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信長の領土拡張は実力なのか?棚ボタなのか?


1 :2013/09/27 〜 最終レス :2013/10/24
過去スレを様々読んでみたが、イマイチよくわからない。
一般書籍や郷土史の類も今ひとつ詳細に記載されてるものがないので
詳しい人にお聞きしたいです。

2 :
アホのだがに惑わされてる人ハッケソ

3 :
>>1の 不自然な 改行

4 :
信玄や謙信や氏康と比べてみると一目瞭然だし

5 :
十河一存 斉藤義龍 三好義賢 細川晴元 細川氏綱 三好義興 安宅冬康 三好長慶と 畿内の有力武将は次々病死した上に
六角も北畠も斉藤も内訌で崩壊。足利義輝が暗殺され、畿内が混乱状態になって足利義昭が信長の下に訪れ、中央へ行く大儀名分と味方を得た信長は
六角義秀や和田や浅井の援軍を受けまくりながら斉藤攻略・上洛に行き着くというここまで棚ボタを得たのが信長の領土拡張

6 :
棚ぼたの方がよっぽど凄い

7 :
棚ぼたで得たと言うことはそれだけ信長の強運が凄いと言うことだからなw
信長が祈っただけで義元が死に信玄が死に謙信が死ぬ世界
あまりに上手く行きすぎて飽き飽きしたから、本能寺も自分で引き起こしたんだろう

8 :
全盛期の信長伝説
敵国侵略は当たり前、自国の領土を攻め取ることも
初陣大将首を連発
信長にとっての敵国侵略は大将討ち取りの出来そこない
城にいるだけで敵将が悶絶死した、一族郎党滅亡する敵将も
信長に滅ぼされたことを気づかない敵将も多い
あまりに敵を滅しすぎるので敵でも謀叛扱い
その謀叛もガンガン鎮圧する
信長が一睨みしただけで浅間山が大噴火する
三職推任状も馬上で受け取った
軍兵を使わず1人で攻め込んだことも
刀を一閃すると周囲が焼け野原になるので力をセーブしていた
熱田神宮に願掛けしたら今川義元が急死した、ついでに斎藤義龍も急死した
信長と戦うと決意した武田軍が信玄急逝で失意の中帰国すると、何ヶ月も前に信長からお悔やみの書状が届いていた
民衆の敵対行動に流暢な尾張弁で説得しながら敦盛を舞っていた
長篠の山奥から丹波平定の軍を指揮していた
刀を3回振るだけで天下統一ができた
返書は常に褒め倒し、息子を叱るときもまず褒める
洛中行事に手が回らず分身したことも
1576年世界10大事件 第1位「信長が大腿部を負傷」
信長の着る鎧兜は、防具ではなくオーパーツ
信長を驚かせた人間は信長自身だけ
本能寺の変は信長の過去旅行に対する送別会
それでも気に入ってたのか「天地夢ノ助」と名乗っては時々秀吉にちょっかいかけに行っていたらしい

9 :
>>7
オカルトにそういう設定あるよね

10 :
他力本願だけで生きて生きた信長

11 :
>>8
何もしてないのにけなして荒らしてたやつの本名がバレた

12 :
まあ菅沼遼太の件は他力本願だなw

13 :
信玄が活躍したのは菅沼遼太のおかげ

14 :
>>6も言っているけど、棚ボタの方がよっぽど凄いよなぁ。
他力本願でも凄い。
そんな強運が欲しいわ。

15 :
ぜんぜん凄くないだろw

16 :
世の中の大半は運や不可思議な要素で占められているからな
そういう部分がなければ天下人になれないのは至極当然

17 :
成功者は運と実力を兼ね備えているのが普通だな
しかし、スレタイみたいな二択なら、運だけのほうが実力だけより凄いだろ

18 :
つまり信長はただの無能アスペDQNキチガイ殺人鬼だったわけだ。

19 :
などと菅沼遼太君は意味不明の事を述べており

20 :
>>18
菅沼クン、病院に行こう!

21 :
>>17
むしろどれだけ負けても強運のおかげで一切致命傷にならないとか
神様に比例できるレベルだから満場一致で当該人物の最強論ができるレベル
どんな強い人物でも1人の時とか軍勢が揃わないときとか負けた時とか隙はあるのだが
それだけの強運を自由自在にできるなら、その点もカバーできるのでそいつを負かして討ち取る手段がない。

22 :
ただ単に
棚からぼた餅
なだけだろ。
信長が愚主だから家臣に焚殺という私刑で穢され
(当時は遺体を燃やすことを野蛮かつ不面目なこととして忌避されていたし
キリスト教でも火刑は天国へ行けれない極刑。ちなみにいまだに栃木の田舎なのでは死体を焼かずに埋葬する習慣が残っている) 
家臣に織田家を乗っとられたわけだし。

23 :
武田が信長に滅ぼされたのは神の思し召しということですね

24 :
プププwwww火葬が野蛮かつ不面目wwww
日本では702年の持統天皇が死後に火葬したのを皮切りに文武、
淳和天皇など火葬された天皇も数多くいるという事実www
そもそも仏教大国の日本では仏教の開祖である釈迦が既に火葬されていたので
火葬が汚いだの忌避しただのマイナス認識はほとんどなされていなかった事実
そういえばお隣の北朝鮮や韓国は儒教の影響が色濃く火葬は汚いニダ、土葬じゃなきゃ嫌ニダと言っておりますなぁwww

25 :
いやいやフロイス日本史でも
日本では見捨てられた人々や貧しい人が火葬されると書いてあるわけだがw

26 :
日本では既に700年近くの頃から当時の高貴階級天皇を始め
火葬が既に一般的となっていた事実は周知のとおりだが
お隣の韓国北朝鮮では儒教思想から火葬を忌避する人間が多く
2006年現在でも亡くなった国民の47%が土葬を選択すると言う土葬大国
そのため土葬をした死者を埋葬する土饅頭と呼ばれる墓を国中に作りまくり
国土のどこでも少し掘れば死体が出てくるという不名誉な問題が頭を持ち上げている情けなさw
そのため火葬を選択する国民も増えてきているのだが現代でも韓国朝鮮にとっては
「火葬は埋葬する土地を持てない貧民階級がやるもの」との蔑視が強い。
>>22はどこの国の人なんでしょうなあwwww

27 :
>>25
朝鮮人らしい浅ましき大嘘乙www
日本の貴族階級の頂点に位置する天皇家は代々仏教式の葬式をするのが慣例で
持統文武淳和を始めほとんどの天皇が火葬という方式を選択されていたのが事実
むしろ土葬なんてのは天皇埋葬の慣例を破る行為として「御密行」と扱われ
土葬された天皇でも世間には「火葬」と発表していたくらいの火葬重視主義w

28 :
天皇皇后を始め現在ですら皇室は基本的に土葬で、
身分が高い人々は古来から土葬。
江戸時代でも棺桶に膝を抱えるように遺体を入れて埋葬するのが基本。
遺体の骨を折ってから埋葬することで蘇らないようにする呪術的埋葬方式もあった。

29 :
孝明天皇から昭和天皇まで土葬を貫いていたが
2012年4月26日に宮内庁がこれからは火葬することに変更し、
それに伴って、天皇と皇后を一緒に埋葬することを検討し始めてる。
やっと皇室も意識変化し始めてる。

30 :
見苦しいな朝鮮人はwww
天皇皇后が正式に土葬になったのはつい100年前の孝明天皇からで
その慣例も平成の今上天皇が検討あらためをするという拙い慣習
日本では持統天皇以降天皇家は仏式に習い火葬が一般的であり
とくに中世では持統元明元正文武と火葬にされた天皇が数多くいた。
江戸時代になると天皇みずから火葬や土葬を選択できたが
それとて持統天皇以来の伝統を守るために葬式の形は「京東山の泉涌寺」で執り行い
火葬される場合と同じような葬式を執り行うという徹底した火葬伝統主義がまかり通っていたと言う事実www

31 :
バッカw
神道は土葬やってんだよwww
お前がやたら仏教式を声だかに書いて牽制を入れてる姿が笑えるwww

32 :
神道は朝鮮式とか書いてデタラメ歪曲を公然と流布させてるキチガイ織田半島人きもっw

33 :
馬鹿はおまえだよバーカwww
天皇家が神道と結びつきを強めたのは神仏習合以来で
そもそも日本神道は火葬を禁止しておらず
1873年に「仏教のような世俗に満ちた教えを信じるな」とばかりに国のお達しで一時期火葬を禁止しているが
わずか2年で解禁されてそれ以外は神道系でも火葬が復興してしまうという事実www
そもそも火葬が汚い汚らわしいというのは「肉親を炎に包んで苦しませる」という行為を好ましく思わない
儒教思想が元凶で、日本では神道だろうが仏教だろうが火葬を一切禁止していないと言う事実。
そして日本では仏教に熱心だった持統天皇以降、火葬にされる天皇も多かった事実www
日本神道まで捏造し歪曲し朝鮮流の「土葬偏重主義」を持ち込むだがチョンこと菅沼遼太wwww

34 :
朝鮮人が古代日本を支配してた説の根幹部分が
神道=朝鮮
とするトンデモ説だから反日するやつは基本的に土葬を貶める。
しかし土葬文化は割と消えずに残ってる。
奈良の田舎ではまだ守り通してる。

35 :
仏教かぶれの天皇を持ち出して
ミスジャッジへ誘導しようとする織田朝鮮人www

36 :
自演してまで朝鮮流を捏造しなくていいからwww
日本では6世紀に伝来した仏教を巡り廃仏派の物部が崇仏派の蘇我に敗れて以降
一貫して天皇家では仏教を神道と同様に崇め、両者とも火葬を禁じていなかったため
仏教式の火葬を持統天皇が始めたのを皮切りに天皇家では多くの天皇皇族が火葬にされたと言う事実www
日本では既に700年近くの頃から当時の高貴階級天皇を始め
火葬が既に一般的となっていた事実は周知のとおりだが
お隣の韓国北朝鮮では儒教思想から火葬を忌避する人間が多く
2006年現在でも亡くなった国民の47%が土葬を選択すると言う土葬大国
そのため土葬をした死者を埋葬する土饅頭と呼ばれる墓を国中に作りまくり
国土のどこでも少し掘れば死体が出てくるという不名誉な問題が頭を持ち上げている情けなさw
そのため火葬を選択する国民も増えてきているのだが現代でも韓国朝鮮にとっては
「火葬は埋葬する土地を持てない貧民階級がやるもの」との蔑視が強い。

37 :
子規自身は土葬されたように、明治の半ば頃までは、
日本人の埋葬は土葬が圧倒的に多く、火葬は一割程度だったとされる。
それも京都などの既成の大都市や、真宗地帯に偏っており、殆どの人は土葬されていたのである。
火葬が急速に普及するのは戦後のことである。
ttp://japanese.hix05.com/Folklore/Burial/burial02.cremation.html

38 :
また適当なホームページがソースかよワロタwwwww
そもそも日本はキリスト教対策で江戸時代に強制的に寺請制度が作られ、
どんな庶民でも寺院を菩提寺にしろというお達しが出ていたので
庶民の大半が仏教式の葬式を営んでいたことも知らないのかwwww

39 :
そもそも火葬が禁忌とされる儒教やユダヤ教ではその理由が告示されており
儒教では身体の毀損行為が望ましくないと言う点、ユダヤ教では
死者が復活する転生(いわゆる最後の審判の後)思想が堅く信じられており
この際に体が必要だからという理由で禁止されていた。
一方仏教や日本神道では人間は死後、人間あらざる存在になり、
仏教ではこれを成仏といい、日本神道では(守護)神という存在になる
つまり遺体は抜け殻と同義なので教義には一切入っていない。
ただし仏教の場合は開祖の釈迦が火葬されたので、それに習って火葬しているだけ。
火葬が忌避される状況など生じるはずもないのだが、さて>>22はどこの国の人かな?www

40 :
本当にアホなのか。
火葬に移行したのは明治時代に感染症の知識が入ってきたからだぞ。
江戸時代は土葬が一般的。
そもそも昔は遺体を骨片にするまで焼く火力がなく、
やろうとすれば一昼夜焼き続けるだけの木材が必要で、
そんな金と木材資源を庶民は用意出来ない。
極めつけは徳川将軍家からして土葬なこと。
そして大規模災害で大量の誰だかわからん死体が生まれた時だけは、
一気に火葬で焼いて全部まとめて処理をしていた。

41 :
>>38
そんなら江戸時代は火葬が圧倒的に多く
土葬はごくわずかだったと書いているHPが一つでもあるなら出してみろやwwwwww

42 :
馬鹿かおまえ?
土葬がいいか火葬がいいかなんて今の議題じゃねーんだよ
おまえは>>22で確かに
「当時は遺体を燃やすことを野蛮かつ不面目なこととして忌避されていた」と
確かに言ったよな?wwww日本では仏教だろうが神道だろうがこんな考えが出る幕なんてねーんだよw
両方とも遺体に関しては何も触れていないからな。で、俺はこの部分を指して
おまえはどこの国の人間だ?wwwと聞いているわけなんだが。
ちなみに徳川将軍家が代々土葬なのは始祖の家康が吉田神道の方式で土葬にされたのを受け継いでいるからで
鎌倉室町の将軍はむしろ火葬にされているのだが

43 :
>>41
HPなんて好き勝手かけるだけで全くアテにならんのに何言ってんだこいつ
今から俺が短時間で作って「どうだこのHPには火葬が一般的だと書いてあるぞ」
とでも言えばいいのか?w
そもそもおまえは>>40でコストの問題を出してるようだが、
おかしいじゃないか、>>25でおまえはフロイスの言を借りて
「日本では見捨てられた人々や貧しい人が火葬されると書いてある」と発言しているわけだが
見捨てられた人々や貧しい人がおまえ(>>40)のいう「コストのかかる方法」で丁重に弔われるのか?www

44 :
>>42
別所氏の人質を身分ごとに3つのグループに分けてから信長はそれぞれを別な手法でR差別化をしている。
36人の貴人は斬首
120人の国人豪族は磔して槍でR。
それより下の身分の人質514人は焚殺で生きながら焼かれ苦しみ死んでいく苦刑。
キリスト教世界では火刑で生きながら焼かれ獣のように叫びのたうち回る苦しみへの同情から火刑前に殺してあげる温情処置が取られたほど。
洋の東西を問わず火刑は極刑で、
江戸時代は放火が極刑とされた。

45 :
菅沼くーん
暴れてると完全に特定情報流れちゃうからやめとけよ

46 :
>>44
日本はキリスト教の国じゃねーしそもそも信長の死因は自害だアホ

47 :
>>46
自害したとする一次史料はまだなの?
焼死しただけでしょ。

48 :
>>43
>>見捨てられた人々や貧しい人がおまえ(>>40)のいう「コストのかかる方法」で丁重に弔われるのか?www
フロイスはその場合は僧が死体を拾い集めてから、僧が責任をもって処理するルールになっていると書いている。
まぁ無縁仏にされちゃうってことだな。

49 :
>>47
蓮成院記録、多聞院日記、兼見卿記、など当時の記録に「生害」と思いっきり書かれているがw
そもそも蓮成院記録によれば火をかけたのは信長自身だという記述がある
おまえの国ではこれから自害しようとする人間が火をかけるのを焚殺と言うんだな菅沼遼太w

50 :
>>48
えっ、1人焼くにもコストと燃料がかかる贅沢手法だと>>40で言っておきながら
無縁仏になるような見捨てられた人間や貧しい人間を一度に大量に処理する必要があるようなケースで
贅沢手法の火葬を選択するとか凄まじく矛盾した方法論じゃないかw

無縁仏になるような見捨てられた人間や貧しい人間こそただ土に埋めるだけの土葬の方がはるかに楽だし
しかも無縁仏になるような人間は御墓が必要ないから猶更火葬してお骨をあげる必要性もないわけだが。
そもそもフロイスはキリスト教の人間で「土葬=崇高、火葬=卑賤」という凝り固まった観念常識を持った
人間であるということを頭に入れて発言しているんだよな?w

51 :
>>40>>50の自演です
愛知県安城市今池町3丁目7-32 サニーグレープU 菅沼遼太

52 :
>>46
例え最後は自害でも、ああいう形なら普通に戦死扱いされるな。
勝頼とかも同様。

53 :
織田家としては名誉のために自害と発表するしかねーよな。
本能寺から一町しか離れていない至近距離にあった教会が一番信憑性あるコメントだろうが、
フロイスの情報は二つの死に方を描いている。
一つは信長は長刀で戦っていたが銃弾を腕に受けたので切腹した説と
生きながら焼死した説。
フロイスはどのようにして死んだか分かってないと結論づけ、
はっきりわかっているのは信長の体が毛髪も骨も一つ残らず灰燼に帰し、地上になにも残らず燃え尽きた事実だけと書いてる。
前者は明らかに織田家スポークスマンによる対外イメージ広報に過ぎず、
後者が事実だろうね。

54 :
>>53は明らかにアスペルガーだが=菅沼遼太によるアンチ織田の糞レスに過ぎず、
真相は謎だろうね。

55 :
まあ、スレ主思い通りの展開だな。

56 :
蓮成院記録によると火をかけたのは信長自身だから
信長が焼死したならそれは焼身自殺になるから名誉的には自害より上だね
そもそも「信長の体が毛髪も骨も一つ残らず灰燼に帰し、地上になにも残らず燃え尽きた」と言うのが
大変怪しく、人体が完全に灰燼になるほど燃え尽きるのに必要な火力を引き出すには原爆などの近代兵器でも難しいとされているが
これが事実だと言うならそもそも信長の遺体そのものがでっち上げということになり、信長が生存していても不思議ではないね。

57 :
美化されたネタなんて情報操作だから、
実際は生きながら苦しみ悶え、獣のように喚きながら信長は焼け死んだんだろう。
火薬に引火させた光秀の勝利だな。

58 :
火をつけたのは信長なのに光秀の勝利wwww
菅沼遼太の朝鮮解釈はやはり一味違うなwww

59 :
>>44
なるほど最下層階級のみが火で焼かれて殺されたのか。
信長も最下層扱いで火に焼かれて死んだんだなwww

60 :
独特の朝鮮理論を講じる菅沼遼太w

61 :
内政放棄で軍費調達方式が略奪恐喝犯罪組織型統治の織田組
永禄11年11月上洛するやさっそく
石山本願寺に礼銭五千貫を恐喝
法隆寺に防築銭千貫余を恐喝
永禄12年2月
堺の代表10人中8人を
自刃に追い込み二万貫の矢銭を恐喝。
尼崎は矢銭拒否により全焼略奪。
8月の織田による山名祐豊の但馬攻略後に
祐豊は堺の金融業者の渡辺宗陽を頼って今井宗久を紹介され
今井宗久が祐豊に年利40%で1000貫文を貸付け
それを信長への礼金として但馬復帰を許してもらってる。
信長が永禄12年からの恐喝集金システムでバブリーだったのも
志賀の陣での敗北までに浪費しまくって全部使ってしまったのだろう。
(織田は兵糧が手に入らず1万を養うのも不可能になる反面、朝倉軍は3万で比叡山で豪遊)
信長がやたら強気に出て、本願寺まで敵に回してしまったのも
あまりの想像を絶した大集金で舞い上がってマトモな判断力を失っていたのだろう。
永禄13年4月改め元亀元年4月に改元。
朝廷からの荘園返還要求から逃げまくる信長
比叡山の荘園横領しまくりの信長による元亀2年9月比叡山焼き討ち略奪。
(志賀の陣での和睦条件である荘園返却を実行すると織田財政は完全破綻)
元亀3年に奈良内銀子320枚・興福寺銀子100枚・東大寺銀子50枚を上納
しかし金が尽きたのか12月にも再度の要求があり成身院に銀子100枚上納の記録が残ってる。
この年は大和で地震もおきていて大和亡国と呼ばれた。
元亀4年に天皇から乱妨狼藉の禁止・禁中御警固を命じられていたのに
まずは小手調べで賀茂〜嵯峨まで燃やして恐喝し銀棒300(それぞれ重さ43匁)
恐ろしくなった上京が払った銀1300枚の受け取り拒否した上で上京を焼き討ち略奪。
(信長に金を渡しに行く際に織田軍に略奪され、改めて高利貸しから借金して信長に渡すなど酷い状態になったりした)
御所への延焼の恐れが出てきて天皇も逃亡準備。桂川が死体で埋め尽くされる大虐殺開始。
下京恐喝(銀800枚)で金品を集める。
しかしあっちゃこっちゃ延焼しまくりで火だけは統御できない。
織田軍は常に金欠だったんだろうな(ちなみにこれ以前にも京で略奪をやって織田軍と徳川軍が
略奪品を巡り衝突し織田軍が敗北している)
越前加賀で虐殺略奪大会したあとに前田や不破や佐々に越前の寺社領は
先祖の織田神社以外はすべて没収とかやってるし宗麟とかは商人から借金したりしてるけど
信長の場合は武力をチラつかせて上納を要求する恐喝型だしな。 完全に893
しかしもう恐喝できる相手すらいなくなり
みんな貧民だらけになってしまう現実・・・北朝鮮的織田統治下全員貧困化政策。
堺、草津、大津の関に代官を置いて税金取ってた信長に対して、
三好や六角や一向一揆はその交通量を激減させ
織田軍の補給や退路を遮断させ疲弊させる戦略だからかなり有効だったと思われる。
京での暴挙は自暴自棄に等しく完璧に物心両面で信長は追い詰められていた証拠だろう。
さらに奈良京都堺尼崎で恐喝略奪をして荒廃させた以上、 これ以上の略奪における大利益をあげるのは難しく、
天正2年春に織田が攻勢をかけるもまた資金難で停滞し各軍が各国で苦戦している。
兵力分散してるのも各軍が各国に現地調達をして軍を養わざる負えないからだろう。
現地略奪方式を取らざるを得ない。 織田軍が虐殺したりしてるのも略奪や財産没収が目的だろう。
この略奪モンゴル方式は言わば、牟田口司令官のような者が信長であった証明であろう。
アスペ・パワハラ独裁権力者だったから日本は不幸の闇に包まれたってわけだ。
武田軍は輪番制や村請、印判衆がいるので軍役衆は帰る必要が無い
知識が40年以上前から進展せず、知恵が小学校低学年のまま進歩しないのが信長
兵科別の編成がなされていたから
北条・上杉・武田は部隊別の兵種の占める割合がわかるんだよね。
だけど織田はそんなことやってないからまったく不明。

62 :
武田は小学校低学年に滅ぼされたってことか…

63 :
>>50
寺社は自分らで管理していた寺領で管理していた木材がただで使用できた。

64 :
兵科別編成www
どっかの本でもそんなトンデモ説主張していたなぁ〜w

65 :
>>63
まさか個人が1人でやる葬式は資金を用意する必要があるから、とか言うわけないよな?w
そもそも大量の死体を一度に焼くなんざ現代でも困難と言われているのに
大量の死体を一箇所でえっちらおっちら1人ずつ焼いては埋葬なんて七面倒なことしてたとでも言うのか?w
そんなことするより一箇所に穴掘ってそこに死体を大量に埋める方が効率的だし
現代でも無縁仏の扱いは個人墓のそれよりいい加減で所狭しと大量の無縁仏が一箇所に埋葬されているくらいなのに
お骨の類が必要ない無縁仏で「火葬は当時の贅沢手法だ(>>40)」と言っておきながら身寄りのない貧民集団のために
いちいち1人ずつ火葬すると言う凄まじい矛盾

そもそもフロイスはキリスト教圏の人間で「土葬=崇高、火葬=卑賤」という凝り固まった偏重主義を持った人間だと言うことを完全に忘却した理屈w

66 :
いちいち1人づつ火葬
そんなことどこにも書いてないのにお前はバカか。
それに遺体は獣葬に近い状態ですでに損壊しているから、
それほど焼く必要がなくなってると想像できない貧困さが哀れ。

67 :
一片に全員焼けないんだから1人ずつ焼くしかないじゃんよw
日本語もできないのか朝鮮人さんよw
しかもそれ火葬って言わないじゃんw
ただ供養してるだけなんだからむしろ土葬だろ哀れwww
そもそも獣葬は肉を腐敗させた後に火葬にするが
この時火葬にするのは身寄りのある人にお骨を渡すため
身寄りのない貧民集団でお骨あげてそのお骨どうするんだよwww
自分で言ったこと>>40を自分で否定しちまいやがんのw

68 :
ここまでの流れ
だが「フロイスの言を借りれば火葬は貧しい人や身寄りのない人のためのもの(>>25)」
だが「火葬は贅沢な手法でスタンダードは土葬(>>40)」
だが「火葬は無縁仏のためにやる(>>48)」←えっ>>40を自ら否定?w
だが「寺社は自前の木を使って焼くからタダ、大量に火葬するのはわけない(>>63)」←同じく>>40を否定
だが「無縁仏になるような遺体は損傷激しいから焼く必要なし(>>66)」←>>48も自ら否定ww

69 :
一人づつ火葬と捏造
論破されると今度は
焼く必要がないなどと曲解
しないと成り立たないほど追込まれてんの露呈w

70 :
えっ、>>66で既に
「遺体は獣葬に近い状態ですでに損壊しているから、それほど焼く必要がなくなってる」
と、まぬけた見解がでてるじゃんw
あ、もしかして「身寄りのない貧民集団は遺体が腐敗しているからすぐに焼ける」とでも言いたかったのか?w
ごめんなーわかってやれなくて。なんせ成人の人間が地上で死んで白骨化にかかる期間は
約1カ月かそこらで、獣葬に近い状態で放置されていたら焼く必要もなく綺麗な白骨になってるからさーw
そもそも火葬をやるのは身寄りのある人間にお骨を形見として分けるケースが高いから、身寄りのない貧民集団には無用の長物のものなんだけどもw

71 :
分けるケース→分ける確率

72 :
>>70-71
よっぽど悔しくて焦ってレスしたんだね^^よちよちww

73 :
それほど焼く必要がなくなってきてる
この文章を歪曲すると焼く必要がない
などと変換できるのか。頭おかしいなw
つか、名誉を守る自刃や自害には、介錯する側にも
苦しまずに首を刎ねる腕前と礼作法が必要で
介錯に失敗すると恥なので人選を慎重にする。
しかし火刑にはそういう礼法や技術が必要ないので
身分に応じた刑罰になる。

74 :
>>72
何言ってんだこいつ^^;
にほんごもわからないんでしゅねw
どうせ>>73も菅沼遼太だろうから俺が知恵遅れにもわかりやすいように説明してやるけど
一般成人が死んでから完全に白骨化するまでかかる期間は約1ヶ月
しかも一部白骨化してから完全に白骨化するまでの期間は大変短い
つまり>>66で菅沼遼太が「遺体は獣葬に近い状態ですでに損壊しているから、それほど焼く必要がなくなってる」というデタラメを吹聴しているが
こんな都合のいい状況はそもそも発生しない。まただがチョンは>>66で獣葬の言葉を出しているが
これも知ったかぶりが凄まじく、実際の獣葬では火葬は儀式同然で既に白骨化を終えてから行う。
日本の場合は儀式ではなく遺族や身寄りの親族にお骨を形見分けするためなのだが、
だがチョンは>>40で「身寄りのない貧民集団に行う」と主張している。
身寄りのない人間がお骨を形見分けする必要がないので、猶更火葬を行う必要がないというわけだなww
(現代では土葬自体がまず行われないので、火葬して遺骨は寺が管理することになるが)
ちなみに名誉を守る自刃や自害には介錯する側が云々などと>>73でも吹聴しているが
介錯人が完全に必要とされるのは江戸時代になってからで戦国時代までは介錯なしで自害する人間もいた。
他ならぬ信長がその1人で信長記では介錯人もつけず「部屋に誰も入れるな」と遠ざけるところで話は終えられている
もちろん自害せずトンズラこいた可能性も否定できないわけだが

75 :
完全に白骨化するまでかかる期間は約1ヶ月
しかも一部白骨化してから完全に白骨化するまでの期間は大変短い

ばっかだなぁ。季節、天候、湿度、気温、
死体の保管場所や土壌状況、生前の健康状況や栄養衛生状況、
諸々でかなり違うのも知らんとか小学生レベルの想像力しかねーなお前。

76 :
>>74
お前さ、自分が思った願望妄想を書いてるだけだろ。
相変わらず根拠ゼロの話を書く時だけは元気いいなw
でもほとんど意味不明な屁理屈垂れ流しになってるからやり直し。

77 :
浅井久政の介錯人は福寿庵
>>介錯人が完全に必要とされるのは江戸時代になってからで
えっ!?思いつきでデタラメ吐き散らすなよ・・・
浅井久政の介錯人は福寿庵
松平元康の介錯人は服部正成だったができず、
代わりに検死役の天方道綱が介錯にあたった。
別所長治の介錯は三宅治忠
武田勝頼の介錯は土屋昌恒
武田信勝の介錯は武田勝頼
小山田信茂の介錯は則武三太夫
織田信忠の介錯は鎌田新介
豊臣秀次の介錯人は雀部重政

78 :
>>75
そんなわかりきった話に今更揚げ足取りとかww
これは一般成人が地上で死んだ時の記録だ、わざわざ地中に埋めるなんて非現実的だしなw
>>76
都合が悪くなったから議論をうやむやにしたいのはわかるが、
>>68の流れがあったことは否定できないぞ菅沼遼太w
>>77
おまえの中では松平元康は途中で切腹したことになってるんだなw
ついでに言えば武田勝頼の介錯人は複数説あるし
そもそも信長は信長記を含むどの史料にも誰々が介錯人になったとは記録されていない有様だぞw

79 :
信長は焚刑で焼け死んだから介錯する人はいらないだろ。
ほんとに自害してたら介錯人の名前書いてるわな。

80 :
火をつけたのは信長だと一次史料にあるのに焚刑wwwww
菅沼遼太の朝鮮理論wwww

81 :
信長が火を付けたところを誰が見たんですか?
目撃者を教えて下さい。

82 :
生き残った織田家家臣や女中が見てるだろうし
そこから蓮成院記録に残ったんだろうな
そもそも信長を自害に追い込むために行動している光秀が
火をつけてそれに紛れて信長が逃亡するような状況を作るわけないしな

83 :
>>82
織田厨が涙目で願望妄想を書いている哀れさワロタw

84 :
だが敗北あげ

85 :
信長のブザマな死に方を隠蔽した
織田公式見解だろw
そもそも信長が火を放ったのを見たやつなんて包囲下で生存してるわけねーからな。
女中だって火が放たれる前に逃げてるだろうし。
名誉の自刃をするやつはみんな敵に見せつけて意地を見せつけ自分の死を演出してる。
隠れてこそこそやって火をつけるなんて様式は武門の文化に存在しない。

86 :
菅沼遼太が涙目で願望妄想を書いている哀れさワロタw

87 :
本拠地移したり街道整備したりして勝つべくして勝ってる
父親の代より商業を重視して軍資金はそれなりに集めてるし
兵力を整えて勝っている戦も多い
実力といっていいだろうな

88 :
武田だって
石和→川田→府中と次々に移転し城下町を作り家臣を集住させて、
街道と駅馬制度を整備してるし、
別にそんなことは特別なことじゃねーよカス

89 :
いちいち煽らないといられないところが哀れだ

90 :
最近論破されてばかりで気が立ってるんだろう

91 :
>>88
つまり当たり前のことを当たり前に行い、そして結果を出した。
それは普通「実力」と評されるのではないかね?

92 :
十河一存 斉藤義龍 三好義賢 細川晴元 細川氏綱 三好義興 安宅冬康 三好長慶と
畿内の有力武将は次々病死した上に、六角も北畠も斉藤も内訌で崩壊。
足利義昭が信長の下に訪れ、六角義秀や和田や浅井の援軍を受けまくるとここまでお膳立てされたのが
信長の上洛

93 :
順番に見てみよう
尾張統一→実力と見ていい、手腕も中々
美濃侵攻→義龍とは一進一退、義龍が病死で幼い龍興になって家中混乱、ラッキー
近江侵攻→浅井は同盟国、六角は観音寺騒動でズタボロ、棚ぼた
畿内侵攻→三好長慶の死後は三人衆と松永の泥沼内紛状態、三人衆に追い詰められていた三好義継と松永久秀があっさり臣従、ラッキー
伊勢侵攻→苦労するが制圧、実力だが、最終実積から見ると苦労しすぎの印象
こうなると、将軍をようし、京も押さえ、もはや経済的にも、国力的にも日本一の勢力
次に越前侵攻→浅井の裏切りもなんのその、朝倉義景に家中統率力がなかったのもあるが力でねじ伏せる
そして本願寺、比叡山などの宗教勢力を打倒、実力といっていい
いよいよ武田信玄が中心の信長包囲網が発動、反乱続出→信玄病死、包囲網ガタガタ、各個撃破、超ラッキー
将軍を追放して怒った上杉謙信が上洛開始→病死、後継者争い勃発、自滅、ラッキー
次は中国、四国制圧だ、で本能寺
こうやって見ると、運の要素は非常に高い
が、実力無くして出来ることじゃないのも確か
好機を逃さず、確実に成果を上げたのは間違いない
棚ぼたとまでは言わないが運を実力に変えた名将

94 :
>>93
志賀の陣をガン無視ですか?
そもそも朝倉は常に織田を圧倒。
将軍が信長に降伏したから、将軍任国の若狭が動揺し、
本国への退路に不安要素が現出したので、
急ぎ無理やりな撤兵をしたために追撃を受けて敗れるまで、
朝倉は織田に負けたことすらない。

95 :
>>94
え?
それは義昭を封じ込めた信長の手腕を評価するところで
その結果が朝倉戦の勝利、つまり棚ぼたではなくないか?

96 :
えっ?信長が天皇に土下座して義昭と和睦するように涙目で懇願したからでしょ。
つか、斉藤龍興を伊勢へ逃亡させたのも、
織田軍が斉藤軍の旗を持って、味方のフリをして近づいてきての
騙し討ちで信長が勝ったからだとフロイスも日本史に書いてるからなー。
信長がまともに戦って勝ったことなんてないだろ。ただの卑怯者。

97 :
斎藤→龍興は元服しており別に幼君ではない
六角→武田のように裏切り者逃亡者続出だったわけではない
普通に信長の実力です

98 :
戦国時代で騙し討ちは正当かつ策略に満ちた立派な行動だからな
騙し討ちがなければ武田の当主は武田信繁が継いでいただろう

99 :
悪辣な強盗・詐欺師「俺がやった姦計はキレイな犯罪だ」
やっぱりキチガイ織田厨・・・

100 :
戦国時代と平和な時代を同一視するだがチョンw

101 :
ぶっちゃけ領土の拡張なんていかに棚ボタのタイミングを見逃さずにやれるかどうかなんだがな。
棚ボタを見逃す奴が愚将なだけ。

102 :
信長程棚ボタがあれば領土拡張できない雑魚なんてそうそういないだろうがな

103 :
信玄さんて超ド級の雑魚だったんだね。
周り弱小しかいなくて長尾は北条片手間でほとんど空き巣狙いできたのに十年もグダるという。
死にたいの今川潰すのも5年ぐらいかかったよね。
その間、上杉に手出しされないように必死に信長に泣きついて。

104 :
大仏を燃やした三好らに危機感を持ったため
畿内では義昭将軍擁立にむけてお膳立てしてもらったのが信長じゃん。
義昭を蔑ろにした途端、信玄に追い詰められてたった兵1万しか動員できないまで無力化され
自暴自棄で京で乱逆無道の賊行為を働いたのが信長。
そもそも美濃は斉藤の元で統一されてるから、
濃尾平野にあった井の口居城を攻略すれば簡単に美濃平定が完了するヌルゲーっぷりと違って
山谷国といわれた信濃は要害堅固を支えに群雄割拠する戦国っぷりで、
各地域に1000〜の兵が篭る国人だらけで篭城する敵相手に信濃全域で苦労したわけだ。
岐阜県の面積: 10,620 km2(井の口居城を落とすだけで一国平定)
長野県の面積: 13,590 km2(要害堅固・縦に領土が長く交通補給路に難儀・群雄割拠)
だいたい跡部氏や逸見氏らが専横していた甲斐では、
甲斐守護武田信重が甲斐への入国を将軍から言われても拒否するほどだった。
17年後に無理やり入国させたが穴山氏に暗殺される始末。
こんなに武田の基盤は崩壊していたわけだしな。

105 :
信長があれほど簡単に畿内での支配が可能になったのは
1561年に 十河一存 斉藤義龍
1562年 三好義賢
1563年 細川晴元 細川氏綱 三好義興
1564年 安宅冬康 三好長慶
と相次いで主要人物が馬鹿みたいな勢いで死んでいき有力者が誰もいなくなっちゃう。
これで畿内は力の空白が生まれたんだな。
特に父祖に劣らず器量に勝りて一度は天下の乱をも相鎮めた人なりと
賞賛された長慶嫡男三好義興が22歳で死去したので長慶がボケ老人になったのが痛かったな。
この畠山高政と六角義賢の挟撃策に三好義興が芥川城で指揮して勝利したことで事実上、
畠山氏と六角氏が決定的に衰退することになり果て将軍を巡るシーソーゲームに終止符が打たれた。
そして三好は分裂崩壊し、大仏を燃やした天皇は激怒し疲弊しきった勢力群の外側にいる信長に上洛を促すことになる。
しかし北条は謙信や信玄らがなかなか死ななかった。これでは関東制覇も難しいだろう。
そういう意味では大内義隆や尼子晴久が死んだ元就もおいしい。
永禄3年に六角軍は北郡征伐に失敗し浅井長政に敗北。これをもって長政は家督を継ぎ六角からの再自立を達成(肥田・野良田の戦い)
六角は斉藤氏と共同しての浅井攻め戦略に移行。
翌年2月には逆に長政が美濃へ進攻する攻勢を示したが
3月に入るや背後から六角軍が進攻し佐和山城を落とされた(斉藤家の竹中重高への六角氏の感状あり)
しかし長政は反転し六角の退路を封鎖する動きを示すことで退却を誘い佐和山城の奪回に成功する。
またこの長期に渡る六角と斉藤との攻防の中で義龍が病死し美濃からの脅威は減少したこともあり、
畠山高政と六角義賢による三好長慶との京を巡る戦いが始まるや、長政は太尾城(米原市)を攻めるなど六角の背後を混乱させた。
このように浅井による北郡造反は畠山への援軍派兵の遅れを誘発し六角弱体化をさらに助長した。
そしてこの攻防は三好の勝利に終わり畠山の没落が確定し、
単体では三好にかなわない六角は三好と和睦を結び京を巡る戦いに終止符を打つ決断をすることになる。
三好政権に服従する義賢が騒動で家臣暗殺をして家中は一時的に統制されたかに見えたが、
義輝が暗殺されるや畠山や奉公衆や反義賢の六角家臣による義昭の近江脱出が図られ、
永禄9年4月になると義昭を左馬頭に任官させ、
一方、三好が働きかけている左馬頭義栄の将軍任命拒否を出させるなど朝廷工作を成功させた上で、
反義賢家臣や畠山や若狭武田や信長や徳川や北畠を率いて義昭が8月に上洛戦開始することになる。
しかし土壇場で信長が義昭が和睦斡旋した斎藤を奇襲する背反をした挙句に大敗し、
この上洛戦自体が崩壊し、三好の後援を受けている義賢の威勢が増し義昭は近江にいられなくなり朝倉を頼り逃げた。
そして信長の裏切りから脈なしと見た朝廷が三好が押す義栄を将軍にしてしまった。
このように義昭問題によりさらに混迷したものの、反義賢重臣たちは奉公衆と協力し、
織田と浅井の婚姻を成立させるなど上洛戦を成功させる手を打ち、
中央政界でも朝廷工作をして反三好+義賢+近衛の勢力と結託し、
ついに永禄10年に当主権限を制限する六角氏式目に同意せざるを得なくなるまで義賢らを追い詰められた。
これが可能になったのは再度、義昭上洛戦をする為であり、斎藤と義賢を凋落させることに成功。
これにより義昭は再度、近江に戻ってくる。
今回は奉公衆の他に大和衆や松永久秀も三好軍を引き付ける為に義昭上洛戦を前に挙兵させるなど辣腕を振るう。
しかしこの近江の反義賢勢力や浅井らを統合指揮して
高いレベルの朝廷工作もやってのけるだけの高い家格の持主が誰なのかわかんないんだよね。
京極は浅井の操り人形に過ぎず六角系家臣は操れないし(天文18年が京極氏奉公人奉書現存最古の発給)
信長公記から消された人物がいるのは間違いない。そもそも浅井氏が挙兵しての天文日記に書かれる
北郡錯乱・国錯乱は天文21年の六角定頼死去翌年であり、この時に浅井久政は六角軍に敗北し六角に従属したわけだが
このような大規模な近江国人を二分する近江国錯乱の理由として考えられるのは
六角義賢を六角氏相続には大きな大問題がはらんでいたのだろう。
六角義賢親子と朝廷との強いパイプを持つ近江の舊主(旧主)との対立・・・この六角分裂が義昭上洛と絡んでいくのである。

106 :
甲斐は鎌倉公方や古河公方などの関東勢と将軍との権力争いの修羅場だったからな。 双方ともどもの後ろ盾を得て代理戦争してたから守護代や国人どもが暴れまわり混乱に拍車がかかった。
この管轄外へも影響力を及ぼそうとするやり方には関東管領とそれに協力する将軍側の駿河今川氏も困惑していた。
信重の跡を継いだ武田信守は5年で死亡し、(上杉禅秀の乱での武田の失敗を機会に立場を逆転した跡部氏)
実権を持つ守護代跡部駿河守明海・上野介景家親子に暗殺されたと言われている。
さらに飢饉や疫病の蔓延、一揆の発生が多くなる時代へ突入した武田信昌が継ぐと穴山氏、大井氏、今井氏、小山田氏ら
国人層もどんどん力をつけてきて完全な甲斐戦国時代へ突入。
家督を信縄に譲った後に信昌は次男の油川信恵への家督相続を考え始めて、それぞれの国人が彼らを擁立し内乱発生し
混乱に乗じて北条早雲んぽ甲斐進攻まで招く。
東郡の栗原氏、西郡の大井氏はもはや武田氏の統制から離脱し穴山氏と離合集散を繰り返し
おまけに明応の大地震まで勃発し一揆は頻発し甲斐乱国とまで王代記に書かれる。
こんなむちゃくちゃな甲斐国を継いだのが信虎。もう国内政治内政を無視したとんでもない人だったから
甲斐国史上最大の暴君とされ、武田氏は怨嗟の泥まみれだった。だから甲斐国主の座を追放されてしまった。

信虎平生悪逆無道ナリ。国中ノ人民牛馬畜類共ニ愁悩セリ
塩山向嶽禅庵小年代記
信長文書研究で有名だった奥野高広氏の信虎評 「奉公衆が他国に逃げるような事態をひきおこすようでは、守護の地位を保つことはできないだろう」
武田研究で有名な上野晴朗氏 「天文5年以来の家臣団の離反が根にあり、義元と同盟したことで、北条氏をより強く敵に回したことで、
北条と今川の友好関係が破れた。このような関係は武田家臣団の喜ばぬところであり対隣国関係の政策上で信虎と家臣団は二つに意見が割れた」
信虎のワンマン独断専行的態度に対する家臣団の不満と過酷な収奪による農民の疲弊。これは道三や信長とも共通した性格であろう。
一方、信秀は類い稀なる器用の人と賞賛され、その才覚で人心を得た。
信虎は在京守護としてほとんど京にいて公家たちと交際したり旅行行ったりで甲斐の財を湯水のように使うわ、
甲斐にたまにしか帰らないから、甲斐国人は統制されず、やりたい放題。
越後では守護の上杉房定が在京守護を止めて越後支配に乗り出し、検地をやって守護代や国人の横領を取り締まったりしているが、
信虎にはそんな意識もなく、たまに甲斐に帰国するや戦マニアの顔を出して戦乱三昧にして甲斐を荒廃させた。
権臣重臣たちによる晴信を御輿に担いでの悪人信虎の追放(妙法寺記)
此年六月十四日武田太夫様(晴信)親ノ信虎ヲ駿河ヘ押シ越シ申シ候。余リニ悪行ヲ成サレ候間、
カヨウニメサレ候。サルホドニ地下、侍、出家、男女共ニ喜ビ満足候コト限リナシ。
勝山記を読めばいかに甲斐が貧しく連年の災害に苦しんでいたかわかる。それを信玄が領内開発と法治による信賞必罰で
見違えるような国にした。
織田厨の捏造歪曲の実例
信玄の外征で破綻したので「世の中一向悪くなる」と書いてあるよなw
はい、これ自然災害が多発していた晴信初期の国情を書いている部分であり
完全に織田厨の歪曲で、その後の晴信の内政治水の努力により、毎年災害多発の甲斐から
災害記録がなくなってしまうのが史実です。
そして甲斐では妙法寺記に「世間が富貴になった、先代にはなかったことだ」と賞賛され
数百年にわたって神として尊崇された 長野在住の学者も身近で信玄を悪く言う人がいないことに驚いているくらい
本当にまあ、そうやって織田の所業を武田におしつけて印象操作すれば騙せると思う、
姑息なゴミニートの印象操作はいい加減にしとけやゴミ
武田には徳役という税制があった。
これは有徳銭とも呼ばれ、富裕層にだけ税を追加で取るもの。
これを当時は悪政と言っていたが、
これらが河川改修などの災害防止にあてられていた。
逆に北条などは富裕層である高利貸しを優遇して
借金苦で家族を質に入れて流されてるケースが多発してる。

107 :
まだこの板に存在したんだね。
アスペルガーだがさん。

108 :
>>96
だから、マトモに戦ったかどうかが焦点ではなく、そこを制圧したのが棚ぼたかどうかだろ?
卑怯でもなんでも、越前制圧は棚ぼたじゃないじゃないか

109 :
>>103
信玄が運も才能もない雑魚武将だったってことだしな
何も持っていない人間が天下なんざ取れるわけねえ

110 :
>>109
>>104-106

111 :
>>109
武田の当主ってロクな人物がいない
領民を苦しめまくった信虎
寝返り裏切りで一門すら不幸にしまくる信玄
誰彼かまわず当り散らしては迫害した勝頼
他人を顧みない無能ばかりが当主になる家は滅んで当然。
信長父子が死んで天下への野望を断たれた織田とは大違い。
勝頼が織田秀信の立場だったら死ぬまで秀吉と戦って最後は城を枕に一族全員討死だっただろうな

112 :
北条と長尾上杉がやり合っていくらでも空き巣し放題だったのに
十年もグダった信玄って勝機を見抜く目がないと言えるね
川中島の頃は信濃の国人衆すらろくに掌握できてなかったことが
感状の発給でモロ分かり。

113 :
織田の当主ってロクな人物がいない
領民を苦しめまくった信長
寝返り裏切りで一門すら不幸にしまくる信長
誰彼かまわず当り散らしては迫害した信長
他人を顧みない無能ばかりが当主になる家は滅んで当然。
親子ともども討ち死した現実から目をそらしてはならない

114 :
>>113
>他人を顧みない無能ばかりが当主になる家は滅んで当然。
仰るとおり
織田家は有能な当主がたくさんいたおかげで江戸時代も大名として生き残った
武田家は信虎・信玄・勝頼と立て続けに大馬鹿三代が当主になったおかげで民衆に地獄を見せる醜態を晒して滅亡した
本当に無能な当主は信虎・信玄・勝頼だけだな

115 :
だよな 子孫はサル顔さらしてスケート選手してるんだから

116 :
それに比べて武田家は無様だな
死んでも恥だけが残って哀れだ

117 :
武田家は後世に評価されまくりですが? サル顔織田は誰も見向きもされないカス一族

118 :
必死の涙目即レスに滅亡に追い込まれた武田の哀愁を感じた

119 :
アスペルガーだがにできることは365日24時間2ch常駐と粘着荒らしだけ

120 :
図星を疲れ涙目になってる生き恥織田の哀愁ry

121 :
間違った日本語を得意気に使いまくる朝鮮人だがに爆笑

122 :
連呼リアンが何か言ったか?

123 :
日本語を理解しないアスペルガーだがに正しい日本語を教えてあげよう
×図星を疲れ

○図星を突かれ
正しい日本語が使えるようになるといいね

124 :
そんなことで得意気になるなよ 中学生

125 :
菅沼遼太くんは中学レベルの学力が無いから間違ってもしかたがないな

126 :
2ちゃんは初めてか 中学生
力抜けよ

127 :
アスペルガーだがは小学生でもやらないような間違いなんかするなよ 朝鮮人

128 :
力入れすぎて日本語がうまく使えないのか 菅沼遼太くん
力抜けよ

129 :
アスペルガーだがは今日も敗走だな

130 :
>>114
武田は子孫がマジで悲惨すぎて目も当てられないからな・・・
武田信道:武田信玄の孫、些細なことで家康に文句つけられ伊豆大島に配流
武田信清:武田信玄の息子、姉妹のツテを頼りに仇敵上杉を頼る
武田信正:武田信道の息子、人生の大半を伊豆大島で暮らす。63歳にしてようやく赦免され本土入り
武田勝信:武田信清の息子、子供ができなかったため本庄家から婿養子を取る形で家を乗っ取られる
武田信安:信道系武田。武田信道のひ孫。家督を柳沢家の人間に譲り信玄の血脈を絶やした武田の戦犯
武田旧温会:現代に存在する信玄を含む武田を慕う会。ただし信玄の子孫はいない。最高顧問は柳沢家の人間
武田あんり:読者モデルであり、自称武田子孫。武田子孫を公言して子孫のいない旧温会から文句を言われる。

131 :
武田家旧温会
最高顧問武田家十六世 武田 邦信
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E9%82%A6%E4%BF%A1
武田信玄公子孫決定の経緯
ttp://www.kyuuonkai.net/
ちゃんとした組織をつくり信玄子孫家系を選出してるし
現子孫も立派な経歴の持ち主で、山梨の実質顔役じゃん。
その一方、織田子孫なんてwww

132 :
武田旧温会メンバー
最高顧問:武田邦信  → 武田信玄や武田家と一切血縁関係のないエセ子孫www
  組員:武田茂   → 上杉家臣の本庄に家を乗っ取られた、正統性なき武田家www
     林正彦   → 存在するかも疑問視される仁科盛信の長男盛正の家系wwしかも実家を継いでいない長男www

一方の織田家
     織田長功 → どこぞのエセ子孫と異なり正真正銘織田家の血を引く存在。街の名前にもされる家元有楽斎を祀る
     他にも織田一磨(明治大正を代表する画家。こちらも正統子孫)や織田泉之(勘定奉行・函館奉行)など
     正統子孫がきっちりと結果を出し続けているのが織田家
     子孫も先祖の気風よろしく無能揃いで、他家から優秀な人材を取り
     先祖薫陶を客寄せ商売のように考えているのが、武田家www

133 :
長男盛正→長男信正

134 :
いくら泰平の江戸時代とはいえ自分の家に誇りを持っている武士の家が
そう易々と他家から養子を貰い受けるわけないもんなw
どうしても子孫ができなかった時に血縁関係のある親戚から頼み込んで
その子に跡を継がせると言うのは将軍家でもある話だが
全くの赤の他人がその家にいきなり迎え入れられて血脈を断絶させたまま
当主になるなんて馬鹿げた話は滅多にない。

徳川家で言うなら徳川家康の跡を宇喜多秀家が継ぐようなもので先祖顕彰や御家伝統もあったもんじゃない。
こんな軽薄かつ憚られるような所業を武田家は江戸時代に3回もやっているという先祖不孝っぷり
しかしこの所業を子孫に全て負担させるというのは酷な話である

天皇の血を引く甲斐源氏武田家がその辺の浪人や町民レベルにまで身を落としたのは紛れもなく信玄勝頼という無能バカ当主のせいで
そのために一家は散り散りになるわロクな地位も用意させてもらえないわ挙句の果てに日本本土から隔離され伊豆大島に連れて行かれるわ
江戸時代を通じて武田は部落民のそれと似たような扱いを受け続けている。
子孫達はなんで無能な先祖のために自分達が迫害されなければならないのかと嘆き悲しんだことだろう。

そしてそんな哀れな武田子孫を拾ってくれて重用した柳沢が地位を得ると
待ってましたとばかりに柳沢から養子を貰い入れ武田の血脈を本家が断絶させると言う
忌まわしき血脈との決別を武田本家は選びとり以降柳沢家と松平家が武田の名を冠して甲斐源氏の名門に相応しい家を作ろうと奮闘することになる

135 :
井伊直政の家臣団は嫡男井伊直勝が引き継ぎ、
次男の井伊直孝には武田信吉死後の武田旧臣達が付けられ、
さらに秀忠近習に家康から任命され徳川軍の赤備隊として期待された。
そして直孝は家光後見役となり、
実質、大老として幕政を主導した。
家康が直孝をやたら贔屓し期待をかけ武田旧臣まで付けて赤備を許していたことから、
家康のご落胤説もあった。
山県昌景の子孫で甲斐出身の山県大弐は(現在は尊王論者の神として山県神社で祭られている)
織田家の小幡藩で明和事件を引き起こし上野小幡藩主織田信邦
(高家旗本織田信栄の四男・ちなみに信栄に正室はいない)
に蟄居隠居を強要し、高家から普通の旗本に降格とし
官位剥奪の上(2度と従四位下へなれなくなった)鍛冶橋門内の江戸上屋敷も没収。
織田信長の子孫と言うことで認められていた国主格の待遇も廃止。
(信長のおかげで国主格だった・・・これは表向きの理由で実際は信雄4男の信良の長女松孝院が
1623年に将軍徳川秀忠の三男・忠長(不和だった家光により自害に追い込まれる)
と結婚していて徳川の外戚になっていたと言うのが本当の理由で
宇陀崩れや明和事件を契機に国主待遇は廃止された)
小幡藩改易に伴い信栄五男である織田信浮が継いで出羽入りしたが
天明の飢饉の災禍によってボロボロになり
明和事件で失った家格と旧領の回復を願うばかりで失意のうちに死去。
ちなみに信栄の次男の信憑は柏原陣屋の織田信旧養子となっている。
結局、織田の系統は山県昌景の子孫の謀略で
高家旗本から降格させられただの旗本になってしまった信栄系に乗っ取られた。

136 :
秀吉が信雄を追放した時に旧主への優越感から再興させた羽柴秀信13万石と(白紙期間が長く信忠の子と同一人物か全く不明)
秀雄4万5000石は関が原の戦い後に改易(どちらも秀吉により断絶を経験しておりもはや織田は継続性の無い秀吉の遊び道具化)
秀信は高野山からも信長の所業を理由に拒絶され野たれ死に
秀雄は1602年に野たれ死にそうなのを聞いた徳川秀忠の好意により蔵米3000俵を恵んでもらったが栄養失調のため27で死去。
困窮した信雄はどうしようもなくなり大坂城で生活保護を受けることになる。
大坂陣の1614年に家康により買収されて大坂落城後の1615年に7月に大和国宇陀郡、上野国甘楽郡で加増を受け織田家復興。
小幡藩の悪政ぶり
領民たちは織田信就の領土から幕府の直轄領に変えてくれと嘆願するほどで
上野国でもっとも貧しく上毛ならぬ不毛の地と揶揄された。
米沢藩 表高 15万石 実高 33万石
上杉氏は実高で水戸徳川家(20位)や越前徳川家(18位)を抜いており石高ベスト20内に入る大藩。
一方、浅井三姉妹との親戚関係だけと言う理由で大名家の家格すら失いながら
お情けで再興を許され命脈を繋げていた乞食の醜態を晒す恥さらし織田陣屋家は?
柏原陣屋      3万石未満    2万石とされる。 
兵庫県丹波市 織田信包系だったが慶安3年に改易し天領。
信雄系の宇陀藩で信武が発狂し宇陀崩れを起こして宇陀藩が改易されたことから
元禄8年に柏原藩が再興され信武の子が入る。
大名ではないので当然に城もなく陣屋。もちろん幕府に遠慮して城を作らなかったわけでもない。
信長以来の名族という理由だけで城主格にしてもらった為に
現代ではここを藩と呼称することもあるが
そもそも藩という言葉自体が明治以降の造語。
年貢軽減愁訴・百姓一揆・打ち壊し騒動が頻発する超絶貧困藩

天童陣屋       1万石未満    2万石とされる。 
山形県天童市 信雄系 「裸足で紅花さしても織田に取られて因果因果」
で有名な奥羽で南部藩と1、2を争うの超絶貧困藩 天保元年に城主格にしてもらう。
上野国小幡藩時代の不祥事で信長以来の名族としての特権を全て剥奪されて出羽へ飛ばされた。

芝村陣屋   1万石未満  9000石とされる。
奈良県桜井市 有楽斎系 百姓が死ぬ覚悟で藩を大批判したいわくつきのキチガイ藩で
藩の借金が銀2693貫と言う途方もない額に膨れ上がる始末。城主格にしてもらう。

柳本陣屋      1万石未満    まったく不明
奈良県天理市 有楽斎系 陣屋
他の織田系と同様に嘉永5年に信長以来の名族ということもあって城主格にしてもらう。
重税の末に武器を持たない百姓の叛乱に対してガチで織田軍が絶滅戦争をした地獄の超絶貧困藩
信雄は秀吉のオモチャにされて 栃木や秋田や愛媛に流罪に次ぐ流罪でしかも小姓1人しか御付人いなかったし
こんなブザマな状態だったのを救ったのは市が懐妊したからだし家康にオモチャにされた時はコジキになって細川や前田らに押しかけ居候して捨て扶持を催促して
親子が食い繋いでただけだしそれでも栄養失調で上の息子3人は早死に追い出され最後はプライド捨てて大坂城で生活保護。
こんなブザマな状況を救ったのはお江が次男駿河大納言徳川忠長との縁組を計画したからだし。
おかげで残った食い扶持減らしで仏門行だった下の息子3人を呼び戻して陣屋主とその家臣にしただけ。
それでも家光に忠長が遠ざけられると 織田家への待遇も地に堕ちたしな。

137 :
あれ、馬鹿で無能ばかりな先祖のせいで不遇だった武田子孫は否定しないんだwww

138 :
>>132
織田の子孫すっげーショボイじゃんw
愛知県ですら織田子孫を盛り上げようとしてないしwww

139 :
織田長益の茶道(有楽流)
現在は大和芝村藩系の織田長政の末裔を宗家
長益の次男織田頼長、その長男織田長好、信長の孫織田貞置と継承され、貞置以降のものを貞置流
大和柳本藩系の織田長功は除外www正統でもなんでもないしダメじゃんwww

140 :
無能な当主が三代も続いたため甲斐武田氏が滅亡したことは理解した

141 :
>>115
アイツは家系図詐称してるだけだぞ

142 :
>>138
直系子孫が誰もいない武田子孫よりマシじゃんwww
有能な人間が武田の名を騙って事業やってるだけだしwww

143 :
>>142
お前は日本人じゃないな。
日本は中国や朝鮮みたいに血縁重視じゃないし。
先祖を祀る為に家を絶やさないように養子を取るのは当たり前。
それは日本が一夫多妻制の文化にあまり積極的じゃなかったことにより、
不妊妻と娶ったリスク管理でもあり、
愚藩主を家臣団が押し込めて、養子に継がせることも可能だったように、
あくまで家の存続を重視した藩コミュニティの生存戦略でもある。

144 :
朝鮮が血縁重視wwwww
流石朝鮮人は言うことが一味もふた味も違うなw
朝鮮人は家柄ブランドが大好きで血筋の内訳なんてどうでもいいというのが大半
李朝時代には貴族出身の人間が全人口の50%越えというありえない人口分布を成していて
在日朝鮮人は天皇が朝鮮人系だと真偽定からぬ情報をひたすら盲信している
つまり「高貴な家の出身だ」という事実さえあれば赤の他人でも何の問題もないというのが朝鮮人の家系で
江戸時代に直系子孫が自ら血筋を絶やして有能な人間を養子に取るという血統的な愚を犯した武田そのものじゃないか
まあ先祖の信玄や勝頼が無能バカ当主だったからそんな無能で忌むべき血なんて子孫もお断りだったんだろうなw
家を真に守ろう、先祖を真に奉ろうという家は天皇家や将軍家のように血筋絶対主義を貫いているわけだw

145 :
中国人や朝鮮人は先祖代々の家系図を必ず持つ程、血縁重視主義。
しかし日本人は三代前の先祖の名前すら知らない程で養子でも何でも良いから家の存続を重視なんだよ。
朝鮮人が先祖を貴族階級に捏造するのも家系図重視してるから。
だから苗字も似たようなものばかりになる。
日本人の苗字にバラエティがあるのも血縁重視じゃないから。
とにかく先祖を供養する為に養子を取るのが重視されるのが日本人。

146 :
家系図重視と血縁重視じゃ全然違うじゃんよアホチョンw
家系図重視ってのは家柄を誇示するためで血のつながりなんてどうでもいい家でもやる
逆に日本では血縁重視で「家柄」よりも「家族血縁」を重視する
だから藤原氏でも後半は五摂家として帰属意識を狭めてるんじゃんよw
日本人が血縁重視主義じゃなかったら天皇家や将軍家なんて存在しないじゃんよw
ローマ法皇みたいによそから有能な人間を迎え入れて天皇家を継がせて終わりなんだよアホチョンw

147 :
法皇→法王

148 :
いろんな藩が普通に養子相続してるのに何言ってんだアホか。
中国は一人っ子政策で男児を是が非でも欲しいと言う理由から、
男女人口比が圧倒的に男が歪なまで多くなり、
結婚できない男が多くなり社会不安要因になってるのも、
血縁相続重視だからなんだぞ。

149 :
普通養子を使って相続する時は
できる限り血縁関係のある者から選び
天皇家や将軍家では傍流や親戚から選定される。
それでも候補がいないときは女系の嫁いだ家の子供から
家系の血を引く子供を見つけてきて家を継がせ
それでもいない時は優秀な人間を他家から連れてきて、その連れてきた人に
自分の家の女を嫁がせて生まれてきた子供に跡を継がせると言う苦肉の策を行う

血脈断絶させたまま放置して家を完全に乗っ取らせるようなマネをする家はそういない
しかも武田は藩ですらなく生存戦略は一切必要ない
信玄勝頼のような無能バカ当主の血を忌み、自らを助けてくれた柳沢家の人間に恩返しする目的で継がせただけ
こんな考えを持つ家が真に先祖を祀るわけない。あと中国と朝鮮を一緒にするのは中国が可哀そうだからやめてやれw
朝鮮は世界から孤立しているんだからな菅沼君w

150 :
>>146
家系図重視=血縁重視だぞ。
朝鮮人なんて庶民レベルで家系図を持ってるし
庶民レベルで両班貴族の先祖にしてしまう家系図改竄屋商売が成立してるほど。
それはなぜかといえば、血縁先祖が誰につながっているか
これで現在進行形で差別が生まれるから。だから苗字も大族のものばかりになる。
ここまでしないと差別されるほど血縁社会であり男尊コネ社会。
それというのも儒教によって家系図を常に作り血縁先祖崇拝・大家族家長主義・身内しか信用しない社会が肯定されているから。
しかし日本人は家格が高い家くらいしか家系図を作らなかったし、戦国大名など下克上組も先祖なんてほとんど不明な者だらけ。
現代でも、自分の祖父の名前がかろうじて知ってるレベルが一般庶民で、先祖の由緒なんてはっきり言って日本人は関心を持たない。
ただ死んだら自分を供養してもらいたいと言う願望があるので、家を絶やすことが不孝とされ、養子斡旋業者も戦前まではいた。
そして名門の家を絶やして、先祖を供養する者がいなくなった家を復興させたり、絶えそうな名門家を絶やさないように配慮するのが
為政者の徳や度量と言う意識があり、養子として家のを継ぎ復興をしていたのが信玄だし
秀吉がやった御伽衆だし、家康がやった高家認定だし、家の重代の家宝の相続をした者であれば血縁が無くても構わず、正式に認めるのが日本人。

151 :
後宮システムや一夫多妻制に消極的である時点で、日本人が血族重視ではないのがわかる。
本気で血族重視の男尊社会なら、是が非でも男児を欲しがり、
数十人の妾を侍らせるし、双子だろうと関係なく、血縁を残す確率から厚遇される。
しかし日本は双子兄弟と言うのは忌むべきものとして、歴史の表舞台から消されるし、
決して子種が多くない家族ですら、せっかくの兄弟を仏門に入れてしまうケースも多い
これは、家族の中で誰か一人が仏門に入れば、先祖や家族が供養されるとする考えがあったからで
血族男子が生まれる可能性よりも、先祖が供養されることを重視したからに他ならない。

152 :
>>150
家系図重視≠血縁重視だぞ何言ってんだだがチョン
おまえの言う理屈では差別をされたくないというのが主な理由で
要するに見栄を張るために朝鮮人は家系捏造から苗字改変までやってるってことじゃんw
こんな奴が先祖を祀るとかただのパフォーマンスでしかないし
結局自分が社会的立場を得て得するためにやってるだけの茶番じゃんw
儒教の影響に毒されているだけしかなく宗教や社会構造に無理やりやらされている状況なのが朝鮮

一方日本は家系図に関してはあまり興味を持たないが、先祖供養や父祖顕彰はきっちりとやる人間が多く
しかも社会的背景や宗教などによる強制された朝鮮形式と異なり
自発的に損得関係なく行っているのが日本人

事実天皇家や将軍家では血縁絶対主義が貫かれ、その他の諸藩でも血縁の濃さを重視しているのが実情
血縁重視だから徳川将軍含め武士は基本皆子だくさんで側室も多く囲っているし
仮に子供が少ない家ですら先祖供養や跡取り探しは苦心しながらキッチリやるのが当時の日本人
武田みたいに先祖の血脈を断絶させたまま放置して家を乗っ取られるようなマネをした家なんてほとんどない

大体血のつながりもない赤の他人の先祖を当主が心から祀るなんてまずありえないし
赤の他人を養子にしてもその養子だけが1人で来るわけがなく当然お付きの家臣がいるわけで
赤の他人を養子にすると言うことは赤の他人に当主と組織の中核を全て譲り渡すような危惧すべき行動なのに
平然とそんな行動をやった武田家はよほど信玄勝頼のような無能バカ当主の血を嫌ってたんだろうなw

153 :
関東管領山内上杉が家臣筋の長尾に家督相続させたり、
伊勢氏が北条を名乗ったり、
血縁無視しているのは朝鮮人だからなのか?
世間的に受け入れられているのは朝鮮人だらけだからなのか?
そうじゃないだろ。日本人は血縁ではなく、家を重視し、別人が住む土地の元領主の名を継ぐなんて事もやってる。
本気で血縁重視なら、最も家康嫡男に近い血の者を将軍にするはずだが、
そんなことを気にしてないどころか、
時を経ると遠い者を将軍にしたりしてるのは、
日本人が曽祖父の名前すら知らないのと同様に、
親子の情がせいぜい三代までなのが現れてる。
大名や藩など公的組織となると、家臣の存続にも関わるので、
家の存続のために血縁にこだわっていられないから。
そして妾、側室の文化が容認されずらかったのは女系社会だったからだ。
男尊女卑ではなかったから、女性大名もいたし、立花宗茂みたいな血縁外への相続も可能だし、
龍造寺から鍋島への相続も可能。

154 :
関東管領山内上杉は当時子供や親戚が一切いなかったことによる苦渋の決断
姓の改姓は別に血が入れ替わっているだけで全く問題はない
このあたり「家名」よりも「血筋」を重用する日本人の気質が出ていると言える

別人が住む土地の元領主の名前を継ぐなんて典型的な「家格軽視」「血縁重視」の日本人気質で
名前はあっさりと変更して、しかし血筋や家族がかわらないなんてのは家格重視の朝鮮人にはない発想。
徳川将軍も例外なく後世で言う「御三家」「後三卿」の出自からは一切輩出されておらず
明らかに神君家康公とそれに連なる子供達を特別視されているのが現状。

本当に血筋を重視しない家柄なら徳川将軍家は家康と一切血が繋がらない将軍を輩出しているし
天皇家も今上天皇や代々天皇家と全く血縁のない人間がローマ法王のようにかわるがわる努めるだけ

大体特殊な事情でもないのに自分の父親や祖父が受け継いできた家を赤の他人に譲る等理解不能レベルで
武田のような信玄勝頼の無能バカ当主達の血脈を絶やすという目的がなければ通常しない。
立花や竜造寺なんて周りが勝手にそう決めつけただけだし竜造寺は鍋島政権でも重用されてるし
他に親族が存在したにもかかわらず本家が嫡流血脈を断絶させたままなんて珍しい事例はそうないw

155 :
>>154
>>当時子供や親戚が一切いなかったことによる
はいはいデタラメ乙
>>姓の改姓は別に血が入れ替わっているだけで全く問題はない
えっ?完全に矛盾してるのに問題なし?w
つかさ、武田貶しのために無理やり歪曲化し正当化してる我田引水そのものじゃねーか
さすがキチガイ織田チョンは狂ってるわw
米沢藩が上杉氏親族の子を後継にせずに吉良義央や秋月種美の子を養子に迎えたりしているように
どうしても血縁じゃなきゃいけないなんて常識は存在しない。
お前の言う論理で言えば福岡藩も黒田治之は徳川宗尹の子が養子になってるし(秋月黒田家から養子も取れるにも関わらず)
人吉藩なども池田宗政の子を養子にしてるなど、血縁へのこだわりはない。

156 :
菅沼遼太らしい都合の悪い部分を隠蔽した朝鮮捏造理論だなw

吉良氏から迎え入れた上杉綱憲は母親が上杉氏の出身で上杉の血を引いているし
秋月氏から迎え入れた上杉鷹山(一応母方の祖母が上杉氏)はピンチヒッター的存在で、
上杉鷹山には実子の顕孝がいたにもかかわらず、前藩主上杉重定(上杉の血を引く)の息子を養子にして後に藩主にしている(上杉治広)

黒田治之も例にもれずピンチヒッターの存在で秋月藩系の黒田長舒系(こちらも女系でなんとか血を繋ぐ)が継いでるし
相良家の場合は血脈末期状態で頼峯、頼央と直系当主が2代続けて不審死した挙句の断絶だから全く意味なし
どの家も基本的に男系を重視し、次に女系を重視し、さらには母方の実家などを詮索し、最後に幕府の公儀の下、藩生存のための戦略を練るのであって
結局朝鮮の「家格重視・血縁軽視」とは真逆の「家格軽視・血縁重視」と言う事実は変わらない

名ではなく血を重視する家が多いのに、なぜか武田は米沢武田(ここも本庄に乗っ取りくらっているが)から養子を迎え入れることをせず
助けてくれた柳沢の血を入れて、その後も松平や柳沢の血を入れ替えている時点で
明らかに家格のために先祖(信玄勝頼などの無能バカ当主)への決別を図っていることがわかる。
親戚縁者がいるのに最終的に本家に血が一滴も入らないという事態を引き起こしているのは日本では異常事態

>えっ?完全に矛盾してるのに問題なし?w
そこは書きミス「血が入れ替わっているだけで」→「血が入れ替わっているわけではないので」

157 :
上杉→長尾がすでに血脈じゃないし、
長尾→上杉も血脈切りしてる時点でお前の主張は矛盾してるだろ。
上杉→長尾→上杉は二度も血脈断絶を自らやってる。
それに是が非でも男系親類から養子を取ろうとするのが血脈主義だが、
わざわざむちゃくちゃ遠い女系を選ぶ時点で矛盾してる。
それは違う姓名による乗っ取り行為にしかならんからな。

158 :
つか、日本って古来から家格の違いってのがあって
家格の高い相手や精強の相手から、養子を貰うことで
自家の家格を少しでも引き上げたり、
立場を強化しようとする行為をやってきてるわけ。
だから破格な将軍家に連なる人を養子にもらえるってんで
徳川宗尹の子黒田治之を喜んで迎えた。
しかし治之には嗣子もできず30歳で亡くなってしまったから
京極高慶の七男である黒田治高が継いだが、これまた29歳で死に
一橋徳川家当主になっていた徳川治済(11代将軍・徳川家斉の父)の三男・黒田斉隆(兄が将軍)を迎えたって流れだろ。
子供がうまれなくて京極から嗣子をもらっただけの話なのにピンチヒッターとかアホだろお前w
それでも将軍家の血に戻そうと必死になってるのが黒田家なのにwww
だいたい黒田斉隆の子黒田斉清が黒田長舒の子なんて話はでっち上げで根拠なんてねーよwww
それなら叔父の将軍徳川家斉から斉の一字拝領はありえないわ。
お前はほんと武田を貶すためだけに、我田引水するキチガイ屁理屈ばっか書いてて気持ち悪い粘着ストーカーだよなw

159 :
>上杉→長尾→上杉は二度も血脈断絶を自らやってる。
あれ俺の記憶が正しければ上杉景勝は謙信と長尾の血が繋がっているはずだが?
もっと言えば上田長尾と越後長尾も遠い先祖で血が繋がっているわけだが?
上杉憲政が親戚が全くいなかったことによる苦渋の判断だが?
>是が非でも男系親類から養子を取ろうとするのが血脈主義
もちろんそれができれば越したことはないね
できないからしぶしぶ女系から取ってくるんだけど
>家格の高い相手や精強の相手から、養子を貰うことで自家の家格を少しでも引き上げたり、立場を強化しようとする行為をやってきてるわけ。
えっ、おまえの理屈が正しければハナから実子などに継がせずに偉い家から
養子を貰ってその家を継がせるのが武士のしきたりということになるが?
大名家は実子を無視してより家格の高い徳川将軍家から子供を貰って後を継がせ
その徳川将軍家はより家格の高い天皇皇族から子供を貰いそいつに継がせる。
能力の高い者、格式が高い者が多くの家に散らばってその家を継いでいくシステムになるはずだが
そんな家督継承方法を行っていた家はどこにありますか?w
>黒田斉隆の子黒田斉清が黒田長舒の子なんて話はでっち上げで根拠なんてねーよwww
えっ、「でっち上げ」だという根拠なし?w

結局信玄勝頼という無能バカ当主の子孫と言う血縁より
自分を厚遇してくれた大身の柳沢家の人縁の方が
武田の子孫にとってありがたいものだったということには変わりないんだよなあw
なまじ天皇は朝鮮系なんて盲信している在日朝鮮人のことだから
まさかその血を引く武田信玄が無能バカな当主であるとは思いたくないがために
必死に日本の伝統を歪曲捏造してまで信玄弁護に走る哀れな菅沼w

160 :
ほんと織田厨はアホだな。
誰も息子への世継ぎを否定してないのに勝手に否定したことに曲解してまで正当化しようとしてるしw
そもそも私はあなたより家格が低いけど養子くれよ!なんて話が通用すると思ってるところからして無知。
六角義治と斎藤義龍が同盟しようとした際に、
斎藤の家格じゃ無理って話で同盟自体が破談したくらい家格は重要。
蜂須賀は譜代筆頭彦根藩の妻を貰ったりと外様からの地位向上を図っていたが、
将軍家慶の弟の蜂須賀斉裕を養子にもらえて大喜びして、
将軍の実子の養父だから官位あげてくれって要求して正四位を貰ったりしてんのに。
鳥取藩の池田斉稷も息子に池田斉訓がいながら、将軍の子である池田斉衆を養子にしてるし。
それで冒頭の話に戻るが、織田厨は武田みたいに血縁にない養子を受け入れるのは屈辱的とする論法を展開してるが、
全くのデタラメ論で、養子相続だから卑屈になるなんて思考は存在しない。
それは家名や家格が上がると先祖も喜ぶと言う論理であって、
そこに血縁子孫かどうかの差別は無く同等に扱われる。
だから絶えて久しい名家を再興させて、今までの名を捨てて継ぐことを許すと言われれば、
それを侮辱ととらえず褒美として喜ぶのが日本人。
だから血縁以外の養子を継がせたところで織田厨が主張するような周囲から卑下されたり、
異常事態になったり、
赤の他人が先祖を祀るのがあり得ないとか、
家が乗っ取られたとか
そんな風に思うやつはいねーよ。
ほんと織田厨はバカだな。

161 :
>誰も息子への世継ぎを否定してないのに勝手に否定したことに曲解してまで正当化しようとしてるし
完全な血縁重視じゃんw
>斎藤の家格じゃ無理って話で同盟自体が破談したくらい家格は重要。
>家名や家格が上がると先祖も喜ぶと言う論理
それは子孫が必死こいて努力してあげるべきものであって他人の箔を使えば誰もが高貴な家になれるわなw
>将軍家慶の弟の蜂須賀斉裕を養子にもらえて大喜びして
そら将軍の子供なら体裁上は喜んでおかないと何されるかわからんわなw
ちょっと盾突いただけで改易や減封くらう世の中だししかも二十二男とか親にとって捨て駒レベルだし
>織田厨は武田みたいに血縁にない養子を受け入れるのは屈辱的とする論法を展開してるが、 全くのデタラメ論
あれ、おまえの理屈が正しければ毛利家から養子を取った吉川家や織田家から養子を取った北畠家は
養子縁組に大変喜んでいたということになるのだが、こいつらの元当主って最期どうなったっけ?w
>赤の他人が先祖を祀るのがあり得ない
養子に出された人間にも実家に先祖や父祖がいるのに
それを曲げて赤の他人の遠い先祖を祀るとかそれこそ非現実的な話だしな
蜂須賀のように他に子孫が安寧の地位を保ってたら野心なく家を明け渡すかもしれんが
武田のように他に子孫がまともにいない状態で家を全部他人に丸投げとか先祖不孝もいいとこだろw
>家が乗っ取られた
そら赤の他人を養子に迎え赤の他人の養子の付き人が藩の中核を担うようになるんだから
当然それは乗っ取りに近い行為なのは当然だわな。事実吉川や北畠はもはや乗っ取り同然と言っていいし

162 :2013/10/24
歴史板にはへんなヤツいるなぁw
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