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2012年07月文学27: 蓮實重彦や柄谷行人の物語小説軽視の態度について (321)
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蓮實重彦や柄谷行人の物語小説軽視の態度について
- 1 :12/03 〜 最終レス :12/08
- なぜ批評家は、小説に物語性よりも批評性を求めるのか…
- 2 :
- 批評家だから。
- 3 :
- ポストモダンの風潮がアンチロマンの上に乗った引用芸談だから。
- 4 :
- 通俗作家村上春樹などは単純に低レベルの理論、というか
ライトノベル作者レベルの混乱した前時代性しか持っていないだけだろう。
いろいろ、この板での固定ハンドルゲームやってるの見ていてもそれは相当確かだ。
こういうスレッドがそういう次元で立てられるのも残念だ。
少なくとも、理解力があった様にはみえないが、大江は多少理論面に興味があったみたいだが。
平野もそこまで理論に興味はなく、通俗的な節がある。
少なくともある程度より理論的な批評家と話せる現役作家はいなくなっていると思う。島田も時事ネタに精しいだけで、それ程ではないと思う。
ただ、小谷野は1人だけ飛びぬけていると思う。研究者の経歴が長いこともあるだろう。
- 5 :
- 根本的に、エクリチュールあるいは文の問題を現代文芸は追っている。
日本で文芸誌で筆を取ってプロめかしている文壇芸の人達はそれが理解できないまま亡くなるだろう。
ただ、それを試行錯誤して現代文芸の次元がかたちづくられていた限り、彼らの作品は巨視的には人類の文化史には記録されないだろう。
日本の文芸理論がヨーロッパのそれとはずれているとしても、基本的にはある程度のゆれはあっても同時代性のもとに先進国の文物はある。
柄谷のやった仕事が象徴的だが、そのずれに乗って商売したり賞与を得ている人物がかなりいるという話だ。文化差をつかった商売といおうか。
カズオイシグロも当然そこに入ると思うが。
- 6 :
- アンチロマンが出現した時に、文の問題が同時に入り込んだ。
それを遠回しに漱石が見つけた。
子規が発見し、虚子が定着させた。日本でいえばこういう話だろう。
文の問題を先駆的に開拓したのは、ある意味では芥川かもしれない。
この文体魔術的な手法は芥川の原文でしか十分にしられていないと思われる。
擬古とか口語とか、いわゆる文の次元で様々に実験性をもった小品を多産した。
- 7 :
- このスレッドtitleにいう「物語小説」とは、いわば語り:narrativeのことなのだろうが、
基本的にこの趣旨は、カントの『判断力批判』で一段下の言語芸術とされたので、審美論的に二流視が続いている。
少なくとも西洋の理論では、ギリシアに範を置くからだが語りが出現した歴史の浅さから殆ど重要なものではないだろう。
日本では竹取物語からすでに「語り」として、自分の言葉でいえば継母物語の類型として言語芸術が出現しているから、すれちがいが起きる。
日本で語りが芸なのは常識だが、特に西洋の理論を手本にすれば決してそうではないのだろう。この為に、近代の批評家は西洋を中心にする限り同じ観点に立つはずだ。
- 8 :
- 特に、話術、例えば落語や寄席のそれとなった時この語りが芸術としては中間的とみなされやすい。
日本では能や歌舞伎、謡などが詩劇の分類にあたいしていただろうが、
これらの流れを断ち切った小説の輸入で中心領域が位相的にずれた。
いいかえれば、芸能の領域と、文芸の領域は「語り」を中心に口語性と文語性として別れた。
漱石に集約的に現われている問題だが、この語りの軽視というのは東洋の風土では自然な反応だろう。
特に漢語圏では、漢詩を輸入してきた経緯から文芸の中での詩文が本来の言語芸術とみなされやすい。
アンチロマン以前にいる人々とみなすほかない種類の特殊な例をのぞいて、単なる小説家は以上の問題が理解できていないのだろう。
綿矢りさあるいは金原ひとみなどが典型だが、彼らは単に小説を書いている。この小説を書く作業を職業的な類型として真似ているのは、前時代性以外には何ら無知なわけだ。
- 9 :
- 源氏物語は竹取物語から一歩進んで、単に小説を書いている、
とされる観点をジャネ氏がちょっと言った事があった。式部は殆ど小説なんですよと。
怪奇な憑依現象を除けばそういう部分がたしかにある。式部の意図は現実の描写、模倣だった筈だ。
田中慎弥がインタビューで述べていたが、式部は天皇批判をしようとしたのではないかと。
これはいい観点だと思う。実際にその理由が一番大きいと思う。
不遇だった父のかたき、といった部分が日記記述に於いての道長への態度云々からもある。
こういうわけで、特別な条件や動機が重なってかなり西洋より時期的にはやくリアリズム小説じみた語りが作られたのだろう。
式部は図らずもアンチロマンのさきがけになった。しかし、大半の文芸誌などで出版している職業的小説家は、この式部のパターンから一歩も出ていない。
その意味では単純に坪内逍遥に洗脳されてきたとはいえ、彼らは単に愚物とみなすべきではないか。一千年前から進歩のない脳に褒める価値があるのだろうか。
- 10 :
- hakike
- 11 :
- いま自分が提出した論点からみれば、いまの作家でだれが残るか分かるだろう。
少なくとも平野、大江、高橋、そして春樹。この辺りではないか。
彼らはアンチロマンを自己流で解釈しているからだ。
他は別の傾向がないので、ただの小説家に過ぎないから記録されないのではないか。
自分以外もそう感じるだろうが、この中で春樹は読本黄表紙といった次元に一層近い。
高橋は春樹の前座役みたいなものなので、彼らの通俗性はそれなりに歴史に暴露されていく筈だ。
平野は西洋遅れの亜流あるいは日本のダダイスト、大江は引用文芸の人と見なされるだろう。
彼らが全員隈なく記録されるほどの現代文学史が書かれるならという事だが、もっと大きく見れば彼ら全員が残りはしないで、
おそらく現代という枠はもっと縮減されると思う。彼らの個々の傾向は、いかにも小さい。宇治拾遺物語とか落窪物語級の出来栄えではないか。
- 12 :
- つーかそれはいわゆる大文字の他者ってやつだと思うがな
- 13 :
- 川端の周辺記録などから分かったことによると、
どうもノーベル賞は菊池ら出版人らとの画策もあった様だ。
川端の作品を単に作品性からのみ見ると、小説が殆どで、一部に幻想小説がある。
つまり特段に風変わりなものではない。
日本では文学賞が少ないから珍しく見えるかもしれないが、そういう事はもっと大きくみればないだろう。
例えば藤村と川端を比べて、両者にそれ程の小説能力差があったという風には見えない。
箔でごまかしえない程はなれてしまえば、そういう賞の権幕は消し飛ぶだろう。
単なる劇団とみても、箔を欲しい作家とそうでない者がいても不思議ではない。
アンチロマンの解釈を様々にしている段階から見ると、スウェーデンの大学人の考えは特に普遍的ともいえない。
実際の受賞者数はごく多いから各国にいることをかえりみても、それらの評価は各国内の代表的な歴史上の意義に精確に比例するでもないだろう。
- 14 :
- 河田出没
- 15 :
- 生きている文化とみれば、アンチロマンの中で小説の量産をしている人の多さは驚異的なほどだ。
彼らの意図は、いわば式部の後継者という話だが、なぜそれ程までに小説が好きなのか理解できないほど多産。
書店でも、これは数百年前では想像もできないほど小説が量産されている。意味不明なほどだが、
大きな理由は、「類似」としての同一化対象を欲しがる需要がそれほど、近代人の現実性への適応過程には必要とされている証なのだろう。
このogyの消費は私小説に集約的にあらわされている需給体制だ。多くの私小説を書く者はこの作用を狙って商業にはやっている。
坪内逍遥の理論は近代化に際した個人の確立、つまり封建制度の心理的否定という大目的が背後にあったのかもしれないが、
彼ら小説派の理念は、いわば今の段階では完全に実現したと思う。人々は死ぬほどそれらを書き、死ぬほどそれらを買いあさる様になった。
どちらかといえば個人ではない個人を見出すのが難しい程なのではないか。
忠君愛国の侍とか、理想主義的で純朴な気違いじみた職人とか、大徳大恩に満ち溢れた偉大な君主などは独立した生計を営む細分化された経済主体としての近代的自我の影に行ってしまった。
こういう訳で、大衆小説という類型に私小説は入れていいだろうと思う。理論的にそうなるのではないか。
- 16 :
- 自分は小谷野先生の私小説理論に向けてこれを言うとどういう反論があるのか分からないからそれ以上はいえないが、
私小説と大衆小説の位相はすでに同じではないか、という観点はそれなりに斬新だと自分でもおもうけど。さっき生み出したにしては。
純文学はそのまま大衆小説なわけだ。この理論によれば。
- 17 :
- >>1 贋物だから 批評家なら吉川幸次郎、小林太市郎、福田恆存、小西甚一とかの方がよくないか?
>>4 三浦俊彦がいるよ。理論的現役作家なら彼が圧倒的でしょ。
>>5-9 そうかホメロス、ソフォクレス、ウェルギリウス、ダンテ、ゲーテ、
シェクスピアなどみんな物語ってるでしょ。
テクストとか文の問題なんかウダウダいってるのは現代のインテリだけでしょ。
そりゃインドで言えば韻律の技巧に凝りすぎた時代、シナだと駢儷体の時代、
日本だと連歌の時代みたいなもんじゃないか、理論先行で本質が薄い。
>>11
文学史的に誰が残るなんて無意味じゃないか?
文学の善し悪しなんか、個人的なものだから。
『ワンピース』に心酔してる人にカーリダーサや李白の方が優れていると言っても仕方ない。
- 18 :
- 文芸誌がその牙城なわけだ。ほぼ陥落内定状態の。最後の。
こういう状態で、その陥落城郭になんとか留まろうと柄谷なんかは藻掻いている。
小谷野先生は多少賢いので、アカデミズム辺に留まっている。
小谷野先生の作品はとても酷いものもあるが、
理論的に私小説を好むのはおそらくアンチロマンの核が、ロマンの核と等しいと考えたのではないか?
その共通の核は「語り」の中に見出せる虚構性なのではないか?
それを小谷野先生語で私小説、と名づけておいたという事かもしれない。
源氏物語論とか見ると、その猥褻性の歴史的位置づけに関して言っている内容は、結局そう思うのだが。
猥褻性の写しは猥褻なのか、という事を、小谷野先生は谷崎等を透かして言っていると思う。
そこが彼の現代的な文の次元にあるのだろうけど。『天皇の煙草』とかも同等で、虚構性を意図して語りとして使っている。
- 19 :
- まあ総合的にみて、やはり小谷野先生のレベルが理論的にも作品的にも一番高いだろうと思う。
虚構性を利用する、というのは小谷野先生しかやっていないだろう。他の作家よりは一段上にいる。
- 20 :
- 語りの幕前劇みたいな小さなものは春樹が茶化しながら、
西鶴風に奇譚集冒頭でやっていたが、
それを丸ごとやっているものが小谷野にはある。
日記と虚構の中間みたいなものとか。ただの反省記めかした虚構とか。
あれらは、メタ小説と言える種類のをいろいろと書いている意味では、
本来の意味での、芸術性を目的とした純文学というしかないだろう。
文芸誌が商業出版賞と一致している段階では、そういう位置がえがおそらく必然に、
むしろ大衆というか読者からの運動として起きるはずだ。出版社が潰れるとかで。
- 21 :
- たった一人で、深夜ぶっ通しで書き込んでるアホが一人w
- 22 :
- きのう書いた事の続きだが、村上春樹をそれらの中で、
大江や平野と同列に並べる事は誤りかもしれない。
村上の仕事は、ある程度距離と客観性を持ってみると単に混乱した通俗性なので、
西鶴という趣のものであって、いわばよく売れたほかのライトノベルの有名人といったレベルであり、
大江あたりが「純文学」に対して持っている特別な思い込みよりは重視する価値のないものではないか。
かなり冷静に見ると、数段落ちるだろう。だからこの板で扱われる事もなくなるだろう。
- 23 :
- ばれる自演はやめましょう
- 24 :
- 柄谷が言っていた事だが、文芸誌は殆ど売れていない。
ただ出版社が「体裁」を取る為に利用されているのだろう。
芥川賞が、凡そ石原の時代からと考えて凄まじい俗悪な悪書を権威めかして売りたてる仕組みだとして、
その芥川への中傷じみた賞与にぶら下がった文芸誌で、
関西芸人や吐き気のする類いの舞妓芸妓や先代模倣の紛い物やなんかが矢鱈とふんぞり返っている。こういう訳だ。
- 25 :
- 直にいうと、商業主義しかない。
だから大衆小説equal純文学だし、
それがJブンガクつまり現代の出版産業での芸人出版物と言う訳だ。
どれ程権威めかした賞与で誤魔化してみた所で本質は変わらない。
村上龍なんかこういう売文商人でしかない。終始一貫そうだろう。
日本の文芸に語るべき事が他にある様には見えない。ただのエコノミックアニマルの俗身が蠢いているだけだ。
- 26 :
- 「通俗」と呼べばそれだけで蔑称になると思っている奴は馬鹿だ
文学が他の芸術と違って多くの人間に受け入れられている、
まさにその根源を馬鹿にしている
- 27 :
- 具体的にどんな小説を「高踏的に」褒めたいんだか
どうせ古井由吉あたりが関の山でしょう?
- 28 :
- まあ通俗性の写しが読本の現代版として小説を作り出して衆愚が祭りめかしている、
その単一性と過剰という構図が偶像崇拝の形態として醜悪なんですよ。
- 29 :
- サルの末裔が自分たちの仲間の醜行を書き写した金漁り目当ての書物を買いむさぼり、
それをほくそ笑みながら読んで、カメラに映したり、発情発狂している構図。日本人。
- 30 :
- この醜悪な景観が伝わらないですかね?
僕は吐き気がしてくるんだが。
連中が何を目当てにそうしているのか、動物園と見ても狂っているとしか思えない。
- 31 :
- 人類史の中でも、ある遊びとして写しが現われたんだろうが、
商業化された時、つまり菊池寛が江戸の戯作を活版印刷でまねた時、
これは単に騙しあいゲームになった。
下らなさ満載の俗悪書を権威めかして売りたてる南蛮虫の商売。
そういう構図に騙される衆愚とか、ご祝儀くれるスウェーデンのおっさんに媚びて都知事に土下座の文明界とか。
馬鹿みたいに見えるが。
- 32 :
- その中でも、大江平野村上とか、特にたち悪いけどな。
壟断して海外の文物を権威めかして密かに輸入して自分のみたいな顔して売り捌いて楽して暮らしてる。
ユニクロ級の馬鹿。こっちは人間安いから扱き使って差額独り占めどうだ偉いだろうみたいな。
単純にゲス。
- 33 :
- 西日本勢はゲス。
- 34 :
- 衆愚衆愚言ってるあんたの大衆性が透けて見えるわw
- 35 :
- ほいほい。衆愚。Mobocracyがどう訳せるの? 衆愚以外なら。
いやみしかいえないなら黙っていて下さいゲス京都ドジン。
- 36 :
- ボケ老人の柄谷が世界同時革命を唱えたのは2年前です。
もうそろそろですw
- 37 :
- 大衆嫌悪って一番ベタな大衆思想じゃん
ナチスとかの英雄願望など
- 38 :
- そういう物語はありがちだ。アンチロマンが出現した起源もそこにある。
「実存主義」といわれているがその根は反浪漫主義だろう。つまり人間の中間性が語られた。
その時期は日本の近代化で過ぎてきた様に思う。漱石の時点で既に完成されていた様に見える。
- 39 :
- アンチロマンは大衆文化を別に排除してないよ
ロブ=グリエはその典型
- 40 :
- 蓮實はもう完全な爺だし、柄谷もボケはじまったか。┐(´д`)┌ヤレヤレだな
- 41 :
- 柄谷はずっと前からぼけてるが・・・
- 42 :
- 日本でこの人達以外にまともな批評できる人いるの?
- 43 :
- 逆にその二人は避けるべきじゃね。
特に柄谷は漱石をマルクスで論じたのがまぐれ当たりして、
東大だったから妙に評価されてるだけでしょ。
デリダとかハイデカーとかの西洋人も柄谷が評価されるのを不思議に思ってるけど、
おそらく上のような事情を知らないだけだと思われ
- 44 :
- ハイデガーの生没年調べろよw
- 45 :
- >>39大衆文化と戯作の文脈とは違うのではないか。
日本では、アンチロマンが逍遥の脈で捉えられるから、純文学=自然主義、よって非大衆となる。
この公式そのものが間違った推論、単なる歴史的経緯なのは確かだが。
- 46 :
- >>45
渡部直己のせいで、なぜか現代の作家志望者まで、
アンチロマン=非物語みたいな誤解が広まっている
ロブ=グリエ作品は俗っぽさが肝だと思うので、
このスレで暴れていたようなやつの存在は間違いでしょう
- 47 :
- 逍遥から渡部直己って、ただの早稲田閥にすぎないから。
俺自身が出身者なのでその弊害は嫌というほどわかる
- 48 :
- >>46それは二重に勘違いだ。
第一に、俗を擁護していない。
第二に、その暴れていたとお前に誹謗されている文芸理論を書いたのは自分だ。
- 49 :
- 中上健次って物語小説じゃないの?
- 50 :
- >>48
あんたが間違いと言ってるだけなので、
べつに勘違いはないよ
- 51 :
- >>49
そうだよ。擁護する人が色々間違えすぎたのが中上の不幸
- 52 :
- 俗の為の小説という理論は間違いだ。お前の間違い。歴史的にも現実的にも間違っている。
村上春樹。
- 53 :
- 関係ないけど
吉本隆明が死んだな
- 54 :
- >>44
ああ、すまん記憶違いだ。
西洋から不思議がられていることには変わらないでしょ。
- 55 :
- >>53
何十年も前に死んで、バナナでゾンビーになったんじゃなかったのか?
まあ、葬儀はマンガ葬になるんだろうな。
- 56 :
- 小説は物語の批評でしょ
- 57 :
- >>52
シェークスピアよめよ
- 58 :
- ブログやSNSが発達したおかげでネットで文学や哲学が語りやすくなったと思うけど、
その分2ちゃんには何が何でも言いがかりをつけたい、
わけのわからない屑みたいな奴しかいなくなったな。
- 59 :
- ここで暴れている馬鹿の主張は、
昔から高踏派気取りの詩人にたびたび見られるが、
文学における小説の力は、インテリが世俗性を取り入れることにある
- 60 :
- >>58それは間違い。
今から10年前はもっと内容は酷かった。
しかも、文芸誌の内容は今も昔もそれより酷い。
>>59これも間違い。世俗性が小説という根拠は西洋の自然主義にしかない。
- 61 :
- これは珍しく、自分と小谷野先生の会話になった。
小谷野先生の論拠は私小説論だろう。
自分は私小説は初めから流派としか思わない。そういう違いがある。
- 62 :
- 小谷野先生はなぜ近代のみを「小説」視する?
自分はそれが間違っていると思っている。小説は輸入語彙だ。
元は非正史の言葉をnovelの訳語へ援用した。
あなたと水戸学について以前ちらっと話した時もそれは伝えたと思ったが。
小説の力なるものは物語の近代的一形態といった方がいい。
ありそうな作りごとを語る。つまり、同一化させながら遠回しに教訓を与える。
それは「婦女・子女」の暇の慰み物としての小説を社会で確立するに同じ。式部から漱石まで。
小谷野先生の理論はこの姿を絶対視しすぎている。小説ではないジョイスがいたら、何を語っているのか?
- 63 :
- ポストモダン以降は脱構築主義も含めて、現代の人達に多様な言語芸術を復帰させた。
小説の売り上げは「語り」による幻想への耽溺が大衆に好まれたからだ。非日常への没入によって浄化を得る。
重要なのはこのポストモダン文芸界を乗り越えていく事。当然それは分かっているはずだ。
小谷野先生はこれを私小説論で乗り越えられると思っているのだろう。小説性は人物への劇的同情だから、という意味で。
しかし、自分はこちらではないと信じている。なぜか。
私小説家達と自然主義系に影響された作家達の現実を見ていると、人生にも失敗している。その方角は悲劇の模倣に過ぎないだろう。
ある面では、悲劇の模倣が最も純粋な文芸、つまり詩としての純文学なのだとしても、この私小説論の質は、自分は本質的ではないと思う。
漱石の『文学論』にあったとおもったが、人間模様がそのまま小説ではないのだ。文芸であり得ることはその上位にあるのだから。
- 64 :
- 今自分の説明した文芸であり得ることの方が、本来の文芸であり小説ですらある。
端的に話術も入れて、その上位にある世界が、伝えの中の一つの理想なのだ。いわば世界を現す力が。
この力は、鬼が言う程度の物語理論に留まりもしないし、かといっていわゆる言語芸術カテゴリーやエクリチュール理論のみの話でもない。
今説明したものは、小谷野先生の『天皇の煙草』でも既に実行されているのだが、ご当人はそれに気付いていないだけだ。
http://yondance.blog25.fc2.com/blog-entry-2106.html この書評で感動されているものは、それを言い当てているに過ぎない。
作りごと本来の意味あいは、今言った、「世界の写像の外」という場所にある。
- 65 :
- 『天皇の煙草』では、虚構内虚構が明らかに作りごととしての話術に化されている。
しかし、それを高度というしかない種類の真剣な私小説性で矛盾しない程度に一体化している。
この手法は、テレビドラマで堤幸彦(『TRICK』や『池袋ウェストゲートパーク』等)が使う「嘘としての」表現を、更に小説内で高度化したものだ。
一般的な意味での脱構築主義以降にあるものとは分かるが、理論化されていないから、自分がすると、いわば歌舞伎小説といったものだろう。
歌舞伎役者はそれまでの能舞台の様な観衆との垣根を、花道を延ばす事で破壊した。『天皇の煙草』はこれを小説の姿の中でやっているといえる。
- 66 :
- プラトンに迄もどると、
小谷野先生がやっているのはこの「擬装した作りごと」を私小説性というもので纏め直しながら展開する事でしょう。
洞窟の比喩でいう、影の戯れの高度化。それは自分が凄いと思って認めている部分ではある。影絵の巧さ。
理論的にも芸能的に見てさえ近代の格式に習っている。
だが、自分が「世界の写像の外」というのは、この形相の観想という影絵を見る事ではなく、洞窟の外を直接見に行く方法なのだ。
それが言語自体を自分が使う理由だ。ここに違いがある。理論的にも手法的にも。自分は脱構築主義以降としてのそれが本質であり、悲劇論ではないある詩だと思う。
- 67 :
- イデアの写しが、虚構のもっている社会性や詩劇らしさとして、
言語をどの程度媒介にするか目的にするかの話だ。藝術論として。
小谷野先生は、いわば質実剛健な意味で「辞は達するのみ」を貫こうと私小説論を構築している。つまり劇作家。
しかし、自分はこの方向性には一面の真相があるものの、この辞の外に興味がある訳だ。文飾イデアのみの世界に。
ある意味で、以上の現代文芸理論の話題は、漱石に集約的に試験されていたものを現代観としてどう解釈・再批判するかの話かもしれない。
小谷野先生は自然主義の影響のある小説、例えば『行人』『それから』『三四郎』『明暗』そして『道草』を王道視する。
だが、自分は『草枕』や『吾輩は猫である』が好きなのだ。『門』もいいけど、それは単に内容されたウェルメイドの佳さ、優等生さを認めてに過ぎない。
本当に大事なのは、今言った種類の両者の中間性以外のどちらが本質的な文芸あるいは小説か、だろう。中間性は消滅する。経験的にも歴史的にも消費材になって消える。
- 68 :
- とても長い論考になっているが、まとめると、
文の中の「ふみ」に従うのか「あや」に従うのか、の違いだ。
自分はあやに従う。あやに惹かれる。
しかし、小谷野先生はふみしか見ないし、ふみが文だという。こういう事だ。理論的に。
- 69 :
- こうして見ると、自分が間違っている様にも見えるといおうか、
おそらく哲学的には劣っているか異端だから、
小谷野先生には先生づけするしかない。
自分は何か小賢しい事を大智に言っている可能性が高い。
プラトンの理想主義に対して、アリストテレスがけど先生現実は云々と言って無視されている類いのものに近い。
- 70 :
- つけくわえていうと、デリダが試みて現代哲学化されているエクリチュール理論の中には、
東洋の言葉の中のふみらしさとあやらしさの意味が、弱くだが影響していると思う。そのあとの解釈学の成立にも。
ラカンの「日本人には精神分析が不要だ」とは、このふみとあやの間の乖離が初めからない事を言っていると思う。
小さな子供が口に出す言葉は、言葉ではなく50音として話されるから、単語単位での抑圧がない。そこに原始性がある、という意味だ。
だから、ふみの世界は、ある意味では精神分析学的な行為を延々と写しのシミュラークルで続けているだけだと自分は見ている。
- 71 :
- とりあえず話を戻すとわたやはかわいいのである。
- 72 :
- しかし小野谷先生はわたやを論じられるだろうか。
はすみんとがらやんは論じることが出来なかったようだ。
- 73 :
- いや可愛くないから。いい加減うざいよ。
- 74 :
- 小野谷はたしかにうざいな
- 75 :
- 小谷野はうざくないよ。綿矢がうざいんだよ。
- 76 :
- わたやかわいいとおもうぞう
それよかミンザイなに飲んでんの?
- 77 :
- 小野谷はなんでここで自演してんのさ?
- 78 :
- >>70
>小さな子供が口に出す言葉は、言葉ではなく50音として話されるから、単語単位での抑圧がない。
>そこに原始性がある
1つだけ指摘しておきますが、
内藤湖南によると中国経由で伝来した仏教思想の影響下で成立した50音表記が
音の分節に矯正を加える事によって従来の日本語の発話を変えたそうです。
そしてこのような50音表記の影響が比較的弱かった東北日本には古代語の発音が温存されている。
東北地方の方言が西日本と違って一様なのはその為だそうです。
このような東北弁=原日本語(ただし畿内)説は幕末に来日したメーチニコフという
ロシア人民俗学者兼革命家も指摘しています。
だから、50音表記によって古典テキストの再読を試みた本居宣長や
その影響下で成立した国学の説く“こころ”が必ずしも自然的なものというわけではない。
そう言う意味ではロマン主義的美化が加えられているわけです。
- 79 :
- >>78成る程。新知識からの忠言ありがとうございます。
かな文字から近代文芸の成立の際に抜け落ちた発音もありますね。
ゐとゑ、あとは鼻濁音とか。
ある意味では、倭言葉中心史観に毒された解釈が柄谷のラカンへの理解だったんでしょう。
精確には、ラカンのいうのは「抑圧が西洋語より少ない」程度の意味ですね、そうなると。
- 80 :
- なぜ心理的プレッシャー、つまり「言いたい事がいえない」となる単語の成立があったかいえば、
ラテン語という帝国の語彙を呑まされた人々が大勢いたからでしょう。
これは日本や周辺文明圏で漢字を使うしかなかった人でも同じ。
この差が、逆にいえば多様なエクリチュール界、文の世界を作った。漱石はそこに初期は泳いでいた訳です。
因みに、>>78はジャネット氏だとおもいますが、私はUとして書いている者です。論旨はあやの世界という事で、
あなたの最近誌面でやってらっしゃる子規の問題とも似ていませんか。子規はあやの世界を先駆的に駆け抜けて亡くなった。
- 81 :
- 漱石について、南画と漢詩を、「俗了された気分がする」と言いながら、
新聞での『明暗』の連載の片方で午後に続けていたのは、
このあやの世界が彼の脳には仕組まれていたからではないでしょうか。
全人類的に言っても、文の次元にはあやらしさが入り込む。
それを一層強く持つのが、象形文字を留めている漢語世界であり漢字文化圏だった。
ふみらしさに早速逃げ出した朝鮮語という例外はありますが、
その中でも「あやらしさ」としての漢語由来語・日本由来語が様々に残存してしまう。
総じて言えば、いいあらわす際の手法として、心理を書き写す為の文の慣習が問題です。
文芸理論でもその創作への実践でも同じ様な段階がある。
近代小説、ここでいう私小説の世界が一定の留保を持ってきたのは、
そこで語られる物語がより劇作に近い、模倣にとって写し合理的な映画の表現から離反しようとするからです。
- 82 :
- 歌舞伎小説的な小谷野先生の移す影絵の世界は、
映画ではないし、小説でしかないという独特の現代性を持っています。
日記に物語を入れている、といった趣です。
所々で嘘らしさが暴露されながらもあたかも物語の体裁を保っている。
彼は谷崎を手本にその語りの手法を更に高度化していったのだと思います。
彼が担っている役割は、現代の段階では小説性の復活を伴っており重要です。
ポストモダンが映画表現へ対して幻想性の復帰としてやってきた事への
「作りごとによる劇作」という本質からの、いわばリアリズム批判的な理解を意味するから。
- 83 :
- 口語化の運動が流し去り消し去ってしまった可能性は、
私のいう「あや」らしさを持っていたと思います。
柄谷はこれをバフチンからカーニヴァル的世界感覚と言っていますが、(『増補漱石論集成』)
そうではなくて、「あや」が小説世界の中に埋め込まれて存在を放たなくなったのが問題の本質です。
これは、日本でいう言文一致、中国でいう白話運動がそうしてしまったある拙速さだった。
逍遥のイデオロギーから逃れられたのは却って、それらの純文学的高踏主義を持っていなかった戯作に応じた一葉とか、
或いは俳句の掘り起こしを俳諧の伝統からしようとしていた子規などの例外の、いわば当時の異端者達でした。
物語主義とか私小説主義は、おそらくだが、私のいう意味でのあやの世界を無視か少なくとも下位の手段化しているのではないでしょうか。
- 84 :
- とりあえず最後、に付け加えると
このカーニヴァリティ、謝肉祭性は漱石の『明暗』に当てて柄谷は
それが限りない延長を持っているから、バフチンの理論に同じく、
いわば日常からの解脱という意味での浄化を伴わせる、と説明している
と言っていいかもしれない。これを彼は近代小説と呼んでいる。
つまり現実社会の模倣が延々と、非日常として続く、という読み物が近代小説だったと。
この非日常性に一喜一憂しながら登場人物の悲喜劇によって浄化を得るわけです。
古典的には源氏平家についての物語もそうです。だから、この類いの近代小説性をそれらは初めから持っていた。
だから、このカーニヴァリティはハレとケの民俗学的な理論でもそうだけど、詩劇を読み書きする作用を言っているに過ぎない。
私のいいたい事はそうではなくて、そもそもこの文芸という工作物の性質の事ですね。内容論ではないのです。
- 85 :
- こりゃ酷い。大丈夫か? もし、大丈夫なら、ここで勧められてるもの読んだ方がいいと思うよ。
http://www.amazon.co.jp/gp/pdp/profile/ACKYE0Z1IWIW3/ref=cm_cr_dp_pdp
ああ、それとあちこちでモノローグを延々と繰り広げるのは止めた方がいい。
できれば、一回、せめて四回までの書き込みにしてくれ〜
- 86 :
- >>85他人の書き込みを規制しようとするな。
- 87 :
- 独白が好きな人物もいる。
- 88 :
- だから、一回、せめて四回までにしてくれと言ってるんだが。
しかも、勧めてるだけだ。
この2chでさえ連投規制があるのは、なんでか考えてくれ
- 89 :
- それは違う。あなたは経営者になれない。できないなら黙っていればいい。
- 90 :
- >>88お前がそうしろ。お前は他人の仕事を駄目にする。
- 91 :
- 仕事って、本人かよ?
あれは高校生のだろ。他人に読ませるもんじゃない。
- 92 :
- ほいほい。
>>91嫌味ってそれより売れてるの?しかもつまらんし。
ばかじゃん
- 93 :
- 一体、何いってんだ? オイラは上の連投を言ってるんだが?
- 94 :
- 読むなよ馬鹿が。雑誌お前いちいち立ち止まって「一日一刊行にしてくれ〜」と書店の山ほどある掲示板前で言ってる?
どんだけ愚かなんだよマジで。
- 95 :
- 何いってんだ? 君のような一行コメならスル〜するが、
あんな支離滅裂な連投は、やめてくれという意見を言うのもいいだろ。
その譬喩で言うなら、
今まで読んでた雑誌に、あまりに酷い記事が連続記載されていたら
「その記事はやめれ」と意見するというかんじだな。
非常に常識的な行為じゃないか?
しかし、本人以外であの連投をやめてくれと思わないもんなのか?
まあ、これでやめとくけどね。
- 96 :
- お前の連投の方が無内容な上スレッド違い。ただの馬鹿なのは言うまでもないが。理解できないものを貶めるな低能野郎。
フリーペーパーに文句つけるキチガイは二度と来るな。お前は一般書籍板に帰れ、お前の脳で来ていい所じゃない学問板は。
さらに、ただの一投稿者に他人の正規投稿量を左右する権利ないと繰り返している。お前の掲示板じゃないし他人も同条件でやってる。
どうせ足の速い者、棒高飛びの出来る者、勉強が進む者に石原が嫉妬してるだけなのに、婉曲に貶める女々しい愚痴書くなよ馬鹿すぎる老害独裁者は。
お前の大好きな曽野スレッド行け。毎度毎度馬鹿なんだから。出来る者に嫉妬してなかんづく排除するなキチガイ神戸人。
- 97 :
-
評論家は何の役にも立ちませんからリサイクルできません。
使いみちがありませんので生ゴミで捨ててください from:東京都
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 ̄|..〇| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|..×| _________ ↓蓮實重彦 ↓柄谷行人
|..質| [ 生ゴミステーション ] ___ ___
|..店|  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ / \ ∞〜 / \ ∞〜
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- 小野谷のAA貼れよ 笑
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