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カレル・ヴァン・ウォルフレンの日本分析 第3巻


1 :2013/03/24 〜 最終レス :2013/09/05
K.V.ウォルフレンは舌鋒鋭く、日本社会、政治構造などを鮮やかに分析、全く新しい視点を
提供してくれた。
今日においても、価値の高い彼の日本社会分析について考える。
●カレル・ヴァン・ウォルフレン Wolferen,Karel van
 一九四一年オランダ生れ。十八歳より世界各国を巡り、八二〜八九年、オランダの「N
RCハンデルスブラッド」のアジア特派員。現在アムステルダム大学教授。 89年に『日
本/権力構造の謎』を出版し、国際的ベストセラーになる。
 その他の著書に、人間を幸福にしない日本というシステム、なぜ日本人は日本を愛せな
いのか―この不幸な国の行方 、ウォルフレン教授のやさしい日本経済 、日本という国を
あなたのものにするために、ブッシュ/世界を壊した権力の真実 、支配者を支配せよ―選
挙/選挙後 、アメリカを幸福にし世界を不幸にする不条理な仕組み、怒れ!日本の中流階
級、アメリカからの“独立”が日本人を幸福にする、民は愚かに保て―日本/官僚、大新
聞の本音、快傑ウォルフレンの「日本ワイド劇場」、日本の知識人へ など多数。

2 :
前スレ
カレル・ヴァン・ウォルフレンの日本分析 2.0
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/soc/1289604894/

3 :
ヴォルフレン信者はある意味かわいそう。
ヴォルフレンの論法は、何か人を引き付ける作用がある。俺も騙されかかった。
だがヴォルフレンの理論を冷静に検討すれば、的外れなことが多い。予言も見事に外す。
さらに悪いことに、外れたことについて全く釈明しない。
説明責任という言葉は、奴自身に求められるべきだろう。

4 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 1 ////////
『ウォルフレンを読む』、関昿野(編集)、窓社1996年5月発行より
・・・・
なぜ日本は変わらないか
  ――ウォルフレンの日本権力論が提起したもの――
関 礦野
【せき・ひろの】
@【生年】1944年
A【現職】文筆業
B【最も重要と考えるウォルフレンのキーワード】正統性(正しい秩序をめぐる認識)
   誤解されるウォルフレン
 在日オランダ人ジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレンの名は、今や日本でも広く
知られた名となった。これは一九八九年に刊行された大作『日本/権力構造の謎』がまき起こした
世界的な反響に氏が満足することなく、その後も日本における権力行使のあり方をめぐるすぐれて
論争的な著作を精力的に日本の公衆に向けて発表しつづけてきたせいである。
/////// ウォルフレンを読む ///

5 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 2 /////
しかし知的な刺激にみちた『日本/権力構造の謎』(以下『謎』と略記)はもちろん、その後
日本の読者のために書かれた『民は愚かに保て』や『人間を幸福にしない日本というシステム』
(以下『幸福』と略記)などの一連の著作で氏が示した姿勢は、たんなるジャーナリストと
いうよりは知識人のそれであった。氏の問題提起をめぐる日本の保守派論客との論争も、日本の
現状に対する知識人の責任にかかかわるものであった。そして最近では、テレビの政治討論会の
席上などでアカウンタビリティという“ウォルフレン用語”が聞かれても、われわれはもはや
驚きはしない。日本の公衆にとって氏はすでに、ジャーナリストというよりは在日の国際的知識人
といっていい存在である。
//////////// 出版社: 窓社 ///

6 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 3 ////////
 しかしながら、三〇年以上もジャーナリストとして付きあうことになった日本という国の
現状に氏が知識人としてかかわったことは、さまざまな誤解の原因にもなった。昨今はさすがに、
氏を日米貿易紛争でアメリカの肩をもつ日本たたき屋とみなす偏見はなりをひそめたが、氏の
主張に共感する人々のあいだでさえ、内政干渉めいた政策提言をしているとか特定の党派に
テコ入れしているといった誤解が根強くある。また、『謎』は批判ではなく分析を意図した
書であると氏が強調しているにもかかわらず、同書を痛烈な体制批判の書だと思って読み、
喜んだり怒ったりしている人々も少なくない。氏が『謎』を書いた狙いは日本のユニークな
異質さを説くことにあるなどと、氏の主張とは正反対のことを信じている人々もいる。
///////////// 価格:¥1,916 ///

7 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 4 /////
思うに、こうした誤解がはびこる原因の一つは、『謎』が欧米人の読者を念頭に書かれた著作
であるために日本人にはわかりにくいところがあるせいなのだ。例えば、『謎』の中心的な
テーゼは「日本には国家のかわりに“システム”がある」というテーゼである。このテーゼを
展開しているがゆえに『謎』は批判ではなく分析の書なのである。ところが、氏や欧米人の
読者には自明な「国家」のイメージは、大方の日本人にはなじみがないものであり、そのために
氏が国家とシステムを区別する理由も日本の読者にはピンとこない。他方で氏は、日本の実情に
うとい欧米人読者のために、中央官庁から農協や暴力団にいたるまで現代日本の諸相を詳しく
説明しながらそのテーゼを立証していかざるをえない。
///// 関 曠野 (編集) ///

8 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 5 /////
そして日本の読者も見慣れた光景が出てくるそうした枝葉の部分に興味をひかれ、そこから
『謎』は体制エリートの横暴や腐敗を批判した痛烈な内幕暴露ものだという誤解が生じてくる。
こうして「日本には国家ではなくシステムがある」という同書の中心的なテーゼは理解されない
ことになる。実際、このテーゼにショックを受けたとか、その当否をめぐって論争が起きたとか
いう話を私はきいたことがない。その意味で『謎』とそれ以後の氏の一連の著作は、むしろ
これから日本人によってじっくり読まれ論議さるべき書なのである。もちろんかく言う私が氏の
主張を正しく理解しているという保証はないが、以下私が理解しえたかぎりで氏の日本権力論に
コメントしていきたい。
///// 1996年5月出版 ///

9 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 6 ////////
    ウォルフレンの出発点はどこにあるか
 まず最初に、ウォルフレン氏の主張は「日本異質論」であるというよく見かける誤解を
とりあげたい。この誤解は、氏の問題の立て方が理解されていないところからくる。氏は
きわめて普遍的な問題から出発し、日本はその問題を探究するうえでの一例として論じられて
いるにすぎない。氏にとっての普遍的で根本的な問題、それは人間と社会にとって正しい
秩序とはどのようなものか、という問いである。そしてこの問いはただちに権力という問題、
権力の正しい使われ方とはどのようなものか、という問いかけに結びつく。文明の発展とは、
ますます人間が大規模で複雑に組織され人々の相互依存が深まる世界に生きるようになる
ことを意味する。
/////// ウォルフレンを読む ///

10 :
 
/// 窓社 (1996/05発行) //////////////////
★ウォルフレンを読む
 関 曠野(編集)
出版社: 窓社 (1996/05) 単行本: 292ページ 価格:¥1,916
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11 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 7 /////
こうした世界は、なんらかの形の強力な政治権力なしには統合されえない。ゆえに文明が発展
すればするほど権力は不可避で不可欠なものになり、政治の影響を受けない人間はいなくなる。
だからこそ文明の発展に伴い、権力行使の正しい在り方という問題はすべての人の最大の関心事
とならねばならない。現代においては、権力を正しい秩序を実現し維持するための手段にする
試みは、民主主義と呼ばれている。大規模で複雑な経済や技術の上に成立している現代社会に
おいては、権力なしには何事も生じず、それだけに民主主義は理想家向けの贅沢品ではなく
万人にとっての必需品なのである。
/////// 出版社: 窓社 ///

12 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 8 ////////
 権力という事実、権力の必要をリアルに認めることなしには民主主義はありえない。ところが
第二次大戦後の西側諸国、とくに米国の社会科学の一大特徴は、権力の概念を排除してしまった
ことである(『謎』上巻、六三ページ)。米国流の行動論的社会科学においては、権力は漠然とした
「影響力」の概念に置きかえられたり、さらに多元的国家論においては権力現象に経済モデルが
あてはめられ、権力は市場取引によく似た方法でさまざまな勢力グループのあいだを移動すると
されている。権力概念を排除した結果、この社会科学は現存する西側の秩序や政策を暗黙裡に
受け容れ肯定するものになってしまっている。
/////// 価格:¥1,916 ///

13 :
新自由主義、競争社会、それにともなく格差の容認。
すでに10年も前に、
小泉の郵政選挙で、国民の賛成をいただいていますね。

14 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 9 /////
西側には権力などという不愉快なものが存在しないかに見せかけるこの行動論的社会科学は、
実は東西冷戦を西側がイデオロギー上で闘いぬくために発展させられたものであって、それは
同じように権力という現実を否認した旧東側諸国のマルクス・レーニン主義に等価なものと
いえよう。『謎』における知識人ウォルフレンの最大の攻撃目標は、この行動論的社会科学に
ほかならない。そして、この科学に密接に結びついているのが、日本を含む西側諸国は米国と
ウリニつの国となる方向にほとんど自動的に進化するという、冷戦期の米国の独善的な信念である。
///// 関 曠野 (編集) ///

15 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 10 //////
六〇年代に流行したライシャワーやロストウの近代化論を想起していただきたい。実際、
冷戦期とは東西双方においてあきれるほど粗雑で知的に有害な経済決定論や社会進化論が
まかり通った時代だった。そして氏を修正主義者と呼ぶことが正しいとすれば、それは氏が
権力の民主的統制という視点に立って、冷戦の副産物である行動論的社会科学や近代化論の
見解を「修正」したという意味においてなのである。
 してみれば『謎』が刊行された八九年が、天安門事件以来、旧東側諸国で民主主義――
資本主義ではない――の嵐が吹き荒れ、ベルリンの壁の崩壊とともに冷戦が終結した年でも
あったのは偶然とは思われない。
////////// 1996年5月出版 ///

16 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 11 ///////
『謎』の問題提起と東欧民主革命による冷戦終結のあいだには、深い歴史的同時代性がある。
そして冷戦終結が冷戦期イデオロギーの死をも意味するものならば、われわれは経済決定論や
社会進化論がまき散らした幻想から現実へと立ち戻らねばならない。それは、世界のどの国も
固有のナショナルな過去をひきずり、過去をきちんと政治的に克服する努力なしには民主的
立憲国家になることはできない、というきびしい現実である。かつてカントは「恒久平和論」の
中で、商業の精神が平和な世界公民秩序をもたらす可能性を考察し、すべての国がまともな
立憲国家であることをその付帯条件とした。おそらくポスト冷戦の世界とは、すべての民族に
このカントの命題がナショナルにして普遍的な課題として課されている世界であろう。そして
この課題の実現のためには、すべての国の現状を権力の民主的統制という視点からきびしく
分析する必要がある。
/////// ウォルフレンを読む ///

17 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 12 ////////
そうした分析の対象としてウォルフレン氏は、庶民の日常から政財官界のトップまで永年くまなく
取材してきた日本を選んだ。そして分析の結果、氏は二つの重要な結論に到達する。その一つは、
日本人はいまだに「国家なき民族」であり、日本にその名に価する立憲国家は存在していない、
ということである。もう一つは、経済大国日本は民主主義の世界的な再生と発展にとって大きな
障害や脅威になっている、ということである。というのも、ポスト冷戦の世界における最大の問題は、
世界の現状を見渡せばわかるように、政治的民主主義の経済発展の論理への従属にあるからである。
そして民主主義の経済発展至上主義への従属という点において、日本は極端で不幸な例なのである。
ゆえに日本は異質どころか悪しき典型であり、氏の所説は日本典型論と呼ばれていい。もちろん
日本がそうした国になった背景には、日本人が過去からひきずってきた歴史的に特殊な権力行使の
在り方がある。だが氏によれば、そうした伝統も制度的にはせいぜい明治国家をへて徳川期に遡る
ものにすぎない。
/////// 出版社: 窓社 ///

18 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 13 ///////
   <変化の制度化>か<現状維持の制度化>か
 そしてベルリンの壁が崩壊する以前に、すでに世界の関心は東西冷戦から日米の貿易紛争に
移っていた。したがって氏が『謎』のなかで欧米の読者に日本の権力構造を説明するにさいして、
まずジャパン・プロブレムをとりあげたのは当然のことだった。それに日米関係はジャーナリスト
としての氏の当面の最大の関心事でもある。というのもこの二大経済大国の争いは、両国の局地的
利害をこえて現に全世界に巨人な衝撃を与えているからであり、場合によっては世界恐慌の導火線
ともなりかねないからである。しかし、日米関係をめぐる欧米人の発言は、必ずといっていいほど
日本の体制エリートの経済ナショナリズムに立った感情的反応を呼び起す。氏の場合もその例外
ではなかった。米国の立場を代弁する日本たたき屋という見方は論外としても、いまだに氏のことを
ひたすら日本に市場開放と規制緩和をせまる英米型の経済的自由主義の信奉者と思いこんでいる
日本人は多い。
/////// 価格:¥1,916 ///

19 :
小泉の郵政選挙で国民はそんなものに賛成なんぞしとらん。実態を知らされないまま雰囲気で流され騙されただけ。TPPと同じ

20 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 14 //////
しかし「私は、究極的に自由市場原理に立脚した経済のみが成功すると信じる、新古典経済主義者
ではない。日本の場合は、これが正しくないことを示している」(『日本の知識人へ』六四ページ)。
氏は日米交渉というゲームのプレイヤーでもレフェリーでもない。ジャーナリストとして氏が注目
したのは、日米交渉に見られるコミュニケーション・ギャップだった。そしてこのギャップに関しては、
明らかに日本の側により大きな責任があるのだ。米側にも独善と錯覚がある。しかし、日本側は
この独善と錯覚をうまく利用し、いろいろな嘘をついている。米側はそれなりに現状を変えようと
しているが、日本側には現状を変える意志も能力もない。そして何よりも重大なのは、攻撃的
敵対的な貿易によって異常な貿易黒字をかかえこんだ日本経済が世界の通貨貿易秩序の最大の
撹乱要因になっていることに、日本側が無自覚であることだ。
////////// 関 曠野 (編集) ///

21 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 15 /////
日米間の知覚の行き違いということが言われるが、日本側は日本に関する基本的な事実を知覚していない。
そして欺瞞にふけっている。自己満足し傲慢になった経済大国日本は、その力の正しい使い方を学んで
おらず、その結果は、国際的コミュニケーションにおける不誠実さとなって現われている。しかし
ウォルフレン氏は、交渉の日本側当事者たちが邪悪なペテン師集団でないことはよく知っている。
空文になった前川リポートを見てもわかるように、日本はその政策や方針を変えたくとも変えようが
ない国なのだ。そしてここにこそ、日本という謎を前に首をかしげる欧米人に対し氏が説明しなければ
ならない問題の核心がある。。それは、なぜ日本は進路の変更ということがまるで不可能な国なのか、
という問題である。それゆえに『謎』は、日本という国をひとえに変化の可能性という点に的を絞って
分析した著作であり、この視点に立った一貫した徹底的な分析の試みとしては日本人の書いたものを
含めて前例がない。
///// 1996年5月出版 ///

22 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 16 ///////
 民主主義についてはさまざまな定義がありうるが、その最も重要な定義の一つは「変化の制度化」
であろう。民主主義とは、暴力や独裁に訴えなくとも国家の政策や制度の変革が市民の自由な発意と
政治家のリーダーシップによって実現されうる政治体制のことなのだ。そしてこうした変化の
制度化が可能であるためには、少なくとも以下の五つのことが条件となる。それは、@有益な情報と
その論理的で私心なき分析が入手可能であること、A人心を変化に向けて動かしまとめる政治的
リーダーシップの存在でB変化の意味、目的および政治的意思決定の過程を討論可能なものにし、
討論による政策の変更を可能にするアカウンタビリティ(権威者の説明責任)の存在、C市民が
変革を実現するための効果的な手段の存在、そしてD紛争や反対を変化の契機として評価し、
民主主義にとって最も意義のある政治的過程として承認すること。
/////// ウォルフレンを読む ///

23 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 17 ////////
 以上は、変化の制度化をめぐる氏の主張を私なりにまとめてみたものだが、とにかく日本には
右の五つの条件がどれも存在していないのである。だから日本は制度上は一応民主主義国家なのだが、
民主政治の最も重要な課題をまったく果たしえていない国なのだ。それというのも日本の現実の
政治体制は、変化の制度化どころか、その中にがっちりとビルド・インされた「現状維持の制度化」
の論理によって動いているからである。そこで後者の特徴をわかりやすいように図式化してみる。
   【変化の制度化】
    @情報と分析
    Aリーダーシップ
    Aアカウンタビリティ(説明責任)
    C効果的な手段
    D紛争と反対
   【現状維持の制度化】
    @リアリティの管理
    A権力の拡散、権力中枢の不在
    B非公式のヤミ権力の排外的秘密主義
    C立法と司法の無力
    D“調和”と“集団主義”のイデオロギー
/////// 出版社: 窓社 ///

24 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 18 ///////
 まず@だが、情報とその分析なしには、そもそも何か変革や改革の対象であるのかさえ、わからない
ことは自明の理である。いっさいの変化は、情報とその分析を手がかりとした学習から始まる。
ところが日本のジャーナリズム、学者、知識人は公衆に必要な情報をちゃんと提供していない。
また情報の明確で政治的に有意義な分柝もやっていない。ゆえに彼らほど現状維持の制度化に貢献
している存在はない。とりわけその最大の功労者は大手マスコミであり、彼らは市民に必要な情報を
サービスするという姿勢に欠け、体制の一環として美しい日本の秩序について道徳的に説教することに
関心をもっている。さらにジャーナリズム、学名、知識人は情報の提供やその分析を怠るだけでなく、
現実の管理者として振舞うことによって、政冶的に能動的な市民になるための知的手段を人民から
二重に奪っている。
/////////// 価格:¥1,916 ///

25 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 19 ////////
こうして日本では万人に公開された共通の現実というものはなくなり、現実は政治的な交渉や取引
によって現状維持のために管理されうる対象と化し、現実についての偽りのイメージによって洗脳
された市民たちは体制に対して手も足も出なくなる。ウォルフレン氏は日本の官僚王国の批判者と
思われていることか多い。だが、氏は日本の官僚が概して有能で勤勉なプロフェッショナルである
ことを認めており、官僚制を分析したことはあっても官僚を攻撃したことはない。日本の官僚の問題は、
彼らが憲法の規定に反してまであれこれと仕事をやりすぎることにあるので、彼らに職務怠慢の
疑いはない。しかし、ジャーナリズムに関しては話は異なる。ここには世界最悪の職務怠慢と背任の
実例がある。一連の著作において氏の怒りにも似た批判は、官僚や企業経営者ではなく、日本の
ジャーナリズム、学者、知識人の怠慢と同胞市民に対する裏切りに向けられている。
///////// 関 曠野 (編集) ///

26 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 20 ////////
 人間の保守化しがちな性向と物事の惰性からすれば、変化は自動的に生ずることはなく、変化を
求める社会的合意も自然に形成されるものではない。変化のためには、そのための世論の焦点を
つくりだすような問題提起的リーダーシップが必要である。民主国家における社会的合意や協調は
そうしたリーダーシッブの求心作用がもたらすものであって、初めから与えられているものではない。
そしてリーダーが提起した問題をめぐる論争や反対も結果的にはそうした合意や協調を生み出す
ことに寄与するのである。そのためにはリーダーは、自分が提起した問題を公的に明確に定式化
しなければならない。そしてリーダーの決定か承認された場合には、彼にはその決定を実行する
ための権力が与えられていなければならない。ところが日本国家の一大特徴は「政治的説明責任の
中枢の不在」(『幸福』七九ページ)であり、変化のためのリーダーシップというものが根こそぎ
不可能になっている権力構造である。
///////// 1996年5月出版 ///

27 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 21 /////
民主国家においては世論が究極の権威の源泉であり、この権威に対して説明責任を負うことを条件
としてリーダーには強大な権限が与えられている。だが、日本においては、権力は公的に国家権力に
統合されることのない幾つかの有力な政治的グループの間に分散していて、それらのグループは
自分の流儀で勝手に権力を行使している。代表的なグループとしては政財官界のほかマスコミ、
農協、警察、暴力団などが挙げられるが、これらのグループはグループ間や仲間うちで派手な
勢力争いをすることはあっても、一方が他方に従属して公的な国家権力を構成することはない。
/////// ウォルフレンを読む ///

28 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 22 ///////
「日本の権力は、自律的でかつ、なかば相互依存的な多数の組織に分散されていて、それらは
主権者としての選挙民に対して責任を明確にすることもなければ、互いの組織の間に究極的な
支配関係もない。政府のさまざまな活動に、このような組織すべてが関わっているが、ある組織が
他の組織に命令を下すことはありえない。どの組織ひとつをとってみても、国の政策の最終責任を
とったり、緊急を要する国家的問題について決定したりするだけの力はない」(『謎』上巻、九八ページ)。
/////// 出版社: 窓社 ///

29 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 23 /////
 変化への決定を下し説明責任を負うトップの座にいる者はない。官僚は国家体制におけるその
位置からして巨大な権限をもっているが、彼らとて究極的な決定を下しうる立場にはない。財界とて
しかりである。自らの力と威信を追求するさまざまな組織があるだけで、国家を公的に代表し国家の
ために選択や決断を行なう者はどこにもいない。そして「こういった日本の状況は、各種の利益団体
からの政府攻撃や内部抗争のために政府が意思決定できないというような、ほかの国の現状とは
まったく異なるということである。つまり、ロビー(院外団)の活動が政治を左右するという
状況ではなく、これまでの政冶理論のどの類型にも当てはまらないひとつの構造的現象なのである」
(『謎』上巻、三七ページ)。
/////// 価格:¥1,916 ///

30 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 24 /////
 だから、日本を特定の人間が牛耳る一枚岩の国家とみなす部の欧米人の通俗的な日本観は、
間違いなのだ。日本は東洋的専制国家でも、疑似共産国でも、権威主義的官僚独裁国家でも、
大企業と官僚が一体となって支配する日本株式会社でもない。さまざまなロビーが政府に圧力を
かける多元的国家とか職能団体・利益代表と政府が協調するコーポラティズムといった戦後の
欧米諸国をモデルにした政治理論も、日本には当てはまらない。こうした理論は政府が政策決定の
中心であることを前提にしている。究極的な中心や頂点のない日本国家の権力構造は、同じ
東アジアの韓国や中国にも見られないものである。
///// 関 曠野 (編集) ///

31 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 25 ///////
 だが、間違えてはならない。日本の権力者たちは意思決定ができないのではない。政財官界
その他の有力グループは、市民や選挙民に対し何の説明責任を負うこともなしに、社会に重大な
影響を及ぼす政治的感思決定を毎日行なっている。こうして、誰がいつ何のためにどんな権限に
基づいていかにして下したのかわからない政治的な選択と決足が、日本の社会を動かしている。
そして有力グループは説明責任を負わないばかりか、その政策決定過程に排外的秘密主義の
ヴェールをかぶせる。というのも決定は現状を維持する目的で、すなわちグループの力と威信と
既得権益を保全する目的で、グループ自身のためになされるからであって、この真の動機は市民を
前にして公言できるようなものではないからである。組織エゴと秘密主義は常に不可分なのだ。
///// 1996年5月出版 ///

32 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 26 ////////
これに対しウォルフレン氏の説くアカウンタビリティの原則は、組織の行動をめぐる変化を
可能にするルールといえよう。それは政治的意思決定の過程を公開することで討論の対象とし、
討論による政策の変更や旧習の廃棄を可能にする原則である。この原則は、権力を行使する
人間に対して、人間のいっさいの行動や決定には他者への奉仕という愛他的要素があることを
思い起こさせ、それによって権力に対する民主主義的な統制を実現する。きちんと説明責任を
負う者は、自分を公衆に対する奉仕者として自覚している者である。
/////// ウォルフレンを読む ///

33 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 27 /////
 組織エゴと秘密主義に密接に関連しているのが、日本の権力構造に特有のタテマエとホンネの
区別である。暴力団以外の日本の有カグループは、公的には民主国家の名誉ある成員として
国家の権威すなわち世論と選挙民の総意という権威に従属し、公衆への奉仕によってその高い
地位を得ていることになっている。しかし現実には彼らは、半自治的グループとして、市民が
委任したものではない権力をきわめて恣意的に自分自身のために行使しており、その力の及ぶ
範囲や他のグループとの関係は法の公的ルールに従っていない。それゆえに、民主国家という
タテマエと現実のエリート間の人脈を中心とした寡頭制というホンネのずれは不可避になる。
/////// 出版社: 窓社 ///

34 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 28 //////
もちろんタテマエとホンネが完全に一致している国など世界のどこにもないし、ある程度の
二枚舌や面従腹背は世の常であろう。しかし日本の場合は、話が違うのだ。日本においては
夕テマエとホンネの違いは、現状維持をはかる権力エリートの力の源泉として制度化されており、
ゆえにタテマエとホンネの差をなくそうという努力など皆無なのである。例えば大蔵官僚の
絶大な権力は、タテマエとしての民主国家があってこそのものであり、しかもタテマエ上は
「公僕」である彼らは独裁者とされて政治的打倒の対象とされる心配はない。しかも日本の
エリートがホンネの世界で行使する権力は、非公式な「ヤミ権力」(『幸福』九九ページ)に
ほかならない。そして非公式な権力に対しては、人々が選挙、訴訟その他の公僕としての権利を
駆使して闘いを挑むことが初めから不可能なのである。
/////// 価格:¥1,916 ///

35 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 29 /////
だから現状維持をはかる権カエリートにとっては、タテマエとホンネがずれたまま民主主義が
空洞化した日本ほど往み心地のよい国はない。ところが日本人は、この制度化されたずれが生む
ヤミ権力という問題を認識していないことが多い。それはタテマエを原則と解釈するからである
(例えば権成ある研究社の『新和英大辞典』でもprincipleと訳されている)。この解釈に従えば、
タテマエとホンネのずれは日本人の柔軟なプラグマティズム(?)を意味するように見えるが、
これは開違いである。タテマエはむしろfacade, appearanceなどと訳されるべきであって、
この言葉は日本的なウチとソト、インサイダーとアウトサイダーの区別から解釈されなければ
ならない。つまりタテマエとホンネの区別は、強力な組織のインサイダーがもっともらしい
見かけの下に無力なアウトサイダーを操作することを意味しているのである。
///// 関 曠野 (編集) ///

36 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 30 //////
 民主国家において市民が体制を変革するための究極的な手段は立法と司法である。日本が
変わらない最大の理由は国家の立法部と司法部が無力なせいなのだが、この問題については
後で述べる。ともあれ、国家の権威がタテマエにすぎない世界で立法と司法ががまともに
機能することばありえない話である。そしてウォルフレン氏は、現状維持の制度化がエリートの
意向に即してはぼ完全に実現されている日本の社会を、市民社会と正反対のものとして
「政治化された社会(『幸福』五一ページ)と呼ぶ(この区別は、一九世紀ドイツの法学者
オットー・フォン・ギールケが人間社会を「支配結合」Herrschaftsverbandと「仲間団体」
Genossenschaftに大別したことによく似ている)。
///// 1996年5月出版 ///

37 :
 
/// 窓社 (1996/05発行) //////////////////
 ウォルフレンを読む
 関 曠野(編集)
出版社: 窓社 (1996/05) 単行本: 292ページ 価格:¥1,916
ISBN-10: 4943983901  ISBN-13: 978-4943983903
http://www.amazon.co.jp/dp/4943983901
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4943983901.html
http://honto.jp/netstore/pd-book_01340133.html
http://books.rakuten.co.jp/rb/item/806104/
http://www.junkudo.co.jp/detail.jsp?ISBN=9784943983903
http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1101338255/subno/1
/////////// 絶賛発売中! ///

38 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 31 /////
民主国家の公的権威が確立している場合には、国家が市民から委任された権力をもって支配してよい
範囲とそうでない範囲は、法と世論によって明確に区別される。市民社会とは、市民の自由に
委ねられ国家の支配や介入があってはならない領域である。ところが日本においては、中央官庁と
大企業を中心にした有力グループが非公式なヤミ権力を行使して社会に重大な影響を及ぼす決定を
勝手に行っているので、そうした政冶的決定がノーチェックで社会を左右するという意味で、
社会は「政治化」される。この無制限の権力にとって官と民、公と私といった区別は意味がなく、
その支配と干渉は家族生活や職場環境に及ぶ。
/////// ウォルフレンを読む ///

39 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 32 /////
ここでは企業組織も、寡頭制エリートの権力追求のために存在しているので政治化しており、
その従業員を社会的に統制するという政冶的機能を果たしている。しかし、いかにエリートの
ための現状維持を目的として政冶化された社会においても、社会から変化がなくなることは
ありえない。そして社会が変化する必要は、紛争や反則によって表面化することが多いのだから、
エリートは全力をあげて日本の社会に紛争や反対が実在することを否定しなければならない。
彼らは昔から各種のトラブル・メーカーを体制のインサイダーとして取りこむ手法にたけている。
そして恐るべきは、人々が発作的本能的な紛争や反対を契機に現実を直視することを学び、
考え始め、思想をもつに到ることである。
/////// 出版社: 窓社 ///

40 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 33 /////
人間社会の決定的な変化は思想によって起こる。だから日本のエリートは、現実を管理する
ことによって、人間の思考能力をも社会的に統制しなければならない。彼らは体制派の知識人や
学者の手をかりて、変化への可能性を神話と儀式によって封じこめようとする。こうして
現存する秩序は、唯一の不動の秩序とされ、それはエリートの権力行使によって生じたものではなく、
文化の産物、日本民族のユニークな先天的素質が“調和”や”集団主義”といった形で発現した
ものとされる。この種の神話によって日本は、変化に向かって開かれた出口をもたない、檻のような
社会として完結する。それは、ひたすら現状維持を志向する、いや、より正確にいえば、変化への
恐怖にこり固まったエリートに支配された世界である。
/////// 価格:¥1,916 ///

41 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 34 /////
    日本を呪縛する“組織の記憶”
 ウォルフレン氏の著作においては日本の官僚機構が大きな比率を占めている。それだけに、氏の
主張を官僚王国批判に矮小化して受けとめている日本の読者も少なくない。しかし、先述したように、
氏の本来の意図は官僚批判にはない。氏がその日本権力論で官僚制をクローズ・アップしたことには、
構造的および歴史的な理由がある。まず第一に、氏が問題にしているのは官僚制自体というより、
官僚が絶入な権力を揮うことを可能にしている日本の政治風土である。変化への恐怖にとりつかれた
世界においては、万事に保守的なルーティン・ワークの専門家である官僚は、まさに水を得た魚
である。それゆえに日本の政治風土を深く理解するには、その典型的な住人であり代表者である
官僚の行動を分析するのが一番よい。
//////// 関 曠野 (編集) ///

42 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 35 /////
第二に、日本のように立法と司法が無力な国の政府を分柝しようとすれば、立法と司法を押しのけて
異常に肥大した行政の権力がその中心とならざるをえない。実際、歴史的事実としても、近代日本の
政治を動かし歴史を作ってきたのは行政官僚なのである。彼らをぬきにして近代日本の歴史は語れない。
 そこで氏は『謎』において、官僚が勝手にヤミ権力を行使できる不思議な民主国家の実情を欧米の
読者のためにあれこれ実例を挙げて説明している。そして同書のクライマックスというべき一四章
(「支配力強化の一世紀)と一五章(「不死鳥の国」)において、いかにエリート官僚と官僚出身の
管理者型経営者が戦後日本という巨大な生産マシーンをつくりあげてきたかを、明治期にまで
遡りながら分析している。
/////// 1996年5月出版 ///

43 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 36 /////
本書の読者諸賢は氏のこうした文章をすでに読んでおられると思うので、ここでその内容を
長々と祖述することはしない。その代わりに、氏の論点のなかで日本の読者が今後ともじっくり
考えてみる必要があると思われるものを以下幾つか列挙したい。
 (1) 氏によれば、戦後日本の経済大国化は占領軍の民主化改革がまったく皮相なものだった
ことを示している。日本の経済成長は、内務省の流れをくむ経済統制官僚が三〇年代に戦時産業体制を
確立するために全体主義の影響下で作成した産業・金融の統制政策にのっとって推進された。
占領軍は彼らを軍部と財閥というライバルから解放してやった。いわゆる一九五五年体制は革新官僚が
三〇年代に唱えていた大政翼賛体制をほぼ実現したようなものだった(『謎』下巻、二二四ページ)。
/////// ウォルフレンを読む ///

44 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 37 ///////
そして経済成長は新たな国家総動員の試みだったのだが、計画として公的に呈示されなかったので、
誰からも攻撃されずに済んだ。こうした氏の見解はさほど新しいものではなく、日本現代史に
関心のある左翼知識人なら周知の事実とさえ言える。だが問題なのは、この事実か国民の常識に
なっていないことだ。庶民はいまだに日本の経済成長は民主主義と日本人の勤勉さの賜物だなどと
思いこまされている。つまりここには、日本には知識人向けの知と大衆向けの宣伝という二種類の
知があるという、氏が『幸福』の中で指摘したことの典型的な例があるのだ(『幸福』二二ページ)。
/////// 出版社: 窓社 ///

45 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 38 /////
 (2) 官僚は、日本を巨大な生産マシーンにせよという至上命令に盲目的に従う。というのも
彼らは生産力の増大だけが日本国家の存立と安全を保障すると信じているからだ。戦後日本は
官僚が統制する経済的国防国家であり、国家の安全という至上命令を前にしては個々の国民など
使い捨ての消耗品にすぎない。その点では特攻で戦死した学徒兵も、旧満州に置き去りにされた
開拓民も、過労死するサラリーマンも、焼け跡に放り出された大震災の罹災者も、薬害エイズの
犠牲者も、みな同じことである。官僚の国防幻想があるかぎり、人権、自由、幸福といった言葉は
日本では虚ろな言葉であるだろう。そして経済力という力しか信じない日本の官僚の思想と行動を
国際社会が承認することは決してないだろう(念のため付け加えれば、氏が指摘するように日本には
真に自由な資本市場と労働市場が存在しない以上、日本は市場経済の国ではないのである)。
/////// 価格:¥1,916 ///

46 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 39 /////
 (3) 氏によれば、日本の官僚制を欧米のそれと分ける重要な特徴は「組織の記憶」にある。
組織とその成員の一体化や終身雇用を特徴とするこの官僚制は、形状記憶合金のような組織の
記憶を持っており、それによって敗戦ショックを生きのび強力に再生することができた。独裁的な
旧内務省を解散させた占領軍は「組織の記憶の生命力や強さや死後にも残る力にまったく気づいて
いなかった」(『謎』下巻、二一二ページ)。この非人格的組織の記憶こそが、日本の真の支配者
なのかもしれない。
///////// 関 曠野 (編集) ///

47 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 40 /////
それゆえに日本の権力エリートは変化に対応して方針を転換することができないし、その権力と
支配の結果に対して人格的な責任をとることができない。日本は組織の記憶による自動操縦に
委ねられた国家であり、船長も舵手もいない五〇万トン・タンカーである。しかしこの記憶に
日本の政治化した官僚制の究極のアイデンティティがあるのだとすれば、それを一種のプログラム
として分析することによって官僚の権力を解体する途も開けてくるはずである。日本民族が
ユニークであるとか先天的に調和を好むといった神話も、万邦無比の国体とか家族国家という
戦前の官僚制のイデオロギーが組織の記憶によって再生したものであろう。
///// 1996年5月出版 ///

48 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 41 ///////
 (4) 日本の官僚の特徴は、自分たちだけが何が善であるかを知っており間違いを犯すことが
ないと信じこんでいることである。善を認識し間違うことのない存在とは、ルソーが一般意志と
呼んだものである。すなわち、官僚は自分のことを勝手に一般意思の体現者とみなしている
のであり、だからこそ彼らは管理者として政治化しているのだ。ウォルフレン氏によれば、
日本の官僚が政治化している原因は、彼らの原型が戦前の内務省の官吏、つまり社会統制官僚に
あるからである。ざらに氏によれば、この官僚制は明治の元老山県有朋の政党政治と民主主義に
対する深い恐怖と嫌悪から生まれ、いっさいの社会的変化を阻止すべく山県によって仕組まれた
ものである。これは大いに傾聴に価する見解といえよう。
///// ウォルフレンを読む ///

49 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 42 ///////
というのも従来の日本の歴史学は明治の元老といえばもっぱら伊藤博文に注目して、山県という
陰険な権力亡者の役割を軽視してきたきらいがあるからだ。山県に関する研究を深めることも、
日本の官僚を公僕に変えるためには不可欠な、一歩といえるだろう。しかしながら、氏が分析した
日本の官僚制の問題は、役所に対する情報公開の要求、オンブズマン制の導入、市民による
監視機構の設立といった方策で片付くような問題ではない。そうした試みもちろん無意味ではないが、
根本問題は官僚の無統制なヤミ権力をはびこらせる政治風土であり、氏の言う「システム」
なのである。
//////// 出版社: 窓社 ///

50 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 43 ///////
    押しくらまんじゅうの日本社会
 「日本には国家ではなくシステムがあるだけだ」とウォルフレン氏は言う。ではシステム
とは何か?それは変化の反意語であり、変化というものを不可能にしている日本社会の
組織原理である。それは普遍的で基本的な組織原理なのだから、大蔵省、暴力団、農協、
マスコミ、教育機関のどれにでも当てはまる。つまりこれらの組織のあいだには、その
異質さにもかかわらず、その組織の力学と成員の動機においてきわめてよく似た構造的
特徴があるのだ。ゆえに官僚制も、システムの最も強力で危険をはらんだ一例にすぎない。
///// 価格:¥1,916 ///

51 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 44 ///////
普遍的な組織原理であるかぎりにおいて、システムには官と民の区別はないし、システムに
取りこまれた家族もざらにあるのだから、公と私の区別もない。システムの影響力は個人の
内面にさえ及ぶのだから、精神と物質の区別さえないのだ。こうして日本においてはシステムは、
一種の宇宙的運命の観を呈し、そこからシステムがもたらした結果に対してはなにごとも
「仕方がない」とする庶民の反応が生じてくる。そしてシステムのこの捉えどころのない
包括的な性格のおかけで、日本の権力者が「日本には権力の行使などというものはなく、
美しい日本文化があるだけだ」などと主張できることにもなる。
///// 関 曠野 (編集) ///

52 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 45 ///////
 システムが生じてくるのは、日本の社会に何が正統な支配であるかについての合意がなく
ルールに則した服従ということが不可能なせいである。誰が最終的な支配者であるかは誰も
知らない。ゆえに日本の有力な組織は可能なかぎり自らの力と威信を追求しようとする。
この力と威信の迫求は当然他の組織との紛争をひき起こすが、そうした紛争を解決するための
合意された予見可能なルールは存在しない。正当性を承認されたルールに代わるものは、
脅しと威嚇が生み出す力関係であり、そうした力関係に基づく不安定な疑似秩序である。
そして組織間に公的な支配と服従の秩序が存在しないこととは裏腹に、各組織の内部では
組織に対するその成員の軍隊的な服従が要求される。システムのこの側面は“イエ原理”と
呼ばれていいだろう。
///// 1996年5月出版 ///

53 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 46 ///////
こうして力と威信を追求する組織間の紛争は、力の対抗と均衡からなる力の相対的配置図を
つくり出し、それはまるで意図的な合意や計画から生じたかのように見えることがある。
例えば日本の政治がシステムの所産であることを知らない欧米人は、日本人に経済的な
世界支配の計画や陰謀があると思いこみやすい。しかし「日本政治の歴史は、政治的目標
というものは、それが完全に意識されていなくとも実現は可能であるという事実を立証していると
筆者は思う。至る所で接することのできる日本主義的な宣伝活動は、強力な中核機関が源として
あるわけではなく、それぞれ別個の権力集団が共通の必要性から自然に発しているものだ。
///// ウォルフレンを読む ///

54 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 47 ///////
同様にして、それぞれの権力集団が、各グループの政治的な生き残りを確かにし、最良の
生存条件を得ようと努力する結果、その個々の尽力が緊密につなぎ合わさって社会構築の
青写真にもとづいて実行されているかのように見えるだけだ」(『謎』下巻、二七二ページ)。
しかしシステムがもたらす力の相対配置図は、結局、合意された計画ではない。それゆえに
システムを構成する諸組織は、現存する力関係に予見不可能な変化が生ずることを極度に恐れ、
状況の変化に対する警戒を怠らない。システムの影響は個人の行動にも及ぶ。日本では
人間関係が力関係になっていることか多く、日本人はレーダーを張って自他の地位や状況を
正確に判断しながら行動しなけれはならない。
//////// 出版社: 窓社 ///

55 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 48 ///////
 全体としての日本社会をシステムとして見るならば、それはさまざまな有力な組織が
押しくらまんじゅうをしている社会と言えよう。各種の業界を主役とするこの押しくらまんじゅう
においては、当然図体の大きな者が勝つ。そして支配と服従の明確なルールのないこの社会に
おいては、被害者意識が正当性の代用品になっている。この意識が押しくらまんじゅうを
道徳的に正当化するのだ。ゆえに日本では、中央官庁や大企業のエリートでさえ精神的には
被害者意識のかたまりであることが多い。
///// 価格:¥1,916 ///

56 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 49 ///////
そしてこの社会で最も悲劇的なのは、有力な組織へのアクセスを持たない弱者の孤立と
無力である。押しくらまんじゅうで動いている国に、本来の意味での権利という思想はない。
当然の権利の代わりに権力者の慈悲や恩恵が強調される。そして弱者のほうも、その権利の
主張を脅しや威嚇という形で行なうことが多い。民主主義を推進するはずの労組や民主団体も、
組織の力と威信の追求に狂奔しているのが普通である。また日本では有力な組織への所属が
ただちに特権的な政冶的地位を意味するので、そこから人脈による貴族階級が生まれる。
///// 関 曠野 (編集) ///

57 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 50 ///////
 要約しよう。正しい秩序についての社会的に共有された認識と何が正統的な支配であるかをめぐる
合意が存在せず、現世的な力関係がすべてであるような社会においては、システムはほとんど自動的に
生成してくる。そしてシステムについて最も強調さるべきことは、変化に対するその抵抗である。
というのも、ここでは対抗と均衡による力の相対的配置図が秩序と安定の唯一の保証なので、新規な
事態による配置図の変更は、秩序の全面的崩壊につながりかねないからである。さらに忘れては
ならないことに戦後の状況がある。日本が国家ではなくシステムとしてやってこれたのは、日本が
一人前の近代国家として荷なうべき義務や責任を米国がずっとおんぶにだっこで引き受けてきた
からなのだ。
///// 1996年5月出版 ///

58 :
 
/// 窓社 (1996/05発行) /////////////
 ウォルフレンを読む
 関 曠野(編集)
出版社: 窓社 (1996/05) 単行本: 292ページ 価格:¥1,916
ISBN-10: 4943983901  ISBN-13: 978-4943983903
http://www.amazon.co.jp/dp/4943983901
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4943983901.html
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59 :
★談合文化論 何がこの国の「社会」を支えるのか     1/2

宮崎学/著 出版社名 : 祥伝社
出版年月 : 2009年9月
[目次]
土建屋の逆襲;日本の基層社会で起こっていること;
日本に「自由社会」などない;
談合の起源;
官製資本主義が談合を生んだ;
近代法とともに談合が生まれた理由;
官僚文化と土建文化の接点で;
顔役、金筋、新聞屋;
談合文化が高度成長をもたらした;
談合を変えた田中政治;
自治型談合から癒着型談合へ;
談合の復活が日本を救う;
日本に本当の自治社会をつくるために
[出版社商品紹介]
“突破者”による「談合」擁護論であり、「談合」を通じた日本文化論。

60 :
★談合文化論 何がこの国の「社会」を支えるのか     2/2
出版社・メーカーからのコメント
土建の現場を知り尽くしたアウトロー・宮崎が世に問う! 日本が日本であるために必要な
「法を超えたもの」とは。 「談合は悪」――なのか? この国に流れつづける「話し合いの文化」
談合とは、徳川時代まであったムラの自治に根ざしたもので、自治を運営する自分たちの掟をつくり、
それにもとづいて自己統治していくうえでおこなわれた構成員全員による話し合いのことであった。
近代になってからムラの自治は奪われ、国家行政に組み込まれたが、社会の基層には談合文化が残った。
日本は建前上「法治国家」になったが、社会のトラブルが司法の場に持ち込まれて、それを一つ一つ
解決していくことを通じて法が具体的に形成されていく、というヨーロッパ近代では成立した過程が
日本近代では成立しなかった。問題が発生した具体的な現場で、公式のルートには乗らない非公式な
話し合いで解決されてきたのである。(本文より) 談合の歴史を見ることで、この国の姿が見えてくる
(本書の主な内容)
■「一般競争入札」は土建屋に何をもたらしたか
■土木王国=田中角栄政治を崩壊させた小泉改革
■なぜ「談合坂」という地名があるのか
■明治政府の殖産興業が「土木建設請負業」を生んだ
■戦時統制経済と高度成長経済はつながっている
■「単なる談合なら無罪である」という地裁の判決
■「談合文化の否定」はアメリカからやってきた
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refISBN=4396613431

61 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 51 ///////
    求められる法の支配と道徳的リーダーシップ
 それではどうすれば日本は名実ともに近代国家へと脱皮できるのであろうか。それには、
市民が自由な討論をつうじて正しい秩序についての認識を共有すること、および正統的な
支配をめぐる社会的合意が成立することが必要である。しかしながら、ウォルフレン氏が
トップ・ダウンのピラミッド型権力構造の必要性を説きながら、他方で市民的自由の価値を
強調してやまないことには、とまどいを覚える日本人が多いのではあるまいか。戦後民主主義の
感化を受けた日本人には、民主主義をある種の粗雑なアナーキズムとごっちゃにする
傾向があり、そうした人々にとっては権力と自由は対立概念なのである。
///// ウォルフレンを読む ///

62 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 52 ///////
しかし真にリベラルな政治思想は、民権としての権力を強調する。すなわち@権力の所在と
行使は誰にでもすぐ見分けがつくように公示されていなければならない。そうであってこそ
討論の権力に対する監視や統制が可能となる。A法の最も基本的な役割は、社会の統制ではなく、
権力に対する人民の統制を可能にすることにある。人民と為政者の問に緊張がなければ法は
存在しない。ゆえに国家と市民社会、組織と個人の間に明確な境界線を引き、後者を前者による
干渉や侵害から守るということも、法の基本的な使命なのである。Bそうした法は人民の間に
共有された正しい秩序についての認識を究極の源泉とし、そこから派生するものでなければ
ならない。
//////// 出版社: 窓社 ///

63 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 53 ///////
 そして、このリベラルな民権思想の核心にあるものこそ、法の支配 the rule of low の
原則にほかならない。法の支配、すなわち独立した立法と能動的な司法は、人民の世論による
権力の統制を可能にするだけでなく、紛争や反対を社会変革の契機に変えることで変化の制度化を
実現する。民主主義の問題は、法の丈配の実効性の問題に尽きるといっていい。そして日本が
国家ではなくシステムにすぎないのは、まさしくこのタテマエ上の民主国家に法の支配が
存在していないからである。
///// 価格:¥1,916 ///

64 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 54 ///////
 「たしかに、日本の社会にも多くの法律がある。事実、ときに外国人から日本には法律が多すぎると
指摘されるほどだ。日本の役所では、上から下まであらゆるレベルで、当局者のそれぞれの仕事に
関連して、秩序維持のために自由に発動できる多くの法律がそろっている。
 しかし日本では、私がしばしば述べてきたように、最も重要な事柄は正規の法の規制を受けないのだ。
日本の政治構造の事実上の本質部分も、一切、法体に基づいていない。前段で述べた、日本の巨大な
経済システムの最も重要な側面も、法律の条文規定にまったく基づいていない。実際は、日本人の
経済活動は、多くの側面で法律の文言を組織ぐるみで破っている。たとえば、系列構造が存在すること
自体、日本の独占禁止関連法(米国の独禁法を真似たもの)を、そっくり虚仮にしている。(中略)
法律は何にもまして官僚の道具だ。官僚が社会秩序を保つための道具になっているばかりでなく、
彼らの望みどおりの制度や条件を確実につくり上げるための道具としても使われている」(『幸福』
一〇一−一〇二ページ)。
/////// 関 曠野 (編集) ///

65 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 55 ///////
 しかし「戦後の正規の法規に定められた通り、真に独立し、政治に従属しない司法があり、
人びとか少しずつ訴訟になじんでくれば、戦後の<システム>が今日ある姿にまで強化される
ことは阻止されていたはずである。独占禁止法か一貫して公平に通用されてきていれば、
阻止できたはずだ。公職選拳法を厳正に適用してもそうできただろうし、大企業と自民党との
腐敗した関係、その他の<システム>を存続させるさまざまな非公式の人間関係や慣例について
司法の審査がおこなわれていれば、阻止できただろう。
///// 1996年5月出版 ///

66 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 56 ///////
民衆が上手に訴訟戦術を展開すれば、今日、いろいろな活動を制限しているあらゆる法制外の
行政措置について、裁判所に訴えることができたにちがいない。実際に企業家が官僚を裁判所に
訴える可能性があれば、<システム>管理上の目的の多くが根底からくつがえされていたはず
である。さらに言えば、無数の人脈によって動かされている現在の<システム>は、法的な
手続きを一貫して適用することによって可能になる政治的な検分に耐えてまで、存続することは
できないだろう」(『謎』上巻、三六二ページ)。
///// ウォルフレンを読む ///

67 :
★あれこれ   弁護士 飯島奈絵
次に、感じたのはアメリカ人、そして、ここに住む日本人の方々の参政意識の高さ。
日本では、多くの国民が「政治は政治家が密室で利権がらみであれこれ決める何だか
よくわからないおどろおどろしいもの。」といった意識を持ち、政治に関わろうとしない。
露悪的にいえば、政治に関心があるのは権力意識がよほど強いか、妙に純粋で理想論
ばかりを述べる「青い」人か、宗教関係で動員がかけられた人といった意識がある。なぜ
このように違うのか。単なる「国民性」ではすまないであろう。日本人も米国の政治は
面白いと思っているのだから。違いは大統領選か?二大政党制か?
勤務先法律事務所で『民主主義』を感じたことがあった。クライアントの日本企業が
州法に抵触した。勤務先事務所は「州法の制定手続、規制方法に手続的瑕疵がある。
当該法の規制範囲は広範に過ぎる点でも問題がある。争おう。」という。しかし、
日本企業は煮え切らない。日本では訴訟を提起したということ自体、新聞沙汰になる。
人聞きが悪い。企業イメージが下がる。その上、監督官庁にたてついたら、どのような
不利益があるか。国にたてつくとの構図も企業イメージを下げる。日本企業のそんな
思考方法を説明したところ、米国人弁護士に呆れられた。「法律に瑕疵があれば、
その是正を求めることは、民主主義における市民の権利であり義務でないか。」と
言われた。やはり日本はムラ社会なのか、出る杭は打たれるのか。国は「お上」なのか。
http://www.wjwn.org/views/05summer/sakairijima.html#_ftn2

68 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 57 ///////
 そうなのだ。まるで宇宙的運命のように見えるシステムは、日本に真に独立した司法と
能動的な立法さえあれば、太陽の前の雪ダルマのように消えていくものなのてある。しかし、
日本の司法と立法は事実上行政に従属し、絶望的なほど無力である。氏が指摘するように、
法務省は最高裁事務局をつうじて司法の独立を骨ぬきにしてしまっており、長らく政党の名に
価しない自民党に支配されてきた立法府は、中央官庁の資金を建設業などをつうじて地方に
ばらまく利害誘導政治に従事することで行政を補完してきたにすぎない。
//////// 出版社: 窓社 ///

69 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 58 ///////
そして司法と立法のこの目を覆いたくなる現状は、あれこれの制度的手直しや、ましてや
金権政治家を道徳的に非難することで打破されるようなものではない。司法の独立と立法の
能動性を確立するためには、おそらく日本の政治風土を一変させるようなある種の精神革命が
必要なのだ。というのも、日本に法の支配が不在である原因は、官僚が法を権力の道具として
使うことを当然とみなすような日本人全般の法意識にあり、それには日本の宗教的、知的伝統が
深くかかわっているからである。
///// 価格:¥1,916 ///

70 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 59 ///////
 大方の日本人は法ときくと警察や役所を思い浮べる。実際、世界の主要国の中で日本は、
その国民が法の原点は司法にあることを理解していないおそらく唯一の国である。欧州に
おいては中世の王権は司法権と不可分であったし、欧州の法の源流をなす古代のイスラエルや
ギリシアやローマの法はいずれも裁判官や弁護士の法であった。欧州では文学でさえ
『アンティゴネー』から、『ヴェニスの商人』や『罪と罰』にいたるまで、法や裁判を主題と
したものか少なくない。その一方で法に基づく行政が確立するのは欧州では、近代法治国家の
成立以降のことにすぎない。また中国語でも法という言葉は、もともと堤防で囲まれた水面の
平らな様子を表わし、転じて訴訟の公平さを意味するようになった、司法起源のことばである。
///// 関 曠野 (編集) ///

71 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 60 ///////
ところが日本では、八世紀に律令国家がつくられて以来、鎌倉時代の一時期を除けば、
法は常にたんなる禁令か行政の手段とみなされてきた。そして司法権がその権威を確立する
ためには、「正しい秩序とは何か」という問いをめぐる一貫性のある宗教的、思想的伝統が
不可欠なのだが、政治的便宜主義によって神仏儒の三者を使い分けてきた日本には、そうした
伝統は生まれようもなかった。ちなみにウォルフレン氏は言論における論理的一貫性の重要さを
よく強調するが、西洋の倫理学もその起源は法廷弁論にある。
///// 1996年5月出版 ///

72 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 61 ///////
 近代国家の三権分立の原則は、日本ではたんに抑制と均衡の原則として理解されがちである。
そうした理解は、三権の間に権威の序列があるということを見落としている点で、不充分な
ものである。この権威の序列からすれば、行政は立法に、そして立法は司法に従属しなければ
ならない。この司法を頂点とする権威の序列こそ、国家による権力の行使が許容される条件であり、
支配の正統性の根拠である。そして司法のこの卓越した権威は、民主主義の原理が多数決に
ではなくて正義にあることを示している。
///// ウォルフレンを読む ///

73 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 62 ///////
多数決の原則は、自由と平等の原理とある程度まで両立可能とみなされた次善の策にすぎない。
司法によって民主主義の原理が正義であることが明らかにされた具体例を一つ挙げよう。
七〇年代の日本は水俣などの四大公害訴訟に揺れたが、そうした激甚公害の主な被害者は
日本全国でも総勢三五万人にすぎない沿岸漁民だった。彼らは国民中の極少数派である
ばかりか、経済成長路線を突き進む官僚や財界にとってはいてもいなくても同じ虫ケラの
ような存在だった。そして四大公害訴訟の判決内容をどう評価するにせよ、沿岸漁民は
司法という手段によってのみ、権カエリートに彼らがなした不法行為を公に認めさせることが
できたのである。
//////// 出版社: 窓社 ///

74 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 63 ///////
 ここで私がウォルフレン氏とともに民主主義の原理は正義であることを強調するのは、
正義という思想なしには権利という言葉が何を意味しているのか理解できなくなるからである。
そしてこの正義という問題に関連して、氏が説くアカウンタビリティの原則もやはり司法起源の
ものだといえる。判決理由の付いていない、あるいは意味不明の文章で書かれた裁判所の
判決など誰も承認しないだろう。裁判所の権威は、たとえ相手が被告席の凶悪犯であれ、
裁判の当事者を人格をもつ他者として認めその決定をきちんと説明する姿勢に結びついている。
///// 価格:¥1,916 ///

75 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 64 /////////
そして司法において法とはそうしたものであるなら、同じ基準は行政と立法における法の
あり方にも適用されなけれはならない。すなわち行政と立法委においても、法はその意味や
目的や決定の過程が公的に明記されたものでなければならず、口頭による指令や怪しげな
メモなどがまかり通ることがあってはならない。強大な国家権力の存在が承認されているのは、
ひとえにそれが人民に奉仕するものてあることを根拠としてのことであって、ゆえに権威者の
説明責任を伴わない権力の行使は許されないのである。
///// 関 曠野 (編集) ///

76 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 65 //////
 戦前の日本帝国と戦後の新憲法下の日本国家の最大の違いは、日本が戦力を放棄した平和国家に
なったこと――これは嘘である――ではなくて、戦前の行政国家から司法が最高の権威である
司法国家になったことである。しかしこの司法国家日本は、口にするのも恥ずかしいタテマエ
にすぎない。戦後の革新勢力がそのお題目めいた平和主義に注いだ熱意とエネルギーを、せめて
その半分でも日本をその名に価する司法国家にするための運動に注いでいたら、日本はどれほど
今日とは違う国になっていたかもしれないのだ。
///// 1996年5月出版 ///

77 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 66 ///////
(ちなみにここでウォルフレン氏の平和主義批判にも一言触れておきたい。氏が問題にして
いるのは憲法第九条と自衛隊の存在との間にあるズレである。そして氏の目からすれば、
護憲派は必死になってこのズレを維持しようとしており、その結果、世界有数の戦力が
法的に無統制のまま放置されている。民主主義者を自認する護憲派は自ら、その頼みの綱
であるはずの法の支配の原則を掘り崩しているのだ。ゆえにここでも氏が主張しているのは
ルールの確立であって、重武装の自衛隊をどんどん海外に派兵せよといった政策提言
などした覚えはないのである)。
///// ウォルフレンを読む ///

78 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 67 ///////
 それでは、立法の能勤性の回復という問題についてはどうか。これは、リーダーシップの
創出という問題に尽きるといっていい。民主的な社会とは、誰もが勝手な方向を向いている
支離滅裂な社会のことではない。民主主義の下においては、リーダーシップだけが社会的な
求心力や合意や協調をつくり出し、変化と可能性に向けて道を開く。しかしながら大方の
日本人はリーダーシップときくと、ワンマンとかファッショとかいかがわしい野心家とかを
連想するのではなかろうか。日本の政冶風土では、リーダーシップそれ自体に対する不信感が
根強い。正統な支配という思想が欠如している世界においては人は、リーダーを選ぶことより、
リーダーとなりそうな者の足を引っ張って自分の地位を守ることに懸命になるのだ。それゆえに
この世界で可能になるのは、故田中角栄に代表されるような、システムのヤミ権力に対応する
黒幕やヤミ・リーダーである。これでは立法の能動性の回復など期待すべくもない。
//////// 出版社: 窓社 ///

79 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 68 ///////
 そして、こんな状態がつづくのも、この世には二種類の異なったリーダーシップがある
ことを日本人がよく知らないせいである。われわれは、剣によるリーダーシップと杖による
リーダーシップを区別しなければならない。リーダーシップの一つの原型が剣、すなわち
戦場における軍隊指揮権にあることはローマ人のインペリウム imperium や栄光 gloria
という概念に明確に示されている。この種の軍事的リーダーシップには二つの特徴がある。
その一つは、リーダーの命令に対する服従の代償として保護と安全が強調されることである。
///// 価格:¥1,916 ///

80 :
宇野病院
俺が死んで仏壇
トランクスで外に出るな
夏の合宿
猫が来た
もーお前はー早く書けよー。
ガンジー
お風呂
鏡が倒れてきた所
トイレ
東日本大震災担当大臣
杉浦政権法務大臣
うんこがいろんな人のうんこと変わる
ヘブンズ・ドライブの蛇

81 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 69 ///////
もう一つは、ひとたびリーダーが征服と覇権の確立という軍事的目標を達成してしまうと、
そのリーダーシップはひたすら現状の維持を図るだけの極端な保守主義に転化すること
である。そうした例は歴代の中国の王朝やマホメットによる大征服後のイスラム世界、
そして何よりも家康による天下統一後の徳川幕府に見いだすことができよう。人類は長い間、
この種の暴力と戦争に起源を持つ野蛮なリーダーシップしか知らなかった。NHKの大河
ドラマやビジネス誌の表紙などにやたらと戦国武将が登場するところをみると、日本人は
いまだにこの種のリーダーシップしか知らないように思われる。しかし、軍事的リーダーシップ
の行くつく先は、極端な保守主義による麻痺状態なのである。
///// 関 曠野 (編集) ///

82 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 70 ///////
 これに対し杖によるリーダーシップとは、杖によって迷える羊を導く羊飼いに象徴される、
変化と成長のために道案内をつとめるリーダーシップである。それは保護と安全ではなく
人格の成長を目的とし、そのために善と悪の判断と選択をめぐって問題を提起し道徳上の
範を自ら垂れる、垂範的問題提起的リーダーシップである。軍事的リーダーシップにおいては、
リーダーの力に脅威を感ずる者が必ずライバルとなってその足を引っ張るから、前者は
自分の地位を守ることに汲々としてリーダーシップの発揮どころではなくなる。したがって、
杖による道徳的リーダーシップだけが、真にリーダーシップの名に価する権威と効力を有する
ことは明らかである。この種のリーダーシップの代表的な例としてはローマ法王があるが、
これは原利としては、神の命令の下にヘブライ人を奴隷の家エジプトから約束の地カナンヘと
導いたモーセに遡る。
///// 1996年5月出版 ///

83 :
痴漢被害を受けて被害申告したのにヘラヘラ笑う女
男性からの好意による行為を暴力的に排除して犯人扱いすることに生きがいを感じる愉快犯
そんな女が登場します
http://www.youtube.com/watch?v=hbvkrbN2flw&list=PLo0Cmune1s00QBFb7GcOzpQAHJXSSXIk_

84 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 71 ///////
そして現代のわれわれに身近な例を挙げるならば、教師が存在する。教師は、垂範的問題提起的
リーダーシップの典型的な例である。そしてここに、ウォルフレン氏が戦後の日教組の闘いを
賞賛してやまない理由があるのだ。氏の賞賛は、たんに日教組がシステムの巫女たる文部省と
果敢に闘ったということにのみ基づくものではない。教師たちの闘いは、民主主義の発展に
不可欠な道徳的リーダーシップを確立するための闘い、そうしたリーダーシップに従うことの
できる市民たちをつくり出すための闘いだった。彼らは文部省の教師聖職者論にマルクス主義の
教条で対抗し、自分たちを学校労働者と規定したかもしれない。しかし、実際には彼らは、
道徳的リーダーシップを体現すべく努めなければ自分たらは教師と呼ばれるに価しないと
感じていたのである。
///// ウォルフレンを読む ///

85 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 72 ///////
彼らが取り組んでいたのは、剣から杖へのリーダーシップの質的転換という、戦後日本の
最大の課題だった。そして今日の学校と教師の状況がどれほどやるせないものであろうと、
日本人を道徳的リーダーシップの観念に馴染ませるという大仕事に関しては、やはり教師の
役割は決定的なものであろう。立法府の現状を改善するための努力は、もちろん無意味ではない。
しかし長期的には、日本の政治改革は教育改革を出発点とするしかない。市民の教育だけが
この日本の風土において司法の権威と立法の能動性を確立することができ、司法と立法を
手段として体制を変革する市民たちを育てることができる。そしてたとえ天国であっても、
その住民から体制変革の効果的な手段が奪われているような天国は、檻の一種であろう。
//////// 出版社: 窓社 ///

86 :
★議論が行われず、事前の筋書き通りに進む日本の立法府   1
 おかしいのは公選法だけではない
 河野太郎公式ブログ ごまめの歯ぎしり 2013年07月23日 11:50
新しい国会の枠組が決まった。
強い与党のリーダーシップのもと、国会改革もやるべきだ。
もちろん野党の意見も取り入れながらだが。
以前に、ここで公職選挙法の問題をとりあげたが、公職選挙法だけがおかしいのではない。
例えば、国会の本会議の採決で議長が「賛成の諸君の起立を求めます」と声をかけ、賛成の
議員がどっと立つ起立採決。
衆議院本会議の起立採決で、誰が立って(賛成して)、誰が座っていて(反対して)、誰が
棄権したか、実は記録されていない。
本会議が始まる前の議院運営委員会で、各党の理事がその日の議題ごとの(各党の)賛否を
そこで報告していく。
「自民党は賛成」というその報告が記録に残る。だから、議員一人一人の賛否は記録されない。
(「自民党は賛成」というならば「自民党の議員はみんな賛成」という建前だから。)
東日本大震災の後、菅内閣が通常国会の会期を延長しようとしたのに対し、谷垣総裁、
石原幹事長率いる自民党は、会期延長の動議に反対することを決めた。
岩屋毅代議士と私は、こんな非常時に国会を閉じるなんて馬鹿なことがあってはいけないと、
自民党執行部の決定に逆らい、会期延長の採決に賛成した。
それを執行部に咎められて、党紀委員会にかけられ、役職停止一年という処分を食らった。

87 :
★議論が行われず、事前の筋書き通りに進む日本の立法府   2
しかし、もし、我々が党紀委員会で、我々が造反した証拠を示せと突っ張ったら、執行部は
とても困っただろう。国会の公式な記録には、岩屋、河野の造反の記録はないからだ。
もちろん谷垣・石原執行部は誤った対応をしたのであり、我々二人が正しい対応をした
のだから、我々は胸を張って処分を受けたが。
本会議では、異議なし採決というものもある。
議長が本会議で「ご異議ありませんか」と諮って、異議がなければ満場一致ということで
可決される。
本会議前の議院運営委員会で反対する政党がないことがわかった議題については
この異議なし採決が行われる。
かつて綿貫民輔衆議院議長時代に、「鈴木宗男君の議員辞職勧告決議案を議題として
とりあげることにご異議ありませんか」と議長が諮ったことがあった。
鈴木宗男代議士の評価は別として、「議員辞職勧告決議案というもの」に反対する
立場として、私は自席で起立して右手を挙げて大声で、「異議あり」と叫んだ。
綿貫議長は間髪入れず、「ご異議なしと認めます」。
議院運営委員会で「反対がない」ことになれば、本会議で「異議あり」と叫ぶ者が
いても、その者は存在しないことになってしまう。
衆議院では、「呼び出し」という役職があって、本会議での動議はすべて、この
呼び出しが出す。(呼び出しの席には、マイクがあらかじめ設置されている。)
「ギッチョーーーーーーーーーッ」「XX君」「緊急動議を提出いたします。
XXをXXし、XXすることを望みまーーーーす」「XX君の動議にご異議ございませんか。」

88 :
★議論が行われず、事前の筋書き通りに進む日本の立法府   3
(「異議なし」と叫ぶ者あり)「ご異議なしと認めます。よって動議の通り....」
この動議もすべて事前に議院運営委員会で了承された当日の本会議の流れに沿って出される。
その昔、岸田文雄外務大臣も当選二回当時に、この呼び出しをやっていた。
ある日、岸田代議士、動議を出すタイミングを間違えて「ぎっちょーー」とやってしまった。
しかし、議長はこれを完全に無視。何事もなかったように本会議が続いた。
つまり、本会議は事前の筋書き通りに進むのだ。
諸外国の議会と日本の国会のもっとも違うところは、日本の国会では議論が行われない。
メディアが「国会の議論を通じて」などと報道するが、国会で行われているのは、
政府や議員立法の提出者への「質問」であって「議論」ではない。
質問は、質問者に対して答弁者側からの逆質問はできないので、言わば、安全地帯に
いるものが相手を一方的にぶん殴るだけである。
委員会や本会議で「討論」が行われることがたまにあるが、法案の採決の前に、
なぜ(わが党は)その法案に賛成あるいは反対するのかという理由を一方的にしゃべるだけだ。
採決の対象について、一人々々の議員の個人的な意見が述べられることはない。
だいたい本会議での発言の機会というものは、めったに回ってこない。十年間、本会議で
発言する機会がなかったという自民党の議員もそう珍しくない。
私自身、小泉総理の環境サミットの報告に対する質問が一回と外務委員長として委員会で
可決した条約に関する委員長報告が数回。
年に数本の重要な法案については、委員会審議の前に本会議での趣旨説明と質疑が行われる。

89 :
★議論が行われず、事前の筋書き通りに進む日本の立法府   4
しかし、大多数の法案については、いきなり委員会で審議(これも「質問」だけという
ケースが多い。)が始まり、委員会で採決されると、本会議では委員長が委員会審議の
様子を報告する委員長報告というものを数分やり、そのまま採決が行われる。
自民党の場合、委員会での質問に立てるのは、ほんの数人だけだから、ほとんどの議員は、
ある案件について、国会で意見を言うこともできない。
これで国会で審議しているとは言えないのではないか。
与党の場合、そんなことで文句を言うならば、その法案や条約が事前審査される
党本部の部会に来て、そこで意見を言えということになる。
問題は、党本部の部会は、公開されていないということ。
さらに、その場で役人から説明された法案について、その場で意見を言わないと
いけないということ。
何センチもある法案を、お役所はだいたいA4一枚にまとめたもので説明する。
関係者や専門家の意見を聞く機会もない。事前に内容の説明を受けているのは、
族議員と政調審議会、総務会のメンバーだけでは、事前審査も形式的になってしまう。
民主的な統制をしっかり行うためには、今の政府・与党の在り方も変えねばならないし、
国会の運営も変えなければならないのだ。
 河野太郎公式ブログ ごまめの歯ぎしり 2013年07月23日 11:50
http://www.taro.org/2013/07/post-1376.php

90 :
★本当の議論がなく、議案の多数決をするだけの日本の地方議会
竹原信一の市政報告 1  2009/04/26 (日) (抜粋)
(前略)
 私達は学校教育、そしてテレビや新聞を通じて社会の事を知っていると思い込んでいます。
しかし、肝心な事は何も知らされていません。
年金問題や、公務員給与の事など、現実が知らされていれば今のような状態であろうはずが
ありません。これ程大事な事を新聞とテレビは伝えてきませんでした。議会についても
同じです。
皆さんは全議員が集まって、議会としての阿久根の施政方針などを議論していると
お思いでしょう。しかし、そのような話し合いをした事は、いままでただの一度も
ありません。市長が召集した時にだけ来て、議案にケチをつけて賛成、反対の多数決を
するだけです。年間30回ぐらいの仕事で415万円も貰っています。アルバイト程度の
仕事振りです。本来ならば、議会も市長もそれぞれがまっすぐ市民の方を向いて、
あるべき阿久根を議論すべき所です。しかし現実は自分たちのための取引を繰り返しています。
例えば、総額400万円程度の手数料の値上げをする一方では職員に3800万円あまりの
退職金を出しました。市民は日常的に裏切られてきたのです。
http://www5.diary.ne.jp/user/521727/

91 :
★竹原信一 阿久根市長ブログ 住民至上主義
 やればできる、市民参加の大改革 2009/06/06 (土)
松下政経塾月例レポート
(アメリカ地方議会と住民の主権者意識)より抜粋
http://www.mskj.or.jp/getsurei/ohba9707.html
アメリカ デトロイト
市政への不満や要求を、住民は電話一本の予約さえすれば、本会議において誰でも自由に発言ができる。
当然話題も環境、建設、教育、福祉など多岐にわたり、この中から立法化の必要があるものは議員のみの
委員会で審議され、さらに住民、そして専門家も呼んでの公聴会も開かれる。すべてが公開されており、
住民が参加しやすいよう夜7時30分より開催される。私の閑古鳥という予想に反し、この日も
約100人が傍聴席を埋めた。質問者は老若男女を問わず18人、各々制限時間いっぱい発言し、
熱気に溢れるその審議は夜11時まで及んだ。
傍聴して感じたことは、政策の是非に加えて、情報公開と住民の知る権利についての質問や意見が
多かったことである。一例として、ホームレス寮建設に関してだが、どうしてここかという場所選定の
決定過程が不透明性であったこと、また、住民への説明会の事前告知が小さく、かつ遅すぎたため、
殆どの住民がその開催すら知らなかったことに対し、厳しい意見や質問が相次いだ。また、質問者を
よくみると、フリーに加え地元NPO代表が多く登壇し、このまちの地方自治にNPOが大きな役割を
果たしていることを痛感した。
議員は男性6人、女性5人のたった11人、(人口は約20万人)日本でこの人口規模なら35人以上はいるだろう。
議会事務局Jan Chapin氏によれば、選挙は2年ごとに市内18歳以上の有権者の投票で行われる。
議会での党派会派は存在せず、与党も野党もない。もちろん国会議員との系列関係もない。報酬は
毎月730ドル〔約8万4000円〕。商店主、企業経営者、銀行員、学者など多彩な顔ぶれで、
平均年齢は38歳と極めて若い。また、議会の様子は1957年からラジオ放送、81年からはテレビ生中継が
行われ、さらに毎月ごと議会レポートを作成し、全住民に配布している。
http://www5.diary.ne.jp/user/521727/

92 :
★アメリカで、私が学んだこと・・・「自己」を育てる教育  上
松野良一fromBoston
私が留学していたハーバード大学メディカルスクールでも、このクローン羊ドリー事件を巡り
倫理的に許されるかどうかについて、議論が始められていた。私も、生命倫理の授業で、
人間クローンの誕生の可能性について、ディスカッションをさせられたばかりであった。
私が驚いたのは、小学校5年生のクラスで、すぐにこの新しいトピックスについて、
ディベートの授業が行われていたからである。
担任の先生に聞くと、人間のクローンについて、クラスを賛成、反対2班に分け、事前に
インターネットで資料を収集させ、各班に戦略を練らせたという(ボストンの小学校での
インターネットの普及率は7割近い)。
小学校5年生のディベートとはどういうものであったか。実は、ディベートの内容は、
ハーバード大学で行われた内容とほとんど同じであったのだ。これには、本当に驚いた。
生徒たちは、3日間を準備に当て、人間クローンに関する材料をほとんど読破していた。
ディベートの間は、ずっとビデオカメラが回っている。そして、すべてが終了した後に、
録画されたビデオを再生して、全員で寸評し合うのである。最後に、どちらが勝ったかを
挙手によって決める。そして、一番最後に、各班の所属に関係なく、自分の意見を主張する
時間をあたえられるのである。

93 :
★アメリカで、私が学んだこと・・・「自己」を育てる教育  中
この時の担任の先生の助言には、私はアメリカの教育の原点を見たような気がした。
リズという愛称の女生徒が、「私は、トムと同じで、○○・・・」というような発言をした。すると、
担任は「トムと同じというのは、リズはトムのクローンなの。リズ、あなたの意見が聞きたいのよ。
あなただけの意見を」と迫るのである。その生徒は「トムとはここが同じだけど、私は、
○○だと思うの」といい直すと、ようやく担任は「うん、リズの意見が聞けて良かったわ」と答えた。
アメリカの教育は、個人主義という言葉で表現されるけれども、私は日本でいう個人主義とは
大きく違うように思う。1人1人の「個性」を大事にし、「自己」というものを幼年のころから
育て上げていこうというようなことである。
日本は、アメリカの個人主義で、モラルや秩序がなくなったと良く言われるが、それは
間違いのような気がしてならない。日本の個人主義は、公衆道徳を守らない、自己中心的な
感じだが、アメリカの個人主義は、しっかりと物事を考え、発言できる「大人の自己」を
育てる事によって成り立っているものだと思う。
最近日本で起きた伝言ダイヤル事件も、いろいろインターネットなど顔の見えない新しい
メディアが生み出したように報道されているが、私は、根本は日本が「自己」を育てる教育を
してこなかったところに問題があるように思う。現代の日本人の中で、本当に「自己」を
持っている人はどれくらいいるだろうか。高校生や中学生で、自分で考え自分で責任ある
行動が取れるのはどれくらいいるだろうか。付和雷同型、友達がやってるから、というような
「自己喪失型」の人間が、日本ではたくさん育てられているように思う。

94 :
★アメリカで、私が学んだこと・・・「自己」を育てる教育  下
アメリカでは、小学校から「自分の考え、意見」を持つことを教育され、それを発表する
訓練を受ける。アメリカは、集団の中に個性を埋没させがちな日本の教育とは180度違う
教育を施し、「大人の自己」へ向って子供たちを成長させようとしているように思う。
アメリカの大学の授業では、ディスカッションの時間があり、どれくらいそれに参加(Participation)
できるかも、評価の対象になる。単なる講義形式の授業に飼い慣らされた日本人留学生が、
この「参加」に皆惑わされるのは、ただ単に語学力だけの問題ではないように思う。
日本の学校も、そろそろ「大人の自己」に向けて子供たちを成長させるようなカリキュラムを
組んだほうが良いのではないだろうか。窮屈な集団の和だけを説くような教育、公共道徳も
守れないような生徒を生み出しているような教育では、いつまで経っても国際社会では、
日本は子供扱いされる。これからの時代、公衆道徳を持つことは当然のこと、自分で考え、
自分の意見を持ち、自分の責任で行動できる人間を育てる必要があるように思う。
<アドバイス>
自分で考え、自分の意見をもち、それを主張していく訓練というのは、日本でもこれから
重要になると思われる。
さらに、ディベートやプレゼンテーション能力も国際社会では欠かせない。
学校でもこういう授業を組んでも良いのではないだろうか。
留学する人は、必ず「participation」の訓練をしておいたほうが良い。
「I think・・・」とまず切り出せることが大事。
http://www.tbs.co.jp/ryuugaku/old/boston10.html

95 :
>>86-94
カレル・ヴァン・ウォルフレンの日本分析のメモ日記のようなスレッドで、
本人の利他的行為に感謝しながら、参考にさせてもらっている。
そこに自分の衝動的な思いだけでスレの趣旨と無関係な内容を投稿されても
混乱させるだけになる。

96 :
>>86-94
ここのメモ日記を書かれている同じ方だと思うが、あなたの自己分析に大いに
参考になると思うので、一度目を通してみたらいかがか。
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/soc/1368859669/l50

97 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 73 ///////
   日本の権力者のアキレス腱としての正統性の問題
 すでに見てきたように、司法と立法がまともに機能するのに必要な正しい秩序をめぐる
認識や道徳的権威が欠けていることは、日本の歴史に深く根ざしている。日本人は異質でも
ユニークでもない。しかし欧米のみならず中国、韓国、フィリピンといった同じアジアの国にも
存在しているような宗教的知的伝統のほぼ完全な欠如という点において、日本の社会には
歴史的な特殊性があるといえる。政冶体制に関するかぎり、日本にあるのはユニークな個性や
文化ではなくて特殊な欠陥なのである。しかしこの欠陥は、権力の行使によって作られたもの
にすぎないのだから、権力行使の在り方を変える知的、道徳的、政治的努力によって克服可能
なものであることを忘れてはならない。
///// 価格:¥1,916 ///

98 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 74 ///////
 それでは、日本のいかなる歴史的的特殊性が条件となって、この欠陥が生じたのであろうか?
 まず第一には、日本の地理的孤立が挙げられよう。アジア大陸の東端に孤立した島国であった
ために、日本は長らく国際的な思想や文化の交流の機会に恵まれなかった。こうした地理学的
偶然性は、もちろん日本人の責任ではない。しかし二〇世紀の今日になってもなお、孤立した
島国という地理学的条件のために生じた思想や政治体制のヒズミを直せないのだとしたら、
そんな民族は文明国民の名に価しない。
///// 関 曠野 (編集) ///

99 :
 
/// なぜ日本は変わらないか 75 ///////
 もう一つ決定的だったのは、帝政中国の圧倒的な影響である。そもそも「日本」という国名自体、
中国から見て日の出の方角にある国を意味する中国中心主義の産物である。本居宣長は古代の
詩歌の中に中国人の理屈っぽい漢心と対照的な日本人のあかき心が見いだされると信じたが、
和歌の詩型は漢詩の影響なくしては考えられないものであり、中国の影響はそれほど圧倒的な
ものだった。そのために、古代日本を支配していた族長たちの国産の政冶的神話を発展させよう
とした試みは不可能になってしまった。ウォルフレン氏はその種の試みがうまくいったかどうかは
明らかではないとしているが(『謎』下巻、一二一ページ)、私としては神道は胎児期に外部から
大きな衝撃を受けたために流産してしまった宗教とみたほうがよいと思う。そして「古事記」や
「日本書記」も、当峙の国際情勢に対応するために外交目的であわててでっちあげられた
プロパガンダ文書にすぎず、そこに一貫性のある神学を求めても無駄である。
///// 1996年5月出版 ///

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