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一次・二次史料で見かけた不気味な話


1 :2010/09/10 〜 最終レス :2013/08/05
世界史関係の本を読んでて、幽霊とか怪生物の目撃情報とか猟奇事件について
記述があったら書き込むスレです。

2 :
例えばこんなのとか
アテナイに幽霊の出る家があった。哲学者のアテノドルスが借りて住んでいた。
足に鎖、手に枷をはめられた幽霊が出て、ついてこいという身振りをした。
ついて行くと中庭まで来て、消え失せた。家主の許しを得て中庭を掘ったところ、
出て来たのは鎖に縛られた骸骨であった。葬儀をした後、幽霊に悩まされる
ことはなくなった。
(小プリニウス『書簡集』)

3 :
「R」という言葉に就いて傑作に面白い見開き2ページの短文が、
現在発売中の月刊誌「新潮」10月号のコラム(p.234-235)に載っていますわヨ。
他にもクンニリングス等々オーラル・Rに関する楽しい話が書いてあるので、
関心のある向きには書店で立ち読みでもされて見ては如何でしょうか?
Rにも触れていて楽しうございますコトよ。

4 :
ある放埓な男が、妻の不貞を暴くべく梁の上にいたところ、転落して死んだ。
キリスト教徒として正しく葬られたのだが、生前の行動により益無かったものか、
悪魔の力により、夜毎に墓から出てさまよい歩く様になった。
かくして街中では犬の吼ゆる声が止まることなく、家々も閂を鎖して外には出ぬ
様にしていたが、それも効果は無かった。
それというのも、この男が歩いた後には、疫病が流行したからである。
その後、疫病で親族を失った兄弟が墓を暴いたところ、ほんのわずかな土の下か
ら男の死体が現れた。
体はふくれ、頬は赤く染まり、まるで生前の如し。
何人の血を吸いしやと、はっしと鋤で以って首を落とすや、鮮血が飛び散った。
かくして、さしもの疫病も止むに至ったという。
(『イングランド事件史』1196年)
12世紀頃のイングランドの記録には、東欧の「吸血鬼」伝承と共通した記事が
多く、近世以降の記録ではもっぱら東欧に限られた伝承が、この地域にも分布
していた時代があった様です。

5 :
東晋の桓温が尼さんを家に泊めた。尼さんがやたら長風呂するので
桓温が覗き見すると、尼さんは刀で自分の腹を割いて内蔵を取り出し、両足を切り取った。
「どういう事ですか」と桓温が問うと、尼さんは「帝位を奪うとはこういう事ですよ」と答えた。

6 :
>>5
『晋書』桓温伝ですね。
杉浦日向子先生が、翻案しておいででした。

7 :
>>4
平賀英一郎の「吸血鬼伝承」でも採り上げてたね。
スラヴ人の特殊文化というより、もともと汎ヨーロッパ的にあった「不浄の死者」が
カトリック圏での「煉獄の発明」などにより東方正教圏でのみ
生き残ってたのではないかと・・・
カトリックの古い「贖罪規定書」にはこんなのもあったらしい。
155 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/08/29(月) 21:46:11 0
>>136
第一八〇章 お前は、ある女たちがするように悪魔に唆されて次のようなことをしたことがあるか。
洗礼を受けずに子どもが死んだとき、子どもの死体を取り上げ、どこか秘密の場所に置き、子どもの体を
杭で刺して、もしこうしなければこの子は生き返り、多くの者に害をなすという。お前がそのようなことをし、
あるいはそれに同意を与えて信じた場合は、指定された日に二年間の贖罪を果たさねばならない。
 阿部謹也『西洋中世の罪と罰』p202
↑この辺はロシアのメルトヴャーキ、不浄の死者に関する信仰に似てるね。

8 :
吸血鬼ついでにお話しておくと、死体を猫がまたぐと起き上がるという伝承がありますね。
東欧では、死体を猫がまたぐと吸血鬼になるそうです。
南方熊楠は、戦国期に宣教師が伝えたのだろうと推測していましたが、彼らの主な出身地
であったイベリア半島やイタリア半島に、当時伝承されていたものかどうか。
クロアチアあたりなら、吸血鬼伝承も盛んなのですが。
死体の頭に網をかぶせる(欧州)のに対し、頭に鉢をかぶせる伝承もあります。
前者は吸血鬼になるのを防ぎ、後者は閻魔に頭を打たれるのを防ぐとか。
>カトリック圏での「煉獄の発明」などにより東方正教圏でのみ
>生き残ってたのではないかと・・・
煉獄自体、後から死者を救済する概念が必要になって出来た様ですね。
教義と信仰のせめぎあいというのは、日本にもありました。
盆というのは元来「地獄にいる」死者を救済するための行事。
死者が帰還するという説と六道に輪廻するという仏典の説は矛盾するため、餓鬼道から帰還
するなどの理由で、平安後期に折り合いをつけています。
どうも、人間は教義がどうあれ、死者と出会う機会を設けたいものらしい。

9 :
プロコピウス『戦史』にある話
ユスティニアヌス帝の治世に、コンスタンティノープル周辺の海域に
「ポルフィリオス」と呼ばれる海の怪物が50年近くもの間出没し、
航海する船に近づいては沈没させたり安全な航路から外れたところまで
押しやったりしていた。
皇帝は威信をかけてこの怪物を討伐せんとしたが、どんな手段を尽くしても
ポルフィリオスを捕らえることはできなかった。
そんなある日、一頭の巨大なクジラが浜に乗り上げた。
人々はこれぞ例のポルフィリオスだろうといって、ロープでクジラをさらに
陸へと引き上げ、肉を切り刻んで分配してしまった。
しかし、ある人々はこういっているとプロコピウスは記す。
「あれは本当にポルフィリオスだったのか?」と。
なんですかそのホラー風の〆方は・・・

10 :
>>9
普通に鯨だったんじゃないの?
船を見るとじゃれついてきたりするらしい

11 :
>>9
>「あれは本当にポルフィリオスだったのか?」
「あれが最後のポルフィリオスだとは思えない。やがて第二第三のポルフィリオスが…」
だと古式ゆかしい怪獣映画のエンディング。やーすーらーぎーよー、ひーかーりーよー。

12 :
ククク、ポルフィリオスは我ら鯨の中でも一番の小物・・・

13 :
ケルン司教区のシュタムハイムという村で起こったことである。
騎士が二人住んでいて、一人はグンター、今一人はフーゴーと言った。
グンターが十字軍に出かけていた時のある夜、就寝前の用を足させるため
召使が子供たちを中庭に連れ出した。すると、囲いの外から白衣を着て
顔色も青ざめた女の形をしたものがじっと彼らを見つめていた。
何も言わなかったが、姿を見ただけでぞっとした。そのものは垣根を越えて
隣のフーゴーの地所へ行った。
数日後グンターの長男が病気になって、こう言った。
七日目に僕は死ぬ。その次の七日目に妹のディナリが死ぬ。もう七日すると
下の妹が死ぬ。全部その通りになった。そればかりか、子供たちの後を追って
母親も、上述の召使も死んだのである。同じ頃、隣の騎士フーゴーとその
息子も死んだ。これはわが副院長ゲルラック師から聞いた話である。
(ハイステルバッハのカエサリウス『対話』)

14 :
うむ。不思議だ

15 :
これは名スレ

16 :
トマス・ウォルシンガム『イングランド史』にある話
1379年の秋、アランデル伯の弟ジョン・アランデル卿が、配下の兵を
引き連れてとある尼僧院へとやって来た。
卿はブルターニュへ渡るため、ここでしばらく逗留したいといった。
院長は、アランデルが連れて来た武装した若者の数があまりに多いのを
恐れたが、渡航者へ宿を提供するのがその尼僧院のつとめであったので、
やむなくそれを許可した。
だが、風向きはいつまでも変わらず、出港はいつになるか見当もつかなかった。
退屈を紛らわすため兵士たちは酒を飲み、尼僧をからかい始めた。
尼僧たちは宿坊に鍵をかけて閉じこもったが、兵士たちは怒りに任せて扉を破壊し、
中にいた尼僧をつぎつぎと犯した。
尼僧院は兵士たちによって略奪された。彼らはまた近隣の教会へ向かい、聖杯や
銀器をことごとく盗んだ。そこで結婚式の行列に出くわすと、彼らは剣を抜き、
花嫁を強奪して輪姦した。
兵士たちはその女とできる限り多くの尼僧を船に乗せて出港した。一日かそこらの
後、東から大嵐が吹きつけてきた。アランデルは船を軽くするために女を全員
下ろせと命じた。六十人ばかりの女が荒れ狂う海に投げ込まれ、船はアイルランドへ
向かった。
やっぱり一番怖いのは人間。

17 :
うわあ、オチがつかないのかw

18 :
>>17
オカ板の怖い話スレでもこういうのあったなーと思って。

19 :
天福2年(1234)のことである。
時の帝である後堀河院は、先ごろお産が元で中宮と御子を失われ、意気消沈
しておられたが、その日は法勝寺の法華講に出席されていた。
法勝寺といえば、九重大塔で有名な寺である。
寺へ到着された後堀河院は、唐様の見事な塔を見上げられた。
すると、ありうべからざるものが見えた。
普段は人の立ち入らぬ筈の塔の下から三層目に、人の姿が見えたのである。
しかも、この日は行幸があり、見下ろす者のあろう筈もない。
更に付け加えると、その人とは、崩ぜられた中宮であった。
後堀河院は、傍に控えていた摂政に、「あれが見えるか」とお訊ねになった。
すると、摂政の目にも見えるということ。
しかし、他の人間には、誰に訊いても見えはしなかった。
この後しばらくして、後堀河院は崩御された。
(『五代帝王物語』より)

20 :
日本だと、「吾妻鏡」に謎の生物の記述があったような気が
「人間の死体のような魚」が打ち上げられたとかいうよく分からない記述だった

21 :
それまごうことなき人間の死体じゃね?

22 :
『吾妻鏡』より寛治5年(1247)
正月廿九日 羽蟻群飛。充満鎌倉中云云。
正月卅日  越後入道勝円佐介亭後山。光物飛行。仍致祈祷云云。
二月六日  越後入道不例云云。
三月十七日 黄蝶群飛。凡充満鎌倉中。是兵革兆也。承平則常陸下野。天喜
      亦陸奥出羽四箇国之間有其怪。将門貞任等及闘戦訖。而今此事
      出来。猶若可有東国兵乱歟之由。古老之所疑也。
五月十八日 今夕有光物。自西方亘東天。其光暫不消。于時秋田城介義景甘
      縄家。白旗一流出現。人観之云云。
五月廿九日 三浦五郎左衛門尉参左親衛御方。申云。去十一日。陸奥国津軽
      海辺。大魚流寄。其形偏如死人。先日由比海水赤色事。若此魚
      死故歟。随而同此。奥州海浦波濤。赤而如紅云云。此事則被尋
      古老之処。先規不快之由申之。所謂文治五年夏有此魚。同秋泰
      衡誅戮。建仁三年夏又流来。同秋田左金吾有御事。建保元年四
      月出現。同五月義盛大軍。殆為世御大事云云。
この年宝治に改元され、ほどなく宝治合戦が起こっています。
『吾妻鏡』は、分かりやすいぐらい合戦の前に異変の記述がある。
編纂物ですからね。予兆が当ったというより、合戦が起きてから予兆を拾い
上げた、或いは創作したのでしょう。

23 :
週刊誌で、北海道で白虹が出たという写真記事を読んだ
それから、半月ぐらいが9年前の昨日、つまり2001年9月11日でした
ま、北海道は白虹が結構出るそうですがw

24 :
日を貫かなかったのなら、まあ大丈夫でしょう。
日=アメリカというのも、語弊がありますが。
そうでなくても虹は風紀を乱すとか、龍が虹の姿で婦人を孕ませるとか言いますけれどね。

25 :
ああ、白虹でも日を貫かなかったらいいんですね
ちょうど、歴史学習漫画で、米騒動のときの長谷川如是閑の事件を読んだところだったんで、
なんか起こるかな〜と思っていたところでした
ついでに、今日のNHKののどじまんの会場は魚津市でした・・・関係ないかw

26 :
イブン・ハルドゥーン「歴史序説」より
われわれはまた、魔術師が着物や皮を指さし、口のなかでぶつぶついうと、
それらがばらばらになるのを見たことがある。同じように他の魔術師が
牧場の羊や山羊の腹を指さし、引き裂く素振りをすると、不思議にも
その動物の内臓が腹から地面に飛び出した。

27 :
>>25
成る程。米騒動の際の記事の件ですか。
白虹は凶器、日は天子で、始皇帝暗殺が未遂に終わることを、白虹が日を貫通
していないことから予言したという『史記』の記事に由来しておりますので。
後世もしばしば話題にされていますが、本朝でも平治の乱の前に起きた現象だ
とされております。
天子はご無事でしたが、この後は乱れて武家の世となったと言われました。
平治以降、平○という年号が平成まで無かったのは、平治を忌んだからだとい
う話がありますが、どこから言い出されたのかは、分かりません。
平治より前も、○平はあっても、平○はありませんでしたからね。
平治の後の○平も、南朝の正平ぐらいですが。
年号で成の字の使用は初めてだとか、幕末に慶応(明治の前)と改元される際の
候補に平成もあったとか、「平成」は、色々と因縁めいた年号です。
平治以降も慶応以降も、激動の時代でしたから。

28 :
「だが、それよりもひどいものがありますよ。マリア・アラコックの生涯をお読みになってごらんなさい。
あれは苦行のために病人の糞便を舌で寄せあつめたり、指先の腫れ物の膿を口ですすったりしましたよ。」
『彼方』 ユイスマンス
ジル・ド・レーだけじゃなくて、いろんな妙な歴史的エピソードがちりばめられてるから面白いね。

29 :
>>28
統合失調症?

30 :
>陸奥国津軽海辺。大魚流寄。其形偏如死人。
津軽というと日本国の果てとされていた外が浜?

31 :
『ヨーハン・ディーツ親方自伝』より
これはある軍医に教えてもらったことだが──この人物はオランダ大使の
もとで働いていたとき、瀕死の重傷を負ったあるトルコ人の治療に当り、
そのトルコ人からひじょうに気に入られたのでたびたびその家に招かれた
のだが、女の姿をついぞ見たことがなかったという──軍医はそのトルコ人に
ぜひともご令室にお目にかかりたいと頼んだ。トルコ人はいいともと請け合い、
一緒に階上の妻屋つまり小部屋まで連れていってくれた。見ると、部屋の
中ほどにみめ麗しきご婦人が六人もいて、絨毯の上にじかに足を組んですわり、
刺繍や縫い物をしていた。みな驚いてはにかむような表情をみせた。
するとトルコ人は、「わしについて来なさい。ほかの女も見せてしんぜよう」と言った。
トルコ人は軍医の手をとり、階段を下りていった。よろい戸のかんぬきを外して開け、
中をのぞいてみなさいと言う。中は真っ暗で何も見えなかったが、藁の中で何か
金属のような音がたしかに聞こえた。それからトルコ人がもう一つのよろい戸を開けると、
すっかり明るくなった。軍医が見たのは残酷な見世物だった。全裸の女が一人、乱れ髪を
顔のまわりに垂らしたすがたで、鎖につながれて横たわり、そのそばに、なかば
喰いちぎられた人間の死体がぶら下がっていたからである。軍医はぎょっとして
飛びのき、これは何かと訊ねた。
これも妻の一人ですが、背教者(つまり、かつてキリスト教徒であったが、イスラム教に
改宗してトルコ人となった者)、ほら、そこにぶら下がっている男と情を通じたのですよ、
とトルコ人は軍医に説明した。男を現場で捕らえて刺し殺し、ここにぶら下げたのだ。
しかし女はこれを食らうほかない、いずれ飢え死にするであろうが、と。

32 :
ダンテの神曲にもウゴリーノ伯の「飢餓の塔」の話がありますね
でも、21世紀になっての発掘調査によると、ウゴリーノたちの死因は飢餓ではなかったとされたのでしたか

33 :
>でも、21世紀になっての発掘調査によると、ウゴリーノたちの死因は飢餓ではなかったとされたのでしたか
詳しく

34 :
すいません、検索したら出てきました。
頭蓋骨陥没って・・・

35 :
親方自伝の原注によると「七日物語」や物語詩「贖罪の女」
にも同様な話が見られるとのこと。

36 :
>>4
「赤死病の仮面」みたいな話だな

37 :
吸血鬼現象の最大公約数的な共通項を探すと
「吸血」自体ではなくて「生きた死体」になるらしいから
アッシャー家の崩壊もありかも

38 :
晋書より
厚遇していた前秦の苻堅を裏切って死に至らしめた後秦の姚萇が病床で見た夢の話
苻堅が鬼兵を率いて営中に入り込み、萇は恐れて宮殿へ逃げ込んだ。
宮人が鬼を刺そうとして誤って萇の股間を刺した。
鬼が互いに言った「死所にあたった」
刺さっていた矛を抜くと血が大量に吹き出した。
夢から醒めると激しい動悸がしており、ついに陰部の腫瘍を患った。
医者がこれを治療の為刺すと夢のように血が吹き出した。
萇はとうとう譫言を言うようになった「陛下を殺した者は私の兄であって臣の罪ではありません。どうか臣をお許し下さい」

39 :
>>38
睾丸の癌かね。晋書は「小説」を多く採っているらしい。

40 :
大内裏の中の松原で女のばらばら死体があって
しかも食い散らかされていたというのが六国史のどれかにあったような。
鬼に食い殺されたと噂されたそうな。

41 :
『日本三代実録』仁和3年(887)8月17日条
今夜亥時。或人告行人云。武徳殿東縁松原西有美婦人三人。向東歩行。
有男在松樹下。容色端麗。出来与一婦人携手相語。婦人精感。共依樹下。
数剋之間。音語不聞。驚怪見之。其婦人手足折落在地。無其身首。
右兵衛右衛門陣宿侍者。聞此語往見。無有其屍。所在之人。忽然消失。
時人以為。鬼物変形。行此屠殺。(後略)

42 :
>>41
早速の典拠、ありがとうございます。
気持ち悪い事件ですね。変質者の快楽殺人?

43 :
『大鏡』で一條天皇即位の大礼の直前に
高御座で血糊のべったりついた生首が発見されて
藤原兼家が揉みつぶした話。
初めて知った時、殺人、穢れを忌むはずの王朝貴族でも
意趣晴らしにそんなことするんだなと思った。
犯人は花山天皇の関係者か。
被害者は多分全く無関係の名もなき庶民だろうけど可哀想。

44 :
遺棄葬が主流だった時代ですからね(京では室町にほぼ止むが、地方では明治まで続く)。
その辺の死体だったのかもしれません。
犬が頭をくわえて来た、鳶や烏が手足を……という話も、よく聞かれました。
穢れというのは、その場で着席して伝染するものとされていました。
産穢なら七日、死穢なら三十日、間接的なものなら……と細々とした規定あり。
手に提げて運ぶだけなら、穢れは移りません。
人の手による嫌がらせなら、その場にいなかった人物が怪しいですね。
穢れというのは、極論すれば神に参れなくなる状態のことですが、平安後期の公家の日記
に、知らなければよかったという一節があり、知らない場合は免除されたのではないかと
いう気が致します。
この場合の兼家も、わざと聞かなかったふりをしたそうですから。

45 :
晋書劉聡載記に気味悪い話が…
巨大な肉の塊が落下し、その周辺に泣き声がしていて昼夜やまなかった
皇后劉氏が蛇と猛獣を産み、これらは人を害しながら逃亡して行方不明となり、その後肉塊の傍らで見つかった
突然劉氏が死亡し、肉塊は消え失せて泣き声も止んだ

46 :
>>45
中国の怪異譚は因果関係がよく分からなくて怖いのが多いね
当時の人間には解読?できたのかもしれないけど
オカ板の怖い話にも過去の世界の因縁のコードを理解
できないことによる恐怖というのが多いような気がする

47 :
中国の南北朝時代正史って、結構オカルティっクな話が多いよね。
太宗の趣味だったのかもしれん。

48 :
ルーズベルトが呪い殺されたのは有名だな。 あと満州国関連なら腐るほどありそう

49 :
李方子さんが書いておられたが、第一子(男子)が生まれたころ、
当時の李氏王家から、韓国式の結婚式を挙げるため、里帰りをしないかといわれて、韓国へ行ったら、
帰国間際にまだ赤ちゃんの長男が急死して、牛Rの消化不良だろうとされたが、毒殺されたんだろうと思ったって

こんな話を書くと、ある嗜癖をもったひとがわらわらと・・・
そっちの方も十分不気味だが

50 :
>>49
日本語が不自由な方ですか? 何を言いたいのかさっぱり分かりません

51 :
沖縄県のA島では、なんとも奇怪な祭りが行われている。それは通称「種子取り祭」と呼ばれ、
若い男女の営みを参加者に公開する、R祭りである。
沖縄県は八重山で最も人口が少ない島”A島”。ここでは、島出身者以外の旅行者では絶対に参加できない
秘祭が行われている。それは豊年祭と呼ばれ、表向きは神を讃える祭りなのだが、特に見物人に対しての制限は難しい。
運良く見物人として参加できても、写真撮影禁止、そして決して祭りを口外にしてはいけないという固い厳守事がある。
一体なぜなのか? それには驚愕の真実が隠れているからである。この祭り、実は裏では
「種子取り祭り」と呼ばれる、いわば公然R鑑賞会なのだ。
毎年、過疎化を防ぐために島で選ばれた若い男女が、この祭りの時に、島中の人々が集まる場でRを行うのである。
首里王朝に伝わる古の書物には「風俗の乱れこれあり…」と書かれた一説があり、
島では若い女性たちは半ば強制的にRさせられ、種付けをさせられるという。
ちなみにもし、島外の者がその場を見物していることがバレると、
島中の男たちから半殺しに遭い、五体満足の体では二度と本島には帰って来れないという。
http://www.naimaga.jp/entry/1/17/0/368/

52 :
【話題】 撮影厳禁!決して口外してはいけない 沖縄県のA島で催される”祭り”
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1284771591/
11 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2010/09/18(土) 10:03:47 ID:LxwJpMH60
新城島か
19 名前:名無しさん@十一周年[sage] 投稿日:2010/09/18(土) 10:06:26 ID:1IANCMxw0
http://www.tnc-ishigaki.jp/site/view/contview.jsp?cateid=10&id=31&page=1
[鳩間島]
人口:約70人
あれ誰か来
20 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2010/09/18(土) 10:06:45 ID:p1uZNTKD0
>沖縄県は八重山で最も人口が少ない島”A島”。ここでは、島出身者以外の旅行者では絶対に参加できない 
八重山で閉鎖的な島ってことは、新城島かな?
Aであってるし、人口も13人だし
http://aneikankou.co.jp/guide/aragusukujima.html
>島中の男たちから半殺しに遭い、五体満足の体では二度と本島には帰って来れないという。 
そんな半端なことしたらバレバレだから、そのまま海に沈めるんじゃ?
31 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2010/09/18(土) 10:09:21 ID:1IANCMxw0
間違えた
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%9F%8E%E5%B3%B6
新城島で確定

53 :
71 名前:名無しさん@十一周年[sage] 投稿日:2010/09/18(土) 10:23:20 ID:TQE+BsZP0
祭事 [編集]
豊年祭(上地島):旧6月。アカタマ神事・獅子舞。
秘祭として有名であるが、現在では島の出身者およびその関係者400人以上が
参加見学する祭りとなっている。[要出典]。豊年祭が開催される時期
(前後の準備期間を含む)は、祭関係者以外の上地島への入島・桟橋への
接近接岸・海岸への接近・接岸は、住民に拒否されている。
従って石垣島・黒島等から開催されているツアーでも上地島への上陸はできない。
また、島唯一の宿泊施設である新城島民宿も観光客に対しては休業する
(2009年7月実績および当時の上地島公民館長の話による)。
結願(上地島):旧8月。ミルク練行列、舞踊。
節(上地島):旧7月〜8月。巻踊り。
上地島港には「祭事における注意事項 カメラ等の撮影禁止
祭詞・歌の録音禁止 スケッチ等の禁止夜間R外への行動及び単独行動禁止
以上4項目を固く禁ずる」と書かれた看板が掲げられている(2004年7月)。
これのことか。
83 名前:名無しさん@十一周年[sage] 投稿日:2010/09/18(土) 10:26:46 ID:TQE+BsZP0
ツアーの途中で立ち寄ったことあるけど、確かに秘境だな。
ガイドは挨拶してたから俺たちも普通に挨拶したけど、そこらじゅうに
よそ者は来るなみたいなオーラが漂っていたな。
誰の税金で食えているのか思い知らせてやりたくなったけどな。
108 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2010/09/18(土) 10:41:15 ID:vr7JRR0N0
本当に撮影禁止の看板が立っているんだな。
http://www.geocities.jp/ilovemotherlake/hounensai.htm

54 :

215 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2010/09/18(土) 11:40:43 ID:hqxwwBTu0
大学で民族学を専攻していたんで卒論のテーマとして研究した事があります。
あの辺の島は確かに独特の土着信仰があったり奇祭や妙な儀式が存在します。
ルーツを辿ると台湾からの流れを組んでいる儒教がベースなのですがいつの頃からか仏教や密教などが混ざり合い
唯一無二のスタイルが出来上がった訳です 儀式には幻覚作用のある薬物(ガンジャや植物など)用い人為的に
トランス状態を作り出し神を体に宿し恍惚を感じると言うやり方です。
祭の様子を撮影して暴行を受けたと言う話がありますがそれも現在法律で規制されている上記の幻覚剤の使用や
閉鎖された島特有の近親結婚を繰り返した末の畸形などが記録され広まる事を嫌ってだと思われます。
そんな事から島の住民はカメラ、マスコミ等に過剰な反応を示すのです。
僕も卒論の取材中に何度か危ない目に合いました。
後、これは確認できなかったので僕の憶測ですが
>>108 の看板が立ち立入禁止になっている場所は
埋葬場だと予測しています。鳥葬の風習が残っている地域も有る様ですし
他にも・・・血が濃すぎるための畸形を神の使いとする地域も有り、神への捧げ物とされると言う話も有ったり。
集落でトラブルを起こし何だかの原因で始末された人間を隠したり
まぁ・・・ここら辺はあくまで憶測とか聞いた話ですので確認は出来ていません・・・。
興味が有る方も多く調べてみたいと思う方も居るかも知れません。
でも正直、これ以上は掘り下げないのが良いかな?と思います。
僕等から見て異様な光景でも彼等には受け継がれた文化ですから見ない知らない振りしておくのが一番です。

55 :
明治以前の村落ではそういった性的なのが結構あったんじゃなかったっけ。
夜這いの風習が残る村とかもあったわけだし。

56 :
小松和彦先生の思い出話
その1
大学院生の頃、四国の山奥に調査に出かけた
駅前でパンと牛Rを買い、神社の境内でそれを食べて昼食にした
その後、祈祷師さんのところに話を聞きに行ったら、祈祷師さんは、話をしながら、時々変な顔をする
そして、思い切ったような表情で、「にいさん、今日、神さんを怒らすようなことをしなかったか?」
「いいえ」「そんなことはない。今日、やったことを思い出してみろ」「神社でパンを食べました」
「あの神社は、今、入ったらいけない時期なんだ。そこに入ったのか」
そして、お払いをしてくれて、「なにもなければいいが」
東京に帰って、まず、当時婚約中の人に電話をかけたら、彼女がいない
突然、アパートを引き払っていた。そして、何も言わずに婚約を解消してくれ、という連絡が来た
祟りだ・・・と小松青年は思ったそうです
その2
研究者となって、四国で死んだ人を守護神(だったかな?)にする儀式を調査することになった
一緒に地元の教育委員会の人一緒にビデオを回したら、なぜか、霊のご機嫌が悪く、なかなか神になってくれない
そこで、ビデオを止めたら、なんとかなってくれた
それから、二年ほどして、そこを尋ねたら、現地の人たちが「先生、なんともありませんでしたか」
その儀式の後、関係者に「変事」がいろいろあったそうだ
>>55
夜這いの習慣は僻地だと昭和30年代ぐらいまで残っていたよ
観光客の女性に現地の青年がそれをかけて問題になったり、
よそから引っ越してきた女性にそれをやって、Rとして裁判まで行ったこともある

57 :
>>高御座で血糊のべったりついた生首が発見されて
藤原兼家が揉みつぶした話。
もみけしたって書いてほしい。。
 なんかこわいじゃんか。。

58 :
徳川家康が宇宙人の訪問を受けたという話がなかったか?

59 :
駿府城の肉人かな?江戸の随筆『一宵話』が出典とあるが。
妖怪『ぬっぺっぽう』と関わりがあるともされ、京極夏彦や杉浦日向子がネタにしてる。

60 :
また晋書のはなしだが…
後趙の石虎が太武殿を完成させた際に昔の聖賢・忠臣・孝子・烈士・貞女の絵を描かせた
その絵が皆胡人に変じ、頭が肩の中にめり込んで冠や髪が僅かに出るだけとなった
石虎はこれを非常に不快に思って誰にも言わなかった
佛図澄は石虎に向かって涙を流し、自ら申し出て自分の墓を作った
寺に戻ると独り言を言った「三年を得られるだろうか」「得られない」「二年、一年、百日、一月を得られるだろうか」「得られない」そのまま黙り込んだ
寺で亡くなったが、のちに西からやってきた沙門が佛図澄が西の関中に現れたと告げた
石虎が佛図澄の墓を掘らせると遺骸はなく、石がひとつあるだけだった
石虎はこれを不快がって言った「石は朕である。我を葬って去ったというのは吾がまさに死ぬということだろうか」病を発して翌年亡くなり、国は大乱に陥った

61 :
徳川光圀が、八幡の藪知らずに入って出られなくなった、
って話は出典はあるのかな?
藪知らず自体は、今でも市中に唐突にある奇妙な藪として、
立ち入り禁止のまま残ってるんだが

62 :
http://viswiki.com/ja/%E5%85%AB%E5%B9%A1%E3%81%AE%E8%97%AA%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9A
禁足地だったのは石碑や千葉県教育委員会の調査で明らかになっているが、水戸黄門云々は後世の創作なんじゃないカナ
話に尾ひれがつくのよくあることサ

63 :
黄門さんって結局でてこれなかったらしいな。
それで諸国漫遊中ってことにしたんだってね

64 :
男児厨房に入らずと言い出したのはいつごろなんだろう?
少なくとも本来は戦闘者集団である武士階級なら、戦場のサバイバル術の一つとして
調理のノウハウは必須だから軽視するはずないと思うんだが。
しかも知識人であれば「君子は庖厨をと遠ざく」の本来の意味ぐらいしってるだろうし。
やっぱ明治時代以降なんだろうか?

65 :
すいません、誤爆です。食べ物スレできいてきます。

66 :
>>61
光圀公がどっかの寺の祟りがあるという岩に
座ってみせたという話は何かで読んだ

67 :
ホラー

68 :
>>64
>本来の意味
賢人・亜聖たる孟子がなんでこんな愚論を言ったのかさっぱり分からん。
「厨房で屠殺される動物の悲鳴を聞くのが忍びない」から
「私は肉食をしない」なら分かるんだが
「私は厨房に入らない」であって穢れ仕事は下人にさせて
自分はしっかりその屠殺の結果である肉を食うんだもん。

69 :
>>69
その話の出典をしらないから、どういう文脈でいわれたのかわからないんだけど、
>「厨房で屠殺される動物の悲鳴を聞くのが忍びない」から
「私は肉食をしない」であると、生きていくために必要な栄養が取れない
また、菜食主義にしようにも、すでに動物の肉を食べる食文化が成立している以上、食べないと、関係者が失業する
動物をRことは忍びないが、人間はそれをしないと生きて行けない罪深い存在である
人間は、他者(動物をも含む)の立場を慮る想像力を持たねばならない
悲鳴を聞いたら、死にたくないという動物の感情がわかって、人間の罪深さ(業)が胸に迫って、食べることができなくなる
従って、君子は厨房に入るべきではない・・・とでもなったのかな?
まあ、でも、それでは、そんなことをしなければならない下人の立場は・・・となるがw

70 :
>>69
『孟子』。

71 :
儒教ってものが体を労する仕事は卑しく、頭を使う仕事は尊いという教え。
これは今の世の中だって実はそうだよ。

72 :
また晋書の話だが
前秦の苻ヒが敗れた際、その司空徐義は西燕の慕容永に捕らえられた。
繋いで土に埋められ、殺されようとした所で観世音経を唱えると夜中にひとりでに土が開いて脱出することができた。
周囲には多くの兵がいたが、人が導いているかのように逃れ出た。
晋の楊セン期のもとへ奔り、洛陽令に任命された。

石虎らの仏図澄の扱いを考えると、仏教は呪術のように捉えられていたようだね

73 :
晋書っておもしろいこと沢山書いてるんだな・・・

74 :
>>68
そら今の万人平等主義の建前をうるさく言う時代ならともかく、
孟子の生きてた時代は貴人と下賎は区別するというのが当たり前だったし
そもそも儒教自体そうした区別を定義付ける為のような経典だしな。
孟子にとっては何の矛盾もない考え方だったろうよ。

75 :
晋の恵帝の妃が、町で美少年を捕まえては宮殿に連れ込み、
もてあそんで捨てていたらしいな。

76 :
>>74
孟子は理屈よりも自然な感情を重視したから、ごく自然の感情を大事にするって
ことだと思う。
生贄の牛のエピソードとかもそう。
まあ、現在でも牛から肉になる過程はほとんど隠蔽されているが。
でも、肉を食べてるからって、一度はその過程を見ておけとはいえんよな。

77 :
>>76
うちの母親なんかも、テレビで松坂牛の生肉をみたら、「美味しそう〜」というくせに、
アジアの市場を見て、牛や豚の生首を見たら、「きゃー」という
矛盾しているよなあ・・・と友人に言ったら、
「そりゃお前、ヨン様の顔を見てきゃ〜と近づくおばさんでも、ヨン様がふる○ンで出てきたら、きゃーといって逃げるだろう
それと同じ」
>>75
千姫御殿の話も元ネタだね
旦那の恵帝は、ご存知、「お菓子を食べたら?」のマリー・アントワネットの話の元ネタになっているし
ご夫婦そろって、そういう話のネタ主になるとは、よっぽどユニークなご夫婦だったんだろう


78 :
千姫御殿の話も、ではなく、千姫御殿の話の、だった

79 :
五胡時代の話だと後趙の石虎が死んだあと、前燕の慕容シュンの夢に現れて腕に噛みついたというのもあったな
慕容シュンはこれで病気になり、石虎の墓をあばいて死骸を踏みつけてから黄河に放り込んだが流れずに柱に引っかかったままになった
後に前秦が前燕を滅ぼしてから死骸を回収して葬ったという話だった
晋には現れない妖しい話がワンサカ…

80 :
何で正史にそんなエログロオカルトばっかり載せているんだ。

81 :
刷り込むためには、興味を持って読んでもらわないといけないからじゃないかね。

82 :
中国流の黙示文学だったりしてな。
旧約聖書に出てくるネブカドネザルの夢みたいな。
実際の事件を怪異に置き換えて書いているとか。

83 :
当時は分かりやすい話だったのが時代を経て
コピーエラー等が蓄積して気がついたら
怪異譚にしか見えなくなっていたとか?

84 :
なるほど情報の劣化もありえるなー。
あとで話のつじつまを合わせようとして却っておかしくなったりして。
五胡十六国時代とかは、言語的にも混乱して翻訳の問題が多かったのかも。

85 :
志怪の黎明期ですからね。
道家や仏家の思想、とりわけ俗世からの乖離や霊験の話も目立ちますし。
乱世続きでこの世ならざる論理に動かされているという話の受けがよかったのやも。
苻堅の時代など、北の僧侶も南の七賢も妖しすぎる。

86 :
下克上の時代で、恨み買ったり色々身に覚えのある人も多かったと思う。
殺した相手の幻覚見たりとかあっても不思議じゃないし、
話として載せることで下克上や争いごとの抑制効果も狙ったかも知れない。

87 :
またまた晋書
諸葛長民伝より
長民が富貴となった後、ひと月のうちに十数回も眠っていたところを飛び起きて人と組み打つような動作をした。
毛脩之がかつて同宿した際にこれを目撃し、驚いて理由を問うた。
長民が答えて言った「真っ黒で毛が生えた物がいるのが見えるが、我でなくては制することができないのだ」
屋内の柱の間から蛇の頭が出てきた為に人に刀で斬りつけさせたが、蛇は刀が近づくと引っ込み、遠ざかるとまた出てきた。
衣を引っ張って話しかける声が聞こえたが、その言葉は理解できなかった。
壁から長さ七八尺の巨大な手が出現し、これを切らせると突然見えなくなった。
その後間もなく誅に伏した。

88 :
>>87
オカ板の洒落怖の体験談にたまにこういうのあるな・・・

89 :
>>87
『晋書』は、伝陶潜作『捜神後記』とかぶるネタが多いですね。
実際は陶潜作ではないそうですが、同一原拠なのか、『晋書』が『捜神後記』を
ネタにしたのか、『捜神後記』が『晋書』をネタにしたのか。
二番目でもおかしくないぐらい、正史の癖に変な記述が多い。

90 :
>>89
wikiでチラッと見てきました
晋書はだいぶ評判が悪いですね…
荒唐無稽と言われてもおかしくない様な記述も少なくないです
そう言えば、三国志でも諸葛カクが殺される時に屋敷の奉公人に異様な振る舞いがあったこと等記されているが、こうした話はみんな終わりの良くない人ばかりだ

91 :
「ヨーハン・ディーツ親方自伝」より
ゲルマン圏でよく見られたという「荒ぶる狩猟」の一種でしょうか
このあたりの山地でリューベツァールのことがさかんに話されているのを
耳にした。そして一夜をその山麓で過ごしたのである。火のないところに
煙は立たぬ、流刑の森の精か悪魔かが悪さをしないとも限らぬ。その証拠に、
夜、ある家で藁の上に横になっていると、深夜に馬と犬と狩人のものすさまじい
ざわめきと反響が、何度も家の前を通りすぎていくのを、わたしはこの耳で
聞いた。こんなことは毎晩で、めずらしくもなんともないと人々は言った。
ほかにも、リューベツァールは人々を迷わせる、そいつをからかう者の上に
雷雨を引き起こすことができるなど、リューベツァールの言い伝えには
事欠かなかった。真偽のほどについては、どちらとも答えないことにする。

92 :
>>91
いわゆる「夜の狩人」の類に見えますね。
出現するとされたのは冬が多いそうですが、
>そいつをからかう者の上に雷雨を引き起こすことができるなど、
からかった人間に害を与え、時に撃ち殺して連れて行くとよく言われていますし。

93 :
>>87
諸葛長民伝のその記述、ひょっとしてR中毒の幻覚作用じゃないかなと俺は思っ
てるんだが

94 :
薬物による幻覚症状は古代から複数存在したでしょうが、史書に記録された
のは、書き手が歴史の一部として書くべき事柄だと判断したからでしょう。
この場合、諸葛長民が非業の最期を遂げたのは、然るべき予兆あっての事で
あり、必然であったと言いたいが為に、史書に収録している。
実際に生前からこの手の話が言われていたのか、それとも死後に必然であっ
たとして話が作られたのかは分かりませんが、いずれにせよ、史書の中の設
定としては、そこに一定の意味があるとされている訳です。
前近代、少なくとも日本史も含めた東洋史における事件とは、個人の実力と
か努力によってその場で左右されるものというよりは、然るべき因縁なり天
なりによって、必然として起こったものと観念されている。
この場合、諸葛長民の死をそうした必然の観点から「やはり予兆があった」と
描写したもので、薬物中毒が実際にあったとしても、いちいち記されたので
はないという、史書の性格は考えておく必要があると思います。
中国の正史でここまではっきり記したのは珍しいと思いますが、概念自体は
特別なものではない。
史書というか史料に収録された時点で、単なる事実の記録ではなく、どんな
意図があって収録されたのかという、その史料の性質なり目的を考えないと
いけないと思います。
無視されたもの、書かれなかったものも、相応に存在する訳ですから。
ただあった内容を書かれたという、実験データではない訳です。

95 :
>>94
きちんと書いてなかった俺も悪いが、晋書に神怪談が多いのは知ってるし、その
文章が死の予兆を示している文脈なのも分かる。山野さんの博識は知ってるし、
あえてその見解に意を唱えるつもりもない。
ただ、長民が組み打つ相手は誰も見てないし、泊まった毛脩之も長民がいきなり
おかしなことをし始めたから驚いてる。
当時はRの五石散が貴族階級で流行してたから、たまたまRの幻覚作用が
記録に長民の死の予兆の神怪談的な話として残って、晋書に取り上げられたか
もしれないな、という程度のことで>>93の感想書いただけ。
別にこれでR中毒だ!と主張するつもりもないし、間違いない事実のデータ
とも思ってない。そんな軽い感想程度だと、山野さんには理解してほしいし、
一応当時の事情を抑えた上で言ってるのだから、それくらいの感想は言わせて
欲しいんだが。

96 :
また晋書のはなし
劉聡載記より
劉聡の東宮の四門が突然理由もなく崩壊した。
のちに女人が男子に変じた。
聡の子約が死んだが、一本の指だけが暖かかったことから葬らなかった。
蘇って言うには…
不周山で劉淵に会い、従ってコンロン山に至った。
三日してまた不周に帰るとすでに死去した公卿将相が皆おり、壮麗な宮室を営んでいて蒙珠離国と号していた。
淵が約に言った
「東北には遮須夷国があるが久しく主がなく、汝の父がやって来るのを待っている。
汝の父は三年後にやって来るが、その後国内は大乱に陥って殺し合って我が家は殆ど死に尽くす。
ただ永明(劉曜)ら十数人だけが残るだけだ。
汝は一旦還っても後年また来ることになるだろう」
約は辞して帰ったが、道中で猗尼渠餘国を通過すると宮に引き入れられて皮嚢一枚を与えられ「漢皇帝に遣わす」と言われた。
帰ろうとすると「あなたは後年必ずここを通過するので、娘を妻にしよう」
約は帰ると皮嚢を机の上に置いた。
蘇って左右の者に皮嚢を取らせて開いてみると、白玉があって「猗尼渠餘国天王が遮須夷国天王に送る。後に会うことになるでしょう」と刻まれていた。
聡にこれを見せると聡が言った「このようなことならば死を懼れることはない」
聡が死ぬと、この玉を一緒に葬った。

97 :
上記の後年のこと
鬼が光極殿で哭き、また建始殿で哭いた。
平陽で十里に渡って血が降り注いだ。
聡の子約はすでに死んでいたが、その姿が見られるようになった。
聡はこれを非常に不快がって太子粲に言った
「吾が病床につくようになってから怪異が甚だしい。
かつて約は妖言をなしていたが、ここ数日姿が見えるようになったのは吾を迎えにきたのだろう」
太興元年に聡は死んだ。

98 :
米学者が中米で梅毒感染実験
http://news.nifty.com/cs/world/worldalldetail/kyodo-2010100201000177/1.htm
<米政府>40年代に生体実験 受刑者らに性病感染
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101002-00000019-mai-int
米政府の公衆衛生局が1940年代に中米グアテマラで、受刑者などを対象に意図的に性病に感染させ、抗生物質ペニシリンの効用を確かめる生体実験をしていたことが分かった。

99 :
ああ自称「正義の国」よ、お前もか

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