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2013年17哲学32: 民主主義は民意を統計しただけ part2 (222) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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ポストモダニズムとはいったい何だったのか (295)
鏡は何色か (171)

民主主義は民意を統計しただけ part2


1 :2013/07/26 〜 最終レス :2013/09/08
part1のハイライト

1 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2012/02/22(水) 01:01:33.68 0
それは単に被支配民の意向、政策への支持、不支持を統計上の数に
しただけであって、これのどこが民主(民のため)であるというのか?
別の言い方をすれば西洋は民の意志でさえも国家権力の
管理のために数値化していたということにもなる。これは明らかな
権力者側による、民の内心への干渉ではないのか?選挙投票でなぜ
自分の心の中(誰を支持するか、しないかということ)を明かさなければ
ならないのか?
79 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2012/03/04(日) 14:20:27.17 0
>>75
> 大統領が映し出されるときに後ろに外野のように座っている人たち
あれは、大統領が就任するともに、大統領自身が引き連れくるスタッフだから、
まさに民主主義的なシステムなんじゃねーの。日本みたいに政権が変わっても、
顔ぶれが変わらない官僚とは全然違うわな。
96 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2012/03/05(月) 13:35:47.59 0
民主主義を最終的な合意による全体の調和の達成を目的とすると信じるべきでない。
力の不均衡や対立の根絶は不可能だという限界を認めなければ民主主義は始まらない。
民主主義的であるというのは暴力は抑圧が無いことではなく、それらを制限し異議申し立てを可能とする制度が存在するということである。
そういった装置をいかに増やし強化できるのかが問われなければ意味がない。

2 :
154 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2012/03/13(火) 00:55:50.88 0
>>153
だから、試験による実力主義で統治の実務者を選び出すなら、それはただの官僚制。
いまの日本と基本的に変わらない。いまの公務員試験は、「暗記優等生」ばかりが
選ばれているとしても、それはただの試験の内容の問題。民主主義の是非とは無関係。
で、肝心の君主はどうやって選び出すんだい?
469 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2012/08/18(土) 15:44:58.86 0
>>467
>だが政策を選ぶのだったらどうなのか?政治家じゃなくて
>政策を選ぶ、あるいは考える制度だったら?
君が言ってる話はこれに近い気がする
【2025】未来の政治を考えてみた【電子民主主義】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm18638695
ただ、民衆が主体的に選んだり考えたりなんかこの時代不可能なんじゃないかな

3 :
597 名前:gen ◆/jHBEwZ9VI [sage] 投稿日:2012/09/13(木) 15:55:50.49 0
一方で、科学的発展のもたらした巨大な利得は、ストックとして有効に利用されることはなかった。
例えば、後先考えない人口爆発によってその利得は使い果たされようとしたし、
何よりも、「豊かさ」の実感は相対的なものでしかなく、際限なく高い欲望を持ってしまうということ(世代が変われば「今」が標準化する)。
つまり、大きな物語なき科学的発展においては、欲望レベルで見ると、ほとんど一方的な損失にしかならなかった。
大局的な視点(大きな物語)がほんの少しあっただけで、ずいぶん世界はまともになっていたはず。
人口爆発や年金システムだって、ちょっと考えれば誰だってわかる問題であって、
要は、それを考える他者性・大きな物語が欠如していたからに他ならない。

>大きな物語の復活へ解決を求めるのは(これから国民が一つの宗教を信仰するのと同じくらいに)不可能だと思う
>>587も指摘しているが、最も根源的な欲望や意志は自然発生的なものでしかないわけだが、
それを書き換えるために、文化や言語、教育といったソフトウェアな領域が人間には用意されている。
大きな物語を復活させるための書き換えにこそアーキテクチャを使ってはどうだろう。
あるいは独裁を行使してはどうだろう。
(お隣の国ではそれが実行されている)

632 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2012/10/05(金) 23:28:34.60 0
>>597
>それを書き換えるために、文化や言語、教育といったソフトウェアな領域が人間には用意されている。
大きな物語を復活させるための書き換えにこそアーキテクチャを使ってはどうだろう。
あるいは独裁を行使してはどうだろう。
ネットを介して、孤立していた個人たちが、同じ境遇の他者とコミニュケーションできるようにはなった。
それは「小さな物語」かもしれない。
しかしそれは「同一レベル」での連帯でしかなく、その外部にその「物語」が波及することはないだろう。
つまり、新しい連帯を模索する「物語」は、この複雑化した社会内のいくつもの階層を貫く共通の橋を掛けることが出来なければならないわけだ。

4 :
民主主義による選挙制度により、彼らは被支配民にある紙切れを
渡した。ここに自分の支持者である代議士を記入すると
彼らは政治参加したことになり、結果としてそれ以上の
政治参加はできない。本来ならデモ行進も違法である。
彼らは正義の多数決によって決められた政治家を、
少数派のデモ行進によって排除しようというのだから。
ところでもう一度言う。
彼らは自分の意志を紙切れに記入してしまった。
彼ら被支配民の意志は政治家が代理としてその権力を振るう。
法を立てたり、行政をしたり。
だがその責任は国民が負う。
戦争に負けて敗戦国になったり、借金漬けになって債務国家に
なったり。

5 :
彼ら支配者は紙切れを出すだけで、国民の意志を人質にとった。
「この政治家に因る、その政治を支持したのは
選挙で投票したあなた方じゃありませんか」
こう言って彼は国家の借金を国民に突きつける。あるいは
敗戦国になってしまった国の立場を強要する。「貴方の意志で
こうなったのですからね」彼は念を押す。
冗談じゃない。俺は選挙に行ったことなどないし、
第一なぜ俺と関係のない為政者のやったことに
反抗し抵抗する権利がなくなるんだい。
多数派の意志が少数派の意志を代理しただって?
そんなのどこが民が主体となった政治制度なんだね。
単なる民の意志の統計化じゃないか・・・・・。
正しい政治と民の声の大きさと、なんの関係が?
そんな国家に我々は革命を起こす選択肢さえないのかね、え?
民主主義ってのはなんだかこう、みんなが鎖で繋がれて
それで先頭のメクラにくっついて行って皆で穴に落っこちるような
ものじゃないか。
インチキだよ・・・・・ねえ、君。

6 :
そんなことはないさ。
「民の意志で政治をしているのだから、民主主義さ。正義の
統治方法だよ」
「民はなんで立候補者からしか政治家を選べないんだい?近所の
世話役をこの町の政治家にしたいのだがねえ。え?立候補すればいいって?
・・・・カネは我々が用意するって?いやいや、遠慮しておくよ。
それと我々の意志で政治をしているというが、我々は政治家を
選ぶことは出来ても、政策の策定に参加することはできないじゃないか。
そりゃ誰だって政治ができるわけじゃない。そんなことになったら
この国は船頭多くして船山に登るってやつさ。だが代議士を
選んだだけで政治参加を果たしたとなすのも、同じくらい
おかしな話じゃないか?我々は単に政治家を選んだだけであって、
見出したわけでも、育てたわけでもないのだしねえ」

7 :
「その国の知性を知りたければ、その国の政治家を見ればよい」

「私はなにも私達が用意したものだけが政治家に立候補するだなんて
言ってないし、そうもしていない。彼らが政治家として活動するだけで
大金が動くのは仕方のないことじゃないか。だれが彼らに看板やビラを
用立てするんだね?国家がかい?そんなことは無理だ。だから
我々がカネを出すんじゃないか・・ねえ、こんなことに拘っていたって
なんにもならないよ」

8 :
全然統計関係ないやん

9 :
三行で挫折した

10 :
いい加減でいいんだよ。
2ちゃんのいいところは対話で議論がなりたつところだ。
乱文でも駄文でも構わない。
整っていてもいなくてもいい。
もとより哲学なんてそんなところから発生したんだろうしね。

11 :
結局掲示板の解釈ったって文章を受け取るときのこちらの雰囲気次第なんだよなったくよ

12 :
一票の格差、重み、価値などと言われたりもするようだが
一票なんかに焦点を合わせる必要あるのかね

13 :
白紙しか入れたことない

14 :
>>12
じゃあ何に焦点を合わせるべきなのか

15 :
ある集団の大多数の同意と
政治として正しい行いとの
関連はなんなの?こんなの
どこかの国の「声の大きいほうが勝ちになる議論形態」と
どこも違わないよ。

16 :
政治として正しい行い?は?

17 :
投票しないのなら政治を批判するな、とかいうあれは何なんだろうね

18 :
>民主主義は民意を統計しただけ
民主主義は、民意を反映させる主義であり、多数決は関係ないです。
西洋型はほぼ多数決ですが、日本の民主主義は元々多数決制じゃないです。

19 :
>>15
正しい正しくないは政治には用いられません。
常に 国家観、政策、結果の三点からなります。

20 :
今、ねじれ現象がないのも危険、みたいな話する人やメディアはなんだろう
数年前のマニフェスト政治なんて議会無視な感じだったと思うが

21 :
>民主主義は、民意を反映させる主義であり、多数決は関係ないです。
>西洋型はほぼ多数決ですが、日本の民主主義は元々多数決制じゃないです。
はあ?
西洋型民主主義のどこが多数決なの?
選挙って知ってるか?

22 :
日本はもともと多数決じゃないってどういう意味?

23 :
それにしても前スレ突然消されたのはなんなの

24 :
>>18民意の反映とはなんだろうね。戦争をしたい政治家が
戦争をマスメディアで煽ったあとに「民意を問う」として
戦争が始まってしまう以上、造られた民意は
果たして本当の民意足りえるの
だろうか?

25 :
さらに感情まかせでしか動かない理性なき大衆(という形態をまとった
人々の集合)が決めたことが果たして彼らのためになるのだろうか?
これは民が主体じゃなくて、民の好き嫌いが主体でしかない。
本当の民主主義とは感情任せの好き嫌いで政治運営をするものなのか?

26 :
>本当の民主主義とは感情任せの好き嫌いで政治運営をするものなのか?
はいそうです。さようなら。

27 :
典型的なアホが多いな・・・
物が分からないで変な主張を通す団体さんが日本国内にはいるんだよね。

28 :
>>20
何も考えてないだけじゃないの?

29 :
民主主義の基底となる「基本的人権」は、デカルト的な超越論的主観に基づく、
「理性」が主軸となっている。 このデカルト的な「主観主義」を基底として現代の
社会契約論的な民主主義システムが構築されている。
>96さんは「民主主義を最終的な合意による全体の調和の達成を目的とすると信じるべき
ではない。 力の不均衡や対立の根絶は、不可能だという限界を認めなければ民主主義は始まら
ない。」と述べてる。
個々人の主体性と自由を認めつつ、社会を構成する「要」は、憲法、各法律のみではなく、1人1人の
高いレベルのデカルト的理念が、必要とされる。 その基盤の上に「自由」を維持するための「権利と義務」が
1人1人に課せられている。
人間は本来、欲望と理念が混在しており、欲望が強くなれば、力の不均衡や対立が生まれる。
これは人間の「性(さが)」であり、宿命であろう。 しかし、自己の欲望を主体としては、社会は成り立たないし、
結局、暴力の連鎖により、めぐり巡って、自分をも否定することとなる。
だから、民主主義とは、最終的な合意(最大公約数的)を目指して、その合意が不完全であっても、全体の調和の達成
を、最大限可能とすることを目的とすることであり、その実践の基底にデカルト的な理念(基本的人権)が、確立されて
いなければならない。

30 :
そっかあ

31 :
よくわからんが民衆合意主義ってことか

32 :
>>29つまり
孟子と筍子が唱えていたことの焼き直しというわけね

33 :
>>29
カントならまだ分かるが何故デカルトなんだ?
つかデカルトのあれも「神」ありきでしょ。

34 :
カントでなく、なぜデカルトなのか。
それは、近代民主主義の「基本的人権」に基づく議会システムの構想を作り上げたのが
ジョン=ロックであり、基本的人権の基盤となる「超越論的主観=理念」を提唱したのがデカルトだからです。

35 :
デカルトもロックも「神」が前提となってる以上、それを避けて「基本的人権」なるものを語れるのか?

36 :
基本的人権の基軸となっている「超越論的主観=理念」は、「神」の概念とは独立
したものとしてある。
近代民主主義システムが優れているのは、「神」概念とは独立して「基本的人権」を
設定可能としたところにある。 つまり、「政教分離」を憲法で制定していることです。
 
この「政教分離の原則」は、上記でも述べている様に、哲学的論理としての「超越論的主観=理念」の
哲理が基底となっている。
近代の民主主義国家の原点は、フランス革命だが、この革命の原動力となっているのが、デカルトの
「理念=超越論的主観」です。

37 :
>民主主義とは、最終的な合意(最大公約数的)を目指して
マンパワーの頭数を数えてパワーバランスを測り、無用な流血を避けるってこと
大衆デモ動員の意義もかつてはそこにあったわけだ。該当でマンパワーの頭数を
見せつける示威行為。数が多ければ外部からの物資面、軍事面での支援=介入を
招き入れることができ、それを民主化支援活動と呼ぶ。

38 :
該当→街頭

39 :
実際のところ、強制手段は治安部隊や軍が独占的に握っているので、
街頭デモの民主主義における役割は、大国からの支援を受けた軍による、
または大国からの軍事支援を受けた武装勢力によるクーデターにお墨付き
を与える役割を担っているだけで、それ以外は、「言論の自由が
許されている」ことを演出して見せるだけの空虚なものになっている。

40 :
民主化支援=アメリカの利益
http://www.youtube.com/watch?v=3XwMi_NOXMA&feature=c4-overview&list=UU49Iie8_OZytzg_pWzwg4Cg

41 :
>>36
>近代民主主義システムが優れているのは、「神」概念とは独立して「基本的人権」を
設定可能としたところにある。 つまり、「政教分離」を憲法で制定していることです。

では、人権ヤクザや在日が唱える「神聖にして不可侵の人権」というのは全く「政教分離」していないクズ言説ということか?

42 :
フランス革命においても、「国民議会は、至高の存在の面前でかつその庇護のもとに、次のような人間及び市民の権利を承認し、かつ宣言する」(『人権宣言集』)
「至高の存在」ありきなのだが、どこが政教分離なんだ?

43 :
彼らの言う「政教分離」とは「カトリック」からの分離に過ぎない。

44 :
↑馬鹿

45 :
>>8>>14>>16>>21>>26>>30>>44
お前消えてていいよ

46 :
立憲主義ももとは「絶対君主制」時代の「主権国家」のシステムを市民革命期における「国民」に移植したようなものだからな。
やはり「政治神学」は避けられないな。

47 :
政治参加しないと駄目?

48 :
>>47
だから消えろっつの

49 :
俺のナリが出るとは・・・
つか夏休みだからか

50 :
とりあえず、フランス革命(笑)の神話はとうに過去の遺物になってるのは間違いない。
あいつらが革命の名のもとに何をしたか今や誰もが知ってる。

51 :
民主主義の良さは権力を形式化、非人格化するという所にあるのではないか。
国民の直接的な政治参加というのはそれ程大事ではないのではないか。
権力と人格が結びつかなければそれでいい。

52 :
では形式化した権力は何によって動くべきか。
俺は名誉だと思う。
政治家は尊敬されるべき。

53 :
その尊敬が権力の発散に対する一つの抑止力として働くから。

54 :
国民が積極的に政治参加する社会というのは良い政治家は出てこないような気がする。
そういう社会では名誉の感覚が上手く育たない。名誉が別の何かに転化してしまう。

55 :
自分の人格性の否定が名誉という様なところがあると思う。
例えば、日本で言えば「粋」、西洋で言えば「ノブレスオブリージュ」。
これと知識を備えた政治家がいたら、俺はその人に投票する。


56 :
頭がいい人は沢山いる、ノブレス〜は精神態度だから、その気になれば今日から身に付けることも出来る。

57 :
立派なんだけども粋ではないという政治家が多い様な気がする。
知識の運用を過たず行う事が出来るかどうかの分岐点がこの粋だと思う。
粋でない政治家はおそらく高確率でズレた事をする。
俺は別に粋に対する憧れは全くない。

58 :
優れた政治家は殆ど例外なく粋、なのではないか
逆に無粋な政治家は失政する

59 :
名誉云々は蛇足だったな。

60 :
国民の手を半ば離れた形式化された権力が何によって動くか、と考えたら名誉かなと思った。
そしてその名誉がズレないためには粋かなと。

61 :
でも少なくとも立法に関してはやはり国民の参加は必要か。

62 :
んん?法案は省庁が作成して総理大臣が国会に提出しそれを国会が承認するのか。。。

63 :
では野党は事実上国会において政府に反対する以外にやる事がない・・?

64 :
所謂議員立法があるか。出直そう。書き込みは控えよう。

65 :
>>51
>民主主義の良さは権力を形式化、非人格化するという所にあるのではないか。
権力の非人格化というか官僚化だな

66 :
というか「権力」の権力たる由縁はその「形式性」や「非人格性」にあるわけだが

67 :
>>52
多分そのへんの線でいいと思うよ。
「名誉」というか俺は「威信・威厳」みたいのとの関連はあると考えてる。

68 :
名誉のためにやると言った政治家が民主党にいて、
自民党と青山にボコボコにされてたな。
それは私心であると。まぁ日本の政治の定義なら私心だろうね。
なお国のために行うのが政治であり、日本の場合だと国民となっている上、
行政に至っては全て家臣です。日本は。
これ基本中の基本。
名誉って。選挙の基準分かってんのか。

69 :
「言葉」に「尊厳」?みたいのが備わるのはその者がまさに「言行一致」させる場合のみだ。
昔の決闘物語にあるように、決闘の前に「誓い」が捧げられる対象は「神(祖先神)」だった。
「マニフェスト」はまさに「神」に「誓って」なされなければならないのだが、民主党のゴミはただのレトリックとして用いた。
あのグロテスクさを見てもまだ小沢や鳩山の「理念」なるものを支持する者がいるのは・・・何も言葉がないわ

70 :
戦後左翼への怒りが沸き上がってきちまった
しばらく2ch離れよう

71 :
↑政治が理念で動いてると思ってる馬鹿

72 :
↑お前読解力無さ過ぎだろww

73 :
しばらく=5時間

74 :
面白いからこのIPhoneくんに聞いてみよう
政治は何で動くの?

75 :
利権

76 :
へーよくお勉強したね(*´∀`*)君は偉いよ

77 :
↑反論できないから煙たがる馬鹿

78 :
誰でもわかってることに反論する必要あるの?
ここでは皆それを分かった上で話してるからおとなしくしようね(^_^;)

79 :
てか君はなぜ哲学板なんかに来たの?

80 :
>>34
ロックは「自然法」の分析から「自然権(今の人権)」を割り出したのであって「超越論的主観」とは関係ない。
というかこんぽ語はカントからじゃなかったか?
だから前に何故カントでなくデカルトなの?と聞いたんだが。

81 :
訂正
こんぽ語→この語

82 :
世界を戦場にしていい理由
http://democracynow.jp/video/20130517-1

83 :
私たちの合理性は、他者の言説が、自らの言説の中の理由をつけて正当化できるわずかな部分と矛盾しているように
感じられると、遅れているとか、神秘的だとか、空想的だといって、厳しく非難する機能を持つ。
理由付けによる正当化に、私たちはたいそう信頼を置いているのだ。
私たちの合理性は普遍的な人間性という概念を生み出したが、結局は私たちの対話相手の多くを、
その普遍的な人間性なるものから排除したに過ぎない。
E・フッサール

84 :
>>80
「超越論的主観」という語は、カントから始まるが、この「超越論的主観」には、
二通りの概念がある。
カントの「超越論的主観」は、「対象にかかわるのではなく、先天的(ア・プリオリ)に
対象の認識の可能性の条件に関わる認識の捉え方。
それに対して、フッサ−ルの「超越論的主観」は、「現象学的還元の後に確保される純粋意識が、
対象そのものを構成する働きをいう。」 つまり、「対象」に直接に働きかける。
デカルトの「理性」の概念も、「日常的現実意識」次元の理性と、「超越論的」次元の理性との二通りの
概念がある。
「基本的人権」の基底となっているデカルト的な「主体的な理性」は、本質的には超越論的次元の「理性」であり、
フッサ−ルと同じ様に、「理性(二通りの概念)」という言葉の混同をさける為に、あえて、「超越論的主観」として
記述している。

85 :
ちょっとズレるが、はっきり言って日本人にその種のイデアリズムは無理だよ。
日本に哲学者が存在しないことが何よりの証左だ。

86 :
どいつもこいつも形而下の話しかしない。
良くも悪くも徹頭徹尾現実主義なんだよ。

87 :
>>84
「デカルト哲学の基本的前提は、私は私の精神と直接無媒介の関係にある以上、他の誰より私自身のことを良く分かるという事実の内にあった。
人間は、この点に関する限り「共通」であると言えるだろう。
人間はそれぞれ「同質」の素材から構成された精神を所有する。
それ故に、自分の精神をよくわかる人は、必然的に他の人の精神をよくわかるに違いない。
何故なら、「理性」はあらゆる人間に「共通」の能力だからである。」(piero mini)
しかし、カッシーラーによれば、
「16世紀の後半から18世紀の後半の200年間における、最も本質的、支配的な事実とは、人間の差異の存在があまねく攻撃されたことであった」し、
また、「この普遍主義思想は、啓蒙の哲学の第一の基本的原理でもあった」のである。
「普遍主義思想」の最大の特徴は、人間の基本的性質は、ヨーロッパであろうとアジアであろうと
共通の性質を持つと考え始めたこと点にある。
18世紀の「啓蒙の哲学」以降、人間の「精神」は物理的自然に属するものと考えられ、
それ故に物質界を支配する自然法則と全く同じように人間の「精神」もまた規則正しい「合理性・法則性」
に従う存在だと規定されるようになった。
繰り返すが、この全ての人間が持つと想定された「同質的」で「共通」の「理性-普遍主義」なりものは
「人間の「差異」をあまねく攻撃してきた」のである。
このことが「フランス革命」や「共産主義革命」があれほど暴力的になされたことと無関係とは思えないんだが。

88 :
えらく乱文になっちまったが気にすな

89 :
まさに上のフッサールの言うとおりだよ。
まあ引いたの俺なんだがw

90 :
ポストモダン期にやたら差異差異言われたのもそのへんに嫌気がさしたんだろうな

91 :
>>84には>>41の問いにも答えてほしいな。
重要な問題だと思うよ。

92 :
『ホモ・サケル』を読めば分かるが、やたら「人権」を絶対化したがってる人は
自分がナチスのすぐ隣にいることに気付くべきだ。
この「人権」なるものは本当に洒落にならんぞ

93 :
すっかり人権論スレになってるな。もうちょいライトに行こうぜ

94 :
よく考えればカッシーラーなんてマイナーのもん出さんでもフーコーで一発だったな

95 :
>>87
>繰り返すが、この全ての人間が持つと想定された「同質的」で「共通」の「理性−普遍主義」
 なるものは、「人間の「差異」をあまねく攻撃してきた」のである。
>「理性はあらゆる人間に「共通」する能力だからである。」と、デカルトは述べているが、 
 ここで、注意をしなければならないのは、この「理性」が「日常的現実意識次元」の理性(主観)ではなく、
 方法的懐疑によっての究極の「超越的次元の理性」であることである。
 上記の「人間の「差異」をあまねく攻撃してきた」のは、端的に言って、デカルト哲学の
 「日常的現実意識次元」の理性と、「超越論的意識次元」の理性との混同の結果であると思う。
 何故なら、「超越論的理性(主観)」は「明晰で不可疑」なる領野であり、その中に、「差異化」の
 概念が無いからである。 つまり、「すべてのものを疑っている、私は疑えない」の、超越的次元の
 「私(主観)」は、唯一の存在だからである。
 繰り返しになるが、「超越論的理性(主観)」には、「差異」の概念はもともと存在しない。
 従って、「差異」への攻撃、暴力的行動は、その「理性」の中に「日常的現実意識(理性)」が混同
 しているからであると思う。

96 :
その「理性」の中に「日常的現実意識(理性)」が混同していてくれたなら、
むしろ「差異」への攻撃、暴力的行動は、抑制されたように思えるが・・・
てこんなこと言っても皮肉にしかならんな
もうちょい考えます。

97 :
> 18世紀の「啓蒙の哲学」以降、人間の「精神」は物理的自然に属するものと考えられ、
> それ故に物質界を支配する自然法則と全く同じように人間の「精神」もまた規則正しい「合理性・法則性」
に従う存在だと規定されるようになった。
これは哲学界隈の中で未だにメジャーな考えなの?

98 :
なわけないじゃん

99 :
自分は一般意志2.0をかじっただけの素人なんだけど、
あの本でも、無意識が行き過ぎた人間の理性的な部分と相克するものという前提が置かれているけど、
その前提に対する批判はほとんど見られなかった。
これは、みんなそこには同意ということなの?

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