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2011年10月1期戦国時代宮本武蔵VS前田慶次郎
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宮本武蔵VS前田慶次郎
- 1 :08/11/18 〜 最終レス :11/09/10
- 戦ったらどっちが強いですか?
- 2 :
- 自己解決しました
- 3 :
- 島左近>>>>>>>>>>>慶次>>>>>>武蔵
- 4 :
- ('ω'*)
- 5 :
- いっけぇぇぇぇぇ!!
ごあいどく有難うございました
- 6 :
- けいじろう
- 7 :
- 力じゃ慶次が圧倒するが、武蔵は技でカバーするとみた
- 8 :
- 一対一なら毎日鍛練してる武蔵のほうが全ての要素で上手でしょう
漫画の慶次には勝てる人間はいないけど
- 9 :
- 武蔵の勝ち。だって慶次が死んだときまだ武蔵はピンピンしてたじゃん。
生き残った方が死んだ方をなんとでもできるし。
まあ戦国板らしくマジレスすると武蔵。
武蔵は細川家の客分だったし、息子の伊織が小笠原家筆頭家老で確か5000石くらいだったかな。
慶次の方はウィキソースだが上杉家がまだ120万石の頃で1000石。移封後は更に減っただろうから
宮本家の方が圧倒的に動員兵力が上、戦をしたら宮本家の圧勝。
- 10 :
- ゲームや漫画に影響されんなよ
- 11 :
- 加賀百万石の圧勝だろ
- 12 :
- 慶次って強いのかな・・
- 13 :
- >>7
バサラや無双ではそんなでもないが実際には13でもう大人位大きかったっていう大男なんだぜ>武蔵
- 14 :
- おじいちゃん(慶次)と子供(武蔵)の戦いね
- 15 :
- じゃあ
源為朝にかてるやついる?
- 16 :
- 実力では武蔵が上だけど
慶次の方が華があるな
- 17 :
- 左近が最強だお( ^ω^)
柳生と戦った時のように空に昇ってしまったらもはや手を付けられないし┐ (´ω`) ┌
- 18 :
- 武蔵は剣術家だけではなく戦術家だぞ
しならどんな手を使う武蔵が慶次ごときで勝てるわけがない
- 19 :
- 武蔵ってでも吉岡と戦ったときって一人で何人もしたらしいよね。
戦術家としても一流だけど個人でも強いんじゃない?
大男だったし
- 20 :
- 秒で武蔵圧勝
慶次とか馬鹿かw
おまえらゆとりどもか
- 21 :
- 太田康資最強
- 22 :
- >>18さん、言いたいことは分かるんだけど、国語もっと勉強しような。
- 23 :
- 武蔵は巨人症説があるほど
- 24 :
- 剣術家が戦場で大活躍した事例はなし
- 25 :
- なんだなんだ
お前らの慶次は弱いな〜
俺の慶次なんて槍を一振りすれば敵の首が10は跳ぶんだぜ
俺の慶次、お前らの慶次に圧勝
お前らの慶次弱すぎ
俺の慶次最強
(`^´)=3ふん
- 26 :
- >>24
剣聖の存在を否定したな?
- 27 :
- 原哲夫が改めて漫画化して、主人公に抜擢されたやつ。
- 28 :
- 佐々木小次郎>>>>武蔵>>慶次
- 29 :
- 武蔵は慶次郎との戦いを避ける、間違い無い!
- 30 :
- 島左近と前田慶次が最強だな
一振りで10人ぐらい真っ二つw
- 31 :
- age
- 32 :
- >>30
ゲームじゃ そうだろな。
討ち取ったり〜!みたいな?
- 33 :
- 武蔵は賢いからまず逃げるな。戦人と剣術家では勝負にならないだろ。
- 34 :
- 武蔵は自分の小物っぷりを恥じて切腹するんじゃない
それくらい慶次は大きい存在
- 35 :
- なるほど。
いや、武蔵はそんな武士みたいなことはしない。
自分より強そうなやつだったら逃げるはず。
- 36 :
- >>35
そしてコソーリ門弟たちに暗を命じるわけですね。
武蔵って漫画の柳生烈堂みたいやなwww
- 37 :
- >>33
>>戦人と
>>34
>>それくらい慶次は大きい存在
創作じゃない具体的な功積挙げてもらおうかw
- 38 :
- マジレスきた(><)
- 39 :
- >>37
石山合戦で敵に奪われた織田軍の軍旗をひとりで取り返した。
阿尾城で自軍を上回る佐々勢五千を村井の援軍とともに撃退
畑谷せめで首級二十八を討ち取った。
長谷堂合戦では五騎で数千の最上軍に突撃して追い散らした。
漫画の創作ではない武功を挙げるとこんなものか。誇張も大いにある
と思うが、武蔵の決闘話と比べたら信憑性に遜色はないな。
- 40 :
- >>39
おいおいおい
>>石山合戦で敵に奪われた織田軍の軍旗をひとりで取り返した。
石山軍記は江戸時代中期の小説。
>>阿尾城で自軍を上回る佐々勢五千を村井の援軍とともに撃退
撃退してない。
>>畑谷せめで首級二十八を討ち取った。
これも後年になって作られた逸話。
>>長谷堂合戦では五騎で数千の最上軍に突撃して追い散らした。
五騎じゃなし追い散らしてもいない。
37でもなければ武蔵ファンでもない慶次郎ファンだが
こんな小説の内容や逸話と史実の違いもまるでついてない様なコンビニのインチキ歴史本並の知識で
慶次郎を語るのはやめてくれ。
特に石山軍記の内容を平気で武功として挙げるのはやめてくれ。
- 41 :
- >>40
いやいやそれは十二分にわかってるよ。
ただ、吉岡一門ぶっしたとかそういう武蔵の戦績と比較したら
変わりがないという話。ちなみに個人的には信憑性に疑問を持ってる
けど、後年になって作られたという根拠もないよね。阿尾城も佐々勢
を撃退してるのは事実。ま、慶次たちは叱責されてるが。
- 42 :
- >>41
>>漫画の創作ではない武功を挙げるとこんなものか。誇張も大いにある
と思うが、武蔵の決闘話と比べたら信憑性に遜色はないな。
この一行を見落とした訳ではないんだが、石山軍記の記述が入っていたのに唖然としてな。
武蔵の信憑性の低い逸話に対してこちらも思いっきり信憑性の低い逸話をって事ね。
それならいいんだ。
阿尾の件は主に撃退したのは村井の援軍であって慶次郎の功績ではないって意味ね。
キツイ言い方してすまなかった。
- 43 :
- 普通に慶次が勝つと思うがね
誇張があるにせよ記録が残ってるのだからかなり強かったのは確実
武蔵が刀 慶次が槍を使えば慶次圧倒的有利
刀で槍を相手にするには相手の三倍の力量がいると言われている
武蔵の本当に凄い所は負ける勝負をしない事
- 44 :
- http://blogs.yahoo.co.jp/atsushi2siyou ひょっとさいです
- 45 :
- 虎はなぜ強いと思う?
元々強いからよぉぉおお!!
ずばばばばばばばば!!
- 46 :
- これは吉岡一門の分!これは小次郎の分
http://www.youtube.com/watch?v=Y5BoVypHVTM
- 47 :
- 無双厨
- 48 :
- オメー武蔵さんなんてなあ、弓鉄砲を備えた吉岡門徒百余名を一人で追い散らしたんだぜ?
つーかそういう講談みたいなトンデモ話を無視したとしても
対人戦闘の専門家の武蔵に前田慶次がタイマンで勝てるわけないだろ。
また武蔵の話が誇張されたという点だけ殊更に強調されてるが
それは他の史家の筆に触れた人間すべてに言えることであって武蔵だけが例外ではない
あまつさえ資料に残っている記述とハナから創作で作られた小説のお話を並べて比べるなど
- 49 :
- そもそも前田慶次なんて武蔵と同じくらい事績の不明瞭な人間だし
大男だったイメージが有名だが、実際にはそれらしい記述はないし
武蔵の普遍的イメージが吉川栄治なように、慶次のイメージも殆ど花の慶次でのものだろう
ただ慶次の武名と言うのは合戦のそれで、所謂個人的な武勇というより指揮官としての功績であり
一対一や少人数対少人数の果し合いを繰り返して名を挙げた武蔵らのような人間のものとはベクトルが違うんじゃないか
そもそも合戦という武力衝突において一度にたった一人で何人もの相手と戦わなければならないって状況は殆どないし
敵と直接切り結ぶこと自体がそうそうあることじゃない。それなりの立場だった慶次がそんなに頻繁に前線に出たとも思えない
だから可児才蔵の逸話が有名になるわけで
武蔵と比べるなら柳生や小野忠明で、前田慶次じゃないだろう
- 50 :
- 「花の慶次」で男色(衆道)の解説や男性同士の入浴シーン、|が描かれているのは
第何回目だったっけ?
コミック・シリーズでは何冊目になるのかナッ?
- 51 :
- 戦ったら武蔵が勝つに決まってる。
負ける戦いなら避けるだろうからな。
正面からガチでやりあってどっちが強いかは知らん。
- 52 :
- 慶次の使っていた具足は普通のサイズ
だから実際にはそれほど大男ではなかったらしい
特にでかいという記述もないそうだ
- 53 :
- 人間の器がデカイという事だろう。
- 54 :
- 鬼武蔵の圧勝です
- 55 :
- このスレ馬鹿ですか?
馬に乗れば慶次が勝ち
馬なしでは、話にならない(武蔵の瞬勝ち)
こんなことも分からない奴は、よほどのゆとりか
ゲーム基地外
- 56 :
- だが、それがいい・・・
- 57 :
- 馬に乗ったら勝てるとか言ってる奴は武道素人だろ。
手綱から手を放してバランスをとりながら正確に槍をふるうのは非常に難しい。対人戦じゃほぼ不可能。
馬首返そうとしてまごまごしてる間に足か馬のケツを斬りつけられる、それか自分でバランス崩して落馬して終わり
つうかそれが出来るなら普通に降りて戦った方が強いわ。
モンゴルの騎馬軍が強かったのは軍だったからだ。行軍速度に突破力とあくまで「軍隊」として優れていたからだ
タイマンなら馬はジャマなだけ
だから馬に乗って両者が立ち会ったとしたら、
立ち会いが始まって一番最初にやることは馬から降りること
だから比較になんね。
- 58 :
- >>53
前田利家を水風呂に入れたとかイタズラ好きで面白い奴ではあったかも知れんが別に器の大きい人間じゃあるまい
武蔵にしろ慶次にしろ文化人として、特に武蔵は多くの美術的作品を遺したことで有名だが
それは感性が優れていたというだけの話で精神性や人間性の高尚さにはつながらんだろ
- 59 :
- ぶっちゃけ武蔵より上泉信綱とか塚原朴伝とか伊藤一刀斎とか叢生期の剣豪の方が逸話はよっぽど胡散臭いんだけどね
夢の中に仙人が出てきて極意を教えてくれたとかスピリチュアルな話もたくさん出てくるし
資料別の記述の食い違いや年代の噛み合わなさは武蔵以上に酷かったりする
武蔵もひどいが、戦国期はなおひどい
というか剣豪と言われてる人間の武勇伝なんてのはたいてい浪人時代のもんだから記述がはっきりしないのは当たり前なんだよ
基本的に正式な歴史は宮仕えの武士にしか残らない
転々とした慶次の経歴が曖昧なのも同じ理由だ。
- 60 :
- エンターテイナーなんだから「説得力」さえあれば伝説もまた真実
夢があってよろしい
- 61 :
- >>60
エンターテイナーで説得力があって伝説が真実??
前田慶次や宮本武蔵は講談師か何かなのか?
カブキモノって2ちゃんで言う「DQN」のことで、別に芸能的な意味じゃないぞ
歌舞伎踊はカブいた踊りだからカブキ踊りや
- 62 :
- 武蔵は普遍的な豪傑のイメージ通りの怪力無双でありながら、
五輪書に現れた非常に完成度の高い理論と藩主の御前試合で示した卓越した技術、
さらに長刀、手裏剣、捕手術と様々な武術を体得した同時代では小野忠明、柳生利厳に比する稀有の兵法家である
前田慶次なんぞに後れをとるわけがなかろう。
- 63 :
- 沖田のが強い
- 64 :
- >>58
文化的功績だったら慶次なんて武蔵と並べちゃいけないだろw
- 65 :
- 慶次
「虎は 何ゆえ強いと思う?
もともと強いからよ。
お主は、もともと弱いから
そのような凶相になるほど剣の修行をせねばならぬのだ」
武蔵
「プルプルプル・・・」
- 66 :
- おじいちゃん慶次にそうやってはぐらかされる少年武蔵ってのはおもしろいかも知れん
- 67 :
- 面白いのは「武蔵に勝った」という逸話がたくさんあることだ。
で、そういうのを見て行くと大抵、整合性の取れていない事実無根のもの、年代や背景から考えると信憑性に乏しいものだったりする。
村上吉之丞の話なんか最たるものだろう。
つまりこれは「あの武蔵に勝ったウチの師匠tueeeeee!!!!!!」という意図で残されたもの。
逆説的に考えるとこれは武蔵の名声が非常に高く、当時から相当の強豪だと思われていた事を示す証拠になるんだよね。
- 68 :
- 「花の慶次」で男色(衆道)の解説や男性同士の入浴シーン、|が描かれているのは
第何回目だったっけ?
コミック・シリーズでは何冊目になるのかナッ?
- 69 :
- 69回目に描かれてるよ
慶次とのシックスティーンでおまつのも
ばっちりさ
- 70 :
- >>69
のことか―――!?
(せっかくレス番も69なのに)
- 71 :
- いかにも厨房が建てたスレって感じやなW
- 72 :
- 武力では武蔵が圧倒するけど、大胆な奇策で慶次が勝利。
以後、慶次は武蔵を許し、武蔵は慶次の旅仲間になったと言う。
- 73 :
- 田亀源五郎のマンガで、ある武士が百姓に捕らわれの身になり「野ざらしの刑罰」を受けて
六尺褌だけの姿で晒し者にされるって話を描いたのは何という作品だったかナッ?
あれは紙数の都合で、「いきなりガキどもに褌を毟り盗られて全裸に剥かれてしまう」
という設定だったけど、本当は村の悪ガキどもが棒や竹竿で遠巻きに全身を突っついたり
ケツや首や毛むくじゃらの股間を色々と嬲りモノにした挙げ句、褌の上から集中的に急所を散々責めたり、いたぶったりした後
男性器をモロ出しにして、強制させられて子供達の手で一発か二発、雄汁を搾り取られるシーンが必要だったような気がするゼッ!!
もう一度じっくりと性器責めする場面を描き込んだマンガを創り出して貰い度えもんだよナッ!!!!
阿部寛も伊藤英明も坂口憲二も平井堅も照英も室伏も榎並大二郎も尾原秀三も羽鳥慎一もゲイ連中は皆なこの漫画が大好物だそうだゼッ!
ところで、「瓜盗人」はネットで見られないのかナッ?
- 74 :
- 慶次だろw
そもそも武蔵は技はあるが、半面奇策が多い。立ち合いにワザと遅れてみたり…
それをやった勝負は少なからず、武蔵本人がまともな闘いなら敗れるかも知れない…
と言う事
まず武蔵は慶次の懐には入れないから
掲載が槍を振り回した時点で決着がつく。
- 75 :
- 武蔵の息子(養子)である伊織が
建てた石碑には、
小次郎との決闘には、武蔵は時間に遅れたわけではなかった
ということが刻まれている。遅刻は、吉川なんとかの小説による創作。
- 76 :
- >>70
ワロタ。
違和感感じながら普通にスルーするとこだった。
- 77 :
- >>74
武蔵は胤栄の高弟とされる奥蔵院、宝蔵院高田派開祖と名高い高田又兵衛と立ち会って共に勝ちを得たとされる
つか慶次が「まともな闘いで負けるかも知れない実力伯仲の相手」足り得てるかが疑問。
そもそも地力が相当違うだろう。
- 78 :
- 慶次は当時の武将として
当然鉄砲に熟達していただろう。
鉄砲VS剣術では勝負にならん。
慶次の勝ち。
- 79 :
- 戦国時代を生き抜いた武将と江戸時代のぬるい武将を比べるな
精神面からすべてにおいて力が違うよ
剣術なら武蔵だろうが、肝がすわってるのは慶次
- 80 :
- だな。
なんでもありなら、慶次だろ。
一応出生も甲賀だし。
- 81 :
- 鉄砲は当時でも特殊技能だjk
モノが少ないから必然的に使い手も少ない。慶次が習得していたなら記録に残る。
それこそ「養由基も是に及ばず」と評された武蔵の手裏剣のように。
- 82 :
- つかすぐ発射できる手裏剣や投石と違って
弓は矢をつがえて引かなきゃならんし
鉄砲に至っては火付けて筒通して弾を込めて構えてってやらなきゃならんからタイマンではまず使えんぞ
今の銃よりはるかに精度に劣るし。
専門的に訓練せな使えん
- 83 :
- >>81
慶次は鉄砲の名手ということで召抱えられた
滝川一益の近親者だ。
鉄砲に熟達していないと考える方が無理がある。
- 84 :
- >>83
叔父(?)が精通していたからって慶次が達人と考えるのは安直過ぎだろ
師弟の関係と言うわけでもあるまいし
- 85 :
- >ID:NCejJshu
おれの書き方が悪かったかな。
「慶次が鉄砲の撃ち方も分からない」と考える方が無理がある。
これでどうですか?
君が思っているほど鉄砲はレアな技術じゃないよ。
そもそも鉄砲撃てる鉄砲足軽の数を数えたって
当時の日本に何万人もいる。
戦国時代には君が言うような特殊技能?の使い手が
累計で数十万人もいた、のかな?
特殊技能の大安売り状態ではないか。
鉄砲の撃ち方も知らない人間が、戦場で指揮なんか執れないって。
そんなド素人だったら上杉も高禄で召抱えたりしないよ。
- 86 :
- 大体慶次の同時代の記録自体ほとんど残っていないんだから
「慶次が鉄砲を稽古していた」などという記録は無くて当然だし
記録がないから撃てなかっただろうという議論は成立しない。
その武蔵の手裏剣の『記録』は
ずっと後の時代に、武蔵の弟子筋の人が書き残したものじゃないのかな?
- 87 :
- 弓も馬も出来なくても大軍を指揮した武将は歴史上いるぞ。
レアな技術だからこそ光秀も一益も高碌で迎えられたんだろ
確かに鉄砲だけで召し抱えられたわけではないだろうけどさ。
「撃てなかったに違いない」とは俺だって言うつもりもないが、「当然知ってて、達人だったに違いない」もまた早計だ。
習得していたかもわからないような技術を戦力として考えるのは皮算用だし、
そもそもタイマンの勝負を仮定して使える技でもないから無意味だと言ってる
それに「鉄砲隊の数が何万もいる」として
なんで「鉄砲の使い手は何十万もいる」事になるんだ?
鉄砲自体の数が少ないし、量産され始めたのは信長以降の話で、当時ではかなり新しい技術と言っていいだろう
刀や槍の使い手に比べたらかなりレアだよ。
武蔵の手裏剣に関しては「養由基」は煽り文句だとしても、武蔵の弟子の竹内玄利が手裏剣の流派を開いてる
円明流にも手裏剣術が含まれてるし、武蔵自身も立ち会いの中でその技を使ったと思しき記述がある
また武蔵が幼少時手解きを受けたであろう無二の当理流の中にも手裏剣術が含まれてる、まあ無二から直接手ほどきを受けたかどうかは断定しかねるが
少なくとも「慶次鉄砲達人説」よりは信憑性としては充分だろ。
- 88 :
- つか鉄砲でズドンなんて言いだしたらもう慶次である必要なくね
もう寝込みを手下雇って襲っちゃえよって話
- 89 :
- >>88
その通りだね。
鉄砲持ち出したら、もう勝負にならない。
>>78でおれが鉄砲とか言い出したからこんな流れになってしまった。
スマソ
>>87に長々と反論書いてたけど、貼らないことにします。
- 90 :
- 武蔵オタは痛いからスルー推奨
- 91 :
- 鉄砲あろうがなかろうが、あの皆朱槍防げないだろ。
10人位一気に切れちゃうんだから。
- 92 :
- >>90
鉄砲でズドン推奨する無双厨が言ってもな
- 93 :
- 武蔵も合戦では実は手柄立ててる
大坂の陣で大活躍した。
- 94 :
- >>93
出典
- 95 :
- >>94
コウゴウ雑記
峯均筆記
水野日向守覚書にもちらっとある
- 96 :
- >>95
ちょっと調べたら
100年も後に、二天一流の門人が書いた武蔵の「伝記」じゃんかw
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B9%E6%B2%BB%E5%B3%AF%E5%9D%87%E7%AD%86%E8%A8%98
こんなの何の証拠になるのw
- 97 :
- >>96
立花峯均の記述は誇張が少ないとして一定の評価があるよ
信長公記だって『伝記』だぜ?
それに剣豪の資料は基本的に弟子が編纂するもんだ、武蔵に限ったことじゃない
大坂御陳御人数附覚の水野隊の項に「宮本武蔵」の名前があるので、同じく水野勝成に付いて戦ったとするこの伝記の信憑性は高い。
大日本剣道史の言う所の「水野家記録」も恐らくこのことだろう、と偉い人は言ってる。
そもそも水野勝成が猛将で、小松山、道明寺河原、天王寺と縦横無尽に活躍してる
いずれも大阪の陣の重要な戦で、武蔵はその激戦の悉くに参加していたことになる。
その上で活躍したという記述が残っているのだから、信用するに値する資料だろう。
- 98 :
- ちなみに武蔵は勝成の嫡子の勝俊付きだったらしい。
かなり重要な役です。
>>96
申し訳ない、峯均筆記には武蔵が誰に付いたかはわからない、と書いてあった。
ただ大坂の陣に参加して功があった、とあるだけだね。
- 99 :
- ちょっと調べてみたけど、水野さんって徳川二十八将の一人なのな
武田や北条と戦って大暴れしてんじゃんw
主人をとっかえひっかえして転戦したらしいね
大坂の陣では一番槍だったり真田幸村撃破したり大活躍だな、この人
常に先鋒として前線にいて戦闘を繰り返してるから、武蔵もそれに従って奮戦したってことか
騎馬武者として参陣して、薙刀で勝俊に迫った敵兵を薙ぎ払ったそうな
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