ以上に発音や語彙や文法が変化してる
まだ南京官話が標準語だったらマシだったけど北京官話は同一言語の文語と俗語と言うには違い過ぎる
それに日本語の方が文法的な変化は少ないから

503 :
まあ落ち着け。
(A)古典中国語・現代中国語の関係と、(B)ラテン語・現代英語の関係には
(A)は「同一言語の時間的な変化」であるのに対し、(B)は「もともと他言語で一方が他方の語彙を摂取した」という、
【定性的】な差があるというのが私の指摘だ。
古典中国語は古代中国人の言葉から作られたが、ラテン語は古代イギリス人の言葉から作られたのではない。
この点は君も否定できないだろう。
その上で、同じ性質の差違である
(C)古英語・現代英語間の差違、ないし(D)近代英語・現代英語間の差違が、
(A)の差違よりも「小さい」という主張をする場合
これは【定量的】な主張だ。これはアプリオリに決定できることじゃない。
従って言語間の差違の大小を測定する何らかの客観的な比較がない限り、君の主観ないし願望にすぎない。

504 :
元々漢文は書き言葉でその為に作られた言語
その当時の口語や方言が部分的に流入しているが発生当初からラテン語とかの言語とは違う
それに加えて中国語の口語自体が古代から現代までに語彙や発音や文法が相当変わっている
その変わっている現代中国語と漢文を同一言語として見るのは無理がある
それと英語とラテン語は同じ祖語を持つ欧印語族でもあるから同一言語の時間的な変化とも解釈出来る
まあその解釈なら漢文と現代中国語は同じとも言えるが読むとそうは解釈してはない
加えて願望や主観で言うなら同じレベルだな
中国語自体が変化してアルタイ語的になってることを無視してるわけだし

505 :
逆に私は現代中国語にとっての古文は、現代英語にとっての古英語よりも遥かに近縁で、
むしろ現代英語とシェイクスピア程度の差に過ぎないと考えている。
それは客観的な比較ではなく感覚的なものだから君が共有する必要はない。
たとえば千年前、10世紀に使われた古英語の文は、文字を現代風に変換すると
he geseh twegen gebro∂ru symonem se waes genemned
petrus and andream his broσor sendende hyra nett on pe sae
(The West Saxon Gospels)
これを現代英語の話者が理解できるかというと、まず無理だろう。
英和辞書を調べても載っているのはhe,his,andくらいなもの。
活用法則も全く違うし体言の格変化もある。
一方、その更に千年前に書かれた古典中国語の文はどうか。
項王軍、壁垓下。兵少、食尽。漢軍及諸侯兵、囲之数重。
夜聞漢軍四面楚歌、項王乃大驚曰、漢皆已得楚乎?是何楚人之多也?
(史記 項羽本紀)
おそらく現代中国語の読み書きができる人間で、
この古典中国語文が全く分からない人はいないだろうと思う。
そして全ての語は現代中国語の辞書に見つけられる。
中国語というのは孤立語で格変化や活用などの文法事項の変遷がそもそも起こらないし
また更に重要なことに表語文字を用いるため発音変化も書記言語には影響しない。
この先天的な安定性に加え、古典中国語の文献はカノンとして常に参照され続け、
語彙やイディオムを各時代の中国語と共有してきた。
その意味で中国語における古文の位置を、英語におけるシェイクスピアに比するのも故ないことではないのさ。

506 :
おっと、ラテン語と英語が印欧祖語に遡れるからといって、
そこで「同一言語の時間的な変化」と言いうるのはラテン語と印欧語、英語と印欧語であって、
単系統と側系統の関係を混同するのはいくら文系でもいただけないなぁ。
すでに指摘したように、古典中国語は古代中国人の言葉から作られたが、
ラテン語は古代イギリス人の言葉から作られたのではない。
ゆえに古典中国語と現代中国語の関係とは性質が異なる。

507 :
それ句読点を切ってるじゃん
それなら日本人でも少し漢文を習えば解釈出来るから
その古典の原文は白文でその句読点のない状態から解釈するなら難しいんだよ
それに中国人なんて近代的な発想であり感覚なんだからそれを古代に適用するのは根本的に間違いだな
それならアーリア人が話す欧印祖語と同じだから

508 :
句読点で切った2000年前の古典中国語文は、現代中国語話者にも解釈できると君も認めるわけだ。
一方、たった1000年前の古英語はピリオド、カンマを入れても現代英語話者に理解できない。
こっちはの区切り程度の問題じゃないからな。
だから少なくとも書記言語としての古英語と現代英語の距離は、
古典中国語と現代中国語の距離より大きいと、感覚的に分かるよね。

509 :
句読点を切るというのは基本的にはその人の解釈でそれをそのまま英語に適用するのは無理がある
そもそも言語は記述だけじゃないし欧印語なんて基本的には発音をそのまま記述してるだけ
それにその発音が自由で拘らないなら別に現代中国語に拘る必要性はない
日本語の漢音でも良いし訓読でも良いってなるな

510 :
論点は、漢文を中国語のテキストとして学ぶことが現代中国語学習に資するか、という話ね
>>499のように訓読を廃止して
(原文)雖然→sui ran→(現代語)であるが
(原文)A未嘗B→A wei chang B→(現代語)AはBしたことがない
という風に漢文を中国語のテキストと捉えて学べば、
文法においても発音においても現代中国語の学習に役立つって話。

それに対する反論として現代中国語と古典中国語が「違う」と繰り返してる御仁がいるわけだが
問題なのはその「違い」の大きさなのよ。
たとえば日本語と英語くらいの、系統関連が全く想定されない言語ほどの差なのか
ギリシア語と英語くらいの、極めて遠い系統関係が想定できる程度なのか
古英語と現代英語程度の、系統関係は明らかだが文法や語彙が大幅に異なる程度か
シェイクスピアと現代英語程度の、用語や文法に微妙な差異はあるが読んで分かる程度の差か
さらには「我は学生なり」(文語)と「私は学生です」(口語)という程度の差なのか。
例えばホメロスの原文を教材に英語を学ぶことはどだい不可能だが、
シェイクスピアを教材に英語を学ぶことは決しておかしなことではない。
「漢文を中国語として学ぶ」ことの可否はその差異の見積もりによるわけ。

511 :
ちなみに「発音が古代と現代で違う」ってのは言うまでもなく無意味な指摘。
発音変化は表音文字使用言語の場合に問題になることであって、
表意文字を使う中国語においては表記上反映されないのだから、
テクストとしての古文と現代中国語の差に関して、「発音の差」は何ら影響しない。

512 :
そう。仮に古典中国語と現代中国語の差が、
「ラテン語と英語の差に等しい」というなら明らかに嘘だし、
「古英語と現代英語の差と同程度」というのも上掲の例文を比べる限り無理がある。
「日本語の古文と現代文の差より大きい」というなら根拠は何、と問わざるを得ない。

513 :
漢文と中国語なんてまさしく「我ハ学生ナリ」「わたしは学生です」くらいの差だよ
つか俺らが高校で習うような漢文の語法句法は現代中国語に包摂されてるから
現代中国語で利用される言い回しの一部と見るのが正しい

514 :
とりあえず唐代の発音に合わせて漢詩の平仄は成立しているので
現代中国語の発音ってのも違うんじゃないかな。
もちろん日本語の訓読みの”漢音”で教えるのもやっぱり違うと思う
もちろん、かなり復元されてるとはいえ、不完全だし、
それを高校生にマスターさせろってのも無理な相談だろうが
漢辞海のおまけについてる復元図みたいなのを教科書に載せておく、
国語教師なら初歩の音声学/音韻学の知識はあるだろうし、
それだけでも、だいぶ違うんじゃね?
あと、日本語の古文についても「うたふ」と書いて「うたう」と読むんだよ、ってだけじゃなくて
ちゃんと昔は日本語の発音自体が違ったことも教科書に載せておくべきだろう。


515 :
まーたアルタイ厨が暴れていたのかw

516 :
あと漢字を単純に表意文字と教えるのも誤解を与えると思う。
中国語は現代中国語(普通話に限らず他の”方言”も)も唐代も復元されtる最古のものの
単音節一形態素が基本になっていて、一般的には、それに対応させて漢字の一字一字が作られているというのが
極めて重要な特徴だし、そこを無視して中国の漢字は語れないはずなのに
日本的な表意文字(日本語の漢字は、表語文字とは言い難いだろう)と教えることで
日本語に引きずられた歪んだ理解が横行することの原因に生っていると思う。
「花ってくさかんむりに化けると書いて、四季のある日本らしい感性だよね!外人にはこの完成はわからんだろう」とか言ってる人さえ見たことさえある

517 :
2000年前の中国語は今と発音が大きく違うが、漢字を使うおかげで
どれだけ発音がシフトしてもスペリングは全く変わらない。
しかも中国語には文法性も時制・人称・数による活用も格変化もないから
それらのシフトによって別言語になることもない。
つまりヨーロッパの各言語を分岐させたファンダメンタルな差異は
中国語の書き言葉には生じ得ない。
漢字の意味を知ってる日本人が中国語の新聞を読んで
おおよその意味が取れてしまうのもそうした性質ゆえ。

518 :
中国語の古典を現代中国語で発音するのは
シェイクスピアを現代英語で発音したり
万葉集や源氏物語を近現代日本語の読み方で発音するのと同じことで
別に特異なことでもない。
「ぱるすぎて なつきにけらし しろたぺの ころもぽすてぷ あまのかぐやま」
などと百人一首を発音している人間なんて見たことない

519 :
パ(ファ)ルス(ツ)グィ(ギュィ)テ、ナトゥキタルラチ、チロタパィ(プィ、ポィ)ノ
コロモ(4つとも唇を丸めず)ポ(フォ)チタリ アマィ(ムィ、モィ)ノ(前に同じ)カグヤマ
なお、濁音の前に鼻声を入れる。
みたいな感じだと言われてるな。
奈良時代の発音については様々な議論があるけど、要するにそれだけ現代語と遠いということ
なんで歴史的仮名遣いがああなのか、平安時代の発音を基準にしていること
さらに歴史的仮名遣いで、実際の古文テキストは必ずしも書かれておらず
歴史的仮名遣いに肯定した上でみんなの前に来ていること、などはちゃんと教科書のコラムとかに入れておくべきだろう

やっぱり漢文だけじゃなくて、古文についても、「現代の日本語とは別種の言葉」って視点をもう少し意識されてもいいと思う。
「同じ日本語なんだから」と現代語との関わりで見ることもできるし、それで古文を好きになる子もたくさんいるけど
それで落ちこぼれてるこの中には「現代とは違う昔の日本語」ということをもう少し強調することで
古文の勉強が楽しくなる子とかいると思うんだよね。

520 :
厳密に各時代の発音がわかってるわけではないので
けっきょく現代中国語で読むのが一番いい近似になると思う
日本語の音はこのスレのどっかでも指摘があったが
一文字-一語-一音節という中国語のリズムの根幹が保存されてない。
文字によって一拍だったり二拍だったりする。
詩でも散文でも音節数で作られるリズムを再現できないと
やはり根本的に欠けるところのある鑑賞とならざるを得ない

521 :
漢詩を読む時は入声だけ語末子音を加えるともっと良い近似になるよ。
「千里江陵一日還」
qian li jiang ling yi(t) ri(t) huan

522 :
「里li, 陵lingとL音の滑らかな響きの後に、
一yit,日ritと入声の詰まる音が続き、
終わりに還huanと口を開いた明るい音が来るのが、
いかにも千里の遠くまでひと息に下るというこの詩のスピード感とよく合う。
しかも一は1声で高く、日は4声で低いので、勢いが出る」
云々といった趣旨の話が石川忠久の「新漢詩の風景」で紹介されていたが
この詩が表現しようとした美を、
訓読に終始することで日本人はどれくらい見逃してきたのだろうと
あらためて考えさせられたよ。

523 :
そんなのを言うなら漢音で足りるしそれに日本人が漢詩を作る際は唐代の音韻を参考にするから平仄は問題ない
そこが問題があるとしたら知識が足りないだけ
一方現代中国語の発音をそのまま当て嵌めるなら平仄が変わってるから詩の美しさや感性は唐代とは違ったものになる
それをもって日本人の漢詩における美的感性の欠如を言うのは根本的な間違いだから
まだ平仄とかがある程度は継承されてる広東語等を持ち出して言うなら分からんでもないが

それと上の李白の詩なら
セン リ コウ リョウ イツ ジツ クヮン
で全然問題ないし発音も現代中国語より唐代音に近い
音節は現代日本語でもそうだがコウやリョウはコー、リョーで一音節
入声のイツやジツのツはッとつまらせる

524 :
>>522
確かに中国語発音でリズムやトーンが把握できるというのは大きい。
日本語では「古コ」「緒ショ」のように1拍で読む漢字もあれば、
「工コウ」「章ショウ」のように2拍で読む漢字もある。
これを無視して2拍に揃えてお経読みをしてしまうと、
ただでさえ声調がなくて平板な発音がさらに大雑把になってしまう。
平上去入は大体いまの四声に対応してるけど、
こればかりは日本語をどういじっても再現できないしね。

525 :
>>513
根本的に間違ってる
それが通用するのは四大奇書ぐらいまで逆に言えば四大奇書ぐらいならその理屈は通用する
>>517
これは全部間違いで指摘するのが面倒だな
で一番ダメなのが漢字を読んで外国語を分かった気になるところ
それが漢文を訓読する際の弊害と言われてるのにこんな感覚なら現代中国語でも同じだから
>>520
リズムや音節は漢音で保存されている
つまりは漢音は一音節で読める

526 :
「センリコウリョウイチジツカン」
機関銃打ってるみたいだな

527 :
日本語の漢字音で直読しても平板すぎて趣致も何もない
同音異義語が多すぎて音から漢字を喚起しにくいし
訓読した方がまだマシだわ

528 :
いや、間違ってないよ。>>513の指摘で正しい。
レベル5・日本語と英語くらいの、系統関連が全く想定されない言語ほどの差
レベル4・ギリシア語と英語くらいの、極めて遠い系統関係が想定できる程度の差
レベル3・古英語と現代英語程度の、系統関係は明らかだが文法や語彙が大幅に異なる程度の差
レベル2・シェイクスピアと現代英語程度の、用語や文法に微妙な差異はあるが読んで分かる程度の差
レベル1・「我は学生なり」(文語)と「私は学生です」(口語)という程度の差
いま仮に>>510の基準に従えば
現代中国語と古典中国語の差は1ないし2といったところだねえ。

529 :
唐代の平仄を入れるか訓読を入れて読めばいいだけ
それに同音異義語で言うなら現代中国語も五十歩百歩
そもそも日本語だって漢字音が多いんだから似たようなもの

530 :
五十歩百歩ではないな
実際の発音数をかぞえれば
五十歩二百五十歩くらいの差にはなる
まあ仮に二倍の差でも
音による字・義の喚起力が半減すると考えれば
決して小さい差ではないが

531 :
>>528
それなら下を現代中国語で訳してみて
そしてそれが君の言う1〜2という理由を教えてくれ
孟子曰、人皆有所不忍、達之於其所忍、仁也。
人皆有所不爲、達之於其所爲、義也。

532 :
レベル2で例示されてるシェイクスピアと現代英語の差って、けっこう大きくて、
普通にTOEIC900前後くらいの英語中級者でも沙翁原書アタックはかなり厳しい
最初から現代では使わないような単語に出会えば辞書を引けば済むが
例えばdinnerのようなありふれた日常語でも、普通に「夕食」と解釈して読むと
実は昼食のことだったりして、全く油断ならない。
もちろん読むには読めるし、それで大雑把なプロットは追えるけれど、
細部まで正確に読解しているという自信が欲しければ、やはり注釈は必須。

533 :
しかしレベル3の古期英語と現代英語の差異は上の例文を見れば分かるけど、それどころじゃない。
he geseh twegen gebro∂ru symonem se waes genemned
petrus and andream his broσor sendende hyra nett on pe sae
(The West Saxon Gospels)
古典中国語と現代中国語は、むろん簡体字化による変化は考慮する必要があるが、
基本的には漢字を共有しているので、時代とともに発音が変化したにも関わらず、
単語の綴りが変わっていない。
つまりシェイクスピアと現代英語がdinnerやto be or not to beといった
個々の単語の綴りはおおよそ共有しているのと同じように、
古典中国語も現代中国語も単語の綴り、すなわち漢字を共有している。
もちろん、dinnerが食事から特に夕食を指すようになったように、
個々の単語の意味は時代によって微妙に変化はしているけれど、
その変化は関係を追えるもので、辞書を引けば意味も確認できる。
また多くの語は同じ意味で現代でも用いられている。
よって、レベル3のように綴りが全く異なり語の同定自体が困難なレベルの差異と同一視できないことは明らか。

534 :
それはいいから現代中国語と古代漢語とを比べる為に訳してくれ
日本語だってそうだが中国語の場合はそれ以上に文語と口語の差が激しい
書記言語の古代漢語と口頭言語である現代中国語は厳密に言えば別体系であるし独自の変遷がある
もちろん古代漢語自体の変動がゆるやかで固定的とも言えるが口頭言語である漢語は激しく変化している
その口頭言語の北京語を母体としてるのに古典で書記言語である漢語は固定的だから変化は少ないと捉えるのは一面に過ぎない

535 :
いや、良くないな。
まず、レベル3以上に相当するというのなら532および533の主張に反論してごらん。
それができないのなら、別に私が君の依頼を受け入れて翻訳の労を取ろうと取るまいと、
君は私の認識を覆せないよ。

536 :
古文と北京語が違うなら違うで良いんだが
具体的な話が一つもないんだよな
翻訳とか無意味な要求する前に「何が」「どれだけ」違って
その差がレベル幾つくらいに相当するのか具体的に言ってくれ

537 :
>>1
馬鹿丸出し(プッ
漢文は中国語習得の10000分の1以下の時間で
学習できることすら知らない知恵遅れ(嘲笑)
しかも、現在の支那に学ぶべき文化なんてあると思っているのか?(大爆笑)

538 :
>>525
他はともかく
>リズムや音節は漢音で保存されている
>つまりは漢音は一音節で読める
他はともかく、これは間違いだろう。
明らかに二音節になってる語もあるし、一音節を複数の拍(モーラ)に分けることもある
現代日本標準語の性質で音節が同じでもリズムも保存されない。
なお、現代日本語のシラビーム方言同様に、古くは日本語の”主流”でもモーラは存在せず
古い和歌で、五七五七七のリズムにおいて、母音の連続を一つの音として読むことも自由に行われていたことが指摘されていて
現代日本語と古代日本語の差異を示すものの一つになっている
古代日本語と現代日本語も別言語

539 :
中国語習得の10000分の1以下の時間ってことは、
一万時間(一日三時間ずつ勉強したとして、十年近くかかる)かけて中国語を勉強したのと同じレベルに
一時間以下で到達できるということか
ねーわ
それだったら、漢文の授業二回でみんな白文をスラスラ読むだろ

540 :
ひとえに現代語訳といっても
0.臣本布衣,躬耕於南陽,/臣はもと布衣、みずから南陽に耕し、…
(文語文)
1.臣本是布衣,躬在南陽耕,/臣はもと布衣であり、南陽でみずから耕し、…
(口語文法に改めた直訳)
2.臣本来是一個平民,親自在南陽耕,/臣はもともといち平民であり、南陽でじぶんで耕し、…
(俗語表現に改めた意訳)
3.我本来是一個平民,親自在南陽耕田種地/私はもともといち平民であり、じぶんで田を耕して種を植え、…
(文脈や背景知識を反映して語句を補った意訳)
とさまざまな段階での現代語訳が可能だよね
たいてい古典の解説書では3のようにできるだけ補足を加えた親切な訳にしているが
1のような直訳でも現代語の文としておかしいわけではないし(躬gongは中国では常用字)、
純粋に言語間の差異を比較するなら解釈を差し挟まない直訳が適切だと思う

541 :
結局、語順がちょっと変わったとか、単語の頻用される意味がちょっとズレたとか、その程度の差だろ
「シェイクスピアのと現代英語の差」よりも歴然と大きな差があるようには到底見えないね

542 :
漢文も中国語も初歩の初歩の初歩を齧っただけだが
前置詞の発達により語順の自由度が文言に比べて普通話は格段に上がっているとかよく言われてるね
というか、中国諸方言の違いがドイツ語と英語との違いに匹敵するとか言われてるし
普通話が特段に文言に近いってわけでもないでしょ?
さすがにシェイクスピアの時代の英語と現代の英語との差異程度しかないってのは言いすぎじゃないの?
たとえば、四声にしても、古代のがそのままシフトしたんじゃなくて一旦増大してまた四つに減ったとか聞いたことがある。
広東語とか声調が四より多い方言もあるが、それが普通話より古代語から離れてるというわけでもないということだろう。
言語学大辞典でも北方系の影響で基礎語彙の大きな変化が北方方言で見られると書かれてたし
漢辞海の王力の仮説による発音復元表によれば
普通話の有気音無気音の対立のみならず、唐代長安音では
現代ヒンディー語などと同様に有声有気音、有声無気音、無声有気音、無声無気音という対立構造があったとされる
決して差異が小さいとは思えないな。

543 :
発音って書記言語に関係ない件

544 :
あ、表語文字たる漢字を用いる場合において、ね。

545 :
表面を齧っただけで、ここがこんなに違うみたいに語れるのは発音だけだからね
すまないね
ただ、文法や語彙について専門家も大きな変化があると言ってるわけだし
単にシェイクスピア時代の英語と現代英語くらいにしか違わないって言われてもにわかには信じがたいな
現代中国語普通話をちょっと齧って文言を読むのと
現代英語をちょっと齧ってシェイクスピアを読むのとでは、
主観ですまないが、やっぱり後者の方が楽に思えるな
上海語や台湾語も全然読めんし(漢字を辿って意味を推測では漢文と大して変わらん)
言語学大辞典では犬→狗、目→眼子など、基礎語彙の大きな変化が指摘されていたが
そのレベルの変化はシェイクスピア英語には感じなかったな。
文言に比べて孤立語的側面が弱まり膠着語化していると言う話についても
英語では屈折語から孤立語的特徴が強まっていると言われる事にあたると思うが
シェイクスピア時代の英語って、既に屈折語的特徴は今とあんまかわらないよね?

546 :
古文と北京語が違うなら違うで良いんだけど
「発音が変わってる」みたいな無関係な話とか
「専門家が変わってると言ってる」みたいな中身のない話でなく
具体的に「何が」「どれだけ」違うのか
その差がレベル幾つくらいに相当するのかを言ってくれ、と。
同程度の差がシェイクスピアと現代英語の間にもあるのならレベル2以下というのが正しいし
古英語と現代英語の間に見られるのならレベル3以上ということになるだろうが
差異が具体的に提示されないのでは程度の比較などできるわけもない

547 :
ついでに聞くが545はシェイクスピアの英語がどんなもんか知ってるのかい
現代英語との差がどれくらいあるか、実際に原書を読むなどして把握してる?

548 :
ちゃんとした理解ができてるかどうかはともかく、よんだことないわけじゃないぞ
一応、主観だが…と断ってるのを読み飛ばされてもな
というかレベル1、レベル2みたいな話自体が曖昧すぎて
具体的に何を意味して、どういう基準で言ってるか、君も語ってないわけじゃん
まさか具体的に何か他人に通じる形で論じてるつもりになってたのか?
専門家の言ってたことを紹介してるこっちの方が、まだマシなことを言ってるつもりなんだが。
漢字が共通してるから…以上のことを君は言ってないよね
他の人も言ってるが、それだと漢文下し読みとかわらん
それに比較言語学的な系統関係は、基本、音韻構造と基礎語彙で判断されるので
文法的構造はあまり保存されないことが知られているわけで
>>528のレベル論自体があんま意味がない。

549 :
それにレベル1とレベル2の関係もいい加減だよね
教養に支えられた”文語”を”口語”が内包するということと
文語と口語との類似性が、時代の違う同一言語との類似性と比較するのは
概念的に混乱している。
ラテン語を文章語として活用していたから、ラテン語とドイツ語が近いというロジックがおかしいのと同様。
文言が文語であることは疑い得ないし、それが口語のネットワークの中に内包されていたとしても
それは口語と文語が極めて近しいものであることを保証しない。
たとえば、日本語の古文と現代語の日本語は相当に異質な言語だが
古文教育などで、”日本語”として古文をある程度理解できるし
古文的な言い回しが現代語に含まれることもある
でも、それは現代日本語が古代日本語とあまり変わらないことを全く保証しない

550 :
原文をそのまま読んで半分でも理解できたら大したものだが。
具体的に比較してみようか。オセロの冒頭の台詞
Thou toldst me thou didst hold him in thy hate.
これ、試しに現代英語に訳してみてくれ。君の実力を見たい。

551 :
英語力合戦、中国語力合戦をしてるわけではないし、
自分の語学力が大したものだなんて言った覚えはないんだがな
ちゃんと論拠を示して議論しろって話をしてるんだがな。
たとえば、漢字が共通しているから、変わらないとか発音は関係ないとかいいつつ
系統論的な話を持ってきて、レベル分けしてる時点で、論理的に違うレベルのものを比べているので
あんたの語学力がどれだけ高かろうと意味が無い。
レベル分けが「語学力の高い僕ちゃんが言うんだから間違いない」という無意味な権威主義なら
そりゃ専門家の発言のほうを選ぶわ

552 :
あと、基準としたレベルに文句をつけるのはあまり意味がない。
そもそも日本語の文語と口語の差異がラテン語とドイツ語の関係に一般化できるわけでもないので
的外れな批判だとは思うが
そもそもその基準は古文と北京語の差異が「大きい」「小さい」という主張が
何らかの比較対象を持たない限り言辞として無意味だから便宜的に設けたものに過ぎない。
よりよい基準があるのならその提示を何ら妨げない。
もっともシェイクスピアと現代英語という比較対象にもとづく主張の是非と
基準の妥当性は直接関連しない論点だが。

553 :
「書記言語としての古典中国語と現代中国語の差異は、
シェイクスピアと現代英語の差異よりも大きい」
と専門家が主張しているのなら私もその権威に跪拝するに吝かではないが
現状で君が言うことは「古典中国語と現代中国語に大きな差があると専門家が言ってる」であって
その差がどの程度なのかという比較について「シェイクスピアと現代英語」より大、としてるのは
専門家でなく君の主観だ。
君がどの程度初期近代英語と現代英語について知るのか問わないことには
君の主観がどの程度信頼を置けるのかも分からないだろう。
まあ提示した例文はそんなにビビるほど難しいものでもないが。
同じ内容を現代英語で表現するなら中学二年生でも可能なレベルの文だ。

554 :
>そもそも日本語の文語と口語の差異がラテン語とドイツ語の関係に一般化できるわけでもないので
>的外れな批判だとは思うが
日本語の文語と口語の差異がラテン語とドイツ語の関係に一般化されるなんて言ってないぞ?
口語と区別される文章言語が、口語のネットワークに内包されることは
口語と文章言語との類似性を保証しない例として出したのだが。
>何らかの比較対象を持たない限り言辞として無意味だから便宜的に設けたものに過ぎない。
いや、比較してないけどな

555 :
>君がどの程度初期近代英語と現代英語について知るのか問わないことには
>君の主観がどの程度信頼を置けるのかも分からないだろう。
>まあ提示した例文はそんなにビビるほど難しいものでもないが。
>同じ内容を現代英語で表現するなら中学二年生でも可能なレベルの文だ。
いや、一文を持ってきてその理解力が高ければ主観が信頼出来るとかそういう問題ではないだろう、と言っているのだが
そもそもthouなんてのはシェイクスピアの時代でも文語が買った

ここに喜劇である十二夜の一幕のリンクを貼るが
ttp://www.shakespeare-navigators.com/TN_Navigator/TN_1_3.html
ここを見ていけば、現代英語があまり得意じゃない人間でも読める部分が結構あることがわかるだろう
文言文だと、主観だが、現代中国語をちょっと齧っただけの知識では読めんよ
ttp://ctext.org/Rects/xue-er/zh?searchu=%E4%B8%BB%E5%BF%A0%E4%BF%A1%EF%BC%8C%E7%84%A1%E5%8F%8B%E4%B8%8D%E5%A6%82%E5%B7%B1%E8%80%85%EF%BC%8C%E9%81%8E%E5%89%87%E5%8B%BF%E6%86%9A%E6%94%B9%E3%80%82

556 :
というか、
「現代英語と初期近代英語は近い。どっちもあんま違和感なく読める」
「現代中国語と古典中国語は両方とも違和感なく読める」
という話の根拠が主観のみの場合、語学力が高くて
初期近代英語とかをスラスラ読める教養があるのなら、
その感覚的なものの対外的な説得力はむしろ下がるだろ
単に元から読めるんだから。
それに引きずられている側面も考えられる
>>505
>むしろ現代英語とシェイクスピア程度の差に過ぎないと考えている。
>それは客観的な比較ではなく感覚的なものだから君が共有する必要はない。

557 :
分からないなら分からないないで構わない。
知ったかぶらず一度シェイクスピアの原書に当たってみるといい。
生半可な英語力じゃ太刀打ちできないことに気づくはずだ。
Thou toldst me thou didst hold him in thy hate.
語彙を現代英語の一般的なそれに変換すると
You told me (that) you held him in the hate.
直訳すると「お前はお前が彼に対する憎しみを抱いていたと私に言った。」
小田島雄志の訳では「お前、言ってたじゃないか、あいつを憎んでるって。」
じゃあこれを現代英語ならどう言うか。色々訳し方はあり得るが、
自然な口語で同じ意味を伝えるならこんなとこだろう;
Do you really hate him ? Can I believe that ?
原文と全く違うが、この比較はフェアじゃないと思うかい。
ではフェアな比較とはどのようなものだろう。
それを古典中国語と現代中国語の比較に適用するとどうなるだろう。
それを考えてみて欲しい。

558 :
あ、ちなみにthou,thyはこの時代の二人称主格、所有格代名詞。
現代英語ならyou,your.

559 :
漢文は外国語と意識して学んだほうが楽なのは当たり前
http://pds11.egloos.com/pds/200901/16/93/Classical_Chinese_Grammar.pdf

560 :
>>1
馬鹿丸出し(プッ
漢文は中国語習得の10000分の1以下の時間で
学習できることすら知らない知恵遅れ(嘲笑)
しかも、現在の支那に学ぶべき文化なんてあると思っているのか?(大爆笑)

561 :
漢文を外国語として学ぶなら現代中国語なんて必要ない
ダイレクトに漢文を外国語的に学べばいいだけ
それは英語圏の人がラテン語を学ぶのにイタリア語を学ばないでダイレクトにラテン語をやるのと同じ

562 :
>>558
いや、俺が貼った十二夜のリンクを見ればわかるが
シェイクスピア時代には口語的にはyouが既に台頭していたのだが…
実はお前、詳しくないだろ?

563 :
>>557
>知ったかぶらず一度シェイクスピアの原書に当たってみるといい。
この文章をそっくりそのままお返しする。
こっちは別に知った被ってないが。

564 :
youもthouも普通に出てくると言うだけのことだねえ。
それが「詳しい」か否かを判ずる根拠になるのかな。もう少し落ち着こう。
とりあえず再度言っておくと、私としては
古典中国語・現代中国語間の差異と、
初期近代英語(シェイクスピア)・現代英語の差異は
その程度を比較するといずれも似たようなもの、
特に有意な差が認められない、という主張なのだが
563君はどのような点において前者が後者を凌ぐと思うんだい?
(文例)
A 古典中国語
臣本布衣、躬耕於南陽
B 現代中国語
臣本来是一個平民、親自在南陽耕
C 初期近代英語(シェイクスピア)
Thou told'st me thou didst hold him in thy hate.- Despite me、if I do not.
D 現代英語
Do you really hate him ? Can I believe that ? - Of course I do !

565 :
そもそも自己紹介的な記述文章と当時の口語文と比較するのは間違いだな
それなら似たような内容と文章で比較した方がいい

566 :
英語と中国語を比較しているのではないよ。
比較してるのは
1.古典中国語と現代中国語
2.初期近代英語と現代英語
3.1の差異と2の差異
複雑すぎて難しいかな?

567 :
だから内容が違う文章を比較してどちらに差異があるとか言ってるのが間違いと言ってるんだが
当時の戯曲における口語文と記述を前提とした自己紹介的な文語文
それと現在の口語文とは前提となる条件が違うから
それ以前に中国語の方は意図的に文語文に近づけて英語の方はより口語的にして比較するのも間違い
この人はいつもある部分を切り取って都合の良いように論理のすり替えをする

568 :
自己紹介文だと古典語と現代語の差違が大きくなり、
戯曲だと現代語との差違が小さくなる、
という主張かい?
根拠は?

569 :
横だが、俺は英検一級で、漢文も中国語もやったことのあるので言わせてもらう。
シェイクスピアの英語は今の英語と大して変わらない。
thouとyouを入れ替えればほとんど読める。
それに対して、漢文は現代中国語とかなり違う。
しかし「中国語はアルタイ云々」で別系統、と主張するのはおかしいと感じる。
漢文と現代中国語との関係

ラテン語とイタリア語との関係
というのが一番しっくり来る。

570 :
そもそも提示している短文は一例であって、
他の例を君が必要としているのなら、或いは君が反例を挙げられるのなら、
その提示を何ら妨げるつもりもない。
いずれにせよ出帥表とオセロの差異を挙げるだけでは、
例文が不適当だという根拠にはならない。
どのような例文を二つ挙げても常に差異は存在するのだから。
その差違が比較に際して具体的にどのように結果に影響するのか、
過程を論理的に示さなければダメだよん。

571 :
あ、あとごめん、英検一級は俺も持ってるよ。
持ってるから分かるけど、その資格が担保する英語力って、新聞を正確に読み取れる程度ね。
シェイクスピアを現代英語のごとく読みこなせますと豪語するなら、
英文科でコンラッド専攻してました、くらいは吹いて欲しかったなあ。w

572 :
>>568
だれがそこまで言ってるの?というか当然だが文語と口語は違う
比較するなら同じ条件に近いものを持って来た方が良いと言ってるのであってそれ以上でも以下でもない
一方は当時の戯曲の口語で一方は奏上する為の文語
比較するなら同じ戯曲で元曲の似たような場面のものか奏上する為に自己紹介してる部分を持ってくるべきでしょ
それ以前にその主張に関わらず自分の都合の良い部分だけをあえて持って来てドヤ顏するのは勝手に論理を継ぎ接ぎしてるだけに映る
だからドヤ顏をするならできだけ条件を合わせて比較した方が良いと言ってるのはこれで理解出来たか?

573 :
旧植民地でも英語での教育は非効率
http://blogos.com/article/65312/

574 :
>>564
>youもthouも普通に出てくると言うだけのことだねえ。
>それが「詳しい」か否かを判ずる根拠になるのかな。もう少し落ち着こう。
thouは既に文語がかった表現、という指摘しようとしてタイポしたのに対し
何を勘違いしたか「現代英語のyou」にあたる、とか講釈してる時点で、わかってなさ丸出しだろ
十分、根拠になるよ。
というか、現代語に訳すとこんな口語文になるよ、とかいう議論の建て方自体が意味不明すぎてどうしょうもない。
というか、文法的差異を問題にするなら
Thou toldst me thou didst hold him in thy hate.
You told me (that) you held him in the hate.
ここの現代英語では欠損してる過去形が助動詞的に動詞と分離していることの指摘がまず来るだろうに
なんで、文法論の話をすっ飛ばして、「自然な口語訳」なんて話になるのか。
要するに文法を理解しているわけではなく、現代語訳などを使って「理解しているふり」をしているのが明白。
ちょっとぐぐったり、意味を調べたり、日本語訳の再英訳をしたりすれば
現代英語訳くらい簡単にできるからな

575 :
>>570
いや、まずお前が論理的に示せよ。
反例も何も、何も論じてないじゃないか。
>>571
>シェイクスピアを現代英語のごとく読みこなせますと豪語するなら、
>英文科でコンラッド専攻してました、くらいは吹いて欲しかったなあ。w
シェイクスピアを読むのに必要なのは「初期近代英語」に関する知識であって
曖昧模糊とした英語力じゃないだろ…
何を言ってるんだ、お前は

576 :
というか、そもそも
>レベル2・シェイクスピアと現代英語程度の、用語や文法に微妙な差異はあるが読んで分かる程度の差
とか言ってたはずなのに、突っ込まれると、トンデモなくシェイクスピア英語の難易度を上げてきたw
その場しのぎで適当言ってるのが丸わかり

577 :
分からなかったのかな。
自己紹介文と戯曲の台詞というそれぞれの状況が、
具体的に古語と現代語の差違にどう影響するのか、
論理的に説明してごらん。
例えば「文語と口語は違う。」という主張の場合、
文語である出帥表とその口語現代中国語訳の差異は、
ともに口語である戯曲中の台詞とその現代英語訳の差異よりも
「大きく」なるはずだ。
であればこの比較の趣旨に照らして問題ない。
何となれば私は中国語における差違が、英語におけるそれと
「同じ」ないしそれ以下であると主張しているのだからね。
ゆえに現段階で君の反論は意味がない。
老婆心から助け船を出させてもらうと、君が論拠を持って行うべきなのは
「戯曲の方が自己紹介文よりも古語と現代語の差違が大きくなる一般的性質が存在すること」の証明だ。
それがなければ君の主張する差違が比較結果に影響するかどうか、わからないのだから。
君の混乱した反論が論理的に整理されたものとなるように願っているよ。

578 :
シェイクスピアを読んだことのない子のために、気まぐれに文を選んで現代語訳してみよう。
ジュリアス・シーザーより。
【原文】What dost thou with thy best apparel on ?
【現代語訳】What are you doing in your best dress ?
ハムレットより。
【原文】How doose your honour for this many a day ?
【現代語訳】How have you been ?
【原文】My Lord,I haue remembrances of yours
That I haue longed long redeliuer.
I pray you receiue them.【現代語訳】My lord,I have some things from you
that I wish to return.
Please take them.
【原文】I lou'd you not.
【現代語訳】I never loved you.
EModEとPEとで、語形、シンタックスや用語がどう変換しているか、少しは掴めるかしら。

579 :
続いて古典中国語の現代語訳も挙げとこう。
陶淵明のあれ。
【原文】帰去来兮,田園將蕪,胡不帰?
【現代語訳】帰去阿!田園將要荒蕪,為什麼環不把家帰?
【原文】既自以心為形役,奚惆悵而独悲?
【現代語訳】既然自己譲心志服従形体,為什麼要惆悵而独自傷悲?
荘子の冒頭。
【原文】北冥有魚,其名為鯤.
【現代語訳】北海有條魚,它的名字叫鯤.
【原文】鯤之大,不知其幾千里也.
【現代語訳】鯤的巨大,不知道有幾千里.

英語も中国語も、部分的な語順の変化は見られるものの
(eg.英語におけるSVO+not→Sdo notV、中国語におけるV於〜→在〜Vなど)、
文法の基調は変化していない。
(eg.中国語においてはSVO,修飾語+被修飾語,認定助動詞+動詞といった語順)
また語の綴りや漢字の字形はおおむね等しく、それが表象する意味も共通性を持つが
語彙や言い回しの用い方はことなる。
(eg.現代語ではapparelよりもdress,intermitよりもdelay,Be gone !よりもGo Away !)
ゆえに近代英語ならびに古典中国語は、
いずれも現代語を母語とするものが読めば現代語の知識をよすがにおおよその意味を把握しうるものの、
細部にわたる正確な理解には注釈の参照を要する、という点で、
それぞれの現代語から類似した距離にあると言えるだろう。

580 :
>>597
為什麼環不把家帰?
の誤りを知らずに、コピーしたアルか。

581 :
>>1
馬鹿丸出し(プッ
漢文は中国語習得の10000分の1以下の時間で
学習できることすら知らない知恵遅れ(嘲笑)
しかも、現在の支那に学ぶべき文化なんてあると思っているのか?(大爆笑)

582 :
>>580
ん?間違ってるようには見えないけど、
どこが間違ってると思ったんだい?

583 :
ああ、「環」と「還」か。それは純粋に私の入力ミスだよ。笑

584 :
ミス 笑
単純なアホ

585 :
現代中国語(マンダリン)を学んでも漢文の足しにならないんじゃないか?
1. 現代中国語ではそもそも文字が簡体字に代わっている
2. 現代中国語では、漢文が書かれた時代よりも後の時代に造られた単語の方が多い。
3. 現代中国語では、"的"が多用されるが、漢文ではありえない。
4. 現代中国語では、文法がそもそもS+V+Oのような形式に統一化が図られているが("把"等は除く)、漢文はそうでもない。
5. 現代中国語では、文末に利用される漢字(?,?,呀,?...)の多くの意味の理解が不要
ここまで来ると、簡体字・繁体字の違いはあるが使う文字が同じというレベルで、現代中国語を学ぶ必然性が感じられない。
英語を学ぶのにドイツ語(英語のルーツはドイツ語)を学ぶのが必要か?と言うレベル

586 :
シェイクスピアの初期近代英語も現代英語との差違が数多あるけど
学校英語がシェイクスピア読解に全く役に立たないわけではないよね
むしろシェイクスピアの原書に手を出す日本人のほとんどは
中高で学んだ現代英語の知識をもとに読むのが普通で
現代英語は全く読み書きも会話もできず17世紀の初期近代英語だけ学んで
シェイクスピアを読む日本人なんて見たことないよね
中学高校で現代英語に見向きもせずに初期近代英語だけ学ばせるなら
たとえシェイクスピアがどんなに素晴らしくても
変なカリキュラムだと思うよね

587 :
既に何度も言われてることだが
現代語と古典語の差を幾ら挙げても
その差が【どれくらい】なのかという量的な比較をしないと無意味なのよ
現代語と古語は違う。じゃあ古文は幾ら学んでも現代日本語の役には立たないか?
現代英語と初期近代英語は違う。ならば現代英語を幾ら学んでもシェイクスピアは読めないか?
実際には差違とともに共通点もあり、少なくともその共通点の範囲で役に立つし
差違についても脈絡のある変化なら推定して対応できるよね
英語でも日本語でも中国語でも歴史的な変化をふまえればそれだけ理解も深まる
現代語と古語を切り離してENTWEDER ODERと叫ぶよりは
両者を関連付けて学ぶ方が効果も大きいし効率的でもあるだろう

588 :
ここが違うよ、と上げてる人に対して
何も上げない人が量的に比較しろという不思議。

589 :
「何も上げない人」という根拠もよく分からんが、
論理的な瑕疵は誰が指摘しても同じだよ。
中国語が漢文の足しになるか否かを言うのに両者の差違だけ挙げても無意味。

590 :
数学と物理は違う。では数学は物理の理解の足しにならないの?
日本史と現代社会は違う。では日本史は現代社会の理解の足しにならないの?
「AとBの間に差がある」からと言って、ただちに「AはBの役に立たない」とは言えないよね
中国語と漢文に関連・共有する部分があるかぎり「中国語が漢文の足しになる」ことは否定できない
論じうるのはその関連部分・共有部分がどの程度の量で、「足しになる」度合いがどの程度か、ということだけ

591 :
●中国人の歴史観
http://www.youtube.com/watch?v=3Ps-EX0-RmI
・中国人にとって歴史とは、「今の自分にとって都合がいい物語」を歴史という。
・歴史の真偽、本当かどうかは問わない。
・創造性やオリジナルティは中国文明にはない。
↓↓日中間の歴史観の差異↓↓
・中国人は善悪二元論で歴史を見る
王朝を建てた人は立派で「善」、滅ぼした人は「悪」、敗者は天命を失った「悪」、
誰かにとって都合の悪い歴史人物は「極悪人」となる。
・日本人は善悪で歴史を見ない
日本人にとって勝敗は「将棋と同じ」で善人が勝つとは限らないと考える。
善悪と勝敗を絡めない思考のため、善悪論で歴史を見ない。

/オマケ/
・韓国人の歴史観は中国流歴史観を、いっそう過激にしたもの。根本は中国流と酷似。

592 :
「史記」列伝第一を読んだことがあれば、
591の文が中国文化を全く知らない者によって書かれた嘘だと気付いた筈なんだが
バカは鵜呑みにしてコピペしてしまう。
ネットの書き込みに騙されないためにも、教養は必要なんだなあ

593 :
>「史記」列伝第一を読んだことがあれば、
「俺は読んでいるぜ」、のふりはいいから。
「史記」列伝第一なんてこの世に存在しないよ。
どっかの文章の意味も解らず、コピーして少しいじって、張り付けるから
意味の通らない文章になる。

594 :
伯夷叔斉列伝第一。 あるよ。

読んでないのは593だったりして

595 :
だな。
史記列伝第一は伯夷列伝。
読んだことがあれば誰でも分かる。
>>593は何を言ってるんだ。

596 :
>>594
>>595
>読んだことがあれば誰でも分かる。
自問自答は格好悪い。史記の伯夷列伝は便宜上、最初に書かれているために
「伯夷叔斉列伝第一」と呼ばれている。
史記列伝第一と呼ばれることはない。

597 :
「正式にはそういう呼び方はしない、だから間違ってるんだ」っていうだけの話か

598 :
「史記伯夷叔斉列伝第一は存在するが史記列伝第一は存在しない!」
…って、子供のいちゃもんじゃないんだから。苦笑
そもそも>>592では”「史記」列伝第一”と書かれており、揚げ足取りとしても成立してない。
いちゃもんつけて絡むにしても、もう少し意味のある絡み方をしないとな。

599 :
>>597,598
これがいちゃもんにしか感じないなら、漢文を良くわかっていないから。
「史記」列伝第一だと列伝で最も優れた者とも読めるので
伯夷叔斉列伝第一と誤解のないように意図的に呼ばれている。
そんな人が史記読んだことあると言われてもね。
指摘しても何が問題なのか気がつく事すら出来ずに
いちゃもん呼ばわりだし。

600 :
しかし「列伝第一は正式な呼び名ではない」と言うだけならまだしも
「列伝第一は存在しない」(キリッ)とまで断言しちゃったのは、
「便宜上」そのような呼び名があること自体知らなかったからだろ。
592と593のどちらが史記を読んでないかと問われれば、俺は593を選ぶなあ。

601 :
どう言い繕ってもイチャモン。

602 :
>>「史記」列伝第一だと列伝で最も優れた者とも読めるので

ごめん、さすがにこれは無理。

603 :
A「国連によれば…」
B「国連なんて存在しない!!!」
A「…国際連合も知らないの?」
B「省略して国連と呼ばれるだけで国際連合が正式名称だ!!!」
A「…イチャモンで絡まないでくれる?」
B「国際連盟と誤解しないよう国際連合と意図的に呼ばれている。何が問題なのか気づくことすらできないのか!」
マジキチw

604 :
魏志倭人伝なんてものもないから正式に三国志魏書東夷伝って呼ばないといけない流れか

605 :
何やら博識ぶった書き込みが多いが、>>67>>72を独自に解釈できるのかな?
諸兄らは?

606 :
何やら博識ぶった書き込みが多いが、>>67>>72を独自に解釈できるのかな?
諸兄らは?

607 :
>・中国人は善悪二元論で歴史を見る
>王朝を建てた人は立派で「善」、滅ぼした人は「悪」、敗者は天命を失った「悪」、
>誰かにとって都合の悪い歴史人物は「極悪人」となる。
『史記』列伝第一を読んでれば、こんなアホなコピペに騙されることもあるまいに

608 :
>>607
というより、そのような二元論はまさしくネトウヨにありがちな発想と言える。
彼らは『日本は優/善、中国韓国は劣/悪』という図式に合致する情報のみを取捨選択ないし捏造しようとする。
591のコピペもその典型例。

609 :
>>1
馬鹿丸出し(プッ
漢文は中国語習得の10000分の1以下の時間で
学習できることすら知らない知恵遅れ(嘲笑)
しかも、現在の支那に学ぶべき文化なんてあると思っているのか?(大爆笑)

610 :
漢文は翻訳したものを読めばいいと最近思うようになった。
以前は原文や書き下し文を読んだりしてたけどそれは無駄だと思うようになった。
ところが日本語訳がなんかおかしな日本語ばかりでわかりにくい。
もっとちゃんとした訳をつけてほしい。

611 :
翻訳しにくいから変な日本語になるんだろ
だから原文で読んだほうがいい

612 :
現代中国語なんて、習得困難者続出アル。

613 :
協和語?

614 :
現代中国語は古代中国語と全く別の民族による別の言語であり学ぶ必要はない。

615 :2013/09/08
多岐亡羊だなw
列子だっけ?
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