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2013年19創価・公明18: 日蓮って version 25 (144) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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日蓮って version 25


1 :2013/09/20 〜 最終レス :2013/10/04
日蓮って ver・24
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1369880773/l50
日蓮って ver.23
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1362498478/
「日蓮って」過去ログ
http://hyakkimaru.nukenin.jp/
創価学会の教義と日蓮仏法について、真面目に語るスレッドです。
創価学会擁護の論客もふるってご参加下さい。
コテハン推奨。sage推奨。「荒らし」は無視で。
スレが荒れる原因になりますので、暴言や挑発、嘲笑、語尾のwwwはNGです。
スレ違いの話題はほどほどにして下さい。
初心者の方も教義についての質問があればお気軽に書きこんでください。

2 :
前スレ>>840つづき
次に、舎利子の懇請に対して、それを言っても何になろうか、理解されないだろう、それほど
仰天するほどの無いようだ、と言うのだが、その回答を話す段になって、その内容を知ってみると、
それほど仰天するほどの無いようではない、と思う。キミは仰天するか?
次に信解品に入って、舎利子が仏になると予言されるのだが、今まで声門であったものが、
それに何を追加したので、声門から菩薩になり仏になると予言されるのか、全く説明が無いのだ。
結論はやはり、文理が正しくないのだ。
薬草喩品に於いて、「教えの実相」と言う表現がでてくる。仏の説法は
大雲から驟雨が降るように説かれる、と言い、驟雨を諸法と言うことは無理では無い。
これらの諸法は唯一つ、仏になる道を説くものである、と言うのを実相とも言いうる。
しかし、釈迦は成仏する前に、諸法とその実相を知っていた、と言う順序がなければならないことになる。
それを学んで成仏したのだ、と言うことになろう。これでは順序が全く逆になるのだ。
だとすると、やはり、諸法を釈迦の教えの束とすることは相当では無いことになろう。
判りやすく言うと、支離滅裂といえまいか?

3 :
>>1-2
スレ立てありがとうございます。
前スレ>>885レス、また有難うございました。
さて、その“実相”とはなんであるか?ってことなのですが、
“森羅万象の実相”となりますと、「なんであるか?」っていうよりも、目でみられるそのものではないのですか。
たとえば、太陽も月もその姿がそのまんまの実相であり、どういうものであるかは疑問するところがないと思われますが。
そこで、法華経での釈迦がいう「仏が究尽した実相」とは何であるか?・・・ってことなのですけど、仏法とは内心での捉え方を重視したものだと思っています。
ここがわからないのです。
“森羅万象の実相”など「仏様」といわれた人じゃなくても、だれでも理解可能ができると思いますが、
そんな解りきったことを、いちいち法華経で説きだすような内容ではないと思った次第でありまして、>>850での意見となりました。
鳩摩羅什が意訳された十如是の思想は、龍樹の大智度論巻三十二あたりからをヒントにされたものらしく、その箇所を読んでみても重視しているのは心中がテーマなようです。
そこで巷でいわれている「難信難解の法」とは森羅万象の形云々ではなく、仏様の心中(方便説)を感じるのが難解だといっている内容だと思ったのです。・・・いまでいう「親心、子しらず」いうやつですかね。
なんかこんな議論をしてると、日蓮とか創価の話などどうでもいいや!って思ってきましたが、これでは板違いになるので個人的な解釈はこれで控えめにしておきます。
ただ一つ言っておきたいのは、この鳩摩羅什訳法華経には“空”の思想が十分に隠されているような気がするでもないですね。
日蓮もこれらしきことを「所謂諸法如是相如云云と読む時は如は空の義なれば我が身の・・・」といっているようなので・・・・まぁ、どうでもいっかw

4 :
前すれ>>857
そんで、先週突然気がついたんで、法華経行者の件さらにも少し・・。
日本国第一は、撰時抄にこんな書き方されてた。
「日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし、
これをもつてすいせよ漢土月支にも一閻浮提の内にも
肩をならぶる者は有るべからず。」
はー・・、日本国第一だけじゃなくて、中国・チベット・ウィグルどころか、
ご本家のインドを探しても肩を並べるものがいないぐらいの、
スーパー最高レベルの法華経行者であることは、
カンタンに推理できて、まったく疑いがないことです。
なんか自分で書いてて、恥ずかしくならないのかな?
でも、安楽行品にある菩薩の四つの行動指針の内、
一から三番目をまったくやっていないのは明らかなのに、
なんでなんで、スーパー法華経行者になれるのだろうか?
やってるのは四番目を布教活動と無理やり解釈した部分だけで、
これは営業にすぎませんから、売り上げに密接に関連するし、
しょせん欲ボケ金の亡者的な行法しか興味ないわけでしょ?
この件は、日蓮教の主張通り、法華経の唯一正当性を100%認めたとしても、
日蓮さんが法華経の行者と自称するにはほど遠い、
カン違いのひとであることを示しているわけで、
さらに定期的に質問をつづけてみよっかな・・。
要約法華経 安楽行品第十四
http://www.james.3zoku.com/pundarika/pundarika14.html

5 :
>>4
にょじつ 0 【如実】
(1)実際のとおりであること。多く「如実に」の形で副詞的に用いる。
「戦争の悲惨さが―に描かれている」
(2)〔仏〕
(ア)現象の諸相を超えた究極の真理。真如(しんによ)。
(イ)真実の姿にかなっていること。
>>『三省堂 大辞林』の表記・記号についての解説を見る
________
上はit辞書のコピーで、以下は、御案内の安楽行品のコピー。
>また菩薩は、一切の法は空なり、如実の相なりと観じて、ただ因縁により仮象として存在していると見るのである
この辞書の解説による如実の意味を、安楽行品の引用における如実に適用すると、
どうなると思いますか?
(2)を適用すべきとはありていに言えることですが、安楽行品の引用部分の如実の意味は、
むしろ(1)の意味では、と思われます。

6 :
>>3
>>さて、その“実相”とはなんであるか?ってことなのですが
般若心経に諸法空相という表現があるが、法華経の諸法実相を意識している表現であると思われる。
諸法実相、つまり、あらゆるものの真実の姿は空相だと法華経の諸法実相を解釈すれば、すんなり理解できる。
>>“森羅万象の実相”となりますと、「なんであるか?」っていうよりも、目でみられるそのものではないのですか。
>>たとえば、太陽も月もその姿がそのまんまの実相であり、どういうものであるかは疑問するところがないと思われますが。
自分の心に映る太陽や月が実相、つまり真実の姿かどうかは大いに疑問の余地がある。犬や魚の目を通してみた太陽や月の姿は
人間が見ている太陽や月そのものではないだろうし、自分の見ている太陽や月と同じ色を他の人も感じているかどうかもわからない。
そもそも、この世界に色などなく、網膜で感じ取った光の波長を電気信号に変えて視神経から脳に運び、それを人間の脳が色として
解釈しているに過ぎない。太陽や月が本当はどんな色をしているかは誰にもいえません。

>>“森羅万象の実相”など「仏様」といわれた人じゃなくても、だれでも理解可能ができると思いますが、
>>そんな解りきったことを、いちいち法華経で説きだすような内容ではないと思った次第でありまして
太陽と月ひとつとっても、脳が網膜に捉えた情報を情報処理して作り出しているにすぎないということ本当に理解して生活している人がどれだけいますか?
現代科学が発達した今だからこそ一般人にも理解できることでも、釈迦の時代は難信難解だったことでしょう。

7 :
>>3
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9F%E7%9B%B8
ここにおける実相の説明は目茶苦茶だと思う。
これは創価信者の記述なら納得できる。
こう言う仏教の一番大事な真理を違えて伝えるということは、
重大な罪になると思うが。
実相とは真実ことだ。実はまことと言う意味である。
>たとえば、太陽も月もその姿がそのまんまの実相であり、どういうものであるかは疑問するところがないと思われますが。
君はこんなことを言っているが、これでは、縁起の理法、そして、空であるという大乗の基本的教えはどうなるんだ?
諸法無我とか、の意味はどうなるんだ?諸法とは森羅万象のことでは無いのか?
でないなら、諸法無我の真理は、どこに適用されるのか?

8 :
>>4
>でも、安楽行品にある菩薩の四つの行動指針の内、
>一から三番目をまったくやっていないのは明らかなのに、
>なんでなんで、スーパー法華経行者になれるのだろうか?
日蓮は久遠元初の仏であり、菩薩を超えた存在であるから安楽行品にある菩薩の行動指針など全く関係ないという
屁理屈が聞こえてきそうですね。
日蓮を叩くには、あんた、北伝仏教しか知らないじゃないの、パーリ語原点も読んでないくせに知ったふうな口を利くなと言えば今は終わりです。

9 :
>>6
>諸法実相、つまり、あらゆるものの真実の姿は空相だと法華経の諸法実相を解釈すれば、すんなり理解できる。
私は、この空相と実相(實相)は対意語に近い意義があると思うのです。九如是までの複数の表現に“實”と表現され、もし“空相”を意識したとするならば“本末究竟等”にその意義があるのではないかと考えています。
まずこの“實”の意味ですが、岩波新漢語辞典には、
 【@ 中身がいっぱいある。十分にみちる。いっぱいにみたす。】
とも意味も掲げられています。無論この@だけではなく、一般的に解釈されている意味での“ありのまま・ほんとう”の意義も書かれてはいますが、鳩摩羅什十如是にそって考えてみれば、この@の意義にも当てはめられ
て読んでも、すんなりに理解できちゃうような気もするのです。
 『舎利弗、如来は能く種々に分別し巧に諸法を説き言辞柔軟にして』
と、にわかにここで九如是を仄めかしているようで、
 『舎利弗、要を取って之を言わば、無量無辺未曾有の法を』
と、ここで云われている“無量無辺”こそ空思想を云っているようにも思います。そしてこの空思想を教えるのに今までの説法は「本から末まで数々あったけれども究竟等なり」と言っているのかと考えてもみました。
 『及び仏の諸余の法は 能く測量する者なし』
と、ここは偈文のところですが“仏の諸余の法”が森羅万象のことを言っている内容ならば、この仏は自分自身を天動の中心、釈迦を中心にすべてが回っているというような事を述べたことになってしまいますね。
いゃ・・・そうじゃないと思いたいのですがw
>現代科学が発達した今だからこそ一般人にも理解できることでも、釈迦の時代は難信難解だったことでしょう。
たしかにその森羅万象を観察することに関しては、その時代には難解ではありましたでしょうけど、“難信”とはこれ如何にと思われますがどうでしょうか?

10 :
>>7
あなた様の疑問もわかります。私の意見は確定したものではなく、推測の妄想でもあるので、いじめないでくださいね。
たとえば、その太陽も月も縁起によって誕生したものだと思いますが、やはり 「空という存在が有る」 所に物体が現わされているものではないでしょうか。
この「空という存在が有る」という表現はややこしいようですが、たしか阿含経にも書かれていたようですが、まだ私にも理解不能であります。すみません。

11 :
>>10
>「空という存在が有る」という表現はややこしいようですが、
キリスト教徒なら、それこそは「神」だと言うだろうね。
万物を創造する「神」あるいは「空」。
結局は言葉の違い、お国の違い、好みの違いか・・・・。
ただ、それ=itが「在る」なら、そのほかの物も在るわけで、それを幻だと考えるのはおかしい。
人間が作った文明も、神が創った自然も、同じ実在には違いない。
あるものはない、ないもがある、という空の思想は詭弁にしか聞こえないな。
釈迦の生涯がそんな(実用性0の)詭弁を説くためにあったとはどうしても思えない。
少なくとも、それを言葉にして「はいそうですか」と理解できるとは思えない。
理解できないものを語るその熱意もまた理解できない。
なんか騙されてる気がする・・・

12 :
まず般若心経を読みなよ
図解のがおぬぬめ

13 :
>>10>>11
般若心経は深読みすればするほど驚くほど奥が深いが、法華経は深読みしようにも底が浅すぎて意味を失い、言葉遊びになってしまう。
法華経を愛好する人は抽象的思惟が弱い。「空という存在が有る」という表現は、まさに印欧語らしい表現で、「事物に実体はない」という意味だ。
”I have no money.”は、「金がない」といえば足りるのであって、「無の金を持っている」と訳しなおす意味はない。
空の思想は神はもちろん仏や、はては空という観念そのものにも実体がないと説くのであって、そこに融通無碍な境地を開示するのだ。

14 :
>>10
>たとえば、その太陽も月も縁起によって誕生したものだと思いますが、やはり 「空という存在が有る」 所に物体が現わされているものではないでしょうか。
空の概念というのは「有るとも言えるし、無いとも言える」「有るとも無いとも言えない」という「有る」「無い」という概念を超えた概念であって、
「空という存在が有る」という表現は、空を全く理解できていないことが読み取れる。
>>11
>>「空という存在が有る」という表現はややこしいようですが、
>キリスト教徒なら、それこそは「神」だと言うだろうね。
>万物を創造する「神」あるいは「空」。
>結局は言葉の違い、お国の違い、好みの違いか・・・・。
仏教の空は、全ては有るともないとも言える、有るともないとも言えないという概念のことを言うのであって、
世界を創造する神のようなものを言っているのではない。
神は空であるとは言えるが、空は神であるとは言えない。プードルは犬であるが、犬はプードルであるといえないのと同じ。
>あるものはない、ないもがある、という空の思想は詭弁にしか聞こえないな。
有るともないとも言える、有るともないとも言えないというのが空であって、あるものはない、ないものがあるという空の理解は間違い。
>>12
般若心経は道教の無の思想と空の思想を混同した中国起源の偽経の疑いが高いので、本当に空の理解をしたいなら避けないといけない。

15 :
>>14
空性の認識は実体がないということにつきる。あるようなないような曖昧模糊としたものではない。
デジタルで言えばゼロだ。語源としてもそうだ。
般若心経が中国起源とは思わないが、仮に中国起源でも内容の卓絶性は疑いようがない。
他のすべての経典は般若心経の膨大な注釈にすぎないと言ってもいいくらいだ。

16 :
>>15
>空性の認識は実体がないということにつきる。あるようなないような曖昧模糊としたものではない。
有るともないとも言える、有るともないとも言えないと表現したのは、有ると無いの中間の概念として言っているのではない。
有る、無いの上位概念として、それらを包摂する概念として空という概念がある。
従って、般若心経にいう色即是空 空即是色の色即是空は正しいが、空即是色は誤っている。
これはプードルは犬であり、犬はプードルであると言うのと同じ間違いをしている。

17 :
16が般若心経をまるでわかっていないのが痛い件

18 :
>>17
般若心経をまるでわかっている御方の意見を御聞きしたいのですが、解りやすく説けますか?
「空の智慧を如実に知見」したところで、結局はそれで何をどのようにして一生を生きていきなさいと教えているのでしょうね?
難しい質問に悩むことなく無視でもしておけば、貴殿も痛い思いはしないでしょうけどね。
ここで般若の心経を実践してみてください。
>>15
釈迦の一代説法の数々が“ゼロの法門”となりますと「宗教なんかやめちまえ!」ってことなんでしょうね。   
>>16
>空即是色 色即是空
悩み過ぎた挙げ句の果ての一言が、この文句だったのかとも思いますが。

19 :
>>16
ぜんぜん違う。空というのはゼロであって、存在と非存在の上位概念などという、それこそありもしない朦朧とした言葉遊びではない。
どこから湧いた妄想か知らんが、無理解から出発して犬とプードルなどと見当違いの比喩で般若心経が誤っているなどとは噴飯ものだ。
繰り返すが空というのは事物に実体がないということだ。色即是空は必然的に空即是色なのだ。
ここから生じるのは全ての事物、その存在と見えるものは関係性の認知にすぎないということだ。これは最新の物理学の知見とも一致する。
空を語る前に存在論や論理学の初歩だけでも勉強すべきだろう。

20 :
>>16
>有る、無いの上位概念として、それらを包摂する概念として空という概念がある。
ちょっと大人げないようで気が引けるが自分は生まれつき、論理的な曖昧さが気になって突っ込みたくなる性質だ。そこで質問。
これはまったく意味をなさないセンテンスではないか。有ると無いの上位概念がどうして空になるのか?それでは上位概念になるまい。
犬とプードルは単純な集合の問題だ。プードルは犬の真部分集合にすぎないが、それと色即是空がどう論理的に対応関係にあるのか言ってみよ。

21 :
>>19
ひとつ気になる事がありますが、
その、
>空というのは事物に実体がないということだ。
たとえば文字とか言語とかの釈迦の説法や竜樹の論語などは、自ら何を結論付けたものだったのでしょう。
“実体がない”で終わらせてしまう教えでは、縁起などというものの教えさえも無ではなかったのでしょうか?
“諸法空相”というこの概念では万物を語れないのはないでしょうか?
たとえば、六根も無い人間などいないだろうし、何かしらの認識があって釈迦自身も説法ができたのだと思いますが。そしてこれ事態も実体とも言えるものだと思いますが。
そうでないと釈迦仏の存在感こそ否定した教義を見つけ出さなければなりません。
この般若心経がそうでありましょうかね。?

22 :
>>21
事物に実体がないというのは終わりではなく始まりなのだ。誤った妄想や執着を断ち、明るく澄んだ自由な心で生きていきなさいということだ。
それが冒頭の「觀自在菩薩が深般若波羅蜜多を行じていた時、五蘊は皆、空であると照見され、一切の苦厄を度された」という意味だ。
実体がないという深い意味を考えなくてはならない。空の理解には観自在菩薩ですら般若波羅蜜多を深く修行することを必要とした。
われわれが頭で考えて哲学的に理解して足りるものではない。心の奥底から身につけなくては宗教的意味がない。「仏教の精要、密蔵の肝心」といわれる所以だ。
般若心経を重視しない宗派は仏教として信用するに値しない。

23 :
>>3>>9
簡単に諸法は縁起しているから、実体が無い、と、無我が問題にならないときは、
理解しているが、実際問題になるときは、その理解ではすまないな。
実相のことを実体と言う事には同意するだろう?で、実体とは真実に存在するものを言う、これにもう同意するだろう?
仮にここに二つの真実があるという場合、この命題は矛盾しているだろう?
Aという真実、Bと言う真実が並存してるのだ。AはBを否定してるだろう?
反対に、BはAを否定してるだろう?お互いを否定してるのだ。そして、Aの主張も真実であり、
Bの主張も真実であると、その命題は言うのだ。これではこの命題は消滅するほか無いね?
キミが諸法がそのまま実相であるというとき、諸法が無限にあるのだから、実装と言う真実は無限にあるという
ことを言っていることになる。これは自滅する理解では無いか?実相があると言いながら、全く実相が無い、と言ってることになるのだから。
結論は、諸法がそのまま真実(実相)では無いということなのだが。同意できませんか?
真実は対立者をもたないのだ。絶対者なのだ。諸法の絶対者は、対立者を持っていないのだ。
空間的にも、時間的にも、対立者がいないのだ。
この絶対者を認めない訳にいかないのだ。これは存在するのだ。これこそ存在するものと言わなければなら無いだろう。
諸法には我(主体となる自存者)はいないが、諸法の存在をむなしくする絶対者はいるのだな。
これが諸法の実相といわれるもんだと言わなければなら無い。
これを空性なるもの、無相なるもの、一相なるもの、願いを持たないもの(無願)と言うのではないか?

24 :
>22
事物に実体がなかったという教えが、何故に“始まり”があるのでしょう。
一般的にその五蘊は皆、空であったと解釈するのであるならば、「始まりもない」と解釈すべきものではないのでしょうか。
元々にゼロが真実とした知見ならば、数ある“認識”をも否定したものになってしまうのではないでしょうか。無論、その般若心経自体の言語もですが。
現実的な話の認識によって発展してきた人類に、その妄想じみた誤ったものに執着している者達こそ自由に生きていないような気がしますが。
つか、「どっちにしても、すべてが空なのだから苦労することもないなぁ〜!」などと勘違いするような解釈ならば、こんな楽な生き方はないでしょうけどね。
心を定めて鍬や鎌を片手に畑に行く、どんなに偉い坊さんでも、この空思想など実際には役が立たないものだと思いますれば。
はっきり申しまして、極端過ぎる仏説は眉唾もんですがね。
>般若心経を重視しない宗派は仏教として信用するに値しない。
「もうすこし自ら智慧を働かせ、その仏説などに執着することなく自灯明で歩め」
とまで言ってしまう宗教などありましたら、坊さん・・・食っていけないとも思いますが。

25 :
>>23
>実相のことを実体と言う事には同意するだろう?で、実体とは真実に存在するものを言う、これにもう同意するだろう?
同意します。
私が言いたいのは、その確かに存在するものが「空であり本来、なにもない!」ということを概念に主張することに疑いを感じているのでありまして、
>>20さんの
“大人げないようで気が引けるが自分は生まれつき、論理的な曖昧さが気になって突っ込みたくなる性質”と、まったく同じ性格でありますw
そこで、今の議論の流れが、私の意図するところからズレテいっているようなので、宗教アンチの私のスタンスを簡単に言っておきますね。
 @『諸法とは、森羅万象のことを意図するところではない』
と前スレから述べているのですが、ここに話が噛み合わなくなってきてしまい、どうもこちらが皆さんの流れに吸い込まれていっているみたいなのです。
まぁ、それならそれでいいのですけど、私は徹底的に「“空思想”で何ができるんじゃ!」と言わざるをえません。大人げ無い(涙)
では、この@の話は後々に話す機会があるでしょうから、そちらに廻すとして、諸法とは宇宙内全ての現象、森羅万象を述べたものととして意見をしていきたいと思います。
AとBが真実ならば、それに対意するものは、応しく真実に目を背けて己の心で作り上げた妄想ではないでしょうか。
目の前に信仰対象の物体が有る。目に障害がないかぎりそこには物体が絶対にあるのです。
しかし、ここで有無を探る議論は、その信仰対象に妄想べき“力”が有るのか、無いのかなのですね。
そうです、宗派の争いの原因は実体そのものではなく、実体の中の見えない部分で争っているわけなのです。
実相の相は誰がみても同じであり、性分というところから色々な解釈をされて争っていくものなのでしょう。
しかしですよ、この実体(相も含む)も、じつは空なのだと仰る信仰者達にはいくら議論しても“実も蓋のない”話になろうかと思いますが。
空の思想を本当にマスターした人は議論などしないでしょw
そういえば昨日NHKで宇宙の話をした番組がありましたが、これも奥の深い物理学であると感心しましたね。いやはやこの近代仏教にも似た話なんだと思いみていましたわ。
もう物理ではないですよ。
仏理も空にして解明するところに限界があるのでしょうかねw

26 :
>>24
>事物に実体がなかったという教えが、何故に“始まり”があるのでしょう。
こういう不明瞭な文に自分は苛立つ。これは以下のどちらか?
1.事物に実体がなかったという教えに、何故に「始まり」があるのでしょう?
2.事物に実体がないという教えが、何故に「始まり」になるのでしょう?
これ以外にもあなたのレスに概念の混乱、歪曲および逸脱が散見される。これは支離滅裂を意に介しない日蓮教徒にありがちな症状だ。

27 :
>>26
どちらか?・・・と質問されても困りますが、>>22の貴殿のレス内容に沿って“誤った妄想や執着を断ち”と述べておられるところ、
どちらかといいますと、その1に近い疑問でありますね。
ただ私も貴殿の>>22レスに“実体がないという深い意味を考えなくてはならない”とも書かれ述べていられるところ、
貴殿の述べる事は現在形なのか過去形なのか、またその>>22の“終わりではなく始まりなのだ”とも未来形での話しになっていかれるのに、少し戸惑いましたもので
私の解り難い>>24レスになり、貴殿を苛立せたことをお詫び申し上げます。
また、弁解ではないのですけど、その2の趣旨にそっても意見をも聞ければ幸いであります。
 『三世諸佛も般若波羅蜜多』
に依った、この未来仏のポジションは、貴殿のいう「事物に実体がないというのは終わりではなく始まりなのだ。」とは矛盾な御意見にも聞こえまして、議論がお互いに
噛み合ってこないみたいですね。
読解力のない私ですけどイライラしたようなレスは勘弁してください。そういうときは無視してほしいです。
一つだけ簡単な質問したいのですが、
・・仏の存在を信じますか?

28 :
>>25
>、私は徹底的に「“空思想”で何ができるんじゃ!」と言わざるをえません。
空と言う実体があるわけよ、そして、単に空だけだと誤解を招くので、
無相と言う実体があるのだよ、一相と言う実体があるのだ、と言うのだな。
又、次に、無願と言う人の態度が必然するのだ。
で、空と言う実体の世界では、何も起こらないという意味なんだな。生滅が無いという世界なんだな。
で、ニルバーナとは何も起こらない状態だといわれてる。
つまり、諸行無常 是生滅法 生滅滅己、この状態が空の実体の世界なのだ。
だから、寂滅為楽といって、このことをニルバーナと言うのだ。
でキミはニルバーナがどうして為楽なのか?ときいているのだろう?
それは何にも心配することが起きないからだ。生老病死が無いんだよ。
一切が無い、と言うことを熟考して観なければならない。今までの自分を皆この実相は
それは違う、といって否定してくるのだ。その実相に従わなければならない、真実だからね。
この空の実体の世界が安楽国であるかどうか、そもそもその世界を認めるかどうか、
これが難信難解といわれることなのだ。目前に大津波が遣ってくるのに、これは実体の世界に無いことだ、
だから無視しよう、この津波に拘わる一切は生じない、と信じることが難信難解なのだ。
人が生まれるときも染むときも、これは虚蒙であると信じないこと、自分が死ぬときもそれは
実体の無い現象であると信じないこと、これが難信難解なのだ。
そして、実体あるものこそ、我である。常住の我である。これが諸法に内在しているが故に、
人も、苦しみを感じるのだ。この我に逆らうと、その人は、逆襲されるのである。
この我が空性である。空性を仏性と言うのだな。

29 :
>>28
『舎利子、この諸法は空相にして、生ぜず、滅せず、垢つかず、浄からず、増さず、減ぜず、この故に、空の中には、
 色もなく、受も想も行も識もなく、眼も耳も鼻も舌も身も意もなく、色も声も香も味も触も法もなし。眼界もなく、
 乃至、意識界もなし。無明もなく、また、無明の尽くることもなし。乃至、老も死もなく、また、老と死の尽くる
 こともなし。苦も集も滅も道もなく、智もなく、また、得もなし。』
こりゃ死人かバカボンのパパですな。
っていうか、わたしどっと疲れますた。すみません。

30 :
>>25
>AとBが真実ならば、それに対意するものは、応しく真実に目を背けて己の心で作り上げた妄想ではないでしょうか。
おい、おい、誤解しないでくれよ。AもBも真実として並存しないといっているのだ。
二つの真実はありえないといっているのだ。真実は一つでそれは絶対存在だといっているのだ。
この絶対存在をもう少し詳しく言うと、それは一切の不純物の無いものでなければならない。
もしチリほどの不純物が混じっているなら、もうそれは絶対存在ではないのだ。
それはそのチリほどの不純物と、その他の部分の混在で、二つの部分から成り立つものであり、
その物はお互いに相対する存在であり、こう言う存在は、自己の存在を相手に依存したもので、
このことを縁起したものとも言うが、実在しないもの、すなわち実体ではないものなのだ。
純一なものだけが実体である。実相である。
その純一なものには制限が無いことを忘れてはならない。制限があるとすると、
制限を加えるものがあることになり、それと純一な物としていたものが相対することになり、
これまた実体ではなくなる。
だから無限な存在で、純一なもの、が実体の定義になろう。

31 :
>>27>>29
空の認識はわれわれにとって認識の終わりではなく始まりだといったからといって、それは未来時制を意味しない。
これが精神にとって自由の認識であることを般若心経の字句に即して今のあなたにわからせることはなかなか難しいようだ。
かつてサルトルは、「もし神がいないなら何をしたっていいわけだ」とのドストエフスキーの言葉に対し、神がいないことは厄介千万で、
だから人は自身の行為に重い責任を持たなければならない、という趣旨を述べたことがある。この実存的自由は空に似ている。
空に目覚めた人は自由だ。事物に実体がないと悟ったのだから。空はこのように厳しく人間の自律的生き方を問うのである。一切の逃げ口上はない。
私は擬人化された仏の実在性を信じているわけではないが、仏を全面的に信じているし、それを信じることが正しいと考えるものである。

32 :
いずれにしても般若心経は驚くべき文章ではないか。こんな短文に人類の到達しうる極限の智恵が示されている。
言われるように誰かが大般若経の抜粋として作成したのだろうか。それにしても人間の手で成ったものかと思うと戦慄させられる。
これに比べ、日蓮が法華経を最勝と決めつけ、下らぬこじつけで南無妙法蓮華経を唱えるように説き、門弟らがいい加減な捏造文書でたてた教義が、
いかに幼稚なレベルの馬鹿げたものか、つぶさに見れば見るほど、呆れるほかはない。

33 :
>>30
「実相とは空相であり、全てが空なのだ!」と言っている御方達も、貴殿の「真実は一つで、一切の不純物の無いものでなければならない。」との考え方もどうかと思う。
“不純物”もそこにあるならば、それも実相なのですよ。実相とはなにも万物にとって良いことだけではないのです。
本心を隠し、方便だったと主張する法華経の主人公釈迦の物語も存在することでも絶対存在の一環でもありますし般若心経も阿弥陀経でも文字となって存在してるのです。
どの経も実体を現されて実在し、我々の目に見えて読むことが出来ているわけです。
まず、釈迦が説いたとされる全ての経典に相対する教えがあろうとも、それも今現状の実相というべきものでしょう。
なぜに信者さん達は一つに拘るのかさっぱりわかりませんなぁ。
貴殿の主張するところは私と似ているようだけれども、法華経オンリーでありますか?
もしそうであるならば、諸法の実相は南無妙法蓮花経の七文字であるという日蓮の主張をどのようにお考えですか。
私はですね、「ほぉ〜、また新たに実相が現れましたなぁ〜」と思うぐらにしか考えてませんよ。
これも、眼も耳も鼻も舌も身も意も具えているからなんですよ。
“実”とは何を意味するかという事をどのように理解されていますでしょう。
簡単に言いますれば、蜜柑を思いだしてみてください。中身はいくつにも分かれていますね。もし八つに分かれていたものに皮をかぶせて一個を表現に蜜柑と言っても
また、中身の粒一つとっても蜜柑なのです。
諸法の“諸”も釈迦一代に説いたきた教えを分けた例えとして言っているだけであって、中身は多いけども、それは一個であると言っているのではないでしょうか。
それを法華経寿量品では、このように例えているようです。
 『譬えば五百千万億那由他阿僧祇の三千大千世界を、仮使人あって抹して微塵と為して、東方五百千万億那由他阿僧祇
  の国を過ぎて乃ち一塵を下し、是の如く東に行いて是の微塵を尽くさんが如き』
中身八つの蜜柑どころではなく、無量の数の中身の話ではありますがww

34 :
>>31-32
御丁寧なレスを大変に有難う御座います。
じつのところ、私もこの般若心経には昔に感服しまして悟りを得た気になった思いがありましたよ。
すべては“空”こそ、あのアインシュタインが言われました、「すべては光」説に同じではないか!と驚いた記憶があります。
物理的に解明していけば、この般若心経も間違いではないと証明されるかもしれませんね。
しかし我々が今必要とするものは、形をどのように整えて組み立てていくのかということなんじゃないでしょうか。
形とは言っても、これはなんかギザギザした心・・・いわゆる“我(ガ)”ではないかと思います。
また、血の気の多い日蓮信者さん達には、少しこの般若心経をも習わせてみたいwと思ってはいますので、一概に私は嫌っているわけではありません。悪しからず
>>29のレスは言い過ぎました。ごめんなさい。

35 :
なかっち 動画
http://www.youtube.com/watch?v=z2qK2lhk9O0s

みんなで選ぶニコ生重大事件 2012
http://vote1.fc2.com/browse/16615334/2/
2012年 ニコ生MVP
http://blog.with2.net/vote/?m=va&id=103374&bm=
2012年ニコ生事件簿ベスト10
http://niconama.doorblog.jp/archives/21097592.html

生放送の配信者がFME切り忘れプライベートを晒す羽目に 放送後に取った行動とは?
http://getnews.jp/archives/227112
FME切り忘れた生主が放送終了後、驚愕の行動
http://niconama.doorblog.jp/archives/9369466.html
台湾誌
http://www.ettoday.net/news/20120625/64810.htm

36 :
>>33横レス。
>  “実”とは何を意味するかという事をどのように理解されていますでしょう。
・・・・略・・・・
>  『譬えば五百千万億那由他阿僧祇の三千大千世界を、仮使人あって抹して微塵と為して、東方五百千万億那由他阿僧祇
>   の国を過ぎて乃ち一塵を下し、是の如く東に行いて是の微塵を尽くさんが如き』
切り文で自分の都合がいいように解釈する典型だな。
文脈をきっちり追えば、これはほぼ永遠の時間(距離)を表現するための例えというのはすぐわかるのに。
自分の自己満足のために仏教を利用する輩は、他に行ってやってくれ。

37 :
ちなみに、>>33の蜜柑云云だが、仏教ではこうは考えない。
(参考:ミランダの問い)

38 :
>>36
レスするなよ。また出てくるかもしれないじゃないかw
>>37
ミランダじゃなくミリンダ。ミリンダ王。

39 :
>>33
>諸法の“諸”も釈迦一代に説いたきた教えを分けた例えとして言っているだけであって、中身は多いけども、
それは一個であると言っているのではないでしょうか?
キミは以前から、法華経の諸法実相は、釈迦の教えの実相だ、と言うのだよね?
相解釈すれば、後の論説もすんなりと理解できる、と言うのだったよね?
つまり、諸法とは釈迦の教えの全部だということだよね?森羅万象では無いと。
それは間違いでは無いと思うよ。
釈迦は森羅万象の実相を説いて、人を実相に導引しようとしたのだから。
釈迦の12部経は森羅万象を説くものだから、森羅万象と12部経は不離一体なものだ。
釈迦の12部経によりわれわれは森羅万象を見ているのだ、といえるからね。
そうすると法華経の諸法実相の意味は、釈迦の12部経の実相が何であるか、
その性相体力・・・がなんであるか、釈迦自身が一番よく知っているわけで、
その実相をいまだ明らかにしていないのであり、それを釈迦は自画自賛したので、
舎利子は、そのわけを聞いた、と言うことになる。
で、出てきた答えが三乗方便で実相は仏一乗であるというのだよね。
確かにこの解釈の方が、すんなりとしているようだ。
しかしこれでは元々一仏乗を修行していた菩薩達にとっては、何の関係も無い
ものではないか?そして二乗性質にとってみれば、今まで不当に蔑まれていたのが、
菩薩に等しい、いや菩薩行をしているのだ、といわれたもので、名誉回復の教えに過ぎなかった、
と言うことになるのでは無いか?

40 :
>>33つづき
こんなことが釈迦の教えの実相で、驚嘆すべきことだというのだ。
一方で菩薩が正当な仏教を修行していて、それから外れていた二乗など、眼中になかったものだが、
二乗のための教えなども眼中に無いものと言うべきだろう。
これが驚嘆すべき教えとは言え無いだろう。
だから、法華経は内容の無いつまらない、自画自賛で、他経を脅迫するだけの経典だと
言うべきだろう。
ところで、日蓮は自分を二乗だと思っていて、法華経をありがたく思うのだろうか?
誰を二乗としていたのか?と言うような疑問がでてくるが、くだらない問題のように思う。
こう言う風にみてみると、大乗派閥の崩壊であるといえるのだ。何の役にも立たない経典であると。
これを最大一だ、と言い募って、広めるものは、仏教を蹂躪する仏敵ではないか?

41 :
>>38
上段
そうか。
下段
ミスを訂正してくれてありがとう。
寝ぼけ眼でレスしたから…と言い訳w

42 :
>>40
http://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#8:23
上のサイトにはキリスト教のイエスの信仰が見られるが、仏教の信仰もこれと同じなのだ。
イエスは、神が空性、無相、一相、無願なものであることを知り、
その神が、嵐は無い、と教えておられるその教えを信じていたのだ。この神の教えを
信じることが信仰である。
これに基づいて、今水面上で起きている嵐の波を消されたのである。
そして弟子達も、自分の信仰を見習うように教えたのである。
神がそんなものは無いよと教えておられるのに、それを信じないでした知はなんと言う不信仰なものであったろうか。
しかし私はこれはイエスの教えを弟子達がいまだ習得していなかったものだと思う。
イエスが神は空、無相、一相、無願名もので、人に一切のものは無いと常に教えていることを
弟子達に、十分に納得させていなかったものだと思う。
自分だけが知っていたというべきか。
この点仏陀はなんと良い教師であったことか。
さて、波が嵐により起こって、小船が転覆し乗っている者たちが溺れ死ぬというのは、
有為法の世界のことである。有為法とは縁起の世界である。
有為法の世界にいるのは弟子達である。彼らは波が有る、風が有ると信じているのである。
これは無為法の世界のイエスに対する反逆であった。そこで、イエスは無いのにあるかのように思っている妄想を
叱り飛ばし、撃退したものである。悪魔よ、され!と。

43 :
↑マタイ、8章23節〜27節

44 :
>>19
空というのは事物に実体がないというのは私も同じ考えだ。
ところで、空はゼロであるという考えは初めて聞いたのだが、ゼロとはなにか。どう理解しているのかもう少し詳しく教えて欲しい。
>>20
>有ると無いの上位概念がどうして空になるのか?
例えば、数学で言う線はあるのか無いのか。幅がなくて長さだけが有る線は実在するのか。そんな線など外界には実在しない。
では、線はないのかというと、それも違う。それは人間の概念として心の中に存在する。
数学に言う線は有るとも言えるし、無いとも言える、有るともないとも言えないものである。それは、有無以外のものだ。
有無を超越し、あらゆる事物を包摂した上位概念、それを空と呼ぶ。

45 :
>>39
その12部経の内容は私には解りませんが、そのような森羅万象を説いていらっしゃったのですか。
>そうすると法華経の諸法実相の意味は、釈迦の12部経の実相が何であるか、
>その性相体力・・・がなんであるか、釈迦自身が一番よく知っているわけで、
そう、釈迦自身も他の仏達もよく知っていたが言わないでいたらしい。でもその爾前経とやらは方便であって、
 『舎利弗、如来は能く種々に分別し巧に諸法を説き言辞柔軟にして、衆の心を悦可せしむ。』・・・なんですと。
要するに、“諸法を巧に分別”と書いてありますのでそうなんでしょうな。
もしこれが別の角度から読んでみれば・・例の宇宙すべての”森羅万象を分別”して何を語ってきたのか?という疑問が湧くわけなのです。
その疑問に、前スレにて「誰が一番最初に諸法実相とは森羅万象の実相のことだ!」といったのだろうかと思ったしだいでしてね。・・・創価さん?それとも日蓮さん?
そんで、御存知の御方がいましたら教えてもらって、その宗派の見解を調べてみたいと思っていたところでした。
>出てきた答えが三乗方便で実相は仏一乗であるというのだよね。
巧みな方法で導こうとした教えの乗り物(爾前経)であるようで、その説明をしてる経が法華経のようにも思える。
そんでね、それを暴露した経だから一仏乗はこの法華経であるとは思わないのですが・・・どうでしょう?
ここで私も法華経に習って試してみましょうかw・・・・↓
>>36殿
>自分の都合がいいように解釈する典型だな。
汝、私がこれまでにレスしてきた内容は単なる方便なのである。
私が“都合がいいように解釈する”ことによって、汝は法華経を読み直し確認したであろう。
これは私の智慧によるものだったのだぁ〜。えらいだろ〜wwwww

46 :
>>39さんに再び
↑レスみたいな感じが法華経ではないでしょうかw

47 :
>>44
空はサンスクリット原語では「シューニャ」でゼロを意味する。ゼロを発見したのがインドであるのはよく知られているが、空も同じ単語から生じた。
幾何学的抽象としての純粋な「線」が外界に実在せず観念にとどまることをもって実在と非実在を超越した上位概念であると主張するのは無理がありはしないか。
それなら神も悪魔も、妖怪も幽霊も、花咲爺もドラえもんも、実在性が確認されない全ての観念は、実在と非実在を超越した上位概念であると主張できそうである。

48 :
そもそも法華経における「釈尊」が「理解しがたいから説かない」と言い、智恵第一といわれたシャーリプトラに三度も懇請されて説いた内容を、
いったん説法したからといって、なぜそれをみなに宣布するように誓わせるのか。道理に合わないではないか。それほど理解しがたいものなら、
説法を聞いたシャーリプトラが「なるほど、これでは凡夫どもらに理解できるはずはない」と判断し、「釈尊」同様に「やーめた」と思うはずではないのか。
この手の矛盾は法華経のいたるところにある。

49 :
>>48
> 説法を聞いたシャーリプトラが「なるほど、これでは凡夫どもらに理解できるはずはない」と判断し、
>「釈尊」同様に「やーめた」と思うはずではないのか。
そこまでして聞き出しておきながら「やーめた」は無いでしょwww

50 :
>>48
>いったん説法したからといって、なぜそれをみなに宣布するように誓わせるのか。
そのための修行であり、師弟ではなかったか
>道理に合わないではないか。それほど理解しがたいものなら、
道理に合わないことを言う師を、疑うか信じるか「それが問題」だ
個人の知恵などタカが知れている
現代の叡知も、長い時と多くの人の力によって生み出されものだ
それを俺たちのようなのが横から拝借して、
「道理に合わない」「矛盾だらけ」などとは、思い上がりも甚だしい
ほんとおまえらってヒマなんだなー(^_^;)
もう悟りを開いちゃって、この先する事もないのか?
2ちゃんで講釈を垂れること以外、楽しみもないのかよ?...
>「釈尊」同様に「やーめた」と思うはずではないのか。
釈尊は、それでも法華経を説いた
アバウトながらも、青写真は残したわけだ
しかし、末法の衆生にとってはただの骨董品に過ぎない
そんなガラクタを売りつけることが広宣流布ではないんだよ
おまえらマニアには関係のない話だ

51 :
またRー中毒の創価患者かw
さっさと竜の口の証拠だせよ。現証なんだろがw

52 :
>>50
そんなガラクタの欠片を拾い集め、骨董屋として商売してるお前ら宗教団体などが、その青写真に帰命帰依などとラベルだけシール貼り付け、新製品として仏教を売ってるんじゃね〜つんの。
それとですな、お前らが朝夕にガラクタを掛声にして元気ハツラツな気になっているのではないのか?
そのガラクタというものを“助行”などと言っておきながら、正行の助けにもならんだろうがw
そんな整合性のない矛盾な教義に広宣流布されるほど、世間様はバカではないわ!
忙しいバカのお前には関係のない話だとは思ったが、もう2ちゃんなど見ないで仲間のいるところに帰んなさいな。
不真面目そうなお前は、アンチになってもここには帰ってくるなよ、迷惑だからさ。
>個人の知恵などタカが知れている
長い時と多くのバカの力によって生み出された結果のおまえのことな。アーこりゃこりゃw

53 :
>>49
いや、「やーめた」というのは、聞くのをやめたという意味ではなく、宣布するのはどだい無理な話だと思うのが自然な流れではないかということ。
そう即座に理解され、宣布を誓われたのでは、「釈尊」が「如来でない者には理解しがたい」と、二度まで説くのを勿体ぶった甲斐がないではないか。
経典製作者のプロットの不自然さを問題にしているのだ。
>>50
あなたは流れについていけていないので、聖教新聞に載っている犬作の法螺話でもおかずにしながら感涙にむせんでいればよい。

54 :
>>50
>釈尊は、それでも法華経を説いた
釈迦滅後500年経ってから成立した法華経はフィクションだからw

55 :
>>53
>経典製作者のプロットの不自然さを問題にしているのだ。
お経ってのは小説じゃないんだから、自然主義的リアリティーを求められてもなぁw
>あなたは流れについていけていないので、
レベルの高い会話をしてる自分に酔ってんのか?
内向的なナルシストってのは始末に負えないな
2ちゃんですら、自意識過剰なんだから
糞垂れるのに、いちいちポーズ決めるかよ
>>54
>釈迦滅後500年経ってから成立した法華経はフィクションだからw
釈迦の入滅の年代にしても諸説あるんだがな
500年なんて具体的な数字、どっから引っ張り出して来たんだ?
現存する最古の法華経がそうであっても、
それ以前にはなかったという証拠にはならんだろ
あんまり素人がドヤ顔すんなって
まぁ2ちゃんだから笑って許してやるが

56 :
法華経どうたら言う以前に、どのみち日蓮も天台のやつもお経の
中身を一部誤解してるんじゃねえの?って、話があるんだが・・。
そしてその誤解がどんどん悪い方へ悪い方へ進んで行ったなれの
果てが、他の者を下に見なすような考え方なんじゃないの?
本来的には一切衆生みんな同じ命って仏教には考えがあるから、
ああいう風にはならんはずなのに、そうなるところがやっぱおか
しい。

57 :
昔の他の宗派の坊さんも法華経そのものを否定は
してないが、法華系の教団による、その様な態度は
本当に仏教が分かっているのか?勉強したはいいが、
本末転倒になってないかと指摘している。

58 :
まぁおれにとってはどうでもいいかw
どうせ創価はオワコンだしな。

59 :
>>55
>それ以前にはなかったという証拠にはならんだろ
それ以前にあった証明なんて尚更できないわけで、
法華経に書いてある文章が本当に釈迦が語った言葉だと言う証拠もないだろ?
糞創価の奴らに限らないけど、何で盲目信者っていわゆる「悪魔の証明」を多用するんだろうなw

60 :
>お経ってのは小説じゃないんだから、自然主義的リアリティーを求められてもなぁw
ああ、つまり法華経は小説に求められる程度のリアリティーすらない法螺話でいいってことだなw

61 :
ともかく非人や病人の救済に心血を注いだ良観房忍性のような立派なお坊さんを、たとえ精神病とは言え誹謗中傷したクソ日蓮は許せん。
てめえは世間のためになるようなことは何一つせず、弱者そっちのけで、ハッタリと脅しで信者に布施をたかることしか能がないくせに。

62 :
>>47
>空はサンスクリット原語では「シューニャ」でゼロを意味する。ゼロを発見したのがインドであるのはよく知られているが、空も同じ単語から生じた。
語源の話は了解しました。
それはそれとして、ある単語と語源となる言葉とは意味上の関連性はありますが別の言葉ではないでしょうか。
もう一度質問します。
あなたの言うゼロ=(空)とはなにか。無とはどう違うのか、もう少し詳しい説明をお願いします。
>幾何学的抽象としての純粋な「線」が外界に実在せず観念にとどまることをもって
(空が)実在と非実在を超越した上位概念であると主張するのは無理がありはしないか。
実体はないというのが空概念ですので、空が実在と非実在とを超越した概念と言っているわけではありません。
一切皆空です。
ありとあらゆるものは空であり、ありとあらゆるものは有るとも無いとも言えるし、有るともないとも言えない。
有と無を包摂する上位概念が空です。
>それなら、神も悪魔も、妖怪も幽霊も、花咲爺もドラえもんも実在性が確認されない全ての観念は、実在と非実在を超越した上位概念であると主張できそうである。
神も悪魔も、妖怪も幽霊も、花咲爺もドラえもんも空です。ゼロも空です。
有るとも言えるし、無いとも言える。有るともないとも言えない。実在はしません。空です。

63 :
>神も悪魔も、妖怪も幽霊も、花咲爺もドラえもんも実在性が確認されない全ての観念
観念のみならず、物理的に存在すると思われているあらゆる存在が空です。有るともないともいえるし、有るともないとも言えない。
例えば超ひも理論で言えば、ひもが振動している状態が素粒子、振動していない状態が真空です。
また、自我も空です。魂という実体が存在しているわけではないものの、環境や他者との関係性の中で存在しているとも言える。
感情も記憶も目の前に見えるコップもペンもモニターもすべて空です。
有るとも無いとも言えるし、有るともないとも言えない。それが空です。
そういう観点から、あらゆる現象や事物を寝ても覚めても観ることができるようになることを空の悟りというのではないのでしょうか。

64 :
>>50-55
創価のお方様にお聞きしたいのですが、よろしくお願いします。
○一、創価の教義では、心と言うものはあると教えますか?
もしあるというのが教えなら、それの根拠を、日蓮の言葉なり、経典の言葉なりを紹介し、
説明を加えていただけると幸甚に思います。
○二、創価では、普通だったら犯罪になる行為を、学会員が組織的に行うときは、
犯罪にならないと考え、もしその恐れがあると思うときは、連帯して隠蔽することも組織的に行う、
と言うのが当たり前のこととなっているのでしょうか?
○三、具体的に、例えば人を殺したいときは自殺に追い込む、人の名誉を毀損したいときは、
嘘の評判を流布させる、そして、これらのことを実行するときは、連帯してご本尊に題目をあげる、
とするのですか?
どうかよろしく返答をお願いします。

65 :
>>62>>63
私は>>13から、空とは有るような無いような曖昧な話ではなく、事物に実体はないという意味だと一貫して述べている。
そして>>19でも、存在と見えるものは関係性の認知にすぎないと述べた。あなたは徐々に私の意見にすり寄っているようにも見える。
むろん意見を変えるのは悪いことではないが、犬とプードルや直線など見当外れの譬えは撤回ということでよろしいか?
空とは有るとも無いとも言えて、有と無を超越してみたり包摂してみたりする上位概念だという話はどう始末をつける?
自分は言葉遊びにつきあうつもりはない。過去の自分のレスと異同を照合して自分の意見を整理してからレスしてきてはどうか。

66 :
このスレは日蓮スレなので、あくまで日蓮について語るのが本筋。>>64のような多少の脱線は愛嬌だが、日蓮に直接関係のない話題で際限なく議論するなら他スレに誘導してもらいたい。

67 :
>>55
スレチだけど、
物心ついた頃から創価学会の件で喧嘩が絶えない家庭だった。
仕事と学会活動(役職多し)で忙しい母に代わり、
父が創ってくれた、お弁当を、
隠しながら学校で食べた(今、思えば、もっと堂々と食べるべきだった)
大人になり、周囲を見れば、リアルでもネットでも、
私を、如何に創価の為(自分の為)に使おうかと考えている人達ばかりに思えた。
これが自分の宿業なのだと諦めもした。
その中で、貴方は学会員なのに、「共々に人生を楽しもう」と、
「悟るのに組織など必要ない」と言い、私を解放してくれる唯一の人。
世の中は悲惨に満ち、人間革命の哲学が必要なのは明らかだと思う。
しかし、その手段として創価の犬を育てる事が得策なの?
個人的には、聖教新聞の啓蒙より、
マイケル・ムーア等の作品を観てもらう方が
余程、理に叶ってると思う次第。

68 :
>>65
よくわかりました。私の以前の書き込みは全て忘れてください。
ゼロ(空)と無とはどう違うのか、お答えいただけていないようですので、もう少し詳しい説明をお願いします。
論理的でわかりやすい説明を期待しております。

69 :
法華経は釈迦とは無縁の偽書
日蓮はイカサマ野郎のオカルト坊主

70 :
>>65
なお、私は空の修行を始めて間もない菩薩の一人です。
悟りの修行を始めた人のことを菩薩と言います。
ところで、般若心経は菩薩にすぎない観自在菩薩が、すでに悟った存在である阿羅漢、シャーリープッタに教え諭すという構成になっていますが、
このことをどのようにお考えでしょうか。
おかしくはないでしょうか。
最古の般若心経は法隆寺にあるそうで、それより古いサンスクリット語の般若心経の経典は発見されていないそうです。
論理的に考えて、般若心経は中国でできた偽経の疑いが濃いと思われますが、その点論理的思考の得意な方から見てこの点どう思われますでしょうか。
ご意見をいただければ幸いです。

71 :
初めに一なる実体があった。その一から、二が生じた。それは対なる存在だった。相対存在だった。
その存在は相互に相手に依存する存在だった。二と始めの一が、対:相対存在となり、三の存在が生じた。
三の存在が、一まとまりになり、それと始めの一なる存在が、対:相対存在となり、四の存在が生じた。
四の存在が一まとまりとなり、それは存在として見なす限り、対となす相対存在を必要とし、
それの存在を数える必然があり、ついに五の存在が生じた。こうして無限に存在が増殖していくのである。
つまり有るものの存在を認めるということは、相対して、有るものの無い存在を前提として認める必然性があるのだ。
有が有るということは無が有るということなのだ。
始めの一なる存在は無限なものだったのが、そしてそれは無相なものだったのが、
二が生じそれともとの一なる存在が相対し、ここで三つのものが存在すると認識が生じた時点で、
初めの一なる真実在は姿を隠すことになった。そしてつまり、相対的な存在ばかりの世界になったのである。
相対的と見る限りでは当のものは、実体があると認識していないが、実体があると執着するようになる。
こうして世界は無数の実体があると誤解するようになった。本来の実態である一なる実体が、相対する存在に
それらは実体の無いもんだと教えているのに、それに反して実体があると執着したのである。
又、有が無であると認識し、無が有であると認識し、すべてのものが大混乱する
世界になるのだった。

72 :
>>66
>>1の能書きを読んでから言えよ。
大体日蓮は全ての経典に言及してるのだから、仏教全般がこの範囲になる。
今までにスレチのレスは一つも無い。
あるとすればお前のレスぐらいだ。
感じ悪いんだよ。不適当な仕切りをするなと言いたい。

73 :
>>71
>初めに一なる実体があった。その一から、二が生じた。
なぜ二が生じたのか?
そこ詳しくw

74 :
もうめちゃくちゃの議論になっている。w
“空”だとか“無”だとかの個人的妄想を語るスレじゃねぇんだからさ、文証を明らかに提示して述べてくれよ。
例えばまず、妙法蓮華経法師品第十の
  『如来の室とは一切衆生の中の大慈悲心是れなり。如来の衣とは柔和忍辱の心是れなり。如来の座とは一切法空是れなり。』・・・・鳩摩羅什訳
さぁ、“一切法空是れなり”と、ここのどのように読むべきか?
そして、摩訶般若波羅蜜経等空品第二十三の
 『『汝言う所衍與空等しと。是の如し是の如し。須菩提、摩訶衍與○空等し。』・・・・鳩摩羅什訳かな?
ここでの“摩訶衍與○空等し”とは大乗が虚空と等しいと言っているようだが何故なのか?
そして、玄奘訳般若心經の、
 『五蘊皆空なり』
と書かれているな。そんで、
 『羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提娑婆訶』
と咒文など説いたところで、この空思想が意識界もないところで、なんの意味があるというのだろうか?
言っている意味がわかりますか?
こんな統一されてない教えに君達は悩んでいるようにも思えるが?
方便品第二・・・ 鳩摩羅什訳
 『如来は能く種々に分別し巧に諸法を説き言辞柔軟にして、衆の心を悦可せしむ。』
ここの“種々に分別”して、釈迦がそれまで行ったのはなんであったか思いだしてみてくれ。・・・・宇宙すべての森羅万象を巧みに説いたのではなく、自らの説法は相手の機根に合わせて説いた諸々の法であると解釈する。
余談なのだが、法華経では“摩訶衍”との語句が一つもないのはどういうわけなんだろうかね。知っている御方がいれば御教示のほど。

 

75 :
>>68
菩薩と号する人に私見をいうのは気が引けるが、自分でいいだしたことなので以下に簡単にお答えする。
空はゼロと同じで、その意味で無でもあるが、空は「実体がない」すなわち「実体において無である」という意味なのだ。
一般的な玄奘訳の般若心経では「五蘊皆空」だが、梵文では皆にあたる語はなく、代わりにスヴァバーヴァという語がある。
これは、「本質的には」「本性としては」という意味で、「自性において」と訳される。つまり「本質的には実体がない」という意味になる。
単純に「全ては無だ」と言わず、「本質的には」実体がない、と言うところに、「見た目には実体がありそうだが」という事態が含意されている。
したがって空(シューニャ=ゼロ)は文脈に即していえば、日本語の空(から)と同じ意味になる。英訳でもempty(中身がカラ、空虚)と表現されている。

76 :
>>74
>もうめちゃくちゃの議論になっている。w
議論なんてめっそうもない。ただの意見交換ですよ。
目的は日蓮仏教を含めた仏教の深い理解です。
文証の提示ありがとうございます。

77 :
>>70
シャーリプトラはシャーキャムニの直弟子であるから、初期の仏教的英知を代表する人物として配役されたものだろう。
そして菩薩は大乗思想を象徴するものであるから、その般若乗を説く対告衆、つまり聞き手としてシャーリプトラが選ばれている。
つまり大乗の代表が、智恵第一と謳われた初期仏教の俊英に説法するという構図をとって大乗思想の小乗に対する優越性を表現しているのだ。
さすがに釈尊が聞き手ではまずいので、大乗経典ではこういう場合釈尊はたいてい瞑想(居眠りw)をしていることになっている。
そして菩薩の説法が終わったとたんに目を覚まして、説法に賛同し、一同が大喜びするという筋書きになっているw

78 :
>>70
般若心経が中国起源という見解走っているが、自分では>>15で述べたとおりだ。つまり、
「般若心経が中国起源とは思わないが、仮に中国起源でも内容の卓絶性は疑いようがない。」という立場。
羅什や玄奘の漢訳がなくても般若心経の思想にとってはいっこうに差し支えない。
それをいうなら梵文原典では都合が悪く、羅什の漢訳テキスト「妙法蓮華経」でないと、ミラクルワードの一念三千はじめ、
教義が根本から崩壊する天台や日蓮はメイドインチャイナの題目を唱えながらどう思っているのだろうか。

79 :
>>5
而観諸法如実相は、
すべての認識するはたらきこそが、世界の実体であると見ます。
こんな訳か・・。定義のようなものと言ってもいいし。
仏教プロさんたちとか、辞書その他の解説とは
意見が違うかもしらんけど、実相とは、
頭の中にあらわれた感覚に付けられた名前にすぎなくて、
目の前にある世界とか、ありのまま、とはちょと違うもの。
>>8
そうそう、お釈迦さまに教えたのは日蓮さまだからねw
予想としては、安楽行品は法華経の迹門ぶぶんにあり、
日蓮仏法は本門を重視するから、
迹門の行法はすべて無視してもぜんぜんオケー。
という言い訳になるのかと思ってた。
北伝南伝、インド原典と漢語訳は比較すればかなり違うけど、
それ以前に現代常識の目でみても、オカシイとこが
多すぎるんだな、それと宗教にかんけいなく、
一人の人としてどーなのよ? という記述が多々・・。
>>50
法華経を骨董品のガラクタ扱いにするのはなかなかいいなw
確かに日蓮御書の真偽鑑定とかは、骨董屋の世界だもんね。
日蓮さまも「末法なれば、法華経もせんなし」って言ってるわけだし、
このリクツで安楽行品のムジュンをゴマかして
押し通せば、意外といけるかも・・。

80 :
それと、勤行に使う方便品と寿量品のセットについても
ひとこと言いたかったんだけど、
これって自分で自分に暗示をかける
セルフ洗脳プログラムだと思ってるんですが・・。
最初にいきなり方便品で、仏の知恵は難解難入ですぅー♪、
ってぶちかましてくるわけじゃん。
これ見たら、あっ、俺たち凡人にはそう簡単には
わからないハイレベルな内容なんだな、とか刷り込まれて、
それならおエラい坊さんや、信濃町の知ったかぶりで
他人の箸の上げ下げまでいちいち指図する連中にも
まーいちおう従っとくか、となるわけで。
それでそういう指導者ぶった人たちの言動がオカしかったとしても、
きっとこれはお釈迦様の言ってる方便ってやつだから、
甚深無量な隠された智慧があるんだろーな、
と善意に解釈を始めます・・。
そして寿量品に流れて最後のあたりまでいくと、無能説虚妄で、
あなたたち凡人の考えることはすべて間違いですからー♪
となってギモンをもたない意識構造にだんだん改造されていくんだろうね。
オマケの名医のたとえは人を助けるためなら、どんな嘘をついてもすべてオケー♪。
で、ここに絶対服従の洗脳プログラムが完成されました。
となるわけで、でもこれって毎日毎日信者さんが、
自分で自分に暗示をかけてるわけで、ついでに洗脳が覚めないように
保守点検まで自分でやってくれるんだから、日蓮教団としては
洗脳信者の維持管理がまったく手間いらずのホントよくできたプログラムですよね、
日蓮さまってやっぱ天才だわ・・。

81 :
>>80
>それと宗教にかんけいなく、一人の人としてどーなのよ? という記述が多々・・。
まったく同感です。

82 :
>>80
まーそれでさ、こういう自分たちに敬意を払ってくれて、
あれこれ生活の足しになる面倒もみてくれる信者さんたちを、
まるで奴隷ロボットのようにしか考えていない宗教家
ってのはホントけしからんことだと思ってるんですけどね。
自分で考えることをさせないわけでしょ?
ギモンを持つことが罪なわけでしょ?
人間としては完全にクズの連中でしょ。
心根も卑しいし、
現金を貢がせることにしか興味を持ってないし。
どうして自分に敬意をはらってくれる信者さんを
大切に考えることができないんでしょうかね?
まったく理解できんところだけど・・。

83 :
>>75
お答え、ありがとうございます。

>空はゼロと同じで、その意味で無でもあるが、空は「実体がない」すなわち「実体において無である」という意味なのだ。
ということは、実体の無い幽霊や天使や悪魔、ドラえもんはいる(ある)と言ってもいいわけですよね。
とすれば、空とは無いとも有るともいえるといえませんか?

84 :
>>78
般若心経に関する研究を論理的に考えれば、
「般若心経が中国起源だとは思うが、仮に中国起源でも内容の卓絶性は疑いようがない。」という立場。
なら論理的だとおもいますが、
般若心経が中国起源とは思わないという結論は論理的にありえないとは思いますよ。
般若心経に対してかなり非論理的な思い入れが入っていませんか?

85 :
>>75
そうしますと、色即是空、空即是色とはどのようなことであると?
色はあるが中身はカラ(空)ということで、例えば竹のようなものか?
結局のところ、釈迦の教えたことはこの“カラ”の話なのだろうが、それは無意味な説法だったことになるが。
>>76
意見の交換をするのもいいけど、根拠の提示なくして妄想だけのスレにはしたくないな。
なにかしらの基準に沿って、ロムる人達も確認を持ちながら調べ学ぶことができると思うが。
>目的は日蓮仏教を含めた仏教の深い理解です。
ならば余計に文証に沿った意見交換のほうが分かり易いと思いますが。
なんとなくだが、もしそのゼロが実体であるという答えならば、虫食い算のように式を組み立てていうような議論のほうがいい。
ただね、私の疑問は、式を教え説いてきた釈迦が最後に・・・「さぁ、菩薩達よ いままで教えてきた諸法にゼロを掛けて計算してみろ!」・・・なんて、そりゃ〜殺生ですわww
>>77
その釈迦の居眠りの・・・永いこと永いこと。w
>>79
「末法なれば、法華経もせんなし」
と、云っているわけだから、上行菩薩の出所も用いる必要なしってことにもなるわけですなw
>>80
その薬は「色香ある」ものらしいが、・・・・私はこのように言いたい。
「色即是空と仰ったアナタ様、釈迦牟尼仏陀殿、・・・どどどどっどういうことか?美味?」 、とね。(>>29般若心経参照)
なんだよこの大乗仏教のいい加減な教えかたわww
そんで“難信難解”なんだと。こんなことまともに考えられるわけないじゃんw
いくら方便だからって、それを聞いておられる菩薩殿の器をバカにしておられたのかね、釈迦殿は。
>>82
そうか!そうなのか!・・・・“難信難解”なのだからロボットのままでいればいいと言っているわけだなwwこれこそ心なき空の実体だな、あ〜こりゃこりゃ。

86 :
>>80
本当にそう思います。
>最初にいきなり方便品で、仏の知恵は難解難入ですぅー♪、
>ってぶちかましてくるわけじゃん。
>これ見たら、あっ、俺たち凡人にはそう簡単には
>わからないハイレベルな内容なんだな、とか刷り込まれて、
>それならおエラい坊さんや、信濃町の知ったかぶりで
>他人の箸の上げ下げまでいちいち指図する連中にも
>まーいちおう従っとくか、となるわけで。
特に子供の頃からやられたらイチコロですよ。私もやられたクチですから分かりますが。
空などまったく理解も遠くおよばないものだと思っていました。
いまではそうはおもいませんけどね。
だれでも理解できるものだと思いますよ。
>毎日毎日信者さんが、
>自分で自分に暗示をかけてるわけで、ついでに洗脳が覚めないように
>保守点検まで自分でやってくれるんだから
うまい表現だなと感服いたしました。
本当にそうですね。

87 :
>85
>ならば余計に文証に沿った意見交換のほうが分かり易いと思いますが。
現証に過ぎたるはなしと言いますが、私の場合、素粒子物理学や数学、脳科学の知見から見て、仏教の奥深さを再認識したクチですので、
文証を軽視するわけではないですが、あまり関心がなく曖昧になっているのが正直なところです。
ですので、文証をしっかり示してくださる方はたいへんありがたいと思います。

88 :
>>83
毎度のことですが、失礼横れす。
“空瓶”を思い出してみてください。
中身のない瓶のことですね。
瓶は実体として存在するけど、中は空なのです。
信者達の必要とするのは、瓶ではなく中身なのですが、般若心経を信じている輩達はその瓶さえも空と言っているようなニュアンスですね。
どっちにしても役に立たないものではないでしょうか?

89 :
>>87
宗教に携わる者達が求めるているのは御利益なのです。
物理学、数学、脳科学で、この御利益がどのような物かということが解明できるでしょうかね?
「科学の発展により仏教の正しさが証明されるであろう」と言っていた宗教団体が創価学会さんでしたが、唱題行や他宗教の座禅行によって何が得られるのでしょう。
なにも得ることができないのです。正しく“空”なのです。
科学や空思想に興味を持ちはじめた者がいたならば、多分には「宗教などやめてしまえ!」と自らに結論をだすと思いますよ。
なにも無い物を探して求めている姿は滑稽でしょ。

90 :
>>83
話がループしている。どっと疲れる。空性は本質的な実体についての認識であることはすでに説明した。
名称を伴う観念だけでは実体があるとはいえないのだ。あなたはボサッとしているが、ボサツではない。
>>84
私が心経を中国起源であると思っていれば「仮に中国起源でも」と仮定法で語る意味はない。
私が中国起源であるとは思わないからこそ、「仮に中国起源でも」と言ったのである。
なぜ私がそう思わないかを、あなたのような頭の人を相手に述べることは、たいそう煩瑣であり避けたい。

91 :
>>85
色即是空、空即是色についての私見は既に述べた。心経については古来から多くの注釈書、解説書、通俗本がある。
ご自身の頭と相談しながら、2,3選んで読んでみてはどうだろうか。レスから察すると通俗書をおすすめしたい。
>>88
およそ何事も、それを理解できない当人は「役に立たない」ものであると判断することは当然であろう。
日付とともにIDは変わっているが>>89もあなただろう。同じことを言っているから。

92 :
>>85
色は二千年前の漢音の発音だとショクになるんだけど、
このショクの音で検索すると、識の字がひっかかる。
識(色)即是空
当て字でしょ、たぶん。
これだと空は識の反対言葉だから「不識」となって、
わからない、知らんがな、理解できん・・・、
認識が空っぽ、という感じ。
さらに認識していない状態と意味をとらえれば、
見ちゃいない、聞いちゃいない、考えてもいなかった・・、
となって、同じく般若心経にある、
無眼耳鼻舌身意。
の六識しゃ断の記述につながるから、
ある種の認識しゃ断とともにあらわれる頭の中の感覚、
という意見だな。

93 :
>>86
しかし、方便品と寿量品のセットで、
どんなにオカシイことがあってもすべて方便であり。
その裏には甚深無量の深ーい仏の知恵が・・、
とシロートさんに刷り込むMCテクニックは
うまく考えたな、と感心はするけどね。
他にも、無疑曰信とか、以信代慧とかの洗脳キャッチコピーが
用意されてて、疑いを持つことに対して罪の意識を感じるように
巧妙な工夫がされてると思います・・。

94 :
般若心経は、サンスクリット語の写本が
法隆寺に保存されてるみたいね。
中村元ちゃんの岩波文庫に写真のってた。
その中身は意識トレーニングマニュアルの初歩入門編、
と理解すればわかりやすいし、逆に神秘で深遠な真理が・・、
とか言ってると永遠に意味不明でしょ。

95 :
ところで>>72が「大体日蓮は全ての経典に言及してる」と言っているが、たとえば日蓮は心経について言及しているか?
私には日蓮は小乗はおろか大乗の教学についてもほとんど無知だったとしか思われない。日蓮が系統的に仏教を修学した形跡はない。
日蓮が引用する経典は限られており、しかも切り文によって自説のこじつけに引用しているだけである。

96 :
>>89
>物理学、数学、脳科学で、この御利益がどのような物かということが解明できるでしょうかね?
脳科学的に言えば、強い信仰心が本人の内部表現のリアリティを変え、学会風に言えば「人間革命」し、理想の自分を実現する。
それをご利益といえると思います。ですので、信仰対象はなんだっていいし、信仰がなくても、内部表現のリアリティの書き換えさえできれば
催眠を使おうが麻薬を使おうが、信仰がなくたっていいわけです。
>唱題行や他宗教の座禅行によって何が得られるのでしょう。
座禅は瞑想ですので、目的達成に不必要な感情や雑念を心から取り払い、前頭前野の活動を活発化させIQを高める効果があります。
唱題行は単純な動作の繰り返しにより脳内にドーパミンが流れるといいますよね。ドーパミンはセロトニンに変わりますので、心が落ち着く効果くらいは
最低限アリます。
また、唱題行は強力な信仰心があればの話ですが、目標達成へのエネルギーの補給の時間ともなるでしょうね。
>なにも得ることができないのです。正しく“空”なのです。
空というのは何もないという無の意味ではありません。有るとも言えるしないとも言える、有るともないとも言えない、そういう概念です。
唱題行や座禅の功徳もそういうものです。
本人があるとおもえばあるし、無いと思えば無いのです。空なのですから。

97 :
>>92
>無眼耳鼻舌身意。
これは般若心経が道教の無の思想の影響を受け、空の理解を妨げる誤解の元となる表現です。
空眼耳鼻舌身意
なら正しい表現です。
>>29さんも
>こりゃ死人かバカボンのパパですな。
>っていうか、わたしどっと疲れますた。すみません。
と、混乱されていますように、
眼耳鼻舌身意のすべての感覚、心を無いと言い切ってしまうのはやはり人の自然な感覚としておかしいです。
眼耳鼻舌身意という感覚や心は無いのではなく、空です。有るとも言えるし無いとも言える、有るともないとも言えない、そういう存在です。
ですので、そんなあるのか無いのかどうとでも言える感覚や心に左右され、囚われて生きていくのも馬鹿らしい、
悩みや苦しみにとらわれる生き方から自由になること、それが空を生きるという生き方ではないでしょうか。

98 :
>>95
>私には日蓮は小乗はおろか大乗の教学についてもほとんど無知だったとしか思われない。日蓮が系統的に仏教を修学した形跡はない。
日蓮が引用する経典は限られており、しかも切り文によって自説のこじつけに引用しているだけである。
私は貴殿ほど日蓮を研究していないから、判らないのですが、日蓮が無量義教と法華経と
涅槃経を自らの教義の依経としたのですか?
私は涅槃経と無量義教の内容に仏教の全てが含まれていると思うのです。
しかし、例えば阿含経では、空の説明は具体的でそれは自分の血と成り肉となり、
自分の吸う空気となると感じるようなものですが、大乗はそれを単に空であるというだけで、
それは日蓮が法華経の題目が一番大事だというのに似ていると思う。して、涅槃経や無料義教が
空に付いて言う時は初歩的な説明はしないね。日蓮がこれらの経典を読んで、
空の意味が理解していたなら、法華経の題目が一番大事だとか、一念三千がどうのこうのと
言うのが、理解できないのです。法華経自体も、虚空会の儀式に置いて、法華経とは平等大慧の法であると言ってますしね。
だから日蓮は仏教の基本として空の理解がなかったので葉とも思うのです。
しかし、彼の遺文集は85パーセントほども涅槃経の文言を利用しているのではありませんか。
私は今>>73の答えを思索しているんです。

99 :
>>91
>>13にて “空の思想は神はもちろん仏や、はては空という観念そのものにも実体がないと説くのであって、”
とのことであるならば、その私が読むべき内容の通俗書、注釈書、解説書などの文字は何物ぞや?
君からすれば、その理屈書も空ではないのかね。
注釈書なる大智度論などを読んでもみたが、それで納得できる奴ってどういう神経をしているのかと考えてしまうのだがね。
「こんなもん、なんにも役に立たん!」・・・と思う私こそ君達よりは空思想の行者だと思っておるのだがw
君は何故にその空思想にそこまで執着するのであるのかが疑問ではあるが・・・どこかの信者さんですかね?
いやぁね、そこの所の教義が如何様なものかと調べてみたいものでね。
>通俗書をおすすめしたい。
ありがとう。
私から君にもお薦めするとしたならば、書物だけで頭デッカチになるよりも次の満月の夜に水に写る月でも観察してみてはいかがか。
頭が重すぎて・・・・溺れないようにね。

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