2013年17戦国時代161: 【史実】徳川家康の人質時代を語るスレ【推測】 (249) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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【史実】徳川家康の人質時代を語るスレ【推測】


1 :2009/10/06 〜 最終レス :2013/09/01
いろんなエピソードがあったり、推測を考えられたりする徳川家康人質時代
そんな松平竹千代〜元康とその周辺をいろいろと語ってみようじゃないか
ちなみに人質は織田パートもあることをお忘れなく
本人略歴
6歳 今川の人質になる・・・はずが織田家へ
8歳 やっと駿府へ
14歳 元服して元信
16歳 元康に改名、瀬名姫と結婚
18歳 信康誕生
20歳 独立
ここまで
Wikipedia徳川家康
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%B6%E5%BA%B7

2 :
信長との接触はあったのか
氏真との関係は
今川家の中での立場はどうだったか
雪斎の教えはどの辺まであったのか
などなど好き勝手にレスしちゃえ

3 :
>信長との接触はあったのか
あったかもしれないし、あってもおかしくなかいが、史料的には確認できない。
>氏真との関係は
少なくとも、悪かったとする史料的根拠はない。むしろ敵対した期間もあるのに、
その後は仲がいい。人質時代は氏真の側にわざわざ嫌うほど関心を向ける
価値があったかどうか。
>今川家の中での立場はどうだったか
婚姻によって、今川一門に迎えられ、三河のどこの馬の骨とも判らない豪族の
何の後ろ盾もない人質の子供にしてはありえないほどの厚待遇。将来の幹部
候補生といったところか。ただ、今川家臣たちの個々人がどう思ったかは別。
>雪斎の教えはどの辺まであったのか
最近は疑わしいんだっけ?

4 :
松平氏が竹千代を人質に差し出すことにより今川氏との主従関係が一応成立するも
その後の当主不在の時期にあっても松平氏の西三河における支配機構は機能し続け
ついに今川氏は松平家直轄地と家中衆を今川氏知行地、直臣のなかに組みこむことを
断念することとなる。

5 :
殺されても仕方ない状況で生き残ったのはすごいよな。
頼朝もそうだけど、強運の持ち主。

6 :
田原戸田家は何の勝算があって織田に売り渡したんだろうね

7 :
戸田「愉快犯・・・おもしろけりゃァそんでいい」

8 :
>>3
ちょwwwww
マジレスだけでなくて憶測で面白いレスしてもいいスレなので
そこんとこにょろしく><
雪斎の件については、どうも当時の雪斎は忙しくて
たとえ次世代のホープとはいえ竹千代だけに関わっていたとは考えられない
というのが当たりっぽい
>>5
それは厚遇目的だった今川時代じゃなくて織田時代だよね
そこんとこは確かに言える
だからそれをもって憶測で「信長が気に入ったため助命されたのでは」
なんつっていうのもありかと
「松平の小僧、面白い!」と引っ張り回してた可能性だって
現時点では絶対の否定はできないよね
たとえ居場所が違っててもあの信長のことだから
ふらふらと家康がいるところに行ってたかもしれんし
その後の臣従に近いとはいえ、同盟関係の破綻が無かったことも考えて・・・

9 :
さすがにあの頃はまだ前田利家他名だたる家臣たちは仕えてなかったのかな
一方の家康側には間違いなく酒井忠次はいたはずで
それ以外には誰がまんまと騙されちゃったんだろ

10 :
前田
>天文6年を生年とする説が有力となっている。
>天文20年(1551年)に織田信長に小姓として仕える。
関係ないな

11 :
>>3
三河のどこの馬の骨とも判らない豪族ってことはないよ
岡崎はかなりの大勢力だ

12 :
没落した今川の氏真を庇護したということは
北条氏規のときみたいな昔馴染みってところがあったのかもね
掛川城立てこもりからわざわざ逃がしたのもそういうところはあったのかもしれん
書いてて気付いたけど「人質時代」の繋がりは氏規にもあったんだよなあ
屋敷が隣という話もあるし
義元としては将来氏真の補佐役として家康・氏規に期待してたところもあったのかな

13 :
軍事的側面で語られることが多い家康隠居の地・駿府
でも嫌な思い出の地だったらわざわざ来ないよね
軍事的地理なら他にいくらでも考えられたはずだし、
初代将軍ほどの力なら全然新しい地に居を構えることも出来たはず
今川時代もそれなりに華やかとはいえ、駿府が栄えたのはやはり家康後ではないかと
だから人質時代は少なくとも負の記憶はそんなに無かったか、
プラスマイナスで0以上だったと思う

14 :
兄貴信長と舎弟家康の遊びがどんなのだったか興味がある

15 :
室町中期の一次史料に出てくる松平をみると、
地頭職とか伊勢氏配下とかになってるから、
清康、広忠が馬の骨あつかいになってたとは思えない。

16 :
>>14
信長とは鷹狩とか一緒にやってるな。
竹千代時代のことなら知らんが

17 :
清洲で
兄貴「竹千代も、苦労しとるくせにようこんなに大きくなったのう、わっはっは」
舎弟「もう元康だでその名前はやめてくだされ・・・」
翌年、家康へと更なる改名

18 :
義元敗死しなくても後継が蹴球麿だから乗っ取れたと思うわ
むしろその方が・・

19 :
桶狭間の後も氏真とは仲が良いんだよな、わりと。

20 :
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2476.html
この話って本当かどうかあやしけど
なんの史料に乗ってるのか詳しい方教えてください。

21 :
>>19
だから駿府時代に何かあったと思うんだなー
勝気な家康が年上氏真を子分扱いにしてて
氏真も結構その立場が気に入ってたとか・・・

22 :
仲が良いって言っても、その後氏真が降伏するまでずっと戦争しっぱなしだけどな

23 :
「偉大なる舎弟頭」徳川家康。
駿府期には氏眞の舎弟にキッチリ収まっていたと推測。

24 :
>>22
そりゃ無抵抗のわけはないべ
徳川陣営自体がまだそんなに大きくなかったし元家臣だし
氏真の鞠を豪快にシュートして障子の5枚や6枚破ってそうな家康
意外とそれを咎めない義元っていう感じ

25 :
そこまで勝ち気なイメージなのかw

26 :
逸話だとしてもそういう性格だったろうと推測されるのが
縁側から小便とか寺の領内で鷹狩りとか鳥居元忠を突き飛ばしたとか
そんな話が残ってるからねwww
他にまだあるんじゃない?

27 :
>鳥居元忠を突き飛ばした
kwsk

28 :
例えばぐぐると
http://www.geocities.jp/onriedo_gongujodo/torii-mototada.html
>駿府でのエピソードとしては、百舌の飼い方が悪いと、怒った家康公に縁側から突き飛ばされたこともあったといわれる。
明らかに短気なやんちゃ坊主の竹千代
これを見た酒井忠次からげんこつでももらってれば面白いのにwww

29 :
戦でも短気で、指揮しながら拳を血が出るほど鞍に叩きつけたり
したともいうな。

30 :
だから短気は生まれ付いてのもの
忍耐は人質時代のものだろう
いかに優遇されてると言っても心から臣従したわけじゃなかったはずだから
今川一族になってハッピーっていうノーテンキだったら
後の徳川家康はなかったよね

31 :
>>30
今川に臣従していなければ、松平家は所領をことごとく横領されて岡崎から放逐されていただろうな。
「忠勇無比の三河武士」? 先祖顕彰の作り話乙

32 :
つーか広忠が死んだ時点で事実上家康の系統の松平家は一旦無くなったも同然
更に織田人質になったときも今川がぐずぐずしてたらマジで首切られてたかもしれん
いろいろ差し引いても今川には恩は相当あるはず
ただそこは戦国の世だから・・・チャンスを掴み、力を持った者が上に行くのは当然で

33 :
このころに他人と入れ替わっててもおかしくないなあ

34 :
人質時代に信長との接触があったと考えるのが普通。
でなければ、
大河ドラマの「家康」のときの、信長との同盟で
「竹千代ー!今宵は童へ還って遊ぼうぞ!」のセリフはなかった。

35 :
好奇心旺盛なヤンキー信長が強奪した人質に興味を示さない筈がない

36 :
江戸より駿府が大好きだった家康。
少年時代に学んだ場所は、駿府。
青年時代に目指したのは、駿府。
晩年を過ごしたのも、   駿府。

37 :
>>34
いやいやいやいやwww
大河ソースは・・・
2年あれば接触はあっただろうし
後々の関係に影響のある何かがあったんだろうなあ

38 :
そのわりには信長と家康の二人のエピソードってあまりにも少ないんじゃない?
何らかの精神的レベルでの交流があったと言うなら、
織田での人質時代に限らず、同盟組んでから本能寺で信長が死ぬまでに二人の中が良かったと思わせるエピソードとかが知りたいのだが・・・
信長と秀吉、秀吉と家康と比べて印象が薄くない?

39 :
>>38
秦王政と燕太子丹の間柄みたいな

40 :
>>38
安土に招いた時相当気を使ったとか
堺見学を勧めてくれたとかw
まあ大連立の2トップだからな
清洲同盟でも本人同士は会ってないだろなんて話もあるし

41 :
自分別に史料とか読み漁っているわけじゃないから偉そうなこと言えませんが、
家康が信長について語ったこととかって記録に残っているのかが知りたいです
wikiにも根拠不明で両者が不仲だった可能性もあるとか書いているけど、
実際家康が信長をどう思っていたかについて、個人的な感情や意見を語った(例えば前田利家)話を読んだことがないです
織田家での人質時代の家康のところに信長がきて云々は家康本人の口から出たわけではなく、後世の創作の可能性もあるんですよね?
秀吉のように直接主君に仰いだ経歴のある人物であるならともかく、形式上は対等であった同盟相手の信長に対して家康が遠慮する必要はないように思います。
それなのに信長を褒める話もけなす話も、そもそも信長の登場する逸話が出てこないと言うのは不自然なのでは、と素人考えしてしまうのですがどうでしょうか

42 :
>>38
あの頃の二人の忙しさたるや・・・
ついに武田を潰して、毛利を押し込めて、北条を何とか抑えて、上杉もやっと謙信が死んで、四国を軽く食っちゃうか
という段階になってようやく一安心できたんだと思うな
共同戦線になった対朝倉・浅井にしても対武田にしても、
のんきに昔話を語り合う暇も余裕も無かったんでは
家康にしてもあとはどう巧く織田政権に潜り込もうか、と考えてただろうし
実際>>40のとおりああいう歓待って他の人にはしてないよね
軍団長の明智をわざわざ家康の担当にするってことは、やはり家臣扱いではないわけで
>>41
そもそも2年間だけだったしね、織田人質時代
だからこそ妄想は膨らむし、このスレはそれで楽しむスレでもあるし
史実だけで語る硬いスレじゃないよ
俺としては剣術稽古で氏真をボコる家康を想像してニヤニヤしちゃうんだが

43 :
戦国時代の忙しさって実のところ大したことないんでしょ。

44 :
主同士の行き来が必要だからなかなか暇は無いんじゃない?
余裕が出来てきたのは武田が無くなった後ぐらいだから
さあこれから・・・というときに、本能寺

45 :
信長とはわからんが
北条氏規とは仲が良かったのかね
ご近所さん説は置いとくにしても

46 :
人質関連年齢差
当主他           織田→今川移送時の年齢
1534年 織田信長 +9  17
1538年 今川氏真 +5  13
1543年 徳川家康     8
1545年 北条氏規 -2.   6
付き従った家臣
1527年 酒井忠次 +16 24
1533年 石川数正 +10 18
1539年 鳥居元忠 +4.  12
1542年 平岩親吉 +1   9
1548年 本多忠勝 -5   4  ただし駿府へは10歳のときとのこと
目立った家臣は他に誰がいるのかな

47 :
既出だが、事実かのように語られている「信長と元康が清州城で
会見しての同盟締結」はなかったという説もある。
この説では信長・家康の間の攻守同盟もなかったというのだが。
清州での会見がなかったという説の根拠は「信長公記」「三河物語」
「松平記」などの早く成立した史料にその記述がなく、
江戸時代になってからの史料にしか記されていないということとか。

48 :
>>47
「清洲会見」があったか否かと、「同盟」の有無は別だよな。
まあ甲相駿三国同盟の善得寺会盟もなかったという話だし。

49 :
家康人質時代からの縁で仲が良いというと
徳川家中以外じゃやっぱり北条氏規が思い浮かぶな
氏真の掛川城開城の時、徳川と氏真の仲介して氏真迎えたのも氏規だし
家康の対北条の窓口はほとんど氏規だし
小田原攻めの際も自害を図った氏規を止めたのは家康の命を受けた井伊だしね
氏規の息子も関ヶ原に東軍で参加しているし、もし氏規が関ヶ原まで生きていたら
関ヶ原で家康と戦っただろうなあ
あとは岡部元綱なんかは今川時代から家康と親しかったというよね

50 :
家康と

家康と共に
だよね
最初「???」だった
要するにこの3人はほぼ間違いなく今川屋敷で顔は合わせてたはずで
場合によっては>>12の件もあるだろうから文でも武でも一緒にやってた可能性も0ではないよね
氏真がちょっと歳が離れてるけど>>46
補佐役になる予定だった二人の方がどうにも優れていたようだというのが
義元から見ると歯がゆい事実だったかもしれん・・・

51 :
華陽院が今川氏でどういう扱いを受けてたか知りたい。

52 :
つか案外駿府時代のことって謎だらけだよね
だからこそ想像は膨らむんだが
人質同士とはいえ、氏規と家康じゃかなり立場が違うんじゃないか?
氏規は北条家の五男だし、時期当主氏真の義弟で、義元の甥でもある
ほぼ一門衆的な扱いを受けていたんじゃないかな

53 :

【G2サマナイ/共同通信社杯/東西王座18】
456:10/20(火) 15:51 bJ+MZU4B [sage]
10年くらい前の取手記念で神山のおっかけのデブスがいて
スタンドの上の方から神山さーんとか叫びながら降りてきた拍子に
思い切り転んで物凄い勢いで二十段くらい階段落ちした。
死んだかもと思ったら、額から血を流したままむくっと起き上がって、
また神山さーんと叫んだのでびびった。

54 :
つまり氏規は家康よりは1つ今川家に近いということ?
確かに当時の家の大きさ・立場からいったら
今川⇔北条と今川⇔松平では段違いだからなあ
あと・・・意外とネタレスが無いなこのスレ
妄想OKなんだけどwww

55 :
最近は家康が人質として滞在してた場所についての論争(駿府か否か)も
あるそうだな。駿府じゃない説(平野氏)では、家康は吉田にいたんじゃないか
としているな。勿論これには本多氏などの研究者が反論を加えているんだけど、
なかなか興味深いな。

56 :
なんかそれ見たことある気がする
そのときはそんなに人質に関して興味なかったから流して読んでたが
どんなんだっけな

57 :
http://www.hotgoo.com/watch/10414

58 :
でも家康は何度か幼い頃は駿府にいたって言ってるんだよね

59 :
そりゃまあ今川から見たら西三河管理事務所みたいなもんだったろうし。

60 :
なんだかんだこの人質時代の縁みたいなものを後世フル活用しているよな

61 :
広忠の子供と後の家康は別人だお( ^ω^)

62 :
氏規の助五郎って名前
そのままんま「五郎(氏真)を助けてね」って意味?

63 :
新九郎・源三郎・新太郎・助五郎・四郎・三郎

64 :
駿河には家康の祖母も来てたんだっけ?

65 :
母親は離縁だからやむなく
確か唯一の肉親ということで

66 :
竹千代は稚児姓として義元に毎晩義元に掘られていたよ

67 :
義元はしらんが氏真はそういう説があるのを2ちゃんで見た気がする

68 :
家康だって井伊直政と・・・という話はあるし

69 :
駿府での人質時代の家康は、
鷹狩をして、しばしば隣の屋敷に自分の鷹が迷い込んで、
その鷹を取りに行く度に、
その屋敷の主人(孕石主水だったかな?)に、
「三河の小伜には、飽き飽きしたわ!!」等と言われたりして、
辛く当たられていたそうだな。
…尤も、この時の恨みは、後年、高天神城を武田家から奪回して、
孕石主水を捕虜にした時に晴らしたんだが…。

70 :
義元が竹千代に施した術が
竹千代の幼い性を目覚めさせ、
信長が竹千代のテクに喜んだと言う。
信玄は竹千代のテクに羨望した。

71 :
>>69
家康の狭量さをよくあらわしてる逸話だおね( ^ω^)
しかも逆ギレだし目茶苦茶だお┐ (´ω`) ┌
一向一揆でも波切孫七郎という豪の者がいて
家康がこの者に二度槍をつけたと自慢していたら孫七郎が
「私に槍をつけたのは家康様ではなく別の者だった」
と言った為に家康は恨みに思って子供の代まで召し出さなかったお( ^ω^)

72 :
>>69
家康は幼少時からいろいろエピソードあるわけで
つまらんというやつは自分の無知をさらけ出してるだけだよな

73 :
毎晩義元に召しだされ尻奉公する竹千代
その時の鬱屈した想いが桶狭間後の彼の行動を決めたのであった・・・!

74 :
>>72
というより家康の場合は逸話の内容が面白くないという意味だと思うお( ^ω^)

75 :
人質時代が描かれている面白い小説ってある?

76 :
人質時代だけ書かれているものは知らないが山岡荘八の徳川家康はこの時代を丁寧に書いてある
有名な石合戦のエピソードは無いが

77 :
脇役かつ殆ど登場しないが、姫の戦国に人質時代の家康と氏規の描写がある。
ちょっと可愛げのない、大人っぽい家康と無邪気な氏規、そして寿桂尼に
将来を心配される氏真がいる。

78 :
岩井三四二の「しょうべん小僧竹千代」って短編が面白かったな
朝比奈泰勝が主役で超可愛げない竹千代が出てくる

79 :
なんとなくだがエピソードを拾ってみると
確かに小生意気なんだよな、竹千代www
間違いなく厚遇はされてたよな
苦しかったのは今川にこき使われてた三河の留守衆であって・・・
ところで、たまたまだが今日というか昨日か
日本史の泣ける話だなんだとかいう本を立ち読みしてきた
そこには読む前に期待した鳥居元忠が載ってて
         キター!
マジで泣きそうになった・・・逸話込みだろうがもう関係無いね!
突き飛ばしたエピソードも書いてあったよ

80 :
>>79の本を見に行ったら無かった・・・買われてた

81 :
家康が、もう少し長く織田に人質になっていたならば、お市と結婚していたかもしれない。
歴史は確実に変わっていたのに。

82 :
いや〜今川と違って織田は単純に物として強奪したからそれは無いだろう
松平は織田とは喧嘩しても今川には従ってたという関係もあるし
今川にしても松平の長男を取り込めば三河を武力で抑えるよりは楽に属国に出来る

83 :
当時の織田の人質だとあまり厚遇されないだろ。
市を貰える可能性なんて皆無。

84 :
そういえば織田時代はどうだったんだろう?
信長と本当に親しかったんだろうか?

85 :
それを妄想して楽しむのがこのスレ
そしてこのスレ出発でリアルに調査を始めるのも一興ww

86 :
>>82 >>83
それは、信秀の時代だろ。信長の時代になったらどうかなと思ったんだが。
いつまでも家康を人質にしている余裕は、当時の信長にはなかったか。

87 :
人質は幼児でも容赦なく切り捨ててた時代
使えんと思ったら信秀が殺してた可能性は高いだろう
でも今川方にして見ればどうしても欲しいものでもあったから
いろんな手を使って取り戻してたんじゃないかね

88 :
緩衝地帯の御曹司だし人質には最高だろ…

89 :
そういえば織田人質のときに織田から松平に「人質を返してほしくば〜」って恐喝なかったっけ
でも広忠は「俺は今川に忠誠を誓ったのだ、いらん!」て屈しなかったような
それを見て今川の方がびっくりして困って救出作戦に出たんでは
家康が広忠でなく清康を尊敬してたのも自分をそうやって見捨てた父親を嫌ったとかも
家康って根に持つタイプだから
当時の関係からすると織田と松平は力も大きくは違わないから
人質を生かしても殺しても関係も変わらない全面抗争のまま
でも大国・今川からすると松平長男をゲットしとけば
すでにほぼ傘下にある三河経営にかなり有利になるかと
死なれちゃったら将来松平離反の可能性が少なからず高まるわけで
そういう点で今川内と織田内では竹千代の価値は違ってたと思う
あえてぐぐらずうろ覚えで書いて
後続のレスに期待することでスレを活性化させる俺の戦術(・∀・)

90 :
>>89
おれもあえてぐぐらない。理由はめんどくさいから
秀康が秀吉の人質になった時に秀吉に息子はいらんのかー
って言われて「いらん」って答えてなかったけ?
親父の徳川家>息子な考えは間違ってはないと思ってるんじゃないかな
それとも親父に見捨てられた経験から性格が歪んで息子を大事にしなくなったとか?

91 :
子供を怒鳴りつけたというだけで後世まで名前が残った孕石さんかっけー。

92 :
>>91
それで結局殺されたんじゃなかったっけ
>>90
そのエピソードはちょっと覚えてないが
秀吉だからまさか「徳川の子」を殺しはしないと思ってたんじゃない
それにただそばに置いておく人質の立場でなく養子にしちゃったしねえ
身内の秀次に対してだけはやりすぎの感はあったけど
因果応報?
自分が親にされたことを親になった自分も気付いたらやってたってことなのかな
もしかして清康信者になったのは、その嫁である祖母が同居してたから
清康すごい清康すごいと常に教え込んでいたのかも?

93 :
お婆ちゃん子だった可能性はあるよな

94 :
祖父>父
この構図は家光にも通じる所がある

95 :
お婆ちゃん子で間違いないんじゃないの。
育ての母みたいなのが父方祖父の後妻かつ母方祖母だったりする奇妙な生まれだし。

96 :
その上、確か3歳ぐらいで母親と離別となったら恋しくもなって
そりゃ年上好きにもなるだろう
年取ってからの子供はそれはまた別の話

97 :
いろんなエピソードって・・・
石合戦で人数が少ないほうが勝つと「予言」した話くらいしかないだろw
それも、「若様」のご機嫌を損ねぬよう、家臣が人数の多いほうに
わざと負けてくれるよう菓子を渡した・・・という裏話まで
あるほどだw
いずれにせよつまらん人質時代だったんだろうが、
彼のつまらない人生は、その後も一生続くね
なんつーのか、秀吉のような花がない

98 :
氏真とはどうだったんだろう?
蹴鞠おそわらなかったんだろうか?

99 :
>>98
知ってる限り人質時代の氏真との逸話は無いな
同じ人質だった氏規とは交流があったようだが……
氏規は寿桂尼が自分の孫として連れ歩いたりしたくらいだから
ほぼ今川一門扱いだろうし、どうなんだろう
後に家康が氏真の籠もる掛川城を攻めた時も
仲裁に入って交渉したのは氏規だったし

100 :
氏真と家康では単に立場の違いで勉学で同席は無かったんじゃないかね
家康も後々瀬名をもらって親戚になるとはいえやはり家臣的立場だろうし

101 :
>>97
でも後年東海道一の弓取りになって良かったよな

102 :
いやん

103 :
仮に桶狭間がなかったとして、
今川が天下を取って、吉本は氏真でなく家康(元康)に
家督を譲り、結局家康が天下人
って流れになった気がしないでもない

104 :
さすがにそれは無いだろう
瀬名が義元の養女でなくリアル娘だったら可能性は出てくるが
それに今川家臣もなかなか従わないと思う
氏真のふにゃふにゃも困るが、属国出の家康は嫌だと
でも後に氏真と家康の子同士が結婚していくのは有りか
しかしさすが名家に連なる女だけあって本名があるとは
家康としては逆にそのプライドがうざかったのか

105 :
今川義元が元康に家督を譲ることはないけど、
元康が天下人氏真を下克上のシチュはあるかも。
今川譜代の家臣は氏真に付き、外様は元康につく・・・かな。?

106 :
瀬名って名前か?

107 :
今川義元にとっての家康(今川配下なら元康)は、
秀吉にとっての宇喜多秀家みたいなもんか
一応一門扱いだしな



108 :
築山殿
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AF%89%E5%B1%B1%E6%AE%BF
築山殿(つきやまどの、天文11年〔1542年〕? - 天正7年8月29日〔1579年9月19日〕)は、徳川家康(松平元康)の正室。
本名は瀬名(せな)。別名を鶴姫という。築山御前(つきやまごぜん)とも呼ばれる。
今川家一門、瀬名家の関口義広の娘。母は今川義元の妹で、つまり義元の姪にあたる。
また、室町幕府の重鎮・今川貞世の血を引く。

超名門

109 :
>>107
北条氏規も合わせて両脇を固めたんだろう
人材・国の関係含めて

110 :
それはバランス悪すぎるな。

111 :
西の磐田には長沢まさみ
東の伊豆には岩田さゆりと可愛い若手女優がいるが
瀬名姫をやらせたい駿河地元の若手女優って誰がいるんだ
酒井美紀はああ見えてちょっとお年が
まあそれでもいいけどさ

112 :
>>111
渡辺有菜
http://www.tencarat.co.jp/web/watanabe_arina.html

113 :
>>112
チェンジお願いします

114 :
>>113 じゃあこっち
原田 夏希
http://www.wingsjapan.com/harada/harada.html

115 :
若いのがいいならこんなの
高良光莉
http://blog.oricon.co.jp/takarahikari/
個人的には>>112この娘いい子だよ

116 :
>>114
信金の原田か
姫っぽくていいな
ローカルでいいから、そして小和田哲男監修で
今川時代の家康ドラマでも作らんかな
ドラマだけでは無理そうなら史跡を訪ねる旅と混ぜて
いたなあこのグランプリ>>115

117 :
信長にカマ掘られたのかな

118 :
横山光輝の徳川家康には信長と家康がフンドシ姿で川遊びしてたよな

119 :
華陽院の生年なんだけど、明応元年(1492)生まれではどうも得心いかん。
水野忠政が継室でありながら年上ということになるが、於大らを30代で産むのは
ともかくとしても、再嫁先の松平清康とは18歳も年上ということになってしまう。
どこかで清康より2歳年上という資料を見た気がするが、それならまだ納得できる。

120 :
>>119
松平研究をしてる新行紀一という人は、華陽院の産んだ子の年齢からみて
彼女は清康とは結婚してなかったのではないかといってるよ。
清康に再嫁したというのは疑う余地があるということだな。

121 :
松平が水野を降伏させたときの和睦の条件で清康の元へ(狙ってたという話もあるし)。
清康死後も3人に嫁いだんだから絶世の美人というのもわかる。
40代後半でも20代にしか見えない女優もいるし・・・・
42〜3才の頃の吹雪ジュンに当時27歳の俺は萌えた(hahaha)

122 :
>>118
なんか見たことあるような
でもどこで見たんだっけな
あの人のは三国志と水滸伝しかみてなかったはずだが

123 :
竹千代は人質時代は苦労してないけど
岡崎の家臣たちは苦労してたのはたしかなの?

124 :
多分に創作が入っていてどこまで本当か分からんおね( ^ω^)
義元は家康を丁重に扱っているし、松平重臣にも加増を行っているお
今川にとって三河を押さえる事は重要だし、わざわざ虐めて統治し難くするのは不自然だお( ^ω^)

125 :
義元が松平の重臣に加増したらまずくないの?

126 :
そりゃ苦労しただろう
義元から見たらそこまで世話する義理は無いから
戦力差も相当あったから三河側にしても叛旗なんて無理
大切な長男を差し出したほどだから

127 :
でも、その人質も届かなかったお( ^ω^)
家康が戻れたのは今川のお陰だお( ^ω^)
>>125
実質臣従していたからマズくはあるまいお( ^ω^)

128 :
>>123
人質はそりゃ丁重に扱っただろう
つか義元は三河に限らず領国内の国人勢力には基本的に強行姿勢だぞ
北条を参考にしたのかもしれんが、徐々に国人達の実権を削いでいたからな
三河の連中からしたらたまらんだろ
三河以外も同じような状況だが

129 :
大名権力の強化を図ることと、そのために徴した人質を大事に扱うのは別に矛盾しないからな。

130 :
家康の読書家だけど、その下地が出来たのは、
やっぱり駿河人質時代かな。

131 :
>>1
>8歳 やっと駿府へ
だからそりゃそうだろう
織田人質時代にまともな教育なんてさせてくれるはずがない
雪斎の英才教育、というのは現実には怪しいらしいが
それでも教育環境は間違いなく整ってただろうね
当時の駿府という文化都市、雪斎が指示したであろう教育環境、
義元の竹千代への厚遇具合などなど見てもね

132 :
保守

133 :
つうか元康は一族の武将並に厚遇してたと思うがな。

134 :
それはすでにほぼ確定では
その周辺の話をあれこれ妄想して楽しんでみると

135 :
保守

136 :
消えろ市

137 :
静岡市の人
家康の人質時代に関する街歩きなんてものやって見る気はないかねえ・・・

138 :
影武者徳川家康で元ネタになった、
「子供の頃願人坊主に売られて云々」って話はどこまでホントなんだろう
まったく嘘なら本気で大御所がボケてたことになるが。。。

139 :
>>137
1ヶ月経っても無反応(ノ∀`)

140 :
こんな話をご存知ですか。
初めて義元公に目通りされた時、
何と元康は庭に向かって立小便をしたそうな。
これを見た義元は、我が子氏真より器が大きい
元康を恐れ、その後、上手い物を食わせ、女を
若い内から与えて、元康をふにゃふにゃにしよ
うとした。それで元康はブクブクと豚みたいに
太っており、生涯女好きの癖が治らなかった。
だが、元康も馬鹿ではなく、剣術に励み知略は
寺の和尚から授かり、牙を磨いていたのだ。
今の若い奴等は節操が無さ過ぎる。この二つに
ドップリと首まではまり込んでいよるわい。

141 :
太りだしたのは中年以降じゃないの?

142 :
また徳川捏造史で何でも悪いのは今川織田豊臣にしたいのでしょお( ^ω^)

143 :
まあ今の若い奴と比べたらそりゃ話にならんわ
剣術師事してる元康に剣道では勝てないだろうし弁舌でも勝てるとは思えん

144 :
結局
今川時代は優遇・冷遇どっちだったんだろう

145 :
この当時の事は殆ど御用史家の作り話と思われるが逸話としては、
織田時代は熱田の加藤図書はよく仕え後年家康に召しだされる、
同じく熱田の山口監物の寡婦は気を配りすぎて織田信秀より追放、
生母お大より衣類、菓子などが届けられる。
駿府時代は石合戦、立小便、鳥居元忠にケリを入れる。
北条氏規との友情、孕石主水への遺恨、岡崎墓参
時の二の丸宿泊、鳥居忠吉の忠義、許せ近藤秀用、
祖母華陽院が世話、瀬名と婚姻、初陣の陽動作戦
家臣団は清康の生まれ変わりかと感涙など。
信長との出会い、本多忠勝オンブ、
雪斎先生は残念ながら小説の創作。

146 :
この時代のドラマやってほしいな

147 :
まずはこのスレ

148 :
あげ

149 :
初めてこのスレ見たけどショタコン、歴史好きな自分としたら家康×氏規は萌えるな。
家康て男色は、井伊ぐらいで淡白て聞いたけど人質時代に氏規を掘ってたかも?と妄想してしまう。
氏真を助けたのは、家康が源氏コンプレックス丸出しで落ちぶれたとはいえ、源氏の名門今川氏だからだと何かで見たな。

150 :
年齢的に氏規は無いんじゃない
それと間違っても信長とも・・・
この織田人質時代の資料が出てこないかなあ
なんかもう氏真とはネタスレ作った方がいいんじゃないかっていうぐらいだwww
喧嘩して追い出されたのに船が難破したから助けてつって言い出すノーテンキさと
それを受けてしまう家康の心情
年取ってからもふらーっと家康のところに遊びにいくお気楽さと
迷惑そうな家康の困った様子
そこから見ると意外にも家康と氏真って駿府では仲が良かったんじゃないかとさえ思える
これについての文献は何かあるのかな

151 :
信長と、人質時代の家康は、
お互い知っていたはずだが、資料は全く無いのが惜しいよね。
信長と家康が、男色の関係だったとは思えないが、どうだか。

152 :
いやその二人はまだ幼少で

153 :
家康織田家人質時代には、信長は精通をむかえている年齢じゃないのかな。
でも、さすがに信長でも満年齢4〜6歳の竹千代を掘るのは無いかな。
それから、山岡荘八の織田信長やそのマンガ版の横山光輝の織田信長や、松本清張の子ども向け伝記徳川家康でも
信長は真冬に竹千代と川で寒中水泳をするシーンがあるのはなんで?
ただ単に信長が竹千代を鍛えている描写なのか?
氏規とは、家康が元服したのは満年齢12歳ぐらいだから家康が友情の延長上で掘ったんじゃないかと妄想してしまう。

154 :
松平の小僧はどんな顔だ
と見に行ったぐらいは間違いなくしてただろうけど
信長も小さかったから記録は残されてないんじゃないかね

155 :
桶狭間合戦よりもだいぶ前に、織田家のメンバーが捕虜になって、
その交換で家康は三河に帰ったはず。
捕虜というのが珍しいと思った。

156 :
織田家のメンバーて信長の兄貴じゃないの
信広だったかな

157 :
今川家としては、それだけ三河支配の為に竹千代が欲しかったんだね

158 :
>>156
そう
母親が正室じゃないからと家督は継げなかったはず
その捕獲を雪斎がやっちゃったというのがなんともすごい話

159 :
つーかこういうことだと
家康と利家ももしかして顔を合わせてた可能性はあるのかな
利家が信長についたのが何歳だったのか

160 :
>>156
織田信広で合ってるよ
しかし、庶子とは言え織田家の長男と、三河の小豪族の嫡男とでは、
釣り合いが取れないはず
今川はずいぶんと松平衆を重要視してたんだねえ

161 :
>>158
総大将は雪斎だけど、先鋒の一角に松平衆もいたと思う
主君・竹千代を取り返すため、必死で働いたのかなあと空想してしまう

162 :
信広て後年、信長に逆らって許してもらってからは、おとなしくしてたんだよね?
信広てヘタレっぽくてよかったね。
下手に、プライドが高くて自害されたら人質交換できなかったし。

163 :
>>160
重要視してなければ自分の姪をあげたり、名を与えないだろう
岡崎城にしても三河と尾張を結ぶ重要な土地だし

164 :
徳川幕府の因縁を引き継ぐ日本政府
http://s1.shard.jp/rabbit1/0203/37/252.html
英国の清教徒革命にかかる内戦問題が関わっていた。
( http://park.geocities.jp/jpcdebate/0203/p033.html )

165 :
>>163
岡崎は西は矢作川、東と南は隘路、北は山という要地
鎌倉時代に三河を支配した足利氏が同地を本拠地にしたくらい

166 :
>>163
逸話ではあるけど竹千代の聡明さを見た義元がいずれ氏真の片腕となってくれと
でも歴史の現実として一門に加えたんだから期待してないはずはないしね

167 :
家康は、使えた主君は死ぬまで裏切らいと本に書かれてたけど確かに義元、信長、秀吉には死ぬまで裏切らかったね。
家康は義元が死んでから氏真にも、ともらい合戦を勧めているし。
氏真が、へたれだから信長についたんだし。
秀頼については、さすがに天下の欲望に勝てなかったんだろうな。

168 :
氏真については義元死後すぐに裏切ってると思ったが
あと氏真は義元のかたき討ちをしたいという手紙もあったはず
家内の大半の重臣が死んで領内の混乱ももあり断念したようだけど

169 :
その辺は、自分と主君の力量を比べて決めてるんじゃないのかな
ヘタレやガキの補佐なんかしたくないだろうし

170 :
子供の頃から長いこと見てた相手だから見限るにしてもさっさとできたのも当然なんじゃないかね
ああやっぱりこいつは駄目だと
氏真に勧めたというのもその辺のチェックテストみたいなもので
混乱した今川家内を即座まとめられなかった時点で新当主落第という
ただ義元がでかすぎたというのもあるけど
そんな駄目人間をまさかその後ずっと相手するはめになるとは
思ってなかっただろうがwww

171 :
>>168
その話は、初めて聞いた。
氏真は、後年信長の前で蹴鞠を披露しているけどどういう心境の変化なんだ?

172 :
>>171
有光友學の「今川義元」に氏真が義元の死後の5月25日付の手紙に
で天野景泰宛に自分で出馬したいとある、との記述があったんだよ
どうやら出陣勢と留守勢の編成を考えていたみたい
ちなみに同書によれば氏真は翌年6月には元康が逆臣したと表明してるので
元康が再戦を勧めたというのは無理とまではいかないが氏真へたれエピソードのための脚色の気もする
家康は氏真を大名としては見限ってるけど一人の人としてはかなり大切にしてると思うw
あと信長に関しては親の敵だけど、戦だから仕方ない所もあるだろうと思っていたのでは
その頃はもう実質天下人だし断るのも無理そう。
むしろ長篠の戦いに参加してるし(何もしてないけど)直接自分を滅ぼした武田のほうが恨んでるんじゃないか

173 :
少なくとも嫁は氏真のほうが勝ってる

174 :
もちろん100%推測だけど子供の頃の家康って氏真に結構個人的に世話になってたのかも
お菓子貰ったり本貰ったり着物貰ったり見世物に連れて行ってもらったり
氏真はキレて人殺しちゃったりするけど実際にのんびりな面も当然あったはずで
その坊ちゃんの部分で気前良く何かをくれたみたいな
人を見下すタイプではなかったと

175 :
永禄四年二月、関東の国衆の大半を率い北条氏康を攻めた長尾輝虎だったが、三月、今川氏真公出陣の報を知るや小田原攻撃もそこそこに逃げ出してしまった
しかも、当時氏真公は前年に起きた父君義元公横死後の領内の混乱を収めている途上であり、対長尾+関東国衆への攻撃はほんの片手間の作業にすぎなかったと思われる
この史実からもわかる通り、永禄四年三月段階では今川氏真公こそ戦国最強の武将としてその雷名を轟かせていたといえよう

176 :
龍王丸<竹千代!京からの客人から菓子をもらったが口に合わん、おまえにやる
龍王丸<竹千代!父上から刀を頂いたが私は興味が無い、おまえにやる
龍王丸<竹千代!能を見に行くぞ、ついてまいれ
今川氏真、5歳年上
あったかもしれん

177 :
>>176
龍王丸、吹いた。
完全に名前負け。
昔の某アニメが、真っ先に思い浮かんだ。
竹千代と助五郎と遊んでいたのか。

178 :
そういえば、関東管領上杉憲政の嫡男の名も龍王丸だったような

179 :
>>177
同じ龍王丸でも19年龍王丸だった爺さんは名君だったのに……

180 :
龍王丸 1538年
竹千代 1543年
助五郎 1545年
吉法師 1534年

181 :
>>172
武田軍の侵攻により、今川氏真が駿河の国を失ったあとは、妻の実家の北条家へ逃げ込んでいるが、
武田と北条の再同盟が成ったため、今川氏真は、今度は家康の元に逃げ込んでいる。
家康に面倒みてもらったわけだが、家康としても、氏真を大事にしただろう。

182 :
1つには旧領主ということで使えると見た
1つには武将としては毒にならんから置いといても問題なしとみた
1つには中央との繋ぎ役としての役目を考えてみた
ネットの情報をまとめて見ると全体にはこんな感じかと

183 :
担任 太原雪斉
理事長息子 今川氏真
生徒A 松平元康
生徒B 北条氏規

184 :
生徒の中で身分が高い?のは理事長息子の今川氏真だが、
ケンカが強く人望のある生徒A松平元康が、クラスを仕切っているという感じか。

185 :
いややはり転校生身分で一匹狼だろう
それ以外は他の今川家臣団の若殿たち

186 :
でも、担任は生徒Aを可愛がってそうだな。それを見て、他の今川系がいじめ
に入って、BとAは仲良しにってか

187 :
そんなに仲良しにも見えないけどなあ
HがAをいじめても、Bは知らんぷりだったし

188 :
「憲法を改正して自衛隊をしっかり位置づけることが大切だ。大使館を守る、邦人を救出
するということは武力行使とは違うと明記すべきだ」 ・・・イラクでのファルージャ人
民蜂起のさなかに勃発した日本人人質事件発生直後の4月11日に、安倍晋三はこのよう
に言い放ちました(フジテレビ報道番組)。人質の安否などは歯牙にもかけずに、「自衛
隊を撤退させる理由がない」と倣然とうそぶき、ムスリム武装グループの要求を一蹴した
だけではありません。この事件を憲法第九条徹廃の必要性を煽るネタとしてただちに活用
したのが、この輩です。スペイン・サパテロ新政権がいち早くイラクからの撤兵を開始し
た情況のただなかで、自民党幹事長として初訪米(4月28〜30日)した安倍にたいし
て、ブッシュ政権は下にも置かない厚遇ぶりをもって迎えました。パウエル国務長官、ラ
ムズフェルド国防長官、ライス大統領補佐官ら主要メンバーが次つぎと安倍との会談に応
じ、「日本人人質事件でも、スペインが撤退を表明した際にも、日本政府はぶれなかった」
(フェイス国防次官)と賛辞を呈したのです。「友邦同盟」諸国の総崩れ状況を押さえる
ために日米同盟の結束の固さを国際的にアピールするとともに、日本政府に動揺するなと
釘をさす、というブッシュ政権の底意は見え透いていました。

189 :
スレ違い板違い乙

190 :
人質時代のアニメキボンス
もちろん史実なんてどーでもいい!

191 :
家康は、秀忠の乳母に当時五十歳代の大姥局を命じているよね。
大姥局は岡部一族出身で、人質家康の世話役川村氏の妻だった。
自分を育ててくれた大姥局なら、秀忠を立派に育ててくれると思ったんじゃないかな。
人質時代の悪友岡部正綱と馬鹿をやって、大姥局にこっぴどく叱られたかも

192 :
徳川家康は武田の旧臣を多数召抱えたのは何故か?

193 :
坊やだからさ

194 :
>>192
そりゃ徳川が、ネオジオン軍だったからじゃないか。

195 :
2つ3つのネタレスの後に
>>192
甲斐・信濃を統治しやすくするため
占領地に自分の家臣を置いてた信長とは反対
>>191
障子をぶち破ったとか
池の錦鯉を釣っちゃったとか
屋根の上に登ったとか
その程度のことはしてたでしょう
それを見て今川家臣の多くは怒ったとしても
義元が大目に見て許してたというシナリオだと面白い

196 :
>>192
どこまで史実かわからんが、
石川数正が秀吉の元に走ったあと
家康は三河以来の軍制を武田流に変えたとか、
もちろん大久保長安ら金山開発としての戦力もあるし、
普通に武田の旧臣を有能な人材と評価して召し抱えたんじゃないの?

197 :
果たしてそうでしょうかねぇ

198 :
在地の人間を登用するなんか常道だろ
有能無能は関係ない

199 :
永禄1〜3あたりの記録はどういうのがあるの?

200 :
それはいつなのじゃ

201 :
北条美濃氏規、岡部五郎左衛門正綱は今川時代からの友人です

202 :
ドラマでよくある織田の人質時代に遊び仲間だった、というのは妙に説得力がある

203 :
そんなドラマがあるのか。

204 :
なくね
一説には2人の居城は離れてたから無理
というのもあるぐらいだし
しかし信長の行動力はどれぐらいだか分からんし
むしろ文書が残ってない方がいろいろ想像できて面白いよ

205 :
一応古河と熱田又は大須ぐらいだろうからすぐ近くでね。
だから市連れて信長が見に行った、ぐらいの小説は
理解は出来るけど、高校生と幼稚園児だから遊び相手ってのが
よくわからんな〜と。

206 :
>>203
「兄上(信長)は竹千代、竹千代と可愛がって」
ドラマ名は失念

207 :
人質時代に信長に可愛がられたせいでう○こ漏らす癖がついてしまった

208 :
糞漏らしの逸話はガセだよ
悪質な明治政府の捏造。

209 :
そりゃそうだろう
小豆餅食い逃げとかの一連のものを含めて

210 :
敗けて逃げ帰る途中に茶店で餅を求める余裕などないし、雪も降っていたみたいで、そんな夜に茶店を開けてる店もありません。

211 :
今川の人質時代は普通に家臣扱いだったらしい

212 :
普通なら冷遇されるところだが
義元は器がでかい

213 :
小さな時から重荷を背負って 歩いていくのが男だと
人に頼るな 頼れる人になれと教えた母の愛

214 :
>>210
むしろあったら
1:信玄の罠
2:山賊の罠
3:妖怪の罠
4:孔明の罠
のどれかだよな

215 :
ただ食いして馬で浜松に帰ろうとしたら
後ろから茶店の婆が走って追いかけて来たんだっけ?

216 :
それ自体あるわけがないと分かるwww
どんだけはえーんだ婆の馬
人質かんけーねー><

217 :
人質時代にいじめてた人が相当後になって殺されたよね

218 :
高天神ね

219 :
思いもよらない日本の歴史がみえてきた
http://music.geocities.jp/jphope21/0202/1/111_3.html
その一つのテーマとして、「徳川家康と英国の陰謀史」が存在していた。

220 :
>>212
義元にしてみりゃ、三河の支配を確固たるものにする為には
現地の豪族から絶大な支持を得ていた清康の孫である竹千代を
自らの一門に取り込んだ方が都合が良いんだからドラマみたいに
竹千代を嫌がらせしたり冷遇する理由なんて一切ない。
むしろ大事に扱う方が自然。

221 :
信長と家康が仲良かったとする妄想って何を根拠に??
人質時代織田家にいたから?
信長は随分家康に酷い仕打ちをしてるけど。家康の嫡男信康を切腹させたり
家康の援軍要請にもあまり応えなかったり
人質時代に交流があったとしても
信長13歳、家康5歳くらいなら
信長「よっ」
家康「・・・」
ぐらいの関係だったと容易に想像できる。

222 :
信康切腹が信長の命令だと思ってる人まだいるのかよ

223 :
そうなのかよ
ぐぐってきたよ
見てない間に(10年くらい)歴史は変わったんだな
だいたい歴史の教科書(20年前)にも信長は本能寺で「暗殺された」って平気で書いてあったし
歴史認識ってかなりテキトウだったよな

224 :
ハッキリ言って、家康個人には、駿府に良い思い出しかないはず。
じゃなかったら、隠居してから、駿府に隠居城を構えるはずがない。町の名称すら変えていない。
これは、駿府に良い思い出しかなかった証拠だ

225 :
信長が全く関与していないとはいえないけどね
それまで毎年行なっていた吉良での信長と家康の鷹狩が信康切腹後は
ぱったりと止んでいる

226 :
>>225
それについては子供大好きな信長の娘婿殺しちゃったからだという可能性も

227 :
太閤立志伝5のイベントで、鳥居忠吉が少し頼りない氏真を( ´,_ゝ`)プッと馬鹿にして、
竹千代が「めったなことを申すな!」と叱るシーンが笑える

228 :
>>221
「妄想」に根拠は無くていいだろう

229 :
>>225
資料はどれか忘れたが
信長本人は徳川への内政干渉はしないとの発言があったという話も
それから見ると切腹は家康判断
結局いろんな資料は後世の人が書き換えられたり勝手に作っちゃったりできるから正誤不明
例えば関連するのものだと築山殿悪女説も神扱いの家康は悪くないことにしたかった人たちのでっち上げの可能来も有るし
でもスレタイとは関係ないのでここで〆

230 :
真実・事実・現実・史実は人の数だけある。数ある真実の1つに過ぎない「真実は1つ」に執着する者ほど、矛盾(怒りや争い)を体験する/感情自己責任論

231 :
アニメの「少年 徳川家康」また見たいな
歌はなんとなく覚えてるわ

232 :
後年に氏真を庇護したということを
人質時代に仲が良かったことの証拠とも解釈できるが、
立場の逆転を楽しんでた可能性もあるな。
かつて頭の上がらない存在だった人を
庇護下に置くことで優越感を感じることができる。

233 :
>>232
庇護下におくっていうか
振り回されていた感も否めない

234 :
家康さん、名家を復活させるの大好きだよね?なんか目的があったのかな?

235 :
>>232
そういう面もあるだろうな。
俺も入社当時、偉そうにして誰からも嫌われてるウザい先輩が今は部下だけど
皆が見てる前で、たまーに使いっパシリをさせてる。
いつもそれやると単なるイジメになるから、あくまで「たまに」ねw
家康は源氏を仮冒してたから、源氏で没落した武田を再興させたり
山名や喜連川足利に捨扶持を与えたんだろうしな。
源氏の名門を保護するのが、自らの正当性にも繋がるという判断だろう。
しかし、あくまで幕政に関与させるようなポジションは与えない。

236 :
氏真は氏真でそういう境遇になっても楽しく暮らしてそうだね。
どうしても劉禅とかぶるな。

237 :
>>234
由緒正しいこいつがこんだけなんだからおまえはそんだけで我慢しろ
という理屈がつかえるから、、、、とかぁ

238 :
瀬名姫は絶対元康を見下してたと思う。騎乗位だったかもしれん

239 :
>>234
単に律儀なだけじゃね
むしろ名家好きってどこからきてるの?
司馬の小説からとか?

240 :
家康は完全に女脳、これに異存はないよな
たぶん女に囲まれて成人したからだろう
だから日本社会は今でも女性的なんだよ、いい意味でも悪い意味でも

241 :
t

242 :
1975年に少年徳川家康ってアニメがやってたみたいだけど
どんな感じだったんだろう。

243 :
>>242
「羽ばたけ 竹千代 時来たる」っていう歌詞の一部だけメロディとともに覚えてる。
それ以外は全く覚えてない。
それどころかこの歌も「少年徳川家康」のものだったことを今はじめて知った。

244 :
>>240
女はばーちゃんだけじゃねえの?
それ以外は酒井忠次とか鳥居元忠とか本多忠勝もいたんだっけ
そんなのばっかりだと思う

245 :
氏真を残したのは
あそこまで落ちたのを殺しても得にならんし
山中幸盛みたいな御家復興の行動なんて起こすはずもないし
一応足利の血筋だからなんか使えると思ったからでしょう
実際そうやって使ってるし
武田家臣を取り込んだのとやってることは同じかと

246 :
test

247 :
テスト

248 :
>>238
不覚にも勃ったおれはMなのかも…

249 :2013/09/01
影武者徳川家康を思い出したわ >騎乗位
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