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★日大闘争70'〜90'


1 :2009/04/30 〜 最終レス :2013/10/17
以前あった日大スレは反動的管理人により消去された(これ、事実)
よってここに新たに建設を勝ち取ることにする(なんて、ねw)
  78第7回幻法祭基調  <その1>
1978年に於ける総決算としての法学部幻法祭は、その内実たるや莫大なものを持っている。我々は、自らの自主的創造的活動を発展させ、
その阻害物としての諸問題を解決せんがために、ここに学部祭を敢行することを宣言し幻法祭を導火線として
より一層の活動的向上を勝ち取らなければならない。
日大本部ー法学部当局の学生弾圧は、76年学費値上げ阻止闘争に対する強権的圧殺以降、ますます強化されてきている。
とりわけ今年5月11日の暴力的集会破壊にはじまる暴力的強権的学生弾圧は、
学生の自主的・創造的活動に対して露骨にその攻撃がかけられたものである。
すなわち5月11日の暴力的集会破壊及びそこにおける「学生課職員」岡孝の学生に対する暴力事件、
5月22日の情宣活動中の学友に対する職員集団の恫喝・監禁事件・「父母・保証人召喚」による処分策動、6月5日に大学当局の学生弾圧に対して焼身抗議を行った学友に対する大学当局の責任問題、
そして、その焼身抗議に対する布野学生生活委員長の「ノイローゼ発言」及び「たきつけ発言」等の問題がその具体的な表現である。またサークル室使用に関しても、
実際的に不当な規制が強化されてきている。

2 :
この5月11日以降の強権的・暴力的学生弾圧は、学費闘争以降の学生弾圧を延長・強化したものとみてとらなければならない。
すなわち、76年3月に発布された「学部長告示第3号」は今もなお機能しており、4号館は76年1月ロックアウト以降、5・6号館が同年10月に学生の総力で解放されたにもかかわらず、
現在、「外国文献資料館」という名目で、我々学生から奪い去られており、大宮校舎においては、昨年3月以降の学部長選抗争の責任は、我々学生に対して全く明らかにされていない。
また、昨年の幻法祭後に「第3研究室」を学生解放自習室として全学生に解放するという一定の成果をあげている、「司法試験指導センター」の解体についても、法学部当局は、
「センター」を「改組」する意向を昨年暮に明らかにはしたが、いまだに「センター」を残存させている。
このように、法学部当局は、学生の自由で自主的・創造的活動に対する弾圧を強化している。とりわけ法学部における唯一の公認団体であるサークル連合に対しては、
分断策動や全館ロックアウトを示唆するといった露骨な弾圧がかけられてきており、サークル活動を法学部当局が完全に包摂・支配せんと目論んでいることに注意しなければならない。

3 :
法学部、放蕩委いや法闘委の黒ヘル諸氏
自主講座、新聞思潮の赤ヘル諸氏
経済の西山処分撤回闘争諸氏
商・学文連オレンジ不落いやフラクの諸氏
理工理学連の黒ヘル諸氏(大江戸祭もいずこ・・)
文理、ご存知銀ヘル全文理連絡会議&黒少々・・の諸氏
芸の日大闘争を上映する会赤ヘル諸氏
農獣医の小林裁判闘争の諸氏
「日大闘争は継続している」の合言葉で
共に書きこまん。。
この中で最後の輝ける軌跡としては
自主講座系日大ジャーリスト会議や
オレンジフラク系学文連の砧祭が80年代後半まで
文理銀ヘルも同様まで存在(反憲学連粉砕!)
理学連系の大江戸祭が90年代初頭まで
活動が確認されています。
それぞれの思い、それぞれの日大闘争をどうぞ。
68,9年の日大全共闘の記録はそれなりにありますが
その後の日大アウシュビッツ体制、関東軍
常駐の時期から80'〜90'あたりの戦いなどを。。


4 :
懐かしい名前だねえ
「布野学生生活委員長」、もう鬼籍に入ったはずだが・・合掌。
この頃の戦う学生団体はサークル連合
一時期は法学部当局の公認団体になっていたし

5 :
「日大ジャーリスト会議」は'83年に日大プレスを創刊。
学生新聞を僭称しながら実際は日大当局の
広報誌である日大新聞に対するアンチテーゼであった。
全学的な運動情報なども掲載しており、法学部内に特化していない
編集方針だった。前身は新聞思潮である。
創刊号1面は法学部における自主新歓の報告など。
その他、4面には筑紫哲也氏がコメントを寄せている。
まあ、彼ら自身が運動体とは言えないが78法学部ロックアウト
以降、自主活動を学内で展開する志を持つこと=運動体と
いう側面をも持たざるを得なかったのも事実である。


6 :
中教審路線日大実質化、四・二〇文部次官通達粉砕
全学管理支配体制を阻止しよう。

7 :
今日大に学生自治会ってあるの?

8 :
さて、今宵も日大アーカイブのお時間です。
今回は商学部'86砧祭実行委のアピールをお届けしましょう(その@ね)
なお、一部抜粋であることを了解して下さい。
   
    <'86砧祭実行委員会アピール>
86砧祭に参加された全ての学生の皆さん、市民、労働者の皆さん、
86砧祭実行委員会より、若干のアピールを行っていきます。
砧祭は、日大の他学部で行われる御用学祭とは異なり、学生の
管理運営の下行われる唯一全学的自主学祭として、'70年以来
行われてきた。
日大商学部、商闘委を中心とした学生が、「日大闘争」の総括から
学術・文化系サークルを強力に組織化し、サークルの日常活動を
発表発展継承させ、学生自治を確立させるとの方針の下、
砧祭が準備された。
そして'70年、第1回砧祭が右翼反憲学連の妨害策動を完全粉砕し開催、
大成功を収めた。'86年砧祭は、70年以来の学生自治の精神を引継ぎ、
自由で創造的な学術文化構築を目指し、一層の学術文化の質的発展を
獲得すべく開催される。その為には、各サークル構成員の、活動に対する
厳しい検討、目的意識の発生とともに、日大当局及び国家権力による
管理抑圧体制への断固たる批判的視点、対決的観点が必要であるし、
そこからのみ真の学術文化が、そして、個の確立が克ちとられるのである。
            
 

9 :
              ・
              ・
砧祭においては、我々砧祭実行委員会に対し、情宣、予算、日程、届出等
に対し、不当極まりない、自治を踏みにじらんとする大学当局による
弾圧が行われている。具体的には、ビラ、立看板、ポスターの掲示板の
固定化、10年来、砧祭統一企画予算100万円据え置き、学祭日程の固定化
などの、学生の主体性の無視ともいえる攻撃が行われている。
加えて、名簿提出、企画内容の提出等の要求を実行委に行い、よって学祭
の内部を把握、掌握し、ゆくゆくは、現在、日大法、経、農獣医等に
見られる学祭のごとく、企画内容をチェックし、学生の表現の自由を奪い、
大学当局の決定権による御用学祭化を狙っていることは明白である。
我々は、こうした資本延命の為に奉仕することなく断固として、
あらゆる搾取抑圧からの解放を獲得しなければならないのである。
 

10 :
         ・ 
         ・
我々、日大商学部学術文化団体連合会は、'71年、大学の主体たる学生
の、自由で創造的な学術文化の構築、学生自治権確立を目指し、
大学当局、権力による管理抑圧を打ち破る為に先進的文系サークルの
結集のもと、結成された。
学文連は学生自治権確立を目指し、具現化すべく、学生の主体的意思
をその中核とする、唯一全学的自主学祭=砧祭を提起してきた。
我々は砧祭に対する大学当局の不当な弾圧を粉砕し、強力な組織化に
成功し、自主学祭を守り抜いた。
我々学生は自主学祭で確固たる、学術文化、人間の個の存在を問い
直すとともに構造上、管理抑圧から、真の個の解放を、獲得しうる
方向性を持ちえなければならない。

11 :
          ・
          ・
したがって、大学当局とともに、日帝の目指す、”総決算攻撃”
新国家主義復活による、差別排外搾取抑制(低賃金労働者、第三
世界人民)、反革命戦争準備、労働運動解体をも断じて許しては
ならないのである。
自主学祭の場を通じて、学生の個の管理抑圧からの解放、全ての
抑圧された人民の解放とは、何かを、左右日和見視点を廃し、
全ての市民、労働者、学生の皆さんに考えていただきたく思います。

12 :
で、'86砧祭の本部企画講演会には
菅孝行の「教育論」と、岡本引吉の「国鉄分割民営化とは!」
の2本立て。この年は天皇在位60周年の年であり、
翌'87年春には当時の中曽根内閣によって
分割民営化が行われようとしていた時期の学祭だった。
もちろん、お約束の「日大闘争の記録」は、大教室で上映会
が行われていました。。

13 :
古田おじさんの死因は何だったんだろう?

14 :
『新版・反逆のバリケード』読みました。感動です。

15 :
よし! 法政来い!

16 :
いつの世も一握りの「支配者」に都合の良い人間を創り出すための
強権的学生管理支配と、己の「営利主義」を結びつけ、学生のあらゆる
権利や人間性までも奪い去らんとしてくる輩=大学があるんだよ。
それにノンを言った学生たちの記録が「反逆のバリケード」である訳で。
まあ、あの書籍に記録された以降の戦い('70年〜)のあれこれも書き繋げれば・・
などと思いスレを立てたわけですね。2CHだからね、ノイズも排除出来ないし、
それぞれの思いを気ままに書いて下さいっていう趣旨ですので。。
で、15さんの意味わかんないけど。今さ、法政が熱いよね。
すれ違いだけど、一応敬意を込めて。
「法政大学文化連盟」の戦いに注目!ね。。
http://08bunren.blog25.fc2.com/


17 :
これだね。俺も「いなせな銀ヘル」被って出かけるわ。アンタもどうよ。
■千代田の春ー法政けんか祭り【風流】
うららかな天候に恵まれた24日午後、千代田区の法政大学市ヶ谷キャンパスの正門前で、
中核派170人と警察官約200人によるけんかまつりが、今年も盛大に行われた。
「法政けんか祭り」は、約40年の伝統を誇る法政大学の神事で、
揃いのヘルメットと手ぬぐいのイナセないでたちで、赤い旗を振り、ビラを撒きながら警察官と激しくもみ合い、家内安全、無病息災を祈願する。
中核派のかつての繁栄をしのばせる貴重な神事として、平成9年には国の重要無形文化財に指定された。
警視庁公安部によると、このけんか祭りで年男の活動家合わせて6人がめでたく留置所に安置されたという。
世話人の活動家、法楽吉二郎さん(67)は、
「昔は町内の人たちが私らに、力水や塩や石を投げ付けて盛り上げてくれたもんです。今は後継者が少なくてねぇ…まだ私も現役ですよ」
と寂しく笑いながら火炎瓶を投げ飛ばしていた。
法政のけんか祭りが終わった東京は、間もなく初夏を迎える。

18 :
さて、今宵も日大アーカイブのお時間です。
今回は経済学部'80自主新歓における
「学内管理支配体制抵抗委員会」よりのアピールです。
なお、一部抜粋であることを了解して下さい。
        <学内管理支配体制抵抗委員会>
現在の経済学部の状況は、まさに重弾圧体制下にあります。学生の自主的・
民主的活動は一切許されておらず、学部当局の学生管理支配の下で学生は
鎖でつながれた奴隷と化し、身動きできない状況にあります。
こういった状況は’73年に学部当局が行ったサークルの再編を発端とする
一連の反動化政策によって生み出されたもので、中教審の「筑波方式」と
呼ばれる管理体制を日大実質化として先取りしたものなのです。
'73年、学部当局は3号館完成移転による本館スペースの使用を一方的に取り決め
、サークルとして認めるものと認めないものを区別し、部室・部費割り当てを
強行したのです。そして学生の側が部室部費獲得実行委を結成し、大衆的運動
へと発展すると、右翼暴力ガードマン「関東軍」の導入によって大弾圧を行い、
学館を封鎖し、その後は関東軍の常駐の下で、現在も強行されている検問
(学生証チェック)・検閲・届け出・許可制という重弾圧学内管理支配体制
を完成していったのです。

19 :
                ・
                ・
現在、経済学部における重弾圧体制は、当時と変わることなく続いており、
学生の諸権利もまた、奪われたままなのです。そして学部当局の学生管理は
ますます巧妙になり、サークル団体やゼミナール団体の御用派執行部を利用
して、学生による学生の管理という形で自分の手を汚す事なく、実体をベール
に包んだ形で管理強化を進めているのです。
また、当局の「暴力装置」となっているのは一部体育系サークルで、いつも
学内を我が物顔で徘徊し、春のサークル部員募集期間においては、暴力を
背景にした新入生の強制勧誘が当局の保護の下で白昼横行するという事態が
毎年のように起きているのです。そういった中で'77年には、ついに強制勧誘
が原因となった「A君死亡事件」という絶対に許す事のできない惨事が起き、
学内管理支配体制の矛盾も頂点に達したのです。

20 :
             ・
             ・
このような経済学部当局の強権的・暴力的重弾圧体制に対し、我々抵抗委
はこの1年間、ビラと直接アピールによる暴露情宣を中心に活動してきました。
そして6月には経済学部本館西門前で圧倒的なアピール情宣を最後まで
貫徹し、学部当局者を震撼させ、翌日水道橋で多数の学友の結集をもって
「日大闘争の記録」上映集会を克ち取りました。
我々はこういった闘いの中で、我々が解体していかなければ学内管理支配
体制は、中教審路線の日大実質化であることを身をもって理解しました。
そしてそれが故に、我々はそういった把握をしっかり持ちながら、学内に
おいて一歩も譲ることのない、非妥協的闘いを貫徹しなければなりません。
全ての新入生諸君! 我々と共に学内管理支配体制を解体し学生自治権確立
へ向けて闘っていこうではありませんか! そして、全学生の手や足に
からみついている抑圧の鎖を解き放ち、日大解放を自らの手で克ち取ろう
ではありませんか!

21 :
>8
あの頃の商学部には中核のおんなの子がいて、中核派日大支部のビラをもらった
ことがある。うん、確かな記憶。

22 :
さて、今宵も日大アーカイブのお時間です。
今回は理工学部'80第5回大江戸祭における
「大江戸祭実行委員会」よりのアピールです。
なお、一部抜粋であることを了解して下さい。
     <テーマアッピール>
まず確認しなければならないことは、我々が志向する「学祭」とは何であるか、
ということである。日本古来、現在に至るまで「祭」と称されるもののほとんど
が、権力者によって民衆のエネルギーを発散させ、本質的悪である権力への
抵抗意識を減退させてきた否定に値する事実は、我々に直接つき刺さってくる
問題である。又、我々を取り巻く文化状況はまさに、権力、マスコミによって
我々の文化活動を画一化し、資本が望む形でしか我々の自己表現は許されない。
学内に於いても我々のサークル活動は、7号館サービスセンター、学生用掲示板
の設置等によって規制を受け、習志野校舎に於いては、学生課の許可なくしては
いかなるサークル活動、ビラを張ることさえも許されていない。このような
学内管理支配体制は、権力の提唱する中教審答申路線と一体となり、帝国主義的
発展をとげた資本に見合うような、次期労働力商品としてのより高度化された
学生を作り出すため、ますます強化、再編されてきているのである。

23 :
             ・
             ・
又、学部当局は漸次理工学部習志野移転策動をもって、自己を貫徹しよう
としているのである。このような状況の中、現在の大学とは、正に支配者
階級に積極的に奉仕する人間を製造する工場でしかありえないのだ。
したがって、権力=日大総資本は我々学生の文化活動にさえ、その帝国
主義的教育再編を貫徹するために管理=弾圧の手を緩めないのである。
すなわち権力による秩序集約として存在する現在の「祭」「文化」を
いかにして我々の「祭」「文化」として奪還するかである。
その解答は'68〜'69の全国学園闘争の中で行われたバリケード祭にある。
それは日常的闘いへの係り方の模索と実践の中から生まれ、完全なる
学生単独自主管理、自主運営の基に行われたものである。
我々の志向する学祭とは正にこれである。
あらゆる弾圧をはねのけ闘う者の「祭」を構築せねばならない。

24 :
そういえば、自民党や民主右派と共闘しようとあがいてる民主統一同盟なる右翼団体のおじいさんたちが「日大闘争はわれわれがやった。今は政権をとる時期にきた」といってたとか、いってないとか……。
あ、あいつらML残党で、岡大の人殺しだったか。

25 :
>>24
その幹部の一人は愛知県で市長になってるよ。

26 :
>>25
知ってるよ。人殺しのくせにね。

27 :
>>26
許せるかい?もちろん刑期は終えているよ。
でも新○市の市民は自分たちが選んだ市長が
昔とはいえ、人を殺したことを知っていて選んだのかな。
俺にはそう思えないよ。

28 :
>>27
どっかの新聞が内ゲバの過去を本人の学生時代(?)の回想として載せてたみたいね。
それはネットで読んだ。でもあの事件は内ゲバ事件というより一方的な襲撃で、凄惨すぎる。
刑期終えてりゃそりゃ法律上は問題ないだろうが、同義的責任はなんらとっていない。
マル青同総体も民統同もね。本人は民統同から離れてるんだっけな?
でも許せないね。

29 :
日大なのに秋田明大とはこれいかにと当時のニュースショーで言っていた。
また灯台もと暗しならぬ、東大見通し暗しとも言っていた。
秋田明大は、たしか指名手配中に雪かきしていた所を捕まったことを覚えて
いる。潜伏中なんだから雪かきなんてほっとけよと思った。中学生の頃のお
話です。

30 :
秋田さんらしいな。今は中国の人と結婚して小さな男の子がいる。
当時の写真を見ると、かっこいいよね。

31 :
新聞思潮を編集、配布していました。30年前の話ですが…。
あの頃、学部長だった鵜沢義行、学生生活委員長だった布野栄一、
反動4教授と呼ばれていた中山政夫や杉山逸男などは、みんな鬼籍ですかね。
まあ、私たちが50代なのですから、仕方ありませんね。

32 :
日大OBじゃないけど『日大を許さない』今も持ってます。

33 :
初心者なので質問です。
80年代に山谷で金町一家と激突していた「日大銀ヘル」はその後どうなったのでしょうか?

34 :
>32さん
31です。『日大を許さない』を作ったメンバーは私の後輩です。
当時、水道橋の旭屋書店ではベストセラーになりました。
あのときのメンバー、いまも東京周辺で生きています。

35 :
>>31さん
その頃の、あれやこれやを人定されない程度で
色々と聞かせて下さいね。
法学部にも様々な潮流があって、立ち位置によって
見えていた「景色」も違っていたでしょうから。。
「日大を許さない」は、日大生こそ読み継がれるべき本ですね。
ああ、「反逆のバリケード」もですが。。
当時(70'後半〜80'前半)の、法学部メインの記録としては
「擬制に抗する<正史>」という書籍もありましたね。
これは取り次ぎを通していないかもしれませんが・・。
>>33さん
う〜ん。80'後半、全国学生共同闘争後の銀ヘルの動向は関係各位の
コメントを待ちたいのですが・・。
近いうちに文理学部のアーカイブも載せるつもりです。

36 :
》35さん
ありがとうございます。

37 :
>あのときのメンバー、いまも東京周辺で生きています。
それは何よりです。
当時は遠く京都の地から、反憲学連と闘う皆さんを密かに応援しておりました。
『インパクト(後インパクション)』にも何度か取り上げられていましたね。
『日大を許さない』、引っ張り出してみましたよ。いやー、久しぶりに見たけど、
やっぱりこのカバーデザインは問題あると思うがなあ(笑)
で、内容は・・・すみません、まだチラッと眺めた程度です。
でも関東軍と対峙する銀ヘル(?)の写真、いいですね。武装せる反憲学連の
写真も不気味です。
奥付を見ますと83年12月発行・・4半世紀前ですか、下半身も衰えるはずです(苦笑)

PS:ところで、法政大学も酷いことになってるようですね。文連頑張れ!

38 :
>「擬制に抗する<正史>」という書籍もありましたね。
これはきっと立命全共闘の『支配に抗う<正史>』に
インスパイアされたんでしょうね。

39 :
「日大を許さない」発売前後に法学部に在籍し、自主講座の周辺にいました。
当時「反検問通信」というビラを毎日配ってましたが、84年くらい?にみんな辞めて二人(?)だけ残りました。
その時の「自己批判文」?を読みましたが、「ガサ対でエロ本をどうするかで揉めた、女性差別主観があった」
みたいなことが、書かれてた記憶があります。
今から思えば、20代前半の独身男性の部屋に、エッチ本の一冊や二冊ある方が健全だと感じますが、
当時はそうもいかなかったのでしょうね。
皆さん、元気にしてらっしゃるのでしょうか?

40 :
31です。
>◆5WpQqN6fEc さん
あの時代の出来事は、今でも鮮明に記憶しております。新聞思潮や日大プレス
のバックナンバー、「擬制に抗する<正史>」も私の書庫に眠っております。
78年のロックアウトや幻法祭の圧殺、暴力団員をガードマンとして雇っていた
当局の学生弾圧の歴史を思い出し、久方ぶりに胸が熱くなってきました。
>39さん
「反検問通信」を配っていたのも、私の後輩です。
新聞思潮は1973年に創刊されており、当時、日大法学部のサークル新聞研究
グループが発行しておりました。76年にサークル連合が当局(石川才顕学生
生活委員長時代)に公認されてからは、5号館に部室をもっていました。
その後、サー連を牛耳っていた現代法研究会らと対立して、77年に部室を
自主閉鎖。78年11月の全館ロックアウト、サー連委員長らが神田署と公安に
逮捕され、サー連が非公認団体化されました。
新聞思潮は当局から白眼視されながらも、83年までは活動を続けました。
そして、84年に新聞研究グループが活動内容に関する内部対立で、2派に
別れることになり、そのひとつが日大プレスを発刊することになったわけ
です。

41 :
>>31さん
コメント、ありがとうございます。
あの頃から長い年月が近く経つとはいえ、
やはり鮮明な記憶なのですね。。
では、その頃のブル新報道からひとつ。今宵のアーカイブを・・。
       <1978年・12月3日 朝日新聞>
     日大  管理めぐり暴力ざた  (大見出し)
     学生・ガードマン衝突 学生けが(小見出し)
大学の管理、運営などをめぐり大学側と学生側の対立が続いている東京千代田区三崎町
二丁目の日大法学部(鵜沢義行学部長)本館前で二日、集会を開こうとした学生ら約
三十人が、大学側が雇い入れたガードマン約六十人から暴行され、近くにいた学生一人
がけられるなどで頭や腹、足に二週間のけがをして入院した。この学生は、近く法学部
と学部長をRする。同学部ではロックアウトを解いた先月二十七日以来、本館の警備
を強化、入り口を三ヶ所に制限し、学生証による検問のほか、バックまでチェックする
態勢をしいていた。
              ・
              ・
文化団体など八十七サークルでつくるサークル連合(××××委員長=新聞では実名)
などによると、この日午前十一時半ごろ、本館一階ロビーで同連合のメンバー約三十人
が「検問・検閲の廃止」「暴力ガードマンの追放」「サークルボックスの解放」などを
叫んで集会を開こうとしたところ、近くにいたガードマン約六十人が、いきなりなぐり
かかった、という。


42 :
           ・
           ・
同学部は授業料の値上げ問題をめぐり紛糾した直後の五十一年三月、
@学部の教職員、学生およびとくにあらかじめ許可された者以外の校舎内への
出入り禁止 A校舎内でのヘルメットの着用および凶器類の搬入禁止 B校舎内
およびその周辺における電動メガホンの使用禁止、などを決めた告示を出した。
しかし、サークル連合やゼミナール有志など学生側は、最近こうした告示の撤廃
のほか、大学の民主的運営を叫んで、大学側との話し合いを求めていた。

43 :
>>40
「新聞思潮」なんとなく思いだしました。
党派的にみると、第四インターが介入してきて割れたんですかね?
83年当時は、「11・30実行委」というのはすでにいなくて、代わりに戦旗荒派が登場してました。
法学部当局も、80年代に入る頃から、手荒なことはしなくなったようですね。

44 :
「新聞思潮」OBの31です。
私がいた時代は、セクトと一線を画すということが不文律になっていました。
もっとも自主閉鎖した部室には黒ヘルがありましたから、まあ、そんなところ
ですが。
78年11月のロックアウト以降、中核派、第4インターなどの方々から共闘しよ
うなどとの要請はありました。
その後、自主講座で第4インター系の人がヘゲモニーを握ったことは、記憶して
います。「新聞思潮」の後輩たちの一部は文理の銀ヘル(全文理連絡会議?)と
共同歩調をとっていたようです。また、その頃、法学部当局から新聞研究グループ
の活動に対し、さまざまな圧力がかけられ、マスコミの研究活動だけをする少数派
と、新聞の発行をメインの活動として、他の活動家とも時には連携しようとする
多数派に分裂したように記憶しています。

45 :
関東軍は弱くて実力もないくせに粋がってたんだよね?
古田おじさん、もう少し骨のある番犬を飼わなきゃならんかったんだよ。
反憲学連の母体の団体、今や「ナンチャッテ愛国宗教」であることがバレてしまって
衰退に歯止めが利かなくなってしまったんだって。
飛田給の道場が閉鎖寸前の状況であるのが「実相」なのでありますww

46 :
>>45
反憲学連は生長の家が現体制になってから左にぶれたんだよ。90年代初頭かな。
生長の家自体は前体制派がいるので、まだ宗教右派色もあるが、ほとんどの宗教右派といわれる勢力は政治色を抜き始めた。
一番活発なのがキリストの幕屋ということをみても、もう往年の反共的勢いもってるところはほとんどないね。
国柱会みたいにオモテに出さないように活動してるところもあるけど。

47 :
商学部のオレンジフラクションについて教えて下さい。

48 :
80年代に、某学部で(文理ではない)で少しだけ活動してた。
運動に嫌気がさして止め、大学も辞めて一年後くらい?に、日大当局から実家に「就職の世話したい」旨電話が来て驚いた。
バブルの絶頂期でもあり、もちろん日大当局の世話になんかならなかったが、その話を親から聞いた時に「日大には負けた」と思ったよ。
70年代を当局なりに総括しての懐柔策だと分かってても、衝撃は大きかったなあ。

49 :
>>31さん
44の書き込み、拝見しました。
新聞思潮内で、いくつかの潮流があったのですね。
「自主講座、新聞思潮の赤ヘル諸氏」
と書いた、私の認識は誤りなのですね。
御教示ありがとうございます。
分りやすく言うと、赤と黒に分かれたのでしょうか。
この整理の仕方も問題ですよね(苦笑)。
自主講座系の方々が、文理の銀ヘルなどと共同
闘争の歩調を取っていた時期とは重ならないのでしょうか。
その頃は、確かにインター系だったような気がしますが。
'77.10.7に法学部自主講座、商学部学生戦線オレンジフラクション、
農獣医学部有志会議、文理学部全文理連絡会議の4学部の運動体で
【10・7日大決起集会】が法学部1号館ホールにて開かれており、
ここに「闘う側」における学部横断の萌芽をみているのですが。
もっとも、この流れは黒=法闘委の潮流とは違いますものね。。
>>47
基本ノンセクトで、当時の学文連内のフラクと思っていいかと。。
'71学文連という組織が創られて以降、砧祭や春文展などの執行部として
学生自治の牽引となる。遡れば全共闘の商学部闘争委員会を発端とする。
ヘルメットの色もオレンジで、黒文字で小さくOFと入っていました。



50 :
>>48
すごいですね。日大闘争以前にも活動家が
「授業は出なくていいい。学費も払わなくていい。卒業させてやる。ただし学内活動家だけはするな!」
こう取引を提示された話は読んだ事があります。

>>49
ありがとうございます。

51 :
末期に「歴史的文化財だ」と言われた,理工学部理学連(黒ヘル)
の終焉が,以下に記録されてます。これが唯一の記録じゃないかな?
http://www.bekkoame.ne.jp/~taka_no6/diary/diar0110.html

52 :
http://www.youtube.com/watch?v=pp73erX_7nk
そんな大昔のことより、こっちが大事とは思わないかね??
この馬鹿さよども

53 :
 最後まで残った理学連は他学部から見ても、本当に謎の存在でした。
>>51
 このクサレ御用学生の記録が唯一とは悲しすぎです。
 ぜひとも、闘う(った)関係者の側の報告キボンヌ。

54 :
他大学から見ても謎でした。
外の集会ではまったく見たことないけど、駿河台の近辺でメットデモしたりしてるんだもん。
他大ノンセクトとの関係は希薄だったようだが、中大黒とのつき合いはあったらしいですね。

55 :
今の日大で自治会はどうなってるの

56 :
>>55
もともとないじゃん。

57 :
ネタ切れ

58 :
そんな....

59 :
>>54
正確に言えば、「メット集会」ですよね。確か大学の敷地を一歩も出ないこと
が、当局(公安?)との間で密約されていたらしい、というのが当時の話でした。
 だから、メットは被っても集会だけで街頭デモはしないし、反戦やあらゆる社
会運動関係の集会には、理学連としては絶対に来ない(行かない)という「純然
学内過激派(?)」だったらしい。何とも不思議でした。
 検索してたら、マル共連の過去ログで以下の記録がヒットしました。
 懐かしい方々の発言ですね.
ttp://marukyo.cosm.co.jp/BBS/OLD-LOG22/10451.html
ttp://marukyo.cosm.co.jp/BBS/OLD-LOG22/10452.html

60 :
なるほど!当局と裏では馴れ合っていたのですね。
日大闘争自体も裏で「反古田派(鈴木端」が支援していたんでしたね。

61 :
80年代中盤頃に日大理工学部に在籍していた者です。
駿河台校舎の文連(文化サークル連合)に出入りしていて、
理学連とも近いところにいました。
確かに理学連は当時でもなかなかユニークな存在だったと思います。
文連執行部と学祭実行委員会(大江戸祭)を掌握していて、
学内ではそれなりの地位を占めていました。
でも彼らの活動そのものは観念的形骸的で一般学生の支持は得られていませんでした。
しかしだからこそ日大当局の弾圧を受けずに90年代まで存在できたんでしょうね。
文連事務室には古い文献が相当にあったけど、今はどうなってるかな?
三学連(理学連・法学連・芸学連)総決起集会の写真があったから、
それらの学部でも70年代末頃までは存在していたんだね。
でも当時の7号館のサークルボックスは泊まり込みOKの学生完全自治で面白かったなぁ
私の年代でもいろいろあったけど、今振り返ると楽しい日々だった・・・

62 :
連投すいません
85年か86年の大江戸祭のテーマは
「詐欺たる自由に鮮烈なる杭を打て!」だったと記憶している。
テーマの鮮烈で今でも鮮明に覚えている。
その翌年は漢文調の訳分からんテーマで記憶にない。
一般教養の国語の講師の方が当時7号館2階にあった文連事務室までいらっしゃって、
文法上の間違いを指摘されていたのを思い出す。
きっと滅茶苦茶だったんだろうなw

63 :
80年代、黒ヘルかぶって、駿河台でデモやったなー。
警察きて、密集って固まった。手を出されても手をだすな言われてたなー。
捕まっても黙秘しろとか。警察にたたかれ、ヘルメット取られた。
あと、中大(動物公園)に遠足にもいったなー。
いやだったけどw

64 :
ノンセクって言い方は2ちゃんではじめて知った。
70年大末入学組だがノンラジっていってた
自治会権力に「お前らのどこがラジカルなんだよw」って
せせら笑われたのもよき思い出

65 :
>>自治会権力に「お前らのどこがラジカルなんだよw」って
せせら笑われたのもよき思い出
俺なんか民青自治会に「クズトロ」って呼ばれてました。

66 :
声明(かけはし2009.2.23号)
革共同(中核派)再建協議会の自己批判は受け入れられない
中核派は、当時すでに革マル派との間で激しい内ゲバを行っていた。その結果、彼らは土地登記の形で身元を明らかにすることに大きな困難を抱えていたという。自分たちが参加できない運動はつぶしてしまうというやり方が内ゲバ的やりかたそのものなのだ。
日本革命的共産主義者同盟(JRCL)中央委員会
http://www.jrcl.net/frame090223b.html

67 :


68 :
深夜にお久しぶりのアーガイブス。
今宵は文理学部を。。
 
【4・25を突破口に、全国・学園からファシスト反憲学連を解体・一掃
 する全国陣形を構築せよ!】
呼びかけ 日大全文理連絡会議(銀ヘル)
昨年、全国一千名の学友を結集して闘い抜かれた4/19-20全国学生共同闘争
は、「反管理」の枠を越え、安保-改憲攻撃という政治課題を突き出しつつ、
全国学友が日大文理に端的に見てとれる様なファシスト学生運動を解体する
ことを80年代日本学生運動の重要な任務のひとつとして確認した。
私たちは、この昨年の全国共同闘争に引き続き、闘う全国の学友に、
ファシスト反憲学連を解体する全国陣形に向け4・25全国学生共同闘争を
呼びかけます。
             ・
             ・
全ての闘う学友諸君!
日本学生運動の分散・不十分性をつき、持てる力の全体重をかけ、
日大文理を一点突破せんとする反憲学連の密集した攻撃に対して、
日大生の更なる決起と、日本学生運動の戦闘的統一と前進をもって、
決定的な回答を与えなければならない。現在も逮捕者・重傷者を出し、
血を流し、闘い抜かれている日大闘争は、反憲が文理から退却すれば
決着がつくといったものでは断じてない。

69 :
おっと、HN間違えたw
では、<文理学部>の続きを。。
           ・
           ・
彼らが「文理を一点突破する」と言うのならば、それこそ彼らを日大の
奥深く引きづり込み、出血を強要し、首都圏-全国ブロックの最後の一兵
まで、安保-改憲攻撃・大学再編-四・二〇攻撃もろとも粉砕しつくすこと
こそ私たちの望むところなのだ!また、反憲学連各地区ブロック(動員)
をズタズタに引き裂き粉砕する具体的な大学間共闘の強化を戦取しなければ
ならない。以下、私たちは、対ファシスト戦の最前線から、四・二十五
全国学生共同闘争への参加を賛同大学と共に心から呼びかけたいと思います。
          ・
          ・
私たち学生は、全世界人民の攻勢に応え、また国内の戦闘的闘争と連帯し、
台頭するファシスト学生運動による白色テロルと天皇主義を軸とした学生
の差別・排外主義的統合-学園の兵営化・翼賛大学化を粉砕する全国闘争を
創出しなければならない。
全地球をおおいつくす熱核戦争が目前にせまり、日帝の戦争準備-差別・排外
主義的な国民統合-階級的労働運動・全人民闘争拠点解体の本格的攻撃が
煮詰まり、全国的な武装せるファシスト学生運動が開始されんとしている
今こそ、昨年の共同闘争を上回る全国二百五十万学生の統一と団結が要求
されているのだ。
共に闘わん!



70 :

      =スローガン=
★ファシスト学生運動解体!
★安保-改憲攻撃粉砕!
★大学再編-管理強化粉砕!
★新長期高等計画粉砕!
★三里塚二期着工攻撃阻止! 完全廃港を克ち取ろう!
★日本学生運動の戦闘的統一を克ち取ろう!

71 :
以下、賛同団体として(3月現在)として61団体が明記されている。
東京大学文学部学友会常任委員会
筑波大学4・25全学統一実行委(準)
日本大学法学部社会問題研究会
日本大学法学部自主講座実行委員会
青山学院大学社会問題研究会
茨城大学社会科学研究会
茨城大学新聞会
宇都宮大学全寮委員会
大阪芸術大学全学行動委
岡山大学社会科学研究会
神奈川大学全学自治会
関西大学1部解放研
関東学院大学有志
九州大学反安保・日韓連帯を闘う学生の会
九大文化総務委員会


72 :
原理研一掃明治学院大学全学実行委
県立愛知大学社会問題研究会
神戸大学国維寮闘争委
駒澤大学法・文・経自治会
埼玉大学4・25実行委
佐賀大学教育・理工・農学部自治会
佐賀大新聞会
芝浦工業大学T・U部自治会
信州大学新聞会
大正大学反戦行動委員会
大東文化大学有志
中央大学クラス・サークル有志
東海大学現代社会研究会
東京外国語大学4・20実行委(文サー連執行部呼びかけ)
東京学芸大学社会科学研究会
東京経済大学アジア・アフリカ研究会
東京農業大学反安保を考える会
東大C自活
東北大学文学部共闘会議

73 :
東洋大学雄弁会
徳島大学新聞会
新潟大学有志の会
広島工業大学技術問題研究会
広島女子大新聞会
広島大学反安保・三里塚連帯三月行動委員会
福井大学工学部学友会
武蔵大学全学自治会
室蘭工業大学社会問題研究会
明治大学学生会中執
明治大学経営学部学生会
明治大学商学部学生会
明治大学駿台文学会(U文自)
和光大学社会構造研究会
早稲田大学日本・ポーランド連帯学生交流会
横浜市立大学現代朝鮮研究会
立命館大学4・25実行委
花園大学解放研
        ・
        ・

74 :
65年3月、国際書記局から「日本支部」として正式承認。
 この時の組織構成は、委員長・栗原登一(=太田 竜、元日共)、書記長・山本統敏
 (=酒井与七)、政治局員・大屋史朗(=西 京司、元日共京都府委員)……。
65年8月、栗原派が「BL派」(ボルシェヴィキ・レーニン主義派)を名乗り、分裂。
67年8月、「BL派」は「武装蜂起準備委員会」と改称。
69年10月、傘下に学生組織「プロ軍」(プロレタリア軍団全国学生評議会)を結成。
70年12月、「国際共産主義者同盟結成委員会」を組織したが、栗原の指導力低下により
 72年には崩壊、黒ヘル集団化。
栗原分派により機能停止状態に陥っていた反栗原派は、
67年12月、山本を中心に「日本支部」を再建。
70年8月、大屋派を追放。
この間、社青同に潜入していた学生グループが
67年11月、「社青同学生班全国協議会国際主義派」を結成。
69年4月、「学生インター」(国際主義共産学生同盟)と改称。
71年8月、労働者組織「ILC」(国際主義労働者委員会)を組織。
75年2月、「学生インター」と「ILC」を統合し、「共青同」(日本共産青年同盟)を結成。
気になるのは、やはりこの後ですよね。
「ABCD」、その総括を巡り四分五裂、統一書記局(パリ)?から「日本支部」を
剥奪されるに至った80年代以後については、客観的にまとめられた資料が
見当たらないので、私もよく分かりません。

75 :
まぐまぐニュース!
http://news.mag2.com/archive/20091028100000
結婚詐欺師の女(34)周辺で男性6人不審死、連続殺人に発展か

東京都豊島区の無職女性(34)と付き合いのあった6人の男性が次々に不審死――サスペンスドラマも真っ青の結婚詐欺事件は、連続殺人事件に発展する可能性が強まってきました。
「今夜から2泊3日で相手と婚前旅行に行きます」という報告を最後に不審死を遂げた男性(41)のブログにはアクセスが集中していますが、28日午前現在、正常に閲覧できる状態が保たれています。
http://blogs.yahoo.co.jp/odyy8924
いっぽう、結婚詐欺師の女(34)のグルメブログはすでに削除されていますが、こちらもGoogleキャッシュで閲覧できるようです。
http://74.125.153.132/search?q=cache:DojEcgrDR1cJ:cookpad.com/

76 :
今の日大はどうなんですか?
学生運動などありませんか。

77 :
凄い女だな。
まさに毒蜘蛛タランチュラ。

78 :
板坂剛は今何やってんの?

79 :
保守

80 :
芸闘委の橋本さんは?
あと芸闘委の中核の委員長は?

81 :
>>78
踊ってるんじゃないの?

82 :
>80 他みなさま
雑誌「情況」2009年12月号
情況出版 http://situation.main.jp/
[特集2 日大闘争とは何か]
●最首悟+橋本克彦
大学闘争の真髄――高度経済成長期、大学大衆化の始まり
●今章
日大闘争の記憶+年譜:日大闘争の始まり――6.4大衆団交要求集会、6.11スト突入
●山ア晴久+山本啓+中村順+小林一博+大場久昭
俺にも言わせろ! 勝手気儘に吠えまくった大放談会
●眞武善行
全共闘運動とは日大闘争のことである

83 :
眞武善行?
この人が芸闘委の委員長でしたっけ?

84 :
>>82
芸闘委の初代行動隊長の岩淵さんは亡くなったのですね。

85 :
>83、84さま
その通りです。
岩淵進さんは、2008年4月10日逝去されました。

86 :
>>82
芸闘委委員長・眞武善行さんは68年9月に中核派入り。10年前まで中核派。
日大全共闘行動隊長も中核派。組織部長も中核派。
ただし、日大全共闘執行部では5対1でML派優勢。
6・11まではML派が主導。
全学部バリ解除以降の69年には中核派同盟員は100人超え・・・等、おもしろい話満載でしたね。
もっともっと詳細な特集を今の内に望みたいところ。

87 :
>>85/86
ありがとうございます。眞武善行さんは今はどうしているのですか?

88 :
全学管理支配体制打倒! 記念カキコ。
日大闘争は継続している!!

89 :
「日本大学学生新聞」の消長をご存知の方カキコ願います。
(いうまでも無く現在のカルト系の同名紙は除く)
購読しとけばよかった…

90 :
a

91 :
>>85
ありがとうございます

92 :
2ちゃんで「日大闘争スレ」が盛り上がらないのはナゼ。

93 :
>>92
70年以降、全共闘運動の衰退から日大闘争も後退局面に入るが
80年前後には各学部の闘争主体が一定の力を保っていたのは確か。
「われわれは日大闘争を継続している!」が合言葉でもあったはずだ。
ご多聞にもれず、様々な潮流があったし、その継承的「正当性」を論じると
非和解的な局面にもなるのだろうけどね。
ここは当事者性を含有しつつ、歴史認識的かつ情緒的ノスタルジーを語れば
と思っています。
それらの痕跡をこの場にアップして、燃料投下しているつもりなのだが。。
まあ、そんな彼ら(私)も40代半ば〜50代のはずでお忙しいかも。
しかも学歴を背負って仕事するには「日大」は貧弱だし、身も心も
資本に忠実に奉仕しないと生きていけないのかもしれない。
一方で、こういう所で落書きするような主体に「転落」していない
とも言えるのかw
私個人は恩讐を越えて(一応)・・とも思っているけど、それも無責任かなあ。。
とにかく、1で記したように私が日大スレを立てるのはこれで2回目。
当該の方々、アナタの個人的「日大闘争70'〜90'」をツブヤイテ。

94 :
ここは芸術学部の方が多いのでしょうか?

95 :
なるほどね。私日大生でもないし、日大闘争も経験してませんけど
1970年代半ばに古本屋で手にした『叛逆のバリケード』を読んで衝撃を受けたものです。
むしろ闘争終期の『日大アウシュビッツ』にかな。
私は全共闘運動への反動として生まれた、悪名高き「愛知の管理教育高校の元祖高校(兵藤ゆきが卒業生)」を卒業したものです。
髪の毛の長さまで管理されて、生徒会長に立候補しようとすれば教師に集団リンチされて
退学させられました。
その点、日大ですら(失礼)秋田さんが学生会長になっていてびっくりしました。

96 :
>3 芸の日大闘争を上映する会赤ヘル諸氏
懐かしいですね。74〜77年まで日芸で「日大闘争の記録上映実行委員会」を組織していたものです。
76年の動員は、小講堂が満杯になるくらいに参加者が多かったと記憶している。
当時はBUND系、第4インターが入り乱れていたが両派は実行委員会に参加していた。
よくブンドと4トロが一緒にいたものだと思う。

97 :
>>96
「死者よ来たりて我が退路を断て」は上映しなかったんですか?
ttp://www.z930.com/video_01.htm
ttp://www.z930.com/movie.html

98 :
してません。
「日大闘争〜」フィルムは当時商学部オレンジフラクが所有!していて、
借りだすのにえらい手間だった。

99 :
毛沢東を「けざわひがし」と読んでいた馬鹿はどうしてる?

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