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俺の悲惨な人生を変えてくれた人の話


1 :2013/03/24 〜 最終レス :2013/09/22
誰かきたら書き始めるね

2 :
どうぞ

3 :
まずスッペクからで
現在24歳
東京住み
フツメン
彼女無し
兄弟なし

4 :
適当に書くからわかんなかったらいってね

5 :
まず俺は地方で生まれた。
物心ついた時から父はいなかった。
まああんまり気にしなかったけど・・
とりあえず1、2歳ぐらいまではいたっぽい・・(写真で)

6 :
そして子供の頃は母に育ててもらった。
あとおばあちゃんにも。
じいちゃんはいなかった。そして父の方の祖父と祖母も知らないまま育った。

7 :
とりあえずあんまり覚えてないけど幼稚園までは普通に生活していた。

8 :
それで?

9 :
そして小学校に入った。
小学1、2年の頃はごく普通の生活を毎日送っていた。
でも母は毎日夜中に帰ってくる生活だった。
ほとんど家にいた記憶はない。
そんな中ばあちゃんに育ててもらった。

10 :
そのあと何かあったん?

11 :
でも小学校3年になるとばぁちゃんが急に倒れてしまった。
それも夜中でばあちゃんが寝ているとき、ずっとうなされていて俺が起きて気がついた。

12 :
あの日は、今思うとかなり焦ってたと思う。
あんなに元気だったと思ったのに・・・・

13 :
でもその時あった知識で救急車は知っていた。
家にあったボロい電話で俺は119に電話した。
いろいろ住所や親御さんは?など向こうから言ってきてパニックだった。
母は、当然仕事でいなかった。

14 :
とりあえず家の近くにある建物やお店を言って救急車を呼んだ。
30分くらいたって救急車が来た。
その間とても時間が長く感じた。
ばあちゃんにひたすら声をかけ続け、手をずっとさすってあげた。

15 :
救急隊の人がタンカをもって3、4人っだったかな?たしか、、
家の中に入り込んできた。
そして救急車に一緒に乗り込んだ。

16 :
中は異様な空気だった。
みんな必死に声をかけておばあちゃんを治療していた。
俺は号泣していた。
そこにいた看護婦さんが俺に(パパとママは?)
などと言ってきた。
俺は母は仕事だといった。
看護婦さんのびっくりした顔を今でも覚えている
そしてほかの白衣の人たちと顔を合わせて何か話していた
泣きながらも俺は内心とても怒っていた。

17 :
絶対に不憫だの可愛そうだのめんどくさいなど思っていたに違いない。
とりあえずメモしておいた母のケータイ番号を教えた。

18 :
病院について診療室にばあちゃんは運ばれていった。
ベンチで小学生の俺はずっと待っていた。
すると若い医者がオレンジジュースを俺に差し出してきた。
「心配しないでね。今ママも来るからね。」
などといって隣で座って一緒に待っていてくれた。

19 :
そして母が走ってこちらに来るのを目にした。
その時とてもほっとした。
母は「お母さんは大丈夫ですか?」などと言いその医者と話していた。
そして二人で別室に向かった。
俺は安心したせいかベンチで横になって寝てしまた。

20 :
目を覚めると朝だった。
俺は一瞬学校に書かなければと思ったが病院の中だということを気がついた。
そして母が近にいた。しかしその目は腫れぼったかった。

21 :
「お母さんどうしたの?」
などと俺が言うと母は泣きながら
「おばあちゃんね天国に旅立っちゃった・・」

22 :
と言って母は泣いていた。
それを聞いて俺も泣いた。

23 :
小学3年で母と二人きりの家族になった。
でも母は毎日昼と夜俺のために働いてくれた。

24 :
俺も家で一人の留守番生活が始まった。
寂しくてはじめの時はよく泣いていた。
でも母に見られたくないから部屋にこもり眠くもないのに早く寝たり、学校に1、2時間はなく起きて行っていたりもした。

25 :
おいおい
まじかよ

26 :
この頃学校で担任の先生に「俺くんは今おばあさんを亡くしお母さんと二人で暮らしています。」
「みんなも助けてあげてください。」などと学科の時間に言われた。
このときからであろうか俺はある男の子にイジメられるようになった。
こいつはY君といい学校でジャイアン的存在の奴だ。

27 :
このスレまだ見てたやついたんだ。
ありがとう続きを書くよ。

28 :
どこの学校にもいたよなー
そういうやつ

29 :
オレ君のファンだ

30 :
そいつにはホントにきついいじめにあったよ。
俺と遊ぶと金盗まれるとか、トレーディングカード盗まれるとか。
貧乏が感染るとかいろいろされたな笑

31 :
学校に行くたび震えてた。
でもたまに母と会うと毎日笑顔で接するようにしていた。
とゆうか癖になっていた。

32 :
アゴかちわったれ

33 :
誰にも言えない悩みを2年間我慢していた。
当然夜一人で泣いていたよ。
まあほぼ毎日。
まじでダサいよな 笑

34 :
イジメをするやつがダサいわ
イジメられて泣かない奴は人間じゃねーからな

35 :
そんな感じで小学校卒業を迎えた。
でも中学もこいつと同じだと思うと吐き気がしたが
お金がないから私立やらはまず行けない。
仕方ないから何も言わず中学に進学した。

36 :
中学の始業式では俺の小学校ともうひとつの小学校が一緒になる感じだった。
そして俺は4組だった。

37 :
始業式でおれはそいつと別のクラスになれた。
嬉しかった。
でも俺がいじめられっ子だったことを知てっるやつはたくさんいた。
ここでも我慢するのかと思って死にたいとも思った。

38 :
やめろ!
はやまるな!
やめるんだ!
うぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおお

39 :
お前マジでいいやつ。

40 :
そしてクラスで前の席のやつと後ろの席の奴が友達だったらしくて俺をはさんで話していた。
今度はこいつらにいじめられるのかななどと思いながら、話を聞いていると、俺に話しかけてきた。
「お前名前なんてゆうの?」
ロン毛で色を染めた前の席のイケメンが俺に言ってきた。
コイツは今で言うDQNだった。そして後ろのやつも・・・

41 :
そしてなんと俺はこいつらと友達になった。
この前の席のやつはJ君といい俺と同じで母子家庭の男だった。後ろの席のK君は両親はいるが色々家庭は大変だったようだ。
この二人は俺がいじめられていたのを知っていたにもかからわず仲良くしてくれた。
本当の友達が初めてできた。
まじで嬉しかったよ・・・

42 :
そして俺の生活も変わっていった。
今思うと本当にアホだったと思う。
髪染めたり、タバコ吸い始めたり、親が夜までいないことをいいことに深夜まで遊んだり。
本当に親不孝だったと思うよ。 マジで笑

43 :
そしてなんだかんだで一年が過ぎ中2になった時色々事件が起きた。
俺はクラス替えをしてジャイアンと同じクラスになってしまった。
どうしようかとおもったがJ君とK君も同じクラスだったのでまだ気が楽だった。
このジャイアンは今度はいかにも真面目そうな男の子をいじめていた。
その子は震えていた。俺はすぐに助けてあげることができず、ジャイアンがいじめているのをずっとニラんでいた。
そして二ヶ月が経ち・・とうとうジャイアンが俺に声をかけてきやがった。
「おい、何調子乗ってんだお前?」

44 :
ふむふむ

45 :
それでそれで

46 :
見てるぞ

47 :
ありがとう。仕事終わったばっかだからもう少し時間がかかるかも。
ごめんなさい。

48 :
待たせてすいませんでした。続きを書き始めます
ジャイアンに声をかけられた俺は小学校ぶりに話かけられてびっくりした。
すると俺の目の前にジャイアンはきて、俺の胸ぐらを掴んできた。
するとジャイアンは「貧乏人が何調子のてんだぁ?」などといってきて
俺を押し倒そうとしてきたので振りきろうとした。
俺も頭にきたので「いつまでイジメするつもりだよ」とか言って対抗しようとした。
多分この時声震えてたと思う。
つかみ合いになってジャイアンにとうとうビンタや顔を殴られた。
クラス中の空気が凍っていた。
俺も今まで悔しい思いをしてきたし、いじめられている奴を見ると可愛そうだと思った。
ジャイアンに俺は勇気を出して立ち向かって蹴りをいれた。
するとジャイアンが倒れたので馬乗りになってジャイアンをぶん殴った。この時めちゃ手が痛かった。
クラスで女子が騒いでいるとJ君とK君がクラスに入ってきて俺をとめてくれた。
そして担任の先生がクラスに入ってきて職員室に呼ばれた。

49 :
職員室に入ると椅子に座らされ学年主任の先生と担任の先生が俺のことを鬼の形相で見ていた。
「おい俺君なんでこんなことしたんだ?」
担任の先生が俺に言ってきたが何も言葉をださず黙っていた。
多分手がものすごく痛かったのでそのことばかりきにしていた。手が腫れるということを初めて知った。
とりあえず1時間くらい沈黙が続いた。

50 :
そしてしびれを切らした先生が
「何か言えよ口ついてんだろおぃ!」
といい俺の顔に1発ビンタをしてきた。
「向こうはすごい怪我をしたんだぞわかってんのか?」
俺は昔から先生は偽善者としか思えなかった。
どうせ早く帰りたかったんだろうけど夜になってたし・・・
俺は一言「すいません・・・」と言ってその後は口を閉ざした。

51 :
すると先生は「これだから最近の子供は世話がやける。」
「今親御さん呼んでやるから」といった。俺は冷や汗をかいた。
母にこんなことをして学校に呼び出されたりしたら合わす顔がない。
俺はとても馬鹿なことをしてしまった。毎日昼と夜ずっと俺のために働いてくれた母になんてことをしてんだと後悔した。
母が仕事を早退して迎えに来てくれた。

52 :
遅番の先生しかいない職員室なんて初めてだった。
すると職員室のドアが開いて母が来た。
何も言わずに母は先生のまえでいきなり「申し訳ございませんでした。うちの俺が・・」
などといい頭をすぐに下げた。久しぶりに母の顔を見た。
先生は「俺君今日クラスの子をボコボコに殴たんですよ。こんなことする子あまりいないですよ;;」
などと先生が言うと何も言わず母は謝り続けてくれた。
理由も聞かずにただただ謝ってくれた。
その晩母と3ヶ月ぶりぐらいに晩飯を食べた。
母は「俺、明日は喧嘩した子にちゃんと謝んな。私も行くから」と言ってご飯を食べ続けた。

53 :
読んでるよ。
無理して急がなくてもいいけどな
楽しみにしてるよ

54 :
俺は明日学校に行きたくなかったが仕事を休んでまで一緒に謝りにいってくれる母がいたので学校に行くことにした。
朝一番で二人で学校に行った。その間久しぶりすぎて何も会話がなかった。
学校に行くと担任の先生が玄関で待っていた。そして応接室みたいなことに誘導されると、ジャイアンがいた。顔が腫れていて青タンもできていた。
漫画みたいで笑いそうになってしまった。
するとまた母が再び謝り始めた。そこにいたジャイアンのお母さんは俺を見るなり汚いものを見るような目だった。
当然だ。赤茶色に染めた長い髪の毛、そしてたくさんのピアス。さらには腰パンにボタンを開けているふざけた格好で入ってきたのだから。
俺も頭おかしかったな丸坊主で言ったほうがまだ怒りがおさまっていたんじゃないかと思う。

55 :
でも書きたいから急いで書く事にするよ。
続きね
ジャイアンの母ちゃんは俺の母に「もううちの子とかかわらないでください。」
などと言われた。とにかく親子二人で謝り続けた。
和解したのか、治療費だけですんだ。マジで慰謝料とか取られなくてよかったよ。
応接室を出ると母が「もう喧嘩しんじゃないよ。じゃあ仕事行ってくるから」
などといって母は仕事に向かった。
俺も授業の途中からクラスに入った。教室を開けるとクラスメイトみんなが俺のことを見ていた。
席についても全然落ち着かなかった。早く帰りたくてしかたなかった。

56 :
休み時間になるとjくんとkくんが俺の席に来て色々話を聞いてきた。
俺は小学校のこととかいじめられた子のことを二人に全部話した。
昼休みになると二人の姿はなかった。俺はタバコを吸いに行ってんだろうと思い席で漫画を読んでいた。
そしたらジャイアンにいじめられていた真面目な男の子がはなしをかけてきた。

57 :
「昨日はありがとう。手大丈夫?」
などと言ってきたので俺はそんなことか頭になかったが、いちお「大丈夫。」などと言っておいた。
手は痛かったがこの真面目な子がいじめで悩んでいたのかと頭をよぎった。
いじめって意外と辛いしね。
放課後また先生が俺を職員室に呼び出された。

58 :
職員室につくと先生が俺に「昨日はすまなかった。いじめられた子を助けたんだてな。J君とK君から昼安い聞いたよ。」
俺はびっくりした。とゆうか初めて人から頭をさげられたからだ。
助けたつもりではなかったがそのようなことになっていた。
少しだけヒーローになれた気分だった。

59 :
その夜家にも電話が来たが母の携帯に書けるように先生に行った。
そして、学校は休みがちになったが学校へ普通に行っていた。
中学二年も終わろうとしていた時から俺の悲惨な人生はもっとどん底まで落ちていった。

60 :
寝たか 乙々

61 :
仕事終わったから今日もまた書き始めます。
続き
中学3年生になるとクラス替えなどもあり色々生活が変化していった。
4月から6月までは特に何もなく普通に生活していた。
確か暑くなってきた初夏の頃だ。ある事件が起こった。
なんのことかというと母が日に日にめまいや頭痛、睡眠障害などが悪化していった。
俺は働きすぎだと思い昼か夜どちらかの仕事を辞めるように言った。
あと1年すれば中学を卒業して働くことができるからだ。

62 :
母に仕事を辞めることを強く俺は言ったのだが母はけして辞めることはなかった。
夏休みに入ったある夜のこと。
確か母が夜の仕事が休みだったので家でご飯を食べていたときのことだ。
俺は前から言っていた仕事を辞めるように言った。
それもこの時母が急激に体調が悪そうだったからだ。
しかし母は「私は大丈夫。アンタはしっかり高校に行って大学にもだしてやりたいから心配しないでしっかり
学校に行きな。」
こう言われた俺は何も言葉を返せなかった。
少し泣きそうになって。案の定、夜少し泣いてしまった。

63 :
ふむ…

64 :
俺は全然勉強しないでいたし、大学はまだしも高校も行こうとは思っていなかった。
そんな中母は俺にこんなに期待してくれていたのかと思うとこの晩から受験勉強しようと思った。
毎日10時間は勉強していたな。
そんなが何週間か続いた。

65 :
しかし中学3年の8月14日。
この日のことは今でも鮮明に覚えているよ。
確か昼の1時過ぎ。俺は昼飯に自分でパスタを作って、テレビを見て食べていた。
食べ終わりいつものように勉強しようかと思い、テーブルで勉強していると知らない番号から
電話がかかってきた。

66 :
電話にでると知らない人からだった。
「もしもし、俺君ですか?実は今お母さんが職場で急に倒れてしまって、病院に向かっているところです。」
「今からすぐに○○病院にきてください。」
それはおばあちゃんが亡くなった病院だ。
俺は嫌な予感しかしなかった。

67 :
そこで俺はすぐにバスで病院に向かった。
この時道が渋滞してなかなか動かなかった。
手汗がすごくてジーパンで何回も手を拭いた。
電話がきてから約2時間後に俺は病院ついた。走ってナースステーションで看護さんに声をかけた。」
「今日○○が運ばれてきたと思うんですが・・・」
俺は声を荒げて看護婦さんに聞くと、看護婦さんは急いで母のいる病室まで俺を案内してくれた。
病室には年老いた病院の先生と看護師が二人白いベットを囲んでいた。

68 :
俺が病室に入るとすぐに先生が気づいて俺を呼んだ。
「○○さんのご家族の方ですか?」
「ほかにご家族は?」
そう先生に言われると俺は
「俺だけです・・」
先生は何か言いたそうだったが俺を別室に呼んだ。

69 :
別室で先生は
「大変言いづらいんですが・・・お母様はお亡くなりになりました。」
俺はこの言葉を聞いた瞬間頭の中が真っ白になった。
頭が真っ白になることなんてあんのかよ?
と思っていた俺だが、あの状況のことを言うんだな笑
何も考えられなくなっちまうんだぜ。

70 :
先生が母の病態を親切に説明してくれたが、何も頭に入らなかった。
ただわかったのは、母の病名は過労死ということだけだった。
いわゆる働きすぎだ

71 :
その後母のベットに行った俺は母の顔じっとみた。
顔にはクマがあり、もう冷たかった。
なぜか涙は出なかった。ただ一人でパニックになっていただけだった。
今でも思い出すと背筋が凍るよ。

72 :
そしてなにより俺にはもう家族と呼べる人が誰ひとりいなくなった。
両親も兄弟も祖父母も・・・
このときはマジで人生終わったと思った。
絶望とはこの時のことだ。
もう何もかも意味が分かんなくなって、自殺まで考えるレベルまで追い詰められていた。

73 :
葬式を開こうとしが、全然段取りとかわかんなかった。
頼る人も誰ひとりいなかったし。
でも馬鹿な頭振り絞ってとりあえず学校の先生に電話した。

74 :
学校の先生に俺は母が死んでしまったことを伝え、色々相談した。
そして、先生が親切に色々教えてくれた。
何とかして葬式を行うと知らない人がたくさん来てくれた。
しかし驚いたのは学校の先生が何人か来てくれたり、クラスメイトや学校の知ってる生徒も来てくれた。
そして俺は初めて葬式で喪主も務めた。
今思えば良くなったなと思う。

75 :
葬式も終わりいろんな契約のためにあちらこちら行った。
先生色々聞いて色々な契約を行った。
すると夏休みも終わり学校が始まろうとしていたが俺はそれどころではなかった。
友達から電話もたくさんきたが全部シカトした。
とにかくこれからどうしようかと悩んだ。
ほんとに死んでしまおうか考えた。
しかし、あるとき家を整理していると母の遺書が出てきた。

76 :
遺書には「俺へ」と書いてあった。
中を読んで見ると
「手紙見つけてくれてありがとう。今まで何もしてあげられなくてごめんね。」
「アンタにはとても辛い思いばかりさせてしまってすまなかったね。」
「小学校の頃にあんたがイジメられたのを知っていたのに仕事ばかりして助けてあげられなかったお母さんをどうか許してね。」
「でもそのぶん少しだけど貯金はしてあるからこの先アンタの好きなように使ってね。」
「アンタがこれから元気で生きていけるように天国から母さん見てるから。」
などといった内容だった・・
この手紙を見た俺はなんて親不幸な子供なんだとボロ泣きした・・・
自分がとても惨めでアホみたいで何もできない無力な存在だったことに気がついた。

77 :
母が一生懸命生きた分俺はまだ生きていこうと思った。
そして何ヶ月か学校に行かずに色々と物事がすぎて行った。
近所の人からも白い目で見られここで住んでいるのがとても気まずくなった。
お金のことは全然はからなかったのでネットで調べたり、学校の先生に相談したりして色々と知識を得ていった。
先生は児童養護施設にはいれと俺に言ってきたが俺はそれだけは絶対に嫌だった。

78 :
しかし、現実は辛くまだ15歳の俺には生きるすべはなかった。
近所からは変な噂が飛び交ってたし、、ここで生きていくにはとても厳しかった
年を超えて1月ぐらいのことだった。俺はある決断をした。

79 :
俺は中学を卒業したらすぐに東京に行こうと決意した。
そして3月になると卒業証書を先生が俺の家に届けてくれた。
そして俺は住んでいた家と必要な物以外すべて売った。
そして出来た資金は母の貯金合わせて確か500万ぐらいだった。
でかいキャリーバックを買い必要な物をつめて俺は東京に行った。
確か三月の下旬だった。

80 :
なんかそしてばっかですまん。
電車でとりあえず東京を目指した。
誰も俺のことなんか知らない。ところに行きたかっただけだった。
なんか今思うとマジの中二病だな

81 :
親、とりわけ母親が亡くなるのは辛いな

82 :
今思うと意味がわからんかった。
普通に親と生活してる人がたくさんいるのに何故俺だけ?
と思ったよ。親孝行したかったができんかったよ・・・・・

83 :
それが生きてる中で一番の後悔やな。

84 :
挽回なんかしようがないもんな…
嫌だなぁ
しかし優しい奴だな
育ちがいいんだな

85 :
全然よくないよ・・・
アホすぎて洒落にならない。
学力はほぼ小5で止まってる・・
一歩間違えればもう死んでたし笑

86 :
全然よくないよ・・・
アホすぎて洒落にならない。
学力はほぼ小5で止まってる・・
一歩間違えればもう死んでたし笑

87 :
そして東京に来たわけなんだが、はじめは何も身分も証明するものもなかったし、生きていけるかもわかんなかった。
はじめは公園のトイレやらネカフェやらファミレスで寝泊まりしてた。
そんな生活が二週間くらい続いた。
お金はあるのに、何もできずにいた。
親がいないと15歳の俺にはなんの権利もないことがわかった。
無力すぎたな・・・

88 :
そして東京をでかいキャリーケースを引いて歩いていると、バイト募集などと書かれた張り紙を目にした。
とりあえず勇気をだしてそのような張り紙をしてあるお店をいくつかまわった。
しかしファーストフード店やチェーン店などは無視をして個人経営の店だけに的を絞った。
チェーン店などはただのホームレスの少年を雇ってくれるとは思えなかったので個人店だけを1日中血眼で探し回った。

89 :
とりあえずひたすら歩き続けたな。
そしてできるだけいい環境の職場を。

90 :
そしてあることに気づいた。
職歴のない俺を雇ってくれ会社なんかあるのか疑問だった。
しかし、あることを思い出した。

91 :
仕事大変そうだな
自分のペースで書いてくれ

92 :
仕事終わったからまた書き始めます。
続き
それは中学2年の時、学校で見たあるビデオのことだった。
そのビデオでは15、16歳ぐらいの中卒の人たちが親元を離れて日本料理の料亭で働くという内容のものだった。
そのこと思い出し俺は東京の敷居の高そうなレストランに入った。
中に入ると自分は場違いで本当は正装で食べに来なければならないのだろうけれど普通に入ることができた。
そんな汚い格好の俺をホールスタッフのおじさんは席に案内してくれた。

93 :
俺は席に着くと、ホールのおじさんがメニューを持ってきてくれた。
それはすべてイタリアの言葉で書かれたものだった。
値段を見てみるととても高かったのを覚えている。たしかコースで15000〜20000ぐらいだった。
俺はとりあえず一番安いコースを注文した。

94 :
見てるよー最後までいるから安心しておくれ
頑張れ!

95 :
同じく
書き込みしてなくても毎晩見ているからな
悠長に頑張れ

96 :
オイラも見てるよ。

97 :
みんなありがとう。
もう誰も見ていないと思ってた。
最後までよろしくな!
続き
出てきた料理はどれも量が少なかった。確か5、6品くらいだった。
でも1品1品がとても美味しかった。
すべて食べ終えた俺は食後の紅茶を飲んでいると、ホールスタッフのおじさんは
「君いくつ?」などと話しかけてきた。
そんな雑談をしていると、俺は勇気を出して言った。

98 :
「あの、よかったらこのお店で一番偉い人を呼んでもらえますか。」
そう言うとおじさんは、
「何か問題でもありましたか?」
俺は「少し質問がありまして。」
質問なんかないのに偉い人と話したくて、嘘をついた。
するとおじさんは「少々お待ちください」といって店の奥の方へ姿を消した。

99 :
すると店の奥から180cmぐらいの短髪の白いコックコートを着た、男の人が姿をみせた。
俺の席の前まできてその男は
「今日はご来店ありがとうございます。どうかされましたか?」
男は顔は怖かったが、丁寧に俺に挨拶をしてくれた。
俺はその男に「実はお願いがありまして・・・このお店で働かせてもらえないでしょうか?」
俺は男に店で雇ってもらうようお願いした。

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