戦国期の家督争い・御家騒動・内乱を語る (247)
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戦国期の家督争い・御家騒動・内乱を語る
- 1 :2008/10/23 〜 最終レス :2012/05/27
- 親子・兄弟が家督や主導権を争ったり、
有力家臣が当主を追放したりと列挙にいとまがない戦国期の内紛を語ろう。
- 2 :
- 応仁の乱を除けば、伊達家の天文の乱が最大規模?
- 3 :
- ▲▲ 応仁・文明の乱 ▲▲
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1161761809/
■ 明応の政変 ■
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1157454306/
【景勝】御館の乱を語る【景虎】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1212960019/
- 4 :
- 明応の政変から信長の上洛までの畿内は、分裂した将軍家と同じく分裂した京兆家の
内乱だったと言っていい。
- 5 :
- 美濃はその小型版だったと言ってよい。
- 6 :
- 戦国大名は基本、小さい領土内の内乱を勝ちあがってきた連中だしねえ。
- 7 :
- 江戸時代でも「押し込め」や「強制隠居」とかあったから、戦国なら馬鹿殿は排除されるのみだなw
長子相続とか決まってたわけじゃないし。
- 8 :
- 斯波とか畠山とかもグダグダやってたが
京極家の内紛もかなり長いな
- 9 :
- だいたい武家の家督は
鎌倉幕府
分割相続で→零細になってアボン
室町幕府
それじゃ駄目だから優れた奴が惣領で→内紛でアボン
江戸幕府
だったら長子相続で
という流れだな
- 10 :
- 鎌倉幕府の滅亡も南北朝も応仁の乱も、基本的に相続制度の軋みが生んだ事象だな。
- 11 :
- 佐竹の山入一揆も100年ぐらい続いたよ
- 12 :
- 異姓の養子なんか迎えるからだ
- 13 :
- >>5
道三が成り上がったのは、土岐家の家督争い故だっけ?
- 14 :
- 初代はそうだな>道三
二代目は下克上
- 15 :
- 本能寺の変はここに分類されるの?
- 16 :
- 本能寺は専スレあるんじゃない?
- 17 :
- >>7
将軍家は馬鹿だろうが幼児だろうが排除されなかったがな。
- 18 :
- >>17
それは諸大名に比べて、将軍の出来不出来で政治が左右されない
統治システムが整備されてたからだよ。
- 19 :
- 下剋上の分類
【内訌】
親子間の争い・・・例 斎藤家・武田家
兄弟間の争い・・・例 織田家・今川家
【謀反】
守護代の反逆・・・例 三好長慶
直臣の反逆・・・例 明智光秀
国人の反逆・・・例 揚北衆
内容
主君を追放し自身がそれに成り代わり実権を掌握し政権を樹立。【斎藤道三型】
主君を殺害しその代役を立て自身は表に出ず傀儡の政権を樹立。【陶晴賢型】
こんな感じでしょうか?
- 20 :
- あ、訂正・・・。
お騒がせしてスマソ。
下剋上の分類
【内訌】
親子間の争い・・・例 斎藤家・武田家
兄弟間の争い・・・例 織田家・今川家
一族間の争い・・・例 細川家・上杉家
【謀反】
守護代の反逆・・・例 三好長慶
直臣の反逆・・・例 明智光秀
国人の反逆・・・例 揚北衆
内容
主君を追放し自身がそれに成り代わり実権を掌握し政権を樹立。【斎藤道三型】
主君を殺害しその代役を立て自身は表に出ず傀儡の政権を樹立。【陶晴賢型】
こんな感じでしょうか?
- 21 :
- 畿内政権の顛末
足利義材←細川政元により追放(戦国時代スタート)
細川政元←家臣香西元長の手により暗殺
細川高国←細川晴元、三好元長により追放→切腹
細川晴元←三好長慶により追放
三好政権←織田信長により排除
織田信長←家臣明智光秀により暗殺
明智光秀←羽柴秀吉により戦死
豊臣政権←家臣徳川家康により排除(畿内政権の終了)
- 22 :
- >>21
澄元を入れてくれると分かりやすくなるかと。
- 23 :
- >>22
こうかな
畿内政権の顛末
足利尊氏、後醍醐政権を追い出し京に幕府を樹立(畿内政権スタート)
文正の政変、応仁の乱で将軍家の分裂と弱体化
足利義材←細川政元により追放(戦国時代スタート)
細川政元←家臣香西元長の手により暗殺
細川澄之・香西・薬師寺←細川澄元・三好之長の手により敗死
細川澄元・三好之長←細川高国により逃亡
細川高国←細川晴元、三好元長により追放→切腹
細川晴元←三好長慶により追放
三好政権←織田信長により排除
織田信長←家臣明智光秀により暗殺
明智光秀←羽柴秀吉により戦死
豊臣政権←家臣徳川家康により排除(畿内政権の終了)
- 24 :
- 徳川政権←薩摩・長州など、維新軍により追放
維新・天皇政権←米国により排除
自民党政権←今ココ
- 25 :
- 戦国時代の原因は大内家・細川家・今川家・上杉家にあるような気がする今日この頃・・・。
- 26 :
- 鎌倉公方家の反乱と関東の不安定化、もともと列島中央部以外の基盤の弱かった
京の将軍家も、関東への求心力を失った事で決定的な弱体化。
戦国時代到来の原因は結局ここでしょ。
- 27 :
- なんか足利は尊氏が幕府開いてから義昭が追放されるまで
常に身内で揉めてる感じがする
おかげで室町時代はほとんど戦乱ばっかり
なんというかやっぱり血は争えないんだな
- 28 :
- 足利将軍家は、義満の時代にはほぼ貴族化しちゃってて、関東との関係が、
朝廷対武家政権の時代に近いものになってるな。
- 29 :
- 摂家に一字を呉れてやる立場ってのは確かに登りすぎだと思う。
- 30 :
- 東国の戦国の実情を知っている家康が、近畿に政府を置かなかったのもよくわかるわ。
豊臣政権もあっという間に貴族化したしな。
多分織田政権があのまま成立しても、足利幕府と似たような、貴族化した政権になったでしょ。
- 31 :
- 貴族化というのが具体的にどういうことを指すのかにもよるが、軍事を忘れる
という意味でなら江戸幕府と各地の大名たちも同じく貴族化している。
- 32 :
- 統治主体が武力を他人に委ねるのを貴族化、というべき
と解釈すれば江戸幕府と各地の大名は貴族化していないといえる
- 33 :
- >>32
他人の定義にもよるだろうが、室町の守護大名だって武力を他人に委ねていないぞ。
室町幕府だって相対的には弱体だったというだけで、幕府直轄の戦力は有していた。
- 34 :
- 朝廷と一体化というか、朝廷のリーダーみたいになる事を言うんじゃないか?貴族化って。
そう言う意味では、朝議を主催し摂関家の人間にに諱まで与える室町将軍も、
貴族の長として日本を支配した豊臣家も、貴族化した政権といえる。
- 35 :
- ここまでくると
徳川を特別扱いするために「貴族化」という言葉を持ち出して豊臣や室町に
レッテル貼りして差別化を量っているとしか思えないな。
そして貴族化という意味を曖昧なまま使って、反論がくると都合のいいように
定義を変えて、あくまで貴族化のレッテルを貼り付けようとする。
徳川は武家政権だから長続きした。豊臣は武家であることを忘れたから滅びた、
みたいな主張が透けて見える。
どうも現代日本人は公家貴族というものをかなり蔑視しているな。室町の公家
だって武力は有していたというのに、。
- 36 :
- >徳川を特別扱いするために「貴族化」という言葉を〜
それは思い過ごしだ
- 37 :
- >>35
それは君が貴族というものにマイナスイメージを持っているだけの話だろ。
- 38 :
- 貴族と「貴族化」の言葉遊びじゃないの。
「文治化」のような語句を充てればいいのかも。
- 39 :
- >>35
鎌倉より前の公家政権が民百姓を顧みない悪政続きだったから、
公家貴族に対する評価は低くなるな。
武家政権も失策はあるが、公家貴族ほどではない。
- 40 :
- >>39
キミは変な偏見を持ってるな。鎌倉〜室町にかけて、皇室や公家、寺社領の方が、
武家の支配地より、農民にとって「善政」の敷かれていたいた地域だった。
農民の「法的権利」が、それなりに認められていたのだ。
貴族の評価が低くなったのは江戸期。徳川幕府が、公家、寺社領にあった
農民の生命財産の保護や訴訟の権利と言った諸権利を、一気に全国の農民に適応して、
それまでの優位性がなくなったからだ。
- 41 :
- >>1
これは中々いいテーマだな
家督争いを利用しているつもりが、
いつの間にか争いに振り回されて
結局収拾をつけられなくなった幕府
- 42 :
- 信長の権力も、家督争いの中で成立し、死後、家督争いによって崩壊した。
- 43 :
- >>25
赤松と山名が抜けてる
あと何げに畿内の混乱原因作ってる六角も
- 44 :
- 室町の中、後期の歴史を見ると、赤松の空気読まなさは異常。
嘉吉の変は勿論、応仁の乱も赤松がごねて早期の和平が出来なくなったし。
- 45 :
- おまえら、戦国一のドロドロ、能登七尾の畠山さんを忘れちゃいませんか、と
- 46 :
- 逆に戦国期で御家騒動とかが無かった大名家って有るのかね
- 47 :
- 北条、毛利
- 48 :
- 毛利は元就が争ってるでしょ
- 49 :
- 毛利は内訌も御家騒動もあるだろ
- 50 :
- 無いと言い切れるのは北条くらいかな。
浅井あたりはお家騒動起きてないような感じだけど、どうだろう。
- 51 :
- 元就までは戦国大名でもなんでもないじゃん>毛利
そこまでお家騒動に入れるのかよ。
- 52 :
- >>45
能登畠山はむちゃくちゃw
本家と統合出て来てれば良かったが、家臣が力持ちすぎだな。
>>50
浅井だけど、久政から長政への家督以降はスムーズだったかな?
- 53 :
- 浅井氏って、周囲に較べて大名とかいうレベルだろうか。
- 54 :
- >>45
畠山は血のなせる業だな
応仁の乱の一因も畠山管領家の家督争いにある
- 55 :
- 安房の里見
・義堯×義豊(従兄弟同士)
・義頼×梅王丸(叔父と甥(庶長子と嫡子?))
- 56 :
- 室町期は足利義政くらいまでは、将軍家による守護大名家の嫡流と庶流への離間策が
面白いようにズバズバ決まるのが逆に恐ろしいw
- 57 :
- まあ、相続を籤で決めるようなことは宜しくないw
- 58 :
- 逆に言うと将軍が才覚に優れてないと継続できない幕府だったんだろうな。
鎌倉、江戸は将軍、執権が無能でもなんとかなるシステム
- 59 :
- >>55
里見も狭い中でゴタゴタしてるよな。
- 60 :
- >>57
籤は当時の社会意識から考えれば、神意の表明でありかなり合理的な判断だったと
今谷先生がいうとった。
- 61 :
- 鎌倉幕府は執権が早死にしまくりだけどなぁ
地震のどさくさで皆殺し、みたいなハードなこともやってるし
生きた心地しないだろうて
- 62 :
- 浦上も長いことウダウダやってたな
- 63 :
- 江戸期の伊達家家老の原田甲斐という人物は
なぜ伊達宗重を殺さなければならなかったの?
- 64 :
- 伊達宗重で検索すればわかるよ
領土問題が原因かな?
宗重が片倉や茂庭と相談して幕府に訴えて
幕府が調べた結果 原田や宗勝が悪いってことになって
それに対して原田が怒って(?)うしろから斬りつけた
まあ いくら怒ったからといっても うしろから斬っちゃだめだよね
- 65 :
- >>63
あなたにお勧めの一冊
http://nekhet.ddo.jp/item/976
- 66 :
- こんな書籍があったのな
俺は恥ずかしながら海音寺潮五郎の列藩騒動録で読んだ程度だよ
- 67 :
- 伊達宗重が藩政を正そうとして幕府に訴えた義士扱いになってるけど、
結局領地争いに負けた遺恨てことでOK?
原田甲斐・伊達宗倫・伊達宗勝サイドが通説とおりの悪人ってわけじゃないんだよね
- 68 :
- 樅の木は残っただっけ?では原田は善人だけど
もし宗勝のほうが勝っていたら 今の仙台はなかったと思うよ
宗勝が32万石をもらって宗家とかを10万石あたりで分ける
とかだった?よく覚えてないけど
- 69 :
- 伊達稙宗−伊達晴宗−伊達輝宗−伊達政宗−伊達忠宗−伊達宗倫
−伊達宗勝
−亘理元宗−亘理重宗−伊達宗重−伊達宗重
桑折景長−桑折貞長−桑折宗長−原田宗資−原田宗輔
宗重って、かなり宗家からは血が遠いような?
- 70 :
- 調べてみたら 父が晴宗の弟だった
養子に行ったらしい
- 71 :
- 伊達宗勝と繋がりが深い酒井忠清さんも、のちに失脚して悪人扱いみたいだけど
徳川幕府も絡んだ権力争いの結果なんだな。ややこしい。
- 72 :
- 政宗から見たら、子供と孫が曾孫を巡ってゴタゴタしているだけだったり。
- 73 :
- まあ同腹でない(宗家とは)うえに父親が年をとってから
うまれて父親からかわいがられて育ったらしいから
勘違いしたのかもね(自分が藩主になるのがあたりまえ)みたいな
- 74 :
- (孫には原田甲斐も含む)
- 75 :
- 天文の大乱のきっかけと言われている上杉氏に実元を養子に出すかどうか
というのは、これで生死を争う意味がわかりませんが本当にこれがきっかけなの?
- 76 :
- >>75
子だけじゃなくて、家臣団も一緒についていく予定だったから。
家臣団をごっそり抜かれれば伊達の弱体化は間違いないわけで、そこで
路線対立が起きた。
- 77 :
- 上杉家へ養子=上杉家の家督を継ぐだったなら
逆に強大化すると思わね?
- 78 :
- よく>>76のような原因を聴くけれど、この家臣団とやらの封地について説明が付かないんだよな。
- 79 :
- 越後上杉入嗣は、単に成功の見込みが低いから対立したんじゃないの?
越後の国人どもは曲者揃いだし
- 80 :
- >>78
伊達と越後上杉の一体化、みたいな状況を考えてたんじゃ無いかね?
養子推進派は。
- 81 :
- 単純に稙宗がほいほい子女を他家に入れて家督争いの火種を撒きまくるから、
業を煮やした晴宗がこの機会に親父を幽閉したんじゃね?
伊達家は比較的家督交代が順調に進んだが、
白河結城や二本松畠山、会津蘆名、両葛西、山形最上と、
14世紀後半〜15世紀前半に家督争いがバンバン起こってたからな。
南奥や中奥の諸豪族なら伊達の統制がまだ効くが、
越後だと遠すぎだし揚北衆は度々叛旗を翻してるし、
これって絶対伊達家の重荷になるぞ、と思ったじゃね?
中条は親伊達だが反中条の黒川や本庄が反伊達になるのは明白だったし。
事実そうなったがw
- 82 :
- 単純に稙宗と晴宗の揉め事というより、豪族同士の争いも含んでいたんだろ。
- 83 :
- 晴宗は婚姻のエピから考えて、当時でもバサラなヤンキー兄ちゃんだったと考える。
嫡子で自分に納まるはずの勢力をただ守りたかっただけなんじゃないかなと。
稙宗は短慮かも知れんけど、自分の目の黒いうちは自勢力を拡大したかったんだろうな。
自分の死後のことを全く考えてなかっただけで。
- 84 :
- 戦国の開幕を煌びやかに飾る家督争い、長尾景春の乱
- 85 :
- 景春は江戸幕府に消されそうになったトライアングルの一角。
別に無名でもなかんべ。
- 86 :
- 扇谷上杉と山内上杉はどうして争っていたの?
- 87 :
- 晴宗にしたら、弟が足利幕政下での超名門たる上杉を継ぐのはおもしろく無かろう。
母が違っていて仲も悪いとかそんな感じで
将来は兄弟ケンカするのは目に見えてたんだろ
- 88 :
- >>86
大田道灌が優秀で扇谷の勢力が拡大し、山内の権力を脅かしそうになったから。
- 89 :
- >>75
天文の乱の原因として、実元と供に精鋭100騎連れて行くと言うのと、
娘婿の相馬顕胤に伊達領の一部を譲渡する約をしたのを多くの重臣が反対した為と言われてる
- 90 :
- >>88
でもその道灌を殺したのは、扇谷上杉定正でしょ?
- 91 :
- 山内上杉が焚きつけたって話がまことしやかにささやかれてるんだぜ
- 92 :
- >>86
山内上杉にとって扇谷上杉は自分に従うべき格下の存在。最近(当時)ウザイ。
扇谷上杉にとって山内上杉は、これをどうにかしないと永久に勢力の拡大が望めない。
両者の思惑が一致し、開戦に至る。
- 93 :
- 武蔵方面での扇谷の勢力が拡大し、山内の本国である上野に脅威を与え始めたことが大きい。
- 94 :
- 誘導
山内&扇谷の争いについては長尾景春スレがやたら詳しい。
- 95 :
- 古河公方 足利成氏 vs 堀越公方 足利政友 + 関東管領 山内上杉顕定(長尾景春) + 扇谷上杉定正(太田道灌)
↓
長尾景春の乱 → 道灌の活躍により鎮圧
↓
扇谷の勢力増大、道灌煙たがれる
↓
古河公方 + 長尾景春 vs 堀越公方 + 両上杉 和睦
↓
扇谷上杉定正が道灌を誅殺、道灌配下が山内へ逃亡
↓
両上杉家対立
- 96 :
- 扇谷定正が緒戦で山内に勝ち続けたのは
古河&景春を味方につけたのが大きい。
それで定正が増長してしまった。
- 97 :
- つまり、上手いことやれば後北条氏の台頭はなかったのだろうか。
- 98 :
- 難しかっただろうね。
- 99 :
- 北条というか、伊勢宗瑞は扇谷が関東に引き入れたようなものだからな。
- 100 :
- 扇谷陣営にいた早雲は越後軍を率いて急遽南下した長尾能景を避けたからなぁ。
平塚まで行って相模守護代を捕縛し、扇谷上杉本拠地川越城落城までの間、
温泉行ってて知らなかったとか有り得ない。
早雲が扇谷上杉を明確に離反したのも上野白井城の長尾景春と長尾為景が連携して抵抗した山内上杉&扇谷上杉の越後出兵時の空き家状態の扇谷領侵攻だけど、急ぎ上野から戻ってきた上杉軍に早雲は結局敗れてるし。
漁夫の利ばっか狙ってるだけで戦はうまく無さそう
- 101 :
- そんなことを言われるとパラ振りをしたくなってしまうではないか。
- 102 :
- 晴元の花嫁奪取は捏造で
ほんとは伊達・相馬と岩城・白河結城の争いでしかないような
- 103 :
- 上杉の御館の乱って景勝サイドが一方的に事を進めてるけど、景虎や憲政は死ぬ必要あったの?
- 104 :
- >>103
その際に憲政が死んだとする確実な資料をまず教えてくれ。
- 105 :
- 上杉家の記録でも死んでるじゃん
- 106 :
- あれ? 憲政って乱中に死んだんじゃなかったっけ?
違うの?
- 107 :
- 位牌だっけか寺の記録の没年が軍記の影響なのか
後年になって書きかえられた疑惑があるらしい
上杉家の正史である上杉家御年譜も軍記や講談が元ネタなのも多いし
- 108 :
- つまりどういうこと?
- 109 :
- 本当は違う日に亡くなっているのに
わざわざ御館の乱で死んだように捏造されている可能性があるということ
- 110 :
- 景勝にとってプラスにならない事をなぜ捏造する必要があるんだ?
- 111 :
- 上杉厨は、景勝が何一つ悪い事をしていないと信じ込んでいるからな。
- 112 :
- なるほど、憲政の死期は通説を信じてはいけないなコレ。
- 113 :
- 北条に追い出されて越後に来て、北条の血筋の景虎に味方して死亡とは
なんとも言えない人生だな
- 114 :
- >>113
景虎に味方って辺りが実は怪しいのでは?
- 115 :
- 乱が全部終わってから邪魔になって景勝にヌッコロサレタて事?
- 116 :
- 乱が終わって、後かたづけの時にミイラが発見されたんでは?
- 117 :
- 長尾為景が出てこないのが信じられない
あれが最凶だろう
- 118 :
- 宇喜多騒動って原因は何なの?
- 119 :
- 結局は秀家がまだ若くて家中を統率できなくて、秀秋の補佐をしている連中と
そいつらに反対する連中が争ったって言う、典型的なお家騒動だよ。
- 120 :
- 宇喜多騒動の時、秀家は二十歳超えてたと思ふ
- 121 :
- >>120
だから「原因」
- 122 :
- あの騒動で重臣だけじゃなく一門の忠家、詮家親子も出奔してるの?
騒動で一門も出奔したと書いてあるとこ多いんだけどwiki見たら
会津上杉征伐に秀家の名代として詮家は出陣してたみたいだから
騒動の後も宇喜多家に居たけど、自分たちに相談なしに秀家が三成と蜂起したものだから
完全に秀家の敵に回ったって感じなのかな?
- 123 :
- 一番の原因は秀吉の朝鮮出兵だろ。財政が傾いておかしくなった。
ちなみに家康の見解↓
われがらもし治部少輔ならば、秀家の(長船を殺した詮家・戸川・花房・岡への)怒りをなだめて、
4人の家老を元のようにさせるだろう。
近いうちに一大事を起こそうと計画しているのに、無二の味方である秀家の軍勢を駄目にしたのは、
三成が武事に暗いからである。
大事であっても愚将のもとでは勝てぬ。小勢でも良将の兵は負けぬ。
俺なら宇喜多家の騒動を抑えられたけど、ほっといたよ?馬鹿な三成
と言いたいのかな
- 124 :
- >>123
それは後世の創作かと。
- 125 :
- 話の中身は的を射てる。
- 126 :
- そりゃ後世の人間が結果を分かった上で書いているからな。
- 127 :
- そもそも家康が宇喜多騒動の黒幕なんじゃねーの。
上杉の藤田に金銀や刀を主家に黙って贈ったりと
各家の重臣買収離間策で、親家康派にさせて当主と衝突させてるし。
当時、家康側に着いた諸将は
家康に買収された重臣が結構いたらしいから
家康は雰囲気作りに、工作にかなり金をバラまいたっぽい。
よく家を東西にわけて生き残りを図った家とか言われるのも、家康から買収された重臣と、家康から工作の話が無かった重臣での対立構造とも言われる。
そー言う意味では、直江なんかは買収されなかったから、藤田を買収して上杉騒動を家康は起こそうとしたっぽい。
- 128 :
- 宇喜多家の調停を大谷行部が榊原康政へ依頼したけど
家康の横槍で妨害されたってのは良く見るが、家康が黒幕とはいえないな
- 129 :
- たいていの場合「家康黒幕説」は、ユダヤ陰謀論とかと一緒で、中身を見れば
すっかすかの愚論。
- 130 :
- 秀吉死後の家康のチート謀略見てると結構ありえると思ってしまうな
- 131 :
- >>130
信長死後の秀吉のチート謀略見てると本能寺の黒幕は秀吉になるんですね?w
- 132 :
- 禁を堂々と破っての婚姻政策や、金銀贈答や筆まめぶりなど
家康はかなり工作して多数派を作り上げてるから
当然、他家の有力重臣に根回し工作してるだろ。
- 133 :
- 禁を先に破ったのは三成たちの方だけどな。
- 134 :
- 順番なんか意味あるの?
- 135 :
- >>134
そりゃ、導火線にどっちが先に火をつけたかは、重大な意味があるだろ。
- 136 :
- 豊臣秀次の件で前野とか貴重な古参まで粛清しなきゃならなかった理由ってあるの?
それともボケちゃったのか
- 137 :
- >>136
毒食らわば皿まで、って事でしょ。
- 138 :
- >>137
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」じゃね?
- 139 :
- 三河には松平家がたくさんあったようですが、
家康の松平家が主導権とれたのは何で?
- 140 :
- 宗家だから
- 141 :
- 力があったから
- 142 :
- つーか、家康の松平家は、清康の時に宗家としての権威を確立しているし、
家康自身も独立してから、君主権の確立をこれでもかって言うくらい徹底してやっている。
具体的には徳川姓を創設して、他の松平諸氏との格の違いを明確に見せたり、
旗本先手組っていう、宗家のみに仕える常備軍を設立し、軍事力としても、大きく差をつけたり。
まあ、家康にとって良い初期条件も存在したが、最終的には家康自身が優秀だったから、
って理由に尽きるけどな。
- 143 :
- >>142
>清康の時に宗家としての権威を確立しているし、
>家康自身も独立してから、君主権の確立をこれでもかって言うくらい徹底してやっている
確立してないでしょ?家忠日記でも家康と呼び捨てだよ
松平氏の中でも殿と呼ばれて明確に君主・上位存在と認められるのは秀吉臣従以降でしょ
- 144 :
- 家忠は酒井忠次の下では?
- 145 :
- 旗下と配下と部下。
似ているようで全然違うんだよな。
- 146 :
- いやこの場合は似てようと違おうとどうでもいいのでは?
だってたとえ松平氏でも酒井の下にいるわけだから
きっちりと枠の中に入ってるわけじゃん
- 147 :
- >>146
枠の中には入っていても、「家康」と呼び捨てにされている状況ではなぁ。
権威もクソもあったもんじゃないと思うが。
- 148 :
- >>147
私的な日記だぞ。アホなのか君は。
- 149 :
- 私的な日記でも信長は当初から「信長様」、1580年からは「上様」
扱いがわかる
- 150 :
- >>148
当時の「日記」は後の時代に読まれることを考慮されている。
「中右記」など昔の日記は公家同士で賃借されていたりするからな。
また私的とはいえ日記だからという理由で主君や上司などを呼び捨てにすることはない。
呼び捨てにするには相当の理由があり、敬意が存在しないのは明白だろ。
当時の日記を読んでて言ってるのか?
- 151 :
- >>149
それ日記じゃなくて書状
- 152 :
- 最上騒動って松根の言い分と鮭延の言い分はどっちが正しいの?
- 153 :
- >>151
もろに家忠日記なんだけど
- 154 :
- 148と151はアホでFAってことか。
- 155 :
- 長宗我部盛親って大阪の陣の活躍といいそれなりの人物だったようだけど
なんで家督相続するまでに死人まで出たの?
- 156 :
- >>155
元親が信親の死に動揺したのかちょっとおかしくなったから。
盛親に信親の娘を娶わせようとして、吉良・比江山の反対を受けたが、
吉良・比江山を殺害して婚姻を強行した。
当時叔父姪の婚姻は既に異常視されていた。
信親の娘を娶わせようとしなければ吉良も比江山も死ぬことはなかったろう。
- 157 :
- という事は信親の意思で物事は進んでいたんだよね。
その件で奸臣扱いされている人がいるみたいだけど
- 158 :
- >>157
信親と元親、間違ってね?
奸臣というとまぁ久武親直のことだろうが、
久武を奸臣とする場合は元親の横暴を止めなかったということだろうな。
吉良と不仲だったとされるが、子孫は揃って熊本藩士。
元親を貶めるのは気が引けるので重臣であった久武がスケープゴートにされただけ、
というのが現在では広まりつつあるような気もしないでもない。
- 159 :
- ちょっと話はそれますが
島津義久は叔母と結婚してますよね?
九州はよくて四国は駄目だったんですか?
- 160 :
- >>159
九州はよくて四国はダメなのではなく、地域によって可不可があるってこと。
土佐岡豊では不可で、薩摩鹿児島では可能だったということだろう。
現代日本でも叔父姪間の事実婚が許可される場合があるが、
その条件の一つに住地で叔父姪・叔母甥の事実婚が許容されてきた習俗の有無がある。
九州では島津義久のほか、伊東祐兵(妻が姪)の例もあるけどな。
あと吉良らの死に関しては婚姻反対よりも長幼を守れという主張のほうが主だったらしいが。
- 161 :
- 何やら極悪人・久武の子孫が喚いておるな
- 162 :
- 叔父姪・叔母甥の婚姻は同母か異母かも検討しないと。
- 163 :
- >>162
母の血は大事だね。
異母の場合は受け入れやすいとされるし。
一応盛親夫妻は石谷氏母、斎藤氏母・祐兵夫妻は河崎氏母、荒武氏母で、母系は違ったと思う。
義久はどうなんだろう? 花舜夫人と貴久が同母なら珍しい例なのかもしれん。
>>161
久武の陰謀について進んで肯定はしないが、否定もせんよ。
一次史料に明確な記載が無い事件については断定しようとも思わん。
- 164 :
- 異次元で会話すんなよ
- 165 :
- >>164
どのへんが異次元よ?
- 166 :
- 尼子の新宮党は元就の馴れ馴れしい手紙を元に潰れた事になってるけど、手紙くらいで粛正されるなら元就が居ても居なくても同じ結果だったんじゃねの?
何が言いたいかというと、元就は過大評価
- 167 :
- 戦国時代、弟が家督を継いだ場合、
ある程度兄やその一族へ配慮する、というのは共通認識だったのかな?
それとも、当人同士の仲や家督を継いだ人間の判断次第?
- 168 :
- 兄が妾腹なら配慮する必要はとくにないが
兄の母親一族の勢力規模しだいでは配慮しないとだめかもね
同腹の兄弟で弟が家督を継ぐなんて時は
大体兄は戦か家督相続のゴタゴタで死んでるか病弱でまともに働けない人物だったり
素行に問題があり家督を廃されてるなどしてる場合がほとんどで
同腹の兄弟で弟が家督を継ぎ、兄が弟に仕えるなんて事例は私は知らん
- 169 :
- 仕えてはいないけど岩城親隆と伊達輝宗とか。
- 170 :
- 柳生宗矩もそうだな。
兄(長男)が負傷したのと、柳生庄を取り戻したのもあって
5男の宗矩が家を継いでる。
でも、兄の息子の兵庫助が尾張柳生立てて縁を切り、
本来の嫡流と新陰流の正統を号してたな。
- 171 :
- 柳生んとこみたいな弱小豪族だとあんまはっきり家督とか定めていなかったんかね
普通宗矩まで家督回ってこないで利厳か宗章に家督を継がせるって
厳勝が傷でまともに働けなくなった時に石舟斎が決めそうなものだけど
- 172 :
- >>171
まあ、厳勝が不具になった時、
宗章も宗矩もまだ子供もいいところだったし、
利厳どころか、久三郎(厳勝の長男)すら生まれてなかったしな。
久斎か徳斎を還俗させるってのもあったかもね。
尤も、所領没収されて、継がせるべき家(所領)もなくなった、
ってのが一番大きかったんだろうけど。
そういう意味では、所領の回復に際して、
何もしてなかった兵庫助が柳生の正統を号するのは
なんだかなー、という感はある。
- 173 :
- 尾張柳生が号してるのは”新陰流”の正統と柳生の”元々の”嫡流。
別に柳生家の本家だとは言ってない。
石舟斎自身に廃嫡された上に代々の所領も継いでないんじゃ本家を名乗れないだろう。
正統云々言い出したのも明治以降じゃないのか?
- 174 :
- 同腹の兄弟で弟が家督を継ぎ、兄が弟に仕えるなんて事例はあるのかな?
普通はプライド的に仕えてくれないよね
- 175 :
- 同腹かは知らんが前田利久・利家とか
- 176 :
- >>174
前田利久・安勝・利家は同腹兄弟。
兄が弟に仕えるようになったのは晩年になってからだが。
- 177 :
- 利家は利久の家督を主の威光を傘に頂戴したんじゃなかったか。
系譜上は父にあたるだけに、弟に「仕えた」というのは違うと思うがなあ。
- 178 :
- >>173
その可能性はあるなあ。
宗矩の相続は家康の後押し承認があり、石舟斎が認めたもの。
「あっちは分家、こっちが本家だ!」
なんて主張は、石舟斎の決定ひいては家康の承認に逆らう行為だ。
- 179 :
- 柳生はなんだかんだで剣で有名になった一族だから、
新陰流の相伝と家の相続を混同する人が多いのはしょうがないのかもね。
剣豪系の本だと「真の柳生の正統は新陰流の正統である兵庫助に〜」って書いてるの未だに山ほどあるし。
- 180 :
- >>177
利久は仕えたというには微妙だが、五郎兵衛安勝は仕えたと言えると思うぞ。
安勝をして利家の家臣と呼んでいる本は見たこと無いけどね。
- 181 :
- >>180
安勝って同母兄弟だろうか。あるいは傍系を継いでいないか。
- 182 :
- >>181
系図上では同腹のはず。
傍系に関しては、実は継いでいたとか、安勝自身が別家を立てていた可能性もある。
しかしいずれにせよ晩年は利家のもとに寄食してるし、
資料にも「筑前殿御舎兄」等で登場するので、
兄ではあるが弟に仕えていたという認識は周知されていた。
安勝にしても弟に仕えるようになったのは50歳頃だろうし、
弟の利家が実家を継いだことに対しては利久同様初めはよく思ってなかったのではないかと。
- 183 :
- 筒井家の元の木阿弥の話は史実なの?
- 184 :
- 菊池も内紛がひどい
- 185 :
- 大友氏の二階崩れの変はここでいいのかな
- 186 :
- 地味に堀家とかもひどい。
- 187 :
- 戦国初期の蘆名家もうにうにやってたな
- 188 :
- 年少の子をたてようとする親父と嫡男、というパターンが一番多い?
- 189 :
- 養子と実子、ってパターンが一番多いだろ
- 190 :
- >>188
兄弟が一番多いんじゃないか?
伊達・長尾上杉・織田とかが相当してる。
188のパターンだと大友・長宗我部・上州沼田とかだな。
叔父と甥というパターンもあり、阿蘇・里見・本荘とか。
息子と女婿というパターンが南部にある。
189のパターンは15世紀まではよく見られるが、16世紀になってからは減ってないか?
- 191 :
- 「戦国武将御家騒動録」は面白い雑誌なんだろうか?
- 192 :
- 関連スレ
六チンの乱を語る
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1246072639/l50
- 193 :
- 松平も松平宗家と桜井松平家間で内乱あったな
- 194 :
- 清康が出るまで徳川本宗は決して松平の宗家ではないからなあ。
- 195 :
- 戦国加賀を語れ
- 196 :
- 84 :人間七七四年:2009/01/07(水) 23:32:43 ID:7cxILCkm
戦国の開幕を煌びやかに飾る家督争い、長尾景春の乱
86 :人間七七四年:2009/01/11(日) 19:16:16 ID:dqPyrSAq
扇谷上杉と山内上杉はどうして争っていたの?
- 197 :
- 扇谷は武蔵南部から相模と言った地域で勢力を伸ばしていたんだけど、伊豆公方が
勢力を伸ばし始めて隣接する相模地域も侵食し始めて、それで伊豆公方と扇谷が
対立、んで、古河公方との対立のため伊豆公方を支持していた山内と扇谷も対立。以上。
- 198 :
- 戦国お家騒動本が出ないかな? 江戸期の本は既に出てるけど>>65
- 199 :
- >>198
数が多すぎるんじゃないかな?
- 200 :
- 文弱大名の印象が強いが大内氏は室町初期から独り戦国時代に入っていた
弘世 直冬奉じて幕府と合戦
義弘 九州南朝方の掃討、鎌倉公方と呼応して畿内攻め→敗死
盛見 幕府が推す弟一族ぶっ殺して大内家継承。色々あって少弐により敗死
持世 幕府が推(ry ぶっ殺して大内家継承。
教弘 少弐・細川・安芸武田と合戦
政弘 少弐・細川・応仁の乱
義興 畿内転戦・大友・尼子・細川と合戦
家督相続で争い、周辺国にちょっかいを出し続け、幕府と争い、幕府を助け、
明でも細川と争い
・・・これだけ合戦していれば衰退しそうなものなのに代を重ねるごとに隆盛
(盛見継承直後は一時的に衰退)という恐ろしい家
- 201 :
- 文弱なのは義隆だけだろ
しかも出雲遠征に失敗して以後の10年だけじゃね?w
- 202 :
- 伊達晴宗は長子(親隆)を岩城家に出して輝宗が家を継いでるけど、
こういう変則的なケースは御家騒動のタネにならなかったんだろうか?
- 203 :
- 岩城重隆との約束だし。色んな意味で双方納得の養子だったんだろ。
それに一人っ子ならまだしも弟も既にいたわけで。
- 204 :
- 納得もなにも、下賤な晴宗の身分を嫌い娘を妻にやるのを拒否した岩城氏が
さっさと娘を婚姻させて送り込もうとしたところを
晴宗が山賊行為で略奪レ●プし手込めにして強引に妻にしたから岩城が怒ったが
晴宗が返してくれるわけもなく、やむなく男子がいない岩城氏が妥協し
男児が生まれたら岩城氏に養子を出す約束で嫌々認めただけだし。
これ実は政宗と田村の愛姫の話も同様な強引さだったらしい。
- 205 :
- てす
- 206 :
- >>190
大友の場合は、そこまで単純じゃない。
義鑑の肥後政策変更 → 利害対立 → 新政策への反対 → 新政策反対派の更迭 → 義鎮の廃嫡 → 義鎮派(新政策反対派)の逆襲
- 207 :
- 義久と義弘
この争いに巻き込まれ家久親子は殺害される
- 208 :
- >>24
徳川政権←薩摩・長州など、維新軍により追放
維新・天皇政権←米国により排除
自民党政権←民主党によって排除
民主党政権→今ココ
- 209 :
- >>207
詳しく
- 210 :
- 秀吉の後ろ盾で義弘が増長した
- 211 :
- 確かに島津四兄弟が鉄の団結を誇ったうんぬんは嘘臭いね。
三男、四男は豊臣への対応という要素こそあれ抗争で死んだくさい。
- 212 :
- 兄弟団結なんてガセでしょ
毛利兄弟もむちゃくちゃ仲が悪かったから
わざわざ元就が訓戒の書状を出して諭してるくらいなんだし。
- 213 :
- 武家の仲良し兄弟なんて都市伝説みたいなものだおね( ^ω^)
- 214 :
- 北条氏康の息子達は?
- 215 :
- 北条は体制としての「家中」がほぼ完成していた戦国大名だからな。
強固なシステムで「立場」が規定されていた。
- 216 :
- 北条は鬼高利貸しが実権を握っており
北条一門はただ単に祭り上げられているだけだから
高利貸しの合意が意志であり、
兄弟の人格は無視されているので兄弟同士のエピソード自体が存在しない。
- 217 :
- >>216
キミにおすすめするのは戦国期の考察よりカウンセラーへの相談だな。
- 218 :
- 長慶・実休・冬康・一存・(冬長)の三好兄弟は仲が良いけどな
まあ…仲良くしないとやってけなかったからね
他の兄弟とは違って長男が傑物なのが他家とは違う所だな
…息子達(長治・存保)+(一英・義継)+(信康・清康)は散々だったが
- 219 :
- 種違いの細川真之もおるでよ
- 220 :
- >>210
義弘が増長したというよりは、豊臣政権との関係や、島津氏領国のあり方を
どうするかという部分で対立していったみたいだな。
旧来の一揆的な家中の結合から、豊臣政権下での軍役などの義務を担いうる
ような集権型への転換を義弘や伊集院幸侃が図ったのに対し、その流れに
抵抗した老中たちが義久のもとへ集まっていったようだ。
>>217
>>216がまともな史料や著書を挙げてるのをみたことがないw
北条兄弟というと、氏規に対して、足利義昭が「三和(武
田・上杉・北条の和睦)」を氏政がなす様に意見してくれと御内書を
出しているな。
>>218
結局冬長って何者なんだろう。
三好氏の史料(これ自体も少ないがw)を当たってもまあ
その名前は見ない。いつごろまで存命で、どういった役割を
担っていたんだろう・・・
軍記なんかだと、長慶と実休の中が松永久秀の讒言で怪しくなり、
三好康長の仲介によって仲直りした、なんて話があるようだな。
・・・まあ、久秀の暗躍ってのも正直話半分で考えたほうがいいような
ものばかりなので、信憑性は?がつくだろうけど。
- 221 :
- >>220
冬長は元長が死んだ時はお腹の中か生まれたて
ちなみに1553年の細川持隆の重臣 久米義広が起こした鑓場の義戦で
野口某という人物が相手の武者と一騎打ちとなり相討ちで亡くなっている
この野口某が冬長の養父か冬長本人かだが、野口冬長は原田直正に養子入りして
摂津に住むなんて資料もあるが時期的に冬長の子か養子だろう
確か資料によっては実休から冬長に養子が行っているのもあるが
資料が少なすぎてこれはまだ断定不可
野口某は現時点では冬長と断定していいと思う
弟達の中で一番最初に死んだのは一存ではなく冬長が最初
ちなみに冬長の死亡年齢が1553年の場合、冬長は19〜20歳で死んだ事になる
- 222 :
- あげ
- 223 :
- 関東では必ず家中に将軍(関東管領)派と関東公方派 がいて内訌が起きているよな
- 224 :
- 古河公方自体も内紛が多かったな
- 225 :
- 古河公方の内乱
・足利政氏×高基(父×嫡男)
・足利晴氏×小弓義明(甥×叔父)
・足利藤氏×足利義氏(嫡男×異母弟)
他にはあるかな?
- 226 :
- 蒲生家の御家騒動は、非一族の蒲生が多くて悩むw
- 227 :
- 三村家親の長子が庄元資として、他家に入ってるな。
伊達家のケースと同じで、何か約束でもあったのかな?
- 228 :
- 関東戦国史と御館の乱
http://hb.afl.rakuten.co.jp/hgc/078f4162.0400bdaf.078f4163.d5699732/?pc=http%3a%2f%2fitem.rakuten.co.jp%2fbook%2f6986232%2f%3fscid%3daf_ich_link_mail&m=http%3a%2f%2fm.rakuten.co.jp%2fbook%2fi%2f14374822%2f
- 229 :
- 関東公方の分裂から爪痕は大きく、なお足利氏姫は喜連川への移住を頑なに拒んでおられた
- 230 :
- >>228
これは面白かった。
明応の政変や天文の大乱とかも新書で出ないかな?
- 231 :
- 皆さんこんにちわ!大事なお話し中すいませんが聞いてください!
私は人類文化の大テーマと言ってよろしいかと存じ上げるのですが『道徳』と『戦争をなくす方法』を解明したつもりで『戦争をなくす方法』をサンプルとし、『道徳』を人類に日本政府払い百億円で売り込むという活動をネットにおいてしている者です。
世界のありようが根底から覆る様な理論です。
真剣です皆さんにも関係ある問題ですからご意見ください!!
今日は落ちます!!!
- 232 :
- 『室町幕府』って存在したのかねぇ?
尊氏の頃からもう実質戦国の世じゃないの?
家康以降多少のお家取り潰し等はあるにせよいかんせん多すぎだろう.
やっぱ将軍自身の配下が以内と『所謂』『身内』に頼ってしかもその『身内』
内で争って,室町幕府程クソな幕府はねぇよなあ?とか思うんだがw
- 233 :
- 足利義教の恐怖政治はまさに室町幕府だとおもうが
- 234 :
- 義満なんて日本国王だしな。
まあ義満が西の支配を確立させるべく
関東以東の統治を諦め鎌倉公方に奥羽あげちゃったから
義教が全国再統一に苦労したってのもあんだよ。
- 235 :
- 馬鹿って何で>>232みたいに極論大好きなんだろうな?
- 236 :
- >>234
ただ、当時の社会システムでは京都と鎌倉を同時に円滑に統治するシステムが確立していなかったから。
秀吉が家康を関東に移した背景の一つとして、大坂の秀吉が後北条氏滅亡後に関東を統治する自信がなかったからだという説も一応存在する。
- 237 :
- 保守
- 238 :
- 畿内の細川家だけど政元に実子がいればだいぶ違うと思うけど。
ま、彼の性癖を見れば無理な話だがw
政元に実子が居ないから養子やら分家やらが家督を巡り相争う状態になる。
- 239 :
- あげ
- 240 :
- 足利幕府は日本最悪の糞政権
- 241 :あぼーん:あぼーん
- あぼーん
- 242 :
- 明応の政変で既に戦国時代に突入しているが、
政元暗殺が、戦国時代の混迷振りをより一層決定的にした。
政元暗殺を防げれば、あそこまで畿内政局も混乱しなかっただろう。
また、三好氏もあそこまで下克上出来なかっただろう。
政元は、家督相続直後にも丹波国人と守護代の争いに巻き込まれて誘拐され
一時期廃嫡されてしまい、以前の相続予定者の細川勝之が家臣により擁立されている。
それより前の応仁の乱末期にも山名家との単独講和で勝之廃嫡と政元相続を求められ、
勝之派(対山名強硬派)の十数名の家臣達と勝之自身が反発してモンドリを切り落としている。
政元の家督相続の段階でもう既に色々もめている。
- 243 :
- あげ
- 244 :
- >>242
細川って大所帯なだけに色々揉めてるんだなー。そのあとの三好も揉めすぎだけど
- 245 :
- 細川は当時最強の大大名なのに戦国モノでは登場しなかったりで扱いがいまいちだなあ
- 246 :
- >>245
その細川の活躍した時期は三傑とかぶらないからね・・・
戦国で細川というと一般的には幽斎、忠興、ガラシャになってしまう
- 247 :2012/05/27
- 応仁の乱中盤から1550年代初頭までの100年間
ずっと細川・大内時代が続いたんだよな。
いわば戦国時代のほとんどは2強時代だったのに
戦国物では1560年代から1590年代ばかり取り上げられる不遇ぶり。
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